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続・「GRIPS」の生産性はどうなっているのか?

2007年04月19日 14時38分43秒 | 教育問題
「生産性を上げろ」という大号令の下、国の支出を減らすのと企業の人件費を削減したいという方向に合致しているのが、社会保障費抑制策である。生産性を上げるとはどういうことか、ちょっと考えてみる。この前コメントでも触れましたし。


1)製造業で考えてみる

また、簡単な例で考えることにする。
「ネジS」を作る仕事があるとする。Aさんは単位時間当たり10個、Bさんは同じく15個作れるものとする。AさんよりもBさんの方が生産性は高く、賃金としては成果に応じて払うとすればおおよそ次のようになるかな。

・同じ勤務時間であると、Aさんに10万円払うなら、Bさんに15万円払う
・同一納期まで同じ個数(120個)を作るのであれば同じ賃金とし、Aさんは12単位時間、Bさんは8単位時間勤務する

ここで、生産性向上というのは、例えば単位時間当たりAさんが15個、Bさんが20個作れるようになる、というようなことである。この場合、支払賃金を少し増やしても良いが(現実世界ではこれまであまり増やされなかっただろう)、生産個数が増加した分に応じて企業利益も増加する、ということである。こうした考え方は、昔の「工場労働者」的考え方なのではないかと思う。更に生産性向上を図る為に、AさんやBさんよりも多く生産できる全自動機械を開発し、単位時間当たり100個作れるようにする、ということである。これによって生産性は飛躍的に向上する。AさんもBさんも不要となって、リストラされ失業者となる。ネジSは生産個数が大幅に増やせるし、人件費削減ができるので利益が多くなるのだが、これも次第に行き詰まることになるのである。

実際のビジネスでは、ネジSの生産によって利益があるのであれば、新規参入者が現れて競合してくるので、ネジSの単価が下がっていき、生産個数が増加したとしても企業利益そのものが増加するとは限らなくなる。生産性向上を実現しAさんやBさんをリストラして全自動機械で生産したとしても、競争に敗れれば撤退せざるを得なくなるのである。中国や東南アジア諸国などの工場で生産して輸入した方が安上がり、ということが起こってしまうからだ。そこで仕方なく、もっと別な特殊技術を用いた「ネジS’」を開発してその製造に特化する、というようなことを目指すしかないのである。競合企業が真似できないような製品を製造して、ネジS市場は諦めるけれども、ネジS’で利益を挙げていく、ということになる。ネジSに比べネジS’は単価も高く、利益率も高い、というようなことを達成せよ、というのが、生産性向上ということだ。ネジS’の生産能力を「これまでの100個から200個達成」みたいに、無限に努力し続けないとならないのが「製造業」なのである。生産個数が上がるように努力をしても、数が増えるので価格が徐々に下がっていき、利益が減少していったりするのが皮肉なのであるが(笑)。半導体、液晶、デジカメ、レコーダー、記憶媒体、などの製品はそういう運命から逃れられない。


2)サービスではどうなのか

これと同じような考え方をサービスに適用することについて、当然と思っている経済学者が存在しているのだろうと思うのだが、それは本当に正しいのであろうか?私自身が経済学理論を正確に知らないから、そのような疑問を抱いてしまうのかもしれないが。

ここで、宿泊業について考えてみる。
旅館Cがあって、客を最大20人宿泊させられるとする。生産性向上というのは、例えば同じ従業員数のままでありながら、部屋を改造して宿泊客を25人に増やすとか、これまで風呂が無かったけれど大浴場を設置して付加価値を高めるとか、そういうことを達成する、ということだろうか。こういった生産性向上の為の何かを続けないとすれば、旅館の料金は不変なのであろうか?最初に1泊3000円として、客室増加の数量効果があって単価が同じ3000円のままでも売上は増加し、風呂設置で料金を4000円に値上げして売上を伸ばす、ということになる。さて、その後、この旅館Cが特に部屋を増やすでもなく、風呂を新しくするでもないと、料金を上げられないのか?客が来る限り値上げすることは可能であるように思われるが、どうだろうか。古びた旅館が、かつてのままの料金で営業していることなど想定できないのだが、実際どうなのだろう。世間相場が5000円になっているのであれば、それくらい値上げしていても不思議ではないように思える。それともプライスレスの女将の「笑顔」で付加価値を高めたとか?(笑)

豪華な夕食を出すとか、何か特徴を生み出して行ったとしても、サービスの「本質」は殆ど変化などないのである。要するに「泊まる」ということであり、その生産性向上など連続で達成していくことなど難しいとしか思えないのである。ホテルや旅館の料金は上がっていっているのであり(必ずしも全部ではないし、大幅に下がっている部分もあるだろうが)、その大半は人的サービスの価格が上昇するからとしか思えないのである。ホテルのフロント係が、昔に比べて極端に生産性をアップすることなど「できない」のである(笑)。宿帳記入や会計業務などを機械化して速度をアップしたとしても、それで2倍とか3倍の価値を生み出したりはできない。しかし、ホテルマンの賃金は30年前とか50年前に比べれば確実に数倍とかに増えたであろうし、売上も当然増えているに決まっている。ホテルの提供しているサービスの基本はあまり大きく変わっていないのに、である。

歴史ある有名ホテルのDでは、過去50年間建物は同じ作りのままで、部屋数を増やしたりしてはいない。数量増加による売上増効果はない、ということである。風呂も昔から付いていたし、特別変化したサービスがこれといってあるわけではない。各種ルームサービス、マッサージなどの付加的サービスはその為の別途料金を取るし、部屋にテレビを付けたといってもそのサービス価値は極めて安いものでしかない。ラブホテル(今はこう呼ばないのでしたか?)の、ジャグジー風呂、テレビやカラオケ設備の方がサービス価値は多いくらいだ。こうした場合、有名ホテルDの宿泊料金はどうなるのだろうか?昔1万円、今5万円だとすると、数倍もの生産性向上が達成されたと言えるのであろうか?ホテルマンの生産性が、ネジ生産で見たような全自動機械で5倍の100個作れるようになったのと同じく、5倍もの「宿泊」が生産できるようなスーパーマンになったのか?これは違うとしか思えないのだが。宿泊費が1万円のままであれば、ホテルマンの賃金は値上げできないから、他の職業の賃金に比べて極端に安くなって、成り手がいなくなる。「歴史ある有名ホテル」の営業を維持できなくなる。なので、「参照賃金」が上昇してしまうとホテルマンの賃金を値上げせざるを得ず、コストが高くなるから宿泊費は値上げしていかざるを得ないのである。ホテルマンの能力が昔の何倍もの価値を生み出せるようになったということではないのだ。ネジ20個を作れる職人が、100個作れる機械になれる訳ではないのである。1泊するのに5万円も払うホテルDなどには泊まらないで、1泊8千円のラブホテルにでも泊まった方が安上がりに決まっているのである。この違いは何があるかと言えば、「歴史ある有名ホテル」というブランド価値とか、人的サービスの質などであって、製造業のようなネジを100個作れるようにせよ、とか特殊ネジを開発せよ、ということとは根本的に異なっているのである。


3)教育における生産性とは?

では、教授の生産性というのはどうなのであろうか。ネジ職人のような考え方をするなら、これまで学生20人しか教えることができなかった教授は、毎年教えられる学生数を増加させ100人教育できるようにする、ということである。それとも、昔は学生に九九しか教えられなかったのを、今は微積分を教えられるようになって、成果としての学生の品質を高める、ということを達成するということである。これが教授の生産性向上ということであろうか。第一の点から考えると、教授1人当たりが担当している学生数を増加させるということで売上を増やすのであり、第二の点では「品質向上」ということで「教授自身が教える中身を高度化・高付加価値化」と「学生の学力成績向上」ということが達成されねばならないであろう。学生の数的増加は判り易いので、第二の点についてもう少し考えることにする。

教授が教えた10年前の学生20人と、現在教えた20人を比較するとしよう(学生の基本的性能は同じレベルであるとする)。で、仮に同じ試験問題をやらせると、昔は平均点が60点、現在は70点、という風になっていないといけない、ということである。判りやすく言えば、「昔は~~理論を教えられなかったが、現在は教えている」ということとか、教授の教育技術が向上して同じ時間数の授業を行ったとしても「昔は習得率が4割だったが、現在は5割に上昇した」というようなことが達成されていなければならない、ということであろうか。果たしてこうした生産性向上を教育現場では達成してきたのか?諮問会議や審議会なんかに存在するばかりではなく、日本全国には相当数の経済学教授が存在していると思うが、「生産性を高めよ」と掛け声をかけている教授自身がこうした生産性向上を達成しているだろうか?学生の能力低下が云々とか言われるが、そうであるなら「教育の失敗」ということで、生産性が低下してきたせいでないと言えるだろうか?昔は「30点しか取れない学生を60点取れるようにする」だったのを、今は「20点しか取れない学生を60点取れるようにする」といった向上を達成するのは当たり前なのではないか、ということなんですよ。それか、20人しか集められなかった教授が、今は50人集められるようにする、というのが当たり前なのではありませんか、ということです。数も集められない、質も高められない、では、教育の生産性向上というのがどこで達成されたのかよく判りませんね。

中には教育よりも研究だ、という大先生もおられるかもしれない。成果の評価が難しいのだが、例で考えてみる。
昔は「レベル1」の論文を単位時間当たり1本しか生産できなかったが、
①今は3本生産可能になった(数的増加)
②今は「レベル2」を生産可能になった(質的向上)
③今は入学者や院生希望者が増えた(人的効果)
④研究成果を用いて資金調達が増えた(資金的効果)
というような感じだろうか。

①や②は教授個人の能力的向上であり、③は大学運営にとってプラスで、④は共同ベンチャーとか特許取得とか研究費獲得とか、現実世界に成果を反映させられる、というようなことだ。こうした生産性向上が達成されていないのに、教授の賃金は過去何十年かに渡って上昇してきたのであれば、それは非効率なだけなのではないか?ということだ。

前に例に挙げた政策研究大学院大学において、生産性向上を検証するのは難しい面はあるのだが、判りやすく言えば、
「昔は政策に反映された研究数はゼロだったが、今は2つの政策立案につながった」というようなことであろうか。それとも、政治・行政システムにおいて~~の変更を達成できた」とか、そういう何かの成果があってしかるべきであろう。論文もない、成果としての政策実現もない、では、政策研究の名が泣くのではありませんか、ということです。研究結果を世間に隠しておいたところで、誰も知らないままであるなら政策になど永遠に反映されないと思うのですが、どうなんでしょうか(笑)。


4)医療の生産性向上

医療において生産性向上をというのは、これまで単位時間当たり10人診療していたのを20人にするとか、手術件数を1件だったのを2件できるようにするとか、レベル1の手技・技量だったのをレベル2に上げるとか、そういうことは各自達成されていく訳です。更に技術的進歩によって、内視鏡手術とか腹腔鏡手術みたいなイノベーションもやっているわけです。予後の向上(例えば、寿命の延長とか、ガン生存率向上とか、何かの術後5年生存率とか)という品質管理も厳しく求められるわけです。

しかし、これが売上増に繋がるかというと、有名ホテルみたいに自分たちで値上げできませんので(診療報酬として統制されているからだ)、価格は低いままで過ぎます。ラブホテルの宿泊費で有名ホテルのサービスを提供しろ、ということを、諮問会議とか経済学者たちが要求している、ということなのですよ。これ以上価格を上げることはできないので、ラブホテルと同じ料金にして、これまでとサービスを変えることなく内部的に削減努力をしなさい、かつ表向きは有名ホテルと同じようにしなさい、という要求を突きつけているのですよ。

ネジ生産ならば、機械を導入すれば価格は安くなっていくし、人員削減も達成できるが、「人的サービス」はそうはいかないのですよ。価格を抑えるならばサービスの質を落とすか、サービス水準を高くしていく(医療の進歩を反映させていくということ)ならば、価格を上げない限り維持できないに決まっているのです。


こうした根本的な部分を考えていない教授先生が多数見受けられるようですので(私の個人的印象に過ぎないけどね)、まずは「自己点検」をやってみて下さい。さぞかし生産性が高く、毎年生産性向上に努め、イノベーションの連続みたいなのが大学教授ということなんでしょうな(笑)。自分たちの給料がなぜ上がっていくのか、成果がまるで大したこともないクセに無駄に給料を取ってる教授を養い続けられるのは何故なのか、その理由を経済学的に説明してごらんなさい。

特に期待しています>政策研究大学院大学どの




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