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吉川洋東大教授の『デフレーション』について~2.原価とプライシング

2013年03月31日 13時20分25秒 | 経済関連
シリーズの続きです。

山形浩生が圧倒的な疑問を呈していたのが、この価格決定の仕組みだ。
コレ>http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20130304


当方の意見としては、やはり「価格は原価で決まる」という部分が圧倒的に大きいと思う。
経済学で出てくるような、「一物一価」なる幻想は、殆どがアホみたいなデマであると考えている、ということも言っておこう。これは以前にも指摘した。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/258885da7578759177a48c7111f3311b


経済学理論でどうのとか言う連中は、商売を実際にやってみたらいいんじゃないか、と思うね。世界中で「物の値段はどこでも同じだ」とか本気で信じている人間は、頭がおかしいんじゃないかとしか思えない、ということである。

昔、日本がよく批判されたものに、「内外価格差」というものがあった。貿易摩擦でバッシングを受ける理由として、よく使われたものだ。
こういうことを言う人間も、同じく頭の少しおかしい理論バカ、みたいなものではないかな。例えば「日本とアメリカでは全く同じ値段で売られていないとおかしい」といった意見は、現実にあり得ないことを求めている愚か者の科白だと思える。

それなら、ウォルマートが世界中に展開している各国の店舗において、同じ商品が売られていれば、世界中のどの店舗で購入しても全部「同じ価格」ということになっているはずだろう。アメリカでも、メキシコでも、アルゼンチンでも、プエルトリコでも、全く同じ値段が付けられているか?(笑)
もしもそれが達成されていると言うのなら、是非とも実証で教えてほしい。アメリカでの価格が高く、メキシコでは安い、といった商品は果たして存在しないか?


また例で考えてみよう。
東京で100円で売られている商品があるとしよう。もしも海外業者が自分で東京で仕入れて、そこから先のコストは自分で負担する、ということなら、国内業者に100円で売られているものは、海外業者に対しても同じ100円で売れる。だが、日本の輸出品というのは、日本の業者が海外に販売網を構築して、日本が相手国に輸入手続きまで済ませたりして、「わざわざ持って行っている」=輸出しているわけだ。

そうすると、即分かるのは輸送・物流コストが当然上乗せされるであろう、ということになる。じゃあ、日本国内より海外の方が「必ず高くなるじゃないか」と考える人がいるかもしれない。


ところが、必ずそうとも言えないかもしれない。日本から完成品を輸出する場合であれば、生産コストは国内販売用と海外用では同じである。それ以外のコストに差が出来るわけであるが、海外販売時のコストは日本と同一ではない。


まず初期投資額が違う。東京に販売店やショールームを取得するのと、海外のどこかの街に作るのでは、必要な資金が異なる。その回収計画(年限)が同じであっても、建設コストや用地取得コストなどで違いが出る。
現地の税制や金利水準も違う。
他の大きな要因としては、現地雇用の人件費が違う。商品のコストに占める人件費率の大きさは、価格に決定的な影響を与えるだろう。或いは販売戦略として「高級路線」といったような場合だと、わざと高い価格設定にしていることもあるかもしれない(利益率が変更されている、ということかも?)。ドイツ車や欧州有名ブランド品などでは、日本国内の方がはるかに高い。米国価格よりも高い。


なので、賃金水準、土地等不動産の値段、税制、金利、等々が異なるなら、同じ商品を売っているとしても、価格が異なるのは普通であろう。それら諸条件を全くと同一にできない限り、一物一価は実現できない。日本よりも初期投資が少ないとか、人件費率や税金が低いなら、商品価格が日本よりも下がっている場合はあり得る、ということである。水道光熱費やエネルギーコストなんかも当然影響するだろう。


需給で厳密に価格が決まる、というほどでもないが、売れる数量というのは重要な意味を持つ。極端な例を挙げると、輸送費は1個運ぶのも100個運ぶのも同じであると、1個当たり輸送コストが価格に反映されることになるので、高くつく。「原価による」というのは、そういうことだ。


ここまでの小括としては、国内と国外での価格差があるのは(為替要因がないとしても)当たり前、ということである。諸条件が同一ではないから、というごく普通の話に行き着く。諸条件とは、輸送費等流通コスト、初期投資額、人件費、金利、エネルギー価格、税制、等々、である。経費に影響を与える全て、ということだ。


次に、完成品輸出ではなく、現地調達である場合を考えてみよう。
また例で考えるとして、たこ焼き屋を経営するとしよう。まず日本国内の店ではどうか。
日本で調達できるタコや小麦粉なんかの材料費が原価に大きく影響する。焼く際のガス調理機のガス代もかかる。原価というのは、そういう調達コストの積み上げによる、ということである。じゃあガス代はどうやって決まるんだ、ということになるが、それもガス販売業者の調達コストによるわけである。突き詰めてゆくと、掘削業者のコストにまで遡ることになる。コストより販売価格が低すぎる場合には、誰もガス田を掘らなくなる。

タコやガス代なんかだと、市場のセリのような価格決定の仕組みが効くので、価格変動は回数も多いし変動幅も(他商品に比べて)激しい、ということになる。それらは確かに需給で決まる、という面が強く出ている。
小麦も世界需給で価格が変動するわけだが、日本政府が一括で価格を決めているので、変動は年1回とかの小さいものだ。改定幅は小さいとは言えないかもしれないが、生鮮品やエネルギー価格に比べると、安定的と言えるだろう。


たこ焼き屋での1個の販売価格が仮に100円だとして、この販売価格をしょっちゅう変動させているか?
日々、売れた個数に応じて価格改定が行われているか?
たこ焼き屋の前に行列が出来ている時には、値段が急速にアップしてゆく、なんてことが現実に起こっているか?
需給で決まる、という説を妄信している人たちにとっては、そういう価格変動が起こらないと「オカシイ」と主張するのかもしれない(笑)。


たこ焼きの販売価格の決定は、基本的にコストの積み上げによる。これを下回ると営業できないので市場撤退となる。次に、競合との価格比較、といったことになるだろうか。この水準は利益率を大きく変える。あまり他よりも高いと競争に負けるし、競合代替品(お好み焼きとか?パンやピザ?)に奪われるかもしれない。なので「適度な値段」というのが設定される。


ここでも一番影響度が大きいのは人件費である。仮に上記販売価格100円のうち、賃金部分を固定して50円だとすると、原価が変動した部分は利益が緩衝することになる。価格改定の激しい生鮮品(タコやネギや生姜、ガス代など)の変動幅を吸収するのは、利益部分ということになるが、規模の経済が働いているはずなので(ある程度の量が売れると原価率は逓減するだろう)、需要量に影響される。コスト増加分を利益で吸収できればいいが、それを越えてしまうと人件費を削らざるを得なくなる。
日本のデフレは、そうした傾向があったのではないか、ということである。人件費率の大きい、こうした外食産業に代表されるようなサービス業での価格低下というのは、原価の低下だけではなく、人件費率の影響があったのではないかということである。


同じたこ焼き屋を海外でも出店する、という場合、初期投資額が違う、というのは前述したのと同じである。完成品輸出の場合と異なり、原材料を現地調達する場合には、原価は大幅に変わる。タコや小麦や野菜の安い国であると、日本では原価が30円だったものが5円とか10円くらいでも作れてしまうかもしれない。新興国なんかの物価水準の低い国であると、それは珍しいものではないだろう。原価が10円なら、同じ人件費率や利益率を乗せたとしても、安く価格を設定できる。利益額を同じくしたとしても、安くなるかもしれない。


現地調達であれば、完成品輸出よりもずっと価格差が出やすくなるだろう、ということである。

それは、つまり「ビッグマック指数」のようなバカげた話は、現実の世界では殆ど無意味である、ということでもある。「一物一価幻想」を強化する為の作り話でしかないのかもしれない。


マクドナルドのような原価の大きく動く商売で、もしも本当に世界中で同一価格が達成されるとすれば、かなりの「かっぱぎ」(笑)が行われた結果である、という意味である。日本で売られる200円の商品が、物価水準が5分の1くらいの国でも同一価格であるなら、現地人件費は相当低いはずであり、利幅がべら棒に多く取られているのであろうな、という話である。


いずれにせよ、生産原価と労働者の賃金が捻出できない場合には、市場から退出することになる。プライステイカーとしてのみ行動する、なんてことはほぼ想定できない。需給は価格決定要因として影響するが(大量仕入れで原価を下げる、などの効果がある)、改定率(頻度、値幅)はそう大きいわけではない。特に、川下に行くほど、改定はかなり少なくなるであろう。
川上の原材料、エネルギー価格の改定は日々起こるし、変動幅もそれなりにあるので、需給が反映されやすい。その変動吸収が段々と困難になってしまったのが、日本のサービス業であった可能性がある。労働集約的であるが故に、人件費率が相対的に高く、原価率上昇を価格転嫁できないと人件費圧縮に繋がり易い、ということである。



ポパーと黒田東彦日銀総裁

2013年03月30日 16時40分27秒 | 俺のそれ
ノビー関連のつまらんつぶやきが目に入ってしまったら、予想外の事実を知った。


>https://twitter.com/Kazmrnk/status/306200426137665538


『日銀総裁になりそうな黒田東彦氏はカール・ポパーの熱烈な信奉者で、ポパーの翻訳にも参加している。 #黒田東彦 http://homepage1.nifty.com/ta/0ta/daia/an.htm …』


マジっすか?(笑)
拙ブログ記事でも、以前に書いていたのだった。


これは、当方が常々経済学信奉者たちに向けて批判をしている、根底にあったものだ。

政策決定と価値観


拙ブログでは、経済学信奉者というか、鵜呑みにする狂信的な人々とか所謂「経済学理論バカ」への批判をしてきたわけである。

当時は、上限金利問題で経済学理論を振りかざしていた連中、まあ、名を挙げれば、
 bewaad、池田信夫、磯崎哲也、飯田泰之、田中秀臣、木村剛
といった連中、その取り巻き連中の「論理と科学の装い」の言説を批判した。



07年当時、ポパーを引いて反論を書いてみたわけだが、彼らのその後の態度には、何らの変化ももたらさなかった。経済学信奉者たちの用いていた、ロクでもない批判方針は、今でも健在だ。


それは、水戸黄門が好きだから「水戸黄門的世界観」がどうだとか、ブログタイトルからして「怒りっぽい性格」だとか、マイノリティ差別をしたいだけ、とか、小沢や亀井支持なのがどうとか、そういう下らないものばかりだ、ということである。


そして、今も、TPP関連で同じ道を進んでいる。



1.貨幣数量説の補足

2013年03月30日 13時35分49秒 | 経済関連
昨日の続きです。

拙ブログでは、過去に貨幣供給、特にマネタリーベースの増加を主張してきていたわけです。それとの整合性はどうなんだ、というご指摘もあるやもしれません。


参考までに、過去記事を挙げておきたいと思います。

”Printing Money”と”liquidity trap”の関係とは

マネタリーベースの名目GDP比


実際にマネタリーベースの量について数値を挙げた記事がこちら。

マッカラム・ルールとマネタリーベース水準


昨日の記事中にも書いていますが、MV=PQの式からは言えることは、かなり限られるだろう、ということであり、マネタリーベースの過少を推定したのは、3番目の参考記事でも書いていますが、過去のマネタリーベース伸び率のトレンドが維持されたまま推移していたとすると、という仮定を置いて数値化したものです。

従って、それら数値の絶対水準には、経済学理論の厳密な妥当性が備わっているとは思っていません。あくまでデフレ以前の「過去の経済運営、状態」の姿が基本となっており、その経験則的な考え方を準用したら、ということです。


これまでにも喩えてきたのが、金利と貨幣量という関係性が血液循環維持システムと似ている、ということだったわけです。それは、ある程度の法則性を持ちながらも画一的ではなく、変化に富んだ調節性を持つからです。また、ストレスやショックなどでは、維持システムに異常を来たすこともあるし、生体の生理学的反応が却って生命維持に危機をもたらすこともある、という点においても似ているな、ということです。


当方の理解として、非常に簡略化して書くと次のような関係になっています(正しく言えば違います、同じ数式で単位系を統一して計算できる、というものでもありません。また血圧の変動要因は、他にも粘度や血管弾力性などが関係します)。

  血圧 = (末梢)血管抵抗 × 血流量  …()

血流量というのは、単位時間当たりの血液量です。
  血流量 = 一回拍出量 × 心拍数

心臓から拍出される1回当たりの血液量と単位時間当たりの拍出回数である心拍数をかけると、血液の流れている量が計算できます。心拍数は常に変動しており、安静状態で定常状態にしていたら1回拍出量の計測値とからおおよその量が計算で出ますが、それは実測値とは必ずしも一致しているものではありません。むしろ、「同一」状態が保たれていることの方が稀というか、日々変動を続けているでしょう。経済活動と非常に似ています。

で、()式は、電圧と電流の式に似ています。

  電圧V = 抵抗R × 電流I

電気回路の場合ですと、データを測って計算で一致した結果が出せます。どこかの条件を変えても、再現性のある条件とすることもできます。


しかしながら、血圧の場合ですと、条件を一定にするということ自体が極めて困難です。また、血管抵抗というのは、実測することができません。なので、同じ血圧が例えば「100」という数値を取っている場合であっても、血流量が減少しているとか、血管抵抗の値が変化している、ということは珍しくありません。正常時と同じ血圧100でも、非常に寒かったりすると血管が収縮して抵抗が増すので、血流量が増加していることになる、といったようなことです。感染症なんかで細菌性ショック状態になれば、末梢血管が拡張し抵抗が大幅に低下するので、血圧低下となったりします。循環維持ができなければ、死んでしまいます。


循環血液量というのは、心臓と血管にある全ての血液量ということになりますが、これも常時一定ということにはならないのです。おおよそマネーストックに該当するのが、この循環血液量ということになるかと思いますが、この変動は血圧や心拍数などに影響を与えます。脱水や出血などのような場合ですね。


そもそも生体には自動的に循環状態を維持する「システム」が存在しており、条件によって様々に変化しますが、大雑把な「ある範囲内」にある時には病的状態とはなりませんが、その自動調節範囲を超えていってしまうと「病気」ということになるわけです。病的状態の判断には、例えば「血圧」というデータだけを取り上げても、意味のある場合もありますが(例えば高血圧症とか、低血圧症とか)、電気回路みたいにV=RIの計算式から分かるといったような単純な話ではないのです。


それぞれが条件の変化に応じて違った値をとるわけであり、MV=PQの式で各数値が状況に応じて変化してしまう、というのと同じようなものだ、ということなのです。
生体の場合であれば、例えば「頻脈」になっている時、何が影響しているのかということについて、原因検索を行うわけであり、しかも「薬物を入れて是正すべきかどうか」というのはまた別な問題なのです。単に全力疾走した直後だったから、というような理由であれば、「放置して様子を見る」というのが妥当ということになるわけで、「頻脈には○○の投与が効果がある、と教科書に書いている」とか言うのは愚か者です。


経済分野の場合であると、MV=PQの各数値(条件)の変動がどうなった時、どう変化するか、という情報の蓄積が少ないので、答えが中々見い出せないのであろうな、という印象です。変動の方向性だけでも合っているようになれば、前進するだろうな、とは思います。
(「走ったら、心拍数が上昇する」といったことは、正確な数値や計算式がなくても分かっている、というようなことです。時速何キロで走れば、心拍数が何%(何回)上昇する、という機械的な数値はちょっと難しい、というのと似ているのです。個体差も結構あるはずです)



吉川洋東大教授の『デフレーション』について~1.貨幣数量説

2013年03月29日 17時46分44秒 | 経済関連
この前から、ずっと気になっていて、記事に書こうと思っていたわけだが、色々とあって書けなかった。そうしたら、インタビュー記事までもが出てしまった。

>http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130327/245704/?rank_n&rt=nocnt


当方の立場を先に述べると、吉川洋先生のご意見には”かなり同意”である。考え方としても、割と共感できる。何より、インタビュー記事見出しにある通りに、「賃金を下げ過ぎた」という論点において、わが心の代弁者かとさえ思えたほどであった(笑)。

ミクロ経済学の相似形がマクロ経済学の論理、というものではない、とする意見には大きく頷いた。
09年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5e351804770ee91231e19a539075e8fd

12年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/df7d3aa0138ab4ad8af5571420140704

上の記事のリンク先でも挙げた「マクロとミクロは両輪」の記事で、以前から述べていた通りである。



元々記事に書こうと思った発端は、山形浩生の中々辛辣な批判を見たことだった。

コレ>http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20130304


まあ、吉川先生が諮問会議の民間議員であった時代から、山形や「りふれは」なんかは散々罵倒と非難を繰り返してきていたはずだ。すなわち、山形にとっては因縁の敵、とでも言うべき存在だったのではないだろうか。ただ、書評としては、そこまで不公平ではないようだ(笑)。

当方は吉川本の解説者でも何でもないわけだが、当方なりの考え方や解釈などを通じて、山形批判に応えてみたい。

まず山形の理解の程度を、極めて単純化して言うとすれば、「残念な理解水準」ではないかな、と思う。山形自身は読んでいる本の量とか知識量なんかは、猛烈に凄いと思うし、物事の見方にしてもやくざな評論家みたいに通り一遍の表層的なものということでもない。しかし、経済学の知識をそれなりに有しているであろう山形をしても、「この程度なのか」というガッカリ感が否めない、ということである。よもや吉川批判の為に、メガネが曇ったというわけでもあるまい?
だとすると、経済学理論に対する基本的姿勢という点において、経済学知識が多くあるが故に、過信タイプに陥っているように見える。根本部分において、経済学というものへの「信頼」というものが、厚い人たちが陥る罠のようなものではないかと思う。それとも、実生活の中での「経済学的現象」の捉え方が、不十分なのではないか、ということである。

経済学の理屈がそれなりに正しいと信じているなら、それを現実世界に適用してみた時、その適合具合がどうなっているか、ということに大きな関心を払うはずだろう。そういう適合度の実感を得ようとしているとか、自分なりの「肌触り」のようなものがあれば、理屈への信頼度は変わるだろう。鵜呑みということの危険性についても、自覚的であるはずだ。


で、今回は「貨幣数量説」について、当方の感じ方を述べてみる。
結論から言えば、吉川説にほぼ近く、「正確ではない」というのが当方の意見である。

  MV=PQ

この式が、定量的に正確性を有している、とはあまり考えておらず、データとして計測するのが難しい面もある。すなわち、貨幣量を何兆円増やせば、物価は%上がる、というふうに、機械的に計算できるものではないんじゃないか、ということである。物理学や化学なんかとは違う、というのは、そういう意味である。

理想気体のボイルシャルルの法則では、次のような関係式が成り立つ。

  PV=nRT

貨幣数量説とよく似ており(nRが定数なので)、温度と圧が分かれば体積が計算で算出できる。この計算結果は、実測値とよく適合しているわけである。正確性では、経済学の比ではない。


なので、貨幣数量説というのは、考え方としては「定性的」には妥当と思うのであるが、物理化学のように正確に計算できるものではない、というのが当方の理解である。ただし、経験則的には「貨幣量を増やせば、インフレが起こる」ということは歴史的に当てはまってきたであろう、ということは言えるんじゃないか、ということだ。


昔の人たちは、例えば江戸時代の侍がマクロ経済学の理論を知っていたはずもなかろうけれども、貨幣改鋳で金含有量を減らして貨幣供給量を増加させ、デフレ(不況)を脱出したことは、経験則として妥当である、ということだ。或いは、藩札発行によって(今で言えばソブリン債か政府紙幣乱発)一般政府財政赤字が悪化することで、藩内の急激な物価上昇を招くといったこともあったわけである。


こうした現実の出来事というのは、貨幣数量説をイメージすると理解しやすい、定性的には適合するであろう、ということである。また、比較的短期間での観察であると、変動要因に一時的なものやノイズ的なものの影響が出やすいかもしれないが、もっと長期的な観察期間であればそれら雑音は弱まり、要因分析中に占める貨幣供給量の割合が多くなるかもしれない、ということもある。


なので、長期的にはインフレ率というのが「貨幣供給量」に大きく依存する、というのは貨幣数量説の立場を重視したものであるけれども、計算結果みたいに正確にはじき出せるものではない、ということであると思っている。恒等式から言えることは、かなり少ない、ということである。


今後、他の論点についても、順次書いていきたい。



「期待」の重要性

2013年03月27日 11時48分50秒 | 経済関連
岩田副総裁が就任会見で割と詳しく述べていましたが、「期待」というものが重要なものである、ということでした。黒田総裁もしかり。

その期待の変化があったことで、為替や株式市場の動きが出たというふうに解釈することは可能かもしれません。しかもその動きとは「マネーストックの増加」を伴わないものである、ということでしょう。まさしく期待で動いた、と岩田副総裁は見ておられるかもしれません。その期待への働きかけというものについて、今回は思うところを書いておきたいと思います。


一応言っておきますと、所謂”事実上の”インフレ・ターゲット政策導入は、白川総裁時代に行われたものである、というのが当方の理解です。

2012年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c5a74247f8ba74b673c149563e09e330


よく金融政策とはすなわち「レジーム転換だ!!レジーム転換が大事だ」と言ってる人なんかがいますけれども、そういう人たちにとっては「アンシャンレジーム」とはいつからなのか、ということは整理されているんでしょうか?

ある時点の金融政策がその後日にタイムラグを伴って効果が発現するということを言うのであれば、年末以降の為替変動や株式相場上昇というのが、白川総裁時代の結果とも受け取れるわけだ。それ以前に行われた金融政策の効果であることを認めないと主張するなら、その理由を明らかにしておくべきであろう。


さて、本題に入ろう。
「期待に働きかける」とか、「政策ルールの変更」ということは、どういうものかということを、当方なりの理解で書いてみたい。


また喩え話で申し訳ないですが、お付き合いを。

今、カジノがあるとする。ここでブラックジャックをプレイする。
台には、カジノ側の親と各プレイヤーがいるものとする。親が各プレイヤーと自分に札を配る。札は、表の絵柄が見える表札と、見えない裏札の各1枚である。


親=日銀、各プレイヤー=各経済主体、ということになる。
親が緩和的な政策ルールに転換する、という場合には、喩えて言うと次のようになる。
・親の表札にAか絵札の場合、捨てて2~9の札が出るまで引き直す

通常のルールから、こうした特殊なルールに変更、ということが「政策ルールの変更」ということになる。レジーム転換といってもいい。札を配る親の態度(姿勢)を、このような甘い方向へと転換する、ということである。この場合、親の目が悪くなる確率が高まり、子が勝つ確率が高くなるであろう、ということである。こうしたルール変更が起こると、子の賭け金は変化するだろう、ということである。勝てるチャンスが増えると子が考えるようになる、ということが、「期待」ということの意味だ。


更なる緩和姿勢を強めると、どうなるか。
・上記親の札チェンジに加えて、子に配る表札は最初から全員Aとする

こうなると、子の「21」完成のチャンスはかなり高まるであろう、ということである。勝てる確率はかなり高くなるだろう。政策ルールを変える、というのはそういうことだ。

一方、中央銀行総裁の首切りを言う場合には、親をやっている「人を変える」ということになるわけである。確かに、甘い親の人もいれば、厳しい姿勢の人もいる。ただ、「ルール」に比べると「人」の変更は、効果が弱い。
市場が「この親はきっといい人だろう」とワクワクするのは、「よい札を配ってくれそうな人」ということになる。で、最初から全員にAの表札を配ってくれるような人、だな。

あと、コミュニケーションという点も親で違うかもしれない。
親X「今の合計はいくつかな?表札が2なので伏せ札が9なら絵札でもブタ(21オーバー)にはならないし、絵札なら21になるから良い数ですよ。もう一枚引いてみては」
という感じで、やさしくアドバイスをしてくれるような人だと、安心してプレイできる、と。

親Y「あなたの手が悪いのは自業自得です、親のせいではありません。さっきも負けたって?それはあなたの計算能力、推理力、記憶力などが劣っているに過ぎません。自分の判断が悪いという結果なのです。私には責任がありません」

というような親であると、それが当てはまるとしてもゲンナリするのは間違いないであろう。


そういう意味においては、親が誰か、というのは大事ではあるけれども、最も期待を変えられるのは、「ルール変更である」ということだ。

政府の役割というのは、「カジノのオーナー」みたいなことになるかな。オーナーさんがキツイ場合には、親に「厳しいカードを配れ、子から巻きあげろ」と言ったりするかもしれない。そういうカジノには客が寄りつかなくなる(笑)。一方、子に勝たせてくれるカジノの場合には、そちらに行くだろう。なので、オーナーさんの立場もそれなりに重要。しかも、親の人を決めるのもオーナーさんだから。親の姿勢にもかなり影響を与える。カジノの台のルールを決めるのも、オーナーさんの権限が大きい。


このように、各プレイヤーに「親がAか絵札の表札の場合は捨てて引き直す」と宣言すれば、通常ルールでやっていた時とプレイヤーの「勝てるだろう」という予測は変わってくるはずだ、というのが期待の効果である。
更に、これを現実に親がやって見せれば、プレイヤーの確信は深まり、これを観察しているプレイヤーの行動に変化を与えることができる、ということである。インフレ・ターゲットと期待への働きかけ(政策ルール変更)というのは、こういうのと近いのではないか、ということである。


ただし、現実の金融政策においては、「親が引いたAか絵札を捨てて引き直す」という行為に該当する「実際の手段」というものが何なのか、というのはよく分かっていないことが難点である。もっと緩くして、「子の全員にAを配る」というのに匹敵する実際の手段というのは、どんなものになるであろう?

そこが難しい所なのである。


新日銀総裁・副総裁会見について

2013年03月26日 13時29分49秒 | 経済関連
少し間があきましたが。

>http://www.boj.or.jp/announcements/press/kaiken_2013/kk1303e.pdf


全然関係ない話ですが、中曽副総裁はあんまり質問されなかったようで、記者諸君の興味は黒田総裁と岩田規久男副総裁にあったようですな。こう言っちゃ失礼かと存じますが、セサミストリートに出てくる人形に似てませんか?(名前とか調べたけど、出てこないから判らんかった)スマン。いつも余計なことを言って。


で、黒田総裁の発言ですが、国会聴取時とほぼ同じでありますけれども、関係者間での意思疎通を図られたのかな、と思います。専門的な部分も含めて、日銀内の人と議論を積んだのかも、と。
また官僚機構というか官僚組織というものを熟知している、という点で安心感がありますね。官僚的な人々の振る舞いというか気質というか、そうした行動原理や習性を知る人間かどうか、というのは、日銀のような組織を動かそうという時に役立つはずです。

岩田副総裁は学術的背景について説明している方が合っている、とは思いますね、やはり。かつて日銀批判の立場であったわけですが、中に入ってみると自分の知らなかったことや気付いてこなかった部分というものを認識することになるので、「現実の政策」ということを意識せざるを得なくなるでありましょう。説明責任、或いは「辞任という責任の取り方」ということについて答えたのは、岩田副総裁の意識しているであろう、インフレ目標政策があったから、だろうなと思います。


かつて、インフレーション・ターゲティング政策というのは、目標が達成できなければ総裁(や執行部)を「更迭する」といったような人事権を掌握し、これを「ムチ」として用いることで、政治的強権を背景に目標達成を強いる、という暗いイメージ(笑)があったわけです。
金融政策効果としては、人事権の有無というのが決定的な要因かどうかというのは疑問の余地がある(確か文献的には関係ない、だったかな?)わけですが、90年代はじめくらいまでというのはそういうのを称して「インフレ・ターゲット政策だ」と強硬に主張してきた人たちがいたわけです(その認識のまんま今に至っている方々は、はやり同様に「クビにできなければインタゲの意味がない、効果がでない」などと言い張っているかもしれません)。そうした、どちらかと言えば近年の”modified”インタゲではなく、よりオリジナルのインタゲを意識しているとなれば、最大効果を狙うべく「辞任」という責任の形に言及したものであろう、ということです。
白川前総裁が言っていたフレキシブルなインフレ・ターゲット政策というのは、旧来型の「特定指標・数値(=CPIで2%)」と目標の達成と未達(=失敗なら更迭)という、極めて機械的な政策とは異なる、ということです。日銀の出したインフレ目標政策というのは、紋切り型の枠組みではありません。


岩田副総裁はこうした「総裁をクビにできる」と強硬に主張する人々を若干意識したものだろうな、ということです。
ただ、総裁人事権の有無で金融政策の効果が変わってしまうならば、それは「総裁という人間」に依存しているものであって、政策の妥当性としてはどうなんだろう、という話になってしまうわけです。
「人に依存しない」とは、極端な言い方をすれば、誰が総裁になっても同じく効果が発揮されるもの、という意味です。他の人が総裁になったとしても、政策が維持される枠組みという方が望ましいはずではないか、ということです。これも前から言ってきたことですが。

参考:http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5b7c428285c3a5266d882864f3857192


ですので、総裁の人事権がなければダメなんだ、という人たちの意見というのは、じゃあ総裁の能力や考えに大きく左右される政策枠組みを支持しているんですね、という話になってしまうわけで。それってどうよ?(笑)
実は「りふれは」とかの連中は、政策について考えているのではないのだよ。敵陣営に勝利すること、を考えているに過ぎない、ということ。主義主張を通そうとすることだけに拘泥しているだけ。対立勢力を叩きたい、バッシングしたい、というだけなんじゃないですかな。


話が逸れました。
黒田総裁、岩田・中曽副総裁をはじめ、日銀の全ての方々にお願いです。


これまで日本は「失われた20年」を過ごしてきました。
そして、デフレは15年にも及ぶ長期となってきたこともご存じの通りです。これから日銀が行うのは、史上最大の、過去に例のなかった挑戦です。ある意味では、日本経済を舞台にした、壮大な実験です。

またヘンな喩えで申し訳ありませんが、誰も見たこともないような「巨大な大浴場を沸かす」という作業を実行するようなものだ、ということなのです。これを成功させなければなりません。この大きな風呂は、過去のデフレ期間に魔物が成長するように巨大化してしまいました。しかもこの風呂には、人類史上最大規模の「国債プール」というものが付いています。これらを含めて、風呂が「いい湯加減」になるようにすることが求められるのです。


この挑戦に失敗すると、次の一手は全く見えなくなるかもしれません。
次なる手を正確に述べ挙げている人は、ほぼいないでしょう。それくらいの難事である、ということです。成功させるには、日銀の全戦力を結集しない限り不可能でしょう。政府も勿論全面協力するしかありません。

この史上最大の作戦を成功させることができるのは、現在、日銀しかいないのです。その重責について、よく自覚して頂き、是非とも頑張って頂きたいと思います。



リフレ?一派の暗黒史

2013年03月25日 20時13分52秒 | 経済関連
上念司らが”御用一般人”とか命名しているが、自分たちは一般人ではないのか(笑)。ああ、あれか「自分らは違う、お前ら如き虫けらのような一般人ではないのだ」くらいの、特権階級意識か選民思想でもあるのかねえ。因みに私は「匿名の卑怯者」(懐かしい~)ないし「匿名の一般人」にございます。


で、拙ブログを書き始めて(04年10月)以降、ネット上では所謂現在の「リフレ派なる人々」を知ることになったわけです。そういう人々は、まるでフランス革命のような勢力争いといいますか、闘争を展開しておったように見えたわけです。普通のまともそうな人もいましたが、そうでもない人もいました。ああ、そういう基準で言えば、当方なんかも「まとも」ではない範疇に入ってしまうかもしれません(笑)。



当時、日銀はゼロ金利政策と量的緩和政策をやっていました。
リフレ派と自称する人々は日銀を蛇蝎の如く忌み嫌い、常に徹底糾弾をしておったわけです。簡単に言えば、悪の権化は「日銀だ」というようなことですね。少なくとも05年時点での量的緩和政策に対しては、
「お前らは流動性の罠を知らんのか、教科書嫁!効果がないんじゃ効果が、量的緩和をやっても無駄だからデフレのまんまなんじゃ!ヴォケが」
みたいな勢いで、日銀政策を糾弾していたはずです。
もう、日銀出身だ、とか、日銀業務に関係している、ということだけでも、批判対象とされたもんです。彼らは他人の陰謀論をやたらと批判するわけですが、自分たちの言う「お前は短資会社の回し者だろう」的な決め付けは、当然OKですかね。そうした傾向は最近でも全く同じでしょうけれども。


また、小泉政権の「構造改革路線」にも徹底糾弾をしていたわけです。
その片棒担ぎであった高橋洋一は勿論のこと、経済財政諮問会議にいた竹中平蔵大臣、吉川洋東大教授、本間正明阪大教授なども当然やり玉に挙げられていたわけですね。改革路線に賛成している人々に対してでさえ、「金融政策しか意味ないんじゃ、シバキ主義が諸悪の根源じゃ、ヴォケが!」みたいな勢いで攻撃していたような印象でした。
当然ながら、郵政民営化についても「ムダムダムダムダムダ、オラオラオラオラ!!」くらいの勢いで徹底的に批判し反対していたわけです。「デフレ」なのと「郵政民営化」とは別な政策議論になるかと思いますけれども、思想的に先鋭化しているせいなのか判りませんが、個別の政策議論ができない、という方が見受けられました。
つまり、「リフレ村」住人のような感じで、仲間認定されると急に掌を返したように「味方」識別表示となり(笑)、村人になってないとそれは全て「攻撃じゃ」ということで「敵」認定、というようなことでしょうか。具体例としては、山崎元氏のいわゆる「ゴキブリ論争」とかですね。

まあ、当方はリフレ村の住人になんてなりたいと思ったことはないですし、彼らの薄気味悪い仲間意識みたいなものも、あんまり共感できるものではなかったわけです。党派的に賛成表明をした者を村人とみなし、連帯意識満載。それに反対する者たちは、議論の中身を吟味するのではなく、属人的に「敵」認定し意見を全否定、というようなことですかね。そういう集団は、過激な宗教的集団と似ており、原理主義的な言動が見られます。


極端に書きますと、
金融政策さえ実行すれば、
「郵政民営化はいらない」
「労働政策もいらない」
「若年者対策もいらない」
「家族政策もいらない」
みたいに何でも解決するかのように言うわけです。


そんなことに労力を使うくらいなら、「リフレ汁」(注釈;当方の理解では「リフレ政策をしろ」という命令形のよう)だそうです。
また、こういうのの取り巻きみたいな存在がそれなりに形成される、ということですな。それこそが「リフレ村住人」。


で、村人はどうでもいいわけだが、いくつか疑問点などを指摘しておきたい。


①2004年以前に、日銀の量的緩和政策を批判していたリフレ村住人は、その後どのような総括をするのだろうか?

日銀のやることなすこと貶さずにはおれなかったのかもしれないが、日銀当預残高目標の調節について、確か「流動性の罠なんだから無効だ」とか言って批判していたであろう人々は、今になって「やっぱり当預残高を増やせよ」とか言うとすれば、それはどうしてなのであろうか?
30兆円超の量的緩和策の時には、そんなのやっても効かねえぞ、とか言ってたのなら、今の残高水準やもっと増やせと要求する理由というものを明確にしておく必要があるであろう。


②「政策レジーム変更」云々で日銀法改正を言うのなら、何故日銀法の97年改正に反対しなかったか、或いは日銀法改正を優先要求してこなかったのか?


金融改革とか、不良債権処理などといった論点は、ほぼ無効であると確信していたなら、どうして日銀法改正というレジーム変更を言ってこなかったのだろう?
拙ブログにおいて「97年ショック」と表現してきたが、まさしくその97年以降にデフレに陥ったので、あたかも「日銀法改正」というレジーム転換が起こったということと同じ意味合いなのでは?
ならば、97年の日銀法改正がまさしく「改悪であった」ということで、大蔵大臣に日銀総裁の人事権を持たせるべき、ということではないか。最大の失政は「日銀法改正であった」という主張でしょうか?
日銀法改正がそれほど重要なのであれば、97年改正に徹底反対すればよかったのだ。大蔵解体と日銀分離・法改正は、その後に訪れる日本の銀行等「金融機関粛清計画」に追い込む為には必要だった(大蔵がバックにいる限り、銀行を潰さず救済しようとするから)、ということだろうというのが当方の推測である。
ただ、結果としてデフレの道を開いたわけであるから、政策転換を再度図るべく法改正を優先すべきだったのでは。それとも、97年改正の責任を厳しく問うべきだったのでは。


③財政政策批判はどこまで妥当なのか?

金融政策の重要性を説くことは別にいい。だが、リフレ原理主義的な連中というのは、まるで「やること自体が間違い」みたいに決めつけるわけだが、本当に検討した結果なのだろうか?

また例で考えてみよう。
有名な「ヘリマネ」という話があるだろう。お金をヘリコプターから播けばいい、という思考実験的な喩え話だ。バーナンキ背理法なんかにも通じる話である。

これには必ず言外の前提というものがあるはずだ。
それはどういうことか?
「もらったお金を人々が使うであろう」
というものである。


木の葉が降ってきたら、どうするか?
箒で掃いて、ゴミ袋なんかに入れてしまうだろう。そう、そのまんま、だ。燃やしてしまう人もいるかもしれないが、木の葉を店に持って行って支払う人はいないだろう。
では、お金が降ってきたら?(笑)
まあ、普通は使ってしまう。だけど「お金の量を増やせば、物価が上がる」という直結状態ではない、という場合が存在する、ということを考慮しておく必要があるはずだろう、ということを言っているのである。


お金を貰った人がきっと使ってしまう、そういう暗黙の了解が存在していないと、ヘリマネの議論は成り立たないし、バーナンキ背理法も同じく通用しないだろう。お金を受け取った人が、ポリ袋に入れて木の葉の如く退蔵しているとか、お財布か貯金箱に入れたまんまでどこにも使わなかった場合、物価は上昇しない。だから、単純にベースマネーを増やして、日銀金庫に大量の眠らせてあっても、世の中の資金量(循環)には殆ど影響を与えない、ということがあり得るだろう、ということに注意する必要があるのではないか、と言っているのである。


「貰ったお金は必ず何かに使う」という前提が必要なのである。
お金を貰って使う立場が誰か、ということで場合分けができる。
政府が使えば、公共事業なんかの様々な政府支出となる。一般の個人が使う場合には、減税、給付金、医療費補助や生活保護費等々になるだろう。企業が使う場合というのは、法人税減税、研究開発費等補助金、中小企業対策費などである。日銀が使う(というのが妥当な表現かどうかは不明だが)場合には、各種資産買入ということになる。

ヘリマネは大袈裟な表現ではあるものの、具体的政策として考えるなら定額給付金に近いもの、ということになるだろう。そして、通常は「使わずにはいられない」ということであり、何か食べるとか買うということで、使えば需要増大が起こる。そのことがデフレ圧力を改善するはずだ。しかし、誰一人全く使うことなく保管されてしまうと「貨幣供給は増大したのに物価は不変」ということになる。


従って、お金を使う経路、というのがどういうものになるか、というのは考える必要があるはずなのだ。財政政策なしでいいという場合には、政府、個人、企業が使う立場になることを否定するわけであり、その場合には日銀が資産購入に充てるよりない、ということになってしまう。日銀は商売できないし、博打も打てない(笑)。何ならケチャップでも買うか?日銀にできることは極めて限られている、というのはそういう意味である。


また、日銀が借り手を創造したり、借入需要を増大させたりできるわけではない。金融機関の貸出需要が増大しなければ、当座に積まれた資金は眠ったままになる。ただし、日銀の金利引き下げ策が奏功すると、貸出金利水準が低下することで「今の方が借り得だ」(=将来は金利が上がるだろう、という予想が発生する)と思えば、資金需要が増えることにはなるだろう(金利先高感があるから=将来時点での名目金利上昇が予想されるから)。


いずれにせよ、これまでに日銀叩きでメシウマだったようなリフレ村の村民だか住人だかは、過去の反省会でもきちんとやっておいた方がいいんじゃないか?


参考:http://togetter.com/li/476996




アベノミクスを喧伝するマスコミのご都合主義

2013年03月24日 14時10分32秒 | 経済関連
円安になって自動車や電機などの大手企業がバンザイして喜んでいるのかもしれないが、マスコミの狂乱ぶりは目に余る。


かつて、原発再稼働問題の時に讀賣新聞社説をはじめとする国内大手マスコミの連中は、何と言っていたか?
代替燃料の輸入で「年間3兆円も輸入額が増加する」のは、大変だ大変だ国富流出だ、と大騒ぎしていたわけである。


マスコミの思考力なき連中には、小学生の算数程度の計算すらできないのかもしれません。


◎さて問題です。

問1:
日本は昨年1年間で60兆円の輸入をしました。1ドル80円で決済しました。ドルベースでは、いくらでしたか?
そうですね、7500億ドルですね。じゃあ、次に行きましょう。

問2:
今年も昨年と同じだけ輸入しなければなりません。ですが、今年からは1ドルが100円になってしまいました。7500億ドル分の物品を購入するには、いくらの日本円が必要になりますか?
掛け算ができれば答えは出ます。
75兆円なり~。


はい、これもアベノミクス効果がバッチリ効いたお陰ですかね。
すると、日本は「全く同じもの」を購入するのに、片や60兆円で済んだものを、わざわざ75兆円出して購入せざるを得ない、ということになるわけです。

そう、日本国民全体からの輸出企業へのプレゼント(所得移転)を意図的に行って、それでそれら企業は日本国民全体に何を返すと思いますか?
日本国民全体で払った15兆円分の余計なお金以上に、経済活動を高めてくれるならばいいでしょう。けれども、需要不足のうち15兆円分をそれら輸出企業が埋めてくれる、なんてことが本当にあると思いますか?(笑)


マスコミは狂ったように「原発止まれば、3兆円の国富が流出する!!」と叫んでいたのに、どうして今は同じく言わないんだろうね?バカだからですか?算数ができないからですか?今の為替水準が続けば、同じ輸入量であっても10兆円以上の輸入価額増となりますよ?燃料費増加の3倍~5倍もの損になるんですよ?(笑)それでも、「国富流出だ」とは言わないと?
それとも今年中に、円安効果だとか言って、それで本当に輸出が大幅に伸びるとでも言いますかね?為替下落分と同じかそれ以上の割合で、輸出が増やせる、という自信があるなら、そう宣言しておいてほしいもんですな。


08年度第4Qでは、日本のGDPは30兆円分くらい軽く吹き飛んだんじゃなかったでしたか?その多くが輸出企業の落ち込みだったわけで。輸出額は08年から09年だと約26兆8500億円減少したので、消滅した分は殆どが輸出企業分ではないかと推測されるわけなんですよ。
このGDP減少となった30兆円に比べりゃ、TPPで増えると言われた3兆円程度なんて、誤差に見えるくらいなんじゃないですか?(笑)


これまで自工会みたいな経団連の大企業の言う通りにやってきて、優遇措置もたくさんやってきて、それで「日本経済の足を引っ張り続ける」存在となっているんじゃないですか?

これら日本企業のやったことというのは、大バーゲンセールだ。
それは「日本人の労働力」を大安売りで世界中に叩き売りした、ということだな。その効果で儲けさせたのは、ごく一部の人間とか株主といった投資家たちだけだろう。


そして、TPPも同じ構図なのだ。
円高のせいだ、次は、TPPじゃないとダメなんだ、と言い張るわけだ。これも同じで、日本国民全部に迷惑をかけるのに、それを承知で「自分たちの企業だけが良ければいい」ということでしかない、ということなんだよ。


まあいい。
高々3兆円くらいで大騒ぎしていたマスコミの愚か者たちは、さっさとアベノミクス批判をやったらどうですか(笑)。
安倍政権の補正予算には、「国債発行すんな大運動」を展開してなかったようだが、これも不思議だ。民主党政権時代は、「財源はどこだ」と狂ったように叩いておったわけだが。なんという都合のいい対応。コロコロと掌を返す様は、見苦しい。



自工会の不都合な真実

2013年03月23日 18時56分05秒 | 経済関連
2月の貿易収支速報が公表された。
その中のある数値は、特に目を引いた。それは、自動車だ。


貿易収支の悪化は明らかなのであるが、輸出減の主な要因は「自動車」「半導体等電子部品」「金属加工機械」だったそうだ。端的に言えば、最も足を引っ張ったのは「自動車」である。


自動車輸出は、数量ベースで見ると1月時点でもマイナスだった。しかも北米以外は軒並み減少。アジアもEUも数量・金額ともに大幅ダウン。北米市場では、1月はかろうじて金額でプラスを確保(数量はやはり大きくダウン)するも、2月は数量の大幅減少効果を円安ではカバーできず、金額で大幅マイナスとなったわけである。


従って、アベノミクスとやらの円安だからとて、自動車輸出が増加に転じた、といった傾向は見られていない、ということである。少なくとも出荷台数ベースではかなりの減少となっている。円安によって、どうにかそのマイナスが緩和された、ということのようだ。
同じマイナスになるなら、円高でマイナス幅が大きくなるよりも、円安で緩和された方がマシじゃないか、という意見はあり得るが、その場合は円高で恩恵を受ける経済主体(一般的には大多数の国民)から円安効果でプラス恩恵を受ける企業への所得移転ということになってしまうだろう。具体的には、原油やLNGなどの輸入価格上昇による不利益、といったことである。


しかも、円安になったからといって、電機、自動車、金属・機械などの主力で輸出が伸びていない(むしろ減ってる、笑)ので、円安で輸入コストが大幅増となってしまうことの不利益の方が、今のところは圧倒的に痛いということになるだろう。
EUの経済問題とか不調によって、日本からの輸出が減少しているんだ、という見方もあるだろうけれども、それなら円安になっても輸出が増加するということにはならない(=世界需要の減退によって日本製品の売れ行きが左右されるということになり、為替要因はあまり関係ない、という見方となる)。その場合、輸入コストだけが増加するだけなので、日本には打撃となるだけである。
自動車、電機、金属・機械のクリーンナップが円安になったからとて、本当に輸出増加を達成し稼げるようになるのか、というのは若干の疑問がある。需要が消失してしまえば、リーマンショック後のような状態に陥るだけなので、例えば中国経済が大幅減速などという傾向が顕著になれば、やっぱり「円安なのに稼げない」というところに落ち着くだけだろう。せいぜいコスト率の若干の改善に寄与するかもしれないが、大した効果は得られない可能性もある。


すなわち円安を意図的にもたらすことで、わざわざ交易条件悪化に拍車をかけているだけ、ということになる。実際、03年までの貿易収支の姿というのは、輸出量が今ほど多くはなかったにも関わらず、交易条件は現在ほど悪化していなかった。


輸出額で見ると、悲惨だった98年で約50.6兆円(ドル円は140円前後を付けていたこともあったはず)、03年でも54.6兆円と僅か4兆円しか増えていない。それでも96年~03年に貿易収支が9兆円黒字を割ったのは96年と01年の2回しかなく、10兆円前後の黒字を生み出していたわけである。ところが、05年以降で見ると、貿易収支はそれほど落ちてなくとも交易条件悪化が進んできており、特に08年以降はかなり顕著となっているのである。


これは例えば、輸出企業がデフレ継続を後押しするかのように輸出物価の下落を招き、輸入商社などにおいては原油等の意図的な高い輸入価格としてきた、というようなことである。それら利益は、主にグローバル企業群へともたらされたであろう、ということが推測されるのである。


今後、輸出物価が改善せず交易条件悪化が続く、或いは円安の恩恵を受けた企業群が思ったほど稼げず、単に「商品力」で競争に負ける(日本製品への需要がない)といったことならば、円安自体が日本国民への大打撃となる、ということは肝に銘じるべきであろう。
そういう意味においても、アベノミクスは両刃の剣である。


参考:http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/fb53d51b4f521f72a5b422c7b34d6cfc



続・上念司の思想警察(笑)

2013年03月22日 17時57分06秒 | 俺のそれ
続きです。


安倍政権誕生で、まさに「我が世の春」を謳歌しているようだが、彼らへのしっぺ返しはそう遠くないであろう。
それは、安倍政権があればこそ、自分たちが所謂「強者の立場」にあるという自覚があるからだ。
  ◎自分たちの今のポジションを守ろう=安倍総理を支える
ということが目的となってしまい、「真実を求めよう」とか「よりよい政策を選択しよう」といったことが失われているからだ。


「日銀法改正だ」論で吹き上がり、安倍という看板を得て、進軍あるのみ・連勝連勝また連勝と騒ぐ輩のようである。つまりは勝利に酔いたい、というだけだ。
強硬・主戦論を唱え、戦線拡大をする者を無批判に称揚し、政府批判なんかをする人間に「非国民め」とレッテルを張り、己は下士官くらいの地位を得たことでチンケな権力を笠に来て下っ端をシゴキまくる人間、というような印象。


非主流派だった人間が主流派になった途端に、自らが優越感と微々たる権能を手に入れてしまうと、過剰な虐待や糾弾をする、というタイプの人間はこうして生まれるのかもしれない。


「りふれは」とやらの見るに耐えない言動の数々は、言い分の正しさにかなりの疑義を生じさせるに十分である。これは、ずっと以前から感じていたものであったわけだが、彼らのやってることはただのイジメと違いがない。そういう輩の集まりなのだろうな、としか認識できない。



ここからは、独り言ですので。
読まない方がよろしいかと思います。



そうか、ノビーも、ハゲ臣も、主張は違えど、似た者同士、だったかな。

財務省官僚批判なんかもそうであったし、散々高橋洋一を的にかけていたのを態度を一変させたりとか、ヘタレの卑怯者たちの豹変ぶりというのは本当に驚くわな。


で、黒田総裁支持派に「転んだ」連中というのは、どうよ?
アレ?アレレ?
くらいなもんだわな。まあ別にいいんだけどさ。

りふれはを名乗ってて、財務省官僚なんて絶対ダメだ主義の連中(みんなの渡辺さんの主張みたいなもんだな)は、08年当時あれほど反対しておったはずではなかったか?


要するに、卑怯者がとても多く見受けられる、ということだな。



ああ、上念のような「全然違う話を持ち出す」戦法の、しょうもない人間を見たことがあったわな。独自の情報源を持っている?だったか、玉井の「USTR交渉官から聞いた」に匹敵するようなのがあったわ。同じような性向?が見られるな。


>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/10521b4efb2b0c884d86a40337b68d5e
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/77e292b2bda1135b8954ce1ec74210ea
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e4016cde190bfc52ebb592a2da214068


議論で不利な場合、こうした人格批判だの、別な話を持ち出して誤魔化すだのという輩がいるんだな、これが。しょーもない。



ああっと、それから、上念氏は自分の書いたツイートを暫くは隠していたんですかな?
で、ほとぼりが冷めた頃に、読める状態に戻したんでしょうかね?
読まれると都合の悪いものは、隠す、という手口ですか。なるほど。

最後にコメントを書いたのは自分だ、とでも印象づけたいんでしょうか。中々つまらん手を使うようで。






上念司の思想警察(笑)

2013年03月22日 17時47分53秒 | 俺のそれ
Hマちゃーん、じゃないけど(笑、悪気はないす、スマン)、「りふれは」とやらがどんな言動をしており、どういう人たちなのか、ということを見て、なるほど彼らに向けられる視線というものがどういうものであるか、ということが若干見えてきたように思う。


実際のところ、あまり詳しく実態を見たことがなかったので、どれほど荒んだものなのかを知らなかった。これでは日銀の人たちではなくとも、彼らの言い分になど耳を傾けようなどとは到底思えないものであろう(笑)。


上念司という人の発言を見たので、以下に取り上げたい。
(まとめサイトの作り方を知らないので、コピペとしました。以下、赤字は上念、青字は浜菊会、便宜的に番号付与したのは拙者です)


>https://twitter.com/hamagikukai


上念 司‏@smith7960003月16日
まとめを更新しました。マネーストック原理主義について説明追加。 「【スクープ!】「TPP交渉参加したら抜けられない」というデマを流しているのはデフレ派だった!」 http://togetter.com/li/472623



@smith796000 交渉参加と条約締結は別、というのはその通りかと思いますが、交渉に参加してしまうと途中離脱困難、という虞はこれまでの経緯を見れば危惧されるのは仕方がないのでは。あたかもTPP反対派が全部デマを拡散しているかのようなレッテルも度が過ぎるように思います。
@smith796000 途中離脱を否定しているのは賛成派にも実在しているわけで、それは何故問題視しないのでしょう?石破幹事長は『首相が交渉に参加すると表明した以上、我が党が離脱すると言ったら日米関係はもたない』と発言しているわけで、党要職の幹事長がそう言えば離脱は非現実的では
@smith796000 (長くてすみません続きです)あくまで国際法の形式的には「いつでも離脱可能、嫌なら批准しなければいい、発効しなければいい」ということが言えるとしても、それが現実の選択として政治的難易を測ると「事実上不可能」という見解が存在しても不思議ではないということです
@smith796000 石破幹事長発言は、まさしくそうした意味では「事実上不可能」という態度の表明でしょう。米倉経団連会長とて「途中離脱はありえない」と野田政権時代に明言しています(藤村官房長官や前原大臣の離脱可能発言に対して)。枝野大臣に対しても日経は「国際信用を失う禁じ手」
@smith796000 と非難していました。引退した中川秀直元議員曰く「交渉参加を拒否する、中途で離脱するとの選択肢はありえない」、葛西JR東海会長も「日米同盟と表裏一体、TPPに裏打ちされた日米同盟しか選択肢はない」と述べています。彼らのような「一択」を攻撃しないのは何故?
@smith796000 反対派のデマを問題とするのと同じく、賛成派のこうした「離脱はありえない」とする決めつけも問題視して、攻撃するというのが公平なのでは?離脱しないが批准しない、というような詭弁を弄することは多分ないでしょうから、離脱しない=締結と解釈せざるを得ないのでは




)@hamagikukai それら一連の発言は北朝鮮のスポークスマンが「東京を火の海にする!」というぐらい何の根拠もないものです。交渉をするのは安倍政権、承認するのは日本の国会です。


@smith796000 それは当然です。あなたが問題視している、まとめの件の「デマを流している~」使徒だか使者だかの人への批判をするのと同じく、あなたのご指摘になっている北朝鮮スポークスマン並みの「何の根拠もないもの」を批判しないのは、公正性に欠けるのではありませんか?


)@hamagikukai 私が批判しているのは元デフレ派のくせに、愛国者ぶって「TPPハンターイ!」とやっている匿名の工作員たちです。実名で発言していた人にはそれなりのお考えがあったんでしょう。私とは見解が違いますがね。


@smith796000 批判対象を選ばれるのは上念氏の自由ですので、それは仕方のないことですが、ただ賛成派にも同じ厳しさを適用してもらいたいです。前安倍政権時代の「上げ潮派」と呼ばれた中川秀直元幹事長の発言は北朝鮮スポークスマン並みの根拠なきもの、という理解で宜しいでしょうか?


)@hamagikukai 実名で言ってる人はそれなりのお考えをお持ちでしょうから、ネット上ではなくてご本人に直接お話します。匿名でデマ吹聴している人とは別です。


@smith796000 了解しました。これ以上伺うことはございませんが、たった今「北朝鮮スポークスマン級のデマ」で片付けておきながら、実名の偉い人には直接お話し、と。無名の弱小個人にはデマのレッテル貼りで撃破をまとめにアップ、と。残念ながらそう理解せざるを得ません。失礼しました


)@hamagikukai ずいぶん曲解してますね。政治的な意味でこの協定が実現するかどうかはまだ誰にも確実なこと言えませんよ。北朝鮮が東京を火の海にできますか?はっきり言って同じレベルです。その見解の違いを思想警察のように粘着するやり方はおかしい。言論弾圧ですか?
@hamagikukai しかも、あたなは小沢さんの支持者なんですね。政治的なお立場理解しました。もっとフェアな形で議論させていただけたらいいんですけど、さすがに思想警察的なやり方はやり過ぎですよ。



@smith796000 随分な勘違いですね。『東京を火の海』と言ったのはあなた、中川元幹事長ら実名著名人の発言をそう喩えたのもあなたですが。できますか、って当方に質問すること自体が間違いですね。火の海にできる、なんて当方は一言も言ってないですよ。思想警察って、どこがですかね?
@smith796000 件のデマを流布していたらしい匿名一般人の意見については、あなたの言う「見解の違い」とやらを適用しないのですかね?あなたが匿名一般人に思想警察が如くに粘着して勝利宣言し、まとめをアップして言論弾圧と見紛うかのような行為を行っているように見えますね。



)@hamagikukai 見解の違いじゃないです。法理論として明らかにデマ。質問ですけど、そういう連中をかばいたいのでしょうか?実名でやってる人は、政治的な難しさをシミュレーションしているだけで、それとこれとは別問題です。何度も言ってるでしょ?


@smith796000 かばうという問題ではなく、「交渉参加すればすなわち発効」なる匿名個人のデマとやらが、どこで発言されているかはっきりしない上に、それをもとに吊るし上げ紛いのまとめを見れば疑問に感じるということです。交渉参加=協定発効、なる主張を行っている人が誰か不明です


)@hamagikukai そうやって比喩に噛みついて失礼だという言い方が思想警察そのもの。そうでないというなら、この場合あなたが適切だと思う比喩をちゃんと示していただけますか?マナー教室やってください。


@smith796000 『比喩に噛み付いて失礼という言い方』はあなたの創作です。どこにもそんなことは言っていませんよ。中川秀直元幹事長の発言を北朝鮮同等のデマと言ったのはあなた、それを批判しないのはどうしてか、と尋ねたに過ぎません。するとあなたは「当人に直接言う」と言った。


)@hamagikukai 私に突っかかってきた人の話をしているんですよ。あたなには元々関係ない話。それから、適切な比喩の基準と用例見せてください。待ってます。(2回目)


@smith796000
この方のことでしょうか?→
http://togetter.com/li/472689
確かに当方は関係ない話ですわな。で、一言も言っていない『比喩に噛み付いて失礼という言い方』を自分で創作しておいて、これをもとに基準と用例を要求と。お得意の回数つき。くだらない。



)@hamagikukai 「北朝鮮スポークスマン級のデマ」で片付けておきながら、、、←だからそう片付けて何が問題なのか?その比喩が問題なら、正しい比喩をどうぞマナー講座してくださいと申し上げてるんですよ。暇ですね。時間泥棒はさようなら。


非常に残念ながら、上念司という人間が見えましたね。自分にとって不利・不都合なツイート上の発言は、読ませなくする、ということですわな。どんだけ卑怯者なんだよ、という話です。それでいて、弱小一般人は目一杯叩いて吊るし上げ。晒し者にする、と。単なる弱いものイジメと変わらない。
議論の本質には全く無関係の「比喩の基準と用例」を要求するなんざ、単なる逃げと焦点ずらしでしかない。究極の卑怯者。TPPの交渉参加と協定発効についての話なのに、無関係な要求を何度も出して誤魔化す。証拠捏造の検事だの情報操作捏造のマスコミだのと同じ心性かも。無駄質問で勝利宣言ってw


========


上念氏の言い分をまとめると次の通り。

ア)石破幹事長、米倉経団連会長、中川秀直元幹事長、葛西JR東海会長らの発言は、北朝鮮スポークスマンの「東京を火の海にする」と同等の根拠なきもの(上記1より)

イ)自分とは見解が違うが、実名発言の人はそれなりのお考えがある(2より)

ウ)実名の人には(批判を)直接話す、匿名の一般人とは別(3より)


この3点で、上念氏の二重基準ぶりが明らかであろう。
石破・米倉・中川・葛西の発言は「北朝鮮スポークスマン」が「東京を火の海にする」とデマを言うのと同じだ、と言っているではないですか。つまりは、4氏の発言内容について、デマだ、と認定しているに等しいわけ。


でも、上念氏は、具体的には

・中川秀直氏には「直接お話しする」
・匿名一般人には「スクープと言ってまとめで晒す」

ということです。これが不公正と見えると指摘されているのに、言い逃れ。


しかも、中川秀直氏の発言内容=デマ認定(ア)しているが、

・中川秀直氏には「お考えがあった」、自分とは「見解の相違」だ

ということなら、デマを言ってる時点で中川氏と匿名一般人の違いなど大した存在しているとも思えず、

・匿名一般人にだって「お考えがあった」、自分とは「見解の相違」だ

ということになっても不思議ではないだろう。


要するに、上念氏から見た4氏も、匿名一般人も、いずれも「デマを言っている」という評価について変わりがないのなら、匿名一般人だけ晒すのはおかしい。


そう指摘されると、4のごとくに、「思想警察」、「思想警察的やり方はやり過ぎ」、「言論弾圧」と、逆ギレ?風な展開に。しかも、粘着も何も、これ以上尋ねることはない、と言って終わりにした相手に向かって、曲解だの小沢支持者だのと挑発的に書いてるようにしか見えない。

togetterに晒して言論弾圧みたいなマネをしているのは、上念氏自身であろう。しかも、思想警察って、意味が全く分からない。


しかし、上念氏は匿名一般人の言い分は「法理論として明らかにデマ」、4氏の発言は「北朝鮮スポークスマンと同じデマ」だけど実名だから別、と。更に、庇う気か、小沢支持者か、といった無関係な話を出す。レッテルを張るしか能がないのだろうか。


しまいには、「比喩に噛みついて失礼という言い方」が「思想警察そのもの」、という断定で、いきなりレッテル貼り(6より)。比喩が悪い、なんて、誰も言ってないし、何処にも書かれていない。これを執拗に取り上げているわけだ。比喩の批判なんかではなく、態度を批判されているのにね。


・TPP賛成派:石破、米倉、中川、葛西→それなりのお考え、見解の相違
・TPP反対派:匿名一般人→デマ認定でまとめに晒し徹底糾弾&勝利宣言

どちらもデマを言っているのが同じなら、上段と下段の取扱の差が著しい、態度の相違が酷過ぎるのではないか、と指摘されているのに、「北朝鮮スポークスマンが東京を火の海にする」みたいな比喩のどこが悪いんだ、と逆ギレして言論弾圧だ思想警察だと決めつけてシャドーボクシング。


その結果が、

エ)適切な比喩の基準と用例、マナー教室をやれ(6、7、8より)

という、わけの判らない主張へ。


重要な点は、「途中離脱できない」とする実名4氏の主張は、
上念氏曰く、
  北朝鮮スポークスマン級の「デマ」
と認定したことである。


これが論点であったのに、思想警察だ言論弾圧だ、マナー講座やれ、基準と用例を出せ、と。ワケが判らん。


長くなったので、一休み。


国民新党消滅

2013年03月21日 21時14分14秒 | 政治って?
こんなことは、判り切ったことであった。

>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130321-00000075-jij-pol


最後の浜田議員の弁、「議員総会を要求する」という部分は、笑う所でしょうか?
だって、自分と相手だけですからねえ…総会開催を要求って、…


ま、崩壊するべくして崩壊した、ということでしょう。


12年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f607adccd4ce790b572c0a656dbcb737


(再掲)

大義なきは、主君殺しを決行した残党どもである。
いっときの政治ゲームでは勝った気になっているかもしれないが、それは大敗北の序曲となるであろう。

背信行為を背信として受け止めない、そういう政治家たちが政治を担うことで、政治不信が増幅されたのである。
今の日本の政治は、「筋が通って」いない。
増税しかし、原発しかり。
だから、反発される。あるのは、目先の子供騙し、である。そういう誤魔化しが見透かされて、なお一層不信を招いているのである。まさに自業自得。


亀井静香代表を叩き出した代償は、高くつくことになった。
自己保身と自己利益を重んじる輩には、それが判らないのである。


========


だから言ったろう?
結果は、なるべくして、こうなったのだよ。


それから、例の3党合意、な。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3df261e683cf3e9c74078a25c5e1979e


ペテン師どもが政治を動かす国、だ。


まさしく狂気。
これはTPPについても、全く同じ構図。


本当に滅ぶぞ。
この国は終わる。


骨の髄まで、腐り切っている。



いいか、NHKを見てみろよ。
堀潤氏を追い出して、報道機関の倫理も何もかも失っているんだぞ。


偏向報道を率先してやるような、拝金主義報道機関になってしまい、支配下に入れられたのだ。かつてのエビジョンイル、などといった徹底的なバッシングは、都合の悪い幹部連中なんかを排除する為の「NHK改革」=工作だったということさ。


かつて、大蔵省や日銀なんかがやられたのも同じ。
ひょっとすると、厚生省が討たれたのも、そうした背景だったのかもしれない。


NHKの人事権を握られて、上の方の人間が「操り人形」に作り替えられたのさ。
だから、かつては民放ではできないような、真面目な報道番組なんかも作れていたのを、「改造」されたんだよ。マスコミを押さえるのは、国民を騙す為の常套手段だ。思想統制、情報遮断、それが国民の奴隷化には都合が良いからだ。


ここまで一致協力して、新聞やテレビといった大マスコミが情報工作を行うというのは、戦前と何ら変わっていないんだよ。

増税もそう、TPPもそう、普天間基地問題もそう、国民を騙し続けるわけだな。
日本という腐敗国家は、世界に恥を晒し続ける。


そして真の植民地となるわけだ。
奴隷化を受け入れる、と。
今の老人たちは、墓に行くだけだからな。
自分の死んだ後の日本のことなど、どうだっていい。

目先の金だけあれば、それでいいのだそうだ。


狂ってる。




「市場の期待」という表記は止めるべきでは

2013年03月21日 16時42分57秒 | 経済関連
特に、混乱を招きやすそうなのが、この「市場の期待」という語である。


経済学用語としての「期待」と異なっているので、混同を生じ易いかもしれないですね。
「インフレ期待」みたいな時の”期待”と、マーケットが期待している、というのとは違う、ということです。


市場の願望(笑)、とか、別な語を当てるように変更すべきでは。


>http://jp.reuters.com/article/forexNews/idJPTK063786720130321


(一部引用)


<13:05> ドル/円もみあい、黒田総裁会見は緩和の具体論・臨時会合めぐる発言が焦点


 ドルは95.96円付近でもみあいが続いている。


 市場では、きょう午後6時から行われる黒田東彦日銀総裁の就任会見に注目が向かっている。三菱東京UFJ銀行・市場企画部の内田稔チーフアナリストは、資産買入基金の増額規模や購入する国債の残存年限、購入資産の種類について、具体的にどれだけ踏み込んだ発言がなされるか、臨時会合の可能性が示されるかといった点が焦点になると指摘した。


 そのうえで、ドル/円が100円方向を目指して上昇するためには「日銀の緩和策で結構なものが出てくるという期待感、ないしは実際に出てきたものが市場の期待を上回るということが(黒田総裁のもとでの最初の日銀金融政策決定会合が終わる)4月4日の段階で必要だろう。その翌日発表の米国の雇用統計で(非農業部門雇用者数の前月比増加幅が)もう一度20万人を超えるという材料がそろえば、100円というところは視野に入る」とした。

 
 内田氏は、きょうの会見で金融緩和策について具体的な示唆がなされなくても、失望感で大きくドル/円が下がる展開は見込みにくく、4月3―4日の日銀会合までは金融緩和への期待が持続するとみている。


=======


気持ちは判らないではありませんが、市場の期待を上回る云々、とか言われたら、そんな「日銀総裁は市場関係者たちをあっと言わせる発表を行わなければならない」、というような、トンデモない状況を待ち望んでいる、ということになってしまいますよ。


そういう、売買で金が儲けられるゲームの参加者たちが希望しているような、「こうだったら、もっと大儲けできるのにな~」というようなことが、中央銀行総裁が「オレが総裁になったから、やっちゃうもんねー!!」みたいに実行されたら、それはヘンでしょう?

参加者が「驚いて腰を抜かしました~」とか、サプライズにもほどがあるんじゃありませんかね?

参加者の平均的に考える政策を上回る、もっと「超ビックリ」政策をやっちゃうよん、とか、どう見ても普通じゃないでしょう?


いや、そりゃあ、驚かすだけなら、例えば「今後CPI2%まで、ドル円はペッグで150円にしまーす」とか言ったら、まあ、間違いなく腰を抜かす人が続出するかもしれんわな。或いは、100兆円分のドルを買います、とか発表したら、それもまた驚愕の発表、ということで、かなりの混乱要因になってしまいますわな。

競馬で言うなら(全然よく判らんのだが)、最強参加者で胴元であるところのJRAが、馬券のオッズと全参加者の買ってる状況を把握した状態で、自分だけ参加者の投入資金をはるかに上回る馬券を買って、配当予想やオッズなんかを大幅に変動させる、というようなものだ。胴元自身の行動が撹乱要因になってしまう、というようなことである。


だから、市場の期待、とか呼ばずに、市場参加者の「願望」といった、別な用語を当てるように記事の書き方でも統一してくれるようにお願いすべきでは。



黒田さんの就任会見があるそうですが、4月4日まで、というのも微妙だな。
日銀の新入に総裁挨拶があるはずではないかと思いますので、その時の発言は当方としては注目するんじゃないかな、と思いますね。


当初の大幅な変更というのは、そうそう急激には発揮できないんじゃなかろうかと思っています。
だって、基本的に多数決ですもん。そんな急ハンドルだったら、整合性が疑われるでしょう?

これも前に言ったんですが。

2月27日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9b39e6c692c06b76b1c5a77d4b618edc


最初っから、そんなに飛ばしては、長丁場のマラソンなんですから、バテますって。
ペース配分というのは、大事。入りを飛ばし過ぎると、後で苦しくなるから。

あと、岩田規久男副総裁は、『今まで自由に話すのが癖なので、慎重に対応したい』と述べたそうな。

>http://jp.reuters.com/article/JPbusinessmarket/idJPTYE92K02N20130321


まさか、当方の「お口にチャック」が向こうの方まで届いたわけでもありますまいが、早速のコメントに出るということはかなり「気にかけておられる」ということの裏返しであるものと思いますので、どこからかの「アドバイス」という”苦い薬”がかなり効いているものと思います。


ま、新体制の方々ですので、気合いを入れて、是非とも頑張って頂きたいと思います。



白川日銀総裁の退任

2013年03月20日 23時00分32秒 | 経済関連
白川総裁の退任会見を拝読しました。

>http://www.boj.or.jp/announcements/press/kaiken_2013/kk1303d.pdf


いくつかのキツい質問もぶつけられていたようですね。

当方の雑感は、先月にざっと書いておきました。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/bf469f6ec351ab5b513286a601291188


そうですか、バードウォッチングがご趣味でしたか。
それは初耳でございました。「つまんなそう」とか「マニア」といった失礼なことを申し上げてしまいました。スミマセン。


激動、でしたか。
同じ感慨をお持ちでしたか。


それから、「アート」ですけれども、昔に書いた記事をまた思い出しました。

07年>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/de18aad67a7c93e06eb6fc81f72216e9


当方の先月書いた記事で、白川さんのことを「銀行家」とお呼び致しました。これは、最大の賛辞と受け取って頂ければと思います。日本には、多くの金融機関もあり、専門家と称される方々も大勢おられるわけですが、「銀行家」と呼ぶに相応しい方というのは多くはないのではないか、と素人の私からは見えるわけでございます。

経済学の専門家という方々にしても、真の意味において、プロフェッショナルという観点からということも含めて、「銀行家」と呼べる人は皆無に等しい、と当方は受け止めています。

当方の見方というのは、特殊で、変わっているかもしれません。


お疲れ様でした。
そして、有難うございました。



TPP交渉は日米半導体協定の二の舞

2013年03月19日 13時20分15秒 | 外交問題
交渉すればいい、とか、イヤなら交渉から離脱すればいい、なんていう愚か者が多すぎて、驚くわ。


日本がかつてどんな目に遭ったか、忘れたか?

今の、日本の電機業界の苦戦の遠因に挙げられるであろう、日米半導体協定をもう一度思い出せ。

>http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%8D%8A%E5%B0%8E%E4%BD%93%E5%8D%94%E5%AE%9A/


付加価値額では、日本の電気・機械分野が90年代後半以降も、落ち続けたんだよ。今世紀に入っても、落ちていったんだよ。その発端となったのは、アメリカの不当な要求に屈したから、だろうに。


経済学だって?
何が200年余の知の遺産、だ。
80年代には、明らかに判っていたはずの「自由貿易」の経済学理論が、アメリカ人は誰も知らなかったとでも言うつもりか?(笑)


日本人の経済学者たちは、理屈で言い負けたんだよ。

いいか、政策担当というばかりではなく、知の総体で、日本は言い負けしたんだ、ってことだ。


交渉担当の官僚を支援できなかったのは、理屈の言い合いの際に根拠とできる「言い分」をきちんと提示してあげることができなかった、そういう日本の学者層・業界の実務者たち・貿易や外交や法学関係の人たち、それら「知の総体」が敗北したんだ、ってことだ。


現在、日本が勝てる、などという希望的観測を持つことは、当方には無理だ。
交渉に勝てる要因は、当方には思いつかない、って言ってきただろ?


それは、専門家と称される連中がまこと腑抜けの、ザル論拠ばかりだから、だ。そんなことを言ったところで、相手の意見を覆せると思うか?
ひねられて、終わり、だ。というか、そもそも反論なんかする気もないだろうがね。


日本の官僚とか学識者なんてのは、そんな程度でしかないだろう、というのが当方の予想なんですわ。



それでも、かつては日本に存在していたであろうはずの、”サムライ”たちは、恐らく霞が関では絶滅してしまったんじゃないだろうか。もう、最前線で戦っていたようなサムライは、役人の中のどこにもいないんじゃないか、と言っているのだよ。


腑抜けを交渉担当に当てがってみたところで、相手の思うつぼというより、むしろ相手側の味方という立場の人間になるだろう。従米派が交渉するのは、納得しない日本国民との交渉、だからな。


経済界の連中は、何故煮え湯を飲まされた歴史を忘れたのだ。
今は、突然今があるわけじゃないぞ。過去とのつながりの中にあるのだ。


貴様ら、それでも男か。