いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

民営化綱引き合戦

2005年02月28日 18時47分42秒 | 政治って?
先日の「カンカン騒動」の後に、自民党内からの吊るし上げを食ってしまった細田官房長官。陳謝で党内に配慮を見せるものの、小泉さんは「反対だ反対だと言うのは、もうダメ。PRもどんどんやりますよ」という強気発言。小泉さんの発言は、性格からして仕方がないか。他から突っ込まれたら、ついつい反発して余計に強弁を繰り出すからね。これは党内でもさほど問題にはならないように思う。例によって「小泉さんが言うことだから」という程度だろう。だが、政府―特に平ちゃんと細田さん―への風当たりはキツイ。郵政民営化法案作成の要にいるからである。


与謝野さんの激怒で、助け舟がどこからも出ないと両者の立場は厳しいですね。でも平ちゃんは、案外と気にせずに粛々と実務を遂行していくが、自民党内への気配りが細田さん1人では可哀想だ。攻めダルマ風「片山右京でもなく高木虎之助でもない名前を持つ議員」さん(偶然レーサーの名前ですよ、両方とも。知っていますか?)も、もうちょっと手助けしてやれよ。中川国対委員長が「牽制球」を投じた程度ですね。


反対派勢力が受けた手痛い打撃は、「旧橋本派」の政治資金疑惑が拡大しているところ。ワタヌキ殿の名前も挙がってきてますが、橋本・青木両名のダメージはかなり大きいと見るべき。ワタヌキ殿も、今後の捜査状況次第では、息を潜めることになるかもしれない(自民党としても表舞台には立たせられないだろう)。そうなると、反対派急先鋒の「アタマ」が潰れるわけで、この影響はかなり大きいと思う。争いの時の鉄則は、「大将の首を取れ」だからね。グッドタイミングで検察が動き出したと言えるでしょう(ひょっとして、検察再聴取の情報リークは自民党内?組閣の時の村岡起訴情報も怪しかったけど)。


古賀さんが「政局にしてはならない」旨発言し、小泉支持(暗に郵政民営化支持かな)を示唆したことは、今後の大勢を見極めながら勝ち馬に乗ろうという判断だろう。今のところ、積極的に反対表明しているのは、ワタヌキ殿、亀さん、野田元郵政相あたりですね。他は、大将がいなければ、大したことはないだろう。

”加藤の乱”の加藤一派は本格的反対派ではなく、「良識派を装った」勢力拡大目論見派だろう。高村さんも反対派の勉強会に参加しているようですが、残念ながら本流には遠いですね。反小泉の流れを掴むのは容易ではない。それに周りのみんなが担いでくれないと、ダメなんですから。


「政務官6人が反対派の勉強会に出席していたこと」について、官房長官から厳重注意を受けたとのことであるが、小泉さんは「誘われれば義理もあるから仕方がない」との見方で、亀さんは「神経質になり過ぎ」とのコメント。私が政務官の立場ならば、「敵情を知るためです」と言うかもしれんな。だって、敵の攻め所を知っておけば、先に手を打てるでしょ。敵方は、どのような情報を仕入れ、今後どのような攻め方をしてくるか知っていた方が有利ですもん。なので、私なら必ず1人は偵察に参加させますね。「最も理論武装しているのは誰か、反対派の知恵袋は誰か、政府案の矛盾点はどこと解説されているか」など、見るべきところがあるし、気になりますからね。それに参加したからといって、敵方に寝返るわけでもないでしょうから(もし、そうなら本当にマズイですが)。


ということで、ワタヌキ殿が今後も政治資金問題で立場が思わしくなければ、反対派勢力は粉砕できるだろう。亀さんはいつも騒ぎますから無視できる。野田さんはまだ若いですから。それとも小池さんにやや嫉妬気味なのか?ワタヌキ封じて、「政府のPR作戦じゃなけりゃ文句ないでしょう?」というスタンスで、今日の新聞全面広告。全銀協と生保協と、他もろもろの団体が掲載広告打ちました。私は例によって、読売でみましたよ。民間からの「郵政民営化PR」作戦ですね。”You Say ,Yes ”(『ゆーせい、Yes 』ですね、って下らん駄洒落ですな)よりは、好感持てましたが、私より若い人は駄洒落の方がいいと言うかもしれません(残念ながら、駄洒落自体がわからん人も多数いたかもしれないぞ、特にお年寄りは)。


昔から「郵貯と簡保はズルイよー」の大合唱であった、銀行・生保業界からの切なる願いですからね、郵政崩しは。経済財政諮問会議との連携プレーでしょ。「政府の口」を閉じさせるなら、別な口で大声で叫びますよ、と。「郵政民営化賛成ー!」
なるほど。その手がありますね。経済界からの「大声」には滅法弱い自民党ですから(笑)。これを受けて、またしても平ちゃんは挑戦的に、「郵政民営化は絶対に必要ですから、残念!」という講演を積極的に行っておりますね。今後は、政調会長中心に党内の反対意見を一つひとつ潰していけば、反対派の芽は概ね摘み取れるだろう。おっと、最新情報では、与謝野さんが「一歩ずつ進むしか方法がない。党内議論は賛成・反対、大いにやった方がよい」と発言。大きな判断を示しましたね。反対派の機嫌を損ねず、相手の立場を考えた言葉です。流石、調整役です。
幹事長は変に張り切らんでよろしい、「紙芝居」で余計に党内反発が強まったし、道場でも失笑を買っているからね。反対派は今さら、「そもそも論」を持ち出しても、話にもならんぞ。ワタヌキ殿の対案提出が近々実行できなかったら、反対派は総崩れだな。まずは枠組みだけでも示さなければ、野党と同じ「反対だけの口だけ男」の汚名をかぶるぞ。



郵政民営化は、政府側が徐々に優勢(ゆうせい)になりつつある、というのが私の見方です。
(結局私もオヤジギャグですみません)


男達の夢――ロケットを打ち上げよう!

2005年02月28日 13時02分18秒 | 社会全般
国産のロケット、H2Aの打ち上げ成功は、政府・行政関係者には朗報となった。ひとまず安堵と、静かな喜びを実感しているであろう。小泉さんも「よかった」と素直に喜びを表現した。「非常に高価な打ち上げ花火」とまで揶揄されてしまった、今までの打ち上げ失敗。
きっと携わった男達の物語は、『プロジェクトX』で採用間違いなしの、イバラの道であったろう。

参考記事:Yahoo!ニュース - 社会 - 読売新聞

開発に全力を挙げて取り組んだ科学者達、モノ作り日本の根底を支える技術者達の夢が成功したのだから、この成功の意味は大きい。今後は、成功を確かなものとすることと、コストの低減化が図れるように、不断の努力が求められる。衛星は、さまざまな観測データに必要であるし、安全保障上でも重要な役割があることは言うまでもないからである。日本の衛星技術は決して諸外国と比べても劣っているとは思わないが、それを打ち上げる技術にはまだ不安がある。成功例を積み重ねていくこと、信頼の獲得にはこれしかないだろう。




H-Ⅱの打ち上げは1994年頃から始まり、国産の衛星打ち上げロケットの研究開発が進められた。しかし、1998年の5号機の軌道投入失敗に続いて、1999年には決定的な失敗であった8号機の打ち上げ失敗があり、次の打ち上げ予定(7号機)が中止されることとなってしまった。その後、組織改変(NASDAからJAXAへ)などもあり、後継機であるH-ⅡAへと移行した。そして2003年の6号機打ち上げ失敗に見舞われたのである。「また失敗か」周囲の反応は、一様に冷たく厳しいものであった。確かに「打ち上げ花火」では、示しがつかないばかりか、国民の信頼も失ってしまい、宇宙開発事業の障壁となりかねないからである。このように、日本のロケット打ち上げは失敗の歴史でもある。確率的には、とても多い失敗であるし(米露や欧州と比較して)、技術的には問題がまだまだ残されていると言えよう。例えて言えば、現状では有人飛行は到底無理である。恐ろしくて搭乗出来ないし、誰も乗りたがらないだろう(笑)。日本の宇宙ロケット技術は、その程度であるということを認識する必要がある。かたや、民間企業が有人宇宙飛行をビジネスとして行い始めたのも皮肉ではあるが。


H-Ⅱシリーズの初号機打ち上げから約10年が経過して、今回の7号機打ち上げは成功しました。しかし、貴重なお金と時間を費やしていることには変わりがないので、国策として行う以上結果が求められるのは当然であるし、その期待に応えられるような宇宙事業であってほしい。日本の技術と職人魂があれば、きっと大丈夫とも思うけれど。まあ、「ロケット野郎」たちの夢は、放っておいてもどこまでも高く上っていくだろう。

追記:どうやらロケット事業は三菱重工業に払い下げられてしまう(?)ようである。これからは、民間企業の一事業ってこと?大丈夫なんでしょうか。でも、防衛産業No.1の大御所ですから、大丈夫かもしれんが。

開発王国の不正疑惑

2005年02月27日 23時08分51秒 | おかしいぞ
毎日新聞が先日の記事に続いて、開発局絡みの不正疑惑を報道しています。

Yahoo!ニュース - 社会 - 毎日新聞


これは地方の記者が追跡したのではないかと思いますが、意外と頑張っていますね。大手新聞社の記者であっても、地方勤務だと、「ツッコミ」所を探すチャンス(というか時間的余裕?)があるかもしれません。そのいい例ではないでしょうか。以下に、一部抜粋します。



国土交通省北海道開発局が03年度、OBが大量に天下っている財団法人北海道開発協会(会長、山口甲・元開発局長)にコピー業務約6億2000万円を随意契約で発注していたことが、毎日新聞の調べで分かった。発注単価は市価の1.5~4倍。会計法は一定額(コピー業務は100万円)を超える発注を、原則として一般競争入札で発注するよう定めており、同法違反の恐れがある。道開発局は05年度からすべて一般競争入札に改める方針を示した。
 また、道内の民間業者に開発局が直接依頼したコピー業務であっても、開発協会が受注した形にして業者に下請けさせたように装う発注方式があることも判明。発注額の10%が開発協会に事務的経費名目で入る仕組みで、開発局が会計法などに違反し、業務実態と異なる不正な経理処理をしていた疑いも生じている。




お役所体質の見本と言えますね。以前の記事にも似たような例を書いていますが、基本的な構造や天下り先の確保システムなども大して変わりありませんね。こういういい加減な団体はいくらでも探せそうです。

北海道は開発局の力が元々強い地域ですね。道州制の導入論議が持ち上がった時に、最も「それは困るね」と思ったのは「開発局」でした。道庁の組織と統合されれば、不要な人員やポストが沢山出てくるからです。地方自治に国の組織である開発局が絡んで、行政の2重構造となっており、不必要極まりない無駄を生み出してきたのでしょうね。そして、利権に群がる役人どもが、自らの天下りポストを作り出し、それを連綿と続け、公金を食い物にしてきた。

北海道はこのままだと、来年度か次くらいで財政再建団体に転落する可能性があるという。それほどの財政逼迫があるのだが、道警の裏金作り、何年か前にあった道庁の裏金作り、そして開発局の不正疑惑、どれも同じ構造で、長年公金を食い尽くしてきた。役人天国、公共事業頼み、農政族の補助金、といろいろな不正を生む要素がある。このような体質を持っていれば、どうしたって財政は苦しくなるに決まっている。そういう考え方や組織体質を、本当に改めなければ破綻は時間の問題であろう。にもかかわらず、公務員の年金は公金を沢山投入して多く貰えるし、天下り先を回って退職金として掠め取る。食い尽くせるところは、何でもいいのであろう。イナゴの大群と一緒だな。当たり前のことが分からない、異常なバカどもが行政を担当している限り、良くなることはないように思う。先日の大阪の話も、似たようなものだろう。

この国には、普通の考えを持つ役人は存在しないのか?まともな志を持つ役人は何処にもいないのか?
おかしな構造を作り上げる、腐った悪知恵だけは働くようだ。一から根本的見直しが必要だ。

組織改革、意識改革に取り組まなければ、国の財政より先に地方の財政が破綻するだろう。危機意識の欠如も、イナゴの特性かもしれないが。


滝川証言の衝撃

2005年02月26日 12時23分10秒 | 政治って?
今日の読売朝刊に詳しく載っていたが、村岡被告の公判で、重要なカギを握る滝川元会計責任者への検察・弁護側の証人尋問が各2回計4回行われた。これを受けて、青木・野中・橋本氏への検察の再聴取が開始されていたとの報道があった。

以下に、YOMIURI ON-LINE (2/26)より記載。


橋本竜太郎元首相(67)と青木幹雄・自民党参院議員会長(70)、野中広務・同党元幹事長(79)の3人について、東京地検特捜部が再聴取していたことが25日、分かった。

3人は1億円の受領の場に同席したほか、野中、青木両氏は、収支報告書への不記載を決めた同派幹部会に出席したとされている。特捜部は、こうした経緯について改めて説明を求めたと見られる。同事件では、同派会長代理だった村岡兼造元官房長官(73)が同法違反で起訴される一方、野中氏は起訴猶予、橋本元首相と青木氏は嫌疑不十分で不起訴となった。検察審査会は1月19日付で、これらの処分について、「検察官の調べが形式的」などとして、再捜査を求める議決をしていた。




先日の青木氏の人間ドックの為の入院に穿った見方をしてしまって、ちょっと行き過ぎであったかな、とも思っていましたが、本当に特捜部の取調が開始されていた模様である。記事(日歯連事件――橋本・青木氏は?)を書いてそのあと直ぐに、「青木氏の入院は当初からの予定であり、体調も悪くない」という”言い訳的コメント”が出されていたので、「何でだろう?」と思っていた。私は野中氏のことを忘れてましたね。そうでした。これで役者はそろいつつあるわけですね。

特捜部にしても、滝川証言を聴いてもなお動かざるは立場上「マズイ」な、ということだろう。審査会の「不起訴不当」が出されていたわけだし。滝川証言に基づいて村岡さんの起訴に踏み切ってるから、他の3氏も当然捜査して立件できるか検討するべきであろう。滝川証人の尋問での証言は、相当踏み込んだ内容であり、語られている情況からは、到底虚偽とは思えないのである。

ならば、立件に向けて特捜部も頑張るべきであろうと思う。たとえ結果的に立件困難で不起訴となったにせよ、捜査機関でもある検察が事実をある程度明らかにすることで、国民への責任を果たせると思うのである。国会では、自民党が「証人喚問に応じない」という姿勢のために、現在は真実は闇のなかだ。

今後の捜査状況や、村岡被告の公判を見守ろうと思う。

検察が橋本、野中、青木の3氏を追い詰めつつあると、期待している。それが、検察審査会の決定に対する答えにもなるであろう。


北の「勝手にしやがれ」

2005年02月25日 20時18分07秒 | 外交問題
このタイトルを見て懐かしさを覚える人は、中年あたりかそれ以上になりつつありますね(笑)。私も懐かしく思います。第二次オイルショック直前頃の沢田研二のヒット曲でした。この局でレコード大賞をとりました(ように思いますが、定かではありません)。当時小学生だった私は、沢田研二が気持ち悪く「変な格好」と思っていましたが、テレビで何度か目にしているうちに歌を覚えておりました。やはり、流行していたんでしょうね。


現代の「勝手にしやがれ」は、何と北朝鮮からの回答。勿論、このままのフレーズではありませんが、心情的には大して違いがないでしょう。彼らも遂にここまで来てしまいました。後は、「もうどうにでもしてくれ、なるようになれ」というような、投げやりな感じか自暴自棄といったところでしょうか。

囲碁でもたまにありますね。大石(勝敗に直結するような、自軍の大部隊みたいなものです)の死活が完全に見えていない時に、安全を図るため、そこに一手かけていたら負けが決ってしまうような状況で、敢えて他へ打ってしまう。そして、「さあどうぞ、殺して下され」という風に相手に手を渡すのである。このような場合、本当に討ち取られて大石が死ぬこともあるし、相手が間違えて殺し損ねることもあるし、相手の手を見ているうちに”しのぎ”(生きる手段のこと)が発見できる場合もある。これと似ているような気がするのである。

北朝鮮にしてみれば、日本に協力して真実を明らかにするのも、ウソをついて頑張り続けるのも、どちらも辛い選択であることには変わりがないのだから。

そして、もう一つ国連の話題。asahi.com(2/25)より。以下に記載します。



国連のアナン事務総長は24日、国連本部で額賀福志郎・前自民党政務調査会長、前原誠司・民主党衆院議員と会談し、安保理拡大などの国連改革で加盟国の意見がまとまらない場合には、多数決で決着をはかるとの考えを初めて示した。 国連改革議論の進め方については、イタリアやパキスタンが全会一致方式を強く要望。これに対して、日本やドイツ、インドなどは一致して「全会一致を求めることは、何も決めず、何の行動もしないことの言い訳になりかねない」と多数決による決着を求めている。

アナン氏は会談で、国連改革案の報告書を自ら3月にまとめることに触れ、「これを加盟各国が支持してくれることを望むが、無期限の議論はあり得ない。ある時点で表決するという姿勢も大切だ」と発言。今年中に改革を実現させるため、多数決による決着を支持したという。 また、アフリカ連合(AU)が、日本などが強く求めている「常任議席6増案」に近い安保理拡大の統一見解をまとめたことについて、アナン氏はAUが求めている拒否権の付与は難しい、との考えを示した。 額賀、前原両氏は超党派の安全保障に関する議員連盟の代表として訪米した。同日、国連本部内で中国の王光亜国連大使とも会談し、日本の安保理常任理事国入りへの理解を訴えた。




中国国連大使と会談し、理解を求めねばならないところが、ツライところ。今考えられる最大の障壁は、拒否権を保有する中国が首を横に振り続けること。そこで、呉越同舟よろしく探りを入れておいたのだろうが(まさか、素知らぬ顔で素通りもできまい)、王国連大使どんな反応だったのやら。例えばこんなのかな?
「ええ、知っておりますよ。十分検討した上で判断することになるでしょう。わが国はドイツ支持を決めておりますから、そちらの兼ね合いもあるので・・・。両国の協力関係や、日本の対応などを見て慎重に判断したい。先の日米共同声明に出されていた内容についてもね。」

このぐらいのイヤミは言われただろうな、きっと。


ところで、今回の2人は、どのような理由でコンビだったのかな?ちょっと気になります。うまくいったんでしょうか、2人は。本当は仲がいいの?




「株買占め」と言葉の由来

2005年02月24日 20時37分37秒 | 社会全般
89年に起こった小糸製作所株買収事件がありました。乗っ取り屋として知られていた、T・ブーン・ピケンズ氏が首謀者です。彼はそれまで、ガルフ、ゲティ、ユニオンなどの株買占めで企業側への買戻しをさせ、この手口で巨額の富を手に入れていました。この大物が、日本企業へと狙いをつけて、遂に日本上陸を果たしたのです。それが、この事件でした。


麻布自動車グループ(渡辺喜太郎氏)の買い集めた株を取得する形で、トヨタを抜いて筆頭株主に躍り出たピケンズ氏は株式持ち合いによる日本の閉鎖性(系列)を非難、持ち株(出資)比率20%未満の親会社(トヨタ)が系列企業の小糸製作所を支配するのは不当として、政治的に「日米経済問題」へ発展させることをネタに、取得した株をトヨタに高値で買い取らせようと画策するのです。

当時、財務・経理担当専務だった奥田氏(現経団連会長)らが、「安易な妥協は乗っ取り屋に今後も日本企業が狙われる」という強い態度で臨むのです。トヨタは「一株主」として振る舞い、小糸製作所対ピケンズの長い法廷闘争が繰り広げられますが、小糸側の全面勝利で彼を退けました。この時の経験が、先日のライブドアとフジテレビへの発言へと繋がっていると思われます。


このような、株の一部買占めを行い、防衛側に高値で買い取らせる手法を「グリーンメール」と言い、ピケンズ氏のような乗っ取り屋のことを「グリーンメーラー」といいます。ライブドアの問題で、防衛側の対抗手段として耳慣れない言葉――「ポイズン・ピル」や「ホワイト・ナイト」など――が登場していますが、この「グリーンメール」もそういった呼び名の一つです。

この「グリーンメール」が日本で実際に行われたのが、西武鉄道株です。百貨店の白木屋(後に東急グループに吸収された)株買占め事件で一躍名を馳せた、横井英樹氏によると言われています(横井氏は帝国ホテルや日産火災などの株買占めでも知られます)。この西武鉄道株を堤氏側に高値で引き取らせる仲介役が、あのロッキード事件の児玉誉士夫氏だったのです。横井氏はこの後、ホテルニュージャパンの火災で33名の死者を出し、実刑判決を受けました(当時の火災の模様がテレビ中継されていて、屋上に逃げていった人々の映像は今でも憶えています)。

「グリーンメール(greenmail)」の由来は何でしょうか?この語句だけ見ても、乗っ取りや株買占めと関係がなさそうですね。
普通の意味で考えると「緑のメール(手紙)」・・・?
言葉の不思議というのがあるようですね。

元々脅迫(状)・恐喝・ゆすりを指す言葉に「ブラックメール(blackmail)」という言葉があります。これになぞらえて作られた言葉なのです。では、ブラックが何故グリーンに?
テクニカル・ターム創造の反対者が聞いたら、怒られそうな造語ですね。


グリーンは、恐らく俗語で紙幣を指していると思われます。そこで、ブラックがグリーンに変えられたということのようです。以前にも少し書いたのですが(続・言葉の創造と理解)、新たに作られたテクニカル・タームについては、自己の単純な理解を当てはめようとしてもうまくいかないこともありますし、個々の語句の意味をバラバラに考えてみてもダメなことも多々あるのです。それに当てはまらないから、テクニカル・タームとして不適切か、というと、「グリーンメール」の例のように、ずっと使われているものも存在するので、そうとも言えないようです。この例のような、ちょっとふざけたオヤジギャグ風(だって、ブラックとグリーンが入れ替わっているだけなのに)のものであっても、言葉の成因から理解を試みると、また違った面白味もあるかと思います。「何でグリーンなの?」といくら言っても意味がないことは当然ですね。このような言葉をいくつか知っているかどうかによっても、造語への理解度が変わるかもしれません。



国会空洞化現象

2005年02月24日 17時40分57秒 | 政治って?
ライブドアvsフジの方に目を奪われてしまい、こっそり「対決」している党首討論。あまりに空しい討論に、議員も国民もシラケムード。国会の空洞化現象か。専ら活発なのは、「郵政民営化」阻止を目論む反小泉勢力と困り顔の党執行部・政府の対決だろう。


先日の記事に書いたように、今は「ワンワンコーナー」が流行のようですね。「そもそも論」に続いて第2弾が毎日新聞の表現を借りれば「カンカンだ」。政府のPRチラシに自民党内から猛反発。しかも与謝野さんが苦心惨憺して党内の波風を抑えようと努力して、「あれほど待てと言っておいたのに」政府はチラシを千五百万枚もばら撒いてしまった。これでは、与謝野さんが怒るのも無理はない。「怒り心頭だ」と。印刷したからといって、折込入れるのは延期できたのに、強引に進んでしまった。細田さんももうちょっと慎重に進めばよかったのに。これでは堀江流と変わらないかもしれないですね。あまり性急な結果を求めると、本当に党内支持が危うくなるでしょう。『片山右京』でもなく『高木虎之助』でもない合体したような名前を持つ「攻めダルマ」風な郵政族の方も、「フェアじゃない」とカンカンモード。

さらに、火に油を注いだのが、平ちゃんの著書が出版されたこと。シナジー効果を目論んだのかな?だって、たくさん報道されて「タダで」本の出版発表が出来たようなものですから。郵政民営化法案の重要なキーマンは、与謝野さんだと私は思っています。実際のところどうなのかは知りませんが、幹事長はよく考えてなくてダメ、青木さんは日歯連疑惑にまみれてしまってダメ、となると、他に人物がいないですね。党内批判の矢面に立ち必死で両者の仲介に努めてきた与謝野さん以外、調整役は出来ないと思うのです。その与謝野さんをして、「カンカン」ですから、政府の進め方は功を焦り過ぎているきらいがあると言えるでしょう。敵方を押し込めすぎると、反動も大きくなります。あまりに「押し」の一手では、徒党を組む側も全力で押し返そうとしてくるでしょう。それが、「反対勢力一気に60名に増加」という形になって表れています。結集させる理由を与えないことが大切です。その意味では、与謝野さんの顔を立てて、小グループを「各個撃破」で処理する方が得策でしょ。

反対派はとりあえず、反対理由になりそうなものは何でも使ってくる。外資が民営化後の事業会社を買収しに来るという、何じゃそりゃ?というようなドサクサの理由もぶつけてくる。ライブドア問題に便乗である。前島密の功績である、日本の郵便網が何と「ガイジン」の手に!バカかっての。欲しけりゃ、赤いポストごとくれてやれば?因みに誰も買いには来ないよ。今の郵政公社を時価で買い取りたいという外資はあまりいないと思うけど。今すぐ民間にして売りに出して本当に買い手がつくとでも思うのだろうか?多分欲しいと言うのは、商売したことのない、お役人とか税金を湯水のように使っていた族議員くらいだろう。そういう方々が、自腹で買ってくれたらよいのですが。

何なら、郵政族議員とか役人達とか利権団体とかの人々で、時価で買っていいよ。将来性が豊かで、今の業態のまんまで十分やっていけるよ、って言うんですから、国から切り離しても問題ないでしょ。むしろ、政官業の方々は利益がもらえるようになるんですから。今の給料よりいいかも。今後一切税金入れませんから、自前で経営してみてほしいですね。


党首討論での小泉さんは、よっぽどロボ岡田をからかいたいのでしょうか。毎日新聞の社説にあった忠告を受け入れたわけではないでしょうが(笑)、前からの答弁同様、年金一元化容認の方向性と社会保障改革の議論の用意があることを示したものの、敢えて岡田さんの「直球」には答えない様子でした。小泉流答弁の変なところは、「Aについては、Yesですか?Noですか?」という問いに対して、「AとBはだいたい同じなんだから、Bでいいじゃないか。A=B としか言いようがない」みたいなところですね。何を議論するのか、というと、「テーブルに着いたら、詳しく討議しましょう。着席しないと話せませんよ」と小泉さんが言うと、ロボ岡田は「一元化と納税者番号を認めないと着席できない」と言う。「着席できないと、いつまでたっても話が進みませんよ。ですから着席して下さい」と切り返す。愚かしいことである。これでは堂々巡りであろう。

小泉さんの条件とは、「民主党が着席すること」である。席について討議するなら、”一元化”と”納税者番号”を認める(かもしれんよ)と言う。一方民主党岡田代表の条件は「”一元化”と”納税者番号”を認めること」で、これを呑むなら着席すると言う。これは、普通に考えて永遠に解決出来ない。どちらかが譲歩する以外にないのである。そんなことはとっくに知っていて、このような不毛な議論に貴重な時間を双方とも費やしているのである。こんなこと、総理や野党第一党代表のすることではない。

民主党の方も、ロボ岡田の音頭で自称「政権準備政党」という、今ブログ界隈で一部流行の”テクニカル・ターム”を作ったようである。長くて言いにくいし、変換も面倒なので止めてほしいですね。選挙時の電話作戦も絶対止めて欲しいけどね。前にも書いたが、何のために議論をするのか(国会議論の根本)よく考えてほしい。「国民のため」に決まっているのだから。ここで岡田代表が譲歩して、社会保障改革の議論が始まれば、「小泉さんに負けたのだ」などとは誰も思わないし、逆に男が上がろうというものだ。だが、ここまで頑迷に両者が不毛な争いを続けたので、もう呆れました。今さらどっちが譲歩したとしても、「もっと早くにしてくれ」と思うだけだ。

岡田さんも、小泉さんの性格を知っているんだから、直接「へこまそう」とか思うのではなく、結果的に自分が評価されるような最終形が得られればいいと考えることができんのかね?もっと大局的に判断して欲しい。社会保障改革のイニシアチブを握る方が国民の評価は高いはず、と前から言っているでしょ。尾辻大臣の指示で厚生労働省が一体改革のための検討チームを設置するところまで前進したのですから、これからは本格議論が必要でしょ。国会主導で制度設計、財政改革、税制改革について、本気で取り組まないと今の状況は抜け出せない。こんなことは、国会開始前から分っていたことでしょうが。


法と正義8―内部告発者の戦い

2005年02月24日 12時13分11秒 | 法関係
以前に内部告発者は本当に保護されるかを記事に書いたことがあります。真摯な匿名告発によってしか、保護されない場合も多いのではないか――そんな危惧があります。以下に参考記事を。
匿名告発と風評被害
法と正義6


昨日、運輸業界の闇カルテルの実態を内部告発した男性が、会社側から不当な報復人事によって約30年間も窓際に追いやられていたということが報道されていました。定年まであと少しというところで、裁判を提訴し、会社側との争いとなっていたようです。そして、その判決が出ました。原告の主張を認め、告発に対する会社側の報復人事であったことを認定し賠償金の支払いを命じました。この長きに渡り忍耐につぐ忍耐で、会社に残っていた男の真の戦いであったろうと思います。その心の強さ、正義を求めようとする志の尊さを感じ、テレビで見ていて感極まってしまいました。本当に頭が下がる思いです。


その報道記事は以下の通り。asahi.comより転載します。



運輸業界の不正を内部告発した後、約30年間昇格を見送られ、責任ある仕事を与えられずに尊厳と人格を否定されたとして、運送大手「トナミ運輸」(富山県高岡市)社員、串岡弘昭さん(58)=同市=が、同社を相手取り総額約5400万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の判決が23日、富山地裁であった。永野圧彦裁判長は同社の対応について「原告の内部告発を理由に不利益な取り扱いをした」と認定。「内部告発は正当な行為で法的保護に値する」と指摘し、訴えの一部を認めて同社に約1356万円の支払いを命じた。謝罪の請求は退けた。 訴えによると、串岡さんは同社岐阜営業所に勤めていた73年、同社を含む大手運輸業者が結んだヤミカルテルの撤廃を会社側に直訴。聞き入れられなかったため、翌年、公正取引委員会や新聞社に告発した。翌75年に富山県内の教育研修所に異動した後、現在まで異動も昇格もないという。

串岡さんは02年に提訴。同期同学歴入社の中で最も昇格の遅い社員と比べても約3970万円の不利益を受けたと訴えるとともに、研修所に隔離され、仕事は草刈りなどだけで「精神的苦痛を被らされ続けた」として慰謝料の支払いも求めた。会社側は「内部告発に対する報復的人事ではなく人事権の裁量範囲内。(串岡さんの言動は)仕事への熱意がないと受け取られて当然で、積極的な昇格が考慮されなかったのはやむをえない」と反論していた。




男性が告発した後、業界のカルテルは崩壊させられました。その「密告者探し」の中で、男性であることが発覚します(経緯は正確には判りませんが、名乗り出たのかもしれません)。その後、彼は営業の第一線から外され、研修所の草むしりを何と16年間ほどさせられたと言います。勿論、他の職員達からも隔てられ、1人だけ4畳半の部屋で過していたといいます。告発によって社内の人間関係全てが崩壊し、そればかりかある種の「隔離」を受けたかのようです。そして、新人社員並みの給与のまま、ずっと過してきました。背広も1着しか持っていないそうで、これはあえてそうしているようです。草むしりをしながら、「ここで自分が辞めたら、正当な主張をする人間が負けることの見本になってしまう。今後こういうことが繰り返されてはならない。だから、絶対に会社を辞めない。」という思いで、耐え忍ぶことが出来たと語っておられました。また、和解勧告にも決して応じませんでした。確かに応じてしまえば、このように報道されることもなく、告発者の不利益が社会に知らされることもなかったでしょう。

賠償額はこのような忍耐には、到底及びもつかないものです。しかし、こうして判決が出た事は意味があると思います。裁判所には、むしろ懲罰的賠償を認めるくらいの判決を出して欲しかったと思います。何故なら、不当な扱い(グレーゾーンと申しましょうか)を会社側の自由裁量をもって行うことが可能である、という認識ができる方が、社会的には問題が大きいと思うからです。そういう意味でも、このような内部告発は賞賛されこそすれ、不当人事は卑劣な権限乱用と言えるでしょう。おそらく米国ならば、この男性は一躍ヒーローでしょう。会社側が控訴するとの報道もあり、まだ確定はしておりませんが、裁判所の「社会利益」に繋がるような、「告発者の勇気と正義を重んじる心」に応えられるような判断を希望します。このような事案で、まだ裁判員制度がなかったことがとても残念です。




金で何でも…

2005年02月24日 01時55分36秒 | 社会全般
ライブドアvsフジサンケイグループの戦いは、いよいよ第一幕のクライマックスにさしかかってきました。フジ側はニッポン放送が新株予約権をフジテレビに独占的に発行すると発表。これに対して、ライブドアは発行差し止めの仮処分申請を行うと発表。今後は法廷闘争となって行くようです。当面はこの仮処分申請を裁判所がどのように判断するのか、ということが重要な分かれ目となっていくでしょう。専門外でよく分かりませんが、公平性や市場経済の自由度から考えると、仮処分が認められないのは、どうなのかな、と思ってしまいます(素人判断ですが)。


株式市場で株式取得をする目的が、企業買収や支配、値上がり益期待、企業への愛着、他資本への転売、その他もろもろ…とあれこれ考えられますが、これらのうちの特定の目的だけを制限するような判断が許されるのか、と思うのです。買う時には、法に則って売買され、自由競争原理を阻害しなければ、どのような目的を持っていたとしても、株式購入を制限することが法の役割であるとは思えません。勿論、海外資本の20%ルールのような現行法の制限はありますが・・・。後は裁判所が判断するのでよく分かりません。訴訟で長期戦に発展してしまったら、ライブドアの「残された時間」が相当厳しくなりますから苦しくなるでしょう。

(関係ありませんが、以前からMSCBの記事やこの問題に詳しい解説を書いておられた、「isologue」の磯崎氏がテレビに映っていて、この方がそうなんだー、とちょっと感動。同時にメディアの人もブログを読んでいて、誰にコメントをとるのかが昔と変わってきたように思います。前は”何とか評論家”がだいたい出てましたよね)。


堀江氏批判の中で当然のように語られていた、「金で何でもしようっていうのは・・・」という心情は理解できなくはないのですが、素直に頷けない部分も感じてしまいます。日本社会の慣習に従って、「水面下で」根回ししたり地ならししたりしてから、資本提携・業務提携へと進んでくれよ、ということなのでしょう。ですが、この正攻法が果たして旧来の経営者陣に受け入れられるものなのか、これもよく分かりません。昨年の球団買収騒動で見られたような、「若造が何ほざいてるんだ」と歯牙にもかけないかもしれない、とも思うのです。


自民党議員さん連中も、非常におかしな発言を繰り返す人々が多いですね。先の「金で~云々」のセリフをよく考え、噛みしめることですね。日本の歴史を(と言っても、それほど昔でもないのですが)よく思い出してみてはいかがでしょうか。



時はバブル期、日本の金が余っていた時代です。世界中を「ジャパンマネー」が席巻しました。これが向かった先は…

まず、絵画がありました。ゴッホ、ルノアールなどは、当時史上最高額で落札されたように記憶しています。某製紙会社会長は、「死んだら棺桶に一緒に入れて焼いてくれ」と言ったとか言わなかったとか…。これには世界中の非難が集まりましたが、国会議員さんたちからの、「大人の忠告」や「苦言」の一言も出なかったのではありませんか?当時から議員で、今も在職中の人は結構いるでしょう。小泉さんも勿論そうですね。「セイホ」の存在を世界中に知らしめたのは、絵画投資が多かったことも手伝っていたでしょう。この他にも、ダリ、シャガールなどが購入されました。企業も競って買い漁りました。しかし、バブル崩壊後、購入価格の何分の一かで売却されていったものが多かったようです。この実態は不明のものが殆どです。拓銀、山一、日産生命、三洋証券、ノンバンクなどが破綻した金融危機の頃に、債権者であった銀行や生保などが担保として押さえ、所有権が移っていったり、売却されたりしたようです。


また、米国との経済摩擦を生み出したのは、日本企業の米国企業買収が進んだためでした。「ジャパンマネー」は、大型買収を行っていきます。ソニーがコロンビア、松下がMCA、三菱地所がロックフェラー・センター、ブリヂストンがファイアストンを買収、などが主なものでした。この他にも、カリフォルニア地域の銀行買収も何件も行われました。この流れから、反日感情が高まっていったのです。特に、ハリウッド映画のメジャー買収とロックフェラー・センタービルが日本企業の手に落ちた時、アメリカの論調では、ジャパンはアメリカの「魂」さえ金で買った、とまで言われたのです。


こうした「ジャパンマネー」で何でも買うという姿勢は、国内的には「よかったね」で、議員さん達が「金で買いさえすればよいというものでない」などとは言っていませんでした。むしろ、「困っている企業を日本が買って助けてあげてる」というような意識であったように思います。確かにそうでした。安く売ることになってしまったものも多かったからです。ハゲタカファンドとは大違いですね。お金を差し上げたようなものです。絵画にしても、企業買収にしても、議員さんが大して非難することはなかった、お金で何でも買って勝手なことを発言していても、経営者が批判されることもなかった、というのは歴史的事実と思われます。


「放送」は別だ、的な考えもあるでしょう。現行法でも制限されていますが、外資の間接支配を防ごうという、法整備を検討することもあるかもしれません。しかし、これがすぐに堀江氏批判に繋がるものではないでしょう。今更、「新手」を目の当たりにしたからといって、「外資に侵略されていいのか」的意見が議員さん達から出されてくるというのは、通常の市場や経済活動についての無知が明らかになっただけでしょう。心情的にもっともらしい意見を述べつつも、今までの日本が行ってきたことには知らないふりをするようです。議員さんの「記憶にない」は、得意技ですから、残念!


車はコンサートホール?だ

2005年02月23日 10時59分26秒 | 俺のそれ
木村氏が佐野元春の記事を前にも書いていましたが、今再び取り上げておられます。「そんなに好きなのか?」と思いつつ(笑)、学生時代の苦い記憶が蘇りました。


大学に入って最初の夏休み、部活の合宿があって、そこまで車で移動することになった。何人かの車を出せる人が運転して、一台に4~5人づつ乗って行った。

私は、それまで日本人男性ボーカルには興味がなく、サザンくらいしか知らなかった。私が乗せてもらった車の持ち主であるA先輩は、大の佐野元春ファンだった。アルバムは全てカセットに入れて持っていた。


道中は当然車の中で音楽を聴く。これは欠かせないのである。車には少なくとも10時間は乗っていたと思う。A先輩の車は古くて少しボロ(サニーだったと思う)く、エアコンは効きが非常に悪いため車内はとても暑かった。そんなクソ暑い車に、体育会系男子大学生5人が乗っているのである。この状況だけでも、相当暑苦しく、殆ど我慢比べ大会状態なのであるが、真の地獄はこれからであった。


A先輩のお気に入りである、佐野元春のカセットが入れ物にずらっと並んでいて、ケースのインデックスに書かれているのは「佐野元春・~~」とタイトルが入っていた。A先輩が「おし、じゃあ~~にするか」という具合に指定して、助手席の人がそのテープを入れるのだが、全部佐野元春の曲ばかり。恐ろしく暑い車内で、延々と佐野元春攻撃を食らわされるのである。それまで一度も聞いたことがなかったので、初めは良いのであるが、これが10時間以上続く光景は、皆さんに想像できるでしょうか。しかも、運転しながら、A先輩の特にお気に入りのナンバーがかかると、先輩の地声のヘタな歌(先輩、ゴメンナサイ!みんな思ってたけど言えませんでした)も一緒に聴かされるのである。恐るべし!佐野元春。こんなにも感化するとは!


内心「もう勘弁してくれー」と思うのだが、みんな言えない。一通り気に入っているのを聴き終わった後、1人が「何か別のにしませんか?」と恐る恐る切り出した。A先輩は「そうかー、佐野元春が最高なんだよ。でも、違うのにしてみる?」と言って、カセットの入れ物に入っている別なアーティストを指定した。「ハマショー(浜田省吾)にするか」

「オイオイ、頭を耳を休ませてくれよー」と思ったが、我慢しました。でも、一本聞き終わった後、また佐野元春に戻ってしまった。車内は本当に「佐野元春コンサート会場」と化していた。このような悪夢の記憶が未だに残っており、彼の曲を聴くと「暑苦しい」という感覚が体に蘇り、ジーンと熱くなります。本当は別な意味で、心を「熱く」して欲しいのですが(笑)。未だに一曲もタイトルを知らないのですが、曲を聴くと「ああ、聴いたな」と思い出せます。

ようやく合宿所に辿り着いて、佐野元春から開放されましたが、A先輩はそこでもウォークマン(懐かしいー)で、佐野元春を聴いていました。


勿論帰りの道中も佐野元春攻撃を食らい続けたことは、言うまでもない。


翌年以降、A先輩の車に当たってしまう(車の割り当ては、先輩達が決めていた)ことを極度に恐れましたが、次はユーミン攻撃だったらしい。




印パの雪解け

2005年02月23日 09時36分31秒 | 外交問題
外務省はインドとの距離を詰める政策を積極的に行いつつある。小泉首相がGW頃にインド・パキスタンへの歴訪を予定しているとの報道も先日あったばかりである。BRICsの一角を意識していることは確かであり、常任理事国入りへのグループ形成でも協力関係にある。また、憎悪の歴史を持つパキスタンとの間で、和平が訪れる雰囲気が醸成されたことは大きな意義がある。何故なら、両国とも核保有国であること、パキスタンは以前から北朝鮮の技術移転先となっていたことが大きな問題であったからである。


インドは経済成長を目指して、先進国への仲間入りを熱望しているであろうことは理解できる。その意味において、米露との積極的外交が見られたし、日本との関係においてもほぼ良好である。日本に滞在したインド人の方々が、日本に悪い印象を持たなかったのかもしれませんね。こういう民間人レベルの交流は、意外に役立っているのかもしれません。インド人の優秀な人材は、概ね米英を中心とする先進国での留学経験者が比較的多いと容易に想像がつきますしね。こうした人々の活動により、国際情勢に合致した政治政策が浸透するようになってきたのでしょうか。

そのインドとパキスタンの間で、外相会談が行われた。その記事は次の通り。



16日共同通信より引用

インドのシン外相とパキスタンのカスリ外相は16日、イスラマバードで会談し、両国が領有権を争っているカシミール地方の実効支配線(停戦ライン)をまたぐ直通バスの運行で合意した。カシミールの帰属をめぐって起きた1947年の第一次印パ戦争後初めてとなり、核保有国でもある両国の信頼醸成の象徴的な成果となった。
直通バスは、直線距離で約130キロ離れたスリナガル(インド)-ムザファラバード(パキスタン)を結ぶ路線。両国は昨年から協議を続けてきたが、停戦ラインを越える際には旅券と査証が必要と主張するインド側に対し、パキスタン側は旅券を認めれば、停戦ラインが事実上の国境になるとして対立していた。




そして、日本はパキスタンに対しては、3月からの円借款の再開へ向けて、昨年から外交筋で活動していた外務省・経産省の働きかけが奏功しつつあると見ている(昨年私も記事に少し書きました。日中の相互譲歩で修復?)。インドとの和平に間接的に関与できたのではないか、と思っている。このことは、外務省を評価してよいと思う。ただ、常任理事国入りについては、日本の支持は出来ても、インド支持は「まだ尚早」という考えのようである。これは、長きに渡り争ってきたインドへの悪感情が、すぐには払拭できないことは、ある意味止むを得ないし理解できうるものである。今後のさらなる和平達成には、ある程度の時間が必要であろうし、時間が心を癒してくれるのを待つしかない。両国の平和的発展を促すことで、核拡散が防止できること、特にインドへの投資が促進できること、北朝鮮の外堀を埋めるのに非常に役立つこと、そして無意味な争いで人々の生命が失われたりひどい悲しみを無くせること、等を考えると、日本の外交努力は欠かせない。こういう外交は、真に国際社会に貢献しているし、高く評価できると思う。

記事では、次ような報道がされています。




22日共同通信より引用

町村信孝外相は22日夜、パキスタンのカスリ外相と飯倉公館で会談し、核拡散防止条約(NPT)、包括的核実験禁止条約(CTBT)への加盟と核実験凍結など核不拡散に協力するよう求めた。カスリ外相は核実験凍結を継続する考えを示したものの、NPT、CTBTへの加盟については、隣国インドも未加盟であることを念頭に明言を避けた。また町村氏が、日本などが候補に想定される国連安保理常任理事国に6カ国を追加する案に支持を求めたのに対し、カスリ氏は「日本には合理性があるが、インドは難しい」と述べた。


23日時事通信より引用

町村信孝外相は22日夜、都内でパキスタンのカスリ外相と会談した。席上、町村外相が北朝鮮の核開発への懸念を表明したのに対し、カスリ外相は「最近は北朝鮮との軍事的関係を薄めている。(パキスタンの核開発の父と呼ばれる)カーン博士も核研究所から切り離している」と述べ、「核の闇市場」として国際的な非難を浴びた同博士の核技術密売ネットワークとは現在は無関係との立場を強調した。 




当面両国関係が良好ならば、インドへの日本からの投資が増加でき、また中国への牽制が可能であるし、経済的な依存度を中国からシフトできると考える。中国は急速な経済成長を遂げているが、日本やアジア新興諸国が経験した停滞過程を必ず辿る。株でも土地でもそうだが、上がっている時というのは、多くが下がるとは考えず投資を続け、上がり続けるのが当然との錯覚に陥りやすいのである。しかし、どのような経済活動でも右肩上がりが永続することはないと思う。従って、中国経済と言えども例外ではないだろう。単に停滞時期がいつになるかが分からないというだけである。そういうカントリーリスクも考慮した上で、対外投資・経済活動を推進する必要がある。中国の人件費上昇や、20年後くらいには急速かつ史上空前の大規模な高齢化社会が訪れること(「一人っ子政策」の効果が明確に出てくるのである)を考えると、インドの人口構成比は中国よりもはるかに魅力的であるし、現状でも成長余力をかなり残していることは投資効果はインドに軍配が上がると思える。しかし、以前から存在するパキスタンとの緊張関係が、インド投資のとても大きなリスクとして刑務所の塀なみの障壁となっていた。この塀を取り払うことが、どれ程の意義があるか理解できよう。

この流れが、首相歴訪へと繋がっているのだろう。インドは津波被害国でもあり、外交政策上の優先国なのだ。大型案件の獲得競争も今後激化していくかもしれないですね。


今の国際的関心の焦点は(というか私的には)、中国、インド、イラク・イラン近辺、イスラエル・ヨルダン・リビア辺りということで、これらの地域で思い浮かぶのは、安全保障の中核部分は偶然にも…4大文明地域のような気がします。ちょこっと外れてる所もあるけど(エジプトの周りということで、まあ、細かい所は気にせずに!)、数千年前の「先進国」であった地域が今や復活を遂げつつ火種地域というか問題地域となっているのですね。何だか不思議な気がします。長い歴史の中で見ると、そういう不思議感覚が生じるのかもしれませんね。数千年後には、現代の歴史観がどうなているのか少し気になります。



日本の進む道

2005年02月22日 17時05分03秒 | 俺のそれ
前の記事で『ケインと「あびる」』と書いて、ふと思い出したことがある。数年前に買った本物の『ケインとアベル』のことである。純粋なビジネス小説とは言えないかもしれないが、銀行家と企業家としてのホテル経営者が主人公の小説で、とても面白かった。イギリス貴族院議員の、ジェフリー・アーチャーの作品である。私は、日本で発売されたこの作家の文庫本は全て買った。この作家との最初の出会いは、何とラジオであった。おそらく、中学1~2年の頃だったと思う。

当時、ラジオドラマが放送されており、これがとても楽しみであった(確かNHKだった)。色々な作品を「声のドラマ」として放送していて、単発ものもあったし、連続ものもあった。テレビのような映像が無い分だけ、想像される映像が勝手に頭に浮かんで、非常にわくわくするのであった。なので、好んで聴いていた。このラジオドラマで出会った作品には、アシモフの中で最も好きな作品である、『黒後家蜘蛛の会』がある。これも後に文庫本を全て買って、今でも何度か読んでいる(現在はウチの子に貸しています)。それ以前に『鋼鉄都市』を読んでいてアシモフは知っていた。しかし、小学生の私にはあまり好きな作家とはならなかったのであるが、ラジオドラマのお陰で、復活できたのである(笑)。

アーチャーの作品は、『大統領に知らせますか?』が放送されていたように記憶しています。その何年か後に、『百万ドルを取り返せ』を初めて買い、その後はチビチビと文庫本が出る毎に読んでいきました。破産した人が、このような議員さんになれるんだな、と感心したものです。『ケインとアベル』は、その人間ドラマと、銀行家としてのケインの「哲学」に感嘆しましたね。物語が、ちょっと出来すぎというのも、シェークスピアをかなり意識しているのも、まあ小説ですから、と思えば楽しく読めます。今話題の「株買占め」「企業乗っ取り」も、偶然ですが丁度時流に合っていますね。


私は「銀行家」としてのケインが印象深く、確かにバブル期に見られたような「銀行家」とは呼べない「金貸屋」に成り下がってしまっては、やはりダメなんだろうな、と素人ながら考えたものです。よい会社を見出して、世に送り出す、そうすることで社会に貢献出来る、そういう志が銀行家には必要なんだろうな、とも思いました。企業を育てるのは、一般に取引先であったり消費者であったりするのですが、「資金」という水を丁寧にかけて企業という植物をすくすくと育てるのは、はやり銀行なのですね。そういう銀行家がきっと求められているのかな、と思うのです。

ですから、私は「銀行家」という言葉が好きです。「銀行マン」や「銀行員」ではなく、「銀行家」。よく考えると専門家は、「家」がつくのが多いですね。書家、陶芸家、建築家、演出家、脚本家、企業家、機関投資家、法律家、政治家等々、たくさんあるのです。これらに共通するのは、「その道の専門家」ですね。高度で特別な或いは特殊な、知識・技能・能力を持つ人々です。こういう人々は、「その道」を誤ることなく進まねばなりません。道(みち)は、人として踏み行うべきみち、道理などを含むものですから、根本にはこうした志が必要だと思います。専門家としての能力の発揮も重要なのですが、それ以前に人としての道を大切にして欲しいと思うのです。


昨夜のテレビ東京系のWBSでは、中小金融機関の取り組みが紹介されていました。旅館や中小企業に研修に出て経営実態を学び、同業態への融資の判断力を養うとか、コンサルティング業務の一部を含むような融資に取り組むとか、企業育成・支援の流れが戻りつつあるようです。「銀行家」としての心を失うことがなければ、きっと企業からも地域社会からも感謝される金融機関となっていくでしょう。

一方、「政治家」はどうでしょうか。果たして、人の道・道理を正しく進んでいるでしょうか。専門家としての能力は発揮されているでしょうか。道に外れた人や、高度で特別な知識や能力のない人は、「政治家」ではないのですね。単なる政治屋に過ぎないのでしょう。今の日本に、どれ程の「政治家」が存在するでしょうか。


アーチャーが議員となった、議会政治の本家イギリスでは、一足はやく改革が進められましたが、日本はその道を進むでしょうか。

日米安保とミサイル防衛

2005年02月22日 13時27分08秒 | 防衛問題
2プラス2協議が終了して、共同声明が発表された。日本の安全保障の根幹をなす外交と防衛が協同作業を達成できたことは、戦後の防衛政策上最も評価できる前進であろう。このような、「表裏一体」の考えをもって臨むならば、誤った方向へ進むことはかなり防げるだろう。防衛政策についてのシビリアンコントロールの重要性は、今さら述べる必要はないであろうが、単に自衛隊運用のレベルに留まらず、外交政策の延長線上に真の運用があるということがそのコントロールを確たるものにすると考える。そして、国際関係上の対応の誤りが日本の安全保障を揺るがす事態を招くことは当然予想されるし、その失敗を防ぐのは正しい戦略的外交を政府が実行できるかどうかにかかっていると思う。良き外交官は優れた軍事評論家でなければならないし、良き防衛担当官は外交に明るくなければならないのである。


外交政策において、優れたバランス感覚と有利なポジションを占めることが求められる。常任理事国入りを果たす事もその一つであろう。また、不正や醜聞が明らかになりつつある国連の改革にも、積極的に取り組まねばならないであろう。未だ先進国とその他の多くの国にはあらゆる面で開きがあり、「先を歩く者」として当然正しい方向へと導かねばなるまい。


話は変わるが、ミサイル防衛の考え方について、法制面で論議があるようであるが、無意味な傘とならないように考えるべきである。ミサイルが発射されてから日本に着弾するまでの僅かな時間の中で、複雑化した連絡手順や仲介人員が増えれば増えるほどエラーが出る確率が高くなるし、対応の遅れは手段が限定され避難指示も遅れるのである。貴重な時間を失う事が、どれほど危機的状況を招くのか、常識的に考えてみるべきである。「探知」から「発射」段階までの、手順と物理的可能な時間を考慮し、ミサイル撃破の可能性を吟味するならば、判断を迷っている時間などないであろう。


心肺停止状態の人が倒れていたら、一刻も早く救急蘇生術を必要とすることは誰しも理解できるであろう。人工呼吸や心臓マッサージは、一秒でも早く行うことが救命率を大きく向上させるのである。また、重篤な後遺障害(低酸素脳症などによる機能喪失ですね)を防ぐことにも繋がるのだ。これは一般常識的な考え方である。「心肺停止で人が倒れています。どうしましょうか?」と警察や消防に電話して尋ねている間に、どんどん状態は悪化していく。自分1人しかいなければ、自分が救急蘇生を行う以外に方法がない。これは誰に尋ねようとも返ってくる「答え」が同じなのである。消防の人もきっと言うであろう。「心臓マッサージと人工呼吸はできますか?できるならば、救急隊が到着するまでやってみて下さい」と。


つまり、危険が明らかに判っている時、答えが一つしかないものについて「どうしましょうか?」と何人もに尋ねるのは、愚の骨頂なのだ。非効率的であるし、エラー確率が高まる。撃墜確率が落ちる。全ての対応が遅れる。そういう性格の決定事項なのである。
”伝言ゲーム”がなぜ存在するか(そんなに大仰ではないんですが、多くの人は経験があるのでは)というと、情報の仲介人員が増えればそれだけ誤りの発生が多くなる事を、経験的に知っているからである。これと同じである。「ミサイル発射を探知しました。どうしましょうか?」と、次々に連絡して、最終決定者に連絡が到着したところで、「撃墜せよ」と言うしかないのだから。


元来、防衛用のミサイルは報復攻撃用の核ミサイルのようなものと、全く性質が異なると考えるべきである。地上破壊のような攻撃性を有していないのであるから、発射許可を毎回文民に求めるのはあまり意味がない。もちろん誤発射の可能性がないわけではないが、空中で自爆させてもよいであろうし、公海上に落下するくらいであれば甚大な被害が出るものでもないであろう。探知段階の過誤を防ぐシステム、例えば複数衛星の情報確認、探知システムの複合化、指令・情報伝達の複系統化(1回路ではないという意味)等で、かなりの過誤を防止できるであろう。発射事実は事後の国会報告や承認があれば、「暴走」を止めることにはなるだろう。むしろ、長距離攻撃用のミサイル保持構想の方が、相当慎重な議論が必要なのである。


ミサイルが本当に飛んできて着弾し、自分の家族や身近な周りに被害を受けた時にも、「きちんと発射許可をとりましたか?」という人がいたら会ってみたいものだ。逆に「何故もっと早く発射しなかったのか?もし、あと1分早ければ撃墜できたかもしれないのに」と考える人の方が圧倒的に多いと思う。そういう常識で本来考えるべきことなのではないか。


余談として、北朝鮮はブラフで様子見をしていたようであるが、六カ国協議への復帰を示唆したようである。国内向けの戦意高揚のような宣伝だったのか?これから何かおねだり?向こうの条件が何なのか知りたいところだな。日本の軟化姿勢を引き出す作戦?中国は米国の働きかけで結果を出したようだ。やはり中国ルートが北朝鮮の命綱なのか。




教育を考える6

2005年02月21日 17時25分09秒 | 教育問題
最近の気になった幾つかの話題。

「某女性タレントの告白騒動」
番組内のクイズで、『以前に「集団で強盗」まがいの万引きをし、その店は潰れた』というとんでもない告白をしたそうだ。しかも、これが普通に放送されるという事態も異常である。タレントは18歳らしく、小学生の頃にいたずらで万引きをしたのをオーバーに脚色したという事務所発表があったようだ。今さらになって、の発表は、「これも、どうだか」という感じがする。頭が悪く、罪悪感もなければ、「別に有り得るじゃん」くらいに思って、真実をゲロしてるかもしれない(表現が変だな。「真実を吐露してる」です)。「脚色」できるほどの話術があるなら、もっと普通の脚色するのでは?それに、「実は本当ではありませーん」位は言うでしょう。まあ、いずれにしても万引きには違いないけど。ケインと「あびる」みたいな名前の方は、困ったものです。


「ダルビッシュ投手のパチンコ喫煙問題」
何と日ハムキャンプ参加中の同選手が、写真誌に撮影された模様。球団は陳謝し、謹慎処分としたとの発表。店内で喫煙していたらしい。ちょっとふざけてみたかったのかもしれないが、非難されてしかるべきである。昨年、一場問題があったばかりで、対したお咎めもなく、その程度で済むという風潮があるのか。アマ選手が金銭授受って、贈収賄事件とあんまり違いがないようだけどね。これは、過ぎてしまったのでおいて置くけど、ダル君は体直してから投球だねって言っていた矢先じゃないか。プロとして、社会人として、当然の責任を生じるし、球団やその他関係者にもすごく迷惑かけることになるのですから、そういう自分以外の人々に多大な影響が出ることも考えて欲しいぞ。ハムファンとしては、きつく反省してもらい、将来の糧として他の誤りをしないようにしてほしい。


このように、若者が不祥事で謹慎や活動自粛など、残念な結果となるのは、本人達の問題は当然として、周囲の大人たちにも責任の一部があると思います。悪い見本がゴロゴロ転がってる。年長の大人たちが、悪事を平気で重ね、金をネコババし、規則や法律を破っても平然としてる連中が、社会の中枢に大勢いる。これで、「子供達よ、正直に清く正しく生きよ」といくら言ってみても、説得力がないな。森前総理曰く「これが日本の教育の成果」というのは、そのままお返ししたい気分ですね。

議員・官僚を初め要職にある連中が、不正を働き、おかしなキックバックを受け取り、裏金をせっせと溜め込み、業者と癒着し、怪しげな献金を貰い、どんと1億もらっても記憶喪失、エロ教授にエロ教師、手鏡野郎や盗撮野郎、言うに事欠かない今の社会は、子供達に見透かされてるんでは?奇麗事を並べても、「ルールを守れ」と言っても、効き目がないのは、こういう大人の間違いをきちんと正せない社会に問題があるからでは?そんなことも感じてしまいます。

昨年だったと思うが、深夜帯で、キンキの「堂本こういち」が司会してた番組があったのを偶然見た。その番組は毎週放送されているようだったが、見たのはその一回だけだった。ゲストに武田鉄矢と若い女性タレント(正確に分らない。名前よく知らないから・・・)が出ていたと思う。他に、15~20歳程度の若者達が総勢20~30人位いて、討論風に意見を出すというものである。暴走族とか、チーマーみたいな人とか、普通の女子高生とか、就業少年とか、ラッパーみたいな人とか、スポーツ少年とか、ともかく色々な若者が出ていた。
その時の話題になったのは、「薬物(ドラッグ)」について。何と司会の堂本君が「今まで薬物の経験がある人」といって挙手を求めると(もちろん目を閉じたりしていない。全員普通の状態)、全体の3分の1くらいが挙手!本当かよ?と思わず目を疑った。しかも、そこには、女性タレントが挙手してるではないか!怒れよ、武田。ってな気分。「○○が衝撃の告白!」、その続きは、CMの後で。のような、いつもの手で先に延ばされたが、観てましたよ、続きを。そこでのタレント告白は、「渋谷で普通に買わないか、って言われて買いました。そして、軽い気持ちでやってみちゃった」というような内容でした。こんなとんでもないこと、テレビ放送してもいいの?と思いましたが、「これが東京の現実なのか?」と恐怖を感じました。やっぱり、大都会は怖い。

その女性タレントの名前が思い出せないんですが、でも、あの万引き告白のタレントだったような気がするんですよ、実は。テレビ関係に詳しい人は、この内容から、どこの局の何ていう番組かわかるんでは?もし解る人がいたら教えてくれませんかー!って真剣には思っていないが、「薬物汚染」がこんなに簡単に語られるほど進んでいるのかと思い、罪悪感の希薄さも非常に危惧を感じた。他の参加者の若者も、悪びれる風でもなく、平然と挙手しているその光景が映し出されていて、衝撃を覚えた。これは、犯罪でしょう。番組制作側も異常だし、挙手した参加者や告白タレントも異常。この国の行く末が、本当に心配です。


悪い話が続いてしまったので、少し良い話を。ある喫煙場所があって(私はまだ喫煙派なんです。すみません)、私はそこで座ってタバコ吸っていました。吸煙機の上には、前にいた人が残していった飲み物のカラ容器が幾つか置いたままになっていました。そこへ20歳位の茶髪の若者2人がやってきて、向かいのベンチに腰掛けました。いまどき風な若者でした。彼らは2人ともジュースを持ってきていて、吸煙機の上に置いたりして、飲みながらタバコを吸っていました。しばし2人は話していた後、ふと立ち上がりその場を離れることになったのです。

吸煙機の上に、今まで置いてあった自分達のジュースの缶と、置きっぱなしになっていた数個の容器を手に持って中身を確かめて、私の目を少し覗き込んだ後、立ち去って行きました。カラの容器全てをゴミ箱に捨てていったのです。私の目を覗き込んでいた時に、「あなたのではないでしょ?違うよね?」みたいな、一瞬のやり取りが行われたように感じました。とても感心しました。こういう行動がきちんと出来る若い人もいるんだな、と思いました。そこにゴミを残していった人達がどんな人か分りませんが、子供とは限らないと思っています。駅のホームに平気で空き缶を残していくとか、ベンチの下にカップ酒の空き瓶を置いていくとか、とんでもないオヤジに何度も遭遇したことがあります。喫煙所ではない所で、普通にタバコ吸って、ポイ捨てしていくオヤジにも未だに遭遇しています。こういうことは年齢に関係なく、ルールを守らない人間は、いつまでたってもこういうことをやるんですね。それを自分の子供や周囲の若者たちに教育できるでしょうか。


レベルは違えど、犯罪も不正も悪巧みもどれも同じです。悪いことを敢えてやり、それを反省することもなく、改めようとしない人間、それは大人の中にこそ多く存在しているのです。簡単なルールが守れない風潮が浸透することで、規則を破ることの罪悪感が薄れ、あらゆる倫理の壁が相対的に低くなってしまっているのではないか・・・そんな恐れも感じます。規範の外に乗り越えてしまうことが、容易になりつつあるとすれば、まず大人が改めなければならないでしょう。

「割れ窓の論理」でしたか?小さな犯罪を防ぐことで、重大犯罪を防ぐというのと、同じですよね。決まりやルールをきちんと守る、これを日常生活で徹底することで、違法な犯罪行為を防げるようになるかもしれません。そのためには、まず大人が良き見本となるべきです。


マスメディアの正論

2005年02月20日 15時12分28秒 | 社会全般
NHK番組改変問題に端を発して、問題はあらぬ方向へと進み、現在のようなNHKvs朝日のような構図が出来上がってしまっている。それに続いて、ライブドアのニッポン放送株大量取得劇から、ライブドアvsフジテレビ(フジサンケイグループ)の様相となっている。これらのマスメディアの混乱(というべきか迷うところだが他に思いつかない)で、思うところがあったので書いてみたい。


元来マスメディアは、「公器」としての役割があって、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌等のそれぞれの分野で、何らかの役割を果たしてきた。それが正当か否かについてはこの際論じないが、一般大衆や社会に向かって何らかの影響力をそれなりに持っていたことは確かである。その特別な存在は、大衆から極端な排除を受けることが少なく、特に影響力が大きな2大メディア、テレビと新聞は大衆支持を背景に気ままにやってきたように思う。


しかしながら、ネット社会の浸透と情報に対する個人の感度が大きく変わり、各メディアに求める情報が変わってきたと感じる。未だに、新聞やテレビの情報にほとんど依存し、それについては信頼を寄せている人々がたくさん存在すると考えられるが、その割合は今後どんどん減少していくと思われる。昔には、センスのよい雑誌のような媒体でしか扱われないような情報が、今はネット上でいくらでも取得可能となっているばかりか、単なる個人レベルの情報発信でさえ多くの支持者を集めるほどの影響力を持つものも登場してきている。また、深夜放送のラジオから発信していた、番組を聴取している特定層(例えば若者ですね)へ向けた情報の影響力も、昔とは比べものにならないだろう。その傾向の裏付けなのか、ラジオはネットに宣伝広告費を追い抜かれてしまった。存在価値の比重でいうと、低下の一途と言えるであろう。


雑誌業界は、そうした流れの影響を最も早くから受けたと思われる。発行部数は経年的に低下し、市場規模は縮小、廃刊なども相次いだ。元々選択性の高い媒体であったし、影響力の大きさの点でも比重が小さかった。それ故に、まず淘汰の波がやってきたのであろうと思う。読者から選ばれ、支持されないものは、退場を余儀なくされるということだ。書き手や製作者がどれ程その雑誌を愛し、内容の正当性やすばらしさを主張しても、ほとんど意味がなく、決定するのは「受け手」側なのである。


このような流れは、今後新聞業界にも訪れる可能性がある。世界各国で、大手新聞社の発行部数が減少し、かわりに「フリーペーパー」と呼ばれる無料紙が台頭しつつある(日刊全国紙は減少する?)。この現象は、何を意味するのか。従来の「新聞」に対する読者の選択は、「支持」が減少して、「不支持」もしくは「対価としての存在価値を認めない」というものであろう。新聞の内容がどれ程優れており、論説の価値や正当性を記者や発行者が力説しても、「選択」され「購入」されなければ、存続できないか、業態転換や大改革しか道は残っていないのである。それとも、発行者側は新聞が大赤字を垂れ流しても支え続け、記者たちも異常に安い給料で、自分達が街頭で手売りをしてでも、自分達の新聞を存在させようとするであろうか?そういう覚悟を持っているかどうかは、伺い知ることは出来ない。

少なくとも、ライブドアの堀江氏としてはこういうメディアの衰退傾向の先を見据えて、手売りしなくとも済むようなビジネスを考え出そうとしているのかもしれない。これも推論だからよく判らないのであるが。


朝日新聞とNHKの問題については、双方とも当事者意識が丸出しで、放送や新聞記事を自己主張の場としているのは、本当に「公器」たるメディアの役割を果たしているのか疑問に感じている。これは、ライブドアとフジの関係でも同じようであり、産経新聞はライブドア関連のキャンペーンをはっているかのようである。このような報道姿勢はいずれのメディアにも見られているので、テレビと新聞の違いは関係がないようである。フジテレビの日枝氏は「ジャーナリズムはそんな簡単なものではない」という趣旨のコメントを述べていたが、ジャーナリズムの「魂」とか「志」とか「理念」とかは、社主や社長やスポンサーや株主が変わる事で、何か変化が起きるとでも言うのであろうか。もっともらしい「ジャーナリズム論」を建前にもってくるあたりが、真剣に「メディア」について考えていなかったことを露呈してしまっている。むしろ利害得失にしがみつき、迎合しているのは、今の自分達だろう。


政治家たちの中にも、排他的なメディア業界の寄合体質が当然と思っている人が存在するようである。元産経新聞記者であったらしい森議員(前首相)は、ライブドアの件について疑問を感じるとした上で、(堀江氏の)考え方は日本の教育の(間違った)成果なのか、というとんでもない飛躍まで披露している。じゃあ、現在の日本の状況や酷い政治を生み出してきたクソじじい達は、よっぽど狂った教育を受けてきたんだろう。自分の理解できない事象について、理解しようと努める前に拒否することから始めるのが、同じ寄合体質を持つ人間ということなのだろう。



先日のライブドアに対する2月18日付産経朝刊 「主張」にとても興味を抱いた。

『堀江氏発言 産経を支配するって? 少し考えて言ったらどうか』と題されたインパクトのある(或いは挑発的な)見出しが、書き手のおかしなジャーナリズム観を如実に物語っていた。産経新聞としての考え方を長々と書いているのであるが、このような記事が「公器」として存在する新聞の論説なのかと思うと、非常に奇妙に思えた。しかも、堀江氏の発言を引いているのは、何とAERA誌だそうだ。ヨソさまの取材や媒体を引用する産経新聞の意識も相当おかしいが、その記事の一部の発言を殊更に取り上げて、堀江氏の考えの全てであるかのように扱い、「もう少し考えて言え」というやり方は、ネット上の下らんコメントと同じやり方だ。書いた記者の気が知れない。


これも反堀江のキャンペーンの一環であろうが、いち弱小民間企業の経営者についてここまで言及するというのは、「マスメディア」の持つ特性を、ほぼ「私的意図」をもって利用しているばかりか、個人の資質に言及し個人攻撃とも思える論説を展開しているのも、到底「公器」の果たすべき役割とは思えない。こういうのを、本当の「偏向」と呼ぶのでしょう。NHKも朝日もやっていることは産経新聞と本質的に同じだが、こちらはメディア対メディアであって、馬鹿らしい泥仕合ではあるが媒体利用の仕方は公平であろう。ところが、メディア対個人若しくは一企業となると話は別だ。堀江氏の手法や考え方について、社会的に警鐘を鳴らす意義を真に求めるというならば、自ら堀江氏に取材してきちんと談話を取るなり経営方針を問うなりしなければおかしいし、他人のメディアの記事を利用するだけで堀江氏個人の考え全てを代表させるという報道姿勢が、そもそも「ジャーナリズムの精神からは大きくかけ離れている」と言えるであろう。そんなことにも考えが及ばず、ましてや公職にない一般個人の資質について「公器」たる新聞紙上で批判するなど、もってのほかである。


下らない批判をしている政治家も産経新聞も、客観的によく見つめてみることだ。法令、制度やシステムの問題であって、実行した個人の問題ではない。また、発言に気に入らないところが多々あり、受容できないからと言って、フジテレビ社長が言及するならまだ理解できるが、産経新聞の現場記者たちが「私心」を持って反堀江キャンペーンを繰り広げるのは、全くの「お門違い」だ。もしも、経営的な反論があるのであれば、「産経新聞トップの談話・コメント」くらいの記事を堀江氏の談話と併記するくらいであろう。産経新聞の記者諸氏は、「ジャーナリズム」の本質について、大きな誤認があるか、元々考えていないか、のどちらかではないのか。何が「正論」なのか、頭を冷やして、よく考えてみるべきでしょう。


産経新聞が「正論路線」を祭り上げる割には、路線が大きくずれてると思うのは私だけでしょうか。