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王毅大使の紳士協定

2005年04月30日 17時20分39秒 | 外交問題
この発言を受けて、日本側は小泉さんを始め、その他閣僚経験者達や、中曽根さんまでが「聞いたこと無い」「存在しない」というコメントを述べていた。そりゃ、そうだろう。そんなの知ってたら、靖国参拝の方法を考えるに決っている。ところが、今まで存在しなかった「紳士協定」ということなのに、中国側は「紳士協定に基づいて、靖国参拝を考えて欲しい」という発言をしたのだ。これは一体どういうことか?中国側がなんとか考えた一手なのであった。

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 靖国参拝 「紳士協定」を否定 中国・王大使言及に日本政府

ご承知の通り、今までの反日デモで顔写真を焼かれたり、落書きされたりと、格好のターゲットにされた小泉首相であるが、中国側の公安当局にもデモを抑制するには限界があるという国内事情がある。日本側で何か「派手なアクション」があれば、中国国内ではすぐさま反応するであろうことは、中国政府もよく知っている。あんなデモが度々起これば、海外からの批判や民間投資に悪影響をもたらすことは必至で、EUの対中武器輸出延期というあからさまな不利益を受けてしまった。天安門事件を想起させるような反日デモが、EU諸国の心理的冷え込みを呼び込んだと言えるかもしれない。


今後更にデモや暴徒が発生するようであれば、中国にとっては大きなダメージに繋がりかねないという判断であろう。そのためには、日本には「大人しくしていてほしい」ということである。そして、目立たぬように行動し、中国国民を「煽り立てないでくれ」という意思表示でもある。そこで日本首脳の動きを封じる(靖国参拝はしないでおいてね、ということ)メッセージとして、「紳士協定」発言をしたのであろう。いつまでも靖国参拝を取り上げても問題解決が難しい、との判断で、具体的に「参拝しないでくれ」という事例を中国側が示したということになる。日本側としては「参拝するな」などと言われたくないし、かと言って「参拝するな」に応じてしまえば日本国内の反発も大きいという”痛し痒し”の問題であるので、中国側は「これだけは勘弁してくれ」ということでしょう。それが、「首相、外相、官房長官」というパターンだったのです。多分前2者が主な目的だと思いますが、一応ボカシを入れて官房長官としたのだと思います。中国国内のニュースやネット上での注目度が高いのは、恐らく「首相、外相」であり、日本の顔である。そりゃそうだろうな、と思う。


なので、この3者が参拝しなければ「靖国参拝についてとやかく言わないし、問題として取り上げたりしませんよ」という具体的な解決策を日本側に提示したのですね。王大使は明文化されていない「紳士協定」という、証拠のない、うまい逃げ道を考え出した。これなら、過去の文書などを調べる意味もない上に、内政干渉などとも言われない、と踏んだのでしょう。今後これを守って下さいね、というはっきりした提案ですから、日本側はこれだけに配慮して靖国参拝を考えればよくなる、ということですね。流石は中国。ずるいが、ある意味うまい方法ではある。中曽根さんが否定したのは当然ですが、中国も困った末に考え出したのでしょう。その意を汲むかどうかは、日本側に選択権が与えられており、「対決姿勢」を選ぶなら無視して参拝することになります。これはある種のテストですね。「対話姿勢・協調姿勢」を選択するならば、麻生さんとか中山さんとか、その他閣僚や与党幹部に参拝させたとしても、3者は公式に参拝しないということになりますね。こっそりお忍びでならいいですよ、と言えるかもしれません。誰にも気づかれなければ、他者にとっては参拝していないことと同じですからね。


今後もこの「紳士協定」を守って頂き、不文律として残してくださいね、という意図もあるだろう。日本側がこれを守る限り、靖国問題でこじれることもなくなるでしょう。


記事の訂正など

2005年04月30日 10時14分14秒 | 俺のそれ
昨日の記事で、「きっと事故現場に来る前の塚口駅付近のカーブで、実際に「曲がれた」ので、同じくらいの制限速度のカーブなら「同じ方法でいけるんじゃないか」と思ったかもしれない。」と書きましたが、これはテレビ報道などを見ると何処にカーブがあったか判りません。航空写真ではほぼ直線的のように見えていました。この記事は、次の毎日新聞の記事を読んだ時に、塚口駅近辺にも別なカーブが存在したものと思い込み、それを元に書いたのです。

MSN-Mainichi INTERACTIVE

ですので、昨日の記事に書いた「塚口駅付近のカーブ」は誤りでしたので訂正いたします。乗客の証言は「事故現場のカーブ」を指していたのではないかと思います。

あと、ブレーキはペダルではなく、レバーであったようです。また、ブレーキは非常ブレーキであったとの報道がありました。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 事件

やはり、遠心力でカーブ進入後相当左側に傾いてしまったと思われ、そこでの制動荷重によって車体バランスに大きな変動があったものと考えられるのではないでしょうか。車輪のロックはよくわかりません。


脱線原因の推測2

2005年04月29日 17時07分40秒 | 社会全般
今まで推測を書いてしまいましたが、見方としては大筋あり得そうということのようです。説明方法が悪くて、何を言っているんだか判りにくいと思いますので、もう少し追加して書いてみたいと思います。
安全神話の崩壊する時(追記後)
脱線原因の推測


まず、車の例で考えてみましょう。
右カーブを曲がる時には、車の4輪がどういう状態になるのかということから考えてみます。普通は、左側に荷重がかかり、車体は大きく左に傾こうとします。路面にバンク(線路の場合には、「カント」というらしい)があっても、横Gを受けながら左前輪が最も大きく沈み込もうとしますね。高速になると内側車輪(右側ですね)は浮き上がりが起こりそうになります。通常はサスで姿勢コントロールされ一定以上の沈み込みが防がれています。カーブ走行中にブレーキを強くかけると、前輪に更なる荷重がかかり、グリップを上回る横Gとなるとタイヤは滑りコントロールを失いますね。ですが、線路の場合にはグリップはなく、レールと車輪との摩擦力ということになります。


次にトレーラーのような牽引車両がある場合を考えてみます。牽引している後続車両の重量が、駆動しているトレーラーよりも十分重い場合に、カーブ途中で急ブレーキをかけると、トレーラーの内側車輪は浮き上がることがあります。また、牽引車両が非常に重い場合には、駆動部分の後輪が浮き上がることがあります。牽引車両の慣性力が大き過ぎる場合には、当然横転してしまいます。


今回の事故の先頭車両の簡略化モデルを考えてみます。車両の車輪を4つとし(実際はもっと多いはずですが、簡単に説明する為にそうします)、前方の内側、外側の車輪をそれぞれR1、L1(右、左です)、後方も同じくR2、L2とします。

報道での速度モニター分析では、5両目(だったと思う)が脱線する時の速度が108kmということでしたので、カーブへの進入速度はもっと速いと思われます。なぜなら、ブレーキ後に脱線したとすると、脱線までの短い時間でいくらか減速されている可能性が高いからです。このブレーキングによってどれ位減速されたのかは不明です。しかし、直前の直線部分で遅れを取り戻すために最高速度で走行していたとするならば、恐らく120kmを超える程度でなかったか、と思うのです。この速度でカーブ入り口付近まで到達しており、いきなり急ブレーキはあり得ず、通常の緩徐なブレーキ開始しても大幅に減速出来たとは思えません。


先頭車両がカーブに進入すると、思いのほか横Gがきつく、「尋常ではない」と運転士は感じたのではないでしょうか。恐怖感と言えるかもしれません(車の運転中にも似たような経験をされたことがある人もおられるかも。ひょっとして曲がれないかもしれない、という恐怖ですね)。運転台は何処にあったのかは知りませんが、カントがあったにも係わらず、例えば左側の壁に押し付けられるような強い横Gを感じたら、「ヤバイ」とか先の恐怖感が襲ってきても不思議ではないということです。その為に、慌てて急ブレーキをかけます。これは非常ブレーキだったのか、通常のブレーキを強くかけたのかは定かではありません。ですが、急制動であったと思われます。


これはカーブに進入してからほんの数秒後であったと思います。車輪への荷重を考えてみましょう。カーブに進入直後には、L1、2への大きな荷重シフトが起こり、R1、2へは弱い輪重しかかかっていません。その状態で急制動が行われると、車体は前のめりになり、L1へは更なる荷重がかかり、R1はほとんど輪重を失うくらいであったかもしれません。おまけに、先のトレーラーの例で考えたように、後続車両が非常に重いと、その前方荷重が先頭車両へとかかります。カーブの遠心力で大きな荷重がL2に大きくかかっていたのですが、急制動で2両目からの前方方向への大きな力がかかることによって車輪が持ち上げられL2の輪重が抜けるということになります。カーブ途中であったので、2両目が前に押す力はR2へよりもL2の方に強くかかると考えられるのではないでしょうか(これは1両目と2両目が線路に沿って曲がって配置されていることによるのです)。


これによって、最大の荷重がL1にかけられましたが、L2の持ち上がりは一瞬で、次の瞬間には直ぐに接地すると思うのです。空気バネの正確な構造などは知りませんが、車体の高低を自動的に調整できるような仕組みになっているでしょうから、浮くと車輪は下に降りようとするのではないかと思うのです。この時点でもしもL2が持ち上がったままなら、トレーラーの横転と同じように先頭車両後部はカーブの接線方向へ倒れようとして前側は右に向いたまま車体左側面を下にしながら倒れると思います。ところが、現実は違いますから、L2の浮き上がり時間はほんの一瞬であったと思うのですね。このL2の持ち上がりの時には先頭車両はバランスが大きく崩れ、2両目との連結部分では大きな歪みを生じていたはずです。


そのような状態で、L2が接地するとどうなるのか。正確には判りませんが、予想を書いてみます。L1に最も大きな荷重となっていた時に、L2が接地することで、L1にかかっていた荷重の一部が再びL2へと移っていきます。このときに限界まで押し込められていたL1の空気バネが戻ろうとして強く働けば、車体は前方向の沈み込みだったのが後部方向へ一気に重心が移っていきます。線路の高低差は判りませんが、左レールが緩い登りになっていれば(多分登りになっているのではないかと思う)、L2への荷重シフトはさらに大きくなるかもしれません。こうして、L1への輪重が減少することで遠心力による横圧が上回り、車輪が上へとせり上がってきます。その瞬間に、L2の駆動力が復活して、FR車のように線路に駆動力が伝わります。そこで、L1はレール頂部へ向かって急速に達し、先頭車両は遠心力で左方向へと倒れるようにしながらジャンプ台の如く接線方向(マンション方向)へと跳んでいったのではないか。車体左右のバランスは、正確には判りませんが、急ブレーキでL1へ最大荷重となった時に、内部の人達が丁度こらえきれず車体左側に飛ばされたとしたら、L1、2への荷重はもっと大きいはずです。そして、横転する確率は高くなります。まるでレースのヨットのように片側へと体重移動が一瞬で起こったら、車体バランスのかなり大きな変動となったはずです。しかし、脱線直後に左側へと飛ばされたのなら、少し意味が違います。これはどうなのかは正確にはわかりません。


あと、急制動が、非常ブレーキであったかどうかですが、これは今の所正確に判っていません。非常ブレーキであれば、車輪のロックが起こるでしょうから、L1の上方向への抜けがどうだったのかは判りません。レール上を滑っていく車輪がレールを乗り越える機序がどういったものかは、思いつきません。しかし、車両の挙動が異常に不安定となり、転覆することがあるようにも思われます。またロックした車輪であっても、上の仮説で、L2への荷重シフトが起こった瞬間に、同じようにL1の輪重急減が起こるような気もしますが、ロックの可能性はよく判りません。


運転士の心理状況としては、報道にあるようにオーバーランでかなりのプレッシャーを感じていたはずで、その遅れを取り戻す為に中間部分の直線などではかなりスピードを出していたのだと思います。また、車掌と「8メートルと報告しよう」ということを話した後で、運転指令室(?、本部みたいな所)からの無線2回の呼び出しに応じなかったということでした。無線とか車内電話の仕組みも知りませんが、別々だとすれば、無線呼出しがまるで「叱責の恐怖を煽るベル」であるかのような、極度の緊張状態を作ったかもしれません。伊丹駅でのオーバーランで、もしかすると「2度と運転出来なくなるかもしれない」とか「遅れたら次の日勤研修がどれほど悲惨なものになるか」ということを考えることで、半ばパニック状態に陥ったかもしれない。しかも、応答しなかった後の2度目の呼び出しでは、「まだ遅れているということなのか?」「大幅な遅れがバレたのか?」というような、葛藤や迷いをもたらしていたのかもしれない。「遅れを取り返してから、指令室に無線応答しよう」と考えたとしても不思議はない、ということだ。


こうして、無線呼出しベルに益々急き立てられるような心理状況で半ばパニック状態だったとしたら、正確な判断力が失われていたかもしれない。カーブ進入前のブレーキングを出来るだけ遅らせて、カーブ奥まで比較的高速で突っ込んで曲がれるはずだと思ったのではないだろうか。きっと事故現場に来る前の塚口駅付近のカーブで、実際に「曲がれた」ので、同じくらいの制限速度のカーブなら「同じ方法でいけるんじゃないか」と思ったかもしれない。しかし、予想以上に列車のスピードが乗っていて、普通の減速では速度を落としきれなかった。前のカーブで”いけた”くらいのタイミングでブレーキをかけたが、曲がり始めてもまだかなりの速度が出ていた。「しまった」と思い、次の瞬間、「曲がりきれない」と思うほどの横Gを受けたはずだ。未だかつて経験のない程の、体が壁に押し付けられる程の横G。その時、ブレーキペダル(それかレバー?)を強く踏んだ。恐怖と、パニック状態に陥った大脳からの命令は、足の筋肉に微妙なコントロールなど到底できうるものではなかった(それともまともに立っていられない程の横Gで、片足で体重を支えきれず、そのせいで強く踏み込んでしまったか?ブレーキがレバーか足のペダルかで大きく違うな)。ブレーキは正確には判っていませんから、あくまで推測です。概ねこのような心理状況であったのではないだろうか?



脱線原因の推測

2005年04月28日 11時51分30秒 | 社会全般
昨日から憶測で書いてしまい、良くないかもしれないと思いつつ、もう少し書いてみたいと思う。死者の方は103名とのことです。ご冥福をお祈りします。

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - JR脱線事故 「乗り上がり脱線」か レールに線状の傷
Yahoo!ニュース - 共同通信 - 左傾し脱線した可能性 国交省事故調委の見方


昨日も書いたが(安全神話の崩壊する時(追記後))、事故現場の車両の位置関係から、1両目がマンションに激突後、2両目は勢いが残されていて尚且つ3両目に押され続けたので、1両目と2両目の間でジャックナイフ状に曲がりマンションの柱に激突、3両目が押し続けた2両目後方部は柱に巻きついて折れたと思われる。脱線直前にはどのようなことが起こったのか?少し推測してみます。


1両目がカーブに進入した時、制限速度を大幅に超えていた。直前の直線部分では恐らく120km程度出ていたのではないか(駅を出発してから事故現場まで平均速度が相当早く、0からの加速段階などを考慮すれば、最高速度は120kmを超えることになるように思うが)。カーブ手前から緩く減速開始したものの、進入スピードが早すぎたのだろう。緩和曲線部分を1両目が通過し、カーブに入ると大きく左側(進行方向に向かって、です)に傾いて(バンクがあるので、倒れはしないし脱線もまだしない)、その状態で急ブレーキがかけられた(右側レールから車輪は接地せず浮いていたかもしれない)。この時、左最前方部車輪側に大きく沈み、2両目以降の制動荷重が大きく1両目にかかった。2両目は既にカーブに入っていたため、1両目に対する前方荷重のかかる方向が直線的ではなく、曲がって伝わる。つまり、1両目車体は後方部分が大きく左外側に振られるような格好になる。ここで1両目の車体後方部車輪はレールに接地せず、2両目に押し上げられる格好となる。その為1両目と2両目の連結部分が大きく歪んでいた。


この一瞬の持ち上がりの後、1両目車体後方部車輪が接地すると、1両目車体はカーブと急制動によって大きく左前方向に傾斜していたのに車体後方左側車輪への荷重が一瞬起こってしまったため、車体全体の荷重バランスは左後方車輪の方向へ荷重がシフトした。車台のサスペンションとか板バネとかの構造は判りませんが、通常大きく沈み込められたサスペンションはその反発力は荷重が続く限り溜め込まれるが、少し荷重が開放されるとそうした大きく沈み込んでいたサスの反発力が強く働くように思う。そのため左最前方部車輪にかかっていた最大荷重は一瞬開放され、その時に車輪のせり上がりが起こったのではないだろうか?左最前方部車輪がレールに少し乗ったところで(右側車輪はここでも接地していなかったかもしれない)、1両目の車体全体は後方荷重へとほんの一瞬シフトしていたために、まるでジャンプ台に乗ったかのように、1両目の最前方部は大きく左に傾きながら跳んだ。その為にレールへの損傷が少ないのではないか。


後方車両との車重とか乗員の数、また車台の制動性能の違いなどによって、カーブ上に並んでいた1両目と2両目の連結部分への荷重方向が一直線上ではなく、カーブの接線方向へと大きな制動荷重がかかったために、1両目の車台に大きなアンバランスを生じ、それによって最大沈み込みとなっていた1両目最前部左車輪の戻りが一瞬のうちに脱線へと繋がったのではないか、ということだ。ジャンプするように脱線するなら、レール損傷が少ないこともあり得るのではないだろうか。2両目と3両目もカーブの為に大きく左側に傾いており、荷重が左側方向にかかっていたため、2両目と3両目は1両目に引っ張られるように僅かに浮き上がりながら容易に脱線した。しかし、3両目はカーブの中に完全に入りきっていなかったため、遠心力が前の車両ほどではなく左傾斜が弱かったため横転しなかったのではないか?


1両目が完全横転して滑りながらマンションに激突するなら、方向が変わるとか車体の向きが変わると思うが、むしろ棒のように直線的に突っ込んだ感じで、直進エネルギーはかなり残されていたと思う。なので地面についた時には車の片輪走行のように左車輪から着地して、そのまま左側に横倒しになりながらマンション駐車場に激突したと思う。地下駐車場に投げ出された人々が沢山いて助かった方がおられたのは、マンションに激突する直前まで完全横転していなかったからなのではないだろうか?完全横転したまま滑ったら全員車体左側に押し付けられたまま割れた窓とかから地面に巻き込まれ車体の下敷きになるように思う。なので、駐車場進入時直前まで倒れず、まず前方部分が大きく潰れるほどの衝撃で正面側が激突し、その直後完全に左横倒しが起こった際に車体左側へ叩きつけられ、何人もの人が窓などから下に落ちたのではないか?地下駐車場への穴は車体前部が掘り込んだためではないか?(それとも2両目の激突で、1両目車体へ大きな変形力が加わり車体中央部付近に大きなたわみ部分(弓なり状ということ)が発生して駐車場の床面を強く押した為に穴が開いたか?)この激突時に前方へ大きく飛ばされて左側窓から下に落ち、続いて2両目の乗客は前方へと大きく投げ出され(1両目方向へ飛ばされる)、すぐさまジャックナイフ現象が起こり柱に激突したのではないか。


追記:14時半頃
板バネなどではなく、「空気バネ」ということのようです。日比谷線の脱線事故でも起こった「輪重抜け」が先頭車両に起こるかどうか、ということになると思いますが、もしも、上に述べた仮説のような左最前部車輪に最大荷重からの車体後方部への荷重シフトが起こるならば、「輪重抜け」が起こりえるようにも思う。カーブ走行中、空気バネは恐らく相当の強圧縮を受けていたはずで、この戻りが荷重シフトと同時に起これば、一瞬の浮き上がりが車輪のせり上がり脱線に繋がるようにも思う。

財政改革の道は・・・

2005年04月28日 00時44分24秒 | 経済関連
やっと法案の国会提出が行われました。波乱の総務会は久間総務会長が反対派を押し切った。閣議決定は事前の打ち合わせ通り(先日の党5役一任取り付け時に決まっていたでしょう)速やかに終了し、小泉さんの出発に間に合わせた形です。連休明けから法案審議がスタートすることになります。当面のヤマは越えました。残るは採決の行方ということになります。国会審議での波乱はいくらかあるかもしれませんが、反対派の実力では覆すことは出来ないはずだ。と信じている・・・(ちょっと弱気か)
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 郵政民営化法案を閣議決定、国会に提出

郵政民営化が実行できれば、今後特別会計へのメスが入れられる。手始めは政府系金融機関の整理だ。ターゲットは既に絞られている。一つひとつ処理を進めるしかないな。


これに関して、経済財政諮問会議の民間議員は、特別会計の損失処理にかかる費用を13兆円と試算したようだ。これを一般会計から捻出するというのも困りものだな。年金や保険が負債の主なものだろうと思うが、実質的には48兆円もの繰入額がある特別会計そのもののあり方に大きな問題がある。これも前から書いてきた通りですね。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 政策

委託費、補助金、交付金、補給金といった名目を与えられて、湯水のように使い続けてきた予算や財政制度に大きな欠陥があるのだ。法の趣旨、条文に書かれる精神を今一度よく噛みしめて欲しいと思う。



<補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律>

第一条  
この法律は、補助金等の交付の申請、決定等に関する事項その他補助金等に係る予算の執行に関する基本的事項を規定することにより、補助金等の交付の不正な申請及び補助金等の不正な使用の防止その他補助金等に係る予算の執行並びに補助金等の交付の決定の適正化を図ることを目的とする。

第三条  
各省各庁の長は、その所掌の補助金等に係る予算の執行に当つては、補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに特に留意し、補助金等が法令及び予算で定めるところに従つて公正かつ効率的に使用されるように努めなければならない。
2  補助事業者等及び間接補助事業者等は、補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに留意し、法令の定及び補助金等の交付の目的又は間接補助金等の交付若しくは融通の目的に従つて誠実に補助事業等又は間接補助事業等を行うように努めなければならない。




この条文に示されるように、「予算の執行並びに補助金等の交付の決定の適正化を図ること」が守られるべきで、また、「国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに特に留意し、補助金等が法令及び予算で定めるところに従つて公正かつ効率的に使用されるように」努力することが求められている。にもかかわらず、こうした「法の精神」を忘れ、正しく業務が遂行されているとは言えない。今日財務省も名目予算の貼り付けが報じられていた(YOMIURI ON-LINE / 社会)。多少の自由度が必要な場合もあるとは思うが、根本的な予算決定方法を変える必要があるのではないか。



そしてもう一つ。省庁の財務諸表は大幅な債務超過。これに比し、独立行政法人と特殊法人は資産超過。そりゃそうだろう。「離れでスキヤキ食べ放題」ですから(塩ジイ風に言えば、ですね)。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 04年3月期の財務諸表、農水除く全省庁が債務超過

特別会計と一般会計から金を吸い上げて、余っても返さないが、「金をくれ」という部分は省庁が予算を貼り付けており、それで事業をやり続けてきたんですから。資産として(主に固定資産としての不動産関係が多く、流動資産としてはそれほど多くはないんじゃないかと思うが。確かめたわけではありませんが)多くの箱モノとか作ってきたんでしょうし、用地取得とかも高値で買ったりしてるだろうから(会計方式がどうなのかは知りませんが)、ひょっとして相場の値段とは大きく離れた簿価かもしれないしね。かさ上げしようと思えば出来そうだな。省庁が多くの資産を持つということは、あまり意味がないですし。


こうして肥大化した贅肉組織は、省庁から金を巻き上げ続けるのだ。



安全神話の崩壊する時(追記後)

2005年04月27日 10時40分36秒 | 社会全般
尼崎脱線事故は、現在死者91名という大惨事となっています。信頼性が高いと考えられていた、日本の鉄道における安全神話が完全に崩壊したかもしれません。今までに死傷事故はあったものの、ここまで多数の死者を出すことがなかったし、運行ダイヤはかなり正確に守られてきたこともあり、諸外国と比べても高い信頼性を誇ってきた。しかし、そのことが今回の事故の遠因となったのかもしれない。


今回の事故原因については、調査段階であるのでまだ正確には判らないが、一般に多くの事故では複合原因によって一つの重大事故となると考えられている。報道では(Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 時速100キロ超でカーブに…尼崎脱線事故)、脱線時には100kmを超える速度であったらしい。これも一つの要素なのだろうか?

よく判らないが、カーブに120km程度で進入し、カーブ途中で急ブレーキをかけると車輪はロックするのだろうか?非常ブレーキではなくともロックするだろうか?ロックした車輪は脱線し易いのだろうか(ロックした車輪は転がる車輪に比べて、外れ易いようにも思うが…)?線路にまかれる潤滑油は車輪の滑りやすさに影響するだろうか?連結された後続車両の制動加重は、先頭車両にどのような力学的影響を与えるのだろうか?専門家がよく調べないと、原因を突き止められないことは確かです。


今日の読売新聞には、過去の4例の脱線事故が出ていた。理論値以下の速度でも、脱線事故に繋がる可能性がある、ということのようだ。また、こうした脱線現象は複雑なメカニズムで、原因特定が困難なことも多いということが書かれていた。こうした過去の教訓が事故防止策に十分反映されてきたか、という点では、疑問があるかもしれない。それとも事故の少なさが、防止策の向上にそれほど影響してこなかったのだろうか。


事故が少なければ、安全対策への慢心や気の緩みが起こってしまうことも有り得るかもしれない。事故やミスというのは、ある程度共通する要素があると思うし、それに対しては継続的な教育というのが有効かつ必須であろう。行政側の施策における不十分な点は、こうした運行管理や運転実務に携わる人への教育の義務付けがなされていないことなのではなかろうか(実際に行われていないと思いますが…、正確ではないかもしれません)。

参考記事:(ミスに言及した記事です)
医療制度改革2
行政の闇は深い


人為的ミスを完全に防ぐことは難しいだろうが、それを防ぐ為に科学技術等による別な対策を講じる訳で、そうした体制が作られていないことに問題がある。このことはJR西日本の管理責任を問われる可能性がある。また、運転士育成のシステムとかマニュアル等においても、シミュレーターを操作することと現実の列車を運転することに、どういった違いがあり何に気をつけるべきか、ベテランの経験などから知識の集積を行い、訓練に活かすなどの必要性もあると思う。机上の理論とか安定的状態での理屈は当然知っておく必要があるが、人間の育成には、現実的問題とか困難に直面した時にどのように対処するべきか、ということを教える必要がある。それを知っていればパニックに陥ることは減らせるかもしれないが、知らなければ「ミスを隠そう」「小ミスを取り戻そう」として更なる重大ミスに繋がることも有り得ると思うのです。正しい「リカバリー方法を知っている」ことは、心の余裕(慢心とは違う、ある種の自信というか確信)を生みますし、それがあることでミスの次に正しい判断ができると思います。日常の仕事現場でもそうなのではないかと思いますし、航空機や医療などの事故やミスでも、きっと同じような面があるのではないかと思います(これもそういった事故に関する専門家が正しい答えを知っているでしょうから、そうした人の意見を尊重して下さいね)。


亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被害に遭われた方の回復を祈念いたします。


追記:19時半ころ
素人の私が事故原因について、勝手な推測を書いてしまうことで、予断を与えることになってしまうでしょうか。良くないことのような気もします。専門家の正確な原因調査が最も大切ですので、そうした結果を待つべきです。

先頭車両はカーブの接線方向へ割と直線的に進んでいるように見え、これは先頭車両の最前方車輪がまず脱線した可能性が高いと考えられるのですが・・・

もしも、報道にあるような速度で進入すると、左側車輪に非常に大きな荷重がかかっていて(右側車輪は脱線には殆ど抵抗にはならないですよね?)、車体は大きく左に沈み込みますが、続いて急ブレーキをかけると、1両目前方に大きな荷重となって、さらに一度沈み込んだ後、減速によって左側前部車輪に最大荷重となり、車輪が回転を続けていたら「せり上がり脱線」する可能性がありますか?

または、非常ブレーキ作動で(これは本当かどうかわかりません)車輪がロックしていたら、急減速の沈み込みの後、後続車両と先頭車両のねじれが戻ろうとするのと車体の沈み込みの戻りが起こり、一瞬右側車輪への荷重へと移りますか?この時に左側車輪が線路より浮き上がる可能性はあるでしょうか?


更に追記:23時半頃

先ほど「報道ステーション」を観たのですが、そこに登場していた鉄道専門家は、「脱線後、割と直ぐに横転したのではないか」という見方を話していたが、本当にそうだろうか?後続車両(4~7両目)が横転せずに進んでいることから、むしろ接線方向に先頭車両が脱線後(脱線開始位置は今の7両目のさらに後方なのではないか?)すぐ横転せずに直進し続け、マンション直前で完全に横転して激突し、2両目は先頭に引きずられたままマンションに到達し、3両目が後方から押してきていたのでジャックナイフ状に曲がって柱に激突、後部側がマンションに巻きつくように折れたのではないか?3両目は2両目を押し続けて激突したが、4両目あたりでは衝撃が弱まったことと線路からの距離がそれ程離れておらず、横転は避けられたのではないか?4両目は3両目との連結が壊れ後方車両に押されてさらに前方に進み続け3両目の側面に弾かれて前部が右側へ振られたのかな?(テレビでザーッと見た映像の記憶を元に考えているので、4両目の位置とか不正確かもしれません)



不起訴処分と裁判の意味

2005年04月26日 16時21分17秒 | 法関係
いつも有意義なコメントを頂戴しておりますan_accused さんから、前の記事にコメント頂きました。いつも有難うございます。非常に示唆に富んだご意見で、私も少し考えたのですが、結論的にはよくわかりません。ちょっと長くなりそうでしたので、記事に書くことにしました。

以下にコメントを転載しておきます。

遺族の思いを一身に受け止めようとする検事たちの苦悩はよくわかりますし、大変なご苦労とは思いますが、起訴されなければ結局その思いは加害者に伝わることなく密室のなかで処理されてしまいます。
 それが不満ならマスメディアを通じて訴えるか別途民事訴訟を提起して下さい、ということになるのですが、“津隣人訴訟”で見られたように、民事訴訟を通じて被害感情をぶつけようとすると「命を金に換えるつもりか」とどこからか批判されるということもあり、また訴訟コストに耐えられる人ばかりでもないわけで、なかなか思いを伝えられない現実があるように思います。
 有罪率99%を守り続けるために、53.9%もの事件を不起訴若しくは起訴猶予にしているという現状を踏まえると、検察は被害者・遺族の思いを過剰に引き受けすぎているように見えてなりません。
 検察には「精密司法」を守っているのは自分たちだ、という自負があるのでしょうが、もっと裁判所に引き受けてもらい、公判で被害感情をつまびらかにした上で社会の判断に委ねてもよいのではないかなあ、と私などは考えてしまいます。


現状の検察起訴について、「有罪率99%」ということと不起訴・起訴猶予が「53.9%」という具体的な数字を挙げて頂いています。有罪率は有名でしたが、不起訴・起訴猶予が思った以上に多く、初めて知りました。


被害者や遺族の立場を考えるのと、公判という場をどのように考えるのか、また、被告となっている人の権利をどう考えるのか、ということも議論される必要があるのかもしれません。起訴されてしまえば、判決が出るまで長い時間を要します。よく判らないですが、被害者や遺族の気持ちを刑事裁判という場ではなくとも、被告(となり得た人)との間での心情上の解決(改善)方法が皆無ではないような気もします。これは当事者たりえた方にしか、本当の所は判らないのかもしれません。


勿論、責任を厳しく問いたい、問うべきということは理解できますが、刑法は遺族の気持ちの救済までは規定していない、それ故、担当検事がそこに立たされた時に苦悩するんじゃないか、とも思います。起訴・不起訴の数字は、有罪率の死守に拘っている結果なのか、厳格な法解釈や証拠主義が守られた結果なのかは、私には判りません(ただ、日歯連事件に見られるように、検察審査会の不起訴不当という意見もある訳ですから、必ずしも不起訴が適切な判断ばかりとも思ってはおりません。そういう意味では、検察審査会の役割は一定の効果があると思いますが、検察がそれを全て尊重しているとも言えません)。


難しくて結論のようなものも出せないのですが、長い裁判の末、無罪である時に(先日のエイズ訴訟における一部無罪判決のような)、裁判にならなければ時間が少し癒してくれたかもしれない心の傷は、無罪で更に深まるとか、再び打ちひしがれるという無念さもまた、遺族にとっては相当辛いと思います。このことが、救済となるのか、思いの丈が表出できるのか、ということも、よくわかりません。被害者や遺族への行政制度上の救済が必要であることは確かで、徐々にではありますがそうした立法が行われつつあります。


いずれにしても、人間の心が係われば、いかなる法制度をもってしても全てに解決のよき方法があるわけではない、ということも漠然とではありますが感じます。実際に担当しておられる検察官や裁判官も同じように、解決方法がないからこそ、心情を汲み上げようと苦悩するのかもしれません。



この件とは関係ないのですが、最高裁判決で次のようなものがありました。これも、法の不思議というか理不尽さを感じざるを得ません。

asahi.com: 住民訴訟の弁護士費用請求には勝訴確定必要 最高裁判断 - 社会

この判決では、住民訴訟の弁護士費用請求ができない具体的な場合について、決定されたということになります。普通に考えておかしな話ではないか、と思いますね。

住民訴訟を受けて、途中で行政側が不正利得を返還したら、住民側が弁護士費用を負担しなければならない、ということです。住民側が勝訴したら、相当の弁護士費用を払うことになっているのに、です。


例えば、住民訴訟を起こされ行政側が1審敗訴した場合、次も「勝てそうにない」と判断すれば、控訴した後、訴訟で請求されていた金を行政側が払えば、原告への弁護士費用を支払わずに済ませられる、ということになります。1審判決後控訴しないか、2審敗訴で控訴断念し確定した場合には、いずれも弁護士費用を支払うことになるのです。なのに、とりあえず控訴だけして、請求されていた損害額を返還すれば、弁護士費用を浮かせられるという裏技が使えるのです。こりゃ、どう考えてもオカシイでしょ?1審途中でも「勝てそうにない」と思えば損害額を返還して、同じように浮かせられるということになります。


住民側は、原告となった人がわざわざ費用を自己負担して行政の間違いを正さねばならず、誤りを犯していた行政側(の役人とか首長とか)が住民の税金でタダで裁判が出来るのに、絶対にオカシイ。どうして2審判決を破棄してまで、行政側の裁判費用負担を回避する意味があるのか、最高裁の判決は全く判らない。何でもかんでも住民訴訟として行政側がその弁護士費用を負担するという訳でもなく、行政側に誤りがありそれを認めた(又は判決で確定した)という場合にのみ、原告側に払うのは合理的であると思うが。むしろ、行政側に一方的に有利な裏技を作るなんて、絶対にオカシイだろ。


秋霜烈日―検察官という仕事2

2005年04月25日 15時38分35秒 | 法関係
前にも書きました(参考記事)が、読売新聞の「検察官」シリーズは毎日続いています。今日は第4回で、不起訴となった事例のお話でした。かいつまんでお話しますと、2000年に起こった東京メトロの日比谷線脱線事故についてで、当時の警察捜査から書類送検されたのですが、検察捜査の結果、「不起訴処分」となったということでした。5名の死者を出した事故だったのですが、法的責任を問うことは出来ないというのが検察の最終判断で、これを被害者や遺族への説明に当たった検事のコメントも出ておりました。


東京地検刑事部の古賀検事が、事故原因について捜査した結果は、「「起訴は困難」との結論を出さざるを得なかった」。このことを遺族や被害者に説明したのが、担当検事であった加島検事であった。曰く「「事件を担当した自分がやるしかない」と感じた」。


検察庁舎で不起訴処分直前に、5日間に渡り説明を行ったそうだ。記事には、こう書かれている。

時間の制限は設けなかった。説明に納得できず、厳しい処罰感情をあらわにする人も多かった。「とにかく自分にぶつけてもらうしかない」と加島は思っていた。「起訴すれば、被害者の無念は調書や証言の形で公判に出る。しかし、不起訴ではそうならない。被害者が思いの丈を話せるのは今、この時しかない」




遺族たちは、納得できない人もいる。そうだろう。何の過失もなく、乗車していただけで、尊い命が失われたのだ。これについて、遺族の声は、記事で次のように書かれている。

「誰も責任を問えなかったのは、検事の力不足だ」
「でも、不起訴はそれで終わり。あんまりだ」




また、検事たちの言葉が、次のように記されていた。

加島は言う。「仮に自分の身内が同じ事故にあったら、私だって納得できないだろう」。古賀も「何とかしたいのは山々だったが、法と証拠に基づいて判断せざるを得なかった」と振り返り、「遺族の思いに応えることができなかった以上、批判は検察が受け止めるしかない」と思っている。


怒りと無念さを吐き出す、公判という場を失ったことで、遺族や被害者たちはそれを昇華する機会を失うのだな、と感じた。同時に、こうした不起訴処分の陰にも、苦悩、無念さや批判を一身に受け止めねばならないという、検事たちの知られざる苦労があるのだなと思う。説明会での、遺族の叫ぶような無念の言葉を聞いた時、何処に自分の心を置けば良いのか、とも思う。こうした苦悩は、経験することがないので、私には判らない。だが、それを経験する人々がいる、現に検察官は日々こうした苦悩を乗り越えるのだな、と思うと、彼らに対して以前とは少し違う見方になったような気がする。


奇しくも今日尼崎での脱線事故(Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 電車脱線マンションに激突、37人死亡220人けが)が伝えられている。死者は今判明しているだけで37名と大惨事となっている。こうした事故で尊い命が失われ、再び遺族や被害者が多数生じさせられるというのも悲しすぎる。

恐らく検事達の新たな苦悩が生み出されてしまうことだろう。



補選後の局面

2005年04月25日 13時10分58秒 | 政治って?
小泉さんに「神風ぞ吹く」。自民の連勝で、民営化反対派の策動は全て封じられました。残るは党議拘束の最終段階へと向かいます。閣議決定には大きな障害は残っていません。ヤマタクは、本当に良かった。宮城の方は、おまけでしょう。ロボ岡田さんは、出来れば引き分けで、と思っていたでしょうが、接戦だったのに4割を切る低投票率ではいかんともしがたかった。自民にタナボタ勝利ー。


深刻なことは、両補選とも驚くほど低い投票率だ。住民の意思・意見反映に有効なのは投票権だとは多くが思っていないか、初めから関心が著しく低いかだ。こんなことでは、国政を変えていくことなど難しい。イラクの投票率より低いなどという、平和の国・日本としては恥ずべきことだろう。凄くがっかり。悲しい。結局の所、人任せ、惰性、考えない、などの無関心とか諦めが多いのかな?政治への幻滅の究極形なのか?


逸れてしまったが、ヤマタクの当選に全てが懸かっていたといっても過言ではなかった。青木さんの鋭い読みは、正しかったな。今日の小泉さんは上機嫌に違いない。


与謝野さんは、人権擁護法案を郵政民営化との取引材料に使ったな。古賀ちんに恩を売って、反対派抑制の約束を取り付けたんじゃないかな。こんなことのダシには、人権擁護法案を使わないで欲しいぞ。そんなことせんでも、郵政民営化法案は可決出来るはずだ。与謝野さんの立場も判るが、「人権擁護法案を古賀氏へ一任」という政調会長裁定とすることによって、古賀氏からは「郵政民営化の反対には絶対回らない、反対派を抑えるよう努力する」という言質をとったりすると、人権擁護法案反対派が「執行部の暴走だ」ってな具合で、やぶ蛇とならないでもない。おまけに、人権擁護法案は波乱含みだし、あまり古賀氏に肩入れしない方がよいぞ。今後、人権擁護法案反対に回っている、安倍ちゃんの立場とかこれを支持する若手とか、そこら辺も混乱しかねない。この党内対立には与謝野さんは距離をとるべきで、下手に首を突っ込まない方が無難だ。古賀氏支持に回ると、これからまずいよ。


首脳会談後の「何の成果もなかった」という国内批判も、とりあえずは放置でいいんじゃないですか?一定の成果はあった、と思うけどね。そりゃあ、こちらの要求や意見を全て伝えることも出来たかもしれないが、小泉さんが細々と言うべきことでもないと思う。


中国側の「口(言葉)だけじゃなく、行動で示せ」という意見も、きっと中国側の「デモ封じ厳戒態勢」をホレ見ろって自慢気に見せられてもね、向こうも謝罪してないんですから似たり寄ったり。あんな暴力的行為は、無くて当然なんですから。防いだ事は自慢にならん、ってこと。今後の日本側の態度としては、実務者レベルでのガス田協議、北朝鮮問題などを進めていくこと。これが回っていけば、次のステップも見えてくるかもしれない。当面は6カ国協議が再開されるかどうか、これが一つの目安となろう。出来た時には、日中関係は沈静化し小康状態ということ。再開されなければ、外交問題は何一つ進展なし、ってこと。まずは、目の前の一つひとつの課題を推進していくように努力することですね。


スマート町村さんは、厳しい発言役も容認されうる。次の内閣改造で、留任しない可能性があるからで、そういう人が「言うべきことを言う」という役回りならば、大して揉めることもない。国内的な、反中意見の抑制にはなるだろう。「何で、もっと厳しく要求しないんだ」「内政干渉を許すな」といった意見に対する、牽制策ということだ。今の日中関係で力比べをするよりも、中国に独り相撲をとらせて日本が最後に笑う、ということを目指せばいいのではないかと思う。


民主党は、かなりの反省が必要だな。国会始まる前から何度も忠告したのに、まともな政策論を展開することも出来ず、政府与党に切り込むこともしなかった。予算審議でも、自分達の立案と厳密に対比したりもせずに、すんなり流した。やったことと言えば、傍観作戦と審議拒否くらいだ。政治資金規正法関係も追及が甘く、旧橋本派を追い込むこともできなかった。血迷った挙句に、目標を失ってドサクサ紛れで「平ちゃん叩き」では、どうしようもない。民主党は、自分でコケて2議席失ったばかりか、自民党に労せずしてゲットされた上に「小泉応援歌」演出&党内の岡田バッシングを呼び込むという結果となった。目先の小利に囚われた失敗の典型だな。リーダーシップの弱さが出てしまった。昨年の参院選はムードに過ぎず、民主党の実力評価を受けた訳ではない、ということを忘れていたのだ。それが、この結果を招いたと言える。



面白い書評欄

2005年04月24日 18時58分45秒 | 俺のそれ
読売新聞には毎週書評欄があるが、これが結構面白い。家族の中でも人気があり、時々「切り取り」の対象となっている。このコーナーは「本のよみうり堂」といい、この日の下段公告は、専ら本の広告である。これもまた、面白いのであるが。ウチの子がこの広告を見て、色々な発見をして私に教えてくれたりすることもある。そういえば、先日bewaad さんが記事中で紹介しておられた、『戦争請負会社』の書評も随分前に「よみうり堂」に出ていました。誰が評者だったかは忘れましたが・・・。評者の方は殆どが私の知らない人ばかりであるが、ごく稀に橋本五郎さんが評者の時がある(知っている人は、五郎さんくらいです・・・、恥)。ひょっとして、評者の方の記事の提出が間に合わなかったりした時に代打で書くのかな?(そんな訳ないか)


今日の書評には、特に興味を引いた作品が2つあったので記事に書いてみたい。
一つ目はウリカ・セーゲルストローレ著『社会生物学論争史』(評者・渡部潤一 国立天文台助教授)で、このような有名な論争があったなんて知りませんでした(笑)。いきなり評者の言葉に、「20世紀の代表的な科学論争の一つ」と書かれており、不知の罪を感じざるを得ません。E・ウィルソン著「社会生物学」に端を発する科学論争に、政治的・思想的論争へと展開するというのも、どうしてなのかな、と思う。「社会生物学者=遺伝決定論者=保守派、批判派=環境決定論者=マルクス主義者というレッテルさえ貼られてしまう始末」という言葉は、こうした論争の場合によく起こる現象なのかな、と短絡的に感じてしまいますね。


「sociobiology」(社会生物学)という言葉が適切かどうか、それとも「ethology」(動物行動学)という言葉が適しているんじゃないか、といった論争も全く知りませんでした。本を読んでみないと何とも言いようがないのであるが、人間が生物としての社会性を備えるということがあっても何ら不思議でもないし、以前に自分の記事にもそうした「当てはめ」を例に書いてしまったこともある。


人間だけが他の動物達と特別異なった社会性を有しているというのも、何だか腑に落ちないのである。本来、野生的生活を行っている人間がいれば、本能的な生物としての社会性だけが発揮されると思うし、そのプログラミングは遺伝的要素以外に有り得ないように思う。だって、人間の基本行動は、全て脳細胞の電気化学的反応の結果によるし、そうした脳内だけじゃなく体内の反応は全て物理化学的な基本原理よって成り立っているものと思えば、タンパク質をはじめとする「分子群」が「何か考えて」反応を決定することは到底有り得ないと思うからである。発生学的に考えた場合、遺伝的にプログラミングされた社会性を持たないことの方が、違和感があるような気がする(とはいうものの、生物発生学のことは、よく知らないのですけれど)。だが、人間が他の動物と違っていたことは、「言葉」を持ったことであると思っている。これが、社会性獲得にどう影響するのかは知らないのであるが(ゴメンナサイ、詳しくは各自で勉強してみて下さいね)。きっと、成長過程におけるシナプス形成の経路に大きく影響するんじゃないか、と思うのです。


根本的な疑問として、人間の自殺がある。これは、生物の本能的なシステムを考えれば、生存本能があるのではないかと思うのであるが、そのシステムは時として作動しないということです。これが何故なのか、がよく判らない。生物の最も重要なことは「最強の遺伝子を保存しようとすること―あらゆる環境で破壊されない最も安定的なタンパク質を残そうとすること?」なのではないか、と思ったりするのです(これは個人的感想なので、生物学者や専門の研究家は正しい見解を出していると思いますので、そちらを信じるようにして下さい)。遺伝子を構成するタンパク質が「自己破壊」を意図することなど通常ないのではないか、と思うのです。細胞には「アポトーシス」というプログラム死があるが、これが発動するのは場合によるし、個体死がプログラムされている訳でもない(崖から飛び降りる動物がいたな、なんだったか忘れた)。人間の自殺発動には個体数が多いとか食料不足という要因があるのか(多分ないと思うけれど)、それとも、言語の獲得によって脳内に誤った幻想を生み出すことにより、脳内の信号出力にエラーを生じた結果が自殺という形なのか、よく判らないのです。でも、後者は私が思う、人間の自殺なので、本当のことは判りません(近年ドーキンスの「利己的遺伝子」が日本でも流行っているようですし。適用の勘違いも非常に多いとは思いますが、どこが間違っているのかは私にもよく判りません、笑)。


まあ細部は別として、社会生物学についての論争が、今後は別な形で現れてくる予感を評者は述べており、脳研究や遺伝子研究の成果によって、新たな理論が生まれてくるのかもしれない。

この本は、読むのも辛そうだが、買うのはもっと辛い。2巻合わせて10800円だ。こりゃ、買えないな。古本屋に並ぶのを待ってみるか、図書館に入るのを待つかですね。


2つ目は、村上龍著の新作、『半島を出よ』(評者・池内 恵 日文研助教授)についてで、先頃新聞の下段広告に大きく出ていたので、作品が出されたことは知ってしました。簡単な説明も勿論読みましたよ。昨年の防衛大綱の決定前に書いた、テロ対策の記事を思い起こしました。そして、今日の書評ではなかなか面白いことが書かれていたので、紹介したいと思ったのです。


評者曰く、「村上龍がシミュレーション小説の形で示した近未来は、刊行と同時に現在の事象とシンクロし始めた。作者の勘というのは恐ろしい。」と。ふーん、凄そうなんだね。北朝鮮のコマンドっていうのは、著者の何かの政治的意図とかあるのだろうか。それと、防衛政策に何かのご意見があるのかもしれない。近年、何故か経済にご執心のことと聞いたことがあります。そこに原点が隠されているのかもしれない。まあ、読んでみないことには判らないんですが。


あと、評者の強烈な記述も、かなりインパクトがありました。
「この小説に横溢する危機意識は、日本で当事者として事に対処している人の多くが感じ取っており、表出する場を得ていなかったものだろう。徹底的な無能ぶりを描かれる官僚機構の内側からも、おそらくリークがあったのではないか。」
これは、ある意味、今の官僚制度に対して、単純に「NO」という意志表示なのではないか、とも思う。多分、経済に関心を寄せていた作者が、今の日本の状況を見るに、官僚達が行ってきたシステムの大きな欠陥に気付き、同時にそれを殊更低い評価として描くことで、変革を意識させようとしたのかもしれない。きっと、取材して書いたりするでしょうから、現職官僚から色んなお話を聞いて書いたのでしょう。


そして最後に、評者のえらく過大評価的ご意見が書かれていた。次の言葉で締めくくりたい。この本を直ぐに読むかどうかは、買うお金次第かな(笑)。


近年の「村上龍」は、新聞社やテレビ局を凌ぐ一つの「メディア」と化している。


教育を考える9

2005年04月24日 13時32分58秒 | 教育問題
最近の若者の問題として、ニートやフリーターのことを記事に書いてきました。こうした問題がある一方で、全く別の生き方をする若者の姿を見ることが出来る機会がありました。あるテレビ番組でした。

参考記事:
「ゆとり教育」は何を教育したか
格差社会5
格差社会6


2日前の金曜日にフジテレビ系列で放送された番組を録画しておいたのだが、昨夜それを見ました。とても良い番組でした。素直に感動しました。その番組とは、「桜の花の咲く頃に」というタイトルの番組で、北海道の別海町という、人口より牛の数が多いことで有名な地方に生きる高校生達を取材したドキュメンタリーでした。


別海町は広さが東京23区の2つ分くらいあり、そこには公立高校が一つしかなく、普通科と仕事をしながら通う酪農科があるということでした。酪農の盛んな町に、後継者を育てていく酪農科があるということのようであるが、行政側としては、少子化に伴い酪農科の学級削減が検討されているということで、存続が難しくなるかもしれない、ということでした。このような地域の学級を削減するよりも、もっと他に削減するべきことがたくさんあるにもかかわらず、教育機会を奪うことを考えるという行政は余りに愚かしい。こんな広い地域に1校しかないのに、学級削減されたら定時制のある高校まではるか遠くに通う(多分無理だろう)とか下宿するとかしかないだろう。得に酪農科がある高校なんて滅多にないだろうから、削減されれば普通科に通うか、進学を諦めるということになりかねない。本当に行政はバカだな。


番組の話に戻ろう。撮影記録は2003年から始まり、2004年途中までの映像が放送されました。このような良い番組が何故今まで放送されずにきたのか、少しばかり疑問にも思いました。多分、撮影スタッフが相当頑張ったのだろうと思いましたが(住んで撮影していたらしい)、余り金になりそうな番組でもなく、スポンサーがたくさん付きそうでもなかったのかもしれない。今まで大切に保管されて(笑)いたのだと思う。お蔵入りにならずに済んで、良かったですね。撮影スタッフはその苦労が報われたことでしょう。


番組に登場した高校生達や卒業生はとりわけ天才ということでもなく、学校の勉強がどれほど凄いとかは知りません。きっと大都市圏などの高校生でテストの成績がいい人達はたくさんいるかもしれません。彼らはそういう意味では、ごく普通の高校生達ですが、「真剣に生きる」とか「親に迷惑をかけられない」という強い責任感や将来への意志があり、人間としての誠実な生き方に心を打たれました。こうした若者が今も日本にいるのだな、と思うと、日本もまだまだ捨てたものではないと感じました。私はこういう教育現場や実在の若者のことを詳しく知っていた訳ではないにも係わらず、教育問題とか格差社会のことを書いてきてしまいました。ですが、この番組に登場したような「真剣に生きる」という人々がいることを確かめることが出来ました。多くの人がこの番組を見て、「生きること」「仕事をすること」「勉強が教えないもの」といったことに考えを巡らせてくれたら、きっと教育問題の解決の糸口が見つけられるのではないかと思います。また、多くの大人たちも、勉強の何が大切なことで、難しい問題の解法が何を教えてくれるか、考えてみるといいのではないかと思います。



日中首脳会談実現へ・3

2005年04月23日 23時31分32秒 | 外交問題
今夜小泉首相と胡錦濤主席の会談が行われました。小泉さんは冒頭から、固い握手と笑顔で対応し、日本側の基本姿勢を伝えました。これは悪くなかったと思います。最大限の努力を示したと言えるでしょう。反日デモに即触れなかったことも、プラスになったと思います。戦術としては、なかなかうまく考えていたのではないでしょうか。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 日中首脳会談で首相、反日デモ再発防止求める


日本側は「友好」を全面に押し出し、協調が国際関係や両国にとって最も重要だ、ということを伝えることは成功したと思う。また、今日の中国国内でデモが行われなかったことも、日本側は評価をしたのだと思います。中国側が日程を遅らせた背景には、こうしたデモ封じ込めを日本に見せようとしたこともあったのかもしれません。


詳しくは分かりませんが、胡主席も「日中友好は両国にとって必要」という談話を発表したようで、一定の成果は得られたと思われます。日本側の外交戦術は奏功したと言えるのではないでしょうか。大袈裟にへそを曲げられるより、はるかに良いでしょう。中国国内向けにどのような発表がなされるか分かりませんが、少なくとも日本の当初の目的は達せられたと思います。「関係改善」「協力関係」ということに道筋をつけたのは、有益な会談だったと思います。



「たまごっち」の人気復活!

2005年04月23日 15時58分40秒 | 経済関連
少し前にWBSでやっていたように思う。「遂に来たか」という感じですね。
以外に早いサイクルで、復活しましたね。
ドイツ車のモデルチェンジペースですから、悪くはないかも。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <たまごっち>通信機能付き新登場 8年ぶりにブーム再燃 


バンダイさんも、ウハウハ?関連グッズで1年くらいは引っ張れるだろうし。
株価に反映したりして。

そんなに甘くない?
中国で、ガンダム関係の海賊商品が大量に売られてたから、「たまごっち」もやられるかもね。

先月記事に「たまごっち」を書いて、ブーム再来に少し貢献したかもしれないよー。
一個くらいくれませんか?バンダイさん(笑)
それくらい自分で買えと。それ程高価でもないぞ、と。
そうですか。スミマセン。


日中首脳会談実現へ・2

2005年04月23日 13時12分38秒 | 外交問題
前の記事にコメント(Nagarazokuさん、ko-bar-berさん、o_sole_mioさん、yodaway2さん)を頂いたので(いつも有難うございます、この場を借りまして御礼申し上げます)、感想とお返事を兼ねまして、記事に書いてみたいと思います。
日中首脳会談実現へ


日中間の問題は、やはり多くの方々の関心事で、今後も続いていくことでしょう。ですが、これは、過去2千年にも渡り続いてきたことですので、その中で見ると特別なことでもないかもしれないし、大きな歴史の流れで言えば、ほんの一コマであるかもしれませんね。長年一緒に過すと、喧嘩する日もあれば、仲良く遊ぶ日もある。男女の仲のような面もあるかもしれませんね(笑)。今の日中関係は、皆様がご指摘の通り、双方にとって絶縁できる仲ではないし、相互の協調は利益に繋がることは判っていても、そう素直になれない関係といったところでしょうか。手を焼かせる女性は少なくないでしょうから(非難はご勘弁を、笑)、困ってしまう日本の立場も少し理解出来ますね。


今夜の会談に先立って、小泉首相はAA会議での演説で、村山談話を引いて各国首脳に「日本の基本姿勢」の理解を訴えるとともに、中国首脳へのアピールを行う道を選択したようである。先日の党首討論で、ロボ岡田に「日本の外交政策は失敗だった」と突っ込まれ、小泉さんは首筋の血管をちょっと浮き出させながら、「そりゃあ私はー(村山談話と)認識を同じくしてますよー」と嫌々ながらに答えておりましたね。グッドタイミングでした、岡田クン。外務省も、「そうだな、歴代首相が発言した内容を再確認するという意味なら、軟弱姿勢という国内批判は抑制することができるし、中韓の”日本はまだ謝罪していない”という発言を封じることができる。ナイスだな」と、考えたことでしょう。

そこで、第三者が見つめる中で―会議の各国首脳の前でアピール戦術をとることにした。これならば、日本は公式に謝罪の意を表明し、世界平和実現の為に活動してきた、外交努力も続けてきました、という印象を与えられる。プラス、日中首脳会談前に、中国への牽制となる。なるほど。いいかも。

「前から何度も言ったじゃないか」と日本が反論しても、中国も韓国も「イヤ、反省していない、謝罪していない」ということを繰り返し言っていましたからね。


喧嘩や争いは、実生活の中でも多くは得になることはありません。恐らく国家間でも近いものがあると思います。何とか紛糾を避けつつ、「別れ話」などに繋がらない程度にお付き合いを続けるということになりますね。



秋霜烈日―検察官という仕事

2005年04月22日 21時05分58秒 | 法関係
読売新聞に、今日から新たなシリーズが始まりました。タイトルはその名の通り「検察官」。記事にもあるように、その仕事ぶりや人間そのものの素顔は、国民にあまり知られていない。私も良く知りません。今まで読む機会があったのは、例えば堀田力氏のような、有名になった方の扱った大きな事件の紹介くらいでしょうか。他には、いつもお邪魔している落合先生(ブックマーク欄にあります)のところで読む記事等ですね(笑)。


少し前に裁判員制度に係わる記事を書いた時に、「検察官の話す言葉」について少し触れたのですが、私は現実にどうなのかは知りませんでした。ですが、読売の記事によって少し明らかになっています。


検察官といえども、当然人間です。これを「にんげん」と言うべきか、「ひと」と言うべきかは判りませんが、一般人と同じような心情の変化はあるかもしれません。むしろ、普通の人が日常で体験しないような現実に行き当たることも、多いかもしれません。それでも職務を遂行して行かねばならない、というのも、常人の想像を超えている気がします。そういう仕事の中で、どのようにして事件や被害者・遺族と向き合うのかとても難しいですし、答えが容易に見つけられるというようなことでもないように思います。そうした検察官について、国民に知ってもらうという企画は大変よいものであると思いました。


今日の記事は、「池田小事件」の時の大阪地検の検事たちの様子が書かれていました。被害者家族の言葉として、「裁判に直接参加していなくても、検事さんの口を通して意向を反映していただき、感謝している」と記されていました。検事たちの生の言葉も記事には多く書かれており、これを見ると、いかに被害者や遺族に配慮して裁判を進めようとしていたかが伝わってきます。こうした事実は意外に思いました。被害者・遺族の言葉通り、「検事というと冷たいイメージを持っていた」という先入観は、私も含め多くの人が持つのではないでしょうか。だが本当は、大阪地検の検事たちには、「人間味を感じた」「誠実できめ細かい配慮をしてもらい、ありがたかった」という被害者や遺族の言葉が残っているのです。


知られざる、事件の或いは裁判の裏側には、こうした人間同士の接点や心を通わせようという人々の切実な思いがあるのだな、と感じました。今後も必ず読みたい企画です。

皆さんも是非読んでみるといいと思います。