いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

日本vsウズベキスタン~W杯3次予選

2012年02月29日 21時30分57秒 | いいことないかな
予選の最終戦だが、今後を占う意味で重要な試合。
代表メンバーも「勝ちに行く」選手を集めて、若手のチャレンジということではなくなった。


前半終えてイーブン。
ウズベキスタンは基礎的な技術ができているので、つまらないミスをしない。

日本は香川や岡崎の動きで決定的チャンスを迎えるも、得点ならず。惜しい。
マイクはチャンスでボールを預けられても、まともなパスや配球ができず、能力不足が露呈。細かいボール裁きにも難があり、センタリングの目標という以外の役割は期待できず。

が、戦術として、浮き球よりも低いセンタリングやグラウンダーが多いように思え、マイクの動きでは対応ができていない、という感じ。特に、長友や岡崎から来る球は、同じ位の体格のチームメイトの印象で上がってくるように思え、それが微妙に「あと一歩届かない」感じになっているのかもしれない。マイクには悪いが、きっと他の外国人選手だと「いいセンタリング」になってる感じなんじゃないのかな、ということである。ゴール前のスピードや体の捌きが一歩或いは半歩及んでいない感じなのかもしれない。

打開できるかどうか。


後半早々、チャンスをつかむも、マイクのあたり損ねのシュートが防がれてしまう。
その後、カウンターを食らって、きれいに決められてしまった。

その後も攻め手を欠き、敗北。
惜しいプレーはあったものの、残念、と。

乾が入った後少し良くなったが、シュートまで行けなくてダメ。
肝心な所で、ドリブル突破がことごとく封じられていて、チャンスを生かせなかった。

宮市をせっかく呼んだので、藤本の代わりに入れて欲しかった。


全体的にウズベキスタンのいい所ばかりを見たような感じの試合だった。


これまで順調に来ていたザックジャパンにも試練の時が訪れた、ということかもしれない。2点目を取られなかっただけ、ツイていたと言える内容であった。


エルピーダ倒産で問われる経産省&財務省の責任

2012年02月27日 18時25分08秒 | 政治って?
不十分な経営体制のままで、早々に資金投入に踏み切った民主党政権のおマヌケぶりも酷いわけだが、所管官庁の責任も問われることになるであろう。

>http://www.asahi.com/business/update/0227/TKY201202270250.html



当時、JALの再建問題の陰に隠れて、あんまり目立っていなかったが、なし崩し的に恐らく経産省主導で資金投入が決められていったのであろう、きっと。

09年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e588e85b585e8cf28d1234c8af71ff28

最近でも「口だけ番長」だったか「言うだけ番長」の有難くない渾名を拝命してしまって、某産経新聞とバトルを繰り広げている前原政調会長が、当時の日航再建に関して好き勝手にタスクフォースとかをやり出したのだったが、これが何らの法的根拠もなくて頓挫したのだった。

で、この時見たのが、例の特措法だった。
機構には似たようなのが2つあったような気がするが、忘れた。
JALの方が企業再生支援機構で、エルピーダのは「産業革新機構」の特定事業だったか。


まあいい。
要するに、資金投入が行われたのは確かで、これに対する批判は結構出されていた。リバタリアン系の方々の批判は妥当だった、ということであろう。エルピーダを救うのは問題だ、と批判されていたけれど、民主党が政権に就いた途端にあっさり資金投入が決められていった、と。

同時に、日本政策投資銀行が融資する、ということで、他の金融機関にも協調融資を呼び掛けて、結果的には「日の丸半導体を潰す気か」という脅しは何らの効力もなく、ただの呪文みたいなものに過ぎなかった、ということであろうか。


まあ、やっちゃったな、ということである。

大穴を空けた責任は問われることになるだろう。


どうすんの?(爆)




遂に米韓FTAが発効ですか

2012年02月25日 16時15分02秒 | 外交問題
あの韓国国会の大混乱を来たした、悪魔的条約らしい「米韓FTA」(KORUS)がいよいよ発効ということになったようです。

>http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK810024720120222


3月15日という予定らしいです。


日本の反TPP派との連携とか、共同での勉強会みたいなのも行われているようですので、日本のTPP参加阻止に向けて韓国との協力は行った方がよいでしょうね。韓国の選挙で現野党が勝利すれば、条約変更が行われる可能性が高いようですから、日本でのTPP阻止行動にも弾みがつくことになるでしょう。

今のところ、豪&NZが態度保留、ということですので、日本を入れると「面倒なことになるかもしれない」というのを米国サイドで危惧している、ということの顕れかと思われます。米国当局者の方から豪やNZに対して「(日本には)直ぐに返答はしないでほしい」といった申し入れなんかが行われている可能性が高いでしょうからね。

大国の面子というのがありますから、できれば「米国が断った」という形を避けたい、といった思惑が働く可能性が高いと思えますので。


あと、野田政権がどこまで延命できるのか、といった見極めが困難、ということもあるでしょう。


維新の会の方々にも申し入れをしておきますが、現状で「TPP参加」を掲げている限り、支持することはできません。
また、維新の会自身にとっても、今後米・豪・NZとの交渉が難航する場合に「公約達成困難」ということが予想されることになりますので、TPP参加ではなく「通商規制の緩和推進」とか別な方針を示しておく方が無難だろうと思いますね。

普天間除去(県外)を掲げたことは評価しますが、TPP参加を認めるわけには参りません。
この旗印を降ろすというのであれば、考慮の余地はあるやもしれません。むしろ、参加しない、と明言すれば、農協票は全力で応援に回る可能性はあるでしょう。参加を謳った民主党に反旗を翻す大義名分も立ちますしね。
1千万人以上の署名を集めた全中は勿論のこと、反対表明をしていた医療系団体の支持をも受けることになることは間違いないでしょう。

これまでのところ、TPPに参加しない、と明言している政党が、共産党くらいしかないから、ですね(他の弱小政党もあったか?忘れた)。
そういう受け皿になるのが、唯一の政党となると、これはもう圧倒的有利でしょう。
経団連をはじめとする経済団体なんかは、民主党だろうと自民党だろうと、既成のしがらみがあるだけなので、割れるだけだろう。経済界の圧力を怖れるなら、TPPに参加しない、とは言えないから、だ。これを打破できるのは、現状であると維新の会だけしかなかったのにね。

その票を全部受けることができるのなら、強さが違うはずだ、ということである。
よくお考えになるべきだろう。


潜在成長率とGDPギャップ~池尾和人慶大教授の議論は5年遅れ

2012年02月24日 14時59分08秒 | 経済関連
先日もちょっと取り上げましたが、またしても池尾先生の話題になってしまいました。ひょっとして、この先生は日銀の審議委員でも狙っているのでしょうか?

>http://agora-web.jp/archives/1433260.html
(元記事が抜けておりました、すみません)

冗談はさておき、日本の経済学者さんの水準はこんなもんなのでしょうかね。
HPフィルターによる処理後だと、GDPギャップがほぼ解消されているんじゃないか、ということですか。ふむふむ、そういう意見は出るかもしれません。で、潜在成長率が低下したのではないか、と。そういう見解もあるかもしれませんな。

07年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/d13fb82be075226fa09b6eceef190e66

そういうテーマは、拙ブログでも過去に見てきました。5年前にですね。まあいいんですがね。フィルターのλ値の話もそうですね。

06年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/921c4c2ecb880e881215fcaffa58cc59


日本の経済学者なんて言っても、所詮はこんなレベルですな。
これでも経済学の大学教授とか肩書きだけは偉そうにでき、マスコミなんかでもこういう連中の言い分が重用されてしまう、と。当方は全くの部外者に過ぎませんが、こんな論点が目新しいとは感じませんね。

で、池尾先生は、潜在成長率が低下すると例えばデフレでも仕方がない、みたいな主張でもするつもりなんですかね?
そういうような話も、とっくのとうに通り過ぎた話なんですよねえ。
10年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e8394844963d7edcde10376abb8b3196

「Expected Burden view」について触れたのだが、この中で次のように指摘した。
(再掲)
『多くのレンズを用意しよう、という著者さんには同意しますので、あまり一つの見方に固執することもないとは思いますが、あまりに都合よく「EB view」を全面に押し出してこられてもなあ、とは思いますね。
それ以前に明らかにするべきは、例えば日本においては「潜在成長率」と「インフレ率」の間には、諸外国にはない相関関係が見られる、ということなら、それがどうしてなのか、というところから出発しないとダメでしょう?』


なんというか、日本の経済学教授さんというのは、議論の中身が周回遅れと言いますか、素人以下くらいのレベルでしかないということなのでありましょうか。言及するなら、まず自分でそこそこ網羅しておけ、と言ってあげたいですわな。
こういう役立たずの学者せんせい、といった方々の出鱈目論説や似非論説や時評みたいなものを見るくらいなら、日銀のペーパーをじっと読んでいた方が、百万倍か一億倍か勉強になりますね。普通、学者さんというのは、特に文系の教授なんて文献を読むのが仕事なんだから、素人の何倍か詳しく知っていて当然であるのに、論点さえも既知とはなってきていない、というのは、単なる不勉強ということなんじゃないですかねえ。よくそれで恥ずかしくないですね。

これだから、経済学界という病、と嘲られても仕方がないんじゃありませんか?


サッカー五輪予選の続き

2012年02月23日 16時01分43秒 | いいことないかな
シリアがバーレーンに負けたみたい。


となると、最終戦でバーレーンは日本戦に勝っても、得失点差で追いつくには、最低でも5-0での勝利が必要(5点差以上)。なので、1位の目は消えた。が、2位以内の可能性は残るので、必死で来ることに変わりはない。

日本が勝つか引き分けなら、問題なく勝ち抜け。

問題は負けた場合、だ。

日本が0-1負けだと、シリアが4-0勝ちならば、得失点差で同点となる。総得点でシリアが2点上回り、日本は2位となってしまう。

2点差以上で負けた場合にも、やはりシリアが4-0か3-0勝ちなどで日本を上回る可能性がある。


日本が2-3で負け、シリアが4-0で勝った場合、

得失点差(7)、総得点(13)で並ぶ。
日本対シリア戦での2戦の勝ち点(1勝1敗)、得失点差(0)、総得点(3)でも並ぶ。この場合、プレーオフとなる可能性がある。


昨日の頑張りで俄然有利となった。
油断は禁物だが、きれいに決めたいね。

痛恨のシリア戦敗戦は、みすみす負けに行ったようなもので、ミスでやられたから。あの反省を活かそう。



超期待の新星、オオシマ君

2012年02月21日 19時57分03秒 | いいことないかな
栗山新監督になって、ハムファンも興味津々だと思います。

今年は、何と言っても、大嶋君ですよ、大嶋君。
ドラフトでよく発掘してきたな、と、本当に関心しましたもん。

>http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/02/21/kiji/K20120221002677800.html


我が家でも、大嶋君は人気です。
初見で、あの愛嬌のある笑顔は忘れられませんよね。

彼が一軍に上がれるかどうかが、気になって仕方がない。
取材陣の方々も、きっとそうだったんじゃないですか?
キャンプ取材では、何故かオオシマ君の結果とか成績が気になって、何と言いますか、ハラハラするというか、まるで彼の親にでもなったような気になっていませんでしたか?(笑)

打ってくれたら、ホッとしませんでしたか?
結果を残せないと、一軍帯同は難しくなりますもんね。だからこそ、生き残って欲しい、みたいな気持ちでついつい見守ろうとしてしまう、みたいな。

オオシマ君には、何と言うか、そういう魅力がある。
中田への期待は以前から、だが、強打の捕手は魅力的だ。阿部クラスになれ、というのは、大変かもしれないが、力を秘めていると思うので、今後も頑張って欲しい。


頑張れ!!オオシマ君!




原発全基停止の日

2012年02月20日 21時10分45秒 | 社会全般
日本が生まれ変わるには、必要なことだと受け止めるべき。

>http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE81K4EL20120220


東電をはじめ、経産省も、経団連会長以下経済界も、この期に及んで何一つ変われないのだ。


当方は、あの日、天地神明に誓ったんだよ。3月15日の絶体絶命の状況に陥った時、固く心に誓ったんだ。
祈りが届いたのかどうかなんて、分からない。
ただ、4号機の火は、奇跡的に鎮火したのだった。未だに、その鎮火の理由とか機序については謎のままですがね。


当時のまま、何も変わってなんかいない。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b6025aa0001f8ac99d2a4b08a396ea56


馴れ合い体質がそのまんま、だ。
過去の失敗と、一緒。
喉元過ぎれば、ということでしかない。

反省したふりをして、ほとぼりが冷めたら、また稼働。
で、バカみたいに、同じように失敗を繰り返す。
上の方の連中は、何一つ責任も負わず、考えも変えず、のうのうと居座り続ける。

所詮は、下々の者たちが、騒いでいるだけ、と。
被害を受けたのも、大衆であって、俺たちではない、と。
御殿の内側にいる俺たちが苦しむわけじゃないから、別に関係ないぞ、と。

東電の奴らは、結局そういうことなのだよ。
経団連会長の言い草もそう。銀行団体の連中もそう。

自分たちさえ良ければいい、という姿勢、考え方、対応、そういうものしかなかった。


こういう連中に、問題解決を任せておくと、ホント、ロクでもない方向にしか進んで行かんのだよ。
それを、はいそうですか、なんて、済ませるわけにはいかない。

本気で反省することがない連中には、その代償を払ってもらうべきだ。
真の意味で罰を受けるべきだ。


その為には、日本全国の原発は再稼働をさせない、という決意が必要だ。
これくらいを乗り越えられないのなら、今後のどんな困難にだって立ち向かうことなどできないであろう。


「原子力ムラ」解体、これの手始めとしては、原発停止、これが条件となるだろう。
奴らは寄生虫だ。
これがある限り、いつまでも生き延びようとするだけ。

息の根を止めるには、本体を叩く必要がある。宿主がいる限り、奴らは生き延びる、ということなんだよ。
だから、元から絶つには、宿主を消滅させるよりない、ということである。


谷垣バッシングは、民主党と自民党の「原子力再開、消費税増税、TPP推進」という醜悪な”3悪”を復活・達成させる為の絵図に過ぎない。
谷垣降ろしで、この路線に戻ろうという、守旧派勢力が蠢いている、ということであろう。

これを阻止することが、日本再生の道だ。

谷垣さんは、基本を間違ってはならない。周りの攻撃や雑音など、気にする必要などない。
あんな、森元総理みたいなシーラカンス級の遺物の言うことなど、聞くに値しない。ポスターにケチをつけるだけしか能のない、ただの爺さんだ。

谷垣さんには、迷わず王道を貫いてもらいたい。
野田政権を駆逐するのは、当然の役割である。真に国民の為になる政治を目指してほしい。
かねてより持っていたであろう、誠実な政治を実践して欲しい。



日銀の「物価安定の目途」公表に関する私見

2012年02月18日 17時13分33秒 | 経済関連
念の為再度書いておきますが、当方はこれまで経済学の専門的教育やトレーニングを受けた経験はありません。従って、権威機関であるところの日銀より優れているとは思っていませんが、当方の考えを主張し批判もします。あくまで個人的考え方であることは、ご承知おき下さい。


1)狭義の「inflation targeting」と異なる、という見解

過日、2%という”goal”を公表したFRBのバーナンキ議長は、質疑において「いわゆるインフレターゲット政策とは異なる」というふうに説明・発言したようである。日本のマスコミでは、これをもって「インフレ目標(インフレターゲット)政策とは異なる」、といった論調が見られたようである。
確かに過去の学術的な分類ないし定義としては、異なるという意見はあり得るだろう。ただ、いくつかの類型や政策の捉え方自体の変遷などがあったかもしれない。

日銀は論争となってきた論点についてはほぼ網羅している、といったことを書いたことがある。
06年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2635b619298343d141ce202fcfd64f31
(再掲)
『それは既に出された経済学論争とか、よく出される問題点ということについては、多分日銀側では少なくとも一度は検討課題として取り上げて殆どを網羅している、ということですね。インフレターゲットの問題にしても、かなり早い段階から研究をしていて、それで否定的な見解となっているので、これが何故なのかということは更なる謎となっています。どういう経緯でそのような決定がなされるのか、そういうのが実は不明であるのですね。勿論政策決定会合の議事録公開などで少しは分りますけれども、そういうことではなくて、何か「中心命題」のような、それか伝統の「信念・信条」というような特別な思想というものがあるのではないのかな、とさえ思えることです。これが「謎」という意味です。』


インフレターゲットを研究していたというのは、例えば白塚・藤木(1997)のペーパーを読んだから、だ。
>http://www.imes.boj.or.jp/japanese/zenbun97/kk16-3-2.pdf

なので、日銀は理論をよく知った上で否定的、ということなのである。06年の記事に書いた通りに、「知ってて間違うのだとしたらかなりのバカ」というのがどうやら答えだったようだ(笑、因みに、論文タイトルでは「ターゲッティング」となっており、当方はブログ記事にもそう書いていたのだが、次第に「ターゲティング」との表記を目にする機会が圧倒的に多く、自分が間違っていたと思って以降「ターゲッティング」とは表記しなくなった)。

これはいいとして、当時のインフレターゲットというものの解釈としては、白塚ペーパーの如く「Walsh/Svensson型」を指していることが多かったと思う。これを「インフレターゲット政策」と呼んできた、ということである。そういう経緯は存在してきたので、これを狭義の「インフレターゲット」(政策)とすると、もうちょっと広義の「インフレターゲット」(政策)も存在するであろう、ということである。
FRBの公表した「goal」も、日銀の「目途」も、狭義のインフレターゲットには該当しないが、後者には含まれるであろう、という意味である。厳密に言えば、旧来から言われてきたもの(Walsh/Svensson型)とは異なるという点で、バーナンキ議長や白川総裁の言われる「インフレターゲットとは異なる」ということになるし、一部マスコミの言うのも妥当となる。

ただし、研究対象とされたNZやカナダやスウェーデンなどの中銀の運営を見ると、90年代当初から言われてきたような画一的運用方法というのは取られなくなっていると言えそうであり、インフレターゲット政策という概念そのものの変容があったということもできよう。その点においても、狭義のインフレターゲットと、もうちょっと緩やか(柔軟)な広義のインフレターゲットを区別する意義というのは薄れてきているだろうし、「インフレターゲットと呼ばない」と厳密さを追求する意味もないように思われる。


2)物価安定の「理解」から「目途」へ

まあ、日銀ウォッチャーにとっては常識の範囲であろうと思うが、この「理解」に至るまでにでさえ、色々とあった。
総裁会見などにおいて、それはインフレターゲットという意味合いか、ターゲット導入が云々、等々、マスコミなどから質問などが出されて(勿論外れた内容のものも多いだろう、ただ単に専門用語を言ってみたかっただけ、みたいなものも多くあったであろう)、その度に「ターゲットじゃない、インフレターゲットなんか導入できない、目標ではない」といった否定的見解を述べねばならなかった。ちょっと前だと、「参照値」なる用語も存在していた。

で、06年3月の量的緩和解除の時に出されたのが、「理解」であった。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/88a0b3019fe59d5b3c03003bb4813e49

ECBで2%以下(かつ2%に近い数値)とされていたので、概ねそれを踏襲しようということであったろう。中心値1%も同時に公表されたわけである。この時以降にも、「1%というのは、インフレターゲットのことか」みたいな質問が毎度毎度出されることになったのだが、いや違う、”理解”だ、あくまで分布だ(理論的には0%が理想だけど、仕方なく1%と言っているだけ、というか本音でも0%以下)、と、説明せねばならなかった。

こうした背景があって、過去の「インフレターゲットなんてダメだ、導入できない、そんなもんは百害あって一利なし」みたいに否定してきた歴史があるので、今更それをひっくり返すこともできないわけです。死んでも「目標」なんて言うわけにはいかないのです。「理解」とは「目標」ではない、としてきたのですから、他の用語を生む以外にない、と。日銀としては、これまでと政策運営は同じであり基本的に何も変えてない、という立場でしょうから、目標とは言わないわけです。FRBでは、
 ・target ≠ goal
としたので、日銀としても、
 ・目標 ≠ 理解(これまで)
 ・目標 ≠ 目途(今後)
ということにした、というわけです。で、目途≒理解、ということですね。

こうした数値を公表すると、一種のアンカーのような感じなることも考えられ、中銀が公表した数値に次第に収束してゆく、といった見方もあります。先日笑いを誘った安住財務大臣の発言みたいなもので、仮に「75円を超えると円売り、78円以下なら円買い」と介入水準を事前に公表してしまうと、そのレンジに拘束されるようになってしまう(それに整合的に経済主体が行動しようとしてしまう)、というようなことであろうと思います。

恐らく日銀の言う目途とは、どちらかといえばoutlookに近いもので、目標というよりも「(将来)見通し」といった性格のものではないかと推測しています。日銀にとっては、その水準とは「目指すもの」ではなく、結果として「そうなってしまうもの」というような感じであろうと思います。自分の意思や主体性によって、どうにかする、コントロールする、というものではなく、受動的に「こうなってしまったな」というようなものだ、ということです。そうであるなら、中銀としての役割放棄に近いものであるかもしれません(笑)。だって、病気なのは「患者の体が悪いからだ」と放言するかのような日銀ですから。


3)広義のインフレターゲット政策の意味

元々の定義とか上記「Walsh/Svensson型」だの採用国(英・加・NZなど)との合致度合いとか、それらは別として、中銀の運営方法としてはそれなりに優れている部分はあるだろう。特定数値のみに厳重に拘束されない、というのも当然といえば当然なのであり、よりよい方法になるように改良を加えてゆけばいいだけではないかと思える。

05年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5b7c428285c3a5266d882864f3857192
(再掲)
「松銀」と「梅政」をそれぞれ別なものに置き換えるとどうでしょうか?そうです、多くの方々がお気づきの通り、「日銀」と「政府」ですね。名医の御殿医ばかりが登場するとも限らず、いってみれば「グリーンスパン」が代々続くことの方が困難なのであり、御殿医の力量における個人差を減らすことを考えるならば、一定の客観性のある指標による政策決定は「透明性」とか「客観的評価」に優れるものなのです。御殿医の「さじ加減」の比重を大きくして、それに依存する金融政策というものが、安定性とか信頼性において優位であるとは言い切れないのではないでしょうか。「インフレーション・ターゲッティング政策」は、TDMの「血中濃度による治療域の指標」ということと同じ意味合いを持ちます。
 (中略)
普通に考えて、指標を採用するというのは、今まで「これで塩梅が良さそうだ」「この判断でいいはずだ」「投与量が少なすぎるかもしれない」・・・などと自分の頭の中で考えてきた(判断した)プロセスを、自分の思考が見えない周りの人達にも「見える」ようにする、ということを行う作業であると思うけどね。なぜ「この御婦人には、投与量を1錠で良いと判断したか」ということは、いくつもの理由があって、判断材料となる所見もある訳です。そういうものを詳らかにしていく、ということに他ならないのです。血中濃度測定では、自分の判断が裏付けられる・確かめられる、ということなのです。これまでは、自分の「経験と勘」ということが重視されてきて、その判断の根拠は他人には見えなかっただけなのです。そういう意味合いのものが、数値データで示される「指標」であろうと思いますね。

料理人は自分の舌を根拠として判断しますが、これは結構難しいかったりします。料理の中に含まれる、ある指標だけ(例えば塩=塩化ナトリウムとかですね)をピックアップして濃度測定を行ったとしても、必ずしも「美味しい」という評価にならない場合も有りえます。それは一つの数値だけに囚われることが、かえって全体を損なってしまうことも起こりえるからです。人間の味の感じ方(敢えて味覚ではなく「感じ方」とします)は、体調とか環境などにも左右されたりするかもしれず、熟練度の高い料理人の「経験」というものが案外と数値では測れなかったりすることがあるからですね。そういう「職人技」というのはどの分野にも残っていると思うし、金融政策における判断にしても「職人技」がきっとあるでしょう(ですよね?)。そういう部分は弾力的な面があってもよろしいかと思いますし、絶対に数値を外れちゃならねえ、ということではないと思います。


インフレターゲットを採用した場合の、具体的デメリットというのがそんなに重大なものがあるとも思えず、上記再掲文に書いたように、
・透明性、客観的評価に優れる
・(政策決定者の)判断プロセスを周囲に可視化
・特定数値だけに囚われないこと(他所見も組み合わせて総合的に判断する)
というのも、ごく当たり前のことであるとしか思えないわけです。
これについては、先日のFRBの記事(http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f9680fdcb431f31505be046a2cacc48e)でも書いた通りです。
とりわけ高度で難しい経済学の理論なんかを知らずとも、常識的に考えてみれば分かりそうな程度のことではないのかな、ということです。


4)「1%」という水準について

以前の理解であると、「0~2%の範囲にあり、中心値は概ね1%」ということであったわけです。こうした低い水準を選んだ場合の問題点として、バーナンキ議長がサラッと答弁していたことに関連しますが、「半分くらいはデフレ下に置かれる」ということがあるのではないか、ということなのです。

参考>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/401c218fb72d69be5bc691b814315b7a

大竹先生の研究では、家計が正規分布様になっており、CPIがプラスの値をとっていてもデフレ下に置かれる家計というのがかなり存在してしまう、ということがあるのです。

もう一点は、調節性の問題ということがあるかと思います。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/de18aad67a7c93e06eb6fc81f72216e9

低いとレンジが狭いが故に、マイナスに突入するリスクはあるだろう、ということです。ひょっとして4%はどうよ、というBlanchardの意見さえあった(http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/d43b0af25e1631fad61441ff96d92fe6)くらいですので、「1%」水準であると低すぎるのではないか、ということがあるわけです。もしも、日本ではインフレ率が海外諸国のように、ガンガンうなぎ上りにはなって行き難いよ、ということであるなら、元の水準をやや高めにとっていたとしても、インフレ亢進リスクがそんなに高いわけではない、という見方もできうるかもしれません。

ならば、米国で2%、ECBでも2%に近い水準、ということなのですから、日本も同じ程度で何ら問題ないのではないかとしか思えないわけです。
仮にバイアス問題がある、経済主体によってはデフレ下に置かれる可能性がある、調節性のこと、というのを考慮して問題点をクリアしようと思うならば、当然に2%程度の水準が必要になってくるわけである。
白川総裁が将来時点での水準引き上げの可能性について言及したようではあるが、今になってそう言うのではなく、ずっと以前から分かり切っていた論点であったはずなのである。

日銀の責任は言うに及ばず、マスコミや日銀擁護の識者だの経済学者たちといった方々にも責任があると言えよう。いずれも日銀に対して、「この方向に進むべきだ」という正解の道筋を示してこなかったから、である。だからこそ、これほどまでに長い時間を、間違い続けてきたのだ、ということなのさ。その結果が、20年にも到達しようかというほどのデフレ継続だった、ということなのだ。

今後には、正しい方向に進んでくれることを望む。
日本経済を立て直し、国民生活を再建できる第一歩となるからだ。



小幡博士のトンデモ経済学

2012年02月17日 21時43分32秒 | 経済関連
某所にて、発見。
これまでにも幾度か目にしてきましたが、この人は本当に経済学の勉強をしてきた方なのでしょうか?
大学の先生らしいのですが、どうしてこういう論説が堂々と恥ずかしげもなく出せるのか、本当に不思議です。

>http://www.toyokeizai.net/money/investment/detail_column2/AC/b52c0897bff917f3b12d4310acefb903/page/4/

(以下に引用)

普通は、名目金利を下げるのが金融緩和政策である。名目金利を引き下げれば、期待インフレ率は一定だから、実質金利が下がる。これが普通の状態だ。

 しかし、名目金利はすでにゼロあるいは下限に張り付いてしまっている。実質金利を下げることが目的だとすると、前記公式から、名目金利がゼロで一定なら、期待インフレ率を上げるしかない。そこで、人々の「期待」に、中央銀行が働きかけて何とかしようとしているのである。逆に、期待インフレ率を上げてほしい人たちは、中央銀行に対して、「何とかしろ」と批判しているのである。

 しかし、それは無理な話である。なぜなら、これまで金融政策が有効であったのは、金融政策を動かしても、短期的には期待インフレ率は動かないことが前提にあったからだ。にもかかわらず、ゼロ金利下という金融緩和政策が決定的に限られてしまっている中で、突然、サーカスのように、あるいは魔法のように、期待インフレ率を変えることができる、いや、そうしろ、と議論したり、要求したりすることは、明らかな論理矛盾であり、現実に起こりえないことなのだ。

 中央銀行はインフレを起こすことはできない。起こすことができないからこそ、これまでは金融政策が有効だったのだ。その金融政策の担い手である中央銀行に、今度はインフレを起こせ、というのは矛盾しているし、不可能なことなのだ(そして、本当は副作用が大きいのである。副作用の話を今日はしないことにする)。

 したがって、「インフレターゲットにより期待インフレ率に働きかける」と主張している中央銀行があるとすれば、私はそれをペテン師か無責任か、どちらかと思わざるをえないのである。



もうね、笑い過ぎて、腹が痛いです。この方は、何をそんなに力んで言ってるのかな、と思いますけれども、標準的な経済学の知識が欠如しているのではないかとしか思えないわけですが。

「期待インフレ率は一定」って、そんな大原則か経済学理論があるんですか?

学生以下、ですか?
日本の経済学界の方々、こういうのをよく見るといいですよ。これが世間で通用してしまっている、日本の経済学というのは、どんだけ低レベルなのですかね。素人以下ですわな。

名目金利がゼロになってしまうと、それ以上は引き下げられないから、金融政策としての政策金利変更はできない、と。まあ、そうでしょう。
そうすると、小幡博士が言う「期待インフレ率が一定だ」ということになると、実質金利は常に一定、ということになるということを主張ないし肯定する、ということですね?
だって、名目金利=0、であると、
 実質金利 = -期待インフレ率
ですもんね。

小幡式経済学理論に従うと、実質金利は一定になってしまうよ、と、そういうことですな。彼は本物の●●ですか?

日銀がほぼゼロ金利になった期間をご存じか?
その間、期待インフレ率は一定不変であったのか?
実質金利も同じくほぼ一定だったか?

まあ、計測が困難、ということがあるから、実際のところどうなのかは言うのは難しい面はあるかもしれない。けれども、推計値だろうと、こうしたデータを見る研究やペーパーなんかはきっとあったはずでしょう。それをただの一度も見たこともないと?(笑)

もうね、本当に終わってますわ、日本の経済学というのは。そこそこ有名人であっても、こんなんばっか。肩書きが、それなりに付いてるのに、このレベル。海外留学しても、こんな有様(爆)。なんじゃ、こりゃ。

期待インフレ率の変化は連続的なものであるはずで、金融政策変更に伴ってそれがある方向性を持って変動してゆくことにはなるであろうが、経済主体が多く存在し、それらが個々に判断を重ねてゆくから、そうした変化が直ちに顕れてくるかどうかは分からない、といったことを考慮したりするのではないのか。
それは実体経済の変化が起こって生じる判断の変化でもあるから、という意味もあるはずである。物価上昇のトレンドを実感し出す場合には、将来見通しの変更が行われるのは当然なのである。08年前半くらいでも、そうした変化はあった。

「中央銀行はインフレを起こすことはできない」
そんな命題は初めて知ったわ。
あれだ、岩本東大教授あたりに、そう言ってやれよ。ハイパーインフレだの何だの言ってた連中が他にも大勢いるぞ(笑)。


まあ、期待インフレ率が直ちに大きく変動する、ということはないかもしれないから、名目金利を引き下げると、実質金利が下がる、というのが間違いというわけでもないだろう。ただ、これが持続するとか、期待インフレ率が一定になってしまって動かない、なんてことはないはずで、金利引き下げ或いは引き上げといった政策変更がなくとも、期待インフレ率は変化するはずである。

仮に、今後10年は金利引き上げを行いません、とか中銀が宣言してしまった場合には、インフレになってしまうものと予想されるわな。
今のうちに住宅ローンを組んでおいた方が得ではないか、と思ったりする人たちが続出する可能性が高くなるから、である。それとも、今のうちに短期資金を借り入れて、投資に回そうという人も多く出てくるかもしれない。そういうのが実体経済に波及してくると、超過需要となってインフレ亢進が推測される。更に、金利引き上げが行われない、ということが予測できていると、「将来時点では今よりもっと物価が上がるかもしれない」と判断する割合は多くなってゆくであろう、ということだ。

中央銀行が金利引き下げを行わなくとも、金融政策変更によって「期待インフレ率が変化する」であろう、というのは、誰でも直ぐに想像がつきそうなものではないか?
それとも、中央銀行が通貨供給量を3倍に増やします、その為の国債買入を今から半年間実施します、とか宣言して、その通りに実行した場合には、政策金利がゼロに張り付いたままであっても、インフレになってゆくであろうと推測できうるわな。それが引き締められないままであると宣言されていれば、はやり為替下落などを通じてインフレ期待が上昇する可能性が高い、と思うのではないですかね。


ま、ヨソさまをペテンだのと批判する蛮勇は結構だが(よく恥ずかしくないね)、経済学に詳しくない一般人を騙しているも同然な論を披露するのなら、あんたが一番のペテンじゃないんですかね?

笑える。


疲れたので、日銀の話とかは、また別の記事に書きたいと思います。




鑑定医の秘密漏示罪を確定させた最高裁

2012年02月16日 16時14分58秒 | 法関係
昨日の続きであるが、補足しておきたい。


日本の法曹界というのは、やはり最高裁判決を批判できる人間など存在しえない、ということですかね?

出鱈目みたいな判決でもいい、と多くの法曹関係者たちは許容している、ということですか?
法学上の検討とか、そういうのはどうなのですか?


ま、部外者の素人が何を言っても無駄だから、いいわ。


ここで、ひとつ、仮想実験というか、仮定で考えてみましょう。

鑑定は、裁判所が依頼する先として「学識経験者」ということでいいわけです。
仮に、精神鑑定を行う人間が、医師以外の人間であってもよい、ということになります。そうすると、例えば高名な心理学教授とか精神分析学の権威であるアメリカの教授とか、そういう人であってもよい、ということはあり得ます。
この時、そうした鑑定の立場の人が医師免許を有していない場合には、刑法134条の秘密漏示罪の適用にはならない、と解してよろしいか?
今回の事件では、医師だから刑法134条が適用されたわけだが、実体法上で守秘義務を課せられた人間以外の鑑定人であると、罪には問われないということですかね。


鑑定をするという実行行為は、全くの同一。
であるのに、医師免許を有する医師であると有罪、ただの教授とか日本の医師免許を有しない海外の学者なんかであると、取材を受けて調書を閲覧させたりしたとしても、無罪ということですか?

刑法134条が適用になるとは思えませんものね。


全く同一行為ではあるけれども、片や有罪、片や無罪ということなら、それはどんな法学上の論理構成なのか、是非とも拝聴したいですわな。まあ、当方のような、下賤なド素人には到底理解できる論理ではない、高尚なものなのでしょうから(笑)。



もう一点。
裁判官は鑑定を書かせたり、その結果を見たり、鑑定医に証言を求めたりしませんでしたか?

その際、鑑定する人間は、秘密保持を怠れば刑事責任を問われる可能性があるということを説明ないし伝えましたか?

少年(被鑑定人)の承諾を得ることなく、医師として知り得た事実について、鑑定書に記載したり審判(裁判)で証言したりすると、刑法134条の秘密漏示罪の適用になる可能性や民事上の賠償責任を負う可能性があると鑑定医に言ったのですかね。

業務上知り得た秘密について鑑定書への記載拒否や証言拒否ができる権利を有すること、その権利行使をしなかった場合には自身が違法を問われる可能性があること、それを鑑定医に言いましたか?


ウソつけ、この野郎。
そんなことを言ったのか?司法の人間は。検察はどうだ?

そんなもん、誰も言わなかったんじゃないですかね?
けど、医師が秘密漏示罪を問われる秘密というのは、逆に言えば少年の承諾なしに鑑定書に書いたり審判で証言したりはできない事柄である、ということなんじゃないですか?

医師に何の権利を伝えもせず、本来証言(記載)拒否すべき少年の”秘密”について、鑑定書に書かせたり証言させたりしたんじゃないのか?

本当にそれが刑法上の秘密なのだ、というのであれば、裁判官も検察官も事務官たちも、みんなで「騙した」「ペテンにかけた」ということと同じなんじゃないですかね?

だって、医師は「証言(記載)は拒否します」と答えれば済むからだ。じゃあ、鑑定の意味って、何?
本来149条の権限行使すべきところ、法学無知の医師がうっかり裁判官や検察官の前で、少年の秘密をペラペラとバラしてしまう、という儀式でもやる場なのか。


要するに、検察なんかにとっては、「証拠捏造」だの「調書捏造」だの、そういうのを調べられると大変なことになる、だから「オレらの許可を得た人間だけが、見ることを許す」という制度にしてなきゃならない、ってことなんだろうよ。

いちいち調書の矛盾とかを調べられたら、ウソだったこととか捏造だったこととかが、バレちゃうもんなあ?
だから、調書や訴訟関連の書類というのは、「絶対秘密保持だ、何人たりとも見ることまかりならん」と厳罰で臨むということなんだよ。


そういう検察、裁判所の仕組みを今後も維持し続けなければならない、ただそれだけの為に本件鑑定医は人柱にされたようなもんだわ。

そして、これにお墨付きを与えたのが、最高裁なのだ、ということである。

クズどもの本音を一言で言えば、調書を見せたくない、それだけ。

日本の法曹界も終わっとるわ。原子力ムラの構図と全く瓜二つ。どうせ、一般素人の連中なんか法学だの刑法だの判例だの、複雑過ぎて判らんもの。素人衆を騙すには、専門的なことを並べて煙に巻いておけばいい、ということさ。批判なんかできまい、と。そういうことさ。

そして、偉くなってゆくのは批判的な人間たちではなく、ムラの体制側として役割を果たしてくれる人間だけ。検察や司法という巣窟を守ってゆける人間だけが、選ばれるということさ。



ちょっと追加だが。

昨日も書いたが、医師と少年のとの間で業務上知り得た「秘密」が存在するとして、立会の検察官がその「秘密」を知り得る権限というのは、法学的にどう根拠があるのですかね?

日本の検察は世界最強だから、例えば「医師と患者」の間に割り込んで、秘密を全部立ち聞きしても許される、と、そういうような「スーパー法曹」みたいな存在とでも言いますか?
或いは、「弁護士と依頼人」との間に存在できて、秘密を全部立ち聞きできるとでも言うのかね?この検察官は秘密を知っても、問題ないと?

そんなわけないだろうよ。
検察官が存在できる唯一の理由は、鑑定というのが「医師と患者」といった関係性を有しないから、だろう?
宗教家が告悔を聞いている内容について、検察官に対してであってでさえ、「秘密を保持」しなければならない、ということなんじゃないの?

本当の意味での「秘密」とは、そういうものなのでしょう?
なのに、どういうわけか、鑑定の際には、医師が被鑑定人を鑑定している横で、検察官だの弁護士だのが立って見ていてもいい、その様子を見聞きしててもいいと、条文上で認められているわけでしょう?
それが、秘密保持を義務付けられた、業務上知り得た「秘密」ですか?
検事が横で見聞きできる程度の内容や事実を、医師が証言拒否できるほどの「秘密」だと?(笑)


日本の最高裁判事は、「全知全能の神」気取りかよ?

ああ、最高裁判事に限らず、奈良地裁の裁判官も、大阪高裁の裁判官も、揃いも揃って検察の手下に成り下がっただけの、有罪量産機みたいなものか?
捏造調書だろうが、証拠捏造だろうが、供述捏造だろうが、何でもありでしたもんね、日本の裁判所って。そうでした、そうでした。

それに、政治的にも、裁判所が加担してきた輝かしい歴史があるわけで、そうした先人の功績を汚すわけにはいきませんものね。何たって精密司法の頂点ですもんね。そう簡単に、捏造調書とか、出鱈目判決とか、過去を否定できませんもんね。それを守ってゆくのが、本当に偉い裁判官ですよね。間違っても、出鱈目な証拠なんかを外部に見せるわけにはいきませんしね。

犯人の述べたコメントが、すぐさま新聞に流されるという、東京地検特捜部なんかのシステムは、業務上知り得た秘密でも何でもないようで、国家公務員法違反で逮捕されたり有罪になったりする人は、誰一人いませんもんね。西山事件みたいに秘密を漏らしたら有罪だけど、政治的に有利なようにする場合には、どんなに漏らそうと捏造情報で国民を騙そうと、国家公務員法違反で逮捕されたりはしないですからね。

そういうふうに、国家権力に加担した検察と最高裁じゃないと、偉い人にはなれませんもんね。へえー、そうですか。


世の中には、真の悪党ってのがいる、って言ったろ?
聖人君子みたいなツラをしていて、けど、裏ではこの世の極悪ってのがいるわけだわ。極めて強力な権限を握ってる奴らさ。
暴力的な権力を用いて、いかようにも罪を生み出せるような連中さ。

それが、日本の検察と裁判所だった、ということですよね?


真のクソだな。究極のクズだ。
何がって?
さあな。
ご想像にお任せします。


腐った司法の体面を守る為だけの最高裁判決

2012年02月15日 21時07分34秒 | 法関係
これまでにも幾度か取り上げてきたが、最高裁を頂点とする日本の司法がいかに腐った組織なのか、ということを如実に示したものと思う。

>http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012021500750


下級裁判所での判決がそのまま、ということだそうで。
まあ、そういう論理なのだ、と最高裁に言われりゃ、誰も反論なんかはできないわな。


関連:

秘密漏示についての記事
08年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/534d35bba0ece002f02541aa201f7cdb

本当に鑑定が医師の業務であるなら、被鑑定人と鑑定医師との関係は通常の医師と患者の関係であるはずで、被鑑定人と何らの関係も有しない(保護者とか親権者とかでもあるまい?)検察官が立会いできる法的根拠とは何か答えてみよ。どうして、検察官に対して秘密を守れないのか?(笑)

取材者側が違法性を問われていない(不起訴)のに、取材に応じた側だけが刑事罰を与えられるという、この矛盾についても、最高裁は知らぬ存ぜぬの責任放棄ということである。おかしいと思わないのか?


検察しかり、裁判所しかり、日本の司法制度・機関というのは、組織防衛と体面維持、権威の保持だけが大事なだけで、「法の正義」なんぞは有していない、ということだ。

最近、話題のドラマの『運命の人』でも出てくるが、日本の検察や裁判所というのが腐っていたというのは、昔からだ。原発訴訟もそう、数々の冤罪事件もそう、西山事件だってそうだ。

特捜が腐敗していたのが若干明るみには出たものの、本体は隠されたままだ。
それが証拠に、東京第五検察審査会の深い闇は未だに閉ざされたまま。弁護側の証拠開示にも検察が拒否ということで、最高裁だろうと検察だろうと、同じ穴のムジナということさ。


10年11月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/51b298923608ed97a62023f8dd329cc8
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7e86246719ad05f42f705555326460e2


最高裁の裁判官たちは、批判されるのが面白くない、ということだろう。
たったそれっぽっちの雑音くらいで、法の正義を曲げてでも「くそったれ」の言ったり書いたりしていることと同じ方向には「進みたくない」という、超へそ曲がりみたいなもんだわな。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2273056ee74f500f4f2199d0325799a1


真に腐った組織、保身と体制維持だけが大事で、それ以外のことなど関係ないってことなのだよ。それが、日本の司法の頂点たる最高裁の本質であり、本性なのだ。その正体が見えた、というだけに過ぎない。

最高裁は真のクズの巣窟、ということであろう。



維新の会・橋下大阪市長の野望―狙うは「総理の椅子」

2012年02月14日 13時31分44秒 | 政治って?
最近赤マル急上昇中で絶好調なのが、維新の会だ。政治塾には希望者が3000人超も集まったと鼻息も荒く、ますます気勢を上げているようだ。続けざまに、船中八策の現代版を公表し、国政参加へ足元を固める橋下大阪市長。
果たして、橋下市長の真意はどこにあるのか。

>http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201202130080.html


憲法改正にまで踏み込んできたとは、意外だった。維新の会として、今後もこれら目標を掲げ続ける、ということになれば、実現のハードルは高いだろう。とりあえず、彼らの願望は”破壊”である。まさに旧弊の打破、ということだろうが、面倒なもの、邪魔なものは破壊して、思い通りにやらせろという体制を組みたい、ということである。かつての小泉政権下での「ぶっ壊す」と同じようなものだろう。

橋下さんが何をやりたいのか、というのは、当面は「大阪都」を実現することであろう。これを実現した暁には、次なる目標が見えてくる。総理の座、だ。国政には行かない、と今は言っているだろうが、そんなのは当てにはならない。大阪府知事選挙でも、「2万パーセントありません」と言っていたのに、直ぐに出たではないか。後々周りから担がれれば、出ると決断するであろう。

(ところで、「やしきたかじん」とかいう大阪の有名人が、突然に番組降板とかになったらしいが、これって、橋下さんから遠ざける作戦の一環か何かですかね?影響力のある人間を予め排除しておきたい、というのは、よくある話ではないかと思えるので。特に、橋下さんはこれまでにも世話になってきて影響を受けてたはずですよね?
橋下さんを利用したいと考える一派にとっては、そうした存在は邪魔になるわけでして。――得意の陰謀論www)


野望を実現するには、何が必要か。
橋下さんのブレーンが選らんだのは、「海外勢力の導入」だ。小泉純一郎が総理の椅子を手に入れた手法を踏襲する、ということになるであろう。明治維新も同じようなものだ。

よって、「日米同盟堅持」と「TPP参加」をまず最初に掲げた、ということである。外交・防衛の要が、何とこの2つ、ということなのである。因みに、外交目標が「TPP参加」とは、何とちっちゃいことか。
ブレーンに付いていると言われているのが、上山信一慶大教授らしい。元マッキンゼーのパートナーだったらしいですぜ。へえ~。
要するに、外資系の「日本を攻略したい、グローバル戦略の歯車に組み込みたい」という連中は、こぞって「維新の会を応援してくれ」という宣言にも等しい、ということだな。さすが、元マッキンゼーの考えることだ。あなた方(主にグローバル企業や米国のコヨーテ軍団の連中など)の望みをかなえられるのは、我々だ、と。橋下を総理に据えれば、いかようにも改造できますよ、と。韓国のようにするのは、容易いですよ、と。

器の小ささが露呈したな、ということである。

アメリカの大統領選で、外交や安全保障の柱で「日米同盟堅持」とかをイの一番に掲げた候補者なんかいたことがあるか?(笑)
政策目標が「TPP参加」って、どんだけミクロな視点なんだよ。オレならば、外交目標はもっと全然違う。「一目置かれる・尊敬される成熟国家」とか、「安保理常任理事国入りを目指す」とか、そういうものであろう。もっと普遍的に自主独立でも、独立自尊でもいい。
けれど、維新の会というのは、国を変える、と言っておきながら、目標が「TPP参加」って、目先のことしか考えられないんじゃないの。大事なのは、参加することではない。参加した後にやってくる社会をどう構築してゆくか、もたらされる変化によってどういう国づくりをしていきたいか、ということだ。参加が大事なのではないぞ。


首相公選制も、参院廃止も賛成できかねる。
これらの目指すのはポピュリストを生み出すことか、マスコミ権力増大や情報操作戦術のし易さとかなのではないかと、危惧する。参院の権限を若干弱めるとか縮小することを考えるとしても、廃止が妥当だとも思えない。昔の参院だと、見識の高さ、というものが生きていたが、今では見る影もない。

目的の為ならば、どんな手を使ってもいい、何をやっても許される、といったような風潮が国会内に蔓延しているのだよ。それこそ、マキャべリストだか何だか知らんが、政治というのはそういう場なのだから、何をやったっていいんだ、ということを言う人もいるかもしれない。しかし、それが害悪を招き入れることになる、ということも考えておくべきだ。

先日、橋下さんについて、少し書いた。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/fb49343e6a6b38b38791aafae343b9d6

懸念が嵩じて、危険な臭いがしてきた今となっては、橋下さん個人への好き嫌いとかは別として、彼らのとる手法や考え方や目標というものは、明確に反対と表明せざるを得ない。

少なくとも、これからの国政選挙においては「維新の会」を止める、という方向にのみ集中することになるであろう。
願わくば、みんなの党との潰し合いになってくれれば、一番いい。


細川政権誕生以降、日本が辿った道をもう一度思いおこせ。
既成政党の自民党を追い落とした結果、外部からの操作可能な政治体制というものへと変革させられた。政治の良識・見識というものが、急速に失われていった。そういうことへの反省をする必要がある。


当方は、維新の会を全力で阻止する、と宣言しよう。




経済学界という病~事例3 池尾慶大教授の場合

2012年02月13日 21時58分38秒 | 経済関連
消費者金融の上限金利問題の時には規制賛成派だったので、一応の援軍と思ったが、それはそれ、これはこれということで(笑)。

学者先生というのは、偉いせいなのか知らないが、一般庶民の行動とかを知らんとみえる。普通の考え方がどうして理解されないのかが、本当に疑問。要するに、自分の行動がどのように「経済」に参加しているものなのかが、理解されていないのではないか。まさしく「机上の空論」を弄ぶだけ、みたいなものだ。

>http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LZ7VQH1A74E901.html

池尾教授は「金融機関にとって、貸出金利を一段と下げるようなプレッシャーが加わると、スプレッドが一層つぶれるので、リスクをとって貸し出しを行うことができなくなる」という。「借り手にとって金利が下がるのはありがたいが、その結果、金融機関から受けられる金融仲介サービスは乏しくなる。特に中小企業の場合、少々金利が下がるよりマイナスの効果の方が大きいのではないか」と語る。

なんかこう、小難しく言えばいいとでも思っているのかもしれないが、基本的な部分が全く理解できていないとしか思えないわけだが。
池尾教授の言う「一段と下げるようなプレッシャー」というものが何なのかが全く不明だが、銀行家の立場になってみたことがない愚か者のようにしか見えない。いや、当方だって銀行や金貸しをやったことがあるわけではないんですがね。

はっきり言えば、何トンチキなこと言ってんの、と感じました。
安全資産の利回りとしての目安になるんじゃないですかね。
政策金利や指標金利が引き下げられる、というのは、どういうことかといえば、リスクのない運用であれば、この水準、ということだ。それは、銀行が預金者にお約束する金利=資金コストの基準となるよ、という話だろうに。

国債金利が1年1%であると、1年定期預金を「1%-銀行のコスト」という水準で設定できますね、ということなんじゃないの?銀行コストは、金融機関ごとで異なるので、コストが少ない金融機関は高い金利を提示できるので有利か、見掛け上他金融機関と同じ金利―例えば0.75%―を提示した場合でも、コストが0.25%よりも少ないと儲けが多くなるよ、という話である。
日銀による金利引き下げは、資金コストを下げる効果が大きいのだ。銀行は、リスクを取らない国債運用1%の金利収入か、リスクのある中小企業に3%の貸出金利でもっと儲けを取るか、選べる、ということだろうに。リスクスプレッドを便宜的に2%と見れば、基準となる国債指標金利が5%の場合でもリスクスプレッド2%上乗せで7%貸出金利なら、3%貸出の場合と同じ儲けとなる、という話だろうに。

つまり基準となる資金コストを概ね安全資産金利―例えば国債運用の金利だ―と見立てた場合には、基準となるのが1%か3%か5%という違いはあれど、上乗せ金利の儲け部分というのは、一緒だ、という話である。その上乗せ金利の大きさは、銀行毎に異なっているのは当然だ、ということだろうに。新銀行東京とか振興銀なんかが、リスクプレミアムを大きく取った貸出を行っていたのを知らんのか?

資金コストが2%で、ハイリスクグループの企業に10%で貸せば、儲けが8%分出るのは当たり前だ、っての。逆に貸出金利が同じ10%であっても、国債指標金利が5%なら、儲け部分が5%しかなくなるから、儲けが減るよね、というのは当たり前だろうに。日銀が5%→2%に引き下げてくれたら、金融機関は全く同じ貸出金利を適用していても儲かるよ、という話だ。こんな簡単なことがどうして判らんのか?
一方借り手側からすると、金利引き下げ効果で同じリスクプレミアム2%が乗せられていても、基準金利が1%なら3%で借りられるし、基準金利が5%なら8%の調達コストを払うことになるんだろうに。どっちが得なのかは、一目瞭然。

池尾論説には読むべき価値もないが、次を見てみよう。

池尾教授は日銀が長めの金利やリスク資産のリスクプレミアムを押し下げようとしていることにも批判的だ。「包括緩和は市場メカニズムをゆがめる政策だ。米連銀がリーマンショック後に信用緩和策を行った時は、市場が機能不全に陥っていたので介入する意味があった。今の日本の金融市場はそれなりに機能しているのに、市場の価格形成をゆがめるようなことをして、何か良いことがあるのか」と語る。
  池尾教授は「基本に戻って考えた時、リスクプレミアムが小さければ小さいほど良いことなのか」という。「たとえば5%のリスクプレミアムが金融資産に上乗せされている時、それを無理やり2%に下げれば、資金を調達する人にとって、他の条件が一切変わらず、金利だけ2%に下がればうれしいだろうが、リスクプレミアムだってある種の価格なので、価格が下がれば供給は減るだろう」と語る。



この人はリスクプレミアムとか言うのだが、それはどういうものなのか理解しているのかな?
自分が預金をする立場でどうすると思うかを考えれば、分かりそうなものなのに。
1%の1年定期と3%の1年定期なら、どちらを選ぶか?大抵は、後者だな。信用度の低い金融機関とかコストの非常に少ないネット銀行とか、そういう違いで定期の金利差は出ることがある。銀行倒産リスクなどで違いは出るかもしれないけれど、普通は金利が高くて有利な方を選ぶだろう、ということだ。

日銀が社債を購入すると、何がいいのか?
社債の需給は需要が増えるわけだから、価格上昇=金利低下となる。すると、企業は銀行の貸出金利より低く有利なら、社債を発行しようとするだろう。発行環境が容易になるよ、ということだ。すると、社債で大型設備投資の資金調達をしよう、という企業が出るかもしれない。それとも、貸出金利との競合になるから、貸出金利の引き下げ効果が出る。つまりは、借入参加者の参入障壁を引き下げる、ということだわな。
金利負担が、毎月50万円かかります、という時と、10万円で済みます、という時だと、経営面ではこの浮いた40万円分は他経費に回せる、他の経費が同じなら金利差分だけ儲けが大きくなるから赤字確率が減る、ということになるだろうが。大成功しないと金利負担に耐えられない事業ではなくとも、そこそこ儲けの出る事業でもやっていけるということなら、それが新規事業参入を促進するだろうに。


あと、ETFなどのリスク資産を買ってどうすんだ、と文句を言うが、金融機関の多くは株式を保有しているわけで、株価が下がっていく局面においては、その分だけ「貸出余力を奪う」ということになるだろうが。けれど、株価の下落を下支えすると、貸出余力は残されたままになるから、安全運用=国債投資なんかよりも、リスクをとった投資=例えば貸出に資金を向けることが可能になる。自己資本比率を維持しなければならないので、株価下落が続くと金融機関の預貸率は下がるとか社債投資などが減少する傾向になるだろう、と推測される。

なので、池尾教授は何の為に金利引き下げをやるのか、リスク資産買入をやるのか、ということの根本からして理解できてないんじゃないかと思う。それは、所詮「空理空論を弄ぶ学者」だからではないかとしか思えないわけだが。商売をやる側の人間の気持ちになって考えることができない、ということだ。銀行家になってもいいし、一般の事業家でもいいが、学問の上だけではない経済活動を想像してみるべきであろう。

金利(リスクプレミアム)が下がれば、参入が容易になる、という例は、いくつも見てきたではないか。ギリシャが低い金利で国債発行できるようになったのは、まさにそうだ。それとも、アメリカで住宅投資が容易になったのも同じではないか。

経済学者といっても、何にも学べない、理解できていない人間がこれほど大勢いることに、心の底から驚く。しかも、一人や二人ではないんだな。偉そうな肩書きがくっついていたり、マスコミに登場してくる連中の多くが、こういう程度なんだなという印象である。



デ杯 日本vsクロアチア~錦織勝って、タイに持ち込む!(追記)

2012年02月12日 16時36分27秒 | いいことないかな
よくぞ頑張った。

錦織ナイスゲーム。
ストレート勝ちで、ラスト1試合に託した。


うむむ、ガンバレ添田。

日本男子の初勝利をもたらして、日本テニス界の歴史に名を刻んだ、その勢いで、この前みたいに粘って勝て。勝って欲しい!


日本のチーム力が上がったな、やっぱ。
ダブルスも敗れはしたが、上位選手相手に健闘した。

ダブルスは特にブレイクが痛いので、サービスキープが必須だから。
ビッグサーバー相手だと苦しいということになるわな。
それでも、そこそこ戦って、通用するレベルになってきているということだから。

ダブルスの場合、スペシャリストの方が接戦に持ち込めるし。
そういう意味においても、負けはしたものの、チーム戦に持ち込んだな、という感じだ。添田の勝利も、そう。

錦織がエースなのは当然なのだが、それだけで勝てるほど甘くない、ということかもな。

今まさに、

 頑張れ、日本。

の気分!

こんなに盛り上がったコートサイドの応援は、未だかつてなかったことかもしれない。



負けでした…
強かったな、やはり、サービスゲームが。

第1セットで、打つ手を失ったのかもしれない。
精魂尽き果てるくらいのプレッシャーの中で、惜しくも届かなかった。

あれが勝敗を分ける全てだったのかもしれない。
あのタイブレークが取れていたら、逆の結果だった可能性があるのかな、と思えた。


でも、よく頑張った。
健闘を称えたい。
グループ残留に向けて、切り替えて再スタートしましょう。