いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

記事削除について

2008年01月31日 22時55分06秒 | 俺のそれ
超ハズカシイです…

さっき書いた記事ですけど、あれは完璧に忘れて下さいませ。
簡単な掛け算さえできないとは…
読んだ方々には、どこがおかしいのか一目瞭然ですもんね。
車の運転をしている時、日本の年間額ってどのくらいなのかな、などと思っていたら、そっか、○○かける××=?って、ケタが一つ間違えてるじゃないか、と気付いた。


まあ、アホにつける薬はない、というようなことですわな。

陰謀論としては、中々面白そうだと思ったんだけどなあ…

そういうところで、落とし穴にまんまとハマった、ということでしょう。これも古くから言われている典型例通り、ということですわね。しくしくしく


どうも申し訳ありませんでした。



ヤキが回った?(笑)

2008年01月30日 20時48分52秒 | 経済関連
笑わせてもらいました。

サブプライムローンを大絶賛されていた方々とか、日本のサブプライム層に貸す為に上限金利をなくせキャンペーンを推進されていた方々とか、面目丸潰れですか?いや、高い金利でも何でも貸せるだけ貸してあげたらいいですよ、アメリカで。日本よりも「サブプライムな方々」の潜在市場規模は、圧倒的にデカイでしょうからね。とっとと国に帰って、好きなだけ貸してやれや(爆)。

サブプライムな方々の住宅ローン返済を支えるために、追い貸ししてやればいいんじゃね?きっと大賑わいになると思いますよ。


ところで、日本でも大手貸金やクレジットカード業者は金利を軒並み18%以下に引き下げたわけですが、「借りたい人が借りられなくなるー!それでもいいのかー!」と言ってた人たちとか、ネットの狂犬だかネタ釣り師だか噛み付き癖のゾンビだか知りませんが、彼らの主張はどうだったんですかね?
破産者が大量発生し、ヤミ金被害が爆発的に拡大していてもおかしくありませんし、900万人だか1000万人だかが借りられなくなって裁判所に破産者の大行列ができていても不思議ではありませんが?
でもそんなニュースは聞いたことがありませんが、産経グループとかであれば貸金から借りられなくなったサブプライム層の方々が破産しているのを、大々的にニュースで報じていてもいいはずですけどね?どうなんですか?実際。

あれほど、引下げの影響で破産だ、ヤミ金だ、のと言ってたでしょ?(笑)
まあいい。

米国様におかれましては、大変厳しい捜査が行われるやもしれませんね。

米サブプライム危機にFBIの捜査の手(ロイター) - Yahooニュース

だからどうというものでもないね。

参考記事:ジャパンマネーは世界金融の救世主となれるか

ちょっとくらいタイーホが出ても、問題が解決するわけでもないでしょうし。



日本復活の道を探る・4~日本への直接投資とは

2008年01月30日 18時07分52秒 | 経済関連
先頃ニュースで報じられていたが、対日直接投資を活性化しよう、ということらしい。

「海外からの投資促進」で懇談会新設…経財相 経済ニュース マネー・経済 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

(一部引用)

海外から日本への投資を促進することは、福田内閣が策定を進めている新成長戦略の柱の一つだ。政府は、国内総生産(GDP)の約3%(約15兆円)にとどまっている海外からの直接投資残高を、10年末までに5%程度に引き上げる目標を掲げている。外国企業を積極的に誘致し、経済の活性化や雇用の創出、技術革新につなげるのが目的だ。

=====


確かに狙いとしては、そういうものなのかもしれませんが、果たしてどうなんでしょうか、とは思います。
また喩え話ですけど(笑)。
2人の男がいるとします。とりあえず、1人はハイエナさん、もう1人はヒツジさんとしますか。

ハイエナさんは目端のきく男で、ビジネスチャンスを見逃しません。あるプロジェクトを思いつき、金を100万円注ぎ込んで儲けようと考えました。すると、プロジェクトは成功して、有利なリターンを得ることに成功しました。
一方のヒツジさんは心配性なので、いつも手堅く銀行にお金を預けます。ハイエナさんがお金を注ぎ込んだようなプロジェクトにはお金を出す勇気がありません。でも、自分は銀行の利息だけで満足なんだ、と思っています。

さて、ハイエナさんはヒツジさんに言いました。
「ヒツジさんはプロジェクトにお金を出せばよかったのに、どうして出さないの?」
「だって怖いもん。ギャンブルする勇気がないんだよ」
「ふーん。まあいいけど。お陰で俺が儲けられたし。テヘ(笑)」


こんな話で何が言えるか、というものでもないのですが、こうした寓話はダメ認定間違いなしでしょうけど、書いてみました。
もしハイエナさんが海外資本の人で、ヒツジさんが日本の民間企業であると、大田大臣などが言う「海外資本が日本に入ってきて投資してくれればいい」ということが達成されている、ということになります。でも、国外からやってきて投資対象を日本に見つけて投資するのであれば、その同じことをヒツジさんが先にやっておけばハイエナさんは儲けるチャンスを失うわけです。能力も考え方もともに同じくらいで合理性があるというのなら、そのプロジェクトに投資する、というのは当然の結論ということになるでしょう。何故海外のハイエナさんができるのに、日本のヒツジさんはできないのか?(笑)

それはヒツジさんが愚かであるとか、能力がないから、ということでしょう。
だって、ハイエナさんは「この株を買って儲けるよ」と言い、それで儲かっていれば、その判断は正しいということなのでしょ?ならば、ヒツジさんがそのチャンスをみすみす逃し、儲ける機会を失うとか投資しないというのはバカ、ということなのではありませんか?ハイエナさんに「ヒツジさんはバカだなー、何で買っとかないんだよ。儲けられたのに」と言われて、何と返答するのでしょう?(笑)

少なくとも、ハイエナさんにしかできないようなプロジェクトであって、ヒツジさんはその能力がなくて不可能である、ということであるなら、ハイエナさんだけが儲ける機会を持つ、ということになるでしょう。つまりヒツジさんは本物のバカである、ということです。ヒツジさんには到底できっこない、ということなんですよ(笑)。

だから前から何度も言ってるように、日本で金を持ってる連中がアホなんだって。企業貯蓄をしこたま抱えて、国債金利以下でしか運用できない連中が多すぎて、誰も投資しない・できないので、ハイエナさんがやってきてはプロジェクトに投資して儲けるということだよ。日本という国は、国内の資金が多すぎるので、海外資本がないと開発できないとかプロジェクトが推進する金がない、などということはないのですよ。それは貧乏な国の話だ。途上国ならば資本過少で労働力が過剰だろう。けど、日本は違う。資本が余っているんだもの。

そもそも民間投資を行わないと、(民間)「貯蓄-投資」の差額分が大きければ大きいほど、政府の財政収支を悪化させるんだって(笑)。民間企業が投資をしなくなったせいで、財政赤字は悪化したのですよ。で、金を握って「キャッシュ幻想」に浸っているからこそ、投資に金が回っていかないのだ。投資とは、単なる金儲けの株式投資という話(いや、それもやるべきだろうし、やればいいけど)ではなくて、様々な設備投資とか事業とか未来に投資していく、ということなのですよ。勿論、人に投資する、という意味も含まれる。

かつて企業スポーツに金を使っていたけれども、そういうのが大幅に切られたでしょ?メセナとか、何とかも廃れたでしょ?こういうのもマイナスに働いたかもしれんわな。いや、別にいいんですよ。米国だって、大金持ちは学校とか博物館とか美術館とか、いっぱい寄附するでしょ?全然「金を生み出す」とは考えられていないような場所に、多額の投資をやっているんですって。スポーツビジネスも大きくしていってるんですって。そういうことに金を使うからこそ、経済全体が大きく成長していくのだよ。それは、人々を豊かにしたり、金を使わせたりすることにも繋がるんですって。音楽だって、始めから金を生み出したりはしなかったでしょ?でも、そういう部分にお金を投資することで、楽器産業ができたり、レコード業界ができたり、再生機器ができたり、コンサートとかホールとか、そういった「音楽」にまつわる経済規模は大きくなったでしょ?こうした文化を育み成長させることができるなら、それ自体で経済活動が活発になる原動力になるんですよ。

でも、そういう心境になれないのは何故なのか?
そういう文化に「お金を使ってみようかな」と思えなくなっているのは何故なのか?

それは殆どの国民に、「見えない不安」があるからだ。
これも何年も言い続けているけど、将来が不安だから、だよ。将来の不確実性が大き過ぎるからだ。「何とかなる」とは思えなくなっているので、手元資金を多く用意しなきゃいけない、とサイフの紐をガッチリ締めさせているんだってば。
介護はしてもらえるのだろうか、年金で生活できるんだろうか、病気になって困るんじゃないか、そういう「保障」が心理的に壊れてしまっていて、見えない将来の不安に戦いているのだ。おまけに、遠い将来なんかではなく、既に「現実に」衰弱死や餓死が起こっていて、医療も受けられず死亡する話なんかを聞けば、誰だってそりゃ心配になりますよ。

この先、仕事が首になり収入がなくなるんじゃないか、病気するんじゃないか、国が大増税に踏み切るんじゃないか(笑)、子どもが減りすぎて将来働ける人は日本には半分もいないんじゃないか、等々、不安材料はいくらでも挙げられますよ。そういう不安を軽減するには、政府が政治が信頼を与える以外にはないのです。「あなたは安心していいですよ、それはこうこうこうしていきます、将来は~~のようにしていきますので、大丈夫です」という方向性をきちんと示さないから、いつまで経っても不安が拭い去れないんですって。


今の日本に重要なのは、ハイエナさんの群れを呼び込むことなのではない(笑)。海外からの直接投資比率が上がっても、過少となっている民間投資の一部を補うことにはなるが、根本的な解決には繋がらないだろう。ヒツジさんが、「自分でできることは自分でやるよ、自分の持ってるお金を出すよ」という勇気を持つことなのだ。まさに「アニマル・スピリット」を発揮して、チャレンジしていくことだ。

例えば、日本の証券会社とかコンピュータ業界や金融工学界の総力を結集して、海外のヘッジ・ファンドに劣らない成績を出せるような「究極ファンドマネージャー・プログラム」でも開発してごらんよ(笑)。生産性を上げるというのは、そういうことだ。これまでは人力でやってたのを、完全自動化してプログラムだけで動かせるようにできるはずだ。既に投資ロボットはいるらしいし。ネット上でもボットだか、スパム自動みたいなやつが存在しているのでしょ?将棋の人工知能というか、ボナンザのプログラム開発みたいなものだよ。日本の人口が減少していっても、人間以外でもできる仕事は機械がやればいいだけだから。洗濯機だってそうでしょ?人力でやってたのを機械がやるから、生産性が向上するんだよ。水汲みも人力でやるより、水道だからこそ生産性が向上するんだよ。技術革新とは、そういうことなのではないか?プログラムであれば、同情もなければ、迷いもなければ、1円入力ミス(笑)もない(いや、故障とかエラーとか何かのトラブルの可能性はあるので、何重ものバックアップになってないと大変だろうけどね)。もし最強のプログラムができるなら、負け知らずの年中休みなしの最強マネージャーになれるよ。もう個人個人で頭を悩ませて運用したりせずに済むから、時間も労力も大幅に軽減されるのだ。ただ銀行にお金を持っていくと、自動的に一括管理でやってくれるようになるよ、きっと。つまり水道みたいなものだ、ということ。個人個人で水汲みなんかしないで済むようになり、どこでも水道になる、ということだよ。


私自身も「これが有力なプロジェクトだ」というプランとかは一切持ってないよ、そりゃ。でも、日本人がみんなで一生懸命全力で考えれば、きっと色んなアイディアがでるハズだ。昔、ドラ焼きとかミルキーだって開発されたじゃないか(笑)。作ってみなけりゃ、判らない。そういうようなもんだ。

ハイエナさんに大挙して上陸してもらう、というような他人を当てにするのではなく、まずヒツジさんたちでよく考えてみよう、ということです。ヒツジさんにもできることがきっとありますよね、ということです。



アメリカの「悪魔的手法」とは何か

2008年01月29日 18時03分40秒 | 経済関連
唐突ですけれども、アメリカが何故これほど投資に精を出すのか、資金引き上げがどうのと言い出すのは何故なのか、ちょっと考えてみましたよ。

以前にちょっと書いたら、中にはビビッてしまった?人がいたのか、円安になったり、原油先物相場は86ドル台に急落したりと、偶然の現象に驚いたよ。まぐれとは、げに恐ろしい(笑)。これはまあ関係ないな。



1)ドルという通貨

最近はどうなのかよく知らないが、かつては途上国において自国通貨に対する信頼性は乏しく、外貨―特にドル―の利用を求められたのではないかと考えられる。それは映画や小説などの描写でもそうであった。

例えばこんな感じ。

商人 「こいつは上物だよ?どうだい?」
客 「うむ…、100ギルでなら買うよ」
商人 「ばか言っちゃいけねえな。150ギルでなら売るぜ」
客 「そんなに払えるか!100ギルだ。びた一文、譲れねえ」
商人 「他にも買いたい客はいっぱいるぜ。150だ」
客 「なら、この話はなかったことにしよう…」
商人 「ちょいと待ちな、ダンナ。じゃあいいぜ、110だ」
客 「始めからそう言っとけばいいんだ。いいだろう」
商人 「ギルはお断りだぜ。ドルかポンド紙幣にしてくんな」

というようなことです。この「ギルはお断り」というのは架空の通貨ですが、自国通貨への信頼がない為にドルで払え、みたいなことになっていたであろうな、と。それは政府や自国銀行がいつ倒れるか、潰れるか判ったものではないですし、政情不安定になれば外国に逃げていかねばならないかもしれない。そうなると、いくら「100ギル持ってるんだよ」とか言っても、隣国で「そんなものは紙屑にしかならないね」と断られたら、どうにもできないからでしょう。その紙幣を持っても、政府転覆後に新政権が樹立されて「今までのお金は使えません、新たにペタ紙幣を発行します」となったら、ゴミにしかなりませんからね。信用されない紙幣とは、単なる紙屑である、ということであり、それはみんなに「約束は守られる」という共通幻想がなければ成立しないからですよね。その点、ドル紙幣はアメリカが破滅しない限り「約束は守られる」という信認があるのであり、アメリカが消えることなど到底考えられない、という主観的確率に支えられているものと思います。

ドルがこうしてグローバルな紙幣として君臨し続ける限り、紙幣発行がいくらでも可能になるのです。特に非合法活動(麻薬や武器密売等)で海外にドルを拡散することは、アメリカ国内にとっては有利に働くことになると思います。米国中銀のバランスシート上は、紙幣発行額が9割くらいだったと思いますけれども、この発行紙幣のうち少なくない量が国外マーケットで流通していると思われます。国外にあれば、極端なインフレは回避されるかもしれませんね。万が一、全世界に流通しているドル紙幣が米国内に戻ってきてしまうと、多分大変なことになるでしょう(笑)。高インフレ率に悩まされることになるかもしれません。


2)双子の赤字問題

これもよく言われていて、昔から続いています。だからといって、米国の経済が混乱したり低成長になったりはしていないわけです。当面何かの不具合が急に起こるということでもないでしょう。でも、何となく腑に落ちない部分があるわけですね。それを考えてみます。

まず財政赤字についてですが、これは大したことはありません。政府の財政収支の酷さは、日本の方が問題にされていると思われ、米国一般政府の債務残高は、対GDP比では問題になるレベルではないでしょう。赤字のもう一つの方、経常収支ですけれども、この赤字幅についても、深刻な問題という程ではないでしょう。それは米国のGDP規模が大きいからであり、赤字は恒常的ですので慣れっこになっている面もあるかと思います(笑)。普通に考えれば、両方の赤字は大袈裟に言う程ではないかもしれない。しかし、ここに実は落とし穴があると思ったのですね。


3)世界最大の借金王、米国

これも前から変わっていません。だからと言って、米国経済がどうにかなる、というものではないでしょう。けれども、これはカラクリがあるのであって、米国が必死で自転車をこぎ続けなければ必然的に借金の負担が重く圧し掛かり、危機に晒されるからでありましょう。

また例で書いてみましょう。

ここにある男がいます。とりあえずAと呼ぶことにしますか。Aは貸金から借金していて、100万円の借り入れ(*1)が既にあります。この返済を続けなければなりませんが、その為の収入はいくつかあって、一つは庭のイモを売ること(*2)です。けれど、イモで売ったお金より、自分が買ってしまう額(*3)の方が多いので、常に赤字(*4)になってしまうのです。なので、これでは足りません。で、Aは考えました。どうしたら金を返し続けられるだろうか?
まず友人たちに「俺に金を貸してくれ、そうすればイロを付けて返すからさ」(*5)と誘いをかけました。Aは「自慢じゃないけど、俺のパチスロの腕前(*6)は1級品だ」と言って、パチスロの台でジャンジャン勝っている姿を友人たちに見せつけたのです。すると、友人たちも安心して、「じゃあ、ちょっとお金を預けておくよ」(*7)と、Aにお金を渡したのです。

Aは100万円の借金がありましたが、友人たちから更に500万円を借り入れ、合計600万円としました。この一部を使って、猛烈にパチスロに打ち込み、返済原資を稼ぎ出しました。更に、金に困っている女たちを捜し出してきては、先の500万円のうちから貸し付けていくのです。勿論、友人たちへの返済分に付けている「イロ」よりも多く利息を取ります。こうして、自らの借金を返し続けながら、バランスシート全体の規模を膨張させる、という手段によって恒常的な支出超過分のマイナスを補うことを考え出したのです。Aが倒れたりしない限り、借金は600万円に膨らんでも、貸付やパチスロの稼ぎが返済に回せていればAは破産することなど有り得ないのです(笑)。これは100万円借金ならバランスシートの総額を1000万円に、1000万円借金なら1億円の総額に膨張させることによって持続可能になる、という寸法です。


如何でしょうか?この手法はかつて(というか今でも?)大蔵省が考えて取っていた方法とほぼ同じです。具体的には、たとえば郵政事業がそうでした。仮に、郵貯で100兆円集めますが、貯金者に払う利息を2%とします。100兆円は財投や国債などに投資され、平均利回りを3%とすると、その差額分がサヤとして頂戴できます、ということです。しかも、バランスシートを大きくする為に、郵貯が100兆円を大蔵に回すのではなく資産150兆円とし、負債50兆円(正味100兆円に変わりがない)は大蔵が郵貯に財投資金として貸し付けるので貯金者への利率よりも高い3%の利息を取られる、という寸法なのです。ハア?と思われるでしょう?しかし、このバランスシートを膨張させる手法を取れば、鞘が確実に大蔵に入るという寸法になり、予算規模も150兆円にできるという仕組みだったんですよね。アメリカが取っている手法とは、これと全く同じなのです(笑)。さすが郵貯の研究をやってきただけのことはあるね。

もうちょっと説明します。上の印の部分ですね。
*1:対外純債務ということになります
*2:イモ売りは、簡単に言えば輸出です
*3:自分が買うというのは、輸入です
*4:輸入超過であり、経常収支赤字ということです
*5:株、債券等に対し海外からの投資を呼び込むことです
*6:腕前とは、運用能力であり投資業務やヘッジファンドなどです
*7:主に米国債とか、ドル買いとか、その他直接投資とか


4)米国の戦略

純資産では巨額の対外純債務が残っており、大体GDPの2割程度です。米国は稼ぎ(GDP)が大きいので、借金比率そのものは、あまり大きな問題にはならないでしょう。年収1000万円の人が借入200万とか250万円くらいであれば、問題とはなりませんよね。
で、米国の必須要件としては、①借金の数倍のお金を常に呼び込まねばならない、②付ける利息よりも、運用効率が上回っていなければならない、ということになります。

①に関しては、紙幣を多く刷って海外のお金と交換してもよいですね。国内にそのお金が溜まらないので、酷いインフレにもならないでしょう。ドルになったお金の分を、外の貧乏人に高利で貸すと儲かります(笑)。米国の財務省証券に金利4%を付けて途上国などから資金を調達し、国内にやってきたお金は回りまわって海外の株式ポートフォリオなどと置換される、ということになります。アップルとかグーグルのような魅力的企業の株を買わせ、そのお金は回りまわって何処かの国の工場や不動産などを買って利益を上げればよい、とか。
これまでのところ、オイルマネーを呼び込み、中国や新興国のマネーを呼び込むことに成功してきたので、バランスシート膨張策はうまく回ってきて、純債務の増加にはなってきませんでした。

やはり米国の金を呼び込む魅力というのは、
・グーグルなどに代表される強い企業の魅力
・成長期待
・ヘッジファンドや投資銀行に代表される高い運用成績
などかな、と思います。

1200兆円借りても、1000兆円を貸し出しているので、その利払いバランスが均衡している限り、負債が負担になることはない、ということですね。けれども、貸し手がいなくなるとバランスシートは収縮し、借金の返済負担がダイレクトに圧し掛かってくる為に、国全体としては苦しくなります。この1000兆円を呼び込む力というのが、米国にはある、ということだろうと思います。

あと、サブプライムローンの債券なんかも、この「海外からの金を呼び込む」という餌であり、実際世界中から金をかき集めてきたことは確実です。この呼び込んだ金が吹き飛ぶと、バランスシートから消えてなくなるので、純債務との大きさの比率が変わるので、借金の返済負担は相対的に重くなるでしょう。

②については、もう言わずもがな、でしょうね。オイルマネーやSWFから金を集め、その金を元手に海外債権を保有して、そこからの収益率が支払利息を上回る限り得をする、という寸法ですね。しかも、巨額資金を集めているので、海外株式にその3割を投入すれば、「自分たちが買いの主体」となって、各国市場の値上がりを演出することさえ可能になります。原油先物相場の急騰と似たような原理ですな。借金大国の米国ではあっても、バランスシートが膨大であるので、貸出額も世界最大となっている為です。最大の債権国というのが日本、というのは、対外純債務を比べると日本が世界で一番の金持ちですけれども、現実に貸してる金は米国が一番大きく2倍以上なのです。

参考:平成18年末本邦対外資産負債残高の概要

「貸してる」といっても、米国の場合には、例えば日本株、中国株、インド株、という具合に株に投資しているので、この「貸し」を引き上げるとその国の株式市場は大暴落する、という寸法になるのです。特に、米国が投資対象としている国について、うるさく「お前ら、効率をアップせよ、成長率を上げろ、上げろ」と注文を付けるのは、この為です。金貸し市場をよこせ、金利を高くしろ、としつこく絡んでくるのも、その為です(笑、ホントは違うかも)。

全世界広しと言えども、米国の対外債権10兆ドルに対抗できる資金力を持っているのは、日本くらいなものでしょう。EUの資金量は調べてませんが、債務国もそこそこ含まれているでしょうから、キャッシュの動員力で言えば、日本しか対抗できないでありましょう。それ故、日本について脅威であると考えているでしょう。実は、米国の膨張したバランスシートを単独で凌駕できる国など、世界中のどこにもないのですよ。だからこそ、日本をどうにかして「骨抜き」にしておかねばならない、ということなんです。

中国は金持ちが多く存在していても、国全体の資金量としては、日本には遠く及ばないでしょう。経常収支の大幅なプラスで外貨準備高の世界一となったにせよ、せいぜい100~200兆円規模ではないかと思われます。その金は、米国国債とか米国企業株などという「米国資産」に投資されている限り、本格的な脅威にはなり得ません。米国が中国に貸している金(具体的には上海や香港株式市場に投入している金とか、直接投資とか)の方が破壊力があるからでしょうね。そうは言っても、現在中国が米国の経常収支悪化の第一人者であることから、元への圧力が強まるでしょう。中国は米国の通貨戦略を封じる意味でも、バスケットを採用しているので、通貨危機のようなことは回避されますからね。アジア諸国や韓国とかがどんな目にあったか一目瞭然ですから(笑)。


日本はAさんのように、必死でパチスロに取り組まずとも、海外に貸してる方が多いので、金は入ってくる方だ。出て行かない。国債も海外保有比率は5%未満と国外の脅威に曝される危険性は小さい。長期的に見れば、日本の方が健全な体質である。

米国の最大の心配は、「バランスシートの縮小」だ。これは日本が停滞に陥ってから多くの企業取った「誤った処置」と同一なのである。即ち、「借金を減らして、バランスシートを縮小する」ということをやれば、米国のように債務額が大きい場合には、倒れる心配が出てくるのである。特に、サブプライム問題のようなことが起これば、呼び込んだ100兆円規模の金がパアになってしまいかねず、するとバランスシート上では海外からの投資額は純減となり、100兆円規模で金を呼び込めるだけの「魅力的な何か」を用意できない限り、バランスシートは回復されない。確実に小さくなるのである。条件①のところで、バランスが崩れてしまうのである。株式相場下落によっても、海外に貸し出していた債権部分は小さくなったことも、大きな打撃となるのだ。

例えば、借入1200兆円、貸出1000兆円だったものが、借入1100兆円、貸出900兆円となるので、純債務200兆円の比率は全体の中で大きくなるのである。1200兆円が4%の利払いであれば、48兆円の利息を払うことになるが、運用が上手なので貸してる1000兆円のリターンが4.8%あれば、利払いのバランスが取れていることになるのだ。しかし、1100兆円となれば、44兆円の利払いがあるが、貸出も900兆円に減少しているので、運用は約4.9%が必要になってくるのである。これに類することがいくつも起こっていくと、「米国からの資金引き上げ」となるので、バランスシートが縮小していくことになり、純債務の返済負担だけが重くなっていくであろう。もしも借入600兆円、貸出400兆円であれば、4%利払いなので24兆円必要となるが、400兆円からのリターンとして6%の運用成績が必要になるのである。つまり、バランスシートが縮小すれば「必要となる鞘」が拡大していくことになり、それが達成できなければ返済負担が重くなる、ということになるだろう。


5)将来的には

米国の全世界に対するGDPのウェイトが低下していくだろう。日本もそうだけど、中国、ロシア、インド、ブラジルなどの成長によって、現在の主要先進国の相対的な割合が低下するだろう。なので、米国の「金を呼び込む戦略」というものが、いつまで継続可能なのかは判らない。米国に投資すべき理由みたいなものが減っていくと、金が向かわなくなるかもしれない。それまでに対外純債務を減らしていくとか、保護貿易的な姿勢に転換するとか、そういう何かの策を打ってくるかもしれないね。

個人的考えとしては、日本が本気を出すこと、怒る時は本気で怒ること、米国との距離を置くこと、かな。
日本の態度があやふやでは、いつまで経っても敗戦国の奴隷扱いからは抜け出せないであろう。そして日本は、彼らの金を上回る金を持っているのだ、ということを知るべきだろう。



森林環境税のナンセンス

2008年01月27日 18時51分41秒 | 社会全般
また環境ネタの連続で恐縮ですけれども、~の悪い地方の知事がよからぬ案を考えているようだ。

森林環境税:道、再来年の導入目指す 放置民有林を整備、5年間で70億円 /北海道 - 毎日jp毎日新聞

要するに、森林保護の為の財源がないので税として導入しよう、って魂胆らしいのですが、真剣に考えてこれですか?ナンセンスとしか言いようがない。

ただでさえ、全国平均から大きく下回っている所得で、生活保護世帯は全国1、2を争う自治体で、厳冬期がある為に暖房用燃料費なども余計にかかり、除雪費も当然多額に必要で、鉄道などの交通網整備は(廃線などが多数あっても)都市部に比べて極端に遅れている交通過疎地域なのにも関わらず、もっと別に税を道民から徴収しましょう、っていう発想と魂胆が信じられない。例の緑資源機構廃止のあおりを受けて財源が削られたか何かですか?

この高橋知事は元経産省官僚だったらしいのですが、一体全体産業振興の為に何を実行してきたと言うのかね。しかも、道民が森林を守る為の税を払う、という経済産業でも何でもない思考には、全く驚かされますね。それでも経済産業省の官僚だった、という肩書きを出せるもんなんですか?


自分だったら、絶対にこんな案を考えたりはしない。
役立たずも程ほどにせい、と。地方の産業の問題は、改めてシリーズ中で書こうと思っていたので、とりあえず今は森林の話だけする。

そもそも、都道府県の運営を考える時には、自分の所の特徴というか「売り」みたいなものは何だろうな?と考えるじゃないですか。で、北海道であれば、「森林面積が大きい」ということがあるのでしょ?だったら、日本の国土全体で、都道府県別に一人当たりGDPに対するCO2の割り当てとか、考え付くじゃないですか。いや、もっと有利な指標があるなら、人口比とか何とかでもいんですけれども。
まあ普通に考えると、工場やオフィスからの排出量が多いとか、人口密集で排出量が増えるとか、そういう地域は必ずあるわけですよ。それは首都圏だとか、中京地域だとか、きっとそういうことになっていると思いますよ。ならば、その地域で排出できるCO2の量のかなりの部分を、他の過疎地域とかで負担しているわけですよ。工場でバンバン排出しているのを、山とか森林の多い地域が肩代わりしているようなもんでしょうが。自分たちの排出量なんて人口がそれほど多くなければ限られているわけですし。


つまり、北海道の比較優位は森林面積が大きい、ということになるので、その排出枠を他の首都圏とかに「分けてあげる」という発想になるのが必然でしょうよ。今は、資源になるものは何でも有効に使えるんですよ?そういう時代なんですから。水やCO2枠さえも資源の一部ということです。ならば、森林保護の費用を拠出するのは、北海道外の地域の人間がやるべきことで、少なくとも道民ではないはずなんですよ。田舎には田舎なりの有利な部分があって当然なわけで、水だとか森林だとかが資源としての価値をもたせられるはずなのです。
よって、森林保護費用は国全体の排出量のマイナス貢献分として、環境負荷の大きな排出量の多い地域から貰えるという理屈であるべきです。その為の交渉なり提案なりを、知事会で行うとか、総務省に掛け合うとか、環境省にお願いするとか、古巣の経産省に相談するとか、色々と考えられるでしょう?何か一つでもトライしたんですか?

ところがドッコイ、この官僚あがりの知事さんときたら何を考えているのか、貧乏人の道民から新たに別な税を徴収することを考えるしか能がないのだそうだ。夕張の例を見れば判るように、日本経済から最も取り残されている地域なのだ。冗談はよしとくれよ。
何でこんな短絡思考しかできない知事の増税案を、環境負荷の小さな田舎の住民が受け入れねばならんの?田舎の排出量の低い住民が税を負担して、大都会でバンバン排出してる大多数の連中が税負担がない、なんてのは、発想として明らかにおかしいだろうが。


しかも、そういうことに思考が向かわないこと、発表する前に検討してみようともしないこと、周囲の役人連中の誰1人として進言したりしないという現実、そういうのを目の当たりにすると、「ああ、これだから地方ってダメになって行くんだな」ってのが実感できますね。これぞまさしく、ダメなリーダーである限り、決して良くなってなんかいかないのだ、ということ。金を引っ張ってこれないばかりか、もっと余計に取るという最低の根性が許せないのだよ。

「年貢をもっと上げよう」って決断は、「バカ殿」でもできるんだよ。
年貢を上げずに、住民の暮らし向きを良くしようとするのが為政者の役割だろが。頭つかえよ。



偽装紙問題の余波

2008年01月27日 18時07分21秒 | 法関係
いや、お気持ちは判りますよ。
全くとんでもない話だ、偽装の紙なんて購入停止だ、ということで、厳しい処分をすれば、おのずと「使える紙」なんてのは限られてしまうわけで、まあ環境省がどこからか調達してくれることを祈るしかないでしょうね。間違っても「偽装紙」を大量に購入することなどできませんもんね?(笑)

東京新聞再生紙偽装 省庁も困惑 調達基準満たせず 返品は環境負荷に社会TOKYO Web

新たな購入ができない、ということのようで、お役所も困っている様子(笑)。

東京新聞『コピー紙ない』役所ケチケチ 偽装でも使うしか 国会中、需要増 両面フル活用 R100外す社会TOKYO Web


詐欺的行為だ、と指弾されていますけれども、かといって紙を使わないわけにもいかず、踏んだり蹴ったりみたいなことになっておるようでございます。環境省のお役人さまの元へは問い合わせが引っ切り無しと、騙された挙句に、自分には余計な仕事を大量に増やされるという、ダブルパンチに見舞われているのでございます。これは怒らないわけがない。
となると、本気も本気で損害賠償請求となってしまうやもしれませんが、もしそんなことをしたら「天下り引き受け先」が少なくなってきているご時世、製紙業界には「官僚お断り」という総スカンを食らいそうなのも気がかりでございます。哀れなり、お役人さま。

というのは冗談ですが、このグリーン購入法というのがある以上、無闇やたらとどの紙でも買うわけにもいかない、ということなのでしょう。こんな法律があること自体、全く知らなかった。

そこで、法令を見てみますと、「国等による環境物品等の調達の推進等に関する法律(平成十二年五月三十一日法律第百号)」というのがグリーン購入法ということでございます。
で、省庁が100%配合紙以外の紙を購入するのは、違法か否か、ということが問題になるであろうと思われます。

○第三条
国及び独立行政法人等は、物品及び役務(以下「物品等」という。)の調達に当たっては、環境物品等への需要の転換を促進するため、予算の適正な使用に留意しつつ、環境物品等を選択するよう努めなければならない。
2 略

この条文では国(や独法)は「環境物品等を選択するよう努めなければならない」という努力義務が課せられているものと思われますが、必ずしも70%は違法で100%は合法といった区分は明確ではありません。更に見てみますと、重要なのはこちらの条文です。

○第六条
国は、国及び独立行政法人等における環境物品等の調達を総合的かつ計画的に推進するため、環境物品等の調達の推進に関する基本方針(以下「基本方針」という。)を定めなければならない。

2  基本方針は、次に掲げる事項について定めるものとする。
一  国及び独立行政法人等による環境物品等の調達の推進に関する基本的方向
二  国及び独立行政法人等が重点的に調達を推進すべき環境物品等の種類(以下「特定調達品目」という。)及びその判断の基準並びに当該基準を満たす物品等(以下「特定調達物品等」という。)の調達の推進に関する基本的事項
三  その他環境物品等の調達の推進に関する重要事項

3  環境大臣は、あらかじめ各省各庁の長等(国にあっては各省各庁の長、独立行政法人等にあってはその主務大臣をいう。以下同じ。)と協議して基本方針の案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。

4  前項の規定による各省各庁の長等との協議に当たっては、特定調達品目の判断の基準については、当該特定調達品目に該当する物品等の製造等に関する技術及び需給の動向等を勘案する必要があることにかんがみ、環境大臣が当該物品等の製造、輸入、販売等の事業を所管する大臣と共同して作成する案に基づいて、これを行うものとする。

5  環境大臣は、第三項の閣議の決定があったときは、遅滞なく、基本方針を公表しなければならない。

6  前三項の規定は、基本方針の変更について準用する。


この条文を、もの凄くかいつまんで言いますと、基本方針を定めよ、基本方針は各省庁の長と環境大臣で協議し閣議決定せよ、ということです。これい関しては、主導権は環境大臣にあり、モノによっては当該所管大臣と共同でやってね、ということですね。結局、100%かそれ以下でもいいのか、というのは法令ではなく、「閣議決定による」ということになります。
で、その閣議決定とは何か、ということになりますが、こちらです(平成19年2月の閣議決定)。

環境物品等の調達に関する基本方針

笑えるのは、この表紙にも
「~基本方針の判断の基準を満足する『古紙パルプ配合比率100%』、~用紙を使用しています(古紙は、新聞古紙等の市中回収用紙を『100%原料として』使用)。」
と書かれていることです(『 』部は引用者による)。
これさえも偽装だった、ということで、まあ環境省のお怒りのほどは判りますけれども、調達困難となるのであれば業務に支障を来たすおそれもあり、頑固に100%に拘らずともいいのではなかろうか、と思ったりします。

そもそも、法律には「環境物品を選択するよう努めなさい」と書いてあるのであって、絶対にコレコレじゃないとダメ!という規定にはなっていないのですから、実情に合わせて最も「有効な措置」を考えれば宜しいのではないかと思います。
確かに閣議決定された基本方針には、コピー用紙であると「古紙パルプ配合率100%かつ白色度70%程度以下であること」のように規定されていますが、その条件に合致する製品は少ない(需要に追いつかない)か高価であるというのなら、第三条の「予算の適正な使用に留意しつつ」の部分に反することになってしまいかねないでしょう。


製紙業界は非難されるべきである、というのは同意できますが、現実的対応をも考慮した方がよいと思われます。少なくとも、虚偽的表示であったことは確かですけれども、それは法令で100%が義務化されていたものではないでしょう。
古紙配合比率が100%を達成できないのであるなら、「金を払って解決せよ」という部分を取り入れるのが有効と思われ、少なくとも製造の価格差(たとえば、100%が高く、70%が安いのであれば)から未達部分は「環境負荷を軽減する為の資金として供出せよ」みたいに求められると、実質的解決に結びつくのでは。それを用いて森林保護費用として使うとか新たな植林などに回すとか、他の温室効果ガス削減の財源として用いるとか、別な削減手段で対応してもよいのでは、という意味です。


とりあえず、この基本方針について訂正をするか、100%配合紙を調達しない限り、霞ヶ関と永田町では深刻な紙不足となる可能性があるかもしれません。もし訂正するつもりならば、法6条6項により基本方針の変更についての閣議決定を出せば、購入制限について回避されるものと思います。これは短時間で対応可能でありましょう。
たとえば、「配合率は100%を原則とし、これを優先的に購入するが、市場の需給などから調達が困難である場合には環境大臣にその旨申し出て、当該省庁の長と協議の上、100%未満の配合率の用紙を購入してもよい」といった中身にしておけばよいのではないかと。このまま「100%じゃないから買わない」ということを続けても、製造や需給の解決の目処が立たない限り、紙がなくなってしまうでしょう(笑)。

ところで、実際にお役人の方々は、「くっそー、これも偽装紙かよ!」みたいに紙に対して恨んだり嫌悪したりしながら、コピーをしたりしているんでしょうか?知事や議員さんたちも、自分の名刺を渡す時、「あっ、コレ偽装紙ですから」とか宣言しながら手渡したりしてるんでしょうか?それもウソくさいけど。本当にそんなに環境のことを考えて行動してたりするもんなんですかね?
偽装には、「絶対に許さん」みたいな信念を持っているのですか?

だったら、「私が議員であるというのは、偽装みたいなもんです」とか、真面目に宣言して頂いた方が宜しい方々というのは大勢いそうですが、どうなんでしょうか(笑)。「偽装政治家の○○です」とか真実を述べた方がよいのではないでしょうか。それとか、予算案についても「偽装予算案は可決されました」みたいに、正直に宣言してみては(笑)。国会で答弁に立つ時にも、「偽装公僕の○○局長」とか正しく呼称をつけてみては?ああ、偽装事務次官みたいな方も逮捕されたまま、最近は話題にも上らなくなりましたか(笑)。

言ってみりゃ、政治家も役人も、超大規模な偽装集団みたいなもんでしょ?違うの?建前はもういいから、真実を明らかにして、「100%ではなかった」というのと同じく、俺たちも実は…と打ち明けてみては如何でしょう?自らの偽装を暴かれるのも困る、というのでは、いくら民間の偽装を叩いてみてもしょうがないって話ですよ。現実的な対応と、着実な手を打つことも必要なのではないですかね、ということです。




「モテ」「愛され」の次は…?

2008年01月27日 15時38分38秒 | いいことないかな
偶然発見。もう3年も経つのだね。早いね。

ゆうPress「エビちゃん系」で愛されたい?「モテ」の周辺女性誌にみる

共産党の赤旗というのが笑えるが、これはまあいい。
下段の「お悩みハンター」も味わい深い(笑)。


さすがに世の女性たちにも、そろそろ「モテ」「愛され」が飽きられている頃ではなかろうか、と。別に私が心配してあげる必要はないわけですが。
キーワードとして、「モテメイク」「愛されアイテム」だのというのも廃れてきているのであれば、やはり、次!というのを考えねばなるまい。余りに同じような言い回しが氾濫し過ぎると、ウンザリ感も増すし、少数者の比較優位も失われるであろうしね。

で、考えました。

参考としては、コチラが面白い。

新成人が考える「時」の意識アンケート調査2005

こんな調査があるなんて知らなかった。
面白いのは、「輝いてる人」が毎年質問されていて、05年は一位から順に「ヨンさま、イチロー、波田陽区」、06年は「レイザーラモンHG、小泉総理、ホリエモン」、07年は「安倍総理、新庄、亀梨」だったんですと。消えてる人は結構いるね。昨年1位の安倍ちゃんも、あっという間だったのね。
小泉総理は04年に1位で、06年も僅差で2位と、若者に人気があるのかも。今年の結果は出てないけど、切腹とHGが選出されていたことを考えると、「そんなの関係ねー」の人が08年のトップになっていそう(笑)。



アンケート結果に戻りますが、簡単に言うとこんな話。


ある乙女がハタチになる日の明け方、神様が現れて言いました。

「一つだけ未来を教えよう。何が知りたいか?」
「教えてもらえるのはたった一つなのですか?」
「そうじゃ、質問は一度きりじゃ。さあ、何を知りたい?」
「ええっと…じゃあ、どんな人といつ結婚するのでしょう?」

神様はじっと乙女のまなこの奥底を見据えて、こう言いました。

「そなたの結婚相手は、白い馬に跨った隣の国の○○王子じゃ」
「ええっー!?」

乙女は目が醒めました…


とは書いていませんでしたが、20歳の女性が知りたいことは、約3割が結婚相手と時期、2割が「幸せな人生を送れるか」ということのようです。
意外だったのは、お金のこと(年収・財産)は少なく1.2%でしかありませんでした。女性では最下位ですね。男性でも僅かに高い程度ですので、将来金持ちになっているかどうかは若者にとって重要なものではない、ということのようです。いたって健全ではありませんか。職業のことは15%くらいが聞いており、「恋愛よりも仕事が重要」という価値観を持つ人の存在割合がその位なのではなかろうか、と思ったりします。


そういうようなわけで、モテ、愛されの次のキーワードは、
「ツキ」
に決定!
というか、それってどうよ?

余計な説明をしますと、「運命の出会い」「運命の相手」「赤い糸」(笑)とか、そういうのを女の子は気にしているわけです。未来予想図も大変気になっているわけです。
なので、その運命とか赤い糸を手繰り寄せるには、何といっても「ツキ」が重要でしょう、と。どうみてもこじつけですけど。

しかし、「ツキメイク」「ツキアイテム」って、変じゃね?
何か「悪いもの」でも「憑いてる」みたいな?


<ところで:
昔だと、余りに尋常ではない幸運に恵まれる場合には、人間の仕業などではなく「幸運の女神」だの「憑きもの」だのというような、神とか憑依の仕業と見なされたのかもしれませんね。「ツキがある」というのは、どういう語源なのか判りませんけれども。>


意外な出会いというのでは、こちらを発見。

幸せなふたりのであい100選募集

何故奈良県なのか全く判りませんけれども、読むと面白いですよ。世の中、ドラマ以上に不思議な出会いがあるのだな、と思いますね。
行き詰った作家の方とか、脚本家の方とかは、ネタの参考に出来そうな予感(笑)。盗作になってしまいかねないかもしれんので注意してね。


脱線しましたが、私的にイチオシなのは、『ツキ』ということで。



日本復活の道を探る・3~「ケイレツ」解体

2008年01月26日 22時41分16秒 | 経済関連
80年代、日本型経営の勝利が決定的になったかのように見えたかもしれません。米国は長きに渡る不振が続き、英国も改革の道半ばでした。世界経済をリードし、景気の牽引役になっていたのは日本経済であったでしょう。それ故、日本企業には称賛が惜しみなく送られました。特に、日本の企業群は他の国にはないシステムを持っていたのです。旧財閥系を中心とする系列がそれだったと思います。外国人から見れば「判り難い」と批判の対象になったでしょうが、ユダヤ人脈や華僑などとさしたる違いなどないでしょう。イスラム圏の特異な集団でもそうかもしれません。ある集団には理解されるシステムが外部の人間にとっては判らないというのは、ごく当たり前でしょう。

日本の系列がどうして生まれてきたのか、それがどういった存在だったのか、ということは、恐らく過去に議論し尽くされてきたと思います。それが日本のバブル崩壊に果たした役割や、長期停滞にどういった関与をしていたのかということも、一通り定説みたいなものは多分出来上がっているでしょう。私の個人的見解よりも、そうした定説を参考にされた方が望ましいでしょう。
とりあえず、かなり勝手な個人的感想(笑)を書いていきたいと思います。

◇◇◇

米国企業なんかを見ると、ずば抜けた企業というのが誕生してくるのですね。ティラノサウルスみたいな(笑)。単体で世界市場を狙えるような屈強な企業なのです。判りやすい例では、MSみたいなもんです。モビルスーツではありませんよ、マイクロソフトです。ガンダムでいうと、シャアとかアムロが操縦していて勝ちまくり敵を倒し続けられる、というようなことです。米国において、数々の敵と戦いを続けた結果、グーグルのような「エース級」が誕生する、ということになるのです。そのエース級の企業は、戦果がもの凄く大きいので、CEOの取り分もそれに見合うものとなっている、ということかと思います。

では、日本ではどうであったでしょうか。系列は、銀行や商社・中核企業を中心としたチームのようなものであり、国内では絶対的エース級の企業は存在していなかったかもしれません。個々で比べると、米国企業にはちょっと見劣りするよね、ということはあるかと思います。シャア専用機のようなのとは違って、汎用型が多いのでありジムやザクの集団、みたいなものかもしれません。集団を見ると、イメージでは「師団」みたいなものかと思います。また軍隊っぽい話で申し訳ありませんけど。

系列という師団構成はこんなイメージです。
中核になる主力部隊(銀行、商社、製造業等)が師団のエースです。たとえば、三菱重工、三菱銀行、三菱商事、みたいな感じで。ここが参謀本部を兼ねており、作戦立案や司令は勿論、人事権をも持っている、ということですね。この中核部隊に勝たせる為には、サポート部隊が必要です。支援火力とか、兵站とか、工兵とか、色々とあるでしょう。それが様々な業種に及ぶ企業群ということになり、連隊とか大隊司令官クラスの企業、ということです。その下部には、更に多くの企業が連なり、中隊や小隊という規模の小さい組織になり、所謂下請けの中小企業群ということになるかと思います。

師団司令部から号令が掛けられると、その師団はみんな協力し合いながら末端にその司令が伝達されていった、ということになるでしょう。有能な参謀本部である限り、末端の方では難しい判断とかは求められなかったのかもしれません。上からの命令に従っていれば、それでうまく切り抜けられていた、ということです。戦っている兵士たちは、「よく判らないけど、とりあえず命令に従え」というような感じでしょうか。つまりこのシステムでは、有能な人材が上の方に少数いれば、下の人間たちはあまり心配せずとも良かったのかもしれません。

時には、連隊長や大隊長クラスが不振に陥り、無能さを露呈したりしますと、師団参謀の方から「首を挿げ替えよう」という意向が働いてグループ内で交代が行われていたでしょう。新たな連隊長を決める、送り込む、みたいなことが慣行として行われていたかもしれません。これは、師団内の規律という点と下部組織の長期不振を放置させない、という利点があったかもしれません。下部の中隊や小隊は特別な才能を有していないかもしれないが、命令には忠実に従い、師団全体の組織戦では諸外国と戦えるだけの戦力となっていたでしょう。手柄を我が物とすることもなく、中核部隊が「大戦果」を挙げる為だけに働いていた、ということです。将棋で言えば、「歩」の働きに似ているかもしれませんね。そうした下部組織の献身的というか、犠牲を厭わない戦いができたことが、日本企業群の飛躍と勝利をもたらしていたものと思っています。

師団の戦い方で特に有利だったのではないかと思えるのは、「隣の連隊が苦境に陥っています!」という戦況が知らされると、グループ内で隣とかにいる連隊や大隊から「よし、増援を送るぞ、向こうに行って加勢してこい」みたいに、協力できたことではないかと思えます。自分の戦果は小さくなるかもしれないが、苦境に陥った仲間を見捨てたりせずに、隣の部隊とかから緊急で戦車部隊とか砲兵部隊が送られて支援を受けられた、ということです。これで、その連隊とかは戦線離脱せずに踏み止まって戦うことができ、師団全体としても戦線に破綻を生じさせないで戦い続けられたのではないのかな、と。営業不振で赤字になっても、とりあえず持合株をグループ内で移動(形式的には売却?)し益出しを行ったりできた(市場で売却するよりも有利だし、株価が下がるのも防げる)のかもしれません。あるいは、グループ内の受注を増やしてあげるとか、そういう融通が利いたのだろうな、と。

それと、下請けの系列化は忠誠の代わりに、仕事を約束するものであり、強いていえば昔の武士の仕官みたいなものに似た感じではないかと思います。「○○家に忠義を尽くす××家の末席に連なる△△家に縁の当社」のようなものです(笑)。師団参謀の中核部隊は雲の上のまた上の方ではありましたが、師団の末端として「きっと俺達の戦いは無駄にはならないんだ、ここで踏ん張っていればきっと師団は勝利するんだ」みたいに信じて、大隊や中隊と一緒に行動していたんだろうな、と思うのです。自分たちは「きっと○○家に繋がっているのだ」というような矜持が末端にもあったかもしれない、ということです。個々の労働者たちが果たしてそういった心境であったのかどうかは判りませんが、「お仕事は何を…?」といった会話中の質問には、「三菱なんとかなんとかなんとか製作所です」や「日立ほにゃららほにゃほにゃ物流です」みたいなもので(笑)、どこに連なっているか、ということが大事だったのだろうな、と。これは「ほにゃらら藩です」という所属を言う(実際には~藩というのはなかった、という話だけど)のとほぼ同じでは。「○○家家臣、~さまにお仕えする××家分家の△△家に仕官しています」、と答えるようなものではないでしょうか、と。

こうして、日本の系列という戦闘集団は、世界的に類を見ない戦い方で数々の勝利を収めることに成功してきたのです。中核部隊に大戦果をもたらす忠実な末端組織、その末端組織をグループ内に擁護し俸禄を確保するシステム、というようなイメージです。この戦い方は日本人の気質に合っており、「超スーパーエース」単独で戦うやり方とは異なっていたと思います。前に書いた組織戦で勝利する(日本は「ジャイアンツ戦略」を選択するのが望ましいか)というのは、このことです。

問題点もあって、企業統治がどうのとかよく言われたと思いますし、似たような師団がいくつもある、というのも、日本的であったのですね。これが横並び的と批判されたし、あっちの師団でこうやってるからウチもやる、みたいなことになったりするのです。これがいいのか悪いのかは、はっきりとは判りません。他人の良い戦い方を真似することが悪いとも言えないですし、サッカーだって強いチームや選手の真似をするのは、ダメじゃないですよね(笑)。将棋だって定跡があるし、研究していくと、誰かのマネになっている、ということは不思議でも何でもありません。他の問題としては、師団参謀の根本的誤りがあった場合には、師団全体に大変な影響を持つので、大敗北に繋がることになりかねないかもしれないですね。バブル崩壊過程は、まさにこれが起こったのではなかろうかと思いますし、最終的に系列解体へと突き進んだ参謀たちは、愚かだったのではないかと思います。日本が米国のマネをしたからといって、必ずしも良くなるわけではない、と立ち止まるべきでした(これも随分前に書いたのですが)。

参考:イルカはサメになれない~まとめ編

系列が非効率であるというのは、例えば運送の際に「俺は三菱系列だから三井系列の荷物は運搬しないぜ」ということで、トラックの半分以上を空にして走っているみたいなことです。系列の壁を越えて、一台のトラックが三菱と三井の荷物を一緒に積んで運べば、これまでは2台のトラックが必要だったのが一台で済むよね、ということです。これは系列解体なんかをしなくとも、系列同士が協力すればいい話なのですね。いうなれば、ウチの師団と隣の師団で協力して戦っていきましょう、という体勢を整えればいいだけです。かつては日本の電気産業は、自動車と並び強さの象徴であったのではないかと思います。日本の輸出産業の代表格であり、「made in Japan」の代名詞であったでしょう。今では半導体・コンピュータ産業の苦戦に現れるように、系列解体以後には世界では中々通用しなくなっていきました。「次の担い手」が弱体化したようにも思えました。製品そのもののが悪いとかではなく、マーケットと繋いでいたグループ内企業や商社の衰退が関係してなかったとも思えなかったりします。ソニーのようなブランドを浸透させてきた企業がどうにか世界に出て行くことが可能ですが、多くは国内市場に封じ込められたままではないでしょうか。


こうして系列解体の結果、「個々の判断で戦え、生き延びよ」と自由にされても、それまで上からの命令で戦うことに馴れてしまっていた末端の兵士たちは、「ええーっ?どうすんの?自分1人で戦うのかよ」と戸惑うことになり、それまで機能していた連隊や大隊も解散させられ、個別に局地戦を戦い抜かねばならなくなったのです。みんな個々の戦力として散り散りになり、グローバル化の波や金融システム異常やデフレや不況などがあって、各個撃破されていきました。多くの中小企業は倒れていったのです。生産性の高かった中堅クラスであっても、バランスシート上で負債が多ければ、デフレの影響(=返済負担が重くなる)と貸し渋りや貸し剥がし等、更には「これまでの俸禄(=下請けの仕事)がどうなるのか」という将来の不確実性増大なんかもあって、次々と討ち死にしていったんですよ。これまでの組織戦で優位に立ってきたことも災いして、「ミクロの、1対1の局面で、華麗な個人技や敵を圧倒する身体能力を発揮して、勝利せよ」という要求には応えられるはずもなかったんですよ。多くの人たちがそんな戦い方は身につけていなかったのですから。平凡なザクが、「よし、お前もシャアになって戦え」と急に言われたって、どうにもできないのと同じですよ。だれでもアムロになれるわけじゃない。


こうして日本全体は、系列を失って一気に沈没していきました。
愚かな経営者たちは、バランスシートだの資産だのを改善せねばならん、何といってもキャッシュフローだ、現ナマだ、リストラで首切れ、アメリカ型万歳だ、と、我を失ったのですよ。それまで法人が多く保有していた土地も株式も一斉に売り出し、わざわざ自らの売却で価値をどんどん落としていき、バランスシートを悪化させていったのですよ。
ある土地が「ジョーカーの札」だとしますか。ババ抜きと同じで、最後に持っていたヤツが損するんだ~ばーか、ばーか、笑、みたいに売ったようなもんです。
Aさん→Bさんに100円で売る→Cさんに60円で売る→Dさんに30円で売る→Eさんに10円で売る
みたいになったんですよ。
このジョーカーの札は、全ての札の価格を正確には表していないのに、「トランプ全体では1枚10円の札が53枚」ということになって、価値が激減したのですからね。最初は100円×53枚だったものが、最後には10分の1となった、というようなことです。それは札の売却を繰り返すことによって生じてしまうのです。ババを持ちたくない、というリスク回避は結果的に日本経済をどん底に陥れたのです。

土地が売りだされ、株が売り切られ、結果的に資産は大きく目減りしたということ。今回の日本株暴落でも、一気に売れば価値なんて評価されなくなり、リスクを回避する為だけに投売りするということです。勿論、どうしても売らねば生きていけない、という企業は仕方がないでしょう。でも、みんな真似して一斉に売る必要なんてなかったのです。みんなが同じく英米型企業に生まれ変わる必要性なんてなかったのですよ。愚かな経営者たちは、生半可な知識を仕入れてきた「米国かぶれ」にまんまと騙されたのですよ。「よく判らない」という外国人には情報を開示すればいいだけで、別に実物を売って現金に置き換えてまで「これなら判りやすいですよね?」なんて見せてやる必要性なんてこれっぽちもなかったんですよ。

日本人は個人個人が判断して投資を行ったりするのは、あまり得意ではなかったでしょう。けれど、企業はその役割を引き受けてくれて、社内預金だの企業年金だのやってくれたんだと思います。福利厚生も企業が考えて、社宅とか社員寮を確保したりしていたのです。保養所だの研修所だのもあったかもしれません(今では、公務員たちだけがそういうのをマネて、税金を無駄に遣い込んでいるが。笑)。そういうのが日本経済の「民間投資」をかなり補っていたのだろうと思うのです。個人レベルでは株式投資が苦手だから、代わりに系列グループで買い入れたり、資本増強が必要なら法人が「現金を出して」株式の引受手となり、着実に株価が値上がりしてきたことに貢献していたでしょう。まさに現金を資産に投資するのと同じ効果を生んでいたのです。浮動株比率が低いことが、株価の右肩上がりを支えていた面もあったかもしれません。企業が持ち合っているお陰で、多数の安定株主を確保できるというメリットもあったと思います。もの言わぬ株主であったかもしれませんが、系列内では株主でもあり統治側の人間でもあったので、それなりの統治機構は働いていたでしょう。そうでなければ80年代に日本型経営を称賛する意見など出てこなかったのではないかと思えるからです。


系列解体を通じて、日本は牙を抜かれた弱々しい兵士の塊みたいになってしまったのです。その兵士たちは、何の統率もとれない、バラバラの戦力なので、戦いに中々勝てないのです。かつての企業は、従業員や下請け企業のために、或いはグループ内の他人の為にお金を使うことで、日本経済の成長をしっかりと支えてきていたのです。だからこそ、昔の企業経営者たちは偉かったんだろうと思いますよ。前の記事にも書いたのですが、経常収支=(貯蓄-投資)+財政収支 の式において、政府の財政収支が若干のプラスかゼロ程度にするには、「多すぎる貯蓄」を使うだけの投資を誰かが行わねばならなかったのです。その役回りを企業が担っていた、ということです。会社は本当の意味で「社会的責任」を果たしていたのですよ。企業投資が大きくて企業貯蓄が大幅なマイナスであったのは、そうして成立していたのであろうと思いますよ。ところが今は企業貯蓄が大きなプラスとなって投資が少ない為に、貯蓄が大きくなり過ぎ(これもデフレのせいとか、将来不安に備えるなどの理由かも)で投資との差額が経常収支と釣り合わなければ、結果的に政府投資を大きくする(=財政収支はマイナス)ということになってしまっているのです。


日本の企業文化が「欧米か!」じゃなくて欧米化することで、それまでの良さが多く失われ、多くの国民にとっては国民負担率上昇という数字上のダメージ以上に、「社宅も社員寮もなくなった」「給料は成果主義で減らされた」というような負担増を強いられたようなものです。これでは消費が低迷するのも当たり前ですわな。会社は誰かの為という役割を放棄したのですからね。自分のことだけを考えるようになってからは、日本経済全体が地盤沈下となっていったということです。「お前らになんて無駄なんだよ!もっと合理化せよ!」という、浅ましい資本家根性みたいなものが、本当に現実経済に表れてきたということです。会社が従業員の幸せを願えなくなった時、会社の低迷と活力喪失が決定的となったのです。その積み重なった状態が、今の日本経済なのだ、ということです。


トヨタが何故勝ち続けられたのか?ゴーン流の日産が追い抜けないのは何故なのでしょうか?それは色々と分析されているでしょうが、結局は従業員の忠誠に応えられる企業であったか、ということではないでしょうか。自分の給料を削ってでも、従業員に食べさせてあげようとする経営者であるかどうか、ということですよ。だからこそ、豊田家に仕えるものたちは勝ち抜いてこれたのだろうと思えます。日産はやったけれども、トヨタは系列解体も行わず、リストラもやらなかったでしょう。日本人に合った戦い方を選んだのだ、ということです。そして企業文化を継承してきたからこそ、組織戦で対抗できる企業となってきたのだろうと思います。


中には一匹狼の戦いが得意な人もいるでしょう。そういう人は自ら選んで個別戦を戦うのですから、強いし生き延びられると思うのです。なので、自分に合っているのであれば、そういう企業が出てきても全然構わないと思うのですよ。でも、みんながみんな、急に全てを捨て去る必要性なんてないとしか思えないのですね。生まれ変わることが問題を解決することには繋がらない、ということです。「どうやって戦うか、どうやって生き延びられるようにするか」、大切なのはそれだけですね。けれども、企業群は「自分さえ助かればいい」という方向に走り出したのです。だから、解体を進め、切り売りし、「スリム化至上主義」的に(そんな主義はないけど)ありとあらゆるものを切り離してしまったのです。

これが正しい選択だった、とは、到底思えないのです。
今後、政府の財政均衡を目指すのであれば、大きい貯蓄に見合う投資を民間が行うか、経常収支を赤にするか、選んでみたらどうでしょうか?(笑)>「財政再建命」派の方々、経団連どの


個人的には、日本の低迷を脱するカギは「文化の尊重」であると思っています。
また精神論かよ、と批判されると思いますけれども、「自分たちの長所とは何か」「得意なことは何か」という自己点検をやることから始めたらいいと思います。それは、これまでの生き方そのものということであり、日本の歩んだ道であり、日本に育まれてきた文化そのものです。これまで歩んでこなかった道には、自分の長所はありません。過去にネットプレーを全然してこなかったテニスプレイヤーが、急にサーブ&ボレーで勝てるようになれるわけではありません(笑)。

自分の強みを生かす戦術をリーダーが考える、ということ以外にはありません。それが実行できなければ、何の解決策も見出せないまま、沈没から逃れられないでしょう。



道路特定財源を巡る攻防戦

2008年01月26日 02時32分21秒 | 政治って?
えー、「ガソリン○○」みたいな命名が流行っているようですが、これも古くて新しい問題、ということかもしれません。現在の戦況を大雑把に見てみますと、与党vs民主党という図式のように思えますが、そう単純ではなさそうです。
これはどういうことか?
話は極めて複雑であり、はっきり言えば敵味方入り乱れての「大混乱」ということです。まさにバトルロワイヤル状態でございます(笑)。

古館アナ時代の実況風に言うと、こんな感じ?
「敵の敵は味方なのか、貴様の敵は俺の敵なのか、はたまた昨日の敵は今日の友ならぬ長年の宿敵なのか、敵味方入り乱れて誰の目にも判らない状況となっております。最後に立っているのは誰なのか、最後に笑うものは誰なのか、国民は泣きを見るのか、全く混沌としたまま壮絶な戦いの幕が切って落とされました。これぞ燃え盛るガソリン国会、火にアブラを注ぐのは、インド洋へと旅立った、補給艦「おうみ」でありますまいか、火の勢いは俄然増す一方で、今もなお消火の目処が立っていない状況であります。」
長い?作りすぎ?全然似てないって?失礼仕りました(笑)


個人的な判断基準を元に東軍(維持派)と西軍(撤廃派)に分けますと、こうなっています。

◎東軍(暫定税率維持派)
・政府与党
・財務省
・国交省
・総務省?(地方財源問題)
・道路族&仲間たち
・地方政治家
・石原&東国原知事
・建設土木関係
・日経新聞??→NIKKEI NET:社説
(日経は撤廃反対だが主張をはっきり書いてないので、維持派ではないのかも?)


◎西軍(暫定税率撤廃派)
・民主党
・その他野党?
・経産省?
・環境省?(環境税の胸算用?)
・産業振興系議員?
・自工会を中心とする自動車関連団体
・ 石油団体
・ 商工団体?
・みのもんた?(笑)


◎その他(一般財源化)
・オレ
・朝日新聞→asahicom:朝日新聞社説
・読売新聞→YOMIURI ONLINE
・毎日新聞→社説:毎日jp毎日新聞
・不明??

私の意見は、珍しく大手紙と同じになっています。前から一般財源化を主張してきたので、これは変わっていませんけど。


暫定税率問題は、元々民主党が「撤廃」を主張していたわけではありません。自動車団体の長年の悲願、というべき面があるでしょう。

例えばコレ>JAMA -JAMAGAZINE-

一部引用しますと、ここに登場する議員さんというのは、
『国会議員を代表して、自由民主党・甘利明 筆頭副幹事長、自由民主党・坂本剛二 経済産業部会長、公明党・松あきら 中央幹事、保守党・泉信也 参議院幹事長』
ということだそうです。
甘利さんは既に経産大臣ですな。民主党議員にも維持派がいるのと同じく、与党側にも「本当は撤廃…」と内心思っている人もいるかもしれませんね。
で、問題の根っこのところは、道路族と自動車族との駆け引きといいますか、綱引きになっている、ということだろうと思います。

道路族は歴史もあるし政治力もあって強大であるのですが、小泉政権下で弱体化が進んだと思われます。公共事業削減の波は建設土木を圧迫し、ハコモノが封じられた今となっては唯一残された逃げ場が「道路」ということだろうと思います。特に地方での影響が大きいのが、この道路事業なのですね。目先の利益に飛びつきたい議員連中は、直ぐに結果が出せる「道路事業」を取ってくることが票に直結するので、何としても維持したい、自分の町に予算を回してもらいたい、というのが本音でしょう。

一方の自動車関連団体の言い分としては、長年撤廃を主張してきたのと、運輸関連業界は燃料費高騰で経営的な圧迫を受けているので、何とかしてくれということでしょう。トラック協会関連団体は自民との関係が深いにも関わらず、主張が受け入れられないばかりか、協会に補助金を回してもらって業界団体トップ連中が旨味にありついていて、業界全体には何らプラスになっていないという裏腹な面も見られるかもしれません。業界の末端は苦しいだけ、ということかと。
更に最強の撤廃派中核となっているのは、自工会でしょう。トヨタをはじめとする基幹企業が軒並み撤廃を主張しているのだし、自工会には天下り受け皿もありますからね(笑)。自動車関連団体が撤廃派である為に、議員ばかりではなく役人サイドも「股割き」状態になっているのではないかと思われるのです。でも民主党が「撤廃だ」と言い始めてからは、自工会はダンマリを決め込んでおり、それは撤廃を表立って主張すると、民主党に肩入れすることになってしまいかねないので、それも「やり難い」「バツが悪い」「状況を悪化させる」というような計算が働いているのでしょう(笑)。なので、以前の「社長総出で撤廃署名運動」みたいなことは、「差し控えております」ということらしい。


こうして、撤廃派、維持派と入り乱れての戦いとなっており、問題は民主党も与党もこの争いが政治局面を左右する決定的な材料である、と認識していることなのです。どちらかが譲歩すれば、解散総選挙(即ち政権交代や連立組み換え?)に直結する、と考えているからだろうと思われます。

しかし、落ち着いて考えてみれば、これが政権を揺るがすようなネタなんでしょうかね、という話であり、やけに争点が小さすぎやしませんかね、ということです。全体の利益よりも「地元の利益」しか考えないような知事や議員連中が、「維持して道路工事」という短絡的思考しかできないことが、余計に政治的効果を大きくしているということもあるでしょう。参院選で地方で手痛い目に遭わされた自民が、「地方が困る、地方が、地方が」というフレーズに過敏になっているからです。

道路族と自動車族、自民党と民主党の対立、地方の問題(選挙、財政、景気、雇用)、国会運営、等々、複雑に絡み合っているのですね。なので、一筋縄ではいかない、ということになっているのではなかろうかと。

この「火に油を注ぐ」キッカケ作りをしたのは、例の国交省の道路計画に必要な財源が68兆円?でしたか、あの杜撰な計画であったことでしょう。民主党に攻撃材料を提供してあげたようなものです。元凶はあの計画だったことは間違いないでしょう。道路族の反撃という狼煙を上げてしまったばかりに、大きく育ててしまったようなものです。なので、自民としても一歩も引けなくなってしまった。道路族は思慮が足りないんだろうね。この期に及んで、道路、道路で日本の将来を切り開けるとでも思っているのかね?


小泉政権時代に戻るが、この頃から「一般財源化」というのが幾度となく論点として浮上していた。財務省が財源不足に嘆いていたのと、財政規律という点?から道路特定財源を締め付ける必要性を感じていたからなのかもしれない。

関連記事:

財務省の金策

経済学は難しい12

道路で未来は拓けるのか

守旧派の復活劇


05年段階で既に道路族の反対を押し切ろうとしていたことが窺われ、一般財源化して財政再建の足しにしたかったのだろうと思われます。財務省は税率維持を図りつつも、本音では「余計な所には使わずに一般財源に繰入しろよ」と考えていたのだろうな、ということです。当時は国交省は不祥事続きで相当叩かれていて「弱っていた」からね。反論する元気なんてなかったんですよ。談合事件、耐震偽装などがあったわけですから。けど、今はほとぼりが冷めた頃だろう、ということで、再び「省益」確保に動けるくらいに復活したということでしょうか?無謀ともいえる10年計画をのうのうと出せるくらいには(笑)。

野球のグローグだろうが、ユニフォームだろうが、「適法」と言い張ることなど造作もない省庁ですので、まあアレですな。「ユニフォーム」を買ったのは、「道路管理作業服の購入に過ぎない」ので適法、などという屁理屈を出してくる省庁の言うことなど、どれ程の信頼性があるものだか判らんですわな(参考)。これは、組織の体質だわね。中央でもやってるから、地方の出先でも同じようにやってるだけだろ。グローブに限った話などではなく、常態化しているんだよ。こういうのを止める気配も、改めようという考えも持ってない、ということ。


国土交通省から財源と権限を取り上げる方がまだマシだ、というのが感想。財務省がそれ以下であるという可能性は否定できないのだが(笑)。

通学路の安全対策も必要です、開かずの踏切解消も必要です、みたいな理由というのは、ごくごく一部でしかないであろう。もしも実際に必要だ、というのなら、個別具体的に全ての道路整備地図と算定金額を出せ。

開かずの踏切とは、遮断時間が1時間当たり何分なのか、最大遮断時間は何分か、その間の通行量はどのくらいか、出せるはずだろう。それが何万箇所あって、それぞれ工事費はどの程度かかるか、という概算は出せるでしょう、ということ。それに線路の高架化は民間業者のやるべきことが大半なのでは?歩道橋のようなものを設置するなら、その設置費用が一箇所の平均単価みたいなものは出せるだろう。

学童の歩道やガードレールの話も、あったらいいよね、ということではあるけれど、全部に必要とは判断されてこなかったからこれまで「後回し」になってきたのだろ?かつての半分に児童生徒数が減少して、今後も減っていく、学校も減っていくという時代にあって、これから整備開始と?笑わせるね。
こういうウソ八百の理由を持ち出してくるというのは、心情的に否定し難くさせる為だけであろう。それが最優先事項ということなら、当面それ以外には使わせないから。勿論それで異論があろうはずなかろう?道路財源は「開かずの踏切」「通学路」以外に使わせない、と(笑)。

過去に投入された財源は、こうした対策には優先的に使われてこなかったのであれば、重要度も必要性も低いとの判断だったと考えざるを得ない、ということ。それを今になって、必要だというのは都合の良い「財源分捕り」の為の口実に過ぎない。

上の参考記事(経済学は難しい)にも書いたが、社会資本は道路整備に大きく偏ってしまったことは明らかだ。道路に金を注ぎ込んでも、社会は停滞してきたし、地方は今の状況に過ぎなかったのだ、ということが未だに理解できない連中が多すぎるのだ。道路が付加価値を生み出す原動力にはなり得ない。

人間が新たな価値を生み出すのであり、人間に投資しない限り、未来はない。



「もはや一流でない」問題の補足~本当に実力を反映しているの?

2008年01月25日 18時44分39秒 | 経済関連
この前の記事関連ですが、ちょっと補足してみたい。


大竹教授のブログ経由で知りました。岩本氏は経済学の教授ということらしいです。

もはや経済は一流ではない? - 岩本康志のブログ - Yahooブログ
(以下に一部引用)

購買力平価で評価すれば,日本のGDPは「もはや」ではなく,かつて一流であったことはない。虚像を追いかけてもしかたがない。現状が実力に近いのである。
 また国民の視点に立つのが福田政権の路線ならば,消費水準を見るべきである。上図は,購買力平価で評価した1人当たり現実個人消費(民間最終消費支出と政府の個別消費支出の和,OECD平均=100)を示したものであり,ピークの1996年でもOECD平均を下回っているのである。
 GDPよりも消費の指数水準が低いのは,投資がGDPに占める割合が大きいため。その割に成長率が高くないのは,投資が効率的でない用途に使われている可能性が示唆される。非効率な投資の可能性は,故アルバート・安藤氏,林文夫東大教授,齊藤誠一橋大教授の研究によって,最近注目されている話題である。

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今の日本が90年代のデフレ期以降に低迷を続けている、ということには勿論同意できる。しかし、日本が「かつて一流であったことはない」と断言されると、訝しく思えてくるのである。いつもの悪い癖かもしれない。岩本先生は、データからグラフで示しておられるので、論点は明快であるが、これが意味するものとは何か、ということに若干の疑問があるのだ。

PPPベースで見ろ、ということは、同意。で、疑問点は、「消費水準で見るべき」というご意見。
例えば、年収500万円だけど消費は300万円で、残り200万円は預貯金、という人の場合、「貧乏」なのだろうか?
消費水準で見れば、仮に平均以下であるとしても、貯蓄額が大きい場合には「貧しい」わけではないと思うのだが。日本は国際比較の上で貯蓄率が高かったはずだと思いますが(最近は高齢化の影響で低下しているだろう)、そうであるなら「貧しい」とばかりはいえないのではなかろうか?そうではなくて、貯蓄(や投資額)が大きい、ということで消費性向は(諸外国に比し)低めである、ということも考えられるのではないか。これは貧しさを意味するものではないと考えるが、どうなのだろうか。

70年代の家計貯蓄率は20%くらいの「超”ためこみ”型」だったと思うが、消費を抑制してせっせと預貯金に回してきたのだから、これは貧しくも何ともないと思うけど。アメリカ人みたいに、限界ギリギリとか借金しても使いたきゃ、使えばいいだけだ。

前にも書いたけど、恒等式の関係上、

 経常収支=(貯蓄-投資)+財政収支

となっているので、日本は輸出優位国ということで、恒常的に経常収支の大幅なプラスが記録されてきたので、外貨準備高も多く持っていますぜ、ということなのですね。で、また、適当な数字で考えるとして、経常収支=10、財政収支=0(財政均衡)とすると、

 経常収支10=貯蓄-投資

ということになります。つまり投資よりも貯蓄は10上回る水準だ、ということで、投資額が少ないのが問題だ、とかいう話ではないようにも思えます。経常収支がいつもある水準でプラスであり続ける限り、「貯蓄超過となっている」(=政府財政均衡)か、民間投資が盛んで貯蓄と同水準であれば「財政収支が大幅な黒字」(=政府支出は税よりもずっと小さい)ということになります。

上記岩本先生の取り上げた「民間最終消費支出+政府個別消費支出」の数字が、本当に国民の「豊かさ」(或いは「貧しさ」)を比較するのに役立つものなのでしょうか、ということです。

 所得=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出

という決まりになっていますので、民間消費が小さくても所得の大きさが小さいということを意味するものではなく、所得額という点で考えると、貯蓄=民間投資+純輸出ですので貯蓄が大きい国民性であれば、所得が諸外国と同じ水準にあっても消費性向が小さく貯蓄が多いだけ、という風に見ることができるのではないでしょうか。


もう一つの点は、高齢化率の影響をどう見るか、ということです。日本は65歳以上の人口は確か20%を超えたと思いますけれども、OECDでそのような高齢化率となっている国はどの位あるのでしょうか、ということなんですよね。いや、高齢者でも稼げるよ、ということは判りますけれども、大抵は「年金暮らし」で経済規模拡大とか所得増大に貢献することはあまり期待できないでしょう。日本はこれだけの高齢者増加を支えつつ成長してきたのだ、と考えれば、「国民1人当たりの」消費水準がトップ級ではないとしても、外国に比べて「貧しい」なんてことはないと思われます。ああ、貧しいとは主張してないですけれども、「一流だったことなどない」ということでしたね。

そもそも単一の指標だけをもって「比べる」ということにどれほどの意味や価値があるのか、疑問ですね。これはまるで「ある一つの指標」をもって、「一流企業」か「三流企業」か比べられる、という断言のようなものではないでしょうか。「時価総額」だけ見てもしょうがないかもしれないですし、PERとかROE(それともROA?)なんかで比較もできますが、だからといって、ある特定の指標順位だけでは判断が難しいのではないでしょうか。もっと総合的に考えるものと思えます。いちいち一つの数字だけ取り上げて、「ここはダメな会社だ」みたいに言ったり悲観したりしないのでは。なので、国際比較であっても、日本がOECD諸国に比べて「平均以下の国だ」というふうには考えていません(停滞してたのは誰しも同意すると思いますけど)。


例えば、アメリカの統計指標には、不法移民の人数はカウントされるのでしょうか?メキシコ人の数が実際はかなり多いとかであると、その人が不法就労していたり消費したり経済活動には参加してますが、「国民1人当たり」なんて数値はいくらでも変動するのではなかろうか、と思ったりします。実際の米国人口は、もっと多いのかもしれません。これは中国だって同じです。中国の貿易統計はかなり不正確で、これと同レベルのことが経済統計のあらゆる分野で起こっているとしても不思議ではありません。日本企業みたいに、省庁からの調査にきちんと真面目に答える、みたいなことは到底期待できず、数値はデタラメであっても驚くに値しません。確かに成長しているのは街の雰囲気や人々の生活の様子などから窺えるものの、「本当に2桁成長である」などということは誰にも確かめようがないのですからね。ダイエットしている人の体重は、赤の他人からは全く見えないのであり、本人が「私は○kgよ」「○kg痩せたわ」などと公表すれば、それしか知ることができないんですからね(笑)。それと同じだ、ということです。何かと偽装とかパクリとか騙すとか、そういうのであっても堂々と商売できる環境にある国は、経済統計自体の信憑性に欠ける、としか思われません。人口統計でさえ、正しい数というのが出せない国であるのに、経済統計なんて夢のまた夢ではないかと。そういった国々の出してきた「数字」を比較することは、あまり役立つものでもないかな、と。


とりあえず、「こういう数字、データは一応出てるよ」程度に受け止め、そんなに真剣に「あ~あ、順位がまた○個下がった~、どうしよう~、一流じゃないんだ、オレ」みたいに悲観したところで今の状況が良くなるわけでもないですし(笑)。他人の生活を気にする前に、自分の目の前の問題に取り組むべきで、それは他人とは関係ありません。「アイツの方がテストの点数いいよ、まずい~オレの成績下がったよ~」とか他人を羨んだり不満に思ってみたところで、自分の成績が上がるわけでもない、ということです。


根本的な疑問は、どうしてこうも他人と不幸を比較したがるのだろうか。
OECDの下位の国は、そんなに不幸で可哀想な国なのかな?そんなことないと思うが。
日本人の傾向として、あらゆる場面で「他人と比較する」というのをやっており、せめて「上昇」「向上心」「成功」みたいな良い方向のモチベーションにすればいいのに、何故か「あー、もうダメだ、オワター、悲惨、逃避」みたいに「堕ちてゆく」方々が多すぎなのではないでしょうか。そういう人こそ、「世界で一つだけの花」とかいう歌を思いっ切り歌えばいいんだよ(笑)。




日本復活の道を探る・2~「努力しろ」は禁句か

2008年01月24日 20時20分20秒 | 経済関連
ちょっと色々とありまして、間が空いていますけれども、続きです。

何かと批判の対象とされていたかもしれないNHK番組の「プロジェクトX」でしたけれども、私は結構好きでした。というか、今でも好きです(それほど多く観てたわけではありませんが)。現在放映中の「プロフェッショナル」も観ています。それは、誰かの物語だからです。困難に挑戦する人間のドラマだからです。今の若い世代では、そういう「熱さ」みたいなものはダサいと思われているのかもしれませんが、それが停滞の一因なのではなかろうかと思っています。

よくありがちな話題で、「根性論ではダメだ」とか「努力しろ、は責任転嫁」とか「努力するのは無駄」とか、色々な意見が出されます。それは人によって色んな捉え方ができるでしょう。ただ我武者羅にやるだけでは解決できない、というのは正しいのかもしれません。が、どういう訳か、「理論に基づいてやれ」とか「根性ではダメ」とか、そういう意見は万能の如くにありとあらゆる場面に適用されているような気がするのです。でも、それって本当にそうなのだろうか?


また例でゴメンなさいね。
水泳のトレーニング方法は色んな経験や運動生理学などが総合的に加味されて、有力選手はトレーニングに励んでいると思います。日本選手の活躍は、そうした強化策が奏功した結果なのではないかと個人的には感じています。ここで、「うさぎ跳びで根性を鍛えれば勝てる」というような意見は、「無駄かもね」ということが言えるかもしれません。ただ努力だけしても無駄なんだよ、という「全てを見切ったかのような意見」が通用するだろうと思います。で、非常に大雑把に言えば、「科学的トレーニング理論に従って実践すべきだ」という意見だとしましょう。これには多くの人が賛同するものと思いますが、これはいつでも通用しますでしょうか?

水泳を学ぶ少年がいるとします。とりあえず、平泳ぎの選手を目指しているとしますか。北島選手に憧れている、ということで。
理論に基づいて、「科学的トレーニングを実践すべし」という意見は正しいのですが、さて、この少年にはそれが可能なのでしょうか、というのが問題なのです。この少年が水泳を学びはじめてまだ間もないので、「まだ水に入るのが怖い」と思っているかもしれません。すると、少年に「少しでも練習した方がいいですよ」とアドバイスしても、少年は「科学的トレーニングじゃなきゃヤダ、オレはそれ以外やらない」とか言い張るのですね(笑)。それとか、「オレはプールに無駄に通いたくない、サクッと上達する方法じゃないと行かない」とか主張するのです。

まあ確かに少年の主張するところには一理あると思います。けれど、一流選手たちだってひたすら「地道な努力」を重ねており、それができないと誰も勝てる選手になどなれないのです。理論に基づくトレーニング法であるとしても、それは「うさぎ跳びで根性養成」よりも「時間当たりの効果が高いであろう」ということが予想されるだけであり、結果を約束するものではありません。私が科学的トレーニング法で練習しても「うさぎ跳びで根性養成」したイアン・ソープには全く敵わないでしょう(笑)。上記少年の場合においても、科学的トレーニング云々を言う前に、平たく言えば「まずは根性見せろや」という理論もへったくれもないごく普通のことが必要なだけです。「お前、地道に努力せな強くなれんで」というのが出発点です。

大抵の場合には、頭でっかちになっているタイプの人は「そんな練習方法では理論的でない」とか、「そんな努力は無駄に終わる、だってオレはどうせ勝てないからやらない」という風に、何でもやる前に考えてばかりで行動に移そうとしないのです。そんなに全てのことを見切れるものなのでしょうか?泥臭くたっていいじゃないですか。根性論だっていいじゃないですか。まずは「プールに通うこと」「水に入ること」みたいなところから始めない限り、一気にオリンピック選手になれる方法などありません。やる前から「オレは降りた」という宣言をする人たちというのは、「プールに入る」ところからさえも退場してしまうのです。これは科学的トレーニング方法がどうの、といったレベルの問題ではないのです。無理矢理「プールに連れて来て、入れる」などということは、誰にもできないのです。自分でプールに地道に通ってもらわないと、どうしてあげることもできません。けど、「地道に通いなさい」とか言うと、「根性論かよ、根性では解決できない」と言い訳するんですね。「自分で泳ぐ努力をしなさい」とか言うと、「今度は自己責任かよ、お説教は聞き飽きた」と反論するのです。だったら好きにしなさい、と思ってしまうのですよね。プールに通う努力をしたくない者は、泳げなくても仕方がないでしょう。普通の人たちの場合というのは、トレーニング方法が科学的か科学的じゃないか、というレベルの話ではなく、それ以前の問題であるということです。


努力の仕方、というのは、当然色々あると思います。過去の失敗や数多くの経験とかが蓄積された結果が、今のトレーニング方法の確立に繋がってきた、ということだと思います。なので、「その練習方法は昔にやって効果的ではなかったよ」という失敗の教訓みたいなものが得られているので、その「無駄な練習」は行わない、ということだけです。それは「今のやり方」の方が効果的だ、ということが判っており、全部無駄にはならないかもしれないが「今のやり方」よりも効果が落ちますね、だから選ばない、ということです。もし自分が全て独力でやると、そうした過去の失敗などの経験の蓄積がないので、同じような試行錯誤を繰り返すことになってしまうかもしれません。でも、優秀なコーチとかがいて「ああ、それは止めた方がいいよ」とアドバイスをしてくれると、遠回りせずに済みます。試行錯誤にかかる時間が短縮できるのですね。だから、先人たちの経験というものはとても貴重なのであり、過去からの「蓄積」というものは大きな恩恵があるのです。学問でも、練習メニューでも、何だっていいのですが、経験は大切だと思っています。

結局、先人たちの教訓や経験等を踏まえつつ、運動生理学などの理論とか、個体差などの要素を総合的に判断したりして、「理論に基づく練習メニュー」みたいなものが作られる、ということになるかと思います(実際にどうなっているかは知りません、あくまで例示)。そこには、一定の合理性が備わっており、「根性」というだけのメニューにはなっていないでしょう。でも、ここから先はやはり選手個人の「地道な努力」に支えられるのであり、それ以外には勝てる選手にはなれないのです。誰しも一足飛びで最強の選手にはなれないのです。そこにあるのは、非凡な才能・センスと、それを開花させるだけの「地道な努力や反復」です。

私が血反吐を吐くほど根性を発揮して練習したとして、市民大会に優勝できる程度にはなれるかもしれませんが、「あんまり練習していないソープ」にさえも永遠に勝てない、ということは十分起こり得るのです。残酷ですけれども、人それぞれの向き不向きがあるのはしょうがないことなのです。けれども、そうした努力が一切合切無駄に終わり、何らの価値も持たない、というようなことはないと思います。チャレンジャーたちにしか判らないことがあるのだろうと思います。何を獲得したのかは人それぞれなのだ、ということです。


「プロジェクトX」は、観る人によって受け止め方が違うのかもしれません。「根性礼賛」や「お涙頂戴」の物語とか思うのも自由だと思います。私は、困難に挑戦しようとしたチャレンジャーたちの物語だと思ったし、(特に失敗や苦悩の)経験が多く詰まった先人たちの生きざまを知るにはとてもよいと思いました。どん底や絶望感などがあるからこそ、成功は大きな喜びとなるのであり、世の中では成功を掴めずそのまま敗北することも多々あるでしょう。それでも、常に挑まない限り決して成功はないのです。プールの水に飛び込む勇気、根性(笑)を見せない限り、泳ぐことはできないのと同じです。


現代では自営業者の数が大幅に減少しており、チャレンジャーの出現する数が昔と違うのかもしれません。昔のドラマとかのセリフの中には、「オレの夢は、一人前になって自分の店を持つことだ」のような、「自営」が割りと語られていたように思います。それはラーメン屋がボコボコ出てきたのと近い印象なのかもしれません。自分の店を持つ為に、金を溜めて、店舗を確保して、一式用意して、というような独立的生き方が昔にはそこそこあったのですが、今は大企業志向・公務員志向というような「組織依存性」が高いように思えます。これも「新たな種」が誕生しにくくなっていることに関係しているように感じます。

若者には才能やアイディアがたくさんあると思います。今は大きくなった企業であっても、初めは小さな店や町工場から始まっていったのだから、これと同じく「とりあえず何かをやってみよう」という自立的な精神が必要だろうと思うのです。そういう中から、面白いもの、将来性のあるもの、人気の出るもの、みたいに誕生してくるのだろうと思います。



崩落する日本市場と無能無策の指導者たち

2008年01月22日 18時55分44秒 | 経済関連
えー、本日も雪崩に巻き込まれ、大幅安となってしまいました。日本のリーダーたちは本当に愚かとしか思えません。何故震源地である米国市場以上に大幅な下落となってしまうのかといえば、モンスター化したマネー(参考記事)によって、いい狩場になっているからだ(笑)。

「注視していく」「静観していく」といったバカの一つ覚えのようなコメントを吐くしか能がないのである。本当に危機対応能力の乏しいのだ、日本というのは。何故、「知を結集」できないのか。今こそ、日本を救う為、ショックから守る為に断固行動するべきであろう。間抜けだ。

日経平均と為替を見るとこうなっていた(為替は1ドル当たりの円表示です)。

       日経平均  1ドル   ドル換算値
①10/31  16737円  115円   145.5ドル
②12/28  15307円  111円   137.9ドル
③本日   12573円  106円   118.6ドル

①→②では日経平均約8.5%下落、為替は約3.5%円高、ドル換算値では5.8%の下落ということになります。あるファンドが保有するポートフォリオの円資産は、その比率を意図的に落とさなくても、ポートフォリオ上では減少していることでしょう。
今年に入ってから(②→③)は、年末の日経平均から2734円の下落、約17.9%にも達します。為替は約4.5%の円高ですから、為替の影響などという取って付けたような理屈だけでは説明がつかないでありましょう。ドル換算値では、①→③は約18.5%、②→③でも約14.0%下落しています。日本株への投資をスルーします、だのと言わずとも、自然とポートフォリオ上のウェイトは小さくなっていることでしょう。これは全く売らない場合にでも減少しているのですから、もし一部売却ということになっているのなら、さらにウェイトは落ちているはずでしょう。

3ヶ月での下落率としては、あまりに急激であり、日本企業の先行き不安云々といったことではありません。ただ単に「日本の尻に火がつく」まで、徹底して売ってきているだけです。あまりに鈍感だからですよ。こんだけ明確な「売り」を浴びせられても、まだまだ大丈夫、とか言う、その無神経さには呆れます。日本の動きがあまりに鈍いので、徹底した売りを仕掛けてきているのですよ。政府が世界経済救済(例のサブプライム問題への対処ということだ)の為に動きだそうと決心するまで(つまりは「日本も金出せ」ってこと)、売り方についている連中は止めないでしょう。

先週末に後場に入ってから偶然切り返したことが2度ありましたが、あれは「売り方」の心の片隅にほんの少しだけ疑心があったが故です。外国人たちが「米政府の対策期待」で買い戻すとして、大幅安から切り返せるほどの勢いなどないでしょう。だって、殆ど多くの取引参加者たちは「対策期待」などという情報を知らずに売買しているからです。そうではない。週末に持ち越したくない投資家などは売りの手仕舞いで買い戻すし、上がってくれば仕方なく買い戻すだけであり、「誰かが大きく買い戻している」というキッカケみたいなものがあれば、大慌てで買い戻しただけでしょう。それは「大金を持っているヤツ」が本当に現れた(現れる?)のではないか、という疑心があったからだ。しかし、実際には「そんなヤツはいない」ということで安心すれば、心置きなく「売り」を浴びせられるというものです。


何でこんなにボケた連中が指導者になっているのだろうか。危機管理ができないばかりではなく、「日本を守ろう」という意識すらない連中ばかりである。政府も、日銀も、財務省も、本当にヤクザな組織揃いで何よりですな。

とりあえず、即効性のある対抗策は、それほど選択肢が多いわけではないだろう。まさか政府や日銀が「買い方」に回って買い支えるわけにもいかないだろうからね。効果がどの程度あるのか判らないし、それが実行できるかという問題もちょっとあろうが、自分だったらこうする、という程度に書いてみる。

まず、日本の株式市場を防衛することを主眼とせねばならない。SWFを中心に、世界中ですき放題やっているのだから、それに対抗するのに政府が金を使うのは当然。

ア)為替介入

まず早急に出来そうなのは、円売り。国内の金利引下げはやりたくないのであれば、ドルを買うしかない。110円より円高になる水準では、すかさずドル買いの指示を出して爆撃。更に、介入に油断した頃合いを見計らって、爆撃。これを両方やる。


イ)米国債売却

やるとアメリカが激怒するかもね。
今は債券高なので売っていい。米国金利は少し高くなるかもしれないから、ドルは若干買い戻される可能性はある。日本市場での徹底売りが止まるまでは、米国債の売りを止めない覚悟で売る。
売却代金のドルは、一時的に別なドル資産に投資した方がよいが、何に使えばよいか判らん。オレなら間違いなく全力で原油先物相場で売る(笑)。これまで買い上がってきた連中に、阿鼻叫喚の図になるまで売り込んでやる。日本全体にとっては、原油価格が下がるので恩恵は絶大。先物の損失くらいどってことない、逆にお釣りがくると思う。


ウ)日本国債売却

国債指標金利は1.315%まで低下し、かなりの債券高となっているから、年金資金で大量に抱えている国債を売却し、その代金で株式を買う。リスクは覚悟の上だが、買い方資金を大幅に増やせる。短期の含み損は、「気にしない、気にしない」(一休さんか!)。長期では大幅に得するはずだし、配当利回りでも国債よりいい。12500~13000円あたりを目処に防衛ラインとし、そこを超えて下げてくるような状況になったら、日経平均採用銘柄の大量買い注文を出して下値を防御する。個別銘柄の株価で指定しておいてもよい。指定の価格を下回ったら、大量買い注文を置いてもいい。長期金利が1.6~1.8%程度に上がるまでは売れる余地があるはずだ。日経平均が大幅に下がらなければ、TOPIXが下げても心理的インパクトは弱い。なので、大型株の多い日経平均採用銘柄を中心に投資する。特に優良銘柄には多く資金を配分し買った方がいい。外国人が絶賛特価セール中らしいから(笑)。


これがとりあえず思いつく防衛策である。

やるなら発表することなく、姿も見せずに大胆に着手せよ。
トコトン戦うべし。
阿漕な稼ぎに精を出していた連中に、金の力を見せる時がやってきたのだ、ということ。日本マネーの怖さを心底思い知らせてやるべし。
今こそ「大魔神」(あの鬼の形相に変身するヤツ)にならずしてどうする?

いいか、これは経済戦争なんだぞ!

暢気なことを言ってる場合じゃないんだってば。本気も本気の、切るか切られるかの戦争なのだよ。ただ、表だって弾が飛び交わないだけだ。その代わりに「玉」が飛び交う戦場なのだ。敵は雪崩のように突破してきている。

日本経済をどん底に落とす為に売ってくるのなら、他の誰かも犠牲になってもらいなさい。これぞ「赤木理論」だな。自分が落ちていくなら、他のみんなも落ちていけ、一緒に落ちれば自分が落ちていったことなど関係なくなるもんねー、ということだな。



日本マネーがズルしてる、とか言いがかりをつけてきたら、おまいらが仕掛けてきたからだ、と言い返してやれ。それに、オイルマネーはもっとズルしてきたでしょ、と。なので、文句なんか言えるわけがない。日本マネーをどう使うのかは、当方の裁量である、ということで突っぱねろ。
SWFに規制をかける、とかなら、日本市場でも大暴れしている連中は「規制される」だろう(笑)。



日本復活の道を探る・1~もはや一流ではなくなった?

2008年01月21日 21時59分12秒 | 経済関連
日本における最大の阻害要因は、政治システムが変化のスピードについていけないことである。
なぜそうなってしまうのか?
それは取り巻きがそもそも悪いからである。
取り巻きとは誰か?
大切な「舵取り」に、いちいち間違った口を出す連中である。
意思決定のフォーカスが定まらなくなっているからである。

よく判りもしない評論家や論説委員とかがでしゃばると、大概ろくなことにはならないのである。間違ったことを多く言うからであり、彼らにしてみると「メシの種」であるから他のみんなの思いつかないことを言おうとしたり、余計な演出に加担したりするのである。善からぬ関係者からの又聞き程度の知識・情報なんかを「さも判った顔」で平然と言ったりするのである。それが迷走させる一因であり、存在しない民意の幻想を生み出して、政治家に誤った動機付けをさせる原動力となっているのである。

小泉政権時代に、ようやくスピードアップが図られたであろうと思われた政治システムは、その基盤が壊れてしまった。経済財政諮問会議である。戦後政治の中では、最も分り易く、かつ議論が焦点化されていたかもしれない、と思う。かつては意思決定過程に「あまりに多くの利害関係者たち」が存在し、その交渉・調整過程は国民には何が何だか判らなかったし、多くの場合に物事が前進するのを阻んでいた。けれども、諮問会議の登場によって、多くのことが変わった。いわゆる”郵政後”に諮問会議が獲得した推進力は、数多くの変革のチャンスを生み出したであろう。しかし、それも次第に失われていった。今は形骸化するに至り、議論の墓場となってしまった。システムが存在しても、機能しなくなればタダの「壊れた機械」同然となってしまう。

安倍政権が頓挫した背景には、諮問会議の実力低下があったかもしれない。党へと軸足が移れば、「多くの利害関係者たち」の跋扈する余地が増大するからである。意思決定機構の統制が緩むことになれば、混乱がもたらされることになるだろう。その結果、思いもよらぬ方向へと突き進むことになってしまうのである。

特に現代にあっては、スピードは命である。将棋の「寄せ」と同じだ。周囲の変化のスピードは速い。災害も、経済も、外交も、ありとあらゆる面で即応性が求められている。困難が目の前にある時、必要なことは「理論の正しさ」を実証することではない。まずは対処することである。救急と同じで、速度が全てである。屁理屈言ってる間に、動け、行動せよ、ということである。そういう意識で問題に対処するようにしなければならない。時間をかけた方がよい結果が期待できることについては、腰を据えてじっくりやればいい。しかし、なんでも時間をかければいいというものではない、ということが、政治の世界ではまるで意識されていない。「拙速は避けるべき云々」「議論を尽くせ」って、そんな悠長なことを言ってる場合ですか、ということが余りに多すぎるのだ。議論を尽くすのではなく、実質的にはゴネてるだけなのである。メリハリが無さ過ぎる。

危急存亡の秋、という時にでさえ、「もうちょっと様子をみます」「よく議論を重ねてから」みたい対応をする、ということ。
これでは、船が沈没していくのは当たり前。そのせいで、何人も溺れて犠牲者が出ているというのに、「まだ沈没していない」って、のんびり作戦会議をこれからやりましょう、みたいに集まっているようなものだ。議員の多くは、「作戦会議に呼ばれる特権」だけが目的なので、「どう対処すべきか」という迅速な行動や対処の結果には責任を負っていないのである。だから船が沈んでいくのである。


○「もはや日本は経済は一流と呼ばれる状況ではなくなった」~by 大田経財相

市場の動揺や米減速懸念などが経済のリスク要因=大田担当相 ビジネス Reuters

大田さんは竹中路線を踏襲してきた人であり、その継承者であった。それ故、竹中大臣時代の演説と対比させたものと思われる。05年1月、例の郵政戦争に突入する年の演説であった。

もはや・・・

もはやバブル後ではない、という、飛躍を感じさせる竹中演説とは対照的に、大田さんの演説には無力感と悲壮感が漂うばかりだ。たった3年で日本は逆戻りしたのだ。再び、長く暗い迷路に放りこまれたのだ。
「もはや一流(経済)ではない」という科白は、かつては栄華を誇ったのに没落していったオランダ商人の口から出たかのようでもある。こうした警鐘も、喧騒を極める大勢の議員たちには遠く届かないだろう。彼らに関心があるのは、ひたすら選挙であり、自分の議席であり、自分の名前が書かれるかもしれない投票用紙を握っている手、である。彼らを投票用紙集めの走狗に成り下がらせたのは、選挙が、民意が、政局が、と下らない煽動を繰り返し、自分たちの仕事を増やすに都合のよい取り巻き連中なのだ。


確かに、かつての輝きは今の日本にはないかもしれない。それは多くの人たちが、下を向いているからだ。先を見る元気をどこからも感じ取れないからだ。でも、よく考えて欲しい。日本は、依然として日本である。日本人は、今も昔も日本人である。私たちには、先祖から受け継いだ血とDNAが備わっている。そんなに簡単に人間なんて変わらないよ。輝いていたのは、自分自身だった、ということに気付いて欲しい。日本がダメになったんじゃない。日本人が無能になったんじゃない。違うよ。
少し走り疲れただけ。
迷っているだけ。
ちょっとつまずいて、うまくいかなくなっているだけさ。


中国が成長してきて大変だ、とか言うけど、全然そんなことは気にしなくていい。元が酷かっただけだ(通貨の元じゃないよ)。日本の10倍も人口がいて、日本以下である方がどうかしてるんですって(笑)。それに、中国が豊かになっていくのは、10人の奴隷のお陰で1人の金持ちが誕生しているようなものだから、社会全体の豊かさとは違う。1億人の金持ちは魅力的マーケットかもしれないが、残り12億人とか13億人は、日本の平均には遠く及ばないだろう。何度も書くけれど、中国は今後「一人っ子政策」の恩恵(笑)を受けて、人類史上空前の超ハイスピード高齢化社会が到来するだろう。現在すでに男性が大幅に余っていて、結婚できないんだし。「数億人」もの貧困層を抱えたまま、金持ちだけは豊かな老後を過せるだろうか?まともな社会保障制度もないし、高齢化の対応に苦慮することになるだろう。1組のカップルは2組の親世代を支えなければならないのだからね。それと、エネルギー需給の問題に直面するだろう。食糧もエネルギーも「巨大であること」が災いして、恒常的な需給逼迫に悩まされることになるだろう。日本人みたいに、みんなで均等に使うことなどできない、ということ。エネルギー供給が間に合わなければ、よく停電するとか電力供給制限などが行われることになるだろう。必ず成長が大幅に鈍化するのだ、中国は。その宿命からは逃れられない。

日本こそが奇跡の国といっていい。
幕末にやってきていた頃の英国は、世界に冠たる大帝国だった。百年近くは世界に君臨し続けた。その後、百年近くもの右肩下がりのトレンドから抜け出せず、ようやくここ四半世紀くらいで回復してきただけだ。中国ははるかに長期間苦しみ続けてきたのだ。少しくらい回復してもいいじゃないか。

図録▽1人当たりGDPの歴史的推移(日本と主要国)

日本は僅か半世紀でここまで到達したのだから、本当に凄いのだ。敗戦でボロボロになったのに、ここまでこれた。そのこと自体が奇跡的なのだ。
明治維新頃から、外国人教師たちから、色々と面倒をみてもらい、様々なことを教わってきた。だから、今度は日本が教える番なのだ。それだけの大国である、ということだ。
日本は色褪せてなどいない。
未だに世界では一流国である。借金大国のアメリカとは違う(笑)。

国の国内総生産順リスト - Wikipedia

このデータをよく見て欲しい。日本みたいなちっぽけな島国で資源も持ってないのに、日本はイギリスやドイツよりも経済大国なのだ。
依然としてイギリスの1.5倍以上、東西統一後のドイツにも1.3倍以上のGDPなのだ。PPPベースでなら、日本はイギリスの2.2倍、ドイツの1.6倍だ。イギリス人がやってきて色々教えてもらってた頃は、日本なんて足元にも及ばない途上国だったんだよ?日本が竹槍で戦おうとしていた時、イギリスは戦闘機にロールスロイスエンジンを積んでたんだよ?(笑)

日本が驚異的に追いついたのだ。今の中国の急成長が気になるのと同じく、イギリスやドイツやフランスが、日本に対して同じように感じたことだろう。教えてやらなければ鉄道や自動車さえも満足に作れなかった国が、列強の国々を差し置いて経済大国にのし上がってきたのだから。しかも、メチャクチャに破壊された敗戦を経て、だ。まさに、「ライジング・サン」だ。65~68年くらいのたった数年で、イギリスもフランスもドイツも、一気にごぼう抜きでGNP世界第2位に躍り出たのだから。日本には、そのDNAが受け継がれているはずだ。昔から何も変わっていないのだ、「日いずる国」であるということは(笑)。

だからもっと自信をもっていい。
英国の成長路線をもってしても、未だ日本には遠く及ばないのだ、ということを自覚すべきだ。もし本当に落ちぶれてしまったと感じるなら、それは日本が貧しくなったのではなく、日本人の心が貧しくなったのだ。超一流ではないかもしれないが、一流であることには変わりない。エースピッチャーではなくなったのかもしれないが、勝ち星の稼ぎ頭ではあり続けている。
先祖のストックの恩恵を感謝し、これからは自力でちょっと頑張ってみるよ、と思って、やってみればいいじゃないか。
悲嘆はそれからでいい。




試験の朝

2008年01月20日 18時14分51秒 | 俺のそれ
今朝は我が家で結構盛り上がった話題があった。昨日行われたリスニング試験の読売記事を見て、妻が「へえ~可哀想にね」などと言いつつも、実際にあった具体的事例について細かく言うんだもの。

・耳にイヤホンが入らない
→どんな耳なのかな?

・隣の受験生の音がイヤホンから漏れ、「自分のプレーヤーの音が聞きづらい」
→そういう問題なのだろうか…?

・パニックになって泣いてしまった
→試験そのものに向いていないんじゃ…

・試験官が緊張して、操作方法の説明を何度も言い間違える
→苦笑していた浪人男子は中々やるな

他には監督者が氏名記入の指示を忘れた、というのがあったみたいだけど、それで「希望すれば再試験」って、そんな措置が必要なんですかね。んなもん成績には全く関係ないとしか思えず、名前と番号を書く時間なんて結果には影響しないって。再試験なんて、いらないじゃん。そこまで究極の平等主義&過保護でなければならないのでしょうか?名前と番号を書き忘れるのは、自分の責任だわな。



試験で思い出したけど、自分が受けた頃の1次試験は土曜日の午後からだった。当時は半ドンが主流で、土曜日休みということではなかったからなのかもしれない。その土曜日の朝には大雪となり、JRは大幅に遅れていた。予定では午後1時くらいから試験だったと思うが、大雪報道を見て予定よりも早く駅に行った。確か9時頃ではなかったかな。で、電車の到着が遅れている間は延々と駅で待ち、1時間かそれくらい遅れで電車が来たと思う。しかし、喜びも束の間、今度はその駅から先へ進めない、ということになっていて、電車の中で待機となった。友人たちと「動かなかったら、どうしようか」と不安を語りつつも、ひたすら待っていた記憶がある。

その後、11時半頃くらいにようやく動き出すということで、電車が出発するという車掌からのアナウンスを聞いた同じ車両の乗客達から期せずして拍手が沸き起こった。受験生たちを載せた車両には、にわかに安堵が広がった。予定は大幅に狂ったが、試験会場へは何とか間に合うことができたのだった。

土曜午後には2教科3科目、翌日は3教科4科目だったような気がする。週末はたまたま両親が不在で、法事でどうしても出かけなければならない、ということだったと思う。既に兄弟は家を離れていたし、両親も偶然不在になったので、家には自分1人だけであった。結構のびのび過せた。翌日の日曜朝刊には模範解答が掲載されていたが、見ないようにした(笑)。食事して、朝早くに家を出た。友人たちとの会話は大雪のこととかどうでもよい話ばかりで、昨日の問題とか出来具合については、誰も話さなかった。日曜の試験が全て終わってからは、帰りの電車の中で問題がどうだの、という話をしたように思う。「はー、とりあえず終わった、終わった」って気分だった。で、家に帰るなり、朝刊を広げて自己採点を始めたのだった(笑)。あの新聞を広げて、解答欄を見る時の胸の鼓動といったら!初恋の相手に優しい微笑みを向けられ、何かを話しかけられた時の高鳴りと似た感じであった。

2次試験が勝負だろうと思っていたので、1次試験の為の勉強というのはあんまりやってなかった。そういうこともあって、マーク式の模試などはちょっと苦手で、あまり良くはなかった。マークシートにマークする時には、何故か鉛筆を使え、という指定になってはいたが、私は常にシャープペンシルでマークしていた。それでマークが読まれないということはなかった。勿論、芯は「H」などではなく、「B」を使っていた。硬すぎる芯は嫌いだった。

例の「裏紙」の話に戻るが、私はプリントやチラシの裏が書けるものは全て使っていた。貧乏でノートが買えなかったから、などという理由ではない。主に、適当な絵を描く為であった(笑)。手裏剣のデザインとか、写真を見て戦車とか戦艦とか戦闘機の絵を真似して描いてみたりすることが多かったからだ。でもガンダムや宇宙戦艦ヤマトは描かなかった。今から思うと本物のアホだな、としかいいようがないが、小学生頃からのクセだった。なので、安い紙質のものは、絵を描いたり、問題を解いて解答を書くのに用いていた。数学、物理、化学、英語なんかは、ノートなんて用いる必要性を感じなかった。プリントの裏に書けばいいんだもの。入試の答案用紙も大体が「ピラッ」とした何も書いていない紙なのだから、そういうのに答案を書く練習になるかもよ。

それでシャープの芯に戻りますが、芯が硬いと、安い紙質だから芯の先が紙に引っ掛かるんですよね。あと、薄いのが嫌いだった、消しゴムで消え難い、というのもあるかも。筆圧の問題もあるか。友達に芯を分けてもらう時、「H」とか「2H」だとショックを受けたものだ。そんなのを使ってる人の気が知れなかった(笑)。でも自分が分けてあげる時には、Bだったので嫌がられた。
謎の「F」というのを見たことがあったけど、あれって何?未だに違いが判らないけど。で、マークシートにはシャープ使うな、とか書いてあっても、「読み取れればいいんじゃないか」と勝手に思っていたので、鉛筆など使ったことがなく、いつも「B」の芯で塗りつぶしていたのだった。それで一度も失敗などなかった。


1次試験の本番の日、私は丁度教室内の一番前の席だったのだが、試験官が試験中に「この鉛筆を使いなさい」と「H」の鉛筆を数本持ってきたのだった。シャープを使っているのが、試験官からはまる見えだったからね。余計なお世話だ、と内心思った。使い慣れたクルクル回しやすいシャーペンが好きなんだよ、Bで塗れば問題ナッシングなんだよ(ルー語?)、と思ったが、逆らってみても始まらない、と考え、提供された鉛筆を使うことにした。硬いー、薄いー、マークがしづらいー、色々と不満に思ったが、当時は私もまだ子どもだった(笑)ので従ったのだった。「Hの鉛筆を用いること」みたいな指定というのは、ひょっとして鉛筆業界の陰謀ですか?冗談ですけど。業界では鉛筆だろうが、芯だろうが、どうせ売れれば同じようなものだし。結局、翌日は自前の「Bの鉛筆」を持参していったと思う。心の底から余計なご指導だと思ったのが、この「Hの鉛筆使え」事件だったな。「そういう決まりだから」という殺し文句には勝てない、って話ですな。別に実害がなければ、自分の答案をBの芯でマークしようが、Hの鉛筆でマークしようが、関係ないと思うのだけどね。でも試験官のオジサンは、きっと親切心で言ってくれたんだろうと思う。私のように、「Hの鉛筆を持参し忘れる受験生がいるので、各教室で鉛筆を準備するように」とかお達しが出ていたんだろうなー、と思うと、申し訳なく思うのだが、「ホレ見たことか、ここにもいた、鉛筆持参してこないヤツが」という典型例になってしまったかもしれない。多分、試験の反省会とかで、「当教室には鉛筆を持参しない受験生が1人おりましたが、準備していた鉛筆を貸し出して対応できました」みたいに報告されちゃったのかも。トホホ…


試験で思い出されるのは、こうしたエピソードだけだな。問題とかについては、殆ど憶えていない。ああ、地理がこれまでとは全く毛色の違う変な問題が出た、というのは憶えている。架空の国みたいなヤツ。あれのお陰で、模試では一度も80点以上取れたことなんてなかったのに自己最高得点だった。けど、政経はワースト記録更新で、平均以下だったよ(笑)。ま、ご愛嬌、ってことで。

これから受験予定の諸君にも、アドバイスを送りたい。
「マークはシャープで」(笑)
機械構造を持つものなので、予備は数本持っていくべし。
鉛筆は、ダミー工作の為に数本あった方がいいかも。
なんといっても、使い慣れているものがベストである。
「H」は避けた方がよく、できれば「B」又は「2B」がよい。
塗り時間が少なく済むよ。「2B」ならすぐ塗れるし、消すのも楽チン。

(冗談なので、真似をしないように。万が一実行して損害を蒙ったとしても、当方は責任を負いかねます。指定に従うこと。)


受験生諸君の健闘を祈る。




昨日の続報だけど

2008年01月20日 11時27分35秒 | 俺のそれ
見たら変わっていた。

音羽理史とは - はてなダイアリー

記事を載せた時点では、書かれていなかった文言が増えていた。

『このキーワードは削除予定キーワードです。7日間処理が行われない場合は、自動的に削除されます。』


「はてな」の中の人とかは、ウチの記事がこれについて書いたということをどうやって知ることができるのでしょうか?

単なる偶然?
それとも、要注意人物として徹底マークされているとか?(笑)
ウチは色々と書いてきたので各方面から文句が出ていても不思議じゃないし、「ウザい粘着」認定を受けていること間違いなしだろうから(笑)。


「死ぬ死ぬ詐欺」という表記に問題がある、とは書いたけど、キーワード登録そのものは、必ずしも不可ということにはならないのではないか、という自説を書いたのだけど、「はてな」の方ではどうやら「削除」に該当する、という判断をしたのかもしれない。

まあ、それであれば、例の「チキ」氏の実名が書かれた記事についても、「削除」で対応するべきだろうね。


ああ、それから、ケイザイ関係の教官らしき人物で、ネット界隈の「釣堀経営道化師」がいるんですけれども、彼の得意技は「ネタ投下」「ラベリング」「罵倒&誹謗中傷」だったはず。そんな彼は、「オレが読む記事は、日本国の中でたった○個」と豪語(あっ、「豪語」も得意技でしたね、これ追加)していて、それ以外には目に入らないんだそうです。

そんな彼でも、T中先生の記事とか、ハ○ちゃんのブログを幾度か取り上げて罵倒や誹謗を書いたりできます(笑)。彼は、どうやってこれら記事を見ることができたんでしょうか?

まあRSSが「○個」に過ぎないだけで、登録外の他の記事もたまには読んでしまう、ということがあるのかもしれませんがね。
ひょっとして、エゴサーチ?ってやつですかい?
いや、これはこれで自由ですから、いいんですよべつに。

「オレは○個しか読んでない」というのを取り立てて宣言するというのは、そこに何らかの意図を込めているものであり、それは「お前の記事など読んでなんかいないゾ!」という言外のメッセージを伝えるものである(笑)。○個以外の記事を読んでいるかどうかなんて、他の人が知るべき理由は極めて少ないからね。

なので、普通は殆どの人が「~しか読んでない」という宣言を行うことはない。そこにメッセージ性を感じていない人の方が圧倒的に多いからである(笑)。
でも、○個以外も読んでいる、という自分を隠蔽したい(意識から遠ざけたい?)時には、「他のは読んでない」という発言をしてしまう人はいるだろう。


ウチのブログでよく「オメガ級だからしょうがない」みたいに言うけれども、これも劣等感の裏返しであって、ウチの記事が殆どの人には「つまらない」「読む価値なし」という評価を受けていることを、本当は気にしているのです…(笑)。
ま、これも自分の不徳の致すところで、言ってみれば自業自得です(笑)。