いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

愛国心に富んだ合衆国財務省諸君に告ぐ

2011年07月30日 14時40分03秒 | 経済関連
こうなったら、奥の手を使うよりありませんぞ。
伝統あるUS Mintの名に賭けて、デフォルト危機から救うべく、行動しよう!(笑)

漫画などでもよくある定番のネタとして、お金が足りない、何か重要なことを達成する為の資金が全く届かない、というような場合に出てくる場面が、①ブタの貯金箱などをガシャン、②人生ゲームのような”こども銀行1億円”などとか書かれた紙幣もどきを出す、③自分の肖像画などを勝手に書いた自作紙幣を出す、などといったものがありますね。

合衆国政府が持ってるブタの貯金箱をガシャンとやってみてもお金は出てくるはずもなく(持ってないか)、こども銀行紙幣も持ってないでしょうし紙幣の発行権も持ってないでしょうから、どれもダメなことはダメなんですがね。
けれど、硬貨は発行できるらしいので、それを考えてみてはどうか、という提案があったようなのですね。

2011-07-22 - himaginaryの日記

ただ、米国の法律がどうなっているのかは知りません。額面で1ドルという硬貨を作る場合に、含有すべき金などの貴金属(普通は金、銀、プラチナか)の最低重量などが定められているなら、その分量の実物金属を用意せねばならないことになるので、現実に鋳造するのは不可能になってしまうでしょう。もの凄い重量が必要になってしまいますので。
ですが、例えば直径15センチくらいの巨大硬貨を鋳造して、「これは1兆ドル硬貨だよ」ということで決められるなら、流通させるものではないので、問題ないのではないかと。いや、もっと極端なことを言えば、自分の顔だろうと適当に掘った文字だろうといいので、「これが1兆ドル硬貨だ」ということで決めつけてしまえるなら、直ぐにでも発行できそうなのだけどね。

話は少し離れるが、拙ブログでも政府硬貨発行という話を書いたことがある。
「1兆円金貨」でも作ってみるか?(笑)

なので、発想自体は何の問題もなさそうな気がする。一時しのぎであろうと、FRBに担保として預けるか買い取らせて、当座に必要な支払い資金を引き出してもいいんじゃないですかね。デフォルトよりはマシではないかな、と。

大恐慌パニック後の1934年に「10万ドル金貨証券」を政府が発行して、FRBとの決済に用いたりしたそうではないですか。原理はそれと大して変わらないと思いますので、可能では。当時、金との兌換停止とか金流通停止にしていたそうですが、政府だけは金取引や金含有量変更が可能という制度に変えていったみたいです。
金本位制は維持困難となってしまったので、まあ仕方がないことでしょう。


ドルの減価というのは、長い年月をかけて行われてきたわけですが、1オンス35ドルの時代と今とでは、大幅に貨幣価値が下落してますね、ということでは。
これは、米ドルという通貨の「基軸通貨」としての終焉が見えてきている、ということなのかもしれません。英ポンドがその座を明け渡したのと同じように、米ドルにも交代の時期が近づいているとしても、不思議ではないのです。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米国債を巡る混沌~まさかのデフォルト危機

2011年07月29日 17時38分30秒 | 経済関連
リーマン・ショック以前に、だれがこのような事態を想像できたであろう。

強気一辺倒のウォール街は、恐れるものなどないかのような発言を繰り返していたものだった。
繁栄を謳歌していた欧州の国々も、取立屋の存在など忘れたかのようであった。
この僕でさえ、あの頃が懐かしい、と感じるのだ(笑、文句を言ったり、愚痴ったりできるうちが華、ということなのさ)。


だが、凋落の前兆というのはあったのだ。
物語でもよく訪れる、栄耀栄華の後の没落、というやつだ。
栄光を手にした後の落ちぶれてゆくさまは、寂しいことこの上なし、ということである。

世界は変わった。
少なくとも、枠組みは変化したであろう。

僕がブログ記事に書いたりした時には、到底そのような事態が近付いているとは、誰も本気で考えてはいなかったであろう。

08年1月>アメリカの「悪魔的手法」とは何か

そして、米国債を売っぱらっておけ、と書いたのだって、やはり08年だったよ?
悪い予想を書くと、本当にそうなってしまうのだろうか?


10年3月>米国の財政規律(笑)~日本と米国の国債はどちらが危険か?


菅政権の未来を暗示するのも同じだな。

10年6月>Curse of the Futenma

(再掲)

長い期間に渡って、高い失業率のまんまだ。
政府の金は底をつき、財政出動の余地などなくなる。日本のバブル崩壊後だって、そうだっただろう?(笑)
これまでの「反映を謳歌していた時間」よりもはるかに長い「調整時間」がやってくる。
良かったな。上がりすぎた不動産の価格調整なんて、そう簡単にできるものじゃない。

金の出し手?
何言ってんの(笑)。冗談はよしとくれよ。
世界中に、ジャンク同然の米国債を引き受けてもいい、なんていう殊勝な人間が、そんなに大勢いると思うか?(爆)

成長できる余地が大きいなら、即座にその投資を行えば済むじゃないの。
何でしないの?
ドルが高すぎるから、競争力がないとか?(笑)
だったら、明日にでも「弱いドル」宣言でもしてみてはどうかね?

(中略)
民主党や菅政権は学習したわけじゃない。
破滅に向かって、一歩踏み出したに過ぎない。
鳩山政権崩壊は、時間つなぎにしかならなかったということが、いずれ分かるだろう。



当時は、「トモダチ作戦」前だったこともあり、呪いの言葉をぶつけてしまったのだった。
だが、沖縄の問題―普天間基地の問題は、今でも未解決のままなのだ、ということを忘れるべきではない。
その呪縛は解かれていない、ということかもしれない。

菅総理も同じく、分かる時が近づいている、ということだろう。


ま、米国の提示する解決策を見守るしかないのだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よく判らんが、菅総理は結局8月まで来てしまったのだな

2011年07月28日 17時41分41秒 | 政治って?
もう、ワケが分からんの連続なのだが、あの不信任決議案騒動は何だったのか、と思う。
で、辞めさせることもできず、次の展望もないままで、ただ時間が過ぎてゆく、と。

日本は生まれ変わった、と言われたいが、それもままならず。
暗黒と愚鈍が優位のまま、いま一つ、ふっ切れないというか、スパッと変われない。


あれほどの大災害をもってしても、変わることができないとなれば、一体どういうことが必要なのだろう?

時間を決めて、モーレツで、猛烈にみんなで邁進する、死に物狂いで取り組む、どうしてそういうことができないのだろう?

「なでしこ」の姿を見なかったのか?

ダメかもしれない、とか、過去全敗だから(ホントは引き分けもあるけど)、とか、そうじゃないでしょ?


日本の政治は、ハナから、やる前から、既に負けている。
だって、能力差で負けるから、とか、こうやると勝てないから、とか、屁理屈をこねくり回しているだけで、間違ってはダメだの、失敗の責任はどうだの、そういうことばかりに時間をかけていて、他人のプレーを批判ばかりしていて、多少のしくじりやミスがあろうとも前進する、失敗してもみんなでカバーしあうとかリカバリーを全力でやるとか、そういうことでいいはずなのに、負ける心配やどうせダメだとかばかり言ってる。

殿様がどんなにバカ殿であろうとも、家老以下家臣が賢く、きちんとできれば、大過なく運営できるんでしょう?


殿様役を演じきれる人物をみつくろって、後は、スピード感をもってやるべきなんじゃないのか。
ホント、こうなったら、河野太郎でもいいので総理にしてみたら?
これを支えられる人物こそが、本当に優れた「家老」とかなんじゃないのか?

橋本知事とかでもいいよ。
跳ねっ返りの殿様なんて、いっぱいいたと思うけど、それでも家中を治めてきた家臣は多かったんじゃないですかね。


それくらい変わらないと、日本は変わらんよ。

今こそ、若い連中が変革運動を起こさないと、日本は老化現象で世界から取り残されるだろう。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱ、節電効果が一番効くってことかな?

2011年07月25日 18時13分19秒 | 社会全般
あのさ、原発がなけりゃどうなると思ってるんだ、みたいな話だったけど、案外と大したことなかったのではないですかね?

今日の電力消費も、4200万kWに行かないくらいの水準だったのですよね?
東電管内では、ほぼ原発なくてもイケるという自信にはなるかもね。

停電を人質に取る醜悪な東電(原発)擁護

(再掲)

もしも、ピークの電力需要が「09年なみ」だとすると、大雑把に言って約5400万kWくらいだ(節約余地があるからね)。この10%カットだと、4860万kWとなる。これが、そんなに不可能な水準の節電か、というと、思ったよりも大したことないのではないのか?09年水準から、大体10%カットで4800~4900、ということは頭に入れておくべきだろう。
更に、15%カットだと4080万kWとなり、これは相当な水準だね、ということになるわな。これが達成できたら、それはもう、原発はいらないね、ということになるだろうね。




ここしばらく見ていたけれども、供給力が5000万kWであれば、ほぼ達成可能な水準だということだな。
で、原発稼働分を代替するのに、地熱や風力等を増やせば、まかなえる水準だろう、ということ。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汚染牛は、思ったより大したことないかもしれないんじゃないか

2011年07月23日 11時02分33秒 | 社会全般
牛肉を頂きましたが、放射性セシウムを含む牛肉を毎日毎日、食べ続けるのであれば別ではないかと思いますが、そうでなければ、滅多に食べない程度であれば、大したことはないのでは。

牛肉中のセシウムが規制値の2倍である1000Bq/kgであるとして、この肉を果たして1kg食べるのか、ということです。恐らく、一人200gとかせいぜい400gということなら、200~400Bqの摂取ということになるわけです。

他の食品の水準と比べて考えてみるとしましょうか。

【column】「暫定規制値」の決め方 - Case#3.11 地震≫原発≫復興 科学コミュニケーターとみる東日本大震災

飲料水の場合ですと、1kgで200Bqですから、2ℓの水を摂取すれば、上記牛肉の放射性セシウム摂取と同等ということになります。水の2ℓなんて、割とすぐ到達してしまうのでは。
飲むばかりではなく、炊飯で使う水、味噌汁やその他料理に使う水、それら全部が含まれますから。
飲料水の含まれる量が規制値内である200Bq/kgであることは、摂取量の絶対値を低くすることを意味するものではない、ということです。

これは毎日なのですよ?
滅多に食べない高級和牛なんかとは、わけが違う、と言う話なのです。

野菜にしても、肉と同じ500Bq/kgですが、摂取機会や量で考えると、たとえ規制値内であっても、牛肉よりも危険度は増すかもしれません。こうした、日常的摂取が問題となる水や野菜ではあまり問題とされず、牛肉だけが取り上げられるというのも不自然な感じがします。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またドサクサに紛れて

2011年07月22日 21時28分10秒 | 政治って?
自分たちに都合よく事を運ぼうという連中が蠢いているようだ。

原発賠償、国の責任明記=法案修正で大筋合意―民自公 (時事通信) - Yahoo!ニュース


こういう、「国の責任だ」とか強硬に主張していた連中というのは、大体がよからぬ輩が多かったような印象があるわけだよ。
先日も書いた(日本のエネルギー政策について考える~「Post Fukushima」の日本飛躍に向けて)のだけれど、「原発は国がやったんだ、だから国が悪い、東電は悪くない、責任もない」みたいなことを言ってるのって、アレな連中ばかりだったんじゃないの?

例えば、経団連会長とか、全銀協会長とか、そういう人たちは、確か「国がやったんだ、だから国が払え」というようなことを言っておったわけだ。東電を救わんが為の、何か裏でもあるのですか?(笑)

国策だ、とか、言うわけだが、だったら、お前ら「公務員なのか?」と。電力会社は株式会社の看板を降ろせっての。国有企業になるべきだろ。何を戯言を言ってるんだ。責任を取れないなら、最初から、株式会社だの民間だのと言うな。国営企業でやれ。今更何を言っておるんだ。それでも大の大人か?

銀行に金を貸せ、とか、そういうことを「国」が言ったから、東電に融資しました、ってか?
銀行は国の持ち物か?(笑)
都合のいい時だけ、国の言う通りにしました、で、都合が悪い場合には「国は民間に口出しするな」ってか?

そういう連中が、寄ってたかってロクでもない結果を招いてきたんだろうが。
その責任を取るべき、というのが、大人の世界なんじゃないの?
大人なら、大人らしく、きっちり建前論でもって責任を取れよ。放蕩馬鹿息子なんかが、「オレの好きに生きるぜ、オヤジの世話にはならん」とか言って飛び出していったのなら、好きなように生きていいよ。だが、自分のやった結果には責任を取るべきだろ。今更になって息子が泣きついてきたからって、なんでオヤジの責任になるんだよ。アホかっての。

それとも、オヤジの言いなりで、学校も全部オヤジが決めて、その通りにしてきて、就職先もオヤジのコネでやってもらって、その挙句に「オヤジの言う通りにしてきたのだから、仕事上の失敗はオヤジが責任を取れ」って、馬鹿息子とそのご友人(笑)たちが盛んに主張すると。
何てバカなんだ。
ド阿呆を通り越しているな。オヤジの言うとおり(=国策)でやってきた、って言うなら、始末の付け方も言いなりでやれや、アホが。
それなのに、「オヤジ(国)の言うとおりにはしたくない」とか言い出して、自分の後始末も付けられないくせに、責任だけはオヤジが取れってか。呆れた、としか言いようがないな。

こういう指導者層が実権を握り続けているからこそ、今のような日本の政治状況を生んでいるのだ。


ドサクサに紛れて、こっそり「国が責任を取る」ということにしてしまいたいんだそうだ。
これが、汚染牛効果ですか?
ああ、なでしこのお陰でしょうけれどもね。

薄汚い連中というのは、考えることが姑息だな。
終わりの内閣が「将来のことを言うのはオカシイ」だの「重要な決めごとをするのはオカシイ」だの叩いておったメディアがあったと思うが、どうしてこういう時にはそう言わんのかね。

日本の政治が腐ってるというのは、そういうことなのさ。
それを支えるマスコミと財界、官界、と。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汚染牛とかって、大袈裟に言ってるけど

2011年07月21日 21時47分39秒 | 社会全般
そんなに大問題というようなことなのかな?
いや、安全だ、とか言うほど自信家ではないのだけれど、わらを食べた牛の体内に貯留して肉などに残留するセシウムって、どれ位あるものなの?、という話でして。

通常であれば、大半が体外に排泄される、ということなら、そんなに大袈裟に騒ぐようなことなのかな、と。

それとも、騒ぎを作りたい、ってことなの?(笑)


因みに、我が家では「今が大チャ~~ンス!」ということで、国産牛のすき焼きなどを頂きました。
お買い得になっている時じゃないと、高根の花には中々手が出ませんもんね。

やっぱ、国産牛はうまいわ。
食べてしまったものを、今更騒いだって、しょうがないのにね。
いや、危険なものは危険、とか、やるな、ってことは、やらないようにしなきゃいけないけど、現実にどれほどの危険性があるのか、ということを、専門家にきちんと出させるべきではないですかね?


藁にこれくらいのセシウムが含まれている時、それを牛が食べてどうなるのか、牛の体内には何日目にはどれくらい残留しているのか、出荷時点で予想されるセシウムはどの程度なのか、といった、具体的危険性の話をきちんと数字で示すべきではないですか、ということです。

多分、その牛肉を摂取したところで殆ど問題ない、というレベルなら、過ぎ去ったことはもういいんじゃないですかね。
余計な仕事や賠償範囲を拡大するだけでは。

それとも、そうした騒ぎを必要としていた方々がどこかにいたのかな?、ということですかね。
まあ、まさか「なでしこジャパン」が優勝して、こんな大フィーバーがやってくるとは予想できなかったので(笑)、しょうがなかったのかもしれませんが。

で、市場に流通した中で、保管されていた牛肉のセシウムを測定してみて、その値がべらぼうに高いものって現実に存在したんですか?
これまでのところ、そういう牛肉は確認されていない、ということなら、殆どは危険と呼ぶほどのものではなかったんじゃないですかね。

ま、よく判りませんな。
こういうのに、やたらと拘る方々のお気持ちが。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最強はやはりアメリカだった

2011年07月18日 09時55分16秒 | いいことないかな
結果的に、日本が劇的勝利を収めて、優勝トロフィーを獲得できた。これは本当に凄いことだと思う。
しかし、力量的には、アメリカが上手だったように思う。

アメリカは、日本に一度たりともリードを許すことはなかった。
女王の戦いに相応しいのは、やはりアメリカだ。
なでしこたちは、本当に信じられないくらいの粘りと諦めない気持ちで、勝利を引き寄せたと思う。


延長の勝ち越し点を先に奪ったのは、アメリカだった。
まさに「主砲」たるアビーが、ドンピシャのヘッドで得点を奪うなんざ、本来勝ちゲームの姿だろう。
点を取るべく人が取る、これこそがアメリカの勝ちを支えてきたわけだから。
なので、あの失点で「日本はもうダメか」と思いかけた。筋書きにハマってしまったか、と思ったものだから。

しかし、日本にも「取るべくして取る」べきエースがいたのだった。
今大会MVPに輝いた、得点王、澤だ。

あの、ニアへの走り込みは、宮間のコーナーとの練習の賜物であろう。
沢がメキシコ戦でハットトリックを決めた時の、あの得点シーンと同じだったからだ。

あの場面で、あそこで、アレを持ってきたのか、と。
アビーに少し当たってコースが変わり、キーパーは反応できなかった。そういうラッキーもあった。

だけど、澤と宮間はセットプレーで息を合わせることができていたから、あの大事な場面で「得意の形」を再現できたのだと思う。
まさに起死回生のゴールとなった。


が、なでしこは、優位に立つということがまだ難しく、得点で上回れるような戦いができるようにならなければ、次の対戦では恐らく勝てないだろう。キック力なんかでは、やはりまだまだ厳しいと思うし。


だけど、メンタルのタフネスさは、ホント世界一だと思う。
ところで「女・遠藤」は、宮間ということですか。
PKの蹴り方まで似てるし、飄々としたところも似てるね。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おめでとう、優勝!!女子W杯決勝~なでしこジャパンvsアメリカ

2011年07月18日 06時25分15秒 | いいことないかな
最高の舞台に、なでしこたちが登場しました。世界中が注目してくれています。
いよいよ始まりです。


立ち上がり、米国のリズムで、日本が押し込まれる時間が長くなる。中盤のパスがカットされ、度々攻め込まれるが、相手ミスにも助けられる。米国の中盤は人数を厚くして、日本対策はしっかり立ててきている様子。

何点か入っていてもおかしくはなかった。
(失礼な言い方をすれば、まるで男子の日本代表の攻撃を見ているかのような、”決まらなさ”だった。笑)
入らなかったのは、単にラッキーということだった。バー直撃弾とか、あの跳ね返りとか、危なかった。助かった。
ツキはある。

前半途中から、日本側は守備を修正し、前線のプレスが効きはじめた。サイドからの攻撃が自由にやられてしまっていたが、これを封じるようになって、流れが良くなってきた。


後半もピンチはあるが、入らず。ラッキー。


しかし、カウンターからの早い攻撃で、先に失点。


粘って、粘って、ゴールを奪った。
宮間、よくゴール前に飛び込んできた。
守りに入っているアメリカの油断があったかもしれない。

ナ何と、またしても延長戦。
もう頑張れ、としか言いようがない。

激闘と呼ぶに相応しい試合。

日本の守備は足が止まってきて、サイドからしつこく攻められて、失点。
アメリカは前線からボールを積極的に奪いに来て、それが奏功した形。

日本には積極性が欠けているかも。
仕掛けに迷いがある感じ。どうしていいか、局面を打開できなくなっているか。

沢の奇跡の同点ゴール!!

信じられません。
恐るべき粘り。


一発退場のピンチを乗り越えた。
想像だにしなかったPK戦とは…


勝ったー!!!
ナイスセーブ連発。
一本目を止めて、流れを引き寄せた。


涙の勝利。

信じられないけど、世界一になったんだね。
ありがとう、なでしこジャパン。
本当におめでとう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本のエネルギー政策について考える~「Post Fukushima」の日本飛躍に向けて

2011年07月17日 13時41分41秒 | 政治って?
何度も出して恐縮だが、福島原発の事故以前から、拙ブログでの考え方はそう大きく変わりはない。
原子力を脱却しよう、というのは、何も事故があったから、というものではないということである。東電を叩きたいから、とか、原発推進派の自民党議員の中に憎い連中が多くいるから、とか、そういう理由ではない。


09年11月>日本のエネルギー政策ついて考える

(以下に一部再掲)

・原子力:

化石燃料に代わって期待されているようであるが、これに問題がないわけではない。日本国内にいくつもの原子力発電施設を持ちながら、稼働率が高いということにはなっていない。核廃棄物の処理問題も解決の道筋はあまり明確にはなっていない。端的に言えば、原子力発電は利用を絶対にダメとは言わないが、自分の町や村に持ってこられたり処理施設を持ってこられるのは御免被るという話は多いのではないだろうか。
例えば今後に発電所を増設してゆくとか、発電量の半分を賄うなどといった目標であると、調達面で外部依存度が高まる上に安全性や処理施設問題などの課題を多く抱えることになってしまうかもしれない。なので、目先のCO2削減ということだけ取り上げれば、化石燃料より「排出量は少ない」ということが事実であるとしても、長期的コストとかその他課題を考えると、決して望ましいものとも言えないのではないか。
(中略)

また、自然災害でよく被害を受けてしまい、復旧作業などが頻繁に必要となるのですし、そうなるとあんまりに高度で高機能、高額な送電網となってしまうと、維持コストがかさむんじゃないだろうか。アメリカとかみたいに、滅多に地震は起こりませんよ、というような地域であると安定的に維持できやすいかもしれないけど、日本でそれが果たして向いているのかということですね。

そうではなくて、もっとスタンド・アローンに近くして、余った電力は各家庭の蓄電池に入れるか、それでも余れば大きな温水器の熱量に変えるとか、巨大で高額な送電網を必要としない方法もあるのではないかな、と。売電よりも各家庭に蓄電池を設置した方がはるかに安上がりなのであれば、その方がいいだろう、ということ。余る発電量がどの程度になるかというのを調べるしかないでしょうけどね。
完全に各家庭が個別に分けられている必然性はないと思いますが、小規模の蓄電所みたいなもので済むなら、それはそれでもいいですし。マンションなんかだとそういう方向に行くでしょう。割と狭い範囲の数十戸~数百戸といった規模で、各家庭で溢れた分を蓄電所に「貯金みたいに」溜めておき、需要量が多くなれば後からその分は無料で使えるということでいいのでは。小グループに分かれているなら、自然災害時に被害を受けても影響は限定的になるんじゃないのかな、とか。



日本のエネルギー政策を振り返る~通産省の国家プロジェクト

(因みに、通産省のリンク先記事が消滅していた。ウチのブログからリンクされると色々と迷惑がられる、ということみたいです)


今年のものもあるが。
やっぱ、再生可能エネルギーが効果的かも



日本の電力・原子力行政の根本が、「やらせ」を基本としてきたようなもんじゃないですか?(笑)
目的の為には手段を選ばずにやってきて、それに政治や行政の権力を使ってきて、その支援としては司法が裁判で国側勝訴を連発してきた、という、まさしく一部特権サークル連中の思うがままにやってきたという歴史があるわけでしょう?
真実を言ってしまうと、反対する人の方が多くなってしまうから、それを封じ込めるには「賢い俺達」がポピュリズムを阻止して、理想の政策を実現させなければならない、ということで、やってきたわけでしょう?
残念なことに、「賢い俺達」と思ってやってきたら、事後的に見れば「存外賢くはなかった」ということが暴露されてしまった、ということなんじゃないですかね。その賢さの欠如が、管理能力のなさの裏返しということでは。もっと賢ければ、これほどの大失態を演じることはなかったし、むしろ危機対応能力とか素晴らしい信頼性と実績として評価されていたのではありませんかね?

いずれにせよ、そういう連中には「任せておけない」ということになったんじゃないですかね。まさに自業自得では。
しかも反省なき連中というのは、賢さが欠如しているものだから、放っておくとまた同じような失敗を積み重ねるということを招くわけですよ。反省しない連中は、そこにも頭が回らぬ程に、賢さが欠如しているわけです。だから、「危ない」んですね。


それと、よく無責任体質の無責任な人が「国が責任を持て」とか言うのを、ニュースなんかでも聞くわけです。
実際には、「国」という仮面を被った特定個人たちがやってきたことだから、誰も責任なんて持てないし取る気もないわけだよ。それを国という仮想体に押し付けているだけ。

自分が主体的に解決の努力をしよう、解決に向けて考えよう、何か行動に結びつけられないかやってみよう、というような方々は、安易に「○○が責任を持て」とか言わないんじゃないですかね。そういうことを平気て言うのは、自分には何らの責任もなく、やる意思も持たない人なじゃないのかな、というのが経験則ですね。

学校祭の準備とかで、クラスで「演劇をやりましょう」ということになって、途中で何かの問題が発生したら、クラスメートの一人が「○○さんがやろうって言い出したんだから、言った人が責任取って下さい、解決して下さい」みたいに言う人がいたりしませんでしたか?そういう人は、自分が方法を考えたりはしないんですよ。自分に責任がないと思ってるから。何にも悪くない、という立場を堅持してるから。そういう人からは、建設的な意見は期待できません。批判か反対意見しか言わない、みたいな人っていますよね?(笑)愚かな野党と同じ、ということなのです。

経済団体の偉い人とかでも、やっぱり「国が責任を持て、国の責任でやれ」みたいに連呼している方がいるみたいですが、そういうのは教育上よくないですね(笑)。政治家でもそうです。
役所の窓口なんかでも、「お前ら、役所なんだから、役所が責任持て」とか凄んでいる人と、何か違いがあるのかな、と思ったりもします。役所でもできることとできないことがあるし、係が違うとできないこともあるし、色々でしょうけど。


いずれにせよ、エネルギー政策の転換を図ってゆくことは、日本にとって必要であるし、経済成長の起爆剤としての効果もあるかもしれないし、新規産業分野の開拓に繋がる可能性もあるし、脱原発依存には悪いことばかりではないはずだ、というのが、拙ブログの立場である。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

産経の真価発揮!―低劣なデタラメ報道

2011年07月17日 12時30分06秒 | 社会全般
少し前にも思ったのだが、産経新聞のウソは目に余るものがある。最高裁とか検察は、一般個人の犯罪を厳しく取り締まるわけだが、何故か報道機関のウソ八百は放置するということになっているらしい。まあ何でも菅でも取り締まれ、ということを言いたいわけではないが、報道機関の暴走を止める術を持たないのが危険ではある。報道は何を書いても許されるといったような、誤った認識が定着しているかのようである。

さて、参考までに振り返っておきたい。
産経新聞の社説子は、福島第一原発の5・6号機について、東北復興の電力として必要だ、ということを書いていたはずだ。
産経が愚かな社説を書ける不思議~エイプリルフールだから?(笑)

産経新聞の方々は、今すぐ5号機6号機の発電を開始し、電力需要の逼迫している東北に供給して下さい。そういうことを大々的に主張するということは、それが可能だからですよね?
それとも、マスコミ批判が集中する菅総理みたいに、「個人の希望、考えに過ぎない」とか言い訳する積りですか?
まさか、できもしない理想を、何の根拠もなく、具体的な道筋や工程もなく、方法論もなしに、大新聞の社説に書いただけ、なんてことはありますまいね?産経新聞が菅総理のそうした「無責任な言動」を徹底的に批判するのであれば、まずその基準を自らに適用するべきではないでしょうか。

産経社説によれば、要すれば
「第1原発の5、6号機は十分に復旧可能なはずで、合わせて約200万キロワットの発電力、これから東北地方が復興を目指して立ち上がる時に必要となるのが電力エネルギー」
ということですから、素直に読めば「2基200万キロワットを東北復興の電力に使え」ということですわな。あれ?そういう積りで書いているわけじゃないって?
そう読めるように書いているという、テクニックに過ぎないって?

日常生活で、特殊な言い方をする人間って、そんなにいますかね?スーパーなんかで買い物をしている時に、例えば
「このカレーのルーは250円でお得な商品だ」
「今晩のカレーライスにはルーが必要だ」
そういう発言を連続でしたのなら、「きっと、今晩のカレーライスを作るのに、このルーを買えってことなんだろうな」と受け取るのは普通ではないですか?
ところが、産経新聞社説子なんかだと、「このルーを買えとは一言も言ってない」みたいな詭弁を弄するのかもしれん(笑)。
ものは言いようだな。復旧は今すぐ可能とは書いてない、とか。後から何とでも言い訳できるという書き方になっている、ということですかな?

で、マスコミが記事を作る時には、都合よく切り取ってきて、それを繋ぎ合わせて、言ってもいないような(真意とはかけ離れた)ことを生みだすテクニックだってありますぜ、と。さすが、本職。


今回のは、脱原発宣言が人を殺す、という話に展開。
【名言か迷言か】ついに死者!!菅首相の思いつきで続出する3次被害+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

菅総理の宣言と、一体全体どういう関係があるのか?
熱中症で死亡者が出ていることと、菅総理の13日会見での「脱原発依存」社会の意向表明と、何らかの関係があるということを言えるのか?(笑)
こういうのは、ただのデマでなくて、一体何なのだ?
死亡者は10日までの数であり、宣言は13日では?
だとすると、菅総理の発言があってもなくても無関係に、「死亡していた」ということであって、出鱈目の記事ではないか?見出しも記事の一部なのだろう?
新聞のこうしたウソは認められ、一般個人がネット上で根拠に乏しい記事を書けば犯罪者に仕立て上げられる、と。
「ついに」という語で、読み手の誤認を抱かせるような記事を意図的に書いているのは、許されるのか。

今年の7月は暑い、それはそうだろう。だが、節電と関係があるかといえば、そうじゃない。例えば高校野球の県大会で搬送された選手が続出したりしたが、あれは節電とは何の関係もないし、ましてや菅総理の脱原発依存宣言とは何の因果も脈絡もない。それでも、「搬送されている人数」は暑けりゃ増えるんだろうよ。そういうことを考えることなしに、こじつけだろうとデマだろうと、「物は言いよう」ということで、出鱈目記事を書けるというその根性が許し難い。産経新聞の記事は、まさしく卑怯なこじつけに過ぎない。マスコミとか新聞報道の恥とも言うべき状況が、そこにはあるということを同業他社は考えるべきだろう。


政治状況が劣悪なのは、こうした出鱈目報道、ウソつきマスコミが蔓延ることが、その一因なのではないのか。その存在が許されるのは、誰も糺すことができないという特権ゆえであろう。普通の企業などでは、存在できないはずなのだ。
自浄なきマスコミは、人々の信頼を失う。
今の若い世代には、そうした感覚とか認識が確実に定着してきているだろう。ゴシップ紙以下の存在として認知されるということだ。
あまり信用ならないものの代名詞となる日が、彼らには近づいているだろう。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「脱・原発依存」に対する批判はあって当然

2011年07月16日 12時44分34秒 | 政治って?
反対する人々にとっては、誰が言おうが、どう言おうが無関係である。どんな反論だって、批判だって可能だから。菅総理が言わなくても、結局は同じということである。どんな形であれ、批判に晒されるに決まっているのである。その言い分には一理あるものであり、いちいちごもっともと言うしかないのだ。政策決定とは、完全を目指すのではなく、「マシな方」を選択するという作業なのだから、どこかに不備や不利な点があることは当たり前なのである。

菅総理のマヌケなところは、「余命僅か」という状態なのだから、今後の失敗や批判などは気にしたってしょうがないのに、翌日には前言撤回みたいな安易な方向に走ることである。自らの政治生命を賭して臨むくらいの覚悟を見せろ、とは思う。確実に訪れる死を目前に控えて、人間はどいったことを語り、どういった行動なりをするのか、というのと近いのではないかな。この期に及んで何を恐れるというのか。菅総理には、そうした覚悟はなかったのだな、ということは分かった。


小泉元総理を思い出せば、「郵政民営化」と再三再四語っていたではないか。スケジュールなんて示せなくとも、施政方針演説とか所信表明演説なんかで、繰り返し繰り返し語っていたでしょうが。
それに対する批判は当然あったし、閣内からも自民党内からも異論は噴出していたじゃないですか。だけど、目標を掲げ、政治日程に乗せてくることができ、具体的なプロセスやスケジュールを作っていったのは、後のことだったんですよ。

結果として、成功すれば認められるし、どんなに素晴らしい考えやプランや政策であっても、それが達成できなければ批判した側が正当であるかのような感じになるというだけ。そもそも、リーダーは理念を語れとか何とか言っておきながら、一方では総理個人の理念や考えだけではダメだ、みたいなことを言うのって、どっちにしたって批判される、ということなのさ(笑)。だから、批判されることをいちいち考えても仕方ないのだ。オバマ大統領の「核なき世界」がどんなに理想論に過ぎないと言っても、そういう理想を語れる人間こそが世界のリーダーたる資格を持つという受け止め方をされるんじゃないですかね。そこに「どんな具体的なプロセスや手段があるんだ」とか言ってみたって、しょうがないんですわ。現実の政治世界では、理念が必ずしもすぐさま実現できる、ということにはならない、ということです。

けれど、目標を掲げて、語らなければ何も始まらない、ということなのですよ。郵政民営化は総理が語ってから5年かかってるわけで。批判は数々あったではありませんか。要するに、そういうようなもんです。


日本は、原子力発電に頼らない社会を目指す、これは目標として明確に掲げるべきである。日本は、エネルギー効率の高い、コンパクトな社会を実現し、省エネ分野で世界を牽引し続ける存在であるべきである。脱原発を先に決断したドイツやイタリアと共に、高い技術力でエネルギー消費抑制と効率化を果たし、世界や地球環境貢献の先頭に立つ国家を目指すべきである。

具体的なプロセスや政策については、今後国会での議論も含め、経済界も巻き込んで取り組む課題ということになろう。

原子力発電に関して、いくつかの論点について整理してみる。

①原子力発電所の経済効果
補助金等の恩恵は消えるだろう。その分は別な再生可能エネルギー分野に投入可能となる。日本全体での経済効果は、原発に比べて必ずしも劣るということにはならない。むしろ新規産業や雇用に貢献できる可能性の方が高いだろう。
現在ある原発は、いきなり消えてなくなるものではない。最終的に解体され処分されるまでには、長い年月を要するというのが一般的に言われていることであろう。いや、どのくらい長いのかさえ、実際にはよく分かっていない面がある。なので、ダム工事に40年とかいうレベルに似ていて、細々とかもしれないが、処分作業などで公共事業的な支出が続いてゆく可能性は高いだろう。その雇用は維持される。

②福島第一原発の処分に関連して
福島原発の作業員は、今後も大量に必要な状態が続くはずだ。全国の原発関連の人員をそちらの応援に回す必要が出てくるであろう。この作業に優先的に人員を充てるべき、ということである。それに、全国の原発施設の維持管理にしても、ある程度の人員が必要になるので、すぐに消えてなくなるというものでもない。

③再稼働に関して
現状では、難しいかもしれない。が、いきなり全部をシャットダウンだと厳しい面はあるだろう。電力確保の方法を決めておく必要がある。施設の新しい順に「運転可能な状態」を維持することとし、予備として確保しておく、など。古いものは原則廃炉としてゆくこととし、その手順や処分方法等について早急に決める必要があるだろう。

④温暖化問題との関係
CO2削減ということで、原発を推奨という部分はあった。これは部分的には代替可能であろう(風力、太陽光などがあるから)。あとは、火力のエネルギー効率を高めるとか、蓄電技術の向上とか、複合的な技術で対応することになるだろう。原発は確かに温暖化ガスを放出しないのかもしれないが、エネルギー保存則から考えれば、それだけ大きな発熱量があるのだから、例えば海水温上昇などで海流異常や気候・気温異常に繋がっているかもしれないし、発生蒸気が温暖化効果を生むかもしれない。なので、必ずしも原発が最も優れるということではない可能性も考えておくべきではないか。

⑤原子力技術は完全消滅するわけではない
今後も研究や技術開発などは可能であるし、海外に原発プラントを輸出することも可能ではある。日本には、設置しておくことが適切とは言えない、ということであって、国ごとに状況や国民の許容度は異なる。日本がそれと同じくしておかなければならない、というものではない。更なる技術向上で安全に処理できる技術が生まれれば、処分地や方法などが改善できるかもしれない。また、核テロなどに対する防護対策は必要になるので、そういう点でも原子力技術や知識の維持、研究等は継続してゆくことになるだろう。



今のような事態を招いたのは、政治、行政や電力会社がウソや欺きを継続してきたからであって、信頼を失わせた張本人は東電や経産省や保安院や原子力安全委員会だ。
潜在的核兵器保有国という願望だったのか分からないが、核に屈した敗戦国日本としては、核技術保有というのが悲願であったのかもしれない。原発導入当初の目論見というものがどうなのかは不明であるが、単なるエネルギー政策を目指していたものかは疑わしい。これまで原発関連に投下されたコストの回収時期に入っているのに、これを止めるとなれば、そりゃあ損することになるでしょう。けれど、動かして、更なる被害拡大となってしまっては元も子もないわけで。

現時点では、電力会社も経産省も信用されなくなっている、ということが、原発再稼働の最大の障壁なのだということを、まず自覚するべきである。過去の自民党政権がそういうのを助長してきたのであり、未だに石破議員のような発言が繰り返されるということが、反省なき「原発推進派」ということがよく分かろうというものである。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九電「ヤラセメール」騒動は、日本の電力行政の縮図

2011年07月15日 17時04分49秒 | 社会全般
ぶりっ子(死語?)でもあるまいに、これまでのヤラセ体質の一端が暴露されたからといって、今更ワザとらしく大騒ぎするようなことでもあるまいに。

九電が特殊なんじゃなく、ごくごく当たり前のことをしただけなのでは?
電力業界では、珍しいことでも何でもなくて、ただの「これまでと同様」の対応をしたというだけでは?
過去には、そういうのが大っぴらになることもなかったし、マスコミも報じたりはしなかったというだけで、ごく普通に行われていたことなのではないかと思うわけです。

どうしてそのようなことを思うかって?
先日の東電の株主総会を見たからさ(笑)。
海外投資家たちが口うるさく言っていたことを思い出したよ。日本の株主総会なんて、やってもやらなくても大して違いなどなく、意味もあまりないんじゃないか、ってことさ。日本企業の多くの株主総会が、壮大な「ヤラセ」みたいなもので、昔からある「株主総会対策」といった手法は、今回のヤラセメールと何らの違いもないんじゃないのかな、と。
だって、「異議なーし!!」の大声援が、殆どヤラセだったわけでしょう?(笑)
そういうようなもんじゃないの?

動員するのが、従業員持ち株会代表の社員株主か、外部委託だかアウトソーシングだか(笑)の総会屋に頼むか、そういう違いくらいしかなかったわけでしょう?要するに、手っ取り早く言えば「ヤラセ」だわな。日本社会に蔓延る体質そのまんまじゃないですか。それが証拠に、東電株主総会なんて、未だにそういうヤラセみたいなものだもの。株主が経営陣を監視するとか監督するなんていう仕組みではなく、結託しているかグルになっている、ということですわな。やる意味はあんまりないですね、と。形式的な儀式というだけに過ぎないわけです。

だから、九電だって、形式的儀式を無事通過させたい、ということで、過去からある「伝統的手法」を頼ったまででは。株主総会だけではなく、原発事業だってそうだし、大型公共事業とかそういうのだって同じ。体制派を集めて、反対派を抑え込む、住民説明会だとかヒアリングなんかも「やったフリ」で終わらせて、結論なんて初めから決まっているんだし。筋書き通り、というのがオチでしょう?
結論が引っくり返される、なんてことは、過去になかったということじゃないですか?国をはじめとする行政機関も、裁判所も、みんなして、そういう日本を作ってきたじゃありませんか。まあ、現代になってから、少し逆転判決が出るようにはなったかもしれないですが、それでもいったん決まったことは、止めようがなかった、というのが、行政だったわけでしょう?
道路、ダム、普天間基地、具体例は色々とあるでしょうけど、住民の意思を尊重とか何とかなんて、きれいごとであって、壮大なヤラセ体制を築き上げてきたのが、日本の社会だったんでしょう?
九電の対応は、そういうのが垣間見えました、というだけなんじゃないのかな、と。

経産省の電力行政とか原子力行政なんてのは、そういうのを繰り返してきたのではありませんか?そういう学習効果が発揮された、というのが九電の例ではないかと。そして、それは九電に限った問題なのではなく、広く蔓延る体質なのではないかと思えるのである。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胸を熱くする「なでしこ」たち

2011年07月14日 15時14分32秒 | いいことないかな
スウェーデン戦は、先に失点したものの、何故か落ち着いて見ていられた。時間が早かったからなのか、試合に臨むなでしこ達の何処かに余裕のようなものが感じられたからなのか、はっきりとは分からない。ただ、「負ける気がしなかった」というような感触があったことは確かだった。


先日のドイツ戦では、全く違っていた。
高馬力・高出力・加速力に優れたベンツに挑む、スズキかダイハツの軽(失礼、悪い意味ではないです、両社とも。でもゴメンね)みたいな感じ。それとも、メッサーシュミットに挑むゼロ戦、キングタイガーに直接アタックする突撃歩兵の地雷攻撃(余計に分からんか)、みたいな感じだったから。

どうにかギリギリで耐える、撃たれても撃たれても、最後の一線だけは越えさせず、突破を許さない、みたいな。
あれで持ちこたえた、ということが、何というか、奇跡的な感じがした。
誰か一人でも走れなかったら、多分、負けていたかもしれない。だけど、みんな走った。
体力の限界を超えているんじゃないか、と思える程の、想像を絶する粘りと頑張りだった。

それが、あの奇跡の決勝ゴールを生んだんだ。
あの時、不覚にも、涙した。

それくらい価値のあるゴールだった。
なでしこ達の姿を目にして、どうしても彼女たちに勝ってもらいたかった。
なでしこ達には、健気という言葉が似あうと思えたのだった。

試合が終わった時の疲れ具合といったら、なかった(笑)。
こっちはじっと動かず観ているだけなのに。
緊張と不安が、ずっと続きっ放しだったのだなと。
息が詰まるような、喉の奥がヒリつくような、そんな試合だった。


それに比べると、スウェーデン戦は先に失点したにも関わらず、あれほど胸の苦しさみたいなものは感じられなかった。それほどドイツは強く、プレッシャーも厳しかった。スウェーデンには、そこまでの過酷さはなかった。試合内容にも、それが現れていたと思う。
だから、スウェーデン戦は笑顔で観ることができたのだった。

次のアメリカ戦だが、予選でスウェーデンに負けてたらしいので、多分、これまで通りに出来れば勝てるな。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なでしこジャパン、歴史の扉を開く決勝進出!~vs スウェーデン戦

2011年07月14日 05時37分50秒 | いいことないかな
遂にこの舞台がやってきた。
スウェーデンを迎えての準決勝。

前半、まさかのパスミスをカットされての失点。これを逃さない相手はさすが。
早い時間帯だったのでさほど精神的ダメージはないが、攻撃の形をあまり作れず、もんもんとすることが多かった。が、ドイツ選手に比べて、ボールさばきはスウェーデンの方が甘さがあるように思われ、日本にとってはそう苦しむ相手ではなさそうな印象だった。
にも関わらず、先に失点したのは、やや痛かった。

が、大野が中央で粘ってドリブル、あれでスウェーデン守備陣がちょっと乱れ、そこでサイド攻撃に展開、宮間の早い折り返しに、走り込んだ川澄が押し込んで同点。少ないチャンスで同点に追いついたのは大きかった。

その後も攻め込む時間は長かったが、得点を奪えず。


しかし、遂に勝ち越し点が!!
ゴール前混戦から、沢が押し込む。これで、スウェーデンの勝ち越すだけの力は残されていないであろう。
日本がミスさえしなければ、このペースで勝てるはず。

更なる追加点が!
飛び出しの好きなキーパーが、裏目に出た。
川澄のロングシュートが決まって決定的な1点が。

日本選手の小兵軍団が活躍するというのが、なでしこスタイルのサッカーだ。


おめでとう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする