いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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教育は格差を再生産するか~その3

2007年09月20日 19時06分38秒 | 教育問題
クソエントリ&ゆとり乙、ありがとよ!(柳沢慎吾風、笑)>ブックマーカーどの

はてなブックマーク - いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」:所得格差が子供を下層階級にするのか

記事を書いた当時は「はてブ」の存在を知らなかったので、気付かなかったよ。気付いていたところで、何かが変わるわけでもないが。
下層だか下流だか知らないが、階層が固定されてしまうのは親の所得格差のせいだ、所得が低いから教育も満足に受けられず、低所得が固定化されるんだ、とか、信じて疑わないのであれば、それはそれでいいと思う。だが、それを理由として救済を求められても、私は賛同しない。

朝日新聞みたいに「非正規雇用にあぐらをかいている」と批判しておきながら、自らは正規雇用を増やしたり自分たちの並外れた高給の一部さえも他の低所得者たちに分けないのと似たり寄ったりなんではないかな、と。所得格差のせいだというのを本気で信じている人たちは、まず自らの支援で低所得を改善してあげるとか、高等教育を受けられるようにしてあげたらいいんじゃないかと思う。

REVの日記 はてな経由で知ったので取り上げてみたい。

これ>strange - 2007-09-19

こちらの記事から一部引用してみる。

『簡単にかけばこう。

親が高収入→教育熱心&教育に金をかけられる→子どもが高収入

親が低収入→教育熱心さに欠ける&教育に金をかけられない→子どもが低収入』

こうした理屈を受け入れるとして、全員を大学教育まで無料化するとか、教育費の肩代わり誰かがやってあげて、全員が大学卒か大学院卒まで達成できたとしたら、全員が高給取りになっている社会なのか?そのお陰でみんなが大企業の安定した職を得たり、高額所得者たちだけの世界となっているのか?(笑)


要するに、
「オレが下層に固定されてるのは、親がDQNで低所得だったからだ」
ということに同意するということですか?だから、他のみんなが何とかしろ、と?(笑)

統計結果が出ている、という意見についても、「誰かのやった一つの結果」に過ぎず、学術的な正解が判明したわけでもないのではないか?

参考記事:
教育は格差を再生産するか

教育は格差を再生産するか~その2


アメリカでは日本などよりも実証分析は多いが、未だに決定的な答えなんて見つかっていないんじゃないか?主な理論として人的資本とシグナリングがあるけれど、他の説明もあるし、まだ判らない、ということだろうと思う。上記参考記事にも書いたように、もしも遺伝的要因ということが主たるものであるとすれば、所得格差云々という話などではないだろう。もしシグナリングであると判った時は、自分の親や先祖を恨むのだろうか?「血筋」はそう簡単に治せるものではないけど(笑)。

少し前には、こういうのも出ていた。
はてなブックマーク - 学校は人的資本を形成するのか 2賃金格差の実証分析

日本はどちらかといえばシグナリングの方なんじゃなかろうか、ということらしい。であるとすれば、ゴルフのセンスみたいなもの(?)で、「生まれつき持っていたモノが違う」ってことなら、今度は何を格差の理由に持ってくる気なんだろう。自らの「呪われたDNA」を恨め、とかになっても困るけど。
これは遺伝子格差だ、遺伝子のせいで希望もなく下流階層に固定化されるんだ、オレの遺伝子を治療せよ、治療しないと「逆恨み遺伝子」を発動して戦争しちゃうぞ、とか?
これまでは、「自分の能力」に原因があったわけではない(=親の低所得のせいだ、階層固定化のせいだ)と自分自身を納得させてきたのに、もし万が一「生まれつきの能力差に過ぎない」ということが判明してしまったら、今度は自分を納得させられなくなったりはしないのかな?
常に「誰かのせいだ、誰かが悪いんだ、社会システムが悪いんだ」と思って批判してきたのに、これが「自分の持って生まれた能力のせいだ」と知らされた時、今度は何処にその怒りをぶつけるのか?自分自身に?出自に?


あと、この記事に挙げた教育経済学の実証分析に関するESRIのペーパーですけれども、ここでも意見がいくつか出されていて、過去の研究からは何とも言えないですね、って話で、中々決定的な要因というのは判ってないんじゃないでしょうか。

けど、親の低所得のせいなんだ、だから低所得者は固定化されるんだ、というのを正解として無批判に撒布するのはどうかと思うのですね。これを信じるのはしょうがないんだけれども、それを政策的に考える時にも「親の所得のせいなのだから、救済せよ」とか言われたって、はいそうですかなどとは同意できんのですよ。


これも同じようなことではないかな。
『「これをやったら急激に頭がよくなった」という方法』に群がるのは何故なのか?
生まれつきの能力に大きく依存するのであれば、急激に頭が良くなったりはしないかも、とか考えるはずなのに、何故かある方法(例えば大学教育とか、笑)をやれば頭が急に良くなるとか信じようとする人々は少なくないかもね、ってことなのかな。浅知恵つけて喜んでる人たちにとっては、意味のあることなのかもしれないですけど。まあ、信じるのは自由だから。実際頭が良くなるかもしれないし(笑)。



話が飛ぶが、地方自治体などの公務員に、高卒で採用予定だったのに実は大卒で経歴詐称で罰せられる、とかいう話があったが、あれって何が悪いの?と思ったんですよ。大卒以上って応募基準で、本当は高卒で大学に行ってもいないのに大卒の経歴詐称をすれば、これは責められるというなら判る。でも、大卒なのにわざわざ高卒という仕事に応募してくれるんだから、別に悪くも何ともないと思うのですよ。こういう固定化された求人というのは、オカシイと思うのです。そもそも、どんな人か、何ができるか、みたいなことが重要なのであって、卒業がいつかとか高卒か大卒かみたいな区分って必要ないんじゃなかろうか、と。それよりも、免許、資格や実務経験とかで応募基準を決めとくなら判る。高卒で直ぐに働きに出る人の割合が減っているご時世に、何でわざわざ「高卒じゃないとダメ」みたいなことになってるのか、不思議でならない。高卒だろうが大卒だろうが、応募資格として「高卒以上」ということであれば、全員同じ扱いでいいと思うけど。どの仕事を選ぶかは、応募する側の自由、ということ。

ロースクールみたいなのもそうだろうと思うのだけれど、ロースクールに行かないと法曹にはなれない、みたいなのも明らかにオカシイんですよ。それよりも、一般社会で実務を色々と経験していたりする方が、大した教育もできないロースクールなんかよりもずっといいと思うけど。わけの判らん大学がボコボコ乱立して、一応大卒っていう肩書きだけが粗製濫造となっただけなんじゃないか、とかチラリと思わないでもない。文教利権みたいな気もするし。ロースクール乱立にしたって、同じようなものではないかな、と。それよりも、社会人として働きながら司法試験に挑戦し、法曹となっている人たちもこれまではいたわけで、そうした「自由な道」を閉ざすのは本質的にオカシイでしょうよ。ロースクールのなかった時代に法曹になった方々が、せいぜい受験予備校の教育しか受けてないので「法学教育が不十分で能力に問題がある」とか言われたりしてるのですか?(笑)ロースクールに行ったって、ダメなものはダメなだけなんじゃないの?

司法試験がロースクール一本になってしまうと、ダメなロースクールを生き延びさせるだけにも思えます。大学乱立も、ロースクール乱立も、大学院重点化も、中身の伴っていない利権だけの仕組みに見えてしまいます。本当にやりたい学校は色々とやればいいと思うけど、無駄に生き延びさせる必要性なんかないと思うのです。「親が低所得だったから大学に行きたくても行けなかった、だからみんなに行かせろや」ということで、底辺大学とかどうでもいいローとか大学院なんかに無駄な金と人員を送り込み、ダメ学校を生き長らえさせるのもイヤだな、と思いますね。




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