いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

これが円キャリーの巻き戻しですか(爆)

2007年02月28日 22時00分21秒 | 経済関連
可笑しくて、噴出した。良かったですね、福井総裁も日銀も。欧州の一部にくすぶっていた、「円安過ぎる、金利上げれ」とか日銀応援団を組んでいた海外メディアも。これで、ご満足頂けたでしょうか?(笑)


まあ、投機筋は懲らしめるべきだ、という考え方に立てば、損失を蒙って頂いて、運用資金とかポジションを整理させたい、ってなことなんですかね。そうした福井総裁の願いが叶ってよかったじゃないですか。バブってる連中はちょっと火傷してもらえ、みたいなもんですか。

日銀の利上げを相当警戒していたのであれば、もっと早くから引き上げ時を探っているでしょう。1月前から資金を抜いていくでしょう。でも、そうではなかった。直接的には利上げとか円キャリーとかの影響ということではないでしょうね。しかし、「戦犯探し」ということになれば、エコノミストあたりから「日銀の利上げが引き金であった可能性がある」というようなことが実しやかに語られるかもしれませんね。

既にその傾向が出ていますね。

Yahooニュース - 毎日新聞 - 株価急落 解説 「楽観論偏重」のもろさ

毎日の記事では、『中国など新興国への巨額投資の背景には、日本の低金利で円を借り新興国通貨に替えて運用する「円キャリートレード」で世界的に資金が過剰になっていたといういびつな状態があった。』と、明らかに「日本の低金利政策」に原因があった、と言わんばかりの解説ですね。日銀応援団の一派?ですから、いいんじゃないですか?(笑)

利上げ後には、「これで材料出尽くし感が広がり株高」とかもっともらしい解説が出てた僅か数日後で180度方向転換ですか(爆)。色々な解説の仕方があるものですね。


どっちに転んでも、日銀の思惑通りという、まさに「ドンピシャ」のタイミングで利上げが決まった、という形ですね。
スバラシイ予知能力ですね>利上げを英断された総裁はじめ委員の方々

賞賛の嵐、勇敢な日銀に拍手!!



ギャップはどうなんでしょうね、と

2007年02月27日 21時25分25秒 | 経済関連
こいつは春からめでてーな、というような感じでしょうか?(違うか)

asahicom:需給ギャップ、10年ぶりプラスに 10~12月期-ビジネス

(記事より一部引用)

内閣府は26日、日本経済の供給(潜在的な経済成長率)と需要(実際の経済成長率)の差を示す「需給ギャップ」が、昨年10~12月期に前期比プラス0.6%となり、97年1~3月期以来、約10年ぶりにプラス(需要超過)に転じたと発表した。需給ギャップは日本銀行が金融政策を決定する際の重要項目にしているが、内閣府は今回のプラス転換が一時的な現象にとどまる可能性もあるとの見解を示している。




ですと。記者さんたちは、記事を書く前に、必ず参考資料にも目を通しておくべきかと。そういう習慣づけを行った方がいいですよ。ちょっとかしこくなれるかもしれないし(笑)。情報提供は行政側から出されていますので。これも何度も指摘していますけど。

今週の指標 No789

内閣府の説明を見た方が理解しやすいですね。グラフもあるし。
何かこう、「どん底」からようやく水面に顔がちょこっと出たみたいな感じですね。それでも、上がってきただけマシだけど。ホラ、この前に言ったように、「陥溺の世代」って雰囲気(笑)が出てるでしょ?

以前の記事(デフレ期待は何故形成されたのか・2)で取り上げたので、そちらと合わせてご鑑賞頂ければ、と思いますね。内閣府もそれなりに頑張っているんですよ。

折角ですから、再掲しておきますか。

GDPギャップと消費者物価の推移


あれから1年たちました~って、小林幸子か?笑

でも、内閣府が恐れるように、97年の駆け込み需要の頃みたいな「一過性」の現象かもしれんので、油断は禁物。直ぐに逆戻りするかもしれんから。

特に日銀の「ヤブ医者」っぷりが何よりも危険で恐ろしい。ほら見ろ、需要超過だ、過熱だ、とか言い出しかねないので。こんなの違いますから。全然まだまだですから。

本当に需要が逼迫してくれば、どん底フリーターのアンちゃんにも、もっといい働き口が見つけられますから。結婚資金もない、自宅で食べるケーキくらいしか楽しみのないパートの方にも、正規の仕事が回ってきますから。それより何より、仕事がなくて困っている人々にも、雇用先が見つかるようになりますから。景気が良くなっている…そりゃそうだよ。これまでが、悪すぎただけで、「良い」というよりも、これまでよりも「マシ」といった方が正しいだろうね。「景気が回復している」という表現より、「景気は挽回しつつある」とか「イーブンな状況に戻りつつある」という程度なのではないか。

いうなれば「深海に潜航中」の潜水艦だったのですから。ようやく潜望鏡で外が見える程度になっただけ。前は潜望鏡で覗くことすら出来ないほど、深くふかーく沈んでいたんですよ。潜水艦は自分で潜りますけれど、日本経済は違うんですよ。日銀に沈められたといいますか、日銀は浮上タンクにワザと大穴を開けたんですよ。「お前ら、またバブッてるんじゃないか、懲らしめねばなるまい」って。日銀の頭の悪い連中のせいで、国民はわざわざ鞭打たれ、海の藻屑にされたんですよ。あのまま本当に全員が溺れてしまいかねなかったのですよ。でも、偶然が重なり、運良く浮上できたのです。まさしく天上から垂らされた蜘蛛の糸が、あったからです。そうじゃなければ、もっと深海に沈んでいったであろう。


こういう水面に浮上してきた、というような明るい兆しがあると、日銀は先日の利上げのように、「鞭打ちの刑」をやってくるのです。確実に引き締めを行うわけです。まるで修道院の修行のようなものです。戒めの為に、苦痛を与える革ベルトみたいなので「引き締める」んですよ。ギュッとね。だから、いつまで経っても国民には平穏な生活が訪れないのです。下手すりゃ、またしても「急速潜航!」ってな具合で、あっという間に深海に沈められるんですよね。

今日は日銀への恨み節が多いかもね。だって、本当にそうなんだもの。多くの国民はこのことを知らないだけ。真実を知れば、間違いなく怒り狂うと思うね。



日銀の信認低下というよりも

2007年02月27日 18時28分07秒 | 経済関連
福井総裁への信頼そのものが失墜、ということなのではないだろうか(笑)。1月時点で、「政府の圧力に屈した」だの、「日銀の独立性が云々」だの、マスメディアが散々騒いだので、2月には「どうしてもやらねばならんな」とかになっちゃったんだよ、恐らく。だって、日銀ウォッチャーにしてみれば、「福井さんは、『あの一件』で政府に借りがあるからね」みたいなことを、心のどこかで考えていても不思議はないもんね。そんな風な論調が大勢を占めたので、金利引き上げに踏み切る決心をさせたようなものではないか、と。

利上げ静観の政府・与党、日銀の信認低下や円安批判の回避狙う ロイター:NBonline日経ビジネス オンライン

この記事によれば、
『一月の決定会合時には利上げけん制発言を繰り返した政府・与党が、一転して静観の姿勢を示した背景には、相次ぐ利上げ見送りで日銀の信認が揺らぐ懸念や円安進行に対する国際的批判の高まりを回避する思惑があったと見られる。』
という解説がついています。

これを誰が語ったのかは謎ですが、「日銀の信認」「海外の円安批判」というものに配慮した結果、という受け止め方のようです。日銀の信認が揺らぐ、というのは、日銀側の問題であって、政府側の問題なんかではない。海外メディアなんかは「円安が問題だ」という取り上げ方だが、大きなお世話だな。それなら自分たちの国でまず何とかしてみたらどうだ、と。自国の中銀に「金利差縮小の為に、もっと金利を下げろ」とか、「大規模なユーロ売り円買い介入をせよ」とか、言ってあげればいいと思うが(笑)。円キャリートレードを止める為に、日本の金利引き上げを正当化するものでもあるまいに。


それから、「情報漏れ」問題に関しては田中先生が色々と書いておられましたが、どうも「クサイ」感じは前からですよね。

参考記事:

日銀「2・23事件」(追記後)

「6月解除説」の補足

日銀に利上げの根拠を問う

私は全くの部外者にすぎないが、傍目からは「漏れてるんじゃね?」というのが、アリアリと伝わってきますもんね(笑)。
今回の2月利上げでは、そういう部分にもちょっとは配慮しましたよ、みたいな「ヤラセ」っぽい演出が必要だったのかもしれませんけど、それもワザとらしいワナ。要するに日銀の決定というのは、こうした体面だとか何とかの「見せかけ」の為に利上げ決定をやったようなもんです。「何じゃこりゃ?」ですよね。


円キャリーの巻き戻しリスクってのも、コレみたいな話ですか?
「円高シンドローム」に初めて触れる
金利引き上げ決定後には円安になっちゃって、「逆効果」も見られたくらいですけど。あんまり関係無さそうな気もします。

メディア報道では、以前よりも中立的な報道にはなりましたが(利上げの弊害についても触れられている、ということ)、日銀との関係がどの程度「まともに」なっていくのかは不透明です。業界筋?といいますか、その筋のお方たちも(決して、893とかではなくて)。私が陰謀論をついつい想像してしまうからかもしれませんけど。



共通するわけでもないが…

2007年02月26日 21時59分10秒 | 俺のそれ
ナルホド、とは思う。でも、自分の考えとはちょっと違うかな。ブロガーに共通する~という謳い文句は、「間違っている」けど(笑)、当てはまる人は多いかもしれないですね。

ITmedia BizID:ブロガーに共通する“5つの悩み”とは?


アルファな方々のようには、確かになれんな(笑)。自分のブログについて、一体どんな人々に読んで頂いているのかは、全くの謎なんですよね。

読者数が増えない理由としては、記事自体がツマラナイ内容だから、ではないかと思う。有名なブログとかであると、読みやすいとか、何か特徴があるとか、そういった魅力があるのだろう。中身が素晴らしいとか、そういうのは「実際どうだか不明」ではあるけれど。それは、マンガの「○○」という作品が高く評価されて人気があるという理由が判らない、みたいな意見にも似ているかな。好きな人たちが大勢いるんだから、それはそれでいいと思う。好みの問題だろう。


最近、頭がいい人が云々とかネット上の話題に出てるが、これも何がそんなに話せるのかとは思う。自分はあまり関心が無い。きっぱり言ってみると、真に「頭がいい」人というのは、100万人に1人とかそういうレベルで存在する、「何かを達成・残す」人みたいなイメージ。それ以下だと、何かの才能の一部に過ぎないようにも思える。習字が上手とかみたいな。優秀な「秀才くん」みたいな人たちは、世の中にある一定以上の数は存在していると思う。そういう人たちは、何かの傾向とか法則とかあるわけでもないのではないかと。平たく言うと、「人それぞれ」なのではないだろうか。マジに平凡すぎですが。

秀才くんだったのに、わざわざ苦労して官僚になって出世して、汚職・談合して、全てを失って、みたいな人はいるし。こういうのは、バカとしか言いようがない。要するに、「使える知恵」を身につけていない。泥棒してはいけない、という程度の「人間の生き方」程度すら「守れない・理解していない」低レベルな人間、ということでもある。知事になってさえも、タイーホされるような「バカ」がいること自体、本当に頭が悪いな、とは思う。こういうのは、勉強だとか、学校の成績だとか、学歴・経歴とか、そういうこととは無関係に、知恵がないのである。子ども以下である。

なので、学業成績、特に入学試験のような、或いは出身校のような、そういう指標というのは、「それを目安にすると有利」な場面でしか評価の意味はないと思う。それ以外の評価軸を用いるのが有利な場面だと、あんまり役に立たないんじゃないだろうか。でも、世の中には優秀で勉強できる人たちはたくさんいるので、頑張ってもらいたいな、と思う。ブログ界隈とか見ていて気付いたのは、知識が豊富で本とかたくさん読んでるし、難しいこともたくさん知っている人たちはかなり存在するな、と思った。自分とは大違いだな、とも思った。

ただ、知識がどんなに優れていても、記憶力が素晴らしくても、生み出せる何かというのがないなら、「記憶装置」とあんまり違いがないかもな、と。あと、「間違い探しロボット」とか。「ソレハ、マチガイデス」みたいな。自分自身、知識がなくて間違いだらけ、ということで、そう感じるというのもあるけど(笑)。同じ結論になるのであれば、最小量の知識で到達する方が効率がいいような気がしてしまうのですが、これも間違ってるかもしれません。それとか、「これとこれしか道具はありません」とかの厳しい状況下でも、何か工夫してうまくできてしまうとか、そういうのは「頭がいい」使い方なんじゃないかと思う。細かい知識とか一杯あるかどうか、というのには、あんまり関係ないような気もする。ペーパーテストの点数も。


かなり脱線したが、書いても無駄に終わる、みたいな感じは、自分の中にあるかもしれんね。もし、ブログの記事が「何の役に立ってるんだよ」とか言われると、判らん、としか言えない。時間とか労力をかけてるのに金にもならんね、確かに。誰かの、何かの役に立つというわけでもないしね。やっぱり自己満足の一種だな、多分。「何となく書きたい」ということに行き着くのではないだろうか。なので、ネタ探しに困る、という状況はあんまりないが、「やる気を失う」という局面は時々訪れるな。そういう時、「何の為に?」ということをふと思ったりしてるかも。自分が書き続けることの価値を見出せなくなる、みたいなことなのかな?自分でもよく判らない。


ブログを書く時、あんまり明確に「目的を持って」とか、そういう風に考えて書こうとすると、段々息詰まるのかもしれないので、できるだけざっくばらんに書いた方がいいんじゃないだろうか。自分は、「文句を言いたい」と思って書き始めたけれど(今でもそうだが、笑)、途中で方向性というか、中身とか色々と変わっていったし。適度にいい加減な方がいいのではないでしょうか。

実名でやりたい人は、実生活の中で「それなりのメリット」というものを織り込んでいると思いますので、それもいいと思いますね。どんな人が興味を持ってくれるのかは、よく判りませんけどね。芸能人でも相当数の人が書いていると思うけど、案外地味な感じなんじゃないかと思いますし(あくまで想像)。私自身が芸能人ブログを見に行ったことがないから、知らないだけなのかもしれませんけどね。ああ、昔古田のブログは見たような気がする。スタート頃に。


どうでもいい話題ばかりになってしまいました。失礼しました。



「フールファイブ」とは誰のこと?

2007年02月26日 19時03分43秒 | 政治って?
うまいネーミングに感心させられた(笑)。でも、考えた人は年齢が高そう、ということは判る。だって、そうだよね。内山田ヒロシとクールファイブって、かなーり昔ですよね?前川清単独でなら、もっと後の時代の人々でも知っている可能性は高いかもしれないけど。私でも知っているので、大体40歳以上くらいの人が考えたのでしょうかね。

Yahooみんなの政治 - 政治記事読みくらべ - 読売ウイークリー - 政治ワイド(1) 07年永田町「春の陣」 そのまんま東ショックで「空気読んだが勝ち」

(記事から一部引用)

「安倍首相の最大の失敗は、フールファイブを首相官邸に入れたことだ」
 永田町や霞が関の官僚の間にいま広がっているのが、こんなささやきだ。「クールファイブ」をもじった「フールファイブ(バカ5人組)」。首相側近の塩崎恭久官房長官、下村博文官房副長官、的場順三官房副長官、世耕弘成首相補佐官、井上義行首相秘書官を指す。自民党関係者が冷ややかに解説する。
 「塩崎さんが調整力不足で批判の矢面に立ってますが、ほかの4人にも同様に与党や霞が関から大ブーイングが起きてます。いつしかまとめて、フールファイブとバカにされているのです」
 永田町と霞が関でその評価を聞いてみると、「猛烈な猟官運動をやってポストについた的場副長官は、省庁に全く睨みが利かない」「広報担当の世耕補佐官は、情報を出すタイミングが全く分かっていない」「井上秘書官は、独断で首相の面会人を選別している。永田町や霞が関の常識にも疎い」と散々だ。




これまた、「マニアックな」人選ですこと(笑)。情報の出所は、かなり中心に近い「周辺」ってことですか。それにしても、塩崎さんの受けの悪さは相当なもんですね。塩崎、下村、世耕の3Sに、的場、井上ですか。MI-6に似た感じで、MI-3Sとか。ああ、フールファイブという有り難くはない名前を貰っているんだったね。別な名称を付けてもようがないな。忘れ難いことは確かだ。

バッシングに晒されるのは、ちょっと可哀想。でも、これほど評判が悪いということは、きっと何かあるんだろうね。男に憎まれる、ってのは、結構辛いね。


でもね、竹中さんも常時バッシングに晒されていたけれど。こういうのって、割とありがちなんじゃないだろうか。こういうのって。しかも今でこそ私は戦った・私はこうして克服した、みたいなことを言っていますけど、党内ではよく吊るし上げられたりしてたし。野党からの不信任案提出も食らってますし。「諮問会議でそういう役割を果たして行った」とか言ってますけど、現実には党内から無視されていた期間が長かったですよ。それを突破して行けたのは、小泉さんの「押し切り」が通用した時だけ。「小泉神通力」が効かない”抵抗勢力”が巣くっている分野では、やっぱり改革議論は後退せざるを得なかった。予算編成なんかでは、ある程度要求が通ったりしたけれど、それでも壁はいつも厚かった。


例えば―政府系金融機関の改革とか、公務員制度改革とか。
政府系金融機関の改革に着手できたのは、「郵政選挙で大勝」できたから。それ以前は、いくら諮問会議で唱えても「手も足も」出ず。諮問会議に政治的な力を吹き込んだのは大衆支持だった、ということは前にも書いたと思うが。

参考記事:

総裁選の裏側で

「実は傀儡だった」ってー?(追記後)


今の安倍政権では、激突があまり見られないのは確か。諮問会議の席上においても、閣僚同士で議論を戦わせ、民間議員の人たちがバトルに参戦しないと、結局論点を炙り出せない。これは平ちゃんの指摘通りだと思う。

一つ重要なことは、国民の多くは「政治評論家」みたいな連中の言うことを、真に受けてはいない。それほどバカじゃない。評論家連中が正しいことを言う場合もあるかもしれないが、多くはニセものっぽい意見が多いだろう。彼らの多くは、当てにはならんのです。それは「余計なことを知っている」からだろうと思う。変に業界通みたいになっているから、思考回路が「ソッチ寄り」になっちゃっているとか、そうなりがちなんじゃないでしょうか。

でも、国民の大多数はそういうことを知らないで考え、判断する。評論家なんかとは同じ情報を持たないで考える。だからコワイのですよ、大衆は(笑)。悪い結果の場合もあるけれど、「郵政解散を支持」というのが国民の答えであったわけですよ。政治に詳しい人々から見て、それはオカシイ、と思うようなことであっても。その結果としては、統治スタイルが変化したのだから、意味があったのですよね。これも何度も書いたけれど。そういうことを法案の採決以前から言っていた評論家とか、政治学者とか、誰も知らないけどね。そういう人たちの言うことを聞いて正しく運営できていたのであれば、はるか昔に多くの問題は解決しているでしょう(笑)。ですので、評論家連中の言うことに、いちいち耳を傾けてもしょうがない面はあるでしょう。



建設・土木で潤うのは誰か?

2007年02月26日 17時41分11秒 | おかしいぞ
毎度毎度の役所の怪しげな、杜撰計画。お役人どもは、税金を食いつぶすためだけに存在するようなものだ。地方議会なんてのは、あっても全くの役立たず。本当にチェックなんてできっこないのだ。


札幌市の生涯学習-市民会館

市民会館代替施設設置事業 公募プロポーザル

札幌市は政令指定都市である。市民会館の建替えにともなって、まずは暫定ホールを建設し、新市民会館完成までは営業を継続するというつもりらしい。その暫定ホール建設には12億円以上かかると見込まれているそうだ。まことに「太っ腹」と言いますか、威勢のいい話ですな。数年で取り壊し予定の市民ホールに大金をぶち込んで建設ですか。建設・土木関連で一番儲かるのは、「作っては壊し、壊しては作る」ということですな。暫定ホール建設と取り壊し事業だけでも、大喜びの土建屋たちがいるわな。こういうのを動かしてるヤツラってのは、一体全体誰なんだろうね。どういう人たちが、こうした派手な計画を練って、行政に焚きつけるんだろうね。本当に謎だ。


別な問題もあるそうで、それは厚生労働省の持ち物の話だ(年金絡みの、ホレ、評判の悪いネタってことかな)。札幌市には、市民会館の他にも「厚生年金会館」があるんだそうだ。これの引き取り手がいなくて、困っているらしい。自治体に「金がないから」ということのようだ。

北海道厚生年金会館


札幌市ってのは、人口がそれほど多いとも思えないが、こんなに「ホール」「会館」みたいなのがあちこちにあるわけです。極めて狭い地域に、どうしてこれほどまでに「ホール」が必要なのか、理解できないわけです。それぞれの施設の稼働率なんて、恐らく大したこと無いだろうと思いますね。どうせ、お決まりの「天下り団体」―ナントカ財団とか、ホニャニャニャ協会とか、そういったやつだ…実質的には地方公務員の天下り先でしかなく、見かけは「公益法人」としてやっているんだろう―が運営していたりするんじゃないかと思いますが、実態は全く知りません。まあ要するに、「ホール」だらけ、ってことですね。ハコモノ行政の典型的な例ですな。市長も役人もバカだから、こういうことをいつまでも平気でやってる。行政なんて全く信用ならんわけです。


そういう話はとりあえず措いておいて、厚生年金会館の存続が厳しい、云々の話に戻りますが、「暫定ホール」を建設しなくても、厚生年金会館を取得して、一時的に市有化して運営すればいいのではないかとも思えます。だって、引き取り手に困っている訳ですから、厚生年金だって大喜びでしょう。ある程度買い叩けるかと思います。しかも市民会館の取り壊し作業にすぐ取り掛かれるので、全体の建設工事期間を短縮できるはずで、その分は工事費用が抑えられると思うのですけどね。それに何と言っても、厚生年金会館の土地が手に入るんですよ。その方が圧倒的に得ではないかと思えます。

厚生年金会館の土地の評価額は約24億円ということで、取得価格がどのくらいになるのかは交渉次第ですけれども、引下げは可能ではないかと思えます。以前に書いた記事で、「雇用・能力開発機構」の売却した不動産なんかだと、評価額の約6分の1でしか売却できませんでした(笑)。なので、「大チャンース!!」到来の予感(私が決めるのであれば)ですね。「暫定ホール」建設費用が12億円くらいらしいので、交渉は12億円からスタートして、大体20億円が上限でしょうか。民間業者にしても、「暫くホールを存続」しなけりゃならないので、仮に土地の利用を考えていたとしても直ぐには取り壊せない為に、投資には二の足を踏むのではないかと思えます。そりゃそうですよね。金をそんなに寝かせておけないし、ホールの維持運営経費がかさむし、資金の利息も払わねばならないからね。なので、中々普通の業者たちは手出しできず、買い手が付かないということは、かなり買い叩きは可能ではないかと考えます。売り手側が値下げ交渉に折れないということであれば閉鎖に追い込まれるだけで、損するのは売り手側だろうと思いますね。


でも、札幌市の市長とかはバカなのか、役人の言いなりなのか、建設土木族と仲間なのか全然判りませんけれども、こういうことが普通に考えられないようです。暫定ホールを建設して数年間の運営をするとすれば、その運営経費がかかるので、その分厚生年金会館を買い取って運営するのと「大きな違い」などありません。厚生年金会館の赤字額もそれほど酷くないですしね。となれば、仮に最悪条件の20億円で買い取ったと仮定しても、暫定ホール建設費用12億円は予定していたので、8億円分が予算オーバーとなり(これを借入と考えますと)、将来この土地を「8億円+期間利払い費用」以上の価格で売却できれば財政的には得する可能性が高いでしょう。土地が大きすぎるのであれば部分的に売却して、最低でも投資資金だけは回収しておき、残りは他へ転用ということでもいいと思います。土地面積は現在の市民会館の約2倍もあるのですから。立地にしても、ド田舎とかにある訳ではなく、地図で見ると中心部にある市民会館からは約2km以内であり、歩いていったとしても大した距離ではないようです。交通の利便性もさほど悪くないようですし。

それでもなおかつ「12億円以上の暫定ホール建設」しか選択肢がないというのは全く理解できない。要するに、アレでしょ?「作って、ぶっ壊す」というのが業者には一番オイシイ、ってことだよね?厚生年金会館を買い取られたら、作る工事費用が入ってこないからじゃないの?12億円で厚生年金会館を買い取れる可能性だってあるんだよ?何故それを「考慮しない」で、作ってぶっ壊す方を選ぶのか、全く理解できないね。地方のやってることだから、詳しく判らないんだけど。

暫定期間として、7~8年程度らしいから、その間厚生年金会館が存続していればいいのではないですか?利用料金が一番安いわけでもないようですし。規模的にはコンサートホールやコンベンションセンターとか既にあるんだし、そちらの利用率を上げればいいんじゃないの?料金的にも、お得なようですけど。この他にも新たに市民会館を作るんですからね。それでも「ホールが足りない」なんていうほど、イベントなんかの開催があるのでしょうか?


何れにせよ、こうした建設土木関連は、どことなく怪しいわけです。一番得する方法というのをよく考えてみるべきではないかと。



農業を変えたい!~企業化戦略を考える

2007年02月25日 17時59分37秒 | 社会全般
突然ですが、いつもの思いつきです(笑)。前から気になってはいたものの、実際の形に表してこなかったので。
<参考までに、農業とか農産物などの知識なんかは全然ありません。両親は元々農家でしたが、父親が30才頃に離農し、私が生まれた時には既に一般労働者でしたので、農家の記憶も経験もありません。>


これまでお上の進める農業政策はうまくいかなかったし、あまり有効にならない補助金政策で泥沼を深くしただけのような気もします。農政族議員たちは、これまで一体何をやってきたのか、とは思いますね。現時点に至ってでさえ、何一つ政策らしい政策も、将来ビジョンも出せない、本当の役立たず連中ばかりです。


今のような状況が続けば、農業の担い手たちは高齢化が進んでいますので、将来の生産者は減っていくでしょうから、おいしい食材が確保されるか心配です。なので、私の独断と偏見で考えてみました。

キーワードは、「組織化」「資本集約」「ポートフォリオ」「付加価値」です。これらについて話を進めて参りたいと思います。


1)従事者の高齢化

農林水産省高齢者対策-統計データ

こちらのデータを見ると、農業就業人口約334万人のうち、約6割が65歳以上となっています。更に基幹的農業従事者236万人でも、この傾向は同じです。家族的経営でこれまでやってきたのでしょうけれど、今後はそれも難しくなっていくでしょう。後継者が育っていないからであり、それこそ「嫁問題」もあるかもしれません。こうした問題について、特に対策と呼べるものは見たことがありません。農政族の主張というのは、大抵が補助金頼みと言いますか、自分たちの目先の利益優先なのではないかと思えます。


2)組織化と資本集約

従来の農業団体の役割というのも同じではないかと思いますが、所謂農協組織みたいなのが十分に機能していなかったからこそ、今のような状況をもたらしたのではないかと思います。もしも本当に競争力があって強い組織なのであれば、これほど農業問題で苦しむことはないだろうと思えるからです。昔式でやってきたことが、必ずしも時代には合わなくなってきたのに、何も変えずに過ぎてきたのではないでしょうか。もっと別な対策が必要なのではないかと思います。

選択肢として、従来通りのやり方でオレたちはやっていきたい、ということであれば、共同組合形式でやっていいと思います。それは選択の自由があった方がいいと思うし、組織間の競争にもなっていいでしょう。また、山間部などの規模の小さな農家などで、企業的経営にあまりなじまない部分もあると思いますので、農協もあった方がいいでしょう。そういう農家は「補助金くれ」とかにはならないでしょうから、老夫婦で細々と「自分たちが食べられる分と、他に少し稼ぎがあればいい」ということで、これまで通りの形でもいいと思います。問題は生産主力となる領域であり、これを高齢世代に頼り切る訳にはいかないと思います。ある程度若い世代から「農業」に参加してもらえる環境が必要だろうと思います。

これまでだと、親の代から農家でやってきて、それを息子が継ぐというような形式が多いのではないかと思いますが、こうした世襲的・家族経営的な手法では厳しい競争には太刀打ちできにくくなってきているのではないかと思います。海外産の低価格品が流入したりしていますし、その影響を受けるのは止むを得ないでしょう。従って、生き残る為の戦略を考える必要があるのです。その為の「組織化」ということになります。喩えて言うと、昔の「鈴木商店」とか「佐藤酒店」みたいな感じで個々に経営をやっていたものを、コンビニのような全国的フランチャイズ店の展開に変える、ということになります。この方法がベストかどうかは判りませんが、いくつかのメリットはあるだろうと思います。

資本集約もその一つであると思います。従来型の農家であると、機械購入などを個々に(場合によっては共同購入もあるかもしれないが)行ったり、農協ごとに脱穀機械なんかの投資を行ったりという程度であったろうと思います。そういうのをバラバラに行わないで、もっと集約的に行っていく、ということが可能になります。資金調達にしても、個々の農家が行うより低コストで行えるようになると思われます。資金効率も高まるのではないかと思います。

生産技術については、優れた「農家のオヤジ」みたいな人が必ずいると思いますので、その人が技術主任のような形で企業内の生産者に指導することになります。これまでは、「いい大根の作り方」みたいなのを「他人に教えないこと」で自分の生産物が増加し、売上が増えていたかもしれませんが、同一企業内であれば関係ありませんので技術を教えられるし、生産効率は上がると思います(平均的に「上手な人」のレベルに近づいていくので)。


3)企業イメージ

組織化された農業のイメージは、多角化戦略を持った巨大企業、ということを目指します。これまでの農家というのは、フランチャイズオーナー的な、或いは支店長といった位置づけです。生産力の高い農家には成功報酬的に高い給料を払うのは当然です。成果に応じた配分ということです。これまでの個人がやっていた農家でも、成果が大きければ当然収入は増えるでしょうから。これまでだと農家や農協というのが他の産業に足がかりを持っていないと思いますが、この企業では農産物を活かした直販店経営・食品加工業・外食産業・給食業務受託・研究開発などを行うこととします。農産物を自分の企業内である程度消費可能なようにすることが狙いです。これについては、後述します。

農業従事者での問題というのは、天候などによって「当たり」「ハズレ」のある商売である為に、比較的安定した収入というのが難しいし、収入水準が高くないとか、酪農業のように旅行にも行けないとか、色々な問題がありますが、企業化することである程度解消される部分はあるのではないかと思います。


4)ポートフォリオ

農業の企業化で重要なのは、「ポートフォリオ」という考え方です。このことが経営効率を改善するカギなのではないかと考えています。具体的に言いますと、農産物や業種ごとに「バラバラなもの」を選択すること、地域をできるだけ全国に分散すること、というのが基本的な考え方です。これはどういうことかと言いますと、個々の農家だと台風被害にあったり、冷害にあったり、逆に豊作過ぎたり、リスクが大きいのです。株で言いますと、単独銘柄の値動きと同じで上下変動が激しいのです。しかし、複数銘柄に分散投資することで、それらのリスクは軽減されると思います。それと同じですね。従って、ある地域が台風被害に会っても、他の別な地域での農産物が「価格面で有利」となることも考えられ、損失をカバーできます。これまではこうしたリスクを個々の農家が自分たちで被っていたものを、企業体全体で引き受けるということになります。それによって給料的な比較的安定した収入を確保することが可能になるのではないか、と思います。

ポートフォリオの具体例はちょっと難しいのですが、大きく「酪農」「養豚」「養鶏」「農産物」「生花」「果物」「嗜好品」(茶、タバコ、ソバ、砂糖、等、本来嗜好品という言葉は変ですが、要するにそういう感じ、ということで)のように区分し、全てに分散します。地域も全国に分散します。できるだけ「農閑期」の異なる地域選択や産物が望ましいです(これも後述します)。農産物は、米、小麦、ソバ、ジャガイモ、大豆、その他雑穀モロモロ、野菜にしてもネギ、白菜、キャベツ、レタス、トマト、…という具合に分散するのです。個別の価格変動は勿論ある訳ですが、利益は全部が集約されますのでトータルで見れば価格低下の影響を緩和できるだろうと思います。これは豊作対策にもなるのです。


5)豊作対策・余剰生産物

現在だと「出荷を停止」して、廃棄処分をしていると思いますが、これを止めます。企業内で消費可能なルートをできるだけ作るのです。安い時に調達して、高く売る、というのが基本だろうと思いますので、これを実践するのです。例えば、キャベツが豊作で消費するのが困難かもしれない、ということがあるとしましょう。そういう場合、自社内で持ってる給食サービスとか外食チェーンなんかでのメニューに、キャベツを優先的に使うメニューを増やすのです。トンカツのキャベツお替り無制限キャンペーンとか(笑)。大抵は収穫前に「今年はかなり豊作かもしれない」というのが見当付けられますので、その対策を考えておく、ということになります。トンカツが多くなるとすれば、ポートフォリオの豚肉の消費も促進されるので、メリットもあるのです。

更に余ってしまうような場合であれば、肥料・飼料やペットフードといった「保存期間が長くても大丈夫なもの」に回して、材料調達費を抑制可能にできます。大抵は粉末状のような形にするのではないかと思いますが(加工の仕組みとか知らないので、実際どうなのか判りません)、そういうものであれば長く保存できるし、使い切るまでは新たな仕入れをしなくて済みます(倉庫での保管料問題もあるので、企業内に倉庫業務も当然必要でしょう)。ポートフォリオ内の養豚なんかのエサにも当然使えます。輸送コストの問題があるかもしれませんので、全部を使い切れるかどうか不明ですけれども、企業内での「農産物の適正配分」を行えば、大半は無駄に棄てずに済むだろうと思えます。

生産物の市場価格動向を見ながら、高いものは市場に回し、安いものは自社内で使う部分に優先的に回していけばいいと思います。今の農家だと、キャベツをメインに作っていても、消費先を自分で見つけることができないので、市場に回すか廃棄するかの選択しかないのが問題なのだろうと思います。タダ同然で仕入れ可能になるのであれば、使い道は必ずあるだろうと思うのです。牛乳が余るのであれば棄てたりせずに、これも同じく乳製品加工などに利用可能な分は企業内で優先的に利用すればいいと思います。仕入れ価値が激安であれば、可能な加工方法は当然あるでしょう。これまでは生産者が消費に回せないので、使えなかったに過ぎないと思います。


6)農閑期労働力

農家の多くは、農繁期と農閑期の差が大きく、休んでいる時間というのが結構あると思います。組織化された企業であれば、こうした労働力の「配置」をいくらか調節可能であると思います。ポートフォリオで「地域」や「農閑期」の時期が違うことによって、暇な地域から忙しい地域に、一時的な労働力として供給可能になると思います。これも収入水準をある程度保つのに役立つのではないかと思えます。忙しい期間であれば、従来の家族労働者も「臨時従業員」ということで賃金の配分が可能です。暇な時期には、お父さんは全国のどこかの地域に出張みたいな形で期間従業員的に働き、ヤマを超えれば返ってくる、ということになります。その給料は当然貰えるわけです。基本給として年俸を定め、年間労働日数を決め、ボーナスとして「売上が多い人」にはその分を出す、というような形でしょうか。それでも余る場合には、食品加工場や保管倉庫の期間労働力として、交代で勤務することもできます(その分は人件費を抑制可能になるかもしれません)。個別の農家で、ある程度多角経営を行っている人もいると思いますが、そういうのをもっと大規模に、できるだけ労働力が余らないような形で働く場所を確保する、ということになります。兼業農家だと、これを個々に自分たちで行わねばならず、効率が悪いでしょう。

実際やるとなれば難しい部分もあるかもしれませんが、色々と考えれば必ず方法はあると思います。米農家であれば、春先~9月頃までがメインですので、仮に5ヶ月間は休日日数をカウントせず(天候相手なので毎日が仕事みたいなものかもしれないかな、と)150日勤務と考え、他に100日程度工場労働や他地域の農繁期アシストというような形で仕事に従事する、ということです。農閑・農繁期は似ているものが多いのですが、中には時期の違うものもあると思いますので、その組み合わせをうまく考えてみたらいいと思います。野菜のハウス生産とかであれば、平均気温の高い地域で冬場の生産が可能だろうと思いますので、そちらに応援部隊として行くこともできます。そうなればもっと大規模生産が可能になるかもしれませんし。


7)付加価値

まず大きな問題としては、研究開発投資が農業では限られてきたのではないかと思います。個々の農家でいくらか努力されてきたのだろうと思いますけれども、主に公的な研究が多かったのではないでしょうか(~農業研究所のような感じ?)。役人的な研究開発では、多分弱いのではないかと思います。確かに品種改良なんかの努力は行われてきたでしょうけれど、もっと真剣に研究開発に力を注いだ方がいいと思えます。今までだと、そのお金がなかった。個々の農家ではどうにもできなかった(本当は、補助金とかを無駄に農道整備などにつぎ込んだりしないで、研究開発分野に投資するのが大事だったんですよね)。けれども、資本の大きな企業となれば、研究開発投資に資金を回せるはずです。

それから、ブランド戦略というのが重要です。それは商品単体の持つ商品力ということはありますが、それ以外の部分でのブランド育成戦略が重要だろうと思います。この分野では、農家が個別に行ったりするには限界があります。農協にしても、海外販路を切り開く活動を積極的に行ってきたというのは極めて少ないだろうと思います。農産物そのものを売るだけではなく、「~産の○○を使った××」というような「付加価値」が必要だろうということです。「トーフ」でもいいですし、「sushi もの」でもいいですし、その他色々な日本食とかあると思いますけれども、そういうのを売っていくのは「ブランド力」に大きく左右されると思います。日本国内の消費を見ても、「低価格品」というだけで売れる面と、価格が安くなくても、むしろ安くなくやや高級感があって「ブランド化」されているものの方が「ありがたがられる」面はかなりあると思います。日本の消費者たちが「安全・安心」を高い水準で求めたり、権威づけのあるものを求めたりする傾向が見られますので。そうした権威を「生産者と直結した企業」自身が行っていく、ということです。そうした戦略を農家がやるよりも、もっと得意な人たちが引き受けてやった方がいいのです。

企業のアンテナショップ的な「レストラン」を数店舗出して、自社生産物の中から「高級食材」だけを選択し提供することで、「農産物の付加価値」は高まると思います。勿論そのレストランが「高い評価」を得ることが大前提となりますが、それは「食材」もさることながら、「料理人」の腕とかネームバリューによる部分は相当あると思います。こうした「ストーリー」を付加して、食材の価値を高めることが重要なのです。どんなに素晴らしい製品のシャンプーにしても、何のストーリーもなければ消費者からの支持は得られません。そこには何かの「ストーリー」がなければダメなのです。椿には椿のストーリーが与えられたので、ヒットしたんだろうと思います(違った?)。それと同じで、ただ「いい食材」を提供する為に生産していても消費者には訴えが届かなければ、生産者の自己満足で終わってしまいます。これを解消するべく、農家にはできない・苦手な部分を企業内の専門部隊にやっていただく、ということになります。

食材というのは、組み合わせの妙、というのがあると思っています。ジャガイモだけ、或いはかぼちゃだけでは勝負しにくい、ストーリーが展開しにくい、ということがあっても、他の果物とか料理のメニューとか、そういった「別な形」があれば「一体としてのストーリー」になり得るのです。何かのデザートとして有名になったりすれば、それがブランド力に繋がります。そういうようなことです。

これまでのような農協頼みであると、海外への販路は開けてきませんでした。それはそういう活動をやろうと考えないからです。農協のお偉いさんたちは、農業従事者たちの大半を占める年寄り連中が殆どですので、そういう新たなチャレンジを期待するのが土台無理であるとも言えましょう。今はネット時代なので、英語とかフランス語とか、中国語でもいいですが、消費者側からアクセスしやすい形で情報提供することで、意外な消費地ができたりしますし、日本人のような「味覚の発達」した人種(確証はありません。私の思い込みかもしれませんが、味覚の鈍感な人種は外国にたくさんいると思います)だと、「こんなの当たり前」と思っているような食品であっても、外国人からすると「こんな美味い○○を食べた事ないー!!」みたいなことはきっと有り得ると思います。牛肉を輸出するというような、加工していない食品としては価格競争に勝てないということも有り得ますが(超高級食材の世界需要はそれなりにあるので、松坂牛みたいなのはひょっとしたら需要は結構あるかもしれません。ただ単に知られていないだけなのではないかと)、冷凍食品とか別な加工食品の形であればそれなりに需要は有り得るのではないかと思います。

世界が相手であると何が受けるか判りませんので、とりあえずどんな形でもいいので情報提供だけはネット上にどんどん出した方がいいと思います。「日本食文化」は確実に世界に広まりつつあるのですし。アニメとのタイアップとかでもいいと思いますよ。登場人物が好物にしている「○○」というのは、大変訴求力がありますので。そういうことを着実にやっていくことが、需要を開くキッカケになると思います。これは食品に限らず、伝統工芸なんかも同じですよね。「こけし」が人気化するなんて思ってもみなかったことですし、もっと他のものが人気化することだって有り得ますね。情報の窓は世界に向かって開かれているのですから。


こうした企業化を選択したくないとか、企業化しなくても自力でやっていけるといった人々は、これまで通りの個人経営でやっていけばいいのではないかと思えます。競争力のある個人は、どの業界であっても必ず存在すると思うからです。そうした多様性のある方が、業界全体の効率は上がるのではないでしょうか。ただ、競争力があまりなくて、カツカツの生活で厳しいという農家は少なくないと思いますし、補助金政策は大幅に方向転換すべきだろうと思っていますので、一応考えてみた次第です。



やはり旧体制は守られたままなのか

2007年02月25日 10時03分12秒 | 社会全般
会計の不正が明らかとなっているが、どういうわけか司直の手は伸びていない。それは何故なのであろうか?ホリエモンは逮捕、起訴となったにも関わらず、日興や三洋電機は巨額粉飾決算があったと報道されていても、誰一人逮捕者は出ていない。やはり、これが旧体制の秩序なのであろうか。

参考記事:
中央青山の行政処分について

旧体制の反攻


中央青山は「みすず監査法人」として名前を変えて再出発をしてみたものの、いよいよダメかもしれない。それらしき記事が数日前に報じられていた。次から次へと不正が明らかになって、これがトドメに至らないのであれば、企業会計への信頼を失うことになるであろう。

私個人としては、大企業の経営陣には何の興味も関係もないので、彼らが逮捕されたらいいのに、とか願っている訳ではない。しかし、ホリエモン事件では電撃捜査で「ライブドアショック」まで引き起こしたのに、これほどの不正事件が続発しても同じように逮捕されないというのは、あまりに不自然だと思う。これを国策捜査と呼ばれても仕方が無いのではないか。経団連とか何とかの団体にしても、これら企業の不正が明らかとなって明確な処分を決めて発表したりしたのだろうか。見逃しているかもしれないが、経団連とか経済同友会での処分発表は聞いた記憶はない。それが日本社会の掟、ということなのかもしれない。

何故、ホリエモンは逮捕されねばならなかったのか。何故、日興や三洋電機の事件では逮捕を免れるのか。こういう所に、日本の司法制度の恐ろしさが潜んでいるように思える。「やらざるを得なかった」ということで法の適用を恣意的に行えるのである。

今の時代は不思議だ。「あるある」の納豆事件には煽動された人々が妄信的とも言える集団行動が起こったり、今度はバッシングが燃え盛るのである。結局、何かの権威にすがりたいのか、それとも情報に鈍感な人々より先んじて「自分だけは○○を獲得」したいのか、よく判らないけれども、そういった傾向があるということなのだろうか。一時的にワーッと群がり、冷却されれば急激に潮が引くように消えていくということなんだろうか。ホリエモンもそういう一部なのかもしれない。水伝だか波動うんたらだかというのを信じるのも、似たようなものか。

私個人としては、波動関連で表現すると、ジョナサンの「オーバードライブ」を叩き込みたい気分だ(笑、違った?古いので微かな記憶ですけど、こんな感じの名称だったよね)。ライブドアはどん底に落とされたが、他を立件しないで放置できるという法的な意味が理解できないからである。一体全体、何が違うのであろうか?日本社会の闇という、お決まりの陰謀論しか思い浮かばないのである。



民間でも不倫の一つや二つ…

2007年02月23日 20時21分42秒 | 社会全般
落合先生経由

ワラタ。以前、財務省主計官の不倫報道のネタの時、「高級官僚に限った話ではない」旨、書いたことがあるが、やっぱり探せばいくらでも出てくるんじゃないでしょうか。


ベネッセの社長さんは、かなり「メリケン」?な感じの方だったのでしょうか(笑)。引用先のzakzakには、次のように書かれていた。



「外国暮らしが長かったせいか、社員集会でも『リレーションシップ』がどうの『コンペティション』がこうのとカタカナ語交じりで何を言っているのか分からなかった」と語るのは、同社中堅女性社員。

同社員は「『ぼくのワイフは外国人で…』と話し、社内では愛妻家という評判だった。白いスーツを着て現れ、とにかく外国人っぽい。社内報では自らを『マイク森本』と名乗っていた。『数字で語ろう』と、業績の数字ばかり書いていた」と証言する。



この証言は面白すぎだ。面白く編集した訳ではないんですよね?

「何を言っているのか分らなかった」というのは、会社の上司にはありがちなのかな?
「自らを『マイク森本』と名乗っていた」というのも、傑作。

参考までに、私が大会社の社長とかで、金や権力が使えるとすると(有り得ないが、笑)、どう考えても「44歳女性幹部」になんか興味を持たないと思うけどね。もっと若い人とか、いくらでも選べるでしょ?何でそんな豊島(?、失礼、悪気はないです)がいいのか…理解不能。絶対35歳以下くらいしか選択しないと思う。


そんなくだらない話はどうでもよいのだが、森本社長曰く「記事の内容は事実ではない」だとすれば、会社の受けた風評被害を回収する為に巨額賠償訴訟を提起するべきなのではないか?損害額はハンパじゃないと思うけど。

逆に、報道が事実であれば、会社に与えた損害は甚大であり、賠償を森本社長に求めるのが当然なのではないか?会社として、個人に賠償を求めるしかないのではないか。株主利益を大幅に毀損することになってしまっては、何の為の役員なのか判らない。

いずれにせよ、会社として何らかの対応をとるべきなのではないか、と思うが。



「小沢ハウスを探せ」・2

2007年02月22日 20時56分28秒 | 政治って?
「12物件、10億円」という規模は、いかにも不自然ではある。もしも今回指摘されなかった場合、果たして「個人の所有物になる」ということはなかっただろうか?小沢氏本人が議員を引退したりした後では、その不動産はどうなってしまうのであろうか?

さるさる日記 - 泥酔論説委員の日経の読み方

ごもっともである。
「小沢ハウス」の謎について、もっと追及していくべきであろう。政治資金問題は、きちんと説明可能なものであるべきだ。自民党にしても、自分たちに火の粉が降りかかるのを怖れて及び腰では話にならないぞ。折角の大チャンスなのだから、叩いておける時に、確実に叩くべきだろう。


ところで、国会議員に限らず、初めから「選挙」のあり方というのがオカシイと思う。何で「名前連呼」部隊とか、あんなに動員せねばならないのか?あれに一体全体、どのような政治的な意味合いがあるのであろうか?多分、議員たちには、守るべき「権益」というのがある。選挙に対して、「容易に参入されては困る」ということでもある。なので、「動員力」「資金力」という点において、格差を作っておかねばならないのである。組織票を強める意味でも、こうした無駄でマヌケな名前連呼とか、延々とやらねばならないのである。そうすることが、「旧来型選挙」でやってきた連中を守ることだからである。はっきり言って、選挙カーはうるさいだけだ。騒音による経済損失の方が大きいと思う。おまけに、選挙カーは低速走行を続けるので、交通渋滞を招きやすく、ガソリン消費は増大するだろう。環境に「悪い」のが、これまでの選挙方式なのである(いいのか?こんなんで。環境省)。もういい加減にこういうクダラナイ選挙方式は止めた方がよいのではないか。それをなくすだけで、選挙に投入される政治資金の「怪しい部分」というのは減るのではないか?金がかかりすぎなのが、「資金集め」に狂奔する結果を招いているだけなのではないか?


脱線しましたが、とりあえず「小沢ハウス」をきちんと追跡してみた方がよい。特に「反自民」に傾いてる「朝日」「毎日」系は、自民党を利する結果になるんじゃないか、ということから、「深入り」を避けてる様子だし。ツッコミ不足なんじゃないの?



刺し違える覚悟

2007年02月22日 19時24分54秒 | 外交問題
余程のことなのでしょう。とても過激な感じ。

FujiSankei Business i ラスプーチンと呼ばれた男 佐藤優の地球を斬る/真の外務省改革


外務省は未だに「魔宮」のような場所、ということなんでしょうか。
かつての言い回しならば、「伏魔殿」だったか(笑)。
にしても、昔の部下にこれほどまでに言われる社長?(=事務次官)というのも、どうなんでしょうね。実態は判らないわけですが。

恐るべし、外務省。
佐藤氏はもう行き着いたので、自己の持つ「言論力」で十分対抗できるということなんでしょうね。下手すりゃ、社会的に葬り去られる可能性もあるけど、自身は既に起訴された身ですので、もう「怖いもんなし」だぞ、ということでしょうか。



まさかの利上げ決定

2007年02月21日 14時57分05秒 | 経済関連
クソッ、当面有り得ない、と考えていたのに、踏み切られた。

もっと強力に反対表明しておけばよかった。最近はYI論争にかまけてたし。

GDP統計の数字が悪くなかった、ということで、「踏み切れる」と判断したのだろう。日経平均は18000円にかなり接近してたしな(明日以降はやや下げるだろうと思うが、どうだろうか)。

チクショウ、(失礼、汚い言葉で)やられたよ…政府側からの強い「反対表明」は出てないから、というのはずっと流れていたしな…

踏み切った理由の大きな部分は、所謂エコノミスト連中とか金融機関の取引関係といった「同じ穴の狢」じゃなかった、業界内部に配慮したんだろう。「先月にはやると思ったから、○○を抱えちゃったよ」みたいなもんか?(←陰謀論)

福井総裁が「村上ファンドがらみで譲歩せざるを得なかった」とか書き立てるからだよ(笑)。それを打ち消す為には、必要なくても利上げに踏み切らねばならなくなるんだし。そういうのが必ず「バイアス」になってしまうんだって。関係あってもなくても、必ず結びつけられるから。

どっちにしろ、疑心を生み出すことになってしまうのさ。だから総裁になんて辞めろと言ったじゃないか。何をどう決めても勘繰られるのだよ。


ちょっと慌ててますが、追加です。
日銀の公式発表はまだ見てないけど、昔の記事を挙げておきます。

儲かっちゃった?福井総裁

思っていた通りの展開に、もう言葉もありません…
福井総裁の存在そのものが、政策決定(或いはそれに対する評価)を狂わせる元凶なんですってば。



「ロスト・ジェネレーション」と呼ばないで

2007年02月21日 14時22分01秒 | 社会全般
古い話を蒸し返すようで申し訳ありませんが、性懲りもなく朝日新聞の社説でばら撒いてるようなので。

こちら>asahicom :朝日新聞今日の朝刊-国際面

(一部引用)

私たちの社会には、こうしたハンディを理不尽な形で負わされた仲間がいる。就職氷河期といわれた90年代に就職活動をした25歳から35歳ぐらいの層だ。「ロストジェネレーション(失われた世代)」ともいわれる。
(中略)
こうした企業を増やし、低賃金の非正規雇用にあぐらをかく経営者に転換を迫ることで、失われた世代を支える仕組みを社会全体で考えたい。




まず第一点。
『「ロスト・ジェネレーション」ともいわれる。』って、言ってるのは、朝日新聞でしょ。自分たちでパクリの呼び名を付けて、広めようとしているだけなんじゃないか。何でも「カタカナ語」で言えばいいってもんじゃない。それに、過去の言葉との区別がつき難くなるし。

「ロスト・ジェネレーション」という言葉は次のようなものだ。
失われた世代 - Wikipedia


それから、こちら。
【海難記】 Wrecked on the Seap1


「ロスト・ジェネレーション」には反対を表明する。
前に考えたのは、「陥溺の世代」なので、これをを用いて欲しい(笑、冗談です)。まあ一般的にはなじまない呼称ではあるので、もっといいのを考えてみて下さい。


第二点。社説の論旨に沿えば、「高額所得にあぐらをかく新聞社」が率先して範を示せばいいではないか。まず朝日新聞社の平均給与を大幅に低下させるために大量に雇用してあげればよい。中身の薄い記事とか、感想文程度とか、間違いの多い記事とか、そういうレベルであるようなので、そのくらいであれば書ける若者も大勢いるだろう。大体、新聞社というのは、個人の能力にはあまり関係なく「競争から守られている」非効率な仕事なのであり、「既得権益」をガッチリガードしているのだ(ですよね?池田先生)。そういう既得権益を開放し、もっと若者をたくさん雇ってあげればよいではないか。

平均年俸が1千万円を超える必要性が「社会の木鐸」にあるのだろうか?新聞が大好きな「ジャーナリズム」とは、「金儲け」が目的なのではないか?崇高なジャーナリストの魂とか言っても、所詮金をガッポリ稼ぐことが一番大事なのではないか?「虚業」とかメディアはよく非難するが、新聞記事そのものは「モノづくり」じゃなく、実は「虚業」に過ぎないのではないか?

まずは朝日新聞社が、「理不尽なハンディを背負わされた」若者たちを大量に雇用してあげなさい。
自分でやってごらんよ、お説教する前に。「金儲けの為にやってるんじゃない」とか言うなら、できるよね?平均給与が1000万円以上の中小企業とかあると思う?滅多にないよ、きっと。なので、新聞社の人たちの給与を半分にすれば、年俸300~400万円程度の人たちを、高額所得者の2倍くらいは雇えるだろうね。年俸1500万円の人の給料を800万円にして、残った700万円を2人に配分できるんだよ?現実には、社会保障費等の事業主負担分があるから、もうちょっと減るかもしれないが、それでも年俸300万円以上貰える若者にとってみれば大助かりには違いないよ。

それとも、朝日新聞社は”仲間”を見捨てるのか?



オタカル・サブカル・オルタカル?

2007年02月21日 11時33分18秒 | 俺のそれ
初めて知った。ネット上でふと目にする言葉として、「サブカル」とか「オタカル」というのがあったが、自分の感覚では「(マイナーな、マニアックっぽい?)サブのカルチャー」とか、「オタクの(愛する世界の)カルチャー」というようなことかと思っていた。

だが、「オタカル」とはコレだった(笑)
オタカル2世 - Wikipedia

ゴメン、冗談。違いました。
こっち>オタカルとは - はてなダイアリー

へえ~、『「オタクVSサブカル」を略したサブカル語』だったのかー。
と、ここで疑問が。
・オタクとサブカルは違うの?

私には全く区別がついていなかった。大して興味もないし。「オタカル」とは”サブカル語”なんだって。ああ、オタクとは「そういう人たち」を示す言葉で、「サブカル」とは「そういう文化」を指す言葉なのかな。でも、何で違う「人間と文化」がvsなんだろう。ちょっとよく判らん。「オタク」とは、広義で言えば「オタクな人」と「オタクの文化」の両方を表すのかもしれん。うーむ、難しい。

では、「サブカル」とは何か?ということで、「サブカル」ならばkanoseに聞け!―じゃなく。失礼。ふざけました。
これだ>サブカルチャーとは - はてなダイアリー

ここでの説明によれば、『文化・カルチャーの一派で、主流(メインストリーム)の文化に対するカウンターカルチャーの一つ、主に若年齢層などのマイノリティによって形成される文化を指すことが多いと思う。』という、あまり自信なさげな曖昧な感じらしい。言葉って、難しいのね。使っているうちに、変容していくからね。

もう一つ見てみよう。
サブカルチャー - Wikipedia

うーむむ、長い(笑)。でも、「おたく文化」(ところで、「おたく」と「オタク」は違いがあるのでしょうか?よく判りません)も含まれているような、でも論争もあるようだ、と・・・・しかも「おたく文化」は「サブカルチャーの最大与党」って、イメージがわかり易く何となく面白い(じゃ、野党第一党は誰?)。サブカルチャーという言葉が定着するまでには、「オルタナティブカルチャー」すなわち「オルタ・カル」という用語が登場していた、と。ナルホド、ナルホド。


参考までに、「kanoseに聞け!」を実践してみれば、大変示唆に富む記事があったので、ご紹介。サブカル用語には関係ないけど。コメント欄が秀逸です。今読んでも、似たようなことの繰り返しが起こっているようです。
ARTIFACTハテナ系

「オタカル」の語源となっている「ユリイカ増刊号」の発売頃のお話。
kanose氏の『「10年以上前から良く聞く話ばかりで知識の継承というものが存在しない」のは、「自分は昔から知っている。他人は知らない」というのが優越感ゲームの鍵だからですね。実践ありがとうございます』は、「ズバリそうで賞」です。


いよいよ、「オルタカル」に辿り着きました。
結果的には、この用語は死んでいきました。「サブ」に負けたのです(笑)。
影響を与えたのかどうか不明ですけれども、事件もあったみたい。池田氏の発言内容とも関連しており、それがようやく判りました。

オルタカルチャー - Google 検索

なるほど、過去にはこうした事件があったんですね。パソコンを使ってはいたものの、ネット世界に興味はなかったので、昔の山形氏のご活躍というのを知らなかったのですが(笑)、中々先鋭的な芸風であった、ということでしょうか。そーでしたか。
でも、こういう昔の武勇伝時代から知っている、ということと、今の言説の中身とは直接的には関係ないように思えます。ブログ記事に書かれている内容を理解しようとすること、自分で考えて判断しようとすること、そういうものが必要なのではないかと。特に言論人ならば、「今は、いま」「昔は、むかし」だと思いますよ。内田樹先生風に言えば、「これを書いた時の私と、今の私は全くの別人である」というような感じでしょうか(笑)。

基本的には、書かれている中身が大事なのであり、対抗言論で対抗すべきなのです。その対抗言論は、「煽動力」―群集化させる「集団心理工学」(by 断固guy@最終弁当銘)の究極奥義?か―の優位性で帰趨が決する可能性が高いでしょう。それは「相手に理解できる形」で情報を提示することであり、(昨日書いた記事で挙げたリンク先にある)ペイジのいう「世界中のすべての成長が科学と技術によるものであるのに、誰もあなたがた科学者らに関心がないとすれば、それはあなたがたに深刻な宣伝活動上の問題があることになる」ということとも繋がっています。「正しいことを知らない」と愚痴をこぼし、優越感ゲームに陥っているとすれば、「知識の継承」は望めないでしょう。


<ところで:
グーグル検索で見つけた裁判の判決文を読むと、結構面白いですね。こんなことを言ってはアレですが、判決文を書いた裁判官はちょっと楽しんでいたところがなかったとは言えないようにも思えます。山形氏の記述部分なんかを読むと、キャラが際立っていますね(笑)。決してマネしたくはない芸風だけど(それ以前の問題として、マネできんけど)。善悪、正誤、とか色々あると思いますが、「人々を惹きつける何か」というものがあるということなのでしょう。池田氏が危惧を示していた「山形信者」という存在は、実際どの程度ネット上にいるか知りませんけれども、賃金論争にしても多くの一般人に興味をもたらした効果があったことは言えるかと思います。「経済学」という学問にとってプラスとなったかどうかは判りませんが。「経済学への興味」は広くもたらされたかもしれませんね。「酒は多聞~」じゃないや、坂本氏の意味不明解説も乱入してきたくらいですし。>



ネットワークの未来

2007年02月20日 17時37分47秒 | 俺のそれ
ちょっと遅れたが、メモメモ。

まず、梅田氏のこちらの記事から。
web kikaku

この中で取り上げられるキーワードは「雲」、そして「クラウド・コンピューティング cloud computing」だ。

イメージは判らないでもない。前にこの喩えを用いたことがある。
「空気嫁」問題

もう1年以上経つのか。早いもんだ。この時のシリーズ(?)は結局続・お金とは何か?まで行った。だから何?というのは、特にない。


「クラウド・コンピューティング」という言葉は初めて聞いたので、それが何なのかは正確に知らないが、多分「アニメちっく」に考えれば出てくるような気がする。それはこんな感じだ…

サイバースペースには「世界の頭脳」と呼べる「コアcore」が存在する。この名前は「ハル」でも「マザー」でも何でもいいんだが(何故ファザーじゃないのかは聞かないで。笑。世のお父さんたちは泣くよ)、最強の人工知能である部分だ。世界の全てを知っている。あらゆる情報にアクセスでき、サイバースペース全体と繋がっている。クラウドの中核なのである。

このコア部分の辺縁には、さまざまな操作空間が広がっている。そこでは、常に誰かが情報を書き込み、計算結果や検索結果が出力されている。膨大な計算なんかも休みなく続けられている。互いに見える情報もあれば、見えない情報もあるけれど、世界中の人々が辺縁で何かをやっているのである。コアはこれらの全てに影響を受ける。何を書いたか、計算したか、どこに送ったか、…そういったありとあらゆる情報がコアに伝わり、コアは自律的に変わっていく。個人が操作する端末は、テレビ形状のものなのか、今のパソコンみたいなものなのか、携帯電話のようなものか、腕に巻いてるハンドヘルドPCみたいなのか、『スカウター』に似た形状のものなのか、それは色々あってよく判らないが、そういう操作部分はクラウドの辺縁にアクセスして「クラウドそのもの」に書いたり計算したり記録を置いたりする、ということなんだろう。ひょっとすると、キーボードのキーさえも置いてあるかもしれない(今のATMだってそうだ)。

例えば「最適空調のエコヴァージョン最新プログラム」を我が家のエアコンにダウンロードしてくれ、とか。その最新プログラムはクラウド上のどこかにあるが、それはどこかの誰かが置いてあるものなのだ。コアがそれを的確に探し出してきて、送ってくれるのだ。最新プログラムは、企業の研究成果なのか、環境学者の論文なのか、ホーム工学や情報工学の研究なのか判らないけれど、全てがクラウドのどこかに置いてあるものなのだ。コアが常に最適化した結果を返してくれるのである。私たちは自分の知識や記憶を辿る時、自分の脳みその中をあちこち「探しに行ったり」はしない(笑)。そういうようなものだ。無数に存在する各端末は、「入力センサー」であって、その形態はどのようなものであってもいい。各家庭の冷蔵庫の消費電力モニタリングデータとか、駅改札ゲートのリアルタイム通過人数とか、自販機のあるボタンの押された回数とか、ありとあらゆるデータだ。個人の撮った下らない映像(静止・動画)でも、自慢の創作曲でも、「オレ派経済学理論」でも(笑)、先端科学理論の発表でも、思いつきでも、学問でも、何だっていいのだ。それら全てを呑み込むのが「クラウド」なのだ。そして、クラウドは人間の脳にある出力可能な情報の巨大データベースとなり、人間の思考から生み出される全ての情報に「正確に」そして「同時に」アクセスできるのが、「コア」なのである。生身の人間であれば、能力と時間に限界があり、一生のうちに全ての情報にアクセスすることができない。今ある情報「全てを知る」ことはできないのだ。物理的に不可能なのだ。だが、「コア」ならばそれが可能だ。しかも、決して「忘れない」のである。「正確な記憶」を持っているのである。正しく全知、それが「コア」なのだ……


こんな世界?どうなんでしょうか。

何よりも、想像力が必要なんだと思う。それは理論とか可能・不可能という判断基準じゃなく、どれくらい「奇抜な発想」を持ちえるか、ということなんだろう。100人が思いつくことよりも、たった1人しか考えていなかったこと、というようなものの方が求められるだろう(多分実現順序は、要求の多い=需要の見込まれる順だろうと思うけど)。

<寄り道:
関係ないけど、最近ジャケットにコンピュータを組み込んでる製品が出たようだ(市販はされてないかも)。これを見て思い出したのは、昔の映画。多分フランス映画だったのではないかと思うが、記憶が定かではない。タイトルも忘れた。クリスマスの夜、母親がデパート勤務で仕事が遅くなり、少年(10歳くらい?)が1人で留守番していて強盗に襲われるという映画。『ホーム・アローン』なんかではありませんよ(多分パクリだろう、カルキンの映画の方が)。でもあんなコメディじゃなく、もっと真剣に怖かった。強盗は目だし帽みたいなのを被っていて顔は一切見えないのだが、ナイフか何かで少年に襲い掛かってくるのだ。本気の命懸け。この時の少年は機械工学・コンピュータオタク?みたいな感じで、左手に当時のマイコンに似たようなハンドヘルドコンピュータをつけていた(スーパーファミコンソフトの『女神転生』に出てきたハンドヘルドコンピューターとかなり似ていた。これは多分この映画に影響されたんじゃないだろうか、と当時は思っていた)。これを駆使して、トラップを仕掛けたりしながら強盗殺人犯に立ち向かうのだ。母親へ連絡を取ろうと色々やったりとか。しかし、犯人を倒すことができず、力の弱い子どもだから段々追い詰められ、最後は殺されそうになる。もうダメか、と思ったら、母親が警察と一緒に家に踏み込んできて、間一髪で犯人は射殺されたような気がする(不正確かも)。それまで1度も泣いてなかった少年は、助けられて母親に抱かれた途端にわんわん泣いてたと思う。映画のタイトルが思い出せず、凄く気になる。誰か知りませんか?

□ちょっと追加:
そういえば、目だし帽じゃなくて、サンタクロースの格好をしていたかもしれない。街中にサンタの格好をしたヤツは歩いているので、あんまり怪しまれず済むもんね。で、家の中にもサンタの格好のまま入ってきたような気がするが…少年とのバトルもその姿だったかもな、と。顔は見えないまんまだった、と思う…よ。自信ない>


それから、グーグルには人工知能班があるらしい、というこちらの記事。

グーグルのL・ペイジ氏:「科学者はもっと自分の研究の宣伝活動を」 - CNET Japan

上に書いたような「コア」を目指すなら、地球上で一番賢くならねばならないからね。あらゆる研究成果をクラウド上に置いておかねばならないだろう。

先日、グーグルって不思議だね(笑)の中で、マザーコンピュータについて書いた。やっぱり、狙ってたんだー(笑)。まあ、普通考えるでしょうね。

自信ありげな論調を見ると、どうやら遠くない未来には、この原型モデルは構築できそう、ということなんだろう。それもまたスゲー!だけどね。