いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

この前はごめんよ

2008年04月30日 22時05分59秒 | 経済関連
色々と言ってしまったのだが、不適切だったかも。

出島よりも種子島を知るべきだ

あんまり厳しく書かれたもんだから、ついつい言い返したくなってしまって。
ごめんね>支局長殿。


今回は、概ね同意。

日本は硬直的かもしれない しかし非効率ではない――フィナンシャル・タイムズフィナンシャル・タイムズ - goo ニュース

日本の電力料金が高いとか、空港使用料が高い、というのは、その通り。官業っぽい既得権益体質が抜け切れていないから。
例えば東電とかにしても、原発が何基も停止して大損失となっているのだが、長期的に見て原発関連に多大な投資をするのと、熱効率の高い火力発電所に投資するのでは、原発の方が優れていると言えないかもしれんからね。要するに、政と業のベッタリ体質が昔から継続してきたということはある。そういうのが「硬直的」というのはご指摘の通りだろう。

けど、それは民間企業側から崩すことができない牙城なんですよね。「黒船」効果で変わるようなものではない。政の部分を国民側から動かすことができないと、壊すことが中々難しいのだ。



勝負に打って出る気力はないのか?

2008年04月30日 16時33分50秒 | 経済関連
景気の踊り場を迎えており、尚且つ世界経済の減速は避けられないというのに、日本は全く手を打つことができないのだ。全くのアホだな。

NIKKEI NET(日経ネット):3月の家計調査、実質消費支出1.6%減・4カ月ぶりマイナス

賃金上昇よりも物価上昇だけが先に来たので、今後も需要抑制となってしまう可能性が高いと思われる。暫定税率の混乱があっただけである。アホか。


どうせこのままではダメなんだから、局面打開策を積極的に考えるしかなかろう?
オレなら、必ずやる。

前にも書いたけど、まずコレ>続・緊急経済対策―「翔べ、日本」(笑)

1兆ドルもの資金を持ってるのだから、その一部を使えばいいだけだ。仮に原油先物で損失が出たとしたって、原油価格が10ドル下がれば150億ドルの介入効果があったのと同じだからね。1.5兆円もの効果があるなら、損失分がそれを上回らない限り得だし。先物で1兆円損失となったとしても、ストックされていた国の資産1兆円が、国民に移転されたのと同じ効果を持つ。国の借金に計上されることになるのは同じなんだけどさ。それでも、景気減速で税収減となるよりはマシだ、ということ。


国内向けには、別に手を打つ。
公共料金アップとか、食料品価格アップなど、生活に直結している部分で不満が多くなっている。また、定率減税廃止の結果、消費余力は減退しているはずであろう。なので、暫定税率程度の規模で減税効果を生み出す方法を考える(国民の多くは暫定税率復活に怒っているだろうしね)。2.5兆円~3兆円規模だな。これでGDP成長率の下支えをする。ちょっと規模は小さいけど、やらないよりはマシだ。予算案は既に通ってしまった後なので、あまり大規模にはできないけど。

具体的には、国債償還の増額分を用いる。今年度に9.8兆円規模で財政融資資金特別会計の圧縮が行われることになっているが、これを減額する。このうち3兆円くらいは、景気対策に回せよ、ということだ。もう決まってしまったことだから変えられない、という事情があるかもしれないので、その場合には9.8兆円分償還されるけど、3兆円くらいの国債追加発行で相殺する、ということになるかもしれません。正味の繰上げ償還分は6.8兆円くらいに減ったとしても、急に困ることなんてないだろう。定率減税規模が大体2.6兆円くらいだったかな、と思うので、丁度いいんじゃないか。

減税というと、またバラマキじゃないか、とか非難されるかもしれないので、減税にはしない。例えば、こんなプラン。

①全国の一定以下の所得水準世帯に水道料補助:
市町村で運営となっており、特に料金が相対的に高い財政事情の苦しい市町村への配分効果が期待できるのでは。低所得世帯では公共料金値上げの影響が大きいと思うので、これで一部は相殺されるだろう。例えば年収300万円以下の世帯に一律1000円/月、500万円以下には300円/月、といった具合に。
実施に必要な資金規模が正確には判らないのですが(市町村ごと運営なので資料がない)、全国の水道事業規模が約3.3兆円くらいなので、それよりは小さいはずだろうから、対策費規模(3兆円くらい)を超えることはない。これらに係る事務費も市町村に配分する。

②医療費や介護費用の一部補助を拡大:
高齢者、障害者や難病等の方々の自己負担分を補助する。これまでに多くの補助が削減されてきたので、負担が重くなった低所得層に配分する。後期高齢者医療制度への不満も緩和されるだろう。できれば数千億円規模で。

③住宅投資への補助:
昨年に大打撃となった住宅需要ですけれども、これに対応する。エコ対策への補助を拡大する。熱効率や省エネルギー対策の設備費用を大幅に補助する。例えば、オール電化、給湯設備、空調設備、太陽光発電等への補助額を増やし、普及を促進する。


消費の下支えをするのは当然。
何か秘策を持って総選挙に打って出るとか、どうにか考えればいいのにね。




続々・ネットの規制に関する雑考(追記)

2008年04月30日 12時37分25秒 | 社会全般
あまり首を突っ込まない、とか言いながら、また書いてしまいました。

続・ネット規制に関する雑感


大体の方向性といいますか、目鼻はついたのではないでしょうか。

asahicom:高市氏のサイト規制法案、有害基準作成は民間 自民方針 - 政治

やはり業界側の反発はかなり強力な支援となったみたいですね。
また、自民党内からの反発が強まった、というのも大きいでしょう。業界側からの巻き返しが奏功したのではないでしょうか。

前にも書きましたが、ネット上での批判派たちの多くは何処に働きかけたいのかが全然判らなかったし、あれでは効果は得られそうにないと思いました。もっと悪いのは「高市議員は~~も知らない××だ」みたいな人格攻撃に走る傾向で、これでは主張が受け入れられるとは到底思えませんね。


立法措置で対処します、と相手側から宣戦布告された時、「立法するなんてアホのやることだ」とか「(相手側の)○○というヤツは~~だ」とか言ってみたところで、事態を収拾できるわけではないのは明らかでしょう。
そうではなくて、「立法せずとも、こんな方法でも対処できるんじゃないでしょうか」、「こんな風に自主ルールを運用しようと思いますので、ちょっと待ってもらえませんか」ということで、相手側にも妥協できる余地を生み出すことを考える方が、容易に事が運ぶのではないでしょうか。


今後どうなるのかはまだ判らない部分もありますが、みなさんでよく考えていけば
いいのではないかと思います。



追加です(21時半頃)。

有害サイトの法規制に難色、総務相 - MSN産経ニュース

遂に、大臣発言まで漕ぎ付けましたね。
「法規制に難色」ですから。

あとは、自主努力の成果をきちんと見せるように、みなさんが協力していけばいいのではないかと思いますね。



容認する必要性は今のところ感じない

2008年04月29日 18時54分17秒 | 防衛問題
釣りタイトルに釣られてみたよ。

はてなブックマーク - クラスター爆弾禁止推進議員連盟は代替兵器の予算を容認してくれるのだろうか 週刊オブイェクト

これって、本気で言ってるんだろうか。


例えば、こんな話。

夫 「ベントレーは必須だから」
妻 「ベントレーなんて我が家には要らないわ」
夫 「何言ってんの、GTspeed の性能は素晴らしいんだから」
妻 「別に、そんな性能は必要ないでしょ」
夫 「オーバー200mphの高性能車なんだよ」
妻 「いいえ、我が家はスズキの軽で十分よ」
夫 「ベントレーがダメならもっと高い車になっちゃうよ?それでもいいの?」
妻 「はあ?」
夫 「ベントレーがダメなら代替車種の予算を容認してくれるんだろうな?」
妻 「何バカなこと言ってんのよ」
夫 「F430とか…カレラGTだろ、ムルシエラゴだろ、…」
妻 「???、それが無かったらどうだって言うのよ、生活できないの?」
夫 「……」


別に、ベントレーも、フェラーリも、ポルシェも、ランボルギーニも、どれも持ってなくても、困ることは一切ないわな。代替を考えるとしても、スズキの軽でも可能(笑)。予算を容認してくれるんだろうな、と求めるということは、他の代替がきかないとか、必然性があるとか、そういう特別な理由を述べるべきだろう。持たない場合の不利益がどのようなものなのか、ということを立証するべきは、夫の側だということだな。


仮に、クラスター爆弾を保有しないとして、それがないと日本の防衛上でどういったことが考えられるか、その確率的な話とか蓋然性の話も勿論必要になるだろう。もっと安価な代替であるとどうなのか、ベントレー並みの性能ではなく、スズキの軽並みの性能であると何がダメなのか、そういったことを明らかにしないのに、予算を容認しするべしという話にはならんだろうな。


前にもちょっと書いたが、保険にも違いはある。
自動車保険で、対人無制限、対物無制限、車両保険バッチリ、というのは安心かもね、って話だな。保険料が高いので、もう少し下げて、対人無制限は残すとして、対物1000万円、車両保険は一部のみ適用、とかにすると、お安くなるね、って話だな。ここで、「じゃあ、携帯電話のアンテナ施設に激突したら、どうやって払うんだよ」とか、「車両保険が満額ではなくて、相手のロールスロイスにぶつけて払えなかったらどうすんだよ」とか、いくらでも言いようはあるわけで(笑)。
滅多に起こりそうもないことを殊更取り上げてきても、実際「人生の中で、それらにぶつかったことは一度もないよ」というのがごく当たり前の現象なんだもんね。


心配しようと思えばトコトン費用をかけるだけの心配はできる。
けど、そんなに費用をかけなくても大丈夫なことの方が圧倒的に多い。
この位にしておけばいいんじゃね?、という妥協は、ごく普通だということ。別に、自動車保険のフルセット満額加入が「正しい」とかって話ではない。そんなことも考えないから、「~の予算を容認してくれるのだろうか」とか言い出すのかもしれない。



山口補選から何を学ぶか

2008年04月29日 14時57分04秒 | 政治って?
あまりに無様な自民党を見ていると呆れるばかりですが、ちょっと可哀想といいますか、哀れでさえあります。毎回ながら、事が起こってから慌てふためく姿も笑えますね。一方、マスメディアや有識者だか知識人たちの口から出まかせぶりが目につくようにも思え、好き勝手に適当なことをよく言えるもんだな、とは思います。

東京新聞補選ショック 『別の話』で済ますのか社説・コラムTOKYO Web

他の社説でもそうなんですが、言いたいことは判ります。私の考えていることや主張点に近い部分もありますし。でも、できるだけ「選挙結果」については、冷静に受け止めた方がいいと思うのですけど。


敗戦明けの翌日、自民執行部の居並ぶ姿には本当に幻滅させられたわけですが、伊吹、古賀、二階といつもの悪玉トリオだな(笑)。
もしも補選結果を重く受け止めるというのであれば、古賀さんか伊吹さんは責任取って腹を切れよ、って話だ。一体誰が候補者を立てて選挙戦を戦ったのか、という責任論になるわな。この一戦がそんなに雌雄を決するほどに重要であったのなら、そうすべきではないか、ということ。しかし、そういう選挙ではなくて、ごく普通の地方の選挙の一つに過ぎないというのであれば、そのことについて明確に説明する責任は自民党にある。民主党やマスメディアとかコメンテーターとかは、「これが民意だ!」と息巻いているのだから、それに的確に答えるべきは自民党だということ。

戦犯探しに躍起、とかいう風聞もあるみたいですが、党内に波風を立てると自分に被害が及ぶのを怖れた悪玉トリオが火消しを演出しようとしているだけではないかと思いますね。本気の本気で総裁奪取を狙う人たちがいるのであれば、ここで「福田降ろし」を仕掛けないでどうすんだ、とは思う。男なら福田政権と共倒れを選ぶよりも、自民党が再び戦えるような総裁を担ぐ方がマシだろうと思うが。その方が自民党の為になる、と思う人が出てきても不思議じゃない。そうじゃなくて、福田政権を全力で支えようと思う(=その方が国民の為になるし党の為になる)のであれば、きちんと答える義務があると思うが。今の自民党ではそうした説明責任を誰も果たしていないだろう。だから、民意を無視するのか、とか、別の話で片付けるな、というお叱りを頂戴することになってしまうのだよ。

福田さんには説明力や情報発信力はあまりないのであれば、誰かが代わってそれをやるのが筋ってもんじゃないの?そういうことを考えない、取り組めない、ということが、今の政権の支持率低迷を招いているだろう。更に、役立たずで足を引っ張るばかりの執行部が、党内のギクシャク感を生み出しているのだよ。まるで一人で野球をやってるみたい。


まあいい。どうせ放っておいても、長くは持たん政権だから。
選挙の話に戻るが、今までのところ、マスメディアを通じて「デマ」っぽい話が相当流されていると思うので、いくつかの論点についてみていくことにする。


①選挙って何を選ぶの?

そもそも論で申し訳ないが、選挙って難しいんだろうと思うんですよ。政治学とか憲法学とか、そういう学問的な解釈や意義なんかも様々だろうけど、国民の身近な視点だけで考えても、別に「どっちの政党を選ぶか」みたいな単純な話ではないと思うんですよね。
国会議員を選ぶ選挙なのだから、まず人物を選ぶことになるだろうし、所属政党とか、政策とか、色んな要素が入り混じっていると思うのですよ。なので、単純に「○○の政策」や「○○政権」に賛成反対、支持するのは「○○党」か「××党」かという二元論で割り切れるものではないんじゃないか、ということです。人物重視の人もいるだろうし、政策重視とか、政党重視とか、評価のウェイトは一律ではないでしょうからね。なので、この選挙結果だけから、何かを明確に語るというのは結構難しいんじゃないかと思いますね。もっと全体的な傾向として、総選挙のように国民の方向性がある程度出ているなら、そこから民意ということを考えることはできそうかな、と。


②保守王国って本当?

これもマスメディアでは実しやかに語られているわけですが、本当にそうなんでしょうか?私が選挙前に報道でチラッと見た時には、民主党議員は当選3回となっていて自民候補は新人だったわけです。岩国市長選に出た現職議員なんて、郵政選挙で勝っただけでした。つまり、この選挙区は元から民主地盤であり、毎回自民は負けていたが、郵政選挙では「超追い風」が吹いたお陰で僅差で勝てただけです。なので、ここの選挙区は「自民」ということは始めから無理な話であって、元々は「自民負け」の選挙区なんですよ。平岡議員がきっちり地盤を固めてきた地域だ、ということですよね。


③選挙結果に最も影響したのは「共産票」かも

これまでの平岡議員の得票を見ると、00年104372、03年109647、05年103734、と大体安定している。05年は例の大勝フィーバーで負けはしたものの、大きく得票を落としたわけではない。平岡議員の支持基盤は大体基礎的な票として104000程度の持分があるわけですよ。自民候補がこれを超える得票ができたのは、05年の104322票だけ。共産候補が毎回立っていて、1万数千票を取っていたので、もしも05年に共産候補がいなくて民主に1割でも入れていれば、やはり自民は負け平岡議員が勝っていた。自民党候補の得票率は、00年44.3%、03年42.9%で、勝てた05年だけが47.1%で民主を上回ったのみである。

今回選挙では平岡議員が116348で約55%獲得、自民候補は94404であったので00年や03年選挙と大差ない。つまり「自民支持票」の割合は、この3回はほぼ似たようなものだ、ということ。今回平岡議員が票を伸ばした理由は、基礎的票に共産票が上積みされた結果である、ということだ。05年選挙では投票率が高く投票総数が増加したが、恐らくはいつもより都市部の投票数が伸び(比較的若い世代だろうと推測している)、その多くが自民候補に流れた為逆転されたものと思う。その増加分のお陰で、いつも10万票に届かなかった自民が、この時だけは超えることができたのだ。今回選挙はそうした「ご祝儀票」みたいな部分が剥落したので、元に戻っただけであろう。


④市部の票で勝敗が決する

よく言われるのが、都市部では民主が割りと得票する、ということだろう(唯一違ったのは郵政選挙だけだ)。今回選挙でもその傾向が顕れた。平岡議員が上回った票を見ると、(数字は約)岩国市で13000、光市で5000、下松市で3000、合計21000票となっており、市部の優位が総得票数の違いとほぼ同じである。従って、自民支持層の変化があまりなくても、共産票を都市部で取り込んだ民主が有利に展開することになるのは当然ということになる。

最も大きな票田である岩国市は、2月に市長選挙があったが、自民党議員だった候補が激戦の末、現職を破った。有権者の行動というのはそれなりに意味があって、今回選挙とは異なっていた。
まず、投票率はかなり高かった(76.26%)。自民候補が47081票(約51%)、現職市長が45299票、と大接戦だった。多分、共産党よりもどちらかといえば保守系寄りの民主支持層や無党派層が、自民候補に投票したのではないかと思う。補選では岩国市の投票率は大幅に低下し、投票総数が1万票くらい減少した。平岡議員が47817票を獲得したのに対し、自民候補は34678票しか得票できていなかった。市長選の時とは大違い、ということ。何を判断すべきか、ということを、その時々で見ているのだと思う。自分にとってどれほど重要か、ということも値踏みしているのだろう。

このように岩国市の投票を見ても異なった反応が見られるので、自民を支持している、とか、いや民主の政策を支持してる、といった、短絡的な結論には結びつけられないであろう。


⑤本当にお年寄りの叛乱なのか?

どうやら「悪者トリオ」が責任を被りたくないということで、後期高齢者医療制度が最重要容疑者(笑)ということになりそうな空気だが、本当に高齢者の方々が激怒したのかというと、どうなのか判らない。厚生労働省の役人とか、党内で嫌われ者の舛添大臣とかに汚名を被せて、「お前らが悪いんだYO!お前らのせいで負けちまったんだYO!」と言いたいのかもしれない。「俺は知らないぜ~、俺のせいじゃないぜ~。ピーピーピュ~(口笛吹いて誤魔化してる図)」ということだね(笑)。
今回選挙での自民の得票は、過去と大差がなかったことは上述した。それと、郡部の特に高齢化の進んだ地域の得票を見れば、やはり自民支持層が依然として厚いのである。

高齢化率が最も高い上関町(48.8%)では、自民候補に1669票と約61%が入れている。同じく高齢化率が45.8%の周防大島町でも約54%の得票率だった。更に、市部は民主が強いのであるが、高齢化率が3番目に高い(30.5%)柳井市は、唯一自民候補が上回った市である。自民候補は11218票(約51.4%)と健闘していた。
これら高齢化率上位の地域の得票結果を見れば、自民支持層の基盤としては、やはり高齢者の支持が優位なのであり、「後期高齢者医療制度」への反発といった単純な理由で自民候補が敗れたわけではない。
「高齢化率の高い地域では、自民党の得票率が高い」ということは、今回選挙であっても観察された、と言っていいでしょう。

コメンテーターとか、解説の人たちだとか、みんな「高齢者が…」云々と解説してくれてたんだけど、後期高齢者医療制度に高齢者が殆ど反発しているのであれば、高齢化率の高い地域でもっと得票率が低下していてもいいんじゃないのかな、と。

資料:衆院補選山口2区を追う -ザ・選挙-


こうしてみると、適当に誰かがもっともらくし理由を付けたり、解説したりしても、多くの国民にはどうせ判らないんだから何を言ってもいい、みたいなもんかもしれんね。その程度の人たちが、議員さんとか、マスメディアの作る論調とかなのかな。
平凡な見方をすると、まあ00年や03年の選挙と大して違わないんじゃね?ということだな。農作物や天候なんかの表現を借りれば、「例年なみ」とか「平年なみ」とかいうレベルなんでないの?
でも、そこには何か特別な意味を見つけ出したいとか、特別な意義を付加したい、というような思惑があるなら、その主張をするのを止められませんから、私には。
多くの国民を騙してるのと同じような気がするんですけど。

毎年30キロくらい収穫できる田んぼで、今年も30キロ収穫できると、「これは害虫のせいで30キロだったんだ」と解説を付けるみたいなもんですな(笑)。本当に害虫のせいかどうかは判りませんけど。余計な解説とか何もなくても、大体収穫量が30キロなわけで。


自民党のみなさんも、民主党もマスメディアも、「どっちもどっち」ってな具合ですかね(笑)。




またか…

2008年04月29日 03時22分25秒 | 経済関連
どうなんでしょう、これ。

はてなブックマーク - isologue - by 磯崎哲也事務所:世界にはまだこんな高利の貸金業が存在する!

年単位で考えた場合、短期貸しでは殆ど影響ないように思えますがね。
月平均消費額30万円だとして、今月30万円+短期借入5万円(ペイデイローンみたいなもの)、翌月には25万円+返済5万円(手数料とか金利は25万円の方に含むとして)になるだけだから、平準化される効果はあるけれども、それだけだから年単位でみれば消費額変化はあまりない。日本の場合には、これと同じ貸出がカード系や消費者金融で可能ですからね。

ヤミ金が拡大しているのであれば、摘発を強化するしかないでしょうね。
因みに警察庁の生活事犯の統計では、03年や04年の方が07年よりも被害額は多く320億円以上で、被害人員も32万人、28万人から約14.8万人と半分くらいに減少していたようですけど(上限規制で本当にヤミ金が拡大したのか?)。
今までのところ、こうした時期を大幅に上回るようなヤミ金拡大は見られていないと思いますが。何度も書いて恐縮なんですが。


いや、貸金業界でも散々反論を考えていましたから、別に目新しいものでも何でもないとは思うんで、別にいいんですけどね。

2006年大改正

磯崎氏は堂下先生のペーパーを紹介していたことがあった(貸金業の上限金利問題~その9)ので、恐らく堂下先生の論説には信頼を置いているものと思います。上記tapals白書でも堂下先生は950万人中約870万人が貸し渋りや貸し剥がしに合い、その額は8兆円(消費者金融業者だけで!)と推計しているので、貸金の貸出残高の殆どが消え去るということを予想しておられたようですね。で、カード系も大手貸金もみんな上限を引下げましたけれども、信用供与額が8兆円も消し飛んだということにはなっていないみたいですね。池田信夫も900万人が市場から締め出されるとか豪語していましたが、そんな現象はまだ確認されてませんな。

07年2月に比べて08年2月時点では、1社からの借入者は「約14.6万人増加」してるんですよね。5社以上借入の多重債務者は減少(約55万人)し、借入者全体の数も減少(約40万人)した。延滞記録は増加しているので、なんとも言えませんが。

磯崎氏の評価では、幸福と不幸の割合を考えてみるとどうなんだろう、という話でしょうけれど、例えば過酷な取立てで死んだ人たちを金額で表示できるのであれば、是非トライしてみてくれればと思いますね。規制を撤廃してヤミ金を合法化したいというのであれば、そういう運動をやったらいいのではないかと思いますね。規制がなくなれば、ヤミ金が存在しなくなり全て合法業者となるので、ヤミ金被害そのものがなくせますな。確かに、これならゼロにできる、と。


ところで、tapals白書にはアメリカ様のご意見が紹介されていて、笑える。
『繰り返し行われた調査による、過剰融資と過剰借入問題への最善の対応策』が紹介されているが、それが有効に機能していたのであれば、アメリカのサブプライムローン問題なんて起こらなかったのではないか、としか思えないわけですが。日本に余計なお節介をして、アドバイスだか口出しだかをしてる暇があったら、自分の国のことを取り組んだ方がいいんじゃないかと思いますね。

ACCJの主張していたことも、どこまで信頼できるか甚だ疑問ですね。失業が主たる原因であるなら、07年の米国の失業率は過去の水準から見ても低かったでしょうね。それなのに、あのザマですか(笑)。失業率が低かったのに、住宅ローンが払えなくなり差押えが増大ですか。笑いすぎて、腹が痛いです。あと、客観的調査では、貸金業利用者の約9割は金銭管理ができる合理的な借り手だ、とかも言ってませんでしたか?阪大グループのペーパーでは、貸金の借り手のうち約3~4割はキリギリスタイプだといわれてましたな。随分と主張に開きがあるもんで。要するに、一見正当な主張をしているようであっても当てにはならんな、というだけではないかと。

いや、私みたいなアホな人間が考えるのと、賢い人たちが考えるのでは違いますから、きっと彼らの主張が正しいんでしょう。だったら、まずは米国で貸金を開業したらいいんじゃないか?儲かるんでしょ?上限は考えなくていいし(笑)。サブプライム層に貸してあげればいいんじゃね?住宅ローンの返済に窮している人は大勢いるよ?ビッグチャンスなんじゃないの?

日本でも「トイチ」導入あたりを目指して、頑張ってみたらいいんじゃないでしょうか。規制撤廃とか。
公認会計士の言うことであれば、社会の多くの人たちが信じてくれると思いますね。少なくとも、私のような匿名の卑怯者よりも信頼性は高いと思ってもらえると思いますよ(笑)。



『HERO』みたよ

2008年04月28日 17時08分03秒 | 俺のそれ
家族でDVD鑑賞。

世間様は海外旅行だのと景気のいい話も聞えてきますが、ウチはあまり金を使わない娯楽(笑)。それで十分楽しいんだけど。

本作品は私の希望で選択。
妻や子どもは「別に、みなくてもいい」と。
なんで?

キムタクファンじゃないからって、そんな風に言わなくても…

前の「パプリカ」の時もそうだったけど、私が「観ようよ」と言っても、おんな子どもには不人気の時があるものなのだ。


余談はさておき、率直な感想は「拍子抜け」。
元々ドラマを全く観てなかったので、久利生に共感がない。映画中で彼のことを理解し感情移入できるかと言われると、難しいように思う。
どうでもいい、事務官だか書記官役の松たか子との、お惚気が長いのが苦痛。女性の鑑賞者を意識して作られたのかもしれないが、『武士の一分』でキムタクが見せた夫婦とは比べるべくもない。

そもそも家族の反対にあったにも関わらず、私が本作品をチョイスしたのは、被告の弁護士役である幸四郎との法廷対決に期待していたからだ。しかし、その期待は無残にも裏切られてしまった。立証困難とかの壁が、あまりに薄い。主人公の検事に課せられたハードルがあまりにも低すぎるのである。
韓国に車を探しに行くだの、800名以上のケータイ写真を他の検事や事務官らが探すだのというのは、残念すぎる。もうちょっと、コロンボとか古畑とかくらいのレベルに近づけても良かったのではなかろうか、と。

幸四郎のヤメ検弁護士役は悪くはないが、法廷内の時間が短すぎて、キムタク同様に物足りなかった。辣腕ぶりがほぼわからぬままであった。

根本的に法廷とか弁論の時間が短すぎ、検事vs弁護士という対決を期待していた私にとっては、不満が残るものだった。予告映像とかでは、「史上最大の敵(だったか?)」みたいに大袈裟に出しておきながら、実際対決場面になると案外と弱いよね、みたいな。

この映画は、多分、
・彼氏彼女が「恋愛映画」を観たい
・ドラマを勉強済み(ドラマのファン)
・キムタクファンの女性
のようなターゲットに向けて作られたのだろう、と思った。
なので、私のようなオヤジにはやや物足りない仕上がりとなったのではないだろうか。

ところで、議員先生のアリバイ証言の設定は、ちょっと笑った。特捜部の方での2名の証人。なんですか、アレですか、それとも…(笑)


家族の本作品への反応は、「まあいいんじゃない?」だった…。
それって、どうなんだよ……。
「つまんなかった」と言うと悪いなと思うから言わないだけなのか…。

娯楽としては、まあまあ良かったんじゃないでしょうか。



指揮権発動とか、ロッキード事件頃を思い出しますな。
忘れもしない『俺の空 刑事編』でも指揮権発動という話が出てきた。
ベテランデカ(ありがちな「おやっさん」みたいな刑事)の名前忘れたけど、酒を無理矢理流し込まれて殺されちゃう。
グラサンの刑事は、弁慶の立往生みたいに証人だったか容疑者の1人だったかを庇い、銃弾の盾になって死んじゃう。
細かいストーリーは忘れたが、要するに典型的な疑獄だった。ロッキード事件みたいな。

グラサンの刑事が死んだ時、そりゃ涙したよ。
この鮮烈な記憶があり、俳優の寺島が同じようなスタイルで登場してきたので、妙に親近感を抱いたのかもしれない。

因みに、最も泣ける漫画は前に書いた
立ち読みの思ひ出



ぶくまコメントにちょっとお答え

2008年04月27日 18時27分55秒 | 俺のそれ
大型連休記念に(ウソ)


第一問:

はてなブックマーク - エンドレスな…?

ごめんなさいね(笑)。ふざけてみたかったので。
だって、
 いっけん みわけが  つきにくい
 えっけん めつきが きつくにくい

ホラ、ホントにみわけがつきにくいでしょ?
おやじギャグ~ぅ

他意はありません。


第二問:

はてなブックマーク - 比喩はオレの十八番だろ - いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

>kanose氏
車社会の比喩が不適切だとして、そう思うなら、問題の核心について述べれば議論は終わる。相手が何を問題としているかについて、答えるべきでは。特にアルファな方々はそうしてくれると有り難いのですが。
南京事件に関連した記事でも、「専門家の成果を尊重し用いるべし」「成果を自分で調べろ・勉強しろ」ということであるなら、これを一般化して適用するのだろうか、という話です。

いい例がパッと思いつかないけど(また比喩か→オレ)、じゃあ、「ダイオキシンは危険だ」という専門家の意見があったら、それを採用するんですか、ってな話ですわな。専門家Aは危険、別なBはそうでもない、とするような意見であれば、普通の素人が見てもどっちが正しいかなんて見分けがつけられない。けど、「ダイオキシンは危険か」論争がネットのどこかで行われているのを見れば、「どっちが正しいの?」という疑問がわくのは無理もない話では。

その「結局、どっちが正しいんだよ」という疑問を発することを封じようとするのは、問題だろうと私は考えます。「疑問を発する前に、自分で調べろや、ググレカス」みたいに言われることも当然あると思うが、その条件の適用対象は限定されるべき、と思うからです。
たとえ適切ではないとしても、たとえば「どっちもどっち」や「よくわかんねえ」という意見を封じること自体に問題があると思いますね。

私には到底クリアできない条件ばかりだな、と思ったもので。


>REV氏

「深遠で遠大なメタネタ」はありませんね。
私の「弾が発射された」(笑)ということがkanose氏に届いているならそれでよく、他は特にありません。

因みに、「クリリン連鎖」というのがどのような反応形式なのか、別な機会にでも具体的に例示していただければ。ちょっと期待。



日本記者クラブ賞のこと

2008年04月27日 16時56分47秒 | 社会全般
このような賞があることを知りませんでした。
で、今年は、筑紫哲也氏が受賞ということらしい。

時事ドットコム:日本記者クラブ賞に筑紫氏=テレビジャーナリズムに貢献


率直に、良かったですね。
中には底意地悪く、「高齢だから」とか「病気になったから」といった同情票が集まったのではないか、などと言う人たちがいるかもしれません。
けど、業績は評価されていいと思いますね。

前にチラッと書いたことがあります。
マスメディアは「生ける屍」となるのか


マスメディアには何ができるか、テレビにはどんなことができるのか、そういうことを業界内でよく考えてみるいい機会かもしれません。

社会への影響力では、ネットは未だマスメディアには追いついていません。ネットから飛び出して成功した(ように見える)人たちは、やはり既存のテレビだの出版だのといった媒体でその成果を得ているわけですから。

ネットの成長はまだまだで、成熟には程遠いというのが現状でしょう。


マスメディアもネットもそれぞれに、もっと違った未来があると思います。

動画記録が可能になった時、今のようなテレビや映画になっているとは、多分想像してなかったでしょうから。



続・ネット規制に関する雑感

2008年04月26日 13時54分17秒 | 社会全般
この問題には、あまり首を突っ込む気はなかったのですけれども、もう少し補足してみます。

ネット規制に関する雑感


規制反対の活動をしている人たちの状況をみると、行政側対応をあまり研究していないのではないかと思わざるを得ない。総務省が携帯電話のフィルタリングについて検討会を昨年末頃からやってきており、資料等に限らず議事録も揃っているのであるから、議論の方向性などを知ることはできるし、自分たちが何を主張すればいいのか、ということを考えることはできるはずだろう。

見えない敵に向かって、無闇やたらと発砲するのが効果的とは思えませんね。まずは、相手側をよく研究し、知ることから始めるべきでは。沙世ちゃん系の方々?が「調べてから意見を言え」とか言っておりましたけれども、まさしくそれが当てはまるかと思います。

政策実現というか(今の場合には阻止ということかもしれないが)、政治的な活動を意図するのであれば、まずこうした資料を丹念に読み込み、相手側主張を理解するとともに、論点の穴や弱点というのを調べるとか、相手側要求に応える為の解を探すといった努力がまず必要であろうと思う。


総務省が行っているのは、「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会」というものであった。調べたら、直ぐに出てきたよ。

メンバーはこちら>総務省報道資料

で、現状は大体ココ>中間取りまとめ骨子(案)


結局、これら論点を上回る「何か」をMiAUなり、何なりが出せないのであれば、この基本線を突破することは難しいと思う。しかし、これら案を受け入れるならば、より強力な法規制は防げるということがあるなら、交換ということになるかと思う。総務省プランで行きましょう、だから、例の立法(自民、民主案?)は待ってくれ、という条件を出せるでしょう、ということ。その戦術を捨てるのであれば、真正面から挑んでみたらいいと思いますね。フィルタリングは拒否、自主規制的な第三者評価機関も拒否、ということ。全くの自由を勝ち取る為に玉砕戦を挑んでみたらいいでしょう。


上限金利問題の時にも、こうした行政側資料などをまるで見ないで文句ばかり言ってた人たちがいたわけですが、まさにあれと同じようなものです。ネットの場合、みんなで手分けして作業できるのだし、論点を整理して回答を作成したりもできるし、専門分野ごとに対策とか回答をそれぞれ用意できるはずなんですけどね。法学関係、経済学的観点、技術的部分、経営的なこと、そういうのを得意な誰かがやっていけばいいだけの話だな。

しかし、現実にはそういうことすらやってない。
はっきり言えば、努力が足りんのだ。

誰か1人でもいいので、こういうのを検討して論点を切り分け、答えを探す作業をやればいいものを、頭数だけ揃えたって誰もやっていないのであれば、戦う前から勝敗は目に見えているということ。明らかに負け戦だわな(笑)。誰も「戦い方」ということに頭を使っていないのだ。自分の主張の正しさを言いたいだけなんではないのか、と思わざるを得ない。それとも、政治家や官僚の無能を論って、自分たちの優秀さを示したいということか?
違うというなら、努力の成果を見せてみろ、ってことだな。


相手側論点を知り研究する、というのは、賛成意見を集めてくるより役立つかも、と前に書いたじゃないですか。

多くの賛成意見よりも一つの反対意見の方が役立つかもしれない

もう大体答えは見えたんじゃないでしょうか?
とりあえずの目標地点というか、ゴールを目指して、現状で可能な一手を選択することを考慮すべきでは?
最善手ではなく次善手かもしれないけれど、正面闘争に敗れて玉砕するのとどちらがいいですか、って話だ。



寿司を食いたきゃ箸使え!

2008年04月26日 10時33分32秒 | 経済関連
前の記事に関連して。
今は世界的に寿司は広く知られるようになり、日本以外でも食べられる場所は多くなった。「sushi」は当たり前の食べ物になったのだ。しかし、以前は欧米人は今と全く違った反応であった。

70年代や80年代であっても、日本や日本人のことへの理解はあまり得られていなかったであろう。殆どの欧米人は日本のことなって眼中にはなかったし、知識もなければ興味もなかった。だから、日本人がスシを食べる、ナマの魚を食う、ということで、バカにされたものだ。欧米人の多くがスシや刺身を前にすると、気味が悪いとか気持ち悪いと言っていた。いま風な言い方をすれば、日本人は「キモい」ということだ。映画などでも、箸を使うのは、ふざけた場面とか小馬鹿にする為の典型的な小道具に過ぎなかった。

それらのことを別に非難したわけではない。奇妙なカタツムリだの、昆虫を食べるのも、大差ないからね。日本人にだって苦手な食べ物くらいはある。欧米人が刺身や寿司を苦手に思うのは無理もない。けれども、海外での紹介のされ方というのは、日本人は「魚をナマで食う」ほどの蛮族、のようなイメージを与えていたかもしれない。そういう目で日本を見ていた、ということだ。日本の文化や伝統などに敬意を持ったものではなかった。一部の人たちだけはそうではなかったかもしれないが、殆どの欧米人は日本を理解しようとしなかった。だからこそ、刺身を箸で食う、寿司を食べる、というのは長い間受け入れられなかった、ということだ。

日本人は違う。昔は大量に並べられるフォークやナイフの使い方なんかは知るはずもなかったが、フランス料理などを食べる時のテーブルマナーを学び、理解しようと努めた。だから、日本人はフランスの三ツ星レストランに行った時に、「箸で食べたい。だからフォークじゃなくて箸を出せ」などと言うことなど殆どない。日本人は行った先の、当地のやり方に合わせるからだ。そこのやり方を学ぼうとするからだ。


しかし、欧米人の多くは箸を満足に使えずにうまく食べられないと、「箸は日本独自のルールだ、だからフォークをくれ、フォークで食べられるようにせよ」と文句を言う、ということだ。日本のやり方を変えろ、と常に求めるのは、それと同じことだ。寿司屋に来ているのに、そこのやり方を学ぶことも理解することもせずに、フォークを出せと要求するのである。それがおかしいと考えることがない、ということでもある。欧米人が寿司をうまく食べられないのは、日本人のせいじゃない。欧米人が箸を使うのが下手だからだ。欧米人には、「郷に入っては郷に従え」という日本の諺は通用しない。ビジネスがうまくできないのは、自分たちのせいではなく日本に問題がある、ということだけを主張するのである。


これはまるで「寿司屋で箸を使うというルールが悪い、だから箸を使うのではなくフォークにせよ」と再三要求してるのと同じである。日本がいくら「日本では普通箸を使うんです」と説明しても、それは日本独特の慣習だ、と非難する。日本人が自分の努力でフォークやナイフの使い方に慣れてうまく食べると、「日本人は我々の用意した自由を享受して儲けている」と文句を言うのだ。それは日本人がフォークとナイフを上手く使う自助努力の成果であり、「日本では箸を使うから箸をよこせ」などという要求をしたことなどないのに、非難されるのだ。


今では、寿司を食べる外国人はかなり増えた。ナマ魚はキモい、とか、日本人キモい、とか言われなくなった。箸を使って「sushi」を食べる外国人が殆どになった。それは寿司への理解が進んだからであり、箸を使うことに慣れるように努力してくれた結果であろう。けれども、今から20年前には、そうではなかった。それと同じで、欧米人の中には、未だに「箸を使って食べる日本の慣習や文化はおかしい」と、お門違いの文句を並べる人々がいるのだろう。


日本の寿司屋で「sushi」を食べたければ、箸を使えばいいだけだ。
悔しかったら、箸を使えるようになってみなさい、ということ。
箸という日本の文化や伝統に文句を言う人には、無理に寿司を食べてもらわなくてもいい。



出島よりも種子島を知るべきだ

2008年04月26日 02時11分38秒 | 経済関連
どうも日本への誤解が解けないようだ。その理由を彼らは考えたことがあるのだろうか?
その必要性を感じることがないから、恐らく自らは答えを見つけ出せないだろう。

「出島」思考にとらわれる日本――フィナンシャル・タイムズフィナンシャル・タイムズ - goo ニュース

この論説を読むと、不可解な日本の姿が浮かび上がってくる。何事においても不透明なのだ。欧米人にとって日本は、今も昔もミステリアスな国なのだ。
一部の個人に理解者が存在しているだろうが、有力な政治家や経済人や知識人であっても、日本のことをよく知らない。知る必要性がないからだ。何故なら、彼らにとって「判らない」ことは自分の責任ではなく、相手にその責任を求めるからだ。それが考えの基本である。日本人の気質は大きくかけ離れている。


まずEUの姿を見てみよう。

EU統計


直接投資受入額は約1700億ドルであり、GDP(約14.5兆ドル)比ではたったの1.2%に過ぎない。要するに域内でしか投資は行われていない。日本のGDPの3倍近くありながら、日本の対内直接投資額(=海外からの投資受入)約1000億ドルと比べれば、とび抜けて多い額とも思われない。単なるブロック経済主義なのではないか、という疑問には答えられるのだろうか。EU内のある国がドイツやフランスから投資受入をしているとしても、それは日本で言えば、宮崎県が東京からの投資受入をしているのと大差ないということだ。

また、日本からの輸出は約970億ドルしかない。EUから日本への輸出額がこの半分くらいしかないから、日本の輸出超過であるには違いないので、日本から何か文句を言ったりすることはない。しかし、日本から見ればEUは閉ざされた市場である、と言うことは可能である。何故なら、日本から香港・韓国・台湾のたった3地域に1400億ドルもの輸出をしているのに、EUはその7割に過ぎないからだ。EUのGDPの大きさとこの3地域の大きさは比べるべくもなく、EUが圧倒的に大きいのは明らかだろう(笑)。
EUにとって「日本よりもスイスとの貿易額の方が多い」という事実を突き付けているが、こうした一部の事例を取り上げて日本の一般的批判とすることがいかに不適切であるか、ということを彼らは考えない。

エアバスのシェアが低すぎることは、エアバスにとっては不幸な出来事だが、それはボーイングに文句を言うべきであって、日本に文句を言う筋合いのものではない。日本人の客がルノーをあまり購入せず、シボレーを多く買うと、同じように不満を言うだろうか?
確かに日本の姿勢が米国企業に対してやけに媚びているということがあるかもしれない。ならば、そういう米国側の圧力を緩衝するような助力を日本にしようとしたのだろうか?常任理事国入りの問題が持ち上がった時に、ドイツと日本が目指したにも関わらず、フランスやイギリスという常任理事国が日本の支援に回ることを約束しただろうか?日本が常に米国側からの強い圧力を受け続けている時に、EU諸国は日本にどのような支援をしたのだろう?米国に対し「あんまり日本をいじめるな」と忠告して庇ってくれたりしたのだろうか?

日本がEU諸国に助けてくれ、とSOSを発することなどしなかっただろう。だが、結果的には超大国である米国の圧力の前に屈し、エアバスを購入せずにボーイングを嫌々ながらも買わされる、或いはロールスロイスエンジンを購入できずにGEのエンジンを購入させられる、ということになってしまっただけではないか。日本が米国の前に跪かされることをいつも放置していたか、それを肯定してきたからこそエアバスのシェアはたったの5%になってしまったということだ。その事実から常に目を背けてきたのは、EUの中の大国だ。


日本というのは不思議な国で、全世界のヴィトンのバッグを半分近くを購入するのだそうだ。女子高校生程度であっても、どういうわけかヴィトンのサイフだのバッグだのを持っているのだ。私にはその理由は判らないが、そういう国なのだ。別に欧州のことが嫌いとか、排他的ということではないだろう。イケアの巨大店舗だって、きちんと開業している。本当に戦車に潰されないかどうか確かめたことはないが、ボルボだってたくさん走っている。世界中のローバーミニのかなりの部分は、日本で走っている。レストランなどに行けば、私のようなワイン音痴であっても、お店の人に頼めばいそいそとお勧めのフランスワインだのドイツワインだのを取り出してくる。孫の為にレゴブロックを買う爺さんはたくさんいる。日本人の大半は、欧州は好きであっても嫌いなわけではない。

文化、慣習や伝統ということへの考え方が、日本のビジネスマンと欧州のそれとでは異なっているだろう。日本人は、行った先のやり方を学びそれに合わせてビジネスをやろうとすることが多いのではないかと思う。日本人が相手国のやり方に合わせるのだ。極端にいえば、現地の人々に同化しようとする、ということだ。中東では中東の、欧州では欧州の、南米では南米の、慣習や文化を学んでそこの土地に合ったやり方に合わせるのだ。しかし、欧米人は自分たちのやり方にあったビジネスをやろうとすることが多いのではないかと思う。日本の文化や慣習を学ぼうとするよりも、まず自分たちのやり方と同じく相手に変えさせる、ということだ。


琴欧州という関取は、日本の大相撲という伝統と文化を学び、それに合わせて立派な関取となった。彼に限らず、海外からやってきて日本の関取として成功した人は大勢いる。彼らはみんな、日本の伝統と文化を学んだからこそ、成功したのだろうと思うし、大相撲のやり方を変えたりすることを要求したりはしなかった。欧米人が日本に「やり方を変えてくれ」と求めるのは、将棋をしようとするのにチェスのルールを適用してくれ、と要求するのと同じようなものだ。2つのゲームはよく似ているが、ちょっと違う。盤のサイズも駒も違うが、何といっても「合駒」が大きく異なる。取った駒を使えるかどうか、というのは、大きな違いを生み出している。
日本人は欧米でビジネスを行う時には、将棋のルールに変えてくれと求めたりはしない。チェスのルールを学び、チェスの定跡を研究し、勝ち方を知ろうと努力するのである。しかし欧米人の多くは、将棋のルールはよく判らないからチェスのルールに変えてくれ、と要求するのである。日本が「将棋のルールでお願いします」と言っても、「それは日本独自のルールだから日本が勝つので、イヤだ。チェスのルールじゃないとやりたくない」と言うのである。そもそもここは日本なのだから、将棋をやることを受け入れて、将棋のルールや定跡を学べばいいだけなのに、どうしても「チェスのルールにせよ」と要求するということである。そのことに全く自覚がないのである。


今から200年前の出島を取り上げていたが、400年以上前を考えてみよう。大航海時代にスペインやポルトガルといった大国は海外進出し、征服先で彼らのやり方を現地人に強要した。言語も宗教も全てだ。それが彼らのやり方なのだ。伝統、文化や慣習などといったことへの敬意や配慮など微塵もなかった。自分たちのルールを押し付けただけだ。フィリピンをスペイン艦隊が滅ぼした頃(アルマダの海戦などでイギリスに無敵艦隊が敗れるのは、もう少し後だ)、日本はオランダやポルトガルと貿易をしていた。日本は金と銀の交換比率が欧州とは異なっていたので、日本の金は大量に欧州に輸出されていた。簡単に言えば、騙されていた、ということだ。鎖国を完全にして出島に外国人を閉じ込めたのは家康だが、ウィリアム・アダムスは1600年に日本にやってきていた(漂着したところを日本人に救助されたのだ)。宣教師たちに処刑することを進言されたにも関わらず彼を助け、三浦按針という名前を与えて保護した。日本人は外国人を排除するだけではなかった。

これに先立つこと約50年、辺鄙な島でしかない種子島に漂着したポルトガル人を救助し、将軍に合わせたのも日本人だ。火を吹く棒みたいなものを持ち、今でいえば宇宙人なみにおかしなヤツを、言葉も判らないのに殺しもせずに助けたのだ。そういう伝統と文化を日本が持っていたことを、欧米人の多くは知らないだろう。彼らが持っていた鉄砲を研究し、日本で製造できるまでになった日本の技術力も知らないだろう。僅か20、30年で大量に実戦投入されるようになったのだ。


要するに、日本人は海外の国に学ぼうとする姿勢があったが、欧米人は日本を知り理解しようと努力することはあまり多くなかっただけなのではないか。一部個人がそれをやってきたに過ぎないのではなかろうか。長年、自分たちのやり方や考え方を現地人に強要してきたので、それが今でも続いているのではないか。そのことが無自覚であるがゆえに、日本は不透明だと考えるのではないか。

これに類するものがある。柔道だ。柔道は日本が本家ではあるけれども、これも日本人と外国人の考え方は違っているであろう。日本の柔道家は形とか一本とか、そういうこだわりがあるけれども、「判りにくい」という理由でルール改正が行われるのは欧米人の考え方なのだ。日本人にとっては、判り難いかどうかは関係がなく、そういう伝統と文化なのであるからそういうものだと考えるだろう。しかし欧米人は違う。判定が難しいという理由で、柔道を変えるのである。それは既に柔道なのではない。JUDOなのだ。

日本人がバレエの型とか表現が分り難いので変えてくれ、と言ったりするだろうか?
伝統と文化を理解しようとするというのは、そういうことだ。伝統や文化に敬意を払い、そこから学ぼうとすることが大事なのであって、自分たちにとって判りやすいとかやり易いといったことを求めたりはしないものである。


<ちょっと寄り道:
私はフィリップスのシェーバーを愛用している。ヒゲがあまり濃くなく、自分に合う製品は少ない。かつて日本製品を使ったこともあるが、剃る時にとても痛いし皮膚がヒリヒリしてしまうのだ。そういう経験があったりして、痛みの少ない今の製品を使っている。良い製品やサービスには需要があると思うが、そうでないなら日本の市場では生き残れないのではないだろうか。昔に使っていたシェーバーも同じくフィリップスであったが、充電池がすぐにバカになってしまい、充電時間1日で動かせる時間がたったの2分じゃ、お話にはならんわけです。何かの景品で当たったものだったので、別にどうってことはなかったが、これでは日本製品には勝てないだろうなと思ったんですよ(今使ってる製品は、良くなったけど)。信頼が得られない限り、日本でのビジネスは成功しないのではないかと思う。>


まずは、日本の文化や伝統について理解する努力をすべき、ということ。それを阻害する最大の要因は、自己中心的な発想か、白人至上主義のような思いあがりや傲慢さではないかと思う。




阿漕な商売は許さんぞ

2008年04月25日 21時18分04秒 | 社会全般
yukiさんという方からコメントを頂いたので、少しお答えしようと思います。
新銀行東京に学ぶ経済学~その3(色々追加)

実態とか事の詳細はよく判りませんが、債権譲渡に伴うトラブルのようです。
銀行に直接アプローチして聞き入れられないのであれば、まず弁護士と相談の上、弁護士は対象となる債務者の事例をいくつかまとめて実態を金融庁に報告するべきでしょう。金融庁ならば過払い問題のトラブルなどがあれば、銀行への監督権限が強力ですので(笑)、銀行から事情を聞くなどの措置を行ってくれる可能性は高いと思います。新銀行東京については、銀行検査をする旨、金融庁が申し入れたようです(報道ではそのようでした)。

債権譲渡は当事者が反対すると譲渡制限がある場合もあり(民法466条1項、善意の第三者には対抗できないとする2項規定はある)、単純に右から左へ移してそれで不当利得返還が消滅するということにはならないだろうと思います。



参考として、前に書いた記事を挙げておきます。

新銀行東京に学ぶ経済学~その4

会社更生又は民事再生手続と過払金返還請求について

会社更生(民事再生)法適用と詐害行為取消権について

会社更生法適用と詐害行為取消権について・2


もしも複数の事例がわかっているのであれば、弁護士等の代理人の方々が一致協力して当該銀行との問題に当たるようにした方が宜しいのではないかと思います。金融庁としても対応がしやすくなるのではないでしょうか。



オレのせいなのか?

2008年04月25日 13時13分15秒 | 俺のそれ
あるブログが急に終わりを告げた。


常々読んでいたのだが、これまでコメントを書いたことは殆どなく、黙って読むだけだった。

けれど私は、ある記事にコメントを書いてしまったのだ。何故か、その時だけはコメントを書いてみようと思ったのだった。いつもは書いたりしないのに。

特にブログ主に非難するつもりではなかった。何かを要求したりする意図もなかった。単に見解の異なる意見を知ってもらえれば、と思っただけであった。

その僅か数日後、終わりが告げられた。
ただの偶然なのか、私がコメントを書いたりしたのが拙かったのか、コメント内容に不快にさせる重大なことがあったのか、私には判らない。私がコメントを書いた当該記事をウチのブログで取り上げたわけでもなく、名指しで批判とかしたことも勿論ない。


私が「コメントを書く」ということ自体が罪なのであろうか?

ブログ主には尊敬の念を持っていたし、特別に非難しようと思ったこともない。これが偶然に過ぎないのだ、ということなら私が責任や負い目を感じる必要はないのかもしれないが、自分のせいだとしたら、私が悪かったということなんだろうか、と悩む。


参考までに、自分のブログに返答コメントを書く時にも、スパム対策の数字入れろ、みたいな指示が出る。何が理由なのか判らないけど。ウチのブログとかが、そもそもスパムなのだ、ということかもしれない。

いつもスナイパーの恰好をしていて、行動もそうだから、「私に撃たれた」という誤解を与えてしまったのであろうか?


全く真相は判らないんだが。

自分のせいで書かれなくなってしまったのだとしたら、責任を感じるよ、そりゃ。何十回とあったであろう機会の中で、たった一度だけ異なる行動(コメントを書く行為)をしたら、思いもよらぬ結果になった時、「偶然に過ぎない」と考えることの方が難しいよ。まるで他人のブログを閉鎖に追い込んだ人の心境だ。

たった一つのコメントで……?
オレのせいなのか…?



ネット規制に関する雑感

2008年04月24日 17時03分39秒 | 社会全般
ほぼ煮詰まってきたようなので、遅ればせながら書いてみたいと思います。
個人的な感想としては、これまでにも幾度となく問題とされてきた話ではないかと思います。報道規制の話なんかも少し似た部分はあるかもしれません。ネット規制が何度も俎上に上るということは、それなりに問題がある、ということだろうと思います。


1)現在の状況

はてなブックマーク - 「ネット規制法、保護者も子どもも迷惑」とPTA連会長 MS、ヤフーなどと会見 12 - ITmedia News

主だったところではMiAUという団体が活動を始め、ネットに関連の深い業者や専門家や著名人等が反対表明に至った、ということになりましょう。少し前までの「烏合の衆」から、割と明瞭な形にはなってきたんじゃないかと思います。これもある種の「サイバー・デモクラシー」の一形態の発現と見えなくもありません。


2)これまでの経緯

それほど大袈裟にいうほどの経過でもありませんが、私の主観的な捉え方から書いてみます。
まずは人権擁護法案頃に遡ることになりますが、05年春頃の動きでした。ネット上では、今回の騒動と似たような感じの反応だったように思えます。私個人の考え方はブログ記事に書いてきましたので、今でもあまり大差はありません。

参考記事:
・05/3月 人権擁護法案とネット言論:MSNに言及あり

・05/9月 知識階層は弱体化が進んだのか:サイバー・デモクラシーや反専門家主義について記事のリンクあり

・05/6月 「匿名・実名」問題に対する総務省の立場:「情報フロンティア研究会報告書」関連

・07/1月 Wの喜劇:マスメディアのネット批判とか

・07/11月 炎上とアウトブレイク:リテラシー関連とか

・07/12月 米国の「cyber bullying (サイバーいじめ)」:ヤフージャパンの社長さん談話に触れています


かいつまんで申しますと、05年には人権擁護法案問題や総務省の活動などが注目され、ネットの功罪のうち特に「罪」の方が取り上げられがちだったのではないかと思われます。「功」の方に光が当たるのは、その後の「web2.0」モノとか、ポジティブ教教祖、フューチャリスト、マッチョなどの登場まで待たねばなりませんでした(というのは冗談です。有名どころでパッと思いつくのは、梅田望夫氏、小飼弾氏、ジャーナリストでは佐々木俊尚氏といった方々でしょうか)。

ブログ(利用者や発言力?)が拡大していく中で、ネット言論のマスメディア批判は年中行事のようであり、珍しいものではなくなりました。それ故、両者の対立が深刻化した時期がありました。それが頂点に近づいたのは、06年終わり~07年初め頃だったでしょうか。例の毎日新聞の「ネット降臨」とかが出された頃です。
これにはいくつか伏線があって、例えば「オーマイ」のバトル(続・アマチュアらしさ?)などがありました。


多分、いずれこうなるのではないか、と予感させたのは、NHKの「日本の、これから」(06年12月)だったのではないかと思います。私は当時の放映を見たんですけれども、やはり警察庁の役人の人が呼ばれていて、「ネット規制賛成派」だったと記憶しています。この時にも、ネットの問題点がかなり広い範囲で取り上げられ、規制を急ぐべきではないという専門家の意見が大半ではあったものの、問題を野放しにしておいていいのか、という意識を多くの国民にもたらしたのではないかと思います。今のネット規制に関する論点の大半は、この番組中で出されていたように思います。ですので、ネット上の利用者たちがどう考えているかは判りませんが、話としては特別に目新しい論点でもない、とは思います。

「日本の、これから」に関連して、リンク集が作られておりましたので、ご紹介したいと思います。
日本の、これから─ネット社会” 関連リンク集 “大討論”掲示板 SCIサイ


自由は守るべきだが、「ちょっとマズいよね、今の状況」って話になってきたのではなかろうかと思います。そこに至ったのは、ネットとマスメディアの深刻な対立があり、マスメディアがネット上の浄化を願うことがあるのであれば、恐らくは既存メディアの大半がこの法案に対しては「スルー」という立場を取るでありましょう。別に法案反対を喚起してあげる必要性なんてないからです。現状ではネットメディアの一部が積極的に取り組む程度であり、それではネットに深く付き合っていない国民には情報が届き難くなるだけなので、国民からは強い反対の声は出されないだろうと思われます。

それよりも、既存メディアにとっては、ネットの危険性を国民に知らしめる方が容易であるし、マスメディアが得意の「追及」「糾弾」モード、「ニュースバリュー」といった部分で考えても、そちらの方が選択されやすいのではないかと思います。他のことでもそうなんですが、「こんなに危ない!」とかの方が注目を惹き易く、マスメディアが追及する側に立てるので作りやすいでしょう、ということです。なので、規制反対派の側についてくれることを期待するのは結構難しいのではないでしょうか。


3)法整備に代わる説得的な代替案は必要

多くの国民からの援護射撃が期待できない、ということになりますので、多数派の圧力では動かせないでしょう。むしろ、多数派の意見としては「規制すべし」という方が濃厚かもしれません。数的圧力を動員しないで相手側を説得せねばなりませんので、規制派の主たる疑問や論点について答えることができなければならないと思います。

以前にMiAU発足前の中の人へ、エールを送った(最近の学者は人間力が足りない(笑))ことがありますが、基本的にはあまり変わらないかな、と思います。具体的に対応策を提示した方がいいのではないでしょうか。
例えば、
 ①ネット関与の重大事件で行政の監督責任を追及されたら?
 ②過激なサイトや違法行為をさせるサイトをどうするか
 ③ネットのイジメ問題で自殺したりするのをどう防げるか
 ④個人への攻撃が起こることを防げるか(晒しとか)
といった声に答えられなければならないでしょう。

これまでもそうなんですが、大抵は「法規制はよくない」と言うだけであり、一方的に自分たちの正しさだけを主張しているようにしか見えず、それでは説得されないように思えます。極端な言い方をすれば、大義名分とか規制の害だけは判るだけで、大義名分の正しさを聞かされたところで被害者は救済されません。もしも、「自由を守るためなので逝ってくれ。少数個人が大義の犠牲になるのは止むを得ない」という意見であるなら、それを明確に言うべきでしょう(多分言えないと思いますけど。言ったら、余計に規制派の怒りを買うことになってしまうでしょう。笑)。

また例で申し訳ありませんが、火事について「防火教育が大事だ」ということが真実であるとしても、今現実に火災に遭っている人にとっては何らの効力もないわけです。火事というのは、常日頃の防火訓練や防災教育が有効であり重要なんだ、ということであっても、目の前で燃えてる人を救助できなければ説得力がない、ということです。なので、具体的に「消火器を配備します」「消火栓を設置します」、緊急の時には「消防車が出動できる体制を整備します」、ということを示すことが必要なのではないでしょうか。規制を求める側というのは、そういう対策を求めるが故に規制賛成(推進)の立場なわけですから。

これまでの規制反対派の方々のご意見の多くは、そういう具体的な対策でも何でもなく、ただ単に規制された場合の問題点を挙げているだけで(火事の例でいうと「消防隊整備に膨大なコストがかかる」とか「消火器を配備するのは大変だ」とか)、現実に被害をどう防ぎ救済するか、ということが示されていないように思うのです。それは説得力に欠けるのではないでしょうか、ということです。


4)状況好転のためには

ここに来て、MSとヤフーという業界の巨人が参戦してきたので、大きな援軍を得ました。これを活かすべきでしょう。
法規制を待ってもらう為には、業界内で実効性のある自主規制とか共通の対応策とかを作っていく必要性があると思います。放送業界でいうBPOみたいなものですかね。ウチのブログでBPOを批判したことがありますけれども、行政の介入や規制の影響をあまり受けないようにする為の策としては有効だと思います。強い規制を拒否する代わりに、緩やかな自主規制を受け入れ自ら提示する、ということです。少し譲歩することで法規制を回避できるのであれば、業界側から申し出て自主規制を課すことも一つの方法でしょう。

もしこれを選択するのであれば、
 ア)時間を区切ること
 イ)現実被害の救済が可能なこと
 ウ)将来時点での見直しを約束すること
 エ)行政側との接点を確保すること
みたいなものを提示すればいいのではないでしょうか。

ア)は、いつまでに何をどれだけ、という具体的工程を提示して、それを確約するということです。業者ごとで「そんな時間では対応が間に合いません」みたいなことではダメです、ということ。イ)は、被害者からの訴えとか申出や、刑事事件が発生したような場合に、実効性のある救済措置が発動できるようになっていなければなりません。ウ)ですが、自主規制の体制を整備しても、効果は判りませんので、5年後とかにもう一度点検、検証することを約束します、と現時点で宣言するということです。エ)は平凡ですけれども、自主規制管理団体との情報交換や、行政側から情報提供の求めがある場合に協力するとか、そういったことですね。


既に携帯電話のフィルタリングは動いているので、自主規制でもある程度は機能させられるのではないかと思えます。ネット上ではフィルタリングは害悪だ、みたいな意見もあるわけですが、その改善策を提示できるのであればそれをやれば解決できることではないかと思えます。より原理的に「フィルタリングは許されない」とか「規制することそのものが悪だ」というような意見に傾けば、より強い権限の発動を招くのではないか(具体的には立法措置)ということは考慮しておくべきでありましょう。それでも構わない、ということなら、自分たちの正しさを追求し自由獲得の戦いを挑んで目的達成の為にせいぜい頑張って下さい、としかいいようがありませんけれども。


5)終わりに

自分たちが不利な立場にあり、苦しい戦いを強いられるであろう、ということを自覚しているとは思えないことは珍しくありません。上の例に挙げたような、①~④に対して答えを用意しようと考えないことがちょっと不思議ではあります。

多くの人々は普段は攻撃側にしか回らないので、監督責任を追及される行政の立場なんて考えないのかもしれませんが、行政の不作為を問われないように「我々が全力で防御します、バッシングから我々がお守りします」くらいの意気込みを見せたら、規制法案関係の官僚の方々にも納得してもらえて、猶予を与えられるかもしれませんよ(笑)。


政策決定は、「主張の正しさを立証することではない」ということは前に書いたように思いますけれども、どうも正論をぶつけていこうとする部分だけが目についてしまい、本来の目的である「普通の利用者をどうやって被害に遭わないようにするか、防ぐか、救済をするか」という視点が欠けていると思いますね。
そういうごく普通の利用者や「被害に遭った人、今まさに被害に遭いそうな人」とかの立場になって考えていないんですよ。別に賢くて知的水準が高くて、ネットやケータイやPCにも詳しくて、自分の頭で何でも正しく考えて取捨選択できるような人ばかりをモデルの基本として政策を考えるわけではありませんからね。

あれとこれを用意して、こんなふうにやるから、ぼくらを信頼してくださいね、とか言うのであれば、多くの人が耳を傾けてくれるのではないかと思います。こうしておくから、(法規制するほど)そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、というようなことを言わないと、大多数の人々が心配してるんですから。
つまりは、火がついたら消火器で消せるよ、それでダメなら消火栓からホースで水をかけるよ、もっと必要なら消防車を出動させるよ、と示すようなことです。