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河上肇と饅頭

2007年09月10日 00時02分00秒 | 経済関連
「五郎ワールド」(橋本五郎さんの定期欄)はいつも面白く読んでいる。8日付朝刊では『河上肇の遺墨』(一海知義、魚住和晃編)が出版されたということで、「書は人なり」という面から見た河上肇が描かれていた。

その記事から、以下に一部引用してみる。

 マルクス主義経済学者、河上肇(1879~1946)は『貧乏物語』をはじめ多くの著作で戦前の読者を魅了した。河上の論敵だった後の慶応義塾長、小泉信三は魅力の秘密をこう書いた。
 「河上博士の述作の凡べてを通じて常にその読者を打つものは博士の情熱と理想主義とである。別の言葉で云えば今も失われぬ博士の至純な青年の心である」(「河上博士の踏みつつある道」)
(中略)
 「書は人なり」とは、その教養人の知性や認識を書跡によって窺うことをいうのであって、筆跡から性格判断したり人柄を察する戯れの世事に用いる言葉ではあるまい。そういう魚住氏は、河上の書の特徴は左への流れが全く見られないこと、行頭がきれいにそろっているところにあるという。
 毛筆を右手にとると、どうしても左に流れやすくなる。それが河上の書には見られない。「つねに姿勢を正し、視野を広くとって紙面を直下に見通し、かつ何よりも筆を垂直に立てて揺るがない」からだろう。
 行頭をきれいにそろえることは簡単ではない。リズムよく書こうとすると、行を重ねるたびに字粒が大きくなり、字間がゆるみ、行頭が下がってしまう。河上にはそれを乗り越える「統一力」と「計画力」があったに違いない。




私には書の心得もないし、毛筆はまるで書けないこともあって、河上博士の書の写真を拝見してもよく判らなかった。ただ、マルクシスト川上肇という人物が、波乱に満ちた人生を歩んだということは知ることができた。京都帝大を辞めて後、治安維持法違反で逮捕、投獄となり、「生きていることの方が不思議」という心境になっても不思議ではないような気がする。まさしく「天猶活此翁」(天はなお此の翁を活かせり)ということなのだろう。

饅頭が食べたくて仕方がない、ということにまつわる話が新聞記事の後半に書かれていたが、実際に川上翁は饅頭が好きだったということなのであろう。ただ、河上博士の真意というものが何処にあったのか、ということがとても気になってしまった。それは、饅頭というものが、「本当に食べ物としての饅頭であったのであろうか?」ということだ。獄中にある時の、気力を維持し闘士の気概を失わなかった人物が、出獄した後に安閑と饅頭を頬張って楽隠居みたいに過したい、などと願うのだろうか?そうした疑問が心の底に残るのである。

饅頭とは、本当は学問であり、著述であり、闘争ではなかったか?
実際の好物は饅頭であったのかもしれないが、既に逮捕歴のある人物に対する検閲等の徹底マークがあるであろうことを思えば、本当は書きたくて仕方がなかった、というような、学問研究への強烈な希求をそう表現せざるを得なかっただけなのではなかろうか。自分の存在意義を賭けてきた学問への情熱を捨て去ることは容易ではないだろう。自らが止む無く封印した「マルクス主義研究」という「大好きでたまらない饅頭」を、いつもいつも思い浮かべてしまっていたのではないか。そうした気を紛らわせる為に、意図的に饅頭に意識を向けさせてたというようなことはなかったであろうか。そんなことを思ってしまうのである。

私は河上肇博士の出獄以後の業績とか、著述については全く知らない。経済学研究の成果などが執筆されていたのかもしれない。ひょっとすると、本当にただ饅頭への強い欲望があっただけなのかもしれない。だが、ある種の宗教的解脱に近いような性質の研究者が、物欲、特に食欲だけに晩年の関心の多くを割いていたとは思い難いのである。河上博士にとっての饅頭とは、心の中の空白を埋めるためだけの隠喩に過ぎなかったのではないか、などと空想してしまうのである。


ところで、河上博士は20世紀初頭頃には読売新聞の経済欄によく執筆していたそうで、橋本五郎氏にとってはいわば先輩執筆者のようなものである。100年以上過ぎた今の時代でも当時の記事が色褪せることなく学ぶべきことが多々あるとすれば、新聞紙上で紹介して頂けるとよいと思うのだが、いかがであろうか。
読売新聞の過去の記事はデータベース化されたはずなので、河上博士の当時寄稿した記事も探せばきっとあるであろう。そういう意味では、新聞にも貴重な価値があると言えるであろう。是非、またの機会にでもと願っている。

今回河上肇という人物について取り上げてみようと思ったのは、田中秀臣先生のブログでちょっと読んだことがあったからだ。そうでなければ、私は河上肇も知らなかった(笑)。昔、読売新聞に執筆していたことも知り得なかった。

東京河上会幹事日記

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