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日本再興~~きっと未来はある

2007年12月31日 19時30分08秒 | 社会全般
ニッポン、チャチャチャ、じゃないけれど(古い?)、ここはひとつ強力な応援ということで、楽観派最右翼の1人(笑)として展望や願望等を書いてみたい。


1)今年を振り返って

厄年を迎えたので、ひっそりと大人しくしていようと思っていたのが幸いしたかもしれない。来年は後厄らしいので、依然として注意が必要だろうと思うが、悪い時期を過ぎれば新たな展開も出てこよう(例によって、都合のいい願望?かも、笑)。

個人的な話で恐縮であるが、まずは経済環境から。
投資の含み損は残ったままだし、塩漬け覚悟で待っているが、どうなるかは判らない。けど、多分大丈夫だろう(何が?)。年度末の配当を楽しみに待つことにしているよ。今のところ食べるに困らぬくらいには生活できてはいるが、どうなるか判らないな。住宅ローンの金利引き上げも痛いし。日銀が余計な利上げなんかをするもんだから、短期もののローン金利は上昇幅が大きかったからね。繰上げ返済などで元金を減らしてきたし、短期変動金利の適用で恩恵を受けてきたのだが、その効果が剥落していくかもしれない。前年には0.25ポイントの引き上げ幅だったものが、今年は0.7ポイントも上げられてしまった。短期プライムレートの上昇幅を大きく上回っての引き上げとなってしまい、インターバンクの話どころか庶民の家計をモロに直撃食らわされたようなもんですな。それと、定率減税廃止の「実質増税」効果も大きい。

こうして、日銀の誤った金融政策によって、07年は「効き過ぎたブレーキ」となってしまったであろう。低い名目成長率のまま賃金上昇率は伸び悩み、物価高だけが先に来ることになってしまった。来年春以降に企業が賃金引上げに動き、正規雇用を増やし、その恩恵が中小企業にも波及するのを期待するしかない。賃金上昇が明確になっていけば、国内消費はそこそこ維持されうるであろう。

ブログを始めた頃には小学生だったウチの子も、いよいよ受験生となり来春には高校受験だ。どうなるのか判らないけれども、あまり口出しせずにいる。なるようになるだろう、きっと(笑)。これも楽観過ぎかな?

そんなわけで、子年の「始まり」みたいなものにも期待している。父が生きていれば、長嶋さんと同じ72歳にもなるのだな、と思うと、自分が歳をとったのだな、と改めて感じる。


2)日本経済について

円高傾向に傾くことはあっても、逆は少ないような気がする。1ドル105円前後をつけたのは05年1月頃だったと思うので、概ね周期的な波動を思い起こせば、08年後半から09年初め頃にかけてその近辺まで行くのではなかろうか、などど思ったりする。大統領選後の影響もあるかもしれないけど、よく判らない。

現在のところ、物価高が先に来て暗い見通しとなっていると思うが、そこから先が重要であって、必ずしも悪材料ばかりとも思っていない。企業が値上げした効果で売上高を増やすのであれば、賃金にその一部を上乗せするのが当然であろう。日本人の場合には、成果主義的に賃金を弾力的に決定するという機構が元々うまく備わっていない。成績は「チームのもの」であって、個人の正確な評価というのが出来難いからではないかな、と思っている。それをある程度機械的に解消するために、ベースアップとか年功序列的賃金体系を形成してきたのであろうな、とも思っている。なので、値上げで回収した一部は賃金引上げに使ってあげて欲しい。

日銀批判はこれまで通りであるが、「セイフティ・マージンを取っておけ」としつこく忠告していたにも関わらず、度重なる利上げなどに踏み切ったせいで、変動リスクを吸収できる余力は残されていなかった。血圧を下限ギリギリにしておくと、急な出血があったりすると忽ち急激な血圧低下となり、循環動態の不安定化となってしまうのである。僅かな「ショック」に見舞われるだけで、自律的な回復機構のみでは耐え切れない状態に陥りやすい、ということ。健康体で予備能が十分備わっていれば、多少の出血などが起こったとしても重要臓器の循環はオートレギュレーションが働いて自律的に維持されるし、危機的状況には至らないのだ。しかし、元が「病み上がり」で弱々しいのに、ギリギリの循環バランスにされてしまえば、ごく僅かな変動要因でさえ吸収できずバランスは維持されないのである。予め「出血が予想されるであろう」という見通しを立てて、血が本格的に出始める前に準備しておきさえすれば慌てることにもならないのだが、定率減税廃止のマイナス効果、賃金上昇が弱い、などのジワジワ出る「出血要因」(一気に出血するタイプではないということ)への備えができていなかったので、「建築基準法改正ショック」とか「サブプライムショック」などのように「ジャーッ」と出血したりすると、対応できなくなるのである。

これら2つのショックの大きさは、日本では致命的インパクトを持つようなものではないのにも関わらず、政策運営の稚拙さによって「下落幅」は大きくなってしまう、ということだ。もっと安全運転を意識していれば、これほど急ブレーキとはならなかった、ということ。これら失策により、日本国民は数十兆円か百兆円規模で「経済的損失」を与えられたということである。失策の大きさをよく考えてみるとよい。これまでの失われた15年は、この連続であって、単年度で失われた損失額が数十兆円にもなるのであり、「浮いた年金」とかの比ではないことを国民も政治家も銘記するべきである。

現在の原油高や相次ぐ値上げは、短期的にはマイナスのインパクトを持つものであると思うが、本来的な考え方でいうと「物価が変動する」のは経済学的には当然なのであって、何十年も同じ値段が継続する、ということを想定する方がむしろ異常である。それが成り立つのは、外部環境が不変で原材料費が一定であることが永続する場合くらいだろう。天候とか災害などで小麦の値段が変わるのは普通であり、その変動幅が「これまで慣れていた」幅を超えてくるようになった、ということだろう。そもそも変動の全てを吸収しようとする発想は限度があるのである。生鮮品は頻繁に変動しているのに、これが他の製品になると「変動しない」ものであると信じることの方が不自然なのである。

これまでは企業努力といって、「何とか値上げしないように」と遮二無二頑張ってきたが、それにも限界があるのは当然であろう。価格の構成にもよるが、変動費の全てを内部的に吸収しようとして、人件費などの固定費削減に努めてきたものの、その吸収には無理があるのである。削られた人件費は、回りまわって社会全体の消費を抑制し、自社の不振にも貢献してしまうということである。なので、価格改定は、あまりに頻繁に行うとそのコストが多くなってしまうけれども、年に1回とか2回くらい変えたとしても、それがオカシイということにはならないだろう。企業規模によっても吸収幅は異なり、小さい規模の企業ほど価格改定は頻繁に必要になるであろう。


それと株式市場のことだが、何とかパキスタンが落ちついてもらうことを祈っている。選挙実施にこぎ着けられれば、波乱は残されるものの、先進国の市場には大きなマイナス要因とはならないのではないかと考えている。海外投資家は依然として売り越しが続くであろうが、国内政治の転換点(日銀総裁選びや総選挙を含めて)を迎えることがあるかもしれず、年末に向けて上昇が期待できるのではないかと思っている。これまで逆回転だった、物価下落・賃金低下・低成長という歯車が、以前の順回転に戻って軌道に乗れば、ある程度の名目成長率が戻ってこよう。いや、これは必ず戻さなければならない。


3)必要なのは「何かを信じる力」

これまでの低迷期で日本が失ってきたものは、多くの「信ずるべき何か」や「これまで信じてきたもの」だったろう。それは社会全般の広範囲に及ぶものであったと思う。人間関係から始まって、仕事も、政治や行政も、ありとあらゆるものが信じられなくなった。家族でさえ不倫だの何だので、実は互いに信じてないのかもしれない。夫は外で働き妻は家事や子育てと信じてきたら、古い価値観であり新しい女性は違うということになった。長年勤めた会社を信じていたのに、非情に切り捨てた。人の羨むような大企業や銀行に勤めていて、潰れることなどないと思っていたのに、消えてなくなった。公営だから、公務員だから、親方日の丸だと思っていたのに、突然公務員ではなくなった。政治家や官僚たちも、信じられなくなった。国の制度でさえも、年金の如く無条件には信じられるものでなくなった。こうして、かつて信じられてきた多くのものが壊れていった。それ故、多くの人々は、これまでとは違った「信じられる何か」を求めているのかもしれない。イスラム教徒みたいに確固たる宗教でもあればいいのかもしれないが、日本では最も信頼度の低いのが宗教であるらしいので、カルトまがいのものやスピリチュアルものや霊感商法ものなどに走ってしまっているのかもしれない。こうした精神分析的な話は全く知らないので、適当に書いたのだけれども、「信ずるべき何か」を失ってしまった日本人の多くは、迷走を続けるようになってしまったように思われるのである。

私自身はかなり楽観的だろうと思っているのだが、大抵の場合「きっとよくなるだろう」みたいな「良いシナリオ」を想定してそれを割りと容易に信じているからなのかな、と感じている。これは精神的には大変よろしいのではないかと思っているのである。何といっても、悩みが少ない(笑)。心配事のいくつかは消えてなくなる。眉間のシワが減る。ということで、幸せ気分は大幅に増強される。この逆の人々も大勢いて、常に心配していたり気にかけていたりすると、些細なことにさえ過敏に反応していたりするのではなかろうか、と思ったりする。どんな場所でもどんな体勢でも寝られるし、不眠などになったことが一度もないけど、心配事を多く抱える人々は眠れなくなったりするとか聞くので、可哀想だなと思っている。

リスクに対しては、心配してもしなくてもリスクの大きさは変わらないので、どれだけ心配してもあまり意味はないと思っている。心配すればするほどリスクが小さくなるとか、回避できるようになるわけではないのですからね。それよりも、起こりえるリスクに対しては、より具体的に個別の対策を着実に講じることを考える方が、深く心配するよりも効果的ではないかと思う。例えば、「年金不安」があるなら、いくら不安に思っても、その心配の度合いでもらえる額が増えたり減ったりするわけではないのですから、「自分で貯金」「自分で積立」「年金保険加入」「資産形成・運用」といったことを考えて、自分の実行できる小さいことを一歩一歩着実にやっていくことがいいのではないか。そうすれば、年金不安の大きさにはあまり関係なくなっていき、「まあもらえればラッキーだな」という程度に心配の大きさは減るだろう。


自分を信じる、信じられるようになるまで努力する、そういうことの積み重ねだろうと思う。きっとできる、やればできるんだ、と信じること。自信を回復すること。それが今の日本には足りない。
仕事の結果を信じてもらえるように全力で誠実にやる、企業に限らず、どんな仕事の人たちであっても、同じだと思う。政治家も官僚も同じはずだ。自信に満ち溢れたリーダーが必要だ。人々を信じさせることのできるような人間が必要だ。自らを信じることができない者は、決して多くの人々に信じさせることはできない。宗教っぽくなってしまうかもしれないが、人々に自信と勇気を与えるのは、こうした信じさせる力を持つリーダーである。

果たして来年には、そうしたリーダーが登場するであろうか。



今年1年間、ご愛読頂き有難うございました。
それでは皆さん、よいお年を。



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理不尽な双六~「フリダシに戻る」を再三要求する社説

2007年12月30日 16時01分50秒 | 社会全般
何遍言ったら判るのでしょうか。本物の「文系専門馬鹿」(by 理系白書)なのでありましょうか。自ら考えることができない、どうやって知ったらよいか判らない、自分で理解しようと努力しない、そんな連中が偉そうに社説を書いているわけだ。これだから日本が誤った方向に煽動されてしまうのだよ。

社説:C型肝炎救済 薬害発生の検証が欠かせない - 毎日jp毎日新聞

ポイントになる部分を引用してみる。

・単に謝罪や補償で終わらせるだけでは得るものは少ない。薬害を繰り返さないためこれを機会に、関係機関が再発防止に何ができるかを考え、具体策を実行に移さなければ意味がない。そのためには、まず原因の究明が必要だ。

・しかし、この言い分にはすり替えがある。血液製剤による感染は副作用によるものではなく、もともとウイルスに汚染されたものを投与されたのだ。全然次元が違う話を同じ土俵で論じるのはおかしい。

・国が責任を明確に認め、謝罪するのは当然だ。ただ、口先だけで謝罪しても将来の薬害を防ぐことにつながらない。どこで過ちが起きたのか。国は第三者委員会で調べることにしているが、法律上の責任論とは別に、徹底した検証作業は薬害根絶に欠かせない。

・骨子では、投与の認定は裁判所が行い、被害者は定められた期限内に血液製剤の投与を受けた証拠となる資料を提出しなければならない。カルテがあるなら問題ないが、廃棄された場合はどうなるのか。病院に残された看護日記など関係書類も認める方針というものの、心もとない。

・立証を被害者まかせにするのではなく、行政も製薬会社も積極的に調査に協力すべきだ。年金騒動で国民に不評を買った「あなたまかせ」にあぐらをかくようなことが、薬害肝炎にもあってはならない。また救済の認定は条件を緩やかにして、投与の期間も幅広くすることにもっとこだわってもいいのではないか。

要するに、原因究明と検証、投与事実の立証、投与期間基準を緩和し長くせよ、というようなことですかね。


報道機関の人間なのに、文章が読めないのであろうか。それとも、長い文章や内容的に難しいという理由で、理解できないのであろうか。情報を整理し落ち着いてよく考えてみる、という能力に欠けるのであろうか。官僚とか役人などもそう思ってるのかもしれないが、以前に説明したことを繰り返し何度も説明するという必要性を感じない。相手方(新聞記者や論説委員みたいな人)にはある程度の記憶能力とか知的水準を有しているだろうから、本来一度言ったことは「知っているはずだ」「多分知っているだろう」ということを前提としているからである。間抜けな新聞記事や社説の如く同じことをしつこく言ったりするのが無駄に感じるのであるが、新聞記者や論説委員というのはどうやらそうではないらしい(笑)。


当初(笑)に戻りますけれども、原因究明や検証なんて話は、何度も出尽くしているのであって、今更社説で「原因究明と検証」なんてことを謳われても、何を言ってるのだろうかと疑問にしか思えないですよ。
10月時点で、わざわざ書いておいてあげたでしょうが。>肝炎訴訟に関する雑考~1

文系専門バカの物分りの悪い人たちであっても、文章を読む能力、情報読み取り能力、科学的応用力なんかが「平均的に」備わっていれば、きっと「判るだろうな」と思っていたからこそ書いているんですよ。何の為にわざわざこんな労力を払って、時系列で並べてあると思いますか?あなた方のような人たちの為に、判りやすくなるように書いてあげているのですよ。これさえも読めませんか?報道機関の人間は、報道発表資料も満足に読めないのですか?そういうダメな姿勢だからこそ、今になって大騒ぎしてるし、昔から問題を取り上げる機会だって山ほどあったろうに、放置してきたのでしょ。

これも何回も言いますが、まず02年の調査報告書をよく読みなさい。ダイジェストではなく、全編をよく読んでごらんなさい。そんな最低限のことすらできないクセに、判ったような顔をして記事や社説を書くべきでない。こういうのを「無責任」というのです。あなた方報道機関の連中が、この調査報告書を読んだり報道発表資料をくまなく検証していれば、少なくとも02年時点からあなた方の大嫌いな厚生労働省やその官僚たちを思う存分叩けたはずでしょう。症例リストだって掲載されていたではありませんか。なぜこの時からバッシングをやらなかったのだ、と何度も言ってるじゃありませんか。当時から「何らの取組みも責任も果たしてこなかった」のは、役人ばかりじゃなくあなた方も同じでしょ。

原因究明と検証ということについては、02年だけではなく今年も厚労省にPTが作られ、既にやったじゃないですか。何度も同じ話を持ち出して、検証しろ原因を究明しろ、と要求するのは、異常ですよ。最低限度の努力を怠って「自分が読んでないだけ」なのに、何故そうした怠惰な連中に向かって何度も同じ説明を繰り返さなければならないのでしょうか?
いいですか、あなた方は兎に角「(役人の)責任を認めろ」と言うだけで、正しい原因究明とか検証なんかではなくて、あなた方自身が自己中心的に「勝手に検証」して裁きたいだけでしょ。役人を逮捕させたい、刑事告訴すべきとか、あなた方が異常に偏向した「自分独自の、身勝手な考え方」に基づいて、「おまえらが悪かったと言え、私がやりましたとゲロしろ、ホラ、謝れ、土下座しろ」みたいなことを求めているだけに過ぎない。その異常さに何故気付けないのか?
法的責任はなかった、と表記したら、そこだけを取り上げて「さては悪事を認めないつもりだな、これこそ役人の抵抗だ、責任逃れだ」みたいに過激かつ過剰な裁きをやっているのだろ。肝心の原因究明や、検証部分なぞ、一度たりとも読んでないのだろ。そんな程度のヤツラが偉そうに「原因を究明しろ」などとよく言えたもんだな。これを異常と言わずして、何と言う?

少なくとも原因を究明する為に必要なことは、冷静かつ客観的に事実をみていくことと、現時点で最も信頼性の高い(と思われる)事実を積み上げていくことだ。記者や論説委員などがこうした「客観的事実」について読んだことがあり、正しい情報を知り、理解していたのであれば、一連の報道のようなことには決してならなかったであろう。
私は厚生労働省とか役人に何らの責任がなかった、ということを言ってるのではありませんよ。役人の責任追及をするな、とも言ってませんよ。当然それはやるべきだ。だが、責任追及にしても、「何も知らない」ような人間が誤った先入観だけに基づいているなら、追及するなどといえるような立場でもなければ、そもそもやるべきでない、資格もない、と言ってるのだよ。本当に追及していくならば、まず自らを省みよ(過去の報道や資料を放置してきたことの責任を感じ反省すべし)、正しい情報や事実に基づいて論理展開せよ、その上で「お前ら役人はこれこれが足りなかった、もっとこうしておけば良かったはずだ、今後はこうして行け、こうするべきではないか」という主張をせよ、と言ってるのです。

ところが、マスメディアの殆どがこうした前提条件を著しく欠いているのだ。
基本的に「何も知らない」、「考え方を知ろうとしない」、「客観的に評価できない」、「省みない」、という何重苦にもなっているのですから。唯一あるのは、「オレは正しい、正義は我にあり」という、(これだけはゆるぎない)信念のみである。狂信的と言ってもいい。だから何度もオカシイ、異常だ、狂ってる、と口を極めて罵りの言葉を返したんですよ。それでもなお、目を覚まそうとしない(笑)。もう何をどう言ってあげたらいいのか、私にも判りませんね。

で、ようやくここまで辿り着いた今になって出されてきたのが、原因究明や検証といった話。
お正月ですから、季節的には双六があってると思いますけれども、やっとゴールが見えてきた頃になって「フリダシに戻る」という、最悪の事態になっているのです。大新聞の社説で、戻ることを強要されているわけです(笑)。いい加減にしてくれや。あなた方は今まで寝てたんですかね?寝惚けているんですか?

96年時点で再発防止策はやってるし、カルテ保存期間延長も97年にやってるし、輸血等血液関連のガイドラインもやってるし、ウイルス感染対策のガイドラインもやってるし、肝炎対策の有識者会議で既に第三者機関での検討もやってきたんですよ。要するに、殆どが90年代中頃~後半にかけてやってきて、肝炎については00~02年で結構やってきたじゃありませんか。
記者氏や論説委員の方々は、これら資料を全部読んだ上で、それでもなお「○○が足りない、もっと~をせよ」とかの意見を言いなさい。思いつきで、自分勝手な要求を言うんじゃないよ。あなた方の無知を補ったり、あなた方が「納得できない、満足できない」みたいな際限なき理不尽な要求に応える為に政治や行政があるわけではない。あなた方自身が、どれだけ説明しても「納得できない」と究極の返答を重ねるモンスターそのものだ。モンスターペアレントとか騒ぎ立てるマスコミだが、あなた方自身がそれと何ら変わりがないという自覚を欠いており、モンスターであることに未だに気付いていないのだ。


社説の話に戻ろう。
まだ論説委員には理解できないようだが、「血液製剤による感染は副作用じゃない、論理のすり替えだ」みたいに言ってますな。
産経の29日の社説でも、『C型肝炎ウイルスが混入していたことを「副作用」とする考え方には納得できない。ウイルス混入は副作用などではあるまい。厚労省がこうした考え方、姿勢を改めない限り、薬害は繰り返されよう。』とあったので、主張は似ている。

どうしてこうも理解力に乏しいのかね。
それに、私の親切心が何の役にも立ってないようだ(笑)。
肝炎訴訟に関する雑考~2

上に挙げた記事はシリーズ最初の「1」でしたが、これは同じ日に書いた「2」ですので(笑)。この答弁書なんて、はるか昔の話でしょうが。記者の特性なのか判りませんけれども、断片的な情報だけで考えるとこうなる、という見本みたいなもんですかね。

まず第一点。「薬に副作用はある」という話と、「血液製剤がウイルスに汚染されていた」という話は、対比しているだけであって、誰もウイルス汚染は副作用だ、みたいに説明してないでしょうが。厚労省の役人が「血液製剤が汚染されていたのは副作用である」とか言いましたか?その事実を証明して下さいな。産経の社説書いた人も、厚労省の「こうした考え方、姿勢」と非難しているのですから、役所の考え方が「ウイルス混入は副作用である」となっていることを証明してごらんよ。

参考記事で取り上げておいた答弁書にあるように、厚生労働省の基本的見解は、ウイルス汚染については副作用とは考えていないことを述べていますよ。再掲しておきますか?

『血液製剤等の生物由来製品の原材料に混入し、又は付着した感染症の病原体に感染すること等により生じる健康被害(以下「感染等被害」という。)については、医薬品の有する薬理作用によって生じるものではなく、医薬品の副作用による健康被害には当たらないことから、副作用被害救済制度の対象とはならない。』

あなた方はどこを読んでいるのですかね?私の折角の労力が無駄だわな。ウイルス混入と感染等による健康被害については
「医薬品の有する薬理作用によって生じるものではなく、医薬品の副作用による健康被害には当たらない」
とはっきり書かれているでしょうが。役所が「ウイルス混入は副作用だ」なんて一言も言ってないのではありませんか?

混同しているのは論説委員の脳内であり、次元が違う話を同じ土俵で論ずるのはおかしいだの、そういう考え方に納得できないだの、それはあなた方の言ってることが間違っているだけであって、自分で「ウイルス混入は副作用だ」と勝手に定義し、「論理のすり替えだー!同じ土俵で話すのはおかしいー!納得できないー!」と、自分に向かって言い合ってるだけじゃないの。どこからそんな理屈をひねり出してきたんですかね?産経が毎日に教え、毎日は産経から学んだのか?誤った情報が、あなた方の中で行ったり来たりしてるだけなんですって(爆)。新聞にウソを書くなよ、と何度も言っておろうが。

役人が薬の副作用云々と言ってるワケが、まだ判らないのでしょうか?
一律救済について立法をする、という意味が判らないのでしょうか?
あくまで私見ですけれども、書いておきますよ。
立法ということは、国としての義務を定めるものです。これまでには存在していなかったか、あったとしても法的には明確になっていなかった権利義務等について、条文上で明確に定めるということなのですよね。今回の肝炎救済法案は、国に(法的)過失がなく(若しくは法的には明らかでない)、因果関係の特定のできない健康被害であったとしても、国は救済義務を負う、ということを明確にするものであると考えられます。この「義務」があるので、お金が拠出される根拠になるものと思われます。どういう定型的言い回しかは知りませんが、「国は~~しなければならない」と何かの規定が置かれ、「~~の費用を支払うものとする、~~の費用は国が負担する」とかの支出に関する規定も定められるでしょう。
情報開示なんかが似ているかもしれませんが、昔にはそうした法的義務を明確に負うものではなかったと思います。国民の知る権利というものについて、時代の変化とか要請の変化などや、判例の形成などがあったのかもしれませんが、法律上の義務がはっきりとあったわけではないでしょう。けれども、情報開示に関する法律が制定されると、国が法的義務を負うことは明らかです。国民はその権利行使が、法的に認められるようになります。国が「情報を開示しなければならない」という、いうなれば「開示義務」(便宜的にこう呼ぶことにします)を法的に負っていることになります。
これと同様に、国は「救済義務」を負うことになるでありましょう。健康被害等のあるものについては、因果関係の特定・(法的)立証が必ずしも要件とはなりえず、一律に救済する義務を負う、とする考え方を立法上で明確にするのですから。医療裁判などにおいても、説明義務を負うことについては、昔は法的義務を負うものではなかったであろうと思いますが、「説明義務」という概念が定着していくことによって条文上で定められるに至ったものと思います。即ち、「(一律)救済義務」という法的概念が作られれば、説明義務や開示義務などと同様に広範な分野で「救済義務」の論拠として用いることができるのではないでしょうか。金融商品や保険商品等の「説明義務」は大変厳しいものとなってきたようで(笑)、こうした説明義務を負うという考え方は、今ではどの分野でも珍しくありません。「そんなこと聞いてなかった」という論拠として、いつでもこの伝家の宝刀を抜くことができるようになったからです。期待権も近い将来、広い分野で持ち出されてくる可能性はあるかもしれません。NHKだけの問題(笑)ではないのですよ。
従って、法的に(一律)救済義務を負う、ということが定められれば、因果関係の特定は要件とはならなくなり、健康被害について賠償せよ、ということになっていくであろうなと思われます。

その他の薬剤においても、「薬剤服用後にある現象が観察された」ということを証明するだけで、賠償してもらえるということになりますね。ですから、タミフルの場合にも、「タミフル飲んだ、飛び降りた」という現象が複数観察されていればよく、全員について一律に救済義務を負うものと解することが可能でありましょう。そこでは、タミフルと飛び降りとの因果関係は必要ではありませんので。これがリレンザであったとしても、同様に救済義務が求められるでしょう。もし因果関係を要件として課すならば、「汚染されたフィブリノゲン」によって感染した、ということを証明できなければなりませんが、「汚染されたフィブリノゲン」だったかどうかは一切問われていないわけですからね。判らない、ということならば、救済義務が優先される、という(法的)考え方になっているでしょう。

薬に副作用がある、という話は、薬剤の薬理作用による健康被害なのか、偶然起こってしまったことなのかに無関係に、救済義務を負うことになるであろう、という意味でしょうね。
例えば薬剤Aを服用した後で、腹痛になった人がいたとしましょう。本当は、前の日に食べた刺身が原因で腹痛であったのですが、たまたま薬剤Aを服用した後であった為に「腹痛は薬剤Aが原因だ」という主張をしたとします。これを法的に許容しますよ、というのが救済法案での考え方です。このごく少数の偶然の一致の見られた人々は、それぞれ原因が全く異なる場合であっても、「薬剤Aを服用」という事実、その後に「腹痛」を生じたという事実、これが揃ってさえいれば一律に救済義務を求めることができる、ということになりますから。
具体例で書けば、本当の原因は
患者1:刺身で腹痛
患者2:牡蛎で腹痛
患者3:食べすぎで腹痛
患者4:ストレスで腹痛
患者5:便秘で腹痛
だとしても、これら患者に共通するのは、「薬剤Aを服用」という事実と、服用後に「腹痛が観察された」という事実であり、これが揃ってさえいれば「腹痛」の健康被害について国が救済義務を負う、ということです。

血液製剤で肝炎ウイルスに感染した本当の理由というものが
患者1:ピアスの穴開けで感染
患者2:針灸で感染
患者3:人工透析で感染
患者4:注射針で感染
患者5:輸血で感染
患者6:他人の鼻血で感染
患者7:性行為で感染
患者8:顔ソリの剃刀で感染
であったとしても、「血液製剤投与」さえ証明できれば「全員一律救済」ということで、国は救済義務を負う、ということです。

これだけ何遍も言っているにも関わらず、理解できないのが論説委員とか新聞記者なのである。
動く歩道を通った、という事実だけで「動く歩道が傷の原因だ、補償せよ」という無謀な要求をしている、って前にも書いたでしょ。全然違うんですって。原因究明という考え方や検証といった考え方からは最も遠く離れた意見が、あなた方のような文系専門バカの出してる「~が原因だ」と短絡的に断定する意見なのですよ。自らの記事についてでさえ検証できもしないくせに、軽々に原因究明だの検証だのという言葉を使うなよ。


朝日新聞の社説はまだマシだ。

asahicom:朝日新聞社説

けれども、この中で述べられている『厚労省は来年度予算案に、高額のインターフェロン治療費を補助する129億円などを計上している。インターフェロンはとりわけC型に有効だ。症状が出ていない人も含め、必要な治療がきちんと受けられるようにしてもらいたい。 』という部分だが、これも何度も書いてきたように、C型肝炎全部でインターフェロンが著効となるのではない。更に、肝硬変や肝ガンになっている患者さんの医療費はカバーされない。インターフェロン治療に係る自己負担額の部分的補助に過ぎないからだ。

例えば現在肝ガンの方の治療費の大半は、高齢者医療費や高額医療費などで高額部分がカバーされていると思うが、それでも通院などは長期に及ぶことが想定され自己負担額が重たい負担になっている患者さんは大勢いるだろう。そういう障害の程度が進んだ方々にこそ、自己負担額を軽減する措置が必要なのだ。個人的推測に過ぎないが、こうした自己負担額を公費負担としても対象者が限定的であるので(全国で2万人程度くらい?)、1人年間24万円(自己負担月額2万円)としても48億円だ。他の公的補助制度(生活保護の医療給付、高齢者医療の自己負担1割、高額医療費制度等)でカバーされていた部分は結構あるだろう。



疲れた。



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新聞の役割は「悪意的な煽動記事」を書くことではない

2007年12月29日 17時45分36秒 | 社会全般
本当に負けず嫌いですね(笑)。
産経新聞の社説とか記事を再三批判したからといって、自らの誤りを認めるのではなく、「役人のせいだ」ということに誘導しようとするのは性根が腐ってますね。この記事のコメントにも書いたけれども、相手の誤りを指摘できることが「自らの正しさ」を示すことにはならない、ということが、記者氏には判らないらしい。


「一律救済なら負担10兆円」? 政府惑わした厚労省の誇大説明 - MSN産経ニュース

(以下に引用)

政府・与党は28日、薬害肝炎訴訟の原告を一律救済する議員立法の骨子案をまとめた。福田康夫首相が「鶴の一声」で救済を決断して、わずか6日間でスピード決着したが、もっと早く救済していれば内閣支持率はここまで下がらなかったとの恨み節も聞こえる。背景には「救済には10兆円必要だ」と誇大な説明を繰り返した厚生労働省と、それに振り回された族議員の姿が浮かび上がる。

 首相が議員立法での救済を表明した翌日の24日。都内のホテルで自民党の谷垣禎一政調会長と公明党の斉藤鉄夫政調会長、与謝野薫前官房長官らが対応を協議した。

 斉藤らが協議を始めようとすると、谷垣氏は「園田(博之政調会長代理)さんが来るまでちょっと…」と難色。園田氏が到着すると、谷垣らは、これまで原告団と交渉してきた与党肝炎対策プロジェクトチーム(PT、川崎二郎座長)で法案策定作業を“丸投げ”しようとした。

 これに与謝野氏は猛反発した。「PTでは駄目だ。あなたがた2人が案を作り、一気に指示を出せ」と一喝した。厚労族が多いPTに預ければ、役人の「呪縛(じゅばく)」から抜け出せないと考えたからだった。

 原告団は当初から、一律救済の対象者となるのは最大1000人程度で国の一時金負担額は最大で200億円に抑えられると主張してきた。「フィブリノゲン」などを投与された患者は推定約1万2000人いるとみられるが、カルテが現存し投与事実を証明できるのは全体の約8%に留まると算定したからだ。

 ところが厚労省幹部は複数の政府・与党関係者に「一律救済を認めれば国の負担は最大10兆円に膨らむ」「原告団には特定の思想がある」との情報を流し続け、与党側の譲歩を牽制(けんせい)。これを真に受けた厚労族や政府高官は「しょせんカネの話だ」と言い放った。

 首相の「呪縛」を解いたのは、与謝野氏らごくわずかな与党議員だった。真相を知った首相は25日夕、首相官邸で被害者らと面談後、ひそかに厚労省幹部を呼び、「話が違うじゃないか」と厳しく叱(しつ)責(せき)した。

 ある自民党幹部は「官僚は組織防衛のためにあらゆるウソをつくことがよく分かった。今回の一件で政治家も目を覚ましたのではないか」と漏らした。

=====

よくもまあこれほどの悪意に満ちた記事を載せますね。
私が何度も言ってるのは、「救済するな」なんてことではない。「事実を述べなさい」「真実に基づいて議論しなさい」と再三要求し、(マスメディアは)正しい情報を広く知らせるべきだ、と指摘してきたんですよ。たとえ原告団に不利な材料であっても、真実を社会に伝えなさい、ということが、記者氏には全く理解できないらしい。誤った情報に基づいて、社会を煽動するのは間違っていると言ってるのだよ。

24日以降の「鶴の一声」後の話なんて、ほぼ大勢が決した後でしょうよ。そもそも議員立法で救済する、という案を固めた時点では、役人側からの「入れ知恵」があったからでしょうよ。法的な問題をクリアできてないのに、「議員立法で対処可能」とする判断は成り立たないでしょう。ま、これは私の推測ですので、事実はどうなのか判りませんけど。福田総理自身が寝て起きたら「ハタと閃いた」のかもしれませんからね。まあこれはいいでしょう。

「原告団は当初から一律救済対象は最大で1000人」という話を出してきた、というのは、本当ですか?このことを示したのは何日ですか?

私が記事に書いたのが11日だ>肝炎訴訟に関する雑考~10(ちょっと追加)
この中で、一律救済という強硬な主張であるとどれ位の金額となるのか、ということを書いている。少なくともこの時点では、「原告団は最大で1000人だ」という意見を提示してはいなかったはずだろう。産経新聞の記者氏が言う「当初から」というのは、一体いつの時点のことをさすのか?「当初」というのは、交渉のテーブルについて開始早々、みたいなものではないのか?新聞記事でもいいけど、「最大で1000人」という数字が原告団から示されたのはいつですか?これは過去の事実を確認すればいいだけなので、できるでしょう?参考までに、ネット上に残っている記事では13日以前のものは確認できませんでしたけど。

13日の大阪高裁の和解骨子案提示に対して、原告団が「線引き拒否」を頑なに主張していた。一律という部分の難しさについては、「金額的問題」ということを役人は言っていたのかもしれないが、これへの反論としてようやく「最大で1000人くらいだ」ということを原告側が言ったのではないか?つまり、そうであるなら、11日時点で私が記事に書いた時には、そんな話は出されていなかった可能性はあるだろう。13日以降の高裁和解案について拒否の理由を主張するために、「後付け」で出された最大で1000人という数字なのではないのか?ま、交渉の『当初』からこの数字が双方ともに了解済みであった場合には、誰もこれ以上の人数を金額算定の根拠にはしないだろうと思いますけど。
新聞記者というのは、事実ではなく自分の思い描いていることを記事にするのが仕事なんですかね?


13日の骨子案提示前には、色々と煽動はあったんじゃないですか。

11日 フィブリン糊で提訴とか>こんなところにも

12日 既に死亡した方の遺族を原告団に入れた、とか>今度は遺族が提訴

これら活動は骨子案提示前の大阪高裁への「暗黙の圧力」であり、社会的影響力を行使する為の煽動工作にすぎないのではありませんか、ということを指摘しているのが、未だに判らないのでしょうか。

参考までに、もの判りが悪い(マスコミ風?か2ちゃん風な表現だと「ゆとり教育乙」のせいで科学的応用力や読解力の低い?)記者の方たちもおられるかもしれませんので、書いておきますか。
「既に死亡された方」が補償対象であるのは、何故だと考えますか?
健康被害があまりに可哀想なので、健康を回復させてあげる為ですか?ご本人がご存命ではないのですから、必要となる医療を提供できませんよね?それとも、遺族が「金銭的利益を必要とするから」でしょうか?

上の参考記事に挙げた毎日新聞記者の清水健二記者は原告団が当初から主張していたらしい「最大で1000人」という「小さな数字」を全く挙げておらず、「約28万人」とか「約7万9千人」とかの「大きな数字」ばかりを書いているのは、何らかの意図を持っているからでしょうかね?産経記者には毎日記者の悪意度は理解できないでしょうけど、同じ記者同士でなら判ることがあるかもしれませんな。沖縄の教科書検定問題のデモが11万人だったか、それよりずっと小さい数字だったか、も同じような意味合いなのではありませんか?まさか産経記者がこのことを理解できないわけがありますまい(笑)。


更に指摘しておきますが、20日の大阪高裁の提示した和解案の何が不満だったと考えられるでしょうか?これは政府側が譲歩して出した数字であったはずだ。つまり役人側が算定根拠となる数字を変えて、原告団の出してきた数字を元に提示額を考えたものと思うのですけれども、この時点でも役人たちが「組織防衛の為に」ウソの数字を並べていたとでも言うのでしょうか?今出ている議員立法云々の話での数字は、この時の数字の基本線とそんなに大きくは違わないのではありませんか?今後出現してくるであろう、(原告団に現在入ってない)投与を受けた人への金額が積み増しされたくらいなのではありませんかね?

「一律救済」にしつこく拘っていたのは、原告団の中で格差が生まれるからであり、しかも「メインキャラ」である福田さんがクリスマシン投与であった為に対象から漏れてしまうから、ということであろう。フィブリノゲンは対象になっても、クリスマシンを対象とする地裁判決はあったのですか?クリスマシンについての国の責任は、判決中でも認定されていなかったのではありませんか?今後訴訟継続を選択したとしても、ほぼ敗訴が濃厚であったことでしょう。そんな「仲間を見捨てる」という選択を迫られたら、和解案は呑めない、というに決まっていますよ。その最大の理由は、国の薬害の責任を問うとか再発防止の為なんかじゃない、単純に「金額の大きさ」が「私」と「福田さん」では大きく異なっていたから、だ。

金が目的ではない、ということならば、まず財団でも作れば良かったのだ。そこに全員が貰った補償金全額を一括でプールして、そこからもう一度分配しなおせばよかっただけだろう。それならば、原告団の中では、全員一律の補償金を手にすることができただろう。なぜこれをやろう、という意見が出なかったのか。それは、自分が貰った金を何処かに一括プールして分配しなおすなんてことは、みんなやりたくないからだろう。少なくとも、大阪高裁の和解案で提示された金額は、以前に書いたB型肝炎訴訟最高裁判決に比べても、「はるかに多い」ものであった。1964~71年頃の集団予防接種の話であって、当時にはまだHBV検査法は十分ではなかった。HBVキャリアは500万円と50万円元金+遅延損害金だったのだ(原告には84年頃の人もいた)。HCV感染とは異なる、ということはあるだろうが、法的な注意義務を怠っていたことが最高裁に認定されたとしても、この金額である。それが、「法的な注意義務」は判明していないものについて賠償金支払を強要し、更に金額的にはもっと払え、というものであるということをよく考えてみるべきであろう。

簡潔に書くと、次のようになる。
①行為:ワクチン投与(集団予防接種)
②事後的に判明した事実:HBV陽性(B型肝炎感染)
これらは、司法機関が「法的に因果関係と過失を認定」しているものであって、手続的には正統性がある。

C型肝炎ではどうか。
①行為:フィブリノゲン投与
②事後的に判明した事実:HCV陽性
思考能力に乏しく、官僚がウソの説明をしていることを叩きたい連中には、①があれば「自動的に」②が結論付けられ、法的責任の有無には無関係に「一律救済せよ」と求めるわけだ。クリスマシンもそうだ。

①行為:クリスマシン投与
②事後的に判明した事実:HCV陽性

これらの①と②には、因果関係の存在が強く推認されなくてもいいし、法的責任のないものであっても、国に完全なる賠償を求められる、ということです。


ならば、いくらでも一律救済事案は増やせるので、全国民に訴訟提起を強く推奨する。
例で書いてみますか。

◆フィブリン糊
①行為:フィブリン糊投与
②事後的に判明した事実:HCV陽性

◆輸血(赤血球、血小板、FFP等)
①血液成分投与
②HCV(若しくはHBV)陽性

◆γグロブリン
①グロブリン投与
②HCV(HBV)陽性

◆アルブミン
①アルブミン投与
②HCV(HBV)陽性

少なくとも原告団が大阪高裁和解案に応じていたのであれば、ある種の「司法取引」的な面というか意味合いがあるのであるから、法的決着というものは本質的に必要とされない。法的過失認定とか、因果関係を明らかにすることを追求していかなくてよくなるからである。ところが、こうした取引を蹴って、「(国の=厚生省の=官僚の)法的責任を明らかにする」と言っておきながら、①と②の因果関係及び過失の有無を原告側が一切明らかにしない、というのは本来おかしいだろう。例えば、「輸血が感染原因とは考えられない」とか、「注射針の煮沸消毒が感染原因とは考えられない」とか、他の要因を否定できる合理的根拠を提示しなければならない。これを全くやらないのであれば、「○○が原因だ」などとは主張できないのである。


最後に、議員立法で想定している被害者の認定を裁判所が行うという話であるが、これはあくまで「フィブリノゲン(やクリスマシン等の薬剤)投与の事実」を認定するだけであって、上記①の行為の部分を裁判所で審査しましょう、という程度の話に過ぎないのではないか。①と②の因果関係の法的認定を行うわけではないだろう。大体、裁判所で②の因果関係を個別に「法的に認定」できるのであれば、裁判をやれば全件必勝だろうに(笑)。

因果関係がなくても、法的責任がなくても、「国が一律救済しなければならない」(=それが政治の役割だ~by一律救済推進派&人民が裁くのは当然だ派)のであれば、「ほぼ全部になってしまう」と恐れるのは、「ごくマトモな思考能力の持ち主」であれば普通の反応なのではないか?それは官僚だか役人だかがそう言うから、ということではないだろう。
(参考までに言うと、私は役人とか官僚には徹底して批判してきたし、肩を持つ気もないし、彼らを守るべき理由など全く持ってない。利害関係者でも当然ない。製薬会社関連の人間でもなければ、その研究とかにも一切関係ない人間ですよ。あくまで個人的見解を言っているだけだ)

肝炎患者のほぼ全てに一律救済を求められても、国は拒否できないだろう。拒否できる理由など残っていない、ということだ。

もし、国が(B型及びC型)肝炎患者の一律救済を拒否できる正当な理由がある、という記者氏がいるなら、是非ともその論理を提示してみなさい。他の、一律救済支持派の方々でも宜しいですよ。何なら、巨額利益を得るであろう、原告団の弁護士先生方でもいいですよ。誰でもよいから、その理由を言ってごらんなさい。ご高説を聞かせて欲しい。



ああ、こちらにも結構集まってきているので、我こそは、という人がいたら、是非お答えを下さればと思います。

はてなブックマーク - 「一律救済なら負担10兆円」? 政府惑わした厚労省の誇大説明 - MSN産経ニュース



それから、この記事>2007-12-29 - 愉快痛快奇奇怪怪

24日のリンク先の記事も読んだけれど、官僚の説明が間違いであり「言いなりにならずに政治決断するのが正しい」というのであれば、私の提示したような疑問点にも容易に答えられることでしょう。
クリスマシンで感染したら「可哀想」だけど、輸血でC型肝炎になった人は可哀想ではないのか?肝硬変とか肝ガンになっている人たちを救うのが「政治の責任」であり、「総理の役目」なのでしょ?

まさか、輸血で感染して肝ガンになっている人を救うのは、政治の役目ではない、とか、救済は必要ない、などと言ったりはしないんだよね?


研究者とか、いっぱしの知識人気取りの連中は、自分の都合の悪いことを指摘されると一切答えないという特性があるみたいだから、スルーだろうけどね。
この前もそうだったし。


コメント (2)
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振り込め詐欺?メールが届いたぞ

2007年12月29日 14時22分53秒 | 俺のそれ
遂に我が家にもやってキター!!

家人と全く同一日に受信しているのと、同じメールであることから、ソフトバンク携帯のメールアドレスの登録情報が漏れた可能性が高いと推測しています。なお家族のうちの1人は、一度登録した後にアドレスの一部を後日変更したためか、このメールが届いていませんでした。なので、漏れた情報がある日の時点分までで、その後に登録されたメールアドレスはまだ漏れていないのではないかと思われます。携帯を変えて数ヶ月で漏れてるのは、とても問題ですね>ソフトバンク

以前の携帯の時には一度も来なかったので、参考にはなりますけど。
携帯を用いてのサイト利用はこれまで一度もない(ソフトバンクのメールアドレス登録をしただけ)のと、メール送信先は家族以外に用いていないことから、漏れる箇所は極めて限られているはずです。


で、問題のメールですけれども、一切連絡してないですが、どう見ても振り込め詐欺まがいのメールと思いますので、以下にご紹介したいと思います。

◇◇

(発信者 0803583●7●1)

日本総合調査局株式会社 担当大川と申します。
この度、現在お客様ご私用中の携帯端末より、認可ネットワーク認証事業者センターを介入し、発信者端末電子名義認証を行い、以前ご登録いただいた「総合情報サイト」から、無料期間中に退会処理がなされていない為に、登録料金が発生し、現在未払いとなった状態のまま長期放置が続いておりますが、本通達より再度これ以上放置が続きますと、利用規約に伴い、住民票取得、お客様の身辺調査了承後、後日回収機関により、調査費 回収費含め、ご自宅、お勤め先、第三者への満額請求へと代わります。現在調査保留の額面にて、処理をご希望であれば、早期に精算 退会処理データ抹消手続をお願いします。

ご連絡先 0359095731
担当 大川信二
東京都新宿区西新宿1丁目19-6 伊東ビル2階 代表取締役伊東健一

◇◇


全くのアホの書いた文章ー!!
日本語がヘンだー(笑)
これに引っ掛かる人はいるのかな、と思いますけれども、完成度は低いですね。

・会社名がかなりヘン。~調査局(株)って…。
・「ご私用中」→「使用」だね。誤変換だろうけど、会社だったら間違わない。
・「認可ネットワーク」「認証事業者」とか、認可や認証などの公的イメージを与えるつもりだろうけど、過剰だね。くどいし、やたらとかじょー。
・「発信者端末電子名義認証」も漢字を多く使えば騙せるぜ、ってな感じ?(笑)
・「総合情報サイト」→何処にあるー、見せてくれー(笑)妙に具体性の乏しいネーミングしか出せないのがバカー
・「登録料金」発生~笑、そんなうまい商売は、ねーー
・「本通達」→株式会社は通達を出してねー
・「再度これ以上放置が」→「再度」は不要、「これ以上」だけでいい。
・「利用規約に伴い」→伴わねー、「従い」とかじゃない?
・「住民票取得、お客様身辺調査」は了承しないだろ、普通
・「調査費 回収費含め」→そんな取立は多分ないよー
・「第三者への満額請求」はできねー、好きにすれー(笑)
・「現在調査保留の額面」→保留しなくていいぞー、調査すれ(笑)
・「西新宿1丁目」に伊東ビルはないよ、検索を知らんのか?

日本テレビの「イマイさん」でしたっけ?
担当の大川さんに電話してみて欲しいー、是非やって欲しい(笑)。あまりにうまくいきそうで、結果が目に浮かぶようです。

捜査当局の方々も、頑張って捕まえてね。


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サブプライム・ショックから学んだこと

2007年12月28日 18時50分34秒 | 経済関連
えー、本日も下げがキツく、「終わり良ければ」っぽいのを期待していたわたくしがバカでございました(笑)。
まあ運用益はちょっぴり確保されましたので、年越し蕎麦&ビールが買える程度には幸せ気分ではありますけどね。含み損はなるべく無視することにしており(楽観派なので、笑)ますけれども、運用益の半分くらいが残っています。まあ、配当を得たりして、いずれ解消に向かうでしょう(期待だけかも)。
ところで、一時期話題に上っていた「デイトレ」の方々は、最近は下火になったのでありましょうか?よく知りませんけど。以前には格差社会の申し子的な感じで、ニート的存在とも相まって巷間を賑わせていたように思うのですが、ごく一部の成功者を除いてみんなヤラれてしまったのでありましょうか?
ライブドア株の株主訴訟とか、そういえばどうなったんでしたっけ?関心もないのですっかり忘れてたよ。
僅かな元手を握り締めて、博打につぎ込む代わりに、チープ革命の恩恵を受けたネット株取引に精力を傾けていた諸君は、軒並み撤退していったのでしょうかね。何たって、テラ銭(笑)が格段に安いからね。どうなんでしょうか。それはそれで可哀想だけど、自分に合う投資法ではなかっただけで株式投資が悪いワケでもないんだけどね。ライブドア株の沈没と伴に、ネット株取引市場からササッーと退いていったのでありましょうか。大勢の若者が、ちょっと高い授業料を取られて市場から去っていくのも残念ですので、是非とも「各員奮戦せよ」ってなことで栄光を掴んでもらいたいもんです。ああ、そうか、今生き延びているデイトレの人は、セミプロな人たちばかりなのかもしれませんね。これまで戦いぬいてきた歴戦の猛者ということであれば、成功者の方が断然多いのかもしれませんし。これは別にいいか。

米国サブプライム関連の損失が報じられる度に大きくなっていくが、どこで損失の天井が見えてくるのか、今の所は判らない。今後の見通しも依然として不透明だ。
対策として報じられていた、金利凍結策とか、大爆笑だね。
某駐日大使風な表現を用いるとすれば、「金利にキャップなんてファシストのすることだ」みたいなもんですか(笑)。ファシスト的な政策を打ち出した国は、どこなんでしょう?金利を下げても破産は防げない、というのであれば、全く意味のない策だわな(爆)。それとも、とりあえず効果が出るから、ということですか?時間的には短時間で即効くからね。借り手全員に面接とか調査なんかを実施している時間などないからね。融資審査を厳しくしろ、ってのも、日本の一部マスコミなら真っ先に大反対だろうね。


ところで、これまで自称「経済学の専門家」とか、日経や産経の社説を書いていた論説委員なんかが言ってたことが、いかにいい加減な言説を垂れ流していたのかがよく判る。影響力のない弱小個人があれこれ主張するのと、全国紙の新聞社説なんかで「誤った言説」を用いて人々を誘導しようとするのでは、明らかに違う。



世の中は広いから、ウソつきは、どこにでもいる。
というようなことだな。


ニセの論理っぽい話や、同情を買う話(ハイリスクの借りたい人が借りられなくなる・弱小個人や零細業者の倒産が増加する・ヤミ金の餌食にされる、とか、全部薬害のせいで肝炎になったんだ・隠してたせいで死んだんだ、とか、オマエはそれでもいいって言うのかー!!それでも人間かー、みたいな)を織り交ぜて、論理的でもなければ正確でもなく望ましい結果をもたらさないようなこと『だけ』を意図的に言うのである。最悪、最低である。

せめて、誤った知識に基づいていた為に「論理的ではあるが、基礎となる情報が誤っている」とかなら、少しは救いがあろう。けれども、基礎となる情報(それとも情報の解釈とか意味付け?)が誤っており、その上展開される理屈みたいなものも「屁理屈」というだけであって、論理的ではないし大幅に間違っているのである。過程が誤っていたとしても、偶然「結果オーライ」の意思表明であったりすることもあるが、それもハズレなのである(笑)。一体、何処に救いを求めたらいいのだろうか?これこそ、「一律に救済」してやって欲しい。

よく判らないけれど「賛成ー!」とか言うのなら、その選択結果が当たっていたことに意味はあるだろう。難しくてよく判んないけど、賛成、っていう意見なのだから。そう言ってくれれば、「ああ、この人は詳しく判らないけれど賛成と言ってるんだな」と周囲から見た時に判るからね。正直にそう書けばよいのだよ。けれど、それなりの地位にある人間は、あまりに悔しいのか絶対に書いたりはしないのだよ。社説で訂正なんてみっともないもんね(笑)。


「官僚は責任を認めろ、行政の怠慢を認めろ、誤りであったことを認めろ」みたいに、他人の責任については散々求めているクセに、自分の責任とか誤りを認めないというのは、役人と共通なんですよ。何も違いなどない。
あと、金融政策なんかで、「頭を使ってよく考えた結果」連続で間違い続けてきたというワケも、何となく判りましたわ。
マスメディアなんかの連中が、日銀とかと一緒になって、わざわざ「間違い」の方向に突き進んで行くんですわ。下手に「元々少ない脳みそ」を使おうと思って、ヘンな屁理屈をひねり出すと、サイコロ振って適当に決めた選択以下の結果しか残せないんですもんね。ワザと間違いを選ぶ人たちには、到底勝てませんぜ。こういう連中が自らの誤りであったことに気付き、それを認めない限り、何度でも繰り返される。




日本の貸金市場と、アメリカのサブプライム住宅ローン市場では、制度も環境も全く違うけれども、大変勉強になりますね。

借りたい人にどんどん貸すと、どうなるか。
貸し手競争が過度に進むと、貸出はどうなってしまうのか。


アメリカ人の言ってた、自由な金利とか自由な金融を重んじる精神は、全世界に素晴らしい結果をもたらしてくれました。金融工学って素晴らしい。投資銀行業務って、凄い。スコアリング・モデルはさすがだ。金利はリスクを正確に反映するって本当だったんだね。
アメリカ万歳!自由な金貸し万歳!

今日も東奔西走、金を必死でかき集めている方々が大勢いるようで何よりです。
世界中に「毒キノコ」みたいな、おいしい債券をばら撒いてくれて、本当に有難う!
借り手も貸し手もみんな幸せになれて、本当に良かったですね(爆)。



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薬害の一律救済は欺瞞に過ぎない

2007年12月26日 12時34分59秒 | 社会全般
世の中のよく考えるということをしない人々の多さには呆れる。
ある程度、論理的に思考することが可能な人間(大学の教官とか法学的知識を有する人とか)でさえ、「薬害患者一律救済」という御旗の誤りというものを認められないのである。それを強要している人々も全く同じである。


例えば、過日質問にお答えを頂いたことがあったのだが、あくまで都合よく書ける部分だけ意見を述べ、「不都合な事実」に対しては無視を決め込むという姿勢は、これまでに何度も目にしてきたので驚きはしない。知的水準のある程度高いと目される人々には、ありがちなのであろうか?(笑)
決して自らの主張の誤りや矛盾点を省みることがなく、指摘されている事項について更に考えて見るとか誤りであったことの意見表明などは決してなされないのである。これは役人たちの「誤りを認めない、改めようとしない」という姿勢とあまりによく似ている(笑)。

ポピュリズム的手法を称揚するかのような意見がまかり通るのは何故なのか

ポピュリズム的手法を称揚するかのような意見がまかり通るのは何故なのか~2


多くの「一律救済支持者」たちは「線引きするな」と言い続けているのだが、感染原因によって「線引き」しているのは明らかであろう。彼らの理屈とは、判りやすく書けばこうなる。

①薬物濫用者が汚染された注射器でC型肝炎に感染し、肝硬変となっている人
→そんなの自己責任で感染してるし、医療制度で保障があるのだから政府が救う必要はない

②フィブリノゲンを投与され術後にC型肝炎感染が判明した無症候性キャリア
→何らの落ち度もなく感染させられたのだから、とても可哀想だ、政府が金出せ、謝罪は当然だ

①の人と、②の人との不幸の度合いを比べるなどということは基本的にできないだろうと思うが、少なくとも外見的範囲で言うならば、①の人は肝硬変になっているのであるから医療費も大変だろうし、病状もはるかに重い。②の人は、日常生活に大きな支障を来たす程の病状とはなっていないことは少なくない。

「病気」という点で見れば、私からすると①の人の方がはるかに可哀想に思うけど。
しかし、「薬害だ」と主張している人々は、そういうことに目を向けたりはせずに、「誰がやったか」という責任追及論の部分だけで「金を払え」ということを正当化しているのだと思うのだが。

本当に病気で困っている人たちを「一律に救済する」というつもりがあるなら、「感染原因にはよらず、医療費を保障してあげる」ことだと思う。

しかし、薬害だ、と追及している人たちは、「誰かのせいで感染したんだ、だから補償せよ」ということを言ってるはずなのに、「誰かのせい」というのが本当に「製薬会社」や「役人」のせいなのかを、決して明らかにせず立証することもないのである。その証明すらないものを「お前のせいだろ、だから金を取れる権利があるのだ」というような、無理矢理ぶん取ることを正当化しているのである。

本当に輸血ではないと言えるのか?言えるのなら、その論を提示せよ、と求めても、誰も提示しないのである。そもそも、それを説明できないからである。全ての感染原因について、否定できるような立証を行うことは、事実上ほぼ不可能なのである。

上の参考記事の2の方に、次のように書いた。

<<感染理由が異なるということで「肝炎患者の線引きをする」というのであれば、何故原告団の線引き拒否を指摘しないのでしょうか?先生が書かれている「原因不明」とか「他の原因」という可能性は、例の肝炎患者リストにおいても同じです。輸血を受けていて、フィブリノゲン投与も受けている場合、先生が輸血による感染可能性を否定できる合理的根拠とは一体何なのでしょうか?先生のご意見に従えば、輸血によって感染したら、これは「他の原因」による感染者ということで「扱いが変わる」のは当然なのではありませんか?医療機関の医療器具の滅菌不良によって集団感染した場合も、これは「他の原因」による感染者なのではありませんか?>>

そして、今日の記事で偶然にも医療器具と推測される集団感染が報じられた。

C型肝炎:茅ケ崎市立病院の院内感染 使い捨て機器の使い回しが原因か /神奈川(毎日新聞) - Yahooニュース

茅ケ崎市立病院で心臓カテーテル検査を受けた男性患者5人が、C型肝炎を発症した院内感染問題。使い捨ての機器を約100回も使い回したことが25日、病院の調べで分かった。病院は、患者向けに相談窓口を設け、正月返上で対応する。
 病院によると、4~10月の半年間に心臓カテーテル検査を276回行ったが、血圧を電気信号に換えて計測する使い捨ての変換器を170回しか交換していなかった。5人はC型肝炎発症者の検査直後に同じ検査を受けていて、使い回しが感染原因の可能性が高い。
 検査は医師2~3人と看護師2人、臨床工学技士1人のチームで行い、変換器の交換は技士が担当する。しかし病院のマニュアルには「使い捨て」と明記されておらず、技士は1回ごとに交換していなかった。
 病院の担当者は25日の記者会見で「カテーテル(合成樹脂製の管)など検査機器のほとんどが使い捨て。医師は当然交換していると思い込んでいた」と説明。仙賀裕院長は「次々と患者が来る中で『慣れ』があったかもしれない」と、1日に検査が7~8回続いた際に、交換しなかった可能性を指摘した。

=====

こうして現実に「血液製剤」を原因としない水平感染は発生するのである。現在はHCV検査もあるし、医療器具の殆どはディスポに切り替わっているのに、起こってしまうことがあるのである。これが80年代であれば、どうであったのか?本当に、フィブリノゲンだけを感染原因として、みんな肝炎に感染したと言えるのか?医療器具が今ほどディスポでない時代であって、その滅菌不良が原因でなかったと言えるのか?

茅ヶ崎の感染原因と推定されているのは、恐らく「圧トランスデューサー」の部分ではないかと思われる。肺動脈圧とかを測定する為のカテではなかろうか。詳しいことは判らないけれども。これで感染する可能性はかなり少ないだろうと思うのだけれど、それでも感染が発生し得るということなのであろう。


だから、「フィブリノゲンが原因だ」と主張する為には、こうした他の感染原因がある程度否定できなければならず、血液製剤が原因であろうと推測するのが合理的である、という論理を提示しなければならないのである。誰もやってないのであるが。

可哀想なのは、何を原因として感染してしまったかは不明だけれども、肝炎とそれに続発する病気(肝機能障害、肝硬変や肝ガンなど)で困っている人であり、それは血液製剤の投与の有無には関係がない。

是非聞かせて欲しい。
輸血で感染した人たちは、可哀想じゃないのか。
針で感染した人たちは?
親から感染した人たちは?
病気で苦しんでいるのは同じで、何らの違いもないだろ。

欺瞞なのだ。
薬害利権に集る人々の欺瞞に過ぎないのだ。


薬害だ、と強硬に主張し、その補償金を得るのが当然だ、と言ってる人々は、要するに「自分さえ良ければいい、自分だけ得すればいい」という発想と何らの違いがない、ということですよ。
線引きするな、と主張しても、実際に「投与の有無」で線引きし、投与を受けた人たちは「投与されてないけどC型肝炎になった人」に比べて、自分だけは「多額の金を貰え、総理に慰めてもらえる」という特権を手にできる、ということですね。


本当に、誰もこのことに疑問を感じないのか?


コメント (4)
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統治機構を無視する連中

2007年12月25日 16時18分38秒 | 社会全般
この国は異常だ。


マスコミが煽動すると、日本の統治機構を「なかったことにできる」などという、超法規的措置を可能にするなど狂ってる。


そのまんま東みたいな、判りもしないクセに判ったことを言う「政治家もどき」が存在していることにも、無性に腹が立つ。彼の言い分は、「支持率を上げる方法なんていくらでもありますよ。一律救済すればいいに決まってますよ」とか言ってるのだが、彼は支持率の為とか自分の権力保持の為ならば、法規範を蔑ろにできるのだそうだ。他の国会議員にしても、与野党ともに耳障りのいいことしか言わない連中ばかりだ。真実を述べようという人間は、現れないのである。

FDAで承認取り消しとなったのはHBV感染に対する措置であると思われるが、これはHCV感染を防ぎえたことの理由にはならない。大体、日本で未承認若しくは承認取り消しとなった薬剤が、FDA基準では用いられている例がないということはないだろう。逆もまた同様なのではないか(全薬剤を調べてないので判らないけれども、多分そういう薬はあると思う)。もしも、FDA承認が絶対性を持つ判断基準であるなら、日本での承認制度なんて必要ないのではないか?(笑)全部、オールアメリカンの基準を、パクってそっくりそのまま持ってくればいいだけの話だろう。FDAで決めたことを全て取り入れれば日本での決定過程を省略できて、楽チンだよね。何故そうした提案を誰もしないのか疑問だ。

三宅某とかいう政治評論家にしても、判らないのであれば政治の話だけやってりゃいいものを、自分の知らない分野について間違ったことをテレビで大々的に言うのは、明らかにオカシイ。あるあるの納豆騒動と同じようなものだ、と言ってるんですよ。テレビで「何でも言える」なら、BPOはいらねえな。


裁判の和解では解決できないので政治決断で、という理屈で、立法で救済ということらしいから、訴訟取り下げとなるということですかね?大阪高裁は無駄骨だった、と。再提案の発表も、何らの意味もなかった、と。まあ、しょうがないですわな。総理が決めたことですからね。

で、立法ということになれば、国会で議案を審議し決めるということになるが、その権限を持つのは国会議員であって、一般人の特定利権集団ではないはずだが。どこに、「条文はこれで宜しいでしょうか」とか、特定の関係利害人に聞いたりする国会があるのでしょうか?「こんな法案は呑めません」と言われたら、はいそうですか、と聞いてくれる国会というのは、一体何ですか?そういうごく少数の特定利権集団の意向に合わせた立法措置を可能にしてしまうとなれば、煽動工作を行う特定集団が登場しても常にそいつらの言い分を通す法案を国会で決めるということですか?そうした特定集団は、何の権利をもってそうした活動を許されるのでしょうか?

一般国民は、「こういう法案を作ってくれ」とか「こんな条文には反対だ」という意見表明や要望提出などは可能かもしれないが、国会の立法権にまで立ち入って、法案に対して特定利権集団の意向を反映せよとか受け入れ拒否とか、そういう介入を許すというのは、どのような権力によるものなのだ?その根拠とは何だ?そういうことさえ考えられないマスコミは、異常だ。

支持率の為には、日本の基本的統治機構を乱してもいいのだそうだ。政府のそういう行為や権限行使が許されるのだそうだ。権力維持の為なら、いいのだそうだ。


大阪高裁が和解協議を再開する、という発表があったので、私は個人的意見を書いた。役人が謝罪する方がいい、とも書いたよ。だけど、あれは「非公式協議」であるからであって、公開されない場であるからこそ、感情的なわだかまりを取り去る為の一つの方法だろうと思ったからだ。
だが、今は「立法」で対処するということになったのであるから、謝ってもしょうがないよ。マスコミが喜び勇んで「謝罪会見シーン」を報じるだけだろう。泣き喚き、可哀想だという世間の同情を買うことに成功すれば、官邸まで乗り込んでいって自分たちの意向に沿った立法作業をさせられる、という特権を与えられるのだそうだ。ごく少数集団が、恣意的な立法をさせられるのだそうだ。どういう権利でもって、その集団は提出前の法案を見る権利があるのだろうか?公表されてないものを、自分たちだけは見せてもらえるのだそうだよ。介入できる権力を有しているのだそうだ。その権力の源は、間抜けなマスコミ連中や広告塔議員連中やコメンテーターや論説委員などがバックに付いているから許されるのだそうだよ。……異常だ。

注意義務の水準は、法による判断よりも、人民が「注意が足りない」認定による、という無法地帯のようなことになっている、と。人民(→具体的には誰なのかは不明なのである)の認定を受けてしまうと、法的過失の有無に関係なく賠償義務を負わされるのである。


Xはあるテストの問題を解き答案を作成するものとする。
Xは答案の誤りがないように、一度作成した答案を再び全て見直すという注意を払っていた。更に、これでは不十分であると思い、Yに問題を解いて答案を作成してもらうことを依頼し、Xの作成した答案と照合し全て点検した。
この時、Xの払った注意とは、「自分で点検」「Yに依頼し照合して点検」ということである。この答案結果は、1000点満点で900点であったならば、「ミスが100点もあった」と非難される、ということである。訴訟になれば、法的に「ミスが何点までは許容されるか」という判断を行うのであり、例えばミスが100点以内であれば「自ら点検と照合して点検の注意を払っていたので、注意義務を果たしていた、故に過失は認めなかった」という具合に判断されるだろう。

しかし、時には「注意をしていた、けれどもまだ足りない」という、より高度な義務を課せられることは少なくない。医療裁判などでは、そうした傾向や判決が見られることがある。普通のレベルで考えると、1000点満点で950点であって「ミスの範囲はとても少ない」ということであっても、「注意が足りなかった」(=お前ら、もっと注意しとけ)ので過失認定となるのである。弁護士や裁判官や検察官がこれほどの義務を課せられているとは思われないが、「お前らもっと注意しとけ」と言われるのである。
更に、「肝炎一律救済」派の主張の如く、人民による「過失認定」を受けてしまうと、法に根拠のない義務を課せられるのである。10000点満点で9999点であったとしても、「1点ミスってるだろ」というような恣意的認定を人民が自由に行うことが許され、この罰を与えんが為に直接行動を行い、政府や政党を動かしさえすれば自由に過失認定が可能となるのだそうだ。過失を犯したのだから、「ペナルティを受けろ」と人民に求められ、これが当然とまで言われるのである。

全部のマスコミが
「たとえ1点でも、ミスってるだろ、ミスはミスだろ、ミスがあると認めろ、それを認めないというのかコノヤロ、人の命を何だと思ってんだ、ミスがあったのか無かったのかどっちだよ、あったんだったら認めろ、ミスを認めてお前ら謝れ、責任取って金払え」
と主張しているのだ。

ミスの程度とか、違法なミスであったかに無関係に、責任を負え、と。専ら「ミス」と主張しているのは、特定少数集団の人々とマスコミの無知無法の連中なのである。司法にミスかどうか判断を聞くよりも、自分たちの判定の方が「何よりも」優先されるのである。
テストの答案作成について、Xはどの程度まで注意義務を負わされるのか法的に判断されず、マスコミの知ったかぶりの連中が判断するのだそうだ。で、Xは点検、YやZに依頼して点検、国内外のA、B、C、…に照会して点検、どんだけやっても1000点満点で950点とか980点とか999点くらいはいくけど、満点は無理なのだ。でも、マスコミは「まだ足りない」とか勝手に言い、「10000点満点で9999点か、10万点満点で99999点くらいの精度になってなきゃダメだ。人の命を何だと思ってるんだ、それくらいの注意をするのは当たり前だろ」ということを求めるのである。


恐ろしい。



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ポピュリズム的手法を称揚するかのような意見がまかり通るのは何故なのか~2

2007年12月24日 17時56分00秒 | 社会全般
前の記事にお返事を頂戴しましたので、続きを書いてみました。

◇◇◇


tochinai先生、早速のご回答をいただきまして、誠に有難うございます。興味深く拝見致しましたが、若干の疑問点もございますので、その辺りにつきまして、書いてみたいと思います。
(以下、tochinai先生のご回答部分は『』で引用致します)

『丁寧にご質問いただいたので、まさくにさんのご質問に簡単にお答えしたいと思います。まさくにさんと私の違いは、基本的にこの問題に対する視点の違いに由来するものだと思います。まさくにさんの主な主張は「責任」はどこにあるのかということだと思いますが、私は責任問題も無視はしておりませんが、国(政府、政治)はなんのために存在するのかというところから発想しています。国は国民の生命と生活を守るために、国民によって作られたものが民主主義国家だというのが私の判断です。
 その視点から見ると、国に責任がない場合には患者を救済しなくても良いということにはなりません。責任があろうがなかろうが、国には国民の生命と生活を守る義務があるのです。もちろん納税を代表として、そのサービスを受けるために国民がしなければならない義務もたくさんあります。』

先生の記述を私の理解の範囲で書きますと、

ア)国は国民の生命と生活を守る義務がある
イ)(法的)責任があろうとなかろうとその義務はある

ということかと思います。これが民主主義国家の前提である、というようなことかと思います。

ア)はそうだろうな、と思えますけれども、イ)は法的義務のないものまで国家に責任を持たせる、また、行為の権限を与える、ということになるように思われ、それは法治国家として正当なのでしょうか。基本的に、義務は法的に規定されるものであって、法の根拠なきものに義務などは発生しないのではないでしょうか。それでは無際限な義務を課すことがいくらでも可能になってしまいます。

=====


①一律救済するという裁判所判断が殆ど出てない理由をどのようにお考えでしょうか?

『裁判所が判断しているのは、どこまで国の責任を問えるかということであり、責任がないと判断された場合に救済義務は生じないということです。裁判所もそれでは民主主義国家としての政府の責任が果たせないだろうという判断をしたので、和解を呼びかけたということでしょう。
 それとは別に、最近の日本の裁判が独立性を失いつつある傾向は顕著であり、憂慮しています。例えば、こちらなどをご覧下さい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20071212/143054/』


裁判所が和解を勧告したのは、全国各地で提訴が行われていることと、法的係争では10年以上の戦いとなってしまうので、原告団にとって肝炎の病状進行等、著しい不利益が発生してしまうことが十分考えられるからなのではないでしょうか。裁判所が何故和解勧告をしたのか、というのは問題の本質とは離れますので、推測してもあまり意味はないかもしれませんが。
「政府の責任が果たせないだろうという判断」をするのであれば、判決でそう示すのが当たり前であって、そう考えるのであれば被告である国に厳しい判決を出せば済むことです。しかし、5つの地裁で、それぞれ複数の裁判官たちが考えた結果であっても、必ずしもそうはなっていません。多くの裁判所が「民主主義国家としての政府の責任が果たせなくともよい」という考えを持っている、などとは思えません。

お示し頂いた記事は、私も記事に取り上げたことがあって拝見しておりました。要旨としては、裁判所の独立性を殊更に問題としているものではなかったように記憶しております。先生が憂慮されるような「傾向が顕著」というのは、恐らく個人的印象と受け止めておりますが、私の印象では逆でして、昔に比べれば行政裁判において行政側敗訴は結構あるかな、と思っておりました。信頼性が高い、とまでは言いませんが(いつも批判ばかりしてきたので)、権力側に安易に迎合しているというふうには見ておりませんでした。

=====


②法的責任がなくても被告に賠償させるべきだ、とお考えなのでしょうか?

『賠償ではなく、救済はすべきだと思っています。最初は知らなかったとは言え、その後知っていながら放置したのですから、さかのぼってペナルティを与えられても仕方がないでしょう。また、同じ処置を受けて薬害の被害者になった患者さんが、裁判で責任を認められた人とそうではなかった人に差を付けるなと主張することは、きわめて自然な人情というものだと思いますので、支持します。』

賠償ではなく救済、ということであれば、私の考えた「全ての肝炎患者を対象とする政策」であっても十分達成されうると思われ、賠償金の支払等は不必要である、とのご主張でしょうか?賠償金を払う、というのは、慰謝料等を含むものです。
「遡ってペナルティを与える」というのは、どういう意味合いなのでありましょうか?薬剤を認可時点で「当時には知りえなかった事実」であっても、知ってからの放置期間がある場合には、全て「薬剤の認可時点から賠償義務を生ずる」という理屈でしょうか?そのような権力行使の根拠とは、法以外の一体何なのでしょうか?ペナルティを与えるのは、一体誰なのでしょうか?

血液製剤を投与された結果、Aさんは「急性肝炎」となったがその後キャリアとはならず、Bさんは肝炎症状が出なかったがその後HCVキャリアとなってしまうと、「同じ薬の投与を受けて肝炎になったのだから、責任の有無の認定には関係なく差をつけてはいけない」とのご主張なのでしょうか?手術以前にHCVの陽性者であった者が、同じ薬剤を投与されていれば、やはり責任の有無の認定には無関係に賠償してもらえるということでしょうか?いずれも薬剤投与の証明ができれば、「一律に救済」ということでしょうか?

=====


③責任所在は、どこにあるとお考えでしょうか?

『もちろんおっしゃるように、我々国民も含めていろいろなところに責任は想定されると思います。しかし、今回の主役である旧ミドリ十字には厚生省の高級官僚が天下りして薬害にかかわっているということなどを考えると、最大の責任者はミドリ十字と許認可権を持っていた政府だと言えると思います。また、政府はミドリ十字が吸収合併されるときに、すべての財産を差し押さえるなどという行動をとれたはずなのに、それもやっていません。怠慢あるいは見逃し行為と言われても仕方がないと思います。』

多分大勢の方々が「旧ミドリ十字」と「旧厚生省」というふうに考えておられるだろうな、とは思っておりました。私も両者の責任は小さくない、と考えておりますが、やはり投与責任は医師にあるのであって、その責任はかなりある、と思っていました。回収指示が出されたにも関わらず、医療機関で個別に用いていた所があった、などというのも、医療機関側が意図的にそうしたとしか思えません。仮に、先生がお示しの高級官僚が悪意的に「感染しようとも関係ないぜ、薬を認可しておけ」というふうに画策したとしても、医師が投与を選択しなければそれで済む話です。製薬会社や役人がどれ程の悪巧みをしていたとしても、医師が使わなければそれでどうにもできません。承認が残されて販売が続いていたとしても、「その薬剤は使われなくなる」というだけですので。

肝炎患者のリストの話ですけれども、記載されていた患者さんは80年代の方々が圧倒的に多い、というわけでもなく、90年代以降に投与された患者数もかなりの数にのぼっています(正確な数字は見たことがないので判りかねますが)。HIV訴訟もかなり話が大きくなっていて、ミドリ十字の問題というのがその当時には世の中の大半の人々が既に判っていたと思えます。しかも問題とされていたのが血液製剤であり、同じような血液を介するウイルス感染症であるのに、90年代にみんなが肝炎の感染を問題としなかったことを不思議に思うのです。共産党あたりにも、医師出身の国会議員たちは多分いたであろうと思われますけれど、何故それら事実を公にしなかったのでしょう?そうした責任を問われないのは何故なのでしょう?

ミドリ十字の財産を差押え、というのは、どういった権力の行使なのでしょうか?政府が恣意的に「やってやれ」と思えば、一民間企業の私有財産を差し押さえることが可能ということでしょうか?国民が「あの企業の財産を差し押さえておけ」と願えば、国がそれを実行する社会ということでしょうか?ミドリ十字が存在しなくなった今、存続会社が代わりに被告となり賠償の責任を負わされると思いますが、財産差押えが必要なことだったのでしょうか?

=====


④何故フィブリノゲン(或いはクリスマシン)投与を受けた肝炎患者だけが一律に救済されるべきとお考えなのでしょうか?

『他の肝炎患者は、(十分とは言えないかもしれませんが)普通の医療制度のもとでの救済は保障されていると思います。同じ病気だからといって、明らかに医療という名の下で行われた人為的行為が原因となっているものと、原因不明のあるいは明らかに別の原因がある場合に扱いが変わるのは当然だと思います。』

C型肝炎の感染原因が、輸血であろうと、血液製剤であろうと、麻薬中毒者であろうと、病態自体には大きな違いはないように思うのですが、「普通の医療制度のもとで救済は保障されている」ということであれば、感染原因には関わらずその制度で救済されているのではありませんか?

感染理由が異なるということで「肝炎患者の線引きをする」というのであれば、何故原告団の線引き拒否を指摘しないのでしょうか?先生が書かれている「原因不明」とか「他の原因」という可能性は、例の肝炎患者リストにおいても同じです。輸血を受けていて、フィブリノゲン投与も受けている場合、先生が輸血による感染可能性を否定できる合理的根拠とは一体何なのでしょうか?先生のご意見に従えば、輸血によって感染したら、これは「他の原因」による感染者ということで「扱いが変わる」のは当然なのではありませんか?医療機関の医療器具の滅菌不良によって集団感染した場合も、これは「他の原因」による感染者なのではありませんか?

日本で輸血や血液製剤のない時代において、推定に過ぎませんが「相当数のキャリアが存在していた」と思いますよ。そうでなければ、輸血によって感染させられる人は殆ど出ないからですよ。HIVキャリアは皆無に等しいくらい存在していなかったので、輸血したことによってHIV感染者が拡大したとは認め難いでしょう。検査自体が存在しない時代においても、HIV感染者は殆ど出なかったのですよ。それは、「ウイルスを持っている人が日本には殆ど存在しなかったから」ですよ。
しかし、HCVキャリアはそれなりの数が存在していた為に、水平感染によってキャリアが拡散していったのです。その結果が、「供血者がキャリアである」確率が高くなり、輸血後肝炎となる例が多数あったと考えられるのです。フィブリノゲンが存在するはるか以前から、相当数のHCVキャリアが存在していた、と推定されるということです。これらキャリアからの感染は、不明な場合もかなりあるのです。それらを区別すると言いながら、感染原因の特定ができていないのに血液製剤を投与された方だけを賠償するというのは、そもそも不合理なのではありませんか、ということです。

=====


⑤政府や政党の操作性についての原則や例外のようなお考えがあるのでしょうか?
司法判断に不服である時には、国民が感情的に騒ぐことで政府や政党を操作し、これら判断を超えることができることが正しい、というお考えのように見受けられます。そうであるなら、司法判断をひっくり返す為には、煽動的工作活動を行い成功したものがそれら操作の利益を得るようにも思えますが、そのことが危険であるとの認識はないのでしょうか。

『確かに危険はともないますが、民主主義という制度そのものが持つ基本的な危険性だと思います。上のまさくにさんの文章から「感情的」な部分を抜くと、なかなか良い民主主義の説明になると思います。以下、改変文です。

 司法判断に不服である時には、国民が直接行動することで政府や政党を動かし、これら判断を超えることができることは正しい。司法も人間の行為である以上誤る可能性があるので、司法判断をくつがえす為に、さまざまな民主的活動を行いことは国民の利益に沿うものである。』

司法判断に不服であれば、人民が判事となって判決を超えろ、ということでしょうか?これこそ、法を無視するものなのではありませんか?そんな権力を誰に与えると言うのでしょう。最高裁が出した判決に不服であれば、直接行動に出た国民が「判決にはなかった賠償」とか「私有財産差押え」とか、そういうこともできてしまいますよ、と。これこそ、危険なのではありませんか?統治機構が崩れてしまうと思います。一部の徒党の暴走を食い止める方法を失いますね。少なくとも、私はそんな社会を望みません。



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ポピュリズム的手法を称揚するかのような意見がまかり通るのは何故なのか

2007年12月24日 11時45分14秒 | 社会全般
これまで肝炎訴訟のシリーズで書いてきたけれども、大きな失望を感じた。誰一人、正しい考え方みたいなものを伝えようとしないことが判ったからだ。日本の報道機関の無責任さにも、本当に呆れた。舛添バッシングをしていたマスコミ連中が、掌を返したかのような対応に出ているのも、極めて不愉快だ。

世の中の人々には、悪者をやっつけたんだ、みたいな錯覚を与えることになるだけではないかと危惧する。議員立法の案が提示される前に、きちんとした考え方を正確に伝えるべきなのではないか。

◇◇◇


以下のブログの方は大学の研究者の方ですので、冷静な考え方が可能なのではないかと考え、いくつか質問をさせて頂くことにした。

5号館のつぶやき 政治家の正しい使い方

(以下に一部引用)

 それはさておき、一貫して一律救済は絶対にできないと言い張ってきた政府・自民(+公明)党が世論に負ける形で方針転換をしたことは、日本の民主主義にとってとても大きな一歩だったような気がします。選挙の時以外は、常にバカにされ続けている「主権者」の意向がこのような形で政府を動かすことができたということは、今年を締めくくるにあたって贈られた大きなクリスマス・プレゼントではないでしょうか。

 今回の出来事は、多くの国民が望んでいることを実行する政治が行われるように与党・野党をうまく操ることが不可能ではないことを示しています。

 これこそが、政府の正しい操作方法のひとつなのかもしれません。マニュアルが作れるといいですね。

=====


時々拝見させて頂いております。いくつかご質問がございますので、お手数とは存じますが宜しければご回答下されば幸いです。

①一律救済するという裁判所判断が殆ど出てない理由をどのようにお考えでしょうか?

5つの地裁判決及び大阪高裁において出された判断や和解案などでは、「一律救済」ということは述べられていないわけでありますが、この理由は、政府与党の利害と同様なものがあるので裁判所は政府の味方をしており、原告に不当な苦痛を強いるものである、というようにお考えなのでしょうか。司法も政府与党も同じようなものである、と。


②法的責任がなくても被告に賠償させるべきだ、とお考えなのでしょうか?

通常の損害賠償というのは法的に責任がある故に賠償するものと思いますけれども、多数派(一般国民)が判決を下すがごとくに被告側に「払え」と強要することを可能にするのは当然だ、とのお考えなのでしょうか?一般企業が訴えられて、多くの国民が「被告は払うべきだ」というような雰囲気があれば、法的責任の如何に関わらず賠償せよ、ということを肯定されるのですね?


③責任所在は、どこにあるとお考えでしょうか?

今回の被告となっていたのは国と製薬会社ですけれども、議員立法で解決できるとなれば国会議員にも責任があったものと思われますし、国会議員の中には医師免許を有するものが昔から与野党問わずに多数存在していましたので。また、薬剤投与の直接の責任は医師にあるものと考えるのは普通であり、薬剤選択や適用等を決定していたのは医師であったと思われます。各報道機関も以前から肝炎問題については知っていたはず(報道発表資料が省庁から出されている)であり、今になって全員救済すべしと言わずとも、もっと以前から報道しておけばよかったのではないでしょうか。
これら関係者の中で、最も責任を負うべき立場が誰なのか、それをお答え頂ければと思います。できれば全体を100として、大きい数字順に並べて頂けるとありがたいです。それとも、責任に応じた賠償ではなく、責任があると判明した或いは認めたものだけが全てを負担せよ、というご意見でしょうか。


④何故フィブリノゲン(或いはクリスマシン)投与を受けた肝炎患者だけが一律に救済されるべきとお考えなのでしょうか?

肝炎患者は全国に多数存在しており、病状についてはフィブリノゲンを投与されていてもいなくても同じ条件なのですが、薬剤投与を受けた人だけを一律に救済するというのは何故なのでしょうか。多くの国民が「原告団が可哀想だから」という理由だけで救済させる、ということに賛成しているからなのでありましょうか。


⑤政府や政党の操作性についての原則や例外のようなお考えがあるのでしょうか?

司法判断に不服である時には、国民が感情的に騒ぐことで政府や政党を操作し、これら判断を超えることができることが正しい、というお考えのように見受けられます。そうであるなら、司法判断をひっくり返す為には、煽動的工作活動を行い成功したものがそれら操作の利益を得るようにも思えますが、そのことが危険であるとの認識はないのでしょうか。



以上、大変失礼かと思いましたが、疑問の多いご意見を書いておられましたので、質問をお送り致しました。私自身の考え方については、「肝炎訴訟の雑考」等の中で述べておりますので、改めてご説明申し上げることは致しませんので、ご了承下さいませ。


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キリンは一つの種ではなかった

2007年12月23日 15時55分29秒 | いいことないかな
そうだったのかー!

キリンは一つの種ではなかった生態学と進化 科学ニュースあらかると - キリンRed List

種がひとつではない、ということから、これは多分、「田村」と「川島」だろうな。タネは別々、と。

違う?

ああそうか、こっちは「麒麟」か。


って、つまんねー。。。

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コメントスクラムは法を超える(笑)

2007年12月23日 13時11分24秒 | 社会全般
どうやら支持率低下のヤキが回って、「窮余の一策」としてだけに利用されるということだ。

首相、薬害肝炎の一律救済法案提出を表明…全面解決へ(読売新聞) - Yahooニュース

腹を抱えて笑ったぜ。
この国の基本的な仕組みは、エコーチェンバーで簡単にぶち壊せるということであり、「コメントスクラム」を仕掛けたヤツラが必ず勝利するようにできている、ということだな。

具体的な現実行動をとる人々もいるみたいだし。

薬害C型肝炎訴訟:早期解決へ署名活動 仙台で東北大生ら /宮城(毎日新聞) - Yahooニュース

 薬害C型肝炎訴訟の早期解決と恒久対策の強化を求める署名活動が22日、仙台市青葉区の東二番丁通で行われた。訴訟を支援する東北大生らを中心に約20人が、「総理、あなたの声が聞こえない」などと訴え、福田康夫首相あてのはがきに署名を呼びかけた。正午からの1時間で約350人分が集まり、早速郵送された。
 はがきには「国には薬害をひき起こした責任がある。患者全員のひとしい救済を望む」との文面が印刷された。年の瀬でにぎわうアーケード商店街で、買い物客や家族連れが次々に署名に協力した。利府町の主婦、早坂心子さん(33)は「罪もない人が肝炎にかかり、気付いていない人もいると聞く。人ごとではないと思う」と話した。
 企画した東北大法学部4年、斉藤隆広さん(22)は「大阪高裁の和解骨子案についての国側の修正案は、国の責任を限定するもの。首相に直接、一律救済を訴えるため、はがきへの署名活動を始めた。学生のエネルギーで全国に展開し、国の決断を促したい」と意気込みを語っていた。【伊藤絵理子】

=====

あと、こちらも。

薬害肝炎訴訟 東北大生ら、政治決断求め「はがき作戦」(河北新報) - Yahooニュース

子ども2人と一緒に記入した宮城県利府町の主婦早坂心子さん(33)は「新聞記事で活動を知り、1日も早く解決してほしくて書きに来た。薬害を人ごとと思わず、みんなに関心を持ってもらいたい」と語った。
リーダーの東北大法学部4年斉藤隆広さん(22)は2年前から東北訴訟の支援活動にかかわっているが、多くの学生が参加するようになったのは、9月の仙台地裁判決がきっかけだという。斉藤さんは「判決を傍聴した仲間みんなが怒りを覚え、『負けてたまるか』と思った」と説明する。

=====


意気込みはよくわかりました。
しかし、「どう考えるか」ということがまるで判ってないような連中が、マスコミから流される誤った情報だけを元に判断しようとすれば、必ずこうなる。これは「~~は医療過誤だ」「~~は○○の管理ミスだ」というような主張を展開する人々と非常によく似ている。枯れ枝一本でも落ちていようものなら、「犬が棒に当たったのは~~のせいだ」攻撃が可能となる。

企画した東北大の法学部4年の学生さんは、裁判傍聴などもやって偉いなとも思うけど、大学教育というものの限界を感じずにはいられない。法学部では一体どのように教育しているのだろうか、と疑問に思う。私などは法学部でも何でもないし、これといった法学的教育を受けたことなどないから、現役法学部生以下の知識しかないだろう。しかしながら、5地裁判決が異なることから、「現職の裁判官」が考えているにも関わらず容易に結論の出せるものではない、ということは理解できるのに、東北大の現役法学部生が法学的に考えようとしないことを不思議に思う。

「仲間みんなが怒りに覚え、『負けてたまるか』と思った」という記事のコメントに全てが集約されているであろう。義憤は必要だけれども、その行使が本当に「事実に基づくもの」なのかどうかについて、考えることができない人々なのだろうな、と思ったよ。ハガキを福田総理に送りつけるのって、ホラ、コメントスクラムと同じような現象でしょ?前から何度か書いたと思いますけれども、ファクスを大量に送信するとか、みんなで電話をかけるとか、手紙を大量に送るとか、そういう「コメントスクラム」ちっくな(笑)行為と何らの違いもないんですよね。

しかし、マスコミもそういうものを好んで煽動するわけだ。ここに、エコーチェンバーの本体を垣間見る。
そうして新たな仲間をつくりだすべく培養(炎上とアウトブレイク)が行われるようなものなのだ。
こちらでも書いたけれど、ここで例示した如く「仙台地裁判決はトンデモだ、負けてたまるか」というのと同じだ、ということ。こうした行動を通じて、「よく知らない人々」をpolarizeすることを狙う、と。

結果的には誤った情報や認識が拡散し、カスケードの威力が発動される、と。
これで超法規的措置を強要することが可能になってしまう、ということだな。


因みに、上の毎日新聞と河北新報は、全く別々の記事内容になっているのに、申し合わせかたのように、偶然居合わせたかのような子連れ主婦の方のコメントを載せてますね。これって、共同記者会見でも行われていたのでしょうか?それとも、ヤラセか何かですか?全くの見ず知らずの新聞記者同士が、偶然同一の時間帯に東北大の学生にインタビューし、その場にたまたま居合わせた主婦の方に、全く別々にコメントを取ったのだとすると、はがきを投函するまでの時間は非常に長くかかっていた、ということですわね。そんな偶然ってあるのでしょうか?(笑)

例えば、
 毎日記者:まず主婦にインタビュー → 学生代表にインタビュー
 河北記者:学生代表にインタビュー → 主婦にインタビュー
みたいになってるとかですか?
でも、これってヘンですよね?何故なら、この会の趣旨や目的とか、活動状況とか、色々と尋ねていたはずで、それを聞いてから参加者たちの声を聞くのが普通じゃないですか?ワケのわからん集団とか、募金グループとか、何でもいいんですけれども、まず偶然参加しに来ていた人に話を聞き、その後に代表者にインタビューするというのは、極めて珍しいのではありませんかね?

要するに、これは仕込みの一種でしょ?
毎日と河北の記者が同時にその場に居合わせる必要性なんて、これっぽちもないからね。個別にインタビューしコメントを取るというのも、あまりに不自然。共同でインタビューを行っていたと考えられるが、その理由とは何か?「やりますよ」という事前の打ち合わせが行われていた、ということでしょう。で、そこに偶然現れる主婦、の図。そうですか。

ま、これが日本の報道のやり方であり、ニュースの作り方、ということなのでしょうね。両方を読まない人々には、こういう状況が生み出されていたことなど判らないし、それも別に関係ないし、大衆を煽動することさえできれば何でもいいのだから。


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敗訴は織り込み済みでは?(笑)

2007年12月23日 11時04分20秒 | 法関係
ちょっとした注目を集めている判決ですが、所期の目的は達せられたのではなかろうかとも思ったりしております。

はてなブックマーク - JR全面禁煙「生存に重大な影響なし」 東京地裁 - MSN産経ニュース


いや、引き受ける弁護士さんが現れなかったことから考えても、どう見ても「敗訴」というのがやる以前に判っていたのではないでしょうか。自己弁護みたいな形で裁判をおやりになられていたようですけれども、JR側の高給を食む顧問弁護士軍団が「チョロいぜ」ってな感じで一蹴する様が目に浮かぶようでございます。
哀れなり、猫猫先生。
私のような「禁煙できそうでできない」喫煙派としては、同情を禁じえませんが、如何せん主張点といいますか、やり方に若干の問題が感じ取れたわけでして、違法性を認定させようとするのには余りに準備不足という感じが否めません。

これは今年3月に記事に書いた話ですので、裁判は結構期間がかかったのだな、と思われました。
コレ>公共交通機関の禁煙措置は違法か?


元記事も、見てみましょう。
JR全面禁煙「生存に重大な影響なし」 東京地裁 - MSN産経ニュース

佐久間裁判長は「禁煙で受ける不利益は、電車に乗ることに支障を感じることだが、それは生存に重大な影響を持つものではない。禁煙措置は社会的に容認されており、不利益が我慢の限度を超えるとはいえない」と判断した。JR東日本は今年3月から、寝台列車などの一部を除き、新幹線や特急を全面禁煙とした。同社によると、この措置をめぐって起こされた訴訟は初めて。小谷野さんは、法の下の平等に反するとも訴えたが、判決は「社会情勢も踏まえ、段階的に実施した措置で、ホームに喫煙ルームも設置している。喫煙者と禁煙者を不合理に差別するものとはいえない」と退けた。

=====


予想されたとはいえ、完敗ということでしょうか。
・不利益が我慢の限度を超えるとはいえない
・喫煙者と禁煙者を不合理に差別するものとはいえない
以上、終わり。
裁判の話としては特にコメントもないのですが、一連の周囲の反応をみたりすると、「喫煙派への強い風当たり」があったりして、これはこれで逆に同情を集めるネタに使えるかもしれませんね。

不当な権力によって俺たちは虐げられているんだー!
差別を受けなければならないような境地に追い込まれているんだー!
権利の主張さえも制限を受けなければならないほど差別されてるんだー!

というような感じで(笑)。
差別する側の多数派を「弱い立場である少数派が攻撃できる」という構図を作り出せたことは、一定の意義があったのかもしれないかな、と。


まあ世の中には、「1円訴訟」だったか「10円訴訟」みたいなものもあれば、「ハゲの床屋価格差別訴訟」だったかのようなこともあるので、様々な主張を繰り広げる人々はいつの時代にもおられるのだろうなあ、という感想を抱きました。


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肝炎訴訟に関する雑考~その12

2007年12月22日 13時48分13秒 | 社会全般
昨日追加する、といって出来ませんでした。失礼しました。
一応、続きです。


残念なのは、和解決裂の報道が出た後で、法律専門家たちがどういった考え方をしているのか、といったことが一切不明なことだ。裁判所判断に異議を唱えることはタブーなのか?地裁判決を並べて詳しく検討したり、どういった案であれば受け入れ可能になるか、とか、色々と考えるべきことはあると思うのだが。けれども、専門家たちでさえそうしたことをやってないのであれば、一般人がどれほど考えても判るはずないであろう。自分の担当じゃないから、ということもあるだろうし、裁判所に異議を唱えるのは憚られるとか、色々と業界内部の不文律みたいなものがあるのかもしれないが、何度も言うように、それでは知見の積み上げには繋がってはいかないだろう。司法への信頼醸成にもレベルアップにもならないだろう。


同日の社説は読売以外はどこも取り上げていたが、先日記事に書いたので再び産経新聞を見てみよう。

【主張】薬害肝炎訴訟 国と原告側は妥協点探れ - MSN産経ニュース

 司法は和解を勧告し、骨子案を提示した。その骨子案をたたき台に和解協議が進められたが、うまくいかなかった。司法判断の限界だろう。司法判断による解決が行き詰まったら、後は政治判断しかない。
 政府は平成13年5月、当時の小泉純一郎首相の決断で、ハンセン病訴訟の控訴を断念したことがあった。大方の予想に反する極めて異例な政治決断にもかかわらず、「血の通った優れた決断」との高い評価を得た。

 歯切れが良く、国民にとって非常に分かりやすかったからだ。

=====


随分と拘っていますね。前の社説で『遅くて歯切れが悪い』という文句を取り上げたからといって、今度は(小泉総理は)「歯切れが良く」ときましたか(笑)。まあいいんですがね。
小泉総理の時、郵政民営化法案問題では「賛成か、反対か」という二元論は危険だ、とか散々批判してましたがね、マスコミは(笑)。判りやすいのが政治じゃない、みたいなこととか評論家連中は言ってませんでしたか?まあ、都合のいいように、何とでも言えるのは文系専門バカの専売特許かもしれませんね。これは過ぎたことですので、いいでしょう。

ここで述べられているように、「非常に判りやすかったからだ」というのは、社説子にとっては、なのではありませんか?自分が判ってない問題であって、難しいことは考えられないので、認めるか、認めないかみたいに、非常に判りやすく「一律で」結論を言ってくれ、ということなのではありませんか?あなた方にとってはそれで満足かもしれないが、それでは制度的に問題があるだろう、ということを考えられないのですかね。

「血の通った優れた決断」を妨げているのは、あなた方なのですよ。
拙ブログ記事にサリドマイド、スモン、HIVを書いたからというわけではないでしょうが、偶然にも今回の社説には入ってますね(笑)。薬事行政の怠慢の例として。これは問題であった、ということは確かですから、おいておきましょう。で、小泉総理のハンセン病訴訟の控訴断念、という話ですが、これは確かに判りやすいでしょうね。松本清張の小説ではありませんが、ハンセン病に関しては、隔離政策みたいなことが国の主導で継続されてきたし、差別的な扱いを受けてきたのですからね。行政の責任は大きく、まさしく誤った行政が漫然と継続されてきたということはあるでしょう。しかし、この政治決断と肝炎の問題とは全くの別物ですよ。ハンセン病訴訟の問題というのは、一律の政治決断をしても今後の行政訴訟などについて重大な問題を生じる可能性は少ないでしょう。個々の役人レベルで変えるというのが難しく、前から引き継いできた政策の誤りを認め、改めるということが官僚レベルではできっこないですからね。役人というのは、そういう習性があるということです。決して誤りを認めようとしませんから。だからこそ、ハンセン病訴訟の決着は政治決断が必要であった、ということはいえるでしょう。

社説子にとって非常に判りやすい結論が出せるのであれば、裁判所でも当然そうした判断が出されるでしょうね。裁判所だって、社説子如きのド素人に、「司法判断の限界」だの、「司法判断による解決が行き詰まったら、後は政治決断しかない」だのと言われたくはないでしょう。そもそも、訴訟での問題で政治を持ち出す、なんてことは、原則としてマズいでしょう。1審判決が出た後で控訴となったら、いちいち行政が介入していくんですかね。三権分立なんて話も、既にどこかに飛んでいってませんかね。要するに、都合のいいように書いているだけなんですよ。社説子は「自分の願望、意見」をただ並べているだけ。ハンセン病の政治決断とは異なるものである、ということがまるで判ってないのです。


社説子の言い分とか、他の多くのマスメディアの言い分はこうだ。
薬剤Aを投与されました。
薬剤Aが原因かどうかは不明ですが、投与を受けた一部の人に現象Bが起こりました。すると、「薬剤Aが原因だから、『薬剤Aの投与(を証明)された人』は全員一律に救済されるべきだ」ということになってしまいます。これがタミフルの場合であると、どうなるか?

・タミフル(薬剤A)を服用
・異常行動(現象B)が認められた
・死亡した人もいた

こうなると、現象Bが因果関係があるのか、ないのかに無関係に、「死亡している人たちさえいるのだから、全員一律に救済せよ」ということになりますが?

際限なく国の責任は広がり、救済対象は増えるでしょう。
「危険な薬を投与されたのだから、患者の線引きは許さない、命の線引きは許さない」
こう言われたら、自分が厚労省の役人であった場合に、何と答えますか?自分が責任を持つ立場で、大臣とかであれば、どういった決断を必要とすると思いますか?
よく考えてごらんなさい>マスメディアの方々、野党や公明党の方々

肝炎訴訟に関する雑考~2

この記事にも取り上げましたが、感染等被害救済制度や副作用被害救済制度が作られる時とか、今、政府批判とか舛添批判をやっているような方々は、誰かこれら制度について詳細に検討し、「全員一律に救済する制度にせよ」とか意見を出したりしていたのか?規則の内容について、不備があるじゃないか、改めるべきだ、とか、反対意見を出していたのか?

ただ単に批判だけやってるような連中というのは、みんな「当事者意識」みたいなものが、欠落しているんだよ。自分がその立場であるという、想像力が完全に欠けているんだよ。被害に遭われた方々の側にも立たねばならないのは当然だ。それらを同時に考慮して、「こうするべきだ」という考えを出すべきなんじゃないのか。

「現時点で考えられる最も事実と思われること」をまずベースとして出して、その上で、議論するのが当たり前なのではないのか。原告団にとっては不利と思われるような事実であったとしても、それを明らかにしない限り、問題の解決には繋がらないのだよ。その事実を原告団にも知ってもらい、理解してもらおうとしない限り、双方の距離は縮まらないだろう。

昔の薬事行政に関わる役人たちがもっと完璧にやっておけばよかったんだ、というのは、その通りですよ。今から振り返れば、「一つの正解」のようなものが出せるでありましょう。判決の出た5つの地裁にしても、もっと完璧にやっておけば「全部一律」の判決が出ていたことでしょう。何故なら、最高裁まで訴訟が継続すれば、判断は一つに収束しますからね。つまり、最終的には「判断は一つ」ということだ。それがバラバラになっているのは、「誰かが完璧ではない」からであろう。それを追及しない人たちの気が知れない(笑)。当時の厚生省役人がただ一つの正解を出せたかどうかは不明だけれども、過去を見た時に「間違っていた」ということを言うのは、誰でも簡単にできるということです。

私の個人的意見としては、集団感染が報じられて危険性が浮上した時に、全製品を緊急に一時使用停止(先天性疾患などで、絶対に使用しなければならない場合を除く)にするということをやっておけば、感染確率は低下していたであろうと思う。しかし、実際には会議を経たりするなど決定過程に時間がかかり、回収指示まで漕ぎ付けるのが速やかであったとも言えないだろう。それは責任を問われる可能性はあるかもしれないが、役人たちが危険性を公表したりすると、無闇やたらと騒ぎ立てるマスコミなんかが「薬害だ、厚生省の怠慢だ」とか言い始めるので(笑)、躊躇われたのであろうと思いますよ。20年も経っていて、少しは賢くなっているとか、レベルアップしていても良さそうなのに、未だにマスコミはタミフル問題の時みたいに大袈裟に騒ぐとか恐怖感を煽るとか、その程度でしかないのですから。多くは何ら改善されてもいないし、向上の跡など見られないのですよ。エイズ感染者が国内で始めて確認された時の、マスコミの大騒ぎっぷりも、今のマスコミの「薬害C型肝炎」の報じ方も何ら変わりがなく、「煽って炎上」を演出しているだけだ、と言ってるんですよ。そこには反省の欠片も、向上の努力も意志も、一切認められない、と言ってるのです。

リストの問題にしても多分同じような話であろうと思いますよ。
役人がこれを通知することに大反対、という個人的理由なんて多分存在しないんじゃないかと思いますよ。別に感染者の方々に個人的に恨みを抱いているとか憎く思っているとかもないでしょうから。可哀想だな、と思っていると思いますよ、殆どの人は。けれど、判りもしないでやたらとマスコミが騒ぐ、通知を受けた人たちも、因果関係も原因も判らないのに「薬害だ、薬害だ」と騒ぐ、他の理由で感染しているにも関わらず「投与されたからだ」みたいに賠償請求する、そういうことが容易に想像されるからでしょう。現時点でさえ、厚労省側の公式見解みたいな意見がマスメディアに多く流通していないでしょう。一方的な意見だけが取り上げられ、専門家の意見さえ誰も聞かない、役人の言い分なども誰も明らかにしない、そういう態度を目の当たりにした時、「こちらの意見なんて聞いてくれない、言ってもしょうがない、だったら、何も言わないでおくしかない」みたいになってしまいがちなんだろうと思いますね。リストが存在する、ということを言わなかったことは確かに責められるべきなのかもしれないが、こうした過剰な反応が起こることそのものが、リストの存在を言い出し難くしていたであろう。何度か指摘したけれども、公開情報の中に症例リストが存在していたのであるから、これを見過ごしてきたのは報道機関も同じだということ。責任を問われるのであれば、報道機関の人間も、国会議員の連中も、同じく責任を感じるべきだ。これら公開情報は必ずしも役人が隠してきたわけではない、ということ。


今後のことについてだが、もう一度和解のテーブルに戻りましょう、という大阪高裁の提案があったようです。この和解協議に賭けるしかないでしょう。

そこで、最初にやるべきことがあります。
それは、原告団の方々によく話を聞いて頂くことです。落ち着いて話を聞いてもらうことです。法廷での対決とか論争の類のものではありませんので、(厚労省と)全くの関係ない専門的な先生とかに判りやすい授業のように話をしてもらった方がよいでしょう。法廷での証言とかみたいにワケのわからんことを聞かされても、原告団には正しく理解でき難いと思いますよ。単なる「対決の場」となっていて、いかに自分たちの都合の良い証言を引き出すか、という法廷戦術が双方にとって重要なので、現時点で最も「本当のこと」と考えられるのが何なのか、というのは、原告団にも被告の国にも、判ってなかったんじゃないかな、と思うのですよ。

何故、C型肝炎が感染するのか。検査で判るようになったのはいつなのか。感染原因で多いものは、何なのか。フィブリノゲンを用いていないし、精度の高いHCVスクリーニングを行っているにも関わらず、現在でも毎年新たな感染者が数十人とか百人単位で誕生しているのは何故なのか。安易に「フィブリノゲンが原因だろう」などといった説明や解釈を行った医師とかがいるなら、それは自らの責任を逃れるだけである、ということ。ヒトの血液だけに限らず、生物由来の医薬品にどういった危険性があったかということについて正確な知識を持ってなかったとか、危険性を認識した上で使ってなかった根本の責任は医師にあるのだ、ということも言わねばなるまい。全ての真実が完全に明らかにできるはずだ、という幻想から抜け出してもらうこと、判らないけれども何かが起こってしまうことはあるのだ、ということに納得してもらう以外にはないでしょう。

原告団の方々には、全て「薬を投与されたからだ!」ということからまず離れて、よく理解してもらうことだと思います。多くの場合に、原因が簡単に確定できるものではないのだ、ということをよく考えて頂く、ということなのです。そこができない限り、双方の溝は埋まりませんよ。

だからこそ、法的に争うのがいかに困難なことなのか、法的責任を問うのが可能な範囲の問題なのかどうか、そういったことを冷静に考えてもらうしかありません。自分に落ち度がなくとも、感染している人たちは今でもいるのだ、という事実をよく考えてもらうほかありません。


一方、厚生省側ですけれども、たとえ法的責任を負わないとしても謝罪をするべきでしょう。感染原因が判らないということを認めてもらうわけですから、今度は役人の側が対応が不十分だった、もっと頑張れた、やれることがあった、という落ち度を自ら認めるべきだ、ということです。原告団が求めているのは「真摯な謝罪」であり、やり場のない憤りを鎮めるのは誰かを謝らせることができた時だけです。
端的に言えば、「あなた方が悪かったのよ!あなた方に責任があるのよ!」という感情を周囲が認めるということです。彼女達の正当性を承認してくれ、ということなのですよ。
裏を返せば、「感染したのは自分のせいじゃない、自分が悪かったわけじゃない」ということを、世の中に、社会の多くの人々に承認して欲しい、ということです。これこそが、彼女たちの心を救済する唯一の方法であると思います。「薬のせいだ、あなた方役人のせいだ」と誰かを責めたいのは、それまで自分を同じように責めたからでしょう。こうした感情は賠償金という金だけでは、救済できません。
「あなたは悪くありません(私が悪かったのです、悪かったのはこちらです)」
そう言って、頭を垂れる人間が必要なのだ、ということです。

「あなたは悪くありません、責任もありません」

その承認を必要としているのです。彼女たちの勝利条件には、これが第一位になっているのだろうと思うのですよ。だから、昔の役人たちのやったことであることは判っているけれども、今の役人のお偉いさんたち(局長級とかそれ以上とか)の人々が頭を下げて下さい。彼女たちの昇華できない感情を救済する為に、「あなたは悪くありません。本当に申し訳なかった」と役人が言うべきです。政治家が頭を下げるのは毎度のことであるので、有り難味は薄れておりますし、舛添さんは既に何度か謝罪して頭を下げているので、もう効果はないでしょう。

こうした感情的わだかまりを乗り越えることができれば、和解に至る道が開けてくるものと思います。原告団も、全ての責任が役人のせいでもなければ、製薬会社のせいでもなかったのだ、ということを踏まえた上で、「国にも責任がありますよね」という主張を役人側に認めさせる、ということです。双方が、一歩後ろに退いて下さい。一度でいいので、きちんとした事実に基づいて相手側の言い分をまず認め、その上で、相手側に指摘するのではなく「自分たちの悪かったところ」を出し合うようにしてごらんなさいな。非公式協議でいいから、やってみてください。公表されるとなるから、頑なになるのですからね。

役人側は「自分たちはここが悪かった」ということを正直に話しなさい。もっとこうすればよかった、ということを出せるはずだろう。
原告側は、事実と比較して、自分たちの主張点で誤りであった部分を認めればよい。
高裁が主導して、非公式協議の場を設けてあげるといいかもしれません。

相手側を攻撃しようとするから、物別れに終わるのですよ。そうではなくて、自分たちの側にあった問題点をまず自らが認めること、それをやるだけでかなり交渉は進むと思いますけれどもね。


最後に、一律救済についてですけれども、和解金は「総額で一括」支払としたらいいのではないかと思います。それぞれに等級みたいに区別がついているので原告団は「承服できない」ということになっており、個々に金額を正確に提示する必要性なんて実質的にはないのですから。役人側が支払う金額の算定というか積算の為に区分をしようと構わないのですし、提示金額は一括の総額で提示し、国と製薬会社の按分比率も内輪でキッチリ決めておけばいいのではないかと思う。

一括の金額を受取った原告団は、それをどのように配分しようとも自分たちで決めればいいだけだ。財団みたいな形式で受取ることにしたらよいのではないかな。そこから全員一律に分配したければそれでもよいし、年金形式の受取として分割で支払ってもいいし、支給対象をどのように限定するのかは、自分たちの内側で決めればよい。今後登場してくるであろう、被害者たちへの支給も同様に事前に決めておけばよいのではないかな。これならば「線引き」なしですから。


マスコミが余計な煽り報道をやればやるほど問題解決は遠のくので、今後暫くは静観しておいて下さいよ。



ええと、忘れてたので追加です。


先日NHKのクローズアップ現代のタミフル問題の放送を観ましたよ。あれがまともな報じ方だと思いました。やっぱり、NHKだけのことはある。誠実な報道ができていたと思った。

あれが普通のやり方だと思うよ。



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肝炎訴訟に関する雑考~その11

2007年12月21日 23時37分24秒 | 社会全般
原告団との和解交渉は決裂となってしまいました。とても残念な結果です。このような結末を迎えることになったのは、一体誰の責任が大きいのか?
一番の責任はマスメディアにあるだろう。それはセンセーショナルな話として、この問題を取り上げようとしてきたからだ。国の受け入れ難さを助長するような、誤った情報提供(操作というべきか?)しかやってこなかったからだ。
一連の報道の中で、どこかの報道機関でただの一度でも、法学的な見地から専門家に意見を述べさせたり、肝炎が専門の医師などの意見を出してきたことがあったか?
恐らく、そんなことはどこもやってないのだよ。

新聞でもテレビでもそうなのだが、間抜けな感情論しか述べないコメンテーターや、判ったことを言うキャスターとか、「文系専門バカ」の論説委員とか、そういう人たちの出す意見しか出回っていないのだよ。誰も、よく考えてみよう、という努力などしていないのだよ。そんなことで一体何を解決しようと言うのか。

今回の和解決裂に関しても、裁判所の判断が分かれているとか、東京地裁の判断だけを国が重視しているとか、偉そうなことを言ってる連中ばかりなのだが、法学的な専門家でもないような方々に裁判所判断の異なる理由なんかが判るんでしょうか?マスメディアは、「正しい情報」を提供することから完全に逃げているのだよ。既に書いたが、80年代後半の時にマスメディアが国の薬事行政の問題について責任を負って、当時社説を書いていたりテレビ報道していた連中に代わって謝罪したり、責任を感じたりはしてないであろう?20年以上前のことについて、「いま目の前にいる、現役の人たち」が責任を取らされて、謝罪せよ、とか求められることがどれくらい難しいことなのか、マスメディアの連中には全く判ってないのだ。

今回の和解案提示に至るまででも、交渉が決裂した後でも、裁判所への批判とかは一切ないでしょ?
別に、個々の地裁の判断を批判してくれ、と思っているわけではありませんよ。そもそも法律論としてというか、法学的に見てどのように考えるべきなのか、なんてことは何一つ「専門家からの批評」が出されていないのではありませんか?何故全ての地裁判決が異なっていたのか、和解で原告側主張を全て認める場合の法学的な問題とか、そういったことが何ら示されてこなかったのですよ。法律の専門家たちの中で意見が割れるような、「難しい問題」であると考えられるのに、何らの検討もなされてこなかったのではありませんか?個々の地裁判決について、専門家が詳しく検討していれば、その積み上げがあれば、これほどまでに混乱を招くことはなかったのではありませんか?これまで何度も指摘してきたことなんですが。そういう知見の蓄積を怠ってきたことにも一因があるのではありませんか?

公明党とか民主党とかも、原告団の気持ちを判ってない、みたいな、通り一遍の意見を出しているが、これも体のいい責任逃れなのですよ。共産党にも何人かしると思うし、公明党や民主党にも医師免許を持ってる「お偉い議員先生」が大勢おられるでしょう?そういう連中が、これまで「何も知らなかった」などということが考えられると思いますか?知らないわけないんですよ。
現在国会議員の中で医師免許を持ってる人たちだけ一斉に集めて、肝炎の感染とその問題について、討論会をやらせればいいですよ。肝炎の問題について、過去の時点から詳しく証言させたらいいですよ。原告団に納得のいくように、国会議員が説明してあげなさい。医療に関する知識に乏しい、文系専門バカの舛添大臣に比べれば、はるかに上手に納得のいく説明ができることでしょう。大臣に成り代わって、国会議員が代わりに説明してあげなさい。できるでしょ、これくらい?早急に、やってくださいよ。

こうして、みんなが舛添さんを悪者扱いし、厚生労働省の役人が悪くて、財務省の役人が金を出し渋って、法務省の役人が都合のいい東京地裁判決だけを金科玉条のように取り上げたんだ、という、「悪の枢軸」を作り上げ、全ての責任を押し付け、自らの責任を回避し、スケープゴートを作ってしまえば思う存分叩けるからね。それはみんなが、「自分だけは悪者にはなりたくない、原告団に面と向かって事実を述べたくない」ということなのだよ。


結局、みんな自分たちの責任を放棄して、「そっちで解決してやれよ」という逃げと押し付け合いをやった結果なのだ。政治決断をせよ、というのは、それが端的に顕れた「殺し文句」なのですよ。福田総理に、或いは舛添大臣に「そっちでやれ」と押し付けただけなのだ。


とりあえず。後で追加します。



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灯油価格高騰で

2007年12月20日 17時54分38秒 | 俺のそれ
原油値上がりの影響で、ガソリンばかりではなく灯油もべら棒に値上がりし、寒冷地区のダメージは大きいものと思います。


これとは関係ないのだが、寒さ対策というものを考えたことがある。

実は学生時代に、あまりにお金がなくなって灯油を買えなかったことがあった。その頃に自分なりに考えた対策があった。


①できるだけ家にいないようにする

これ最強。自分の部屋(貸間だった)に帰るのは必要最低限にして、できるだけヨソへ行く。暖かい所へ行くのが一番。図書館とかいいよ。暖房費タダだし。長時間滞在ももちろん可である。

他には、居心地のよい自宅生の部屋とか。俺んちにはない、ファミコンも置いてあるし。信長などで長時間プレイを強いるとか、麻雀で徹夜プレイとか、暖を取るには好ましい状況も多々あった。


②防寒対策を充実させる

部屋の中で外套とかダウンジャケットとか、着たまま行動。その上に毛布などを併用すれば、自分の体温だけで温まる。テレビを見るくらいなら、これで過せたよ。手を出すと寒いので、顔以外の部分は常に被覆されているようにすれば完璧だ。人には見せられないような、「ミノムシ」スタイルになる。これができるようになれば、中級クラスだな。みんなも実践すれば、確実にエコ派になれるよ(笑)。

 教訓:人間って、あったかい―――「相田みつお」か!(笑)


③心頭滅却

これまでの対策に比べると、はるかに高度な対策。
さすがに他の人の部屋や施設や学校などに住むわけにはいかないので、自分の部屋に行かねばならない場合に有効となる。特に、自分の部屋に長居しなければならない(笑、自分の部屋なのに!)には、重要な対策となる。

まず、「ミノムシ」スタイルを急遽取り去る。すると、部屋の寒さがダイレクトに肌に突き刺さってくる。そこで、一気に腕立て伏せ50回を施行。体温上昇効果は抜群だ。すかさず「ミノムシ」スタイルに戻るのだ。これで暫くは体温が保たれる。その上、筋トレにもなるという、超スグレ対策なのだ。地球温暖化にも優しい(笑)。この効果が薄れてくると、再び先ほどと同様に腹筋などをやる。これを繰り返す。起きている時間はこうして凌ぐことができるのだ!

他にもある。
2リットルくらいのデカいアイスクリームを購入しておく。冷蔵庫から取り出しても、全然平気。溶けないもんね~、などと思いつつ、思いっきり食べる。内部から冷えていくような感じがするが、食べ終わると食べる前に比べて寒く感じないのだ!人間の感覚なんて、所詮こんなもんだ。脳とのばかし合いみたいなもんだ。アイスで冷えても、人間のエネルギー代謝機構のお陰で熱量産生となり、食べたアイスはオレの熱に変わったんだ、などと実感すると、幸せな気分になれた。
この後で銭湯に行くと、更にスーパーウルトラ「暖まった感」が得られ(笑)、人生最高の幸せの瞬間を感じ取ることができる。「生きているんだな~、オレ」みたいな。


あと、「昔の人はもっと寒かったんだ」と強く想像し、念じると寒さは結構耐えられる。零下であっても、勿論耐えられる。
昔の家はボロかったじゃないか、清少納言だって「激さむ」の部屋で、しょぼい火鉢くらいしか持ってなかったんだ、どうせ凍えて震えていたんだ、などと思えば、今の自分の方が暖かい、という気分に浸れる。
中学の時に通っていた学校は木造校舎だったので、窓から普通に雪が入ってきていた。あれを思えば、全然寒くないぜ、とか。
親戚の家に泊まった時、翌朝布団の表面が自分の吐いた息の水蒸気で凍っていた、とか。

あれから思えば、今の家屋は天国のようだぜ、などと思うと寒さは減退する。
これ、上級編ですから。

一定の寒さを乗り越えると、そこから先はさほど苦痛を感じなくなる。水道管が凍結して破裂しないようにさえ気を付けておけば(毎晩寝る前には落とす、部屋の温度が低い場合には使用しない時は常に落とす)、大丈夫になるよ。




でも、これでひと冬越すことはできないだろうね。
18リットル缶をガソリンスタンドから手に提げて帰ってくるのも辛いので、できるだけ買わないようにしていた。お金も節約できるしね(笑)。

これら裏ワザ(ワザなのか?これは)を駆使し、越冬隊の戦いは毎年続いていたのであった。


というほど大袈裟でもないが。


これを実践すればいいよ、灯油高騰にも耐えられるよ、などとは言わない(笑)。



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