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朝霞国家公務員宿舎建設中止で財務省はいくら払ったか?

2012年03月31日 19時02分52秒 | おかしいぞ
事業仕分けの際、建設中止をするとキャンセル料が約60億円にもなる、ということなのかと勘違いしていたが、どうやらそれは間違っていました。お詫びして訂正致します。

テレビでよくありがちな「切り取り」で、質問と答えが一致したものではなかったようだ。
枝野さんが「キャンセル料がいくらか」と尋ねた後で財務省官僚が「約60億円」と答えた場面が流れていたのだが、繋ぎ合わされた結果でしかなかった。
「数十億円にもなる場合がある」というような曖昧な答えを行った直後に、土地売却額が直近の評価でざっと「60億円」と答えたものだった。建設費約105億円と土地代60億円、及びキャンセル料の比較であったものだが、これらが混同されていたようである。

が、60億円は否定的であったものの、その後に損害賠償の想定額が40億円というような報道のされ方があったようである。

>http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201110030097.html

野田佳彦首相が凍結を指示した埼玉県朝霞市の国家公務員宿舎の建設事業(建設費105億円)を中止した場合、政府が関係業者に支払う損害賠償金が最大40億円規模に上る見通しであることが3日、分かった。政府関係者が明らかにした。朝霞宿舎は9月1日に着工。業者は既に資材調達や人員の雇用を進めており、中止でなく凍結でも一定の賠償責任が発生する見込み。政府は今後、業者側と折衝を進める。

これは本当なのだろうか?
実際には、いくら払ったのだろう?

この報道を調べていたら、別な件を発見しました。
それは、防衛省の建設した公務員住宅でアドバイザリー契約でPwC系の会社の名前が浮上していたのですが、それに関連するのかどうか。

参考記事:
>http://d.hatena.ne.jp/trapds/20111002/1317545654
>http://d.hatena.ne.jp/trapds/20111004/1317706780


これとは別に、財務省でも金を払っていたみたいなんですね。
関東財務局が。
平成22年3月8日に契約し、支出期間は同月末まで、であった。
しかも一般競争入札で、だ。これだけの短い期間で、何がそんなに金を払うのか分からんけど、プライスウォーターハウスクーパース株式会社に1449万円支払っていた。「事業凍結分のアドバイザリー業務」分だそうです。
ワケが判らん。

どうして払うのか問われて、次のように答えている。

事業凍結中でも機材のリース代や維持管理費等は毎月発生してくるため、凍結期間中に事業者が支払った維持管理費用の査定・検証のほか、今後事業を再開すると決定した場合の変更契約書の作成支援や、事業を解除すると決定した場合の違約金や損害賠償額の算定支援なども契約に含まれている。

PwCが業務をやったのかというと、必ずしもそうでもなくて、

契約者は、建設コンサルタントに関する知識を十分有していないため、下請けに出しているが、PFIのアドバイザリー業務に関して多くの契約実績がある。

ということで、知識を十分有してないのに受注しており、要するに下請けに発注したということらしい。違約金含む、で、こんなにぼったくったということなのかな?

成果が何かあるのかというと、何ら形が残ってない、ということらしいですぜ。

契約者は、維持管理費用など事業者が請求してきた金額について領収書等を基に細かく査定・検証し、その査定結果を成果物として当局に提出することになる。

だそうです。
オイオイ、違約金だの損害賠償金だのの計算をしてもらったんじゃないのですか?

その為に、建設の専門知識を欠く(笑)にも関わらず、受注したんじゃないのですかな?あいや、欠くのではなく、乏しい、でしたか。すまんすまん。

意味ないね。凍結事案が解約とか中止とか、そういうことになったらいくらかかるかを算定してもらうよう支援、とか言っておきながら、その結果が出せないなんてことがあると思いますかね?(爆)

まあいい。
何が言いたいかというと、凍結になって、その為に発生する費用が、案外と少ないですね、ということなんだわ。
大雑把に1500万円くらいの金しかかかってなかったものが、いきなり40億円との開きともなれば、そりゃあ、どう見たって「怪しいんじゃないの?」ということになるわけですわ。

この「最大で40億円」という報道は建設中止が出された当時に、広く報道されていたみたいですから、財務省が脅かしで過大な数字を出してきたのかどうかの検証を行うべきだろうね。
財務省が答えないのなら、PwCに聞くか、大林組に確認するといいと思いますよ。

因みに、PwCが1449万円を貰った後でも、大林組には「ビタ一文入ってない」ということらしいですぜ。

プライスウォーターハウスクーパース(長い…)株式会社が契約したのが2010(平成22)年3月8日、支払実行期日が3月31日までのいつか、でした。
ところが、2011年の大震災後にも関わらず朝霞の工事開始を進めていた財務省が、朝霞市で地元の説明会を開いていたみたいなんですよ。
2011(平成23)年8月21日に行われた説明会では、朝霞市当局、財務省、大林組が参加していたようなんですね。

>http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2011/08/821-3422.html

この場で、大林組の担当者が違約金の請求に関して、(事業仕分けで)何十億円も、という話が出てたことを質されて、「一文ももらってない」と激昂したみたいなんですよ。
これが真実ではなかったのか、それとも真実ということであると大林組にはビタ一文たりとも入ってないのに、アドバイザリーのPwCがピンハネでもしていたんですかね、というようなことなんですわ。PwCが契約で金を受けた理由として、関東財務局が答えたのは、「凍結期間中でも事業者の費用がかかる」ということだったわけです。落札したのが大林組なのに、そこには金が入らず、PwCだけに入った、ということですかな?(笑)
変ですねえ。
しかも、中止した場合の費用算定の根拠を積算したのではなかったのですかね?

これが報道ベースで明らかにされたのが、10月以降、でしたね。何故、野田総理の現地視察前に、その数字を挙げなかったんですかね?
国会で野田総理が「変更する予定はない」と断言して答弁していた当時に、そういう「中止したら、こんなに費用がかかるんだ、だから継続しなけりゃならないんだ」という主張の根拠とできる上、実際の数字を挙げるのだから信憑性も高まるではありませんか。どうして、その調査結果を出してこなかったのでしょう?


当方の陰謀論的見方からすると、PwCはチョロっと「ウマい汁」にありつきたくて、年度末にある予算消化しろ的微妙な事案を落札しちゃって、少額でもゲットした、と(実際には、人的コネか何かの繋がりですかな?笑、一般競争入札だもんね、なんたって)。
けど、仕事なんて言っても都合のいい代物だったようなものでは?
成果物もこれといってなく、算定した損害賠償の数字なんかも出せてなかった、と。

で、後にこっそり再開させていたのがバレて、野田総理の2転3転の挙句、中止になったわけだが、その際に「最大で40億円」という説が流布された、と。

凍結だと大林組には一文も入らず、PwCに1449万円が入っただけ。
で、中止となると、40億円もかかると?
地面を掘ったからかな?
あんな短期間の工期で、そんなにぼったくるんですかな?


損失額は確定しているはずなので、まず財務省はその数字を明らかにして下さい。教えないなら、共産党か社民党あたりが質問主意書とか国会で尋ねるといいですよ。で、40億円が妥当だったかどうか、それとも、PwCに払った1449万円くらいと比べた方がいいのか、そういうことを明らかにするといいですよ。


PwCもケツに火がつくと、オリンパス事件とかで延焼を封じ込めたりできたかもしれませんが、現時点だとネタが持ってないかもしれないので、一緒に延焼に巻き込まれてくれると有難いですね。財務省と炎上するといいかもしれません。


まあ、自分勝手に再開した、野田総理と財務官僚が責任をもって「自己責任の原則」で損害賠償金を払ってくれるといいのではないかと思います。


それから、財務省の奴らの小賢しいマネをしてるのが笑える。


>http://www.mof.go.jp/national_property/councils/pre/


これね、前にリンク先がないじゃないかとブログに書いた(上記参考記事の最初の方)ら、後出しで作ったみたいなんですよ。

>http://www.mof.go.jp/national_property/topics/index.html

ここからは入れないでしょ?


けど、どこから入れるか、謎のまま(笑)。つまりは、アリバイ作り、ということでしょうな。「ホラ、ここにあるじゃないか、前からあったんだよ」的な。
でもね、”審議会・研究会等”という項目には、どこにも出てこないんだよ。リンクされてない、ってことさ。
わざと、探せないように作ってある、ということ。

誤魔化す為に、だな。


ホント、シロアリのクズどもってのは、頭の使い方が確かに全然違うわ。
だてに勉強してきてない、ってことだろうね。
どうやって騙すか、誤魔化すか、失敗を失敗と見咎められないようにするか、言い訳可能な手法を編み出すか、そういうような方向に能力を使って、ムダにしてるんだろうね、きっと。

だからこそ、バカよりも、もっとタチが悪いのさ。




腐った司法~倫理なき最高裁

2012年03月30日 17時45分45秒 | おかしいぞ
日本の司法の親玉は、最高裁だ。

医師には「高い倫理」を要求するのが最高裁の常套手段のようだが、自らの不正や疑惑には、「臭いものに蓋」で素知らぬふりを決め込むということらしい。

まさしく、悪の巣窟。
腐れ司法の親玉だ。


大阪地検特捜部の元部長と副部長の事件で有罪判決が下ったようだが、あんなものは単なる「トカゲのしっぽ切り」でしかないであろう。可哀想な人身御供みたいなものだ。

生贄は有罪として断罪されたように見せかけ、これで「検察の粛清は行われた、組織浄化・改革が行われた」という口実にしたいというだけであろう。実際には、何らも変わってなどいないであろうがな。


真の巨悪は、未だ健在だ。
腐れ司法を支えるシステムも、それを担ってきた腐れ外道の連中も、未だにのうのうと権力の座に居座り続けているのだよ。

それが証拠に、東京新聞の出した記事には、どこも無反応だったろう?

>http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2012032602000046.html


マスコミなんて言っても、所詮は大半が同じ穴の狢でしかない、といううことだろうね。


最高裁が怖いか?
そりゃあ、怖いわな。

最高裁事務総局が恐ろしくないわけがない。
奴らは、システムに隠れて権力を保持しているからな。表舞台には登場せずに、悪のシステムを支えているのだから。


全然知らなかったが、週刊誌がもっと前から追及していたようだ。

>http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/199.html

これでも、東京新聞以外の大マスコミは沈黙を貫き、どこも取材に行ったりしてないのか?

本当に、おわっとるな。

司法も、マスコミも、談合システムみたいなものが出来上がっている、というようなもんだわ。検察・法務の権力がこれにガッチリ食いこんでいるから、誰にも斃せない、真の巨悪を生み出しているのさ。


最高裁も、マスコミも、これでも恥じない、ということなんだと。
そういう奴らが、倫理だとか正義だのといった言葉を口にするかと思うと、心底虫酸が走る。


検察審査会事務局の疑惑というのは、ずっと前からだったろう?
しつこく何度も言ったよな?

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/38caab8842816ef78938a7be10ae108a

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3da38419d0cd2052c946fa28d0b72bd0



2010年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9b6690986e9830d3d593892573c168f2

(再掲)

いいなあ、日本の最高裁ってのは。
出鱈目や捏造やウソなんかであっても、それが通じるシステムになっているからな。
それでいて、ヤツラときたら、何食わぬ顔で正義を騙るわけだ。
恥知らずどもにとっては何てことない、まるで平気なんだとよ(笑)。

裁判官が全権を握っているわけではないのかもしれないが、一員なのだろ?
最高裁長官とか、最高裁の事務総局とか、組織がどうなってるかは知らんが、少なくとも裁判所事務官なんかの指揮権は最高裁にあるわけだろう?
何故、記者会見で発表ができない?
何故、説明すら、一度もできない?
どう考えたって、おかしいだろ?
裁判官どもは、誰一人、疑問に感じることがないのか?
他の法曹でもいいぞ?

裁判所の奴らが、本気で性根の腐った人間だったとは、恐れ入る。



最高裁よ、再び問う。
あなた方は、倫理だの、正義だのを語る資格などあるか?

東京第五検察審査会の疑惑について、一切明らかにできないことが説明できるか?

本当に、日本の裁判官たちというのは、こうした事態に何らの疑問も感じないのか?

最高裁事務総局で行われていることが、真っ黒であるとしても、それは放置すべきことだと思うのか?


真の巨悪は、枕を高くして寝てるじゃないの。

どんなに頑張って週刊誌などが報じようとも、東京新聞が足がかりを作ろうとも、腐れ司法の権力サークルはびくともしない、ということなんだろう。


大阪地検特捜部が討たれたところで、日本の腐れ司法など何ら変わらんということなんだよ。

法を悪用し、誰かを陥れる為の「便利な道具」として使い続けること、これを権力サークルの維持に使うこと、そういうことを実行する連中が司法とやらを司っているということさ。



亀井静香代表を支持する~消費税増税は詐欺的行為

2012年03月29日 20時53分34秒 | 政治って?
政治家たるもの、自身の言葉、約束に責任を持つべきである。
どうしても変更せざるを得ないのであれば、「党内や政治家」を説得する前に、まず有権者・国民に説明すべきである。


そうしたことが全くなされていないままで、猪突猛進の如く増税一直線というのは、詐欺も同然である。

「やらない」と言って、それで集票して政権の座に就いておきながら、権力を手にした途端にやっぱり前言を翻すなんぞペテンではないか。


>http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120329/k10014061441000.html

亀井さんの言う通り、増税なんか認められるわけがなかろうて。


そもそも増税するには、条件がある。
それをクリアしたならば、行ってもいい。
しかし、その資格は民主党政権にはなかった。


いい例が、朝霞公務員宿舎だろうに。

少なくとも、財務省のロボットと化して、ドサクサに紛れてハンコを押すような野田総理(当時は財務大臣)なんぞに、増税を語る資格などない。

財務省よ、或いは、野田総理よ、あんたらは朝霞公務員宿舎建設を止めたら「60億円くらい払うことになる」とか言ってたよなあ?
だから、今更中止なんかできない、と。

あれは結局どうした?
いくら払ったんだ?

余計なことをして、凍結されていたものを再度動かして、その後にやっぱり中止となって、財務省のクソどもが60億円も業者に払ったのか?

そういう損失を野田総理と財務省官僚で穴埋めしてから、「増税したい」とぬかせ。
いくら払ったの?

本当に60億円も払ったんですか?
それとも、ウソ八百の、出鱈目ですかな?

自分たちの正当性を主張せんが為には、あることないこと、出まかせだろうと何だろうと言うような官僚揃いということですかな?


こういうことを野田と財務省官僚でコッソリやっていたような連中なのに、お前らみたいな奴らが言う「国の台所は苦しくて困っています」なんていう言葉を信じることができると思うか?


まずやるべきは、財政規律を取り戻すことである。
財務省の目論見は、民主党政権下で放漫財政を続けて、財政赤字額を大幅に積み上げれば、増税に踏み切れるとしたものであろう。赤字なのは、収入が少ないからだ、消費税が少ないからだ、とな。

だが、その陰では、官僚サイドの「金を流し込みたい部門」に意図的に金を持っていき、それらの多くは天下り先を温存しておかんが為のものだったんじゃないのか。裏でそういうことをやってるような連中の為に、増税なんか認められんよ。


◎一般会計決算

 年度 歳入  歳出
  05 89.0  85.5
  06 84.4  81.4
  07 84.5  81.8
  08 89.2  84.7
  09 107.1  101.0
  10 100.5  95.3
     (単位 兆円)


リーマンショックに伴う補正予算で増額はあったものの、その特殊要因を除けば90兆円を超えるような予算にはなっていなかった。民主党政権が17兆円弱の「ムダ削減」と言って財源を捻出する、だから公約は全て実行できる、と謳ったのではなかったか。

つまり、まず行うべきは民主党政権の放漫財政、霞が関のシロアリ(笑)への資金供給といった部分を削減し、財政規律の主導権を国民の側に引き戻すことである。

ヤラセみたいな「事業仕分け」なんぞ、屁の役にも立ってなかった、ということなんだわ。
実際には官僚たちがほくそ笑みながら「自分たちの天下り先」に資金を流して込んで貯め込めるうちに貯め込んでおけとばかりに、放漫財政を極度に悪化させた、ということなんですよ。

社会保障の自然増なんて、10兆円も20兆円もあったか?
そんなのは、ただのウソっぱち。
本当は、霞が関のシロアリどもが好きな所に資金配分を行っており、不用不急の部分にまで金を流し込んでいただけ。
それが証拠に、朝霞公務員宿舎の建設を開始したであろう?(笑)


基礎年金の国庫負担2分の1引き上げ分なんて、10兆円も行くか?オイ。
出鱈目抜かすんじゃねーぞ。

本当はムダ経費削減分からだけでも捻出可能な額かもしれんわな。
実際、事業仕分けの時にかき集めた資金量が2~3兆円くらいに行っていたように思うから。

けど、シロアリどもがまず好きなだけ食って、それで「まだ足りない」と言うわけだが、その理由というのが「社会保障自然増だ、基礎年金国庫負担分だ」などと嘯く、ということなのだよ。


今の民主党政権に必要なのは、財政規律を取り戻すこと、これができて初めて増税を言う資格が発生するものと思え。

本当に質素倹約に努め、ムダを省いて見せた時、「国民も納得して協力してゆきましょう」という声が出てくるというものだ。


まずは、90兆円ラインを設定し、そこまで戻せ。
自民党政権下では、楽々達成していた水準だ。

できないとは言わせんぞ?

増税など百万年早いわ。


まず、財務省及び野田総理で、朝霞公務員宿舎の違約金等損失額を公表し、自己責任において損失穴埋めをやってみせろ。それができたら、増税プランに耳を貸してあげてもよい。60億円なら60億円を、自らの懐の金を出せ。

これくらいは当然の後始末だよな?
国民サイドも国会も止めさせたにも関わらず、シロアリどもが好き勝手にコッソリ工事再開で着工させたんだから、弁償してから収入が足りませんと言ってこい、って話なんだよ。



苦学生と教育者たち

2012年03月28日 08時22分43秒 | 教育問題
現代でもありがちなテーマであり、最近でも教育改革がどうこうとか言われたりするが、本当に大事なことが忘れ去られているのではないかと危惧する。

先日、たまたま古本屋で発見した面白い本があった。
昭和32年発行の『苦学生』という本だった。サブタイトルに、『試験苦、生活苦、恋愛苦を克服せよ!!』とあり、今も昔も変わらないのだなと思い、手に取ったのだった。


その巻頭に、中央大学総長の林頼三郎法学博士の「推薦のことば」が書かれていた。以下に、その一部を紹介したい。


=======

 綾部健太郎さん宅に、毎朝、新聞紙を配達をする可憐な少年があった。綾部さんはある朝、その少年の身の上を聞いたところ、家は農家で、父は教育者であり、十人兄弟の五男であるため、家からの学資を得ることが出来ず、新聞配達をして、中央大学法学部に通っているとのことであった。綾部さんはそこで、痛く同情し、生来の親切心から、なにくれとなく目をかけてやり、大いに激励した。この少年もまた、余暇の寸陰を惜しんで、非常に勉強したのであるが、何分、労働のために疲れもするし、勉強の時間も少ないので、思うようにいかなかった。ところがちょうど、大切な試験に際会した時、綾部さんはその少年の、辞退するにもかかわらず、試験前より試験中にわたって、自ら少年の代わりに、新聞配達をし、少年をして専心、勉強せしめたのである。その後この少年は、綾部さんの親切心に泣いて感激し、飽く迄も労働をつづけながら、死にもの狂いで、日に夜についで勉強し、在学中、高等文官行政科試験に合格、卒業と同時に司法科試験にも、見事パスした。

 綾部さんは間もなく、実業界より政界にはいり、代議士となり、大いに活躍を続けたが、この少年も、また、綾部さんの後を追い、弁護士より若干三十五才で代議士となり、国務大臣秘書官を経て、文部参与官となった。


========


田舎から出てきた苦労人の新聞配達少年に、見ず知らずの人が支援するという昔ながらの「暑苦しい人間関係」ということなのだが、驚くべきは試験勉強の為に、自らが配達を代わって行うという現代では殆ど考えられないようなことがあったのである。

教育とは、何なのか、若者を立派な大人にするのは、周囲にいる大人の支えと導きであって、若い者が役に立たない云々といった不満などは大人の責任ではないのかといったようなことがある。


この可憐な少年こそが、本書の著者である伊藤五郎という人であった。
後に、「大日本育英会」創設に尽力した人である。艱難辛苦の経験があればこそ、経済力のない学生にも、勉学を、教育を、と願った結果なのである。

私達は、こうした先人の思いを忘れてしまっているのではないか。


他にも、戦中ゆえに、軍部から私学は学部を廃止して専門学校に格下げせよ、というお達しが出されようとした時、大反対をしてこれを阻止したのだ。戦争中であるというのに、学問どころではない(非国民、などと罵られるようなこと、だったのでしょう)、という無謀な意見が軍部の言い分であり、閣議を通ってしまったらしいのである。これを心ある議員たちが撤回を求めて運動を行った結果、阻止できたとのことだ。


昨日あたりには、経済同友会が私学の「理事会権限を強化せよ」というような「経営者的視点」を持ち込もうと画策しているかのようであるが、自由な精神が私学の根本であるなら、危険な動きと見るべきであろう。


兎にも角にも、本書は、非常に面白いです。
昔も今も、学生さんたちの苦悩は似ているな、と。



量的緩和策の政策効果

2012年03月27日 19時20分36秒 | 経済関連
興味深い意見が出されていたので、ちょっと書いておく。

>http://www.anlyznews.com/2012/03/blog-post_8799.html

当方の印象としては、量的緩和策のほぼ全否定と言ってもいいくらいに手厳しい意見が出されているな、と。
気持ちは分からないではないが(当方の過去の主張でも、効果が乏しかったかもしれない、と記事に書いたりしてきたので)、断定に過ぎるきらいがあるようにも思われる。

最も気になる点としては、2つの論文の内容を紹介しているのか、自分自身の意見なのかの区別がつきづらくなっている点である。自分の主張点の補強として用いたいのなら、それを明らかになるように書いた方がよいと思われた。論文の中で「言ってないこと」であるのに、あたかも「そう言っているor(論文の)結果から導き出せる」かのような記述及び主張がしつこく書かれているように思う。論文の紹介としては、邪道な感じがする。


論文の統計分析の手法について、その妥当性を当方には判断できないので何とも言えない。その他の部分で気になった記述を取り上げてみる。


3の『マネタリーベースが増えたら、金利が下がるはずだ。』という断定があるが、これが機械的に成立する話なのかどうかという疑問がある。
そもそも、中央銀行といえども、通常の政策金利変更くらいでは「長期金利」を意のままにコントロールできるわけでもないはずで、5,7,10年物というのであれば所謂「中長期金利」ということで、短期金利の変動とは若干異なるかもしれないと考えることもあり得るのでは。
短期的に量的緩和策実施後に中長期金利の低下という現象が観察されていたのなら、「マネタリーベースが増加した後に金利が低下した」ということは言えなくもない(*1)はずである。例えば英米における08年以降のマネタリーベース増加期間を見れば、中長期金利低下が観察されるかもしれない。その場合、「マネタリーベースを増加させると金利が低下する」と言い切ることにするのであろうか。
(*1):確か03年初頭頃に、10年債指標金利が0.5%台をつけるまで金利低下した時があったように記憶している。実際の数字は全てにおいて確認してない。

逆に、経済成長の好調な期間で、”マネタリーベースが増加している”のに金利が上昇しているケース(国、中央銀行)はあるはずだろう。この論者の言う、『マネタリーベースが増えたら、金利が下がるはずだ。』の法則が一律に成立するのか、という疑問があるわけである。
一般則ではないものを当然の法則のように扱い、それが起こっていなかったことをもって政策効果がない、という判定を下すのは、不適切であるように思う。

それと、ある時点から見て将来の金利が上昇するということであると、それはゼロ金利からの脱出を窺わせることかもしれない、ということがある。以前にも取り上げたことがあるが、スヴェンソン提案のモデルにおいても、デフレからの脱却前から「金利上昇」が起こってしまう、というのがあったわけである。あくまでモデルの中での話なので現実世界ではどうなのかというのは判らないが、考え方としては「デフレ脱却」とか「ゼロ金利制約からの脱出」(=金利上昇ということだ)を目指す政策であるなら、それが起こるというのであれば「政策効果が期待できるのではないか」と言えるのではないのかな、と。つまり、将来時点での金利上昇が期待(予想)されている、という点において、それが達成されるならゼロ金利からの脱出を意味するのではないかということである。

2002年4月時点で2012年4月の金利が、依然としてゼロ金利が継続している、などという予想をできた人はほぼ皆無に等しかったのではないか。まさか日本がそこまでデフレを継続しているなどという愚かなことをやっているとは、予想だにできなかったはずということである。むしろ「今ゼロ金利なのだから、数年後には何%かになっているに違いない」という予想をする人の方が、多かったであろうということである。そうした淡い期待は、悉く裏切られてきたわけであるが。


次に行こう。
2つ目の3の、『マネタリーベースが増えたら、融資が拡大するはずだ。』という記述があるが、これも当然の法則でも何でもないはずなのに、断定されている。
本当にそうなのだろうか?
融資拡大は日本では起こらなかった、というのは、その通りであろう。これも過去に書いてきたことだから。
けれど、何らの問題も抱えない社会で試しにマネタリーベースを増やしてみると、融資は拡大するかもしれない。つまり、コントロールとなるべき正常「経済社会」で起こる現象と、日本のような病的「経済社会」で観察される現象では、必ずしも一致しないことがあっても不思議ではない、という話である。

前記、金利が下がるはずだという断言にも似ているが、観察する時期によるということもあるのではないか。例えば、マネタリーベースを増加させた英米においても、2010年くらいまでであるとやはり融資は減少してきている可能性は高いものと思う(数字を調べてないので定かではないです)。

量的緩和開始から暫くの間は、例えば
・不良債権処理
・リスク資産削減や組み替え
・公的資金返済
・社債、株式、外貨建て資産(債券や株式)投資
などに資金が振り向けられた、といったことがあったのでは。

02年頃であると、不良債権処理に関して政策的にも政治的にも強権が発動されていた時期であり、新規貸出増加の為には、まず引当を消化する必要があったはずで、そうなると貸出余力がそんなにあったとは思えないということだ。バランスシート調整に時間が必要であった、といったようなことである。
利益が出てからでも、配当を復活して、公的資金を返済して、ということになれば、貸出余力がそんなに回復してなかったのかもしれない。ようやく収益環境が整ってきても、新規起業家(自営業者)たちは減る傾向にあったり、融資より直接金融を指向するようになっていたり(所謂上場バブル、IPO長者というような傾向)と、かつての融資市場環境とは異なっていたかもしれない。または、新株発行が相次ぐ中で、旧来からの大株主としての立場もあったりするのか、新株引受(第三者割当増資等です)を行えば、それだけ貸出余力は削減されることになる(新規資金流入があれば別だとは思うが)。他にも、外貨建て資産への投資なども増えていったのかもしれない。ゆうちょ銀行の行動に見られるようなのがその代表例といえるかも。

何が、というのは判らないけれども、銀行融資が減ったのは現象としてはそうかもしれないが、それは量的緩和策を行ったせいである、とまでは言えないのではないか、ということである。
「量的緩和策を実施すると、銀行貸出量を削減する」
と言うのは、行き過ぎではないかということである。

貸出減少は、量的緩和策実施によって起こるものではなく、デレバレッジとか不良債権処理とか公的資金返済などの複数要因によるもので、主にバランスシート調整などに起因するのではないか、ということである。緩和策はこの過程を比較的スムースにいくようにアシストするものであり、急激・過度な変動やショックが実体経済に広く波及するのを”緩和する”ものであるはずだ。
貸出が急速に減少し、バランスシートが急激に収縮してゆくような時期であるからこそ、「量的緩和策」を行う意味があるのであり、この政策効果によって貸出減少を惹起するというものではないはずだろう。


他にも、マネーサプライ(マネーストック)、為替、インフレ率、等々への言及はあるが、論文の元の内容からは言えないようなことまで扱っているのは大いに疑問である。「書いてないから、効果がない」という決めつけも危険である。殆どの論文では、「論文内容から言えること」よりも「書いてないこと」の方が圧倒的に多い。
日本の例だけを見るのではなく、できれば、米英など諸外国の例も含めて、比較検討するのが望ましいと思う。日本の緩和策が効果が不十分であったとしても、それは「無効である」ということの証明にはならないように思えるからである。たった1例だけの検討で、全てが判ると考える方がむしろ不思議である。


当方も記事に書くときよくやりがちなことなのですが、自分の主張に合う部分だけつまみ食いして尊重し、不都合な部分はダメ出しする、といったような手法は避けるべきでしょう。当方も反省すべき点であり、自戒を込めて過去の記事を出しておきたいと思います。

参考記事:
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e2df55d575f6f4afba3adccbc26aab48
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/dbde02567bdebbe3892934be9b6c205b
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/s/%CD%AD%B8%FA%B7%EC%C3%E6%C7%BB%C5%D9



最高裁に高い倫理は必要か

2012年03月26日 11時47分45秒 | 法関係
当方の物言いとかタイトルからして論理的でも何でもない難癖を言っている、というような非難が現実にあるくらいですから、まあ、そういう記事を連発しておきますわ。

昨日書いた最高裁や検察の論理は、矛盾があるんじゃないか、その整合的説明ができるのか、できるというのであれば明らかにしてくれ、というのが、当方の願いですな。

「医師」と「鑑定対象者及び関係者」の間に、「人の秘密」というものが存在しており、秘密保持義務がある医師には押収拒否や証言拒否の権利が与えられています。

最高裁は、検面調書なんかも「人の秘密」だと言う。判決文にも供述調書等が秘密なのだ、と謳っているからね。

検面調書は誰が作成したものか?
検察官だか検事だか(この使い分けの基準というものが分からないです)ですよね?検察事務官も書いてるのかもしれんけど。

何故、医師と患者(or鑑定対象者及び関係者)の間にあって、裁判でも秘匿(証言拒否、押収拒否)可能な「人の秘密」というものについて、検察官や検察事務官が知り得るのですか?その根拠とは何でしょうか?どういう権利があって、検察官が知るのでしょう?
秘密保持が法的に義務付けられ、証言拒否や押収拒否の権限行使ができる「人の秘密」だというなら、鑑定に使用した調書類を提出拒否できるのですよね?本当にそうなんですか?

或いは、医師と鑑定対象者の間にしか存在しえない「人の秘密」について、鑑定の際に検察官が覗き見(立会)を許される法的根拠というのは何でしょうか?


牽強付会も甚だしい、としか思われないわけだが、こういう判決がいくらでも量産できる最高裁には、”高い倫理”など不要である、ということを肯定しているということなのかもしれない。そうじゃなければ、矛盾を放置したままで、何らの痛痒を感じないわけがない。
たぶんきちんと説明できなくとも、恥じることなどない最高裁及び検察でしょうから、彼らの倫理などなきが如し、ということでしょう。

あなた方が口にする、倫理って何?

言うに事欠いて、倫理だって?(笑)



鑑定医の秘密漏示罪を確定させた最高裁~2

2012年03月25日 18時30分53秒 | 法関係
先月取り上げた(http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/688a1f9677e9cbb4fd9eb63aae2a29d3)最高裁判決ですけれども、記事を書いた時には判決文が公開されておらず、その後にも確認していませんでした。当方にとって宿題となっていたので、思う所を書いておきたいと思います。

>http://kanz.jp/hanrei/data/html/201202/20120216100930.html


これといって内容のない、駄文ですね。単に下級裁判所の判決を支持せんが為の主観的意見が書かれているだけです。簡単にいえば、ただの決めつけ、です。どうしてこのようなことが可能なのかといえば、かなり以前から書いてきた通り、最高裁は誰からも「意見を引っくり返される恐れがない」から、です。最高裁が「これは黒だ」と決めつけると、その意見には妥当性とか正確性云々といった評価は通用せず、その時点で「黒」と確定してしまうから、ということです。最高裁は、何らの理由なく「黒だ」と決めつけることのできる最強にして最大の特権を有しているわけです。
過去の行政訴訟だろうと原発関連の訴訟であろうと西山事件のような事件だろうと、最高裁が「こうだ」と決めたら論理的かどうかなんて無関係に通用してしまう、ということです。最高裁が加担してきたりしたようなものである。裁判所がお先棒担ぎに徹してきた、と、そういうことです。検察不祥事の温床を作り上げたのは、裁判所がそれを支援し加担してきたからだ、ということです。彼らには、法の正義など、もとから存在などしていないのでしょう。


さて、判決の疑義について述べる前に、まず千葉勝美裁判官の補足意見について、見てゆくことにする。

=======

医師は,基本的な医行為が業務の中核であり,その業務は,常に患者等が医師を信頼して進んで自らの秘密を明らかにすることによって成り立つものである。医師は,そのような信頼がされるべき存在であるが,医師の業務の中で基本的な医行為とそれ以外の医師の業務とは,必ずしも截然と分けられるものではない。例えば,本件においても,被告人は,鑑定人として一件記録の検討を行うほか,少年及び両親との面接,少年の心理検査・身体検査,少年の精神状態についての診断を行い,少年の更生のための措置についての意見を述べることが想定されているところであり,この一連の作業は,少年に対する診察と治療といった基本的な医行為と極めて類似したものである。
刑法134条は,基本的にはこのような人の秘密に接する業務を行う主体である医師に着目して,秘密漏示行為を構成要件にしたものであり,その根底には,医師の身分を有する者に対し,信頼に値する高い倫理を要求される存在であるという観念を基に,保護されるべき秘密(それは患者の秘密に限らない。)を漏らすような倫理的に非難されるべき行為については,刑罰をもって禁止したものと解すべきであろう。
医師の職業倫理についての古典的・基本的な資料ともいうべき「ヒポクラテスの誓い」の中に,「医療行為との関係があるなしに拘わらず,人の生活について見聞したもののうち,外部に言いふらすべきでないものについては,秘密にすべきものと認め,私は沈黙を守る。」というくだりがある。そこには,患者の秘密に限定せず,およそ人の秘密を漏らすような反倫理的な行為は,医師として慎むべきであるという崇高な考えが現れているが,刑法134条も,正にこのような見解を基礎にするものであると考える。


=======

当方の理解で千葉判事の意見を大雑把にまとめると次のようなことである。
・鑑定業務は医行為に類似
・(他職種に比し)高い倫理を要求される医師ゆえに刑罰を科せられる
・「ヒポクラテスの誓い」のいうが如く、およそ人の秘密を漏らすような反倫理的行為は(法的に禁止されていないとしても)慎むべき

医師が高度な倫理を要求される、というのは、確かにそうである。当然だ。だからといって、法的に罰則規定のないものについてまで、罰せられるべきである、といったことにはなり得ないであろう。高度な倫理が人を罰する力を有するものではない。法に基づいて判断すべきであって、”ヒポクラテスの誓い”は少なくとも法ではない。
また、鑑定という業務が「医行為である」とは断定していない(参考までに、鑑定業務が医行為である、などという法学理論は聞いたことがない)。類似行為だから医師の行う医行為に準じるべき、というようなことを言わんとしているのかもしれないが、それは法なのかと疑問に思う。医行為に類似しているから鑑定業務が医療だとでも言うつもりなのか。そのことは、刑法134条適用に影響を与えるのか。

高い倫理が要求される職種だから刑罰を科せられる、というのなら、検察官や裁判官には高度な倫理が要求されない、ということなのか(爆)。
まあ、最高裁判事からすると、そういうことなんだろう。検察官には高度な倫理など必要ないから、いくらでも秘密漏洩が可能だ。存在しない証拠だって捏造できる。
出鱈目調書を作成し、これで裁判を終結させて、懲役刑を服役させてでさえ、罰せられることなどない。ウソの証拠、存在しない証拠、そういうので検事が訴追し、それを易々と裁判官が認めてお墨付きを与え、刑罰を無実の人間に与えようとも、誰一人刑罰を科せられることなどないという司法の世界、日本の誇る司法システムだからね。このような法曹の連中には、高度な倫理など必要とされてこなかった、そして今もされていない、ということの証左であろう。
 ・医師→高度な倫理を要求される=刑罰を与える
 ・検察官や裁判官→高度な倫理は不要=刑罰で罰せられない
ということだな。
こういう司法界だからこそ、東京第五検察審査会のような、不可解な審査員の選出や事務局の担当者の隠匿や審査会議の秘密漏洩などが、やりたい放題ということである。なるほど、である。


いくつかの疑問点が残ったままであり、最高裁判決からは答えが得られない。

当方の以前の記事でも疑問点として挙げたが、千葉判事の補足意見でも不均衡の存在について若干の言及があった。鑑定人が医師である場合には有罪で、その他学識者であると有罪とはならない、という、極めて不可解な解釈である。
鑑定人が医師免許を有しないただの教授とかであれば、刑法134条は適用されない。有罪にはならない、ということである。
また、医療過誤の疑われる事件の場合に鑑定人が医師であって、その医師が各種調書や証拠となった書類などをもって鑑定する時でも、やはり「人の秘密」とされてしまうのかということがある。
最高裁判決文曰く、
『「人の秘密」には,鑑定対象者本人の秘密のほか,同鑑定を行う過程で知り得た鑑定対象者本人以外の者の秘密も含まれるというべきである。
だそうだ。

更に、
医師が,医師としての知識,経験に基づく,診断を含む医学的判断を内容とする鑑定を命じられた場合には,その鑑定の実施は,医師がその業務として行うものといえるから,医師が当該鑑定を行う過程で知り得た人の秘密を正当な理由なく漏らす行為は,医師がその業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏示するものとして刑法134条1項の秘密漏示罪に該当すると解するのが相当である。
ということであるから、医療過誤疑いの事件でも鑑定人が「医師としての知識、経験に基づく、診断を含む医学的判断を内容とする鑑定」を求められるのは当然であり、この鑑定実施は医師の秘密保持義務の課せられた業務ということになるだろう。この鑑定過程において、どれほど「秘密保持」がなされてきたのか、といえば、定かではないだろう。鑑定対象以外の人の秘密も全て、であるのだから。


最高裁と検察の考え方というのは、具体的には例えば”供述調書”が「人の秘密」に該当しているから、これを他人に見せたら秘密漏示となる、ということである。これが秘密保持義務のある「人の秘密」だというのなら、刑訴法105条でいう押収拒否が可能、ということですね?だったら、これを提出しなさいと医師に命じたりできる裁判所規則でもあるなら、それを教えて欲しいものです。鑑定人に課せられた秘密保持義務のある秘密について、裁判所が「人の秘密には該当しますが、裁判に必要なので提出・証言しなさい」と命じられる規則が存在している、ということですよね?

別な規則はあるよ。

○刑事訴訟規則
第百二十一条 証人に対しては、尋問前に、自己又は法第百四十七条に規定する者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる旨を告げなければならない。
2 法第百四十九条に規定する者に対しては、必要と認めるときは、同条の規定により証言を拒むことができる旨を告げなければならない。


このように、医師には証言拒否権を有することを告知することになっている。ただし「必要と認めるときは」となっているので、裁判所が「必要とは認めなかった」と主張すればそれまで、ということなんだろうけれどもね。まあ、鑑定医はペテンにかけられた、ということなのだよ。
鑑定人の規定では、宣誓はするものの秘密保持義務の規定は存在しない。


このように、疑問点が尽きないわけですが、本件最高裁判決は整合性のある説明が可能なものであるとは、到底思われないわけです。
もっと言えば、元から有罪ありきで書かれたものでしかなく、検察と裁判所の体面を維持せんが為に書かれたものでしかないのではないか、十分な法的検討がなされた結果であるとは思われない、ということです。
そもそもは、検察が作成した調書類が外部に見せられたりしようものなら、大変なことになる、調書開示の権限は絶対に検察(法務省)に置いておくべきものであり、それは何故かと言えば、不備や捏造や不合理などが解明されると「精密司法」の基礎が大きく揺らぎ検察への信頼が根本から崩れ去るから、ということのようにしか見えないわけです。それが「取調べ録画拒否」といったことと全く符号している、ということだ。

遠因としては、不起訴事件の訴訟関連書類について、常々不開示としてきたことが根底にあって、当事者であってでさえ見ることが拒否されてきたわけである。公表されると困る部分があるのは、主に報道する側の問題であって、訴訟関連書類の閲覧を拒否すべき理由になどならない。諸外国が全部そうかといえば、そんなことはないはずだ。検察が全部を拒否するが故に、調書類を調べる手段が全くない、ということで、今回のような事件を生んだのだ。

いずれにせよ、検察の走狗に成り下がった裁判所が、何が何でも有罪にしたいとして出した判決に過ぎず、法の精神だか正義だかは日本の司法には存在してないということが確認できた、ということである。

こんなのが、日本の司法界の頂点に立つ最高裁なんだそうですよ。
誰が彼らを信じられるというのでしょう。



世銀総裁候補に韓国系米国人のワケ

2012年03月24日 15時20分41秒 | 外交問題
意外な人物の登用、ということのようであるが、これには何か裏がありそうだ(笑)。

>http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE82M00920120323


しかも、全くの畑違いの専門家。経済人とか政治系の人でもなく、官僚ポストの歴任者ということでもなさそう。

>http://jp.wsj.com/Economy/Global-Economy/node_413794


主に開発系の人、ということみたいですね。
ドクで、公衆衛生が専門という異色の総裁となるだろう。


こうした人選の背景には、恐らく先日まで紛糾した米韓FTAなどの影響があるだろう。
特に問題視される部分としては、「ISD条項問題」というのがある。

これに関しては、豪やNZもTPPの会議で米国と衝突しているとされ、米国との紛糾の種となっており、そうした米国に対する不信感を緩和したい、という狙いがあるものと思われる。

ISD条項の提訴(裁定)先がICSIDとなっており、これが世銀傘下にある為である。要するに、「韓国をはじめ、豪など新興諸国に配慮してます、不安を解消します」ということをアピールせんが為の人選、ということだろうな、と。

政治色の薄い人を選んだのには、ワケがある、ということなんじゃないのかな、と勘繰ってしまうわけです。ゼーリック総裁は、…当方のブログ記事にもご登場頂いたくらいですから。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2ce48bd8df6b454d479c4aebf013b1d0


それと、話は大きく飛びますが、イラン原油の決済に関する話ですが、BIS総裁会議で取り上げるとかしてみるべきなんじゃないですかねえ。

下部組織に「支払・決済システム委員会」があるようですので、議題として挙げるべきなのでは。米国が独占体制としての決済機能を、政治的に利用するというのは、金融システムとしては本来おかしいわけですし。




カーター元大統領の映画かと思ったら違った

2012年03月24日 13時44分13秒 | 俺のそれ
別に、だからどうということでもないのですが。

例によって例の如く、単なる見間違いというか思い違い、ってやつですな。

>http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPTYE82L02D20120322/


映画の存在も知らなかったのですが、タイトルが目に入ってきて、「おや、イマドキ、カーター大統領が注目されるなんて、不思議だな」と思ったんですよ。

レーガン登場前の、どちらかといえば失敗の期間であると目されていたであろう(そんなような気がしている、というだけなのですが)カーター大統領が、今更注目に値する(映画の題材にできそうな)エピソードなんぞあったのかな、なんて思ってしまったもので。


そうしたら、よく見ると違った。
ジミーではなく、ジョン、だった。

ジョン・カーターって誰?
全然知らない。というか、同姓同名の人が何人もいそう。


最近年のせいか勘違いや物忘れなどが多いので、見間違い、思い込み、先入観、そういうものに気をつけよう…。



インド及びパキスタンへの制裁に比べ対イラン制裁は重い

2012年03月24日 11時31分25秒 | 外交問題
コメントでご教示頂き、改めて記事に書くことにしました。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e89f0e45dd2acdf7d26125fd0e39114d

インドとパキスタンへの制裁はないじゃないか、という当方の異議について、制裁はあった、ということでした。なるほど、確かにありました。が、現在では特にないようではあります。


1)対インド制裁
引用文献>http://www.cpdnp.jp/pdf/003-01-005.pdf

①日本
・新規円借款停止
・国際開発金融機関の新規融資に慎重姿勢

②米国(グレン修正法に基づく制裁措置)
・人道目的を除く経済援助の停止
・防衛関連装備品の売却などすべての軍事的支援の停止
・米国政府による信用供与あるいは他の財政援助などの禁止
・国際金融機関による財政あるいは技術援助のための融資延長への反対
・米国の銀行による対インド政府との金融関連取引の禁止
・輸出ライセンスを条件とする特定の物品および技術の輸出禁止

③その他
・オーストラリア:インドとの2国間防衛関係の中断及び人道援助を除く援助中断
・デンマーク: 供与の凍結
・スウェーデン: 援助合意の削減
・ドイツ: 対印援助協議及び貿易の強力に関する会議中止
・英、カナダ、NZ:駐印高等弁務官の召喚
・世界銀行:対印融資8億5600万ドルの決定延期

仏、露は対印制裁に反対し加わらなかった。英国も実質的には何らの制裁も課さず。

以上からすると、インドの経済活動が国際的に切り離されるというような事態には至らなかった。米国は国内法に基づいて最も強力な制裁措置が発動された。けれども、インドとイランを比べると、遥かにイランへの制裁措置が重い、ということが言えよう。


2)対インド、パキスタンへの制裁解除
米国の二重基準の証拠とも言うべきものが、この対印制裁解除である。これはパキスタンへの制裁措置についても同様である。
引用文献>http://www.jiia.or.jp/pdf/us_terror/2-5tosaki.pdf

①インド、パキスタンへの制裁
・グレン修正法(核爆発実験を実施した非核兵器国に対する一定の軍事・経済援助の停止)に基づく制裁――前項参照

②パキスタンへの制裁
・輸出入銀行法(核装置を爆発させた非核兵器国に対する同銀行の保証などを禁止)
・プレスラー修正法(パキスタンが核爆発装置を保有していないと大統領が確認するまで軍事援助および軍事装備・技術の移転を禁止)
・シミングトン修正法(保障措置を受けていない核濃縮装備を受領した国に対する経済・軍事援助などを禁止)

これら①及び②の制裁解除が2001年9月22日の大統領決定により行われた。
パキスタンは対アフガン戦争期間を通じて、米国との関係がより深くなって行った(軍事的支援なども行われたし、日本の海上自衛隊によるパキスタン海軍への「燃料補給」という軍事的支援までもが行われた。これが核兵器の開発を行った国への制裁なのか、という話である)。

日本も同様に98年に課していた対インド、パキスタンへの制裁解除を行うこととなった。その後、米国はインドとの原子力協定を締結するに至っている。


これらインド及びパキスタンへの対応とイランへのそれと比較すれば、イランへの経済制裁包囲網が極めて重い措置であるということである。
インドやパキスタンにおいては、米国基準が他の国々へ強力に波及するということにはならなかった。経済活動を厳しく抑制するほどの効果はなかったであろう、ということである。ところが、イランの原油禁輸措置や国際決済業務の停止などということになれば、日本ばかりか欧州各国にも影響が広範に及ぶということになるわけであり、しかも半ば強制ということになっているわけである。


これは、独占企業の行う権限濫用、独占による優越的地位濫用というのと、ほぼ同じ意味合いである。
オレの気に入らない企業Xと取引するなら、オレとの取引を全部止めるからな、それでもいいのか、イヤなら企業Xとの取引を止めろ、という脅しを突き付けているのと同じだ、ということである。
決済業務がドルという基軸通貨を利用して行われているからだ、ということをこれまでにも何度か述べたが、このような権限行使を防ぐ意味においても共通通貨単位の創設に意味があると思えるのである。


また、今回は欧州が対イラン包囲網形成に賛同している、というのが過去と大きく異なる点である。どうして今回に限っては、インドへの制裁と比べてはるかに重い制裁措置が取られたか、ということの整合的な説明は存在してない。
当方の陰謀論的(笑)推測では、要するにイスラエルとの関係、すなわちユダヤ系ネットワークがフル稼働して金融・経済関係の「締め付け」を行った結果であろう、と認識している。

一言で言えば、兎にも角にも「イラン憎し」である。それ故、不公平だろうと何だろうとお構いなしに、重い制裁を課すということなのだろう、と。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/74f0ea3dca0551bbb546a318d956430b

以前の英、仏、独の反応と対イラン制裁についての態度は、明確に異なる。
ユーロ危機、ユーロ圏のソブリン危機を巧みに利用して、欧州を翻意させたように見える、ということである。当初、イラン制裁、特に原油禁輸措置に関してはあまり積極的に支持しているようには見えなかったユーロが、急に態度を翻して禁輸発動と公表したからだ。欧州や韓国は、イラン原油の禁輸措置について乗り気ではなかったように見えた。
ところが、「金融制裁」を欧州や韓国に適用して「ユーロ売り」「ウォン売り」を浴びせると、たまらず禁輸賛成へと転じたように見えた、ということだ。これこそが、優越的地位の濫用ではないのか、と感じる点である。

まあ、当方の陰謀論的推測はどうだってよいのですがね。

現実を見れば、明らかにイラン制裁は不公平なまでに重すぎる、ということは言えそうだ。


「金融緩和を複式簿記で表してみる。」で抜け落ちてる視点

2012年03月23日 13時12分59秒 | 経済関連
一見すると、なるほどそうなんだ、と思える記事ではある。

>http://d.hatena.ne.jp/sura_taro/20120321/1332323432

細かい部分の当否は、ちょっとどうなのか分かりません。
(例えば日銀の仕訳がその通りなのかが分からないので)

が、全体を通して抱いた印象というのが、金融緩和したのに銀行は資金の貸出先がないので、再び国債を買う資金に回り、結局は元の状態と同じじゃないか、というような説明であると思いました。

架空の設定なので、説明自体が根本的に間違いということではないと思いますけれども、現実世界での行動をあまり考えていないのではないかな、と思えます。つまりは、ビジネスとして考える、という点を無視しているかのようにも思えます。

銀行が保有してる国債を買入たって、資金の持って行き場がないのだから、また国債投資に金を回すしかなく、そうであれば、初期状態と大して変わってない、よって緩和効果があるとも思えない、というような主張であろうと思います。ここには、決定的に重要な視点、それは「何故国債を売るのか」ということの理由が抜けていると思います。

もしも当初と何ら変わらないのなら、銀行が日銀に国債を売る理由なんてあると思うでしょうか?
手数料分損するとか、事務コストの方がマイナスになるので、誰も売ったりはしないんじゃないでしょうか?

つまり、最初から「銀行が日銀に国債を売る」という設定が間違っているか、その後の「貸出先が見つけられないので国債に再投資」でスタート地点に戻る、という設定が間違っているのではないかな、と。
銀行が国債売りに応じるのは、「儲ける為」です。

基本的にこうした「商売する側の視点」というものが欠落しているとしか思えません。実際の投資行動でもいいですし、商売でもいいですが、儲けを出す為の行動であるということが、理解されていないように思えます。

勿論、売ってはみたものの、運用に失敗して仕方なく買い戻すということがないわけではないとは思いますが、普通の銀行なんかが無駄に売買するとも思えないわけです。


以下に当方の見解について、簡単に書いてみたいと思います。

まず、国債を売る場合には、それで儲けると考えるから、だということです。例えば、100万円で売って、同じ国債を95万円で買い戻せるなら、5万円得するのではありませんか?複式簿記で同じ状態を書いたとしても、売買の前後での損益は違いがあるのではないかということです。

理由は色々とあるんだろうと思いますが(当方は国債売買の実情など全く知らない素人ですので、詳しくは分かりません)、金利先高見通しがあって今保有している国債を一旦売却し、国債価格下落後に買い戻せば、価格差分のキャッシュが手元に残ることになります。このお金は銀行の利益になったり業務経費をまかなったり、銀行員のボーナスになったり、そういう何かに使われるだろう、ということです。

なので、銀行が資金移動先について何の考えもなしに売却し、資金投入先がないからまた買ってしまう、というような非効率な運用はしないのではないか、ということです。

自分の投資を考えてみて下さい。
今、A社の株式1000株を保有しているとして、これを売ろうという時には、何か理由があるのではないでしょうか?
売却代金で海外旅行に行く、それとも”もっと儲かる投資先がある”から、そちらに資金を振り向けたい、といったようなことです。

通常は、別な投資先に回そうとする時には、今の想定される投資利回りよりも効率の良い、もっと高い利回りの投資先があるからこそ、売却してまで資金を振り向けようとするのではないでしょうか。資金移動先を全く決めてないのに売る、ということは、少ないかもしれません、ということです。

場合によっては、今が高値のピークに付けていると判断して、売却して現金化し、様子を見て他の新たな投資先に振り向ける、ということもあるかもしれませんが、常時運用利益を生み出さねばならない銀行としては、資金を長期間遊ばせておくことはあまりできないので、投資先がないというのは考え難いのではないかと思えます。この場合であってでさえ、ピークで売り抜けて、最悪買い戻しができるということになりますので、少しではあろうともキャッシュアウトができた、ということになるかと思います(失敗して見通しが外れ、ピークになっていなかったら安く売って高値で買い戻すことになり損失となります)。


今保有する国債利回りが3%であれば、銀行がこの国債を売る時にはこれよりも高い利回りが期待できる時、ということになります。新発国債が1%でしかないなら、買い替えません。
金融緩和によって日銀が国債買入を進めると、国債価格が上昇(=利回り低下)するので新発国債の利回りが以前の3%から1%に下がったとします。すると、銀行が1%の国債を買うか、これよりも高い利回りの投資先を探せばよいということになります。3%よりも高い投資先を探すのと、1%よりも高い投資先を探すのでは、どちらが容易と考えられるか?
当然、1%の方がハードルは低いであろう、ということです。

銀行が3%の利回りの時に買った国債が、日銀が買入を進めることで1%まで金利低下(国債価格上昇)してきたので、日銀に売却して利益を出し、更にこの売却代金を2.5%で貸出せば十分儲かる、という話になるわけです。3%の国債金利時代であると2.5%のリターンしか期待できない事業には貸し出せなかった(2.5%で貸すより3%の国債を買った方がお得だから)のですが、1%金利時代だと2.5%であっても儲かるのです。

国債金利が5%であると、これより高い利益率の事業にしか貸し出せないということになりますので、対象は段々と限定的になってゆくということです。1%の国債金利ならば、2%とか3%であってでさえ利益になる、ということです。借りる側からすると、過去の5%借入金利の早期返済は、5%の事業への投資とほぼ同じような効果を持つ為(短期的に考えればそうです、事業の将来などは分かりません)、多くの企業が借入を増やすのではなく、過去の債務返済に勤しんできたのだ、ということになります(これがデフレ要因ともなってきたのかもしれません)。


日銀の金融緩和効果というのは、複式簿記の視点で考えることは必要だと思いますが、その前提となる「どうして売る(買う)のか」という動機の部分についてもよく考えてみるべきなのではないかなと思います。
前後の状態が同じように書けたとしても、その意味合いとか途中経過に目を向けることが必要になるんじゃないでしょうか。



続々・『TPP反対派がダメな件』がダメな件

2012年03月22日 10時49分15秒 | 俺のそれ
色々と所用などありて暫くネットを離れておりましたが、復帰してまいりました。

すると、鬼の居ぬ間になんとやらではありませんが(笑、こちらが居ないことを知る由もないですから)、言い訳がましい感じのコメントが追加されていたようですので、今回再度取り上げてみます。

>>http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20120311#p5

読んでみましたが議論にも何もなっておらず、これ以上あれこれ書いてみてもしょうがないので、今回で最後にしたいと思います。

労務屋氏が本来明らかにすべきは、前回記事でも述べた通り、批判の根拠を提示することです。未だにそれが一切明らかにされてはいません。

再掲しますが、労務屋氏曰く、

私は私で「そこまでおそれるには足りない」という情報も持っている

とのことですので、持ってる情報を示すべきでしょう。その情報を一般人に知りえたか、いつ知ったか、ということです。私は私で持っている情報とやらを開陳して頂けると議論の核心に迫れるわけですから、解決を志向するのであれば当然誰しもそうすると思えますが、労務屋氏はそうしなかったと理解しています。

これを全く触れてないのは、どうしたことでしょう?
言いたくないから?(笑)
或いは、言うことができないので、当方の記事タイトルや人格批判でお茶を濁して誤魔化そうということですかな?
そういう曲解でもせざるを得ないかのような書きぶりですね、ということです。


また、批判できるパターンを当方の理解の範囲で前回例示してみたわけですが、再掲しますと、

①当時から一般的に入手できる情報を分析すれば、容易に結論が得られたはず
(=故に自分は当時からそう主張していた、得られた情報も提示できる)
②今の新たな情報を得た上でもなお、同じ誤った主張を繰り返す

でした。

労務屋氏が答える気があるなら、このいずれであるか、それともこれ以外のものであるか言えるはずでしょうが、それも示していませんな。①でも②でもないと言うなら、別なものを示せるはずですよね?それがないのは、労務屋氏ご自信が書かれた記事が、正当な批判ではないと認めたから、ですかね?


もっとヘンだなと思うのは、次の記述です。

『とはいえ、「サイトのタイムスタンプを確認して読み、解釈すべき」というのは建前論としてはそうなのですが、しかし実態がそうかといえば、インターネットを閲覧する大衆の相当部分はJAのサイトのような公共的にみえる団体がつくった立派な体裁のサイトをみれば、隅に小さく記載されているタイムスタンプは気にもかけずに「これが現時点でも妥当な範囲内の意見」と誤誘導されてしまうのではないかと思います。こういったメディアリテラシーの実態につけこんでいるのであればかなり悪質なデマゴーグでしょうし、つけこんでいないにしてもそうした内容が放置されていることはデマゴーグと申し上げられるのではないかと思います。』

過去に書いた記述が間違っているのであれば、それを訂正しろ、と求めているわけですね。一理あるかもしれません。

ただ、これはネット上の記事だからそうしろ、ということでしょうかね?

当方のブログ記事で古いものは過去の書いた時点での情報に基づいており、後日新情報を知ったからとてそれを全て訂正などしてませんね。
当方の落ち度と言われればそうかもしれませんが、世の中全部でそうしたことが本当に行われていますでしょうか?

新聞記事、雑誌、本などの記事が、発行された時点での情報に基づいて書かれていて、後日その内容に誤りがあったと判明したり、当時には知り得なかった部分が判明したからといって、全ての記事が差し替えられていますかね?

そんなことは、殆ど聞いたこともないわけですが。寡聞にして存じません。
新聞や雑誌などで稀に小さく訂正記事が載っている場合がありますが、多くは訂正されていませんな。
当時には知られていなかったことが後日判明した場合、過去に流通してしまった出版物が全部回収されて、正しい記述に直されて再び流通する、などということが行われているとも思えませんが。

それとも、労務屋氏は世の中のシステムを全部そう変えろ、とか言い出すつもりなのかもしれません。氏にかかれば、過去に流通させた誤った記述を全て訂正しないのは”悪質なデマゴーグ”という認定なのでしょうから。そうした内容を放置するな、と。笑止。

今後、新聞社のネット記事でも、全て後日には訂正しろ、という大運動でもやってくれることでしょう。放置すれば「悪質なデマゴーグだ」と宣伝してもらいたいですな。

本当にJAが不誠実であって、デマを拡散する意図を有しているというのなら、JAに電話するなりメールするなりして「JA関連のホームページにはデマが記載されており、悪質であり、とんでもなさが明らかなので、全て訂正するように」と要求でもするか、正しい答えを教えてあげるとよいのではありませんかね。その結果、デマであることを自覚しながら、JA側が今もって「~は議題になるんだ」と頑強に主張したりするのであれば、それは確かに不誠実な姿勢であると非難するのも妥当だろうとは思いますよ。けれども、JAがそういう態度なんだ、ということは、労務屋氏は何ら明らかにはしていません。


これで尽きてる話ですが、最後につまらんものを取り上げてみる。
蛇足ですが。

氏は、当方の主張点について反論せず、君は弱者やマイノリティーを差別する人間だ、みたいなレッテル張りしかできない、ということなのかなと受け止めました。

読者のみなさまは上のエントリで私が指摘した怒りのブログ氏の「エスパーは他の人にエスパーであることを求めうるし他人がエスパーでないことを批判しうる」という発想と基本構造が同じであることも見て取れるでしょう。


・エスパーは他人にエスパーであることを求めうる
・他人がエスパーでないことを批判しうる

こんな主張をしたわけではないですが。当方の記事のどの辺からそんな解釈がわくのか不思議ですわな。
まあ当方の書き方が悪かったのでしょうから、もっとくだけて書いてみますわ。


あなたがエスパーなら、当時にはJAやその他一般人が知り得なかった「3月2日時点での見解」を昨年10月時点で”事前に正確に予知できた”、ということを肯定しているわけですがね。

そうした予知能力がある人だと、「ニュースソースを提示する」といったことができないでしょう、必要ないでしょう、ということなんですよ。本物の超能力者であると、10月時点での予知について、その根拠を提示できない、けれども「知っている」ということなのですから。

当方の指摘した①が普通の人であり、その場合「根拠となった情報を提示できる」のが普通ですが、そうした根拠となる情報が存在してないにも関わらず正確に知ることができるのがエスパーということで、他人から「根拠となった情報を提示してください」と求められても「自分はエスパーなので予知しました」としか言えない、すなわち情報源を提示できない、ということです。

そうであるなら、11月1日以前の情報提示がなくとも、①’として、

当時から予知によって結論が得られた、故に自分は当時からそう主張していた

というようなことは言えるかもしれない、と言っているわけですよ。
これのどこがエスパー差別なんですかね?
エスパーならば可能なことですねと肯定しているだけではないですか。
エスパーであればこそ、情報源なり根拠となった記事なりの提示をせず(=できないから)とも、正確に予知できるので批判も可能でしょうね、ということを言ったまでですよ。

根拠は、と問われて「いや、自分は超能力者なんで、予知できました、だから、ソースの提示はできません」と説明されれば、納得する話ですよ。それ以上は尋ねようがありませんから。ただ、どうやって自分が超能力者であるかを証明するかという問題は残るとは思いますが。


エスパーが他人にエスパーであることを求めている、とか、どこから出てくるのか、全く理解できません。他人がエスパーでないことを批判できる、なんてのも、意味不明です。当方の言ってないことを単にこじつけているだけであり、弱者やマイノリティ差別と主張したいだけのものですね。


リテラシー云々とか労務屋氏は書いてますが、氏が他者の記述に対して「明白なデマゴーグ」だの「とんでもなさ」だのと認定するからには、逆に指摘を受けるのも当然であるといえるでしょう。
何も知らない一般人が誤解を生ずる虞がある、というのであれば、その旨を最初から記事に書いておくべきことでしょう。自分が知らずにうっかり批判してしまった、というのであれば、まずそれを認めるべきでしょう。

JAを厳しく批判するのと同じレベルで、ご自身も批判を甘受すべきである、ということなんですよ。

労務屋氏の言葉を借りれば、氏の人格たるや『まあたぶんそういう人なんだろうねえというまとめでよろしかろうと思います』、ということかな、と。

議論には全く無関係な、記事タイトルや当方の怒りっぽい(笑)性格の批判に逃げ込むしか能のない、そういう人なんだろうねえ、という話ですわ。



暗雲の米韓FTA~初日からつまづく

2012年03月17日 16時56分57秒 | 経済関連
すったもんだの末、どうにか発効に漕ぎ着けた米韓FTAでしたが、初日から「税率はゼロには出来ません」ということになったらしい。

>http://japanese.joins.com/article/261/149261.html?servcode=300§code=300

(以下に一部引用)

 韓米FTA発効と同時に関税恩恵を受けるものと期待していた米国内の韓国人輸入業者は不満を表した。ある輸入業者は「韓米両国が6年間も交渉して発効した約束にしては、準備があまりにも不十分だ」と語った。米国内の通関士も「関税引き下げに合わせて通関を先延ばしにしてほしいという業者が20カ所以上もあったが、みんなあきれている」と伝えた。

米関税庁がシステム不備をFTA発効時点が過ぎた15日(現地時間)午後12時30分ごろ公示したことにも苦情が殺到した。当然、特恵関税が適用されるものと思っていた韓国輸出企業も当惑した。韓国のある自動車部品会社は16日、「FTAに基づく0%税率が適用されなかった」という米国税関士の通知を受けた。この会社側は「15日からFTAで関税がなくなると聞いていたが、違うのか」と貿易協会FTA貿易総合支援センターに問い合わせた。しかし韓国政府はこうした内容を全く知らなかった。16日、通商交渉本部と関税庁に問い合わせると、ともに「初めて聞いた。米関税庁から何も通知はなかった」という反応だった。

通商交渉本部の関係者は「FTA履行協議で米国政府に『15日からすべてのシステムが作動しなければいけない』と何度も強調したが、『問題ない』という返答だった。確認しなければいけない」と話した。韓国関税庁の関係者は「韓国は15日から24時間通関システムまで運営中なのに、米国は電算システムの準備もしていないというのは常識的に理解できない」と述べた。


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さすがアメリカ様である。
3月15日から、税率ゼロだかんな!、と高らかに宣言したものの、何故か「21日からじゃないと、ゼロにはならんから」と直前になって現場でお断り大作戦。

政府機関には、一切通告せず。韓国政府は、ほぼ無視されたようなもの。

現場で、はじまる直前になって「できないっす、しゃーない」と開きなおられる、と。
どういうことなんだ、と問い詰めても、できないものはできない、と断るのみ。

日本だったら、担当者とか、システム開発会社とか、もう、大騒動になって、辞任問題とか引責は大臣に及ぶかどうかとか、大変なことになるであろうことは想像に難くない。



韓国のいう「常識的には理解できない」というのは、本当に当然だと思いますな。
システム的にできない、というのなら、事前に判明した時点で「そう言えよ」ということですもん。

信じられん。
さすが、アメリカ。






オバマ大統領暗殺計画

2012年03月17日 16時44分52秒 | 防衛問題
殺害されたビンラディンが計画していた、ということらしいです。

>http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012031701001080.html

【ワシントン共同】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は16日、昨年米軍に殺害された国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者が、航空機撃墜によってオバマ米大統領や米軍高官を殺害する計画を立てていたと報じた。

 同容疑者が潜伏していたパキスタンの隠れ家で押収した資料から判明した。米政府は計画が具体化した形跡はないと分析している。

 資料によると、同容疑者はオバマ氏や当時アフガニスタン駐留米軍トップの国際治安支援部隊(ISAF)司令官を務めていたペトレアス米中央情報局(CIA)長官の殺害を計画。


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なるほど、だから危険人物であって、殺されても当然であった、と。
そういう理屈ですかな?
先日、司法長官自らがリンチを容認しているんじゃないか、と指摘したら(http://d.hatena.ne.jp/trapds/20120307/1331131233)、その言い訳でも考えて返答してくれたかのようですね(笑)。

まあ、そんなはずもないんでしょうけど。


で、暗殺計画が「飛行機撃墜」だとかで大統領を暗殺できると考えていたみたいなんですが、本当なんですかね?

少なくとも、オバマ大統領の暗殺計画であることから、就任以前に作られた計画ではない、ということは確かだ。そうすると、09年くらいからこっち、ということだが、この時期であると航空機へのテロ対策というのは、厳重の上に厳重となっていたわけで、言うなれば「鉄壁の防御網」の中にわざわざ突っ込んでゆくような計画であった、ということでしょうな。

本当ですかね?
事実だとするなら、相手が相当のバカ、というか、実現可能性に極めて乏しい手段を敢えて選ぼうとする無謀な者、ということだと思うのだが。居場所さえ隠匿し続けてきた、用心深いビンラディンともあろう者が、そんな他愛もない計画を真剣に考えていたと?

信じられないね。そんなにバカじゃないと思うが。

飛行機撃墜、ってのは、エアフォース1を撃ち落とす、ということでもあるまい?


当方ならば、もっと全然違う方法を選ぶ。
大統領殺害方法のうち、可能性の高い手段はいくつかあるから。

書かないけど。
まさか書いて、お縄になるのも嫌だし。
超危険分子として、マークされても困るし(笑)。


ま、いい。

具体的計画がないのに、殺害するというのはリンチだ、と指摘されたので、いやいや「具体的計画はあったよ」と言っただけのようにしか見えない、ということですわ。



ロックが心を救ってくれた~ありがとう、シンディ

2012年03月16日 19時14分11秒 | 俺のそれ
今や十分広く知られる話となった、震災の夜の出来事。


ぼくがまだ若かりし頃(笑)、ラジオやカーステのテープからシンディの歌声が聞こえてきたものだった。高校から大学という頼りなげな時期だった。

あの時感じていたシンディ・ローパーの歌と、今では違っているだろうと思う。

>http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/112997.html


彼女が話とおりに、歌うこと、音楽のパワー、そういうのが人々の心を癒すのに、或いは勇気付けてくれることに一役も二役も買っているのだ、ということなんだな、と。

彼女が信じているからこそ、その思いや気持ちが伝わるんだと思う。そうした彼女の信念のようなもの、それが音楽を通じて人々に救いを与えたのだと思う。

これから何年か、10年後か20年後か分からないけれども、彼女の歌声を聴く度に、自分の青春時代を思い出すのはこれまでと同じだと思うが、更に「震災の夜」の伝説を同じく思い出すだろう。シンディという歌手が、その後も被災地におひさまを運んできてくれたんだ、歌と伴に陽気や勇気や元気を分けていってくれた、ということ思い出すだろう。


多分、歌には、不思議な力があるんだ。音楽が神学的であったということが、今なら実感できる。
何故か記憶が呼び覚まされ、何らかの力を与えるもの、それが音楽なんだ。ありがとう。シンディと全ての音楽の人たちに。