特に、経済学者が憎いとか嫌いというわけではない。しかし、専門家と称する人々のあまりに杜撰な議論や主張を目にするにつけ、疑念が消え去ることがないのである。これは経済学の世界に限ったことではない。法学だって同様である。そうしたことの一部はこれまで何度も記事に書いてきたので、改めて強調することではないが、いつまで経っても変わらないのはフシギダネ。
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【感想】『日本経済復活 一番かんたんな方法』 - 岩本康志のブログ - Yahoo!ブログ
まず印象を手短に書くことにする。
「無知な専門外の一般素人大衆」が何か提案=衆愚(金融)政策
岩本氏その他経済学界がリードする日銀と専門家=俺らこそ権威で正しい
まさにこんな感じ。ああ、またかと。
専門外の人々の議論を専門家が眺めている時に、ああ間違ってるなと気付くとか、ウソを言ってるなと見破ることなど当然で、それは造作もないことであろう。それは普通である。けれども、”自称専門家”の説明が間違っていたり、矛盾していたりすれば、それは素人目で見ても「違うんじゃありませんか」と疑問に思うわけである。何より問題なのは、「真に正しいことを言っている専門家」と「権威や学問に名を借りた単なる自称専門家」を、専門外の一般素人が見分けるのは困難なことが多い、ということである。後者は間違った解説やウソを言うのだが、専門外の一般人からすると区別をつけにくいということだ。ニセ医者だって、何十年か診療していたりすることだってあるのだから。
少なくとも、まともな医師であれば、「どうして~という病気になるのですか」という質問が投げかけられた時、医学的結論が得られてなければ「分からない」と答えるであろう。ところが、経済学者は違うらしい。殆どの学者と称する人たちは、結論の決まっていない事柄について、「経済学的装い」で意見を述べるわけである。それも推論の上に推論を積み重ねて、あたかも正解であるかのように、何らの実証も提示することなく、留保つきであるという断りを入れることもなく、断定的に言うわけだ。何事においても。
彼らの”学界”のルールでは、そういうのが許容されている、というのが当方の認識である。
彼らの自信の源を知りたい。知らないことを、よく断言できるなと思うよ。
真の意味での「専門家」や研究への敬意を失わせないようにして欲しい、と願っているのです。別に、経済学をバカにしたいわけじゃない。逆だ。もっと「役立つようにしてほしい」、だ。その為には、まず議論の土台を作っていかなけりゃ、先には進めんでしょう?
甲論乙駁、「オレ流経済学」が跋扈する世界となっているだけじゃないか。経済学の世界では、それで恥ずかしくないのか?
参考記事:
・
「予測の専門家たち」は日本にいるのか
・
経済学への期待と落胆
それでは、上記の岩本先生の記事から、いくつか有難いお言葉を見てみよう(以下、引用部は『』で示す)。
『しかし,学界で割れている議論ならば,学界での議論に耐えられるような,きちんとしたモデル分析に裏打ちされた提言でなければ,説得力がない。』
確かに。ご尤も。かと言って、条件①;学界での議論に耐えられる、条件②;きちんとしたモデル分析の裏打ち、を満たしている提言だの主張だのというのは、あまり見かけたことがないが。
簡単なテーマでは、例えば「上限金利問題」というのがあったが、じゃあ、経済学の論理は実証に耐えうるものであったか?素人に指摘された事項すら、「経済学の論理」で説明できないのはどういうことだ?まあいいか。
条件①と②について、よく頭に叩き込んでおいて欲しい。
個別に問題を書いてゆくよ。
◎問題1:
『ルールが守られるという前提で書かれている論文が多数あっても,ルールが守られることが保証されたことにはならない。(中略)
透明性を高めてルールを守らせるという点では,組織の目的が狭い中央銀行の方が簡単だと考えるのが自然だ。』
a)「中央銀行は政府より簡単」と考える理由について、①及び②に沿って、その論理を示しなさい。結論の定まっている論文があれば、それを提示しなさい。
b)「ルールを守る保証」が現実にないのであれば、どうして経済学の論文ではそのような「実際には起こり得ないこと」を前提として書かれているのか説明しないさい。
(だったら、逆に「ルールを守らない」ことを前提とした方が、研究が無駄にならないのではないのか?)
では次。
◎問題2:
『ゼロ金利・量的緩和時代には,日本銀行は,将来も金融緩和を続ける約束を市場に信認してもらうような,「時間軸政策」を展開した。これも時間整合性の問題に悩まされている。デフレ脱却に劇的な効果をもったわけではないが,まったく効果がないわけでもない。ブレーン役の飯田氏は時間軸政策にも触れていて,「最近ですと元日銀政策審議委員の植田和男先生が,『1%を超えるまでゼロ金利を継続すると宣言してはどうか』と言われています。僕は,1%は厳しい,せめてもう少しインフレになるまで…」(156頁)と発言しているが,これなどは日銀のとるべき選択肢として,傾聴に値する意見である(数値については,私の個人的意見は植田先生に近いが)。ただし,こうした政策の実行から期待できる効果は,かつての時間軸政策の効果に少しの上乗せであって,勝間氏のねらっているような効果は残念ながらもたないだろう。』
a)日本人以外の著者が書いた「時間軸効果」についての英語論文を示し、海外研究者での評価について述べなさい。英語論文がない場合、何故広く海外で認められていないのか説明しなさい。
b)条件①及び②に沿って、「時間軸効果(政策)」のモデルを提示しなさい。
c)上記提示の「1%」の水準について、その論拠を、条件①及び②に沿って提示しなさい。論文でも可。
d)『デフレ脱却に効果が全くないわけでもない』と書いている理由について、条件①及び②に沿って、モデルを示しなさい。論文でも可。
e)『こうした政策の実行から期待できる効果は,かつての時間軸政策の効果に少しの上乗せ』と主張する理由について、条件①及び②に沿って、モデルを提示しなさい。論文でも可。
いちいちこういう問題を出すのもアレなんだけど、多分、岩本先生の記述の殆どが単なる主観的意見であるとか、個人的主張の域を出ないものであると思いますよ。どれも経済学のモデル分析で裏打ちされた、専門的議論に耐えうるだけの論拠なんて、ないだろうというのが私の推測ですよ。ペーパー1本すらないのに、よく結論が言えるな、ということなんですよ。岩本先生にとっては、確かめる以前に「既知である」という事柄なのでしょうけど。経済学者という肩書を持つ方々の議論というのは、往々にしてそういうものだ、という典型例ということです。
しかもそういう人が、一般大衆や経済学素人に向かって「専門家の見解を覆せる論拠を示してみろ」とか、専門家(つまり自分みたいな学者)を説得できるような「(論理に)裏打ちされた提言をしてみろ」とかいう要求をするのがあまりに滑稽ではある。その心性が分からない。
以前の「GDPギャップの2%」という水準の論拠が研究によって明らかにされてないにも関わらず、自分が用いる時にはアートで片づけ、他人には「主張する論拠を提示せよ」というのと、全く同じ。他人に厳しく、自分に甘い、みたいなもんか。
岩本先生が本の中身について批判するのは自由だし、別に何とも思いませんよ。僕は当該本を読んだわけでもないし、著者たちの肩を持ちたいとかいうこともないですから(というか、2名については過去に批判だけ書いてきたことはあるけれどもね、笑)。
けど、何より、一番ガッカリさせられたのは、他人に学問の答えを求めていることだ。そういうのは、学者の名折れではないのか?
経済学素人に答えを尋ねてどうするの。
モデル分析で裏打ちされているもので、もっと具体的な説明をしてくれ、とか、よく恥ずかしくなく言えるな、と思う。だったら、学者はいらんだろ(笑)。何の為に、専門家として存在してるのさ。
経済学素人ですら解説できるくらいなら、既に経済学の学問上で答えが出ているということだろ。学問的には、決着が付いている、ということなんじゃないの(笑)。結論の出ているものを、改めて解説してみろと要求する専門家がいるのか。
そうじゃないでしょ。
「誰も答えを知らない」
だろ。認めたくないかもしれんが。
素人も知らないが、専門家と称する学者だって、同じく「知らない」んだろ。モデル分析があっても、実証に耐えうるものではなく、頑健性というハードルがクリアされない脆弱な論拠しか持たない説明が多い、ということではないのか?
学者といっても、素人と同じく「答えを知らず、説明もできない」という連中が圧倒的に多い、というだけだろう。
そんなに専門家が正しいと言うなら、お尋ねしよう。
日銀は、株式購入、CPや社債購入、外貨建資産購入、などを行ったが、これらを支持する論理的結論とは何か?ペーパーで示せるはずだ。デフレ脱却に効果があると確認できるからこそ、そういう政策選択を行ったのであろう?日銀は専門家として論理的に正しいというのであれば、これを経済学理論上で完璧に説明がつけられるはずだ。
もう一つ、よく知らないけど、無効性命題というのがあるだろう?
これについてはEggertsson&Woodfordがペーパーで示した(岩本先生もよく知っているはずだろう)のだから、岩本先生もこれを支持していることだろう。であれば、日銀の当座預金残高を拡大したのは、一体何の意味があると思うか?日銀は論理に反して、量的緩和策をとったのか?これも学者ならば正確に説明できることであろう(笑)。
要するに、学者の都合のよい「使い分け」である。
自分の意に合うものは「経済学の論理」と認め、背くものは「裏打ちのない素人の論理」すなわち衆愚金融政策、といった決めつけを行っているに過ぎない。
いや、植田先生の「時間軸効果」とか「量的緩和策」とかを全否定したい、というわけじゃないですよ。日銀総裁選びの時には、総裁候補に私自身が挙げたくらいですので、馬鹿にしているとか見下したいとか、そういうものではありませんよ。たまたま例示しただけです。
ただ、学者とか学界というものが、どうしてここまで低次元の議論や研究しか積み上げられないのかな、政策提言も選択も実行も、どうしてこんなに鈍感でいられるのかな、というのが心の底から疑問に思うわけですよ。
こういうのは、学者の世界で、学界が解決してゆくことを目指してくれない限りは、誰にもどうしようもできないんですよ。このまま朽ち果てたいなら別ですがね。