私は今までケインズなど読んだこともないのだが(昔公民だか、政経で名前を聞いたくらい)、「期待形成」についてネット上の資料を探していたら偶然知ったのが、偉大な経済学者ケインズが名付けた「animal spirit」(日本語訳では「血気」が与えられているようです)だった。
ケインズは「animal spirit」について、合理的な計算ばかりではない自生的衝動のようなもので、経済活動・投資行動などを生じさせるものだと考えたようである。彼は、人間の行動(決定)の不思議さに気付き、人間(各個人)内部に存在する「意思決定過程」を抽象的に「animal spirit」と呼んだのかもしれない。私は原文を読んだ訳でもなく、正しい解釈が出来る訳ではないので、きっと死ぬほど沢山出されているケインズ関連の研究書などを勉強して頂いた方がいいと思いますが。
ケインズが考えた経済理論を支える前提とは、様々な経済主体には(その当時)理論的に明確な説明が出来ない「animal spirit」が内部化されていることだと思った。そうでなければ、経済活動の発生する動機が存在せず、うまく説明出来ないからではないのかな、と推測するからである。それは経済学というよりはむしろ哲学に近いものかもしれないが。経済主体は大抵大学教授や高度な学問を修めた人々なのではなくて、満足に経済学理論も知らない人々が圧倒的に多いのであり、そういう人々が意志・行動決定を行い、様々な投資行為や経済活動を行ったりしているのですから、いかに経済学理論の研究上で「合理的行動」「最大利益追求」といった前提を置いたとしても、そのことの矛盾というか空々しさをケインズは感じていたのではないか。
ケインズが「spirit」に到達した理由は、「人間の行動決定の不思議さ」を経験的に知っていたからではないかと思うのである(彼は投資家でもあり、投機家でもあった。破産寸前の莫大な損失を被ったこともある)。略称『一般理論』が書かれたのは1936年で、恐らく当時までには「金鉱探し」(一発当てようという夢にとり憑かれた山師を、ゴッソリ見たり聞いたりしたに違いない。それとも石油-油田かな?)とか「鉄道バブル」とか、そういったことが既に起こっていただろう。世界恐慌を経験した後でもある。彼が経験した現象そのものは、現代の「(90年頃の株・不動産)バブル」「ITバブル」等とあまり違いがないことだと思う。彼が株式取引を「美人投票」と比喩したのは、そういう人間の行動傾向(経済活動)を真に興味深いと感じ、そのことが経済活動に結びついている重要な因子であると考えたからだろう、と思うのである。
例えば、「鉱山株ならばどんなボロ株でも値上がりする」とか、「鉄道会社ならば何でもいい」とか(昔の日本の株もそういう面はあったろう)、常識的には考えられないほど値上がりしていくというような人々の「熱狂」を見るに、理性的・論理的な判断や経済学的な合理性に基づいて行動決定がなされているとは到底考えられなかっただろう。即ち、こうした妄信的行動決定は人々の内部的な「spirit」であり、客観的に見て「理性を備えた知的活動」の結果であると信じることは出来なかっただろう。それ故、彼は人々の内部に存在する「欲望」とか「熱狂」とか「ギャンブル的な感覚」とか、そういった精神活動―すなわち経済主体の行動決定―を動物的(理性・知性に対比する意味で)精神活動として「animal spirit」と名付けたのではなかろうか。「人間の本能的(生得的?)欲求」の延長線上に彼の経済学理論が存在している、ということを、彼は自覚的に書いたのだと思う。
当時、認知・情報科学、行動学やゲーム理論研究などに関する知識が存在しなかったか、或いはさほど発達していなかったであろうことを考えると、(人間観察に基づく)経済活動動機を見出して「animal spirit」と表現したことは、偉大な学者である証拠ではないかと思える。それまでの経済学という範疇ではない考察を含むものである、ということだ。そして、有効需要創出自体が、経済主体の「animal spirit」を「刺激」するものであり、そういう個々の「spirit」の総和が経済全体の傾向を特徴付けるものだと考えていたのではないか。これは科学的若しくは理論的背景を持つというよりも、経験論的背景に起因する考えなのではないか思う。それは、「animal spirit」についての数理的・論理的意味付けが、ケインズ自身によって行われていないからである。存在そのものの証明ということも考慮されていないからである。「spirit」の存在がそもそも自明であるということを、暗黙の前提としているとしか解釈出来ないからである。
それまでに存在した、多分彼が批判対象としていた経済学―古典派経済学者、リカード、ミル、ピグーら(=the classical economists)の経済学―とは異なった理論なのであり、その正当性を社会や他の経済学者達に認めさせることは容易ではないと知っていたはずで、最も単純な批判―お前さんは「animal spirit」で投資を決めるのかい?爆笑―ということもすぐさま頭に浮かんできたことだろう。しかし、あえて経済主体の内部に存在する「spirit」に、そうした精神活動に、経済学理論が立脚するのではないか、という斬新な理論を示したのである(と思う)。そういう視点で見れば、古くて新しいというべきか、経済学をより行動科学に近い捕らえ方をしているというか、やはり凄い学者だったのではないかと思うのである。経済学の理論的構築を考えていく過程で、「人間の意思決定」(経済主体の自由な振る舞い)という根源的な問題に光を当てた功績は大きいのではないか、と思うのである。
そういう訳で、私にとっては、ケインズというのは非常に意外な発見となりました。今まで読んだ事がなかったこと自体に大きな問題があるかもしれませんが(笑)。でもね、普通、興味ない人の方が多いと思うけどね。こんなのごく一般的な「教養」の一つに過ぎないだろ、ってお叱りを受けると思いますが。
もう少し「期待形成」と「animal spirit」について考えてみようと思います。
追記:22時頃
遂にホリエモン逮捕ですか。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <ライブドア>堀江社長ら逮捕 証取法違反容疑で東京地検
宮内氏も一緒に逮捕されたようです。
柳田先生は昨日非常に残念だ、ということを書いておられましたが、そのお気持ちは何となく判ります。しかし、もしも報道されてる内容が事実ならば、彼らは企業家としては決してやってはいけないことをやってしまったと思います。そして、最も重要であるはずの投資家(株主)達との信頼関係を破壊した行為は、厳しく指弾されるべきものだと思います。
基本的に彼らがひたすら考えたことは、自社株を買ってくれる投資家たちから「金を巻き上げる」ということです。たとえどういった動機でライブドア株を購入するにせよ(短期的な利益狙いだろうが)、少なくとも自社株を買う投資家達に対する背信行為であることは間違いないでしょう。通常、株式市場というのは株の発行会社自身が取引の「キープレーヤー」になったりはしません(時には自社株消却とかTOBへの対抗などで買ったりとかは、あると思いますが)。
ところが彼らは、ネット上の掲示板などで胡散臭い情報を流したり、逆に煽られたりといったことをやっているような連中と全く一緒になって、似たようなことをやったのですよ。これをやるとどうなるかというと、勝敗は圧倒的ですね。一方は全ての情報を知っており、なおかつ大株主同様大量に「売る株」を持っています。どれ位の規模で売られるか初めから知っているのですよ。買う(投資家)側は、売られる株の存在を詳しくは知らないのです。買う前に知っていたら、勿論誰も買ったりはしませんよ。そういう投資家たちを悪用した、ということです。無知な投資家達から金を巻き上げたのです。
同じように「風説の流布」(インサイダー取引もあったみたい)で株価操作の疑いで社長が逮捕され、上場廃止となった「メディア・リンクス事件」(これは大阪地検特捜部の捜査でした)がありました。この時にもSECからの告発であったと思いますが、この時の架空取引相手として所謂エッジ時代のライブドアなどの名前が挙がっていたはずだ。そうした架空取引というものが明らかとなって以降から、当局にマークされていたのかもしれない。
ホリエモンは本当に「アニマル・スピリット」に溢れすぎていて(笑)、動物的「野生の勘」によって今までやって来たのだと思う。ある意味凄いね。
ところで、ネット上では何故か「タイーホ」と表記されるようです。これは元々どういった意味合いで使われていたのでしょうか?普通の「逮捕」と同じですか?
中々判らないことが多い、ネット世界でございます。
ケインズは「animal spirit」について、合理的な計算ばかりではない自生的衝動のようなもので、経済活動・投資行動などを生じさせるものだと考えたようである。彼は、人間の行動(決定)の不思議さに気付き、人間(各個人)内部に存在する「意思決定過程」を抽象的に「animal spirit」と呼んだのかもしれない。私は原文を読んだ訳でもなく、正しい解釈が出来る訳ではないので、きっと死ぬほど沢山出されているケインズ関連の研究書などを勉強して頂いた方がいいと思いますが。
ケインズが考えた経済理論を支える前提とは、様々な経済主体には(その当時)理論的に明確な説明が出来ない「animal spirit」が内部化されていることだと思った。そうでなければ、経済活動の発生する動機が存在せず、うまく説明出来ないからではないのかな、と推測するからである。それは経済学というよりはむしろ哲学に近いものかもしれないが。経済主体は大抵大学教授や高度な学問を修めた人々なのではなくて、満足に経済学理論も知らない人々が圧倒的に多いのであり、そういう人々が意志・行動決定を行い、様々な投資行為や経済活動を行ったりしているのですから、いかに経済学理論の研究上で「合理的行動」「最大利益追求」といった前提を置いたとしても、そのことの矛盾というか空々しさをケインズは感じていたのではないか。
ケインズが「spirit」に到達した理由は、「人間の行動決定の不思議さ」を経験的に知っていたからではないかと思うのである(彼は投資家でもあり、投機家でもあった。破産寸前の莫大な損失を被ったこともある)。略称『一般理論』が書かれたのは1936年で、恐らく当時までには「金鉱探し」(一発当てようという夢にとり憑かれた山師を、ゴッソリ見たり聞いたりしたに違いない。それとも石油-油田かな?)とか「鉄道バブル」とか、そういったことが既に起こっていただろう。世界恐慌を経験した後でもある。彼が経験した現象そのものは、現代の「(90年頃の株・不動産)バブル」「ITバブル」等とあまり違いがないことだと思う。彼が株式取引を「美人投票」と比喩したのは、そういう人間の行動傾向(経済活動)を真に興味深いと感じ、そのことが経済活動に結びついている重要な因子であると考えたからだろう、と思うのである。
例えば、「鉱山株ならばどんなボロ株でも値上がりする」とか、「鉄道会社ならば何でもいい」とか(昔の日本の株もそういう面はあったろう)、常識的には考えられないほど値上がりしていくというような人々の「熱狂」を見るに、理性的・論理的な判断や経済学的な合理性に基づいて行動決定がなされているとは到底考えられなかっただろう。即ち、こうした妄信的行動決定は人々の内部的な「spirit」であり、客観的に見て「理性を備えた知的活動」の結果であると信じることは出来なかっただろう。それ故、彼は人々の内部に存在する「欲望」とか「熱狂」とか「ギャンブル的な感覚」とか、そういった精神活動―すなわち経済主体の行動決定―を動物的(理性・知性に対比する意味で)精神活動として「animal spirit」と名付けたのではなかろうか。「人間の本能的(生得的?)欲求」の延長線上に彼の経済学理論が存在している、ということを、彼は自覚的に書いたのだと思う。
当時、認知・情報科学、行動学やゲーム理論研究などに関する知識が存在しなかったか、或いはさほど発達していなかったであろうことを考えると、(人間観察に基づく)経済活動動機を見出して「animal spirit」と表現したことは、偉大な学者である証拠ではないかと思える。それまでの経済学という範疇ではない考察を含むものである、ということだ。そして、有効需要創出自体が、経済主体の「animal spirit」を「刺激」するものであり、そういう個々の「spirit」の総和が経済全体の傾向を特徴付けるものだと考えていたのではないか。これは科学的若しくは理論的背景を持つというよりも、経験論的背景に起因する考えなのではないか思う。それは、「animal spirit」についての数理的・論理的意味付けが、ケインズ自身によって行われていないからである。存在そのものの証明ということも考慮されていないからである。「spirit」の存在がそもそも自明であるということを、暗黙の前提としているとしか解釈出来ないからである。
それまでに存在した、多分彼が批判対象としていた経済学―古典派経済学者、リカード、ミル、ピグーら(=the classical economists)の経済学―とは異なった理論なのであり、その正当性を社会や他の経済学者達に認めさせることは容易ではないと知っていたはずで、最も単純な批判―お前さんは「animal spirit」で投資を決めるのかい?爆笑―ということもすぐさま頭に浮かんできたことだろう。しかし、あえて経済主体の内部に存在する「spirit」に、そうした精神活動に、経済学理論が立脚するのではないか、という斬新な理論を示したのである(と思う)。そういう視点で見れば、古くて新しいというべきか、経済学をより行動科学に近い捕らえ方をしているというか、やはり凄い学者だったのではないかと思うのである。経済学の理論的構築を考えていく過程で、「人間の意思決定」(経済主体の自由な振る舞い)という根源的な問題に光を当てた功績は大きいのではないか、と思うのである。
そういう訳で、私にとっては、ケインズというのは非常に意外な発見となりました。今まで読んだ事がなかったこと自体に大きな問題があるかもしれませんが(笑)。でもね、普通、興味ない人の方が多いと思うけどね。こんなのごく一般的な「教養」の一つに過ぎないだろ、ってお叱りを受けると思いますが。
もう少し「期待形成」と「animal spirit」について考えてみようと思います。
追記:22時頃
遂にホリエモン逮捕ですか。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <ライブドア>堀江社長ら逮捕 証取法違反容疑で東京地検
宮内氏も一緒に逮捕されたようです。
柳田先生は昨日非常に残念だ、ということを書いておられましたが、そのお気持ちは何となく判ります。しかし、もしも報道されてる内容が事実ならば、彼らは企業家としては決してやってはいけないことをやってしまったと思います。そして、最も重要であるはずの投資家(株主)達との信頼関係を破壊した行為は、厳しく指弾されるべきものだと思います。
基本的に彼らがひたすら考えたことは、自社株を買ってくれる投資家たちから「金を巻き上げる」ということです。たとえどういった動機でライブドア株を購入するにせよ(短期的な利益狙いだろうが)、少なくとも自社株を買う投資家達に対する背信行為であることは間違いないでしょう。通常、株式市場というのは株の発行会社自身が取引の「キープレーヤー」になったりはしません(時には自社株消却とかTOBへの対抗などで買ったりとかは、あると思いますが)。
ところが彼らは、ネット上の掲示板などで胡散臭い情報を流したり、逆に煽られたりといったことをやっているような連中と全く一緒になって、似たようなことをやったのですよ。これをやるとどうなるかというと、勝敗は圧倒的ですね。一方は全ての情報を知っており、なおかつ大株主同様大量に「売る株」を持っています。どれ位の規模で売られるか初めから知っているのですよ。買う(投資家)側は、売られる株の存在を詳しくは知らないのです。買う前に知っていたら、勿論誰も買ったりはしませんよ。そういう投資家たちを悪用した、ということです。無知な投資家達から金を巻き上げたのです。
同じように「風説の流布」(インサイダー取引もあったみたい)で株価操作の疑いで社長が逮捕され、上場廃止となった「メディア・リンクス事件」(これは大阪地検特捜部の捜査でした)がありました。この時にもSECからの告発であったと思いますが、この時の架空取引相手として所謂エッジ時代のライブドアなどの名前が挙がっていたはずだ。そうした架空取引というものが明らかとなって以降から、当局にマークされていたのかもしれない。
ホリエモンは本当に「アニマル・スピリット」に溢れすぎていて(笑)、動物的「野生の勘」によって今までやって来たのだと思う。ある意味凄いね。
ところで、ネット上では何故か「タイーホ」と表記されるようです。これは元々どういった意味合いで使われていたのでしょうか?普通の「逮捕」と同じですか?
中々判らないことが多い、ネット世界でございます。