昨日の記事にコメントがあったので、返答も兼ねて少し書いておきたい。
まず、コメントを再掲します。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c094da004ee9bbdd72e5005e4f1d4030
『消費税を、10%まで上げる事は、野田民主党政権下の国会で決定済みの事項だと言う事を忘れてはいけない。 だから、前回の延期決断は、衆議院解散総選挙の理由になった。』
========
忘れてなどいない。
この痛恨事を簡単に忘れることなどできない。愚かな政治の失敗の見本だからだ。政権与党が民主党時代でも、安倍政権誕生後の自公時代でも、変わらない。結論から言えば、増税を阻止することは、時の政権ならば実現できた、ということである。
まるで安倍政権に何らの責任もないかのような物言いには、辟易する気分である。愚かな政治家集団が、どのように失敗を積み重ねるのか、ということの典型例となっているのである。
増税法案の廃止法案なりを可決することは可能であった。圧倒的多数派を占めるのは、自公政権だったからだ。参院否決があろうとも、国家の重大危機を認識するのであれば、3分の2ルールでも使えばよいであろう。また、当時には民主党離脱組の増税法案反対派の議員たちの生き残りもいたはずなので、党派を超えて増税が日本経済に大きな打撃を与えることが分かっていたなら、一致協力して廃案にすべく阻止法案を新たなに可決すればよかったのである。
また、3党合意に基づく国会決議があったとしても、経済指標により延期することは付帯決議の条件だったのだから、延期を繰り返すことだって可能だったのである。
しかし現実には、安倍政権はそのような行動をとろうとはしなかった。増税を実施したのである。一度解散したのは、増税を延期することを掲げたというのは、見せかけの理由でしかない。
野田政権下での解散権行使が、法的に疑義があるものであったし、違憲状態を熟知した上で選挙を実施するという脱法行為は、本来的には認められないものだ。ある行為をしてしまうと違法であることを知った上で行うのは、意図的に違法行為を為すに等しく、悪質性という点において不知よりも悪いという誹りを免れるものではないだろう。
そうした裁判所側からの違法の指摘を何とか回避せんが為に、制度改正後の選挙を実施したに過ぎない。この選挙は、不意打ち効果もあったし、大義名分も掲げ易かったので、一石二鳥以上の効果が期待できるということで解散に踏み切ったものだ。別に安倍の権力基盤に何らかの支障があってやったものでもない。
そもそもの失敗の原因は、野田政権下での「民主敗残派(=裏自公、別働隊)」と自公の共犯関係による増税強行であった。
12年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8720d4628ad3bfa9fc98b41b8c459106
自民も公明も増税翼賛体制構築に加担したのだよ。民主党内の反対派(主に後の離党組)は少なくなかったのであり、増税法案可決を阻止できる可能性は高かった。
安倍政権になってからでさえ、マイナス成長に陥るのを防げるチャンスがあった。
13年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/32634e1aec5e2aca12d6aabc05f1dfa6
だが、調子に乗ってた安倍と支持派、経済界の愚鈍連中も、マスコミの経済音痴連中も、皆揃って増税邁進だったんだ。止める術がなかったわけではなかった。政治的に安倍総理が絶対に阻止、という気構えがあれば、止めることができたんだ。
で、予想通り、大失敗だった。
13年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/1d9cf32bef8fc2e6a233bd2615681ae4
忠告しておいたのに、誰も耳を貸そうなどとはしなかった。社会への影響力の大きな国会議員だろうと、経済人だか経済ナントカだかだろうと、マスコミの論調だろうと、経団連や経済同友会や商工会議所や連合みたいな組織のトップ級だろうと、揃って愚かな選択をした。
お約束の「消費増税は国会で決まった議決事項」だ、3党合意は重いだの、そういう盗人級の屁理屈をかざして、だな。3分の理はあるから(笑)。
結果的に、今の状況を招いているというわけである。
10%引き上げを思い止まったのは安倍政権で、その為に解散総選挙をやったんだ、というような話はお為ごかしに過ぎず、五十歩百歩でしかない。基本的には、起こったことは時の政権下での責任である、というのが国の政治なのではないかな。
もとを辿れば、第一次安倍政権下での失敗、続いて野田政権と自公の共犯関係、これが元凶であって、消費税増税反対派を放逐した当時の民主党幹部(今の敗残兵どもだ)も安倍自民も大差ない。
解散総選挙がなくても、10%引き上げなどできるわけもなかった。やれば終わっていた。そこまでバカではなかった、というだけに過ぎない。経済状況が相当悪くなっていることは分かり切っていたので、わざわざ毒を食らいたいと願う為政者などいまい。いくら安倍とて、そこまでのバカではないから。
それに、安倍には火中の栗を拾ってまで実現したいというような、政治理念など持ち合わせてはいないし、理想家でもない。打算と振付に踊る木偶人形でしかない。
そもそも安倍が長続きするようになったのは、”言いつけ”を守るようになったから、だ。前の時には「自分とお友達と仲間」の言葉を重用するという、「級長になったら仲良し一派と好きにやりたい」的な行動様式だったものを、今は諦めたことにより、失敗を減らせるようになったというだけに過ぎない。
もっと「頭の回る」傀儡子師が出す”言いつけ”を聞き入れ、かつてのように余計なことをするのを減らすようにしたから、だ。
それともう一つは、マスコミを抱き込む(黙らせる)裏の戦術を、公然と用いるようになったことだ。ま、権力サイドには、いくらでも「使える手」はある。脅しも十分通用する。金も使える。ポストや役回りも使える。掴ませられるものは、何だって使う。その取引の結果は、「弱味の罠」を構築することである。
どんな人間にだって、よほどの聖人君子でもない限り、何がしかの弱点はあるだろう。成功者の立場を捨ててまで、権力に逆らいたいという奇特な人間など、そうそう多いものではない。マスコミ内では、見せしめ効果が効き易い、ということだろうね。SMAPが良い例ではないか。「逆らえばどうなるか、分かってるな」という公開処刑すらできてしまう、と。
そうした体質が、隅々まで浸透しているからこそ、「お仕置き」がいくらでも可能なんだ、ということだ。NHKしかし、その他大マスコミしかり、だ。
社主に下っ端全員が刃向かえる、というくらいの団結力がない限り、人事権を掌握した少数支配側が勝つようにできているのだから。日本が狂った方向に突き進むのは、そういう体制構築に手を貸す人間たちが上の方にこそたくさんいる、ということなのである。
まず、コメントを再掲します。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c094da004ee9bbdd72e5005e4f1d4030
『消費税を、10%まで上げる事は、野田民主党政権下の国会で決定済みの事項だと言う事を忘れてはいけない。 だから、前回の延期決断は、衆議院解散総選挙の理由になった。』
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忘れてなどいない。
この痛恨事を簡単に忘れることなどできない。愚かな政治の失敗の見本だからだ。政権与党が民主党時代でも、安倍政権誕生後の自公時代でも、変わらない。結論から言えば、増税を阻止することは、時の政権ならば実現できた、ということである。
まるで安倍政権に何らの責任もないかのような物言いには、辟易する気分である。愚かな政治家集団が、どのように失敗を積み重ねるのか、ということの典型例となっているのである。
増税法案の廃止法案なりを可決することは可能であった。圧倒的多数派を占めるのは、自公政権だったからだ。参院否決があろうとも、国家の重大危機を認識するのであれば、3分の2ルールでも使えばよいであろう。また、当時には民主党離脱組の増税法案反対派の議員たちの生き残りもいたはずなので、党派を超えて増税が日本経済に大きな打撃を与えることが分かっていたなら、一致協力して廃案にすべく阻止法案を新たなに可決すればよかったのである。
また、3党合意に基づく国会決議があったとしても、経済指標により延期することは付帯決議の条件だったのだから、延期を繰り返すことだって可能だったのである。
しかし現実には、安倍政権はそのような行動をとろうとはしなかった。増税を実施したのである。一度解散したのは、増税を延期することを掲げたというのは、見せかけの理由でしかない。
野田政権下での解散権行使が、法的に疑義があるものであったし、違憲状態を熟知した上で選挙を実施するという脱法行為は、本来的には認められないものだ。ある行為をしてしまうと違法であることを知った上で行うのは、意図的に違法行為を為すに等しく、悪質性という点において不知よりも悪いという誹りを免れるものではないだろう。
そうした裁判所側からの違法の指摘を何とか回避せんが為に、制度改正後の選挙を実施したに過ぎない。この選挙は、不意打ち効果もあったし、大義名分も掲げ易かったので、一石二鳥以上の効果が期待できるということで解散に踏み切ったものだ。別に安倍の権力基盤に何らかの支障があってやったものでもない。
そもそもの失敗の原因は、野田政権下での「民主敗残派(=裏自公、別働隊)」と自公の共犯関係による増税強行であった。
12年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8720d4628ad3bfa9fc98b41b8c459106
自民も公明も増税翼賛体制構築に加担したのだよ。民主党内の反対派(主に後の離党組)は少なくなかったのであり、増税法案可決を阻止できる可能性は高かった。
安倍政権になってからでさえ、マイナス成長に陥るのを防げるチャンスがあった。
13年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/32634e1aec5e2aca12d6aabc05f1dfa6
だが、調子に乗ってた安倍と支持派、経済界の愚鈍連中も、マスコミの経済音痴連中も、皆揃って増税邁進だったんだ。止める術がなかったわけではなかった。政治的に安倍総理が絶対に阻止、という気構えがあれば、止めることができたんだ。
で、予想通り、大失敗だった。
13年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/1d9cf32bef8fc2e6a233bd2615681ae4
忠告しておいたのに、誰も耳を貸そうなどとはしなかった。社会への影響力の大きな国会議員だろうと、経済人だか経済ナントカだかだろうと、マスコミの論調だろうと、経団連や経済同友会や商工会議所や連合みたいな組織のトップ級だろうと、揃って愚かな選択をした。
お約束の「消費増税は国会で決まった議決事項」だ、3党合意は重いだの、そういう盗人級の屁理屈をかざして、だな。3分の理はあるから(笑)。
結果的に、今の状況を招いているというわけである。
10%引き上げを思い止まったのは安倍政権で、その為に解散総選挙をやったんだ、というような話はお為ごかしに過ぎず、五十歩百歩でしかない。基本的には、起こったことは時の政権下での責任である、というのが国の政治なのではないかな。
もとを辿れば、第一次安倍政権下での失敗、続いて野田政権と自公の共犯関係、これが元凶であって、消費税増税反対派を放逐した当時の民主党幹部(今の敗残兵どもだ)も安倍自民も大差ない。
解散総選挙がなくても、10%引き上げなどできるわけもなかった。やれば終わっていた。そこまでバカではなかった、というだけに過ぎない。経済状況が相当悪くなっていることは分かり切っていたので、わざわざ毒を食らいたいと願う為政者などいまい。いくら安倍とて、そこまでのバカではないから。
それに、安倍には火中の栗を拾ってまで実現したいというような、政治理念など持ち合わせてはいないし、理想家でもない。打算と振付に踊る木偶人形でしかない。
そもそも安倍が長続きするようになったのは、”言いつけ”を守るようになったから、だ。前の時には「自分とお友達と仲間」の言葉を重用するという、「級長になったら仲良し一派と好きにやりたい」的な行動様式だったものを、今は諦めたことにより、失敗を減らせるようになったというだけに過ぎない。
もっと「頭の回る」傀儡子師が出す”言いつけ”を聞き入れ、かつてのように余計なことをするのを減らすようにしたから、だ。
それともう一つは、マスコミを抱き込む(黙らせる)裏の戦術を、公然と用いるようになったことだ。ま、権力サイドには、いくらでも「使える手」はある。脅しも十分通用する。金も使える。ポストや役回りも使える。掴ませられるものは、何だって使う。その取引の結果は、「弱味の罠」を構築することである。
どんな人間にだって、よほどの聖人君子でもない限り、何がしかの弱点はあるだろう。成功者の立場を捨ててまで、権力に逆らいたいという奇特な人間など、そうそう多いものではない。マスコミ内では、見せしめ効果が効き易い、ということだろうね。SMAPが良い例ではないか。「逆らえばどうなるか、分かってるな」という公開処刑すらできてしまう、と。
そうした体質が、隅々まで浸透しているからこそ、「お仕置き」がいくらでも可能なんだ、ということだ。NHKしかし、その他大マスコミしかり、だ。
社主に下っ端全員が刃向かえる、というくらいの団結力がない限り、人事権を掌握した少数支配側が勝つようにできているのだから。日本が狂った方向に突き進むのは、そういう体制構築に手を貸す人間たちが上の方にこそたくさんいる、ということなのである。
ただ、何党がどうとか特定の政治家誰々がどうとか、そういうのはちょっと違うのかもなあという気が最近しています。国民の半分が増税を支持し、9割が緊縮財政を肯定する民主主義国家なので。
恐らく、国民の大多数が支持していることを実現しただけなのだから、主権者たる国民の選択結果である、と仰りたいのではなかろうかと存じます。
政治の役割として、勿論、多数者の希望なり要望を実現することは必要であると思っています。
しかしながら、多数派が常に適切な選択をできるかという点では、いささか疑問がございます。もしも、専門外たる大衆の判断を優先してしまうと、良くない結果を招いてしまうことが予想される時、それを「知ってて大衆の誤った判断に敢えて従う」ということであるなら、不誠実であり、為政者として問題があると考えます。
適切に対処し判断できる能力を有する者なら、それが少数意見であろうとも、その実現を目指すべきであると思います。そして、その為の説明や説得は欠かせないでしょう。
例えば日銀のマイナス金利など、大衆の大多数は望んでもいない政策でしょう。多くの人々は、「もっと利息を付けてくれ」が本音のはずです。
ならば、大勢が望むのだから、政策金利を3%なり5%にしてしまう方が良いのでしょうか?
やはり、判断能力に優れた人々が政策決定に果たす役割は大きい、ということかと。極論としては、国会不要論まで到達しかねないような気が。
> 判断能力に優れた人々が政策決定に果たす役割は大きい、ということかと
その通りだと思います。しかし限界もあると思いますよ。
日本は国会不要の独裁国家ではなく民主主義国家なんですから。