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教育は格差を再生産するか~その2

2006年08月20日 01時02分11秒 | 教育問題
前の記事は途中で挫折してしまいました。睡魔に負けてしまいました。というわけで、続きを書いてみようと思います。


結局のところ、「親次第」ということであり、「親の生き方そのもの」が子供にも受け継がれていく、というようなもんです。なので、親が思考法を変えない限り、「迷える若者たち」はいつまでも残されるでしょうね。


子供の成績が悪いのは学校の教育が悪いせいだ、というようなことを言う親がいるらしいですが、「まず自分を見てみなよ」ということなんでしょうね。「あなたから生まれた子なんですから、それなりってものですよ」と誰か言ってみてくれませんか(笑)。勘違いしてるのは、まさに親の方なのでしょう。


生まれつき足の速い子は、100m競争では優位性があるに決まっており、速く走れる能力を元々持っていなければ、たとえ努力してもある程度までしか向上しないでしょう。それならば、もっと別の―長距離走とか―競技で能力向上を目指す方が効果的であるかもしれないのです。でも、何故か学校の成績ばかりを気にしている親が多いと思いますね。普通、自転車に乗れる人が圧倒的に多いと思いますが、子供のうちに練習すれば大体誰でも乗れるようになれますね。勉強にしても、最低限「自転車に乗れるようになる」という水準ならば、努力やトレーニングで到達できるようになれると思います。でも、「他の連中との競争に勝って、いい大学に入れ」というのが可能な人と、そうでもない人がいても不思議じゃないのです。自分の得意な分野で勝負する方がいいと思えますけどね。それが何なのかは、発見するのが難しかったりしますが。


確かに、プロ野球選手になるのは大変です。1球団に75人いるとして、12球団ですから900人しかなれません。海外に流出した選手や、元プロ選手とか、そういう人も含めればもっと多くなりますが、現役選手ということで考えると、高々1000人程度です。つまり、大雑把に「1億2千万分の1000」という厳しい水準です。12万人に1人しかいません。それだけ狭き門ということですので、高額年俸であるとも言えます。プロゴルフ選手とか、大相撲の関取とか、そういう人々は、もっと少ない確率でしかなれないでしょう。弁護士や医師の方がはるかに多く存在しますから、確率的には、そちらを狙う方が有利、ということかな。医師は確か26万人くらいは存在するはずですからね。


勉強をある程度やっておけば、他の色々な場面で使えることもあるし、相撲とか野球とかゴルフの能力よりも、有効範囲が広い、ってことはあるね。だから、やっぱり頑張った方がいいけど、親の能力・人生から見て「ずば抜けて」いいことは少ない、ってことか。でも、スポーツ選手でも、親は普通の人であっても、中には成功する人もいるから、生まれつきの能力とばかりも言えないこともあるかも。統計的な傾向というのはあくまで「平均的」な場合を示していることが多いから、それと乖離している場合もそれなりにあるだろうね。所謂「個体差」ってやつだね。


「垂直跳び」の平均を見るとき、日本人とケニア人を比べるとかはできるよね。仮に、日本人の平均が50cmで、ケニア人は平均が60cmだったら、「垂直跳び」という競争においては優位性というのがあるもんね。でも、日本人の中にも80cm跳べる人もいるわけで、親が50cmしか跳べなくても、そういう可能性はあるかもしれないですね。勉強も同じで、親の能力に大きく影響を受けるけれども、「トンビが鷹を産む」ということも有り得るのでしょう、きっと。逆の場合も有り得るけどね。親が立派なのに、子どもはどうして・・・みたいな。


よく判らなくなってきましたが、親の態度としては、「子どもの成績が思わしくない時」には、「自分の生き方に問題があったのだ」と自覚するしかないのでしょうね(笑)。しかし、必ずしも悲観することはなく、優位に立てるものを探してあげることができればよく、子どもの可能性を否定しないことが必要なのかも。

そうは言っても、私自身が一人の親として、その勇気があるか、子どもが挫折を乗り越えられるか、という部分では、自信ないなー。親の「生きざま」を見せることで、何かを学び取ってくれればいいかな、と思っていますけれども。



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