いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

新たな民間議員

2006年09月30日 00時12分52秒 | 政治って?
御手洗さんは判っていましたが、残り3人が発表になったようですね。

Sankei Web > 経済 > 経財諮問会議、民間議員に御手洗氏ら4人内定0929 2210

記事によれば、

『経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)の民間議員4人の後任人事が内定し、塩崎恭久官房長官が発表した。経済界からは日本経団連の御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)の起用が正式決定したほか、伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長を選任。学界からは東大大学院の伊藤隆敏教授と、国際基督教大の八代尚宏教授が内定した。』

ということだそうです。

御登場頂いた過去の記事を挙げておきます。

経済学は難しい10

「繰り返しゲーム」?(笑、追記あり)

少子化と労働問題9

「人間力」論争問題・笑

郵政民営化のまとめ編4


丹羽氏は経団連に対抗するということではないでしょうが、経済同友会からも入れてくれ、ということなのでしょうか(笑、違うか)。公務員制度改革関係もやっておられたと思いますが、総務省の政策評価・独立行政法人評価委員会の委員長でもありましたので、政府内の仕事には慣れていることでしょう。応援しています。


伊藤先生や八代先生は「21世紀ビジョン」のメンバーですので、是非頑張って欲しいと思います。まあ、批判も多々あるかと思いますけれども、積極的な議論をお願いしたいです。



下船命令を出したい

2006年09月29日 20時18分15秒 | 社会全般
最後の経済財政諮問会議での福井総裁の発言をちょっと取り上げてみたい。折角の記念ですから(笑)。


『私は、この経済財政諮問会議という船には途中から乗船させていただいた。それでも3年半、船酔いもせず、大変きちんと率直な議論をさせていただいて、非常にありがたかったと思っている。経済財政諮問会議の生んだ成果は非常に大きかったし、多分その成果に対する評価は後になればなるほど大きなものになっていくことは間違いない。今後この流れが更に太くなっていくように、皆で努力しなければいけないと思っている。
それから、日本銀行としては、民営化された新しい郵政をマーケットプレイヤーとして温かく迎え入れたい。新しいビジネスモデルをきちんと作り上げて、市場の中でフェアな競争関係にスムーズに入ってほしいと願っている。インフラの整備の面では既にいろいろなことが進んでおり、日本銀行もお手伝いさせていただいているが、新しいビジネスモデルが市場の中のフェアな競争関係に立っていけるように、既存の民間金融機関と、有効な切磋琢磨の関係ができることが一番望ましいと思っており、日本銀行としても最大限の努力をしていく。』


日銀には、郵政の心配をして面倒をみてくれとは願いませんが、やるべき仕事をちゃんとやってくれればいいのです。「最大限の努力をしていく」方向が違っとるんですよ。福井総裁を乗船させたのは仕方がなかったとしても、事件発覚以後、多くの国民から「下船せよ」と厳しく非難されているにも関わらず、未だにこっそりとクルーの中に混じっていることが甚だ疑問なのですよ。


おまけに「船酔いもせず」って、舵取り役だけは助かったのかもしれないが、多くの国民は暗礁に乗り上げられたり、大きな氷山にまで激突されたりした為に、船から振り落とされて海の藻屑となったり、大怪我をさせられたんですよ!そればかりか、多数の国民の信頼を損なっておきながら、責任も取らず、居座り続ける根性が知れんのですよ。迷走させた責任を取るべきだ。

日銀という組織の信頼をも地に落とした責任を問われるのは当然だろう。新たな「安倍政権下の経済財政諮問会議」の出航には相応しくないですよ。まるで密航者が隠れているみたいじゃないか。



日ハムはとりあえずビールかけ

2006年09月28日 21時26分04秒 | 経済関連
めでたい、ということで。

予想通りでしたどす(笑)。

今年こそは、「日本一」頂きどす。

9月の日ハムは14勝5敗くらいの驚異的勝ち星をあげましたので、苦手の西武・ソフトバンク戦の大きくは負けずに乗り切ったのが大きかった。

西武はお得意さまのロッテや楽天に苦杯を喫して、まさかの転落(「らくてん」ではないよ「てんらく」だよ)。今の勢いがあれば、勝てる可能性大。キーマンは、稲葉と八木。そして、意外性のラッキーボーイは新庄と言いたい所だが、新庄は徹底マークされるので、田中賢。

ガッツさんとか森本も当然マークされるだろうから。


早く来い来い、プレーオフ!!



肥大化する官邸?

2006年09月28日 20時46分22秒 | 政治って?
今回の目玉である官邸機能強化ですけれども、一抹の不安はあります。それは、「どういうシステムを作っていくのか」ということが見えてこないからであり、誰が、どのような責任を持ち、どのような権限・命令系統になっているのか、ということが殆ど判らないからです。まあ、実際に組織してみて、運用は「実践上で」決めていったり考えていったりする、ということも有り得ると思いますが、ある程度「こういう形、権限で」という目標というか方針がないと、「掛け声倒れ」で終わりかねない危惧はあるでしょう。過去の「補佐官」たちの敗北の歴史を見れば、どうしてもそういう想像が働いてしまいます(笑)。


最近の例では、ヤマタクさんと川口さんが就任していたわけですが、これがどのように機能していたのか不明なのですね。何をどうしたいのか、ということをハッキリ決めないと、うまく機能しないのではないでしょうか。単に「大統領型」を目指して、と言われても、下部組織がうまくそれに合わせて動けるとも限らないのではないかな、と。まずは情報の上げ方から始まって、「誰と話せばよいか」ということも明確ではないだろうしね。後になってから、「こっちは聞いてないぞ」「こっちにも足を運べ」とかって怒られても部下は困るだろうし、「誰と相談したんだ?何、副大臣?そりゃダメだ、必ず補佐官に通せ」とか「それは誰の指示だ?何、官房副長官?補佐官からの指示を待て」とか、そういう混乱が起こってしまいかねないのではないのかな、と。雲の上の世界なので、そうした現場のことはよく知らんけど。


役職者が増えれば増えるほど、共有されるべき情報も多くなるだろうし、そういったものの処理系統が必要だろうけど、誰が何をどの程度処理していいのか、ということがある程度判らないと、かえって非効率になってしまう可能性も有り得ますよね。


サーッと内閣官房を見てみると、これまた非常に複雑な組織となっているんですね。知りませんでした。

まず、直の人員だけでも、かなりいます。

①秘書官
・首席(政務担当)秘書官、他4人(外務、財務、経産、警察)

②補佐官5人(今回の目玉)+スタッフ5人+他の特命チーム5人


続いて、内閣官房。

③官房長官

④官房副長官3人

⑤官房副長官補3人+スタッフ(審議官6+参事官17)

⑥危機管理監1人

⑦内閣情報調査室:内閣情報官1人+審議官1+参事官14

⑧内閣総務官室:内閣総務官1人+審議官1+参事官1

⑨内閣広報室:内閣広報官1人+参事官4


このような感じで、内閣官房だけの参事官以上の人たちだけでも、約50人もいることになります。この他に直の①と②の秘書官+補佐官関連で20人となり、これをどのように使いこなすのか、権限をどこに与え集約されるのか、「官房長官の頭越し」でやっていいものなのか(法的な権限の問題もあると思いますが、今のところは補佐官クラスが何かを掌理するということはないのですよね?)、不明なことが多いのですね。


例えば、『広報』だけ見ても、各省庁の大臣・事務次官会見などがありますよね。その他に、総理のぶら下がり会見、官房長官の会見・職務とか、内閣広報官の職務、そのまた他の役割に「補佐官」、おまけに内閣官房以外にも内閣府に「政府広報室」まであって(恐らく新聞・雑誌・ネット等の媒体広告とか、映画館の広告とかの担当なのかな?)、各省庁には別にそういった部署があったりなんかすると思います。なので、みんなで「巨大広告代理店」でも開けそうなぐらいの勢いなのですね(笑)。ですので、機能分担をかなりうまくやらないと、企画倒れに終わる可能性もあるかな、と思うのです。


総理が毎日会う人だけで考えても、数十人にもなってしまいますね。実際にどうなっているかは知りませんが、毎朝ブリーフィングを行うとして、総理が「おはよう、諸君」とか部屋に入っていくと、まるで「学校の教室」みたいにズラーっと座って待っているようなことになるのでしょうか(笑)。部屋の人口密度が急上昇ですね。大方が”暑苦しい男”ばかりだし酸素不足で息苦しくなるのではないでしょうか。警備上の理由で、窓のない部屋とかが多いのでしょうし(実際どうなのかは知りません)。各省庁の大臣とそのお連れのスタッフ(副大臣、政務官、秘書官、事務方官僚とか)が参加しようものなら、そこでも5人くらいは軽く増えてしまったりして、タダでさえ狭くてイスも足りないのに「そんなに連れてくるんじゃねーよ」的周囲の視線が痛いほど突き刺さる光景が、脳裏に浮かんできます(笑)。総理の移動時には、まるで「大名行列」のようにゾロゾロとついていく人々が増えることになるかもしれないですね。


そんなわけで、組織が肥大化して余計に大変にならないようにするには、役割分担とか情報処理・命令系統とか、そういうのをキッチリしないとそれぞれがバラバラになったり、その仕事を「自分がやっていいのかどうか」と懐疑的に思い、かえって臆病になったりすることもあるかな、と思いますね。縄張り争いも必ず勃発してくるでしょう。介在人員が多すぎることで、迅速性が失われたり、混乱したり、ということも考えられますし。


安全保障担当の小池さんの役割というのは、どういうのが期待されているのか、ちょっとよく判らないですね。「英語が得意だから」というような、ヘンな理由を挙げていた人もいたようだけど(笑)。そんなのが理由ならば、海外留学から帰ってきた帰国子女なら誰でもいいことになってしまいますよね。米国の補佐官とのパイプを作っていくというような、ある種の外交上の「顔」として期待するのも、外務大臣や駐米大使がいるのに、その「頭越し」で官邸外交をやっていく、ということになりかねないですよね。そこらあたりをどう考えるのか、ということになりますね。他には、「日本版NSCを立ち上げたい」として、そうした新たな組織作りをしていくのであれば「外務・防衛」だけじゃなくて法制面からの問題があったりするし、少数個人での取りまとめは難しいと思う。それこそある程度のチームというか「分室」でも作って、専門に取り組まない限りは難しいと思う。そもそも、そういうのは立法作業だろうと思うし。これまでの「安全保障会議」「事態対処専門委員会」「内閣情報会議」「合同情報会議」などの改変も含めて考えていくのですよね?補佐官+スタッフ1名には荷が重すぎではないでしょうか。


「安全保障担当」補佐官であるならば、基本的に「専門家」(外交・防衛関連)から上げてもらった情報・意見なんかを集約したり解釈をして、順位付けやら取捨選択やらをした上で「噛み砕いて」トップに報告するということがまず必要だろうと思う。バランス・センス・知識の全てが高度に要求され、総合力のある人材でなければならないポストだと思う。国家の存在・根幹に関わるのですから。そういう最重要ポストなので、これこそ民間も含めた「真の専門家」登用が望ましいのではないかと思えたのですけどね。もう決まってしまったから、仕方がないのですけど。防衛庁制服組やら外務省担当官あたりから情報を上げてもらったり、米軍司令官クラスと会談したりする時に、小池さんが具体的な内容について理解し判断できなければ、総理に報告するのが結局他の事務方が行わなければならない、ということになってしまうのではないでしょうか。


補佐官は「総理の脳みそ」の外部メモリみたいなもので、自分の脳みそを貸すようなものですよね。「情報入力・命令出力」という部分で、補佐官の脳みそ(能力)を借りることで処理速度を上げたり精度をあげたりすることができ、「重要な決定・判断」という部分だけは「総理自らの脳みそ」を使う、ということに他ならないのですよね。なので、補佐官はあたかも総理のように考え、総理のように見聞きしなければならんのですよ。で、総理自身が理解する時には、「補佐官」という脳みそを通じて自分が考えたが如くに処理できる、ということですよね。つまりは、難しい内容とか専門的な話は、「総理自身」と同じ水準で理解可能なように「変換・翻訳」してあげることが必要なんですよ。「噛み砕いて報告」というのはそういう意味です。なのに、補佐官自身が常時それをやってもらわねばならない(秘書官とか他の事務方とかにレクチャーしてもらう)ということであるなら、「総理の脳みそ」の代わりにはなれないんじゃなかろうか、ということです。これはあくまで私の補佐官に対する勝手なイメージ(笑)ですので、安倍総理がどのように考えていたのかは不明なのですけれども。


いずれにしても、うまく機能が分担されたり、効率的なシステムが作り上げられるまでには色々とあると思いますね。かなり明確にしておかなければ、結局「誰に聞けばいいの?」「誰に話を持っていけばいいの?」と、現場が混乱・機能不全に陥りかねないのではないでしょうか。




日ハムの大一番

2006年09月27日 11時56分08秒 | 経済関連
今日の試合は、本当に大一番になってしまいました。勝てば1位ですもん。


ソフトバンクは昨日の敗戦で、「終わった」ので、気を抜いてもいいですから(笑)。プレーオフに備えて休んどけ。

ロッテは死ぬ気で頑張ってくれ。昨日同様、西武を沈めてくれ。福浦、ベニー、意表をついてサブロー(ひょっとして出ないのか?)とか里崎が思い切って打ってくれ。


どうなるんでしょうか。



組閣関連の感想

2006年09月26日 18時27分18秒 | 政治って?
主要閣僚はまずまずではないでしょうか。意外性の第一は当然ながら、大田経済財政相ですね。以前にもちょっと取り上げましたが、お名前はやはり「大田」氏が正しいのですね(笑)。以前に間違えていてスミマセンでした。


経済政策担当の登竜門?

大ニュース!『論座』を買ってみた


この意図は、諮問会議内の「経済マフィア」の系譜には、竹中・本間-大田路線があったのですが、その基本線を踏襲するという意外な結果となりました。これは竹中氏や本間氏等の意向もしくは推薦などの影響があったかどうかは定かではありませんが、いずれにしてもこれまでの路線が守られた、というのは確かですね。新たな「経済マフィア」一派というのが政府部内に食い込むことはできなかった、ということです。経済政策上でのベースは、今の所よく判らないですね。これまでとあまり変わらない、という程度なのであれば、高成長率は期待に乏しいと思われますね。


防衛庁には久間さんですか。なんとも分かり易い。額賀さんを止めた久間さんを、敢えて同じポストに充てるとは、モロですね。

それから、柳沢さんを「厚生労働」に、ですか。これも、「社会保障費削減」という極めて分かり易いメッセージですね。財政一派の頭目的存在の柳沢さんを、ぶつけてくるとは。「濡れ雑巾」状況は、今後も続くということですね(笑)。


補佐官ですけれども、小池さんの安全保障担当、というのは、一体全体どうしたというのでしょうか。他のメンバーは、「ああ、そうですね」という分かり易い配置ですけれども、ここだけは「畑違い」が否めないのではないかと思えます。どうして小池さんだったのかな?これはちょっと不可解ではあります。船頭多くして山に登らなければいいのですけどね。防衛・外務あたりと、うまく機能すればいいのですが、どうなんでしょうか。担当の専門分野に詳しくない人が補佐官の場合には、何をするのかはちょっと謎ですね。「女性の数」ということであるとか、過去(小泉さん時代)の残滓という意味であるなら、ちょっと残念ではありました。本気で機能を追求してみた方が良かったのではないでしょうか。他の4人のメンバーは、ある意味ハズレてないだけに、違和感は結構あると思いました。


内閣の命名を勝手に考えさせて頂きますと、

「再チャレ内閣」

でしょうか。

今までにも幾度か登板していた人が多く、塩崎さんが目立つくらいですかね。高市さんも一応目新しさはあるか(笑)。多くは「昔の名前で出ています」系の、まさしく「再チャレンジ」ではないかと。



中々いい庭

2006年09月26日 09時57分35秒 | 政治って?
昨日は党役員人事、今日は組閣ですね。まずは感想から。


オーソドックス、無難な選択でしたね。

軸は「秀さん」の幹事長、他は閣僚人事との兼ね合いで、ということでしたか。
「秀さん-石原ライン」で党運営を固めてもらいたい、と。石原氏の代理就任というのは、ある意味キーポイントということかと思いました。


政策面では中川昭一さんということで、NHK圧力問題のコンビ復活ですか(笑)。ゴメンなさい、違いますね。政府側意向を汲んでもらい、党側の調整をやってもらうには、安倍氏に近い人が望ましかった、と。まあ、順当ですか。

二階さんは閣内にあるよりも、国会運営の方が実力を発揮できるのは確かかもしれないですね。これもいい選択ですね。

丹羽さんの総務会長ですが、ここに一番配慮が示されていたかもしれませんね。

中川(秀)、中川(昭)、石原、二階、丹羽、ということで、
「なかなかいいにわ」と命名してみました。ダブル中川も紛らわしいけど。


津島派は、最大の失敗を犯したのでポストをもらえなかったんですよ。それは発表する前から、「ポストよこせ、貰うのは当然」という態度・発言を表明してしまったが為にですよ。考えてみてごらんなさいな。もしも、派閥から「よこせ」と言われて与えてしまったとなれば、国民の目から見た評価はどうなりますか?(笑)


折角、「脱派閥」というイメージを作ってきたのに、そんな所で派閥の要求に「折れた」となれば、出発前から大失敗となってしまうに決まっているではありませんか。なので、本当に「欲しい」時こそ、ジッと黙っておくのがベストに決まっているのです。だからこそ、他の皆はグッと堪えて静かにしていたんですよ。そんなの常識的に考えれば直ぐに判りそうなものだと思うけど(笑)。

普通の生活の中でも、「必ずお礼をしろよ」、「何かお礼をよこせ」なんて言うはずないじゃありませんか。もしもそんなことを言おうものなら、余計に「お礼なんてしたくないよ」と頑なになってしまうかもしれないですよ。いち早くポストくれ宣言を出してたのが大失敗、ということです。みすみす逃してしまったのですよ。まあ、今日の閣僚ポストはいくつか割り当てられるでしょうから、それでよしとしておくべきですよ。


その点、丹羽さんところはジーっと待って様子を窺っていたのが功を奏した結果となったようですね。


今日の閣僚人事はどうなるでしょうか。



桑田と山本昌

2006年09月25日 20時32分07秒 | 経済関連
今は日ハムが優勝するかもしれない(笑)、ということで大事な時期なのですけど、別な話題を。

桑田は清原同様にジャイアンツを離れることになるらしい。一時代を築いてきた選手だったが、ちょっと残念だ。清原と違って、将来の幹部候補だろうから、桑田のことは心配ないと思うが、現役選手としては晩年に厳しいことが多かったのは惜しいと思っていた。若手投手からの信頼もあるし、尊敬を集めていた桑田であったが、200勝投手になるのはかなり困難だろうと思う。それが本当に残念だと思うのだ。


一方、中日の山本投手だが、若い時から「負け数」が多くて、完投も結構あったが勝ち星は少ない印象だった。成績のいい年の翌年は大抵ダメな年が来るし(笑)、一流投手として華々しい脚光を浴びることも殆どなかったと言えるだろう。通常、「好きなピッチャーは?」と聞かれて、昔であれば「桑田」「斉藤」「槙原」といった有名どころとかを挙げる人が多かっただろう。中日ファン以外で、「山本昌」を選ぶ人は滅多にいなかったと思う(個人的には、1人も出会ったことがない。ゴメンね、偏りが大きくて・・・悪気はないです)。


だが、山本は私と同学年の選手なので、40過ぎても頑張っている姿を心密かに応援していました。というより、励まされる思いがしました。昔の北別府のように、ストレートは遅いのに(笑)、老練な投球術とコントロールがあれば、「一線で活躍できる」「先発ローテーションに入れる」ということを身をもって示しているし。ある意味、華やかなスターであった桑田と対照的なのだ。一昔前で、桑田よりも山本を高く評価していた人はまずいなかったろう。左投手として、今中あたりと常に比較されたりして、「左のエース」の称号を与えられることもなく、地味に過してきた山本は、本当は凄い投手なのだ。最多勝などのタイトルも何度か取っているしね。目立たないけど。


見た目はヨレヨレでも、毎年先発に入って投げ続けることができるというのは、本当に凄いことだ。イキのいい若い選手はどんどん入ってくるから競争に勝ち続けていかなければ2軍に落とされるし、ケガなんかや体調不良や肩・肘なんかの故障といったことも有り得るのだ。そういうのを乗り越えて、多くの投球回数を投げ、負け数も多いかもしれないけれど、投げ続けるというのは本当に立派ですよ。未だに、あの球速のストレートで三振を取るのだから、見上げたものですよ。球の遅さでは、阪急-オリックスの星野か、山本が双璧だったのではないかと思うね。「スクリュー命」なのかもしれんが(笑)。最近の若い投手で、あんなに遅い球を投げてる人は見ないよね?「高速スライダー」とか、山本昌のストレートより速い「フォーク」とかならあると思うけど。


おまけに今年はノーヒッターになったそうじゃないか。よく知らんうちに達成していたみたいで、忘れていたよ。ゴメンね。中日ファンじゃないからね。でもね、オジサンたちのヒーローだよ、本当に。ああいう投球術とコントロールを持てば、いつでも打たれそうで打たれない、ということなのかな。剛球ということでもなく何となく打ち取られる、というのもバッターにしてみれば「腹立たしい」ことだろう(笑)。既に術中に嵌っているのかもしれないね。

山本昌は本当に地味な、稀に見る「職人」系の人だと思う。名球界入りも可能かもしれないしね。


桑田と山本昌を見ていて、人生というものの面白さ、不思議さ、悲しさ、そういった感じがするのだ。


高校生ドラフトでイキのいい選手がまた入るだろう。是非とも、次代の「山本昌」を目指して頑張って欲しいな。ああ、華やかさのない所は真似しない方がいいと思うよ、やっぱり。客商売には違いないので(笑)。



アコムの遅延損害金

2006年09月24日 16時30分58秒 | 社会全般
以前に取り上げた消費者契約法ですけれども、消費者金融での保証委託契約においては、上限金利が14.6%に拘束されるということのようです。既に判決も出ていたようです。知りませんでしたです。

遅延損害金はグレー金利か?~消費者契約法と利息制限法


アコムは金融庁の検査を受けていたはずですが、こうした違反が発見されたということでしょうか。まだ、定かではないと思いますけれども。アコム側は「利息制限法の範囲内」という主張をしているようですので、これを押し通すのであれば訴訟提起するのかもしれませんね。


asahicom:アコム、高率の遅延金 違法契約の疑い-社会

(記事より一部抜粋)


消費者金融大手のアコムが、地方銀行など10社と提携する消費者ローンの滞納者に対し、消費者契約法で認められた利率(14.6%)を上回る遅延損害金を請求していることが朝日新聞の調べでわかった。いずれのローンもアコムは借り手の保証人として登場。滞納があると残金を肩代わりし、その後は新たな債権者として借り手に高率の遅延損害金を課す仕組みだ。内閣府は「このような契約では原則的に消費者契約法が適用される」との見解を示しており、アコムの契約は同法違反の疑いが強い。

 違法の疑いが浮上しているのは、提携先が北海道、スルガ、十六、広島、青森、西日本シティ、長崎、南都、北陸の9銀行のほか、三菱東京UFJ銀行との合弁会社DCキャッシュワンの消費者ローン。利用件数は少なくとも20万件前後にのぼるとみられる。

 借り手は、地銀などと年10~20%程度の金利で融資を受ける契約を結ぶとともに、アコムとは債務保証の委託契約を交わす。返済が滞ると、アコムがいったん肩代わりして地銀などに支払い、その後借り手から回収する。その際、アコムは肩代わりした額などに加え、日数に応じ、年率17~26%程度の遅延損害金を請求している。

 しかし、消費者契約法は特別法の規定がない限り、遅延損害利率の上限を14.6%としており、これを上回る部分は無効と定めている。

 保証委託契約の遅延損害利率をめぐっては、04年5月に東京高裁が「(金銭消費貸借契約の場合に最大29.2%まで認める)利息制限法の規定は適用されず、消費者契約法が上限となる」との判断を示しており、同法を所管する内閣府も同様の見解だ。

 これに対し、アコム広報部は「さまざまな法的見解があることは承知しているが、利息制限法の範囲内であり、違法ではないと認識している」と説明している。




通常の金銭消費貸借契約では利息制限法の上限(1.46倍まで)が適用されるということらしいですが、保証委託契約では消費者契約法が適用になる、ということのようです。裁判が既に行われていたというのは、大事ですね。判決は重要な意味を持ちますからね。


これって、金融庁検査ではなく、朝日新聞が調べて判ったのでしょうか?それも何だか不思議ですけど、リークでもあった訳でもないんですよね。記事の通りならば、朝日さんの「1ポイントゲット!」ということでしょうか。



ハイブリッド車に乗る

2006年09月23日 23時23分14秒 | 俺のそれ
8月に車を購入したので、それについて、少々。


今まで記事の中ではトヨタさんを結構叩いたりしてきましたが(笑)、実は結構長い間のトヨタユーザーでして、購入前は「ハリアー3.0Four」を7年以上乗っていました(初代モデル)。今年、国内新車販売が不振ということや、国内消費に翳りが見られた為(勿論冗談ですので)、新車購入を決意。後継モデルである、「ハリアーハイブリッド」を購入。数回にわたる家族会議の末、私の希望を通しました(笑、家族の希望は「スライドドアにしてくれ」が一番だった)。キャンプに便利だということと、走破性や日常ユースのバランスなどから決めました。最大の理由は、冬期間の使用かな。前のハリアーでも十分良かったのだけれど、環境に厳しいからね、やっぱり(燃費は良くない)。


購入契約は6月終わり頃でしたが、生産に時間がかかるとのことで、納車は8月末か9月と言われていた。運良く、8月中に納車となり、ちょっと嬉しかった。でも、大問題が一つ。モデルのごく僅かな変更が7月末頃にあり、それが売買契約時点の仕様と微妙に違っていたのですね。元々CDチェンジャーは車載タイプが付いていたのですが(購入時点での仕様はそうだった)、HDDタイプのオプションとなってしまい、チェンジャーそのものが消滅してしまったようなのです!!ガーン・・・・・

うーぬぬぬ、世の中、CDが消える途上(?)だからといって、これまでのCDを聴かなくなるわけではないのだし、契約時点ではあったんだから付けといてくれよ。ガックリですよ、もう。受注生産なのだから、注文した通りにしておいて欲しい。とりあえず販売店では「何か方法を考えます」と言っていたが、その後どうするかは決まっていない。


で、大体800kmくらい走ったので、その感想を。

ハイブリッド車は乗るのが今回初めてで、試乗もしたことがなかった。なので、どんな感じなのか、全く知らなかった。

印象としては、一言で言うと「電車の運転士になった気分」ですね(笑)。
まず、『重い』。
そして耳慣れないモーター音。


モーター音はすぐに気にならなくなるからいいとして、重さはどうしようもないかも。前のハリアーも十分重かったけど、さほど気にならなかった。今回はもっと「ズッシリ」って感じだ。いつも4人乗せてます、って印象。


遮音は以前よりも向上している。高速でも、前ほどタイヤ音が気にならない。タイヤを換えてた(ノーマル仕様と違うものに)せいもあるかもしれないが。外車なんかよりもはるかに静か。静粛性は高い(そういえばベンツもディーゼル投入らしいね)。


発進時にはモーターが駆動するが、重い為に後続車とかがイヤな感じになる(笑)。急発進はガソリンの無駄なんだよ!!と言ってあげたいが、みんな先を急ぐ傾向なので、ちょっと困る。モーターだけの発進・加速は、ノロい。が、私はくやしいので(何が?)、極力モーターだけで発進・加速している。因みに、乗客満載のバスよりも遅い(笑)。大体、50~60km/hくらいまでは、モーターだけで走れる。これは、中々いいですよ。特に街中とかで、進むのが遅い時に威力を発揮する!だが、大都会と違い、渋滞は滅多に発生しないので無関係。


道路の高低差がハッキリ燃費に現れる。当然重いことも関係するのだが、目で見て感じない程度の上り・下りが判る。凄いぞ。平坦かな、と思っていても、下りだとモーター駆動時間が長くなるので、ガソリンエンジンが止まったままで燃費が向上する。逆に上りだと、その重さがアダとなり、ガソリンエンジンが駆動してしまう。まあ、それでも普通に走る分には、かなり燃費は向上しているが。

以前のハリアーも同じ4駆(エンジンは3ℓ、ハイオク仕様)だが、夏場で大体ガソリン1L当たり6.5km、冬だと5.5kmくらいだった。今回のは、ガソリンエンジンは3.3ℓだけど、今まで(走行距離800kmくらい)のトータルでは約13kmくらい。約2倍まで向上している。冬になってみないとどうなるかは判らないけれど、多分夏とあまり変わらないか、逆に低速走行が増えるために向上するだろう、と予想している。


高速道路では、明らかに燃費が落ちる。以前は約9km程度だったが、ハイブリッドだと10~11kmくらい。どうしてもガソリンエンジンの駆動がほとんどになってしまい、モーター駆動が少ないからね。基本的にはアクセル踏んだまま(クルーズコントロールは一応あるけど)になるので、仕方ないね。

残念なのは、ドライバーの意志でモーター駆動とガソリンエンジン駆動の切り替えができないこと。もっとモーターで走ってくれ、と思う場面でも、勝手にガソリンエンジンで走ってしまう。一応トルクメーターみたいなのが付いていて、アクセルの踏み込み具合でモーターとガソリンが切り替わるようになっているが、境界線近辺ではほんのちょっとの道路の傾斜とか何かでガソリンエンジンが駆動してしまうのですね。


高速道路でも、モーターのアシストがある時とアシストが切れる時があり、バッテリーにかなり電力が残ってるのに、モーターが切れる。ほぼ同じようにアクセルを踏んでいるにもかかわらず、だ。大体90~100km/h前後のゾーンでモーターの駆動が働く時と切れる時がある。モーターを駆動させるには、アクセルを戻してトルクメーターを下のゾーンに落とさないとならない。これは不便。アシストを動かしたい時には、「アシストしてくれ」モードを取り付けて欲しいぞ。


トルクメーターの下のゾーン(凄く狭い)ではモーターだけで動くのですが、ここでの「アクセル調節」はやや面倒。踏み具合を微妙にコントロールせねばならず、普通の車と似たような感覚で踏めば即ガソリンエンジンが駆動してしまう。これが悔しいのですよね。なので、トルクメーターの下のゾーンでは、アクセルの踏力コントロールの幅を広げる方がいいのではないかなと思うのですよ。たとえて言うと、今まで1cm踏んでたところを、2cmまで広げる、ということです。トルクの上の方では、同じ1cmを踏んでも、より大きな変動区間としてもいいのでは、と。油圧のコントロールボックスみたいなのが必要になってしまうのかな。でも、ある程度の幅がないと、モーター駆動時間を長くするのは面倒ですよ。他の車との乗り換え時には、馴れが必要になってしまってそれがイヤだ、ということなのかもしれないのですけどね。それか、コンピューターの判断の問題なのかな?ちょっとよく判りませんが。


コンピューターは、何だかAIっぽい感じなのかもしれない。ドライバーのクセというか傾向を反映しようとする?のかもしれないが、それが「間違った判定」みたいな気もするけど。一回だけ発進の時、いつもよりグっと踏んでガソリンエンジンで発進してみたら、次からはモーター駆動で発進してくれなくなっていた。どーして?と思ったけど、多分、ドライバーの運転傾向を反映してくれたんだろうな、と。もしそうなら、ちょっと余計なお世話だな、と思っている。エンジンスタート直後も、モーターは駆動しない。大体5分間くらいかな。その後は駆動するようになる。この理由は不明。温まっていないから?(笑)それもちょっと不思議なんですけどね。


通常の加速や追越加速とかは全く問題ない。当たり前か。踏めば進む、なので、簡単(笑)。アクセルを全く踏まずに慣性だけで走行するのも発電されるからいいのですが、充電ばかりしていても意味がない。必ずバッテリーの空きを作らないと。つまりは、モーターをある程度動かさないと減っていかないので、モーターだけで走るかアシストを確実に動かしたいのですけどね。


それから、ごく稀にヘンな振動がある。まるで前後に揺れてるみたいな。きっと、モーターとガソリンエンジンの切り替えか何かで、どちらとも言えない、というような状況なんだろうか。機械が迷う訳はではないと思うんですけどね。ガソリンエンジンからモーター駆動への切り替え時にもシフトショックに似た振動を感じる。これはその時に一回必ず発生なので、別にいいのですけどね。それより、謎の振動の方が気になる。


以前のハリアーに比べて、足回りはとても良くなっている。固さを感じられて、中々よい。前は、乗り心地を考慮していたからだろうと思うが、イマイチ「フニャ」っと軟い感じだった。車重がある為にロールは大きい感じで、コーナリング時の沈み込みが大きい印象は拭えなかった。でも、今回のはそういう挙動は解消されている。前のモデルのタイヤはノーマルで16インチ・215・70だったが、個人的趣味で18インチ・235・50に変更していた。このマッチングは非常に悪く、サスの柔らかさ+グリップ力とハンドルの重さがアンバランスになってしまった。やっぱりノーマルの方が良かったと思ったものです(笑)。今回のは標準で同じサイズ(扁平率は55だけど)なので、バランスがいい。サスの固さがある割りにはギャップを越える時でもほぼ吸収されるし、コブを越える時の浮き上がり感も以前よりかなり少ない。ハンドルの重さの変化も格段に良くなった。車重を考えれば、これくらいの固さが必要ではないかと思えます。なので、足回りの改善は高く評価しています。


総合評価としては満足度は高いが、「重い」「モーター駆動の切り替え」「不思議な振動」というのが気になるところですかね。ああ、あとは「CDチェンジャー」だね(笑)。これを何とかして欲しいです。


レクサスブランドは苦戦しているらしいけど、ハリアーはレクサスブランドでは売られていないので関係ありません。でも、北米ではレクサスだったかね。



空耳ならぬ・・・

2006年09月23日 17時55分42秒 | 俺のそれ
近頃、頭の働きが悪いな、と思う。それは、パッと見た時の誤解というか錯視ということでもないのだが、「ギクッ」と思うことが幾つかあったので。

例:

①「シブヤ」→「シヤブ」(=シャブ)

理由は不明なのですが、雑誌か何かの見出しなどでカタカナ書きがあるのですね。未だにそれがどうしてなのか判らないんですけどね。東京モンは「渋谷」のことは「シブヤ」と書くのがお作法なのでしょうか?(笑)田舎者には縁のないことなので。


②「ウコン」→「ウンコ」

これは、まんま。ありがちではないかと思いますね。


③「金玉」

ウチの子が、ニュースを観ていた時の字幕に出てたのを見て、思わず「キンタマ?!」と。そりゃ、いくらなんでも違うだろ、と。でも、見た目通りなら、そうだな、とも思った。よりによって、どうしてこんな名前を・・・なんて人さまの名前に文句を言ってはいけないですね。スミマセンです。



貸金業の上限金利問題14(かなり追記後)

2006年09月22日 15時07分09秒 | 社会全般
今回は、まず自動車販売から考えてみたい。その理由は、既に陳腐化された言い回しだが、「交通事故死が多いからといって、自動車販売を禁止するというようなものだ」、という主旨の喩えを幾度か目にする機会があったので。上限金利規制と、どう対比させられるのか、疑問なのですね。これも、経済学信奉者たちの発想が共通しているように思え、ちょっと不思議です。


自分で車を所有し運転していれば、現実世界で起きていることはある程度理解できるのではないかと思いますが、必ずしも皆が運転者ではないかもしれないからね。


ハッキリ言えば、自動車に関してはかなり厳しい規制業界であるとしか思えないのですけれど。これほど行政の介入が多いのは、自動車産業に特徴的とも思えるし、それ故に道路族等々のレントシーカーたちの意味もあろうというものではないのかな、ともちょっと思いますね(笑)。どこが規制されていないと考えているのか、全くの自由な取引と思っているのかよく判らないです。



1)需要者側への規制
・免許制
・交通法規
・罰則やペナルティ
・定期的更新義務
・賠償保険の加入義務
・各種税制

2)供給者側への規制
・商品の厳格なクラス分類(排気量・大きさ・用途等)
・商品の安全基準
・商品の環境基準
・不具合の報告義務


思いつく範囲で大雑把に挙げてみました。専門的には、もっときちんと調べられていると思うので、そいうのを探して見て頂いた方が宜しいかと思います。


運転者=購入者とは限らないでしょうが、多くの場合には同一であることが多いので、一応同一と見なして下さい。で、大前提としては、需要者側は「免許制」なのですよ。勝手に市場には参加できないように、”厳しく規制”されているのです。貸金の利用者を免許制にするとでも言うのでしょうか。「借りたい人は免許を取得してからにしてください」というのならいいですけどね(笑)。これはかなり高いコストの規制だと思います。それ故、自動車学校・教習所なんかが存在している訳で。


需要側である免許取得者への罰則・ペナルティは法的に規制されており、違反者は例えば免許更新間隔が短くされる、更新時講習で優良者よりも多くのカウンセリング・教育を受けねばならない、更に免停・取消などの重い違反にはもっと厳しい教育が義務付けられており、利用停止期間のペナルティもある。貸金利用者の場合は、定期的にカウンセリングを義務付けたり、不良債務者(破産者等ではない)には利用停止等のペナルティが課せられているわけではありません。


保険加入も義務付けられていますし、対象商品毎の細かい分類であれこれと税金による正負のインセンティブ(例えば軽自動車は税金は安いが安全性はやや劣るかもしれない、とか)があると思います。貸金利用者とは全く異なっているのです。


では、供給側はどうかというと、こちらもかなり規制が厳しいですね。クラス(商品)分類にしても、それぞれ適合基準が決められており、排気量、寸法、重量等の基準(ちょっと正確には判らないですけど)があります。貸金業の商品にいちいちこうした基準が設定されてはいないですよね。自主規制はちょっとありますけれども。安全基準にしても、ボディ剛性とかエアバッグ装備とかバンパー形状とか色々あるのだろうと思います。これらは試験等を経て認定されているものが多く、供給者側への基準達成を求めるという強い規制となっていると思います。環境基準にしても、排ガス規制、騒音規制、燃費規制、リサイクル関連等々、細かく決められています。

つまりは、販売商品について、いちいちこと細かに行政のチェックを受け、基準を達成できない業者は販売できませんので、実質的に販売市場に参入すらできないようになっているのです。かなり高い参入障壁を設けてあるのです。こうした努力を供給者側に求めることで、死亡事故を減らす、ということをやってきているのです。


以前にリコール隠しが問題になりましたが、これも供給者側に報告義務が課せられています。貸金業で、「この商品利用者で自殺者が出ましたので報告します」なんてことがありますか?他の利用者に「注意喚起」なんてことが行われますか?


要するに、自動車業界というのは、死亡事故を減らす、重大事故を減らす、そういう努力を続けてきているのですよ。貸金業界はそういう努力を続けてきたのでしょうか?とてもそのようには言えないと思いますよ。

「衝突時の速度と死亡率や重傷度は相関関係がある」というような、警察庁の交通事故統計なんかがあれば、速度制限が「死亡事故を減らす政策」としては当然意味がありますよ。ごく普通に考えても、速度が衝突エネルギーの大きさに直結するのですから、素人の感覚でも、まあ当たり前だと理解できるけどね。貸金業界はこうした正しい統計データなどを出してきてますか?事故情報を全てオープンにしていますか?してないでしょ。やってることは、「運転者が悪いのであり、自動車という商品や供給者には問題も責任もない」ということを言うだけでしょ。


自動車関連で見れば、死亡・重大事故や交通環境の社会的影響が大きいからこそ、運転者への規制、供給業者への規制、商品設計での規制、という厳しいハードルが設けられているのです。「交通事故を減らす為に車の販売を禁止」などという短絡的な思考ではないのですよ。自動車に関しては、「厳しい規制」とルール(法律)で成り立っているのです。これの何処が貸金業界と対比できるというのでしょう。上限金利規制とは別物だろう、というのが素人の現実的感覚です。


ちょっと追加です。

今までの記事をお読みになっていないと多分判りにくいので、できればお読み頂ければと思います。

関連記事:

薬物規制の境界線

消費者金融における個人の負債について


リスク・コントロールという意味だと思っていますが、銀行にだってBIS規制が課せられており、業者側への投資規制(行政の介入)が無意味とは思いませんけどね。社会への影響が大きいからこそ、バーゼルⅡみたいな基準が適用されるわけで。貸出業務が専業の貸金業に規制はいらない、ということは必ずしも正当とは言えないだろう。参考記事に書いたような「ジャンクボンド投資」で、普通には考えられないような投機的取引が「ルールの(通用し)ない世界」で繰り広げられているのですよ。せめて「公正な取引」が可能な市場を作ってから「規制はいらない」と言ってくれ、と思いますね。


金融教育などによって、全ての借り手が正しい判断・選択ができるようにした方がよいのは確かなのであるが、投資商品販売とか上述した自動車免許といったことと似ていて、全員が同じレベルに到達するのはコストがたくさんかかるでしょう。現実には、各個人にそれを求めるのは難しいのです。それ故、投資アドバイスの人(FPとか)のように、専門的に判断してもらった方がコストが小さくできるかもしれないのですよね。或いは、業者の商品か販売方法に予め規制として組み込む、とかではないでしょうか。


ジャンク債の発行体(=借り手)が債券の買い手(金融機関、クレジット会社、貸金業者など)を「正しく審査・選択」し、尚且つ「買ってくれる相手」を探し出すのにもコストがかかってしまっているでしょう。ジャンク債取引は通常「1対1」取引で、調達額(=借入額)には無関係に(たとえ少額の借入であるとしても)、全員が少なくとも一定以上の「審査コスト」と、買ってくれる人に出会えるまで買い手を探し続けるという「捜索コスト」(とりあえずそう呼ぶことにします)がかかってしまうと思います。これが数百万人とか数千万人に及ぶとなれば、かなりの額になってしまうでしょう。これよりも小さなコストにできるのであれば、業者側に規制することは意味があるのではなかろうかと思います。多重債務者のように借入件数の多い人になればなるほど、多分このコストがアップするでしょう。


<広告というのはこのような審査コストや捜索コストを下げる効果があるのでしょうか?よく判らないですけど。あと無人機を張り巡らせるというのも、そういうコストを軽減する方法ということなのかな、と思ったりします。が、その結果が社会全体で見れば悪い方向に向かっていくとなれば問題なのでは・・・とも思います>


自動車免許を持つ人たちの場合は既に一定水準に達しているにも関わらず、それでも自動車の複雑な構造・仕組みなんかを正確に理解し判断するのには困難なことが多いので、行政が予め適合基準を設定して規制するのも同じ意味合いではないかと思います。需要側が正確に判断できなかったとしても、商品そのものや供給業者に規制を課すことでミスを生じにくくするようになっているのではないか、ということですよね。


住宅ローンの例で見た住宅投資事業の債券の場合には、金利水準の調節機能よりも、「調達額の制限」やそもそも「債券発行に至らないというルール」によってデフォルト率が低く抑制されていると思われ、以前に書いた「lockout」ルール(貸金業の上限金利問題~その2)に近いように思えます。ジャンク債の場合よりも発行体の審査コストや捜索コストは低い可能性が高く、それはどの買い手であっても条件がほとんど似ているからではないかと思われます。


ですので、供給側の業者に規制を設けること自体が非効率を大きくする、とは必ずしも言えないのではないかと考えます。



アメリカやイギリスには上限規制はないんだよ、というのは「耳タコ」なのでいい加減に勘弁して欲しいですけど、まずイギリスから。

イギリスでは確かに上限金利規制がないですよ。その代わりに「裁判所権限」が強力なのであり、「暴利的信用取引は再契約を締結させられてしまう」という事前情報が与えられているからです。あと、日本の多重債務者みたいに複数業者の「貸し込み」が見られないのですよ。そういう業者は、大体が排除されているんですよ。前から書いてるけど、正常な市場ではデフォルトリスクを無駄に多く取っている業者は長期的には排除されていくはずです。「貸し込み」戦略が可能になるのは、恐らく「異常な取引市場」だからであり、異常取引の横行する市場のみでしか通用しない方法だからであろうと考えています。イギリスでは調達金利に影響するベースレートが日本よりはるかに高い(BOEのレートは4%超だったと思う)にも関わらず、日本の貸金業の平均約定金利などよりも低いAPRです。破産も少ないですし。要するに、貸倒率や返還費用などの差がモロに出てるとしか思えんのですよ。

アメリカでは上限のある州の数は40以上、上限なしの方が圧倒的に少ない。「アメリカには上限はない」というのは違います。日本みたいに複数業者から借りまくって破産というのは、イギリスと同様に「見られない」のですよ。


特に、米英両国に共通するのは、「破綻処理」に関する仕組みが整っていることですね。主に法人等の企業の利用が多いとは思いますが、日本みたいに「破産」という処理へのハードルは高くないのです。これが最も重要なセーフティネットの役割とも言えるかもしれませんね。

参考記事:生活困窮者の対策と破綻処理


アメリカには「破産裁判所」があり、所謂「チャプター11」が適用となったりするのですね。社会制度的な違いなのか、倫理観的な違いなのか判りませんけれども、破綻処理への抵抗感が少なく、「再チャレンジ」(笑)がしやすいのですね。なので、破綻処理制度の利用は日本に比べて多いです。DIPファイナンスも行われており、当然無担保融資もありますね。企業向けだからなのかもしれませんが、無担保のリボルビング・クレジットであっても、適用金利は「FFレート+1.5%」にマージン上乗せ2%とか、LIBORに+3%の上乗せといった具合ですね。レンダーには別に各種フィーがチャージされるものもありますが、それでも0.385とか3%以下程度でしかない。「チャプター11」適用企業でさえこの水準、ってことですから。


イギリスでは私的整理が多く、ロンドン・アプローチなどと呼ばれる裁判所などの関与しない再生が行われる。法的整理も勿論あるが、メインは私的整理のようであり、日本の破産制度に比べれば制度利用は容易のようである。日本でも自己破産ではなく個人民事再生などで再生できる場合もあるが、日本では「再生」よりもむしろ「破産」ということが多い(件数で8~10倍程度の開きがある)。


日本との比較に米英の例を持ち出すのは構わないが、基本的には、「法体系が違う」「社会環境・制度が違う」「意識(倫理観?)が違う」というバックボーンがあり、その上で「金融システムが異なる」、「破綻・再生制度が異なる」、「マーケットの性質が異なる」ということがあるので、ほんの一部分だけを持ってきて「上限がないんだ」ということだけを殊更強調しても意味はないように思えるが(整理手続関係の法体系の違いが経済学上ではどのように影響しているのか調べてみたらいかがか)。


これら両国に比して、日本での特徴としては「破産に対するコスト」が非常に大きいと考えられている、と言えるのではないか。米国の手続きは法人・個人を問わず割りと用いられやすく、イギリスでも法的整理よりも私的整理が主流であるので、破綻処理制度へのアクセスが容易、つまりコストは日本ほど高いとは思われていないだろう。ところが日本では、「破産」ということへの心理的障壁が高いのか(単に制度を知らないのかもしれないが)、破産処理を選択するよりも「自殺」を選択してしまうことがある、ということであろう。なので、破綻処理に関する債務者のコストを下げる政策が必要だろう。通常は私的整理の方が法的整理よりは回収率が高いと考えられており、日本のような直ぐに「自己破産」という手続きになりがちなのは回避するべきであろう。イギリスでは専門の処理エージェント(民間人)が存在するようなので、「破産のコスト」の違いというのは多分影響しているのではないか。






安倍政権の船出準備

2006年09月21日 21時56分18秒 | 政治って?

きっと大忙しになるのでしょうね。多分人事の青写真は既に出来ているでしょう。これだけ当確が早く出ていたのですから、シナリオ1~3くらいまでは作ってあるでしょう(笑)。

いきなり「法務大臣」の人選とかなんて、ぱっと思いつきませんよね、普通は(笑)。そうなると、不適材不適所人事が多くなってしまいかねませんからね。「仕事師内閣」を組むというのに、「畑違い」なんてことがあろうハズもないので、各ポストに複数候補を既に割り当てているでしょう。


今回の総裁選の得票結果に応じて、派閥間のバランスは見ると思います。故に、多少の人数調整はあるかもしれませんが、主要ポストの配置は大方決めてあったでしょう。それだけの時間的余裕はあったと思いますね。

麻生親分は外務大臣留任の可能性が高いかもしれませんね。党三役は外したい、諮問会議からも外したい、新たな成果を挙げにくい、安倍総裁とはポジション的に近いので「官邸外交」と「外務省」の齟齬が生じにくい、といったことがあるかと思いますので。重みだけは確保されているポストですし。吉田茂の孫の流れから言っても(笑)。


私が勝手に予想しても意味ないのですが(笑)、恐らく重要視する優先順位的には

①官房長官
②幹事長
③経済財政担当相
④経産相
⑤防衛庁長官
⑥外務相
⑦財務相
⑧政調会長
⑨国対
⑩総務会長

以下略

という感じではないかと。特に、トップ3はまずそうだろうな、と思っています。自分が仕事をしやすくて、総理に機能・権限を集中させられるのは、これを押さておくべきなのかな、と。

①と②はお分かりのように、安倍ちゃんが「自分でやった」ポストです(笑)。つまり、「最も良く知っている」ということです。で、自分がそこにいた時に、小泉さんとの関係はどうなっていたか、ということが逆から見える訳ですね。要するに、一番大事、ということです(笑)。それだけ総理に近い「権力ポジション」ということで、絶対的忠誠を誓えるような人材を配置するに決まっているでしょう。政府側が官房長官、党側が幹事長、という具合ですね。


③を入れたのは、首相の権力構造として「官房+内閣府」というのが使いやすく、ある程度「自分専用」機能を集中させておける部門だろうと思うのです。そこを支配するというか、押さえとくためには内閣府に1人配置しとく必要があるのではないかな、と。逆に、昔の「大蔵」ように重要ポストということでなくなった財務相のポジションは、ある意味タダの「憎まれ役」になりやすいポストなのです。谷垣くんを見ればよくわかりますよね(笑)。権力機構の中心的存在であった「大蔵(支配)」というのは、過去のことだろうと思います。相対的に影響力が低下してしまったんですよね。故に、小泉さんの軍師であった竹中さんが就いていたし、その重要性が高まってきたのが、この内閣府の重要ポストだろうと思っています。諮問会議を実質仕切れるのも凄く大きいのですよ。与謝野さんが就いてからだって、かなり幅広く影響力行使ができるようになりましたよね。なので、結構強力ポストだと思っています。


ということで、この3つを重要ポストと考えてみました。


追加です。

④と⑤はやや意外性があると思いますが、安倍政権の命運を占う上では重要ではなかろうかと思い、割と上位に入れてあります。政策目標的には順当ではないかな、と。④は、諮問会議もそうだけど、総合科学技術会議とかの重要会議メンバーだったりするし。高成長率を支えるには必然とも思えるので。

⑤は安倍政権ならではの、防衛・外交部門重視傾向を意味するものと考えています。防衛関係の課題が山積みなので、ここの強化を考えているはずです、きっと。

⑥と⑦はまあ必然かな。官房・財務・外務という、ある意味「内閣の三役」ということで。ありゃ、総務大臣を忘れてたね。この次くらいか、同じくらいかな。総務相も諮問会議メンバーだし、総合科学技術会議もそうだね。地方への影響力が非常に大きいのと、担当範囲が結構広いので、重要ポストだね。実質的には、外務相よりも影響力があるね。これを追加でお願いします。


それ以下は党人事なので重要度は下がるが、郵政民営化法案のような大型の問題が争点になった場合には、大変重要な意味を持つ。国対は民主党との激突に備えて、という意味で意外に重要かな、と。それに中川秀直氏もここから上がってきているので、当然重視されるでしょう。総務会長は、最も派閥に配慮しやすいポスト。伝統的に三役なのだし、聞こえも悪くないから(笑)。でも、実質的な支配力は落ちているのではないかと思う。むしろ、幹事長代理(これも安倍ちゃんの経験したポストだね)とか、総務局長などが隠れた重要ポストかもしれない。


幹事長ポストは、自分よりも重たい人材を配置するのはリスクがある。1対1で必ず自分が勝てる相手でないと、万が一叛旗を翻された時ヤバいことになるので、ここには自分よりも上にいくことがなく裏切らない人物が必要。本格的な実力者を置くと、自分に挑んでこないとも限らないので。

逆に、官房長官には自分よりも「重たい」人材を置くのは問題ない。でも党に睨みは利きにくいので、例えば中川氏とかを置くのはあまり意味がない。中川さんの政調会長は、結構合ってるのかもしれないですね。党内である程度押し切れる人が必要になるので、政調会長はもっと序列が上になるか。4、5番くらいにはいくか、やっぱり。


人事は難しいもんですよね。



消費者金融における個人の負債について

2006年09月21日 02時48分54秒 | 社会全般
今までとは違った視点で考えてみることにする。まず、分かり易い例で、住宅ローンから。


住宅ローンの返済総額は借入金額の約2倍程度になることもザラである。借入元金の金額も大きいし期間も長いが、貸倒率は2%以下だった(ハズ)。借入金利は消費者金融なんかと比べれば相当低い。これは審査が厳しいから、ということもあるが、別な理由もあるのかもしれない。


以前に書いたが(貸金業の上限金利問題~その11(追記後))、風呂オケモデルで言うところの「必須的支出」に該当している為、「削減努力」があまり必要ないだろう。しかも、住宅ローンがない人であっても必ず家賃はかかってしまうので、借入による収支変動の影響は小さくなっていると思われる。仮に、毎月の住宅ローン返済額が5万円で、公営住宅の家賃が3万円かかるとき、実質的に必要となる余分な支払は2万円で、返済負担の実額が収支変動をもたらすわけではない、ということだ。これを将来に渡って続ける時、返済負担から賃貸家賃を引いた差額分と、最終的に不動産が手に入る+減税を受けられる、などのメリットとの比較で住宅投資(=住宅ローン設定)を決定するものと思われる。普通は投資収益率が金利負担額を上回ることが多いのではないだろうか。


それから、住宅ローンの場合には「有担保融資」であることが最も大きな違いではないかと思われる。個人を企業と同様に見立てると、住宅ローンによって大きな長期負債を抱えることになるのは確かなのだが、同時に取得した不動産が資産計上される為、バランスシート上では負債そのものが大きな問題とはなってこないのではないか。たとえ不動産評価額の方が劣化するのが早いとしても、担保価値と負債のバランスで大幅に離れることは少ないかもしれない(バブル崩壊のような時には大幅に劣化したかもしれないが)。故に、貸し手にとってもリスクが軽減される為、貸出金利としては「長期プライムレート+(リスク+保証料)」のような形(実際どうなのか判らないが、概ねこのような感じだと思う)で比較的低い金利が設定可能ということだろう。中には、2番抵当や3番抵当などが付いていることも有り得るが(担保設定があっても、どの程度回収可能かは微妙?な場合がある)、バブル期ならいざしらず投機的リスク選択はあまり行われていないのではないか。これは貸し手がそのような選択をする、ということだろう。まあ普通は、保証協会もあるので、ほぼ安全な貸出先ということだろう。


これを喩えてみれば、次のようなことではないか。

1)住宅ローンの場合

①住宅投資事業(=住宅購入)を予定
②資金調達のための債券を発行
③発行体は住宅購入予定の個人
④標準的な期間や表面利率は大体決まっている
(旧住宅金融公庫のように利率が明示されるので)
⑤担保や保証がある
⑥ある水準のリスクに達すると調達総額が抑制される
⑦更にリスクが高いと債券そのものに買い手が付かない
⑧通常短期債のような頻繁な借り換え必要性はなく、長期債の性質に近い
(変動金利とかの場合にはちょっと事情が異なるかもしれないが)

ざっと、このような感じであろうか。


実際は元利均等返済の場合、最初の頃は利払いが主体であるし、債券のように一気に償還というのとはちょっと異なるが、概ね似ていると思う。特に、④のような「標準的条件」が公的機関によって明らかにされている場合、発行体にとっては債券を買い叩かれずに済むということになる。債券の買い手(通常は金融機関など)が一方的に条件を決めたりはできない、ということでもある。これによって、交渉力の差が改善されていると思われる。


また、リスクの高さは「金利水準」で直接的な調整を受けず、調達総額が減額される(=買い手が付かず、発行予定額が消化できない)か、事業そのものを着手不可能にさせることでデフォルト確率が抑制される。審査時には、発行体の情報(年収、その他資産や他の借入状況等)がある程度開示され、買い手や保証機関にもそれが判るようになっている。これらの結果、住宅投資事業の資金調達という債券においてはデフォルトが少なくなっており、投資対象評価としての格付と同じように機能しているとも言える。リスクが高いと判断されれば、着手以前に債券発行が停止される、という予防効果が存在するということだ。



次に、貸金業などの個人無担保融資を考えてみる。

住宅ローンと同じように、個人が債券を発行して資金調達を予定すると仮定する。

2)消費者金融の無担保融資の場合

①借入する個人がジャンク債の発行体
②無担保、無保証
③債券発行で資金調達しても、資産に計上されるものがない?
④標準的な金利水準は不明であることが多い
(大抵買い手が有利に決めることができる)
⑤調達総額の抑制水準は不明
⑥買い手が付かなくなる水準は不明
⑦短期債に近く、頻繁に発行する発行体が存在する
⑧発行体の情報は、どの買い手にも平等に見える訳ではない


無担保・無保証の為デフォルト率は高く、言うなればジャンク債のようなものである。標準的な利回り水準は不明なことが多く、発行体自身には「誰に、どの程度」債券を売ればいいのかが正確には判りにくい。通常このジャンク債の買い手は金融機関、クレジット会社や貸金業者などがいるが、表面利率を固定してあるとしても実質利回りは高くなっている。つまりは、債券価格は驚くほど安くなっており、調達資金の為に「どうしても売り切りたい」という発行体の事情もあって、乱発を余儀なくされる。大体が買い手優位な取引であり、発行体の交渉力は買い手に比して極めて弱く、リスクの高いジャンク債ゆえの「買い手優位性」なのである。結果的に、この優越的地位を利用した「買い叩き」が横行することになる。そもそも投資対象として不適格なのではないか、という水準にまで債券価格が下落しているとしても、これを強制的に「償還」させられる自信のある買い手が存在しているので、買い手が付いてしまうのである。買い手の中には、こうした投機的取引を積極的に行っているものがいるのである。


割と優良な買い手には、発行体の情報が見えていないことがしばしば起こる。例えば、銀行のような民間金融機関には情報開示が拒否されるので、ひとたび貸金業者という買い手が付くと、ジャンク債を追加発行する際には、どうしても同じ業種の買い手が付いてしまいがちである。短期債がほとんどの為、以前の中南米諸国の国債同様に「借換」を頻回に行わねばならない発行体も少なくないのである。これもまた、ジャンク債の「買い手優位性」を助長しているかもしれない。ジャンク債の投資リスクを抑制しようとする優良な買い手にとっては、発行体の情報が見えない為に、この市場には参加しにくくなっているのである。買い手の平等なアクセスは制限されていると考えられる。このことが、貸金業者に有利な「買い叩き」に繋がっている可能性がある。


ジャンク債の利回りが30%とか40%、あるいはそれ以上であっても、何故か必ず「買う」連中がいると考えられている(単なる予想?か期待?に過ぎないと思うだが)為に、異常な安値水準であるにも関わらず暴落したり買い手が付かなくなったりすることは少ない。償還させられる方法か裏技を知っているとしか考えられないのである。ジャンク債の平均利回りは、貸金業が買い手である場合、20%を優に超える水準なのであり、信用リスクに問題があると考えられている発行体ばかりなのであれば、このような平均利回りでの投資行動は長期的には失敗するとしか思えないのである。正常な市場として機能しているとは到底考えられないのである。



住宅ローンと異なるのは、無担保・無保証であることは当然なのだが、もっと奇妙なことがある。個人のバランスシート上では、負債は明らかに増加するのだが、資産に何か増えるかと言えば、特にはないのである。これが企業の事業活動のようなものであれば、負債を増加させたとしても、それを上回る収益を達成して回収できればそれで済む。ところが、個人の借入の場合には、そうもいかない。単に生活費として消えてしまったりするからである。増加した負債を使って新たな投資を行い、その成果によって負債分を回収する、ということは殆どが困難なのである。ただ単に、個人のバランスシート上で負債が計上されていくだけなのである。

考え方を変えてみて、「個人の能力」とかの「無形資産」が増加しているかもしれない、と考えることにする。その場合、増加した借金の投資効果によって、個人の将来現金の獲得能力が向上し、返済負担分の収入を得るべき、ということになる。それはどの程度実現可能なのであろうか?そのような投資事業は、どの程度のリスクで成立するのであろうか?普通個人の給料などの収入が年率で数十%も上昇することは少ないであろう。

それとも、発行体のリストラ効果によって、将来時点で売却(=ジャンク債償還)可能な資産を生み出すだろうか?具体的に言えば、個人の節約能力向上のようなものだ。現在資産に計上されている部分で、例えば支払予定の子どもの授業料とか。この支払を停止する(=リストラみたいなもの?)ということが資産売却と同じ効果を持ち、債券の償還や利払い費を捻出するということなのだろうか。

もしも資産に変化がない場合、ジャンク債の乱発によって負債が膨れ上がって行けば、自己資本が大きく毀損されている、とも考えられる。では、自己資本とは何か?発行体の自分自身(場合によっては生命)であるかもしれない。それとも、その人の持っている能力(収益力)かもしれないし、約束を守る能力とか、個人の尊厳であるとか、家族・親戚・友人等の人的繋がりであるとか、そういうものかもしれない。或いは、元々持っていた土地などの不動産なのかもしれない。そういう自己資本を喰い尽くすまでは、ジャンク債の買い手が付くとも考えられる。自己資本や資産の評価において、特殊な手法を用いるからこそ、それが可能になるということなのではないか。従来の方法で言えば、発行体本人ばかりでなく親兄弟・親戚なども含め、所有する不動産や金融資産等がある、連帯保証に引きずり込める人間がいる、といったようなことだ。そして自殺といったことも当然含まれる。究極の自己資本比率ゼロ化が、自殺だろう。

これが果たして買い手の正常な投資行動なのか?
本当に公正な取引になっているのか?
甚だ疑問だと思うが。


とりあえず「ジャンク債取引市場」というのを想定してみた時の問題点として

a)買い手の平等な参加を阻む情報非開示
b)取引ルールが不明瞭
c)優越的地位を利用した「買い叩き」
d)追加発行の乱発を誘発
e)債券価格が適正なシグナルとなっていない
f)バランスシート評価が不適切
g)債券発行額に比べ過少な自己資本
h)ULが過大な投機的取引の横行

こういったことが挙げられるのではないか。これまでの市場に任せておくだけでは、公正な取引は達成されなかったと言えよう。市場規律が機能するように促すこと、取引ルールを明確にしていくこと、発行体にも買い手にも平等に参加できるようにすること、これらが行政の介入理由となるだろう。



小泉総理に拍手を

2006年09月20日 12時55分27秒 | 政治って?
ノートパソコンの異常発生によって、暫くネットにもアクセスできず、いつの間にか日にちが進んでしまいました。対処のアドバイスを下さった方もおられましたが、見ることもできずにおりました(笑)。お礼を申し上げたいと思いますが、アクセスできない時にはそれすらも見れないのだな、ということを知りました。とりあえず復旧しましたが、またダウンしてしまうかもしれず、気がかりではあります。


よく見れば、本日は総裁選です。本日は新政権の誕生の話題で持ちきりでしょう。明日には新政権への注文がズラリと並ぶことになると思います。それは後ほど考えたいと思います。



小泉総理が誕生して5年、ここ最近では過去の総括なども多く出されたと思いますが、評価としては「いいことは少なかった」が「悪いことは多かった」というところではないかと思います。これは私の実感としても、その通りだと思います。「いいことなんて、ちっともなかったよ」というのが大衆から見た評価であり、これは世の常であろうとも思えます(笑)。もっと後の歴史家の評価を待つことになるでしょう。


今の率直な心境を述べると、小泉総理には心の底から「ご苦労様でした」と直接申し上げたいですね(笑)。きっと、ひと時も「心の休まる暇」などなかったことでしょう。一国を預かる身としては、「国のこと」「国民のこと」が片時も頭を離れることはなかったことでしょう。時には、「なぜオレがこんなことを言われねばならんのだ」「なぜみんなはもっとわかってくれないんだ」「もう投げ出すぞ」という反駁さえも心のどこかに生じていたかもしれません。それでも、「ここで放り出すわけにはいかない」「私にはその責任がある」「私がやらねば誰がやる」というような固い決意と、総理大臣としての覚悟によって、ここまで国を引っ張ってきたのでしょう。自らの心の揺れや苦悩する姿を、決して他人に見せないようにすることもまた、計り知れない苦痛を伴うものであったことでしょう。


どんな集団であっても、そのリーダーとなり、切り盛りしていくことは大変です。普通の家庭でも、企業でもそうですよね。一家を預かる身、従業員1万人を預かる身、その立場になれば、困難は多々あるのが当然です。これが、一国、1億2千万人以上ともなれば、それはそれは大変なことに違いないのです。
「あなたがやってごらんなさい」
そう思っています。悪い部分を指摘することは、一般的に得意なことが多いと思います。では、ご自分でやってみてごらんなさいな、と言われたら、批判していた割にはうまくできないものなのです。そういうものかな、と思っています。勿論、もっとこうしたらいいよ、ということは大事です。悪い所を教えてあげることも必要です。そうでなければ進歩がないですものね。でも、できれば「自分がその立場になったらどうするか」という視点で見ていくといいのではないかな、と思っています。


日常生活でも、「いいこと」というのは「悪いこと」や「苦労すること」に比べると少ないものです。毎日が日曜日でもありませんし(笑、たとえが変かな)。実際に従業員100万人の企業経営者になったとしたら、「大きな失敗をしないこと」すら大変なことなのであり、「素晴らしくうまくいった」とか「賞賛に値する成果を挙げた」なんてことは、せいぜい多くても一つか二つ程度しかないものなのです。そのような評価があるだけでも、「いい方」なのかもしれません。文句を言うのは容易いのです。しかし、良かったことを褒めることも、労いの言葉を必要とすることも、私たちと何ら違いなどありません。政治家といえども、一人の人間なのですから。


私の考える小泉総理の最大の功績は、「国民が主役なのだ」ということを思い出させてくれたことです。そして、責任は「国民にある」ということもです。政治を国民の側に引き寄せたこと、これこそ、最も評価されるべき点ではないかと思っています。従来は、国民のエージェントとして政治家や官僚たちなどが政治を担当していたのですが、国民が「よく見てない」ことをいいことに、良からぬことを繰り返し、国民の信頼を踏みにじり、政治への失望と無関心をもたらしたのです。それが、過去の政治でした。

ところが、小泉総理はそのような政治手法を覆し、国民に意思表示の機会を与え、今まで隠されてきた情報をオープンにしていきました。元々は国民の為に存在するべきエージェントたちは、いつしか「勝手に」物事をすすめ、多くの国民が望みもしていなかったことをやってきたのだ、ということを知らしめたのです。まさに国民のモニタリングが全く届かなかった部分の情報を、責任主体である国民の下に届けてくれたのです。こうして国民は新たな統治スタイルを手に入れることができました。今まで成し得てこなかった、日本の民主政治の成熟に繋がる変革であったと思います。


もう一つ重要なことは、以前に比べると行政の情報が得やすくなったことによって、政策決定プロセスにも国民が参加できる余地が生まれ、「政治的闘争」のコストが大幅に下がったのかもしれません。昔のような安保闘争とかのようなコストがかからなくなってきた、ということです。これも、インターネットの効果の一部なのかもしれませんね。有識者会議レベルの議事録までもが、これほどネット上で取り上げられるようになるとは思ってもいなかったことでしょう。議員の委員会発言なども簡単に「晒される」ようになって(笑)、間接的に国民のモニタリングが強化されたように思えます。



国を代表する宰相を選んだのは、私たち国民なのであり、その結果責任は国民も等分に背負うべきです。また、そういうシステムなのです。最後になっても、「批判の雨あられ」しか残されていないとしたら、自らの不明と愚考を呪うべきです。他の選択をしなかった、或いは他の道を示せなかった自らの力量不足をこそ、心に刻むべきです。


ここまでの5年間で、良い点、悪い点、次への課題、等々色々あるでしょう。
それはそれとして、小泉総理には、心の底から感謝しています。


本当にお疲れ様でした。そして、有難うございました。