いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

内田樹・著 『日本辺境論』を読んだよ

2010年02月28日 12時51分32秒 | 俺のそれ
内田本を初めて購入。

これまで単行本を読んだことがなかった。
が、遂に(誘惑に負けて?)昨年末に購入してしまった。


もっと早くに読めばよかったのだけれど、既に手に入れたものには何故か熱が入りにくい、という個人的嗜好傾向があるので(笑)、いつでも読めると内心思っていると、積読になってしまいがち、ということはあるのかも。

これまで目にしてきたブログ記事のまとめ、というものにも似ていて、ああ、前にも読んだなとか、披露されていたな、といった部分はそれなりに含まれていた。


読んだ感想を簡単に書くと、このような視点・思考の日本論というのは、目にする機会がなかったので、面白く読めた。私自身の感じていたことが随所に現れていたので、ふむふむなるほど、と思わず頷きながら読めてしまうのである。


ま、読めばわかる。


自分は、日本に生まれて本当に良かったな、と思ったよ。





日本経済復興の処方箋~その1

2010年02月28日 12時01分28秒 | 経済関連
Ⅰ 日銀という病巣


ここまで日本の長期低迷が続いたことには、理由がある。元は90年前後の不動産バブル崩壊という失敗であった。しかし、その傷が20年にも渡って継続している・治らないというのは、特殊な要因があったものと考えざるを得ない。それは、失政である。政府や日銀の失敗というものである。彼らが揃って、新たな病気を作りだしたのである。 誤った診断や治療法は新たな病を生み出す、という典型例が、「失われた20年」だった。


これまでに何度も書いてきたけれども、認めようとしない人たちは多い。その最たるものが日銀とその取り巻き(主に金融機関系、マスコミ系)一派である。これに加えて、財政(再建)一派、その他学識者(大学教授や研究所研究員など)、経済評論家的ポジションの人、などがいる。彼らのご意見が本当に経済学理論に則ったものである、という証明を、私は見たことがない(専門的な研究成果を知らないだけなのかもしれないけど)。ほぼ経済学の断片的知識を自分勝手に適用してみせるか、自分の賛成する結果だけを寄せ集めてきて、何かの理屈を組み上げているかのようにしか思われないのである。学術的な結論が得られているものを前提としているのかどうかさえ、誰の検証も受けることすらないのだ。

そういう曖昧な論理であろうと、ある程度整合的な説明ができているとか、致命的な矛盾なく合理的説明が与えられているものであれば、それなりに適合性が高いと看做せるので信頼できるかもしれないな、と思えるわけである。だが、そういうものが殆どないのである。純粋に学術的な部分でさえ、日銀派の論理的正当性が立証されないのである。一体、これをどうやって信じろと言うのか?


しかも、日銀理論の実践をこれまで散々やってきてダメであったのだから、敗北は確定的であろう。なのに、負けを認めようとしない日銀の根性が分からん。日銀理論の完成をみた、ということであろうか。ここに至っても、まだ「我々は正しかった」と言う、その気持ちが全く分からない。そのずうずうしさとか、過剰な自信の理由とか、頑迷さの根拠がまるで分からない。

その一方で、わけのわからん勝利宣言だけは得意みたいで、日本国内さえ満足に切り盛りできないくせに、ヨソに口出しなんぞせんでもよろしい。「海外先進国では反省している」とか、「かつて~と言っていた人たちは、~を取り下げたor 言わなくなった」とか、よく恥ずかしくなく言えるな、とは思う。


これが手術なんかであれば、即、「そこをどけ」だよ。ケツを蹴り飛ばされても文句は言えまい、ってな感じ(笑)。
屁理屈ばかりこね回して、いくら御託を並べても全然うまくできてないのだから、お前はもういい、ということになるわな。「手を降ろせ」だ。
できません、としか言わない間抜けに手術を任せておくのは無理なんだよ。そうであれば、「手を代わる」しか状況を打開できるようになんてならない。手を代った途端にサクサク進むということは、珍しくはない。ダメなヤツをいくら執刀医にしておいても、時間の無駄なんだよ。そういう連中はもう代われ、というのが普通。


これほどまでに失敗を積み重ねてきていながらにして、どうしてここまで「ダメな理屈」にしがみつこうとするのか、その根性がまるで理解できない。「○○では××ができない」とか能書きばかり言ってるんですよ、日銀は。学者も同じ。役立たずなくせに理屈だけはあれこれ口出しするだけ。それは、お前がヘタなだけなんじゃないのか?
己の無能や失敗を認めたくない、傷つくことから自分を守りたい、そういう腐った根性のために過去の政策から変更することを恐れているに過ぎないのではないのか。


日銀が動くことを阻止したいのは、日銀政策に恩恵を受けてきた金融機関などの事情ということもあるのではないか。国債を大量に抱えているので、金利上昇となれば国債価格下落という損失を蒙るからだ。基本的には満期保有をすれば、低利だというだけで、現実損が発生するわけではない。まあ、年月をかけて国債比率を下げてゆくようにすればいいだけである。それを可能にするのは、やはり日銀の政策に他ならないのだ。


日本経済にとって、平成バブル崩壊とかリーマン後の世界同時不況なんかよりも、はるかに強力な病因となっているのは、日銀である。その病因に対して、根本治療を施さなければならない、というのが、拙ブログでの結論である。


日銀が病気を作り出している、というのは、以前から指摘してきた通りである。
乱心いたしたか、松銀どの

今は、これを確信した。
ブログ書き始め(04~05年)の頃はそこまでの確信はなくて、”疑念”という程度ではあったけれども、日銀や経済学者たちの多くをそう簡単には信じることができない、ということを学んだ。素人以下の能力しか持たない人たちが、専門家面して屁理屈を騙っているということも、身にしみて判ったということである。



改訂版が出ていたのね~ESRIのペーパー

2010年02月26日 19時27分20秒 | 経済関連
見落としていた。すまない。

このシリーズは、中々に良い分析となっていると思うよ。理論と、現実の適合度を常に見てゆこうとする研究であるからだ。


06年版とかは、幾度か参考にさせていただいた。
例えばこのへん>日銀に利上げの根拠を問う~その2


で、今回のは08年版ということで、既に1年以上が経過してしまっていたみたい(ホントごめんね)。いや、別に謝罪すべきものではないのだけれどもね。

ESRI,ESRI Discussion Paper No.201??短期日本経済マクロ計量モデル(2008年版)の構造と乗数分析


あくまで参考資料です、ということであっても、一応議論の土台にはなりますから。無益な言い合いとかよりは、はるかにマシ。

「トービンのq」問題は、中を読んで下さいな。
ぼくが特に挙げておきたいのは、貨幣供給量のことだな。このペーパーで使われているのは、昔からある「M2+CD」なんだけど、最近は日銀統計が変更されたので、詳しくは日銀のマネーストック統計の説明を読んで頂戴。

ま、細かい話はおいておいて、貨幣供給量を減少させた場合の効果を見ているのだな。
すると、GDPは低下すると思うか?

そうですよ。低下してるんです。


それと、線形性の具合も確かめているのだけれど、貨幣供給量の減少効果は、一応線形性が保たれている、ということみたいですよ。


専門家の見解を覆せとか、専門的なモデルの裏打ちをもって話せとかおっしゃる岩本教授ならば、何と言うのかうかがってみたいものです。


勿論、たった1本のペーパーで全てが証明された、とか、これが絶対に正しい、なんてことを言うつもりはありません。しかしながら、学者が「~なんじゃないか」という議論をするのであれば、せめて研究成果に基づく話をするべきだろうね。現実のデータや現象がそれに反することだってあるかもしれないし、そうであれば、また新たな(追加的)研究を必要とするわけで。そういうのを繰り返してゆくと、より精度の高いものが作られてゆく、ということなんじゃないのか。他の研究者の検証に耐えうるものを作れ、ということである。


 

真央ちゃんは立派でした~フリー

2010年02月26日 15時41分01秒 | いいことないかな
SPとフリーと、本当に素晴らしい演技を見せてくれました。

ただ、緊張の糸が…
あの後のミスは、そういうものだった。

ちょっと、残念、とは思う。


キムヨナはミスなく完璧だった。
あの精神的タフネスは、見習うべきものだ。

だが、キムヨナの得点は「GPファイナル」と比較すると、かなり不可解ではあった。とても同じ競技、同じプログラムとは思えないものだった。


眼前で220点台というとてつもない点数を出されたら、ああ、終わったなという感じにはなってしまうわな。フリーで150点って、それはまあ今後の語り草にでもしてくれ、ということなのかもしれない。女王の風格、みたいなものが備わっているということなんだろう、きっと。


参考:

女子フィギュアスケートは見る価値を失わせる



浅田真央ちゃんには、ありがとう、お疲れさまと言ってあげたい。



unfairな国

2010年02月26日 12時22分42秒 | 社会全般
米国では、政府機関が恣意的に特定企業を狙い撃ちするのが常識のようだ。

運輸省が情報を小出しにして、トヨタの問題だけを取り上げるというのは、明らかに意図的な情報操作である。同じ問題をしつこく取り上げ、不確実な情報をマスコミに何度も流すことによって、問題をクローズアップすることに成功したということだ。


①フロアマットの問題

フロアマットが原因と推測される、という理由から、マットのズレで事故が起こったということ、それは追加的に用いられたマットに一因があったのではなく、あくまで製造メーカーの責任である、という論法が、米国では主流のようだ。米国の一般国民には、一体何が事故の原因なのか、トヨタ車の何が問題なのか、というのが、一切不明にされていただけ。そのように仕向けたのは、「トヨタ車を運転するな」という偽計業務妨害に匹敵する妄言を吐いた、ラフード長官だ。

最も卑怯な点は、米国運輸省は、フロアマットが原因と推定される事故の全てを情報開示していないことだ。本当に、トヨタ以外のメーカーでは、フロアマットが原因の事故は「1件たりとも」起こっていなかったのか?
運輸省は「なかった」と断言すべきだ。

GM、フォードやヒュンダイでは、ただの1件も発生してなかった、というのであれば、その情報を開示せよ。情報を出せないとすれば、それは特定企業狙い撃ちの陰謀説をより強化するだけであろう。少なくとも日本では、「複数メーカーで起こっていた」ということは言える。トヨタに特異的な事故ではない。

ところが米国では、そうした事故情報の全体像は隠されたままだ。フロアマットを理由とするなら、その他メーカーにも同等のリコール要求をするのが当然なのではないのか?まあ、かの国では、自国利益を守る為なら、どんな煽情報道さえも許される、ということなのだろう。


②急加速の苦情は他メーカーでなかったのか?

日本の情報が開示されたのが非常に遅かったのだが、トヨタ車で38件の苦情があったということだ。だが、これも当然他のメーカーでもあるわけで、96件がトヨタ以外である。台数の割合からすると、大体その水準、ということらしい。
38/134という苦情が、果たして多いのかどうかのか、ということはあるだろう。事故の原因を調べるということは大切だ。そのことと、トヨタの事例だけを殊更取り上げて、大騒ぎすることは全く違う。

米国では、トヨタだけが「急加速」の事故や苦情があり、他社では起こってない、ということを運輸省が証明してくれさえすればいい。他社では「1件も苦情は入ってない」と断言すればいいだけだ。


③今になって電子制御を取り上げたのは何故か?

もし本当にそういう分析を行っているのであれば、「再現可能な」指摘をするべきだろう。当方で書いた回生ブレーキの記事(ハリアー(ハイブリッド)ユーザーとしての雑考ハイブリッド(HV)車のブレーキ問題について)は、そういう視点で書いているものである。それはあくまで「ハイブリッド車」ということを言っているわけで、他の通常のガソリン車で起こる現象を言っているのではない。

米国人のいう「急加速」という苦情は、推定される原因があって、それと同等の現象が「条件を揃えれば再現できる」というものとは違うように思われる。大体、「神が止めた」という現象を、どこの誰が再現できるというのか?
運転者が主張する苦情内容について、完璧な説明を求めるということなのかもしれないが、いくら論理的で現象と整合的な説明をしようとも、本人が「いや違う、納得できない」みたいに言い張れば、それはもう説得が無理という話だな。

それに、電子制御が問題なのだ、という主張をするのであれば、最初からその線を調べるべきである。何故、「フロアマット」や「アクセルペダル」などを取り上げる必要があったのか?
要するに、評判を落とせることができれば何だっていい、ということだ。その目的をもって、トヨタ問題にターゲットを絞ってやってきたからだ。
米政権が利用しているのではない、ということを今更になって言っている向きもあるが、最初はそういう圧力の目的でやってきたら、途中からは炎上具合が「当初の方向」から離れていって、単なるヒステリックな過熱報道になっていっただけのようにしか見えないが。



「フロアマット」と「急加速」の苦情について、もし他社でもあるとすれば、全メーカーを呼びつけて公聴会をやるんだろうな?

もし、これがやらない、ということになれば、完全な不公平の存在が全世界中に知られることになるだろう。


トヨタの苦情だけは、公聴会と司法当局の捜査、他社であれば「野放し」の無罪放免だそうだ。


世界のマスコミの人たちは、米国のこういうやり口をよく見ておくとよい。




スミス夫人の『神の御加護レクサス』はその後に何らの問題なし

2010年02月25日 20時02分57秒 | 社会全般
前の記事には後日談があったみたいです。

急加速したトヨタ車、その後はトラブルなし(ウォール・ストリート・ジャーナル) - Yahoo!ニュース


神の力で停車したスミス夫人のレクサスは、別なオーナーに渡ったものの、何らの問題を起こすことなく、24000マイルも走っているのだそうです。

スミス夫人は、たったの3000マイルで「恐怖体験」、夫の励ましと神への祈りで停車してもらえたレクサスは、別な人が運転すれば「祈らずとも」普通に停車し安全運行が可能だったそうです。8倍の距離を運転していても、スミス夫人の言う「不可解な加速」といった現象は見られていないようですが。


このことは、運転者の過失(操作ミスや勘違いなどを含む)という可能性があるのではないか、ということが、より一層強まった、ということは言えるのでは。


本当に、車のせいなのか?



神に祈っても、車は止まらない

2010年02月25日 13時33分18秒 | 社会全般
「車は急に止まれない」という、昔からある標語を真似て、新たな標語を作りたいわけではない。米国での公聴会のことだ。

その中で、恐怖体験を語らせて、何て酷い車なのかを証言させたかったのであろう。だが、妄信してやまない、愚かな消費者の言い分を全て聞いて、全員を納得させるのは甚だ困難な作業であるということを、米国議員は理解するべきだろう。

「トヨタは恥を知れ」 急加速体験の女性、米公聴会で証言 写真3枚 国際ニュース : AFPBB News

「恥を知れ」というセンセーショナルな部分だけを切り取って、メディアが煽動を行うことは可能。ただ、米国マスメディアがこの証言を聞いた後でも、「やはりトヨタ車は危険だ」と本気で言えるとすれば、それは「神の領域」の事柄なので人知を超えた現象であり、メーカーにはどうしようもできないだろう。このような証言者を用意すれば、メーカー側の言い分を論破できると考えている議員がいるということなのだろうか。その議員は、この証言を聞いた時に、冷静に考える能力を失っていたとしか思えない。

正確な事故原因は不明だ。だが、このご婦人の証言からすると、オカシイと考えられる部分が多いのであり、その点においてはNHTSAの対応は普通であったとしか思われないが。以下、個別の論点を見てゆくことにしよう。


①バックギアに入れた

100km/h超の速度でバックギアに入れたら、ギアボックスは破壊されるだろう。というか、レクサスであれば、そういうギアに入らないように安全策が講じられているかもしれない。普通の車であればギアは壊れ、何かに激突したかのような減速状態みたいになってしまうのではないかな?やったことがないから、正確には分からないけど。
自転車で走っている時に、前輪のスポークに棒を挟んだみたいな感じになってしまうのでは。

レクサス車では、そうした誤った操作を防ぐようになっているのかもしれないが、まずレバー位置をNに入れないことの理由が不明ではあるよね。バックギアに入れるよりは、ギアを抜くことをまず試すんじゃないのかな。


②サイドブレーキを引いた

これも、よくあるテクニックで、スピンターンでもやろうということなんだろうか。うまけりゃ、できるかもね。150~160km/hという高速でやったらどうなるか、というのは、分からないのだけれども。コントロールを失って、ガードレールに激突しなかったのが幸運だったのかも。


③夫に電話をかけたら減速した

このお陰でパニック状態が緩和されたか、解除されたということなのでは。
彼女が必死で踏み続けたのは、”ブレーキ”ではなくアクセルペダルであった可能性がある。だが、夫と電話で話して泣いたりしている時に、偶然にも足の力が弱まったということなのではないかな。ブレーキと錯覚してアクセルペダルを死ぬほど踏みつけていた足が、夫との会話で弱まった、ということなんじゃないのか?

ブレーキとアクセルの踏み間違い事故はよくあるのであり、彼女は両足でブレーキペダルを踏んだというようなことを言っていたと思うが、それは疑問である。ブレーキペダルを左足で踏む習慣のある人なんかであると、特に危険性は増すだろう。

大体、神の力で車が止まると思うのか?(笑)

彼女が、自分の過失や勘違いとか思い込みを認めたがらない性格の持ち主である場合、いかに説得を試みようとも「自分は間違った操作なんかしてなかった」と頑強に主張し続けることになるだろう。そうした傾向は、学歴が高いとか社会的地位が高いとか金持ちとか、そういったタイプの場合によく見かけるものだ。自らの過ちを受け入れられない、ということ。そうして、必ず他の「誰か、何か」という理由を探し出そうとするのである。

果たして、そういうことではなかった、と米国マスメディアの人たちは、本当に言えるのだろうか?
「恥を知れ」と言われねばならないのは、本当にメーカー側なのか?


④安全対策として

こういうパニックに陥りやすい人が存在する、ということは、事実としてある。日本国内でも、歩道に乗り上げた事故でパニックに陥り、ブレーキを踏むべきところ、誤って更にアクセルを踏み続け、被害をより一層拡大して建物などに激突してようやく停止した、というような事故があった。それも1件ではないのだ(やや年配の女性ドライバーにありがちかも)。

パニックに陥った際の、「エンジン緊急停止ボタン」のような装置を付けておく方がよいのかもしれない。それか、免許を与える際には、もっと厳しい基準を課すべきではないのかな。米国の運転免許の基準を高くするべきではないか。



ヨナに勝つ~語呂を思いついたよ

2010年02月25日 10時04分24秒 | いいことないかな
浅田真央ちゃんとキム・ヨナの点差が4.72だったそうで。

472、すなわち「ヨナに」ということで、ヨナに勝つ、と。


それはそうと、真央ちゃんの得点が出た後の、キム・ヨナが微かに笑ったでしょ?


あの時の心境を一言でいえば、

「マジ?」

だったと思うよ。全くの予想外。
本当に想定外の出来事、ということ。

だから、コーチと顔を見合わせて、ああいう笑いの表情が漏れたんだろうと思うな。




女子フィギュアで何となく感じたこと

2010年02月24日 20時12分32秒 | いいことないかな
タラソワコーチがどういうことを考えていたのかは判らない。


だけど、今日のキムヨナの演技を見て、ちょっと感じることがあった。

キム・ヨナのボンドガールは見事だ。確かにそうだ。だけど、今季に幾度も見ていくと、やはり飽きが来るものだと感じてしまった。フランスGPでは、素晴らしいと感嘆したが、GPファイナルと今回の演技を見て、確信した。


何よりも、007のプログラムがキム・ヨナのキャラ、表現や演技としては余りに「ハマリ役」だけに、フリーがどう素晴らしかったのかがよく思い出せないのだ。ボーナス得点の与えられたジャッジは参考にならないが、少なくともGPファイナルでは、案外と凡庸な演技だったように思う。007のショートに比べて、記憶に刻み付けるものがないのだ。

これは「前菜がメインディッシュを殺す」ようなものである。前菜が強すぎて、メインの存在を消してしまっているのだ。キム・ヨナのキャラクターは、ハマリ役のボンドガールに合わせて作り込まれてしまっている、ということだと思う。

映画俳優なんかでもそういうことがあるが、当たり役があまりに良すぎると、他の役柄が難しくなってしまうのと似ているのかもしれない。



タラソワコーチが与えた課題というのは、もっと別なものだと感じる。
少なくとも、キム・ヨナのボンドをまた何回も見たいか、と問われると、うーん、どうなんだろう、と。だけど、真央ちゃんの「鐘」とか「仮面舞踏会」とかであれば、他の人の演技であっても、いいかなと思えるのだ。

キム・ヨナのボンドガールは、他の人は多分誰もチャレンジできないだろうと思う。彼女だからこそ、ということはあるだろう。100年の鑑賞に耐えられるか、と問われたら、恐らく無理だろうと答えると思う。しかし、「鐘」はそれよりははるかに長い鑑賞に耐え得る演目なのではないかと思うのだ。


タラソワがそういうことを考えているのかは知らない。
だけど、バレエやオペラとか、日本で言えば歌舞伎や落語なんかでもそうだけど、同じ演目を何百年とかやって、しかも、何人もの違う人が同じ演目を何度もやっていける、というようなことと近いと思う。真央ちゃんの「鐘」は、そういう「クラシック」という位置にあるものだと思うのだ。

だから、とても目標が高い。真央ちゃんだけじゃなく、後世の何人か何十人かが何度も演じてゆくことでもっと完成度が上がっていくというようなものではないかな。基本的に、飽きというものがあまりないものだから。落語だって、話の筋を知っていて、結末さえ正確に知っていても、何度聞いても飽きるという簡単なものではないのと一緒さ。


なので、キム・ヨナのSPが彼女の一代限り、今季限りのものだとすると、タラソワが真央ちゃんに求めていたものというのは、バレエと同じような「芸術」なのだろうと思うのだ。そういう根本的な思想のようなものが違うのである。素晴らしい「ショー」を求めているのではない、ということだ。もっと別の、古典を目指すようなものだ、ということ。

そういう要求に応えられる演技者は、そういるものではない。真央ちゃんの能力というか、技能とかがハンパじゃなく必要なのだ。


たとえば「ボレロ」とか「白鳥の湖」とかを演じてきた人の数というのは、それこそ数え切れないくらいに大勢いると思うが、それぞれに違うということなんだ。そういうスケートの演技を作ってきたのが、タラソワさんなんだろうと思う。真央ちゃんは、とてつもなく高い要求に応えようと努力してきたのだ。だから、演じてゆけばゆくほどに、深みや完成度が作られてゆくものだと思えるのである。別な人が演じることで、もっと良くなってゆくのだ。

芸術って、そういうようなものなんだろうな、と。



真央ちゃんは立派だ~SP

2010年02月24日 13時40分58秒 | いいことないかな
泣けた。

こんな表情の真央ちゃんを見たのは、はじめてだった。

小躍りしたくなる気持ち、それは、演技直後に現れていた。

昨年は苦しい時期を迎えたけれど、今はそれが良い効果をもたらしたはずだ。あの苦しみがなければ、今日のSP最高の演技はなかっただろう。

今日と同じく、明日も落ち着いて演技ができればきっと大丈夫。



キム・ヨナはやはり勝負強い。予想していた通りだが、アピール力はあったと思う。ただ、初見でのインパクトに比べると、やや物足りなさというか飽きを感じさせるものだった。こういう趣向の曲というのは、そういう傾向があるのかも。ロシェットは悲しみを乗り越えて、最高の演技だった。ハイレベルの争いで、フリーがまたしても気が気じゃないね。



”学界”という病~「日本の経済学界」は信頼できるか?

2010年02月23日 22時03分00秒 | 経済関連
特に、経済学者が憎いとか嫌いというわけではない。しかし、専門家と称する人々のあまりに杜撰な議論や主張を目にするにつけ、疑念が消え去ることがないのである。これは経済学の世界に限ったことではない。法学だって同様である。そうしたことの一部はこれまで何度も記事に書いてきたので、改めて強調することではないが、いつまで経っても変わらないのはフシギダネ。

コレ>【感想】『日本経済復活 一番かんたんな方法』 - 岩本康志のブログ - Yahoo!ブログ

まず印象を手短に書くことにする。

「無知な専門外の一般素人大衆」が何か提案=衆愚(金融)政策
岩本氏その他経済学界がリードする日銀と専門家=俺らこそ権威で正しい

まさにこんな感じ。ああ、またかと。

専門外の人々の議論を専門家が眺めている時に、ああ間違ってるなと気付くとか、ウソを言ってるなと見破ることなど当然で、それは造作もないことであろう。それは普通である。けれども、”自称専門家”の説明が間違っていたり、矛盾していたりすれば、それは素人目で見ても「違うんじゃありませんか」と疑問に思うわけである。何より問題なのは、「真に正しいことを言っている専門家」と「権威や学問に名を借りた単なる自称専門家」を、専門外の一般素人が見分けるのは困難なことが多い、ということである。後者は間違った解説やウソを言うのだが、専門外の一般人からすると区別をつけにくいということだ。ニセ医者だって、何十年か診療していたりすることだってあるのだから。

少なくとも、まともな医師であれば、「どうして~という病気になるのですか」という質問が投げかけられた時、医学的結論が得られてなければ「分からない」と答えるであろう。ところが、経済学者は違うらしい。殆どの学者と称する人たちは、結論の決まっていない事柄について、「経済学的装い」で意見を述べるわけである。それも推論の上に推論を積み重ねて、あたかも正解であるかのように、何らの実証も提示することなく、留保つきであるという断りを入れることもなく、断定的に言うわけだ。何事においても。
彼らの”学界”のルールでは、そういうのが許容されている、というのが当方の認識である。


彼らの自信の源を知りたい。知らないことを、よく断言できるなと思うよ。
真の意味での「専門家」や研究への敬意を失わせないようにして欲しい、と願っているのです。別に、経済学をバカにしたいわけじゃない。逆だ。もっと「役立つようにしてほしい」、だ。その為には、まず議論の土台を作っていかなけりゃ、先には進めんでしょう?
甲論乙駁、「オレ流経済学」が跋扈する世界となっているだけじゃないか。経済学の世界では、それで恥ずかしくないのか?

参考記事:

「予測の専門家たち」は日本にいるのか

経済学への期待と落胆



それでは、上記の岩本先生の記事から、いくつか有難いお言葉を見てみよう(以下、引用部は『』で示す)。


『しかし,学界で割れている議論ならば,学界での議論に耐えられるような,きちんとしたモデル分析に裏打ちされた提言でなければ,説得力がない。』

確かに。ご尤も。かと言って、条件①;学界での議論に耐えられる、条件②;きちんとしたモデル分析の裏打ち、を満たしている提言だの主張だのというのは、あまり見かけたことがないが。

簡単なテーマでは、例えば「上限金利問題」というのがあったが、じゃあ、経済学の論理は実証に耐えうるものであったか?素人に指摘された事項すら、「経済学の論理」で説明できないのはどういうことだ?まあいいか。

条件①と②について、よく頭に叩き込んでおいて欲しい。
個別に問題を書いてゆくよ。


◎問題1:

『ルールが守られるという前提で書かれている論文が多数あっても,ルールが守られることが保証されたことにはならない。(中略)
透明性を高めてルールを守らせるという点では,組織の目的が狭い中央銀行の方が簡単だと考えるのが自然だ。』

a)「中央銀行は政府より簡単」と考える理由について、①及び②に沿って、その論理を示しなさい。結論の定まっている論文があれば、それを提示しなさい。

b)「ルールを守る保証」が現実にないのであれば、どうして経済学の論文ではそのような「実際には起こり得ないこと」を前提として書かれているのか説明しないさい。
(だったら、逆に「ルールを守らない」ことを前提とした方が、研究が無駄にならないのではないのか?)


では次。

◎問題2:

『ゼロ金利・量的緩和時代には,日本銀行は,将来も金融緩和を続ける約束を市場に信認してもらうような,「時間軸政策」を展開した。これも時間整合性の問題に悩まされている。デフレ脱却に劇的な効果をもったわけではないが,まったく効果がないわけでもない。ブレーン役の飯田氏は時間軸政策にも触れていて,「最近ですと元日銀政策審議委員の植田和男先生が,『1%を超えるまでゼロ金利を継続すると宣言してはどうか』と言われています。僕は,1%は厳しい,せめてもう少しインフレになるまで…」(156頁)と発言しているが,これなどは日銀のとるべき選択肢として,傾聴に値する意見である(数値については,私の個人的意見は植田先生に近いが)。ただし,こうした政策の実行から期待できる効果は,かつての時間軸政策の効果に少しの上乗せであって,勝間氏のねらっているような効果は残念ながらもたないだろう。』

a)日本人以外の著者が書いた「時間軸効果」についての英語論文を示し、海外研究者での評価について述べなさい。英語論文がない場合、何故広く海外で認められていないのか説明しなさい。

b)条件①及び②に沿って、「時間軸効果(政策)」のモデルを提示しなさい。

c)上記提示の「1%」の水準について、その論拠を、条件①及び②に沿って提示しなさい。論文でも可。

d)『デフレ脱却に効果が全くないわけでもない』と書いている理由について、条件①及び②に沿って、モデルを示しなさい。論文でも可。

e)『こうした政策の実行から期待できる効果は,かつての時間軸政策の効果に少しの上乗せ』と主張する理由について、条件①及び②に沿って、モデルを提示しなさい。論文でも可。


いちいちこういう問題を出すのもアレなんだけど、多分、岩本先生の記述の殆どが単なる主観的意見であるとか、個人的主張の域を出ないものであると思いますよ。どれも経済学のモデル分析で裏打ちされた、専門的議論に耐えうるだけの論拠なんて、ないだろうというのが私の推測ですよ。ペーパー1本すらないのに、よく結論が言えるな、ということなんですよ。岩本先生にとっては、確かめる以前に「既知である」という事柄なのでしょうけど。経済学者という肩書を持つ方々の議論というのは、往々にしてそういうものだ、という典型例ということです。

しかもそういう人が、一般大衆や経済学素人に向かって「専門家の見解を覆せる論拠を示してみろ」とか、専門家(つまり自分みたいな学者)を説得できるような「(論理に)裏打ちされた提言をしてみろ」とかいう要求をするのがあまりに滑稽ではある。その心性が分からない。

以前の「GDPギャップの2%」という水準の論拠が研究によって明らかにされてないにも関わらず、自分が用いる時にはアートで片づけ、他人には「主張する論拠を提示せよ」というのと、全く同じ。他人に厳しく、自分に甘い、みたいなもんか。


岩本先生が本の中身について批判するのは自由だし、別に何とも思いませんよ。僕は当該本を読んだわけでもないし、著者たちの肩を持ちたいとかいうこともないですから(というか、2名については過去に批判だけ書いてきたことはあるけれどもね、笑)。

けど、何より、一番ガッカリさせられたのは、他人に学問の答えを求めていることだ。そういうのは、学者の名折れではないのか?

経済学素人に答えを尋ねてどうするの。
モデル分析で裏打ちされているもので、もっと具体的な説明をしてくれ、とか、よく恥ずかしくなく言えるな、と思う。だったら、学者はいらんだろ(笑)。何の為に、専門家として存在してるのさ。
経済学素人ですら解説できるくらいなら、既に経済学の学問上で答えが出ているということだろ。学問的には、決着が付いている、ということなんじゃないの(笑)。結論の出ているものを、改めて解説してみろと要求する専門家がいるのか。

そうじゃないでしょ。
「誰も答えを知らない」
だろ。認めたくないかもしれんが。

素人も知らないが、専門家と称する学者だって、同じく「知らない」んだろ。モデル分析があっても、実証に耐えうるものではなく、頑健性というハードルがクリアされない脆弱な論拠しか持たない説明が多い、ということではないのか?
学者といっても、素人と同じく「答えを知らず、説明もできない」という連中が圧倒的に多い、というだけだろう。



そんなに専門家が正しいと言うなら、お尋ねしよう。

日銀は、株式購入、CPや社債購入、外貨建資産購入、などを行ったが、これらを支持する論理的結論とは何か?ペーパーで示せるはずだ。デフレ脱却に効果があると確認できるからこそ、そういう政策選択を行ったのであろう?日銀は専門家として論理的に正しいというのであれば、これを経済学理論上で完璧に説明がつけられるはずだ。

もう一つ、よく知らないけど、無効性命題というのがあるだろう?
これについてはEggertsson&Woodfordがペーパーで示した(岩本先生もよく知っているはずだろう)のだから、岩本先生もこれを支持していることだろう。であれば、日銀の当座預金残高を拡大したのは、一体何の意味があると思うか?日銀は論理に反して、量的緩和策をとったのか?これも学者ならば正確に説明できることであろう(笑)。


要するに、学者の都合のよい「使い分け」である。
自分の意に合うものは「経済学の論理」と認め、背くものは「裏打ちのない素人の論理」すなわち衆愚金融政策、といった決めつけを行っているに過ぎない。


いや、植田先生の「時間軸効果」とか「量的緩和策」とかを全否定したい、というわけじゃないですよ。日銀総裁選びの時には、総裁候補に私自身が挙げたくらいですので、馬鹿にしているとか見下したいとか、そういうものではありませんよ。たまたま例示しただけです。

ただ、学者とか学界というものが、どうしてここまで低次元の議論や研究しか積み上げられないのかな、政策提言も選択も実行も、どうしてこんなに鈍感でいられるのかな、というのが心の底から疑問に思うわけですよ。

こういうのは、学者の世界で、学界が解決してゆくことを目指してくれない限りは、誰にもどうしようもできないんですよ。このまま朽ち果てたいなら別ですがね。



Conclusory Allegations in US ~ トヨタ糾弾で得るもの

2010年02月23日 15時43分13秒 | 社会全般
米国は威信を賭けて取り組むつもりである、という決意を示したようだ。それは、米国内の政治状況の都合によって、海外企業の特定工業製品への「恣意的規制」をしたと看做される、という見方が世界中に知られ広まってしまったからである。
自らを正当化するには、企業の黒い陰謀と悪徳があるということを暴き出して、「我々は正しかった」と米運輸省や司法当局や米議会の面々が堂々と言えるようにしなければならない、ということである。

その為のセレモニー、すなわち現代版「異端裁判」―別の言い方では”公聴会”と呼ぶらしい―がこれから開催されようとしている、ということだ。生贄にされるのは、就任間もない御曹司社長らしい。晒し者にするには、最も望ましい標的である。彼が弱々しい態度や思わぬ失言、一番の期待は米国の消費者を怒らせるには十分な挑発的態度を呈してくれることであろう。
潰れたGMの会長や強欲の槍玉に挙げられたGSの会長のように、公聴会という裁きの場でトヨタバッシングの「追加燃料」を投下してくれることを、手ぐすね引いて待っているのである。


①フロアマットの事故は他社でも起こる

レクサスのアクセルペダルが戻らないという事故は、フロアマットのズレが原因の一つとして推測されている、というのが報道などから知られることになった。それは、トヨタ車に特有の事故なのであろうか?
米国では、どうやらそういう解釈らしい。ではお尋ねしよう。米国内でトヨタ車以外の車では、フロアマットのズレで事故が起こったことがないといえるか?もしそうなら、公的機関のデータを全て当たって、「1件も起こっていなかった」と断言するとよい。本当にそうなのか?

日本の国土交通省が発表した資料によれば、日本国内だけで13件の事故が報告されたが、メーカーは複数でありトヨタ以外の4社が含まれていた。いずれもリコールを求められたりはしなかった。運転者側の要因であるから、という理由だろう。
フロアマットの問題でトヨタを責めるなら、GM、フォードやヒュンダイではそうした事故はただの1度たりとも起こってない、と断言するべきだ。その挙証責任は米国の公的機関にある。少なくとも日本の監督官庁で示した13件を否定できるように、「トヨタ製以外の車では、米国内でフロアマットの事故は起こってない」という立証をせよ。他社で1件でも起こっているなら、トヨタに求めたのと同じく、全てのメーカーにリコールさせるのが当然だ。


②CTSの問題を問われないのは何故か

かつてのフォードの場合には、タイヤメーカーであるファイアストン社に責任がある、と言って責任を負担させたわけである。評判も金も、両方である。フロアマットのせいだ、とはじめは言っていたのに、今度はアクセルペダルが悪いんだ、と言い出したわけだ。フロアマットでは、トヨタにリコールさせられないからだ。
アクセルペダルだと米運輸省がしつこく主張を続けるので、トヨタではリコールするがCTSにその費用負担を求めるという報道が流れた。それを阻止せんが為に、メディアによるトヨタバッシングを展開したのだろう。

今回のアクセルペダルに問題があった、という見解は、どこの公式評価なのか知らないが、リコールさせたのは間違いない。では、トヨタ車以外の車について、同等のテストを実施したのか?
低温という特殊な環境下において、結露を生じさせた場合に戻りが悪いという現象が、トヨタ車以外のCTS製品では起こらないということなのか?
或いは、CTS製だけではなくてもよいが、アクセルペダルの戻りが鈍くなる、という現象を発生させることはできないと断言できるか?

恐らく、米運輸省にはそんな断言はできまい。
同等の実験をやれば、必ずペダルの戻りの悪い車は見つけ出せるだろう。低温下では、オイル類が硬くなるというのはよくあることなので、それほど困難ということはないはずだ。使用状況にもよるかもしれないが、手入れの悪い米国製の中古車なんかであれば、いくらでも動作不良の車はあるだろう。それは製品のせいなのか?それとも、点検整備を怠る運転者の責任なのか?

既に消滅したGMブランド、Oldsmobileの『アレオ』は04年にアクセルの不具合でリコールになっていたはずだが、そういうのと同等水準の車は探せなくはない、ということだ。


③下り坂で「急加速」を言い募る人

これも諸説あって、米国人は何が言いたいのか全くの不明である。
まず、「でこぼこ道の下り坂で急加速した」という証言があるらしい。これは運転者の未熟、すなわち状況判断や知識の欠如によるものであり、そういう知識の欠損を製品が補え、というのは、大変困難である。電子レンジに猫を入れるな、というマニュアルを書けというくらいの国だから、車にもありとあらゆる知識を満載したマニュアルを要求するのかもしれない。
でこぼこ道というのが正確には分からないが、恐らく未舗装の道路ということなのではないか。砂利道というような悪路ということだろう。日本の免許取得者であれば必ず習うが、アスファルト路面に比べて摩擦係数が落ちる、というのは常識である。すなわち、ブレーキの効きが低下する、ということである。更に、「下り坂」というのだから、当然に重力が働くわけで、エンジン出力がたとえ同一であっても、加速度は増大するに決まっている。それが下り坂の注意点に他らないわけで、運転免許を持つ人間には当たり前のことだ。車両の積載重量だって影響する。いつもより遠出するので荷物や人員を多く乗せていたりすれば、下り坂の加速感はもっと増大するだろう。

それはアクセルペダルのせいではない。愚かな運転者の無知のせいである。たとえ「アクセルペダルをいつもと同じように踏んでいた」と運転者が思っても、物理現象には勝てない。砂利道の下り坂では、アスファルトの平地に比べてブレーキによる減速が難しくなる上に、体感の加速感は増す。これこそが”事実”だ。鈍感な運転者には、そうした当然の理屈というものが理解できないのだろう。運転する前に、まず学校に行くべきだ。残念ながら、自動車メーカーがそんな回答をすることはできないが(代わって私が指摘しておく)。

他には、アクセルのせいだ、というものがある。それは、上述した「結露で戻りが悪くなることがある」というような問題とは全くの別のものだ。「アクセル(ペダル)のせいだ説」を唱えている運転者たちは、一様に「低温下での運転」をしていたわけでもあるまいに。もし、温度要因が一致してないのであれば、その説は別な原因が複数存在するということだから、その欠陥を正確に指摘せよ。

そもそも、本当に「急加速」したのを確認できた人間はいたのか?「急加速という苦情」が本当に起こったのを見た人間はいたか?いると言うなら、客観的事実を挙げて証明できるはずだ。当然、再現できる。
トヨタ車特有の構造によるものであり、その欠陥に起因するからである。


④「電磁波で誤作動」説

米国公的機関が主張していたらしいのが、電磁波説である。それは電子回路等に作用して、誤動作を招く、といったものであろう。確かに電子部品は多いし、コンピュータも多数使われているだろうが、日常生活の中で生じる「強い電磁波」というもので誤動作がどの程度発生するか、というのはかなり難しい問題である。

まず、本当にそんな場所を運転中の車で通過するのか?あるのなら、その場所を特定すべきだ。高圧電線の真下か?運転中の携帯電話か?その条件下で発生する電磁波を測定すればよい。その条件で運転した時に車両に異常が発生したということを示せるはずである。この実験をいくらやっても、何も起こらなかった、というのがこれまでの調査結果なのであろう?

普通の電子部品等がどの程度の環境化であれば誤動作を起こすのかを実験するべきだろうね。普通のパソコンでもいいでしょう。そうすれば、通常の日常生活の中で、それと同等の電磁波を発生させられるかどうかを検証すればいい。そういう場所を特定できれば、その場所を何度も走らせて異常が起こるかどうかを確かめられるはずだ。日常生活の中では見つけ出せないということなら、「超電磁竜巻(*)」でもあったのか、って話だな(笑)。

(*):昔あったロボット漫画の、技の名称の一つ


⑤「○○産のカキ貝を食べたら腹が痛くなった」という論理

およそ理性的に判断することのできない人たちが多いと、一般人の主張することが全て正しいという思い込みで議論の前提を作ろうとするのである。その一例が、カキ貝を食べた後で腹痛が起これば、それは全て○○産のカキ貝のせい、ということになるという主張である。

○○産以外の××産で腹痛は起こらないかといえば、起こるわけである。事実は、「○○産以外でも起こる」だ。しかし、バッシングに熱狂する人々にとっては、その事実を考える人は誰もいない。愚かさが圧倒的有利に働くのである。事実に目を向ける人間は、「態度が悪い」となじられるのだから。

更には、ただ単に自宅の台所が不衛生で調理時に自ら感染させただけであるのに、「元々の貝に毒があったからだ」と責任転嫁することさえ容易にさせるのだ。自分の包丁が汚いだけなのに、「○○産のカキ貝」のせいにしてしまえば賠償金を取れるということになるわけだ。自分がコーヒーを零して熱かっただけなのに、マクドナルドのコーヒーが熱すぎるからだ、というような論理が通用する国では、何でも他人のせいにするのは大変都合がよいわけである。「カキ貝を食べる時には食中毒に注意せよ」とマニュアルには記載されていなかった、だから賠償せよ、というのも通用してしまうのかもしれない(笑)。

そうして、一人でも食中毒者が出たと言われたら、「即座に市場から全品を回収せよ」と強硬に要求されねばならないわけである。本当に「○○産のカキ貝」が原因で食中毒になったのか?

例えば、
 ・出した店が汚かっただけなんじゃないのか?
 ・冷蔵庫に入れないから、腐ったのではないか?
 ・不適切な季節に食べたからではないか?
などといった、他の可能性というものを一切無視するのが、米国の常識らしい。

そうした事実確認は関係なく、どうして直ちに「カキ貝を回収しなかったのか」ということをひたすら責められる国が、世界のどこかにあるそうだ。 聞くところによれば、「自由の国」というふれこみで、ヨソの国に乗り込んでは「何でもかんでも規制を緩和しろ、市場を開放しろ」と説教する主義らしい。なのに、何故か自国内では異常なまでの「政府の規制」を強いるのだそうだ。たぶん、その国では全メーカーで「ブレーキ・オーバーライド」システムを義務化していることだろう。



「炎上」を演出するのは、難しいことじゃない。動員力がものをいうだけ。論理的かどうか、事実かどうか、ということも関係ないのである。宗教裁判の時にそうであったのと同じだ。異端審問官には勝てないのである。



バンクーバーオリンピックの中間報告

2010年02月22日 12時43分17秒 | いいことないかな
んがが、眠い。


結構観てしまった。

で、応援している真央ちゃんがいよいよ登場ということで、こちらの緊張感が高まっています。当事者じゃないのに…笑。考えるだけで、ドキドキしてきます。
多分、男子の3人が頑張ってくれたので、女子チームにも自信をもたらしてくれたんじゃないかな、と思います。彼らができたんだから、きっと自分にもできる、そう信じてもらえれば大丈夫。


あと、カーリングはついついみてしまいますよね。

これまでの日本戦全部で最高難度と思われたショットは、やはりイギリスチームのスキップが7か8エンド目くらいに2点ゲットした起死回生のショットだな。あれは本当に凄い。

手前のガードストーンに当てて飛ばし、その石で日本の1、2の石を同時に押して形勢逆転に成功した。ガードストーンから日本のストーンまでの距離が割と遠かったので、かなり難しいショットだったが、まさにビリヤードの如く「ここしかない」というポイントに正確に当てたのだった。あの攻め方は本当に驚いたよ。結果は大差に終わったんだけれどもね。

ロシア戦の大逆転劇も凄かった。
6点差になった時、どうしたんだ、と泣きそうになったよ。NHKのアナウンサーの人も、「挽回できないんじゃないか」みたいな雰囲気になって、中盤での6点というのはどうなんでしょうか、という感じで解説の人のコメントを求めていたし。確かにあの時には、絶体絶命と思いましたよ、私も。

それに、延長の最終ショットの時にも、アナウンサーの人が「ああー!!前のストーンに当たる~!ヵ、どうだ!?」みたいに、あの横を通過する直前に大騒ぎしたので、失敗したのかとヒヤヒヤしましたよ。

そうしたら、見事に通過して勝利を決める3点ショットだった。
あの狭いゾーンを通過してきたんですよね。その直前のロシア側のショットがコースを消すショットだったので、もうちょいセンターに寄せていれば、最後のショットはかなり難しかったのではないかと思う。でも、本当によく勝ったよね。