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オール人力狙撃システム試作機

小泉改造内閣決定だ

2005年10月31日 21時02分07秒 | 政治って?
遂に来ました。サプライズは無かった。はっきり言うと。そして、康夫さんが外された。年齢の壁ということが重視されたとのだと思う。スピードを求められる時代であるし、若さも必要ということなんだろうね。ひょっとすると、福田さん本人が断ったのかもしれないし。「私は、もうやる気はないんですよ」って。後は、論功行賞的に人員が配置された。案外いいとこついてたかもしれません(笑)。過去の記事を思い起こせば。全然違ってるけど。

参考記事:
麻生大臣の戦い
郵政決戦に備ふ(激闘編)
「ポスト小泉」を睨んだ組閣はどうなるかな?
郵政決戦に備ふ(反攻編)


大きなポイントは麻生外務就任。三本柱で考えれば、大蔵・外務・官房ということで、なるほど谷垣・麻生・安倍3氏がそれぞれ配されている。重みという点ではそうですね。安倍外務-麻生官房というのは有り得なさそうだもんね、確かに。小泉さんは直に安倍ちゃんに「バッテリー指導」をするということだな。二人三脚でやって、「内閣の表裏を見ておけ」という意味か。そうか。


麻生外務大臣というのは、(吉田茂元総理が祖父であるから)由緒正しき系譜という意味でもあるけれども、別な穿った見方も無い訳ではない。それは他のメンバーとも関連しているが、経済財政諮問会議から「外した」ということでもある。従来の諮問会議で見れば、麻生親分がたとえ民間議員や平ちゃん、谷垣くんと対立したりしても、常に「言うべきことは言う」というスタンスであり、ある種の「強さ」を持っていた。このようなリーダーとしての資質が最も発揮されていた議員は、麻生親分が一番だっただろう。時には小泉さんと意見が食い違うこととなったとしても、そういう意見を言うということなのである。これは大切なことだ。かつての小泉さんがそうだったように。だから、郵政解散の時にも、閣議で異論を述べたのは麻生さんだった。しかも総裁選では小泉さんと戦っている。つまり、諮問会議から外したのは、「自分の時に、やってくれ」という意味でもある。小泉さんの「残り持ち時間」が少ないので、スイスイ進めたい、ということである。諮問会議内で対立している暇はない、ということなのである。


諮問会議重視という意味において、選ばれた面子を見ればピンと来ますね。安倍ちゃんは勿論ですが、新加入の与謝野さんは経済財政・金融担当、経産省が二階さん、ということで、速攻型布陣であることは間違いないですね。そして平ちゃんですが、長かった内閣府ともお別れして、乗り込む先は、勿論「郵政省」・・・じゃなくて、総務省です。これが象徴的ですね。


平ちゃんは小泉さんの軍師として、郵政民営化成功までの道のりを支えてきました。最後の仕事は、落城させた城に乗り込んで、かつて「抵抗勢力」として平ちゃんを亡き者にしようとしていた官僚連中をも従えて、(You say=郵政)「YES!」(Sirは付かないだろうけど、笑)と言わせることです。昔、敵の城を取れば、そこに有力な武将を配するというのは普通ですね。「郵政省」を討ち取ったのですから、平ちゃんを置くことに大きな意味があるのですね。それともう一つ、大きな山がありますね。「三位一体改革」です。麻生親分が「地方」の立場に立って意見をしていましたけれども、今度は平ちゃんに推進役を任せるということになりますね。「郵政省」として郵政公社民営化プロセスをしっかり監督することと、三位一体改革を進める為の抵抗排除という、大きな二つの意味があります。そう考えると、ナルホド、と至極当然なんですね。そうか、と得心出来ますね。


諮問会議内に、「YES!」と言える安倍・与謝野・二階を配置し、三役は武部・中川・久間という布陣ですから、中川さんも箔付けというか今まで以上に表舞台に立たせる、ということなのでしょう。


言うなれば、「ポスト郵政内閣」ということで(郵便だけに”ポスト”っていうことではありませんね、ツマラナイ?そーですか、スミマセン)ネーミングを考えると、「ゆーせい(you say)YES内閣」でどうですか?これは、パクリですな。散々責められた、政府広報と同じですね。それか「NOと言えない日本」から、「NOと言わない内閣」とか?うーん、センス悪し。「ハイと言って内閣」?ダメ?そーだよね。じゃあ・・・
「余命1年内閣」とか?これはキツイか。ゴメンナサイ。悪ふざけが過ぎました。じゃあ、最後の案として「民意重視内閣」とでもしましょうか。それぞれ「民意ですから」「民意であることを重く受け止め・・・」とか言う訳ですから。これから、どうなるんでしょうか。注目です。与謝野さんは特に経済財政という重要ポストに就いたので、是非とも頑張ってもらいたいですね。



続・双日の謎

2005年10月31日 02時11分59秒 | 俺のそれ
先日のストップ安(双日の謎)がどうも気になります。コメントで頂いた情報で、その日に決算発表があったということを知りました(個人のデイトレーダーはダメなの?)。なので、少し調べてみました。すると、急落がスタートしたのは丁度13時頃でした。日中足を調べるとまさにその時間から急落が始まったのです。これは、どういうことなのか?前場では特に波乱要因もなく、普通に過ぎていました。大体665円から675円程度の値動きでした。ここ数日で活発に取引されていました。出来高が急増しているので、それが分かります。

あるストーリーを考えてみました。これは全くの空想に過ぎないので、事実は判りません。何の陰謀もないかもしれません。極々普通の取引かもしれません。しかし、このような現象が起こるということは、まず普通ではないですね。あまりに異常な感じがするのですね。しかし、資金量が多ければ可能な方法と思えるので、一応書いてみたいと思います。


銘柄は「双日・コード2768」についてで、以後断りません。


とある、資金をかなり持つ、株取引のプロがいるとします。この人物は1人か複数か不明です。しかし、相当の資金量を動かせることは間違いありません。

9~10月初旬の株式市場の活況で、高値を更新していたのですが、9/29に669円を付けてからは、売り物に押されて600円割れの日も出ていました。その後は、信用売りも一巡したのでやや値を戻し、10/11以降は大体620~630円程度のボックス相場となっていました。出来高も減少し、高値を付けた辺りでは一日2千万株近くの売買がありましたが、人気が薄れると1千万株を割り込み、7百万、6百万、5百万株台と減少して行きました。

絶好の仕込み時期がやってきました。10/18には終値で620円(前日比+4)、出来高は548万株でした。遂に人気薄の状況がやってきたのです。翌19日、仕込みを開始する為、買いに出ます。千株で63万円程度で買えますから、10万株で6300万円程度、100万株で6.3億円程度です。株価を一定以上にするように仕込む訳です。それと手持ち株に、ざっと100万株くらいを仕込む必要があったのです。前日の売買高は5百万株超でしたから、100万株クラスの新たな買いがあれば値を上げるには効果が期待できるはずです。

18日の日経平均は13352円で、それまでの相場全体のエネルギーは弱まっていました。前日比でも小幅安で、11日の13556円から5連敗中でした。続落でそろそろ上げても良さそうな頃合でもありました。なので、19日には朝の寄付から買い注文を入れ、始値は前日比よりも高くなるように、数十万株規模で買い注文を入れたのです。なので、626円からスタートしました。場中でも十万株単位で断続的に買いを入れ、値を吊り上げて行きます。売り方に8万株あれば、8万5千株買いという風に、売り注文を一気に解消して買い進むのです。これに釣られた個人も参入してきて、買い方の資金は増えていくのです。時には、買い方がくじけそうになったりするようなら、取引値よりも数円安い値段で大量買い注文を置いておき、下値不安を弱めます。昔は板情報を見ることが出来なかったのですが、今は個人でも見ることができるので、個人投資家はそういった板情報に大きく左右されてしまいやすいことを熟知しているのです。なので、そういう効果的な買い注文を交えながら、買い進んで行きます。

すると思った通り、個人などの資金が流入してきて、次第に値が上がっていきます。しかし、日経平均は前日よりも大きく下げており、相場全体の勢いがなく、売り注文が多くて吸収し切れません。高値に誘導する為に買い進み、一時640円まで上昇したのですが、結局それまで売り残されていた注文が多くて、終値では627円という程度に終わってしまいました。日経平均が大きく下げてしまったためです。終値で13129円と223円の大幅安となったからでした。それでも、始値をキープすることは何とか出来ました。6億円強の資金投入でした。この日の出来高は、2.4倍程度の1308万株と急増しました。


「これでは安すぎだな」
まだまだ値を吊り上げる必要がある。地獄を見せてやる為には、もっともっと高くならなければダメだな・・・。
更なる資金投入が必要だろうな。決行までには、まだ時間はある。直前近くにもう一度資金投入をしよう・・・。


20日、また平凡な出来高(766万株)に戻ってしまい、終値も変わらずで引けました。21日も667万株、4円安と小動きでした。日経平均自体も大きく上げることもなく、エネルギーは弱いことは確かでした。出来高が5百万株程度になることを期待して待つことにしました。

週明け24日、この日出来高が491万株と閑散相場となって、日経平均も90円ちょっと下げて終えました。再びチャンスがやってきたのです。25日朝から、買いを入れます。日経平均も上げが期待されていました。前日に13106円くらいまで下げていたからです。
始値では632円と前日終値比で5円高で始まりました。相場全体に再び活況が戻り、多くの銘柄が上げて行きました。その流れもあって、断続的に数万から十万株単位で買い注文を入れると株価は思惑通り上昇して行きました。こういう日は、買うのは楽でした。個人の買い資金が戻ってきて、特別大きな努力をしなくとも値が上がるからです。そういう流れで642円の高値を付け、終値でも640円、13円高の大幅高といい感じで上がってきたのです。出来高は当然急増し、前日の倍近い909万株となっていました。仕込みはほぼ終わりました。後は当日が来るのを待つことになります。日経平均は13280円と大幅高でした。この日の買い資金は数千万円で済みました。


26日、前日の大幅高を受けて朝から買い注文が集まり、645円で始まりました。その日も日経平均は高くなっていましたから、全体に買いが集まりやすくなっていました。思った通り、売買高は1824万株と倍増し、終値も665円の25円高と大幅高で引けました。日経平均も13395円と連騰でした。これまでの下げた分を回復するという市場エネルギーも戻りつつありました。予想以上の利益が期待できそうです。

そしていよいよ決行当日の27日がやってきました。この日は13時に中間決算発表という重要な予定があることを、事前に知っていました。その瞬間こそ、絶妙のタイミングでの仕掛けが必要なのです。

この2日間で38円上昇しており、この日も過熱感がややあって、始値は671円で始まりました。連騰中では何もせずとも勝手に資金が流入し、株価は上昇しています。朝方は日経平均が下げて始まったので、前場はやや売りに押されていましたが、終わり間際に数十万株買い注文を入れて値を吊り上げておきました。前引けでは672円くらいでした。12時半、後場が始まりました。前引けと同じくらいの値で取引されていましたが、利益確定売りなども多くて次第に下げて行き、670円を割り込む場面がありました。

そして運命の13時が近づいてきました。12時50分過ぎから再び値を吊り上げる為に数万株の買いを入れます。再び670円を超え、672円程度まで戻ってきました。いよいよ仕上げの段階がやってきました。13時丁度になる直前に猛然と買い進みます。例えば売り方の残っている注文が673円5万株なら5万1千株買い、次の674円4万株なら4万1千株買い、という具合に急速に買って行きます。すると他の参加者達は注文変更が追いついて行かず、取引値だけが675円、676円、677円、678円、と言う風に上がって行きます。この時に重要なことは、板に残される数字が凄く少なくなるように買い方の注文を残すことです。板は前後5円しか表示されません。672円から678円まで上昇すると、買い方の残っている注文は相当少なくなり、千株単位程度しか表示されていません。こうなると、売り注文がやってくることになります。それは値が上がれば売ろうと思っていた人々が待っている訳で、取引値がその通り上がってきたからです。売り方にはズラッと数万株単位で売り注文が表示されており、買い方には数千株程度しか注文が残されていない訳ですから、売り遅れるかもしれない、と思えば「急いで売ろう」という心理が働くのです。これを利用したのです。


13時ジャスト、大量の売り注文を出しました。直前まで急速に買い進んできましたから、他の参加者の売り注文と重なって、一気に売りが来ます。するとどうでしょう。677円、676円、675円、674円・・・とみるみる下がっていくのです。しかも、決算発表の時間でしたから、これを知っていた人々は「下方修正とかの悪いニュースだったのか?」という連想が強く働くのです。こうして、暴落がスタートしました。670円を割り込むの見た人々は慌てて売りを追加していきます。遂に660円も割り込むと、投売りをする人々が続出するのです。何たって、18円も急に下げたのですから。買い注文に残されていた分は、全て売り切られてしまうのです。こうして数十万株以上は売り切られました。しかも、真の楽しみはこれからなのです。


慌てて売った人々の株は、暴落へと突き進む原動力となりました。途中、勇気を持って625円近辺で20万株くらいの買い注文を入れた人がいて、勢いが少し弱まったのですが、この時点で再び追加の大量売り注文を出しました。ストップ安の565円までは絶対に落とす為です。「地獄へのジェットコースター」を止めない為です。遂にストップ安まで突き進み、思惑通りとなったのです。そして、この底値で百万株以上の大量の買戻しを行います。ここから先は、どの値段で売っても、丸儲けです。地獄を見せられた人々はかなり多かったでしょう。僅か数十秒で、地獄に落とされたのです。暴落スタート時点での売り注文は底値での買い戻しによって決済されてしまってますし、以前に仕込んでおいた分を大量に売ったり、大きく下げた時点で再び買ったりを繰り返すだけで大儲けできるのです。この混乱の中では、百万株程度保有分があれば十分可能なのではないかと思います。数十万株程度の注文が強い影響力を持つのです。これらは注文板が見えることによって起こってしまうのです。心理的な効果によって、何度も大きく上がったり下がったりが起こるのです。


これが私の推測したストーリーです。実際に起こりえるかどうかは不明です。
この「地獄のジェットコースター作戦」によって、1億円以上の儲けを手にすることができたはずです。発行済み株式は5億6700万株くらいですから、その僅か0.18%程度を買い集めれば可能な方法です。10億円程度の売買能力を持つ人間ならば、決行することが出来たはずです。あまりにうまく出来過ぎでした。


注文の入力ミスなどで、このような現象が果たして起こりえるでしょうか?暴落直前の急速な上げというのも腑に落ちません。678円まで上昇するというのは、やや不自然ではないか、思うのですね。入力ミスが起こった時間が丁度13時などという、うまい偶然が本当にあるでしょうか?


謎ですね。



熱闘!官業金融~第2R

2005年10月30日 01時26分12秒 | 社会全般
ヒアリング終了の結果を受けて、諮問会議での議論と自民党での議論が始まりました。論点整理ということで、色々なプランが報道されてきてます(Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 経済財政諮問会議 政府系金融機関の撤退分野を初めて例示)。各省庁との関連の深い議員さん達と言えども、抵抗勢力のレッテルを張られることを恐れています。

確かに小泉総理が指摘した「財務省と経産省が如何に抵抗しているか」ということも実態としてはあるかもしれないが、ヒアリング結果を見ていくと、特にユーザーサイドに一定の期待というか要望があることは確かです。こういった声をどのようにデザインに活かせるか、ということは今後の議論が必要だろう。諮問会議内での議論の一部は(まだ詳細は不明ですが、報道記事などから推測されることです)、単に抵抗ということばかりではなくて、国民サイドに立った(中小企業とか農業関係等ですね)代弁でもある面がありますので、全部を否定するのは理不尽な面があるのではないかと思いますね。


裏返してみれば、民間金融機関が如何に責任を取るということに避けてきたか、と思います。全銀協の会長の方のヒアリングでは、政府系金融機関が最終的に残されるとしても、出来るだけ「小さく」してくれ、ということを言っていましたが、民間議員達から出された「中小企業への問題」という点では、「勿論私達でも出来ますし、対応してますよ。ただ、融資を断ることは、それは個々に応じてあります。数で言ってしまえば、数万件というレベルでありますよ」とか答えていた。従来の民間融資ということでは不十分だったから政府系金融機関への依存が強くなった訳で、中小企業融資の問題を解決していこう、という意欲はさほど感じ取れなかった。しかも、審査は民間でやり、リスクは政府保証なりの保証をお願いすることが出来ればよい、ということを言っていた。随分と自分達に都合よく言うんだな、と思った。だって、「リスクは取りたくないから、一定の債務保証を与えてくれ」と要求し、一方では「民間で融資実行し利益だけは総取り」ということを言うわけだ。こんな卑怯な商売はないんじゃないか?政府系には引っ込んでろ、だが保証は付けてくれ、では、おいし過ぎるだろ?カウベル効果についても、現在はそれ程ない、ということだが、責任逃れ的に融資審査は政府系にやらせて(危ない橋が本当に渡れるかどうか、先に歩かせるということだ)、渡れそうだなという見込みがついたら後ろから付いていっていたんじゃないかと思う。結局民間の大手銀行などは、「アンパイ」に食い付くだけで、大蔵主導の下で後ろを歩いてきたのではないかとさえ思える。「大型のプロジェクト」ということでも、率先して融資シンジケートを作るなり、複合的な資金調達プランを作るなり、民間銀行だって取り組めることは沢山あっただろうに、現実にはやってこなかった。そういう仕組みもやる気もなかったんじゃないのか?


百件の融資先があれば、きっとリスクは分散されてある程度均等化されるだろうから、民間銀行の融資が失敗もあれば上手くいく時もあるけれども、その平均的なリスクと収益がバランスされているということだと思う。だが、政府系は無くせ、審査も民間でやる、だが、保証だけは欲しいというのは、虫が良すぎるだろ?政府系の組織としてどうなのか、というのは幾つかの議論があると思うが、審査というかプロジェクトリーダー的な機関は必要かも、と思ったりする。それ程民間金融機関への信頼性が低い、ということだ。全体のコーディネーターとしての機能は、公的部分が求められるのではないか、と思う。全銀協会長も、「政府系とのバッティングはそれほど存在してこなかった」と述べていたが、それは「民間が出来ることを自ら進んでやる」という姿勢なんかではなくて、自分達がオイシイところだけ占めておいて、カスとか責任を取りたくない部分を政府系に押し付けてきたのではないのか?自分達が捨ててきた分野を政府系にやらせておいて、今更になって「民間でも対応できる組織は整っている」なんて都合のいいことを言っているのではないのか?それが顕著になったのが、中小企業への融資だったのだろ?


例えば、政策投資銀行と、全銀協のヒアリングを聞いていて、どちらが「ユーザーに良心的か」「融資案件評価の信頼性・積極性があるか」ということを評価するとすれば、前者としか思えなかったけれどね。組織論としてはまた別な議論になると思うけれども、民間銀行には相当の改善努力が必要だろうし、直ぐにそういった人材育成ができるのかというのは疑問ではないか、と感じた。なので、最終的に組織統合とか民営化をするとしても、評価・審査は公的にやりましょう、民間銀行は金だけ出して下さい、ということになっても不思議はないかなとさえ思う。政府系の融資全部が必要とも思えない(既に安定的になっている企業等への貸出などがそうですね)し、補助金絡みとかもあって(目標額の融資を引き受けてくれたら、or繰上げ返済せずに借入を続けてくれたら、どこどこ省の補助金枠を何億円取れるようにしますから、とかって言ったり?)、官と業が一体でやってきた部分もあるかもしれない。そういうのは改めるべきだが、民間金融機関に求めるものとしては、従来よりもハードルがかなり高くなると考えるべきだろう。民が「あれもできる、これもできる」というのを、俄かには信じることが出来ない、ということだ。本当に出来るなら、今まで何故熱心に取り組んでこなかったのか?という疑問も残るからである。そこら辺も考慮した上で、これからの議論を進めていって頂ければと思います。


今回のヒアリングは、かなりの成果があったと言えるだろう。これほど行政サイドが熱心に現場の人間達の意見を聞いたことは、過去にそれほどなかったんじゃないか、と思いますし、迅速に公開されていることも良かったと思います。各メディアの報道はもう少し頑張って欲しいとも思いましたよ。折角よい一次情報があるのですし。ナマの意見というのは、貴重ですよ。それと、長い時間に渡って全部のヒアリングに参加していた諮問会議の民間議員達や選抜されたメンバーは、ご苦労だったと思いますよ(跡田先生は遅刻した?ことがありましたね。用事で来られなかったのかもしれませんが。笑)。ちょっと批判もしてしまいましたが、結果として良い改革となることが重要ですし、議論の質を高めることも大切な要素ではないかと思いましたので。どうぞご容赦下さればと思います。


機能論としては、諮問会議側と自民党とのすり合わせは以前に比べれば困難は減少し、双方とも意見が「かなり接近している」と言えるでしょう。政府系金融機関の組織像が具体化していけば、いずれ独立行政法人等が手がける「金貸し業務」についても切り込めるはずだ。そういう方向性を各省庁が示すことを求められるだろう。そこでの拒否は、それこそ「抵抗勢力」ということになるのは間違いない。



個人のデイトレーダーはダメなの?

2005年10月29日 13時02分52秒 | 俺のそれ
最近雑誌にも時々特集で記事が出ていたりする(新聞下段広告で見出しに出てました)個人投資家の話題です。産経新聞にも面白い記事が出ていた。

Sankei Web 産経朝刊 証券市場変えるネットトレーダー 記録的活況の立役者/ゲーム感覚の危うさ(10/28 05:00)


デイトレーダーへのやや批判的意見だが、昔のバブル期にはモーニングショーとかで、テレビデビューを果たした怪しげな株式評論家とか経済評論家をもてはやし、「今日の銘柄」とか何とか言ってド素人主婦などに株取引を推奨し、NTT株放出でもバブルを煽り立てたのは、メディアだったのではないか?実際、NTT株の3次放出では300万円以上の高値となったのではなかったか?まあ、国鉄の借金穴埋めなどに充当されたから、国民の役には立っていたのだけれど。そういう失敗の上に成り立って、個人投資家も進歩したんだろうと思うよ。

評論家連中の中には、テレビで顔を売って、国会議員さんになった人達もいるくらいですから(笑)。


記事には、『デイトレーダーの動向について、三菱UFJ証券の藤戸則弘・投資情報部長は「投資というより投機。パチンコや競馬、競輪と同じ感覚だ。どういう企業かも知らずに株価の動きだけ見て売買しており、株価が調整局面に入ると痛い目に遭いかねない」と警告する。』とあるが、宵越しの株を持たない人々ならば、93、4年頃あった「ブラックウェンズディ」(だったか?曜日が違うかも。マンデーではなかった。火・木曜のどちらかだったかも)とかで、アメリカ市場で暴落が起こり世界同時株安が起こったことがあったけれど、そういう暴落危機にも影響されないんじゃないか?株式を持ってなければ、暴落は関係がない。勿論個人投資家がデイトレで損を繰り返すかもしれないが、それは仕方がないことだ。自分の責任と判断で行う訳だから、問題ないのではないのか?痛い目に遭いかねない、というのはどのような投資法にとっても同じだ。


大体、昔から証券会社の自己売買部門は、そういうデイトレを繰り返してきたんじゃないか。それで多くの収益を上げただろ?無知な個人投資家から、金を巻き上げてきたのはプロの連中だったのではないのか?個人が同じような手法をとっても、何ら問題ないと思うが。証券会社は軒並み手数料収入が増えているのだし。ゲーム感覚だろうが、どのような投資スタイルだろうが、「マネーゲーム」が続けられてきたのは、同じなんじゃないのか?


個人投資家の影響力は確かにあると思うけれども、実はプロの方が酷いんじゃないのか?やり方が汚い感じがするのは、むしろプロの運用担当なんじゃないのか?この前書いた「みずほ」(話題シリーズ13(追加あり)、この記事に間違えて「みずほHD」と書いてしまいましたが、「みずほFG」でした。ゴメンナサイ。だってあちこち合併したりして、名前がこんがらがるんだよね。笑)の猛烈な下げ局面でも、プロの連中が演出していたんじゃないのか?個人はそれに釣られて動くだけだ。1株75万円(みずほは売買単位が1株単位)近辺から三日続落で急落した時があったが、この時には大量の空売りが出されて、信用売り残高が急速に増えたはずだ。個人には無理な離れ業だ。だって、売りが千株単位で急にドーンと出せるというのは極々限られた人々だけだ。このための資金は最低でも7億円以上必要だからだ。そんな資金を持つ個人はどれ程いる?信用取引でレバレッジがきいたとしても、保証金で数億円も持っている人なんて、限られているだろう。そりゃ、どう見たってプロの仕業だろ。


推測を言おう。弱小個人投資家が、一攫千金を夢見て、大体100万円程度の自己資金でデイトレをやっていたって、全然大したことがない。そういう人々が数万人か数十万人かいて、それはそれで意味があるが、そういう人々が一気に同じ銘柄に参加したりはしない。そういう人々の売買の影響力なんて、まるで小さい。そういう弱小を翻弄しているのは、実はプロの連中だ。大量の資金を動かせる連中が、個人から巻き上げているんだよ。おそらく一定層の個人投資家は、掲示板とかブログとかでよく情報を仕入れる先があると思う。そういう人々は、ちっぽけなボロ株とかに少しの資金を投入しても値動きの効果があるものを好むのではないかな?発行株数・時価総額が少ない小型株とかだ。なので、新興市場での取引が多くなりがちなんじゃないかな、きっと。ところが、みずほFGといった売買代金がトップ級になるような株は、ちょっと違うと思うぞ。


個人が値上がり期待で数万人がみずほに「買い」を入れたとしても、証券自己売買部門や投信運用担当とかのような資金規模の大きい連中が、一致して数十億円単位で「売り」を出せば、釣られてセミプロ個人なども一緒に売ってくるだろう。そういう相場演出がなされたと思うぞ。デイトレをやっている人々が1度に千株2千株とかの大量売り注文を出せるはずがないもの。むしろ、そういうデイトレの人々の持つ資金は、その日の相場が急落してしまうので、投売りになってしまい、値下がりを加速してしまう。そういう面はあると思う。時々、外国系証券経由の大量売り注文が出る直前に、大量に売ってくる連中がいるが、これもプロだろ、きっと。売り注文が来る、ということがほんの僅か先に分かるという連中が、そういう動きに連動して同じように売ってくるんだろう。どうしてそう思うかというと、日経平均やTOPIXが大きく下げる直前に、何故か大量に売ってくる奴らがいるからだ。それは1部上場の日経平均採用銘柄のような大型株の時に、そういう売りが来る。個人だと画面だけ見ていて、インデックス下げ表示を見て、初めてそこで「弱気」という感じが分かるのだけれども、その時には既に売られてしまった後で、取引値が数円下がっている。つまり、インデックス下落を見て売り注文を出していたら、間に合わないということだ。そういうことができる連中は、プロ以外にいないと思う。大手の運用担当者達が、同業者仲間として「ある種の協力」ができれば、可能ということだ。動きのキッカケを作る、例えば海外勢の「売り注文が来る」という方向性さえ分かれば、他のプロの連中が一致して同じ動きをすることでも、そういう協力と同じような状況が作られるだろう。


双日のストップ安の件(双日の謎)も、最初の下げは原因不明だが、その後の混乱は個人のせいだけとも言えないのではないか。個人だと何回も同じ日に同一銘柄を売買できない。「買い、売り、買い」と「売り、買い、売り」のどちらかが出来て、どちらかは出来ないはずで、要は1往復半しか出来ない。私のように、下がったところで買い、その日に売ってしまったら、もう売買できないか、買うだけしか出来ない。あんなに上がったり下がったりをするのは、新たな個人流入の影響もあったかもしれないが、十万株単位で注文を出せる連中はそう多くはないだろう。資金量の多いセミプロか、売買回数の制限がない(多分そう思うが、推測です)プロの影響が大きいと思う。弱小個人は流れについていくだけだろう、と。個人投資家達だけで、たった一日で流れを作れるのは、時価総額の少ない小型株だけだろう。


つまりは、個人投資家は増えて、それなりに市場は活況を呈しており、デイトレで儲けている個人も少しはいるかもしれないが、大半はプロのトレーダーの餌食となり、自己資金を減らす人々が結構いるんじゃないかと思う。NTT株を思い起こせば、大体損したのは個人であり、大きくやられた人々がきっと大量にいたんですよ。中には「政府が売りに出すのに、これ程下がるなんておかしい」とか言っていた人達もいたようだが、株がどういうことなのか知らないで買うのもどうかと思うけど(笑)。


私は地味な取引が多いので、デイトレは困難ですが、投資スタイルは個人の自由だし、投機だろうが何だろうが、自己責任なのだからいいと思う。ヤラレれば自分の投資に誤りがあったのだ、ということが実感できるのだし。高い授業料となってしまうかもしれませんが。身銭を切って取り組むことで、真剣にやるだろう。それと、政府だって、投資を推奨しているじゃないか(笑)。パチスロなどにはまるより、よっぽど健全だ。

大体、証券の自己売買部門が儲けだけを目的として、短期売買を繰り返しておきながら、個人投資家には「お説教」というのも、大きなお世話なんだよ。自分達こそ、健全な投資目的からは大きく逸脱してるじゃないか。信用取引を大量に膨らませている人は危ないかもしれないけれど、デイトレでは損害の限界があるだろうから、むしろ安全性は高いかもしれないよ。


話題シリーズ14

2005年10月29日 01時42分28秒 | 社会全般
1)ブロガーを呼ぶ政党

ガ島通信やR30さんのところに書いてあるのを読んで知った。やっぱり政党も有名人ブロガーを呼ぶんですね。
でも私の所には、連絡来てないですけど。何で私を呼んでくれないのかな?(笑)

なーんて。でも残念。呼ばれた方々が羨ましい。

色々記事に一生懸命書いているけど、やっぱり無駄なことなのかな?
大衆に影響力を持たないから?
それとも、いつも批判ばかり書いているから?
現実世界で立派じゃないから?
外した記事ばかり書いているから?

まあ、仕方ない。マイナーは所詮マイナーとして生きるしかない。


2)人事を尽くして天命を待つ?

小泉総理が31日に改造人事を発表ということで、まんじりと過ごせない人々もいることだろう。ひょっとして「自分なのでは?」「選ばれるかな?」というような具合で、ワクワク、ドキドキで週末を過ごさねばならない訳ですから。誰も内容を知らないので、党幹部や現職閣僚と言えども、落ち着かないことでしょう。

月曜は、この発表が何時になるかが重要ですね。市場にとっては波乱要因ということになりかねないですから、様子見が多いでしょうね。ということは小動きか、若干の下げかな?それとも、先回り買いで仕込んでおくか?どうだろな。


3)会計検査院の踏み込み

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 出張費水増しで113人処分=架空領収書使い請求-財務省・国税庁

参考記事:
官の意識改革は可能か
官僚は制度に負けるのか


財務省と国税庁にもメスを入れたようですね。かなり前に書いた旅費ですけれども、”やっぱり”不正な請求が発覚したようです。財務省は高々1千万円程度の”回収”で済ませたようです。本当はもっと巨額の不正があったのではないですか?通常役人の世界で、ごく少数の人達だけが不正をやって、残り全部が旅費請求を正しく行っているということは考えにくいですね。かなり以前からの「慣習」として各部局に伝授されてきたんじゃないかと思います。財務省は他の省庁に文句を言う前に、自分達がちゃんとやれ。


4)私のブログの価値

tomberさんのブログ(聞いた、見た、読んだ。:このブログの価格を調べてみた - livedoor Blog(ブログ))を見て知りました。

自分のブログの値段が分かるとのことで、恐る恐る試してみました。

その金額は、何と!ダラスタ・ダラスタ・ダラララ・・・・・・・(効果音です)
もったいぶるな、ボケ!と突っ込まないでね。

61534.86ドルでした~
意外に多かった。でも、こんな値段は、嘘っぱちだ。
なんて言いながらも、予想以上に高いと思った。

無駄記事も含めて(というか、全部?)、693本書いているから、一本当たりでは約88.79ドルとなります。
私の血(少しの知も)と汗と涙の結晶が、ざっと1万円ということです。本当かよ?
こんなしょぼい記事一本書いて、原稿料が1万円の評価ということなら、えらく高い気がするが。

でも、何だかな~さみしさもあり、嬉しさもあり、金額を見るべきではなかったかもしれないな(笑)


民間銀行の戦略?

2005年10月28日 20時25分11秒 | 社会全般
行政からの強い要請でも受けたのでしょうか?随分と早い対応ですね。全銀協も「民間でもこれだけやれば出来るんです」ということを、見せる必要があるということでしょうか。その第一陣が東京三菱ということのようですね。何で今まで出来なかったのか、やってこなかったのか疑問に思うけれども。郵貯に続いて政府系金融の整理に伴って、民間金融機関はやけに張り切っていて、先陣争いというか、先にシェア確保?ということですかい?

NIKKEI NET:経済ニュース

記事の一部を抜粋します。

東京三菱銀行は大手銀行で初めて、来年5月から担保も個人保証もとらない新型融資を導入する方針を決めた。企業向け融資が停滞するなかで、土地と経営者の財産だけを頼りにお金を貸してきた銀行も、ようやく企業の成長力や健全性を重視した姿勢に転換してきた。東京三菱は、来年5月をめどに新会社法が施行されるのと同時に、個人保証もはずす新型融資を始める方向で検討中。同法で始まる「会計参与制度」を導入し、大手税理士団体、TKC全国会の税理士や会計士とともに決算書を作っていることが融資の条件になる。


まさか、先日書いた記事を参考にしてもらえたのですか?(笑)
熱闘!官業金融~第1Rの続き

それはそれで、嬉しいですけれども。多分違うのでしょうけれど。単なる偶然でしょう。



ですがね、今までに散々中小企業を泣かせておいて、なんか調子いいような気もするけどね。昨今の銀行業務は、弱小個人から合法的に高金利をむしり取る商売が盛んだしね。前から書いているけど(消費者金融の広告)、無担保個人ローンは銀行の個人部門取引のかなりの額を占めてるからね。消費者金融と同じような商売をやり(一部は子会社化されて、「○○銀行グループの~」とかって宣伝文句まで使っている。ヘンな所に銀行ブランドという安心のイメージを与えているが、結局は個人から金利をむしり取るのには変わりない。勿論銀行系列だからといって特別に金利負担が半額になる訳でもないだろうね)、無知な個人は銀行預金金利の何倍も金利を負担しているんですよ(爆)。銀行取引によっては、定期預金があれば残高がマイナスになってもカバーされるという口座もありますが、これは実は定期預金の年間利息よりもはるかに高い金利を取られてしまいますね。はっきり言えば、定期なんかに入れずに、普通預金口座にお金を入れておいた方がはるかにマシ。


例えば百万円の1年定期があって、他に普通預金口座に10万円入っているとしよう。カード、公共料金や固定資産税の引き落としなどがたまたま重なって、マイナス6万円になってしまったとしますね。すると、定期があれば一定額までは自動的に「貸してくれる」ことになるので、6万円借りたことになります。このまま2ヶ月くらい過ぎるとどうなるか?定期の利息はスズメの涙ほどしかなくて、まあ0.03%としたらたったの300円です。税引き後240円ですね。1年間の利息はこれぽっちにしかならないのです。ところが、借りた6万円の借入金利はどれくらいかというと、銀行によっても違うだろうけれども、通常の消費者金融よりは有利な金利として12%(消費者金融は20~25%とかって表示になっている。信用情報などで差がつくのかもしれない。実態はよく判りません)くらいとすると、1万円を借りたら年間で1200円、月額100円の利息です。従って6万円を2ヶ月借りてしまったら、1200円取られてしまうのです(笑)。定期預金なんぞに入れてしまったがために、利息は240円受け取り、「得したな」なんて思っていたら、他方で金利手数料をぼったくられてるんですね、実は。これが現実に正確かどうかは不明ですが(自分で定期預金に入れたことがないので)、だいたいこのような仕組みになっているはずですね。


先日銀行へ行った時、窓口で定期だったか投信だったかを入れようか迷っている年配のご婦人がおりましたが、こちらにも定型的な「御口座の残高がマイナスになった場合でも、自動的に一定額までは借りられることになっていますので、急なお支払いがあっても大丈夫ですよ」とか何とか説明していたが、腹の中では「借入金利はべら棒にお高いので、是非ともお借入下さいね」と行員は思ったかもしれないな(そんなことは思わないか)。でも現実、金利水準はべら棒に高いので、もしも銀行が良心的に残高がマイナスで決済に支障を来たすのを防ぐというのなら、ずっと低金利でやるはずだし。定期だろうが、投信だろうが、担保は銀行に預けてあり、尚且つ担保があるのに自動的に無担保ローン発動となってしまう、ということですな。全く、とんでもない商売だろう?定期預金金利0.03%の400倍のローン金利を剥ぎ取れるんだよ?こりゃ、オイシイ商売だろ?ボロ儲けなんですよ。


今、AさんとBさんでゲームをします。モノポリーのような投資プランが書かれたボードがあって、双方が順番に好きな場所におはじきを置いていき、投資をするゲームです。ここでルールがあります。投資のリターンが多ければ手持ちのおはじきがマイナスにはなりませんが、時々投資の失敗が起こったり、更なる追加資金が必要となったりするので、おはじきの数が増減します。それとAさんがBさんにおはじきを融通してもらう(借りる)時は、1万個借りると御礼に3個払うのですが、逆にBさんがAさんに融通してもらう時は、1万個当たり1200個払うということになっています。さて、このゲームを続ける時、どちらが勝つでしょうか?投資判断やリターンなどの力量が似たようなものである時、Aさんが圧倒的に有利ですね。Bさんが一度でも借りてしまうと大幅なマイナスとなり、これを上回るリターンを確保せねばなりません。Bさんが余っていたおはじきをAさんに貸してしまい3個御礼を貰ったのですが、ある時マイナスとなってAさんからおはじきを返してもらおうとすると、Aさんは「貸してあげるから」と言って御礼の1200個をBさんから奪い取るのですよ。銀行と一般人は、この関係になっています。消費者金融であれば、もっと多くて、2000個とかを相手に払わねばならないのです。恐るべきゲームと言えるでしょ?


銀行に恨みがある訳でもないですが、ただ銀行に儲けさせるのは腹立たしいのですね(笑)。勿論銀行員の知人もいますし、例にもれず住宅ローンのお世話になったりして、銀行に(私にとっては)膨大な借金はある訳ですが。幾つかの銀行に口座もありますし。でも、理不尽なルールに基づく投資ゲームを双方が行って、明らかに負けるために銀行に金を持っていくようなものですので、私の中では必要最低限の取引のために仕方なく利用(預金)しています。以前にも書きましたが(蘇る企業、危篤の政府、激痛の庶民)、社会人になってから一度も定期預金をしたことはありません(子供の時にはしてましたよ、郵便局とか農協とか。笑)。銀行定期や積立預金ほど無意味なものはありませんね。中途解約にも厳しい縛りがありますし。融通は利かない、利回りは論外、時には間違ってローンの足枷をはめられる、ということでいいこと全くなし、というのが私の結論です。


そういえば、遠い昔、小学校に「学校貯金」という制度があった。あれも、経済教育の一環だったのか?国民に貯蓄を奨励するために、子供に百円を持ってこさせ、通帳に入れさせたのか?当時の百円は大きかったぞ!大失敗だったのは、1年生の初回に、とても大切にしていたピン札の百円紙幣(ヒゲぼうぼうの板垣退助だったか?)を持って行ってしまったことだ。お気に入りだったのに、貯金というのが何なのか知らず、通帳と紙幣を先生が集めて、返ってきたのは数字の入った通帳だけだった。板垣くんは取られてしまったのだ。あれ以来、百円紙幣を手にしていない。残念。


これ以降、確かに私は貯金をするようになってしまったな・・・学校貯金の策略にまんまと引っ掛かってしまっていたのか・・・クソぅ。そうか、そうなんだな。昔、農協に1年定期を作ると、ちり紙(ティッシュなんてこじゃれたものは無かった)やら、くだらないマスコット人形の貯金箱とか、そういうものをくれたな。子供ながらに嬉しかった(でも、大人の人がもらう、小さい鉛筆をさせる穴のついている黒い手帳が欲しかった。ヒモと鉛筆がついてる警察手帳くらいの大きさのやつ。今はどうなったのだろう?あの手帳は。作られていないだろうな)。利息も大きくて、5%以上の金利だった。だから、3万円の定期預金でも利息が1500円以上も付いてきて(源泉税も勿論なかった)、はっきりと数字が大きくなっていくということが感じられたものだ。そういう時代だったんだなー。


大幅に脱線してしまいましたが、銀行の策略に何が隠されているか注意が必要だ、ということ。銀行は、安全・安心とかって言うけれど、実は違う。安心なんかじゃない。双方とも投資ゲームのプレーヤーであって、勝負の相手だ、ということだ。それを忘れていれば、知らず知らずのうちに、いいように貢がされることになるのだ。



双日の謎

2005年10月28日 03時22分00秒 | 俺のそれ
また株の話です。嫌いな人は読まなくていいですよ(笑)。火・水曜の大幅上げ相場の時には、参加できずに売り注文を出していたのが売れただけでした。残念。買っておけば、結構いけたかもしれないのに~


ですが、昨日の木曜日は時間がちょっと取れたので、板を見てみました。すると謎の現象に出会いました。先日売買(話題シリーズ13(追加あり))した双日のことです。ここ数日で40円くらい上がっていたかもしれません。で、午後のある時点で、株価は672円くらいで取引されていました。他の株価を見ていたのですが、ふと見ると、急速に値を下げていく瞬間がありました。理由は不明ですが、3円くらい「パッパッ」という感じで下がったのですね。すると、どうしたことか、狼狽売りが出たのか、その後も連続で下がって行きます。表示が変わるたびに(大体1秒ごとくらい?)、下がっていきます。数字は全く覚えていませんが、例えば今は取引値で671円買いが2万株、672円売りが3万株というような具合で表示されていて、どちらが買うか売るか、という取引状態だったのですが、次の瞬間には670円買い3万株、671円売り2万株、と言う風に切り替わっていくわけです。取引値が次々と下がっていく、ということですね。気付いた時には、既に665円くらいになっていて、その後も下がり続けていったのです。


謎の売り殺到(恐らく狼狽して、釣られて一気に売りにいったのだと思います)取引値が670円だったら、暫くは665円で買い注文を出している人には「まだ来ないだろう」ということで油断しているから、直ぐには注文を取り消せません。ですが、売る方は狼狽して「よく分からないけれど、売り遅れないように売れ」ということで、すぐさま売るのです。なので、買い注文が残されていれば、その値段で売られますが、売り注文が多すぎて売りが積み残されたまま、取引値だけがどんどん下がっていくのです。665円買いで注文を出していた人は、買わされてしまう訳ですが、その後も650円、640円と僅か10秒とかの間に下がって行く訳です。これは恐ろしいですよ。


その後、何か売り材料が発表になったのかと思ってニュースなどを調べますが、特に発見できず、画面に戻って板を見ると、既に600円を割り込んでいましたが、下げ止まらず、ストップ安まで落ちていく勢いです(ストップ値は高値と安値が決まっていて、1日で変動する範囲を規制してあるのです。暴騰暴落を防ぐ為だと思います)。予想通り、ストップ安565円まで落ちました。「ええ~??何で??」と思いましたが、何かあるのかと思って、驚きましたよ。670円近辺から一気に565円まで急落したのですから。売り注文がこなしきれず、売り気配200万株以上あったと思いますが、そこで止まりました。すると今度は、買い方の方が買い注文が急速に集まります。そりゃそうだわな。今まで672円で売っていた(千株だと672000円)ものが、今度は565円(同565000円)で買えるのですから。なので、急いで成行買い注文を出しました。けれども、数秒間でみるみる値が上がり、注文はサーバの「激コミ」で「早く、早く」との祈りも虚しく、数秒間で580円まで上昇してました。今まではストップ安まで落ちてきたのですが、今度は逆にどんどん上がっていきます。


多分、狼狽して投げ売りを出した人達が今度は一気に買い注文(買戻しの為に)を出した為だと思います。そうして610円くらいまでぐんぐん上がっていったのですが、今度は大量売り注文(15万株くらい?だったか)が残っていたので、そこで売りが大量に出されて、下落を始めました。みるみる下がります。さっき来た道です。上がったと思ったのに、今度は下がる。これは565円で買えた人達は既に40円以上の儲けが出たので、売った可能性があります。まあ、理由は色々あるでしょうけれども、再び売り注文が出て、590円くらいに迫ってきます。


私も慌てましたよ。580円で買ったので、「やっぱり、何か売り材料が出されたのか??どうしよ~」と思って、ですが、もう間に合わないと思い、待てばきっといつかは上がると思って、売り注文を出すのを止めました。すると、どうでしょう。さっきと同じように今度は575円くらいから反転、みるみる上がって行きます。どんどん上がって行きます。最初と同じ670円くらいまで上がるのかと思って見ていたら、635円くらいまで上がって行きましたが、今度は再び下がってきます。「何じゃ、こりゃ」と思って、売りました。成行売りでしたが、621円で売れました。その後も下がっていき、610円くらいで反転して再び上がっていく・・・これが繰り返し起こりました。ですが、その後は630円くらいで参加者達に落ち着きが戻り始め、狼狽売りが出なくなって、普通に近い状態に落ち着きました。


こんなことは、普通起こらないでしょうね。どうしてこのような不可思議な現象が起こったのか?私は下がったら買ってみようかな、と思っていましたが、ここ数日は下がらずに上げてましたから、「あー、失敗した、チャンスを逃した~」と思っていたのですが、ストップ安ですからね。買えずに済んでよかった~と思いましたよ。しかも、たった数十秒で40円も利益を抜けたのですから、ラッキーでした(笑)。偶然見てただけなのに。これが起こった初めのきっかけは、連続で数円下がったことでしょう。恐らく3円程度の下げだったのでしょうが、慌てた参加者達が一気に売り注文を出した。これが連鎖的に売りを呼んだのでしょう。また、システム売買で「損切りライン」とか「いくら以下になったら売り」とかの自動注文とかもあるでしょうから、そういうのが発動すると、値が下がるのが急速だと、自動注文が発動してしまうから、売りに歯止めがかからない状態になったのではないかな。それでストップ安まで突き進んでしまったのでしょう。


恐ろしいです、やっぱり。こういう値動きをする株なんて、普通はないですよね。でも、参加できてラッキーでした(笑)。一生に一度あるかないかの経験かもしれないですし。でも、今にして思えば、売らないで持っていれば、もっと上がったかもしれない(実際630円以上になっていた)のに・・・でもいいか、得したんだし。欲も程ほどということで・・・

難しい株だ、と言っていたら、本当に異常な難しさでした。


でもね、もっと損したのは、「ほくほく」ですよ。この前394円で買っておいたのですが、その後407円で「得した」と思って売ったら、その後も連騰して、遂には497円まで上昇したんですから。ガッカリ。売らなければよかった・・・でも仕方ないですね。こっちの方がショックが大きかった。「たられば」は誰でも出来ますから。そういうものなのでしょう、相場は。



経済財政諮問会議内の抵抗勢力

2005年10月28日 02時06分25秒 | 社会全般
道路関係にはまだ解決するべき問題があって、道路特定財源の一般財源化には慎重姿勢を述べた奥田さんでしたが、これは道路族と同じように抵抗勢力と言うべきなのではありませんか?


先日、自動車関連の悪い面を意図的に書いた(話題シリーズ12)のですけれども、あたかも言い訳のように聞こえました。どういう積もりで発言したのかは判りませんが、自動車工業会等「自動車関連団体の意見の代弁」として一言述べたのでしょうけれども、これはオカシナ話ですね。どの業界だって言いたいことはあるし、聞いてもらいたいという要望なんかあるに決まっていますよ。どうして、自動車関連だけが「優先的に」意見を述べることができ、抵抗勢力としてレッテルを貼られないのですか?一般家庭では、生活することが第一で、健康も優先される事項なのですよ、普通は。どこに「新車を買うから、お前らは病気になっても病院代は払わんからな」などと言う家庭がありますか?


同じ50万円を使うなら、最も必要な部分にお金をかけるに決まっているでしょ?病気の親がいれば、まず病院代を払うのが普通ですよ。それでも、余裕資金があって、家庭内でも「車買ってもいいよ」ということならば、ようやく買えるんですよ。どこに「まず道路をよくしてもらって、その後に手術代を払えばよい」なんて言う人がいますか?諮問会議では、言っていることがオカシイですよ。自分のところを批判されたからといって、言い訳にしか聞こえないような意見をいうなら、それは単なる業界の利益誘導に過ぎないのですよ。そんなことが許されるなら、フェアな議論は出来ないですよ。道路財源は温存して欲しい、だが医療費は削れ、っていうのは、明らかに公益に配慮した議論とは言えないですね。問題があるのは、道路だけなわけないでしょ?渋滞は人を殺さないが、医療給付の削減は人の命・健康を害するかもしれないのですよ。


昨日の諮問会議でも医療費削減という方向は変わりがないですが、どうあっても将来の医療費給付の大幅な削減に拘るというのは、以前と何も変わっていませんね。短期的に診療報酬削減というのはある程度は止むを得ないかもしれないけれども、医療制度の根本的改革を目指さなければ、いずれまた同じような議論が復活するでしょう。小手先の改革では、何も良くならないですよ。しわ寄せが末端の弱小層に集められるだけ。厚労省は前よりも少し頑張ったが、諮問会議の民間議員達は前の考えに凝り固まっていて、進展はなかった。経産省も、「レセプト電算化」が目標なんじゃないってば。「カルテの電子化」なんですよ。レセプトなんていう昔の制度に乗っかってるから、中間組織を無くせないんですよ。組織が多すぎなんですよ。もっと簡単に出来るんですよ。


医療保険制度維持でもいいですが、ハッキリ言えば今の制度を一度ぶち壊して、保険者も組合、政府管掌、国保なんて分ける必要がないんですってば。何回も書いていますが。市町村国保なんて、破綻同然じゃないですか。その一方で、大企業中心の健保組合は大都市圏だから、老人は少なく若い人が多くて当たり前だ。自分達の親は地方に残して、地域の税金を食いつぶしているようなありさまで、その面倒を地方に見させているのに、組合が多額の老人保健拠出金を出すのは大変だ・オカシイとかぬかしているんだぞ。運営・管理は国で、保険者は国でいいだろうが。何で分ける必要があるんだ?介護保険もそう。どうして雇用保険は国が一定の運営をしているのに、医療や介護保険は出来ないんだ?オカシイだろ。同じような保険制度なのに。年金保険だって同じだ。どうして同じような保険制度なのに、あれこれ分かれていて、管理運営主体がこれほどまでに別々の組織で行う必要があるんだ?「社会保障」一体で運営で何ら問題ないだろ。労働保険だって同じだろ。前から言っているように、1人の人に対して、どういう行政サービスで支援できるか、ということを考えれば、ベースラインで必要な部分をきちんと確保し、それでは生きていけない・生命生活が脅かされるという人には更なるサービスを付加していくような形にするべきだ。今の制度は、資産を沢山持っていようが、年金を多額に受け取っていようが、別々に行政サービスが給付されるから、足りない人には全然足りないのに、国民負担は増やしましょう、っていう方向になっているんだってば。


おまけに「年金カード」構想があって、ATMで自分の年金受給額の自動計算が出来るように、とかって大バカな構想があるようだが、何を考えているんだ?また業界と何かあるのか?そこでもゴッソリ予算獲得しようって魂胆か?何を言っているんだ!「住基ネット」さえまともに使えていないのに、資源を無駄にするな。バカか?次々と無駄なシステムを生み出そうとして、何の役に立つんだ?まず、「住基ネット」を社会保障制度とリンクして利用できるようなシステムを考えてみろ。システムが多すぎなんだよ。これはまるで「システムの自己膨張」と同じだな。そんなことを始める前に、年金改革を議論してくれよ。


政府系金融機関改革に関して、小泉さんは「財務省と経産省は、如何に抵抗勢力かハッキリした。(閣僚は)官僚に引きずられてはダメだ。かつては(自民)党も官僚も(政府系金融機関には)一指も触れさせぬ、と言っていたが、もうそういうことは通じない。(両方とも改革の)案をしっかり出せ」というようなことを述べたそうですが、各大臣は戦々恐々かもしれないな。谷垣・中川・麻生大臣は抵抗勢力に加担したと思われた、ってことですかね?奥田さんはセーフだったのに(笑)。


これについては、いずれ第2Rを書いてみようと思いますが、ヒアリングを全部チェックするのは大変だな。ちょっと無理。報道機関の人達は手分けして要約してみて欲しいな。私は初日分だけで、挫折しましたよ(笑)。あと3日分ありますから、政府側発表を聞くばかりじゃなくて、報道機関の人達も自分で努力してみて欲しいな。



組織将来像の推測3

2005年10月27日 20時49分53秒 | 俺のそれ
ここ数日は、色々とあって昨日は記事を書けませんでした。残念でございます。毎日きちんと更新されている方を見ると、心の底から尊敬致します。これは、簡単には出来ないことです、やっぱり。

しつこいようですが、最後の回です。国について書いたので、企業について少し考えてみました。シリーズの前の方からお読み下されば幸いです。



企業や商業組織も生物に似たようなところがあるのかな、と思います。初めの段階は「独りの企業」(個人経営ということ)であり、分化は進んでいません。大昔で言えば、きれいな石を拾い集め、石を磨き、穴を開け、紐に通して首飾りを作って、物々交換をする(売るでもいいですが)ということをたった独りでやるということですね。現代では機能分化が進んでいるので、集める人、磨く人、首飾りを作る人、売る人、という風に分かれてしまいました。その方が全体としての効率がよいからだろうと思います。これもシステムの自己膨張による複雑化の過程なのかもしれないですね。経済や金融というものは、目覚しい自己膨張を遂げ、複雑化したシステムを持つようになりました。元々の単純な維持システムの獲得によって、そのシステムが存在することで別なシステムが生み出される、というようなことが起きたのだろうと思います。


企業の外部エネルギー獲得というのは、非常に分り易く言えば「金を得る」ということですかね。通常は人員とか他の経営資源とか何とか色々あるだろうけれども、基本的システムは金を得るということだろうな、と。細胞分裂に似ているのが、本店と支店を出す時ですかね。ラーメン店を始めた人がいて、上手くいったので遂には支店を出そう、ってことになれば、「自己複製」のようなものですね。企業は巨大化が大体成功の目安で、本当に小さい種との競争は違いが圧倒的でしょうね。これは大変厳しい競争だろうと思います。でも、ライオンがアリの全てを殺すことが出来ないのと同じように、圧倒的に巨大化した企業が存在しても、何故かごく小さい企業は生き延びるか新たに生まれてきます。弱小な種を絶滅させられないのです。これはとてもおもしろい現象だと思います。全体としての効率化を最も進めたはずの大企業があれば、他の種(個人とか零細企業など)は不必要なはずなのです。存在理由さえないはずなのですが、どういう訳か弱小企業などが生まれてきたりします。


企業の集団というのは、森のようなものかもしれません。大企業という大木が出来ると、大木は長い時間をかけて巨大化していき、他の大木との生存競争にさらされますね。大企業という大木があることで、下の方にはコケが生えたり、低木が生えたり、雑草が生えたりする(=弱小企業とか、個人企業とか・・・)ようなものかもしれないですね。大木があるお陰で、鳥やリスや昆虫なども生活してくれるので、新たな外部エネルギー供給ということなのかもしれないし、別なシステムを持つ種の誕生となることもあるかもしれない。企業の歴史で、50年以上続く企業の割合というのは、どれほど存在するか知らないけれども、多分少ないんじゃないかな、と思う。大木に成長できる企業ばかりではない、ということだろう。


樹齢百年の木にはそれなりの価値があり、そういう企業もまた同じく、何かの価値があるのだろう。勿論競争は厳しいので、うっかりしていれば、後から生えてきた幼木などに足元を脅かされたり、嫌なツタに絡まれたり、色々な目に遭わされるかもしれない。時には効率の悪い下の方の太い枝(過去の収益事業とか昔に成功した事業とか)を、自ら落とさねばならなかったりするかもしれない。大不況という暴風雨に遭ったりして、中には他の木々も巻き込んで倒れる(連鎖倒産など)木もあるかもしれない。だが、一本では倒れやすいけれど、何本も集まって大きな木々が守る森であれば、互いが互いの風を弱めて守る働きとなるだろう。日本の企業群が非常に厳しい環境に置かれても、森のように暴風雨から互いを守りながら、もっと小さな草木や動物達や昆虫達を守ることが出来るだろう。


森の中心的な巨木は、しっかりと大地に根(=歴史に根ざした基本的収益基盤)を張り、時には古びた下枝(=時代遅れとなった事業)を落としたりしながらも、太陽に向かって新たな枝・芽(=新規事業など)を伸ばしていくということなのだろう。現代の企業に求められるのは、スピードや変革も大切なのだが、実は自らが「森の大木」となり、多くの草木と動物達との循環的環境を長いスパンに渡って継続できる「強さ」なんだろうと思う。自らの繁栄が多くの他者にとって有益なことに繋がるならば、この巨木への信頼は大きなものとなるだろう。


昨今の企業買収などに色々な意見があると思うが、根があまり張っていないのに、周囲の木々に取り付いて自分の一部分としてそれぞれを取り込んでいくだけの姿であるならば、それも多様性の一つであるけれども、ちょっと美しくない木となってしまうかもしれませんね。自然の競争ですから、仕方がないのですけれども。「絞め殺しの木(イチジク)」というような、他の木の幹を枯らして自分が乗っ取るような木もあるので、自然界でもこのような競争はありますから。


出来れば名木となれるように頑張って頂き、森が更なる発展を遂げて、不毛な大地にも種が飛んでいったりして、よい環境となってくれるならば、これは喜ばしいことですね。砂漠にオアシスが誕生すれば、他の生き物も生活するようになっていくかもしれません。岩ばかりで厳しい環境ながら、高山植物のように、小さくとも可憐にひっそりと生きているかもしれません。真のチャレンジャーは、そういうものなのかもしれません。


かつて恐竜達と共に、地上の繁栄を謳歌したシダ植物(だったよね?)も、その後大幅に駆逐されていきました。私は山菜取りのワラビとかゼンマイくらいしか見たことがないですが。常に安泰ということはなくて、新たなものが登場することは確かでありますが、樹齢数百年とか数千年という老木が現存することを思えば、そういう木になれるなら企業としての存在意義があったな、と思います。ブランド価値・イメージもそうかもしれません。数年で消え去るシダで終わるなら、きっと忘れ去られるでしょう。



地方の問題を少し・・・

2005年10月25日 20時13分29秒 | 社会全般
北海道は日本の景気回復から取り残されており、その為に地方税収は伸びず、自治体そのものの運営も行き詰まりが出て来たのだろうと思います。いよいよ危機的状況を目前にして、人件費の大ナタということになってしまいました。財政再建団体転落を回避する為には、年収ベースで15%カットということになるかもしれないとのことです。これも止むを得ないことなのかもしれません。

NIKKEI NET:政治ニュース


記事より一部抜粋。

北海道は25日、2006―07年度に職員の基本給を一律10%削減する人件費削減案を発表し、労働組合に提示した。ボーナスなどを含めると、平均年収の15%に相当する115万円が減ることになり、都道府県の給与削減幅では最大となる。削減率はボーナスが一律15%、管理職手当も一律20%。退職金も5%減らす。また知事は月額報酬、ボーナスとも25%削減。副知事、出納長は報酬・ボーナスを各20%削減する。


警察も教員も例外ではなく、カットだそうです。
かつて「役人王国」などと呼ばれ、公共事業王国でもあったのでしょうが、遂に「ヤキが回った」ということでしょうか。道警や道庁の巨額裏金問題があったように、長い間続けられてきた悪しき慣習が自分達の首を絞めることになったのでしょう。お天道様は見ているのですよ、きっと(笑)。不正に自分達の懐に入れた分を、今になって「返してもらう」という見方も出来なくはありませんが、勿論全員が裏金の恩恵を受けていたかどうか判りませんから、一律に削られるのは酷な気もします。まともな職員も被害を受けざるを得ないのですね。ちょっと可哀想ですね。


北海道という地域的特殊性はある程度は理解できます。人口の割りに面積が広く、人口一人当たりの「道路延長距離」といったような指標では、他の都府県に比べて多くなるだろうな、と。町と町を結ぶ道路を整備すると、大都市圏は人口当たりの距離が短いので、住民一人当たりの負担が軽く済みますが、北海道は負担が重くなるということです。人口集積の少ない地域が多ければ多い程、社会インフラ整備には一人当たり負担が重くなるのかな、と思いますね。その他にも、漁港や農村などは、「補助金頼み」という部分があったでしょうから、これも自治体の財政悪化要因となっているかもしれません。他の大きな負担と言えば、除雪費でしょうか。雪がたくさん降る年は費用がかさみますし、予測が困難な費用ですので、他地域に比べて困るかもしれませんね。面積が広いことも不利となってしまいます(除雪するべき道路延長距離が長くなるだろう)。


北海道は安定的な収益源がないことが最大の問題でしょうね。それか、いっそ独立してしまうとか?他から収益が入ってこないので、何でも他の地域と同じ水準を維持しようとすれば、どうしても厳しいということになりますね。財政的に貧乏な地域は、それなりに過さねばならない、ということでしょうか。


話は変わりますが、義務教育費の国庫負担問題についてです。

コメントにご質問がありましたので、少し書いてみたいと思います。まず、結論から言えば、よく判らない、ということになります。誠に恐縮ですが、本心としてはそうなります。かなり難しい問題です。


今まで三位一体改革の中身について殆ど記事には書いてこなかったのですが、それは地方財政とか地方分権というものの実態をよく知らないからで、地方側が「義務教育費国庫負担8500億円移譲を」というのは、地方の中でかなりの検討をした結果であろうし、金額の大きさとか出来る範囲といった部分を考慮した結果であろうと思います。素人の私が、別の財源を見つけ出すことは困難であろうと思います。なので、私が「地方側が正しい」とか、「中教審側が正しい」という判断をすることは難しいですね。


今後の政府の将来像をどのように考えるか、ということにも関係しますね。基本的に、中央政府と地方政府という形で地方分権を推進し、中央での役割を縮小していくんだ、ということを基本とするならば、中央の持っている決定権を大幅に地方に移していくべきですね。財源もそうですね。そういう将来像であれば、地方の要求通りに義務教育費を移譲することも選択肢の一つでありましょう。また、地方政府の運営に対して信頼性がどの程度置けるかという点でも、信頼に足らないとするなら「移譲出来ない」ということも理解でき得るし、信頼出来るとするなら移譲したとしても何ら問題はない、というふうに選択することも有り得ますね。中教審が現在の地方政府の状況を見るに、信頼性には地域差があって、十分信頼に足るという地域もあるのかもしれませんが、一部には信頼出来ないとする地域が存在するならば、そういう危惧が払拭出来ない以上「やはり中央で」という意見を述べることは仕方がないことだろうと思います。


結局、最終的には政治判断が求められることになる訳で、もしもどちらに決定するとしても、幾つかの「条件付き」というか、制約が発生することになるんじゃないかな、と思います。義務教育に関することですので、「失敗だった」では済まされないという側面もあり、また、国民の教育への批判の大きさなどを鑑みれば、慎重な対応とならざるを得ないでしょう。本当は財源を地方へ移したからといって、明日から教育現場がガラッと変わるというようなことはないでしょう。しかし、遠い将来についても保証するものでもないので、最終決定には勇気が必要だろうと思います。地方の「私達がちゃんとやれるんだ」を信じられるかどうか、ですね。


三位一体改革については、各省庁が「移せない」ということを一様に回答しているので、中央官庁はハッキリ言えば「変える気などない」ということだろうと思います。中央の少数が考える方が正しく、地方に任せるとどんなバカな決定をするか知れたものじゃない、といった過激なご意見もあるかもしれないですが、地方分権などという考え方そのものに否定的なんだろうな、と。この辺も政治的な方向性というか解決法を見出さないと、省庁に「移譲財源を出せ」と言っても、ガッチリ「ヒモ」を握っている手を、そう簡単には緩めたりはしないだろうな(笑)。

分権と言っても、ミニ霞ヶ関が全国のあちこちにバラバラに存在しても、これまた問題が発生するかもしれないし。現有の地方組織だけで対応可能となれば、中央の大幅な縮小は可能になるか。難しい問題ですね。



組織将来像の推測2

2005年10月24日 22時09分44秒 | 俺のそれ
今度は、人間の集団を考えてみます。仮に独りであると、能力に限りがあって、強くなるには限界がありますね。自分があらゆる役割を行う必要があります。独りで狩猟をしたり、食べ物を探したり、寒さを凌ぐ毛皮を着られるようにしたり、武器を作ったり・・・色々あるでしょう。ですが、少人数になれば、多少役割分担が出来てくるかもしれません。狩猟する者、木の実を採取するもの、魚を釣るもの、革をなめす者、・・・どのような仕事が割り当てられたか判りませんが、機能的な分担(=生物での機能分化)が行われるでしょう。体の小さく、力の弱い人間が狩猟をしても、あまりうまくいかなかったんだろうと思います。小集団の効率性を上げるには、そういった分担が必然であったことでしょう。そして、独りの時よりも、生き延びられる可能性が高くなり、他の猛獣などにも襲われずに済むようになったかもしれません。単細胞生物が、巨大化では限界に達して多細胞生物へと変わっていったのと似ていますね。小集団を作り(=多細胞化)、機能的分担が行われれば(分化)、全体の効率性が良くなるということなんだろうな、と。


小集団以降は恐らくある程度のルールが必要になっていったと思います。それは内部環境(=集団内)安定化の為のシステムが必要になっていくということです。そして、幾つかのルールができれば、それに矛盾するとか、うまく行かない面もあったり、諍いなども起こってしまう(=システムの欠陥)こともあったでしょうね。動物の死骸を適当に捨てていたら、ある集団の半数が死亡した、とか、そういったことも生じたりして、ゴミを村から離れた一箇所に捨てる、というようなシステムも考えられていったかもしれません。何かのシステムができれば、必ず他のシステムが必要となっていく、というシステムの自己膨張と似たような状況は、集団が大きくなっていくと増えていったかもしれません。


また、集団が社会性を備えるようになればなる程、複雑化したシステムを支える為に情報というものが必要となっていきます。生物に伝達物質や、tissueとしての神経・脳が生み出されたのと同じように、情報伝達というシステムが作られていったのだろう、と思います。これは一定以上の数の集団になれば、必然的に獲得されたものなのではないか、と思います。それが効率化を飛躍的に促進するシステムだからであり、システム自体が自己膨張をするとしたら、獲得されることは必然なのではないか、と思います。それを持たない生物・集団は、生き延びることが出来なかったんだろうと推測しています。人間の場合には、主として言葉という情報でした。それによって、知識の集積が起こっていったのだろうと思います()。


生物の場合には、主に外部環境変化の情報と細胞内部の情報を伝達するシステムが出来上がったのだろう。一個の細胞内部にも色々の機能別のシステムが存在しますが、恐らく情報伝達を獲得したことで内部的なシステム変更が行われ、機能分化は更に進められただろう。これによって、単体(一個の細胞)自体の効率がよくなったはずだ。情報伝達システムを獲得することは、機能分化を促進し効率化を図ることになる、ということだろう、と。


人間集団においても、時に別集団との交渉(争い、協力、支配・・・とか?)によって、それまで獲得していなかったシステムや情報を得ることが出来るようになったであろう。まるで、小さな閉鎖的島に遥か遠くから渡り鳥がやってきて、島の生物系に変化をもたらすようなものかもしれない。集団内部において機能分化が進むことと、集団の巨大化、それによって更なる外部エネルギー獲得へと向かっただろう。その結果、内部システムは複雑化していっただろう。


文明がある程度発達して、人間の集団が村とか町のレベルになれば、内部の効率化には限界があったりするだろうし、獲得エネルギーは無限ではないので、外部にそれを求めることとなるだろうが、物々交換のようなものから、略奪とか戦争による獲得ということになるだろう。支配する王様、占い師や司祭、強い戦士、などというものも、複雑化によって機能分化が進んだ結果と見ることもできるかもしれない。村や町は更に大型化していくか、町を一つの細胞と見なせば、細胞が分裂して複製されるように、町が増殖していくことになるだろう。そういう集合が機能的な関係を持つに至れば、国のような形となっていったのだろう。多細胞生物と同じような状態になるということだ。単独の都市国家も存在したが、内部の効率化・複雑化の限界に近づいても、「生存」だけに重点が置かれたりするなら、敢えて巨大化を選択しないことも有り得るということだろう。現在でも単細胞生物が全滅している訳ではなく、生き延びているだろうから、単細胞という選択が全て淘汰を意味するものではない、ということだ。ただ、主流派にはなれないし、大部分を支配したりは出来ない。生き延びるということの目的が達せられればよい、ということだろう。現在、バチカン市国やシンガポールのような存在があるのと似ているな。


町をいくつも支配して国ができ、戦争に勝ってもっと大きな国ができ、大きな国同士がさらに戦争して、勝った方がもっと大きな国となり、・・・という具合で、巨大化は進んだだろうが、それが永続的な安定化を持つ訳ではないことは歴史的に見ても明らかですね。ローマ帝国も、元も、オスマントルコも、巨大化することが出来たとしても、これを維持することは困難なのです。あたかも巨大化に成功した恐竜達が死滅したのと似ています。国の崩壊は外部環境の変化や、元々持っている内部システムの欠陥や誤りによる崩壊なのか、正確には判りません。しかし、巨大化に成功したとしても、巨大さゆえに崩壊させられる場合がある、ということですね。どのサイズがよいのか、というのは判りません。生物はサイズが異なっており、巨大な鯨や象は数が少なく存在し、昆虫のような小さいものはたくさんいます。それぞれが存在しているので、どのサイズでもいいかもしれないですね。遠い未来にどうなっているか、というのはよく判りません。


現在の大きな国というのは、アメリカ、中国、ロシアなどがありますけれども、その巨体ゆえに弱点となることがあるかもしれません。それは従来続けられてきた外部エネルギー獲得が非常に困難になるかもしれない、ということです。恐竜は絶滅したが、ネズミみたいな小型の哺乳類が生存できたという推測があるならば、小さいことが有利で巨大なことが命取りとなる場合もあると思います。そういう外部環境変化に対応可能なシステムを持っているかどうかでしょうね。しかし、内部維持システムというのは完璧ということがないだろうし、巨体を維持し続けられないかもしれない、と思っています。それでも鯨や象は絶滅していないのですから、生き延びられることもあるでしょう。


大きな変革が有り得るとしたら、何か全く違ったシステムを獲得することでしょうね。細胞の例で言えば、内部システムに解糖系と電子伝達系を持つようになった、というようなことでしょうか。大まかに言えば、昔の細胞には電子伝達系がなかったので、エネルギー利用は限られていましたが、ミトコンドリアを得ることで酸素を用いた効率的エネルギー利用が可能になり、はるかに多くのエネルギーを取り出せるようになったのですね(瀬名秀明著の『パラサイト・イヴ』で一躍脚光を浴びることとなったミトコンドリアです、笑)。そういった大きな内部システムの変革が起これば、これはかなり違った世界となるでしょう。他の可能性としては、全く新たな異組織間の情報伝達物質登場のようなものでしょうか。人体で言うと、心臓と肝臓の間で情報が交換されることで、肝臓の状態によっては心臓が自己調節を行い、逆に心臓の状態によって肝臓が自己調節を行う、というような関係を作ることでしょうか。これまでは、国家間には敵対的関係が主であり、弱肉強食的関係が多かっただろうと思いますが、今後はもっと大きな部分の全体効率を向上させるという視点で、虫と虫や虫と植物とか(例が思い浮かばないのですみません)、クマノミとイソギンチャクとか、色々な形の共生があると思いますが、そういう関係を持つ可能性ですね。中にはコバンザメのようなずるい生き物もいるので、必ずしもよいことばかりではないかもしれませんが。


別組織(他者)の為の調節機能を持つことで、自己の内部システムに変化を生じ新たなシステム獲得に繋がるかもしれません。それが新たな形の国家を生む原動力となり得るかどうかは判りません。


(かなり不評とは思いましたが、続けて書いてみました。まず、「何が言いたいのか分らん」、それと、「妄想は止めにしてくれ」というご批判は承知いたしております。戯言と思ってご寛容にお願い致します。)



組織将来像の推測1

2005年10月23日 19時36分39秒 | 俺のそれ
大袈裟なタイトルですが、国家とか企業といった組織体は、これからどういった方向へ進んでいくのか、妄想として考えてみました。私は社会学・経営学・政治学などのような基本的な学問をまるで知らないので、漠然とした感覚でしか分りません。企業と言っても、昔とは随分と様変わりしたと思いますし、将来的な国家像というものも良く判らないという時代だと思います。ですので、全くの個人的な妄想として書いてみたいと思います。組織進化論などの基礎的知識も全く持っていませんので、学術的には何の真実性もないこともお断りしておきます(以前からお読みの方々には、十分ご理解されていることだろうと思いますが)。


初めに、生物の進化について考えてみることにします。何故生物かというと、自然界に何かのヒントが隠されているような気がするからです。ただ、人工的なものが果たしてどの程度合致するのか、というのは判りません。国家や企業という組織が、生物進化などと関連があるとか共通点が無いとかも、よく知りません。でも、似てるかな?と感じることもあるので、まずは「生き物」を推測してみたいと思うのです。

現在、生物がどのようにして誕生したのか、というのは科学的には不明ですね。何が正しいか、ということも判っていません。なので、誰が何を言っても証明することも、正しさを検証することも出来ません。まあ、これは許して下さい(現在の有力な説は、何があるかはご自身で勉強して頂けると幸いです)。

まず、地球には色々な形でエネルギーがあり、内部の地熱とか、太陽から受ける熱や光とか、宇宙線とか・・・正確には答えられませんが、そういった形でエネルギーがあった訳です。地球に海や大気というのは、初めから今のような組成だった訳ではなくて、メタンガスが充満していたり、海水ではなくて硝酸の海(じゃなかったかもしれんが、水ではなかったはず)だったりと、非常に過酷な環境にあって、大陸もどんな形だったか、火山などもどういった形だったかは知りません。現在のような生物の住める環境ではなかったでしょう。ですが、エネルギーを受け続ける中で、現在のような大気や海が形成されていったのです。それは化学反応が促進されて引き起こされたのでしょう。地球には、色々なエネルギーが加えられ、熱エネルギーとして宇宙に放出されたり、何かの化学反応を引き起こしたり、圧力が増加したり、さまざまなエネルギーの形に変換されていったのだろうと思います。地球環境そのものの安定化に、非常に長い時間がかかったのだろう(勿論地震や火山噴火や雷や嵐などはその後も普通に起こっていただろう)。だが、環境の不安定さによって、生物誕生の為の材料などはあれこれと作り出されていたかもしれない。


生物誕生自体も、そういったエネルギーの変換の一部に過ぎないのではないか、というのが、私の感想です。つまり、熱とか紫外線とか雷とか、何が要因か全く判りませんが、存在する原子・分子に何かのエネルギーが加われば、化学反応を生じたりして、その結果偶然タンパク質とか生物原型となる分子構造物が生成された。そこにエネルギーの別な形態として化学結合エネルギーに変換されたのだろう、と思うのです。それでも普通は、複雑な分子が出来上がっても、放っておけば何かの条件で壊れたり結合が切断されたりしますよね。ところが、ある環境下においては破壊されなかった。例えば、外部からのエネルギーを吸収して、高分子群が生成されることとなり、それが破壊されずに残された。物理化学的安定が自然にもたらされるような条件が、生物誕生の環境として偶然整ったのでしょう。


例を挙げてみましょう。密閉されたガラスビンに少し水を入れておき外に置くと、太陽光線を受けたりすればビン内部は温度が上昇して気化が進み内圧が高くなったり、水温が上昇したりしますね。このような変化が生じるのですが、もしも内部に熱を受けると自動的にある吸熱反応を生じ、逆に水温が低下するとその生成物を分解して熱を生じる簡単なシステムが存在するとしたら、ビン内部の環境は何もシステムが存在しない時よりも温度変化を小さく保つことが出来ますね。そういう局所的環境を保つことが出来るシステムが存在すると、従来は壊れ易かった分子も壊れ難くなるかもしれません。このガラスビンは勿論生物ではありませんが、生物原型の初めはそういった外部環境の変化によっても、破壊され難い分子群を存在させられる内部環境を持つものが偶然出来ていったのだろう、と推測しています。それは水の内部にあって(海水かもしれない、温度変化が小さいし、酸塩基平衡も大体保たれている)、細胞膜のような膜構造を持つことで内部環境と外部環境に区分ができ、容易に破壊され難い構造を持ったんだろうな、と。それでも、外部環境の変化は突然やってきて、海底火山噴火とか落雷とか嵐とか、何か判らないけれども、外部エネルギーを受けた結果、そのエネルギーを安定化させるような方向に進んだのではないかな、と思うのです。生物の基本的な指向というのは、本来受けたエネルギーを変換して、状態を安定化させていく方向なんだろう、そういうシステムなのではないかというイメージを持っています。


非常に簡単に言えば、酸素原子がたった一つで存在していると不安定であり、常に「カップル」になれる相手を求めていますね(笑、別に結婚すると”落ち着く”からその方がいい、とかっていう意味ではありませんよ)。なので、比較的安定な形で存在する為には、酸素分子―つまり2原子分子―を作りますね。そういうのと同じようなものではないかな、と。太古から地球には長い年月をかけて、太陽からとか宇宙からのエネルギーを色々な形で受け続けてきましたが、エネルギーは何かの形に変換されなければなりませんね。熱エネルギーかもしれませんし、新たな分子の誕生とか、さまざまな反応形式でエネルギーは変換され続けますが、おおよそ「不安定状態」よりも「安定状態」になっていく、という一般的な性質を考えると、例えば単原子よりも別な化合物が出来ていくとか、大きな分子・物質として成長するとか(タダの炭素原子よりもダイヤモンドみたいな形として、ですね)、そういった色々の変換がなされていき、より安定的な方向へ進んでいったが、それでも局所的には発生した反応エネルギーが使いきれないとか、特別に不安定状態が続いている場所とか(地球全体で見れば、当然エネルギー調和が取れているだろう)、何かの現象があって、そういう中で特別な分子が誕生したのではないかな。それがアミノ酸やタンパク質だったのではないかな、と。


作られた分子群は、色々なエネルギーを受け続けたりしながら、それを安定化させる方向へと更なる大型分子などを生み出していき、遂には生物原型としての膜に囲まれた分子が誕生したのではないかな。その後は、安定化へ向かう為の内部環境維持システムができた。普通、シャボン玉みたいな膜構造の内部にタダの分子が存在しても、外部環境変化(雨が降ってくるというような力学的なエネルギーや、他にも周囲に存在している物質の反応エネルギーとか、熱・圧力とか色々・・・)によって維持されずに壊れていってしまいますね。そうやって破壊された物質は別な反応を引き起こしたりするかもしれないので、中々安定状態が作り出されないのですが、特別な環境に存在した分子群は破壊されずに残り、エネルギーをもっと安定化させるような局所的維持システムが構築されたのではないか。それが細胞膜のような膜構造有するもので、内部には外部エネルギーを利用(吸収と言うべきか?)したりすることで自己が破壊されるのを防ぐ別なシステムを持つ分子群が残された。そうやって生物が誕生し、全ては「物理化学的安定」の方向へと向かうシステムが生み出されていったのではないだろうか。


ただ、内部に安定化の為の維持システムが作られると、そのシステムが存在することによる有害反応とか、不安定化とか、そういった内部的問題も生じてくるので、それが解決出来ないと破壊から免れず淘汰されていっただろう。仮にAシステムという熱エネルギーに強いシステムを持つ生物原型と、Bシステムという酸・塩基変化に強い構造を持つ生物原型が存在して、ある外部環境変化によってはどちらも破壊されてしまうが、偶然残っていたAシステムを持つ生物原型が破壊されて近くに落ちていたBシステムを内部に取り込むことに成功して破壊を免れたり、というようなことが延々と繰り返されたのだろう。そうやって、現在の細胞の基本原理を持つ単純な構造が誕生していったのかもしれない。その後は、強いシステムを持つものだけが生き残り、エネルギー獲得競争までもが起こっていったのではないかと思う。それは内部環境維持システムの自己膨張が生じるということだ。Aシステムを効率的に制御する為のA’システムを獲得したものだけが生き延び、同じようにBシステム安定化の為のB’システム獲得で使用エネルギー量が今までの3倍に増加し、両方のシステムを持つものはもっと強くなったがエネルギーも更に多く使う、といったようなことだ。それによって、外部環境変化に対応可能な細胞が残されていくこととなったのだろう。


なので、生物の基本的性質というのは「安定化指向」なのであり、外部エネルギーによって破壊されないような(寧ろエネルギーを吸収することで安定化を図る)構造を持ったのではないかな。地球という大きな系に受けたエネルギーが変換された形が、現代の姿なのではないかな、と思っています。


普通の物理化学的法則というのは、システムというものとは違っており、基本的に「何故」という部分は存在しないような気がします。ちょっと上手く言えないので、表現がおかしいかもしれませんが。例えば、水は低い方に流れる、というのは現象として既にそうなっています。何故低い方に流れるかという意義のようなものが存在しません。自然界には、動植物の内部での水の移動には必ずしもそうならないような「システム」が作り上げられており、それには何らかの「意義」が存在しています。生物内部に一定の環境を保てるように水が移動するような仕組みが作られていますね。これには歴とした理由があるということです。人間は水をわざわざ高い方に流すようなシステムを作り上げています。水道であったり、利水であったり、色々あるでしょうが、同じく「意義」のあることなのです。でも雨滴が上空から落下してくることには、特段の理由というか意義はないですが、そういう現象は必ず起こります。これはシステムとはちょっと違うのかな、と(地球環境という面で見れば、水の形態変化・循環というシステムにも見えるかもしれませんが、これは何かの目的・意図があってそうなった訳ではなくて、勝手にそうなったに過ぎません。タバコの煙が勝手に拡散していってしまうことも同じです)。


細胞が破壊を免れて残るようになりましたが、それでも完全破壊を防ぐ完璧なシステムを獲得することは出来なかった。何故なら、外部環境変化が余りに多様で、無限の組み合わせがあり、それを全て網羅出来るシステムは存在し得ない、ということなんだろうと思います。しかも、別な種類の能力を持つ細胞がどんな攻撃をしてくるか全く判らないでしょうし。攻撃することの意図は不明ですが、多分同一種だけだと、より安定的なのでしょう(気分的には分かり易いですけど、笑)。「夢のパーフェクトシステム」が作られるとしたら、そのエネルギー使用量は膨大なものとなってしまい、普通には存在しなくなってしまうのかもしれません。システムの自己膨張によって、先に述べたようにAシステムを安定化させるには、別のシステムが必要で、これを安定化するにはまた別のシステムができ・・・という具合に、無限に複雑化するために全ての問題を解決出来ないのだろう、と思います。


そこで、細胞が破壊されるのを受け入れるために生み出されたシステムとは、自己複製だったのだろうと思います。外部環境変化の全ての場合に対応出来ないし、内部環境にも多少の問題があるシステムしか出来上がらなかったのだけれども、ある細胞は自分と同じものを残せるという複製能力を持つに至ったのだろう、と。分子群が確率論などを知っているとは思えないのですけれども、何故か一つが破壊されてももう一つの細胞は生き延びるかもしれない、という確率論的な視点のシステムを作ったのでしょう。それに数が増えることは、地球に与えられるエネルギーを更に安定化させる方向へと進ませるということなのかもしれません。こうして自己複製能力を持つことによって、生物としての基本性質を備えた細胞が遂に誕生したのだろう。


ちょっと追記

生物は不完全なシステムを持つことで、次のステップへと進むことができたのだろう。例えばDNA複製は非常に間違いの少ないシステムを持っているけれども、時には間違えたりしてしまう。内部環境の維持に役立っていたシステムであったとしても、特別な条件下では逆に不都合を生じてしまったりして、自分の内部を破壊してしまいかねない状況に陥ったり、というシステムだったのだろう。それ故に、自然消滅していったり、変異型の別種を生み出したりできたのではないかと思う。それは、システム自体に誤りや欠陥があることによる結果なんじゃないか、と。もしも、完璧だとしたら、恒常的状態が永遠に継続される、ということです。


前に例に挙げた、少しの水を入れたガラスビンをもう一度考えてみます。もしも、受けるエネルギーが一定で外部温度や圧力なども一定の環境であるとしましょう。外部環境は恒常性が保たれている、という状態です。ビン内部に液体の水と気化した水分子しか存在しなければ、気化したり液体に戻ったり、一部酸素原子と水素原子が分かれたりしてる極微量の部分もあったりするかもしれませんが、観察者にとって見れば常に一定の状態が保たれていることになるでしょう。水分子一つひとつに番号を付けたりして区別すれば、ある時点では気化している水分子1があっても、別な時点には液体となっているかもしれないが、どの形になっていても一定量の気化した分子数と液体となっている分子数が常に同じはずですね。誰が気体で誰が液体かは、どうだってよいのですね。水分子1が液体で、水分子2が液体であろうが、よいのですね。エネルギー的に一定状態であるということですね。地球環境は常に熱エネルギーや光エネルギーなどの、何かのエネルギーを受けるので、それは何かに変換されなければならないでしょう。ガラスビンで言えば、太陽の光を受け続けた場合、外部に放散される熱エネルギーが減少していく一方だと(地球は大気を持った為に内部に熱エネルギーが残ることになるんじゃないかな?、と)、活性状態の水分子が増加していく一方になり、ビン内部の温度と圧力は上昇していくことで全部が気化した状態になってしまうかもしれませんね。その後も太陽のエネルギーを受け続け、温度低下がなければビン内部圧は上昇し、いずれ破裂するような気がします。地球で言えば、大気がいずれ宇宙に飛んでいってしまい、大気は失われていくかもしれないですね(本当にそうか分かりませんけれども)。もしもそうなら、海は全て干上がってしまうということになりますね。


ところが、熱エネルギーを別なエネルギー形態に変換することに成功したのが、生物というものだったのではないかな。大きなエネルギーを必要とする化学結合をたくさん作ることに成功し、そこにエネルギーが蓄積されてしまう、ということになるのではないか、と。ある低分子モノマーがバラバラに存在するよりも、さらなるエネルギーを消費して高分子のポリマーになっていくことで、結合という部分に多くのエネルギー蓄積が起こっていく、ということに似ているような気がします。そういう生物の体系が出来上がったのだろう、と。


初めは単細胞生物だったが、その後多細胞生物が登場することとなった。単体の持つシステムでは、強くする限界があったのかもしれない。より巨大化した生物には敵わなかったのではないかな。自己複製能は、内部に置けるシステムには限界があるため、あらゆる外部環境変化に対応するシステムを内部環境に作るより、効率的に消滅を防げるシステムだったのだと思う。多細胞生物はそこから一歩進んで、自己複製した個体が複数で存在することで、消滅機会が減少したのだろう。


そうして、どんどんと巨大化していく生物が多くなった。巨大化によって、内部環境を維持するシステムも分化という方向へと進んだのではないかな。より効率的なシステムを内部に作り上げるには、さらなるエネルギー消費を必要とし(=受けるエネルギーの安定化に繋がる)、複雑化・高度化が進展していくことになる。言ってみれば、最初は糸電話という単純構造を獲得したが、その後にはシステムの複雑化が進展してFAXとか携帯電話のような構造を持つに至るようなものです。

人間の体で言うと、皮膚は皮膚の機能を、肝細胞はその機能を、神経細胞は神経の為の機能を、と言う具合に、効率化を追及すると、巨大化と共に機能分化が起こっていったのではないか。



熱闘!官業金融~第1Rの続き

2005年10月21日 22時05分53秒 | 社会全般
中小企業の代表者達の意見から考えるべきことというのは、大体次のようなことなんじゃないか、と思う。

①民間との金利差:政策金融は借入利率が低いので経営的に助かる
②民間銀行(特に都銀)は少額(1千万円以下)借入には消極的:個人・家族経営等の零細などには貸してくれない
③担保・保証能力の審査基準:民間は厳しいが政府系は緩やかで、経営基盤の弱い企業には民間が貸さない
④借り手は「顧客」などではなく、貸し手が優位な市場:「現場を知れ!跡田」というようなご意見
⑤コンサルティング機能が弱い:創生期とか不況期の経営基盤の弱い企業に対する融資姿勢


最近は地方などでは、地銀や信金・信組などによる地域再生としての中小企業への支援も若干増えてきているが、金融機関体力等によって地域差がある(不良債権残高がまだ多く残っているとリスクのある融資を避ける傾向がある、市場実態をよく知らない業種とかにも貸せなかったりする)。例えば、温泉旅館に融資して生き返らせようと思っても、以前にその業種への融資実績がなければ将来の経営見通し(業績予測)が立たないので、金融機関も怖くて貸せない、というようなことだろう。

基本的に中小企業の大きな問題は、「企業再生」とかコンサルティングなどの支援が不足するということだと思う。ここがしっかりしてない為に、経営難に陥った企業は民間金融機関からの資金が途絶え、破綻への道を進んで行ってしまう。適切な経営再建と資金提供があれば、蘇れる企業もあるかもしれない。アリックス(参考記事:話題シリーズ13(追加あり))のような専業の民間企業がやればよい、という面もあるかもしれないが、全部のカバーは困難だろうし、零細については手が回らないんじゃないか、とも思う。なので、金融機関とか商工業団体などが一体となって、強化に努めるべき分野だろうと思う。ただ、これは政府系金融機関ではなくとも可能な業務であり、存在理由とはなり得ないだろう。


次に保証の問題ですが、これは金融庁の方針もあるから一概には言えない。というか、私には判らない。通常の銀行の方針としては、貸出する際の担保は不足しないように積んでおかなければ、金融庁検査でとんでもなく怒られることになるんじゃないか、と思う。「これは破綻懸念先債権ですね!!」とかって、基準通りに厳しい選別がされると思う。リスクの問題は、素人の私には判らないし。ここで求められるのは、中小企業のような資本というか経営基盤の弱い企業の機動的資金需要に対応するのは、どのような方法があるか、収益的に不安があるような企業への貸出基準をどのように設定していくか、といったことだろうと思う。住宅ローンの保証協会的な仕組みとか、何か政策的に考えなければならないなら、専門家の知恵が必要だろうと思う。

大手銀行などを中心に、「担保を積み増ししろ」とか、「担保差し入れが出来ないならば、資金は引き上げます」、といった厳しい状況などもあったようですから、中小企業の「恨み節」は分るな。民間銀行の所業は、それは凄まじかったと思うぞ。そういう時に、ある種の「駆け込み寺」的金融機関としては、政府系金融機関しか残されていなかったんだろうな、と。国金や中金などがそういう中小企業の融資受け皿となっていた背景はあるだろう。その思いが、代表者達の「残して欲しい」という意見に繋がっているんだろうな、と思う。「金融システムの安定化」「金融不安の払拭」という大義名分の陰で、多くの中小企業は破綻していったかもしれない。大企業ならば銀行の債権放棄や特別な救済措置が受けられることもあるが、弱小企業や個人企業では即「逝ってよし」(ネットの表現を覚えました、笑)ということになり、身ぐるみ剥がされ連帯保証が経営者個人へとついて回り、破滅する。大企業の経営者は倒産しても、特に破滅したりはしない(中にはそうでないこともありますが)。そういう状況を目の当たりにしてきた人々が、民間銀行を「簡単には信じることは出来ない」と思ったとしても、止むを得ないのではないか、と思う。


中小企業の自己資本の弱さは、主に株式とか社債などの資金調達が出来ないから、仕方なく銀行融資という間接金融に頼らざるを得ないことも要因なんじゃないかと思う。跡田先生のような人は借金を頼んだことがない為に、金融機関と借入主との関係が分らないんだろうと思う。借り手優位という状況を作る為には、よっぽどの政策的な変更がなければ不可能だろうと思う。因みに、跡田先生のような人が新規事業の為の融資を申し込みに来た場合、銀行員は迷うことなく断るかもしれないな(笑)。


随分昔、笑い話で聞いたことがあるが、実話らしい。

かつて大企業の部長とかの偉い地位の人がいた。大手銀行との取引もあって、ちょくちょく銀行員は部長に融資とか何とかのお願いに行っていたそうだ。「今回の件、ウチの方でご融資させて頂けませんか。部長、宜しくお願いします」とか何とか言って。偉い部長だったらしいから、そりゃ銀行員とか支店長とかにも「顔が利いた」ということだ。で、退職して自分の会社を立ち上げることになったらしく、部長は以前に取引のあった支店長の元を訪れた。
「支店長、宜しく頼む。融資の方。判ってるよね」と以前と変わらず高圧的な態度だったらしく、今度自分のちっぽけな会社をやるって時になっても未だに過去の栄光である「部長」をぶら下げていたんだろう。

すると、支店長はこう言った。
「勿論ですとも○○部長。あっ、部長ではなく、今度は社長でしたな。ははは・・。ウチの方で事業計画をしっかり検討させて頂きますので。では、後日」
元部長は仕方なく帰ったが、銀行から融資するという連絡はなかった。しびれを切らした元部長は再び支店長を訪ねた。すると、若い行員が「支店長は今来客中でして・・・。わたくしが代わりに承ります。・・・ご融資の件ですね、それでしたら、行内審査が通らなかったそうです。支店長も残念がっておりましたが、お力になれず、申し訳ございません、とのことです」と答えた。元部長は、「私を誰だと思っているんだ!××株式会社の部長だった男だぞ!どういうことだ」
・・・・
このようにして、融資はあっさり断られました。
それまでいつも威張っていた元部長への、支店長や行員達の仕返しだったのか?

いいえ、違うのです。
支店長は「多分、あの態度では、新会社でやっても顧客は逃げるだろう。事業失敗は目に見えている」と、将来性を見極めたのでした。

大企業の元部長は、借入がどのような意味を持つのか、また、事業家としての姿勢も知らなかったのです。このような人物に金を貸してくれるほど銀行の審査は甘くはないのです・・・。たとえ元部長であったとしても・・・。


真偽の程は判りません。しかし、一応実話として聞きました。まさに、これが当てはまりそう、ということですね。
かなり横道に逸れましたが、④と⑤については、色々考えるべきことがありそうです。


①に挙げた、金利の面では制度整備によって賄えそうですね。これは、政策金融特別のものではなくとも、既に制度融資のシステムがありますので、それを円滑運用できるにはどういう制度設計が必要か考えれば済みそうですね。金利水準は、担保・保証面とも密接に繋がっているでしょうから、一括で考えることも必要でしょうか。商工系無担保ローンでは、取立てや根抵当とか連帯保証などの面で問題があったので、民間金融機関の暴利的営業に任せられるか、心配ではありますね。

②と③についても、民間金融機関がきちんとカバー出来ていれば誰も困らないのですが、民間が貸さない為に、政府系に頼るというのをどのような解決方法を見出すか、検討が必要ですね。

昔のような駄菓子屋、小さなタバコ屋とか酒屋などがかなり減少して、所謂コンビニになりましたが、メリットはかなりあったと思います。商品開発、物流とか仕入れなどもそうですけれども、経営アドバイス的な部分での支援が最も大きいですね。本部から専門の人員がやってきて、事業として成功するようにフランチャイズオーナーに指導したりしますから、昔のような経営者の個人的な能力に頼る必要がない訳です。零細企業や家族経営の店などは、そのオーナーの能力にかなり依存しますから、失敗も多く出やすいかもしれません。しかし、専門の本部人員がやってきて経営的な指導をすることで、安定的な経営が出来る店舗が増えるし、そのお陰で個人商店時代に比べると破綻する店が少なくなっているかもしれません(これはあくまで推測です。現実にはかなりの数が閉店している可能性もあります)。従って、中小企業、特に零細企業においては、このような「経営エキスパート」によるシステム的な経営の方が、失敗が少なく出来るんじゃないか、と思います。それをどういった政策で実現できるかというのは難しいです。或いは同業者組合のようなものでもいいんですが、そこがしっかりとした経営手法を伝授するとか、何か方策があるかもしれません。実現可能かどうかは、不明なのですけれども。

仮にクリーニング店があるとして、零細で担保もないので借入が難しい、という環境であるとしたら、同業者組合で一括債務保証保険を完備しておく、というようなことです(上限は3百万円とかで)。倒産して貸し倒れになるかもしれない、というリスクがあるので銀行が貸したがらない、ということであれば、倒産しても貸し倒れになりませんよ、という保険制度があれば銀行は貸してくれるのです。全国の何処かのクリーニング店が不幸にして倒産したとすると、同業者組合保証によって銀行に債務が支払われます。この保険に加入するには、一定以上の経営状況であることが確認できることと(新規であれば運転資金等の資産状況とか色々)、必ず本部の経営指導を受けなければならないこと、という条件を付しておけば、この縛りによっていい加減な経営は排除されるし、個々の能力に依存していた部分がいくらかカバーされるかもしれないですし。このような制度は政策的に存在しているかもしれませんが、一般にあまり利用されていないんじゃないかと思いますね。もしも、このような仕組みがあれば、金融機関が貸すにしても経営への信頼度は若干増す(本部の指導を既に受けているし、経営状況のある程度の確認もできている)だろうし、貸し倒れリスクがないとすれば金利も優遇してくれるかもしれません。ただし、全国的に倒れる店が多い場合には、保険が底をつく可能性があります。これは本部の根本的な経営指導に問題があるか、構造的な赤字業種である可能性もあります。あと、参加数が少ない場合には、一店舗当たりで重い負担となってしまう可能性がありますね。


良い方法は直ぐには思いつきませんが、詳しい方なら色々な方法が出されるかもしれません。政府系金融機関を無くす、無くさない、いくつに、といった議論も必要ですが、「どのような制度設計によって問題点をカバーするか、可能な制度・政策はどのようなものか」というようなデザインをする為の議論だ、ということです。ヒアリングはその為に行われるものだということです。



熱闘!官業金融~第1R

2005年10月21日 20時07分22秒 | 社会全般
政府系金融機関の統廃合へ向けたヒアリングが始まった。思いのほか早い取り組みとなっており、特に経済財政諮問会議の並々ならぬ意欲を感じる。昨日の読売朝刊には、民主党が調査した官業金融についての記事が掲載されていて、「民主党の追い上げ」もよい刺激となっているかもしれない。

63公的機関が122兆融資、7千億貸し倒れの恐れ : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


記事によれば、「官の金貸し業務」は63機関にもおよび、融資残高は122兆円もあるのだそうだ。こりゃ、驚きと言えるな。それぞれが「官としての政策金融」を掲げてやっているのだろうが、よくもこれ程の「錬金術システム」を官業として組み上げたと思う。政府系金融機関の整理に伴って、同じような目的の「金貸し業」は終わらせるべきだ。ブログに書いた中小企業基盤整備機構(中小企業基盤整備機構の貸金業谷垣大臣の試練)も出てた。
ナイス(死語?)読売。


重複するものを幾つも作ってきたのは終わりにして、今後は機能的な組織を用意するべきだろう。「金貸し業務」以外でも、民間企業への補助金給付に係る審査業務などでも似たような面もあったりするし。特に、雇用関係に多いな。


それは今後取り組む課題として、まず政府系金融機関についてだが、平ちゃんはヒアリングの結果を受けて、早速コメントを出した。それは次のようなものでした。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 中小企業向け業務は一本化 政府系金融で竹中氏示唆


(共同の記事より一部抜粋)
中小企業金融公庫の水口弘一総裁が「(中小企業向けは)複数はいらない」と発言したことについて、「大変、拝聴すべき意見だと思う」と述べ、経財相としても中小企業向け業務は1本化するべきとの考えを示唆した。


因みに、竹中氏は全部についてヒアリングを訊いていません(要旨だけは事務方から報告を受けたのかもしれませんが)。所謂「言葉の独り歩き」を報道側が利用されている面があります。ちょっと、フェアではありませんね。中小企業向け融資については、一本化されたシステムがあればいいと私も思いますが、ヒアリングの中での一部の言葉だけを取り上げて「やっぱり我々は正しかったのだ」というようなある種の勝利宣言みたいなものに利用するのはどうかと思います。どの言葉をどういう風に報道するか、というのは、報道側も真偽をよく調べたり考えるべきですね。単なる印象操作ともなりかねないですよ。


確かに時間が非常に長くかかり、主要閣僚だってずーっと参加している訳にはいかないかもしれません。それは理解できます。しかし、慎重に一通り聴取した上で、どういった機能が必要、何処が・何が不要、何が問題か、と言う風に論点のピックアップ段階なのではないですか?なのに、水口総裁の言葉だけを引用して、一つあれば十分、という方向へと誘導しているのはちょっと問題ですね。他のヒアリングの結果についても、報道するべきでしょう。

それか、報道機関の人達も、実際に全部聞いているメンバー(諮問会議議員の本間・吉川先生や、今回選ばれた跡田・宮脇先生、翁日本総研主席、内閣府の事務方の人(名前知らないけど、必ずいる方)等)にきちんと取材するなり、何なりするべきですね。他にも関係省庁から大量に役人達が出席していたんだろうし。


問題と思ったのは、政府系金融機関の主なユーザーである、中小企業の代表者達へのインタビューだった。日本商工会議所、全国商工会連合会、全国中小企業団体中央会、全国生活衛生同業組合連合会というところの代表者が参加したようだった。非常に乱暴なまとめ方をすれば、それぞれ、中小企業の置かれている非常に厳しい現状とか、国民生活金融公庫・中小企業金融公庫・商工組合中央金庫などの存続希望とか、民間金融機関への切り替えは困難である、といった意見だった。

これに対して、まず跡田先生が言ったことが問題だった。大雑把に言えば(これも非常に乱暴なまとめをすれば)「なぜ中小企業の方々は、自分達が厳しいからといって自分達が特別(弱者)だと主張し、国の台所が困っている時にでさえ協力的ではなく、新しい(融資の)マーケットを作って行こう、という気になれないのか」というようなことを言ったのだ。これには、さすがの代表者達もカチンときた(というか、まず頭にきたことだろう、神経を逆なでにするような物言いに)。なので、誰だったかが、「97年ショック」(「’97ショック」が原因なのでは?)の後の惨状を述べて、民間銀行には酷い目に遭わされたんだ、ということを言った。すると本間先生はそれについて、「当時は酷いこともあったでしょうが、今はかなり正常に近い状態に戻っており、99.7%が中小企業であるというなら大企業が特別なのであり、イタリアでは大企業なんて殆どないけれども、皆企業活動を行っている。日本だけが”特別に”中小企業の為の制度・政策が整っていて、こんな国は(中小企業にとって)世界中で一番なんじゃないか、他にはないんじゃないか、と思っている」というようなことを言ったのですが、これもまた反感を買うことになったでしょう。


代表者達にとっては、「お前らに何が判るんだ、現場を知らないからそんなことが言えるんだ」という思いは強くあったと思いますよ。
論点がずれてしまって、次第に対決姿勢が鮮明になっていった。
「政策金融の改革に反対な訳じゃない。税金を適正に使ってもらって、納税額を減らしてくれれば有難い。税金を正しく使うように跡田先生とかが頑張ってくれればいい」「たった、3百数十万円借りるのに、どれ程苦労してどういう思いで工面しているか判りますか?(あなた方の)年俸の(僅か)3分の1位なんですよ!」


跡田・本間両先生への答えが、何だか行政府批判へと変わってしまって、行政の無駄遣いを論いたくなる気分にもなるでしょう。あたかも両先生が「悪の権化」というか、政府代表のようになってしまい、行政の無駄は彼らに責任がある、と言いたげだった。国民代表としての「怒り」に似ていた。その気持ちは判るな、確かに。

一応、吉川先生が「修復」を試みて、あと、翁氏も「前向きな提言」としてコメントを求めたが、非常に後味の悪い終わり方だった。ユーザーの反感を増大させただけだった。これには、多分、根本的な問題があったのだと思う。


元々、ヒアリングに選抜されたメンバーは、以前から仕事を一緒にしたこともあり、顔見知りだったし、問題意識というのは似ていると思っていただろう。特に、本間・吉川・跡田の3氏が実質的にヒアリングのイニシアチブを握っているんだろうな、と。平ちゃんや谷垣くんやその他閣僚は忙しいから、各省庁から代理の役人を派遣しているだけだろう、と推測している。その上で、各政府系金融機関の総裁等を呼んでヒアリングというのは、想定している”対決相手”が省庁出身の「天下り官僚」という、所謂既得権益の代表選手みたい位置付けなのであり、その人間に対して、公開の場で「論破する」か「既得権益にしがみつこうとしている抵抗勢力というレッテル」を明確にすることだった。そして、最終的には「言質をとる」というのが、戦術だったのではないかと思える。その言質というのは何か?


勿論、「一つでいい」だ。ズバリ、これだ。であるから、3名の総裁に対してヒアリングをした時にも、「代替ができるのではないか」「統合しても業務ができるのではないか」「他との明確な機能的違いはないのではないか」といった視点から、「誘導尋問」という形で、言質をとることに執心されていたかのように感じるのである。その罠に陥ったのが、先の中小企業金融公庫水口総裁の発言だった。


このヒアリングの場は、現に業務に従事している人間に対して、「お前の所はいらないんじゃないか?」ということを、相手に「認めさせる」という場ではないと思っています。最低限、現有の仕組み・機能・特徴などを明確にしていき、選別作業については、これはまさに「政策デザイン」として政治的に取り組むべきことであり、当事者達に「複数は必要ない、と言え」「一つでいい、と認めろ」ということを求めたりするべきではないのです。特別に、お説教をする為にヒアリングに呼んでる訳でもないのですし。既存の法や省庁決定の業務として存在していれば、「本当に(自分のところが)必要だと思いますか?」的質問というのは、明らかに馬鹿げているのです。既に業務に従事している人間に、いくらそんな質問をしても意味などないのです。


そういう流れで3公庫のヒアリングをした後だったことも影響したのかもしれませんが、ユーザーサイドの意見が揃いも揃って「存続させて欲しい」という要望だったことから、これを如何に不満に思ったにせよ、政策金融を利用する側に「一つでいいと言ってくれ」ということを求めるのは酷だろう。そういうことを訊く場ではないでしょ?


ヒアリングメンバーに、きちんとした目標というか、共通認識すら作っていなかったことが、失敗の大きな原因だろうと思う。今後も毎日、数時間かけてヒアリングは続くので、早く改めて欲しいし、意見を聞くということがどういうことなのか、よく考えて欲しい。公開処刑場でもなければ、見せしめで裁く場でもないのですよ。


はっきり言って、かなり幻滅しましたよ。跡田先生はフジテレビなどにも時々呼ばれているし、あれこれ解説はするのが得意かもしれないが、人の意見を聴取するのは、全くの論外だと思った。商工会議所とかの人じゃなくても、怒るよ、普通は。あんな言われ方されたら。人に頭を下げて生きたことのないような人間は、自分の理論の正しさを前面に出してしまうものなんだろうと思う。「人の心、思い」に考えが及ばないところが、「タダの学者風情」(某親分風に言うと)なんだろうな、と思う。

誰かが言った、「たった3百万数十万円程度だ、年俸の3分の1だ」という言葉が胸に突き刺さったぞ、私は。きっと、発言した人も教授連中がもっと高額の金を手に入れてるとは思いもしなかったのかもしれないな。勝手な推測ですが、もっともっと教授連中の給料は多いだろう。それに番組出演料や講演会費用とか本の印税も入ってくるし(笑)。

地べたに額をこすりつけるようにして、金策に苦しみながら借りなければならない人々のことになど、思い至らないのだろう。本間先生も吉川先生も、同じようなものだぞ。責任はともにあるぞ。メンバーに、そういった国民の普通の声に耳を傾けられる人間が誰もいないことは大きな問題だ。必ず閣僚か、代理には副大臣とかの国会議員さんを残さないと、人の生活とか気持ちの判らない学者ばっかりじゃ、まともなヒアリングが出来ないぞ。


代表者達は、政府系金融機関がなくなって、もう借りられなくなるんじゃないか、という不安がもの凄く大きかったから、できるだけ政策金融を残して欲しい、ということを言っているんじゃないか。君達にはそういう気持ちを読み取ることすら出来ないのか?「言質取り」にばかり拘っているからだ。ヒアリングの目的を正確に説明すれば済むし、彼らに答え(=一つにまとめること)を求める必要なんかないじゃないか。

残して欲しい、というのは何故か?民間金融機関とは何が違うか?政策金融に求めるものや現状の大きな問題点は何か?そういった声を聞いて、今後政策金融の「機能論」として組み上げ、存続させるべき機能とか捨てるべき(民間に任せるとか)機能の取捨選択をしていくのだろう?自分達の意見・理論を相手に押し付けてどうする?ユーザーサイドは勿論、各総裁の意見を聞くことで、では民間銀行等金融機関には政策的にこういうことを求めていきましょう、代替機能としてこういう制度を整備しましょう、政府系金融機関のあるべき機能・組織像はこうしていきましょう、という設計段階に入るんじゃないのか?今は、その準備段階なのだ、ということでしょ。


疲れた・・・

続きは後で追加します。