いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「インド洋沖オランダ船への無人機攻撃はイランの仕業」と断定する国防総省のプロパガンダ(追記あり)

2023年12月29日 22時20分48秒 | 社会保障問題
新たな報道が出てきました。
攻撃された当該船の破壊映像が公表されましたが、疑惑が深まった理由とは…

>https://note.com/hamagiku11110/n/n73592c736ed1


他の記事も、よろしくお願いいたします。


AIIB加盟を否定し、失敗を繰り返すだけの無能な日本のエリート層

>https://note.com/hamagiku11110/n/n10ebc6212f7f


新興経済圏BRICSの通貨構想が米ドルとの決別宣告になるか

>https://note.com/hamagiku11110/n/n9d74c59dd328

命の値段と経済損失

2010年09月07日 19時34分35秒 | 社会保障問題
かなり厳しい話題となってしまいますが。

自殺やうつ病 09年経済的損失2.7兆円 厚労省初調査 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

(以下に一部引用)

調査は、英国の取り組みを知った長妻厚労相が指示し、国立社会保障・人口問題研究所の金子能宏(よしひろ)社会保障基礎理論研究部長らが実施した。

 損失額は、09年に15~69歳で自殺した2万6539人が亡くならずに働き続けた場合に得られた生涯所得額と、03年のうつ病患者数の推計値をもとにした失業給付額や医療給付額など、計6項目の総額を加え推計した。

 調査結果によると、額は多かった順に▽自殺による生涯所得の損失額1兆9028億円▽うつ病による生活保護の支給額3046億円▽うつ病の医療費2971億円▽うつ病で休業したことによる賃金所得の損失額1094億円▽うつ病での自殺や休業で支給された労災補償給付額(労災年金を含む)456億円▽うつ病による求職者給付額187億円--の計2兆6782億円だった。

======

命をお金に換算するんじゃない、というようなお叱りを受けるかもしれませんが、検討するに当たってはやむを得ないものとしてお考え下さい。

こうした損失回避には対策費をかけることが正当であると主張するのに、必要な論拠ということになるかと思います。これに類することは、何度か書いてきました。


05年10月>医療費の分析~その1(追記あり)

07年7月>医療費のコスト~命の値段を付けられるか?(ちょっと追加)

09年3月>寿命と経済成長の関係~ESRI ペーパーから


自殺に関しても、97年以降の増加というのは、よく知られた話ではある。

「’97ショック」が原因なのでは?

そうして、貸金が儲けた時代だったんだ。



”後期高齢者”医療制度の呼称について

2010年08月12日 10時46分27秒 | 社会保障問題
岩本教授が審議会の出席者であったとは、知りませんでした。

誰が「後期高齢者医療制度」と名づけたか - 岩本康志のブログ - Yahoo!ブログ


この話は、大騒ぎされた頃に記事に書きました。

高齢者に恐怖する政治(笑)

『元々は、老年医学や介護関係の用語として「高齢者」の区分が行われていただけだ。専門用語の一つに過ぎないのだ。「前期高齢者」「後期高齢者」という区分や、前期、中期、後期、とする区分する場合もあったようだ。更に、「超高齢者」という呼称まで存在している。スーパーサイヤ人とは何の関係もないですよ。それらは業界内での専門用語だっただけだ。数年前の老人保健法改正などで、そうした区分が行政用語の中にも入ってきて、それが使われただけだろう。特別に、後期高齢者を差別するとか、行政職員のセンスに欠ける命名法だったとか、そういうわけではないですよ。』


そんなに差別的な用語とも思われないわけだが。
用語について問題であるとするなら、どうして答申時期だとか、法案提出後に問題としなかったのか?なんでその時に大騒ぎしなかったんだよ?当時の長妻議員とかは「呼称が大問題だ」とか主張していたのか?


後期高齢者医療制度に文句を言ってる人たちは、調べて理解してから言え

無駄削減に反対する抵抗勢力や族議員とか呼ばれて、医療費削減に抵抗する者たちは日陰組とされたんじゃないですか(笑)。

マスコミだって、無駄削減に抵抗しているって、叩いていたんじゃないですか。
だからこそ法案は通っているわけですよ。自民党等与党議員の賛成票があったからこそ、通るんですって。事後的に「やっぱり反対だった」なんて言うのは、おかしいでしょ。


いずれにせよ、制度のことと、呼称のことは全く分けて考えるべき。
呼称が悪い、と言うなら、呼び名を変えればいいだけ。「長寿」でいいでしょ(笑)。

もしも、「後期高齢者は医療費の自己負担が免除されます」という制度であったなら、こんな難癖みたいな「呼称が悪い」なんてことは問題になんかならなかったろうと思いますよ。

要するに、ただ「反対したいだけ」。


そういうことではないでしょ。
制度についてどうするか、将来的な社会保障制度をどうするか、税制改革と一体でどう考えてゆくか、そういうことを言っているのであって、後期高齢者という呼び方が妥当か否か、なんてことは大した問題じゃない。
問題があると思っていたのなら、決める前から反対運動をやっておけ、ってことが当然なんじゃないですか?



健保組合は公平なのか?

2010年04月08日 12時45分59秒 | 社会保障問題
健保組合では、医療費が一律であるということについて、どう考えているのか知らないが、値段を平等に、ということは、支払う側の負担も当然そうするべきだろう。

では、今の健康保険制度は平等なのか?
健保組合の方からは、「国保組合が補助金をもらってずるいぞ」とか、「後期高齢者医療費の負担を肩代わりするのはおかしいぞ」とか言うわけだが、それは、ヨソの批判だけであって、健保組合が公平かどうかについて立証できるものではない。
当方の主張というものは、「じゃあ、平等になるように、負担率も揃えましょう、運営方法も最も効率的な健保組合さんのやり方にしましょう」って提案をしているにも関わらず、健保組合連合会ではそれを拒否してるんだろう。

しかも、訴えるのは姑息な大衆煽動のような主張なのだ。
具体的には「サラリーマンの保険料率が値上がりする!!それでもいいんですか!」という類のものだ。まるで、米国の公的医療保険導入に反対していた人々と一緒なのである。「低所得者層の為に、我々の保険料が値上がりするのは許せない、絶対反対!」ということですな。

つまり、健保組合連合会の方で散々言い募る医療の平等って、実は都合のよい使い分け、ということでしょう。それは、自分たちの既得権益だけは守りたい、という抵抗勢力ですよ。



二言目には、健保組合は赤字だ、赤字だ、ということを殊更強調して言うわけだが、その解決方法をご提案しよう。

ファイル:数字・言葉・経済 健保連が10年度予算 過去最大の赤字見通し - 毎日jp(毎日新聞)
(一部引用)

報告のあった1313組合(回答率89.8%)の回答から全体値を推計した。それによると、平均保険料率は7.43%から7.62%に上がったものの、給与やボーナスが減ったことなどから保険料収入は前年度比829億円減の6兆145億円だった。

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さて、この記事から判ることは何か?
健保組合の平均の保険料率は『7.62%』だ、ということ。これは、高いか安いか、といえば、「安い」わけである。前から書いている通りだ。

健保組合は医療保険制度上で圧倒的に有利


では、同じサラリーマンでも、「協会けんぽ」であるとどうなのか?
8.2%だった保険料率は、9.34%に大幅引き上げである。健保組合は僅か7.62%で済んでいた(*)のに、だ。仮に、健保組合が協会けんぽと同じ保険料率だとすると、どうなるか見てみよう。

・7.62% → 60145億円
・8.20% → 64723億円(+4578)
・9.34% → 73721億円(+13576)

これが結果である。
赤字になっていた主な理由は、「保険料率が低すぎる」ということである。同じサラリーマンが平等、というなら、協会けんぽと同じ負担率にすればよいだけなのである。赤字額は縮小するし、今年度の保険料率を適用すれば、1兆円以上の保険料増収となるはずだから、赤字が解消されるかもしれないぞ。

(*):しかも、本人負担率はもっと下がる。それは事業主側が多く払う為だ。なので実際に勤務している人の保険料負担は2倍近くに差が開くわけである。


健保組合の方では、「同じ医療を受けるなら、同じ支払いでなければおかしい」という主張をしていたんですよね?忘れたわけではありますまい。
健保組合は、例えば病院と診療所では同じサービスなんだから、患者負担が同じじゃないのはオカシイじゃないか、と言っていたわけなんですね。確かに一理あると思うので、そういう方向にしたんでしょう。それが再診料だったかの統一ということだったと。


さて、一方では、保険料負担というのは、言ってみれば患者負担なんですよ。そうするとですね、同じサラリーマンでありながら、全く同一の診療を受けているのに、「地域や勤務先」によって「患者負担が全く異なる」ということになっているわけです。これは、健保組合の論理や主張からすると、明らかに矛盾するでしょう?
これは健保組合だけではありません。国家公務員共済組合も同じ理屈なんですよ。保険料率は、もっと低い6.434%でしたから、一番得ですねということです。


つまり、健保組合側の言い分というのは、欺瞞に過ぎない、ということです。
彼らは、国民の医療を良くしようとか、そういう意図を持ってやってることではない。自分たちは負担したくない、できるだけ負担を逃れるには、どうしたらいいか、企業が一番儲かるにはどうするか、既得権益者たち―大企業や公務員など―を守るにはどうするか、そういうことだけを考えて意見を言っているのと何ら変わりがない。

患者の負担がどうの、とか、患者側の立場で云々、とかそういうもっともらしいことを言いながら、本質は「オレは払いたくない」という一点に行き着くわけである。そういうのを隠蔽するレトリックを駆使しているに過ぎないのだ。


連合も、結局はこうした大企業勤務の権益を守る団体なので、絶対に認めようとしないだろう。役人と大企業が一致していれば、権力構造の中枢を握るわけだから、彼らに対抗できるはずなんかない、ということさ。その他大勢が明確に気付いて、数で押し切れるくらいに結集しない限りは、無理なのだということ。


健保組合が「他の保険の負担を肩代わりをしている」というのは、単なる大衆煽動に過ぎない。現実には、払っている保険料率は低い、という不公平を維持する温床となっているのである。その既得権を守るのは、役人や大企業という「特に優遇されている人々」なのである(一部は学者もそうかもね。国公立大学とか私立大学とかの共済加入なので)。



健保組合は医療保険制度上で圧倒的に有利~2

2009年04月13日 15時13分39秒 | 社会保障問題
健保組合がいかに有利な立場を利用して蓄財してきたか、ということをもう少し書いてみる。


健保組合の加入者というのは、本人と扶養家族だ。会社に勤めて働いている時代を「現役時代」ととりあえず呼ぶことにする。高卒か大卒で入って働き始め、60歳で定年というパターンが多かったであろう。中には中途採用も勿論いるだろう。

①健保組合の場合:

現役時代――60歳定年

これ以降の人は、原則的には健保組合からは抜ける。定年延長なんて昔は多かったとは思えないから、リタイヤした人たちは別な保険に加入し直さねばならなかった、ということだ。今なら、延長制とか、任意継続とか、退職医療制度とか、若干の調節機能はあるけれども、昔なんてそんなものはほぼなかったか、あっても機能としては小さかった。何故なら、高齢に到達する前に多くの人が死んでいたからだ。

つまり、制度上、組合に加入している人たちは、ごくごく少数の扶養家族を除けば『65歳以上の高齢者たちは加入していなかった』。だからこそ、老人医療の給付に現役の人たちの保険料が大幅に取られることもなかったので、健保運営は楽であり給付水準も高かったのだ。そりゃそうだわ。現役時代の人たちの病気にかかる費用なんて、そもそも少ないのだから。


②政府管掌保険の場合:

現役時代――(60歳)――高齢労働者――

健保組合に加入していた人が退職した後で、仕事をしようかなと思って働くと、被用者保険として職場の社会保険に加入することになっていたわけである。年金があまりない人とか、あっても少ない人などは働くわけで、そうすると加入者のうち60歳以上の働き手は当然加入してくる可能性は健保組合よりは高くなるわけである。
健保組合に60歳定年まで加入していて退職後別な会社に勤めると、この人の医療は政府管掌で賄うことになってしまうわけだ。60歳以上の人と、健保組合の平均年齢の30歳代の人では、一人当たりの医療費の額がどちらが多いか、というのを考えれば、前者の方が高額となっている可能性が高くなるであろう、ということは当たり前なのである。


③市町村国保の場合:

現役時代――(60歳)――退職した人たち、年金生活者たち等、他に入れない人は全部

上二つと比べて、どう見ても不利になるに決まっているのが、この地域制になっている健康保険だ。なぜなら、健保組合であろうと、政府管掌であろうと、被用者保険に加入していた人たちはリタイアして稼げなくなっても、ほぼ全部がこの国保に加入しにやってくるわけだ。その人たちは、現役時代の人も、リタイアした人も、同じ制度上に入っていたのだ。つまり、どう見ても「加入者が高齢」ということになり、保険料を払える人の数や支払能力を考えると、リタイア組が高額な保険料を払えるとは思えない。しかし、給付は高齢者が他よりも圧倒的に多いので、給付額が高くなってしまうのである。

元公務員だろうが、元国鉄だろうが、元大企業だろうが、後期高齢者となってしまうと保険は「国民健康保険」だ。子どもか孫など誰かの扶養に入っているなら別だが、そんなケースは多くはないだろう。


だからこそ、健保組合の後期高齢者の割合がダントツで少なく、市町村国保は組合から退職してきた人たちも全部面倒を見なければならない、という制度にされてきたのである。これは、健保組合の運営が楽にできた、ということがわかるだけであり、その「昔に蓄積されてきた財産」の恩恵を受けて、今でも本人負担が大幅に少なく済んでいる、ということになっているのだ。60歳で区切ってきて、そこから上の年代の医療費負担を逃れてきたが故だろう。高齢者を他に(特に地方の市町村に)押し付けてきただけに過ぎない、ということだ。



制度を一本化するのに反対する理由として、これまで見かけたものをいくつか挙げてみようか。

ア)支払保険料が値上がりする

最もよくあるのがこれだ。「サラリーマンの人たちの払う保険料が大幅に上がることになります!!」という脅しと煽動が多いだろう。こういう負担増を許していいんですか!!とか。一番有効な戦術に決まっているよ。誰だって増税なんかされたくもないだろうから。そりゃまあそうだろうね。だって、トヨタの標準報酬月額50万円の人の払ってきた保険料は、細々暮らしている不安定な派遣労働者よりも少ないとなれば、それは負担が増大するのも止むを得ないのではないのか?
誰が負担すべきかという問題は国民的議論が必要だろうが、相対的高額所得者たちに負担増が起こるのも止むを得ないのではないか。


イ)健保組合の自助努力

これもよくありがち。努力しているから病気にならず、支払医療費が減らせるとか、適当に言ってる人たちはいるかもしれない。エビデンスをまず示してから言ってくれ、というのはあるけど、まあいいでしょう。

そこまで言うなら、よろしい。
健保組合の必死の努力が実った成果だ、ということを認めましょう。

ならば、その同じ方式とかやり方とか、全部一緒にすればいいんじゃありませんか?(笑)

なに、組合運営は企業秘密で教えられない、とか、あるんですか?
はっきり言って、最も優れた方式を採用し、それと同じく運営していった方が効率的なのではないか、と考えるのはごく普通なんですわ。企業努力や健保組合の努力によって、それを達成できたんだ、と頑強に言い張るのだから、それと同じ運営方式を国保だの協会けんぽだのに、移植してやればいいだけだろ。それの何が悪いことなんですか?(笑)

病気にならずに済む、かかる医療費も削減できる、管理運営費も少なくできる、ということで、いいこと尽くめではありませんか。そんだけ優れた組合のノウハウがあるなら、それと同じ制度を全国民にも享受してもらえるように計らうことが、一体何が問題なんですか?
誰も困る人なんていないでしょう?それとも、秘密のノウハウを開発してきたのは俺たち健保組合だから、そのメリットをお前ら一般国民になんて教えたくない、とか言いますか?

健保組合の方々の言い分が正しいのであればなおのこと、医療費削減への答えが見つかっている、ということでしょう。それを全国民レベルで実践するようにしたら宜しい。これに反対する理由があるなら、教えて欲しいですね。


要するに、健保組合と連合や経営者団体なんかは、全部結託しているだけ。連合は断じて労働者の味方なんかではない。
医療保険の一元化によって、これまでの「格段に低い保険料率」という大企業正社員の特権を奪われてしまうことになるから、だ。その既得権益を死守することが目的なだけ。これは経営陣とも共犯なのだよ。他の労働問題なんかでも同じ。


ウ)保険者の機能が低下する

何を言ってるのか判らないのですが、トヨタのカンバン方式とか、別業種だろうろ同業他社だろうと、真似してやってるところはたくさんあるわけで。同じ方式にすると業務の自由度が失われ会社がダメになる、とか、そういうことでもあるんですか?(笑)
だったら、今すぐトヨタ以外の会社はさっさとトヨタ方式なんか捨てろや。

健保組合の保険者機能が最も優れているなら、そうした仕組みを引き継げばいいだけで、マクドナルドの店舗網みたいなもんでしょ。
これまでは、店1、店2、店3…と店ごとに独立採算で独立経営だったのを、経営統合するようなもんだ。店1は最も効率経営で優れているが、店3は非効率で無駄が多い、ということなら、店1のやり方を他の店2、店3、店4、…に同じくすればいいだけだろ。「店」がこれまでの健保組合とか国保とか、分かれていたというだけ。店長の機能が大事だ、というのなら、そうした機能を温存すべきは温存し、でも、前は店ごとに社長とか専務とか置いていたのを、統合してしまえば社長は1人、専務も1人でいいよね、というだけ。店長はいてもいいでしょ。社長じゃないだけですから(笑)。店ごとに経理もバラバラでやっていたものを、全部一括でやる方が効率がいいでしょ?

だから、店長機能の必要なものは残せるし、店が全部集まって一つの会社となっている、という状態になったとしても、問題などないとしか思えませんが。健保組合はこれに反対しているんだわ。連合も。
公務員はダメだ、役所仕事はダメなんだ、民間の経営感覚を取り入れろ、とか、これまでしつこく言ってきて、ならば、その優れた方式に統一しましょう、法も制度も一緒のやり方に揃えましょう、って言ってるのに、なんで反対すんの?
俺たちのやり方が正しいんだ、優れているんだ、って言ってきたでしょう?そんだけ自信があるんだったら、その方式でいいでいいですよ。



口では、きれい事や大義名分みたいなものを語るんだけれども、突き詰めると、自分の欲望や利害得失が最優先されているだけに過ぎない。



健保組合は医療保険制度上で圧倒的に有利

2009年04月13日 11時17分47秒 | 社会保障問題
大雑把に言うと、「金持ちの家に生まれた子はいい医療を受けられるが、貧乏人の家に生まれた子は医療を受けなくてもいい。貧乏な家に生まれたのは努力が足りないからだ。」というのが、健保組合などの主張みたいなものですよ。


①健保組合は「昔からの特別な財産」を相続してスタートしているところがある

健保組合には多くの「昔からの遺産」が与えられてきた。主に大企業が運営し、サラリーマンなんてそんなに数がいなかった時代だったので(圧倒的多数が農業、他は自営だったから)、組合には国からの補助金が1人当たりいくら、という形でつぎ込まれた。そういう資産を長年積み上げてきているのが、大企業の組合なのだ。しかも加入者の圧倒的大多数が働き盛りの若年層であり、扶養家族も入っている、なんて言っても、年寄り自体が昔は少なかったじゃないか。65歳以上なんて、人口の1割にも達してはいなかった。60歳まで生きていたら長寿ですね、なんて時代だったからだ。

なので、給付するべき医療費なんて断然少なくて、病気を沢山持ってる年寄りに医療費がたくさんかかるようになる、なんてことも殆どなかった。だから、余ったお金で自前の病院を作ったりして、それでも十分黒字だったわけです。老人医療費の無料化さえ実施されたくらい、給付対象が少なかったのだ、ということ。

その他に、医療保険料率についての特別の優遇措置があったのだ。自主的運営に任せていたので、そうした運営費を賄うという名目で保険料負担を国から軽減してもらえたのだ。だから、組合の運営をやって給付が保険料収入を下回ると、企業が利鞘を稼ぐことが出来ていたのだ(集めた保険料に比例するので、相当大きな額となっていたはずだ)。そういうウマミが大きかったから、大企業では組合運営をやりたがっていた面もあったであろう。

バブル崩壊後に、厚生年金の代行返上が相次いだ時期があったが、企業が「もうやめたいです」という時には、ウマミがなくなっているのである。だから「やめる」と言うに決まっているのである。しかし、何らかのウマミがそこにある限り、「やめる」とは決して言わない。それは、従業員の健康が心配だから、とか、社会貢献したいから、とか、そういう生温い考えに基づいてなどいないわけである。単純に、企業が儲かるか儲からないか、その選択のみである。

これを肝に銘じて欲しい。
「健保組合を存続させろ」と強硬に主張する裏には、必ず「儲けの論理」によるウマミが必ずあるからである。

なければ、やめると言い出すに決まっているからだ(笑)。実際、そうなってる組合はあるしね。
公務員共済とかの、かなり裕福な団体なんかも、よく観察していれば判るよね。病院経営とか、一杯やってきたでしょ?あれって、金が余るからやってきたわけで、そういう過去からの大きな資産蓄積のあった連中というのは、それを手放したくない、って頑張るに決まっているよ。

大金持ちの家の息子が親からガッポリ遺産相続し、1億円持ってスタートしてる人間と、貧乏人の親の元に生まれて借金100万円背負ってスタートしている人間が、同じ制度に統一しましょうってことで持ってる資産は一括で集めて均等に配分します、ってなったら、金持ち息子は絶対に大反対するに決まってるだろ(笑)。息子が偉くて1億円を稼いできたわけではなく、元々は国からの大きな資金投入を受けてきたり、年寄りに給付せずに済んできたから、という、親の代で特権的ウマミにありついてこれたから、というそれだけの理由なのだ。

因みに、公務員共済から抜けてしまって、単独運営になると大変困った企業もあるようで、例えばJRやNTTなんかの組合経営はどうなのかと言えば、そりゃ「昔は良かった」ってな話でして。国からの金が引っ張れないとなれば、「保険料を上げる」とか「給付を削減(抑制)する」ということしかないわけで、現実にそうなってしまいましたな。組合の制度ってのは、これが普通なんだよ。だが、公務員共済なんかであれば、給付抑制もせず保険料値上げもしないが、「別なお財布=国庫から持って来い」ということで、好き勝手につぎ込めてきたのだ、ということですな。

組合の加入者たちに、「病気にならないように努力させたから、健保組合は黒字経営ができるんだ、貧乏人の多い国保は自己管理のできてない連中が多いから沢山病気になり、医療費がいっぱいかかるんだ、そういう努力を怠っているからだ」とか言う人がいるかもしれないが、そういうのは殆どが裏付け根拠のない、自助努力の結果とかいう「錦の御旗」に過ぎず、加入者の構成比とか過去の絶大なる遺産の上にあぐらをかいているだけ、ということがかなりあるだろうと思う。


②制度が単純化されると困る人間は誰か?

まず、厚生労働省の役人どもの天下り先がなくなるから、困る、ということになる。更に、制度が複雑であるからこそ、仕事も複雑になり、外見的には管理する部門(お役所&役人たち)の存在意義が強調されることになるだろう。国民皆保険なんて言って、だったら「基礎年金」と同様に同じ共通制度にしたらいいじゃないか、という話だわな。けど、そうはならない。
だから、役人たちにとっては制度が簡単になってしまうと様々な面で不利なわけで、当然そんな仕組みを作ろう、なんてことには賛成しないだろう。つまり、そもそも健保組合との共犯関係にある、ということだな。彼らが結託すれば、どんな制度改革案だって潰せる。

組合理事とか、数々のポストが単純化され整理されて、コスト削減になっていいじゃないか、と思うわけだが、そういうことには「絶対反対」という理由があるらしい(笑)。

法律も一本、制度も一本、ということで、効率的運営に大きく寄与できると思うのだが、大反対なのだそうだよ、彼らは。
健保組合の9割以上が赤字で大変だ、という、大変だ大変だ不満を散々述べているくせに、だったら「自主運営をやめて公的な運営機関に全部一括で」という提案を受け入れればいいだけじゃないですか。なのに、どういうわけか、「赤字で苦しんでいる」とか文句を言い、あれこれと不平不満を並べ立てていながら、運営権を手放さないのだ。厚生年金の代行返上はできたのに、健保組合だけは死守せねばならないと思っているらしい。


③高給取りの大企業正社員だけが、大きなメリットを享受できる

日本の代表的企業の例として、トヨタを上げてみよう。
標準月額報酬が500000円の人が、健康保険料を年間いくら払うと思うか?介護保険料も込みで、いいですよ。

何と、117000円だ。月に1万円を切っているわけである。保険料率は本人負担分が2.38%でいいのだ。
別な一部上場企業で見ても、例えば3.09%、といった水準で済んでいる。

一方、都道府県単位に無理矢理させられて、役人のポストばかりがごまんと増えた協会けんぽですが、こちらは同じサラリーマンなのに本人負担分が4.665%も払うのですよ。トヨタだと50万の月給の人が払う保険料117000円と同じ負担をするのは、協会けんぽのサラリーマンだと標準月額報酬が209000円の人なのだ。トヨタの月50万の人が払う保険料も、この僅か4割程度でしかない月20万ちょっとの人が払う保険料も、同じ本人負担分なんですよ。

もっと酷いのは、フリーターで働く若者が国保で一体いくら払うと思っているのか?
京都市の国民健康保険料(ネットで検索したら計算ができる国保で上位に出てきていたので京都になっているだけです。特に他意はありません)を概算で計算してみたら、年収240万円の人が払う国民健康保険料は167187円だった。月20万円くらいの収入の人が、協会けんぽだと117000円くらい、京都市国保だと167187円、ということだ。こういう市町村国保に加入させられる人たちをどう思っているのか?大企業の連中がぬくぬくと高給を食んでいる傍らで、地方に残してきた自分の親や祖父母の面倒は、田舎の微々たる収入しか得られない非正規雇用の若者たちに見させているようなもんだろ。

こんなバカなことをやってきたんだから、そりゃ、車も売れなくなるってもんだぜ(笑)。少しは思い知れ、と言った意味が判ったろう?

もう1回書いておくぞ。

         標準月額報酬    健康保険料
トヨタ       500000円     117000円
某大手企業   315000円     116802円
某伝統企業   440000円     167000円
協会けんぽ    209000円      117000円
京都市国保   200000円     167187円*
(*:国保のみ介護保険料は含まず)

これが現実だ。
一番収入が不安定で立場の弱い人たちが、一番高い保険料を払わされているのだ。一方では、大企業の健保組合に入ってる正社員達だけが守られる、という仕組みになっているのである。こんないい話を、健保組合側が手放すハズがないでしょ?だって、一緒にさせられる、ということだけで、即保険料アップが待ち構えているからだ。自分たちだけは低い保険料で済むという大きなメリットを失うからだ。こうやって、日本というのは持てる人間だけがますます優遇されるという制度を組み上げてきたのだ、ということさ。


④健保組合には高齢者が極端に少ない

一般に、高齢者と若年者を比べると、高齢者の方が1人当たり医療費がかかる、ということは十分予測されるわけだ。なので、高齢者をはじき出せば、財政的にはゆとりが出るに決まっているのである。これも何度も書いたのだけれどもね。
後期高齢者医療制度への攻撃の手が緩んだのは何故?

1500万人の組合員が支える後期高齢者はたったの60万人。こりゃ、楽でいいよね。そもそも給与水準が高い、加入者の平均年齢が若い、生活水準が高いので健康なことが多いということもあるかもしれないし。労働者数が6千万人いるとして、その4分の1で支える高齢者は60万人ってことだな。60/1500 だから、4/100だわ。で、残りの労働者たちが、4500万人で約1400万人の後期高齢者の面倒を見ろ、と。そうすると、1400/4500だから、31.1/100くらいだね。健保組合の支える数とどんだけ差があるのか、って話なんですわ。8倍ですか。しかも、この4500万人には、フリーターもパートも派遣も、そういう非正規労働者たちを全部含めての数字ですから。

市町村国保だが、捨てられた地方(高齢化の著しい過疎地など)みたいな部分が多いので、市町村国保は火の車だ。公費投入の底なし沼みたいなものでもあるのだ。これが市町村財政を更に圧迫する要因になっているのである。しかもこれからは協会けんぽとか言う都道府県単独運営ということになっていけば、税収の多い東京や名古屋(笑)だけが大幅に得をする、という仕組みになっているのである。こうして格差拡大を率先してきたのは一体誰なのか、それをよく考えてみることだ。

制度間の調整を図る為に健保組合も負担をさせられているのだ、という意見もあるが、何と言おうが、現実は③の保険料負担額が全てを物語っている。つまり、不公平は確実に存在している、ということに他ならない。

別に、健保組合の連中が他よりもひときわ賢く死ぬほど努力してきたから保険料が低いのではない。


(続く)

参考記事:

すかさず反論ですか?(笑)

医療制度を議論する前に



医療情報やレセプトの電子化は必要

2009年03月15日 18時13分47秒 | 社会保障問題
先日の日経社説に対して、批判が色々と出たらしい。

コレね>産科医療のこれから 「戯言」「猛省を」日経社説に関係団体から抗議多数


私自身、常日頃辛辣に批判している日経さんですけれども(笑)、この一件に関しては、日経社説を支持せざるを得ませんね。かねてからの私の主張としては、「電子化」ですし。

日医側の言いたいことが分らないではないけれども、だからといって、それをいつまで続けるつもりですか、とは思いますね。どれも理由らしき理由にはなっていませんね、というふうにしか見えません。仮に今の方法を継続するとして、「一体いつまで紙で全部の事務作業を行うのか」ということがあります。どこかの時点で「紙は止めましょう」ということにするなら、いつかはそうなるわけです。「いつか」というのが、あと数年なのか、数十年先なのかの違いくらいしかありません。いま述べている反対意見の多くは、数十年先にも通用している意見なんでしょうかね。本当に優先すべき理由があるのであれば、何年経っても何十年経っても、「紙が正しい、電子化は間違い」みたいに言えるでしょう。そうじゃないなら、大した中身ではない、という程度なのでは。

以下、個別に反論を書いてみますか。


①専用コンピュータの投資負担が重い、作業ができない医師もいる

今までのレセプト請求はどうやっていたのでしょうか?(笑)
カルテを見て、手書きで請求を書いて出していたのなら、それを継続したらいいだけです。今のような明細書の形になる前にだって、変更に伴う面倒というのはきっとあったと思いますが、いかがでしょうか?
かつてだって、入力代行業やレセプト発行代行業のような業者がいたんでしょうから、そういうのを何ら変わらないのでは。要するに「手作業でしかレセプトが出せない」という先生には、できるところまでやっていただき、その手書きレセプトを「スキャナー」で読み込ませて電子データに置き換え、それを出力して提出してもらえば済むでしょうね。

これをやると、特別な設備投資も要りませんし、コンピュータ操作のできない高齢医師でも関係ありませんね。提出先が、これまでの「支払基金や国保連合会」などから、「代行業者」になるだけで、後はその代行業者がやってくれるでしょう。こういうのこそ、各医師会の立派なコンピュータにでも代行してもらえば済む話では(笑)。

レセプト1件につき20円としても、月100件の先生なら僅か2000円です。年間でもたったの24000円にしかなりません。引退するまでの間に趣味程度で診療しているのであれば、10年やっても24万円にしかなりませんよ。全然過重負担なんかではありません。代行業というのは、色んな業種にあるものでして、医療に特有といったものではありません。納税も自分で確定申告できますけれど、できない人には税理士とかがやってくれます。他にも、行政書士や司法書士とかの人もいれば、特許申請代行とか、「自分でできない業務」については自ら過重な投資(設備や知識や能力に関して)をせずともいいようになっているのが、今の世の中の大半なんです。英語などの言語にだって、できない人には通訳とか翻訳といった代行の人がいるじゃありませんか。それに、自分だけが頼むと単価が割高になるでしょうけれども、県内医師会で統一したりすれば一件当たり単価は10円程度に抑えられるかもしれませんよ。

だって、現在のスキャナー+コンピュータと読み込みソフトなんかは、一昔前に比べればかなり高性能かつ格安ですから。手書き文字の読み取りだってかなりの正確性が期待できるようになってきたので、これが決まった書式に書かれたレセプトの読み取りとなれば、もっと楽にできるはずだろうと推測しています。

なので、代行業者を医師会で契約するなりして、代行すれば解決できます。

それと、できない、と言ってる医師の数を、きちんと数字で出して下さい。医師会の医師数1万人中、何人ができない環境にあるのか、そういうのを具体的に出さないと、何らの説得力もありませんよ。
代行業を立ち上げるとして、どの程度の需要が見込めるのか、ということにも関係しますから、具体的な数字を挙げたらいいですよ。例えば全国で1万人の医師が代行を委託するとして、1人の先生が月平均200件であれば200万件の定期需要が見込まれますから、1件当たり10円としても2千万円の売上があることになり、これはかなり「おいしい商売」ということはあるでしょうね。だって、殆ど全部を機械で自動的に読み取って電子データに変換し、後はオンライン請求すればいいだけだもの。まさにコンピュータの得意領域なのでは。


②小泉構造改革の負の側面

よく分らない意見なのだが、何が負の側面なんだろうか。
入澤氏は「財界が医療を食い物にしようとすることに対して我々が声を上げ、患者国民に実態を伝え、訴訟を起こし、世論が動き始め、与党が問題視したことにあせって、財界の代弁者である日本経済新聞の社説で論陣を張ったに過ぎない」とか主張しているのだが、他の規制緩和や改革路線という話と、電子化とはあまり関係がないようにしか思われない。

実際、規模の大きい病院なんかであると、既に紙を止めたんじゃないでしょうかね。膨大な量の印刷を止めることでコストも人手も時間も大幅に節約になっていると思いますけど、多分。昔みたいに、オール人力で手書き時代だと「死ぬほど書かないと」作業が終わらないんじゃないかと思いますけど。指が千切れそうになるくらい、書いて書いて書きまくらないと、数万件ものレセプトが完成できないと思いますけど。そういう無駄な作業から解放されて、一体何が困ると言うのでしょうか?

電子化すると、医療が食い物にされますかね?関係ないとしか思えませんけど。
違憲だ、という訴訟を起こすと、世論が動きますかね?多分、全然そうは思われてないと思いますけど。

電子化の是非と一切関係のないご意見が、財界がどうだの、構造改革路線がどうだのということです。


③違憲

「電子化は違憲」とかいう主張は、よくこれで訴訟提起しようと思ったもんだな、とは思いますね。医師会の顧問弁護士とか、きちんとアドバイスをしなかったんでしょうか?それとも、ダメでいいけど訴訟を起こしてもらうのは金になるから、まあ「法律音痴な医師たちが満足してくれるなら、ま、いいかな」というようなことでもあるんかいな、と勘繰りたくもなりますが、きっと大真面目に「勝てる!」と思って提訴したんでしょうね、多分。訴えるのは自由ですから、まあ好きにすればいいと思いますけど、時間と金と労力の無駄なんではなかろうか、というのが、私の率直な意見です。

笑える。

もしも私が医師会会員ならば、そんなところに金を無駄に突っ込んで、会費をドブに捨てるようなマネは止めてくれ、ってなことは思いますわな。自民党は支持率が超低空飛行なので、「医師会にさえ離れていかれたら、もっと窮地に立たされる」というような、足元を見られているだけでしょう。それだけなのに、与党が問題視したことをあせってる、とか言われて、日経さんだって困るでしょう。


④電子化すると裁量権が失われる

日医の役員だから、ということなのかもしれませんが、

「医師の裁量権が失われ、さらに患者の特性に応じた医療が制限される恐れがある。新たな医療・高度な医療へのインセンティブが弱まり、医療の平均水準が低下する。」

と言ってるんですよね。

レセプトを電子化するのと関係ない話ですね。今後、そういうデータを蓄積していけば、「標準化」とか「コスト」を考える時に役立つんじゃないかな、という話でしょう。因みに、標準化すると「裁量権が失われる」という理屈はどうやって出てくるのか、甚だ疑問です。一定範囲内においては自由裁量でよい、というのが、標準化の基本的な仕組みなのでは。

携帯電話のセット料金みたいなもんですよ。「なんとかプラン」にしたら、通話時間の自由裁量が失われてしまった、なんて話は聞いたことがないわけで。ある範囲内においては、「その料金ですね」ということで、実際には自由ですよ。個別に色んな場合がありますよ。「なんとかプラン」にした人たちは、全員同じ利用状況にしかならない、とかいう話があるわけないじゃないですか。個々で違いますよ。でも、同じ料金体系、プランでやれるんです。

新たな医療、高度な医療の多くは、殆どの場合に大学病院とか基幹病院等の「規模の大きい病院」で実施されているんじゃありませんか?ひょっとすると、小さな一般開業医でも何か高度な医療が行われているのかもしれませんが、電子化すると「そういうのができなくなる」といった特別な理由というものがあるんですか?
多分、何もないと思いますけど。それは電子化には、何ら関係がありません。


以上、かなり大雑把にしか見ていませんが、どれも「反対理由」とは言えないようなものばかりでは。


もっと身近な例で書いてみますか。

昔は、レジ打ちって、今のバーコードとかではなかったのです。全部、値段をぞれぞれに貼っていた。商品1個1個に、値段を示す「95」とかいうテープを打ち付けていたわけです。人力で。それとも、商品点数が限られていると、テープさえも付けないでレジ打ちをやっていたんですよ。昔の女性って、鬼のような記憶力を発揮させられて、全商品の値段を暗記させられたんですよね。後は、「そろばん」で計算か、でかい電卓キーみたいなレジか、だった。商品の数が50~100くらいだと、ほぼ暗記可、なわけですよ。それをいかに早く、間違わずに打てるか、という、今から思えば「神の領域」的なレジをやっていた。

野菜、肉や魚などの生鮮品は日々値段が変わることがあるので、そういうのは「覚え直し」していただろうし、特売品みたいなのや割引品なんかも、個別に暗記するわけですわ。時に、レジの脇には「アンチョコ」みたいなメモ紙が貼ってあったり、下敷きくらいのボール紙に書いた「値段表」のような一覧で確認したりすることが、たまにあったわけです。だから、ベテランさんのレジの列と、不慣れな人の列では、「歴然とした差」という、圧倒的な格差が見られたわけです。単位時間あたりにこなせる客数が、全然違うんですから。しかも、驚異の「ブラインドタッチ」を、平気な顔をしてベテラン女性はみんなやっていた。ゲームをやらせると、きっとあっという間に上達するだろうな、というような「驚異的指さばき」を見せていたわけなんですよ。子ども時代には、あのレジ打ちの技を眺めていて、シビれたもんです。多くの主婦たちは、必死の形相でレジのおばちゃんが打ち間違えないかどうかを監視していたんですよ。で、時に間違いがあったりすると、「この納豆、50円よね、ホラこの80円、間違ってるから」みたいに言うわけです。レシートと商品を持っていって、金返せ、みたいに訂正させていたんですわ(店側も防衛の為に、商品の種類によって分類番号を割り振っていたりしていたのではないかと思う。生鮮品は5番、乾物類は3番、みたいな)。

金額の訂正は、まあいい。要するに、品物全部の値段を頭に叩き込むとか、貼ってあるテープの数字を早く打ち込むとか、そういう特殊な能力を必要とされていた、ということです。それらは、多くが人力作業に依存し、間違いも数多く発生したわけです。ところが!
バーコードとか、読み取り機が登場してからは、どう変わりましたか?

かつての神業的な技能はなくても、今日来たバイトさんに教えれば、即できるようになった。しかも、欠品とか在庫管理とか、売上状況とか、そういう人力作業は、ほぼ要らなくなった。レジで集計できてしまうから。POSなんてのも登場するようになったしね。昔は、売れた数を確認したりして、発注をかけていたんだろうと思うけれど、今はほぼ機械でできる。棚卸も死ぬほど大変だったが、今は機械で管理できている。これが「効率化」ということの意味だ。

確かに、田舎の店なんかに行くと、骨董品なみのサビれたレジにお目にかかることがあり、なつかしいなあ~あのガチャガチャって響き、なんて思うことはある。それに、店内商品全部暗記、みたいな店はあるよ、本当に。だけど、大型スーパーなんかだと、そういうシステムを維持するのは、コストがかかりすぎるんだ。今は、お金勘定も自動だから、お釣りの渡し間違いも、ほぼない。昔は、50円玉と100円玉を間違えて渡した、とか、レジの集計と現金が合わないとか、死ぬほど辛い環境だったのだが(過誤が多ければ、きっと店長なんかに責められたに違いない)、今はそういうことからも解放されてきている。これが自動化、機械化の恩恵、ということだ。

レセプト電子化は、これまでの「全部人力レジ」から、機械化を進めましょう、というだけに過ぎない。導入すれば、病院事務の複雑な業務なんかは単純化されるし、特殊能力(昔のレジ打ちの女性みたいな)を養成しなくてもできるようになる、ということ。そういうのが、効率化につながるよね、という話なのに、一部の人たちだけが「できない、やりたくない」と反対すると、「機械化レジはダメだ」「バーコード反対、値段のテープにして」とか言ってるんですから。そういう旧式対応でやりたい人は、一部コストを負担してね(代行業者への手数料)というだけですから。他のみんなは、代行手数料を払わない代わりに、設備投資をしますよ、って言ってるわけだから。代行手数料が莫大な料金というなら、まだ分りますけど、多分1件当たり10~数十円程度でしかないですよ。それが不可能なわけない。


日医の反対意見は、説得力のあるものが一つもない、と言わざるを得ない。

まあ、日医さんは情緒を重んじて「永遠に人力レジで貫け」とか言うのかもしれんがね。バーコードレジにしよう、とか言ったら、「医療を崩壊させる」とか言い出すわけだ。時代錯誤も甚だしい。



私が混合診療に反対しないワケ

2009年03月03日 16時09分49秒 | 社会保障問題
にゃーにゃーの人(笑、悪気はないよ)が混合診療の問題点について指摘&説明しているわけだが、ハズレというわけではない。大体は同意できるものであるし、怪しげな代替医療の問題みたいなのがあるというのはその通り。
近頃大都会であるらしいのが「点滴バー」とかいう、「どう見ても~です、ありがとうございました」的医療機関があるそうな。まあ、東京モンは常日頃疲れているのだろうから、点滴バーだの酸素バーだのというような、アレげな場所に行かねばなんね、ということかもしれませぬ。

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これはこれでいいのだが、個人的には「混合診療の(部分)容認派」である。それは何故か?

簡単に言えば、「請求できない壁」みたいなものの存在でしょうか。
そんなに詳しく研究したりしたことはないし、知ってる範囲も狭いのだが、一応書いてみるよ。


よく取り上げられた話として、リハビリの期間制限という問題があった。6ヶ月間という縛りができた為に、患者サイドが大変困っている、という話である。これを例にして、少し書いてみる。

テレビなんかではセンセーショナルに取り上げられるのだけれども、リハビリの期間制限の為に「もう診てもらえない」とか言う話になってしまっているのだが、これは本当なのだろうか?6ヶ月を超えて「リハビリをしてはいけない」、などという医療上のルールなどあるのだろうか?

はっきり言えば、それはウソだ。
できないのは、「保険請求上の算定」だけであって、リハビリを行うことは医療保険制度上では「何らの禁止事項」もない。できないというのは、医療機関側が患者サイドに「もう算定できないので、やりたくありません」と言っているに過ぎないのである。本当は、診療の求めがあるなら、これに応じなければならず、医療機関側は原則拒否できない。保険診療のルールとは、「やるな」という制限とか、行為についての禁止というものは殆どないが、基本的に算定ルール(保険請求ルール)というものなのだ。

従って、患者がリハビリをどうしてもやってくれ、という求めをした場合、医療機関側にはこれを拒否できる合理的理由というものがなければ、実施せざるを得ないのである。たとえ実施したとしても、それを保険請求することは認められていないので、単に請求できない、というだけである。つまり、タダ働き、ということ。もし厚生労働省に解釈を尋ねたとすると、「6ヶ月を超えて~を実施した場合には、算定できない」ということになり、強いて解釈するなら「再診料に含まれ、算定できない」とか、「6ヶ月以内の~の所定点数に含まれるので、6ヶ月以降には算定できない」とか、強引に疑義解釈を作られてしまうだろう。
医療機関が「リハビリをやってはいけない」というように言ってるのは、実は不正確だ、ということ。やっていいんですよ、別に。けど、保険請求ができない、というだけ。良心的な医療機関であるほど、そういった請求できない費用を医療機関側がかぶって、患者さんにその分の医療サービスを提供してきたんですよ。だから全然儲からない上に、仕事ばかりが増えるわけだ。


これに類する、期間制限や回数制限などのある算定ルールは多く存在し、「○○検査は月に2回まで」しか算定できない、ということになっているなら、「3回以上やってはいけない」ではなくて「やってもいいけど、請求できない」ということである。医療なのだから、必要に応じてやらねばならないものはやるし、保険で算定できないからといって「やらない」ということにはならない。これが基本。なので、リハビリがまだ必要だ、と医師が判断するなら、6ヶ月を超えても「やるべき」だし、普通はやる。けど、タダ働きになってしまうね、ということだね。

こういうのを回避することは、基本的に医療機関側にはできない。
保険の算定ルールというのは、かなり複雑であるし、硬直的でもある。検査回数は~回まで、とか、絶対的基準があってそうなっているわけではなく、大体の場合(あくまで確率的問題)にはカバーされるでしょう、でも例外も必ず存在していますよ、ということです。また、検査法、薬剤や治療法について、算定条件として「○○をやった場合に、~~について算定できる」みたいなこともあり、そういう前提に合致しない場合には、やはり算定できないということになってしまうわけである。薬についても、適用外使用(例えばサリドマイド、低容量アスピリン、とか)の場合には、認可が出るまでは原則「保険適用外」ということになってしまい、どうしても使う場合には、自費ということになってしまって、これもまた患者負担が重い、ということになるわけである。


なので、必ずしも硬直的な保険上のルールが望ましいとは到底思っていない。
患者の希望という点についても、「もっと詳しく説明してくれ」とか「もっと血液検査回数を増やせ」とか「どうしても頭部のMRI とCTを撮ってくれないと納得できない」とか、そういった無理難題を要求する方も中にはおられるわけです。そういう方々は、負担額が問題なのではなく、「この内容では満足できない」という方々が多いわけですよ。能力の高い医師になればなるほど、無駄な検査とかはやらないし、必要最小限でもかなり診断をつけられるし、薬もやたらと使ったりはしないと思うんですよ。でも、「あなたはゆっくり寝ていれば大丈夫ですよ」とか言っても、「どうしてもカゼ薬を出してくれ」とか「検査してくれ」とか要求されることはあるんだろうと思います。そういう場合にこそ、必要最低限のセットメニュー(=保険診療)と、その範疇にはルール上入らない請求については「別途保険外料金を頂戴いたします」と請求できる方がいいと思うのです。


保険の縛りというのは、割と理不尽なものとか、使いづらいとか、何で請求できないんだろとか、そういうのがかなり含まれているのです。どうしてかといえば、儲けさせない為、です(笑)。保険の点数や請求金額が「過少評価」であるかどうかなんて、誰にも判らないわけなんですよ。言ってみれば、医療業界だけは「社会主義」原理っぽくて、従事者たちには「これくらい」という大雑把な水準の給与があるだけです。おまけに今の保険制度というのは、上手ければ上手いほど、全然儲けられないという制度になっているわけです。下手な医師ほど儲かる制度なんですから。だったら、上手いか下手かに関係なく保険診療はあってもいいので、それなりに請求させてくれ、という部分については「別途いただきます」ということでいいと思います。

例えば保険診療にある点数を準用して、仮に500点の算定の認められるものであれば、これを保険外で実施するなら5000円徴収すれば済みますよ。「保険点数にあるもの」を自費でもらうならそれで問題ないし、適用外使用にしても「現に存在している薬剤」ということで既に薬価があるのだから、その分を貰えば済むことです。別に、儲け主義だから混合診療はダメだ、とかいう話ではないでしょう。リハビリの制限にしたって、最大公約数的な話が6ヶ月ということであって、それを超えて実施したいという人には、その別途追加料金を貰えば実施できるのではないでしょうかね。それは、あくまで「保険診療の延長上」にあるものであり、特別な「紛い品」みたいなものではないでしょう。詳しい説明にしても、希望する人にはタイムチャージで30分まで初診か再診料と同等水準で貰ってもいいと思えます。


食堂に行った時に、セットメニューで「○○定食」しかない、というのが保険診療の基本です。サイドメニューとかは原則選べない、ということであり、もし万が一「定食にない冷奴を追加したい」とか「みそ汁のおかわりをしたい」とか言っても、保険では認めません、という制度になっちゃってるんですよ。「みそ汁は1杯までしか算定できない」という最大公約数的ルールになっちゃってるんです。これを、「もう一杯注文したい」という人には、「注文できるようにする、その金額を請求できるようにする」というのが混合診療ということの意味合いです。

保険診療の硬直的ルールである「○○定食」は絶対であって、「患者サイドでは選択の余地がない」ということになってしまっていて、これではサービス水準が低いと言わざるを得ないと思います。若干なりとも、患者サイドにだって選択の余地を認めることがそんなに悪いとは思いません。そういう要求をしたい人だけが、自己負担で行えばいいことです。いくら「みそ汁お替り自由がいいよね」と言っても、保険財源がそこまでは許容できないのですから、みんなに2杯目をタダで出すというわけにはいかないのです。ならば「みそ汁は1杯しかダメ」という硬直的制度から、「2杯目以降は自己負担で追加料金を頂きます」という制度になっている方がいいでしょう、ということです。


なので、混合診療がそんなに悪いとは思わない。
使い方次第なのではないかな、と。




寿命と経済成長の関係~ESRI ペーパーから

2009年03月02日 12時09分40秒 | 社会保障問題
大変良い文献。

Yahooブログ - 学習院大学・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)で紹介されていたので、発見。

ESRIESRI Discussion Paper No207長寿国となった経済価値はどれだけか? 経済成長の成果の一試算


是非とも全文をお読み頂きたいと思います。
以前に素人の疑問のようなものがあったので、それに答えてくれたペーパーということになりました。まことに有難うございます。感謝申し上げる次第です。
(とは言うものの、別に私の疑問に答える為に書かれたものではありません。きちんと研究目的があってのことです。)

便益が大きく上回るという結果は、想像通りでした。
昔だと「命で払っていた」のですから、それはまあ便益が大きいだろう、と。
でも実際に「金額」として算出しないと、多くの政策担当者たちや医療には関係のない経済や政治学者連中を説得するのが困難ですからね。そういう面でも、学術的な検討というのが非常に大きい、ということは言えるのです。


医療におけるイノベーションとは、言ってみれば「人型ロボット」のようなものです。当初は全く歩けない。でも、ひとつ一つの基礎が飛躍的に向上してゆくことで、「ロボット」という全体の水準が大幅に改善されるということになるのです。ハードの進歩がなければ、2足歩行は極めて困難でした。コンピュータの一個一個の部品性能が格段に向上した、各センサー技術も飛躍的に向上した、計算処理能力が向上した、制御ソフトも向上した、というような、「どれが欠けても難しい」みたいなものでしょう。医療の進歩もこうした部分があって、『Asimo』が登場するまで苦難の連続だったように、何かを達成するまでには「各パーツ」の部分で困難を乗り越えねばならなかった、ということです。単純にガン治療の向上、みたいなことが言われるけれども、それは基礎研究からはじまって、ありとあらゆる関連分野の水準向上という貢献がなければ達成できないのですから。

侵襲度の小さな検査や治療技術がどんどん出されてきていて、こうした流れについても、やはり常にイノベーションに挑戦してきた結果なのです。それらを「マクロな視点」で成果として捉える―特に定量的に把握する―ということは大変難しく、多くの人々にとっては「どのような”価値”があるのか」というのが極めて判り難いのであろうと思います。

経済学者 「それは、いくらなんですか?」
医療学者 「判りません。けれど、医学的に有効なんです」
経済学者 「でも、便益が費用を上回らないと…」
医療学者 「便益って言われたって、患者さんが感謝するとかくらいしか…」
経済学者 「無駄に医療費につぎ込んでいるんじゃないですかね」
医療学者 「無駄って言われても、それで助かっている人が大勢いまして…」

こんな感じだったんです(笑)。

双方の言葉が通じない。医療従事者は「医学的に有効かどうか」ということには答えられるけれども、それがどういった経済学的意味合いのものなのかは、中々答えられないのです。経済学者自身が「便益とは何か」を見つけ出し定義して、費用便益計算を実行しない限りは、この問いには答えようがないのだ、ということです。そういう点でも、今回のペーパーは大変貴重なものとなりました。


そういえば、かつて社会保障改革の文献的考察の中で、削減についての経済学的エビデンスを出してくれ、とお願いしたら、確か諮問会議の下に分科会みたいなWGを作って、何かの分析を出していたような気がするが。確か見たんだけど、大した中身のない内容だったように思い(ごめんね、分析した経済学者の方)、記憶していない。取ってつけたような、ロジットモデルか何かの分析だったように思うが、定かではない。後で探してみます。


でも、結論ありき、で結果を出すことは不可能ではない、からね。結果だけを鵜呑みになんてできないから。
あの時のペーパーが他の専門家たちや学者たちにきちんと評価を受け、妥当性などについて検討されたという話を聞いたことはない。誰もそんな分析を「妥当だ、確からしい、正しそうだ」みたいには支持していないのかもしれない。一体、何の為の研究成果なのか、とは思う。



マクロ経済スライドと物価スライドは違う

2009年02月04日 11時03分32秒 | 社会保障問題
物価スライドの話と年金改革後のマクロ経済スライドの話が混ざっているような。


はてなブックマーク - 原田泰「消費税増税と責任ある政治の中身」 2009-02-01 - Economics Lovers Live

消費税が上がった分だけ年金受給額が上乗せされて高齢者は損をしない、というのは、極めて不正確なのでは。

年金受給額は物価スライドはあることはありますが、マクロ経済スライドによって、上乗せ額は0.9%抑制されているはずです。なので、インフレ率が低ければ低いほど「抑制効果は小さくなってしまう」ということになります。デフレであると、このマクロ経済スライドは全く効きません。最低限でも0.9%以上のインフレ率が達成できないと、受給額抑制にはならないはずです。


マクロ経済スライドについては、以前にもちょっと触れました。
所得代替率という「ゴマカシ」



前の記事を書きながら、脇道にそれた記事

2008年12月15日 18時36分12秒 | 社会保障問題
医師不足を改善しようという動きはありますが、それも単に医師を養成するということになるとかなりの時間とコストがかかるので、寧ろ小隊とか「ユニット」のような単位(以前には、「パーティ」と呼びましたけど)を強化することを考える方がよいと思います。

小隊長(エース)である医師と、それをサポートするチームということですね。チームメンバーは専門職に違いはないですが、出来る行為の難易度によって広げる方がよいと思います。これまでのところ、一から十まで医師が1人で何でも頑張らねばなりませんでしたが、そうではなくて「どうしても医師でなければならないこと」を減らして、他のサブのスタッフにやってもらえることは全部やってもらうようにすればよいのです。いってみれば医師業務のアウトソーシングですね(こういうのが生産性向上、ということでしょ?)。

そうすると、医師の能力や時間を余計な所に使わずに済むようになるし、医師としての能力を最大限に発揮させることができるようになるのでは、と思います。こうしたユニットは機械的に「看護師○人、薬剤師○人、検査技師○人」みたいに規制で縛るからダメなのであって、医療現場の実情に応じてユニットを組めるように自由にさせた方が柔軟性や弾力性のあるチーム編成ができると思います。

なので、医師数を増やすことも大事なんだろうとは思いますけれども、強力なサポートを付けてあげることも重要なのかな、と思います。これも以前から言ってますが、検察官と検察事務官のチームみたいなもんです。ああ、自転車レースのチームとも近いかな。ツール・ド・フランスみたいな耐久レース。エースに勝たせる為に、周囲の人間が全力でサポートする、ということですよ。

何かと「看護部は別系統ですから!」みたいな、わけのわからんことを言ってるからダメなんで、医師(エース)に勝たせる為に存在しなければならない、ということの意味が判っていないのです。
歌舞伎で黒子が「私たちはあなたの部下ではありません、指図は受けません」みたいなことを言ったりはせんでしょう?黒子がいなければ役者だって困るわけです。というか、できない。両者は「不可分」なんですよ。


医師に最大限働いてもらえるには、「医師しかできないこと」以外はもっと賃金の低い水準の人たちにやってもらうべきです。それには、サポートチームの能力向上や個々の水準を上げる必要があります。これこそが生産性向上というやつなのですよ。

個人レベルで支払能力に応じて医療費や介護費を払ってくれ、という施策は多分うまくいかないだろうと思います。それよりも、社会全体で国民のみなさんの大事なお金を「お預かりする」、そのお金は最も必要性の高い部分から充当していきましょう、ということの方が望ましいと思います。

それぞれのタンスの中で眠らせているお金よりも、こうやって「みんなの役に立つお金」という形で循環させると、必ず自分ちの給料アップというような形で巡り巡って戻ってくるのですよ。雇用が生まれれば、納税者も増えるし個人消費余力も増えます。高齢者が参加できる仕事も増えますよ。元気なお年寄りたちは、そうやって社会に貢献することで、生涯に渡り社会参加の機会も得られるのです。


誰が説明し、説得し、理解を得て、同意にこぎつけられるのか。
私には判りません。
が、若い人たちの理解や協力は得られるのではないかと思っています。

問題は、それこそ「レガシー」部分なのではないのかな、と。政治家たちの多くが彼らと同じ世代なんですよね。これが中々難しいのです。



拡大する医療過疎

2008年09月10日 20時06分37秒 | 社会保障問題
これがまさしく崩壊の一端か。

格差17倍、二次医療圏別「千人当たり医師数」(医療介護CBニュース) - Yahooニュース

「人口1000人当たり医師数は、二次医療圏別に見ると17倍の格差がある」―。日本医師会総合政策研究機構(日医総研、竹嶋康弘所長)はこのほど、「二次医療圏別に見た医師の偏在と不足」と題するワーキングペーパーを発表した。医師不足に関する基準の一つとされているOECD(経済協力開発機構)の「人口1000人当たり医師数」について、「大学医学部がある地域では人口1000 人当たり医師数が多くなる」「人口が減少している地方でも多く計算される」などと指摘している。

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不均等の一因としては、昔の医局支配の崩壊ということがあるのかもしれない。本人意思に反して地方の病院回りなどを半ば強制的に行われていたのが、個人の自由意志が優先されるようになれば、「誰も行きたがらない」場所ができてしまうのは当然なのかもしれない。

よくありがちであった医局批判は、機能していた人材派遣システムを崩壊させた。それを主導したのは、一体誰だったのか、ということを全ての人々が一度振り返ってみるといいかもしれない。


参考記事:

医療不審死の問題




中々強烈な「介護ビジョン会議」

2008年08月04日 21時18分14秒 | 社会保障問題
本当の名称は長くて、「安心と希望の介護ビジョン会議」というのだそうですが、いちいち面倒ですので、ケインズの『一般理論』と同じような短縮名称を用いることにします。

高齢者介護、「家族はくせ者」-医療介護CBニュース-

(以下に一部引用)

 同会議の意見交換で、鳥羽研二委員(杏林大医学部教授)は「誰のための安心と希望か」と問題提起。「わたしは介護を受ける人や、その家族が対象になると思う」と述べたが、袖井孝子委員(お茶の水女子大名誉教授)が、これにかみ付いた。
 「家族はくせ者で、介護される人と家族(の利益)は一致しない。『安心と希望』は本人を第一に考えてほしい。わたしの親は施設(介護)だったが、本音を言えば(わたしも)自分勝手なところがあった。『どちらを取るか』というとき、要介護の人を優先せずに自分を優先するので、やはり『本人第一主義』でいくべきだ」

 さらに、村田幸子委員(福祉ジャーナリスト)が厳しい指摘をした。
 「介護される人たちを見ていると、『できないからしてくれ。もっとサービスしてください』という実態がある。老いて暮らしにくさが増えるにつれ、要求度が高まってくる。介護というと、『気の毒だから、あれもこれもしてあげよう』という方向に流れがちだが、『できることは自分でやる』という意識の醸成が必要だ」

 これらの意見に、経済学者の駒村康平委員(慶大経済学部教授)が「現在の制度を少し解体して、直せるものから直していくべき」と補足し、前田座長も「全くその通り」と同調した。

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袖井さんの介護する家族の立場として「自分勝手なところがあった」、という体験例を一般化するのはどうなんだろうか、と思わないでもない。この委員が自分勝手だったから、他の要介護者を抱える家族の人たちも同じように「自分勝手」と決め付けるのだろうか(笑)。会議のやり方として、たった一つの体験談を元に議論の柱とするのは明らかにオカシイですよね。例えば「私は○○に騙されたことがあります」といった経験を話せば、その○○業界全部に厳しい規制をかけるのか、という話です。高齢者にありがちな、(自己)経験至上主義的な妄言と区別がつきませんよね。さしづめ「高齢の有識者委員はくせ者」という一般化をしたら、多分烈火のごとく怒るだろう(笑)。


村田さんの指摘した『できないからしてくれ。もっとサービスしてください』という実態というのは、言葉は悪いかもしれないが、簡潔に表現すればそういうことなのだし、これは割とあることではないかと思う。なので、同意できる面は無きにしも非ずだ。介護だけに限らず、医療やその他福祉(生活保護とか)にも通じる部分はある。医療でも、「もっとしてくれ」という要求は昔に比べれば強まってしまったと思うので、医療者の立ち去りの一因となっているのではないかと思う。昨今の、いい仕事に就けない、正規雇用になれない、泥のようになれない(笑)、というような傾向とも似ている面があるかも。「自分でやる」という意識は、社会全体で乏しくなりつつあるかもしれない。確かに「できない方々に支援しましょう」というのは方向として間違ってないとは思う。けれども、「気の毒だから、もっと」という風潮が蔓延して、「求める人たちが増えた」ような気がする。社会全体として、支え手が大多数で「求める人(弱者?)」が少数であれば持続可能であるが、支え手が大幅に減っているのに「求める人」たちばかりが増えていけば、支える側にもいずれ限界がやってくるだろう。

なので、基本的には「自分で頑張りましょう」、でも全部は無理だろうから「支援が必要な方々には支援していきましょう」ということだと思う。その上で、最悪の事態とか酷いどん底にはならないように、「底の部分」はしっかりとさせておく必要がある。あまりに社会の平均的生活と落差の大きい水準では、やはり安心にはならないだろうから。


座長の先生はどんな人なのか全然知らないが、「全くその通り」とか調子のいいことを言っているようなので、御用学者の一派なのかと思わないでもない。ありがちなのかもしれないが、違ってたらごめんなさい。駒村慶大教授は経済学者のようですが、慶応には随分と経済学者が大勢いるようで。鳥羽委員にちょっと噛み付かれたようだ。医療、介護、福祉関係者たちには多分トラウマがあって、「経済学的視点」を強調されると誰でも敵に見えてしまうという錯覚を起こしてしまうのだろう(笑)。かつて経済学者たちに、散々酷い目に遭わされたからだ。あの会議でも、この会議でも…、惨敗に次ぐ惨敗で、相当凹まされたからだろう。なので、有識者会議の席上に呼ばれる非経済学者としては―殊に医療者や福祉関係者たちは―経済学的視点での議論になった時に、言い負けないだけの理論武装が最低限必要ということ。点穴に針を打ち込むが如く、的確に相手の急所に叩き込まねば会議では優位に立てないのだ。だからこそ、敵の急所を知り、弱点を研究しておかねばならんのだ、ということですよ(笑)。

医療者や福祉関係者にこそ、経済学が武器になるのです。まあ、駒村委員が敵かどうかは、今後見ていかねばまだ判らんでしょう。元から味方側の人間なのであれば、わざわざ標的として攻めること自体がマイナスだし、対立するよりも「有効な意見を述べてもらう」方が圧倒的に得策ですからね。

真の曲者は、やはり座長でしょう。



後は綱引きですか

2008年06月19日 18時11分16秒 | 社会保障問題
これまで報道されてきた通りで、基本線は変わっていません。

社会保障抑制「修正を」 ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

今回、座長である吉川先生がよくぞここまで「退いてくれたな」ということもありますし、権丈慶大教授の徹底した突っ込みで「正面突破」を目指したものと思います。多分これは、一部マスコミ対策が奏功した、という戦術面での成功があるでしょう(笑)。

昔のバトルが思い出されます。
吉川vs権丈??

吉川先生であれば、社会保障費削減を打ち出してきても不思議ではなかったのですが、このままではイカンな、と少し気付いてくれたのかもしれません。何といっても、かつて経済財政諮問会議で社会保障費削減を打ち出したメンバーは、誰あろう吉川先生でしたから。ですが、過去のことはとりあえずいいです。必要なことは、将来の日本にとって何をしなければならないか、ということですので、みなさんが率先して「守るべき部分はこれだ」というような意見を出してくれることこそ、重要なのですから。それに、「今後の戦い」では、仲間割れしている場合ではないだろうと思いますので(笑)。


マスコミ対策で最も効果を挙げたことは、読売新聞を引き込めたことでしょう。読売は憲法改正をテーマに長年独自案を出し続けてきたが、それに比べれば現実に即した挑戦であった。
これは読売に限らず、はじめに日経が出し、続いて読売や朝日が出したのだが、本来的には「政党から出す」とか、与野党の合同協議会(例の3党合意に基づくテーブルだ)などで基本線を話し合うべきであろう。そういう「政治」に期待できない、ということもあって(笑)、新聞社が主だった「背景」に沿う形で年金プランを提示したものだと思う。

国民にとっては、こうした形が提示されないよりも良かったであろう。選挙絡みのテーマとされて04年の年金改革では「スローガン」だけに目を奪われてしまう形となってしまったからね。

例の年金試算だが、新聞各社のご意見が出されていた効果もあって、一応議論の俎上にのせて「比較検討」の対象としたことは、過去の議論に比べればはるかに良かったと思う。中身の不満はあるにせよ、過去の例に比べればマシだ、という評価は与えられるべきだろう。


たとえ年金のメドがたったとしても、社会保障費は医療・介護・福祉と広範にわたっています。年金で敵対的関係であったとしても、今後には「財政審」などに代表される財政再建至上主義陣営(笑)等との対決を控えておりますので、できるだけ共闘できる人たちを多く確保しておく必要があるでしょう。

現行の年金制度を基本としても、将来の「無収入者」は現在よりも拡大することを覚悟する必要があるでしょう。特に世代人口の多い「団塊ジュニア世代」に最も無年金者が多く存在するであろう、ということを考えておくべきでしょう。何といっても、就職氷河期で正規雇用から漏れた方々は大勢おり、その後にもうまく正規雇用となっていない人たちは、その下の世代に比べて多いだろうな、ということです(推測に過ぎませんが)。無年金者が全員生活保護にはならないとしても、数百万人分を覚悟せねばならないだろう、ということです。恐らく、今の高齢者の無年金者で生活保護対象となっている人の数よりも、ずっと多くなるであろう、ということです。



時間があまりないので、とりあえず。





年金試算について

2008年05月20日 13時42分31秒 | 社会保障問題
率直な感想としては、欺瞞に満ちている、と思った。

年金制度の検討における定量的評価

昨日全部読みましたよ。これだけの「バラバラの意見」を具体的なモデルとしてまとめる作業は大変だったでしょう、と思いますが、内容的には一種の「国民に対する脅し」とも受け取れるものでした。はっきり言えば、「こんなに消費税が上がるんだよ、それでもいいのか」という相手の無知に付け込んだだけの脅迫ではないか、という疑問があるのです。

何が重大な欠陥なのか?
それは、事業主負担が「一切ない」という点である。通常の厚生年金だと事業主負担が当然あるのだから、見合いの財源として徴収するべきものであるはずなのだ。それが記載されていない。誰も「これまでの事業主負担は全廃していいですよ」などという国民的同意を与えてなどいない。これには特定の意図を感じるのだな。財界の自分たちだけもうすぐ「棺桶行き」という連中にとっては、日本の将来のことなどどうでもよくて、目先の「企業負担さえなくなればいい」という愚かな思考しかできないのかもしれない。えっ、陰謀論が過ぎてるって?そうかもしれませんが、彼らの言い分は二言目には「企業負担が重い」「人件費をそんなに払えない」とかぬかすんだもの。一体誰のお陰で商売ができていると思っていやがるんだ。

国民のみなさんに重要なお知らせを致します。もしもそういう日本の為にならない独善的企業があった場合には、国民全体で不買運動を展開し、当然のしっぺ返しを受けてもらわねばなりません。腐れ頭の経営者が「おまえらの為に税金や保険料なんか払いたくない」と主張するような場合には、国外で営業してもらえばいいのです。とっとと日本から消えてくれればいいんです。海外の優秀な経営陣にでもとって替わってもらいなさい。日本人経営者であることの「必然性」なんて、これっぽっちもないんですよ。日本の将来を潰そうとするような企業なんて、国内にいてもらう必要性なんてないからね。「利益は海外で上がっていて、日本国内では利益なんか出てない」とか豪語するような売国奴みたいな経営者たちは、とっとと日本から出て行きなさい。中国でもインドでも、ヨソに会社を移転してしまえ。

日本で利益が出ないんだろ?日本人の人件費が高すぎるんだろ?税金も企業負担も多すぎなんだろ?
そんなに文句を垂れていながら、なんで日本で会社を構えてやっていかねばならんのよ。経営者は頭が悪いね。タックスヘイブンにでもどこでも、店も工場も畳んで、とっとと失せろ。

大体、ロクでもない企業経営者たちが大勢いたからこそ、日本をダメにしたんだろ。根本的に「感謝」が足りないんだよ。頭が悪いくせに、威張るだけで感謝の気持ちというものを知らない。従業員に「よく働いてくれて有難うございます」と言って頭を下げる社長がどれほどいる?社長のお陰でおまんまが食えるんじゃない。従業員が働いてくれるお陰だろ。そんなに経営者さまが偉いんだったら、自分でやれ。
お前らみたいな腐れ頭のハゲの為に、なぜ働いてやらねばならんのよ。ボンクラのロクでもない経営者が、高給取ってメシが食えるのは、誰のお陰か考えてみろ。社員が必死で働いてくれるからだろ?下請けが文句を言わずに尽くしてくれたからだろ?そういう人々の献身のお陰で、お前らみたいな能無し経営者であっても、役員だとかでふんぞり返っていられるんだろ。お前らよりもはるかに優秀な「外国人経営者」なんてごまんといるんだよ。もっと安い役員報酬で経営してくれる優秀な経営者なんて、日本人以外に星の数ほどいるんだよ。お前らを奉っているのは、ダテじゃないんだっての。バカか?日本人経営者であれば、「こういうことが期待できるであろう」という暗黙の了解があるからであって、何でもかんでも「英米式が正しい」みたいに言うヤツは、いらねんだよ。それなら、英米式経営の能力に優れた経営者をスカウトしてくればいいだけだろ。サッカーの監督みたいなもんだな。日本人である必然性なんて、全くないんだよ。日本人の無能経営者を叩き出す国民運動をやることにしたらいいんじゃないか?例のJパワーに限らず、外資に買収されてしまうだのという、泣き言を並べる愚かな経営者が大勢いるが、英米式経営陣に全部変えてもらえ。従業員に払うべき給料すら稼げないのは、経営陣が無能であるからで、そういう連中は要らないだろ?違うの?

「会社がこうして仕事ができるのは、お客様や一生懸命働いてくれる従業員がいてくれるお陰です。本当に有難うございます。」という心からの感謝がないのだよ。いつもいつも、不満ばかり。「お前らは、まだ足りない」と文句をいうだけなのさ。心の底から、「有難うございます」という気持ちなんてこれっぽっちも持ってないような、アホな経営者揃いなのさ。こういう連中が寄り集まった時、何を言い出すかと言えば、「金、金、金」だ。一番効率が悪いのは、お前らの頭ン中なんだよ!
もうそんな経営者はいらない。


話が大きく逸れたが、年金の話だったな。

過去に少し考えたことがあるので、一応。
年金一元化を再び取り上げる

この記事中にも書いているが、企業の保険料(雇用主)負担は約10兆円くらいだ。これを全て「消費税に振り替える」ということになれば、そりゃあなた、大変だわね、って話だろ。企業がこの10兆円分を賃金に回したりなんかしないって。税として強制的に徴収しない限り、払うわけがない。

更に、公務員共済の雇用主負担と追加費用で約4兆円だが、これは現在国庫からの支出となっているので、その分を当然年金に回すに決まっておろうが。なんでこの「浮いた4兆円」を他に使うんだよ。大体で言えば、これら14兆円の負担分を「無くして」、消費税に置き換えましょう、というのは明らかにおかしいだろ。単に「必要となる財源」みたいなのを考える為の試算に過ぎない、ということかもしれんがね。しかし、どの報道の論調を見ても、「こんなに消費税を上げなければやっていけないんだ」みたいになっちゃってるでしょ?

積立金からの取り崩し額にしても、毎年5兆円ずつ取り崩すと約40年くらいはあるだろう。何たって、年金積立金の総額は約200兆円規模だからね。現在でさえ、『厚生年金の給付額が足りない』ので6兆円以上も取り崩しているんじゃないの?
他にも、貴重な積立金を「ハコモノ」だの「過去の失敗」だの、そういった清算の為に6兆円以上すってしまいました、とか言ったらどうかね。生活保護費の給付分は計算に乗ってきていたけど、恩給は出てなかったよね。恩給なんてなくなるから、その分国庫負担を増やせる余地はできるわな。

ま、いずれにせよ「雇用主負担分」を一切消滅させる、という案については許し難い。その分は国民がかぶれ、って話にはならんでしょ、ってこと。企業の減税措置効果、ということを考えているのかもしれないが、現状のやり方を見れば、企業に優遇してやる必要性なんて、一ミリもない。現時点でざっと14兆円使ってるんだから、その分は払ってもらうからな。多くの国民は、試算だけ見せられていても、そういうことを知らされていないから、殆ど騙されているのと同じようなもんなんですよ。


因みに私のプランでは、企業がこれまで正規雇用だけの賃金に対して払っていたものを、全く無関係に「給与総額」に対する税として徴収しますので、これまでフリーター等の非正規労働者ばっか使ってきた企業は、負担増になりますのでヨロシクです。企業規模で適用税率は変えてもいいとしていますけれどもね。フリーターやパートの方々の賃金からは何も引かれません。消費税で払うだけですので。


全部消費税で賄う計算をする、というのはズルイと思うぞ。