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苦学生と教育者たち

2012年03月28日 08時22分43秒 | 教育問題
現代でもありがちなテーマであり、最近でも教育改革がどうこうとか言われたりするが、本当に大事なことが忘れ去られているのではないかと危惧する。

先日、たまたま古本屋で発見した面白い本があった。
昭和32年発行の『苦学生』という本だった。サブタイトルに、『試験苦、生活苦、恋愛苦を克服せよ!!』とあり、今も昔も変わらないのだなと思い、手に取ったのだった。


その巻頭に、中央大学総長の林頼三郎法学博士の「推薦のことば」が書かれていた。以下に、その一部を紹介したい。


=======

 綾部健太郎さん宅に、毎朝、新聞紙を配達をする可憐な少年があった。綾部さんはある朝、その少年の身の上を聞いたところ、家は農家で、父は教育者であり、十人兄弟の五男であるため、家からの学資を得ることが出来ず、新聞配達をして、中央大学法学部に通っているとのことであった。綾部さんはそこで、痛く同情し、生来の親切心から、なにくれとなく目をかけてやり、大いに激励した。この少年もまた、余暇の寸陰を惜しんで、非常に勉強したのであるが、何分、労働のために疲れもするし、勉強の時間も少ないので、思うようにいかなかった。ところがちょうど、大切な試験に際会した時、綾部さんはその少年の、辞退するにもかかわらず、試験前より試験中にわたって、自ら少年の代わりに、新聞配達をし、少年をして専心、勉強せしめたのである。その後この少年は、綾部さんの親切心に泣いて感激し、飽く迄も労働をつづけながら、死にもの狂いで、日に夜についで勉強し、在学中、高等文官行政科試験に合格、卒業と同時に司法科試験にも、見事パスした。

 綾部さんは間もなく、実業界より政界にはいり、代議士となり、大いに活躍を続けたが、この少年も、また、綾部さんの後を追い、弁護士より若干三十五才で代議士となり、国務大臣秘書官を経て、文部参与官となった。


========


田舎から出てきた苦労人の新聞配達少年に、見ず知らずの人が支援するという昔ながらの「暑苦しい人間関係」ということなのだが、驚くべきは試験勉強の為に、自らが配達を代わって行うという現代では殆ど考えられないようなことがあったのである。

教育とは、何なのか、若者を立派な大人にするのは、周囲にいる大人の支えと導きであって、若い者が役に立たない云々といった不満などは大人の責任ではないのかといったようなことがある。


この可憐な少年こそが、本書の著者である伊藤五郎という人であった。
後に、「大日本育英会」創設に尽力した人である。艱難辛苦の経験があればこそ、経済力のない学生にも、勉学を、教育を、と願った結果なのである。

私達は、こうした先人の思いを忘れてしまっているのではないか。


他にも、戦中ゆえに、軍部から私学は学部を廃止して専門学校に格下げせよ、というお達しが出されようとした時、大反対をしてこれを阻止したのだ。戦争中であるというのに、学問どころではない(非国民、などと罵られるようなこと、だったのでしょう)、という無謀な意見が軍部の言い分であり、閣議を通ってしまったらしいのである。これを心ある議員たちが撤回を求めて運動を行った結果、阻止できたとのことだ。


昨日あたりには、経済同友会が私学の「理事会権限を強化せよ」というような「経営者的視点」を持ち込もうと画策しているかのようであるが、自由な精神が私学の根本であるなら、危険な動きと見るべきであろう。


兎にも角にも、本書は、非常に面白いです。
昔も今も、学生さんたちの苦悩は似ているな、と。



ワケが分からん東大秋入学という愚

2012年01月24日 17時21分19秒 | 教育問題
まったく東大のお偉いさん方の考えることというのが、よく分かりませんわ。まあ当方のような平平凡凡の凡夫ごときには、東大教授とかいう頭がよくて知識も豊富な方々の高級高度なお考えなど、到底理解できるものではないということなのでしょう(笑)。
拙ブログにご登場頂いた東大の経済学教授陣を見るにつけ、非常に残念無念がっかりな印象ではあったわけですが、他の学科の先生方もおられるでしょうから一概には言えないんでしょうけれども、どうなんだろうな、と思わないでもない。本題ではないから、これはまあいいか。

で、東大は外国人学生を増やすべく、入学時期を4月から10月にしよう、という欧米式に変えたいらしい。何の為に?
もっと率直な感想を言うなら、「アホじゃねえの?」だな。


彼らの思考というのは、こういうことらしい。
・東大の学生が少ないor減ってる
・東大の国際競争力が失われている
・海外から学生が全然来ない
といった認識があるのだろう、多分(推測です)。
今ドキ風に平たく言えば、「我々はグローバル化に取り残されている、もっとグローバル化を進めなければならない」みたいなことなのではないかと。

で、その対策というか解決策として、「秋入学」というのが急浮上してきましたよ、ということですね?

これはどういうことかと言いますと、日本は先進国の中でも異端的な4月入学だから、海外の学生が集まらないんだ、という認識であるということです。そこで4月入学から10月入学にすればいい、と。何という短絡(笑)。

本当にそれが原因だと思いますか?
ぼくは、そうは思わんね。
日本そのものに魅力があるかどうか、だ。それとも、教えている教官そのものの魅力があるかどうかだ。
どうしても学びたい先生がいれば、そこに人は集まるから。アメリカの有名大学とかだって、そうだろう。○○で世界的に有名(権威)なナントカ先生、ということで、その下で学びたい、と思うわけでしょう?

それとも、日本の大学で勉強して、将来は日本の強さの秘訣を身に付けていきたいとか、日本企業(現地法人含め)に就職したいとか、そういう動機を与えることができるかどうか、ということでは。そういった何かの魅力というのが大きければ、大学に学生が集まってくるんじゃないですかね。
結局は、「オリジナルな何か」がどれくらい魅力的か、ということだろう。人を惹きつける何かを持つなら、労力を厭わずに学びに来るだろう、ということだ。誰かに師事したい、と願うのは、学問の世界では普通だろうと思うし。


だが、東大の偉い教授さんたちには、そう思えないらしい。つまりは、自分のせいじゃない、と言いたいわけだ(笑)。自分の能力が低いせいで、学生を惹きつける魅力も実績もなく、だからこそ学生が集まらないんだ、ということを認めなくない、ということさ。そうではなく、4月入学という制度のせいなんだ、欧米と違う制度が悪いんだ、これが競争上大きな不利を招いているんだ、と言いたいだけなんじゃないの、という話。

そんなこと言うなら、日本人学生だって、欧米の10月入学の大学に行かない、ということになるんじゃないですかね?そういうわけでもないんでしょう?
それと、秋入学に変更した場合、日本人学生には半年くらい経験を積ませるのが役立つ・大事だ、と本気で思ってるなら、どうして外国人学生には同じように考えないわけ?
海外の学生が9月卒業(実質は夏休み前か?)で、日本の4月入学まで「間がある」というは同じなのだから、その間に「経験を積むのが有意義だ」ということになるんじゃありませんか?日本人学生に求めることを、留学生に求めたらよろしいんじゃございませんかね?


本当に10月入学が学生を集める秘策だ、と思ってるなら、まずカリキュラムを組みかえて、半年単位で構成すればいい。スタートを4月開始のパターンでも10月開始のパターンでもいいように、コースを設定すればいいだけだ。初年度の10月から始まっても、翌年には4月開始の講義だって選べるし、何ら問題ないのでは。まずそういうのを実践してみてから、日本人の10月入学を考慮してもいいんじゃないですかねえ。

企業とかの採用にしても、新卒一括を基本的にやめて、随時採用ということにしてしまえばいいだけ。それなら、海外からの帰国組の日本人学生でも新卒と同様に扱いを受けられるようになるだろうしね。

元東大卒の官僚上がりの古川さんは、秋採用でとか言い出したみたい。>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120124-00000552-san-pol

さまざまな経験を積んだ人の採用が有意義だと考えているなら、もっと前から随時採用にしておけばいいだけじゃないの。中途採用組なんて、殆どいなかったわけでしょう?
さまざまな人生経験を積んでるのは、卒後半年くらい「何かをやっていた」学生さんということですかね?(笑)普通は違う仕事に就いていたとか、世界のどこかを旅していたとか、もっともっと経験の仕方なんかは色々とあるわけでしょう?

要するに、口から出まかせだろうと、何とでも言えるということだな。東大の秋入学を正当化する為だけに、何だって理由を付けようと思えば付けられる、みたいなもんだな。本当に霞が関官僚に採用される人は経験豊富な人が望ましいというのなら、新卒採用に拘らず、中途採用を大半にすればいいだけだろうに。それをしてこなかったのには、それなりにワケがある、ということなんじゃないですかね?


学生さんに経験を積ませたいのなら、もっと家庭でやってもらうとか、地域でやってもらうとか、中学や高校時代に時間を取るとか、他にも方法なんかあるだろうよ。単純に秋入学を実現する口実として使っているだけなんじゃないですか?

東大教授がまず取り組むべきことは、己の研鑽なんじゃないですかね?特に文系の教授連中が。
魅力ある授業ができる能力を磨け。研究実績で惹きつけろ。ここでしか得られない何かを提供しろ。最低限、プロの教官(それで食ってるんだろう?)としての義務を果たせ。
そういうこともできてないのに、制度を変えれば学生が集められると思っているという、浅はかな考えを改めることから始めるべきでは。ああ、そうか、この程度だから、海外からの学生が集まらないのかもしれんね。



こんなこったろうと思ったよ(学力のこと)

2009年11月17日 19時44分00秒 | 教育問題
内田樹先生経由で知った。

さすが、研究。
オレみたいなド素人がぺラッと直感で申すのとはワケが違うわな。

全国学力テスト:人のきずなで成績↑ 離婚、持ち家が左右--阪大グループ分析 - 毎日jp毎日新聞

(以下に引用)

 07年の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)と1964年の全国テストを社会環境を加えて分析したところ、学力を左右する要因として離婚率▽持ち家率▽不登校率--の3指標の比重が高まっていることが、大阪大などの研究グループの調査で分かった。いずれも家庭、地域、学校での人間関係の緊密さに関連する指標で、研究チームは「年収など経済的要因よりも、人間関係の『つながり格差』が学力を左右する傾向にある」と指摘。子どもの生活基盤を支える指導の重要性を再認識させる結果として、注目を集めそうだ。

 大阪大大学院人間科学研究科の志水宏吉教授(教育学)の研究室が、両テストの小学6年と中学3年の国語・算数(数学)の都道府県別正答率と、国勢調査など統計データを分析。年収など各指標ごとに学力に影響する度合いの強さ(相関係数)を比較した。

 それによると、離婚率と学力の相関係数(上昇するほど1に近づく)は64年から07年に0・102から0・536(小6算数)に上昇。持ち家率も0・070から0・444(同)と強まった。不登校率も同様だった。これに対し、教育娯楽費割合が0・566から0・134(中3数学)となるなど経済的な豊かさにかかわる指標は影響が小さくなる傾向が出た。

 両テストの都道府県別順位は、07年最上位の秋田県が43位から躍進、大阪府は6位から最下位近くに陥落している。研究グループは大阪では離婚率の高さや持ち家率の低さが、結果的に親や祖父母、近所との接触機会を少なくしていると評価。学力低迷の要因として、社会環境が子どもの生活や意識を不安定化させているとみる。40年余りで各地の経済力格差が縮小、一方で子どもの環境の変化が大阪で顕著に現れたと分析している。

 志水教授は「家庭や地域のつながりが緊密に残った場所ほど学力が高く、都市化が進んだ大阪で『しんどい学校』が増えた。子どもと保護者や先生の信頼感、地域の支えなど、つながりの回復が打開策になる」と話している。【竹島一登、福田隆】

=====


どうして今までこうした研究が出されなかったのか、不思議ではあるね。

参考までに、常識的大人であれば、第一印象で気づく程度では(笑)。冗談だけど。

ウチの記事に書いたでしょ?
結果を活かす検討をしてみるべきでは

この中で、

『沖縄、北海道、福岡、高知、とか…、かな?
大阪も入っていたんだけど、今回はちょっぴり浮上したそうな。
で、思い起こすのは、ざっと見て「生活保護世帯比率」の高い都道府県では下位グループに入りやすいのかもね、と。それは、経済格差の問題なのだろうか?
ただ単にDQN親からDQNが引き継がれているだけ、といったご意見が出されても不思議じゃないのかも。
都道府県単位でよいので、成績(学力テストの点数、結果)と幾つかの項目の相関などを調べてみたらいいのにね、と思うよ。

上位に来てる都道府県というのは、例えば「持ち家比率」や「2世帯同居(祖父母)比率」が高いとか、「離婚率」や「母子(ひとり親)世帯比率」が低いとか、そういう傾向にあるんじゃなかろうか、とか。成績下位グループの都道府県では逆の傾向になっているんじゃないのかな、と思ったりするんですよね。』

と書いたわな。

どや?(笑)

こんなの、スパッと直感で判れや、と。常識でっせ。

というのは冗談だが、単なる偶然の一致ということもあるかもしれんから、他の研究者たちもよく検討してみるといいと思うよ。


ああ、ウチの記事に後から書き加えているんじゃないか、とか、疑惑を持たれるかもしれんな。それでも、いいけど。
どうして、研究しているわけでもないのに、当たるんか、と自分でも思うね。それは、素人だからさ。真剣に研究している人とは、見ている部分がまるで違うからではないかな。違った指標とかが頭に思い浮かぶから、というのもあるか。統計やデータを常日頃見る、というのは、思わぬところで役に立つこともあるかもね、ということか?


素人の妄言、そういう中にだって、ヒントはあるかも、ってことさ。

後は、信じる、信じない、の問題だな。




結果を活かす検討をしてみるべきでは

2009年08月28日 17時24分42秒 | 教育問題
一喜一憂になりがちな、競争民族ニッポン、か(笑)。


「09年度学力テスト 正答率向上も「上位固定」鮮明」:イザ!


下位に来るのは、大抵が似たようなメンバー(笑)で、実際の学校のテストに近いのが笑えるかも。

沖縄、北海道、福岡、高知、とか…、かな?
大阪も入っていたんだけど、今回はちょっぴり浮上したそうな。

で、思い起こすのは、ざっと見て「生活保護世帯比率」の高い都道府県では下位グループに入りやすいのかもね、と。それは、経済格差の問題なのだろうか?

ただ単にDQN親からDQNが引き継がれているだけ、といったご意見が出されても不思議じゃないのかも。
都道府県単位でよいので、成績(学力テストの点数、結果)と幾つかの項目の相関などを調べてみたらいいのにね、と思うよ。

上位に来てる都道府県というのは、例えば「持ち家比率」や「2世帯同居(祖父母)比率」が高いとか、「離婚率」や「母子(ひとり親)世帯比率」が低いとか、そういう傾向にあるんじゃなかろうか、とか。成績下位グループの都道府県では逆の傾向になっているんじゃないのかな、と思ったりするんですよね。

いや、まあ、新聞社の「新聞をもっと読め」というのを正当化したいとか、新聞業界の危機だからどうにかしたいというのはあるかもしれないが、新聞購読の家庭では成績がよい、なんて、そんな要因を調べなくてもいいのに、とか、思ったりもしたよ(笑)。だって、本当に貧しい場合には、そんな新聞なんて取ってる余裕だってないだろうからね。結局は、金のあるなし、というところに行き着くのかな。


でもまあ、データというのは取ってみないと判らない、という部分はあるので、過去3回のデータは貴重なものとなったのではないかな。あとは、それを有効に活用できる研究が必要では。

それは教育分野の研究者だけではなくて、もっと違った視点とかがあってもいいんじゃないのかな、とか。
おもしろ研究といえば、日教組の組織率との相関とか、誰か調べてたんだっけ?日教組のせいで、成績が悪い、みたいな話だったか。

そういうのばかりではなくて、色々と調べてみるといいんじゃないのかな。県民一人(世帯)当たり所得とかでもいいし、児童の平均睡眠時間でもいいし、家事手伝い経験(時間)でもいいけど、意外な関係とか出てくるかもしれないよ。


研究者は多数いるんだろうから、手分けでもして、色々とやったらいいんじゃないのかな、と。



教授会を改革せよ!(笑)

2009年08月12日 01時46分19秒 | 教育問題
中々に強烈な提言が経済界から出されていたようであります。
タイトルは、関西経済同友会の提言をお書きになられたメンバーの気持ちを代弁しまして、『!』マークを入れさせて頂きました。非常に簡単に言いますと、新入の人材に対しての「イライラ感」が強く滲み出ている提言となっているのではなかろうか、と思ったりいたします。

関西経済同友会ホーム
(大学改革委員会の7/27の提言のリンク先のpdfをどうぞ。gooブログでpdf文書のリンクが貼れなくなったのが何故なのか、未だに不明なんですよね…。gooブックマークではpdfは弾かれる、ということなんでしょうか?)


申し上げるに心苦しいのですが、比較的若い方(笑)の私から見ましても、新入社員たちの仕事などに心配な点が多くあるのではないかと思ったりします。というか、単純に根性や粘りが足りないのかな、と思わないでもありません。
私はかなり昔式の「徒弟制度」っぽい、仕事は体に叩き込め、みたいな方針が好きだからなのかもしれません。これは恐らく個人的傾向が出たものですので、教育としての効果や実際にどうというのは全く判りません。能書きの多いヤツは、苦手です。


本題に戻りましょう。

関西経済同友会の提言はまとめにあるように、4つございます。「!マーク」の乱発でございます。

①教育中心の大学に!
「大学は教育機関としての使命を全うすべき」
 =企業が求めているのは『社会力』

②大学はミッションを明確に!
「各大学・学部は、それぞれの個性にあった特色ある教育を行うべき」
 =どこも似たり寄ったりで「使えなさ」さえも紋切り型?

③まずは学部教授会の見直しから!
「リーダーシップと責任の所在を明確にした組織に改革すべき」
 =権限はあるが責任は問われない『教授会の存在自体』が最大の阻害要因ww自治とは聞えのいい無責任体制?

④情報開示の徹底を!
「大学は改革の達成状況を広く社会に開示し、その評価を通じて改革を促進すべき」
 =ミッション達成状況を公表し、学生・父母・OB・OG・出身者採用企業等の関係者による評価を受けるべし、その結果をも公表するシステムを導入せよ


うーむむ、大学教育のあり方等の議論が喧しい昨今、企業側の要求は判らないでもありません。というか、そんなに「大卒」とかいう人材を「粗製濫造」してみても、一体何の意味があるのか、私にはよく判りませんが。そんなことに無為に時間を浪費してしまうなら、もっと使える人材を育成するべく、高卒でもいいので実践で鍛えればいいのではないかと思わないでもありません。大学がどうの、という以前に、教える側も「それ相応」ということはあるでしょうし、社会の側にそれほど大卒を必要としていないのに、無理矢理「大学には行きました」という程度の肩書きを量産しようとしているだけなのであれば、はっきり言えば「そんな学校(大学)は要らないだけなんじゃないの?」というところに行き着くわけで。

むしろ、企業に入った後にこそ「大学に留学」というような制度があった方がよいのではないか?
どうしてかといえば、実践の中で「ああ、もっとこれを知りたい、勉強したい、これを知ることが仕事にどうしても必要だ、欠かすことができない」と感じることが多いのではありませんか?
そうすると、専門教育ということの意味が違ってくるし、逆に仕事上で専門に偏るからこそ、全く異なる分野への興味や開眼?みたいなものが出てくるのでは?こういうのこそ、「自由に行き来できる環境」みたいなものが必要なんじゃありませんか?
とか、素人的には思ったり致します。
実際、企業に勤めたままで、1年間勉強漬け、とか無理でしょ?
大学と企業とを、自由に行き来できるような状況にはなっていないでしょ?
捨て身で大学に戻る人がどれ程いますか?金銭的余裕があってはじめて、仕事を辞めて大学に行くよ、ということなのですからね。


ああっと、折角ですので、出来れば関西経済同友会メンバーと内田樹教授あたりとで、大学の役割についての白黒決着をつける「関西バトル」でも開催してもらえるといいのではないかと思えます(冗談です)。




哲学と「考える力」

2009年08月03日 17時55分03秒 | 教育問題
知らなかったのだけれど、色々な試みがあったりするようなのだ。

検索で見つけた>基礎学力を考える


一世風靡の「漢検」というのが、ちょっと気になるといえばなるけれども、考える力を劣化させるわけではないだろうから、この際はおいておく。結構、立派な方々がインタビュー記事に載っているんですよね。悪い取組みばかりでもなかった、ということなんでしょうか。あそこまで漢検の理事長父子が叩かれていたのって、一体何だったのかなと思わないでもない。大して興味もなかったんですがね。


こちらは、世田谷区の「日本語」授業ということで、哲学があるそうなのだ。

世田谷区 教科「日本語」の推進


へえー、いまどきはそういう授業なんだな、と。初めて知りました。
哲学だけじゃなく、例のネット界隈で物議を醸した「日本語が滅びる」云々の話題とも重なる部分はあるね。ただ、「考える力」とかいっても、現実には大人になったってダメなものはダメなんだろうし、哲学をやってるからとか哲学を知っているから考えられるかというと、それもまた難しそう。

むしろ、権威主義者たちの哲学を振りかざす傲慢さと揺るぎなき妄信こそが、人類の危機を生んできたか危機に対しては全くの無力であったか、という印象は拭えないかも。

単なる個人的感想なんだけど。

あまりに強力な信念やイデオロギー信奉に繋がってしまうか、現実問題に対して関心を払わないか対処する気のない「知識の海」に漂うことをよしとするような傾向であったのではなかろうか、とか。


色んな意味で、哲学は難しい、と思う。
不要とか、哲学では生きていけないとか、そういうことを言いたいわけではないのだけれど。私には全く向かないか、理解を超えているから、だろうなとは思う。



耐えられない生温さ~2

2009年05月11日 16時59分05秒 | 教育問題
耐えられない生温さ

この続きを書こうとは思っていなかったけれど、ムカッと思ったこともあるので書いておく。


1)親の経済的事情は子どもの責任ではない

これは確かにそうだろうね。だから?

これを理由として、「誰でも好きな学校に行かせろ」=「どこの私立だろうとも行けるのが当然」なんて政策を考えるのか?そうじゃないなら、こんなの理由になんかならないんじゃないの?
「自己責任に押し込める~」云々ってのがよくいるが、平等を重視するなら公教育にすべきなんじゃないの?(笑)
それは、私立であることを意味しない。

”親の職業や社会的地位や金銭的事由によることなく”
『公教育を等しく受けられる権利を有する』
ということで、何ら問題などないと思えるのだが。

お金のない家庭や貧乏な家庭の子どもだって、高校にバスで通えるとか部活動ができるとか修学旅行に行けるとか、そういうのは大事だろ。けど、別に私立である必然性などない。


2)国立大学は「私学」から高額化を強いられたようなもの

元々、国立大学なんて格安で行けるところだった。それが国への要請だったからだろうね。親が貧乏人であろうとも、頑張って勉強しさえすれば、国立に行く事はできた。
だって、授業料が年間1万円とか3万円とか払えば済むからだ。入学金も同じ程度だったらしい。だから、貧乏な家庭に育っても、勉強さえある程度やれば大学進学は可能だった。奨学金は無償で、教職員になって10年とか勤務すれば返済は免除されたしね。

こういう、よい進学制度があったのに、潰した連中がいた。
それは、一体誰か?

私立の連中だろ。

学費の格差があるから、優秀な学生はみんな国公立に行ってしまい、私立大学には来たがらず優秀な生徒が集まらないんだ、と散々文句を言い、金に飽かせて政治を動かしたんじゃないですかね?(笑)
ああ、これは陰謀論なので、本気にしないでくださいね。

でも、私学と国公立の格差を埋めろ、とかいうトンデモない理由で、国公立の入学金と授業料は毎年毎年うなぎのぼりに上げられた。私学の連中は、私立と国公立の垣根を取っ払おうと画策し、その結果、学費の高騰を招いたんだろ。貧乏人が一発当てて大学へ行く道というもののハードルを大幅に上げたわけさ。

私は大学入試とか進学制度には全然詳しくないから判らんけど、旧帝大系であれば1期校ということで、それなりの学生が集まっていたのであろう。2期校でも、私立よりは学費が安いので人気がそれなりにあったかもしれない。
私立大学に行くのは「国公立に落ちた人」が「滑り止め」と言って受けておいた私立大学に行くというようなことだったんじゃないかな。だから、私立のランクなんて高いところは極々限られていた。早慶といえども、早稲田政経とか、慶応医学部とか、特定の学部とかなら「ありがたみ」があったかもしれないが、全般的には私立に行くのはやはり「国公立に落ちた人」が多かったように思う。

例えば慶応とかが妙にありがたがられるようになってきたのって、ある時期からでしょ?
昔なら、どういう人たちが行っていたかといえば、一言で言えば「金持ちボンボン」でしょ。
小泉さんとか、石原裕次郎とか、加山雄三とか、そういう雰囲気の人たちってことですよ。慶応って、ラグビーが強くて女にモテるよね、というのはあったかもしれないが(笑)、勉強ができて超切れ者だね、なんて評判はあまり聞いたためしがないかも(自分の半径●mくらいだから、あてにはならない)。どっちにしても、貧乏人が勉強の為に「慶応に行く」なんてことは経済的には有り得ないわけで、大都会のコネ社会が通用している中でしか、おぼっちゃん私立大学なんぞに通える人たちはいなかったんじゃないですか?(笑)

だから、国公立大学の学費は昔のように、ほぼ無料に近い水準で良かったんじゃないか。
それを止めさせた張本人たちとは、一体誰なのか?
よく考えたらいいよ。


3)国公立とのランクの格差を問題視したのも私学

上にも書いたけど、学費が安いと優秀な生徒さんたちは、まず国公立を優先してしまうんだ。だって、高額な学費を払える家庭なんてごく限られていたし、東京に下宿させられる地方の家庭となれば、それはもう極々僅かになってしまうでしょ。

で、私学からすると、1期校や2期校とか、共通一次試験なんかでランク付けされるから「国公立はズルい、私学が不利だ」とか、散々文句を言ったんじゃないの。昔なんて、共通1次試験とかも国公立だけやっていて、私学なんて別試験でやっていたし。私学が相対的に下位にランクされてしまうから、「格差だ、格差だ」と大騒ぎしてランク付けすんな、みたいに言ってたんじゃないか。

で、格付けをどう使えば有利になるか、ということをうまくやれるようになってから、上位に私学がランクされるようになれば、そういう格付けをフルに利用して生徒を集め、金儲けの道具にしている連中は一体どこの何方なのか、という話をしているわけだよ。まずは「兵糧攻め」(=国立大学の独法化、旧来の国立の地位を剥奪した)で地方の国公立を腐らせ絶滅危機に追いやるとともに、格付けだのランキングだのを散々利用して学校間の「格差」を生み出してブランド価値を高めた連中とは、一体どこの誰でしょうか?

かつて、私学は不利だ、格差があるから国公立はズルい、と格付けだの偏差値ランクだのを問題にしていたのは、私学だっただろ。立場が逆転した途端に、今度はそういうのをフル活用して儲けてきたんじゃないですか?


4)公立高校は必要か?

高校の学費を無料化せよ、みたいな脳天気連中に是非ともお伺いしたいですな。
私学は中高一貫教育でこんだけ素晴らしい、とか、他とは違う教育をやっています、とか、色々謳い文句はあるだろうけど、親の経済力に無関係にどこの私学でも無料でいい、ということになれば、それは、際限なき私学の草刈場みたいになってしまうのではないのか?

それこそ、中高一貫校に有名予備校のセットさえも可能になってしまうだけだろ。これが、全部無料!
いやはや、天国だわな。これが、全生徒に供給される、と。私学の連中が口から涎を流して喜ぶだろうね。
だったら、公立高校いらなくね?(笑)

アホか。


5)じゃあ、どうすんの?

昔ながらの仕組みにした方がいいんじゃないの?
奨学金制度の拡充。
公立高校、大学の無料化。

勿論、選抜試験は競争だから、どちらも厳しいだろうね。
でも、奨学金は緩くていいよ。優秀な人には無償でいい。ちょっと優秀じゃない人には、後から少し返してもらいなさい。
教育制度は、国公立が基本であるべきだ。

ハリー・ポッターみたいに全寮制の寄宿学校に行きたい人は、自己責任で金を出して行くべきだろ。これを無料化せよ、というのは、おかしいだろ。


今ある日本の私学の大半はどうするか?
基本に忠実になれよ。
コネだろ、コネ。
国公立になくて、私学にあるもの、それはコネだ。
違うか?


だから、私学に支援だの、無料化だの、寝言みたいな意見はほぼ必要ない。金に困っている人は、公立の学校に行って下さい。どうしても私立に入りたい人は、その学校の制度を利用して下さい。優秀者には授業料免除とか、奨学金制度とか、学校が用意すればいいでしょう。私学が反対するなら、「勉学の志があるにも関わらず、親の経済的事情を理由として勉学を拒否する学校」ということだろ。それは、そういう学校が悪いんじゃないの?学校の理事長が「タダにしておくからいいよ」と言えば、それで済むんじゃね?
それとも、「勉強したい」という生徒を目の前に、「お前は金を払えないから出て行け、学校には来させない、卒業させない」とか言うような学校なんですか?(笑)
教育的立場として、それはどうよ?
そりゃ、学校が血も涙もない、鬼の取立て屋みたいなもんなんじゃないの?
「金を払えぬ生徒は退学だ」って言った私学があったの?
あったんなら、公表したらいいんじゃないか(笑)。これは社会の責任ではないんじゃないか?

ま、いいや。
私学の基本理念は、コネ、そして、寄附だ。
建学の精神を、もう一度見直せばいいんじゃないか?
そもそも寄附ってのが、私学の精神なんじゃないの?
だったら、それでやれや。
それで何が悪いの?何が問題?



改めて、はっきりと言っておく。
教育費の高騰を招いた原因の大きな部分は、「私学」だ。
公教育との格差を宣伝・利用した結果、優位を築いたのも「私学」だ。一部だろうけど。

なので、私学に積極的支援は反対の立場、というのが私の基本的考え方。
公的な教育費負担を多くしたいなら、公教育の充実を図るべき。
金持ち名門大学は、その生い立ちとコネとネームで食っていけるから、支援は要らない。
例えば米国の名門大学みたいに高額な授業料を払うのが必然であり、そのことでブランド価値を高めているという部分もあるのだから、貧乏人を寄せ集める必要性などないからね。日本のコネ大学も同じ。コネに群がる連中だけいればそれでいい。


カ●みたいな大学がゴロゴロある必要性は感じない。
くだらない私立学校に金をまくくらいなら、学生本人に金を入れてやれや。
公立高校にしたって、有名私立と同程度になるように力を入れてやればいいんじゃないか?
オンボロ校舎すら建替えもままならず、経費削減という理由だけで学校統廃合が推進され、地方の高校がいくつも消えた。かたや「高額な学費を徴収する私立」に多額の支援をしたり、学費無料化なんてものを私学の金満経営を助ける為にやるなんてことには、同意できかねる。

国公立大学をその他私学と同程度の学費となるようにすべき、なんていう妄言には大反対。
別に私学を怨んでいるとか、憎んでいるというわけじゃないよ。
けど、制度としておかしいとか、考え方として疑問だ、というのがあるから反対しているのさ。特に社会主義化したかのような学校が好き、ということでもないよ。高校や大学は、意欲があって優秀な生徒には行かせてやるべきだ、それは昔は寄附とか個人的支援だったと思うけど、現代では制度化しておいていいんじゃないかと思う。

私学は私学で好き勝手にノビノビやりたいんだろうから、敢えて国から金を貰う必要性はないよね、って言ってるんだよ。




耐えられない生温さ

2009年05月05日 22時11分42秒 | 教育問題
色んな意見や諸説あると思うが、個人的には「何いってんの?」と思う。

はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「学費が払えない。政府なんとかして」「大雨でも自転車で通ってる」…全国の私立高生が抗議


私立に行ってる学生は、公立に比べ圧倒的に少ない。
本当に勉強したいだけなら、私立に行かなくても勉強できる。

何なら、昨今流行りらしい「自力で海外脱出」すら不可能ではないかも(笑)。


あと、そもそも、「バスがない」とか「電車が通ってない」とか、それはごくごく普通。どこの大都会標準思考なのかと思う。自転車で通うとか、そりゃ別に普通だから。経済危機なんかなくたって、当たり前のことをやってるだけだ。取り立てて「交通費を節約する為にバスに乗らない」なんて自慢するようなことではない。

勉強したいなら、どこでもできるから、公立に転校したらいいんじゃないかと思うけど。私立に通いたいなら、学校の奨学金とか免除制度を使うか、自分たちで働いて金を貯めて行くとか、様々な手段はあるだろうね。

それとも、社会主義チックに学費を無料にしたいなら、税金の大幅引き上げと、私立学校は除外して公立学校のみに無料を適用すればいいだけでは。勿論、私立学校に税金の投入なんか認めないし、学費無料の恩典も必要ない。大金かけて行きたい連中だけが行けばいい。実際、米英の学校ってのはそういうもんだろ。

社会ってのがどういう仕組みなのか、よく学べていいんじゃないかな。



「猫も杓子も大学」バブルは終わってる

2009年02月08日 16時56分08秒 | 教育問題
世の中には、色んな商売がある。中には、詐欺的商法なんかもあるし、自尊心や見栄を満たす為だけに存在する商売もきっとあるだろう。「ハナモゲラ大学院大学のMBA取得、学位取得、●●博士、現在ハナモゲラ大学院大学客員教授」みたいな、新聞紙で出来たようなどでもいい肩書きをしょって、空疎な泥人形を誤魔化しているような連中というのは、結構いるかもしれない。

早い話が、「中身がない」というだけ(笑)。


どんな形であろうといいので、親が金を出して、あまりありがたみのない大学に行かせて、大した教育も受けず、「名ばかり大学」を卒業してしまうことはあるのではないかと思えたりもする。履歴書の学歴欄を見ると、「名ばかり大学卒」とか書いてあるという寸法です(笑)。資格欄には、バブル気味の超安値「MBA」とか。まずお前が鍛えてもらえ的なダメ講師陣が役立たずな屁理屈を指導、ないし腐れ理論を「ネットで自学自習(笑)」や「仮想現実授業」、で、出来上がるのは、ロクでもない講師陣とほぼ同様な大卒者の拡大再生産が繰り広げられる、と。
いやいや、これは凄い(!)商売でございますな。
粗製濫造大学とか、政策大学院大学(笑)とか、法科大学院バブルとか、そういうのに便乗したような色んな「肩書きビジネス」とか、世の中には色々とあるわけでございます。金で買える学位みたいなもの(池●某が貰ったのと同じ)があるのと同じようなもんです。


さて、話はうってかわって、こちら。
はてなブックマーク - 大学はどうなるのか 内田樹の研究室

オレみたいな凡人には理解不能な大学があったらしいが、文教族ではないからよく知らん。


参考までに、新聞記事等で目にした中から、コレは、というものを例示してみますか。

・LCA大学院大学
・ビジネス・ブレークスルー大学院大学
・SBI大学院大学
・ハリウッド大学院大学
・グロービス経営大学院大学
・LEC大学
・サイバー大学


そこの、笑ってる人たちは、ふざけないで下さい。
えっ?笑ってない?
そうですか、これは失礼しました。

首都大学東京だったか、予想外かつ大胆な大学名みたいなものはあるわけですが(似たような系統では、「東京未来大学」とか「はこだて未来大学」とかも???)、それらの次元を大幅に超越したような大学というのが、この世にはあるわけでございます。

因みに、LCA大学院大学は募集停止とかっていうニュースを目にしたように思いますが、どうだったでしょうか。
学費だけ集めて倒産とかって、まずいですよね。
経営母体の株式会社の事情で大学経営を左右されても困りますし。

ま、こういう文系大学教官の雇用をまず流動化して、常勤教官はいらなくすればいいんじゃないでしょうか。まさしく「同一労働、同一賃金」ですわ(爆)。給料なんて、授業のコマ数に応じて割当ればいいし、それ以上でもそれ以下でもないわけで。
私学助成をまず切れ、って話が真っ先に出てくるのは当たり前。ですよね?経済学教授の理論によれば、これは正当化されることは間違いないでしょうな。
それから、GRIPSみたいな典型的非効率大学こそ、学生数より教官が無駄に頭数が多いので、まず整理しなけりゃ話にならんでしょう。率先して範を示すべく、全部の教官を流動化すればいい(笑)。



日教組のせい?それとも…

2008年10月21日 15時33分59秒 | 教育問題
そんなことがあったとは露知らず、というのがこれだ。

【正論】初代内閣安全保障室長・佐々淳行 日教組よ、まず「自己批判」せよ - MSN産経ニュース


私は闘争の歴史とか、そういうのはなんにも知らないけれども、思った以上に過激というか、本格的武力闘争みたいなものだったのね。

これって、主導していたのは「戦前生まれ」の人たちだったのではないかと思うんですけど、どうなんでしょうか。指導者層は普通に明治か大正生まれとかだったんでは?大正元年生まれでも、昭和30年代中頃だと50歳くらいですよね。比較的若手の30代でも、大正末期~昭和初期生まれくらいでは。つまり、日教組の闘争の歴史を作ってきたのは、こうした「戦前教育」を受けた過激分子みたいな方々が圧倒的に多かったのではないでしょうか?

それにしても、警察官や自衛官の子だからといって、差別的扱いだの罰を受けさせられるだのというのは、今では考えられないね。昔はそういう酷い教師もいた、ということかな、と。イデオロギー体質というか、何かに染まる気質というのは、結構怖いかも。

あれだ、悪しき平等・全体主義的な「みんなやってるんだから、お前もやれ」っぽいこととか、「これが絶対正しいんだ」「こうしなければならないんだ」みたいなやたらと教条主義っぽい感じとか、昔の「朝日的なるもの」(笑)を見る思いがします。戦争に突入してゆく人々とか、日比谷焼き打ち事件のような大衆の激しさとか、とても似てる感じがする。

結局、革命主義的な思想傾向とか、テロリズム支持の左派的な方々とか、そういう人たちは、昔の一般大衆に多かったんではないでしょうか。だからこそ、「力技」を用いるわけで。警官を人質に取るだの、警察幹部を集団で逮捕監禁しようとするだの、現代では考えられませんね。「武闘派」なるグループ分けの呼称は、今では「ヤクザ屋さん」にしか用いられませんしね(笑)。



一方、文教族のドン、森元総理が日教組批判をしているんですけれども、どうも「戦後教育が悪い」というふうに言っておるようなのです。

森元首相:日教組批判 「親や子を殺す世の中、戦後教育の過ちだ」 - 毎日jp毎日新聞

この記事によれば、

『日本教職員組合について「親や子供を殺すようなことが珍しくもない世の中になったのはなぜか。やはり戦後の日教組教育の大きな過ちだ。それが民主党の支持団体じゃないか」と批判した。』

ということらしいです。


ですが、佐々氏の記事からすると、その日教組を率いていたのは「戦前教育」を受けた人たちであり、森さんと同じような時代に生きてきた人たちだったんですよ、多分(笑)。そういう方々の行いが、戦後世代にも引き継がれていっただけではないかと。

それから、出尽くした話ではないかと思いますけれども、親殺し、子殺しというのは昔からあったわけで、戦後に悪化したという事実はなく、むしろ現代の若者の方が犯罪率は低下してきているでしょう。私も以前には、犯罪不安みたいなものが拡大してきたんじゃないかと思っていましたが、事実を知るというのは大事みたいですよ。

ご参考にどうぞ
Amazoncojp: 戦前の少年犯罪 管賀 江留郎 本

驚愕の事実に青ざめて下さいませ。
戦前の犯罪がいかに酷いものであったか、よく理解できることでしょう。これが日教組のせいかどうかは知りませんけれどもね(笑)。


親殺しの有名どころだと、たとえば斎藤道三が斎藤義龍に討たれたりとか(実父ではなかった説もあるが)。昔の人たちも、それなりに殺してきたんですよ。現代人は昔に比べると、随分と「よくなった」と思えるのですけれど。


まあ、いずれにせよ、「昔は酷かった」ということで。
特に、『戦前』が。

残念でしたね>森元総理



数学オリンピックの上位国はアジアに多い

2008年07月22日 11時51分09秒 | 教育問題
数学、化学五輪で全員がメダル 数学は「金2」「銀3」(産経新聞) - Yahooニュース

スペイン大会は日本が11位だったそうで、前回6位からややダウン。
imojp.org


国別ベストテンは以下の通り。

1位 中国
2位 ロシア
3位 米国
4位 韓国
5位 イラン
6位 タイ
7位 北朝鮮
8位 トルコ
9位 台湾
10位 ハンガリー


前回大会はこんな感じ。

1位 ロシア
2位 中国
3位 韓国
3位 ベトナム
5位 アメリカ
6位 日本
6位 ウクライナ
8位 北朝鮮
9位 ブルガリア
10位 ?


強豪の常連は中国、ロシア、米国、韓国、かな。大体、毎回上位に入っている。他には、イラン、ベトナム、台湾、北朝鮮、などが入ってくる。予想外だが、イランやベトナムは割りと強い。北朝鮮も頑張っているようだ。他には、東欧のどこか―ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア等が伝統的なのかも。ちょっと離れるが、トルコも健闘。
旧西側諸国はあまり芳しくない。理由は判らないが。

49th International Mathematical Olympiad, Spain 2008

49回大会の成績を見ると、中国の強さが際立っている。トップ(42点)に2名、12位(35点)までに5名入り、最下位の人でも64位(28点)だ。最下位の人は多分緊張してちょっと調子が出なかったか、完成度重視でやったので時間が足りなくなったのかもしれない。1~4問までは最高得点の7点×4だったが、時間がなくて残り2問には手をつけられなかったのかも。なので、実力はあることは間違いない。選手層の厚さが際立っている。人口比ではそれも当たり前だ、という面はあるかもしれないが、他のアジア諸国が人口比で多いわけでもない。


数学って、スポーツで言えばサッカーみたいなものかな。あまり道具とか、面倒なルールとか、何もいらないから。サッカーはサッカーボールだけあればよくて、割と貧乏でもできるから。野球、ホッケー、スケートやスキーみたいな競技には、道具を揃えるのに金がかかるから、ある程度金持ちじゃないとできない。サッカーは違う。22人にボールが一個あればいいだけだから。数学もそういうのと近くて、極めてシンプル&全世界共通、ということで、どの国でも頑張れる。

アジア諸国に強豪が多く存在するので、日本は今の環境でいいのかどうかを熟慮するべきではないかと思う。今後、アジア諸国の中で置いてきぼりを食らうのではないかという危惧がある。悪しき平等主義(笑)のせいなのかどうかは判らないが、できれば上位国の常連になれるように考えてもらえればな、と。全体に合わせるばかりではなく、トップ級の方はどんどんハードルを高くすることはあってもいいのではないか、ということだ。みんな平等じゃないからダメだ、とか、また下らん文句が出てくるのかもしれんが。

教育と頭脳、これが揃うことは、国が成功できる条件ではないかと思っている。その点では、イランは大いなる可能性を秘めているのではないかと思う。ロシア人には驚異的なコンピュータやプログラムの技術者が多く存在するという点で、ロシア人の数学の能力は無関係ではないと思うし。


文科省には成果主義を適用するべきではないか(笑)。数学オリンピックや物理、化学、生物も含めていいんですけど、アジア地域で3位以下に落ちた場合には、担当役人に懲罰を与える(減給?)とか格下げとか、具体的にやってみるのさ。そうすると、真剣に教育方法について考えるようになるかもしれないね。勿論、冗談ですけど。

でも、北朝鮮に負けているようでは、さすがにマズいんじゃないか?>文科省

勉強できる環境は断然日本の方が整っているわけだし。イラン、ベトナムなんかも、日本ほど裕福ではないのに頑張っているのだ、という現状をよく考えてみるべきだと思う。



毎回落ちていく話ですね

2007年12月04日 18時56分31秒 | 教育問題
ああ、またですか。

NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース-内外の事件・事故や社会問題から話題のニュースまで

【パリ=野見山祐史】経済協力開発機構(OECD)は4日、世界57の国・地域の15歳約40万人を対象に2006年に実施した学習到達度調査(PISA)の結果を発表した。日本の高校生は「読解力」15位(前回14位)、「数学的応用力」10位(同6位)、「科学的応用力」6位(同2位)の全3分野で、前回03年調査から順位を落とした。

=====


この試験は15歳が対象なので、小中での勉強に問題があった、ってことなんでしょう。つまり今回の結果は約10年くらい前からの規定路線だった、ということかと。90年代後半、つまり本格的に日本が危機に陥り(参考記事:「’97ショック」が原因なのでは?)自殺者が増加したり、破産者が増加した頃で、社会的荒廃と言いますか、大人たちの頽廃傾向が明らかになった頃、ということなのではないかと。


多くの大人たちが、所詮こんな人生・社会なんだよ、だからどうせ努力してもしょうがないのさ、頑張ってきたって結局切られるだけなんだから、みたいに、考え方を変えていった時期なのではないのかな、と。

子どもたちは大人をよく観察しているし、大人がやるように学ぶことは多いと思う。それが社会の仕組みなのだろうな、と。だから、試験の対象となった15歳の生徒たちは、そういう生き方を学んできた結果だと思う。なのでしょうがないんですよ。


本当に「ゆとり教育」のせいだから、という理由だけで、そんなに変化していくものなのだろうか?
勤勉とか努力とか礼儀とか、そういった良さが失われていくのは、大方が「酷い大人」の責任なのではないか?我々のことなのではないか?

そう思わずにはいられない。

大人たちが信じることを失ったのだろう。
そういう時代、社会になってしまった、ということなのであろう。




そういう問題なんだろうか?

2007年11月01日 16時54分51秒 | 教育問題
ボツネタさんのところから。
2007-10-31 - ボ

『ロー生の自主勉強会で,受験指導をしたロー教授は,懲役10年以上又は罰金1000万円以上に処すべき by米倉明教授@戸籍時報618号55頁』
だそうです。

まあご立腹は判らないでもありませんが、学校の教官が学生に指導するのがそんなに悪いこととも思えません。勿論、試験問題について漏洩したり、自らが作成した出題傾向の示唆を与えたりするのは良くないことですけれども、授業以外の勉強について「教官が教えてはいけない」「受験の対策としての勉強を指導したりしてはいけない」みたいなことを禁止する意味なんてないと思いますね。むしろ逆で、「教えるべき」と思いますけど。特に優秀じゃない学生さんが多い学校とか無名の新規参入校は、司法試験合格率くらいしか競争できるものがないわけですし。無駄に低レベルなロースクールが多いとすれば、それは申請側ではなく設置認可した文科省(?、法務省管轄ではないんですよね?)に責任がある、というものです。成績に応じて(例えば司法試験合格率)一定水準以下のロースクールには補助金を出さない、などの措置をすることで、真綿で首を絞めるが如く「兵糧攻め」となるので、早晩ギブアップする学校が出てくるでありましょう。

補助金がなければ、ロースクールの授業料は高くならざるを得ず、「授業料ばかり高い」「合格率は低い」という条件によって他校との競争力を失い、学生が集まりにくくなるのでロースクールは維持できずに閉鎖される、というものです。

授業とか教育内容の問題とは別に、司法試験の為の勉強を一生懸命教えたりすることが悪いとは思えず、学生さんの為にはなっても不利になるようなことはなさそうなのですがどうなんでしょうか。司法試験の出題システムについて対策を講じておけばいいだけのことであり、教官は学生さんに熱心に指導するのはいいんじゃないでしょうか。漏洩するのは論外だけれども、教官自身の専門分野で問題を作ることが多いだろうし、授業の担当分野も一致してしまうことは考えられるので、似たようなことを教えてしまうことは普通に考えられそう。例えば、夏目漱石の研究者が彼の著作を題材にした試験問題を作り、授業の中でも夏目漱石の解説をしていたりすることはよくあることかなと。

ロースクールが受験予備校みたいな程度の教育しか提供できないとなれば問題なのであって、それは受験指導とか補助的な講義をやるからダメというものではないと思いますね。大学卒後の学生に相応しい内容とか、将来法曹となるべく学生に必須の教育を提供するのが本義なのであり、それができていれば何らの問題もない。その他に、試験対応の知恵を授けるとか、司法試験の勉強を授業外でも行うということが悪いのではないだろう。でも、多くは本末転倒になってしまって、試験対策ばかりに力を入れようとしてしまいがちという「教官の質」の問題であろう。それはロースクールという制度のせいでもなければ、司法試験のあり方のせいでもない。教える側にいる、法学教授や法律家たちの質が低い、ということに起因しているのではないだろうか。

大体、貸金業法改正で「違憲立法ではないか」と新聞に書くような弁護士にして法学部教授がおり、それについて法学的に評価して正当性を検討することもないような法学界なのですよ。誰でも安易に「違憲だ」と言えるというレベルでしかないのですよ。過去の制度ではその程度の法学教育しか提供してこなかった、ということでありましょう。本当に違憲性を主張するのであれば、その法学的な解釈を示して頂きたのですが、それも未だに実行されていないようですけれども。
他にも、到底合理的とは考えられない医療裁判の判決とか、高度の蓋然性という理由で国の責任を認めたB型肝炎最高裁判決とか、そういうのが次々と生み出されていますよ。他の法曹にさえ違法だという検察側見解(検察独特の刑法理論?)が理解できないこともありますよ。血液製剤の投与の信憑性に疑問を唱えるような法務省(?)の行政訴訟担当者だって、現に裁判をやってますよ。そういう今の司法に対してすら検証が積み重ねられているとは思えず、学生さんへの教育以前の問題でありましょう。手本や教科書に書いてあることが間違っていないかどうか確かめなければならないし、もし誤っていれば改めることが必要なのに、それさえも出来ていないということです。多くの法曹はそうしたことに疑問すら感じていないのですよ。
現役でやっておられる方々の水準がこういった具合ですので、要するに教える側にいる人たちをまずはどうにかするのが先決で、学生さんたちの問題というのは、「教官の質」が良くなれば必然的に向上していくでありましょう。


試験勉強?大いに結構。どんどんやるべし。
授業料だけふんだくって、試験結果は知らん、お前の能力次第だ、なんてのは最低の教官だ。教官の自己満足だけで授業や法学教育をやられたら、たまったもんじゃないよ。
助成金を使っている以上、結果を求められるのは当然。
結果を出せないロースクールには消えて頂くしかないでしょうね。

そもそも独学者より効果的に結果が出せるのは当然で、良い結果が残せないとすれば金を取る意味がないでしょうよ(笑)。まさか、それがバレるのが恐ろしくて、旧制度を廃止するということですか?(爆)
独学以下のレベルのロースクールに存在する意味なんてあるのかね。




応用力がないのは大人も同じ(笑)

2007年10月26日 21時24分04秒 | 教育問題
学力テストの結果はそれなりに話題になったみたいですね。

[解説]全国学力テスト ニュース 教育 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

テレビなんかの解説もあったけれど、応用する力や実生活で使うのが苦手、ということらしい。公式とか、断片的知識なんかは持っていても、うまく応用できないみたいなことのようだ。会話からの情報読み取りとか知識を実践的に活用するには難がある、ということが問題だ、と。でもね、これは子どもたちに限ったことではないのではないかな、と思うのですよ。社会全体が同じくなっているような気がしますがどうなんでしょうか(笑)。

大人がそうだから子どもにもそういう教え方しかできず、結果的に今の子どもたちも「今までの大人たちと同様に」、応用が利かないし、情報読み取り能力も足りないし、実践的に使えないということなのではありませんかね。自分を振り返っても、そういう感じがするもんね。

参考記事:仕事の経験と教育

色々とブログを書いてきた中で、実践的じゃないということが多いな、と感じることは結構ありましたよ。それは学力の低いと言われるような人々ではなく、もっと高学歴で知識も豊富な人々であってもそうなんですよ。学者さんだけではなく、国会議員も、法曹の人々も、官僚も、エコノミストも、マスコミ人も似たりよったりなのではありませんかね。大体が「応用が利かない」「知識や理論を政策に反映できない」「情報が読み取れてない」みたいな(笑)。
報道なんかでも、情報を組み合わせて考える、とかがまるで出来てないので、決まりきった断片情報だけで報道されてしまうでしょ?「アレ?おかしいんじゃないかな?」とか普通に気付けそうなものであっても、鵜呑みにしてしまって報道しちゃってるでしょ?


世の中は私ごときの考えには及びもつかないような、賢くて頭が良くて知識も豊富で申し分ない人々によって、政策とか政治とか色々と考えられているのだろうと思うのだけれど、どうしてこれほど実践力に乏しい人々が多いのか不思議でならない。例えば日銀をとってみてもそうなのですよ。裁判所もそうなんですよ。現在ある資料(証拠)から、「何を読み取るか、何を考えられるか」みたいなことが、本当に実践できているのでしょうか?東大出たような立派な官僚たちが山ほどいて行政を担っているのに何故こんな結果が、みたいなこととか。

頭のいい人たちがこれほど束になって考えたり取り組んだりしているのに、どうしてこうなってしまうのかな?とか疑問に思ったりすることは少なくない。なので、実践力をつけさせるのはかなり難しいんだろうなと思う。
だって、ごく普通のレベルとかではなくて、司法試験に合格したり、東大に合格したり、その他モロモロの難しい試験や競争に打ち勝ってきたような人々が「実践力がない」みたいなことなのであれば、もっと学力の低い人たちにそれ以上の結果を求めても無理なんではないかな?

まずは世の中の中枢部分にいる人たちにこそ、実践力が必要なのではないかな、とか思います。そういえば、新聞で読んだ気がするが、「社会人基礎力」だったかに対抗して(本当は対抗してないけど)、「~力」シリーズで今度は「学士力」だったかを考える、とか出てたな。ありゃりゃ、そうなると「修士力」「博士力」が導入されるのも時間の問題かも(笑、冗談です)。これは大体何にでも使えるかもしれません。「新聞配達員力」「レジ係力」「ポーター力」…ああ、そういえば何かそういう仕事履歴のスキル認定みたいなものをやろう、とかいうのが思いつきで出されていたような……経済産業省だった?それとも厚生労働省か?
忘れたけど、あまりに「~力」が多くなり過ぎると結局何が出来るのか判りませんね、みたいなことになってしまうカモネン。「ワザ対応一覧表」みたいなもののを作成してくれないと、どれが何か判らんもん。



教育は格差を再生産するか~その3

2007年09月20日 19時06分38秒 | 教育問題
クソエントリ&ゆとり乙、ありがとよ!(柳沢慎吾風、笑)>ブックマーカーどの

はてなブックマーク - いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」:所得格差が子供を下層階級にするのか

記事を書いた当時は「はてブ」の存在を知らなかったので、気付かなかったよ。気付いていたところで、何かが変わるわけでもないが。
下層だか下流だか知らないが、階層が固定されてしまうのは親の所得格差のせいだ、所得が低いから教育も満足に受けられず、低所得が固定化されるんだ、とか、信じて疑わないのであれば、それはそれでいいと思う。だが、それを理由として救済を求められても、私は賛同しない。

朝日新聞みたいに「非正規雇用にあぐらをかいている」と批判しておきながら、自らは正規雇用を増やしたり自分たちの並外れた高給の一部さえも他の低所得者たちに分けないのと似たり寄ったりなんではないかな、と。所得格差のせいだというのを本気で信じている人たちは、まず自らの支援で低所得を改善してあげるとか、高等教育を受けられるようにしてあげたらいいんじゃないかと思う。

REVの日記 はてな経由で知ったので取り上げてみたい。

これ>strange - 2007-09-19

こちらの記事から一部引用してみる。

『簡単にかけばこう。

親が高収入→教育熱心&教育に金をかけられる→子どもが高収入

親が低収入→教育熱心さに欠ける&教育に金をかけられない→子どもが低収入』

こうした理屈を受け入れるとして、全員を大学教育まで無料化するとか、教育費の肩代わり誰かがやってあげて、全員が大学卒か大学院卒まで達成できたとしたら、全員が高給取りになっている社会なのか?そのお陰でみんなが大企業の安定した職を得たり、高額所得者たちだけの世界となっているのか?(笑)


要するに、
「オレが下層に固定されてるのは、親がDQNで低所得だったからだ」
ということに同意するということですか?だから、他のみんなが何とかしろ、と?(笑)

統計結果が出ている、という意見についても、「誰かのやった一つの結果」に過ぎず、学術的な正解が判明したわけでもないのではないか?

参考記事:
教育は格差を再生産するか

教育は格差を再生産するか~その2


アメリカでは日本などよりも実証分析は多いが、未だに決定的な答えなんて見つかっていないんじゃないか?主な理論として人的資本とシグナリングがあるけれど、他の説明もあるし、まだ判らない、ということだろうと思う。上記参考記事にも書いたように、もしも遺伝的要因ということが主たるものであるとすれば、所得格差云々という話などではないだろう。もしシグナリングであると判った時は、自分の親や先祖を恨むのだろうか?「血筋」はそう簡単に治せるものではないけど(笑)。

少し前には、こういうのも出ていた。
はてなブックマーク - 学校は人的資本を形成するのか 2賃金格差の実証分析

日本はどちらかといえばシグナリングの方なんじゃなかろうか、ということらしい。であるとすれば、ゴルフのセンスみたいなもの(?)で、「生まれつき持っていたモノが違う」ってことなら、今度は何を格差の理由に持ってくる気なんだろう。自らの「呪われたDNA」を恨め、とかになっても困るけど。
これは遺伝子格差だ、遺伝子のせいで希望もなく下流階層に固定化されるんだ、オレの遺伝子を治療せよ、治療しないと「逆恨み遺伝子」を発動して戦争しちゃうぞ、とか?
これまでは、「自分の能力」に原因があったわけではない(=親の低所得のせいだ、階層固定化のせいだ)と自分自身を納得させてきたのに、もし万が一「生まれつきの能力差に過ぎない」ということが判明してしまったら、今度は自分を納得させられなくなったりはしないのかな?
常に「誰かのせいだ、誰かが悪いんだ、社会システムが悪いんだ」と思って批判してきたのに、これが「自分の持って生まれた能力のせいだ」と知らされた時、今度は何処にその怒りをぶつけるのか?自分自身に?出自に?


あと、この記事に挙げた教育経済学の実証分析に関するESRIのペーパーですけれども、ここでも意見がいくつか出されていて、過去の研究からは何とも言えないですね、って話で、中々決定的な要因というのは判ってないんじゃないでしょうか。

けど、親の低所得のせいなんだ、だから低所得者は固定化されるんだ、というのを正解として無批判に撒布するのはどうかと思うのですね。これを信じるのはしょうがないんだけれども、それを政策的に考える時にも「親の所得のせいなのだから、救済せよ」とか言われたって、はいそうですかなどとは同意できんのですよ。


これも同じようなことではないかな。
『「これをやったら急激に頭がよくなった」という方法』に群がるのは何故なのか?
生まれつきの能力に大きく依存するのであれば、急激に頭が良くなったりはしないかも、とか考えるはずなのに、何故かある方法(例えば大学教育とか、笑)をやれば頭が急に良くなるとか信じようとする人々は少なくないかもね、ってことなのかな。浅知恵つけて喜んでる人たちにとっては、意味のあることなのかもしれないですけど。まあ、信じるのは自由だから。実際頭が良くなるかもしれないし(笑)。



話が飛ぶが、地方自治体などの公務員に、高卒で採用予定だったのに実は大卒で経歴詐称で罰せられる、とかいう話があったが、あれって何が悪いの?と思ったんですよ。大卒以上って応募基準で、本当は高卒で大学に行ってもいないのに大卒の経歴詐称をすれば、これは責められるというなら判る。でも、大卒なのにわざわざ高卒という仕事に応募してくれるんだから、別に悪くも何ともないと思うのですよ。こういう固定化された求人というのは、オカシイと思うのです。そもそも、どんな人か、何ができるか、みたいなことが重要なのであって、卒業がいつかとか高卒か大卒かみたいな区分って必要ないんじゃなかろうか、と。それよりも、免許、資格や実務経験とかで応募基準を決めとくなら判る。高卒で直ぐに働きに出る人の割合が減っているご時世に、何でわざわざ「高卒じゃないとダメ」みたいなことになってるのか、不思議でならない。高卒だろうが大卒だろうが、応募資格として「高卒以上」ということであれば、全員同じ扱いでいいと思うけど。どの仕事を選ぶかは、応募する側の自由、ということ。

ロースクールみたいなのもそうだろうと思うのだけれど、ロースクールに行かないと法曹にはなれない、みたいなのも明らかにオカシイんですよ。それよりも、一般社会で実務を色々と経験していたりする方が、大した教育もできないロースクールなんかよりもずっといいと思うけど。わけの判らん大学がボコボコ乱立して、一応大卒っていう肩書きだけが粗製濫造となっただけなんじゃないか、とかチラリと思わないでもない。文教利権みたいな気もするし。ロースクール乱立にしたって、同じようなものではないかな、と。それよりも、社会人として働きながら司法試験に挑戦し、法曹となっている人たちもこれまではいたわけで、そうした「自由な道」を閉ざすのは本質的にオカシイでしょうよ。ロースクールのなかった時代に法曹になった方々が、せいぜい受験予備校の教育しか受けてないので「法学教育が不十分で能力に問題がある」とか言われたりしてるのですか?(笑)ロースクールに行ったって、ダメなものはダメなだけなんじゃないの?

司法試験がロースクール一本になってしまうと、ダメなロースクールを生き延びさせるだけにも思えます。大学乱立も、ロースクール乱立も、大学院重点化も、中身の伴っていない利権だけの仕組みに見えてしまいます。本当にやりたい学校は色々とやればいいと思うけど、無駄に生き延びさせる必要性なんかないと思うのです。「親が低所得だったから大学に行きたくても行けなかった、だからみんなに行かせろや」ということで、底辺大学とかどうでもいいローとか大学院なんかに無駄な金と人員を送り込み、ダメ学校を生き長らえさせるのもイヤだな、と思いますね。