いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

米国長期金利上昇に関する雑感

2009年05月31日 17時34分52秒 | 経済関連
これには色々な理由があるのだろうと思いますけれども、一部には泡を食っている向きもあるようです。
英米国債が格下げになるのではないか、などいう憶測記事も流れたりして、そういう影響を心配している人々もいるらしいです。ま、そんなに格付けの信頼性が高かったのであれば、例の「クソ債券」に最上級格付けが与えられることなど有り得なかったのではありませんか?それとも、その「最上級」という評価が、いかに当てにならないものであるか、ということを証明したに過ぎないのでは。

つまり、評価能力が高く信頼性の高い格付け機関であるなら、「トリプルAとは、一夜にして”クソ債券”に早変わりするものをいう」という程度のものであるということが証明されただけですよ(笑)。いやいや、評価能力が高くなくて信頼性にも欠ける機関だから、という意見もあるのかもしれませんな。そうであるなら、「”クソ債券”をトリプルAと思い込んで最上級を付けることがある」ということでしょう。
どっちにしろ、「トリプルAと呼ばれる格付けは、信頼性があんまりないね」ということが判るだけでは。そんな程度のものを喜ぶのはどうかしている。あるワイン専門家が「これは最上級のワインだ」という評価をつけたとしても、近所のコンビニで売られる安物のワインであったりするようなものだな。そんな専門家のご託宣など、だれも有り難がらない(笑)。

だが、現実の金融ビジネスの世界では、何故かこういうご託宣が有り難がられていたりするわけだ。だからこそ、三流ワインに「最上級」のラベルが貼られるだけで、「これはいいワインだ」ってな話になり、飛ぶように売れるわけで。これはまあいいか。



米国債の指標金利が上昇している、という話に戻るが、要因が複数あるだろうと思うので、「決定的な原因はこれだ」というような単純な話にはならないでしょう。ドルが売りまくられて遂にはドルが崩壊する、ということが原因とも思えませんな。かつて、日本にも同じように言っていた崇拝者だかカブレ者たちだかが大勢わいてきていて、ボウフラか蛆みたいなもんですわ。そのココロは、「どこにでもわいてくる」。冗談だけど。

でも、「円は暴落して、200円になる」とか散々焚きつけていた連中がいたんですよ、本当に。
「2008年問題」とか適当に作って、国債の借換ができなくなる、そして日本国債は暴落する、円は暴落してドル円が200円とか250円にまで落ちる、とか、まあ「国家破綻」「財政破綻」とか破滅的イメージをこれでもかってくらいに植えつけて「商売の種」にしていた連中が大勢いたんですわ。
そういう言い分がどれくらい本当であったか、というのは、あまり検証されてないかもしれませんが、殆どがウソかデマみたいなもんですわ。

今の米国債の指標金利上昇も、同じような側面で語られている部分があるでしょうね。けど、大きな崩壊局面というのは、ほぼやってこないでしょうね。


日本国債なんて、今の米国債の金利上昇率をはるかに超える変化を経験しましたけれども、全然平気でしたよ(笑)。

例えば、03年の時。これも幾度か取り上げたことがあるけど、何と10年国債の金利が「0.5%割れ」まで買い進まれたのですよね。この年はやや特殊な年で、為替では円安誘導があったのと、金利低下が02年から継続していたんだけれども、03年6月には0.440%まで低下したんですよ。そこまで買う人たちがいるんですか、ってなもんですわな。

でも、その後には国債価格が急落。
9月には1.630%まで金利が上昇したんです。まあ、あんまりにも国債が買われ過ぎた、という面があったでしょうな。株価の落ち込みもあったわけですし。けど、3倍以上の金利になってしまったんですよ。3ヶ月で1%以上もの金利上昇って、(国債価格は)かなりの暴落だったんですよ。「竹中不況」とかも言われていましたがね、当事は。金融機関への締め付けがハンパじゃなかったわけですし。

まあ、国債の需給という面、資金退避先という面、不良債権問題や金融庁による締め上げといった心理的側面、日米金利差などの国際的な相対関係、為替水準、等々のさまざまな要因の結果であったのだろうとは思いましたな。元々が、02年初頭で1%台半ば程度の金利水準で、そこから03年6月までは下がる一方で来ていましたし、デフレ水準が最悪期だったこともありましたしね。企業業績の悪化も、失業率の悪化も、全ての面で「金利低下」は不思議でも何でもなかったと思えます。けれど、03年後半以降には、世界経済の立ち直りが見え始めて、日本企業の業績回復の道筋も見え始めたわけです。そうすると、それまで変われ過ぎていた国債の価格が急落し、一方では株価の回復基調が出始めていきました。ある意味、国債価格の水準是正、みたいなものが働いたのかもしれません。ひいては、指標金利の適正化が起こった、と見ることもできましょう。


03年よりも以前だと、98~99年頃にも国債金利急上昇ということがありました。
90年代後半に入って、日本のデフレ基調が定着してきていた時期でもありました。97年から98年にかけての金融危機や、国際的にみてもアジア通貨危機、ロシア危機とLTCM破綻などが矢継ぎ早に起こっていた時期でした。そういう状況でしたから、金利が上がる要因というのは殆どなくて、下がる一方というのは同じですね。

で、98年終わりに近づいていた頃には、0.8%程度という1%を切る水準まで指標金利低下が起こっていたわけです。が、99年以降の所謂「ITバブル」局面を迎えるにあたり、株価回復前にも関わらず国債指標金利は2%くらいまで急上昇したのです。まあ当時は為替の混乱などが相当あったので、そういった部分の影響などもあったかもしれませんが、それでも2倍以上の水準にまで金利が上昇するというのは、かなり大きな変化と思われます。

でも、日本では特別に経済が破壊されるほどの大混乱には至ることはありませんでした。
長期金利の上昇という変化が起こることはあるけれども、それには複合要因があって、何かの特別な意味を見極めるというのは普通は困難だろうと思います。

が、国債取引に関わるポジションを形成している投資主体とか、何かのヘッジ目的でポジションを構築しているとか、運用対象が「トリプルA」格の債券に限るといったような条件のあるファンドとか、関係する範囲はそれなりに多いだろうと思うので、そういう投資家たちは自分の意思や考えには関係なく「米国債を売らねばならない」といったこともあるかもしれません。そうすると、やはり国債金利は上昇してしまうことはあるでしょう。日本での変化に比べれば、まだ「変化率は小さいよ」ということはあるかと思います。これは、円が国際取引に占めるウェイトが小さいから、ということもあるだろうと思います。ドルの市場規模は円に比べて相当大きいので、それだけ大きく動くにはかなりのエネルギーが必要になりますからね。




超オススメ!! 『大聖堂―果てしなき世界』

2009年05月30日 16時25分06秒 | 俺のそれ

前にちょっと書いたことがあったけど、その続編が出ていた。
もうね、驚愕の本ですよ!
またもやフォレットさんがやってくれましたよ!!
素晴らしい、の一言ですわ。

「映画化されて欲しい本」のランキング


今2巻目まで読み終えたところ。
1冊1冊がかなり厚いので(尊敬すべきアガサの巨大本ほど厚くはないよ、勿論)、初めての方には抵抗感があるかもしれないが、完読できることうけあい。喩えて言えば、大河ドラマを観ていくような感じなので、分量が気になるということはないだろうと思う。

この中で繰り広げられる世界は、これまで私の関心事であったことに多くの示唆を与えてくれるものであった。あまりにピンポイントをついてくれているので、自分のために書かれた物語なのではないかと錯覚するくらいだ。


うまく書評を書けるわけではないので、是非とも実際に読んでもらいたいが、個人的感想を簡単にいうと、多くを学べる大変良い教材となっているな、ということである。例を挙げてみよう。


・経済活動(生産、イノベーションや市場等)、経済成長といった昨今の話題の核心部分が物語の軸となっている

・守旧派勢力との闘争がある:
既得権益を守ろうとする勢力には、教会勢やギルド勢などがいる。そういう人々の全部が守旧派ではないことも重要。新たなチャレンジなどに協力的な人々も多く登場する。現代でもありがちな話なのだ。

・裁判、特に行政裁判:
現代の裁判や司法制度とは異なるけれども、行政裁判的な話が数多く出てくる。「原告適格」(!)というような論点さえも出てくるので、過去にブログに書いてきたことが思い出された。大都会の弁護士(笑)は、現代とあまりによく符合している、と思わず膝をうってしまいそう。裁判は必ずしも物事の解決の為にあるのではない、ということを思い出させてくれる。

・公共事業:
前作でも大聖堂建設にまつわる大きなテーマではあったが、今回ではより具体的な現代風テーマが加わっている。いわゆる公共事業というものだ。しかも橋だ。橋建設のプロジェクトという公共事業の視点で見てゆくので、物語の重要な骨格を作っている。経済活動の運送・運搬といった話とも密接であるし、市場というものもよく捉えられている。PFIっぽい話とか、そういうのも学べる点だ。
それと、共振現象で落ちた橋のこととか、拙ブログに書いたことが思い出された。

・医療のこと:
旧来の呪術的なものとか祈りとかとの対立。自然科学的、経験科学的立場と、宗教的立場やこれまでの権威とか古い手技に拘るとか、そういう重要なテーマがある。外科医バーバーや、薬師ならぬ薬草調合師などが見られる。看護の伝統としての修道女や修道院などの役割も描かれる。地下鉄サリン事件の時、聖路加に運び込まれていった多くの被害者たちの情景が、大聖堂一杯に運び込まれる怪我人たちの光景と脳裏で重なった。
また、出産に伴う大量出血や出産死というものが(当時の)生活者の感覚で描かれており、現代では忘れ去られている女性たちの偉業を再認識させてくれる。物語中全体に言えることだが、「女性たちからの視線」に好感が持てる。産婆さんも、出産にまつわる女性たちも、修道女も、それぞれの女性がどんなふうな立場でどんな関わりで、というのがとてもよい。

・そして大聖堂:
欠かすことのできない、底流にある存在。もう定番中の定番というか、これは必然ね、という部分ではある。
今回は、主にミスや事故といった原因究明のあり方とかテーマが関わっている。
やや外れるが、建築関係だけではなく、筏とか歯車とかそういう工学系っぽい話も出てくるので、職人さんとか数学や物理学といった科学への共感が深まるんじゃないだろうか。


ま、いずれにせよ、私からは「今すぐ嫁」と言ってあげたい。
これはもう、大絶賛。

無駄なビジネス本&ハウツー本や、著名人が執筆している役立たずのウソ八百本(笑)なんかを読むくらいなら、『大聖堂』を読んで自ら考えるべし。




最近出されてる年金の話なんて

2009年05月29日 18時16分39秒 | 社会全般
もう何年も前から何も変わっていないでしょ。
それを今更になって、「新発見です!」みたいに出してくるのが本当に不思議。

例えばこのへん
07年2月>所得代替率という「ゴマカシ」


納付率が80%か65%かで「50%切るじゃないですか!!」とか、「『等』がクセモノなんです」とか、そういう話は本質とはかけ離れていて、どっちであろうと結果は大して変わりない。影響度が他より小さいから。
所得代替率が「50.1%」だったものが「49.6%」になることが事実であるとしても、そういうことが重大な問題なのだとは思っていない。それ以上に、専業主婦以外の単身者とか共働き世帯とか、そういうのはもっと数字の変動が大きいからね。

今更取り上げてる年金の情報なんて、前からみんな判っていたことでしょ。
マスコミにも資料が提示されていたでしょう?


納付保険料と貰える年金の倍率がこんなに違う、というのも、前から言われてきたことでしょ。インフレ率が違うんだし。そういうのを調整した数字であっても、まあ昔は年寄りが少なかったから高齢世代の面倒をみるのは楽だったんだけど。今の団塊世代とかより上の世代が「親の面倒をみた」とか言うかもしれないが、それってあんまり多くはないんじゃありませんかね?だって、親世代の年齢層の人たちは今よりもずっと早くに死んでいたわけで、昔のドラマネタなんかでもよくありがちだったのは「長男が親の面倒をみろよ」みたいな所謂「たらい回し」が親族間でもあったわけでしょう?


つまりは、一昔前までは「複数の子世代」が親世代を支えていたということで、社会保障に関しても同様だったわけですよ。だから一人当たりにすれば、負担は軽減されていたでしょうね。けど、今となってはそうもいかない。親世代2世帯に対して、息子と娘の一組ないし二組くらいしかいないわけだから。それか、親子3人で子どもは独身、ってパターン。65歳前後の年金世代の上に、まだ80代とか90歳前後の年金世代がいることも珍しくはないし。2世代が年金暮らしであると、年金世代が上の年金親世代を支えるのは難しかったりするかもしれないし。

その下の若世代は、40前の独身者とかなら、もう手も足も出ない。既婚者であっても、昔みたいに夫が稼げるというわけでもなく、妻も「共派遣」で働いていたって子育て費用はかなり重い負担になるだろうから、年金暮らしの高齢2世代に支援できるほど余裕はない。むしろ年寄り世代の方が余裕があることが多いだろうね。たっぷり退職金を受け取り、企業年金でも優遇されていて、その他に厚生年金を受け取っていれば、現役で働く若世代よりも年収が上なんだもの。共働きならぬ、「共派遣」とか「共非正規」であれば賃金水準なんて高かろうはずもないからね。


預貯金で現金を溜め込んできた高齢世代をより肥えさせる為に、若世代から年金世代へ所得が移転され尚更世代間格差が酷くなっているのだ。その上、「恐怖のデフレ」だしな。もう少しインフレであれば、現役世代から年金世代への移転は緩和されるはずが、逆にデフレのせいで悪化させられているのだ。かつての高インフレ率時代を利用して蓄積してきた今の高齢世代は、デフレのお陰でより一層の恩恵を受けたのだ。

今の70歳の人たちが35歳だったのは、1974年だ。1年もの定期預金の利息が4%、5%が当たり前の時代だった。その当時、高齢世代への負担など、彼らは殆どしていなかった。だって、65歳以上の人口が今からすると、圧倒的に少なかったからだ。だから蓄財できたのさ。概ね年功賃金だったしね。彼らが特別に有能で頑張ったから蓄財できたのではなくて、そういう経済環境だったからできただけだ。人間の能力なんて、そう大きくは違わないからね(笑)。70歳の世代の人々は、きっと言うだろう。「我々は親の世代の面倒をみたんだ、我々はずっと真面目にお金を払ってきたからこそ、年金を受け取れる権利があるのだ」、とね。それはそうかもしれないが、35年前の自分たちの環境と、今の35歳の人たちの環境では全然違うということを考えてはいないだろう。多くは、知ろうともしないかもしれない。だからこそ、「後期高齢者医療制度」ごときで「死ねということか!」だの「姥捨て山」だのというような不満が出されるのだよ。


話が逸れてしまったが、高齢世代を責めてみても解決するわけではないが、理解してもらうようにしないと、今後もどうしようもないな。

ま、前から判っていたことを、たった今判明しましたー、みたいに言うのはおかしいんじゃないか、とは思いましたな。



血税をバクチに回す私立大学を許せるか

2009年05月28日 16時45分28秒 | 社会全般
世の中の仕組みってのは、大体がベタなドラマの筋書きとあんまり大差ない。「そちもワルよのう~」みたいな、悪巧みの連中が栄え蔓延ることを、世間の大人たちは経験的に知っているのだ。要領が悪くてバカ正直な人間たちは、常に損させられ、騙されてゆくのである。これが社会の掟だ。そういうのをひっくり返せるだけの力は、普通の大人たちには持っていない。だからこそ社会的格差は固定化され、持たざる者たちはより一層貧しく奪い取られるだけになり、持てる者たちは富の特権を生かしてひたすら搾取するのだ。富を踏み台にして力を獲得し、その力を富める者たちの為に用いることで更なる富を得て、それを自分たちに都合よく分配してゆくということだ。社会とはこのようにして回っているのである。


前置きが長くなったが、この特徴的な記事をよく読んでもらいたい。
asahicom(朝日新聞社):慶応、赤字269億円 08年度決算、金融危機で評価損 - 社会


昨年の時点で、いくつもの私立大学での運用損が話題になっていたが、改めて数字が出されると、私立大学の多くには税金投入などが全くの無駄なのではないか、ということを思い出させてくれる。肩書きだけは立派な教官たちは私学に大勢いるかもしれないが、そういう人たちはいかに「私学助成が大事なものであるか」ということを力説したりするであろう。それは、経済学者と呼ばれるような学識者たちの多くが、口から出まかせであろうと何だろうと「経済学理論では~が正しい」とか何とか「薀蓄」だか「こじつけ」だか「ニセ科学」だかを実しやかに語る姿と、あまりにもよく似ているのである。故に、そういう連中の言い草というものについて、信憑性が高いとか、信頼できる学説や主張であるといった認識を持つことは、私には到底できないものとなってしまったのである。早い話が、「いい加減、ウソはうんざり」という気分だ。


そういう連中の知的水準に大いなる疑問を抱いているので、普通に書いても判ってもらえないかもしれない。そこで、私がよくやる「例」を使って書いてみよう。喩え話は役に立たないだったか、最終兵器だったかという説もあったかもしれないが、一応書いておくから。


◇その1

ある中央省庁の甲が、交付金や補助金と称して下部団体(独立行政法人や公益法人等)の乙に資金を流し込む。毎年10億円。乙では、交付金を受け取って職員の人件費の一部に充てるものとし、他の収支を合わせると年間8億円が剰余となっていた。これを団体の積立金にして、乙の自己所有資金とする。この積立金は増え続け、100億円の残高になった。この100億円からの運用収益は毎年2億円受取れ、その資金は団体職員のコンパニオン付き懇親会などの飲食に充てられたりパチンコ大会や競馬鑑賞会の資金に充てられた。
毎年10億円の公費を投入されているのに、そんなものに資金を回すなら「交付金や補助金は打ち切る」と甲の担当者が言ったら、乙の理事長はこう答えた。
「交付金や補助金は適正に使っており、職員人件費に充当されている。不適正な支出を責められたのは、積立金の運用収益であって、これは団体の自己所有資金であり公金ではない。だから問題ない。交付金10億円は継続するべきだ。」

整理してみよう。

ア)交付金&補助金は国から毎年10億円
イ)積立金は100億円
ウ)不適正支出2億円は運用収益から支出
エ)10億円は継続しろ

イ)のような積立金になっていたものを流行り言葉では「埋蔵金」と呼ばれていたわけだが、埋蔵金にしておくほどに金を積んでいるのに「もっとよこせ」と言うのは如何なものか、ということでしょう?経済学者とかいう偉そうな肩書きの私学の人たちが、そのようなことを言っていたんじゃありませんか?まあ普通に考えて、公費を投入する先として「これはどうよ」って話にはなりますわな。


慶応義塾大学の場合にはどうなっているかといえば、

あ)交付金&補助金は国から毎年120億円
い)積立資産は1000億円超
う)運用という名のバクチ資金に充当
え)私学に補助金を交付しろ

みたいなことですかね(決算では補助金は144億円以上だった)。
なんだ、文部科学省から特定権益を守る団体であるところの「私学振興共済事業団」という名の公益法人に補助金が流され、そこには「埋蔵金」化している資金が1000億円以上もあったんじゃないですか。だったら、これ以上「交付しなくてもよくね?」って話でしょう。違いますか?(笑)
竹中教授あたりにでも、そのヘンのところをよく確認するといいですよ。ダテに「経済学者」を名乗っているわけでもあるまいに。学内に大変著名な学者さんたちが大勢揃っておいでのようですから、こういう時こそ意見すべしってことでしょうよ。ですよね?
元中教審会長で私学振興共済事業団の理事長である鳥居泰彦氏にも、ご意見を求めたらいいんじゃないですか?慶応つながりは、ダテですか?(笑)

何が違うっていうんですかね。
ま、高名な経済学者たちならば、きっと明確な解答を用意してくれることでしょう(爆)。


参考資料>日本私立学校振興・共済事業団(私学振興事業本部)

私立大学がこんなに金をもらっているのか、というのがよく判るよ。



◇その2

しつこいけど、次を書いてみるよ。

Aは「生活扶助の資金をよこせ、その権利がオレにはある」と主張。制度上は拒否できないので、毎月生活扶助として1万円を受け取っていた。
ある日、パチンコ屋でAがパチンコをしているのを見咎めた役場の人がAに言った。
「パチンコするお金があるんじゃないですか」、と。
そうしたら、Aは、
「生活扶助でもらった1万円は生活費にしか使っていないから問題ない、今パチンコに使っているお金は自分で稼いだお金だけだ」
と答えた。役場の人は、生活扶助の主旨からすると適当ではないと思え、更にAに問いかけた。
「パチンコには、毎月いくら使っているんですか?」
Aは
「そんなのお前には関係ない、が、この際だから教えてやろう、たったの2万円だけだ」
と答えた。
役場の人は
「ならば、生活扶助に1万円は必要ない、もう交付しません」
とAに言ったら、
「生活扶助以外の金はオレの金だから自由でいいだろ、何に使おうと関係ねえ、だから1万円は継続しろ」
と言い返されたのだった。


さて、慶応をはじめとする私立大学のうち、補助金を国からもらっていながらにして、埋蔵金みたいに積み立てして、投資に勤しんでいた学校がいくつもあったように思いますが、いかがでしょうか?
上記Aのごとく、補助を受けた以外は、いくら積立金を増やそうと自助努力の成果なんだから「そんなの関係ねー」ということなんでしょうか?
腹が痛えな。笑いすぎて腹筋が攣りそうだ。


積立金を大量に積んでおくほど余裕があるのにも関わらず、何故補助金を出す必要があるんでしょうか?
爪の先に火を灯すようにして運営した結果、僅かながらに預貯金ができるようになっています、とか、そういう倹しい話ではないでしょうよ。大体、偉そうでご立派な教授先生たちが大勢揃っておろうが。経済学やら、経営学だか金融だか何だか知らんが、そういうご専門でたいそう賢く知識豊富な方々が大勢揃っておいでで、国や公的部門の非難をいつもしている方々がたくさんいるじゃないですか。

それなのに、自分たちが一体何をやっているかといえば、例に挙げた乙やAと何が違うっての?


えー、大事な金言とかを忘れたか?

 「独立自尊」


誰が言ったか知らないが、こんなもんはウソ八百みたいなもんでして。


偉そうにしてても、結局はタカリ体質が強化されてるだけ。
自分にとって都合の悪いことや自分がやりたくないことは、たとえそれが建前上の大事なことであろうとも、全然実行しないの。都合のいいところだけ利用し、他は知らんぷり。で、国や税金にたかるようなもんですわ。分配は「お手盛り」同然。国のあらゆる会議の中に、手駒を送り込んであるしね。



結局のところ、口から出まかせ野郎がデカイ面して、偉そうな講釈を垂れるってわけ。
で、各種うまみはインナーの連中に与えられ、そいつらの中だけで力も金も回してゆく。これが、今の日本なんじゃないですか?


もしも本当に口だけじゃない、ってことを見せるなら、国からの金は受取るなよ。
そうだろ?それが筋ってもんじゃないのか。
自立する気概を見せろ、とか何とか、御託を並べてきた連中がいるだろ?

だからさ、今こそ、「独立自尊」を見せてみろや。当然だよね?
補助金を大量に受け取って、それを原資に多額の埋蔵金にして、その金で壮大なバクチに加担してきたわけでしょう?ま、オトモダチのオトモダチはアルカイダじゃなくて、ハイエナだかシャークだかで、まんまとマヌケどもが焦げ付かされてカモられたんでしょう?良かったじゃないの、オトモダチにいい思いをさせてあげられて。あっち方面とかを盛大に賛美していたお坊ちゃん連中が大勢いたわけだから、アレだけどな。


箱根みたいな温泉地だか、別荘地だか知らんけど、洗脳集会にでも参加させられたんですか?(笑)
よくワケの判らん宗教的集団とか、ヘンな政治的集団とか、そういうのって「洗脳合宿」みたいなのに勧誘されるらしいね。遠い昔だけど、そういうのは「○○セミナー」とか「●●キャンプ」とか、一見すると普通の無害な体裁をしている、といった噂話を聞いたことがあったね、そういえば。



バクチに精を出す余裕がある私学は、国からの補助金を返上せよ。
「埋蔵金」がたんまりあるそうだからね、何たって(笑)。


今になって出されてきた年金格差

2009年05月27日 17時47分15秒 | 社会全般
何と言いますか、分かりきっていたことだし、前から公表されてきたのに、何故か今頃になってからやたらと「新発見」みたいに大げさに一面を飾っているみたい。


こういう時には、ああ、きっと何か意味があるんだろうな、と思ったりするかも。
何らかの政治的意図があるのだな、と。


それは、潰れてくれ、とか、負けてくれ、とか、何かそういうものかな?


ま、いいけど。

自民の呆れられ具合とか、もう半端じゃないんだろうなとは思うよ。
多分、「お前ら、いっぺん潰れてみろ」という、意思が見え隠れしていそう。


かつては、後ろ盾についてもらってたのに、それすらも「お前ら、いっぺん終わってくれ、用済みだ」ってなるってことは、本当にダメってことなんでは。


ま、選挙が近いですから、「焚き付け材料」を考える側も大変だね、ってことで。





やっぱ野球は怖いでしょ?

2009年05月26日 13時08分39秒 | 俺のそれ
昨日書いたのに、アップしてなかった…。
時間的にズレてるけど、ご容赦を。



ハムの投壊について、一言書いておくか。

今日は初先発の糸数がよく投げたと思うよ。6回3失点だから、及第点でしょう。
流れを悪くするのは、やはりミスが出るからだよ。
同点に追い付かれた5回は打撃妨害で失点のお膳立て。
次の打者が投手なのに、谷繁バントはラッキーでしょ。代打立ててくるなら、朝倉降りるからそれもOKでしょ。6回は死球から失点。ミスが失点を生むパターンにはまってるんだよ。

昨日が1失点の勝を見殺しだったし、ここ最近、打撃陣の打ててないこととか、点数が取れそうで取れないとか、そういう歯車の噛み合わなさが気になっているのかもしれないが、苦しい時こそ耐えるしかないんだし。八木とスレッジが離れて厳しい状況にあるけど、活路を開こうとみんながやっているわけだから、ここはみんなで耐えないと。

7回の建山の炎上だけど、あれもファーストに入ったヒメネスのエラーからだ。あれがなければ、恐らく普通に3者凡退で終わっていたかもしれない。けど、ヒメネスの守備がいま一つだというのはみんな知っているんだろうし、キャッチャーに高橋が入っているんだから、建山も自分である程度組み立てを考えて投げないと、指示された通りにただ投げるのは注意が必要だろう。あんまり打ててない小池だったかがバント失敗の挙句にラッキーヒットを打たれて繋がれたのだが、あれもエラーの後にポテンってありがちじゃないの。ベテランなんだから、エラーの後しっかり抑えるように細心の注意を払って投げないと。

折角、初先発の若い糸数が中日の実績ある朝倉相手に1点差で投げてきて、6回まで試合を作ってきたのが一気に台無しになってしまったよ。ベテランらしからぬ動揺というか、エラーで気持ちが腐るのは問題。もう後は止まらなくなってしまったでしょ。鶴岡や大野じゃないから、攻め方とかがピンと来てないってことがあるのだということを頭に入れておかないと。今日は先発が糸数だったから、いつ中継ぎ登板が来るか判らないということで、恐らく準備はしていたんだろうと思うけど、まさか建山が途中降板とは予定外だったのが江尻かもね。なので、球が荒れ放題で、ストレート一本やりの単調になって打たれるの巻、という建山の時と似た感じになってしまい、更に失点を重ねた。


ミスしたり互いの波長が狂ってしまったりする時もあるとは思うけど、できないことをやれ、というのではなく、できることをやる、ベストを尽くす、ということしかないわけだから。昨日は負けたけど、よく守っていたし、勝や菊池の好投もあったし、代打の中田と二岡でチャンスを作るなど、内容的にはそんなに悪くはなかった。でも、今日はミスで自滅、試合を壊したようなもんでしょ。こういうのは、反省しとかないと。これまでは大量得点できて勝っては来たけれど、基本的には「守備のチーム」なんだ、ってことをもう一度再確認しておいた方がいいと思う。

セ・リーグの上位から順に当たってきて楽な試合ではなかった、というのはあると思うけど、ここから立て直さないとね。


昨日河原が復活登板を果たしたけど、巨人時代に忘れもしない阪神戦で9回に11失点というのがあったよね、確か。
河原が出てきて3失点くらいで降りて、前田に代わって更に4失点くらいで、そこから更に誰かに代わってもまた失点、みたいな(3人目が誰だったかは、もう忘れた)。あれと似てるぞ、今日のゲームは。




misogamistへの道

2009年05月25日 17時30分53秒 | 俺のそれ
あまりに深刻な感じで書いているので、笑えた。記者氏の個人的実感がこもりすぎているのも、仕事を忘れているのではないかと思わせるが、いかがだろうか。

ブーケトスは人権侵害だAERA - Yahooニュース


冗談はさておき、世の「適齢期越え」女性たちの恨み節が少し判ったように思う。一方では、結婚できない男性が大勢いるのに、どうしてこうもうまく行かないのかな、と思ったりもする。こう言っては失礼だが、双方で「余った者同士」という中からカップルでも作ってみればいいのにね、なんていい加減なことを考えてしまう。結婚しない、したくない、できない、のにはきっと理由があるからで、安易に「余りの中でくっつけ」とか言われたら、もっとご立腹になってしまうよね。ごめん、ごめん、別に女性を責めてるわけじゃありませんから。


記事を読んで思ったことは、友人の結婚は祝福したい、でも、ブーケは許せない、ということの裏側にある心理というか気持ちを推測してみた。

自分が結婚したいと心の中では願っているのに、

・自分ができず友人ができたことのギャップに苦しむ
・(適齢期過ぎて)結婚できてない自分への罪悪感や後ろめたさのような感情
・ブーケはそれらの象徴のようなもの

というようなことでは。
例えば、少年サッカーのチームで、試合に出る選手全員が「新しいシューズ」を持っているのに、自分だけ持ってない時の少年の抱く後ろめたさのような複雑な心境のようなものかな。「シューズ」自体にはそんなに意味はないし、それそのものへの悪感情やこだわりもないのに、何故か「新しいシューズ」が小憎らしくなり嫌悪感を抱くというようなこと。

なので、ブーケは結婚の象徴であり、「次は(いよいよ)自分」というような強迫観をもたらすようなものなのでは。しかも、結婚式の新婦というのは、これまでの人生でほぼ絶頂にいることが多い(調べてないけど、普通はそういう気分なのでは?)ので、片や有頂天の人、片や「未だ『ラブの芽』さえも芽生えてない肩身の狭い人」ということになってしまい、余計に自分の「悲惨さ」や「不幸せ度」が大幅にアップ(こういうのは、あくまで相対的な評価であることが多いと思うので)して、「式にも出たくないわ」といった気分にさせることになるのでは。

これが、非常にゴールイン確率の高い彼氏を有する女性の場合であると、ブーケをキャッチした瞬間に「やっぱりね、次は私の番だわ!」と、これまた「幸せ満載山車」到来の予感があるので、「オーホッホッホ」と白鳥麗子笑い(喪黒さんじゃないよ)が出そうになるだろう。ブーケをキャッチしたことで、ある種の勝ち誇り感が訪れることになるんじゃないだろうか、と。何かのスポーツとか競技とかに勝利した自分、みたいなもんかな。そうすると、彼氏がいる女性たちにとっては、ブーケは嫌悪すべき象徴ということにはならないだろう。やはり、「誰もお相手のいない女性」にとって、辛く苦しいものなのだということかな。「めばえ」くらいあれば、まだ許せるのかもしれないけれどね。



心底結婚を拒否したい人は少ないだろうと思うので、厳密に言えば「Misogamist」というのは正しくないかもしれない。けれど、年齢が上がってゆくに従い、結婚式に出る時に感じる後ろめたさや肩身の狭さがアップしてゆくので(これもある臨界点を超えると一切感じなくなるかもしれない―そうだな、閉経した後くらい?の年齢だろうか…)、「ブーケ?ハア?人権蹂躙とちゃう?」とかになっていきそう(笑)。

ブーケ憎い、ブーケトス反対、ブーケ点呼すんな、ブーケヒモ引き反対(ヒモなんか引かせるなボケ)、みたいな、複雑な感情や腹黒い嫉妬などが渦巻いて、おっと失礼、間違えました。複雑な心境が影響して、結婚式には行きたくないわね、とか、結婚原理主義ってイヤよね、とか、そういう方向に行くと、遂には「misogamist」に行く着くのでは、などと思えたりするのです。



話は飛ぶけれど、この前、日ハムの試合観戦で「婚カツシート」が販売されたそうだ。このシートは発売当日に女性分が売り切れとなったらしいが、男性陣が足りなかったらしい。オイオイ、男どもは一体何をやっているんだ!、野球観戦なんてそもそも男の定番だったじゃないか、と思ったりして、私は男性が足りないということに恥を感じたのだった。故に、「何なら、オレが行こうか?数合わせの一人として」みたいに思ったわけだ。既婚者なのに。冗談なんだけど。
これを妻に言ったら、「どうせ誰も相手にはしてくれないわよ(笑)」などと言い、これは販売に問題があるわね、と意見していたのだった。その中身を大雑把にいうと、次のようなことだ。こういう「婚カツシート」なるものに参加するのは、女性の場合なら「自分だけで一人で参加」というような女性は滅多におらず極めて少ないから、当然「ペアで参加」ということになるのだ。女性の特性、と言ってもいいね(女子はトイレに行くのも、コンビで行ったりするのが普通だからね)。けれど、男性はどうかといえば、「オイ、今度婚カツシートに一緒に座りにいかね?」なんて言うことは少ないんじゃなかろうか、と。だから、男の応募者数が足りないことになってしまうんではないか、と。

男性ならば、「日ハムファン」(or ただの野球ファン?)という共通項があるだけで、その場で適当に組を作ったとしても何ら問題なくできそうだけどね。ま、自分以外の男性が死神のような、大ハズシのブサメンだとちょっとキツイかもしれんが。当日、一人モンの男性を集めて「適当に組を作りますけどどうですか」とか、その場で「組になりたい人は組んで下さい」とか、割と自由でもいいと思うけど。そうすれば男性の参加障壁は引き下げられ、数がもうちょっと集まるようになるのでは。だって、いちいち「男同士でつるむペア」を作って行かないと参加できないとすれば、面倒くさがって「面倒だからいいよ」ってなりそうだもん。

いや、勘違いしないでね。ち、違うから。べ、別に、これは「私が一人で行っても参加できるもんね」などという、悪巧みを持っているから、とかいうことではありませんので。そんな気はこれっぽっちもありませんので(笑)。


味噌がミスト、ってのも困りますが(オヤジで失礼)、叶えられない願望が次第に嫌悪感を増幅する一因になってしまったりするのではないかと、心配しております。気楽に考えて、結婚したけりゃすればいい、ということで。




定額給付金は「0点」~by クルーグマン

2009年05月24日 11時21分38秒 | 俺のそれ
今朝のテレビでやってた。

偶然拝見した。

財政出動せよ、といいながらも定額給付金に関しては米国で「貯蓄に回されたから」という理由だけで、0点を付けた。

それって、どうよ、と思う。
いかにクルーグマンの意見といえども、もうちょっと日本の状況をよく知るべきでは。公共事業に投資させたら、霞ヶ関のおもちゃにされちゃうだけなんでは。



そう言う以外にはないでしょ(笑)

2009年05月23日 18時37分52秒 | 経済関連
例の格付け問題ね。


NIKKEI NET(日経ネット):国際ニュース-アメリカ、EU、アジアなど海外ニュースを速報

いや、欧米の格付け機関が敢えて自国の格付けを下げるか、という問題があるからね。
彼らが下げる判断を下すとは思えないけど。
別に、どっちでもいいんですがね。


ま、聞かれたら、決まりきった答え方をするよりないでしょう。



そんなことより、今日は「中田翔キターー」だから(笑)。
初打席、初ヒットで、おめでとう!!だよ。




経済成長は幸せをもたらすか?

2009年05月22日 20時37分29秒 | 経済関連
これも、幾度か目にしたお話だね。

経済って成長し続けなきゃいけないの?~『経済成長という病』 平川 克美著(評者:澁川 祐子):日経ビジネスオンライン

(一部引用)

 だが、とも思う。経済成長の伸びは以前ほど期待できないとわかってはいても、はたして現実に「経済のマイナスは、社会の成長ゆえの自然な流れ」とまであっさり割り切れるものだろうか。

 人は希望がないと、上を向いて歩いていくことができない。そして、たいていの人が今年は去年よりちょっといい暮らしをしたい、とささやかな望みを持っている。

 もちろん著者は欲望を持つこと自体を否定はしていない。ただし、欲望はあくまで「控えめ」に持つべきだと語る。とはいうものの「控えめ」によりよい暮らしを求めることと、もっとお金を儲けたいという欲望に駆られることの線引きはいったいどこにあるのだろうか。さらにマイナス成長を受け入れたとて、生活の縮小を余儀なくされるのは、結局のところ末端の者からなのではないか。そうしていま以上に格差が広がっていくならば、人は希望の置き場所をどこに据えたらいいのだろうか。

 本書を読み終えて2週間。経済成長神話を信じ続けることもできず、かといって葬り去るこもできない。いまだに頭のなかは整理されていない。

=====


この評者のような疑念は、判らないではない。自分自身でも、それに似たことは感じたことがあるから。けれど、結局は個々人が自分でいくら考えたって、答えは見つからないんだろうと思う。そんなに単純ではないんだ。

まず、結論から言っておこう。

マイナス成長となってゆくのが自然な流れ、社会(や経済)の老化現象のようなものだから、というのがその通りかもしれない。すると、どんな未来が待っていると思うか?

難しく考えなくたっていい。
ごく普通に答えてみようよ。
老化のプロセスであるとするなら、それは…行き着く先は「死」だ。
「社会の死」である。
今はマイナス成長という、緩慢な死への道程ということになるだろう。だから、待ち受ける未来は「死」だ。

それが当然なのだ、ごく自然なことなんだ、ということを受け入れられるなら、死への未来に向かって歩むことを決意すればいい。人間は誰でも死ぬ。それと同じだ。社会の死だって、きっと受け入れられる、ということであろう。

具体的にイメージが湧かないかもしれないから、例で言った方がいいかな。

ありがちな例を挙げれば、「軍艦島」だ。あの島みたいに、死ぬ。
軍艦島は、かつて成長の栄華を誇っていた時期もあった。が、マイナス成長という長い下り坂を転げ落ちてゆく先に待っていたのは、島の死だ。廃墟と化した、今がその姿だ。軍艦島は、まさしく死んだのだ。これが、マイナス成長社会の未来ということだ。


これで答えが見つかったであろうか?
軍艦島の死は、いいとか悪いとか、そういう問題ではない。正しいも正しくないもない。ただ、もたらされた結果があるだけだ。誰一人済むことのなくなった島が、廃墟として残された。成長を止めてしまう世界は、こうなるということだ。これを受け入れるなら、そうすればいいだけだ。老化、そして、死。島に存在した社会は、見事に死んだ。




マイナス成長のプロセスが仕方のないことなのだ、ということなら、「派遣切り」とか「大規模リストラ」とか、そういうのは「社会の老化プロセスだから受け入れるほかないんだ、それが自然で当たり前なんだ」ということなんだろう。是非ともそれを当人たちに説いて欲しい。世間を説得して欲しい。失業者が溢れるのは、「社会の老化なんだ」と教えてあげるといい。


控えめな欲望、というのは、そうなのかもしれない。
が、「何かを変えたい」という情熱は、控えめであると成功しないかもしれない。生活を変えたい、社会を良くしたい、そういう熱望―いや渇望のようなものが根底にあるからこそ、多くの人々が新たな成長を生み出してゆくのだ。一人や二人の力では、そうはならない。欲望が備わっていたからこそ、今の日本だって築かれてきたのだ。

母ちゃんが毎日洗濯するのが苦痛で、腰は痛くなるし手はあかぎれで荒れている。
そういうのを見ていて、「何とか楽させてあげたい」と願うのは、そんなに悪いことなのだろうか?
そうやって、洗濯機とかが生み出されてきたわけでしょう?
毎日、水汲みに数キロも歩け、と言われたらどうなんだろうか?そういうのを効率的にしようね、ということで、水道が整備されてきたのだろう。多くの成長というのは、こういうものの積み重ねだ。どこの誰かは判らないけれど、「もっとこうした方がいいんじゃないか、うまくいくんじゃないか、よくなるんじゃないか」というのを、連綿と継続してきた結果なのだよ。

成長がよくない、ということなら、自分の食事を牛か馬を使うとかして、人力農耕生活をやったらいいと思う。
まず、論より証拠、自分でマイナス成長生活を営むのだ。何年継続できるか、試してみるといい。わけのわからん宗教団体っぽい気もするが、経済成長を捨てた非効率社会を堪能できるね。実際にやってみると、持続可能かどうかが判るんじゃないだろうか。


多分、人々にはいつまで経っても「悩み」「困ること」なんかが多数存在しているのだ。仏教ちっくな話になってしまうけれど、煩悩は層簡単には消えないのさ。そういう悩みや困ることなんかを解消しようとしたり、改善しようとしたりすると、それが何かの発見や発明や成長をもたらす材料となってゆくのさ。そういうのが全て解消された世界が、恐らくは理想的社会であり、定常状態が訪れるかもしれない。それ以上の進歩は残されていない、というような究極の世界だ。泥棒も貧乏人もいない、完璧な社会だろう。きっと無理だろうけど。


恐らく、定常状態に近い社会が誕生したとしても、その社会にはプラス成長が残されているであろう。そうじゃないと、本当に軍艦島みたいに死に至るからだ。振り子のように、或いは波動のように、下がったり上がったりを繰り返さないと、定常状態を保つことは難しいだろう。マイナス一方であると、後戻り不可能な何らかの下限を超えてしまうと、確実に社会の死が待っているだろう。これを回避するには、マイナス成長があってもどこかで下限域に至る前にプラス成長で浮上しなければならない、ということ。だから、プラス成長というものは残された社会だろう、ということだ。

自分自身で非効率社会を体験しなくても、ビオトープのようなモデルを実際に作ってみてもいいかもしれない。理論的によく考えて、ある閉じたビオトープを作るのだ。そこの中だけで、百年とか2百年とかの長期に渡って死に至らないような空間を維持できるなら、成長のない社会を維持できるかもしれない。でも、長期的には死が待っているんだろうとは思うけど。


経済成長のない社会を維持するのには、かなりの強固な意志と苦役を受け入れるだけの覚悟が必要だ。果たしてそんなことが可能なのだろうか?「経済成長」と呼ぶのが腹立たしいのなら、そういう評価軸を捨てて、「あなたのお役に立てる社会」ということで成長を図ればいいだけでは。それが結果的に「数値的には成長しているようです」という社会だったとしても、悪いとも思えないのだけれど。

自給自足生活を楽しむって暢気なことを言って実践しているのは、本当の「金持ち」層しかいないと思うけど。自分で農作業をして自給自足で生きていけるのは、貧乏人には殆どいないと思うよ。現代だと、そういう生活は逆に「かなりコストが高い」生活だもの。国民一人一人に土地を割り当てていったら、きっと「食べていけない」国民が大勢でるかも(笑)。昔の数千万人規模ですら、人口を支えきれなかったもんね。


マイナス成長社会は、経済成長のある社会よりもずっと過酷で怠惰を許さず、生きるのが困難かもしれない、という可能性について、考慮しておくべきかもしれない。



ボクは怒ってなんかいない

2009年05月21日 21時37分33秒 | 俺のそれ
なんか、偶然かもしれないけれど、イヤミを書いておいたら、ひょっとして本気にされてしまったのかもしれないな。

こういうのは、日本人の言い方に馴れていないと判らないのかも。


あっちの方のを、格下げしろよ、とか本気で思ったりはしていませんから。これまでの悪行について、きちんと反省してくれれば、それでいいんですよ。

ただし、こっちの言い分も認めて欲しい部分はあるお、ということです。


私はあくまで「悪魔」ではありません。
世界を破滅させたって、嬉しいわけないじゃありませんか。

そうではなくて、世界をよくする為にこそ、強力な「パワー」を使って下さいね、というお願いを肝に銘じて下さいね、ということです。
 
回りくどくて判り難いな、というような方々は、『ベスト・キッド』でも観て勉強して下さい(笑)。



日ハムはやっぱ強いな

2009年05月20日 21時23分20秒 | いいことないかな
野球って、誰が考えたかは知らないけれど、面白い。

セ・リーグではダントツに強い巨人を相手に、連勝いただき。


昨日の試合では、久々の二岡をDHスタメン起用、晴れ姿を見せることができ良かったんじゃないか。巨人にいて2軍でくすぶっているよりは、二岡も幸せなんじゃないだろうか、と思う。少なくとも、ホームのハムファンは暖かいと思うよ。

大勝を招くことができたのは、5番の高橋にも送りバントをさせていったことであろうね。あれが大量点を生んだ。今年のハムは、誰が打ってくれてもいい、というチームになっているからね。4番の小谷野さえつなぎのヒッティングとかだし。それが好結果を生んできた。だから打順とかにはあまり関係なく、その日に打てる人が打って勝つ、というようなことだ。いいチームになっている。
そういうチームカラーが大勝を生んだのだと思う。


一転して、今日は抜きつ抜かれつの接戦。
5回、6回の巨人の攻撃を、奇跡の守備で凌いだ日ハムが、一気に逆転に成功した。流れを呼び寄せたのは、守備と巨人から移籍してきた林がよく投げたということにつきるだろう。1点は失ったものの、よく凌いだ。

この連戦では、二岡と林がいい所を見せることができて、何よりだったろう。そして、建山と武田久が味わい深い仕事。久は未だに「防御率0.00の男」だから立派、立派。鶴岡もいい守備、リード、そして意外や意外のバッティングで大貢献。いや~、ホントいいチームになってる。




ブックメーカー以下の格付け機関に存在意義はあるのか?

2009年05月19日 12時59分48秒 | 俺のそれ
私は競馬なんかには何の興味もないが、世間のお父さんたちを熱狂させたりするものらしい。日本では競走馬の歴史が浅いので、文化としての競馬というのはまだ未成熟なのかもしれないが。そうではあっても、競馬新聞は駅スタンドなどで毎週売られているし、スポーツ紙の紙面を競馬が飾っていることは普通だ。それくらい人気がある、ということなのだろう。


競馬だけではなく、世界には各種ブックメーカーがあるらしくて、オッズの倍率なんかを設定しているわけだ。
本命には、低い倍率、大穴とかだと高倍率ということになっているのである。圧倒的に多くの人々が勝利を予想しているような場合であると、本命候補には2倍とかのオッズとなるのだ。もっと簡単に言えば、「手堅いよね」「事前の予想確率が高いよね」という場合だと低いオッズ、「一か八かだね」「滅多に来ない確率だね」という場合だと高いオッズ、ということになっているのだ。


さて、今度は借金の金利を考えてみよう。
ガイジンお得意の、「プライム層」と「サブプライム層」で比較すると、どちらが低い貸出金利となるだろうか?

 プライム―低い
 サブプライム―高い

となっているだろう、ということは判るでしょう。

プライム層の方が「手堅い」から低い貸出金利、サブプライム層は「ちょっと判らんね」ということで高い金利が適用されているのである。これらもあくまで事前の予想確率の問題でしかないはずだろう。一般的に言えば、借り手の信用度が高ければ低い金利となり、信用度が低くなるにつれて金利水準は高くなっていくのである。これは、競馬などのオッズが「お金が戻ってくる確率」と似ていて、高低が定められているのとほぼ同じようなものだ。従って、金利は借り手の信用力に左右されてしまうのである。


「お前を信用できないな」と貸し手が考えると、貸出金利は上昇するのだ。それが、金融危機の時に発生した資金コスト上昇だ。借り手の信用力に疑問がある、と考えられてしまえば、それは金利に反映される。だからこそ、LIBORなどの水準が上昇し、資金逼迫を招いてしまったのだからね。政府が債務保証をするとか、潤沢に資金供給を行って、ようやく金利水準は安定していった。金利が高いというのは、何の理由もなくそうなっているのではない。


25歳フリーターの青年がいるとしよう。彼が借金をする場合には、貸出金利が高いだろう。米国なんかだと、数十%もの金利を取られるかもしれない。けれども、彼がどれだけ借金しようとも、青年の借入は全て政府が保証します、ということになれば、青年に安心して貸し出せるようになるに決まっている。そうすると、より安全な貸出ということになるから、青年への貸出金利は大幅に下がるであろう、ということだ。金融機関の債務に対する政府保証というものは、そういうことだ。だから金融機関の調達金利は下がったのだ。銀行間取引の金利も同様だ。


次は、借金の一種である債券を考えてみよう。

ある「発行体X」が債券を発行して資金調達するものとする。
発行体の信用度に応じて金利水準は決まる。手堅い借り手であるなら、金利は低く、いかがわしい借り手ならば高くなりますよ、ということだ。で、次のようになっているものとしよう。

 発行体X ― 債券の金利 5%
 発行体Y ― 債券の金利 10%

同じ通貨でならば、YよりもXの方が借り手の信用度が高いであろう、ということが予想されているわけだ。それが「みんなの評価だね」ということである。競馬のオッズだって似ている。低い方が「信頼されているだろうね」ということが推測されるのである。

では、異なる通貨であるとどうなのだろうか?
1ドル=100円で1万ドル債券があるとして、1年後には10%の利息を受取れるとすれば、1年後には11000ドルとなる。同じく、日本円の100万円債券があって、1年後には5%の利息を受取れるなら1年後には105万円となる。この金利差があるということは、1年後の為替見通しがそうなっているよ、ということだ。もしも、10%金利のドル債券の方が有利だと判断されるならその債券は買われ、逆に日本円債券は売られるだろう。乗り換えた方がお得なのだからね。すると、債券価格がドル債券の方は上昇(=金利低下)、円債券は価格下落(=金利上昇)となって、「お得だ」というのが消える水準まで調整が進む。


だから、基本的に格付けなんてものは、「市場のルール」を無視した情報操作の類と言ってもいい。むしろ、情報優位な側の人間が無知な連中をコロッと騙すには大変都合のよいものなのだ。もしも本当に借り手の信用度に疑義を生じているなら、「借入金利が上昇する」という、目に見える形の変化を来たすのだからね。レストランガイドは、レストランを訪れたことがない人向けに、圧倒的に情報優位な専門の人たちが代わりに評価を下すことによって、「情報劣位の人の情報不足を補うことができる」というだけだ。市場で評価が出されているもの以上に正しく評価できるのか疑問なのに、妙な格付けとやらを持ち出してきて情報攪乱の役割を担っているだけなのは、一体どの機関か、という話だ。権威を傘にきて、その権威をバックにしていかにも「これが正しいのだ」というのは、何も金融の分野に限った話ではない。


ナベ●●女史あたりに槍玉に挙げられていた哀しき末路シナリオのアルゼンチンや、経済破綻危機に陥ったロシアや、高成長と所得水準ランキング上位となっていたアイスランドなんかを見れば、国の信用度というものがどうだったのかということがよくわかるはずだ。資金調達コストはべら棒に上昇し、日本なんかでは考えられないような金利を提示しないと「誰も貸してくれない」のだよ。JGBみたいに、2%を切る水準とか、そんな金利にはならないのだよ。借り手の信用度は、金利にある程度反映されているのだよ(信用度だけじゃないだろうけどね)。


例えばシティバンクが危機に陥った時、高金利を提示されてもヨソの銀行は資金を出さなかったんでしょう?元「トリプルA」のAIGとかだと、どうでしたか?資金調達の金利水準は上昇したのではありませんか?
つまり、ヘタな格付けなんか必要ないくらいに、市場は敏感に反応していたんじゃありませんかね?

日本国債の金利が低いのには理由があって、それは某格付け機関が気まぐれや悪巧みや嫌がらせなんかで流す情報なんかとは違うのだよ。市場というルール上で、市場の評価がそうなのだよ。いいか、市場には必ず「悪意の情報」や「捻じ曲げの情報」なんかが混入してくるのだ。それは、影響力の大きい連中ほど、活用してくるのさ。その影響力行使で金儲けを効率的に行う為にね。


たとえば某外資系の連中なんて、「日本は”人口が減少する”から」という理由で、ある企業の投資判断を引下げって、単なるこじ付けの屁理屈を出してくるんだから、恐れ入る。そんなことが理由になるなら、ほぼ全部の企業に当てはまるだろ。そんな理由で「衣料品が売れなくなる」というなら、日本に「H&M」や「Forever21」なんかがわざわざ出店しにやってくるわけないだろ。

要するに、ウソっぱちなのだ。
何とでも情報操作をやり、他人を陥れる為には手段を選ばず、自らの金儲けの為にハメるわけだ。これが、金儲け亡者たちのやり口なのだ、ということ。そういうことに、多くの人々は気付かないのだな。そうして、日本人の懐から金が毟り取られてゆく、ということさ。


日本の実務家たちは、これまで誰も面と向かってそういうことを指摘してこなかったのだ。同じ経済ナントカの土俵にいながらにして、向こうの傍若無人な振る舞いや言説には、何らの有効な反論をしてこなかったんだ。だからこそ日本はハメられたのだろ。それは「気付かないボケが悪い」という、単純な理屈だ。常に、言い負けてきたんだ。同じ日本人の中からでさえ、悪魔崇拝者ならぬカブレ者とか信奉者たちが誕生してきて、そいつらが矢鱈と張り切って「工作員乙」(笑)をやるもんだから、余計に不利な状況となってしまったのだ。

腐ってるな、この世界は。



日本国債の格付け乱高下物語

2009年05月18日 22時08分13秒 | 経済関連
笑える。
これが天下の格付けか。

円建て日本国債をAa2に格上げ=資金繰り順調で-ムーディーズ(時事通信) - Yahooニュース


言っておくが、格付けなんて彼らの道具でしかない。「人心操作術」のちっぽけなピースを構成しているに過ぎない。彼らの言う格付けというのは、自らの商売に利用したい時だけ手を加えるというものであって、客観性のあるシロモノなどではない。もしそれが本当であるなら、彼らの格付けした「クソ債券」は、三ツ星レストランよろしく「トリプルA」だったんだから、クソをもっと腹いっぱい食らえばいいんじゃないか?(笑)

さぞかし、クソで腹が膨れるだろうよ。大変結構なことで。

ガイジンのクセに日本国債なんて買ってないで、最上級格付けであるところの自分たちで作った「毒債券」でもたっぷりと食らってりゃいいじゃないの。さっさと保有している日本国債を売れ。そうすれば、日本から資金引き上げとなって、円が売られて「大ラッキー」だもんね。だからさ、お前らが生み出した最上級格付け債券を買えよ。代わりに日本国債は売ればいいだろ。投資とはそういうもんだろ?オイ。

偶然にも、ここ数日に日銀券と日本国債の話を書いたばかりだが、それで理解が深まった、ということではないはずだろう(笑)。

参考:円とポンドの格の違い(笑)


本題に戻ろう。


これね。

「為替」 米格付け会社ムーディーズAaa⇒A1⇒Aa3⇒?9475/ドル・円東京為替市場概況(フィスコ) - Yahooニュース

競馬の「本命」「対抗」なんかを解説する競馬の予想師みたいなもんで、こんな間抜けな評価はないわな。因みに、07年10月には「A2」→「A1」と、更に落とされていたんだね。これがどうしてだか、判りますか?
誰か、日本国債の格付け下落を解説してみて下さいな。

あれですか、当時、私がやたらと排外的な記事を書いていたのが気に入らなかった、というような、みみっちい理由ではないことは確かですが、落とす理由なんて何一つ思い浮かばんけど。だからこそ、きっと経済に詳しい方々であれば、皆さん一致して理解できる理由というものがあるはずですよね?それを説明してごらんよ。


しかも、08年6月に格上げしているんだな、これが。
要するに、彼らにとっては都合よく情報を流して、自分たちの金を得る為の道具に用いてきたというだけでしょ。
何の理由があって格上げになんかなるんだよ。

欧米諸国では、日本の出資したIMF資金とか、間違っても使うわけないんだろうな?日本よりも格上の国々が、一体全体何の理由があって、「日本の金」を使うわけ?マヌケが大勢揃っているからですか?


だから言ったろ?
コネ信奉の連中のやり口なんて、大体が似たりよったりなのさ。
こういうのに、国境はない(笑)。イジメや嫌がらせの類も、あんまり違いはないだろうね。
格付けなんてのは、ウソっぱちに「魔法の粉」をまぶしただけのようなもんなのさ。「権威」という魔法のね。


クソみたいな格付けの日本国債なんて、さっさと売ればいいんじゃないの?
いらないだろ、「A1」ごときの国債なんて。何でそうまでして、保有しておくんですか?
利息だって、めっちゃ少ないのにね。
それとも、ただの物好きか、馬鹿だからですか?

日本人は騙されているだけ。
日本を捨てろ、とか言う、何とか崇拝だか出羽守だか忘れたけど、かなりカブレた人もいるくらいなのに、今更「姥捨て国家・日本」の国債格上げってのもウソみたいな話だわな。一体、何の理由があって格上げなんだよww。もっともらしい、こじつけの理屈を出すなんざ朝飯前だろうから、格付けなんてどうだっていいがね。


結局のところ、差別主義者たちの手によるか、○○中心で物事を決められていくだけ。
それが経済危機を経た今でも、大きく変わりはしない。


だから、日本も覚悟を決めて、トコトン戦う姿勢を持つべきだ。
ここまで来たら、腹をくくればいいと思うよ。
受けて立つぜ、とな。
今度はこちらが金を引き上げる番だ、ってな。

世界が今よりも不幸になろうと、もっと酷い経済状況になろうと、知ったこっちゃないぜ。
今となっては、大して変わらんだろ。
たとえ自らが破滅しようとも、ヤツラらを破滅させられるなら、それでもいいんじゃないか?


ヤツラは、日本人が従順で、約束を守り、裏切らない、というのを当然のように思っているんだろ。だから、思い知らせてやるべきだ。格付け通りに、いつデフォルトになるか判らんよね、という恐怖を味わわせてやった方がいい。これは別に、日本国債をデフォルトにする必要なんかないんだ。いくつかの約束を反古にし、他人が苦しむ姿を横目で見ながら、どん底に落ちてゆくように金を動かせば済む話だ。素知らぬ顔で、彼らが信奉してきた「市場」で密かに売りまくればいいだけ。だって、それが市場のルールなんだからな。別に違法行為をするわけじゃない。


確か噂で耳にしたけど、国債乱発で消化が心配される、とか、30年債が消化できなかった、とか、色々とあった某国の格付けが不変なのも笑えるけどな。

最上級、ですか。羨ましいな~。
だったら、いくら売ったって平気のへっちゃらだろ。みんな大喜びで買ってくれるって。だって、最上級の格付けなんだから(笑)。
外貨準備高もめっちゃ少ないしな。

買い続ける資金は、どっさり持ってるんだろうから、旧投資銀行だろうとヘッジファンドだろうと何だろうと、金をかき集めてきて防衛すればいいだけなんだから。簡単さw。



民主党は鳩山新代表を選んだらしい

2009年05月16日 18時01分04秒 | 政治って?
別に、誰だっていいけど、前に代表になって降ろされたのに、また返り咲いてみたところで、一体何が変わり映えするかといっても、特にないかも。


つまり、意味ない人選、ってことかと。


色んな意味で小沢さんの穴は大きかった、ということだろうね。


けど、鳩山さんて、ロボ岡田の時も、前原の時にも、足を引っ張るだけの存在にしか見えず、総理の器かと聞かれたら即座に「無理じゃないか」と答えると思う。いや、ただの一般ピーポーの直感なんだけどさ。

鳩山さんを選ぶくらいなら、福田総理の方がまだマシかもしれんね、くらいの勢い。万が一総理になれたとしても、きっと早期に瓦解するんじゃないかと思うけど、どうなんだろうかね。いくら自民党を批判していたって、結局のところ、モロ世襲ばっかじゃん。くだらね。

民主党はあんまり勝てなくてもいい人を選んだのかもしれない。


ま、好きにすれば~?(笑)