いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「女王の教室」第5回

2005年07月31日 12時37分04秒 | 俺のそれ
「いい加減に目覚めなさい」マヤの強い一言が、カズミちゃんに投げかけられました。テンドウ先生がイジメに遭っていることを告げた時に、「教師が庇えば、余計にイジメられることが判らないんですか。自分でイジメられないように解決するしかないんです」(というような台詞)と答えたマヤは、児童のことをよく知っていての行動だと思った。


マヤに頼りたくなりそうになったカズミちゃんに、敢えて「逃げるつもりなの?自分で解決するしかないのよ」と突き放し、反骨心を蘇らせようとしたのではないのかな・・・と。何故、ユウスケくんの人形とお絵かき歌の絵がどちらもモグラだったのか、判ったような気がする。昨日の中で、「モグラ叩き」のように何度叩かれても、めげずに何度でも浮かび上がれ、という打たれ強さとか失敗にへこたれず挑戦する気持ちを象徴する小道具ということだったようだ。


やっぱり、マヤは常に児童に課題というか、ハードルを与え続けているのではないかな?
最初は代表委員を成績によって選ぶという、クラスの中に明らかな格差を作り出した。そういうダメな奴は自業自得なんだ、自分だけ楽すればいいんだ、というような児童の心を試すためだろうと思う。係りがカレーをこぼした時に、クラスの連中は全て他人のせいにして、誰一人席を立ち手伝おうとしなかった。それを見ていたマヤは、カレーを取りに行かせず、残った分だけを配るというクラス全体への「罰」を与えた。だが、そのことを考える人間は教室内には誰もいなかった。

ユウスケに酷いことを言ったのは、真実を児童達に教え、ユウスケの気持ちを代弁して、ユウスケの本当の友達になれる人間が出てきて欲しかったのだろう。あの時、その傾向にあったのはヒカルちゃんとカズミちゃんだけだった。そういう自らの不利益であっても省みない行動をとるカズミちゃんのことを、先生は信じるようになったのだろうと思う。それに惹かれつつあった、友達のいない馬場ちゃんを見た先生は、敢えて1人だけ強烈な差別をするというシナリオを馬場ちゃんと描き、クラスのみんなが本当にクラス内のたった1人のことを思って勇気ある行動が出来るのか試した。それに応じたのはあの3人だけだった。馬場ちゃんも、先生の本当の狙いに気づかず、友達よりも自分の保身を選んでしまった。

ヒカルちゃんがカズミちゃんを助けた時には、ヒカルちゃんのような「他の人のことを考えてあげられる」という行動に対して、より恐れを抱くような扱いをすることで、児童たちの越えるべきハードルを高くしたのではないかな。それが効いていて、馬場ちゃんの時には、土壇場でみんな怖気づいて裏切った。その試練を越えられたのは、3人だったのだろう。

財布盗難事件で犯人が出てこなかった時に、「クラス全員の連帯責任です」に対して「私は被害者なんですけど」と言った児童についても、「あなたもクラスの一員です」と言っていた。それは、誰かのせいで不利益となっても「みんなが責任を分担する」ということを教えようとしたのだが、それぞれが「自分だけは助かりたい」「責任を逃れたい」という考えが行動・態度に表れて、わざと放置しその有様をマヤは観察していた。


随所にマヤの特徴的な教えが散りばめられており、こうした高いハードルは6年生に難し過ぎるかもしれないが、今まで大人たちはそうした社会のルールや実態について教えてこなかった。現実の実例で、身をもって体験させるという思い切った教育だが、マヤのような完璧な教師でなければ無理かもしれない。だが、家庭や地域社会の中で忘れられてきたことが、強烈な皮肉として描かれており、大人社会の現実もあのクラスと同じように存在するかと思えば、我が身を振り返り反省させられるのである。恐らく、イジメは社会にもあるんでしょうし、人間の心や行動というのはとても似ているんだろうと思うからだ。


這い寄る混沌さん、コメント有難うございます。長かったので、記事に書いてみました。これからの展開が楽しみです。



中国の米国企業買収は失敗か

2005年07月30日 13時17分20秒 | 外交問題
米国は、人民元引き上げの評価が「不十分」という明確な答えを中国側へ用意した模様。ユノカル買収の最後のチャンスだったのでしょうが、二桁(10%以上)を期待していたのに中国側の引き上げ幅が余りに小さく、中国側の「なめた態度」に怒ったというところでしょう。それが、買収阻止条項が下院に続き、上院でも可決されたという意味でしょうね。中国系米国人たちには恐らく独自のネットワークがあるだろうし、経済的成功を収めた人々はある程度の効力を有するロビイストを抱えているはずで、上院への働きかけも可能であったでしょうが、人民元の失望が大きすぎて、さすがに聞いてもらえなかったのではないかな、と。

まずは、読売の報道が先でした。これはCNOOCからではなく、親会社の中国海洋石油総公司の筋からのニュースだったようです。


中国海洋石油、米ユノカルの買収を断念 : 経済ニュース : 経済・マネー : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

上の記事より一部抜粋します。

【北京=東一真】中国海洋石油(CNOOC)の親会社、中国海洋石油総公司は29日、米石油9位ユノカルの買収を断念したことを明らかにした。総公司の対外投資担当者が本紙の電話取材に対し、「ユノカル買収はもう考えない」と述べ、買収断念を認めた。米議会で「中国脅威論」が台頭し、中国海洋石油のユノカル買収計画に反発が強まったため、これ以上交渉を継続しても成果はないと判断したと見られる。


しかし、CNOOCは否定的で、ロイターにすかさずネタを流した模様。この時点では、上院への働きかけがどの程度効いているのか、分ってなかったのではないのかな、と思います。可決しそうということになれば、必然的に買収は諦めということになるでしょうから。通らない可能性もあるということであれば、まだ交渉余地はあるだろう、と。一縷の望みに賭けてみようというところでしょう。

この辺は、石油総公司とCNOOCの情報源が別々に動いていて、もたらされた情報が錯綜していたんだと思います。


Yahoo!ニュース - ロイター - 米ユノカル買収案、まだテーブルの上に=中国海洋石油

この記事より、以下に転載します。

[シンガポール 29日 ロイター] 中国海洋石油(CNOOC)<0883.HK><CEO.N>の広報担当者は、同社が米ユノカル<UCL.N>買収を断念したと一部で報道されたことに関し、ロイター通信に、1株=67ドルの提案はまだテーブルの上にある、と述べた。読売新聞は、CNOOCの親会社、中国海洋石油総公司の対外投資担当者が、同紙に「ユノカル買収はもう考えない」と延べ、買収断念を認めた、と伝えていた。

ただ、CNOOCの周辺では、CNOOCが、米政界で強まる反対ムードを懸念している、との声が聞かれている。ある関係筋は、CNOCCが、買収額の引き上げ、現提案の維持、提案の取り下げなど、あらゆる提案を検討しているが、まだ最終的な決定は下していない、と指摘。「現時点で取締役会は、慎重だ。ワシントンの動きについて、多くの懸念材料がある」と述べた。


でも、やっぱりダメで、上院で可決されちゃった、と。

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <ユノカル>米上院、中国企業による買収阻止法案を可決


許しませんよ、中国さん、という番長米国の態度でしょう。やっぱりですか。

参考記事:中国の米企業買収意欲と為替のこと(追記あり)

ちょっと、いい気味。とか言うと、マズイんでしょうけど。ロイターは、ハメラレタ、と。シンガポール辺りでは、空気が読めないんでしょうかね。

一方、読売は、やったな、と。「ホレ見ろ」というところでしょうか(笑)。



第10番惑星発見

2005年07月30日 11時17分57秒 | 経済関連
第10番惑星は昔から「悪魔の星」のイメージしかなく、子供の頃に読んだウソ臭い読み物などには、「太陽を挟んで地球と全く正反対の位置にある」とか(笑)言われたりしてた。理論上は10番まであるのが妥当、みたいなのが書かれていたように思うが、中々発見されてなかったので、ミステリーネタとか謎とされていたように思う。小学生くらいの頃には、そういうSFっぽいのが好きだったので、あるかもしれないんだな、と思っていた。でも、さすがに地球の反対側には存在しなかったようで、悪魔の星ではないことが証明されて良かったと思う(笑)。

1月に既に見つかっていたんですね、知らなかった・・・

NIKKEI NET:主要ニュース

記事より、以下に一部抜粋。

【ワシントン=吉田透】米航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所は29日、太陽系10番目の惑星を発見したと発表した。新惑星の発見は1930年の冥王星(めいおうせい)以来75年ぶり。 新惑星は冥王星(直径約2300キロメートル)よりやや大きく、太陽と地球の距離よりも最大97倍離れたところに軌道があるという。新惑星は明るくアマチュア天文家でも確認できるとしている。



今後は惑星に名前を何と付けるのか、これが問題ですかね。今まではギリシャ神話の神々が当てられていたので、今度もそうだろうと思いますが、一体誰が選ばれるんでしょうね。ローマ神話の名を持つのも、ガイジンさん達にはいいのかもしれないが、日本人にはややこしく(だって神話そのものが一般的ではない)、いちいち2つの名前を覚えるのも面倒だな。個人的にはジュピターよりもゼウスの方が好きな名前って感じだけど。ネプチューンよりもポセイドンですね、やっぱり。


「ポセイドンは海を行け~」 懐かしいー。
これは漫画『バビル2世』に出てくる3つの「しもべ」の名前で、主題歌にそういう歌詞があったのですね。「怪鳥ロプロス」、先の「ポセイドン」、何にでも変身できた「黒豹(だと思う)ロデム」がしもべだったのです。「バベルの塔」なんて知らなかったし、桃太郎の「きじ、さる、犬」みたいな感じのお供もそれなりに良かった。敵の名前は何だったかな。忘れた。「ヨミ」じゃなかったかな?超能力で「衝撃波」を相手に食らわせるという戦いだったような・・・よく死なないよね・・・まあ、漫画だから・・・


下らないお話を思い出してしまいました。惑星とはまるで関係ない方向に・・・



話題シリーズ6

2005年07月29日 12時51分29秒 | 社会全般
1)「野党議員に告ぐ!」

来週には決戦の日を迎えることになるでしょう。小泉さんは既に覚悟が決まっています。たとえ自らの政治生命が絶えようとも、自民党が選挙で惨敗しようとも、「突入!」指令は変わらないでしょう。


自民党に造反議員がいるのに、民主党にはいないのか?己の誇りを賭けようという議員はいないのか?岡田君も「造反したら除名だ」とか小さいことを言わずに、郵政は通した方がよいぞ。

参考記事:マイナー議員は何を叫ぶ?


社民党も、共産党も、単に野党だからと言って、何でも「反対」に投票すればよいというものでもあるまい。社民党は特にそうだろ。解散総選挙になったら、今ある議席すら確保出来ないだろうし、誰かは確実に犠牲になるぞ。民主党はどこにでも候補者を立ててくるぞ?社民の議席だったところにも、送り込んでくるぞ?それで、勝てるのか?社民党の6票がどれ程の重みを持っているのか知ってるか?たった6票なのに、勝敗を分ける重要な数なんだぞ?現時点で、自民の造反票が10~15、欠席が10以上考えられる。社民単独では通せない法案も、今なら取引で使えるんだぞ?一つくらいなら、自民に要求を通せるぞ、確実に。社民が寝返れば、自民の造反6票を相殺できるから、反対派は10票近く反対票を上積みしなけりゃ否決できないだろう。いつもなら「ハイ、捨て票」となって相手にもされない採決だが、今は全く違う状況なんだぞ?自民党の衆参両議員全員が「社民のわずか6票」の前にひれ伏すんだぞ?それを無駄にしてもいいのか?


共産党もそうだ。参院の9票は「死活の票」となる。何かの要求が通る9票なんだぞ?民主党に同調して「否決→解散総選挙」となっても、都議選と同じように、共産議席は民主か公明に食われる。今ある共産議席が死守できない確率が高いということは、選挙は明らかに不利だ。だが、賛成票に投じれば、選挙を回避でき今ある議席は確保され、尚且つ少なくとも一つは取引に応じてくれるのだぞ?今までどうしても通せなかった議案のうち、何かは確保出来る可能性が高いのだぞ?幹事長覚書などでもいいから、文書で約束しておけば、自民は絶対に反古になんてできないぞ?もし約束を破ったら、国民から総スカン(古い?死語ですか?)だろう。共産党にしてみれば、自民や民主が政権を獲る限り、どちらも似たり寄ったりだろう?民主党なんて、「国連待機軍」として自衛隊海外派遣を恒常化しよう、と言ってるんだぞ?共産党の最も嫌いな政策だろ?憲法改正、9条改正を声高に訴えてるのは民主党なんだぞ?そんな民主党の後に付いていって、反対票を投じても、民主が仮に政権を獲ったとしても共産党の言い分なんて聞いてくれないんだぞ?それでもいいのか?賛成票を投じたくなければ、欠席だけでも大きな効果が得られるんだぞ?自民から大きな譲歩とかが得られるのだぞ?


特に社民、共産の極少数議員しかいないところは、じっくり考えろ。自分達がキャスティングボートを握れるチャンスなんて、滅多にない、大ラッキーチャンスなのです。それをむざむざと見過ごして、永遠に「捨て票」に埋もれるのがいいのか?どうなんだ?私が党首ならば必ず取引する。自民党執行部が応じなければ、何もせずに反対票を投じたのと何も変わりがない。損などしない。国民から「コウモリ」と見られる可能性は少しあるが、国民に有意義な法案か政策を約束させるなら、むしろ拍手喝采かもしれないし。今回賛成に回ったことを理由に、後々の得票が大幅に減ることもないだろうね。元々得票が少ないし、何もしなければどうせ民主党に流れるんだから。


小早川秀秋には誰しもなりたくないと思っておろうが、「天下分け目」の時に自分の立つ位置が分るかどうかで、勝負が決まる。福島党首よ、消滅の憂き目を無為に待つだけで、何かに賭けてもう一度浮かび上がろうとしなければ、解散総選挙で惨敗を喫するぞ?


2)内閣府の学歴非公開

まさかとは思うが、この前余計なことを書いちゃった(経済政策担当の登竜門?)からでしょうかね?違いますよね?「御三家」とか変なことをコメント欄で言っちゃったし。邪推は良くないと思うのですが、思いつきでして・・・ゴメンナサイ。悪気はなかったのですけれども。まあ、私の記事と特別関係ないとは思いますが。

誕生日、最終学歴…内閣府が人事資料で非公表に : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


一部記事より抜粋。

内閣府は、幹部職員の人事に関する報道機関向け発表資料に関し、これまで公表していた生まれた月日、最終学歴、本籍地、公務員採用試験区分を非公表とすることを決め、26日に発表した政策統括官の人事資料に適用した。

内閣府は「行政機関個人情報保護法に基づく対応だ。公表すれば、本人の利益を侵害するおそれがある」と説明している。これに対し、内閣記者会は同日、「個人情報保護を理由に、一方的に公表内容を削除したのは極めて遺憾だ」とし、従来通りの公表を求める申し入れ書を内田俊一内閣広報官あてに提出した。



でもね、最終学歴を公表しないというのは、何故なんでしょうね。人数だけでも公表するとかは?政策統括官だけの話でもないだろうし。東大何人、京大何人、・・・とかって。それもダメなのでしょうか?


尼崎脱線事故―その後1

2005年07月28日 20時48分39秒 | 社会全般
脱線事故前後の経過時間に沿って、再現がある程度進んできたようです。当初、非常ブレーキのブレーキ痕が発見されていなかったことから、謎であったわけですが、どうやら非常ブレーキ作動が破損した電柱に接触直後ということのようです。つまりは、タイムラグを考慮すると、左に大きく傾いて、運転台の眼前に電柱がみるみる近づいてきて、その状態からブレーキレバーを「非常用」に入れたということでしょうか。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 尼崎脱線事故、ノーブレーキで現場カーブ進入か

記事を以下に転載します。

兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、脱線した快速電車(7両編成)の非常ブレーキが作動したのは、現場カーブで片輪走行となり、マンション手前約50メートルにある線路外側の電柱に接触した後だったことが27日、兵庫県警の捜査本部と国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調べでわかった。

常用ブレーキがかけられたのが、非常ブレーキ作動の3秒前だったことも判明。県警は、速度超過した快速電車がノーブレーキでカーブに進入した疑いが強いとしている。

非常ブレーキは当初、半径300メートルの急な右カーブに入る直前に作動したとされていたが、1、4、5、7両目の車両から回収した「モニター制御装置」に記録された時刻、速度などの誤差を修正して再分析した結果、カーブ入り口から、約130メートル入った線路外側の電柱を越えた直後に非常ブレーキが作動していたことが判明した。電柱には1両目後部の側面最上部が接触しており、非常ブレーキ作動時にはすでに車体が大きく外側に傾いていたことが確認された。



以前からブログをお読みの方は、脱線に関する記事を私が書いていたことをご存知かと思います。以前の記事(脱線原因の推測4)を振り返ってみますと、私の単なる空想では常用ブレーキ操作で、カーブ進入前に秒速35m(時速126km)から秒速30m(時速108km)に減速したことになっています。これがそもそも間違えておりました。

カーブへの進入速度が上の記事に出てないですし、常用ブレーキでの減速具合がよく判らないのですけれども、非常ブレーキが作動したのは電柱に接触直後、ということですから、仮に電柱の所で作動開始となったとすると、非常ブレーキ作動5秒前には電柱から約150~170m塚口側あたりに電車はいたのでしょうか(秒速30~34mくらいとするなら)。電車の動きは正確には判りませんけれども、前の私の記事に書いたのは、50mくらい違いますかね。これも、空想で書いているためですね。非常ブレーキ作動3秒前から常用ブレーキということは、電柱から約100m程度塚口側で常用ブレーキということですね。ということは、カーブ進入後にブレーキ開始だったということでしょうか。これも違ってましたね。


私の空想記事自体に殆ど意味などないのですが、公式発表前にある程度想像して書いておけば、自分の空想力の具合が判ります。予想は思ったより近かったけれども、このように何の根拠も無く感覚的に考えた事柄がたまたま近い現象であった場合に、これは予想が概ね当たったというのか?経済論争の如く、たまたま予想と似てたらどうなんだ?と。偶然の産物にしか過ぎないのです。こういう時には、何とも言いようがないですね。


いずれ公式の事故調査報告が出るでしょうから、全容はその時に明らかになるでしょう。


ブラフで終わらせない町村発言

2005年07月28日 16時16分09秒 | 外交問題
町村外相は随分と思い切って発言したようです。G4案とAU案の一本化に向けて努力を重ねていますが、うまくまとまっておらず、米国の「反対投票」要請発言まで出てましたから、苦しい現状を乗り切るには何か手が欲しいところでした。これくらいの牽制は、日本に言う権利があるでしょう。中々いいぞ、スマート町村。

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <町村外相>「分担金削減世論強まる」理事国入りで“脅迫”


世界各国の注目を集めて、こうした日本の現状を知ってもらうことは意味がある。国民感情として、他の常任理事国がまるでカネを分担してなくて、それなりの責任を果たしてないくせに口ばかり偉そうならば、大幅に減額するべきであると主張したいところである。湾岸戦争の時には、「カネだけ出して、人を出さない」という米国のメディア戦術に嵌められたが、今後は日本もアナウンス効果をよく考え、メディア利用の戦術を用いるべきだな。町村発言については、「地道・地味な日本人」もさすがにキレたか(ぶち切れではなく、怒ってるということで)と、海外メディアが思うならばいくらか効果が期待できるかもしれない。日本の賛成派に回ってくれるかどうかは不明であるが。


もしも、大国が強硬にG4案への反対姿勢を崩さないとなれば、それなりの対応を考慮する必要が出てくると思う。国連に期待できないという失望を、現実的な形で表すことになるだろう。とか?


それから、米国のWTO協定違反に対して報復措置をとると報道があった。報復関税を検討するそうだ。

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 初の対米報復関税発動へ=WTO協定違反に対抗-政府

彼氏彼女の関係であっても、いつも穏やかな訳でもなく、時には波風の立つ時もあるだろう。マンネリもあるし、たまには刺激くらいあってもよい。針で突付いてみる程度ですから。言われっぱなし、やられっぱなし、よりはずっとよい。

国連問題や六カ国協議は関係ないよ、と言いながらも、交渉材料として使っていくのは必然。使える手は何でも考えた方がいいですね。


日歯連事件と検察審査会

2005年07月28日 14時47分08秒 | 社会全般
政治献金疑惑で不起訴となったヤマタクが、検察審査会から「起訴相当」という議決を受けた。検察は捜査を慎重に行って、起訴するべきだろう。もしもこれで不起訴のままであれば、検察審査会の存在意義に関わる問題だろうと思う。郵政民営化法案の採決直前で、ヤマタクがしくじったのは確かに痛いが、これも止むを得ない。たとえ起訴となるにしても時間がかかるだろうから、参院採決は終了していると思う。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 日歯事件で3千万迂回献金疑惑「山崎拓氏、起訴相当」


本当に何度も失敗を重ねる人なんだな、この男は。今がどれほど重要な時期か知っておろうが。現時点では、説得工作に全力を傾けてもらって、いずれ起訴されたらその時には議員を辞めた方がいいよ、きっと。小泉さんの「温情」がアダとなったな。


検察審査会の議決というのは、「不起訴不当」しかニュースで見たことがなかったから、「起訴相当」なんてのがあると、初めて知りました。しかも、「起訴相当」というのは「不起訴なんかじゃ、ダメじゃないか」という不起訴不当に比べてもっときつく、「起訴があたりまえだろ?」という議決らしい。ということは、検察は起訴しない「相当の理由」がなければ不起訴処分には出来ないだろう。橋本さん他2名だって「不起訴不当」議決でしたもんね、確か。大体、検察の不起訴処分の方針というのもよく判らないからね。今後どうなるでしょうか?


それと「毒まんじゅう」村岡さんの裁判では、橋本・野中・青木三氏の証人出廷が決まったようで、村岡さんとの直接対決となっていくでしょう。こちらも、実際の裏金にする過程で決定権があったのは一体誰だったのか、明らかにして欲しいですね。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 1億円ヤミ献金公判、橋本元首相ら3人を証人尋問へ



郵政決戦に備ふ(激闘編)

2005年07月28日 00時53分04秒 | 政治って?
小泉は昔から続いていた系譜を分断するという作戦を、まずは目標にした。それは、政治家と官僚、財閥との人脈を政治中枢から極力排除することであった。そこで政府内の「経済マフィア」を組み直し、従来の権限よりも範囲を広げ、かつ「大蔵」支配の呪縛を解くことにした。その為の「軍師竹中」起用であり、「経済財政諮問会議」重視を掲げたのであった。前世紀末の金融危機と大蔵省腐敗問題、省庁再編によって、昔のような強い影響力を失った大蔵省は、財務省と金融庁に分割されていた(とはいえ、未だ大きな権限は残されているのであるが)。


旧大蔵官僚たちの力は弱まったが、大蔵省と双璧をなしていた外務省は、隠然たる影響力を有していた。その為、例の「国策捜査」と呼ばれた外務省への切り込みが行われたのであった。昔から続いてきた官僚政治の、中心的役割を担っていた大蔵・外務を弱体化させることは、抵抗勢力排除へのファースト・ステップであった。


「構造改革」の旗印の下、官邸と内閣府を中心とした体勢を作るとともに、逓信部門―つまりは本丸の郵政には麻生大臣(非大蔵)を、外務省の弱体化作戦には田中真紀子大臣(非外務)を配した。両者とも、過去の自民党の系譜を継承した議員であった。だが、決定的に違ったことは、大蔵・外務の影響力を受けていない別系統の人材を敢えてぶつけたのだった。財務省人事にも小泉の特徴が現れていた。内閣発足当初、塩川正十郎という、重鎮ではあったが財政政策には実績のない人選をした。これも大蔵の影響を受けない人材で、且つ強力な「ご意見番」を据えることで、抵抗勢力を抑え込もうという作戦であった。そして塩爺の後を受けたのは、かつて郵政や大蔵などを担当し、小泉とともに橋本内閣に入閣していた谷垣であった。彼は、党内では財政関係に実力を徐々に発揮し、金融再生委員会のトップも務め、信頼性や評価は概ね高かった。ただ、小泉が谷垣を登用した理由はそれだけではなかった。国会議員であった父親の、急逝の後を継いで弁護士から議員となった谷垣に、自分と同じ境遇を見出していたのだった。しかも谷垣が郵政も大蔵もよく知っていたことは、小泉改革の推進に役立つことになった。


竹中と小泉の就任当初から、郵政民営化実現のための素地が整っていた訳ではない。まずは経済状況の改善が優先される状況であったし、金融不安があるうちには取り掛かることはできなかった。それに、「9・11」の後の「テロ特措法」問題も直ぐに発生してきたため、「郵政改革」の外堀に辿り着くには長い時間を要することは確実であった。「経済マフィア」や軍師竹中は、「今はまだ早い」と小泉の逸る気持ちを抑えさせた。地道に「城攻め」の準備を整えていったのだった。


小泉の出足が好調過ぎたことで、内閣発足後には逆風が多かった。田中外相更迭の時には相当の非難を覚悟せねばならなかったし、支持率は当然急落した。自衛隊イラク派遣、年金改革で混乱は拍車がかかった。小泉が熱望していた「郵政改革」は、遅々として進まなかった。それでも、発足から2年が経過した03年の総裁選では、大差で再選された。自民党内に「小泉流」が浸透した結果とも言えるし、単に対抗馬不在という側面と、党内では小泉の政治手法が認知され始め、基盤が固まったことを示すものであったかもしれない。


04年の参院選挙では民主党の攻勢を受け、国民からの失望が大きいことが明白であった。しかも、自民党のマニュフェストには、「郵政民営化」を言葉を濁してしか書くことができなかった。小泉は、「今書けなくて、一体いつ公約として達成できるのだ」と怒り心頭であったが、竹中に「今が我慢の時です」と諭されると、「仕方がないな。分かった。今は耐えよう」と言って、選挙優先で堪えたのだった。今までにも、長く耐えてきたのだ・・・あともう少しの辛抱だ・・・
気がかりだったのは、小泉を担いだ大衆の支持が弱まってきていることであった。就任当初の勢いが失われていくことは、小泉にとっては焦りの原因ともなり得た。時間との闘いでもあったのだ。


参院選挙後には、遂に「本丸攻め」開始の準備が進んで行った。就任以来もう3年以上が経過していた。竹中も経済マフィアも攻めの時期に達したと判断したのだった。郵政民営化の法案作成に向けて、本格的に動き出した。年明けの通常国会で法案提出を目指し、党内の根回しも進められていった。秋には基本方針を示し、年初からの国会論戦でいよいよ「本丸攻め」が見えてきたのだった。小泉純一郎がかつて郵政大臣として城に乗り込み、郵政族の強烈な抵抗を受けてから既に13年が経とうとしていた。ここまで長く耐えてきたのであり、決戦を前にして小泉は覚悟を決めていた。自らの政治生命を賭けて改革を実現しなければならない、と。闡明するべきは、郵政という本丸であり、日本の政治体制なのだ・・・。「うつけ」が闡明とは・・・まさに「信長」だな・・・。


05年1月、小泉は又次郎や純也の墓前に報告をしに行った。前哨戦は過ぎました、いよいよ本丸攻めです、と。
施政方針演説で、小泉は明確な宣戦布告をした。それに対して、抵抗勢力は「籠城戦」を画策していた。小泉の挑発的な宣戦布告には、敵方も徹底抗戦の姿勢を見せ、たとえ内訌と取られても小泉などに追従などするものか、と強く反発して見せた。今までこの城は落ちたことのない、まさに難攻不落の城であったからだ。それ程この本丸は強力で、「奸佞の牙城」として存在し、どんな政治家たちも退けてきたことを籠城者たちは知っていた。様々な難癖を付けては、弓・鉄砲を放ってきた。攻め方の自民党執行部も手を焼くこととなったし、時には戦場から遠く離れた城下町にいる民主党が、軍師竹中に向けて竹槍を刺してきたり(笑)、と城攻めは困難を極めた。通常、籠城する方が守りやすく、攻め方は被害が出やすいし数倍の兵力がなければ攻め落とせない。持久戦の様相となって、攻め方は何度も作戦変更を余儀なくされた。小泉は、それでも耐えて待つことに同意していた。彼が今までに学んだことは、耐えることだった。機が熟するまで、待つことも必要なのだと知っていた。


党内手続きを過ぎる前に、非常に激しい抵抗があったが、4月には遂に「三の丸」が落ちた。与謝野政調会長などを先陣とする執行部が決死の突入を図り、門を打ち破って強行突破した。衆院への法案提出まで進むことが出来た。続いて総務会採決を経て、党議拘束というタガをはめたのだが、これが滅法甘かった。敵方もあらゆる手を尽くして籠絡を図り、内閣の一部にも食い込んで寝返り工作を施していた。この頃、国民支持は大きく高まってはいなかった。大衆が動いたのは、年金選挙となった昨年の参院選だけだ。大衆の力が弱まれば、当然小泉の担ぎ手が減ってしまうし、党内発言力も失いかねない。だが、ここで諦めて休戦する訳にはいかない。この難攻不落の城を落とせる人間が次に登場するのは、いつになるのか分からない。


情勢が混迷したまま「二の丸」落とし―衆院採決―が進められていった。今まで小泉は、信長の如く丹念に情報を集め、分析し、勝負を読んできた。しかし、「二の丸」の勝負の行方は、ギリギリまで読みきれていなかった。続々と入ってくる抵抗勢力の動きや、反対票の数。小泉は「いけるだろう。負けはないはずだ。だが、かなり近いな。採決でいい」と指示を出した。7月初旬、「二の丸」が落ちた。衆院採決結果は、激戦の5票差。肝を冷やす結果であった。それでもここまで来れたのだ。「大うつけ」が勝ついくさもあるのだ。


残るは本当の本丸―参院採決のみ。それもあと1週間の辛抱だ。
天下分け目の決戦まで、あとわずか。果たして本丸を落とせるのか・・・
小泉は勝てると信じている。落城は近い。

追記:
昨日まで祖父の名前が、「又次郎」じゃなくて「又二郎」となっていました。訂正しましたが、抜けてるところがあるかもしれません。お詫び致します。



郵政決戦に備ふ(決起編)

2005年07月27日 11時53分39秒 | 政治って?
内閣総理大臣に就任した小泉純一郎は、「郵政改革」を本丸と位置付けた。だが、他の政治目標というのは案外音痴で、特に経済・財政分野に関しては、素人同然と言ってもよかった。しかし、小泉はある特定の考えを持っていた。それは子供の時から、教わってきたことであり、それまでの人生の中で得た知恵でもあった。


又次郎はかつて、純一郎に次のように語った。
「人の観察をよくすることだ。ウソをついてる奴は直ぐに判る。博打で大勝負が懸かった時にも、負ける奴は同じように判る。いつも人をよく見ることだ。そうすれば、勝負が読める。そして読めない奴は、常に負ける」
小泉は、総理大臣就任以前から十分観察していた、議員達の人物評を頭の中に思い浮かべた。昔、福田家に居候していた時に、よく訪れていた政治家達、記者連中が語っていた決して記事には載らない人物評価やこぼれ話、そういう情報はよく知っていた。小泉はそういう才能だけは優れている面があったのである。


学生時代から、勉強はそれほど得意でもなく、頭の切れも良かった訳ではない。だが、又次郎の語っていた通り、政治の世界は人間同士の勝負・いくさと何ら変わりないことを熟知していた。勝負を読みきる為の、人間観察には十分な眼力を養ってきたのだった。そういう才は恐らく又次郎譲りであったのかもしれない。


小泉は初めての厚生大臣就任前に、実は大蔵省のポストに就いたことがあった。だが、実力の方はさっぱりで、単なる「飾り物」同然で終わってしまった。周囲の評価も「小泉には、財務は任せられない(笑)」という冷ややかなものであり、「切れは悪いな」という印象だけが残った。それより何より、小泉自身が「二度と財政には関わりたくない」と思えるほど、大蔵省の仕事には興味もなくかえって嫌いになった。それ故、又次郎の教えや培ってきた知恵を必要とすることになるのであった。


その一つが、「歴史を紐解け」。これは又次郎がよく言っていたことであった。歴史に大きなヒントが隠されているのだ、と。先人達の知恵を使うのが、「政治の上策」であると考えていたのであった。もう一つは、「よい軍師を持て」。歴史上の人物には、よい軍師が付いていた。なので、自分が総理になったら必ず軍師ポストを置こうと考えていた。特に自分の大嫌いな経済財政分野を任せられる人材を。人材登用に関しては、ロンドン留学時代に英国議会を見ていて思うところが既にあったのだ。それは大臣たちは、総理の手足になれる人材を必ず登用するべきだ、ということであった。従って、派閥による大臣ポストの調整などは愚の骨頂と考えており、派閥政治打破を目指す小泉にとっては大臣を自分で選ぶことが当然なのであった。大臣ポストの人事権によって派閥抑制を優先することは、小泉にとって無意味であったのだ。だが、全く無視することも出来ない面があることは知っており、一部の面子を立てるだけの為に大臣を選んだ部分はあっただろう。それが時々「頓珍漢人事」となり、無能大臣を生んでしまう原因でもあったのだが。


それと、小泉の総理就任以前から政府内に一種の「経済マフィア」が存在しており、その系譜に沿う形で人材登用を行うつもりだった。日銀・大蔵路線と対抗する勢力の「経済マフィア」はそれまでよりも勢力を拡大しつつあった。かつては常に大蔵には敵わなかったのであるが。そういう「経済マフィア」の連中は、大蔵官僚達からは無能視されるか、敵視されるかだったのだ。そこにも風穴を空けようとしたのが、小泉だった。大蔵支配を弱めることが、行政に必要だと思っていたのだ。勿論、大蔵時代の恨みということではない(はずだろう)。


そこで白羽の矢が立ったのは、「竹中半兵衛」ならぬ竹中平蔵だった。小泉はこうした「軍師」を髣髴とさせる竹中の名前に、まるで子供のように喜んだのだった。竹中に大臣就任を要請した時には、「竹中さん、私の軍師になってくれないか。必要とあらば、三顧の礼でお迎えしよう」とシャレを言ったのだ。竹中は「日米協議」以来、政府内の「経済マフィア」の一員であったため、自分が思い描く「行政府」「経済財政理論」を実践してみたいとも考えていたのだった。まさに渡りに船。小泉の最も苦手とする分野を担当する軍師。

「是非お引き受けしたい」竹中は答えた。



郵政決戦に備ふ(雌伏編)

2005年07月26日 18時20分28秒 | 政治って?
小泉さんは、信長の圧倒的に不利な戦いであった桶狭間の戦いに自身をなぞらえてインタビューに答えていたのだが、これを見たワタヌキ殿は早速信長の「覇道」に対抗して「王道会」を結成した(笑)。場外戦も中々面白いものである。小泉純一郎氏の心の内は読めるものではないのであるが、毎日新聞の岩見隆夫氏や松田喬和氏の記事をちょっと読んでみたら、何となく的外れな印象があったので、私が勝手に小泉さんになった積もりで考えてみようと思う。


これはあくまで物語であり、空想に過ぎません。なので、実在の人物等とも全く関係ありません。また、文献等で検討したりもしておりません。経歴等に誤りがあったとしても、これもまた想像の産物に過ぎません。(文中敬称略)


小泉純一郎が郵政大臣のポストに就いたのは、国会議員になってから丁度20年であった。年齢も50歳となる年であり、しかも祖父又次郎が逓信大臣を務めていたこともあって、感慨もひとしおであった。


父純也は改進党から当選を果たし、自由民主党誕生後には合流することとなり、防衛庁長官も歴任した。しかし、本流からは外れていたこともあり、政治家としての成功を収めることはかなわなかったのである。父純也は、政治家としての野心や器の大きさという点では、人並み外れたものを持ち合わせてはおらず、岳父又二郎の方が恐らく器量が上であると純一郎自身も考えていた。普通の父親という視点で見るならば、勿論純也のことが嫌いではなかったが、政治家として、或いは1人の男として見た時に、純一郎の心を揺さぶるような大人物ではなかったのだ。

純也の急逝によって留学先のロンドンから戻った純一郎は、選挙で父の基盤を引き継ぐことを求められ、当分の間は学生気分で留学を思う存分楽しもうと考えていたのに、降って沸いたような事態に直面し、その時点では政治への決意が全く欠けていたのだった。初選挙では、そうした政治への情熱も人を突き動かす気迫も全てが足りなかった。その為に落選の憂き目を見ることとなったのである。この時の経験は、後の人生に大きく役立つこととなったのであるが。当時は、父純也の死と、更に追い討ちをかけるような落選という、大きな失意を味わったのであった。純也の議席を失った自分に非常に大きな責任を感じ、「政治家として大成しない父」と思っていた自分を恥じた。又次郎の、そして純也の築き上げてきた政治基盤に、自ら泥を塗る事になってしまったことを、墓前で詫びる自分が余りにも情けなく思えた。


かつて長命であった祖父又次郎からは、昔の話をよく聞かされていたものだった。祖父は厳しい男であったが、既に高齢であったこともあり、純一郎には優しく昔話を聞かせてやったのだった。まだ10歳にも満たなかった純一郎には、又次郎の話は難しいことも多くて、十分に理解できないこともあったが、又次郎は政治の話よりも人物の話をよく教えたのだった。
「人は心を動かされなければ、人の為に命懸けで働こうとはしてくれない。昔、浜口という総理がいたんだがな、この男は・・・」
「若槻という、うそつき礼次郎とあだ名されたやつがいてな、総理になる前には・・・」


長話が苦痛になる時もあったが、純一郎は又次郎の話す人間達に愛着を覚えた。世の中で偉い人間と思われていた総理大臣の、意外な人間像に、子供ながら心惹かれたのであった。そうした記憶は、純一郎の政治家としての道を歩む時に、役立つこととなったのである。人の心は、いつの時代にも大きく変わることはない。人の心をいかに動かし、自分で行動できる強い信念を持てるか、実行する気力を維持できるか、そうしたことを又次郎の話す数々のエピソードの中から学んでいったのであった。



失意の中にいた純一郎は、又次郎の時代から小泉家を代々支援してきたある人物の紹介で、1人の政治家に会いに行くこととなった。書生として採用してもらい、政治家修行を願い出る為であった。その政治家とは後の総理、福田赳夫だった。純一郎は今までに厳しい環境に置かれて生活したことなどなかった。代々政治家の家系であったので、いわゆるボンボン然として生きてきた。しかし、現実は父の急逝によって地盤を引き継いだにもかかわらず、選挙では一敗地に塗れた。「それが選挙というものだ。」と知り、自分の甘さを呪ったのだった。それ故、書生として過す期間は、自分への修行の場と考え、どんな苦難にも耐え抜く決心をして福田に会いにいったのだった。


福田は、後援者の人物から「亡くなった小泉議員のご長男、純一郎君です」と紹介された青年を見て、「ああ、君があの小泉君の息子さんかね。お父さんは立派な人だった。おしい人をなくしたものだ。おじいさんも大した人だったがな。君も政治家になる積もりなのかね?」と聞いた。純一郎は「はい、父の遺志を継いで、父の果たせなかった分まで頑張ろうと思います」と答えた。「私はお父さんのように優しくはないぞ。厳しいが覚悟は出来ているかね」「はい、どのような困難も受ける覚悟です」「ならば、いいだろう。君を預かろう」
福田はそう答えると、後援者に微かに頷いた。福田の元での、修行生活の始まりであった。


福田は言葉通り、非常に厳しかった。失敗をすれば、政治家の息子であることなど微塵も意に介さず、叱責を受けることも度々であった。だが、一方では純一郎を可愛がってくれた。移動の時に汽車や車の中では、福田の話を聞かされることが多かった。政治家の信念も何度となく聞かされた。新年会などで人が集まれば酒の席を用意するのだが、そうした席上でも福田はよく「政治家というものは・・・」と同じ話をするのだった。又次郎の話を聞くのと非常に似ている気がしていた。聞き上手の純一郎には、福田に可愛がられる要素が既に出来上がっていたのかもしれない。福田と共に行動するうちに、政治家の人脈に驚かされたり、出入りする報道関係者達から裏話などもよく聞くことが多かった。殆どが、政治の舞台裏を見ていくこととなった。そして、政治・行政・業界などの日本を動かす裏側の仕組みについても理解できるようになって行った。福田は「政治家は自己の利に動いてはならない」とよく言っていた。父と改進党で一緒だった三木武夫にも時々会った。父と一つ違いの福田は、純一郎にとっては父親同然の存在に感じられ、また、6歳年上の長男康夫とも共に酒をよく飲んだりして、純一郎にとってはまさに兄貴のような存在であった。


純一郎が12月に初当選を果たした72年は、あの田中角栄が首相に就任し、列島改造論・中国訪問・日中国交回復となった年であった。選挙直前には福田家を離れていたが、田中角栄内閣誕生の舞台裏を全て見て知っていたことは、政界の仕組みを知る上では非常に役立つこととなった。純一郎は、この期間に耐え忍ぶコツを身に着けたのである。また、福田の政治思想に大きく影響を受けることとなった。純一郎にとっては、まさに「石の上にも3年」という期間であった。


これ以後、小泉純一郎はポストをこなして行き、88年に初めて大臣ポストに就任することになった。派閥論理の権化、竹下内閣での厚生大臣であった。遂に、有力政治家への階段を上り始めたのだった。


小泉は国会議員になって20年、宮沢内閣の時にやっと郵政大臣のポストが巡ってきた。父の就いた防衛庁長官よりも祖父又次郎の就いた郵政大臣の方を実は望んだのでいたのだ。長年心に秘めてきた「改革案」を実践しようと、大臣として勇躍乗り込んでいったのだが、そこで待っていたのは、かつて福田の家で学んだ「政治の舞台裏」の論理であった。折角尊敬していた祖父と同じ大臣になれたというのに、自分の考えを誰も聞こうとしなかった。官僚達からは「大臣1人で何が出来る」というあからさまな反発があり、郵政族議員達は派閥有力者達に根回しして、小泉の行く手を全て潰して回った。政治の舞台裏の仕組みなど20年以上前から見知ってきたのであり、そんなことは言われずとも熟知している積もりであった。その上で、大臣である以上、幾つかの改革案を実行することは当然と思って、郵政省に自ら進んで乗り込んでいった。しかし、行政府を動かすことが出来るのは、最大派閥の領袖であり、それか総理総裁にならねば無理なのだという当たり前のことに、初めて思い至った。


今まで20年以上も議員をやって、政治の表も裏も精通していたはずなのに。それなのに、今こうして、こんな壁に突き当たらねばならないとは。かつて又次郎が献身した由緒正しき「逓信―郵政省」が、今は族どもの喰いものにされ抵抗勢力の巣窟と化しているとは。政治を変えなければならない。こやつらを、のさばらせることは出来ない。誰かが変えなければ・・・私が変えなければならない・・・

派閥の、族議員達の、官僚達の、抵抗勢力を排除する力が必要だ。それは―大衆しかない。それを打破出来る力は、恐らく「世論」しかない。大衆が動く時は必ずある。又次郎はそう教えてくれた。歴史は、そうだった。必ずその時が来る。


父が亡くなった、20年以上前のことが思い出された。同時に、三木や福田のことが思い出された。田中角栄を追い落とすことが出来たのは、ロッキード事件があったからだ。浜口内閣の前だって、田中義一が張作霖事件で退陣した。若槻内閣の最初の失敗は金融恐慌だった。バブルが崩壊した今、きっとチャンスが巡ってくるはずだ。それを待つ。加藤も浜口も(大平も、そして親父も)途中で倒れた。人間というのは、いつ死が襲うのか分らないものなのだ。又次郎はそう語っていた。そして、大衆が動く時を待つ。
耐えて勝つ。今は忍従しかない。
「我に天賦、天命あれば、必ずや時が来たりて勝利する」
そう信じよう。


秀吉に例えられていた田中角栄を思い出し、小泉は自らの立場を考えてみた。戦国時代、勢力で言えば武田、上杉などと比べて足元にも及ばなかった信長は、大方の予想を覆し、今川義元に勝ち、最も京に近づいた男だ。角栄が秀吉ならば、自分は信長になろう。「傾ぶき者」となろう。「大うつけ」でよい。



誓いを立てた小泉は、自民党総裁選に打って出る準備を始める。これに選ばれねば、何も変えられない。ひたすら耐える。流れが来るのを待ちながらも、正体を見せないようにする。やる気があるように見せて、投げ出すそぶりを見せる。言うことを聞いているふりをしつつも、突然独断専行。当たり前の正論、熱い理想しか語らない。総裁選には2度チャレンジしたが、その度に破れ去った。派閥原理には勝てなかった。しかし、手ごたえを掴みつつあった。それは、最初の何も得られなかった時に比べれば、同志が増えた。ひょっとすると、次に期待できるかもしれない・・・。


あの後、小渕さんが途中で倒れ、森さんが総理になれたしな。本当に、何が起こるか分らないのだ、政治の裏は。森さんは5人組でしか担がれなかったが、自分は大衆に担いでもらう。派閥の力を無力に出来るのは、大衆しかないからだ。派閥に担がれれば、派閥によって必ず潰される。それではダメだ・・・。


そして遂に、そのチャンスが訪れることとなった。国民は政治の無意味さに飽き、政治家への不満は頂点に達していた。リストラ、借金、生活苦・・・国民生活の惨状は、「大うつけ」登場を期待する背景としては格好の状況を作り出していたのだった。大衆が動く時を待ち続けた甲斐があった。01年4月、遂に祖父も父も辿りつけなかった内閣総理大臣に就任することになったのである。


「自民党をぶっ壊す」
この言葉に、小泉純一郎の「うつけ」ぶりが示されているのである。小泉は自民党に愛着がないかの如く思われている節があるが、彼はそんな男ではない。存外信義に厚い男であり、父や福田赳夫が残した自民党を消滅させようとか、野党転落でもよいなどとは考えていない。恩義を忘れる事もない。又次郎の話に聞いていた過去の政治家達を忘れることもない。教えを請うた、福田や父とともに過した三木などを記憶の彼方へと押しやることもない。実は、2世3世議員には自分と同じような感覚を投影し、他の連中も同じような感覚を有していると思い込んでいるか、敢えて相手にもそれを求めているのである。福田、麻生、安倍、田中真紀子などには、そうした傾向があったのではなかろうか。つまりは、小泉の自民党に対する愛着はむしろ強いのである。


福田赳夫に恩義を感じていたからこそ、安倍晋三を幹事長に引き上げた。兄貴分の康夫さんには、自分の「兄貴」として官房長官に就いてもらった。吉田茂を祖父に、岳父に鈴木善幸を持つ麻生にも、「秀吉」の娘である真紀子にも、脈々と引き継がれてきた自民党の系譜を見出し、その力を分散配置することで派閥原理の抑制均衡を図ったという意味なのではなかろうか。


毎日の岩見氏が書いているのは、小泉評が百人百様で、定まらないと。
それは「大うつけ」を決めたからか、若しくは本当の「大うつけ」だからかの、どちらかであろう。


(続く)

追記:「田中義一」が「田中一義」となっていました。お詫びして訂正致します。無学がバレてしまいました(恥)昔、日本史は習いましたが、受験科目にしなかったので(と、言い訳・・・) 8月2日



談合三兄弟~その2

2005年07月25日 21時33分21秒 | 社会全般
検察は、信義に答えるべく本気を出しました。遂に公団副総裁逮捕に繋げました。そう考えることにします。検察が頑張ったのです。中枢に迫る為に、一生懸命捜査したんだと思います。「法の信頼」を取り戻す為に・・・

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <道路公団>内田副総裁を逮捕 橋梁工事を巡る談合に関与


ふと見れば大ニュースでしたよ。

そして談合組織を壊滅し、行政にも変わるキッカケを与え、経済界も変わろうと考え、浄化に努めるということなんだと思います。失った信頼というのは、何倍も努力しないと、再び同じレベルには取り戻せないのですから。そういう意味でも、検察は頑張って捜査したのだろうと思いますよ。

国民の信頼を取り戻す為に。


遂に公団中枢に辿り着いたのです。腐れ役人逮捕に繋げたんですね。
多分道路公団総裁が連続してテレビ出演した時に、既に逮捕見込みが立っていたのではないのかな?
「捜査の成り行きを見守る」とか答えていたのですが、隠そうという感じはなく、「副総裁にも捜査が及ぶか」という質問には、通常「要職にある公団幹部ですから、犯罪に関与していないと必ずや信じています」とか答えるのが一般的だと思うけれど、否定することさえなかったから、「あれ?」って思っていた。むしろ公団に捜査が及ぶことを待ち望んでいたかのような感じだった。


近藤総裁が外部から颯爽と飛び込んで行ったものの、内部の幹部連中から相当の反発を受けたり、実質的支配権を内部の「生え抜き組」が握っていて、そういう組織浄化の妨げが多すぎたことの裏返しと思います。
そういう連中に鉄槌を下し組織を浄化させる為には、どうしても腐れ役人たちを排除しなくてはならなかったのだろうと思う。その為には総裁自ら「不退転の決意」をテレビの前で語るべき、と考えたのだろうと思う。

普通は公団捜査開始になったら、組織トップは嫌々合同インタビューに答えるくらいで、他の報道番組なんかには出演しないよ。古館あたりに、「一体どういうことなんですか。私は本気で怒っているんですよ。(あと1分では終わんないから。とディレクターとかに答えていた)」などと言われたくはなかろう。ナマ本番中に番組指示を無視してまで、総裁に絡んだのはある意味凄いが(笑)、インタビュアー本人の個人的感情をぶつけるよりも、総裁の答えをもっと尊重するべきであったと思うけど。あの夜、総裁は報道番組の「はしご」だったもんね。普通は有り得ないんだよね。


思い起こせば、公団に捜査が入った時に、近藤総裁は元気よくインタビューに答え、「必ずや改革を実現するよう決意している」というような意見を述べていましたから。きっと大きな期待があったんだろうと思うのです。


だから、内部深くまで捜査が及ぶということを待っていて、それに公団改革の将来を委ねたのかもしれない。捜査が副総裁まで及ぶならば、組織改革が可能になると思ったんじゃないかな。そして、中枢に捜査が届くように、ある「意志」が働いており、総裁も当然それを期待し、協力するように命じていたんじゃないかな。

また変な邪推をしてしまいました。ゴメンナサイ・・・




「反専門家主義」が顕在化したブログ世界

2005年07月25日 18時56分19秒 | 社会全般
今全世界で反乱が起きているそうだ。まだ名前がないそうだが、そのイデオロギーとは「反専門家主義」ということらしい。そういう反乱が世界的に氾濫しているようである(いつも下らないダジャレで失礼)。

24日の読売新聞朝刊の「地球を読む」は、時々登場するアルビン&ハイディ・トフラー夫妻でした。この2人をもってしても、「ブログ」という社会現象についての記述を避けることは出来なかったということなのでしょう。勿論日本と米国のブログの状況が異なっているだけに、同列に論じることもできないでしょうが、トフラーの記事を非常に興味深く読んだ。夫妻が示したのは、冒頭に書いた「反専門家主義」というイデオロギーであった。何となく以前に読んだ記憶があるような・・・って、bewaad さんの記事でしたけれど。「反専門家主義」というのと「反知性主義」というものには多少の違いがあるのかもしれないですけれど。まあ、大体似たり寄ったりということで(笑)。


リチャード・ホーフスタッター著『アメリカの反知性主義』に見られるように、米国における「反知性主義」には伝統がある。ブログの登場よりはるか以前から、イデオロギーとして存在していたと言ってもいいのだろうと思う。ところが、昨今のブログによって生じてきた「反専門家主義」というのは若干趣きがことなるのかもしれない。反乱というほどのムーブメントではないと思うけれども、蔓延している風潮というのは、やはり「反専門家主義」という側面が捉えられているのだろう。政治の世界では、「反知性主義」も「反専門家主義」も同様の結果を生み出す。それはどちらも公職経験を積んだ政治の専門家には、多くの期待が集まらないということであり、著名人に代表される政治家が好まれるということである。これは米国も日本もインドも記事中で例示されていた。

「反専門家主義」では、職業的専門家に対する懐疑心が見られるのであり、米国の場合には特にメディアについての疑念が日本以上に強く表れたと思われる。ダン・ラザーの一件やコーラン冒涜疑惑事件などがその代表例として記事中でも挙げられていた。こうした政治やメディアへの疑念以外にも、資格要件への疑惑の増大も見てとれると述べていた。この資格についても、カナダの社会学者ベンジャミン・シンガーの次の言葉が紹介されていた。
「資格制度は、皮肉な問題を生み出した。人々や諸組織は常に制度の抜け道を探そうとするからである」

こうした資格制度の裏側を見透かされた専門家たちに頼る必要性が少なくなり、また信頼するべき相手を判定する能力は格段に向上したと「反専門家主義者たち」は信じているというのである。

そして、記事中に「反専門家主義」の核心は次のように示されている。
「古い制度は正統性の危機に直面している。これは権威の危機である。情報と資格制度に関する専門家たちの独占体制に風穴を開けることによって、人々は、いわば自分自身が自分のための権威となることを模索しているのである。」


すなわち、「反専門家主義」が氾濫するブログの世界では、「正統性の危機」「権威の危機」なのである。情報・知識をもたらす技術によって人々の判定能力は高まり、専門家たちの情報のウソを見つけ出すことが出来るようになったということであろう。以前に少し書きましたが、「サイバー・デモクラシー」を醸成する為には「専門家の意見・情報が重要」であると思っていたのですが、「反専門家主義」の流れからは、否定的と言えるのかもしれない。ブログの誕生によって、従来独占的であったはずの領域で専門家たちの信頼性が減弱しているのであり、今までは通用していたのに、情報や意見などにある穴やウソがバレやすくなったに過ぎないのか。そしてそれは、専門家自体は何も変わってはいないが、人々が接する情報の質の変化によってもたらされた結果なのだろう。


「サイバー・デモクラシー」が醸成される為には、専門家以外の人々―それはつまり自分―が、自身で信頼に足る情報を見つけ出し、その情報に接することでしかなし得ないのだろうか。「反知性主義」では、知識人支配を拒絶し、知性と知識人への疑念が憤りへと結びつき、平等主義や所謂実践主義の重用となって表れるのであろうが、「反専門家主義」では正統性と権威への疑念を持ってはいるものの、体制への憤りへと繋がっていく部分は多くの領域で見られる訳ではない。政治的には、確かに似ていると言えなくもないのであるが。


正統性と権威の失墜というか脆弱化は、知識人たちに起因するものであり、ブログ参加者である人々に原因があるということでもないように思える。つまりは、独占的に情報を有していた旧来の専門家達は、一般大衆を欺き、煙に巻き、誤魔化し続けてきたに過ぎないのかもしれない。今後は大衆との情報の共有化が進んだとしてもなお、知性の発揮が可能な真の知識人としての専門家が求められることになり、欺瞞のない情報・意見の出せる人間が支持され得るのと同時に、そういう人間のみが正統性と権威を維持することが出来るのだろう。そんな知識人はどれほど存在しているのだろうか?「ブログ文化」(一応そういう名称を当ててみました)に根ざす「反専門家主義」に対抗できる程の、知識人とは果たして登場するのであろうか(笑)。


私も既に、こうした「反専門家主義」に感染した形跡がある(笑)。自然に侵されたのか、元来有していた個人的資質によるのか、はたまた、強力なブロガー(例えばアルファーブロガーなどと呼ばれる人々?)に感化されてしまった為なのか、よく分らない。今までに自分が専門家批判を繰り返してきた傾向があることを思い起こせば、このような「反専門家主義」は自然発生的に生ずるものであると思えるのだが。違うだろうか?


「サイバー・デモクラシー」の実現には、また一つ大きな障壁が判明したと言えるだろう。「反専門家主義」を乗り越えられる知性を期待しつつ、多くのブログ参加者にもそれが理解され、政治的姿勢が単なる著名人崇拝で終わらないように祈りたい(笑)。



「女王の教室」で泣いてしまう?

2005年07月25日 13時38分39秒 | 俺のそれ
録画してあったのを、家族で観ました。友人との信頼関係とか、疑いを抱く人間の本性・本音を子供達に投影して描き出しておりました。先日書いた「正義」や「信頼」というものについての記事にもちょっと関連していて、私の中ではタイムリーな展開でした。偶然テーマが一致してました。非常に深いドラマです。何かのキッカケがあれば、人間の浅ましさというか我が身可愛さみたいなのが出てしまいますね。「女王の教室」の原作はコミックなのでしょうか?

(お断りしておきますが、私はマスコミ関係でもありませんし、華やかなテレビ業界とも何の関係もないですよ。「ひょっとして、コイツは自作自演野郎なのか?単なるドラマ宣伝じゃないのか?」とか疑いをもたれるのも困りますし。単なる田舎暮らしのオッサンに過ぎませんから。)


「私もう泣きませんから」と言う「カズミ」ちゃんだったが、どんなに強がってもまだ小学6年生です。喘息持ちのお姉さんがまたいい味で、不覚にも泣いてしまいましたよ、私も家内も。
ウチの子は泣きませんでしたけれども。
来週の予告では、今まで以上に強烈な感じになっていきそうです。
アクツ先生がどうの、ということよりもクラスメート達が・・・所謂イジメでしょうか。


第4回まで進んで、少し分ったことがあります。
主人公の名前がカンダということは、「神田」でつまり「神」、アクツマヤで略して「悪魔」という対決構図ですね。
それと、頭の凄くいい少女、「シンドウヒカル」ちゃんは、偶然『ヒカルの碁』(漫画です)の主人公の少年と同じ名前です。とても賢いことから「シンドウ」は当然の如く「神童」を当てたものではないのかな?これも「神」vs「悪魔」ですね。
これに似てる名前が、「テンドウ」先生。「天童」ならばやっぱり「悪魔」に対抗する名前?です。お調子者の「ユウスケ」くんは・・・特に思い当たる名前じゃないな。普通のような気がします。

「カズミ」ちゃんのお母さんは毎回そそっかしくドジを踏むことになっており、敢えて「いい人だが、何も考えてない、暢気な女性」というようなキャラクターを強調しています(と、私は感じます)。その為に必ず、皿を割るとか、料理をこぼすとか、転ぶとか、ドジが描かれるのですね。


最後の結末がどうなるのか気になりますが、ひょっとするとアクツ先生はワザと酷い役回りを引き受けているんではないのかな、とも思ったりしています。何故なら、人間の「反応や行動のパターン、愚かさ、嫌らしさ」みたいなものを、気づかせることができるかどうかが重要なのだと思うからです。もしも6年3組の生徒たちがアクツ先生に「打ち勝つ」ことが出来るなら、それまでの自分たちの愚行が自覚出来るということになるような気がするのです。本当に大切なことに気づけなければ克服出来ないですし、それを知らしめる為に自ら「泣いた赤鬼」の赤鬼の役をアクツ先生が担っているとしたら・・・。ある種の権力に靡いていく一般大衆の愚かさ、自分に特権を与えられれば、より権力に同調していくという利己的な思考、そういう傾向が日本の過去の失敗を彷彿とさせるのです。アクツ先生が決める「ルール」とは「法」と同じような意味合いであり、大衆がそれを受け入れたりしなければとんでもない「ルール」は排除できるのに、「となり組」のような監視制度にも同調していくクラスメート達は、まさに「思う壺に嵌っている」のです。誘導を受けた生徒達が、元々拒否の意思を持ちながらも、次第に自ら進んでアクツ先生の決めた「ルール」に加担していることに気づかないのです。傍観者を決め込もうとする人間も、実は加担しているのと同じであると、自覚できないのです。


そんなことを思ったりしています。
次回も楽しみです。


ある人の死

2005年07月24日 23時51分16秒 | 俺のそれ
暫くネットもテレビも観れなかったのですが、関東は大きな地震があったのですね。知らなかった。先ほどテレビ映像で見ましたが、物凄い数の人々が駅などに足止めとなったんですね。東京は本当に人が多いんですね。目が回りそうです。人に酔ってしまいそうです。私は満員電車にも人生で数度しか経験したことがないのですが(東京に行った時に経験しました)、とても毎日は耐えられそうにないです。極々稀にデパートなどに買い物に行った時に、ちょっと人ごみになっている程度ですら、1時間と耐えることができません(笑)。東京に住んでお仕事をされたりしている人達は、尊敬に値します。よくもあのような苦行僧の如き生活を辛抱しておられるな、と本当に感心します(そういう人々がいてくれなければ、私たちの生活が成り立っていないのですから)。


実は、ある身近な人が亡くなって、葬儀に行っていました。高齢の方で、十分人生をまっとうされたのではないかと思いました。人の死に接する時、自分の身に必ず訪れる、また誰にでもやってくる死について、現実感が沸いてきます。普段目にすることの少ない、他宗派のお経とか仏事について知ることもでき、ある意味勉強になります。


冷たい物質塊となった肉体と生命の境界は、私には未だによく理解できません。細胞一つひとつが直ぐに死滅するわけでもないのに、生体全体としては「調和」とか「統合」を失い、「機能」しない状態となってしまうのだろうと思いますが、小さな範囲―組織とか細胞レベルのような―で個々に機能しても死を止めることが出来ないのです。国も似たようなイメージで、個人がバラバラに存在しても調和を失っているならば死んでいるのと同じようなもので、「死んでいる国」というのはシステムが存在せず、「意思」も生まれない、ということなんだろうと思います。

でも、何だか不思議。


亡くなった方は、戦争で職業軍人として満州に行ったそうですが、生きて帰国されて勲章を受け、事業を興し、それなりに成功されたようです。ですが、ご自身の子供は先に亡くなられたのだそうです。人間の一生というのは、本当にドラマのようです。まさに邯鄲の夢なのですね。


十年以上にわたる戦争経験は、私には想像もつきません。本人にしか分からない、体験があったはずです。同じ時間を失ってみなければ、分からないのだろうな、と思います。平和に生きる今の時代に感謝するとともに、こうした先人達の築いた歴史が、今の日本を作ってきたのだと感じます。私の今後に残された人生で、一体何ができるのか、私にはよく分かりません。自分の死を迎えた時に、私の人生が分かるのかもしれません。



遂にG4案も赤信号?

2005年07月23日 13時38分55秒 | 外交問題
AUとの交渉も決裂の様相。アフリカが一致しないでバラバラに投票ということになればG4有利ではあるが、票が割れてどれもダメという可能性もある。今回日本が米国の意向に逆らってG4案を提出したら、G4案否決→安保理改革なしとなった場合に、その数年後に「日本プラス1カ国」という改革案を支持(提示)するかというと、これはかなり難しいだろう。日本にとってはとりあえず今回のG4案に賭ける以外ないのだろうと思う。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 安保理拡大決議案一本化、G4・AUの協議が物別れ


アフリカ諸国はアフリカのどの国を多く支持しているのか、分らない。南アフリカやナイジェリアがAU内でどのくらいの影響力を持ち、支持する国がどの程度あるのだろうか。もしも有力候補のAU内2カ国がG4案に便乗して、その影響力によって例えばAUの30カ国以上支持を得られるという見通しならば、再びG4案は有力となり得るのではないのかな。G4プラス2(AU内の)で、アフリカ票の30を押さえるということになれば、採決の成立マジックは約100だ(全部で128票必要)。今までのG4案でも約100程度の支持を得る手ごたえを掴んでいただろうから、アフリカの有力候補がその30を引っ張れるかどうかでしょう。また、AU案が割れるならば問題ないのだが、AU統一案を提出することに拘り続けるようなら、G4案と割れることは必至ですね。

さて、G4はどう出るか。AUを裂くことができるのか。