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まだまだ続く・原子力規制委員会に関する池田信夫の無知~バックフィット批判

2014年02月28日 08時32分43秒 | 法関係
ホントに懲りないね。
池田信夫のお仲間に、元官僚の石川和男だの、東大教授の岡本孝司だのを加えてみたって、何の役にも立たっていないのではないか?(笑)


3人が語り合ったらしい番組があったようだが、見てないから知らない。
まあ、何を言いそうか想像はつくがね。互いの傷を舐め合うくらいしかないのでは?


無知であるとか間違いしか知らない人だけが何人集まっても、多くの場合には正しい答えが見つからず、徒労に終わる。


こういうツイートがあったらしい。


石川和男@kazuo_ishikawa

原子力規制委員会設置法施行以前に建設された原子炉を計画外廃炉させるのであれば、国家賠償に関する制度整備をすべき。地震発生確率に係る挙証責任は規制委にある。



マジ、どうしようもないわな。
元官僚のくせに、何らかの利益優先で、眼が曇ったか?
それとも、通産官僚の実力というのが、こういう程度なのだろうか。
こういうヤツを見ると、日本の官庁は大丈夫かと心配になる気持ちが分かってもらえるだろうか?



法体系だけ考えると、そもそも賠償制度なんて作らなくてもいい。
原子力規制委員会は、いきなり廃炉にせよ、と命じる必要性すらないから、である。


最も簡単な具体例を挙げてみることにしよう。


地震動の計算の基礎となるモデルを変更するとか、昔あった基準以上に大幅に引き上げることによって、目的は達成される。


設計基準となった地震動S1が350ガルだったとしよう。
自然現象では想定不可能な水準と思われていた限界基準が、S2で500ガルだった。

建設当時には、この水準で耐えられるように作られた、ということである。


で、その後の新規知見が加わった、と。
過去の想定していた地震動よりも、ずっと大きい値が観測されてきた、と。

ならば、地震動の計算モデルを変更し、余裕を持たせる幅をもっと大きく取る必要がある、と規制強化を考えたわけだ。
例えば500ガルだったのを800ガルに引き上げ、さらに限界よりも余裕を持たせる幅を25%とって、1000ガルに耐えられるよう改修工事を全面的に行う、というようなことである。


これは、耐震基準が350→500→800→1000と、知見が加わる度に引き上げられてきた、ということと同じ意味合いである。
これをバックフィットであるから、違法だ違憲だ、賠償せよと言っているのが、池田や石川らだろう。


現実には、このような対応がとられてきたことを知らないんだよ、彼らは。
浜岡原発の場合も、大差ないだろう?


昔は、そんなに大きい加速度がかかるわけがない、と思って、建設してきたんだ。
しかし、実測値はそうした想定をはるかに上回る加速度だったんだよ。


なので、規制委員会としては、過去最大値を参考にして、それに耐えられる原子炉施設に全て改修せよ、改修できないなら稼働はできないよ、と言えばいいのである。例えば過去最大の地震動は4000ガル以上が観測されたらしい(宮城内陸地震08年)。よって、これを耐震審査の基準値と考える、ということにして、活断層モデルを厳しい数値適用にするとかにすれば可能だ。4000ガルに耐えられるように工事して下さい、と。計算モデルを変えることもあり得る。「昔は活断層の上に建設できたのに、今になって不可というのはおかしい!」みたいな意見は、全くの見当はずれである。上に建ってるからダメ、という短絡ではなく、想定地震動が引き上げられたら必然的に耐えられない、ということだけ。


その改修費用が膨大になってしまう場合、原発は稼働させず別の発電手段を考えた方がマシ、ということがあるのだ。
例えば改修費に1兆円投資が必要になる場合には、2000億円で廃炉にしても5000億円で再生可能エネルギーによる発電設備に投資する方が安上がり、ということが起こるわけである。これが商売というものではないのかね?通産官僚さまには、経済というものの観念が欠如しているのかもしれない(柏崎刈羽は基準値が2300ガルに引き上げられたはずだ)。



それから、池田信夫はバックフィットということが、つい最近になって行われたかのように言っているが、それはウソである。
柏崎刈羽原発が中越地震後に耐震性能向上の改修をされたはずであるが、それはバックチェックということになっていたわけである。他の原発についても、ほぼ同様の手続きが取られていたものである。


2010年12月>http://www.nsr.go.jp/activity/regulation/doukou/taishin/shingi.html




原子力安全委員会における議論でも、同様。

08年>www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/jishindo/.../siryo4-2.pdf‎




要するに、旧来組織では、『バックチェック』と呼称されていたものが、現在のNSRでは「バックフィット」と変更されたに過ぎず、池田が田中委員長体制下になってからはじめて行われた手続であるかのようにデマを拡散しているが、それは無知ゆえの妄言である。



もしもバックチェックを「違憲だ、国家賠償だ」と、昔から言い続けてきたのであれば、そういう主張があるのかもしれない、とは思う。しかし、今になって、過去の行政で行われてきたことと何らの違いもないものを、敢えて大騒ぎするというのは、何か別の目的か利益の為の行動ではないかなと勘繰りたくもなるわけである。





それから、岡本孝司東大教授ね、彼もWGとかのメンバーに07年くらいから入っていたはずではなかったか?
07~10年の間、原発の事故や故障の評価委員会の委員だったはず。

岡本教授は、日本のD/G事故も知っていたし、海外の電源喪失事故例なども知っていたのだよ。
電力会社に、そういう事故を防ぐよう専門的意見を述べる立場にあった、ということさ。過去の体制や規制を知らないわけではないのに、今になって批判するのもどうなのよ、とは思う。あなたにも、事故の責任の一部はあったんじゃないのかね?



しかも、岡本教授は、東大の偉い先生らしいので、業者から毎年のようにカネを集めるのがうまいらしい。
三菱重工ね、教授に90万、85万、82.5万とか毎年寄付してたよね?
共同研究と称して、400~500万円規模の研究費も使ってるはずだ。三菱重工だけではなく、日本原子力発電(株)からも、22年度と23年度に400万円クラスでカネが入っていたろう?


そういう偉い先生は、「原子力ムラ」の構成員と見做されても仕方がないんじゃないですかな?




いずれにせよ、バックチェックを知らない、池田や石川や岡本なんかが、ウソや出鱈目を言い続けても、誰からもお咎めなしということだな。


石川のような人間のおかげで、色んな勉強をさせてもらえて、うれしいですわ。
本当に、心の底から感謝しています。


自分の無知、不勉強を自覚できましたわ。
以前には知ることのなかったことを、目にすることができたというだけでも大きな収穫だった。




竹崎最高裁長官と司法崩壊

2014年02月27日 13時46分28秒 | 社会全般
竹崎最高裁長官が任期途中で退官するのだそうだ。


>http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014022601002088.html


日本の最高裁を頂点とする「司法」は、究極の官僚主義的腐敗組織である、ということを、存分に学ばせてもらった。


日本の多くの人たちが知らなかったはずだ。
こういう、上に行っている人間というのは、それなりの理由というものがあるのだよ。


キレイ事を言うような裁判官なんか、到底なれないのだ。
政治的にうまく立ち回れる、正義とは対極に位置する人間だからこそ、偉くなれるんだよ。


竹崎博允ばかりではないはずだ。

最高裁事務総局という、全国の裁判官たちの人事を左右できる場所、これを押さえている限り、まともな裁判官は絶対に偉くなれないんだ。


竹崎と一緒にいたであろう、山崎敏充最高裁事務総長(現東京高裁長官らしい)、彼らが東京第五検察審査会の、出鱈目のような腐敗司法を支援してきたというわけだ。


小沢を葬り去った、司法暴走だ。
検察と一蓮托生。

これを支える最高裁。



いずれ山崎敏充もアガリポストとして、最高裁判事か最高裁長官が待っているだろう、ということだろうな。



日本の司法は死んだんだよ。

竹崎の退官は、逃げの一手ということに過ぎないだろう。



ちょっと追記:


竹崎長官が事務総長時代にあった、もんじゅ裁判を覚えているか?

05年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/83c3acfcf023f6a7cbb894a48683763f


当時、最高裁判決に疑問を感じた人たちは多かったのではなないか。当方ですら、おかしいと思えたものだったからだ。
こういうのが、腐敗司法の典型例だ、と言っているのだよ。


行政側が勝つようになっていれば、最高裁は最強だ。誰にも糺すことなどできないのだからな。
こういうことのできる人間、高裁判決は潰しても「原子力ムラ」勢力のお先棒だか片棒だかを、ホイホイと自ら進んで担げる人間、そういうヤツらじゃないと最高裁までは辿りつけないんだよ。


志賀原発2号機の裁判もそうだ。
地裁では住民側勝訴という画期的判決が出された。差し止め訴訟に勝ったんだよ。
しかし、名古屋高裁ではひっくり返され、当然最高裁も門前払いだったはずだ。これも竹崎長官時代だった。政府に都合のいい判決を量産できなければ、竹崎のような立場にはなれない、ということさ。



だから、上に君臨するクズの支配下にあって、その手下となって法も正義も簡単に売り払える人間、そういうヤツらしか残ることがないのである。


そういうゴミ溜めの中から、次々と偉くなる人間が順繰りとエスカレーターに乗って上がってゆくわけだから、当然上にいるのはゴミ屑だらけということになるようなものだ。ゴミは部下にもゴミを望む、ということだな。まさしく類友。



竹崎長官は野田政権末期に、訪米したことがあった。
解散目前の10月末~11初旬だ。


ヤツらは、普通の通信施設であると情報漏れがあることを熟知していたので(まあ自分たちが盗聴したりメールチェックをしていたわけだから、当たり前だ)、直接面会して会話するということを「最高秘密保持」としていたわけである。

だから、竹崎は呼ばれたのだよ。


で、何を?
ということになるわけだ。



それは、日本の最高裁が総理大臣の解散権行使について、違憲と認定して無効としたりすることがあるかどうか、であったろう。
つまり、自民党復権の選挙の法的有効性などについて、事前に竹崎に確認をしていたものと思われる。竹崎は、大法廷になった際でも、多数派が確保できるかどうか、ということをあちらサイドに感触として伝えていたはず。


つまり、野田総理の解散は法的に有効、その後の選挙の有効性及び違憲性の判断について、選挙無効という判決にはしないようにすること、などが確認されたはずであろう、ということさ。



確認できたからこそ、野田政権と安倍自民の合作で「違法解散選挙」が実施されたわけだからな。


竹崎とは、多分そういう男なんだろうと思う。
多分アチラのエージェントとして、たいそう役立ってきたことであろう。



こういうことができる人間じゃないと、頂点には立てないわけ。


高潔にして聡明、公明正大なんていうまともな人間は、早々に排除されてしまって、地方の家裁か簡裁のドサ回りだけを延々と続けられてしまう、そういうシステムが最高裁及び最高裁事務総局の本性である。
これに迎合できる人間だけが、上に引き上げられてゆく。

そういう連中が日本の司法を支配し続けているのだよ。


唯一の対抗策は、国民審査で排除することだけである。
しかし、そういう形骸化した儀式には、何の効力も意味もないのである。



オレはバカだった。
ずっと幻想を信じ続けてきた。


しかし、全くの嘘っぱちで出来ており、司法界はほぼ腐敗の総本山でしかない、ということを、全国民はもっと知るべきである。


日本に正義など、どこにもない。

法だって?


笑わせるな。
クズどもに、そんな精神など宿るはずがない。


排除されてきた裁判官たち、そういう人たちがもっと表に出てこれるようにならなければ、日本の司法など腐敗したままである。


法曹の人々に、批判の精神はまだ残されているか?
諦めず戦える人たちは、果たして残っているだろうか?



竹崎の大罪は、何年経っても消すことはできない。
唯一できることは、彼らの戦術を学ぶことだけである。次の為に、腐敗の手口を研究し学ぶことくらいしかない。


学んだことが、例えば次の山崎敏充の時に活かすことができるものかどうか。


うちみたいなマイナーブログのできることなんて、まあ殆どないんだけどさ。世の中に、何の影響も持たないわけだし。ささやかな抵抗、それくらいではないですかな。



またまた原子力規制委員会に関する池田信夫の無知

2014年02月26日 10時14分06秒 | 法関係
もういい加減、ウンザリなんだが、間違いだらけなので、書いておく。
池田は昨日のツイッターで次のように言っていた。


池田信夫@ikedanob

条文をちゃんと読んでみろ。「運転開始前に認可」と書いてあるのは保安規定だけだよ。 RT @radio826 保安規定認可だけでいいと述べてましたが運転再開には変更許可(炉規法四十三条の三の八1項)、工事計画認可(同四十三条の三の九1項)も要件となっているようにしか読めません。



『条文をちゃんと読んでみろ』とは、あなた自身のことですよ>池田信夫


自分の専門と語っている経済学も満足に知らないのに、行政法が期待できるはずもないわな(笑)。
何度説明しても、理解できない連中というのは、本当にどうしようもないな。


前にも書いたが、また書くことにする。
1/27>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/47abaa3da2f8bd403eb50c75b593efcb




そもそも設置事項の変更がある場合には、許可か届出が必要。


○43条の3の8 第1項

第四十三条の三の五第一項の許可を受けた者(以下「発電用原子炉設置者」という。)は、同条第二項第二号から第五号まで又は第八号から第十号までに掲げる事項を変更しようとするときは、政令で定めるところにより、原子力規制委員会の許可を受けなければならない。ただし、同項第四号に掲げる事項のうち工場若しくは事業所の名称のみを変更しようとするとき、又は同項第五号に掲げる事項の変更のうち第四項の原子力規制委員会規則で定める変更のみをしようとするときは、この限りでない。

(2項以下略)
=======


また、工事そのものも認可か届出が必須。

○43条の3の9 

発電用原子炉施設の設置又は変更の工事(核燃料物質若しくは核燃料物質によつて汚染された物又は発電用原子炉による災害の防止上特に支障がないものとして原子力規制委員会規則で定めるものを除く。)をしようとする発電用原子炉設置者は、原子力規制委員会規則で定めるところにより、当該工事に着手する前に、その工事の計画について原子力規制委員会の認可を受けなければならない。ただし、発電用原子炉施設の一部が滅失し、若しくは損壊した場合又は災害その他非常の場合において、やむを得ない一時的な工事としてするときは、この限りでない。

2  前項の認可を受けた者は、当該認可を受けた工事の計画を変更しようとするときは、原子力規制委員会規則で定めるところにより、原子力規制委員会の認可を受けなければならない。ただし、当該変更が原子力規制委員会規則で定める軽微なものであるときは、この限りでない。


(以下略)
=========



従って、ツイートのradio826氏の指摘が妥当である。
条文に「運転開始前」と書かれているかどうか、が決定的条件なんかじゃないことは明白だ。池田信夫の言い分は、出鱈目である。


43条の3の8の第1項から、発電用原子炉施設の位置・構造・設備(5号規定)の変更がある場合には、許可が必要。事故対処の為に施設(追加)・体制整備等(10号規定)の変更も同様。これに伴う工事は、許可工事と届出工事があるはずだ。43条の3の9の第1項から、これの許可を得なければならない。これら許認可がなければ原発を運転できない、というのは必然。



具体例はこんなのだ
>http://www.nsr.go.jp/activity/regulation/press/BWR/25/12/1227-1.html



池田信夫は全くの出鱈目を言う前に、条文を読むなり資料を読んでからにしろ。



彼のような理解力の人もいるようなので、もっと具体的に当方の理解の範囲で平易に書いてみよう(1月の記事で野球の公式球の基準例と大差ない)。


以前の法体系における技術基準が「基準A」であったものとしよう。その後の原子炉等規制法改正で技術基準が変更され、「基準a」となった。

旧)基準A → 新)基準a

事業者は、この基準に適合していることが必要。適合していないと運転できない。技術基準に適合させる為には、既設原子炉施設の追加的な工事等変更が必要なので、原子力規制委員会に許可申請を出すわけである。
この許可が得られていなければ変更ができていないことになり、すなわち「基準a」適合という条件が未達成ということになる。


「基準A」のままで原子炉運転を行うと43条の3の23第1項に該当し違法確定。或は、電力事業者が変更(工事)許可が得られてないのに自分勝手に変更して原子炉運転を行えば、原子炉等規制法43条の3の20第2項第2号に該当するので、やはり行政処分対象(最悪の場合、許可取消し)だ。


だからこそ、各電力会社は許可申請を出しているんじゃないか。これが法的手続きに拠らないものであるなら、電力会社がそんな申請書類を出す必要があるかね?



それから、池田信夫の大いなる勘違いを指摘しておこう。
「安全審査」というのは、旧法上でもあったものだ。旧NISAでもやっていた手続である。その審査期間は一概に短いとも言えない。


具体的には、日本原発の敦賀3・4号機増設申請は、H16年から出されていたが、許可は何年も出されず大震災時のH23年時点でも許可されてない。東通原発の設置許可は、H18年申請から許可まで一部補正を5回繰り返した後、4年以上経過してから出された。浜岡原発での固化材変更申請にしても、H21年10月申請から許可が出たH23年1月まで審査期間がかかっていた。


安全審査についての申請の場合、一度も補正なく許可されていることはむしろ少なく、ほとんどは複数回の補正があった。補正とは、原子力安全委員会なり原子力委員会なりの答申を通す為に必要な「行政指導」のことである。別に、今の原子力規制委員会体制になった後から生じた、田中委員長体制下特有の事態ということなどではない。震災以前からあったことと大差ない、ということだ。



要するに、池田信夫や安念潤司や諸葛宗男らの言い分というのは、ほとんどが思い付き程度の意見である。



法も経済学も知らぬ者~3

2014年02月25日 14時49分48秒 | 法関係
原発と石綿やPCBの規制は似ている。
実際に被害を生じるまで、汚染処理・賠償コストはほぼ無視されてきた。すなわち、生産(発電)価格にそれら外部不経済のコストが反映されておらず、そうであるが故に誤った価格(=電気料金)で流通してきた、ということだ。


失敗した価格設定により、取引量が拡大された。原発の発電量が増加した、ということである。もしも価格設定が正しかったのなら、東電は一民間企業として全額賠償を払うことができたはずである。しかし、現実にはそうなっていない。事実上の倒産だ。


これは、石綿被害の賠償負担に耐えられず倒産した企業とほぼ同じようなものだ。将来時点の損失分(具体的には保険料などの形で積立ておく、などだろう)を価格に反映していたとすれば、原発の発電コストは他の発電技術との競争に勝てないかもしれない。


前から提案したように、本当に原発は電気料が安く、完全に安全なのであれば、経団連の企業群が買えるはずだ。自分たちで買って、自分達の電気をそれで賄えばいいだけである。将来発生する汚染処理コストや賠償コストを完全に払うことが可能な水準で価格設定を行えばいいだけなのだから。その場合、果たして原発は有利なのか、ということだ。不利であると考えているが故に、大企業の連中は「原発を動かせ」と首を揃えて合唱するばかりで、商売人らしく資金を出して解決しようとはしないのだ。


要するに、池田も安念も経団連も、みな口ばかり、だ。
カネは国民に出させる、責任は企業が負わない、リスクも地方の人間に負わせるだけ、ということだ。「国が責任を持て」という都合のいい言い分は、事実上の無責任体制にさせろ、という要求に等しいのである。
真に原発を運用したいというのであれば、責任とリスクを電力事業者に全て負わせるべきである。カネも全部払わせるべき。それができないのは、市場の失敗があるからだ。


因みに、カネミ油症事件に関連して、日本の腐れ司法と霞が関官僚について一言言っておきたい。


昔の公害訴訟なんかがどうであったか、ということは知らない。
が、水俣病の例を見ても分かる通り、昔の企業も通産省あたりの官僚も、絶対に「企業責任を認めない」という姿勢を貫いていたのだと思う。これを覆すとなれば、官僚は出世の道が完全に閉ざされるだろう。だから、誰も変えようとはしない。前例踏襲主義の徹底だな。

それにより、因果関係は認められないということから、企業が責任を負わずに逃げ回ってきたわけだ。問題企業が倒産してしまえば、「責任を認めたことになる」ということで、屍状態になっているのに「生き長らえさせて」、何十年もの間無駄に時間を経過させたのだ。何故なら、当時被害者だった者たちは、必ず高齢になっていずれは死に絶えるからである。これが真の霞が関官僚たちの「踏襲」だ。彼らは、40年だろうと50年だろうと、痛くも痒くもないから。


こうした姿勢を後押ししていたのは、裁判所だったろう。中には、稀に原告勝訴の判決文を書いてくれた裁判官もいたかもしれない。が、高裁か最高裁まで行けば、必ず負けることになってきたものと思う。それが延々と継続されてきたのであろう。これも同じく、官僚主義的な司法の世界ということだ。因果関係が認定されれば、他の公害訴訟にも”悪影響”を与えてしまう、共産党勢力に手を貸すに等しいことになる、みたいな、下らない理由でもって、長年被害者たちを苦しめ続けてきたのではないのか。
だから、決して企業責任も因果関係も認めてこなかったし、行政の不作為や責任も認めたりはしなかったのでは。それが最高裁まで20年、といった理不尽な裁判を強いてきたのでは。そこで敗訴が分かったとして、次に戦い続けるのは極めて困難だ。水俣病もハンセン病も、その他公害訴訟でも、同じような構図だったのではなかったか。


法とは何の為にあるのだろうか?

池田のような連中に攻撃の口実を与えるためなんかじゃないはずなのに。



法も経済学も知らぬ者~2

2014年02月25日 13時39分02秒 | 法関係
昭和40年代まで日本でも採掘されていた石綿であるが、石綿規制が法的に行われるようになったのは40年代末くらいである。環境庁が誕生する前くらいだ。当初の管理濃度水準は、2mg/cm3だった。それが時代と共に低濃度基準へと変更されていったわけである。
同じ体積当たりで、2mg→5本→2本→0.15本といった具合だ。
こうした数値基準変更は、健康被害状況の新たな知見反映であり、遂には輸入や使用が全面禁止となったのである。


池田式論法によれば、これら変更は全て違憲だ、ということだな。不遡及原則に反する、と。愚かなり。


そもそも、何故政府規制が存在するのであろうか?
外部不経済ということがあるから、である。


企業は石綿使用で利益を得るので、厳しい基準変更を自らが行う動機は乏しい。しかし、被害者が拡大し賠償額が大きくなれば、企業存続に関わる問題となるわけである。現実に製造企業で倒産した例があったわけだ。


政府規制が全くない場合には、企業が自分の責任において石綿を使用してもよいが、もしも健康被害などが生じて他者の法益侵害となれば賠償をせざるを得ないことになる。すると、企業が石綿を作って得る利益と、賠償を支払う損失との比較において、作らない方がいいという経済学的理由で石綿使用は停止されうる。その賠償の判断の基礎となるのは、社会の状況(逸失利益額等々は社会で異なる)であったり、健康被害に関する知見といったことである。

政府規制によって、賠償コストを払わずに逃げる企業を封じる、ということになる。政府が規制していなくても、通常の私企業は製造責任などから賠償コストに耐えきれず、製造しない方がよいということになってしまうのだ。企業が「被害を生じることを知っていたのに、何らの対策を講じることなく製造や使用を続けた」という事実の時点で、違法が確定する。


仮に製造設備や輸入在庫が無駄になる、ということがあるとしても、それを使用した結果生じる将来時点での損失額(賠償額)の方が甚大であるが故に、政府規制が行われたらそれらを処分するよりないということなのだ。


PCBや石綿が消えた理由というものは、そもそも市場の失敗から政府規制となり、損失コストが大きかった為に「価格がゼロ」となったのだ。すなわち、生産量がゼロになってしまったということである。これが全面禁止となっている現在の状態である。これらの処理コストは、50年前には「目の前に存在していなかった」ものだ。製造企業も、PCBや石綿含有製品の製造企業も、それら将来コストを払ってはいなかったのである。だから、利用時点では安価に流通していたし、製造可能だったわけである。


しかし、将来発生するであろう汚染処理や被害賠償コストを製造価格に反映していたとしたら、使用可能な価格とはなり得なかった、ということである。PCBや石綿の使用コストが大きいことが分かった為に、それまでは高価格であったはずの代替品に切り替わったのだ。経済学的な理由は明白である。汚染や被害をコストとして製造価格に反映した場合には、あまりに高額になってしまうので代替品との競争に勝てないが故に、それら製品の取引市場は消滅したのだよ。


石綿の製造企業は政府規制によって政府に賠償させたのか?
例えばナイガイ、ニチアスや日東紡なんかが、そういう違憲立法による賠償金を政府からせしめたという事実はあったのか?


池田式論法によれば、製造工場を作ったりJIS規格で昔は認められていたりしていたものは、「現在でも立派に有効なんだ」ということらしいので、政府規制のせいで在庫を抱えたり製造設備が無駄になった企業というのは、「行政の横暴だ、違憲立法だ」ということで訴えるとカネが取れるらしい(笑)。

池田や安念の言い分に従って、電力会社はすぐさま原発を動かすといいですよ。彼らの立論によれば、合法だそうで。しかも、行政が原発の運転を止めていたのは違憲だそうなので、損害賠償請求訴訟の提起をすればきっと勝てることでしょう。
大爆笑。

電事連・電力会社の皆様、早速やってみればいい。池田の意見が正しいと思うなら、やれるはずだ。


池田信夫は法学について全く信頼性がなかったわけだが、同じく経済学分野においても「やっぱり信頼性なし」だったな、ということが分かったわけである。


(つづく)





法も経済学も知らぬ者~1

2014年02月25日 12時57分28秒 | 法関係
日本というのは、本当に不思議な国である。
間違ったことを公言し続けても、恥でも何でもないらしい。そういう人間が蔓延っていても、誰にも止められないのだ。



>http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40032?page=2



池田や安念中大教授や諸葛東大特任教授は、『使用前検査』なんて知らなかったのではないのかね?そんなこと、全く言ってなかったろう?(笑)


続々・原子力規制委員会に関する池田信夫の無知~+諸葛宗男&澤田哲夫編


拙ブログ記事で何度も書いて、教えて差し上げたんでしたよね?(笑)



設置許可をやり直している、と主張していた人間であれば、発電と審査が同時でいい、という意見は矛盾としか思われない。
設置許可のやり直しとは、旧来の許可が失効しており、新規に許可を得るものというのが一般的であろう。以前に例示した公益法人のような場合である。以前の許認可が無効なら、新規設置許可が出ない限り、原発稼働と発電はまさしく「無免許運転」状態となってしまうのではないのか?(笑)


原子力規制委員会に関する池田信夫の無知


この点を攻めても間違っていたので、残された唯一の手掛かりが「法の不遡及原則」というものだろう。

続・原子力規制委員会に関する池田信夫の無知


しかし、これについても、不当な主張を繰り返しているのみである。何度も言ったのに、まだ分からないらしい。


また例で考えてみよう。
昨日頃、カネミ油症訴訟で除斥期間経過で敗訴となっていた、という報道があった。これも何十年にも及ぶ法廷闘争が断続的に続けられてきたわけである。PCBによる汚染や被害というのは、60年代や70年代には解決が困難であったのだ。
PCBの製造会社もあったし、この成分の含有製品を製造している会社も当然多数存在していたはずである。しかし、健康被害が拡大するという知見が得られて以降には、使用禁止へと法規制が行われたわけである。

池田式の論法で言えば、「PCB製造工場を作った時には違法ではなかったのに、後になって規制でPCBが製造できなくなった、どうしてくれる!!」ということらしい。不遡及原則に反する、だから政府が規制するなら賠償せよ、と。


或いは、アスベスト規制でも似ているだろう。
紀元前より使用実績があり、石綿の原料採掘も昔から長年行ってきたのに、使用を禁止するのは何事か、と。製造工場を作ったり輸入して在庫にしていた時には使えたのだから、政府規制で使えなくなった分を賠償しろ、と。後になってからの法規制は憲法違反だ、と。


なるほど。
そういう意見があるのかもしれない。池田は以前から、そればかりを言っていたわけだから。



ばかばかしい。

石綿の法規制のせいで、前は生産できていたものができなくなったのは違法である、違憲立法だ、という主張は、まともな人間が表明する意見とは思われない。


科学技術の進歩、といった視点が皆無である。法は永久不滅の真理などではない。時代により、解釈も変われば運用も変わるかもしれない。社会の変化に応じて、適用も法理も変わるものであるはずだろう。
しかし、論難することを目的としている人間にとっては、ただ単に「攻めることができる点」ということをもって、不遡及原則に反すると言い募っているだけなのである。


新規の知見は、科学技術の進歩によって新たに加わるものである。法と云えども、判断の基礎をなす新たな知見は無視することはできない。過失とか責任という点について検討する場合において、知見に乏しい時代とより詳しく分かっている時代では判断が異なることもあり得る。


そういう視点を欠いたままで、不遡及原則に反する、などという主張は笑止千万である。心底違憲立法であると信じる者であるなら、石綿を食うなり自宅コンロで使うなりしてみてはどうか。
有史以来、使用実績のある石綿であるのだから、最新知見など無視して、自ら使い続けてみればよいのである。法の遡及を自らを通じて阻止すればいい。何なら、カネミ油を食えばいいのだ。
いずれも「以前には違法ではなかった」んだぞ?
それくらい出来て当然だろう?(笑)


(つづく)



「シーラカンス脳」の恐怖

2014年02月24日 20時56分47秒 | おかしいぞ
世の中には、いくら間違いであることを諭しても、愚かなことしか言わない人間というのがいる。自分では永遠に自覚できない、真性の愚者は救いようがない。


進歩というものがない人間というのは、自分の偏執狂じみた意見に凝り固まっており、そこから一歩も出ることがないのだな。まさしくシーラカンス状態。その程度の脳みそしか持っていないのかもしれない。そんなことを言うとシーラカンスに失礼か。



バカは死ななきゃ治らない、というのは、やっぱり正しいのかもしれない。
バカの一つ覚えみたいに、ずーっと同じことしか言わない。
それはバカだからできることなのだろう、きっと。



バカゆえに、永久に気付けないのだろう。



寝た子を起こしたのはオレ?

2014年02月24日 13時49分02秒 | 俺のそれ
大した話ではないが。

たまたま過去にあった行政指導の例として取り上げたのが保険金未払い問題だった。


1/27>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8da760d94d6e08b3bcd32f30c09ab5b5


そうしたら、後日お詫び問題に発展。

2/7>http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2014020702000113.html



すまん。悪気はないけど、東京海上日動火災(長い!)さんに被害が及んだかのようだ。

みんな忘れていたはずなのに、過去の不祥事をほじくり返してしまって、10年以上前のことが叩かれてしまったらしい。




これだけでは終わらなかった。

2/12>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e5f6dff81cd1ffc192f3593c18e4f5a2


これもほんの偶然、昔の殆ど使ってなかった口座を廃止してきたよ、という話を書いただけなのに、メガバンクさんに被害が及んだらしい。


2/24>http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20140224-567-OYT1T00440.html



三菱東京UFJ銀行さんには、何の恨みもございません。けど、当方の行き先がバレてしまったかのようで、ちょっと怖いです。3つのうちから一つだから、まあほぼ当たるようなもんですがね。
実際、廃止してきたのは、そこの口座だったわけで。


因みに、三菱東京UFJ銀行さんの新規口座は、別にネットバンキングと一緒に最近作ったばかりです。一人1口座らしいですから、使ってない口座は廃止しておかないと、と思って。


そうしたら、メガバンクさんの謝罪という展開に。


オレのせい?
なわけないだろうけど、あまりの偶然の一致に、ちょっと驚いています。


オレのせいじゃないよね?



浅田真央さん、ありがとう

2014年02月21日 18時12分05秒 | 俺のそれ
書く時間があまり取れなくて、遅くなってしまいました。



遂に、終わってしまいましたね。
本当に長く苦しい道のりだったと思います。お疲れさまでした。


まず、全体的なことを話しておきたいなと思います。
メダル争いは、ミスの少ない者同士で厳しい戦いでした。印象的だったのは、やはりコストナーでしょうか。過去のどの演技よりも、今回は良かったと思います。特に、ショートは素晴らしかった。彼女のスケート人生最高の出来だったのではないかと思えました。キムヨナよりも高得点ではないことが不思議でした。

ロシア期待の若手新星たちは、今後も活躍が期待できることでしょう。リプちゃんは団体でも非常にいい演技を見せていましたし、ソトニコワもメダルに相応しい内容だったと思います。が、やはりジャッジへの不信は、残り続けるものと思います。

言うなれば、今回の採点というのはバンクーバーでの「ヨナ・ジャッジ」を隠蔽し正当化する為のものだった、ということです。だから、ヨナには再度高得点を与え続けることが必要だった。そして、「選ばれた特定の誰か」を優勝させることができる体制というものを、誰かが手中に収め続けることが必要とされたのです。

それは、恣意的とも言うべき不可解な「加点制度」の温存と正当化、ということでした。それが端的に現れたのが、ヨナやソトニコワへの大幅加点でした。これが残された背景というのは、結局の所バンクーバーでのヨナ・ジャッジ疑惑を払拭せんが為のものということですね(今回望外であったのが、真央さんがショートで想定外のミスを重ねたこと、であったはずです。”手”を使わずに済んだから、です。もしも大きなミスなしの演技であった場合には、採点でより傷ついていたことでしょう)。


これからの傾向としては、できるだけ安全に決まり切ったメニューをこなす方が楽だし高得点になる、ということで、技にチャレンジする人は減るでしょう。そして、商業的に価値の高い人が勝てるシステムになっていさえすればいい、ということであろうと思います。競技としてのスケートという面は、より過少評価されることになったものと思います。


真央さんの成績は、皆さんご存じの通りです。
先日、拙ブログ記事で書いたことが、現実になってしまったかのようです。

2/7>浅田真央さんへ


ぼくは本当に、泣いてしまいました。
何故か涙が流れていました。きっと日本全国で、大勢の人たちが涙しながら真央さんを応援していたと思います。


また、『今回のオリンピックでどんな成績、結果であろうとも、悔いなくできればそれでいい』などと書いたものですから、金メダルではないことが予期されていたかのようでもありました。すみません。


でも、フィギュアスケートがこれほどまでに深い感銘を与えてくれるものであると、真央さんの演技を通じて経験することができました。こんなにも、人の心を揺さぶるのか、と。それほど感動を与える演技でした。


バンクーバーでは手の届かなかった、金メダル。
それは、前にも言ったように、未完のラフマニノフ「鐘」だったのです。未完であったからこそ、今回ソチではその「第二幕」ということであったものと思います。それ故、同じラフマニノフの選択でした。今度は完成させるんだ、という決意の顕れでした。


第二幕という意味は、演技冒頭の入りを見てもそう感じました。「鐘」を目に焼き付けた者たちには、見てとれるものかな、と。再びチャレンジするという意志を込めた、プログラムであったと思います。


そして、その期待に見事に応えてくれました。
どの選手の演技よりも、最高難度が求められるものでした。そのプログラムを見事に演じ切りました。遂に成功させたのです。バンクーバーの第一幕で達成できなかったことが、今回のソチでは達成できたのです。


これが可能な選手は、世界中にただ一人、浅田真央さんだけでした。
ここまで高みを追求してゆくという姿勢は、競技選手として模範的な姿であると思います。


心の底から感動した、この五輪を忘れません。
真央さん、本当にありがとうございました。



ネットバンキングをやってない銀行からのメール

2014年02月18日 17時39分09秒 | 俺のそれ
銀行のHPなんかで、よく注意を喚起されているのが、フィッシング詐欺のようなやつだ。


これまでお目にかかったことがなかったのであるが、あるメールアドレスにのみ、集中してスパムメールが送られてきていた。
そのメールアドレスは普段は殆ど使っておらず、受信件数が少ないが故に、怪しいメールが送られてくると、それが集中することになるので一目瞭然となるのである(笑)。



送り主は、一応「三菱東京UFJ銀行」となっていた。
しかし、どうせニセモノであろう。

何故なら、当該銀行でネットバンキングはやっていなかったから、である。
ログインできないのに、パスワードを記せ、とか、そういうのは有り得ないからである。



でも、日常的に用いている銀行から、そうしたメールが来ていた場合、果たしで疑わないでいられるだろうか?メールを開いた途端に、感染してしまったりはしないのだろうか?


ちょっと不安になる。



まあ、参考になった。
12月の25日くらいから、数日おきに何通も送られてきていた。

本人認証とか、本人確認メールだとか、認証サービスとか、いかにもありそうな表記で送られてきていた。


1月の20日頃でぱったりと止まっていた。
どうしてなのかは、不明だ。

送り主のネグラが警察に踏み込まれたりしたか、捜査の手が及んできたので、諦めて逃げていったのか?

ちょっとよく分からない。

が、全部で15通くらいは来ていた。
怖かったので、中身は開いて確認はしていない。


間違いなく犯罪目的のメールだろうから、危険性だけ考えるなら開かない方がいいかなと思って。
送ってくる人たちは、どういう基準で送信先を選んでいるのだろう?

アドレスをどこからか買うのかな?

どうして、ぼくのような利用してない人間にまで送ってくるのだろう?
住所録か何かが、そこまで完備していないものだったからなのかな。


ま、バカだな、というか、マヌケだな。
ネットバンキングを利用してない人間にとって、引っ掛かるはずのない罠なのだから。



そうか、全部で100万人くらいに送ると、利用者が10%いれば10万人が対象者となる。そのうち、まんまと罠に引っ掛かりそうな不注意な人が0.01%いても、10人から巻き上げることが可能となる。メガバンクだと、口座保有者は1000万人とか2000万人くらいいても不思議ではないような気もするし。


この戦法は、「振り込め詐欺」だか「母さん助けて詐欺」なんかも同じだな。
65歳以上高齢者が約27%存在し、このうち引っ掛かりそうな人が0.01%よりも厳しい水準で千人に一人だったとしても、2.7万人もターゲットが存在してしまうことになる。



なるほどねえ。


羽生くん躍進のワケとは

2014年02月15日 13時36分18秒 | いいことないかな
本当によかったです。おめでとうございます。
日本全国が待ち望んでいた、金メダルを遂に獲得しましたね。


まさしくニューヒーローの誕生です。


この金メダルの原動力となったのは何か、という点について、自分の感じたことをメモしておきたいと思います。


チャン選手がミスなく完璧な演技だったならば、金には届いていなかったかもしれませんね。そういう点では、ラッキーもあったと思います。五輪では、運も味方につけないと、なかなかメダルには届きませんものね。羽生くんはとても立派でした。


今期の大躍進の理由として、一つ挙げるとすれば、やはりショートプログラムの選定、これに尽きると思います。これが大成功を導いたものと思います。


勿論、ジャンプなどに代表されるように、技術的安定性とか技術向上といった面もあるとは思います。が、元々の技量は備わっていたので、それが今期は飛び抜けて上達した、という程でもないような気がします。もっと別な面での成長が感じられました。


よくぞ、あのショートプログラムの選曲、振り付けをやったな、と思いました。基本コンセプト、ということでもあるかもしれません。


羽生くんは、元から、どちらかと言えば「線が細い」「華奢」「繊細」「中性的」といった雰囲気があったと思います。年齢的にも、少年っぽさが残っており、体の柔軟さも相まって、多くが年長の外国選手の男性的な力強さとは、一線を画していました。


ところが、今期のショートは、敢えて「より男性的」という部分を強調したものとなっていました。
選曲からして、まずそうです。意外性のある曲でした。
そして振り付け。
曲に合わせて、とても男らしさを出していたと思います。


まさしく、少年から大人の男性へと羽ばたいた、というイメージでした。あどけなさのある羽生くんが、男性の魅力を存分に発揮して、これまでの繊細さに加えて、男らしい力強さをスケートで表現していました。まるで王子さまと呼ぶに相応しい感じでした。


これによって、表現力がとても豊かになったように思えます。本当に脱皮したのです。
淀みのない、滑らかな滑り。
男っぽく、スピートとキレのあるスケーティングと演技。
そして、得意のジャンプ。


これらが申し分なく噛み合ったのが、このショートプログラムであったと思います。
その演技がノーミスであったこと、団体戦からの成功イメージと完成度、そして羽生くんの気持ちが伝わる演技。

この結果が最高得点を叩き出したものと思います。これがあったからこそ、フリーでのミスをもカバーして、金メダルに手が届いたのだろうと思います。



前回のバンクーバーで、真央ちゃんに何故あの選曲だったのか、ということは、羽生くんの成功を見れば、何となく理解できるように思えます。強敵を上回るには、何らかの工夫が必要なのだ、ということです。しかも、相手は表現力が長けている。そういう時、演技の幅を広げてゆくには、これまでのベビーフェイスキャラが全く逆の「ヒールを演じる」、というくらいのチャレンジが必要になることもあるのかもしれないな、と。



羽生くんは、これが成功したものと思います。
あの曲と演技を選んだコーチ陣は勇気があったと思えます。素晴らしいの一言です。
羽生くんの良さを引き出すことに成功したのです。


チャレンジしなければ、皇帝や王者にはそう簡単に勝つことはできない。勇気ある決断とチャレンジが実ったと思います。



本当におめでとうございました。




メガバンクで説教地獄に遭遇した

2014年02月12日 21時37分09秒 | 俺のそれ
先日、恐るべき光景に出くわした。

ぼくは、ほとんど休眠状態にあった某メガバンク(といっても3つのうちの一つだ)の口座を廃止しようと思って、支店に行った。

その銀行口座は、合併前の最も古いもので、10都銀時代の通帳があるものだった。次の合併の際、名前が変わって、その後に更なる合併の後ではキャッシュカードが新しいものに切り替わったが、通帳はそのままだった。一度、その最新のカードで硬貨以外のお金は全部引き出したことがあったので、残金は微々たる金額だったのですが。


合併が2度あったせいで、支店の位置も変更されていたのだった。
ただ、車で幾度か通っていたし、以前にATMからの引き出しを行ったので、そこに行けばいいはずだと思っていた。

しかし、行くと愕然とした。
看板は出ているし、駅前のいい場所なので、そこに窓口もあるだろうと思い込んでいたが、甘くなかった。何とATMしか設置されていない場所だったのだ!

同じビルには、複数の旧財閥系のグループ企業の支店があるらしく、ずらりとよく見る名前が並んでいた。にも関わらず、銀行支店だけがないのだった。ガックリして、ビルを出た。でも、きっとこの界隈にあるはずと気を取り直して、歩道から通りを見渡した。すると、看板を発見!同じ模様だ。それは交差点を一つ渡った、向うに見えていた。なので、約150mくらいをダッシュ。たどり着くと、初めて見る店内で、品の良さそうなおばさまが「お客様、本日はどのようなご用件でしょうか?」みたいな声をかけられてた。口座廃止に来ました、ということで旧銀行名などを告げた。そうしたら、よく似た名前の「○○信託銀行」だった!

系列は確かに同じ出し、看板のマークもそっくりだったわけだが、落ち着いてよく見ると確かに微妙に名前が違う。
くう~、何たる失態。

品のよいおばさまは、ぼくにメガバンクの支店の場所を教えてくれたのだった。そこから再び支店を求める旅に出た。
ようやく目的の支店に到着。
そこで口座廃止の手続きをした。旧番号は通帳に書かれていたが、口座番号が分からない状態だった。銀行の人に教えてもらい、投信用口座もあったみたいで、全部廃止とした。それら手続きが終わるのを待つのに、30分以上だった。


雑誌を読んだりしてたのだが、2つくらい離れたブースでおじいさんっぽい人の怒鳴り声が聞こえてきた。
窓口担当の女性に、色々と文句を言っているようだった。

聞きたいわけではなかったが、あまりに大声だったので聞こえてきた。
つまらないことで、いちいち文句を言っていた。
「どうして~は、できないのか」とか無理難題を言っていた。


態度がどう、どうして最初にそれを言わないんだ、大体銀行なんて税金で救ってもらってるんだから、サービスとしてなってない、あまりにモンスターな客だった。銀行印の女性の人に代わって、ぼくが言い返してあげようか、と思ったくらいだった。あまりに理不尽な言い分ばかりのおじいさんだった。しまいには、いじめようと思っているんじゃないんだ、あなたを思ってるんだ、お父さんと話しているようだろう、とか、信じられないことを言っていた。


はあ?

要するに、寂しい老人だったのだろう。
話して欲しかった、自分の話を聞いてくれる人がいて嬉しかった、そういうことだろうと思った。


こんなモンスター客に付き合わされて、散々文句や罵倒を浴びせられた女子行員は可哀想だった。
閉店時間は既に過ぎていた。



原発維持・推進派の夢散る~都知事選で決定的敗北

2014年02月10日 12時54分23秒 | 政治って?
都知事選の結果を受けて、脱原発が多数決で負けた、みたいなことを言っている足し算すらできない連中がいるようだ。
原発賛成派は完膚なきまで叩きのめされたことにすら気付かない、愚か者なのだろう。完敗したのは、賛成派なんだよ。



そもそも、今にも原発再稼働とか50基維持などを掲げていたのは、田母神だけ。舛添は、原発政策を明確にはせず、段階的廃止派となっていただけである。再稼働については、明言を避けている。


2/4>http://mainichi.jp/feature/news/20140204mog00m010005000c.html

原発の再稼働は必要と思うかとの設問では、田母神氏のみが「必要」と回答。今後の原発についても、田母神氏が「現在の50基を維持する」と答え、舛添氏は「将来は廃止する」、宇都宮、細川両氏は「再稼働させず廃止する」と答えた。

=======


つまり、明確な再稼働賛成票は、田母神の得票だった610865ということになるわけだ。
再稼働反対は宇都宮+細川の合計1938658である。反対派の3分の1にも満たないのが、再稼働派だ。原発廃止かつ「原発に依存しない社会」と公約で言った舛添は、少なくとも原発推進派ではない。再稼働するかどうかは、都知事としては介入しない、ということかもしれない。なので、舛添が当選したことをもって、再稼働が認められた、などという結論など、どこからも出すことはできない。



大体、都知事選が始まる前に、都政や地方選挙に脱原発という論点を持ちこむのは間違いだ、と言っていたのは、誰だったか?


例えば、当時の雰囲気を伝える記事がこちら。
1月>http://diamond.jp/articles/-/47281


大手新聞でも、都知事選に脱原発の是非を問う姿勢は間違いだ、と言っていたわけだから、そう主張していた者たちには「これで脱原発が負けたことが証明された」などと言う権利はない。最初から、争点化すべきでない、都民に問うのは誤りだ、としていたのだから、前提から間違っているものから得られた結果を基にして「脱原発で戦った宇都宮&細川は否定された」と言えるはずもなかろう。


選挙以前から、例えば「都知事選では原発政策の是非についての民意が問われる(故に結果にはそれが反映されるであろう)ことになる」と言っていた者たちは、今回の結果をもって「多数派は○○である」などと論評できるだろう。
しかし、「地方選挙では原発政策の是非は判断すべきでない」「都知事には原発の稼働、再稼働の権限がないから、選挙とは無関係」などと言っていたのであれば、都知事選結果が出ても、そこから何らかの判断の根拠が得られることにはならない、ということである。


そんなことも分からない人たちが大勢おり、鬼の首をとったように「脱原発は否定された」などと言うのは笑止千万。



池田信夫のシャドーボクシング疑惑(爆)

2014年02月09日 22時07分21秒 | 俺のそれ
あのバカ、やっぱり読んでるんじゃねーかよ。
そんなにオレの記事が気になるか?

まあ、そうだわな。
あまりに痛い図星をつかれたもんで、言い訳でも考えたみたいだな。まあいい。




話は変わる。


前の記事に追記しておいた話ね。

池田信夫は、@論争を仕掛けられている、と言った。で、即ブロックしたよ、と報告のツイートをしたわけだ。
それが、17時より前の話。
で、当方がそのツイートを知ったのは、もっと後であり、18時あたりに追記をしたというのが、ここまでの経緯。



とりあえず、これはいい。

で、つい先程、都知事選の当確情報が出された20時以降に、池田信夫は次のツイートAを行ったわけだ。


A:
『これで安倍さんも反原発票を心配しないで、法令にもとづいて原発を動かしてほしい。|民主党が政権に残した「バカの壁」原子力規制委員会 | ニューズウィーク日本版 http://ow.ly/tqPck

posted at 20:45:45』



これは確実に、20時以降のツイートである。都知事選の当確情報を受けての、舛添勝利から導かれるコメントだから。

そして、次のツイートが発生。

B:
『ツイッター事務局に報告した。 RT @gacktmama0113 "@bilderberg54 池田信夫には死んでもらいたい。。" @twj

posted at 21:27:18』


どこかの誰かが池田信夫に向けて、上記コメントを書いたということのようだ。

この順序が問題なのだよ。

少なくとも池田信夫のツイートAが出された以降に、別の誰かがRTして、更に追加してツイートがなされたわけである。
この書かれた時間が、全て20時以降であったことは確実だ。


つまり、当方がブログ記事に追記した時点、つまり18時時点ではこれらツイートは存在していなかった。
池田がツイートBを書いたのは、あたかも拙ブログへの「証拠提示」として、匿名の「@論争」というものの実在を示したに等しいということ。



これは、何を意味すると思うか?


池田は当方の記述を読んでいるのではないか、ということ。


そして、拙ブログが指摘した「一体誰が@論争を仕掛けたのか?」ということが、17時以前には存在していなかったのではないか、ということがうかがわれるわけである。


つまりは、池田の架空の話であった可能性がある、ということだ。
いやまあ、今日のツイートに限るわけではないから、池田の「@論争」とかいう話は別に自由だろう。問題ないよ、別に。

ただ、当方が本当に@論争なの?と指摘したら、上記ツイートBが出されたのは事実。
そして、時間が17時以前のものではないものを出してきた、ということも事実。



本当に拙ブログの疑いを晴らそうと考えるならば、自分がツイートした時点よりも以前のものを提示しないと、根拠の提示にはならないことは明白。



なのに、ついさっき出されたツイートを出してきた時点で、池田のシャドーボクシングの可能性が極めて高かったことが分かるわけだ。


大爆笑。



まんまと尻尾を出してくれてサンキューで~す。
ゴミ官僚なんかと一緒だな、やっぱ。