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日本の憲法学者の真意を問う~その2(追記後)

2008年03月31日 02時12分18秒 | 法関係
よもや続編を書くことになろうとは思いもよりませんでした(笑)。
いつものボツネタさん経由。
貸金業法グレーゾーン撤廃は是か非か @本日のサンプロ  - ボ

番組をみてないので、書かれている部分だけからしか判りませんが、感想を少し書いておきたいと思います。

まず、テレビでただのショーをやりたいだけにしか思えませんね。やる意味がない。

サンデープロジェクト

あれですか、平ちゃんと木村剛氏を呼んで「貸金業法改悪」と「官製不況」を演出したい、という意図か何かでやった(参考記事)ものについて、弁護士団体あたりから猛烈反発を食らったので、しょうがなく当該弁護士を呼んで「言い負け」場面でも演出したかった、ということでしょうか?(笑)

どうしてそう思うかって?賛成派には弁護士しか呼んでないからですよ。で、その対抗として小林節慶大教授をお招きしましたよ、と。弁護士が苦手としそうな経済的論点には、全然知らないどこかのコンサルを呼んでおきましたぜ、と。まあ、私のちっぽけな脳みそでは、そんな図くらいしか思いつかないもので。肩書きの重みからいって、教授と一介の弁護士のどちらの方を信じてしまうでしょうか、みたいなことですわな。

圧倒的多くの視聴者には、規制反対派の言う論点が事実なのかどうかは、判りっこないからね。番組中では何とでも言える。たとえ根拠のない意見であっても、言い負かした方が勝つ。視聴者にはそうした印象を植え付けることに成功する。ま、そういうこと。単なるショーに過ぎない。


小林節教授には、かねてよりお願いがございましたが、未だもって「憲法違反である」という法学的ご意見を拝見してはおりませんが、その後どうなったのでしょうか?日本の法学部というのは、この程度のものであるということでしょうか?

日本の憲法学者の真意を問う

弁護士の決め台詞は「憲法違反」?

「口は弁護士、心はサギ師」を何度も取り上げて恐縮ですが、なるほどうまい言い草であるなと改めて思いましたよ(笑)。
小林節教授は、産経新聞に憲法違反であることの論点を載せるべきではありませんか?文章で残ると何か都合の悪いことでもあるのでしょうか?それができない理由というものが判らない。サンプロの紹介文にも、きちんと「憲法違反と主張する憲法学者」とまで書かれているのですから、今更「憲法違反の論点を文章で書くことはできない」などということなど到底ありますまい。その論拠について、法学界できちんと評価してもらえばいいだけではありませんか(笑)。なぜそれができないのでしょう?憲法学者が言うのであるから、よもや間違いだの大勢に否定されるだのという事態などなかろうて。憲法学者は弁護士を目の前にしながら、憲法違反であることを立論すればよかったものを、それもしていなかったようですが(要約には出ていなかったので)、それすらもできない理由というものが判らないですね。恥を晒すのを怖れた、ということではないとは思いたいですがね。


さて、否定派の主張点は、これまでに散々見てきたものであるので、目新しいものでもない。が、一応もう少し書いてみたい(ボツネタさんの記事から『』で引用部を示します)。

『反対意見者(憲法学者)は,これまでグレーゾーンで借りていた中小企業が,資金繰りがつかずに倒産する件数が最近急に増えたことを問題視し,また,粗利が29.2%というのは通常の経済活動として暴利とは全くいえず(通常の商売ではもっと粗利は多い),諸外国と比較しても貸金の利息が29.2%が高いとは言えないと主張しています。』

しつこいな。
「(これまで借りていた)中小企業が、資金繰りがつかずに倒産する件数が最近急に増えた」
この事実を示せばいいものを、何故誰もやらないのか?
きっと小林教授ならばできるのでしょう。だからやってごらんよ。これまで産経だの日経新聞でも似たような理屈を並べていたが、どこもその事実を示したことなどないですがね。無責任放言ならば、誰でも好きにできるからね。

いわゆる個人向け消費者金融(俗にいうサラ金)業者(以下、便宜的にサラ金業者と呼ぶ、アコムだのアイフルだのそういう業者)の事業者向け融資額はどのくらいか知ってますか?サラ金は個人向けが圧倒的に多いんですが、事業者向け融資は極めて少ないんですって。たったの3%でしかない。額にして約2900億円程度だ。
一方、事業者向け貸金業者というのは、個人向けのサラ金業者数よりもずっと少ないが、それでも1500以上ある。その融資残高は「サラ金業者全部の額」よりも多いんですよ。サラ金業者全部で(個人向け含む)11兆円程度だが、事業者向け貸金業者では18兆円くらいある。その他ノンバンクを含めると、事業者向け融資は約2倍くらいはある。

グレーゾーンで貸せなくなったから事業者が資金調達できなくなって倒産が激増したって?
口から出まかせ言ってるんじゃないよ。サラ金業者が事業者向けに貸してるのは約2900億円でしかないのだから、新銀行東京と日本振興銀行が貸せば楽勝で賄えるだろ(笑)。両行合わせて融資に回されず国債買ってる額は、それよりも多いって。だから何遍も言ってるだろが。「返せるのに借りられなくて倒産する」って言う連中が、大々的に運動をやればいいだけなんだって。「新銀行東京が貸せばいい、日本振興銀行が貸せばいい」って、新聞にも書いてもらえ。テレビでも「新銀行東京の融資先が見つかりました、借りられなくて困っている中小企業を引き受けます」って運動をやればいいだけだろ。「命の資金ホットライン」とでも銘打って、新銀行東京に融資を実行させればいいだけだ。こんな簡単なことが何故憲法学者様には判らないのかね。極めて不思議だ。貸せばどちらの銀行も、儲かりまくってウハウハじゃないか。貸せばいいだけだろ、こんなウマイ話。倒産しないんだろ?返せるんだろ?ならば、明日から早速やれって(笑)。

因みに、事業者向け貸金業者の貸出金利はどれくらいか知ってますか?ざっと17兆円のうち、約60%が2%以下、約23%が2~4%以下だ(笑)。日本振興銀行みたいに高い貸出金利じゃなくても、ノンバンクが2%以下で貸してくれてるんだよ。「貸出残高の約91%が8%以下」でしかない。もうちょっと言うと、20%以上で貸してるのは約1.9%、残高で3250億円程度だ。この全部が仮に貸し出されなくなったとして、これが不況を起こす原動力になったと?
以前に木村剛氏の「官製不況説」を批判した時にも書いたが、算数程度の計算ができないくせに偉そうに経済ナントカの肩書きで判ったような口を叩く連中が多いってことだわな。企業倒産による負債総額は、はるかにデカイですって(笑)。

<ちょっと寄り道:
木村剛氏は、どうしてサンプロに出演し、正々堂々と反論しなかったんですかね。元はと言えば自分自身の主張ではないか。あれほど貸金業法改悪だ、官製不況だ、と言っていたのであるから、いくらでも反論できるはずだろう。回避する意味が判らない。大チャンスじゃないか。官製不況を叩けるのにね。
番組の人も、どこぞのコンサルを呼ぶよりも、知名度の高い経済学者(笑)とか呼べばよかったじゃないか。いくらでもいたでしょ?>


サラ金業者が事業者向け融資をやめることで仮に3000億円が貸し出されなくなったとしても、その額より返還費用の額ははるかに多い。自業自得ってことだ。返還費用は法改正のせいではないけどな。


次に行こう。
『経済学者は,規制の緩和に逆行していること,意図せざる信用収縮が起きること,ヤミ経済が栄えることを問題視しています。
さらに,この消費者ローンによる信用収縮,金融業者の経営悪化が,サブプライムローン問題の日本版にならないかという懸念も指摘されていました。』

ボツネタさんは経済学者と呼んでいますが、違いますね。タダのコンサルと思いますね。これは別にどうでもいいけど。
規制緩和に逆行、というのは何ら関係ない主張で、上限解除の根拠とか理由にはなりませんね。意図せざる信用収縮というのは、貸し手が無軌道に貸していた場合には、そうなってしまいますな。サブプライムローンが貸出審査を厳格化したのと同じだ。上限のせいで「信用収縮」が起こったのではないですよね。ヤミ金が栄える、という論点もしつこいですが、その実証がないのであれば説得力に欠ける。ヤミ金被害額や被害者数は減少していたことが窺われる(今年上半期、ヤミ金摘発急増!)が、最近の数字はどうなのか判らない。が、このコンサルや同様の主張をしていた人間が、数字で示してくれればいいだけだな。一般論を言うだけでは、あんまり意味はない。

「サブプライムローン問題の日本版」って、一体誰が言ったの?こじつけだけなら、何とでも言えるわな(爆)。サラ金業者の貸出残高が激減したとして、どうなるって?別に借り手が破綻して、貸倒額が数十兆円にもなるとかってわけでもあるまいに。米国のサブプライムローンと話を混ぜて、恐怖感を煽りたいだけだろ。既に書いた話だが、参考までに、消費者ローン全体では98年に2.2兆円、99年には3.4兆円減少した(因みに、上限が引下げられた(40.004→29.2%)のは00年だけど、サラ金は03年まで貸出残高を増加させていた)。今の減少額とは比較にならんだろう、多分。今は1兆円以下ではないかと思うけど、どうなんだろう。返還費用が多額にある分を除くと、上限引下げによる信用供与減少額は更に少なくなるだろう。


要するに、言いがかりみたいなもので、何でも論点を拡大して、思いつきで言うことは誰でもできる。しかし、根拠となる数字とか資料というのは、一切ない。彼らの言い分というのは、「こういうことも考えられるんじゃないか、こんなことがあったらどうするのか」みたいな話だけだ。これでもしも信用供与額があまり落ちてないとか、銀行系やカード系なんかの比較的低い金利帯で貸出残高が増加していたら何と言うのだろうね。来年になってみなけりゃ判らないんだけどさ。既にサラ金での貸出は、2社以下の貸出人数は増加してるからね、一応。


残りの部分。
『過払金返還訴訟については,司会者田原聡一郎氏を含め,やりすぎではないか,弁護士が儲かっているだけではないかという雰囲気で,議論が進んでいました。一連の最高裁判例の法理について,これが出る前になされた貸付けにまで遡及適用するのは,「法の不遡及」の趣旨から問題ではないかという指摘です。』

弁護士が儲かってる、というのはその通りだろうと思う。もっといい方法があれば、それをやるのが望ましいと思うけどね。やり過ぎとか言うのは、どうなのか判らない。評価は色々とあるだろう。個人的には、返還して貰う方がまだマシだと思う。

「法の不遡及」の趣旨云々は、誰が言ったのでしょう?まさか、小林教授でしょうか?いや、どうなのか知らないんですが。これって、全くの見当ハズレなんでは?何を言ってるのかと思いますけど。
不遡及を言うのであれば、少なくとも「利息制限法の上限に関する条文(1条)が、貸付した時には存在しなかった」ということが必要と思うが。貸した時点で利息制限法1条が制定されていたのであれば、不遡及でも何でもないとしか思えないのだが。

不遡及原則を適用というのは、例えば99年に貸出してそれ以降返済していたが、06年に新たな法が制定され、その法によって99年の貸出までもが「違法認定される」ということであって、事後的な立法で違法として処罰されたり法的責任を負わされるのはおかしい、これを回避せよ、ということだろう。しかし、貸出時点で既に立法されていた法であるなら、その法に基づいて責任を負うのは当たり前であって、判決が出されたのが06年というだけなので、不遡及を主張するというのはそもそも不可能である。

まさか、「判決以前の法的責任は不遡及にしてくれ」ってことを言うのですか?(笑)
ならば、全ての判決で、判決以前の法的責任を負わずに済むことになり、提訴する意味がないではないか。貸出が99年、提訴が05年、判決が06年、という場合、06年判決以前の法的責任を負わないという法的原則や裁判があるとでも?(笑)

ハア?
これが、上限規制反対派のご意見なのだそうだ。
法学上の理屈を並べてみたところで、何を言うかといえば、「違憲立法」だの「判決以前の法的責任は不遡及とせよ」だの、法学上の基本からは外れているとしか思えないようなものなのだよ。


日本の法学教育とは、一体全体どうなっているのかね?
慶応のロースクールはこの前「試験対策に偏っていると指摘された」という報道があったように思うが、それ以前の問題なのではないか?
テレビというショーでは、この程度の主張であっても通用してしまう、ということなのかもしれないね。何が「法の不遡及」だ。そんな裁判があるかっての。適当に専門用語を使ってみただけじゃないの?それと何が違うというのだ。


小林教授におかれましては、是非とも「憲法違反だ」という論理と、最高裁判決以前の「法の不遡及」論理をご教示願いたく、産経新聞あたりにでも(勿論、朝日新聞でもいいけど)発表していただければ幸いです。


笑えるな。
反対派の理屈は。



◎ちょっと追加です(3/31 12時頃)


ボツネタさんのところで驚愕のコメントを目にしてしまいました。以下に引用します。

『憲法訴訟の話が出たついでに
番組で、憲法学者が、違法金利の規制は、職業選択の自由を侵害する(営業の自由ならまだ分かるのですが、違法金利を取る貸金業を営めなくなることから職業選択の自由を侵害するということだったと思います)、違法金利を取っていた貸金業者の生存権を侵害する、平等権を侵害する(職業選択の自由と生存権で目が点になっていたので、その内容は聞いていません)と言っていました。』

「職業選択の自由」を侵害するときましたか。これが憲法学者の言い分ですか?(笑)

例で書いてみますか。まず小林教授説から。

《ある貸金業者は、自由な金利であると20%を超える利息を取れるので、30%で営業したいのであれば、たとえば3千円の利息を受け取れるはずだ、と。ところが上限規制によって、これを強制的に2千円にされてしまうとなれば、貸金業者になりたい人がなれなくなり「職業選択の自由」を奪うことになるので、憲法違反だ。》

みたいなもんですか?
これを真剣に主張しているんでしょうか?詭弁ではなく?

反論として、タクシー運転手を挙げてみましょうか。

《ある個人タクシー業者は、自由な料金メーターを設置できるなら1分間に100円上がるメーターを設置でき、たとえば3千円のタクシー料金を受取ることができるはずだ、と。ところが運賃規制によって、これを強制的に2千円にされてしまうとなれば、個人タクシー運転手になりたい人がなれなくなり、「職業選択の自由」を奪うことになるので、憲法違反だ、と。》

他の規制のあるものについて、いくらでも例示可能ではないかと思えるが。そんな論理は聞いたことがありません。
何故、タクシーのメーターは違憲だのと騒ぎもしないのに、貸金業者の受取利息だけは大袈裟に「憲法違反だ」という理屈を持ち出すのであろうか。小林教授であれば、他の規制が違憲ではなく貸金業法だけが違憲である、との理屈をひねり出せるかもしれませんから、是非お聞きしたものです。


次の生存権の侵害だが、前に反論を書いておいたのだけれども、それとは別な説明をしたのであろうか。ちょっとよく判らないが、憲法学者の言い分は、到底受け入れることができない。こんなの説明するまでもないと思うが。
また例で書いてみますか。

ある男がいた。男は窃盗や置き引きなどを繰り返して、日々の生計を立てていた。さて、男はこれまでの行為について違法認定され、違法につきこれまでの行為(窃盗だの沖引きだの)が不可能となってしまったとしよう。これは男の生存権を脅かし、権利を侵害しているのか?そんなわけはないだろう。
「違法行為」によって得ていた金銭的利益を、法的に制限されることにより、その金銭的利益を喪失したとして、それが生存権侵害と主張できるほどに著しい権利侵害を生じるのか。ならば、麻薬販売によって得ていた利益を法的に制限されて金銭的利益喪失となったヤクザ屋さんとか、生存権侵害につき賠償請求できるってか?違法行為を原因として、そこから利益を得ているのに、この権利を憲法が保障するものであると?(笑)

これは、本当に主張できるものなのでしょうか?
いや、私は法学部でもなければ、法学について勉強したこともない、ただの一介の素人に過ぎませんので、憲法学者であらせられる小林節慶大教授を言い負かせられるほどの知識も教養もないわけですが。
こういう意見が野放しにできうるほどに、日本の法学界というのはレベルが高いのでありましょう。

本当に呆れました。
こんなことを言う憲法学者には、何も言えませんぜ。




近頃の話ですが

2008年03月30日 13時16分52秒 | 俺のそれ
1)疲れと脱力感

じっくり書くことができない。
慌しいというのもあるが、腰を据えて集中して考えることができない。
なので、記事が杜撰だ(笑)。更新も滞りがち。


何というか、情熱とか、熱意とか、何かそういう心の奥底から湧き出てくるようなものがないと、書けない。書く動機を生み出す何かが、今自分には欠けているかもしれない。激情のようなもの、が消えかけているのかもしれない。

自分自身の心を「ある何か」に投影することによって、見えてくるもの、心に浮かぶもの、頭に浮かぶ文字、そういったものが瞬時に「線」で繋がるような、そういう感覚が不足している。

それは多分、自分の弱さ、無力さ、意志の欠落、達成目標のなさ、そういうものが影響しているだろう。


当たり前だが、オレ如きが「書いても無駄」。

煽動力に欠ける。
動員力に劣る。


大半のことは、考えること自体あまり意味がない。

それは、オレが考えてもしょうがない問題だからだ(笑)。


世間にはもっと頭が良くて、物事をよく知っている人たちが大勢いるんだし、専門の人も大勢いるんだから、そういう人たちが正しく考えてくれればいいだけ。

そういうのを信頼する人が多いのだから、結果としてはオレが考えることには何らの効力も持たない。
あるのは自分が考えた結果だ、ということを自分が知っているだけ。

だから?
それで?


2)クマ

我が家でちょっとしたブーム。ぶクマではないよ。全然関係なし。
宇多田の歌のことなんです。
家族曰く、替え歌いっぱいできそう、とのこと。


3)法曹ブログのコメントスクラム

前にブクマで話題になっていたので、チラッと見知った程度。
本物の医師の人が書き込んでいるのかどうかは判らんが、コメントには色々とあるようで。そんなことをしても、何も変わらないどころか、事態が悪くなるだけなんではないかと思いましたけど。

裁判官への批判がなくていいとも思ってない。しかし、判決への批判をするべきで、裁判官への人的非難だけをやったところで意味はない。感情悪化を促進すること間違いなし、だろう。なのに、何故書き込まずにはいられないのか?
不思議だ。


思うに、法学の素人衆が何を言っても無駄だと思う。
法曹界には、その道の暗黙の業界ルールみたいなものがあるんだろう。知らないけど。何かを言って無駄でないのなら、もっと何か変わっていくだろうからね。そんな気配はなさそうだけど。どうなんでしょう。

裁判官は苦悩しているっていうのは、そうですか、まことにありがたいことです、ご苦労さまです、とは思う。自分にはできそうもないな、やりたくないな、とも思う。
が、「苦悩しているんだ」と言われたからとて、間違ってもいいです、ヘンな判決を書くことを許容します、とかにはならない。苦悩の程度とか仕事内容の比較はできないし、比較に意味はないが、けれど医師のように死に直面する厳しさみたいなものはないだろうと思う。
目の前で、人が死んでしまう、ということがどういうことなのか、理解できるのだろうか。裁判官は裁判長になるまでの間に死刑執行のボタンを自ら押し、人が死んでいく、誰かに死なれてしまう、という体験を全員義務化したらいいんじゃないかな。その時に、今と同じことについて「苦悩しているんだ」と主張するかどうかが判るだろう。


弁護士にしても、優秀な人は大勢いるだろうが、どうしてそういう主張となるのか意味不明なことを言う人もいるし。米国の弁護士みたいに、訴訟を発掘して歩いているのではないかと思えるような弁護士もいるかもしれない。まるでトレジャーハンターだな。金になるから、ということだね。

『エリン・ブロコビッチ』のみすぎなんでは?(笑)
飲みすぎではなく。



都合の良い資本主義

2008年03月28日 16時54分06秒 | 経済関連
日本は資本主義原理に反するから構造改革せよ、とか散々文句を並べている人たちがかなりいるわけですが、どうやら米国での資本主義とやらは、自分の都合によって使い分けできるみたいですな(笑)。

しかも「ゲームのルールを変えろ」としつこく絡んでくる人たちや、欧米かぶれだか何だか知らないが、何でもかんでも鵜呑みにして「番長バンザイ」の人とかが多すぎて困ります。


「過去に学ばぬサブプライム処理」 NBニュース:NBonline日経ビジネス オンライン

(以下引用は、スティグリッツの発言部分)

『米国は、株主を救わずに銀行を救済する方法を考え出さなければいけません。言い換えれば、株主に、銀行経営が招いた失敗についてもっと大きな代償を払わせるべきだということです。部分的な銀行救済策や、銀行の救済策と取れるような政策が既に取られています。しかし、銀行の株主に、銀行が野放図な融資をしてきた責任を取らせなければならないと思うのです。

 例えば1980年代、不動産関連融資などを積極的に行い、住宅用不動産の抵当貸付を手がけている貯蓄貸付組合(S&L)が相次いで破綻した危機がありました。この時は、最終的には米国政府が整理信託公社(RTC)を設立して不良債権を処理し、結局は公的資金でS&Lを「救済」しました。

 米国が大きな代償を払ってS&Lの処理から学んだ教訓は、金融機関の経営者に起こる「モラルハザード」でした。しかし、我々はそれをすっかり忘れてしまいました。連邦政府が銀行を救済しなければ、景気が非常に弱くなってしまったでしょうから、救済策を取ったこと自体は結果として正しかったのでしょう。

 しかし米国は、そろそろ銀行の株主の救済はせずに、銀行を救済する方法を考える時期にきていると思います。あいにくこれまでは株主は大した責任を取っていませんが、本来は株主がもっと責めを負うべきなのです。今のままでは、銀行は自ら行ったずさんな融資について、責任を負わないままになるでしょう。

 市場ではみな、サブプライムローンという商品について良く知っていたし、その透明性の欠如についても分かっていました。経済が正しいとは言えない方向に向かっていたのをそうと知りながら、それぞれが皆、同じ方向へ向かっていくことを決めたのです。

 米連邦準備理事会(FRB)は長年の間、米国経済に起きつつあるバブルの存在を否定し、結果として危機をより深刻にしました。富裕層の税金をカットし、戦争の費用も海外からの資金調達でまかない、対外的に借金をし続けて経済を運営してきました。その文脈から言えば、海外の政府系ファンドによる(金融機関の)救済も予想できる範囲の話でした。

 銀行救済に関して、資金投入に動いたアジアや中東などの政府系ファンドに対し、米国内では感情的な批判が起こりました。他に頼れる術がないのに、批判するとは一体どういうことだと、きっと、政府系ファンドは感じたのではないですか。

 米国は、政府系ファンドに対して厳しい透明性を要求しています。しかし、なぜ同じことをヘッジファンドには要求しないのでしょうか。ここに矛盾を感じます。政府系ファンドは、(ヘッジファンドと違い)アブダビ投資庁やシンガポール政府など、出資者の顔がはっきりしています。それでいて、こうした政府系ファンドに対して「(経営の支配目的ではなく)単なる投資目的の投資行動である」と表明させるなど、私は全く無意味だと思います。』

スティグリッツ先生はこのように述べております。

非常に大雑把に言えば、「貸し手側の責任を問え、株主責任を負わせなさい」、ということですわな。
ポールソンが言っていたのと共通している。でしょ?

参考:

「ヨソの国に規制緩和を求める」の図

株主に人種は関係あるの?(笑)

外資規制は米国もやっている

心臓には腎臓を救えない(笑)


ま、日本に散々文句を言ったり脅しをかける時には、某ファンド・金融機関系なんかが好きなように暴れまわることを許していた「政治勢力」があったように思えますが、そういうのは限りなく不透明なものだったのですけどね(最近は随分と静かになってきたようですけど)。
ところが、自分の国のことになると過度に透明性を要求してくる、ということですわな。
言った通りでしょ?

しかも、(資本の弱い)金融機関で破綻する所が出てくるかもしれない、と市場原理に基づいて処理される話をしただけで、バーナンキが批判されてしまうのですからね。笑いますわな。市場関係者たちのいう資本主義原理なんてものは、ただの二重基準ではないのかな、と。それなら、最初から資本主義原理から外れてるとか、日本にばかり文句を言わなけりゃいいのに。


今後、米国で株主責任を負わされるかどうか、本当に貸し手責任を問われるのか、ということを見ていけば、本当に「資本主義原理」が機能するのかが判りますよ。
ですよね?>「資本主義原理」信奉者どの



混乱へのカウントダウン

2008年03月26日 22時14分20秒 | 経済関連
いよいよ暫定税率等の期限切れが濃厚となってまいりました。

もう何が何だか判りません。
ただ、ただ混乱が深まるばかりです。日本は本格的にワケのわからん国だな、ということだけは評価が定まったでしょう。

その一方で、かつてのジャパン・プレミアムへの復讐だの報復だのではないでしょうけど、外資系へはキツキツに絞られているみたいです。

<金利>短期が一時1.5%まで急騰…「長短逆転」(毎日新聞) - Yahooニュース

一時的な現象でしかないかもしれません。

更におやっ?というのがこれ。

租税特措法が失効ならドル調達コスト増、ジャパン・プレミアム復活も Reuters

特措法がこんなところにも波及していたとは。
ま、外人さんたちにも、なんじゃろね、意味不明、とか言われてるかもしれんね>日本の政府&政治家



ディストレス債(笑)

2008年03月25日 19時36分38秒 | 経済関連
いや、まさか、本当にこんな名称の債券があるなんて知らなかったよ。

3月の米ジャンク債に占めるディストレス債の比率が急上昇=S&P ビジネス Reuters

これによれば、

『利回りが同年限の米財務省証券に対し、少なくとも10%ポイント以上上回るとディストレス債と呼ばれるようになる。』

ということらしい。でもまだデフォが確定したわけじゃない。このうちから実際にデフォルトになるのは、一部ずつだからね。

こうしたディストレス債券は、日本の投信でも債券ポートフォリオに入れている場合もあるみたい。まるで、CDOの組成みたいだけど(笑)。ま、コショウみたいなスパイス程度であれば、料理全部がダメになることはないからね。

(しかし、スパイス全てを料理から分離・除去するのは気が遠くなるくらい大変過ぎるので、あんまり意味はないわな。元マッキンゼーが泣くぜ?)


ディストレス債という呼び名が、病気の場合と変わらないんだな、と思いましたよ。この前何となく付けたネーミングは、割といい線行ってたのかも(笑)。

世界に拡散する伝染病、「不安」

というか、元々のシンドロームがそうなだけなんですけど。




「無限監視機関」創設(爆)

2008年03月24日 17時18分07秒 | 社会全般
アホだな。

東京新聞新銀行東京 独立監視機関が焦点 公明、追加出資の条件に社会TOKYO Web

そんな銀行がどこにあんの?

独立的な監視機関は、金融庁検査や日銀考査があるから、別にいらないだろ。


取締役会と執行役員とで監視監督を分けていて、それが全く機能していなかったからといって、別組織を継ぎ足すのは愚の骨頂。取締役会のメンバーを構想中の独立監視機関のメンバーの人がやれば済むだけの話だ。

大体、内部的に、統合リスク管理委員会、執行役員会、取締役会、会計監査、といくつもの監視機構を持っていながら、何ら機能してないのであれば、ここに独立監視機関を乗っけても無意味だっつーの。

屋上屋を何段にも重ねているだけ。
本物のアレだな。


そもそも取締役会がきちんとすれば、いいだけ。
会計監査をきちんとやれば済むだけ。

最近の政治家というのは、何か問題が持ち上がると、すかさず「第三者機関」だの「有識者機関」だの新たな機構を付け足したがるが、その悪しき典型例だね。

次に問題があれば、今度はその独立監視機関を監視する機関の創設か?
それじゃ、ただの○○だろ。

監視機関さえ作れば「グー!」なワケでもないだろ。
江戸(笑)じゃないんだから。



市立札幌病院事件10

2008年03月23日 19時10分49秒 | 法と医療
続きです。


5)共謀共同正犯に関する問題点

本件では被告が刑法60条の共同正犯であるとされ、1審で共謀共同正犯であるとの判示があった(本シリーズ8を参照)。被告が行為を行ったことは認定されていないことから、刑事責任を問われるのは、共同正犯の成立のみである。

共謀共同正犯 - Wikipedia

成立要件は次の3つ。
①共同の意思ないし正犯意思
②共謀の事実
③共謀に基づく実行行為があること

最高裁判例では、次のように判示されている。
『共謀共同正犯が成立するには、二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よつて犯罪を実行した事実が認められなければならない。』
『「共謀」については、厳格の証明によって立証されなければならない。』
(刑集12巻8号1718頁)

よって、検察はこれを厳格の証明によって立証するべきということである。判決においても、全体の整合性を欠くことは許されないことは当然である。

裁判官らが想定している内容を、具体的なストーリーを書くと次のようなことになるだろう。

《ある美容健康会社がある。社長は「血液サラサラ波動砲120%」というマシンを用いて違法な営業することを、美容主任らと共に計画。顧客に血液や病気の危険性を殊更に強調し、高血圧等持病の改善を誇張して伝えた上、顧客に対して治療を勧めた。美容主任ら指示を受けた従業員らは、右の「血液サラサラ波動砲120%」マシンを使い、顧客に対し微弱電流の通電や低周波振動を与えるなどを行った。》

さて、社長は従業員に対して毎回個別に行為の指示を行っておらず、社長自らには実行行為がない。こうした場合には、社長と美容主任らが「共謀」していたことが事実であれば、実行行為は従業員が行ったとしても共謀共同正犯が成立している、ということであろう。従業員らは実行行為を行ったものの、社長や美容主任の指示に逆らえなかったし、実行行為が違法行為であることの認識をしていなかった、ということもあるであろう。

ここで問題となるのが、
・マシンの効果の伝え方が医行為に該当するか?
・「血液サラサラ波動砲120%」マシンの使用は医行為に該当するか?
ということである。裁判所の判断として、
・診断行為や持病改善などのウソの治療効果を伝えることは、医行為にあたる
・当該マシンは「医学上の知識と技能を有しない者がみだりにこれを行なえば、生理上危険ある程度に達している」ので医行為にあたる
ということならば、美容健康会社の営業は法17条違反であり、社長と美容主任らは共謀共同正犯で刑事責任を負う、という筋なのであろう(従業員らは、実行行為が違法であり刑責の成立に差異を生じないが、従属的立場であり実質支配されていたので、起訴されないことはあるだろう)。

美容健康会社=救命センター、社長=被告人、美容主任=上級医、従業員=歯科医師、と置き換えてみれば、本件との対比が明確になるだろう。検察や裁判官の考える被告人はこの例での社長と同じであって、故に処罰されるべき人間である、という考え方に基づいているであろう。


裁判官のいう理屈に沿って考えてみる。
実行行為=歯科医師が行った医療行為
共謀の事実=カンファレンスや各種会議等、または個別に上級医への指示
ということである、と。被告人と上級医らは、共謀して実行行為を行わせたのであるから、共謀共同正犯が成立する、と。
②と③の部分については、裁判官のいう理屈でも結びつけることが可能かもしれない。では、①についてはどうであろうか。①の共同の意思ないし正犯意思が立証されたのであろうか。

歯科医師が行った医療行為についてみれば、
・歯科医療現場であれば違法行為と認定されない
・救急センターでの研修以前の麻酔科研修でほぼ同様の行為を実施していた
ということがある。
更に、1審判決でも
『医科と重なる領域の専門分野で相応の経験を積んでおり、本件各行為を実施するについて、医師の資格を持つ研修医と比較して能力的に劣るところはなかったと認められる』
と判示され、生命身体への危険や健康被害は認定されていない。

つまり、上級医や歯科医師らの意思とは、「歯科医療現場では違法と認定されず、事前に麻酔科研修でも実施していた類似行為の実行」ということであって、「医学上の知識と技能を有しない者がみだりにこれを行なえば、生理上危険ある行為の実行」ではない。
センターを実質支配していたとされる被告人が上級医らと謀議したとして、共同の意思となるのは「違法な業を歯科医師になさしむること」ではなく、あくまで「歯科医療現場では違法と認定されず、事前に麻酔科研修でも実施していた類似行為の実行」である。ここに、犯罪意思が明確に存在していたとは言い難い。

本件の共同正犯適用について、正犯意思が立証されたのは、どこまでなのであろうか?被告人と上級医が共同正犯でなければならない。更に、上級医らの指示を受けていた、実行行為者である歯科医師も、上級医とともに共同正犯でなければならない。判例によれば、
『右共謀が成立したというには、単なる意思の連絡又は共同犯行の認識があるだけでは足りず、特定の犯罪を志向する共同者の意思が指示、命令、提案等によって他の共同者の意思が特定の犯罪を行なうことを目的とした1個の共同意思と認められるまでに一体化するに至っていることを要するというべきである』(東高刑時報28巻6号72頁,判時886号104頁)
となっていることから、単なる意思連絡や認識にとどまらず、「特定の犯罪を行うことを目的とした1個の共同意思」と認められるまでの一体化を立証できなければならない。

歯科医師らには特定の犯罪意思が認められなかった、故に起訴されていないことには十分な理由がある、ということで実行行為者には処罰を求められていないのであろうが、上級医についても同様に特定の犯罪目的があったことは窺われず、単に研修歯科医師に指導を行っていたに過ぎない。上級医に特定の犯罪目的の意思がなく正犯意思がないとなれば、被告人と上級医との間でどのような或いはどうやって特定の犯罪を目的とした一体化した共同意思を持ちえたのか。謀議するには、被告人だけでは足りないのである。


6)本判決は論理としての整合性を欠く

本判決文はとても長く書かれており、弁護側の出した意見に応えようとした結果であるのかもしれないが、重要部分が理解しにくい印象を受けた。基本的な組み立てを私の理解の範囲で書けば次のようになる。

・研修歯科医師の実行行為は違法行為
・直接的には上級医が歯科医師と共謀して行わせた
・被告人と上級医とが共謀していたのであるから共同正犯
よって、被告人は有罪。

判決の多くの部分で、実行行為が違法であるか否かに割かれており、研修のあり方ということについても意見が述べられている。しかし、論理的矛盾が多く見られるものなので、裁判官の判断に疑問を抱かざるを得ない。共謀共同正犯の疑問は書いたので、元に戻るが実行行為の違法認定についてもう一度考える。

裁判官の理屈をみると、次のようになっている。
ア)医師は医行為を行える
イ)歯科医師が医行為を行うのは違法
ウ)ガイドラインの策定は判決に影響しない
エ)ガイドラインは行政指導のようなもの
オ)実行行為は全て医行為
カ)医業とは医行為を業として行うこと
なので、17条違反、という結論である。

ここで、矛盾点を挙げてみよう。

◇矛盾点1:

判決中では、一定の制限範囲内(例えば、ガイドラインに合致するような条件下)であれば、刑法35条の正当行為に該当する場合があるといえる、としているが、その理由とは何か?
現行法体系下では「歯科医師が医行為を行うことは違法」の論理であれば、刑法35条の法令で合法と判断される理由はないのは明白で、残りの正当業務であるなら、歯科医師が行っても合法となる医行為が存在しない限り当該業務(つまり業)を正当業務ということはできない。

◇矛盾点2:

1審判決では、具体的行為の危険性の有無や侵襲度(危険の程度)に関わらず違法、指導する医師の監督下で行っても違法、と判示されていたが、高裁判決では例えばガイドラインに沿うような要件を満たせば可能な場合もある、と違いが見られる。上記ウ)及びエ)から、ガイドラインの存在によって判断に違いを生ずる理由はなく法体系に変化もないはずである。イ)とカ)が成立するのであれば1審判決のごとく行為の危険性などには無関係に違法、という結論となるであろう。矛盾点1とほぼ同じであるが、「現行法体系」で裁判官の示した結論を得ることなどできない。

整合性のある法学的説明をつけてくれることを期待したいと思います。


7)私の個人的見解

医師法、歯科医師法、保健師助産師看護師法、薬剤師法、といった現行法体系を考えてみる。救急救命士法は、これらと異なり関係は希薄であると思う。何故なら、国民側からの選択権はない(消防士や警察官を選べないのと同じく個々の救急救命士を選べない)、業務内容を法令で定めることが基本である、ということがあるからである。救急救命士の業務とは、それ以上でもなければ、それ以下でもない。極めて具体的に定めることができるのである。
しかし、医師、歯科医師、看護師等は、個々の具体的行為について法令で定めることができない。もし実行した場合には、膨大な量となってしまう、分類が極めて複雑になってしまう、等といった不利益がある。更に、法令内容にない行為を行えなくなる為に、新たな治療法などに結びつかなくなるだろう。
なので、医師法や歯科医師法などで定められている業の規定というのは、そもそも「類似営業の禁止」ということが目的であって、次条の紛らわしい名称を用いることを禁じているのも同様であろう。ヤミ金が大手銀行や既存金融機関とよく似た名称で債務者を釣り上げようとしていたのと同じようなものである。大正時代から医療類似行為があって裁判で問題とされてきたのであり、医師ではないにも関わらず怪しげな療法などの施術を行っていた実態が昔からあったのである。

そういうことから、基本的には医療類似行為による健康被害や正当な医療を受ける機会喪失等から一般人を守るべく、業の規定がなされているのであって、個別具体的な医療行為の禁止規定を意味するものではないであろう。業の規定からだけでは細かい規定を定めることができないので、行政側が疑義を生じた行為については、適宜「行政解釈を与える」という対応を行ってきたものである。行政の通知・通達・ガイドライン等が法令ではないことはそのとおりであって、裁判所が言うところの「所謂行政指導」みたいなものであるが、実質的にはこの行政解釈が優先されて医療業務は行われてきたのである。現行法体系では、「行政解釈」すなわち通知等がなければ、業務範囲を定めることは困難であり、行政指導でしかない通知等によって実質的に法的拘束を受けてきたのである。現に本判決中においても、ガイドラインに沿うというような制限下であれば、違法ではないと考えられる場合はある、という具合に、「行政指導でしかないガイドライン」に拘束されているではありませんか(笑)。

これが現行法体系の実態である。

既に書いたが、本判決の理屈からは看護師の「静脈注射」が合法で、「内診行為」が違法と判断できる理由はない。看護師に内診行為を行わせたという事件を、検察が起訴する理由を説明できない。また、医師が抜歯可能とする行政解釈についても、現行法体系と相容れないということになるであろう。

本件被告人が起訴されたのはガイドライン策定前であって、確かに裁判官の目から見ればガイドラインから外れている、ということがあったにせよ、それは行政側の落ち度であって、研修指導をしていた医師にあるのではない。事実、当時既に全国の数十という施設において研修は行われており、どのような指導方法を取るべきか、どういった範囲までなら許されるか、といった細かい検討はどこの部分においてもなされてきておらず、端的にいえば「現場任せ」で医師側の善意にのみ基づいて研修が行われてきたのであろう。この研修のさせ方に問題があったとして、これに刑事責任を負わせることの意味が判らない。何故救急救命士の研修では、指導に当たった医師のみならず行為者である消防官とか研修依頼をした消防関係者たちが起訴されずに済んだのか?検察のロジックでは、全員共謀共同正犯ではないか(笑)。彼らを起訴してくれ、とか言ってるのではないですよ。しかし、総務省消防庁の管轄で、それなりの政治力が発揮されるだろうが、本件はそういうのもないただの個人だ、ということ。


最後にもう一つ。
裁判官には絶対的な権限があり、誰が何と言おうと「お前の意見は採用できない」と何の正当性もなく断る権利を持っている。たとえ裁判官の言う理屈が間違っていようとも、「採用できない、何故なら…」と語る権利を持っている。素人が見ても間違っていることが判る程度の理屈であっても、だ。
権利侵害などという言葉は、裁判を受ける側にとっては無意味である。受ける側に裁判官の拒否権などないからである。恐るべし。

「医行為とは、当該行為を行うにあたり、医師の医学的判断および技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼすおそれのある一切の行為」
文脈ではなく、この文言のみに依拠する判断しかできない人々の気が知れない。
ならば、裁判官は立法できるということか?
唯一、ポイントとなるのは「医師の」という部分だけであり、この一文を金科玉条のように扱い、これをもって違法の根拠となせるのであれば、もとから条文は不要である。


屁理屈を言うだけなら、私にでもできるよ。

これは明らかに、裁判事務心得の4条違反だ。

○裁判事務心得 第四条  
一裁判官ノ裁判シタル言渡ヲ以テ将来ニ例行スル一般ノ定規トスルコトヲ得ス

反論できる?
(笑)



市立札幌病院事件9

2008年03月22日 19時19分56秒 | 法と医療
初期の頃に書いていたシリーズですが、判例Watchさんのところで高裁判決が出ていたので、また書いてみたいと思います。

これまでの経過:(前の記事は5の記事中にリンクがあります)

市立札幌病院事件5

市立札幌病院事件6

市立札幌病院事件7

市立札幌病院事件8


私は元々法学とか判決には何らの興味もありませんでした。何となく「そういうもんかな」としか思ってませんでした。裁判員制度についても同様です(笑)。しかし、よくよく見ていくと、実は重要な問題が隠されていました。それは、行政側の姿勢(法の解釈、運用等)とか、検察官や裁判官の実態、弁護士の能力、といった日本の法制度を支える人々のことを知るきっかけとなりました。医療裁判への興味を持つに至ったのも、この事件を知ったからでした。実は、様々な判決をよく見てみるということがとても大切なのだ、ということを学びました。これまでにも書いたことがありますが、判決をよく検討するということは専門の人たちがやっている場合もありますが、必ずしも十分ではないということを知ったのです。

前置きが長くなりましたが、本判決について検討してみたいと思います。
判決文を読んだ率直な感想としては、「これが日本の司法なのか」ということでした。大きな落胆と司法への信頼性が揺らぐ思いがしました。この前、『それでもボクはやってない』という映画が放映されていたので観たのですが、この映画と同じく司法水準の信頼性に疑念を抱かざるを得ませんでした。


1)本判決における重大な疑義

判決文はこちら>平成15(う)179医師法違反被告事件
(いつも利用させていただき有難うございます>判例Watch殿)

①ガイドラインはいわば行政指導

まず、以下の記述について。

『医師法と歯科医師法によって医師と歯科医師の資格を厳格に峻別している現行の法体系がいわば行政指導ともいうべきガイドラインによって変容されることはあり得ず、ガイドラインが歯科医師に医行為を行う資格を与えたものでないことも当然であって、このことは、ガイドライン自体に「研修といえども医療行為を伴う場合には、法令を遵守しながら適切に実施する必要がある。特に歯科及び歯科口腔外科疾患以外の患者に対する行為では、慎重な取扱いを期すべきである。」と規定されていることからも明らかである。そうすると、本件各行為は、すでに認定・説示したとおり社会的相当性が認められず、違法性が阻却されないからガイドラインの策定によってこの結論が左右されることはない。』

なるほど、ガイドラインというのは行政指導のようなものであるので、法令ではないのであるから判断(判決)を変容するものでは有り得ず、医師法及び歯科医師法という法令から刑事責任を問うべきものである、という立場なのでありましょう。これは検察側主張でも同旨であったものと思います。通知、通達やガイドラインというのは「あくまで行政指導のようなものである」ということは、同意できるものです。そうであるなら、そもそも刑事責任を問う場合には、「行政解釈を基礎として立論できるものではない」ということを自ら肯定しているものと考えられます。すなわち検察は、医師法及び歯科医師法等法令の条文から本件被告人は「医師法17条違反」であることを立論できねばなりません。判決においても、それが明確に判示されて当然です。では、それが達成されていたかといえば、到底そのようには思われません(後述します)。

②救急救命士の業務に関する誤認

更に疑問なのは次の記述です。

『しかし、救急救命士は、救急救命士法、省令等によって一定の限度で薬剤を用いた静脈路確保のための輸液や気管挿管等の救急救命処置を行うことが認められており(同法43条、44条)、また、看護師についても保健師助産師看護師法等により医師の診療の補助ができるほか、医師の指示があれば医行為(救命救急医行為を含む)をすることが認められている(同法5条、37条)。このように救急救命士も看護師も一定の限度で医科の現場における救命救急医行為を行うことが法令によって許容されており、そのための法律上の資格を与えられているのであって、この点が医科の現場において、医行為を行う資格を持たない歯科医師と大きく異なる。したがって、一定の限度で、救急救命士が気管挿管を、看護師が静脈注射等を、それぞれ自ら行えるからといって、医科救命救急部門における歯科医師の研修行為をこれと同列に論じることはできない。』

これが日本の高裁レベルの判決なのだろうか。日本の裁判官というのは、複数で検討しているにも関わらず、こうした判決を書くものなのであろうか。これを重大な過失として刑事責任を負わされることなどないであろうから、こうした判決文を書くことが許されると考えているのかもしれない。

判決中で述べられている救急救命士業務を要約すると、次の通り。
一定限度で
・薬剤を用いた静脈路確保の為の輸液
・気管挿管等の救急救命処置
は認められる。根拠は救急救命士法43条、44条。

この問題については、かつて取り上げた>救急救命士の気管内挿管事件

裁判官に誤認があると思われます。救急救命士法は改正されたのであって、本件起訴時点では救急救命士は「気管挿管は違法行為」でした。輸液は可能でしたが、薬剤投与は違法でした。

気管挿管が認められたのは、本件裁判が問題となって以降です。

医政発第0323001号 救急救命士の気管内チューブによる気道確保の実施について

書かれている内容では、平成16年3月23日通知、平成16年厚生労働省告示第121号、平成16年7月1日から適用、ということになっており、本件起訴時点では違法行為であったのは明白です。厚生労働省告示においては気管内チューブは認められておらず、マスク類だけが許されていたに過ぎません。変更されたのは秋田の事件が報道されて以降のことです。

医政発第0310001号 救急救命士の薬剤(エピネフリン)投与の実施について

薬剤投与についても、平成17年3月10日厚生労働省令第26号、平成17年3月10日厚生労働省告示第65号、平成18年4月1日より施行、となっており、変更は後日なされたものです。

当初、救急救命士の許容されていた業務というのは限定的でした。起訴時点での法令を考えることなく、後日改変された条文をもって違法ではなかった、という判示を許されるのが日本の裁判所なのでしょうか。それとも本判決文を書いている時点で法改正によって合法となっていれば、過去に遡及して「合法」と判示する合理的理由を有しているのでありましょうか。
これについて法学上の説明が不可能であろうはずもなく、是非裁判所においてはその論理を提示されたい。説明なき場合には、日本の高裁判事のレベルというものがこの程度に過ぎないということの立証となりましょう。

③看護師の業務について

これについても疑義がある。
判決の如く、看護師には『医師の診療の補助ができるほか、医師の指示があれば医行為(救命救急医行為を含む)をすることが認められている』ということは肯定される。法37条は次のとおり。

○保健師助産師看護師法 第三十七条

保健師、助産師、看護師又は准看護師は、主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合を除くほか、診療機械を使用し、医薬品を授与し、医薬品について指示をしその他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。ただし、臨時応急の手当をし、又は助産師がへその緒を切り、浣腸を施しその他助産師の業務に当然に付随する行為をする場合は、この限りでない。

本条文を読めば明らかなように、指示主体は「医師又は歯科医師」であって、両主体には法令上の差が存在しない。看護師が行える行為は「医師又は歯科医師」の行える行為を超えるものではなく、法的にそれが許容されていることを示す根拠は存在しない。裁判官には「看護師は行ってよいが、歯科医師は行えない」という業務が存在している、という勘違いか偏見が存在しているものと思われる。それは誤認であって、看護師は歯科医師の行える行為以上の行為を行うことが法的に許容されていると解する根拠はない。「臨時応急の手当」についても、歯科医師が法的に行えない行為について、看護師が行為を許容されていることを示すものではない。

更に、歯科医師は看護師に指示をするばかりではなく、看護師の行為についてこれを行うことは法的に許容されるものと解される。

○保健師助産師看護師法 第三十一条

看護師でない者は、第五条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法 又は歯科医師法 (昭和二十三年法律第二百二号)の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。

この条文にあるように、法5条には除外規定があるのであって、法5条及び37条をもって「看護師には可能な医行為であり、かつ、歯科医師には不可能な医行為」なる解釈を登場させるのは誤りと考えられる。

判決文を再掲する。
『このように救急救命士も看護師も一定の限度で医科の現場における救命救急医行為を行うことが法令によって許容されており、そのための法律上の資格を与えられているのであって、この点が医科の現場において、医行為を行う資格を持たない歯科医師と大きく異なる。』

基本的論点として、
◎歯科医師は、医科の現場において、医行為を行う資格を持たない
という事実を裁判官が法令から論証しているとは思われない。
このことを単なる既成事実として取り扱っているだけであり、どの条文からこの事実が導き出されているのかは不明なままである。

仮に、裁判官の説示を採用するとなれば、37条規定から看護師は医師の指示があれば「医行為」を行えるのであって、すると、過去に幾度も問題とされた内診行為は指示があれば合法であるとする結論となろう。裁判官の説示や条文だけからは、看護師の可能な医行為として「静脈注射」はよいが、「内診行為」や「気管内挿管」は不可とする、などという峻別を行うことは不可能である、ということだ。
あたかも37条から可能な医行為を規定できるかのように述べているだけで、「静脈注射」が可能である、などという解釈はどこからも導き出すことなどできない。これも同じく、仮説を単なる既成事実として扱っているだけに過ぎないのである。


2)医行為とは何か

裁判官は「医行為」という言葉に惑わされており、これは検察官においても同様であるが、「医行為」についての重大な誤認があるといわざるを得ない。
医行為は、「医療」行為全般に係るものであるが、医師法と歯科医師法における「医業」と「歯科医業」との峻別を行う為に生み出された定義ではない。意図的に解釈を拡大しているに過ぎない。

そもそもは、医療類似の行為について営業がなされており、それを医師の行う医療との峻別する為に生み出された概念である。現代風に言えば広義には「代替医療」ということになるであろう。最高裁判決(昭和30年5月24日)によれば、『患者に対し聴診、触診、指圧等を行ない、その方法がマッサージあん摩の類に似てこれと異なり、交感神経等を刺激してその興奮状態を調整するもので、医学上の知識と技能を有しない者がみだりにこれを行なえば、生理上危険ある程度に達しているとき』となっている。医師と歯科医師の行為についての峻別を意図してはおらず、営利目的の営業であってなおかつ「医学上の知識と技能を有しない者がみだりにこれを行なえば、生理上危険ある程度に達している」行為を禁止するべきという趣旨である。

本判決でも採用されている医行為の定義については参考記事でも幾度か取り上げた。
医業と歯科医業


3)医師が抜歯するのは合法か

もしも医師法によって医行為が定義されるとするなら、歯科医師法によって「歯科医行為」が定義されることになるだろう。すると、歯科医師法17条の「歯科医師以外は歯科医業をなしてはならない」ということから、医師であってもその行為を行うことは違法と解される。医師は歯科医師ではないからである。つまり抜歯は不可能ということになるだろう。
ところが、昭和24年厚生省医務局長通知(医発第61号)においては、
「医師法第17条の「医業」と歯科医師法第十七条の「歯科医業」との関係に関し若干疑義があるようであるが、抜歯、齲蝕の治療(充填の技術に属する行為を除く)歯肉疾患の治療、歯髄炎の治療等、所謂口腔外科に属する行為は、歯科医行為であると同時に医行為でもあり、従ってこれを業とすることは、医師法第17条に掲げる「医業」に該当するので、医師であれば、右の行為を当然なし得るものと解される」
とされていた。
この解釈は現在でも生きているだろう。これが許容される理由は次のようなものである。

医業の定義に倣えば、歯科医業とは「歯科医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼすおそれのある一切の行為」に該当するものと考えられ、歯科医師法17条から、一般にこれら行為は歯科医師以外には行うことができない、ということになろう。しかしながら、医師は歯科医業に関する医学的知識や技術を習得しているものと考えられるので行為の違法性はないということである。「人体に対する医療行為の一部」であることと、医師がそうした歯科に関する医学知識や技術等を習得している、という前提に立っていると考えられるのである。それら習得機会は医学教育の中にあるものであり、それ故「抜歯に必要な医学的判断及び技術」を有しているであろうことが推認されるので、医師が行う抜歯は禁止行為ではない、と考えられうるのだろう。

医師法及び歯科医師法の17条規定からは、医師が行う抜歯が医行為或いは医業と解する法的理由は窺われない。本来的な立法主旨を想像するに、17条規定とは「(営利目的のような)類似営業を禁止」する条文なのであって、医療全般の行為について医行為と歯科医行為を峻別する為に設けられたものではないと考えるのが相当である。たとえば、歯科医師であるにも関わらず、「治療法Xを実施すれば、肝臓がよくなります」といった類似行為による業(営業)を禁じるものである。
過去の「医行為」が判示された判例でも、歯科医師による行為が問われたのではなく、医師や歯科医師以外が行った営利目的の営業行為について、それが医行為に該当するか否かが問われたのみである。

本判決で示された理屈を用いて簡単に書けば、次のようになる。
要件1:医科の現場において
要件2:歯科医師が行う気管内挿管は違法
歯科医師は気管内挿管という行為を行えるが、あくまで歯科医業の中においてであって、要件1があれば違法という解釈なのであろう。

これは同様に
要件1´:歯科の現場において
要件2´:医師が行う抜歯は違法
ということが成立するだろう。
医師は本来「歯科医行為」を行う資格を有さないからである。また、「抜歯は医行為である」とする根拠規定は医師法及び歯科医師法には存在していない。
口腔外科の教授とかが医師免許のみ有する場合、こうした事例に該当することになるだろう。行政解釈で合法というのはあくまで行政指導の一部でしかないのであるから、本判決の解釈が優先される、と裁判官は主張することだろう。すなわち「歯科の現場において、医師が抜歯を行うことは違法」という解釈を成立させるだろう、ということ。


4)歯科医師には一定の医療行為を行うことが許容されている

少なくとも、歯科医師が行う歯科医業にある医療行為は違法ではない。例えば、歯科医師が行う静脈注射、採血、輸液、気管内挿管等、一般には医行為と認識されうる行為であっても、行為自体は歯科医業の一部に過ぎない。単に「歯科医師が行う医療行為」というだけである。また、看護師が「臨時応急の手当」の業務を法的に認められているからといって、歯科医師が行える行為の全て若しくは範囲を超える行為についてまで看護師が許容されているものではない。具体的には、看護師は気管内挿管はできないし、単独でエピネフリン投与も不可能である。歯科医師はこれら行為を行うことができる。

薬剤投与や調剤についても、歯科医師には薬剤師が医科で行う行為と同等の行為を許容されており、禁止行為を規定する条文は存在していない。指示主体としての歯科医師は、法令上では医師と同等である。

これらが法的に許容されている背景には、歯科医師が業務を遂行するに必要な「医学的知識や技術」を習得していることが前提としてあり、その根拠とは、歯科医学教育の中で「基礎的な医学」を習得している、ということである。医師が抜歯を法的に許容されるのと同じく、歯科医師には例えば看護師が行う「臨時応急の手当」と同等か若しくはそれ以上の行為ができるものとして考えられている。基礎医学や一般臨床医学の教授を受けるのはその為であると考えられる(たとえば内科学、外科学、脳外科学、産婦人科学、等々の臨床科目について習得する)。

歯科医師が禁止されるべきは、医師が行うべき医療行為を業としてなすことであって、歯科医師が実質的にそれと同じ医療行為を行ってはならない、とする法的根拠はない。どの程度までの医療行為を歯科医師が行うのか、ということは歯科医療と歯科医師に委ねられているのであって、たとえば歯科医師が帝王切開を実施するということは有り得ないが、異常高血圧症状が見られた患者に対して降圧剤を静注することが法的に禁止されることを意味するものではない。
後者の行為は、たとえ法37条規定があろうとも、看護師が単独で行うことを許されているとは解されない。

医師及び歯科医師については、これら薬剤師や看護師の業務を遂行することが法的に許容されており、その前提としては、当該「医学的知識や技術の習得」を課せられているからであり、ここでいう医学とは「歯科医学」と一般医科でいう「医学」を区分するものではなく、「広義の医学」(一般医学、歯学、薬理学等を含む)ということに他ならない。医師や歯科医師は「広義の医学」について体系的教育を受け知識や技術の習得を経たものである、ということから、薬剤師や看護師が行う行為については禁止行為とされていないと解するべきである。

こうした広義の医学全般について体系的教育を受けていない者が行う医療類似の行為について、これを峻別するべく定義された「医行為」という概念から、歯科医師の禁止行為について判断する根拠となす事自体に誤りがあるというべきである。


長くなったので、続きは次の記事で。



新銀行東京に学ぶ経済学~その4

2008年03月20日 18時20分41秒 | 経済関連
これまでの続きです。

新銀行東京に学ぶ経済学(笑)

新銀行東京に学ぶ経済学~その2

新銀行東京に学ぶ経済学~その3(色々追加)


1)木村剛氏の主張

新銀行東京の処理問題を考える前に、大変貴重なご意見(笑)を拝見したので紹介しよう。

週刊!木村剛 powered by ココログ 週刊!スモールビジネス 「つながり力」で中小企業は助かるのか?

(一部引用)

福田首相は、「私は日本人の力を信じています。日本人は、目前に困難があろうとも、必ずや未来を切り拓く、その力があると確信しています」と施政方針演説の最後の最後で訴えたが、貸金業法の改悪などという「人災」を起こし、中小企業のカネ回りを悪くさせた張本人が言うべき台詞ではない。
 現在起こっている中小企業の資金難は、誤った政策によって引き起こされたものである。中小企業による経営失敗に起因するものではない。
 まずは、貸金業法の改悪を是正し、中小企業の資金繰りが正常化してから、「日本人の力」を確信してもらいたいものだ。目先のおカネが回らない状況で、内容不明の「つながり力」が力を発揮できるわけがない。

=====

日本振興銀行元社長の木村剛氏の言い分です。いかがでしょうか?
これまで書いてきたように、新銀行東京と日本振興銀行は似たところが多いわけです。中小企業に高金利帯で貸す、というところです。

私の理解の範囲で木村氏の主張を手短に書けば、こんな感じです。

・中小企業は資金難
・誤った政策が原因
・その政策とは貸金業法改悪という人災
・貸金業法改悪是正で資金繰り正常化

キモになるのは、貸金業法改悪(笑)という人災によって、ノンバンクが貸さなくなり資金繰りが悪化した、ということです。ここで、誰しも思う疑問というのを書いてみましょうか?

◎「ノンバンクが貸さない」のであれば、他の誰かが貸せばいいのではありませんか?

通り一遍の主張では、「他の誰か」がヤミ金ってことになってしまう、というものです。池田信夫氏をはじめ、経済学信奉者たちや産経新聞の主張とかがそうでした。

ならば、日本振興銀行とか新銀行東京とかが貸せばいいのではありませんか、って話ですな(笑)。その為にこれら銀行を作ったんでしょ?ノンバンクが貸せなくなったのであれば、ノンバンクよりもコスト率の低い両銀行が貸す相手が増えており、ビジネスチャンスが「確実に広がっている」ということですよ。何故貸さないのでしょうか?って話だな。競合相手が減ったんですよ?そうでしょ?ならば、貸し手を求めている中小企業は残ったままで、貸し手だけが撤退していったのであるから、そこに日本振興銀行や新銀行東京が取って代わればいいだけではないか。何故それができないのか?
産経新聞も「新銀行東京が貸せ」と書いてあげればいいだけなのに(笑)。

これまでのシリーズ記事で書いてきたように、銀行への返済に回す為に貸金から資金調達させてきたのが実態、ということであれば、最後の貸し手となっている貸金が手を引けば新銀行東京のようにババを引かされる、ということになるだろう。そうはなりたくないから、貸せないのではないか?

貸し手減少で中小企業の資金繰りが悪化しているのであれば、銀行が貸せば済む話だろ。銀行貸出は何の為にあるんですか?(笑)貸金業法改正という天恵ではないか。ビッグチャンス到来ではないか。それなのに、何故貸さないのか?
理由は簡単だ。
「貸倒になるから」
だろ?

返済できる中小企業が貸し手不足で資金繰りに困っているんだ、返せるのに借りられないんだ、と散々主張してきたのであるから、「貸倒にはならない(だろう)」のであれば、貸せばいいだけだ。しかも金利が高いのは関係ないのであろう?貸倒になるわけじゃないのに、何故貸せないの?(笑)

貸せるのに貸さない、貸し手が減って借り手が困ってるのに貸さない、って、どう考えても変じゃないか?
何の為に銀行貸出があるのだ?その為の銀行なんじゃないの?

笑える。
いかに都合よく経済学だか銀行経営だかの理屈を用いているか、ということだな。そういう御託を並べる前に、実際貸せばいいだけなんだから。しかも、日本振興銀行や新銀行東京にとっては、思いもよらなかった大チャンスなのに、だ。

ある中小企業Xに貸すとしよう。ノンバンクがこれまで15%の貸出金利で貸していたのであれば、貸倒リスクは変わらないから、銀行も同じ金利で貸せる。違いはコスト率だけ。通常はノンバンクの方がコスト率が高く仮に10%だったとすると、銀行はこれよりも7~8%程度低いコスト率なので同じ15%の貸出金利を適用しても(借り手にとって返済負担は同じ)、銀行の方がべら棒に儲けが大きくなる。貸し手競争の優位を保つ為に、貸出金利を引下げ12%を適用したとしても、コスト率3%を引いた残り9%分は儲けになる。貸倒が3%発生したとしても、貸出残高の6%分を儲けることが可能になる、ということだ。こんなウマイ話が転がっているのに、何故貸さないのか(笑)。不思議でしょうがないよ。
こういうのを実行してから、屁理屈を言って欲しいものだね。それなのに、貸し手が減ってる、減ってるって騒いでいるんだな。日本振興銀行や新銀行東京には、貸出に回していない金が預金残高の半分以上もあるのにね(笑)。利回り6%の儲け話よりも、1%台の国債の方が儲かるんだ、ってことですか?自らの主張や理屈の正しさを実証する良い機会なのにね。国債を大量に買って抱え込んでないで、貸出に回せばいいだけだ。それをやれば、貸し手不足の一部を補えるでしょう?なんでやらんの?(笑)

これが日本振興銀行と木村剛氏のいう「中小企業融資」の実態ということだ。


2)無担保融資撤退と存在意義

新銀行東京は無担保融資を止めるつもりなのだそうだ。

NIKKEI NET(日経ネット):新銀行東京、無担保・無保証融資を廃止

これも甚だ疑問なんですよね。だったら、新銀行東京という銀行そのものが不要ということでしょう。差別化が図れなければ、存在価値は殆どないだろう。多分、「規模の不経済」が着実に効いてくるだけだろう。特徴を失った銀行が、融資で比較優位に立てるようになれるとは思われない。存続させたいのであれば、他の銀行にはない特徴を残すのは当然ということ。

そもそも融資の面において、銀行というのは貸金やノンバンク等に比べて何が違うか、ということがある。銀行には参入障壁があり、銀行という「看板」で信頼(社会的信用)を得ることができる、ということになるかな。この障壁のあるお陰で、資金調達コストは下がるだろう。看板をもらうコストが大きいが、一度もらってしまえばノンバンクや貸金などよりも資金調達コストが低くできる、というメリットがある。通常の大手銀行では、預金とか定期預金などで集めることになるが、資金規模が大きく調達コストは低く抑えることができるだろう。その為にノンバンクなどに比べると貸出金利を低く抑えることが可能になる、ということだ。コスト率が低いからだ。貸倒リスクの高さ故の違いということが全てではないだろう(参考記事1)。

新銀行東京(や日本振興銀行)は、銀行という免許をもらうことで、この看板で人々から金を安く調達できる権利を手に入れたということになる。普通の貸金なんかでは同じ資金コストで借入することは難しいのだ。そのメリットを活かして、他の銀行があまり手を出したがらない無担保融資や小規模融資を手がけ、貸出金利を高目に設定しておいたとしても、そのこと自体に何か問題があるわけではない。しかし、こうした他と違う貸出を止めるとなれば、新銀行東京の存在する意味をどのように説明できるのか、という問題が持ち上がるだろう。

それと、何度も言うようだが、新銀行東京の撤退によって、これまで新銀行東京が扱ってきた貸出市場の消滅危機に直面する、ということではないか。日本振興銀行が代替となれば、それで問題はないかもしれないが(笑)。


3)貸出モデルと貸し手競争

貸金業法改正前に、金融庁の懇談会メンバー(特に学者や弁護士)が貸金のスコアリングモデルを知らないことを厳しく非難していた人たちを見かけましたが、どうやらスコアリングモデルにも落とし穴があるようで。これは米国のサブプライムローン問題でも同じようなものだ。

新銀行東京:金融庁の指摘を無視 融資自動審査に依存 - 毎日jp毎日新聞

(一部引用)

関係者などによると、新銀行東京は05年4月に開業し、06年9月中間決算で約154億円の赤字を計上した。貸出先の業績悪化で焦げ付きが多発し、当初計画を54億円も上回った。この状況を見た金融庁は同12月、銀行法に基づいて、同行に対し業務報告を求めた。

同行は、主力に位置づける中小企業向けの無担保・無保証融資で自動審査を採用。決算書の数字を基にコンピューターが判断するシステムで「スコアリングモデル」と呼ばれる。しかし、顧客との人間関係が希薄になるため、金融庁は再三「決算書だけでは信用できないので見直した方がいい」と指摘した。これに対し、当時の経営陣は「精度を上げていくから大丈夫」と、事実上、無視した。

=====


別にスコアリングモデルが悪いとか、間違ってるとか、そういうことを言ってるのではないですよ。ただ、上限金利規制反対派たちの中には、「貸金ではスコアリングモデルで貸しているのだから、貸出金利は適正だ」というような主張をしていた人がいたんですよ。金利水準の適・不適の判断については、スコアリングモデルがその裏付けとならないかもしれない、ということは憶えておくべきかもね。スコアリングモデルの信頼性が高く、貸出審査や金利設定がより正確であれば、新銀行東京のような事態に陥ることはなかったであろう(笑)。理論で正しければ、それが現実に通用するのか、というと、必ずしもそうとも言えない、ということかもしれない。「その程度のもの」なのだ、という発想をするのではなく、「~モデルを用いているのだ、だから正しい」という意見に結び付けようとする姿勢に問題があるように思われる。新銀行東京の旧経営陣が嵌った罠と似ているかもしれない。

また、サブプライムローン問題では、貸し手側がスコアリングを改竄したり、貸出増の為に利用してしまうこともある、ということがあったようなので、借り手側が正しい数字を出さない(情報を隠す)という点と、貸し手側が営業成績向上の為に悪用することが起こり得るという点があることに留意しなければならないだろう。情報の非対称ばかりではなく、貸し手側要因にもなっている、ということだ。


サブプライムローン問題でも、新銀行東京の問題でも、貸金業界の問題でも共通しているのは、貸し手側競争である。途上国のマイクロファイナンスでも一部当てはまるだろう。
参考>信用のこと~何故途上国では貸出金利が高いのか

貸し手側は他の人よりも先んじてどんどん貸していきたい、という欲望がある。貸金の貸し込みが成立していたのも同じく、貸せば儲かるという見通しがあるからである。これはヤミ金でも同様。貸し手側の競争が行き過ぎると、「ずさん融資」(by 産経新聞)を生じてくることになりやすいのだろう。スコアリングモデルを用いていたから審査が甘くなる、ということではないのである。単純に言えば、「融資を拡大すると儲かる」ということであり、そうした主観的評価が優位であると貸出規律は崩れる可能性があるのではないか。

新銀行東京が苦境に立たされたのは、
・他の銀行が既に貸してるので、健全な借り手を捜すのが困難
・融資残高を増やさないと収益にならないので融資拡大は必須
・融資拡大を達成した行員には成果報酬
・経営陣はマスタープランを何としても達成したいという動機がある
という複合的要因があって、勢い審査が甘くなり(借り手側情報を鵜呑みにする等)「ずさん融資」を招いたものと考えられる。

そして決定的となったのは貸倒増加であり、シリーズ記事で書いてきたように、貸金業者の撤退(=貸金業法改正による)ということが影響しているであろうと思われる。
予想通りの結果だな>貸金業の上限金利問題~その12

新銀行東京や日本振興銀行はこれまで「最後の貸出業者」にならずに済んできたのだろうが、貸金の審査厳格化や弱小の貸し込み業者撤退などによって、「最後の貸出業者」となってしまったのだ。だからこそ、大前氏が書いていたように「カモられる」結果を招いたのだ。貸出モデルの不備だけではないのだ。

新銀行東京の責任は何処に、効率経営とスコアリング・モデル - ビジネススタイル - nikkei BPnet

この中でCRDデータの話も出ていたが、これも既に取り上げた話だ。
今度はGRIPSかよ~貸金業の話

データ蓄積には意味があるし、モデルの向上には必要であろう。ただ、新銀行東京が過大な先行投資を行ってやるべきことか、ということになると話は別だろう。様々な利権関係などがありそうで、ここら辺は今後の検討で明らかにするべきであろう。


4)新銀行東京は不要だった

私の結論としては、はっきり不要と言える。
発想として悪いわけではないが、都が銀行を持つ必要性はなかったであろう。ATM網にしても、負担が重くなるだけ。ネット専業銀行のように、スタート時点では軽くする(=店舗等の過大な不動産投資をしない)のが望ましく、それであれば初期投資の負担は少なかっただろう。中小企業を救うつもりであれば、直接融資を手がけるばかりではなく、保証業務を行っても可能であったろう。そういう制度があれば事足りていた。審査業務には専門の人員とシステムを1箇所に置くことができれば、それで可能であっただろう。土地建物やシステム投資に回した金を、中小企業への融資や保証枠に回していた方が、設立理念に合致していたのではないか?

例えば、工場の土地建物の不動産担保で銀行借入をしていて、評価額が大幅に下がったので銀行から担保積み増しを求められている企業があるとしよう。そのキャッシュが出せない、なので借りたい、と。工場の経営は成立しているが、担保供出可能な程の金はない、と。担保が出せないとなれば、銀行は返済してくれと求めるけれど、一括で返済は無理なので工場を処分しない限り不可能だ、ということになってしまう、と。それで潰れる、と。こういう時、不足担保分を補えればいいのだから、経営が成り立っていて長期的には銀行返済可能であるなら、担保不足分を東京都が債務保証すればいいだけの話ではないかな。借り手からは、その保証料を取ればいい。バランスシート上で不動産の資産評価額が大幅に低下してはいるが、担保不足分を賄えるなら工場は営業が継続でき、返済も可能なのだから。

運転資金が必要だという場合でも、金融機関から追加融資を断られた案件を回してもらい、持続性の見込まれる企業に対して金融機関に金利保証を付けて共同融資みたいにすれば良かったのでは。銀行の普通の貸出金利が2%ならば、都が銀行に対して1%分を多く払うことで銀行はその分のリスクを許容できるようになるだろう。都は借り手からその分多く取ることになるが、借り手は2%の銀行貸出を断られる代わりに、3%分の金利を払うことで借入可能になる、ということになるわけですから。金融機関と都がリスクを分担すれば、少ない支出で多くの借入枠を増やすことができたのではなかろうか、ということだ。持続可能性は審査が難しいのは確かなのだが、過去の都税?とか都法人税、国民健康保険の納入状況などから判断できる部分もあったのでは。大抵の真面目な事業者は、こうした「お上に払うお金」をキッチリ払おうとするからだ。逆に資金繰りに行き詰ることが多ければ、まず真っ先に払うのを止めるだろうからだ(取立てはないだろうから)。中には都税の滞納で差押えられている人もいるが、ほんのごく一部に過ぎないし。


5)今後の処理について

処理するとして、顧客に支払を約束している費用は、定期預金残高5000億円の1.2%として、60億円だ。
口座はネット銀行でも欲しがる業者はいるのではないかと思えるが。一括でもいいし、分割でもいいので引き取ってもらえばいい。

債権は売るしかない。日本振興銀行なら大喜びで買ってくれるのでは(笑)。融資残高比率は4割くらいなので、3000億円くらいは有価証券の処分で賄える。
貸出2200億円として、約2000億円は正常債権だそうだから、買取価格を8割として1600億円、残り200億円はほぼ諦め?だけど買取価格10%として20億円、合計1620億円は回収される。この損失580億円+支払利息60億円として640億円くらいの処理費用がかかる。

継続した場合には、追加投入する400億円の他に運営経費、新たに発生する貸倒など、別な費用が結局かかることになるので、将来時点で清算する方が損失額は大きくなることが予想されるだろう。赤字が垂れ流されていく時間の支出が大きいだけだろう。都が出した1000億円とか清算費用とかはパアになる、ということ。都債の利払い費もね(笑)。資金総額規模を大幅に縮小しよう、という計画の時点で、挽回の可能性はほぼ絶望的だろう。

日本振興銀行に売れば?定期預金が1000億円を超えたからと、張り切って日経記事に流すくらいなのに、新銀行東京は資金規模5000億円を数百億円に削ろう、って話ですからね。羨ましくて泣いてるよ、きっと(笑)。

買い手が付くなら、売った方がマシだと思うけど。


痛いのはしょうがない、という人々

2008年03月19日 22時45分21秒 | 経済関連
えー、日本経済の先行きは心配の種は尽きないわけですが、それでも70円まで介入する必要なし、などという元財務官である榊原早大教授みたいな方もいるわけです。

no pain,no gain

という歌のタイトルだったか、歌詞を思い出すわけですが、誰が歌っていたかは忘れました。
痛いのはしょうがない、と。痛みに耐えよ、ということを求めるのは、大抵は自分が安泰の地位を手に入れている人なのではないかと思わないでもありません(笑)。

ドル安については、こんな記事がありました。

ドル安の進行、高まる米赤字ファンディングへのリスク Reuters

(一部引用)

リューシュ・インターナショナル(ワシントン)のマーケットアナリスト、オマー・エジナー氏は、そうした状況を主な懸念要因の一つとし、「ドル売りが、外国人投資家が大半のポジションを手仕舞う域に達すれば、ファンディグ問題が生じる」と述べている。

経済学者は、双子の赤字拡大は、貯蓄よりも消費に向かう米消費者の性向を反映し、米経済の問題を深刻化させる根本的要因と指摘する。

 (中略)

ドル安は原油高の要因ともなっている。

 「危険な均衡化の動き」と言うメイヤーズ・アソシエーツの最高投資ストラテジスト、アンドリュー・ベコフ氏は「消費者をリセッションモードに陥らせないようにするよりも、リセッションモードから脱却させる方がはるかに難しい。FRBも目先、これがインフレリスクよりも重大な問題だと考えている」と述べた。

 FRBが政策の軸足をインフレ抑制から成長に移し、政策金利を引き下げることは、米国資産の魅力を低下させることにもなり、海外投資家によるファンディング途絶のリスクを高める。

 しかし、外為投資家はまだ完全にドルを見限っていない。そうした立場の一人、スイス再保険(ニューヨーク)のチーフ米国エコノミスト、クルト・カール氏は「米国がファンディング問題を抱えるなら、米国債利回りが大幅に上昇するはずだが、実際の動きは逆だ」と指摘。簡単に方針転換しない海外投資家が、大量の資金を米の長期資産に投じている、と述べている。

=====

非常に大雑把にまとめると、次のような論点が挙がっています。

・双子(経常、財政)の赤字問題
・ドル売りが続くとファンディング問題も?
・原油高要因となる
・リセッションモードの予防よりも脱却の方がはるかに困難
・利下げはファンディング途絶リスクを高める
・現状では米国債利回りが低下しており問題の顕在化はない

これらは、これまで書いた論点と大体同じかな、と思います。
中の人が、そうした認識を持っていることが確認できて、ちょっと嬉しいです(笑)。

アメリカの「悪魔的手法」とは何か

心臓には腎臓を救えない(笑)


私が何故為替介入せよ、というのか、ということを書いておきます。

基本的な考え方としてはコレ>「強い円」支持派は大喜び?

この頃にはまだドル円は100円を切っていなかった。株価も日米とも今よりずっと高い水準だった。だから、調節余力はあるだろう、と考えていました。しかし、その後の変化を見ていくと、これは介入すべきだろう、という兆候を感じ取ったので、介入せよ、と書いたわけです。

世界に拡散する伝染病、「不安」

変化の仕方はその時々で色々あるだろう。必ずしも介入とかの「人為的な何か」が必要なわけではない。それは、感じられる「痛み」の程度問題ではないかと思うからだ。しかし、「痛み」が確実に酷くなり、断固として鎮痛が必要であろう、と考える時には、迷わず手を打つべきだ、という思っている。「no pain,no gain」では済まされない、と思うからだ。まあ、痛みの感受性は異なるだろうし、定量的には判らないから、pain control が難しいものである、ということは同意できるのだけれども。

何もせずに放置して「痛いのはしょうがない、我慢しろ」とか言ってる人たちは、自分が実際に手術とかをした時にも「術後痛は病気ではない、原疾患ではないのだから耐えろ」と言われてもきっと我慢できることでしょう(笑)。これが本当に望ましいと思いますか?痛みが患者の状況を悪化させないと思いますか?


余計な介入をすることが望ましいのではない。だが、痛みが強まっていくとか、痛みが悪影響を及ぼすと考えられれば、鎮痛をするのが状態悪化を未然に防ぐことになるのだ。なので、100円割れ水準ではドル買いの為替介入を行って、投機筋の行き過ぎにブレーキをかけることが必要と考えた。介入が来るかもしれない、という予断があるなら、投機筋の仕掛けも鈍るだろう。言ってみれば、ドル円が105円は耐えうる痛みかもしれないが、95円は十分痛いだろう、ということだ。だからこそ介入すべき、と言ったのである。

それに、単にドル買いだけしろと言ってるのでもなく、ドル買い以外に米国債売りとか先物市場での売りとか、別な手法を組み合わせて行うことで、米国の利下げに伴う弊害を緩和する効果が得られるかもしれないのだから。米国で政策金利を上げ下げするだけでは、そういう違った効果を与えることはできないのだから。

随分昔にも似たようなことを書いた。
コレ>金融調節の雑感

単一の薬だけを用いると、その弊害が顕在化して上手く調節できない場合はある。が、敢えて効果の一部を打ち消すとか、全く逆の効果を持つ薬を使うことで、バランスを取り得るのである。


なので、痛みが酷くなってきそう(環境変化が大きくなりそう)なら、
『緩和する為に、pain control をせよ』
ということ。
痛みは我慢できるはずだ、だから我慢すべし、という発想は違うのでは、ということ。程度問題なのだ。




日銀総裁人事案についての提案・さらに補足

2008年03月19日 11時33分26秒 | 政治って?
もうどうにでもなれ、とか思いますけれども、日本の恥を世界にアピールできたことは間違いないでしょう。
これまで、白川、西村両副総裁が選ばれてきたわけですが、言うなれば「日銀セントラルドグマ護持派」かそれに近い立場の人と思われているでありましょう。

参考記事:
日銀総裁人事案についての提案

日銀総裁人事案についての提案・補足


これから打診される人はちょっと可哀想ですね。こうなってしまっては、しょうがないんですけれども。

一応、元財務官なのに何故私が黒田さんや河合さんならば賛成するか、というワケを書いておきましょう。それは、両氏について以前に記事に書いたことがあります。知ってる人は知っている、と思いますけれども(笑)。

日銀「2・23事件」(追記後)


丁度2年くらい前になりますか。本当に、あーあ、の溜息ですよね。
この後のデフレ脱却失敗を見れば、日銀の「フォワード・ルッキング」(笑)は何の役にも立たないものであった、ということがよくお分かりになると思います。彼らに再三注意を促しても日銀は聞き入れず、先走ってデフレに逆戻りさせたのだよ。景気をわざと悪くして、冷やし過ぎたのだよ。だからこそ、いくつかのショックに耐えられるだけの余力が日本経済には残されていなかったのだ。

この責任を一切問われることもなく、のうのうと多額の退職金をもらってやめていくのかと思うと、許し難い感情が湧き上がるのは当然ですよ。日本国民に申し訳ない、とか、彼らはこれっぽっちも考えていないのだよ。

いかん、いかん、どうしても日銀への恨み節が出てしまいます。失礼。


それはいいとして、黒田さんと河合さんは多分今でも「穏健なインフレ」を肯定してくれるのではなかろうか、という期待があるので、賛成と申し上げました。伊藤先生は残念でしたが、否決されたので目はありません。残された人の中から、僅かでも可能性があるのであれば、日銀セントラル・ドグマとは考えを異にする方を総裁に選出してもらいたい、ということです。




Wの喜劇の続編だよ

2008年03月18日 20時20分38秒 | 俺のそれ
随分と古い話が。

wwwが意味するのはウェブか、爆笑か--20~30代のネット略語事情マーケティング - CNET Japan


遂にわたくしも「高感度人間」といいますか、時代を先取りできる人間の仲間入りができたように思えます。

これまでのご支援、ご愛顧、誠に有難うございました。この達成を持ちまして、本ブログの企画を終わりとさせていただきとうございます。長い間、本当にありが…って、違いますから!

終わりませんから!!

そうではございません。


これです、これ。1年以上前ですもん。

Wの喜劇

ホラね、私はオヤジの為、wの解釈問題について早くから気付いていたんですよ。私は未だに(笑)派だけど。でも、前にコメントで使ってみたよ。wを。
話題にのぼる1年以上前に書いていた、ということは、遂に「流行嗅ぎ分けビト」(笑)に近づいたのかも、と。時代遅れ、流行音痴の私が、ですよ?
違うか。そうだね、違うね…。


ところで、過去に何度か書いたけど、私は2ちゃんねるを利用する気にはなれない。きっと有用な部分については、誰かが要約してくれたり、別な形の記事とかに書いているだろうと思うので、わざわざ「鉱脈探しの旅」みたいな、あてのない旅に時間を使おうとも思わない。面倒だから誰かやってくれ、と。

で、この毎日とオーマイ連合との全面戦争は結局どうなったのかな?勝敗とかはないだろうし、何かの結論とかも得られてはいないだろうけど、進展とかあったのかな?

いうなれば、「マカオのオカマ」問題と同一の構造を持つ論争ですね、って、単に「マカオのオカマ」と書いてみたかっただけw。
Ghさん(←誰のことか判るかな?)の記事を読んでたら、思いついたw。




danger zone ~♪

2008年03月18日 16時39分50秒 | 政治って?
昔なつかしい話。

パッと見で似ているからといって、dankogaiとは無関係(似てないって?笑)。


昔、ブームを巻き起こした『トップ・ガン』という映画がありました。その主題歌がケニー・ロギンスの「danger zone」という歌詞だったんですよね。曲のタイトルもそうかもしれんけど(私にとっては、危険だなー、と思う時には何故かこの歌のサビが頭の中に浮かぶ不思議な曲です)。

この映画を見たら、「やっぱり男は川崎だぜ」と思ったもんです(笑)。主人公の愛用していたバイクが赤黒のニンジャシリーズだったんですよね。しかも輸出版の900ccとかだったはず、とか記憶していますが、定かではありません(当時日本国内ではフルカウルモデルのニンジャシリーズが既に投入されていたと思うけど、どうだったか)。兎にも角にも、トム・クルーズのまるで造形されたかのような、あまりのハンサムぶりに驚愕しましたよ。

映画には敵機役で「ミグ25」とか騙られて登場していたのがタイガーかなんかだったように思うが、忘れた。冷戦時代の名残だね。この映画の基本的な筋はその後にパクられて、似たような映画がいくつかあったような気がする。ま、これは別にいいか。



話は大きく変わりますが。

今の政治状況、日本経済は、まさに「danger zone」ですわ。

福田政権のダッチロール、空中分解寸前の閣内、まとまりのない自民執行部、どれをとって見ても暴落材料ということ。更には、官僚増長と大蔵閥グループの自己権益獲得としか思えない画策。

そして何よりも、指導力不足・決断力不足の福田総理。
悪材料のみが揃っていますね。


日本市場が暴落していくのと同じく、福田政権は大暴落なのだよ。

解散云々とか内閣改造ではなく、まず総裁人事をどうにかした方がよいのではないか?日銀総裁も大事だが、自民党総裁も交代させた方がいいのではないか?
読売グループが支えきれる(笑)ものでもなかろう?
それとも、福田政権と共に日本が沈没していくのを選ぶのか?倒閣運動が大々的に起こってからでは、余計に混乱するぞ?


いい加減にしてくれ。

「danger zone」をどうにか死なずに脱出させてくれる指揮官じゃなけりゃ、誰も戦えませんって。

公明党も冬柴さんを見れば判る通りに、役人の傀儡だ。
与野党間の調節機能もなく、与党内のブレーキになるでもなく、ただ「いる」ってだけ。役立たず。
福田政権を担ぎ出してきた連中は、引導を渡してくるべきだ。余りに愚鈍な為に、自分からは降りるって言わないよ、福田さんは。サミットまで持つの?3月もあと少しで終わりなんだよ?

それなのに、道路財源問題も、日銀総裁問題も、このありさまなんだよ?祝日過ぎたらすぐ週末で、週明け以降時間なんて全然ないんだよ?年度末が来ちゃうよ?

メチャクチャ。
やったことといえば、肝炎の一律救済法案を議員立法で通しただけだろ?

就任前にメディアとかで散々持ち上げていたが、舛添大臣はほぼ死に体、参院選惨敗の安倍ちゃんに絡んだネチネチ石破防衛大臣には「六甲おろし」ならぬ「UFOおろし」のバッシングでしょ?
官房長官のスマート町村も、ポスト福田を意識しすぎなのか、スマートに行きそびれて党内実力者からは鼻白まれたり苦言を呈されたりしてるし。

そうか、福 田丁 村、と、つながる感じが悪いのかも(笑)。


いずれにせよ、もうダメ。
福田政権は政治不信を招くだけ。

「監理ポスト」に逝って欲しいっす。




どうして元大蔵次官ばかり出すのか

2008年03月18日 12時42分01秒 | 政治って?
武藤さんがダメで、民主には「大蔵次官アレルギー」がありそうだ、ということが判っているのに、何でまた元大蔵次官を出してくるのかね。頭が悪いんじゃないか?

<日銀人事>総裁候補に田波国際協力銀行総裁…政府提示(毎日新聞) - Yahooニュース


財務官は必ずしも反対とは限らない、とか言っていたのに、敢えてそれを外して次官経験者を送り込む意図が判らん。

田波さんは次官を退いた後に、天下りポストがなくて「顧問」の肩書きで居残りだったのではないでしょうかね。

天下り先の政府系金融機関として非難されていたJBICの副総裁ポストに収まったらしいですが、どんなもんなんでしょうかね。結局は自民党内と官僚サイドでの「大蔵閥」連合が、どうしても無理矢理にでも「元大蔵次官」を送り込みたい、ということなんではないですかね。タスキを守りたい(駅伝か!)、というのもあるだろうし、大蔵閥には思惑が色々とあるんだろうけど、どうしてこういう人選をしてくるのかと思う。

これは民主としては賛成できんだろ。蹴るに決まってるよ。
蹴られることが判っていながら、提示する方の頭の中はどうなっているのかな。



蹂躙市場

2008年03月17日 17時57分44秒 | 俺のそれ
12600高地での惨敗、その後も敗走を続け、一方的に蹂躙される……わが小隊は完全に孤立しました。


◇◇◇


一応、「12000要塞」と呼ばれる大規模基地があったが、殆ど抵抗らしい抵抗もなく、あっさりと陥落。どこが要塞じゃ、ボケ、ということかと。

誰がこんなところで「空城の計」を使えと(笑)。
要塞というわりにはみかけ倒しで、攻撃側(売り方)が攻め込んできたら、サクッと「どうやら、もぬけの殻みたいですぜ」と要塞攻略完了、と。
12000円を割り込むのは、瞬殺!同然だったようだ。


味方部隊にこだましている命令は、「退けー!」という声だけ。
敵方の若干伸びきった補給線を頼りに反撃を試みる部隊もあるが、押し返すだけの力はなく、退却だけが繰り返される。
次々と放棄される陣地。
支援火力による榴弾の雨あられ。


12600高地が懐かしい、と思われるくらい、わずか数日での大幅下落となっているのです。

私は、今年の3月を忘れない。
一生涯、記憶されるでしょう。



ああっと、話が大きくとぶが、中国とかの話だけど、たまたま見かけた文字列が「つべっと」に似ていて、笑った。