いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

届く言葉、届かない言葉

2007年09月01日 22時33分19秒 | 俺のそれ
今度はミニマムライフという「テクニカル・ターム」(?、笑)が出たようで、雑誌に出ていたんだそうだ。近頃の若者のライフスタイルをこう表現してあるらしい。
前に、新車販売が苦戦しているということに関して記事に書いたのだが、当たらずと言えども遠からず、みたいな感じだった部分があったみたいだ。

車を売りたきゃ金をくれ!~by 家なか子

新車販売の不振とマニフェスト


ウチみないなオメガ級ブログで書いたとしても、あんまり誰も気にしないんだよね。目も留めてもらえない。誰も信じない、ということかと(笑)。ま、そりゃそうか。所詮オメガだからね。

思ったのは、やはり「言葉の力」みたいなものがあるということ。
届かない言葉をいくら連ねても、意味がないのだ。伝わらないんだから、しょうがない。けれど、雑誌の記事に出たから、というのがあるのかもしれないが、他の誰かが同じようなことを書くと、それは信頼に値するものとして伝播していく。きちんと注目される。これが「届く言葉」ということだ。

そう考えると、自分自身は商売にはあまり向かない。マーケティングとかも、ボロ負け食らうだろう(笑)。人間には向き不向きというものがあると思うが、それにしても私の「届かなさ」は無類の強さかもしれない。こういう時、「へへん、オレは自分の売りたいものだけを売ればいいんだ」的な、ちょっと卑屈な感じになるのだと思う(笑)。あれだ、売れない作品を書いて、でも「オレの作品にはオリジナリティが溢れている」みたいな自己満足で誤魔化そうとしているようなものだ。売れないのは「オレの作品の良さが、みんなには判らないんだよ」とか嘯いているようなもの。

でも、それは違うんだよ。売れなきゃ、負けなんだよ。届かなければ、意味がないのと同じなのさ。アルファ級には対抗できないにしても(笑)、中級くらいにはならないとほぼ負け確定。


金を”回す”話も既に書いたが、これも同様。あんまり意味はない。

金は天下の・・・


しょうがないか。労力と成果は別だからね。
届く言葉でなければ、ブログという意味はないかもしれない。結局、自分を納得させる言い訳だけを考えるのが関の山、ということかな。


ところで全然話は変わりますが、皆さんはご存知とは思いますが、昨日の記事に書いたのは私の作品ではありませんからね。

これ>山吹の はながみばかり 金いれに みのひとつだに なきぞかなしき

有名な四方赤良という方のパロディ歌です。例の太田道灌の「蓑貸してくれ」と民家で頼んだら山吹をだけ渡され、ポカーンってなったっていう、元の歌(兼明親王)があったんだって。「実の一つもない」と「蓑一つもない」との引っ掛けで「山吹」という、まさしく「薩摩守→タダノリ(キセル)」みたいなものですね。四方さんは他にも色々な名前があったらしく、蜀山人とか太田南畝とか寝惚先生とか、センス抜群。因みに、私は狂歌とかその他の歌も含めて、ほとんど興味はありません。ただ言葉遊びみたいなのは、楽しいです。
こういう歌なんかも、時間を飛び越えて「届く言葉」ということでしょう。