いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

”懸念”なんてのんびり言ってる段階ではない

2009年09月29日 17時15分31秒 | 経済関連
今頃何言ってんの?とは思う。
危機的状況だという認識が、あまりに乏しすぎる。

asahicom(朝日新聞社):消費者物価2.4%下落 最大マイナス幅また更新 8月 - ビジネス・経済

去年から既に逆戻りだったよ。
日銀ばかりではなく、日本の経済学者とかエコノミスト連中が揃って鈍感な愚か者である為に、こうなってしまっているわけです(笑)。


例えばコレ>直近のデフレ・リスク指数はどうなんでしょうか


今年の3月時点で、だいたい答えは出ていたんじゃないですかね。

「デフレリスク指数」を改定して、もうちょっと短期の変動でも出せるような基準を考えた方がいいと思うけど。せめて、四半期ごとのスパンくらいでも算出できるように、改良すればいいのにね。リスク判定の精度を上げるような工夫とか、そういうのは誰か取り組んでいないのかな。
研究とかいっても、頭数ばかりいたって役に立たない連中が多い、ということなんだろうか。

日本の経済研究というのは、一体全体どうなっているのかね。


日銀とか言っていても、実は、ロクな思考力も持ってなくとも入れる、ということも、よく判ったしな。そういう実証だけは事欠かない(笑)。

専門外の人間以下のことしか考えられないのであれば、それは、おまんま食い上げなんだって。違うの?

恥を感じられない人たちが、羨ましい。

日銀みたいに、先々を考えられない、状況把握や分析能力がない、どうしていいのかも判らない、「なるようになるさ」的な行き当たりばったりの、成行まかせのいい加減な政策立案や政策決定でも、日本の金融政策を担当してもいいよ、という、誰でも即なれるような組織ということなんだろうか。



谷垣総裁の誕生

2009年09月29日 14時59分26秒 | 政治って?
郵政選挙の前に、「中二階組」の泡沫でしかなかった麻生・谷垣を予見したわが予知能力に、改めて驚嘆した(笑)。

05年6月>次期総裁レースのヒント?


恒例、いつものセリフを書いてみましょうか?(笑)

 『な?だから言ったろ?』

すでに、懐かしい。

05年7月>民主党の勘違いとポスト小泉戦線

05年9月>「ポスト小泉」を睨んだ組閣はどうなるかな?


こういうもんだ。



行刷と予算削減のこと

2009年09月28日 18時18分33秒 | 政治って?
昨日の記事にも書いたけど、行刷の機能としては「削り」がメインになると思うので、年末までに予算の骨組みを固めなけりゃならないとなれば、時間がない。悠長に、「無駄だ、いや必要だ」みたいに腰を据えて議論している時間的余裕というのはあまりないのだ。ここはひとつ、「削り屋」の本領を発揮してもらいましょう、というようなことになるだろうね。

そこで、どうするか?

考え方の一例を書いてみるから。


まず、各省庁に必要な予算を出してもらう、というのは、これまで通りだね。で、ここからが重要なのだけれど、それぞれの省庁自身に「優先順位付け」させるのだ。人呼んで「生贄作戦」(笑)。

財務省にお願いに行くつもりになってもらって、全ての予算項目について順位を付けてもらう。ま、あんまり細かい部分までだとできないので、大項目~中項目という風にサイズを区切ればいい。言ってみれば、本の目次とか見出しみたいなもんだ。そういう項目を作って、序列を一覧で作らせる。

続いて、順位付けの目安とか、優先度のパターンによって色分けする。たとえば、赤は最重要項目で削減許容幅は最大で10%以下、とか。で、目安として、順位ランク(それとも、予算の項目ごと合計額)上位20%以内、次の20%、次の20%…という感じにするのだ。そうすると、こんな風になる。

(上位から概ね20%区切りくらいの順位)

・赤:削減幅~10%以下
・橙:同~30%以下
・黄:同~50%以下
・緑:同~70%以下
・青:同70%以上~(全廃も有り得る)

色分けは全てきっちり2割ずつじゃなくてもいいが、甘くすると霞ヶ関では「全部に赤(=ビタ一文削れない)」とかで返ってくるので、それを防ぐ(笑)。まずは自分たちの手で「生贄を差し出してもらう」、ということだ。あまりに「面倒くせー」と考える財務官僚とかであると、四の五の言わずに青を全部カット、とか言いそうかも。青は問答無用、みたいな。その場合、優先順位の低い青を全部カットすると、各省庁で持つ予算額のだいたい2割が自動的にカットできるという驚異の作戦なのである(笑)。

ま、そこまでいくと「乱暴だ」という非難も湧き起こってくると思うので、中身の精査は必要だから、青を全てカットせよ、ということにはしなくともよい。でも、赤の項目は切る額が少ないので、どうしても削減余地は小さいだろう、ということにはなるわけである。通常は必須的支出項目が該当してしまうだろう。そういう中からでも、3%なり5%なりをカットすれば、少額だろうとかき集めることは可能になる。予算額5兆円あるとして、赤の1兆円のうち5%カットで500億円が捻出できる、という寸法だ。

こうやって、自分の省庁の予算の順位を付けてもらって、青に向かう程切られやすくなる、ということにするわけである。

色で分かれると、分類がしやすく、紙に項目を書いておいて、青だけ集めてきて、その中から「優先順位の低いもの」というものを集めてゆくと、削れるものが見つけやすくなるんじゃないかな、と。

何たって、民主党公約によれば数兆~数十兆円もの金を捻出しなければならないので、尋常な削減手段を取っていても埒があかない、ということはあるからね。各省庁間で「そっちを削れ」とか乱闘になってもしょうもないし。
政治的には、例えば「防衛庁の黄」と「警察庁の黄」では重みに違いがあるかもしれないし、更には「農水省の橙」とか「国交省の橙」の方が優先順位ランクが低いかもしれないね、ということはあるから。そういう「政治的な部分」を行刷が仕分けをして、考える必要があるんじゃないですかね、ということです。


まあ、でも、実際には、「ブルー・ストリップ」を貼り付けられると、ほぼ絶望的というかアウトだな、みたいな愕然とした感じになるわけである。その分類に放り込まれた予算項目は、グッバイ、サヨナラ~~という終末っぽい感じが出ているわけである。
この順位を決める作業を通じて、各省庁内で悩み抜け、激しく争え、ということにはなりますわな。隣の部局の予算をいかに”青”に蹴落とすか、自分の予算をどうやって上位ランクに入れさせるか、ということが真剣に討議されることだろう(笑)。


あるとすれば、行刷に行ってからの、どこかの省庁の「赤」が大胆にカットされたんだってー!みたいな、あれだ、「○○建設工事中止」みたいな、超大胆な政治決断が発生したような場合、運良く他が救済される可能性がないわけではないかもね。行刷内にも官僚たちが入るだろうから、出来るだけ自分の出身省庁ではない、ヨソの省庁の項目の精査を担当した方がいいような気がするよね。思惑に縛られ難くなるから。例えば、警察庁官僚は環境省を、財務省官僚は国土交通省を、厚労省官僚は外務省を、金融庁官僚は財務省を、みたいに、違う分野の予算を担当すればいい。そうすると、ヨソではいかに「無駄遣いしているか」というのが、よく判るはずだから(笑)。心の中で、「コイツらが無駄遣いしているから、ウチの予算が減るんじゃないか」などと思うかもしれないよ。


こういう色分け以外には、是非とも取り組みたい新規事業の予算とか、そういうのは別立てで行った方がいいな。削りが大きい省庁の場合、そこから新規に回す分を増額してもらう、といった弾力性がある方がいいからね。節約を頑張る省庁ほど、青とか緑を増やすかもしれないので、そういう省庁には努力の成果として、別な新規予算を多く分配することがあってもいいと思うので。何か別な色をつけたければ、特定の色を決めてもいいかもしれません。



こういう具合に仕分けをして、削減ターゲットを絞り込んでいけば、かなり大きな金額であってもかき集めることは不可能ではないだろう。ただ、削られた項目が消えることによって、どのような事態が引き起こされるか、というのは、定かではないのだけれどもね。単に削るだけではなく、一応、なくなったら何が困るかということについては、よく検討しておいた方がいいだろうね。
かつてあったのは、障害者福祉に関する分野とかのように、反対勢力があまり強くない人たちばかりであると、障害者自立支援法みたいなのをサクッと通される、ということはある(反対の多数派が世の中に形成されにくい)ので、省庁が何を生贄に差し出してくるのか、というのは注意が必要な場合もあるからね。


いきなり初年度から全ての無駄の粛清を達成できるとも思えないので、今の時点では何とも言えないが、そこまで成果を急がないにしても、削りの方法はあるだろうと思う。




こういう時は、そっとしておくに限る(ちょっと追記)

2009年09月28日 13時23分05秒 | 政治って?
亀井さんの性格をもうちょっと読めばいいものを(笑)。

はてなブックマーク - 金融音痴を露呈した民主党 「返済猶予」が引き起こす深刻な副作用 JBpress日本ビジネスプレス


あのね、記者の質問とか、今後一切「モラトリアム」とか「返済」「猶予」とかには触れちゃだめだよ(笑)。禁句ね、禁句。

多分、亀井さんの性格としては、周囲の人間がこれは絶対に止めなさい、ダメだ、やるな、とか言えば言うほど、「よーし、やってやるぜ」と燃えるタイプなんだから。逆境に追い込まれれば追い込まれる程、「絶対に信念を曲げない、石に齧り付いてもやり遂げます」という風になるタイプの人なんですよ。こういう時に、周囲が騒ぎ立てると、余計に頑固にさせてしまうだけなんですから。


どうして、そっとして置くことができないかなー。
頭を使えばいいでしょ、頭を。

信念の人を、その人の信念を曲げさせるとか撤回させる、ということを試みるからダメなんだよ。そういう攻め手を使うと、失敗すると思うよ。

まず、優先課題を一つ与える。これは郵政問題に決まっているでしょうよ。
亀井さんは元々がそっちの方が大事で、好きだったのだから、担当大臣として取り組むべき目標とかテーマを与えてあげれば済むだけではありませんか。
例えば「できるだけ早急に、日本郵政の新体制についての人事、凍結法案等の取りまとめをお願いしたい、郵政民営化担当大臣だった竹中大臣の公社時代の問題も検証して下さい」とか、そういう「困難そうなテーマ」をあげると、喜んでやってくれると思いますよ。そっちの方がやりたかったことなんですから。どうせなら、そっちをクローズアップするように、雰囲気を盛り上げて下さいな。

で、返済猶予法案に取り組む、というのを、本人がどうしても頑張る所存と言っているのだから、「金融庁の方でまずとりまとめるまで待っています」というようなことで、周囲はそっとしておいて時間を稼げばいいだけ。そして、法案作成には「時間がかかる」という事実を固めてしまう、ということです。ステップとしては、専門の有識者委員会でまずたたき台を作るのを目標とすること、というのを掲げます。
そうすると、人選にまず困る、と。銀行や金融機関関係の「お断り」が頻発してしまい、中々決まらない、と。ここで暫く時間が稼げます。続いて、委員会での議論の紛糾、これは、ヤラセなしで激論バトルを本当にやってもらえばいいんですよ。反対が圧倒的に多くなる、ということになるでしょうから(笑)。道路公団の時だって、委員辞任とか、激しいやり取りがあったわけで、ああいう具合に時間がかかってゆくということは楽勝ですよ。

途中では、パブリックコメントなどの募集を、第一次から始まって、何回もやればいいんです。反対意見が集中的に集まってくるだろうし、消費者団体にも協力してもらって、預金者たちの利息を奪い取る気か!とか激しく抵抗してもらえるようにすればいい。そうすると、意見の取りまとめは極めて困難な状況が続くでしょう。それに、亀井さんの最大の関心事が「郵政問題」に向いてる時には、返済法案が直ぐに提出できない状況であったとしても、そんなに激しく文句を言わないでしょう。
なので、粘り強く時間を稼ぐということを考えてやっていけばいいんですよ。そうこうしているうちに、参院選挙が終わるので、連立の微妙な立場ということになっているでしょう。



ところで木村や池田の言い分なんだが、亀井大臣を非難できる資格なんかないわな。「上限金利引下げで借りられなくなった中小企業が増えた、黒字倒産の中小企業が増えた」とか言ってる時点で、大してかわらんでしょ(笑)。

倒産件数増加も、銀行融資減少も、中小が借りられないのも、みーんな上限引下げのせいだ、ですから。

因みに、ごくありきたりな「景気後退」といった考えはないみたいですな(爆)。07年11月からは後退局面入りだったと思うが、そういうのも関係なく、リーマンショックでもない、とか言い張るわけだ。


こうして見れば、亀井大臣も、木村や池田の発想とか言い分も似たり寄ったりですわな。



続・空港へGO!

2009年09月28日 11時42分56秒 | 社会全般
日航問題に端を発して、地方空港の不採算路線問題というのがクローズアップされてきたようだ。

そして、いずれは、空港整備特会の解体、ということだな。

空港へGO!

年貢の納め時、というところでしょうか(笑)>国土交通省

いよいよ、ケツに火がついてきたんだろうと思います。前原大臣は、こちらをまず頑張っていった方がいいと思いますよ。


離島などがあるので、必ずしも全てなくせばいい、ということにはならないだろう。代替性に乏しい地域には、鉄道などがない代わりに空港が必要、ということはあるからね。

しかし、問題は、その運営ということだ。
できるだけ効率的に運営する必要があるのと、利用料を大幅に引き下げる必要があるだろう。というか、収益性の厳しい島とか地域ほど、半公的に航路を維持する必要性があるだろうから。
不定期便みたいに、自由度を上げていく方がいいのではないかと思ったりもするけど、地域によって違うから何とも言えない。


ま、空港整備特会を食い物にしてきた連中はいると思うので、そういうのは縮小せざるを得ないだろう。

というか、今この時代になってすら、「空港作ってくれ」「新幹線作ってくれ」「道路作ってくれ」みたいなことばかり言い募る地方議会とか首長というのは、本当にどうかしている。他人の力を常にあてにするだけの、依存・タカリ体質。単に借金を増やして、一時しのぎにしたいというだけ。



銀行という皮を被った、隠れ~~?

2009年09月27日 18時43分00秒 | 社会全般
木村剛で思い出したが、同じような話はあったな。

新銀行東京に学ぶ経済学~その4

08年3月頃ですけれども、単なる偶然なんだろうとは思いますが、日本振興銀行が債権を買っている、といったことがあったらしいですな。それも、SFCGの保有していた債権とか。二重譲渡問題で、ハメられた信託銀行とかが日本新興銀行なんかを訴えたそうだが。亀井大臣あたりが何かの強権でも発動するのかな?(笑)




ところで、妄想なんだが、計画的に倒産させる方法、みたいなものを考えてみたよ。
キャッシュを抜く為に計画倒産させる、ということは不可能ではないはずだろう。

資産サイドにある債権を売って現金化し、このキャッシュで子会社や親族の経営する別会社にあるゴミ資産みないなものを不当な価格だろうと何だろうといいので、買ってしまえば、資金は抜き出せるんじゃないかなと思うね。素人だから、もの凄くシンプルに書くけど、


債権 1000   借入 500
          資本 500

となっていたのを、借入を1000増やして杜撰だろうと何だろうといいので貸しまくる。すると、

債権 2000   借入 1500
          資本 500

みたいになるわけである。
ここから、債権を売却し現金化してゆくのだ。けど、債権売却は総額よりも安くなるので、とりあえず債権総額と売却額との差額を損失として表示するとすれば、

債権 1000   借入 1500
現金 700    資本 500
          損失 △300

となるわけだ。ここから、現金700でゴミ資産を購入したことにしてしまうと、ヨソに資金が移動できるということになるだろう。更に債権売却を強引に進めてゆくとすれば、

債権 100   借入 1500
資産 1300   資本 500
         損失 △600

という具合になるわけである。
資産というのは、債権1900を1300で売却し、そのキャッシュで名目上のゴミ資産を買ったことにすれば、現金はそちらに移ってしまうということになるだろう。あと、会社自体は債務超過に陥るので、倒産させることができる。こうして、会社そのものの存在をなくしてしまえば、過払返還金訴訟から逃れられるとともに、債権を購入した側には過去の過払金請求は無い上に新たな貸出先を生み出せるというメリットがある。それに、貸出金利と定期預金金利差額は大きく設定できるので、非常にオイシイ取引ということになるわけである。

このスキームは、倒産させる側にも、購入する側にもメリットが大きくあって、どうせ弁護士に過払い返還金で取られるくらいなら、「山分けしておこうぜ」というような動機が発生しても不思議ではないだろう。債権購入側がそうした意図を知っていたかどうかは不明であるし、騙されて買わされたということも有り得なくはない。が、初めからハメるつもりで、トラップを仕掛けておくということはできそうな気もする。

①債権保有者QがRに債権を売却する
②売却債権の回収代行をQがRから請け負う
③Qは別なSに対しても同じ債権を譲渡
④Qは倒産、債権の所有権をRとSが主張

ここで、②の部分が問題だろう。借り手にとっては、これまで返済先がQであったのが、債権が売却されたとてこれまでと同じQに返済を継続することになっているからである。借り手から見れば、外見上は何らの変化もないということになるわけである。しかし、実態としては、債権者はあくまでRであり、Qは回収代行業務を請け負っているに過ぎない、ということなのだ。返済先が変更なく、返済条件の変更もない場合に、債権が譲渡されたことを全て知らせるかどうかということになるからである。Qが別なSに二重譲渡を意図して、Rから回収代行業務を受けたのだとすれば、QはRをハメる気だったということはあるだろうね。


まあ、やる気になれば、色んなあくどいことは思いつくだろうと思うので、そういうその道のプロにかかれば、色々手があるよということなんでしょう。
くわばら、くわばら。




苦しむハム…

2009年09月27日 15時58分41秒 | いいことないかな
9月は非常に厳しい期間となってしまった。
打撃不振と踏ん張り切れない投手陣、ということで、苦しい戦いとなった。

けれど、ギリギリ首の皮一枚で繋がった、という感じ。
それには、総力戦という気持ちが入っていたからだと思う。


ソフトバンク戦の初戦。
首位陥落となりかねない重要な戦いで、西武戦連敗の悪い流れは続いていた。

しかし、まあ延長12回を0-0の引き分けで、凌いだのだった。
8回だったか、2アウト満塁の大ピンチの場面で、若い坂元がよく抑えた。
満塁でノーストライク、3ボールとなった時には、もう観念したよ(笑)。
9回裏もサヨナラのピンチだったが、これもダブルプレーで切り抜けたのだった。

いや、7回までに江尻を使ってしまい、8回から菊地、宮西と連続で投入してしまっていて、1アウト満塁から、林で一つ、坂元で一つのアウトを取ったのだった。あの継投はよく判らなかったけれど、まあ、坂元はよくやった。12回裏の金森もサヨナラのピンチを招いたが、他に投手は残っていなかったのもあるが、よく凌いだ。
内容的には殆ど負け、というゲームではあった。

でも、若い投手2人が踏ん張ったのが大きかった。
あのプレッシャーのかかる場面で、よく投げたなと思ったよ。
先発藤井も援護のない中で、よく投げたと思う。


そして、昨日の試合。
相手は杉内で、万全の内容。これは苦手というのもあるが、好投手なので、ある程度は仕方がない。

8回表裏の攻防で、流れが途絶えたかに思われた。
3-1で迎えた8回表、ハムがどうにか1点を返した。
1点差に詰め寄ったが、裏には決定的と思われる1点を奪われてしまった。

菊地が四球と小久保のヒットで1アウトも取れずに宮西にスイッチ。
しかし、松中にタイムリーを許してダメ押しの1点を献上してしまう。
最終回を残して、4-2と再び2点リードを許してしまったのだ。
なおも、ノーアウト1、2塁で、金森が登板。

ここも大変厳しい場面だったが、田村を浅いフライで仕留めると、ライナーでゲッツー。
ピンチを見事に切り抜けたのだった。
凄いぞ、金森。
これが9回表の攻撃に繋がったのだ。
9回には中継ぎエースの好投手摂津が登板。
2アウト・ランナーなし、から、代打坪井が2塁打、金子ヒットと賢介四球で繋ぎ満塁。
ここから代打二岡が同点に追いつく2点タイムリー。
信じられないような驚異的粘りを見せたのだった。

金森は結局3回を投げて無失点だった。勝ち投手にはなれなかった(2回を抑えた久が勝ち投手)が、殆ど勝ち投手に値する投球だったと思う。いや、投手も頑張ったと思うけど、チームに貢献してきた代打2人(坪井、二岡)が打ったというのも、チームにとっては大きかった。どうにか勝ちを拾った、という試合だった。

ソフトバンクは、8回に送りバントをしていれば、というのが気になるところかな。
田村だから、というのはあったろうけれど、あそこは送りバントというのが普通だろうな、と。
バントがヘタ、というのは、実はかなり攻撃の幅を狭めるのだよね。
やはり、守備やそつなく繋ぐ攻めといったプレーの質というものが勝敗に影響してくるだろう。


これまで菊地は登板回数が最も多くて、試合数も多いから、責めることはできないと思う。宮西も暫く結果が出てないけど、大事にされてるのだから、信頼を取り戻せるように頑張れ。信頼を取り戻すのは、それぞれ自分の力を出し仕事をしなくちゃ。
ソフトバンクの摂津や巨人の山口みたいに、目指すべき投手はいるよ。


ソフトバンクは、ファルケンボーグが抜けてから、摂津と馬原に負担がかかっていったんじゃないかな、と思う。
ハムも、久が連続登板と投球回数が長いので、他の中継ぎ陣が踏ん張らないとね。




貸金業法改正を全ての原因にする人々

2009年09月26日 19時51分11秒 | 経済関連
本当に悪意のある説明を繰り返す人たちはいるものですね。恣意的な数字の挙げ方、意図的に誘導するような説明の仕方、そういう典型ではないかと思います。


コレね>はてなブックマーク - アゴラ 中小企業を追い込んでいるのは「リーマンショック」ではない - 池田信夫


(以下に一部引用)

きのうの「アゴラ起業塾」で木村剛氏は、中小企業への貸し渋りが深刻化している現状を訴えました。次の図は木村氏のスライドから借りたものですが、銀行の中小企業向け融資が減少に転じたのは2年前ですから、これは「リーマンショック」とは無関係です。では原因は何でしょうか?

その大きな原因は、2007年10月に成立した貸金業法です。次の図(これも木村氏に借りたもの)のように、2007年を境に貸出件数は激減して今年は2年前の1/3になり、倒産件数は2割増えました。

=====


この説明を読めば、全ての原因として貸金業法改正ということのように読めます。リーマンショックは関係ないよ、と(笑)。

つまり、07年10月の貸金業法改正が原因で、

①銀行の中小企業向け融資が減少
②ノンバンク貸出件数が激減(2年前の3分の1)
③倒産件数が2割増加

取り出してるデータの出典が判読できないのでよく判りませんが、「ノンバンクの貸出件数」というのが当てはまる貸し手はいるでしょうが、一部特定の数字だけを取り上げられても、あまり意味はないでしょうね。自分の都合のよい数値だけを切り取ってくるような人間は、よくいますから。


◆ ①に関して:

「銀行の」という言い回しが都市銀行のことを言うのかどうかにもよりますが、銀行の融資残高減少が貸金業法改正によって引き起こされるという理由を明らかにすべきだろうね。何故、貸金の上限金利を下げると銀行融資残高が減少するのか?

因みに、銀行しか貸し手の存在が思い浮かばない程度なのかもしれませんが、別な金融機関は存在しているわけで(笑)。ま、アレな方々は思考力が乏しいわけですな。
第1章 第1節 5.高まる地域銀行の役割

都市銀行が融資する以外にもあるに決まっているでしょうよ(笑)。信金も融資額を増やしたでしょう。
緊急融資制度や信用保証枠拡充でも増えているかもしれませんから、そこの数字を見ないとなんとも言えないのではないかと思いますね。


◆ ②に関して:

ノンバンクと一概に言っても、どこか特定企業の都合のいい数字だけ集めてきて、都合よくグラフを作るのなんて楽勝だと思うけど。
fsaの資料だと数字が限られるけれど、こうなっていた。

事業者向け貸付残高
 (単位 億円)

02.3月 236958
03.3月 267466
04.3月 271489
05.3月 234932
06.3月 204853
07.3月 233674
08.3月 235707

09年3月末とか、それ以降の貸付残高は減少しているかもしれないが、それが法改正が原因だ特定するのはかなり困難ではないかと思えるが。まあ、04年~06年の減少についても「07年10月の法改正が原因だ」とかほざく連中はいそうだな。どこの数字を切り出すかによって、いかにデータを作れるか、ということはよくおわかりいただけるであろう(笑)。

貸金業法改正によって、貸し手の貸出姿勢に変化を与えた可能性はないこともないが、事業者向け融資の多くは上限金利近辺の貸出金利適用は、極めて少ない。
日本の憲法学者の真意を問う~その2(追記後)

この記事中で指摘した通り、fsa資料では
貸出金利は「貸出残高の約91%が ”8%以下”」だ。20%以上の貸出金利適用は、「約1.9%、残高で3250億円程度」である。

まあ、木村剛とか池田なんかであると「事業者向け融資残高が23兆円超→8兆円」という具合に、3分の1になった、とか豪語するのかもしれないが(笑)。だったら、証拠を出して説明してみな。


◆ ③に関して:

07年10月の法改正のせいで「倒産件数が2割増えた」という、トンデモ説をよく言う気になれたな、と思いますよね。これも恣意的に都合のいい数字を切り出してくると、そういう風に見せることは可能でしょう。中小企業庁の数字を使ってるのかもしれませんが、だからといって解釈も含めて正しいということにはならないわけで。


東京商工リサーチのデータによると、倒産件数の年ごとの推移は次の通り。

94 14061
95 15108
96 14834
97 16464
98 18988
99 15352
00 18988
01 19164
02 19087
03 16255
04 13679
05 12998
06 13245
07 14091
08 15646

この数字の並びを見た時に、06年以降の倒産件数の増加が「07年の法改正の影響だ」と豪語できる人間がいるとすれば、それは凄いですな。もう超人の域ですわ。神の眼を持つ、スーパーなんとか人、みたいなもんですか。それって、宗教か何かでしょうか。大笑い。

09年の比較ができないので、上半期(1~6月)ごとのデータで比較しますと、次の通り。
中小企業(中小企業基本法による規定)の倒産件数は、

03 8749
04 7051
05 6367
06 6570
07 7015
08 7493
09 8122

となっていた。前年比で見ると、06年は3.2%増、07年は6.8%増、08年6.8%増、09年8.4%増、だった。
増加率だけ見れば、リーマンショック以降の09年で増加率は高くなっていた。07年1~6月期は10月法改正前だったが、倒産件数は増加していた。しかし、04年の件数を基準にしてみると大差なかった。少なくとも、貸金業法改正前の03年上半期よりも、それ以降の中小企業倒産件数は、全て下回っていた。

こういう数字を見た時に、倒産件数が2割も増加している!!ということだけを取り立てて言うのは、何か意味があると考えているのだろうか。木村氏のグラフみたいに、基準になる数字を恣意的に取り出してきて、それ以降のグラフだけ示せば、都合のよい論を組み立てるのは簡単だよ(笑)。


  ◇◇◇

さて、もう論ずる必要性などないけれど、最後に大嘘を見ておこう。

(再び、一部を引用)

こうした資金を借りるのは多重債務のギャンブラーではなく、資金繰りに困った中小企業です。消費者金融については、浪費癖をコントロールできない債務者には金を止めるしかないという論理も成り立ちますが、中小企業が浪費のために資金を借りることはありえない。こうした資金のほとんどはつなぎ資金で、手形が落ちる半年先には返済できるものも多い。

特に最近、増えているのは、昨年のアーバンコーポレーションのような黒字倒産です。経常利益が600億円もありながら、「**銀行が手を引いた」というだけで、他の銀行もいっせいに手を引く横並びの融資行動は日本の銀行の特徴ですが、こういうとき最後の安全弁になっていたノンバンクがなくなたっため、solvent but illiquidな企業の倒産が増えているのです。

もちろんつなぎ資金を借りても最終的には倒産する企業もあるでしょうが、自力で何とかしようとする企業の資金調達の道をわざわざ絶つ必要はないはずです。そういう企業は結局、闇金融に行くしかない。木村氏によれば、これまでの闇金は金利29.2%のノンバンクとの競争があったので、50%とか100%とか常識的な金利に抑えていたのが、今は競争がなくなったので、年利1000%以上という業者がざらにあるそうです。もちろん、こんな業者に引っかかったら確実に倒産です。

=====

アーバンコーポが倒産したのは、こんな話ということかな?

④銀行が一斉に手を引く横並び(日本の銀行の特徴)
⑤ノンバンクがあれば助かった
⑥法改正前の29.2%の金利なら借りられた

どうしてこういうウソを並べられるのか、不思議だ。

企業の資金調達先が銀行だけなわけないだろ(笑)。現実に社債等の直接資金調達をやっていたんじゃないの。銀行が貸せないとしても、社債が売れれば資金は入るぞ(笑)。

④の横並びだから、というのは出鱈目だろうね。倒産しそうな企業に追加融資する銀行があるというなら、別だが。いや、銀行じゃなくても、ノンバンクでもいいんだけどさ。潰れそう、という評価をすれば、貸し手は銀行だろうが、ノンバンクだろうが、金利が40%だろうが、貸さないっての。

金利50%で貸して、半年後に返ってくるなら貸す、ということはあるかもしれんな。だが、誰もそれを選択しようとはしなかったんだろ?どうしてなのかといえば、到底「将来時点で金の入ってくる見込みなどない」と考えたからでしょうな。そりゃそうだわ。それが商売ってもんだ。資金繰りが行き詰ったのは、そもそも社債が格下げで金利が大幅に上がってしまい、焦げ付きそうだというのが知れ渡ったからだろう?価格のシグナリングがきちんと機能した、ということだわな(笑)。だからこそ、市場の予想通り倒れたわけで。MSCBとか、そういう直接資金調達に賭けてみたものの、これもアウトだったわけだろ。

短期資金のやりくりで、1000~1200億円をどうにかできれば、そりゃあ倒れなくても済んだかもしれんな。だが、長期債務とか、償還前の社債等を除いても、資金が調達できないとなれば、それは厳しいということになるわけで。ノンバンクが1千億円級の貸出を引き受けるというなら、投機的資金としてやれないこともないかもしれないが、まあそんな規模の資金を出せるわけないし。おまけに、出すだけ出しても、回収見込みのない金なら、無理なんだって(笑)。ああ、池田なら、貸出金利が40%とか50%なら「黒字だから倒産せずに返済できたはずだ」と妄信しているのかもしれないね。そんなもんは、法改正に無関係なんだよ。社債の金利がたとえ30%だろうと50%だろうと、買い手がいて資金が入ればいいだけなんだから。

社債には、上限金利なんてもんは存在してないだろ。
そんなに儲かる貸出なら、みんな大喜びで殺到するんじゃないのか?(笑)
必要資金が当座の800億円として、金利を40%でも50%でも設定して償還額面分を売り切ればよかっただけじゃないの。どうして、それができなかったか、というと、償還されないよね、と大多数が考えたから、だろ。そんなの貸金業法の上限金利水準には関係ねーんだよ。改正もクソもあるかっての。


池田の解説はトンデモないものなのに、引っ掛かる人たちがきっといるだろう。
可哀想に。



迷走する国家戦略局構想

2009年09月26日 13時14分11秒 | 政治って?
やはり、当初の予想が現実になってきたように思う。官邸に人数を増やせばいいというものでもない、ということか。むしろ、「何をどうしたいのか」ということについて、うまく仕事を分けていかないと機能しないのではないか。単なる手柄争い、主導権争い、ということになれば、安倍政権の時(肥大化する官邸?)と同じく、失敗に終わるのではないかと思う。

かつて、「ゴレンジャー」と呼ばれた補佐官5人衆は、結局成果を挙げることなく鳴かず飛ばずで終わった。しまいには、「フールファイブ」という、まさに「官邸の失敗」の象徴として語られることになってしまった。このことを肝に銘じておく必要があるだろう。

(以下では、国家戦略局ないし室は『戦略局』、行政刷新会議は『行刷』、政府税制調査会は『税調』と略して呼ぶことにする)

とりあえず、個人的な見方を書いておきますから。別に、財務省とか大蔵が嫌いなわけではないけど、どうも鈍感な政治家たちが多いような気がするので、一応、ということで。


①権益確保に一歩先んじた財務省&大蔵閥

動きの鈍かった菅副総理一派に比べて、財務省は迅速に行動した。投票前から、選挙結果の読みを固めて「民主党」サイドにうまく擦り寄っていたのは、財務省勢力だった。こうした情報収集能力や、時の権力にうまく取り入り、時流に乗ってゆく能力というものは、流石に大蔵と思わせるものがある。常に全ての省庁の頂点でなければならないし、権力の中心に位置取りをするということも必須であるからだ。
ダテに厳しい出世競争を経てはいないというわけである。変わり身の早さは他省庁に抜きん出ており、素早く損得勘定を弾き出して、うまく立ち回る手法をよく心得ているようだ。マヌケな農水省とかは、事務次官さえもが民主党批判をいつまでもやっていて、わざわざ睨まれたいという役回りを買ってくれたほどだ(笑)。国交省は農水省よりもマシではあったが、自民党有力者(所謂”族議員”連中だ)の庇護の下に馴れすぎていて、体制転換が遅れた。というよりも、単なる頭の回転速度の問題であるかもしれない(笑)。

こういうことでは、出世などできんのよ(現実はどうなのか、全く知らないけど)。
まあ、いいか。


で、OBの藤井大臣をうまく味方に付けて、先手を打ってきたのである。
例えば「亀井大臣がこのまま暴走を続けると大変なことになってしまいますよ。それでもいいんですか?」とか言われりゃ、そりゃあ普通の見識ある大臣ならば、「イカン、イカン、”財務省”が頑張って何とかせねば」となりますわな(笑)。他にも、「予算編成の素人集団でしかない、戦略局にやらせていいんですか」とか言われりゃ、イカンイカン主計局がやらねば、ということになるわけなんですよ。これが財務大臣の心理、というものです。そこを衝かれれば、「財務省官僚の権益を守る為に、財務省がコレコレの仕事をします」と言うのと、全然違うでしょ?
平たく言えば、「メチャクチャにされちゃっていいんですか」「杜撰な仕事をさせておいていいんですか」みたいに、良心の疼くような攻め方をすれば、そんなに難しい話じゃない。だからこそ、結果的には財務省権限の確保に繋がってしまうような話であっても、ついつい「財務省がやります」というふうに大臣が言わざるを得なくなるわけなんですよ。藤井大臣がそうされたかどうかは知りませんが、誰でも思いつく話ではないかな、と。

現在のとこと、戦略局はスタートラインにすら立ってない、行刷も何から手を付けていいのか考え中、というような有様で、財務省はまんまと出し抜けた、ということですね。財務省はむしろ、戦略局と行刷のバッティングというか、潰し合いをさせることを狙うに決まっている。両方の縄張り争いとか、権限争いとか、そういうのに成功すれば、両者を尻目に予算編成などの仕事を着々と進めることができ、結果としてはそれが有力な既成事実を作り上げることにも繋がるからである。菅vs仙石は、最も望むところ、ということになるでしょう。

まあ、昔から「勘定方」というのは、転んでもただでは起きない、というところでしょうか(笑)。
算盤を弾くのが、お得意なようで。


②「戦略局潰し」の為に税調をぶつける

財務省のとった作戦とは、戦略局の動きを封じる意味においても、まず「収入」を押えることだった。
仙石大臣あたりだと、財務省の狙いまでは頭が回らないのだろうと思いますが、行刷は端的に言えば「削る」方なんですよ。削り一方。これはどういうことかと言えば、出口の方を絞るという役回りで、民主党が大好きな「無駄を省く」というスローガンそのもの、ということなんですよ。しかし、民主党のお偉いさんたちの殆どが支出ばかりに目を奪われているけれども、現実には、収入の部分というのがとても重要なんですよ。来るべき増税という財政再建派の悲願ということもあるかもしれません。

前に、財務省の一部についてぶっ壊されてみたらどうかという冗談を書いた(こういうのや、このへんとか)ことがあったけれど、「入口」の部分の決定権限について実権を奪われるというのを、財務省は何としても阻止したいということなんですよ。

自民党時代には、「俺の目の黒いうちは…」みたいな、税調の妖怪が存在していた。党税調のドンだった、山中何とかみたいな議員が目を光らせていたわけですよ。だから、政府税調の重きはなかったし、実質的には骨抜きにされてきた、ということがあったわけです。この歴史に終止符を打ったのが、民主党政権なんですよ。財務省にとっては、願ったり叶ったり、ということに他ならないわけです。つまり、「(政府)税調最強」ということが、出来上がったということになります。かつての「党税調は死んだ」ということなのですから。

この頭を跳ねることができるのは、恐らく戦略局だけではないか、ということになるわけです。
あとは、ここを抑えれば「財務省天下」を守り通せる、と踏んだのだろうと思いますね。だから、戦略局には、いつまでも眠っていて欲しい、実質的な権限を発揮させないように官邸同士の縄張り争いとか混乱とかで「有名無実化」して欲しい、と願うに決まっているのです(笑)。その為の手練手管はいかようにもやりますよ、というのが、財務省の思惑だろうと思いますね。面従腹背、まさにこれ、ということではないでしょうか。そこまで行かないにせよ、権限を失わないように、まず入口を確保、ということに動いたことは間違いないでしょう。

だって、戦略局は設置の法的根拠がまだないもの。
しかし、税調には既に政令である内閣府令があって、法的根拠が明確になっているからね。その仕切りは、長年財務省という管轄だったわけで、総務省の自治局というのもあるにはあるが、実権としては主税局が握っているはずですから。ここを軸とする、というか、テコにして、金の入りというものをまずコントロールしましょう、という腹づもりではないかと思いますよ。その後に控えるは、いずれ「出る方」もコントロール下に戻しましょう、ということになりますわな。


③無駄を削るのは、永続できない

行刷が何年か存在していると、前年の予算を査定したのは自分たち、ということになるわけだから、その後にも「無駄がある」なんてことになれば、それは「お前ら、自分の責任じゃないか」ということになるだけですからね。家庭の家計でも同じですが、無駄を見直しましょうということで、仮に生命保険料の見直しとかお父さんの小遣い見直しとか、1回やってしまうと、その後にはもうやるべき「見直し・無駄を省く」という部分なんて、あんまり残ってないもの(笑)。つまりは、いずれはネタが尽きてゆくはずでしょう、ということになるわけですよ。

そうなれば、いずれ行刷の権限縮小となってゆくのは、火を見るより明らか。民主党の大好きな「特別会計の無駄があるじゃないですか」というのを全部切り終わった後には、「○○に無駄がある」の論法は使えないというのは当たり前ですもん。○○を決めたのは、自分たちじゃないか、ということなんですから。

なので、行刷がもの凄く頑張ったとしても、頑張れば頑張る程に、早く権限を消失してゆくということになりますわな。
となれば、財務省復権はそう遠くない未来、ということになるでしょうね。だから、当初は張り切って「無駄な予算を切る」という民主党議員たちの意気込みには逆らわず、協力的な対応をしておけば、数年後にはまた「元に戻れますね」という感じになるんじゃないですかね。


入口を確保するのには、もう一つ重要な意味があって、歳入庁構想というのがありましたけれども、ここでもやはり財務省の権限範囲を守る意味があるわけです。「国税庁」という財務省一家のことですので、ここの権益を手放すわけにはまいりません、ということです。


④戦略局は財務省の壁を超えられるか

政治主導云々ということを実現しようと思うなら、財務省の権限を超える地位を確保する以外にはないのである。それは、法的根拠ということにおいてもそうなのだ。財務省の上位に位置するということになっていなければ、単なる諮問機関の一つとして終わるだけになるだろう。

さて、今後にそういう法律を制定できるか、そんな法案を考えられるのか、というのが、戦略局の命運を握るポイントになってくるのではないか。民主党には、弁護士さんも豊富にいるようだから、一本法律を書いてあげればいいよ。ああ、福島大臣もそうだったか。法曹の頭数が揃っていても、あんまり役に立たないということなら、司法試験制度に疑念を持たれるかもしれないよ。
法科大学院でもういっぺん勉強しなおしてこい、ということか(笑)。




八ッ場ダム問題に関する雑感~その5(水利権のこと)

2009年09月25日 13時57分47秒 | 政治って?
今回、初めて知った。
日本にダムが求められたことには、歴史的な経過や訳があったということになろうか。それが、延々と続けて良いというものではないことは確かであるが、昔からの様々な問題があったことは確かだ。


①水を巡る激しい争い

基本的に主要産業が農業だった、ということがあるだろう。しかも、水田なんかであれば、畑とは違って水をたくさん使ってしまうのだから。川に沿う村同士では、水の利用を巡る争いが絶えなかった、ということになろうか。特に、旱魃などが発生すると極端な水不足となり、飢饉という惨事がそうした争乱を助長してしまうことになってしまうのだろう。農民たちにとっては、本当に命をかけた死活問題だからだ。

有名なものとしては、紀の川市というところの水争いがある。
紀ノ川の支流にあった水無川(名手川)の権利争いは、鎌倉幕府や朝廷などをも巻き込んで、室町時代まで続いていたとされる。数百年に及ぶ闘争(笑)、ということだ。それほどまでに、農民たちの水を巡る確執というのは、根深いものがあったということの証であろう。

他にも、明治以降になってさえ、奈良県と和歌山県の水争いは続けられてきた。徳川時代の御威光によって、紀州に権利があったので、上流の奈良側では水を使える権利が乏しかったのである。これが戦後まで続いていたというのだから、水の利権は本当に根深いものなのである。

参考:そしてプルニエ協定へ ―奈良県・和歌山県 国営十津川・紀の川土地改良事業 ―水土の礎

こちらも。
水の歴史奈良県公式ホームページ

『長い間、水不足に苦しんできた大和平野の人々は、吉野川の水を引きこんで水不足を補おうと考えました。今から300年前、元禄時代のことです。
以来、吉野川あるいは宇陀川の水を大和平野に導こうという計画は何度もたてられ、あるときは測量 まで、またあるときは工事の着工にまでこぎつけましたが、いずれも実現にはいたりませんでした。
多額の費用がかかることや、下流の人々の反対にあったことなどがおもな原因ですが、今日では、想像もできない大がかりな土木工事であったことがうかがえます。』

どうです?似ていませんか?
何度も計画が立てられ、調査・測量・着工まで漕ぎ着けても「中止」、多額の費用がかかる、下流の人々から反対にあう、まるで今の八ッ場ダムのことを言っているのではないかと思いませんか?

300年前から、何も変わっていなかった、ということでしょうか(笑)。


②慣行水利権

非常に苛烈な争いを招き易い水利権は、明治29年制定の旧河川法以前にあった、水の利用に関する権利は慣行水利権として法的に認められるということになったようだ。つまり、昔から利用しているぞ、という権利主張者がいれば、それは合法的に権利が認められるということで、こうした水利権は非常に強力な「既得権益」となったわけである。

これが定められる以前の紛争などでは、暴力的実力行使(一揆、隣村などの水利用妨害、堰の破壊、灌漑路の流入口封鎖、敵対勢力(他の村人など)の排除、等々)もあったが、慣習的に定められた利用秩序のようなものがあったのだろう。それが重視された、ということになる。なので、昔ながらに「利用する権利を有する人々」というのが最強であり、水利用の権利の一部を分けてもらうとか、権限者たちに許可を得て下流で利用させてもらうとか、そういったことが行われていたのであろう。

だから、水利権を巡る戦いというのは、昔からあった、そして、それは苛烈な争乱であることも珍しくはなかった、ということである。


③ダムはこれらの解消策として求められた

水利権を巡る争乱を減らすには、利用しやすいような体制に変えてゆくしかなかったであろう。だからこそ、昔の農業人口の多い時代の方が農業用水需要は多かったであろうし、ダムを希望する声は多かった、ということになるだろうか。

度々大きな天災に見舞われたり、旱魃に遭ってしまうと、水への執念が深くなってゆくのも当然だろう。それこそ、生きるか死ぬかの問題だからだ。渇水に関する悲劇は多かったし、雨乞いなどで「人身御供」といった残忍行為も行われていたであろうしね。

参考までに、こんな話があるらしい。
さぬき暮らし Tags 讃岐の一揆・騒動

『工事途中で、藩の奸吏がうそをついて工事の中止を命じた。
しかし村長は中止の命をうけておらず、村人山地卯兵衛は同謀者十余名と藩に訴え出たが決着がつかずかえって藩命を軽蔑するという咎により、獄に入れられた。
山地卯兵衛は、獄中のひどい拷問にも屈せず、苦難に耐えた同謀者や村民は憤激してこのことを隣藩丸亀の司直に願出ようとしたことから、さすがの奸吏も遂に窮して工事は安政三年十二月旧図の通り営築され、上葛原村の水は再び南加茂村に流れ注ぐようになった。』

多度津藩の奸吏が「工事中止を命じた」というのは、今の八ッ場ダムと似ているな(笑)。


現代に必要性がどれほどあるのか、というのは、個別に判断が分かれるところではあるだろう。ただ、水利権は複雑であり、執念深いものがある、というのが日本の歴史的経緯だったのだ、ということは念頭に置く必要があるだろう。


それと、ちょっと離れる話になるが、八ッ場ダム問題について、川が酸性だったので中和していて、これが無駄なんだ、というお説があるようですが、本当にそうなのかどうかは見解が分かれる可能性はあると思うが。

品木ダム - Wikipedia

確かに中和する為のダムが設けられていて、これが「ムダなダム」と言う人たちもいるだろう。だが、下流域に酸性水が流れていってしまうと、「死の川」となってしまうことだってあるよ、というのは考えるべきだろう。記事中にあったように、同じような酸性の川は例えば北上川があるが、中和によって農業用水として使えるようになり、稲作で発展できたのだからムダとも思えないものである。それとも、北上川の中和策がやるべきでないことだったと言うのか?

玉川の場合には、中和することなく酸性水を田沢湖に流し込んでしまった(戦時中のことらしい)ので、玉川だけではなく湖も生物が死滅してしまった。その後に中和策が行われるようにはなったけれども、未だに酸性度は回復していないとのことだ。なので、中和することがまるで意図的な悪事のように言う人はいるけれども、そうともばかりは言えないのではないか。八ッ場ダム問題に関して、中止の正当化に使っているのではないか。

吾妻川を酸性のまま流した場合の下流域の影響がどうなのかを、本当に評価した結果、「品木ダムは不要だ」というように言っているのかどうか、疑問である。普通に考えれば、温泉地の水が流れ込んで酸性のままの水が流されれば、悪影響の方が問題になったりするのではないかと思うが。川の中の生き物だけに限らず、川に沿った地域の植物にも悪影響となるだろう。


これまで記事を書いてきて思ったことは、簡単なことではないのだな、ということだった。
川、ダムといった話だけれども、それぞれに複雑な事情とか、複雑な権利関係とか、歴史的背景とか、そういうのが絡み合っている結果なんだ、ということは感じた。

勿論、こういうのに便乗して利権にありついたり、金を懐に入れたりといったことが行われてこなかったわけじゃないと思う。業界にしたって、橋梁談合に見られた如く、そういう蜜に群がろうとしてきたというのもあったろう。地元の首長たちにしたって、色々ありついたんだろうとは思う。そうだとしても、簡単に「悪者」を見つけ出してきて、これが悪の原因だ、と特定できるものとも思えなかった。



八ッ場ダム問題に関する雑感~その4

2009年09月24日 17時35分35秒 | 政治って?
昨日、偶然にも「連合赤軍」に関するDVDの鑑賞記事を書いたが、時期的にはそういう時代(笑)だったんだ、というのがふと思い当たった。成田闘争とかのことも、チラッと出てきていたしね。

よく「9.11~~」みたいな、日付入りの記事見出しとか、メディアでの言い回しとかあるわけだが、映画の中で連合赤軍のメンバーの連中が、誇らしげに語っていた「12.18 ○○闘争」みたいなものとか、「2.26 ○○決起集会」とかそういうのと全く同じなのだな、と思ったよ。そうか、そういう時代を過ごしてきた人たちが、もっと年長になった時に書く記事というものが「そういう見出し」を飾るのだな、と。

そういえば、ソ連が存在していた時代だと、「○○連」みたいな、最近ではまず見かけないような集団名が付けられていることがあったよね。あれも、流行り廃りがあるのかもしれないが、記事見出しなどでは「○○連を結成」みたいな感じで割と見かけたような気がする。けど、ソ連崩壊後には、「○○連」みたいな名称の団体は少なくなってきたのではなかろうかと思う。似た感じで残っているのは「○○連絡会」みたいなのかな。略した時には、「○○連」になるから?

共産主義運動とか、社会主義運動が盛んだった頃であれば、「○○同盟」みたいな団体名とかもあるのな。近頃では、まず見ることのないものだろうけどね。


本題に戻ろう。

八ッ場ダムの反対派の活動家たちっていうのは、実は、「地元にいない人間」が大勢いるみたいなんですよ。
「八ッ場ダムをストップさせる茨城の会」とか、東京都や関係5県とかに存在するみたいなんですよ。で、ネットで見つけたのは、事務局の神原晴美氏は次のような文を載せていました。

『この住民訴訟は「市民運動」のひとつの手段です。主体はあくまでも「市民運動」です。したがって最大の役割は、「裁判の傍聴」です。ガラガラですと裁判官の心証が悪くなります。マスコミに軽視されます。傍聴席を埋め尽くすことが重要です。』

つまりは、ダムの設置がどうとか地元の住民がどうというような話ではなく、単なる「活動」に利用しようとする人たちもいる、ということです。それは、「市民運動」というような美名を装った、連合赤軍時代にもあったような組織的反権力(=反政府、反官僚)闘争に一般人を駆り出す「活動」なのだ、ということです。よくネット上で「工作乙」とか言いますけれども、これは、一部は本当に「工作活動」だったわけですよ。

反対派住民は、自分たちが利用されているのだとは直ぐには気づかないのです。そこを利用して、一般人を組織化し、反対活動を強化し、部外者が反対行動を乗っ取ってゆくわけですよ。地元住民の意思からも、地元住民の手からも離れた所で、”プロの活動家”たちが反対運動を繰り広げて、徒に泥沼化させ長期化させる、という反権力闘争なんですよ。それが行き過ぎると、「革命戦争の前段階」みたいな妄想に結びつくわけですよ。


ダム闘争というのが、何故これほどにまでにこじれてきたのか、ということについて、少し見てみましたよ。


①「反対運動」の陰に潜む反権力的活動

成田空港について、どうしてあんなに「バカなこと」が延々と続けられていたのか、学生時代のぼくにはまるで判らなかった。でも、反対運動をやっている活動家の人たちにとっては、何らかの意味があるものなのだろう。ああいう運動が典型例なのだと思うが、専門の活動家みたいな人がずーっとやっているわけですよ。で、塔みたいなのを作り、櫓みたいなものを建て、立て籠もりを継続するわけだ。それが、権力への挑戦だ、権力との対峙だ、みたいなことを言い続けるわけです。

あのような運動は、当初の地元の反対派たちにとっては予想できなかったことでしょう。外部からやってきた「市民運動」の賛同者たちが、実は反政府的テロ活動を行うような「過激派」(或いはモドキ)だったとは、誰も考えなかったでしょう。けど、現実には「革命運動」の一環みたいにして、無垢な一般人を組織化し反対運動へと煽動してゆくという、基本戦術が行われていたわけですよ。成田空港はそういうのに利用されたのだ。だから、赤軍派だの連合赤軍だのの活動家たちは、象徴的にああいうのを語ろうとするわけだ。それこそ、「総括」云々(笑)とか言い出すわけだ。地元民にとっては、まるで関係ないことなのに、市民運動推進と称して反政府活動に加担させようとするのである。


②蜂の巣城紛争

ダムの反対運動のモデルとなったのが、多分、この「蜂の巣城」だったのだろう。更に、成田闘争でも、同じような闘争手段が取られており、”城”を作る、交代交代で立て籠もる、警察権力などにも暴力で対抗する、など、似たようなものが見られるからである。

下筌ダム - Wikipedia


この中で、次のように記載されている。

『室原は現在でも見られる盲目的「ダム建設反対」論者であった訳ではなく、地元を如何に守り活性化させて行くかを最優先に考えていた。故にダム建設後の町の在り方を反対運動の最中にも考えていた。建設省幹部との交渉・交流の中で室原は周辺整備についての意見を度々行い、地域住民が利用しやすい道路整備、湖水との景観に配慮した橋梁・トンネルの建設、観光資源活用のための遊覧船就航等を要望し、それらは全て建設省によって取り入れられている。』

これは、どういうことかを平たく言うと、「ゴネ得」を勝ち取る、ということである。
建設省が考えていた当初の住民補償だけでは”足りない”、だから、もっと勝ち取ろうとする運動なのである。これにより勝ち取ったのが、「周辺整備」「道路整備」「橋梁・トンネル建設」「観光資源活用の為の措置要望」といったものだったのだ。周辺との調和と称して、「橋の色」にさえも口出しした、ということらしい。

要するに、ダム工事に当たっては、周辺整備を進めさせ、地元の地域振興策をやらせる、という方向性が定まっていったのだ、ということである。法整備(水特法)さえも実施させることに成功したのだ。これを獲得したのは、過激とも言うべき地元民を巻き込んだ反対闘争だった、ということである。


特筆すべきは、地元民には全く無関係な、労組系組合員たちとか、活動家と称する連中などが大挙して推し掛けてきて、ダム建設反対運動というのを盛んにやっていった、ということである。

ダム反対運動の本態というのは何か、ということになると、こうした部外者であって、地元利益には関係のない連中が泥沼化させる運動を行うのだ。だから、気の遠くなるような年月が浪費されてきたのだ、ということだ。参入してくるのは、労組系とか、共産系の活動家たちなのだ。そういう連中がやってきては、引っかき回し、市民運動だの抵抗運動だの思想カブレみたいなものでもって若い世代の人たちを巻き込んでいったのだ。

建設省が、「地元配慮」ということになっていったのも、こうした過去の経緯を踏まえてのものであろう。地元住民の反対を受ければ、強行することはできない、ということに傾いていったのだ。だからこそ、反対闘争が長期化していったのだ。


③プロの活動家たち

こちらのインタビュー中に次のような下りがあります。
Forum - 非暴力の政治的市民運動と自由 - 幻のダムものがたり/緒川ダム - 小林茂


□反対運動のオーガナイズにあたって主にどのような段階をふまれましたか。

― 緒川村も反対、美和村も反対、結局一緒にやろうということで連絡取ったんですけど、組織としては、こっちは「緒川村ダム対策協議会」むこうは「ダム反対期成同盟会」という形で最初発足したんだ。関係者は全部組織の中に入ったから。こっちは私が会長やって、美和村は村長をやっていた相田さんという、65-6歳ぐらいだったかな。その人が会長をやったんですよ。それで、一番気をつけたのは、全員をまとめて組織に入るということと、あの当時は成田(空港)の問題もあって、あんなの見ていると、外部からの援助、それをお断りした。シャットアウトした。成田は過激派がね反対運動の中に入ってきた。それと、社会党や共産党、自民党はこれは賛成派だからね、問題外としても、ここでは純粋に地元だけでやってゆこうという考え方だった。


□外部の力を拒否されたのは、恐怖を感じていたからですか。

― 恐怖はないけれど、外部から来る人は頭いいじゃないですか(笑)、外部から来る人はプロですからね。ああいう反対運動、革マル派だとか、共産同盟青年なんとかだとかいわゆる過激派、彼らは頭良いし運動のプロですから、こういう純朴な農民の中に入ってきたら、我々地元の組織が潰されちゃうんですよ。引きずられて、だめになっちゃう。過激派学生からの援助申し出もなかったですけどね。

======


八ッ場ダムの反対運動というのが、こういうプロの活動家たちが来てやっていたものか、知りません。けれども、連合赤軍が群馬、栃木、神奈川などの山中にベースを作って移動していたりしていたことを考えると、関東圏の山間部に活動しにやってくることなど造作もないことだったのではないかな、と想像しますね。昔の反対運動の映像がニュースなどでチラッと流れていたりしたように思いますが、ヘルメットに手ぬぐいという、まるで労働運動とか安保闘争とかの時の姿とあまりにも重なりますもん。恐らく、地元民ではない、プロの活動家たちが入ってきていたのではないかな、と。


それから、04年以降の八ッ場ダム反対の住民訴訟ですけれども、これも、ちょっと引っ掛かるものがあるのですよね。似ていると思いませんか?

「住民訴訟で一斉蜂起」というのが。
昔の活動家たちは、デモ隊とかで実力部隊でやっていたんだろうと思いますけれども、ソ連崩壊後にはそういうのが流行らなくなっていったことに気づいたのでしょう。一般市民がついて行けなくなっていったし。というか、バカバカしいのでヤル気にもなれない、ということだろうと思いますけど。
そこで、方向転換を図っていったのではないでしょうか。
それは、法廷闘争ということなんですよ。

ターゲットは色々とあるので、政府・行政側を攻撃できる「市民活動」と名のつくものであれば、何でもいいのです。大企業が標的でもいいんですよ。
ダム反対の住民訴訟による一斉蜂起は、まさにC型肝炎問題の一斉訴訟提起と似ているんですよ。時期が違うというだけ。02~03年頃というのが肝炎問題、八ッ場ダム問題は04年頃ということです。

標的とする薬剤が「陣痛促進剤」であろうと、「フィブリノゲン」であろうと、別に構いやしないのですよ。産科の訴訟件数がどうしてあんなに多かったのか、というのが、やはり予想していた部分はあったわけですよ。因みに、永田死刑囚は薬科大卒だったそうですね。ただの偶然だろうと思いますけれども(笑)。

茨城の会の神原氏の言うように、あくまで「市民活動」なんですよ。狙いは、市民を組織し、反権力闘争へと一般市民を巻き込んでゆくことが大事なのだ、ということでしょうね。


◇◇◇◇◇◇


個別の内容がどうのという話ではない。
ダムでも、肝炎でも、陣痛促進剤でも、内診問題でも、何だっていいわけなんですよ。活動家の領域さえあれば。標的となる、政府や官僚や大企業を攻撃できるものであれば。




八ッ場ダム問題に関する雑感~その3

2009年09月24日 13時16分56秒 | 政治って?
地元住民を愚弄する政治家たちの勝手気ままが、今の混乱を招いていると言っても過言ではないだろう。
責任追及を求めるコメントが再び出されていますので、昨日の群馬県知事が語った過去の事実について、見ることにする。

八ッ場ダム 国交相が視察 「建設中止は白紙に戻さず」(毎日新聞) - Yahooニュース

『大澤知事は、95年に同ダム事業の協定書を締結した際、「自社さ政権で鳩山総理や前原国交相も一員だった」と指摘、新政権の対応を批判した。この点について前原国交相は会合後の記者会見で「批判は甘んじて受けなければならない」と述べた。』


当時の与党の連中が予算を通したから執行されたというのに、その責任を今になって地元に押し付ける、ということだ。詐欺みたいなものだな。国家の行う、壮大な詐欺。


群馬県側の言っているのは、例えばこんな話であろう。
群馬県 - 産業・労働 - 【主要事業】関連道路整備事業

こうした工事の着工時期が平成7年度とか平成8年度だったということを、群馬県知事は言っていたものと思う。

さて、こうした事業が行われる為には、平成7年度予算とか、平成8年度予算が通されなければ、建設工事には至らないわけである。どんなに官僚たちが計画を作ろうとも、悪賢い役人たちが陰謀を練っていても、それらは予算が認められて「GOサイン」が出されないと実施することはできないわけである。これに関わっていた人たちは、「さきがけ」という与党側にいた鳩山、菅、前原という国会議員たち以外に、一体誰がいたのかということを見ることにしよう。


95(H7)年度とか96(H8)年度の予算は、前年くらいに策定されてゆくだろう。
当時の自社さ政権の陣容を見ると、次のようになっていた。

94.6.30~95.8.8
・建設大臣:野坂浩賢(社会党)
・建設政務次官:簗瀬進(社会党)

つまり、民主党に合流してくる前の、民主党勢力の人々とか旧社会党勢力が、最も重要な決定権限行使のできる建設省の大臣に就任していたのだ、ということ。更には、政務次官も現役の民主党議員だったではないか。何故、当時の建設計画を破棄させ、工事を完全ストップしなかったのか?
野坂大臣は長良川の河口堰を運用開始を決定した大臣らしい。2人の社会党議員がいて、しかも建設大臣と政務次官が揃っていながら、建設事業計画を推進させた、ということだ。予算を組んだのも、こうした行政の責任者だ。

事務次官には、あの”藤井治芳”が就いていたようだ。小泉政権下での石原行革担当相との激しいバトルで一躍有名になった、道路公団総裁の人だ。石原に解任されてしまったが。


また、当時の群馬県選出の社会党系議員には、角田義一がいた。
参院の副議長にまで歴任した民主党の大物参議員で、群馬のドンというような存在だったのではないか。政治資金規正法違反に関する疑惑で引退したらしいけど。この角田参議員も、自社さ政権下での群馬選出だったわけだ。当時に反対すればよかったものを、何故建設計画を通すばかりか、群馬県の道路工事着工に加担したのか。



今、ダム問題で揺れる地域というのは吾妻郡にあって、東吾妻町とか長野原町とかが含まれている。この選挙区というのは、昔から激しい自民党内の競争があった地域で、旧群馬三区という時代が長く続いてきたのだ。

旧群馬3区からは、ご存知の通り、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三という3名の総理を送り出した「名門選挙区」と言ってもいいだろう(後の福田康夫を入れると、4代の総理経験者を生んだということ)。それほどの「自民党の牙城」と言っても良かった選挙区であったのに、ダム計画は簡単には実行に移されることはなかった。地元民が反対していたからだ、ということになろうか。
総理大臣という行政の最高権力者が出ているのに、権力者の意のままに「自由にダムを建設する」というようなことには、安易には実行できなかった、ということだ。

もしも、コメントにあったように、権力を握っている連中が好き勝手に計画をし簡単に実行に移せるのであれば、これほどの長い時間が経過するということにもならなかったかもしれない。反対闘争など無視して、好き勝手に推進できても良かったのではないか、ということである。だが、総理が3人も生まれたにも関わらず、工事が簡単には実施されなかった(小渕さんは95年には総理になる前だから、ちょっと違うけど)。

逆に、社会党議員が建設大臣になった途端に、群馬県の道路工事はあっさりと推進された、ということだ。
中選挙区時代の福田、中曽根、小渕の争いの他では、社会党の山口鶴男が選出されていた。この議員も自社さ政権下では、総務庁長官で入閣していた。今の総務省が行う行政評価のような役割を与えられていたのが総務庁であり、各省庁の監視監督をする立場にあったのだ。この最高権力者の地位に就いていたのが、山口鶴男であり、地元選出議員だったのだよ。

もし、自民党系の族議員たちが工事を推進しようとしていたとしても、こうした山口総務庁長官や角田義一参議員が徹底して中止を求めればよかっただけではないのか。更には、建設大臣の野坂浩賢大臣や簗瀬進政務次官が、絶対に認めないとして中止させればよかったんじゃないのか。


こういう責任は、何故問われないのか。
認めたのは、今の民主党系の議員たちだったではないか。

連立与党内の「さきがけ」にいた、鳩山、菅、前原の責任はどうなんだ?
それを、今更になってひっくり返すとは、どういう了見なのか?


都合が悪くなれば、何でも「自民党の責任」か?
それとも、悪い役人たちとか、官僚のやった行為か?

社会党なんだよ。
こういうのをやっていたのは、社会党議員たちだって同じだったろ?

横路が許せないということを言ったのには、ワケがあるんだよ。旧社会党とか、民主党にのれんを架けかえた議員さんたちはそれなりにいるだろうが、そういう人たちのやってきた政治に責任はあるんだよ、という話だ。

民主党議員たちが、過去の政治の失敗について、正直に告白したり懺悔したりすることなどあったか?
自民党政治を批判するのは別にいいが、まるで自分たちには何らの責任もなかったかの如く、知らぬ顔をしているというのも疑問である。


だったら、「ムダなダム」を責める前に、自分たちのやってきたことについて、まず「総括」(笑)したらどうだ?
過去の政治を反省し、真摯に懺悔でもしてから、中止に理解を示さない地元に意見を言うべきだろう。
民主党議員に責める資格などあるのか。


これが、日本の政治なんだよ。

国民は振り回され、犠牲にされるだけだ。




『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の感想

2009年09月23日 20時19分00秒 | 俺のそれ
かつての日本を知るには、良い教材となった作品。

熱病の如く日本を覆った学生運動とか、共産主義革命?志向とか、荒唐無稽な物語であったのだろうな、とは思う。

現在のテロ活動や騒乱にも似た状況は、日本で行われていたことなのだとは、にわかに信じられない。東南アジアのどこかの国の一つです、と解説されても「そうかもしれないな」と思うくらい。昔の映像資料が白黒なので、今とは違うなと感じる程度かな、と。


以前に「総括」というつるし上げみたいなのがあったのかな、と思って書いたのだけれど、まさか本当にそういう世界があったとは思いもよらなかった。ぼくはまだ小さかったから、よく知るはずもなかったけれど、いかにもそれっぽい人たちが日本人には多く存在したのだな、とは思った。


単なる狂気の集団、というのが、連合赤軍についての印象。闘争とか革命とか言うのも、妄想や洗脳の類ではないかとしか思えなかった。似てると思ったのは、まるで「オウム真理教」とかの狂信的集団とか。それとも、北朝鮮の洗脳教育みたいなものとか。近いものがあるように思う。


おぞましいリンチというか、集団殺人みたいなものは、日本人のイジメの基本構造をあまりぴったり反映しているように思われた。日本軍の軍人とかの、ああいう気質とかにも似たものがあるんじゃないかとも思えた。

自己批判せよ、総括せよ、そういう言葉の中に、狂信性みたいなものや極端に純化を求めるとか、他者との同調性とか、あまりに気味の悪い、到底思想とか哲学といったものと呼ぶことのできない、究極的「オタク性」っぽいものを感じた。


かつての日本人の若者たちが、どうしてあのような活動にのめりこんでいったのか、というのは、私にはよく分からなかった。
たとえて言うなら、現代の「アニメおたく」とか「鉄道おたく」とか「ネットゲーム中毒」とか、そういうのに熱心に取り組む代わりに、学生運動であったのかな、と。当時には、他の適したものがあんまりなかったから、ということなのかなと。

いずれにせよ、恐怖の狂信集団はいろんな時代に登場してくる、若者たちの中からそういうのに染まりやすくはまり込む人たちが出てくるのだろうな、と感じた。




八ッ場ダム問題に関する雑感~その2

2009年09月22日 14時26分55秒 | 政治って?
前の記事に、いくつかコメントを頂きましたので、お答えを兼ねて書いてみたいと思います。
コメントを一部再掲いたします。

一つ目がこちら。

>今まで関わった政治家を全員政治の世界から永久追放したらいいんじゃない
>それぐらいの責任を持たせないと政治家なんて変わらないでしょ


次がこちら。

>そもそも今回のダム中止最大の被害者は地元住民ではなく、我々国民であるということ。
>我々の血税が、無駄に使われコンクリートの塊になってることを憂慮すべきだ。
>元々、国交省の役人、ゼネコン、町役場、政治家、族議員らが、自分達の利権だけを考え、
>身勝手に無計画に税金を湯水のごとく使ったことが問題である。
>責任者、計画者、実行者すべての氏名を公表し、その責任の所在をはっきりさせ、その者達の資産凍結、没収を要求すべきだ。


コメントの印象としてはどちらも、トコトン「責任追及」、厳罰主義、といった感じです。そういうのが好まれるのかもしれません。こうした傾向は、コメントをされた方々に限らず、例えば「かんぽの宿」問題で西川社長の責任が問われた時に、出来レース的にオリックスに売却を決定したことよりも「そういう無駄な『かんぽの宿』を作った者たちの責任を問うべきだ」というような主張をしていた人間―例えば元大臣の竹中―と、非常に良く似ていますね。数十年前の、担当者・責任者たちの徹底追及を行え、という点において。


とりあえず論点を分けて、書いてみます。

1)悪かったのは誰か?

最初のコメントでは、「関わった政治家」が挙げられており、2つ目では、「国交省役人、ゼネコン、町役場、政治家、族議員ら」で、責任者、計画者、実行者全てについて、氏名公表、資産凍結、没収要求、といったかなり過激な意見が出されています。かなり広範囲に及ぶ人々の責任を問え、ということでしょうか。

さて、ダム事業はどうしてこれまで行われてきたかといえば、旧建設省とか国土交通省が推進してきたから、ということになりましょう。責任を問うた時に、何と答えるのかを考えてみるといいのではないでしょうか。

役人に尋ねました。「どうして八ッ場ダムを作ったんだ?」

 (ア)「予算がつけられたからだ」

では、どうして予算が国会で認められてしまったんでしょう?

 (イ)「与党国会議員が賛成したから」

与党での決定に影響を持っていたのは誰でしょう?
有力議員とか族議員とか、そういう政治家たちがいたから、でしょう。

では、どうして族議員等はそういう事業を推進したがるのでしょう?
地方の要望、首長や地方議会の陳情等の働きかけなどがあるから、ということかもしれません。更には建設業界等の利権団体の影響もあったのかもしれません。これらをひっくるめて、議員にとって有利になることといえば、何でしょうか?

 (ウ)「選挙に勝つ為の票になるから」

ということになってしまうのですよ。そういうのがあるから、議員はせっせとダム事業を推進したがる、ということになるわけです。議員が活動すれば、ダム工事で金が落ち、潤う人たちがいるから、ということになり、これに役人たちも協力しようとするからでしょう。


でも、元を辿れば、そういう議員を生み出しているのは誰か、というところに行き着くことになり、それは「選挙民が票を入れるから」ということになってしまうわけです。選挙民が、政治のカラクリなどについてよく知らなかった、ということはあったでしょう。政治の裏側で何が行われてきたのかということについて、よく知らないとか、無頓着に過ぎてしまったとか、色々な理由はあるかもしれませんが、地方の首長や地方議会議員たちも含めて、選挙民の多くが「愚かな選択を続けたからだ」ということになります。
ダム工事が無駄だと考えるのであれば、政権を交代させる為に社会党や共産党を選ぶとか、族議員を落選させるとか、そういう投票行動を行うべきであったのだ、ということです。また、そういう無駄を生み出す予算案を通させないような活動を、選挙民が行うべきであったということです。

究極的な答えとしては、「有権者たちの選択が誤りであったから」という所に行き着いてしまうわけです。この責任を問われずともいいのかということを考えてみるべきではないか、ということになるかと思います。

たとえ官僚とか役人たちの権限が強力で、族議員たちの悪巧みなどがあったとしても、いとも簡単には「身勝手に無計画に湯水の如く」税金を使えるほどの権力を有してはいない、ということです。手続き的には、法に則り正統性はある、ということなのです。これを今から「弁償せよ」ということで、財産没収とか言い出すのは、革命国家とかテロ国家みたいなものしかないのではないかと思います。
C型肝炎問題の時にも、旧ミドリ十字の資産を差し押さえろ、とか言っていた人がいましたが、そういう思想傾向も近いものがあるかもしれません。

政治家の永久追放というような厳罰も、何か「無駄な支出」を一度でも議決してしまったりすると、それで「お前は無責任だ、だから永久追放だ」ということにすべき、と言うのでしょうか。そんなに重い責任を持たされるのであれば、議員になる人はいなくなってゆくのではないかな、と思います。「ダメ議員を選んだ選挙民は永久追放すべきだ」ということにならないのは、どうしてなのかな、と思わないでもありません。自分の日常生活の中でさえ、「ああ、あんまり役に立たない○○を購入してしまった、私ってバカだな~」みたいに感じることはよくあるのではないかと思えますが、そういう「支出の選択」を毎回毎回完璧にしろ、ということを求めるわけですから。普通の人間には無理でしょう。しかも、40年後、50年後になってからでさえ、「当時に判らなかったお前が悪い、財産没収~!」ってなるわけですから。

それは恐るべき暴力国家ですよ。



2)「無駄になった」という事実を誰が証明できるか?

最大の被害者が国民であり、「血税が無駄になった」という指摘をする人は、コメントに限らず、かなりいるだろうと思います。だからこそ、ダムを中止せよ、と主張するわけですから。

ここで一つ、かなり厳しい質問をしてみたいと思います。
これから40年以内に集中豪雨による水災害が起こって、この流域に洪水が発生し、3人が死亡したとしよう。だが、ダムがあれば氾濫しなかったかもしれない。
この時に、「ダムに1千億円かかるよりも、3人死亡で済んだから、安上がりだった」と言えますか?
そういう覚悟で「ダムは無駄だから要らない」と言うべきだ、ということなんですよ。

仮に40年後に水災害が発生し、その被害額が3000億円になってしまうとして、これがダムがあれば防げるのであれば、現時点での1000億円投入は「無駄にはならない」かもしれない、ということを言っているんですよ。そういう将来時点での損失額をカバーできるかどうか、ということについて考える必要がありますよ、ということです。建設コストや維持管理に係るコストが発生するとしても、これから事業継続をした場合に必要となる金額が、将来時点で発生する水災害の被害・復旧コストよりも小さいのであれば、ダムの存在価値が「無駄になる」ということにはならないでしょう、ということを言っているのですよ。

更に言えば、将来時点で死亡する人の命の値段と、ダムのコストとの比較をせよ、ということを求められるわけですよ。
それが、本当にできていますか?
立ち退きを命じられる村々の人々は、多くがそういう苦渋の決断を迫られてきたのではありませんか?
「下流域の人々が洪水で死んだらどうするんだ、責任を取れるのか」ってね。
この時に、将来時点の失われる人命の重さを考えれば、ダム建設に反対するのは容易ではないわけなんですよ。ダムが無駄なんだ、2000億円の方が大事なんだ、という人々は、命の重さよりも「たった今、現在のお金の方を大事にしたい」と言っているのと同じなのだ、という自覚を持つことが必要ですよ。
このことの意味が、本当に判っていますか?


例えば平成16年に起こった新潟の水害は甚大な被害をもたらしました。数百億円、数千億円規模での被害額でした。それにもまして、尊い人命が失われました。中越地震災害も大きいものでしたが、水害だって決して甘いものではありませんでした。こうした被害を、ダムの存在がどの程度縮小できるのか、どのくらい防げるのか、ということは不確実な部分が多いので、正確に「金額に置き換える」というのが困難なのですよ。それでも、優先順位を定めて、できるだけ費用を圧縮できるように事業をスリム化せねばならない、ということなのです。

その為には、例えば単位時間当たり降水量の推定や条件設定による違い、流域・地域の耐性というか水増量に対する許容限度(?、正しくは何と言うか知りません)、下流域の経済規模や推定される損失額(水害を受けた場合に先端工場など地域産業にダメージが大きければ、防災対策の優先順位は上がる)、みたいなものを専門的に比較検討しない限りは、判定できるはずがないのです。他の水害対策では耐えられないのか、といったことも、一般人などに判るはずがないのです。

近年では、俗に「ゲリラ豪雨」と呼ばれる集中豪雨が問題にされますが、時間降水量が200mmで耐えられる治水対策なのか、それとも500mmに耐えられるようになっていなければマズい地域なのか、もっと許容限界を大きく取る為に24時間降水量を700mmくらいを想定すべきなのか等々、条件によって対策も優先順位も異なるでしょう、ということを言っているのです(数字は全くの適当です)。

こういう数字の検討や比較が、本当に出来ているのでしょうか?
これを理解して、「ムダなダム」と言っているのか、ということなんですよ。


今日の朝日の社説にあったようですが、伊勢湾台風の被害は甚大で、昔の治水は十分ではなかったからこそ、死亡や行方不明者が数千人規模であったわけです。そういう災害対策が改善されてきて、水災害で数百人規模の死亡といった被害は殆どなくなりました。昔みたいに、何百人、何千人と亡くなる人たちがいたのとは違うのですよ。こういうのは、何らの努力もなしに達成できるようになったわけではありません。治水等の河川の氾濫対策とか、大規模災害を食い止める為のノウハウ蓄積とか、そういう色々のことがあってこそのものだろうと思います。その一部には、ダムや堤防事業なんかも含まれているのですよ。こういうのが、必ずしも無駄だとかいらないということにはならないでしょう、ということです。それでも、毎年毎年、水災害で死亡する国民はいるのですよ。勿論、全部がダムで防げるものではありませんので、過剰な「警備システム」みたいになるのはよくない、という話であって、費用対効果の効率性も考えましょうね、というだけです。

ですから、責任追及や厳罰に傾いても意味がないし、ムダと決め付けるという姿勢や考え方をまず見直すべきで、もっとデータや数字をよく吟味してから、「必要性は乏しいですね」といった意見をまとめるべきではないか。
そういう落ち着いた意見が、ダム問題では全く見られない、ということを問題にしているのである。