いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

郵政民営化は山場へ

2005年03月31日 22時18分55秒 | 政治って?
いよいよ決戦の時が来たか。民主党はとりあえず意見の取りまとめを行い、「反対」の立場ということにしたようだ。先日「証文の出し遅れだ」と批判したのだが、単に自民党内の紛糾に間に合わせたという感じだな。現実的には、ただ「反対」というだけで、具体性には全く欠けると言えるだろう。「公社のまま段階的縮小」って、どうすんの?


今ある貯金額上限を、例えば1人「百万円以内に」ってするわけ?保険金額は削れないから、実質的には既存保険契約はそのままで、新規の契約分については上限を「5百万円以内」とか?資金量を減らす、っていう努力を段階的に行うとして、こういう方法をとるということですか?民主党の主張は訳が分らんな。

仮に貯金額上限を百万円にしたら、資金量は単純に約220兆円から22兆円にできるけど。こんなことが出来るわけないだろ?じゃあ、どうするか。上限を9百万円にするの?次は8百万円?・・・これが段階的縮小という意味ですか?本当にボケだな。一年毎に1割ずつ縮小していくとして、いつまでやるの?政府が「もう郵便貯金は受け付けません」と発表するのかよ。百兆円までいったら、そこで考えます、ってことかい?保険は急には資金量を減らせないが、新規契約を打ち切るとか上限額を半減させれば数十年後には減るだろう。その間に人員整理したり不採算郵便局を閉鎖するのかい?段階的縮小って、どこをどう削るんだい?郵便事業は残すから、そこに人員を集めておいて、他の事業を処分するということですかい?


頭が悪い連中が国政を考えるというのも、本当に困りものだな。民主党もワタヌキ殿も、何一つ形をもった「対案」がないじゃないか。今の預託金利息収入と国債等の利息収入で経営してんのに、簡保と貯金額がそれぞれ百兆円まで減少したら収入が2兆円以上減少するが、その時に公社はやっていけるの?恐らく、ギリギリだろうよ。見かけだけの利益など消し飛んでるだろう。単に自民党の混乱に乗じたいというだけじゃないのか、民主党は。姑息だな。もっと、正面からガツンとぶつかる勇気はないのかね。「民営化反対」っていうスローガンはね、「~反対」という何にでも使える殺し文句を利用してるだけなんだよ、馬鹿モンが。見損なった。


なぜもっと「案を競う」「方法論を比べる」ということが出来ないのかね。それとも「小鳩グループ」(小沢、鳩山)に脅かされたのか?今日、ロボ岡田は鳩山会館の花見には出席していない。これはこれで、内部の問題が多いのだろう。


ワタヌキ殿は小泉さんに「会いたくない」と。何だか、ほりえもんが北尾氏に「会いません」って言ったのと似てるな。偶然だけど。小泉さんの「奥の手」は、青木さんに直に「突撃」(ネット上で用いられる「突撃」とは、どういう意味なんでしょうね。「電話する」こと?)でしたが、不発に終わったようです。青木さんは「あなたの言う事には賛成できない。もっと慎重にやった方がいい」と述べたようだ。これでいよいよ政府は正面突破を図るしかなくなったように思います。自民党の反対派勢力にいつまでもかまけてはいられません。抵抗勢力は強硬な姿勢を崩していません。政府は今まで幾つも譲歩して、反対派の立場にも配慮した。しかし、抵抗勢力は政府の「防衛ライン」を踏み越えてしまったと思う。それは、双六でいうところの「スタートへ戻る」を政府に要求してきている。これは絶対に譲歩できないだろう。分社化では「4つがダメで、3つじゃないとダメだ」と息巻いていた自民党のくせに、今さらになって「一体」もないだろうが。前に「絶対3つ」とほざいたのはなんだ?いい加減な意見ばっか言う奴らが「抵抗勢力」ということだな。


一歩前に、この紛糾を見越して公明党が双方に法案提出に向けて努力するように促したにもかかわらず、効果なしですね。青木さんがゴーサインを出していないので、参院での徹底抗戦も有り得るという事情なのだろう。これには当然野党も巻き込まれることになる。だが、小泉さんは本気で解散するかもしれんぞ。政府は、もう本気で全面衝突でもいいと思う。これ以上の後退は、民営化の意味が失われる。執行部批判も日増しに強くなっているし、騒ぎ立てる反対派を粉砕するしかないな。「行司が相撲をとっちゃいかん」などという亀さんの暴言を許してはいかん。青木・ワタヌキ殿は、旧橋本派の政治資金疑惑で潰すしかないな。


ちょっと時間がないので、後でまた書きます。中途半端だーー



バーレーン戦(ホーム)勝利

2005年03月30日 23時14分58秒 | 経済関連
日本はラッキー勝ち点3ゲット!勝ちはなかったかもしれない。実戦って本当にわからんね。先日のイラン戦は最悪引き分けでいけると思ったら、「負け」。今日は点は入りそうにないな、と思ったら「勝ち」。本当にわからん。

点が取れないな。前半のフリーとコーナーキックでは、連続でチャンスがあったのにいい形が作れなかった。
後半はサントスと中村の連携(これが今まで何度もチャンスを作ってきた)で崩せる場面もあったが、点が取れなかった。バーレーンは最低引き分け狙いだったろうし、向こうのキーパーも守備も良かったと思うが、度重なる日本の攻撃にちょっと慌ててしまったのだろう。日本にとっては、非常にラッキーな得点だった。向こうは失点した後、相当動揺しててそれまで見られなかったようなミスが目立ったが、日本は得点出来なかった。試合見てて、少し苛立ちがあった。次の試合がちょっと心配ではある。


前の記事(イラン戦終了!)で、残り試合の日程を間違えていました。お詫び致します。最終試合が北朝鮮戦かと思っていましたが、イラン戦でした。


次の試合がまたバーレーン戦、中4日で北朝鮮戦というアウェー連戦があります。日本は次の試合が全てと言っていいかもしれませんね。バーレーンに勝つと日本は勝ち点9で、バーレーンが残り試合に連勝したら勝ち点10ですが、アウェーのイラン戦があるのでやや難しいかもしれません(油断は禁物ですが)。仮にイラン戦引き分けで北朝鮮戦に勝利でも、勝ち点8にしかならず、日本が上回っています。これは日本の方が有利であると思います(北朝鮮戦に勝てるチャンスが十分ありますから)。


ところが負けてしまうと日本は勝ち点6のまま、バーレーンは7となり、残りのイラン戦に引き分け、北朝鮮に勝つと勝ち点が11となりますから、日本がこれを上回るには北朝鮮とイランに連勝しなければなりません。ホーム最終のイラン戦に絶対勝たねばならないのです。この時点までにイランが決まっていればチャンスがあるかもしれませんが、かなり難しい試合になるでしょう。日本はバーレーンに負けさえしなければ、有利なことは変わりないでしょう。引き分けでも勝ち点7(バーレーン5)で、残り北朝鮮に勝ち、イランに引き分けで勝ち点11ですが、バーレーンは連勝以外追いつけません。日本は最終イラン戦に「勝ち」が絶対必要というのだけは避けなければならないでしょう。

次の天王山が6月です。


教育を考える8

2005年03月30日 17時59分23秒 | 教育問題
読売新聞に「教育ルネサンス」という連載記事があります。これは随分と長く続いている企画で、既にNo.44まで続いています。我が家では、この記事について家族で話し合うものがたくさんあり、いつも興味深く読んでいます。今までゆとり教育についての記事や、国内の教育事情などの記事がありましたが、先日よりフィンランドの教育事情の報告が始まっています。昨日掲載されていた「フィンランド報告5」を読んで、ちょっと衝撃を受けました。今の日本と比較するのはどうかと思いますが、「社会の姿」というか「生き方」という根本的な部分から考えさせられました。

フィンランドは巨人「ノキア」に代表されるIT企業などが成長し、経済は安定しております。女性の就業率も非常に高く、共働きが確か7割を超えていたと思います。そういう社会環境にある、ということでしょう。OECDの学力比較ではフィンランドはトップクラスの成績でした。


一部記事を引用します。

1位は教師で26%。2位以下は、心理学者、芸術家、音楽家(各18%)、建築家(15%)、医師(10%)、看護婦(9%)と続く。民間の調査会社が昨年、フィンランドの高校生2千人に、将来なりたい職業を聞いた結果だ。この数字が今月、ヘルシンキで開かれた教育に関する国際会議で報告されると、会場はどよめいた。
ヘルシンキ大学教員養成担当学科のマッティ・メリ学科長は「資源がなく、人口が少ないわが国は、国民の知的水準を上げることが不可欠。教師が重要な仕事であると言う認識は自然と生まれた」と説明する。9大学に教員養成学科があり、倍率は約10倍。しかも、フィンランドの大学は教員養成に限らず、最短でも5年かかる「修士終了」が一般的だ。

このような記事でした。

この結果の凄いところは、教師の人気が非常に高いということもさることながら、2位以下の選択された職業が、日本ではまず上位にきそうなものがあまりなく(建築関係くらい?)、より多様な職業選択が社会通念上出来上がっていると思われるのである。そういう価値観が社会に根付いているのではないのかなと思うと、日本社会の「精神的貧しさ」があるのではないか、と心配してしまいます(そうではないのかもしれませんが)。日本で、子供が音楽家とか芸術家などと希望したら、確かに「親が泣く」かもしれませんが。このような、自由な発想の職業希望があるというのは、フィンランドの教育の質の高さが窺えるようにも思います(賛否あるかもしれませんが)。


日本の高校生では、どういう結果でしょうか。このような結果とは違うかもしれませんね。恐らく、医師、弁護士、官僚(公務員)とかが多いような気がしますが。少し調べてみます。


明治安田生活福祉研究所が昨年高校生に行ったアンケート(回答約3300名で男女比はほぼ半々)では、男子が医師・弁護士等の専門職が約22%、会社員約32%、公務員約19%、教員約7%、自営業約7%となっており、女子では同じ順に34%、21%、12%、9.5%、2.6%で、保護者も同じ順に22%、30%、26%、6.7%、2.2%となっています。要するに全体的な印象として、会社員が多く、次に専門職、そして公務員が本人よりも保護者に大人気ということですね。教員は1割以下ですね。これは複数回答してないので、単純には比較できないでしょうけれど。


もう一つ別な調査を見てみます。日米中の比較で行われた「高校生未来意識に関する調査」で、日本は2001年に調査され(この前も調査結果が出ていたような…別な年の調査だったかな)、回答数が1250(男子43%)です。これによれば(複数回答と思います)、なりたい職業でダントツ1位は公務員で約19%。細かに分けられているからかもしれませんが、他には例えば医師は4.3%、法律家は3.4%で上の調査とはちょっと違っていますね。会社従業員は8.9%、会社経営管理者は5%、エンジニア・IT技術者が10%、芸能人6.2%、などで、教師は5.1%しかいません。

両方の結果を見ると、公務員はだいたい5人に1人弱くらいの高校生が選ぶということで人気が高く、教員は1割未満であり人気があるとは言えないでしょうね。



それと「高校生未来意識に関する調査」では、まだ気になる結果が出ていました。「成功するためには努力より運の方が重要である」という設問について、日本の高校生は約4割が肯定(よく当てはまる、まあ当てはまる)的で(1980年では25%くらいだった)、米では約12%しか肯定的ではない。アメリカンドリームは運ではなく努力だと考えており、努力すれば成功できると信じている人が多いというのが意外で、日本は5人に2人が、そりゃ運だろ、というのも悲しい。

また、「私は他の人に劣らず価値のある人間である」という設問には、日本では約6割ちょっとの高校生が否定(あまり当てはまらない、全然あてはまらない)的で、「人並みの能力がある」ことにも約4割が否定的である。米では同じ設問で、前者が10%、後者が8%となっている。国民性ということもあるが、自信満々の態度や発言の源となっている米国人は間違いなく「自信家」と言えるが、日本の高校生達は、本当に自信が持てないということなのでしょう。

自分の「価値」が自分自身では肯定できず、能力的にも劣等感を抱く人が多いということが言えるでしょう。これは、社会参加の面でも大きなマイナスになっている可能性があるかもしれません。自分に自信がないので、対人関係にも臆病なところがあったり、仕事してみようというときにも失敗を極度に畏れたりして、踏み切れない面があるのでしょうか。

日本でも1980年での調査では、「人並みの能力がある」に否定的な人は約13%で、今の3分の1しかいない。きっとこの25年間に何かが大きく変わったのでしょう。学力も大切ですが、この結果の方がむしろ危機的かもしれません。


日本の教育制度もそうですが、やはり、社会全体の価値観とか子供を育てる社会環境とか、大人たちの過った考えや仕組みを変えていかなければ、こうしたことの改善はできないかもしれません。フィンランドで教育改革が可能だったのなら、日本でも都道府県単位くらいのレベルで取り組めば変えられる可能性はあります。


以前書いた参考記事です。他にカテゴリー:教育問題にもあります。
「ゆとり教育」は何を教育したか
続・「ゆとり教育」は何を教育したか



雇用保険は貢物か

2005年03月29日 20時58分40秒 | おかしいぞ
読売新聞は公益法人のシリーズで追及を続けてくれています。厚生労働省は、一体どういう業務評価をやっているんだ!労働族の食い物にされてきた雇用保険事業。何処までも行政の闇が続いているな。それで雇用保険料を値上げします、ってどの面下げてそんなことが言えるんだ!
参考記事:公益法人の構図2


雇用促進住宅は、住宅供給公社や自治体の運営する公営住宅と並んで、さっさと適正に処理するべきだ。国や自治体が不動産を取得して住宅事業を行うという政策上の意義はそれ程重要とは思われない。不動産にまつわる昔ながらの公的事業というのは、その役割の大半を終えたのであるから、いい加減に改善してほしい(公営住宅の改革提案)。


本日の読売新聞の記事は次の通り。一部抜粋します。
YOMIURI ON-LINE / 社会

厚生労働省所管の独立行政法人「雇用・能力開発機構」が、再就職のために住居を移さざるを得ない人たちの一時的な居住先などとして、総額1兆円近い公費で建設した「雇用促進住宅」に、同機構の職員52人が入居していることが読売新聞の調べでわかった。

管理運営は、理事長と2人の常務理事のほか、職員17人が厚労省から天下りしている財団法人「雇用振興協会」に委託されており、空き家を含めた維持管理費だけで今年度、約360億円かかる見通しだ。
現在、移転就職者の入居率は2割程度まで低下しており、厚労省は2003年5月、同住宅を「低所得勤労者のための住宅」と位置づけた。それに伴って入居要件も変更され、契約は原則2年以内、職業の安定を図るために職安所長が入居を許可するのは、年収(控除前)が764万円以下の場合と定められた。
雇用促進住宅に入居している職員について、雇用・能力開発機構は「職安所長が認めた人」に該当するとしているが、同機構職員は平均して、国家公務員の約1・15倍にあたる約800万円の年収を得ている。 52人は年収制限が設けられた03年11月以前に入居しており、51人は2年以上居住。10年以上住んでいる職員も7人いた。




こんなことが漫然と続けられるのである。行政のタカリ構図の典型だろうな。

恐らく、昔の公共事業全盛時代の流れだろう。住宅を安定的に供給する目的で事業を作る。用地取得費や建設費が相場よりもえらく高い金額で設定される。業者選定でも当然談合、裏金。差額はキックバックとか政治家や役人の懐へ。政治的に導入した政治家も、政策決定して予算を付ける役人も、選定された業者も、全員汚い金を手にして喜ぶ。勿論払うのは何も知らない国民とか事業主だ。こいつらの考えることは、「目立たぬように薄く広く集めること」なのだ。1人数百円ずつ集めても、数千万人分ともなれば巨額資金となる。実にうまい方法なのだ(昔コンピューター犯罪で、銀行の利息部分のうち、1円未満の抹消されるべき利息を数万人分だったか自動的に一つの口座に集めるプログラムを作って、数百万か搾取して捕まった技術者がいたな。これと似たような原理だな)。これは「保険料」と称して集めたありとあらゆる分野に浸透しているんじゃなかろうか。

しかも事業の運営を行っている団体は天下り野郎の受け皿であり、腐れ役人がやってくる。ここから管理依頼を受ける団体も同様に天下り野郎の受け皿だ。この繋がりで、管理業務を独占的に請け負うことができるということで、非効率な団体が存続できるのだ(もしもこの事業が打ち切られたら勿論潰れるだろう)。他の民間企業との競合なら、はるかに安く管理できる可能性が高いだろうな。今まで見てきた公益法人の構図はどれも同じでしょ、本当に。こいつらは、公金からいかにもっともらしく金を引っこ抜くか、ということしか考えていない。

だから、前から言っているように、こうした不適切な繋がりの公益法人との関係は全て清算して、手を切れ。腐れ縁はもうお終いにしてくれ。本当に頼む。正当に業務を行っているところだけ、補助金とか公金を投入してくれ。国の台所は火の車、その一方で奉公人がこっそり(というか堂々と)金をくすねていき、別な取引先に移した後でそこからまたくすねる。こんなことがそこかしこで行われていれば、そりゃ立派な老舗であっても潰れるだろ(まだ傾いている段階ですが)。肥えるのは奉公人ばかりだ。

一体何なんだ、この国は。腐れ役人どもは、永遠に考えを改めるつもりはないのか?


国民負担は上昇中

2005年03月29日 17時56分49秒 | 社会全般
既に決っていて、判ってはいたことだが、現実を見るとやはり厳しい。家計を直撃ですね。募金もそうなんですが、正当に使われると思えば、多くの人は多少の負担は厭わないと思うのですね。決して、「絶対に払いたくない」ということでもないように思います。しかし、これが、何に使われているか怪しかったり、一部の利権集団に流れていってしまうのかと思えば、やはり腹が立つのです。何の為に税金や保険料を納めるのか、疑問に思えてくる。拝金主義の木っ端役人の懐を暖めるために払っている訳ではない、ってね。




NIKKEI NET:経済ニュース

バブル後に行政がやってきたことといえば、消費税を上げたり、医療保険の自己負担を3割(本人)まで上げたり、老人保健の自己負担を上げたり、医療保険の保険料を総額制にしたり、介護保険新設で保険料をむしりとったり、雇用保険料を2度(だったかな?)も上げたり、年金保険料も段階的に上げたり、という国民の負担を大きくすることばかりであった。

その間に、処理されたものと言えば、道路公団が少し控えめになったことくらいで(実質まるでよくなっていない)、あとは看板の架け替えで誕生した独立行政法人が多くなったことくらいか。
多くの問題は処理が進んでこなかった。それなのに、国民には確実に負担を増やしてきたのだ。こんな政治ってあるか?国民の不満は年金騒動の時に少し噴出したが、爆発とまではいかなかった。今後更なる負担増が待ち受けているのだから、もういよいよ「臨界点」に近づきつつあるんじゃないか?



国立大学や国立病院が独立行政法人となる時に、私は必ずしもこれに賛成出来ませんでした。それは、「不採算・非営利的」事業などは公的運営とか行政の支援が必要と思いますし、必ずしも裕福ではない人々が学校へ行かせてもらえたり、その場でお金が払えなくとも公的な病院は原則的に受診を認めてくれる、などの大きな利点があるからです。本当は、お金は払わなければなりませんが、本当に困っている人も中にはいるでしょう。そうした人が治療を受けられないというのは、社会的にどうなんだろうと思うのです。行政の全ての分野に収益を求めることは必要ないとも思っています。それ以上に薄汚い根性の役人どもや、利権集団がごっそり隠れていることが許せない。


国立病院や国立大学は、たくさんの公金が投入されているのですから、コスト意識を全職員に徹底させながら効率的運営を進めるべきだったし、漫然と業務に従事せず改善努力を自ら行えばよかったのです。その結果が、多少赤字であったとしても仕方がないかもしれない、と思えるのです。ですが、現実にはこれが出来なかった。組織体質はなかなか変えられるものでもない、ということでしょうか。


その意味では、郵政民営化でも、郵便事業会社については国が株式を一部保有しておくことは問題ないとも考えます。国際郵便についての条約等もあるでしょうから、そうした制度を国が責任を持つということは無理な考えではないと思うからです。しかし、そういう大義にかこつけて、非効率な運営や肥大化した組織が許されるということではないのです。たとえ民営化会社になろうとも、公共性の高い企業ならば、その役割を認識して業務に取り組めばよく、その運営効率や改善努力は会社の形態に無関係に必要であるのです。ところが、組織が今までと同じならば、自らは実行出来ない、と。ならば、強力な外圧で組織解体を行い、民営化という手法で組織改革を推進するしかない、ということですね。肥大化した組織を支える基盤が巨額資金運用益という経営的技術とは無関係なところにあり、なおかつその運用益を吐き出しているのが政府系機関(すなわち国と同じです)ですから、国民はたまったものではない。利益が出ているという幻想で運営している以上、根本から負の連鎖を断ち切るしかないでしょう。

国鉄を思い出せばよくわかるでしょう。解体されて、収益がきちんと得られるような今の状態に至るまでには、苦難の歴史であったでしょう。厳しい人員削減についても、法廷闘争を含め長きに渡る争いで、「激しい憎悪」が解雇された側に残ってしまった。こんな歴史を繰り返そうというのですか、ワタヌキ殿。今の苦しみが少なければとりあえずいいよ、という先送りは、後々苦しみが増大していくことを忘れるべきではない。与謝野さんが言う「予防医学」というのは、そういうことなのですよ。


愚か者は今の安楽だけを考える。将来のことを考えたり見通せる力量がないのだ。本当に郵政関係者達の生活を守っていこうと考えるなら、先に手を打つことが必要であり、それが本来の政治なんじゃないのか。

例えば、今消費者金融に50万円借金があるとする。今なら毎月1万円ずつ家計を我慢して切り詰めれば、何とか返せるとしよう。だが、ワタヌキ殿をはじめとする民営化反対派は、「今はそんなに困っていないのだから返済しなくともよい、返済は別な所からローンで借りて返済すればいいんだ」、というような主張と同じようなものだ。本当は切り詰めれば新たなローンは避けられるのに。これが5年とか10年とか続いた後を想像してみろ。その時に借金はどうなってる?もう、1万円くらい切り詰めたくらいでは済まないのだぞ。その時には家族を路頭に迷わせるのかもしれないのだぞ。自己破産の申請とか親戚中から借金するとか、現状よりももっと酷いことになるのだぞ。愚か者はそういうことに頭が回らない。


行政組織は今までに何度も改めるチャンスはあったのに、改めてこなかった。そういう組織は強制的に変わってもらうしかない。社会保険庁も郵政も、そして政府の態度も、財投資金を貪り続けてきた政府系機関に憑依する亡者達も、みんな一緒だ。政府はその方向性を示し始めていると言えるだろう。


日ハムが勝てない!

2005年03月29日 15時19分18秒 | 俺のそれ
貧打線を何とかせねばなるまい。たぶん今は、丁度谷間なのだ(負け惜しみだな)。
早くも開幕3連敗であるが、少し好材料なのはピッチャーが頑張っていて割りと打たれていない。
打線は何かキッカケが掴めれば上向くかもしれないし。惜敗続きでついてねー。




楽天・オリックスが既に勝利しているのに、唯一の未勝利は悲しいぞ。もうちょっと頑張れ。
ホームで勝ち越せなけりゃ他では厳しいぞー。振り向けば・・・誰もいないじゃないか。
まだまだ、始まったばかりだ。これからお客さんチームと対戦するから、ね。





実態を考えない幹事長達

2005年03月28日 22時03分39秒 | 社会保障問題
ようやく社会保障改革についての協議が始まりかけたのに、とりあえず集まってみた幹事長連中はまともな会議や検討の仕方も知らないようです。これが本当に国会議員の集まりでしょうか?間抜けだ。政党の代表者なのに、重要な課題をどのように処理していったらよいか、道筋を考えることも出来ないとは。真に嘆かわしいですね。「党利党略」は捨て去って下さい。今のレベルでは何も決められないな。

次のような報道がありました。
NIKKEI NET:政治ニュース


公明党冬柴幹事長 「今、本当に全部やらないといけないのか。遠い先の目標だ」

こいつは日本の将来を潰す気か?日本の10年後でさえ相当のピンチだというのに、何を暢気なことを言っているのだ。こういう議員が、今まで問題を先送りして、適正な政策や対処をせずに過してきた。昨年の「百年安心年金」が全くダメなことを批判されるに及び、意固地になって「公明党の考えた年金改革は正しいんだ」って具合に主張しているとしか思えませんが。冬柴君は、10年後の財政予測を考えていないのですか?遠い先でもなんでもないだろうが。無知は罪である。こいつは改革の抵抗勢力のA級戦犯かもしれん。


自民党武部幹事長 「納税者番号制の導入に国民の合意が得られるのか」

何の為の国会議員なんですか!何のための政権与党です?国民に真実を伝え、その対処について最も有効と思われる方策を提示するのが義務でしょうよ。そのための政治力でしょ。何言ってるんですか。確かに国民には「痛い」かもしれないが、国は「火の車」なんですから。皆で何とかしなくちゃいけない。その為に理解を求める最大限の努力をするべきでしょう?政治生命を懸けてもやる覚悟が必要でしょう?それくらいの大きな課題なんですってば。


共産党市田書記局長 「負担を高い方に、給付を低い方に合わせるような一元化には反対だ」

最大の大ボケだな。負担を低い方に、給付を高い方に合わせたら、明日にも破産だろう。よく考えてから言え(産経新聞風、笑)。もしも、防衛費を全部カットとかいう現実的ではない財源論なら、聞く必要なし。真剣にそういうことを言いそうなので、イヤなんですが。どこのどういう財源をどの位制限すると社会保障財源が捻出できるか、ベースを考えてから言え。そうでなければ、ただ「自民党や民主党は、社会保障を犠牲にして、自衛隊の海外派遣や米軍にお金を注ぎ込み国民から搾取している」とかの思想的反対論だけになってしまいますから。共産党は「社会保障や福祉を充実します」みたいな公約ばっかりで、机上の空論は誰でも言えますから。


社民党又市幹事長 「まず制度間格差を埋める努力をすべきだ」

国民年金と被用者年金の格差は永遠に埋まんないんですよ、馬鹿モンが!年金制度の根本的違いが全然理解出来ていない。国民年金の不足財源は、他の被用者年金の保険料から基礎年金に拠出されている、って何遍も言ってるでしょうが。制度間格差が最も少ないのが「一元化」だろうが。格差ゼロだろ?本当に考えて発言しているのか?格差を埋めるって、何をどうするの?保険金額?公経済負担?基礎年金拠出分?何を変えるの?何処をどう変えたら、制度間格差は縮小しますか?端的に言ってみて。国民年金も給与天引きにするとか?(爆)そんな無謀なことを考えているんじゃないだろうな。もっともらしく発言するなよ。解決には程遠いご意見ですね。議員失格のため、議員年金没収、って言いたいとこだけど、無理ですから、もっとまともな意見を披露して下さいよ。自前の職員の人員整理で、手一杯なんでは?不当解雇とか言われるくらいなら、君達の秘書として雇ってあげたら?雇用問題が先決かもしれん。


民主党川端幹事長 「ほかの年金を先に統合したら、国民年金は永久に放置される」

いいこと言うね。その通りだ。年金改革に関しては最もまともな意見だと思う。経済財政諮問会議議員で経団連会長でもある奥田氏は、「基礎年金の財源は税方式」には賛成している。唯一の頼りが民主党だけ、ってのも冴えない政界だね。他はやくざな(役に立たないという意味です)政党とか議員さん達ばっかりなのかな・・・?国民としてはかなり心配。民主党内でも、小沢・鳩山連合軍?(小鳩と呼ぼう)が怪しげな動き、発言をしているからね。小鳩チームは少し黙ってた方がいいよ。「コバト」はいつまでたっても鷹にはなれないからね。執行部に矛先向ける前に、政権与党を締め上げろよ。そういうところが、前から期待ハズレなんだよね。物事をなすには当然「異体同心」でなければできませんよ。ましてや、政権を獲るというなら、「甲子園初出場初優勝」なみの勢いとチームワークが必須ですから。そういう戦い方を考えるべきですね。それが出来ないと永遠に与党の「失策待ち」で、万年準備政党で終わるかもね。店なら潰れるぞ、いつ行っても「準備中」だったら。


会議での普通の取り組み方を考えてみますから、よく聞いてくださいね。

まず、現状の問題点を全てピックアップしていきます。そのためには、現行制度を続けた場合の、将来予測を見てみます。これは財務省と厚生労働省が作成しており、かなりの確度で信頼できる資料であると思います。参考までに、どこだったか民間の経済研究所みたいなところ(野村総研だったかな?そんなようなところ)で作成した資料と、経済団体など(医師会も)が作成している資料などを併せて活用してもよいでしょう。おバカな議員さん達は、国のバランスシートとかよく判らないはずですから(私もそうですが、一般国民も同じです。議員さん達が十分理解できる説明を受けて下さい。自分達がよく判らなかったり、疑問に思うところが多ければ、国民にうまく説明できません)、そういうレクチャーを受けて下さい。国会議員全員でなくともよろしいです。少なくとも党幹部は全員の方がいいでしょう。それを各党員にレクチャーして下さいね。

社会保障費以外の歳出については、増加を成長率以下に抑えるか若しくは厳しい削減計画で年1~2%カットで10年過すとかの計画でもいいでしょう(10年後には1割以上の歳出カットが達成できます)。まあ、大勢に影響はないでしょうけど。それほど社会保障給付は伸びるということですよ。ここまでで、各議員・政党の共通認識が出来上がると思います。資料も同じですから。ここまでは、文句も何もないですから。方法論も関係ない。あるとしても、他の歳出制限をどの程度に設定するか、とか、経済成長率予測とか、人件費伸び率とかの変動要因をどの程度に設定するか、くらいの違いでしょう。これも、大勢に影響ないくらい微々たる問題でしょう。ですから、数字の「根拠が曖昧だ」とか因縁つけるのは止めて下さい。それ以上に社会保障費の伸びの方が圧倒的に大きいですから。大体2050年くらいまでの10年単位ごとに数字の推移が頭に入れば、それがどういう意味か理解できるでしょう。

こうして、全員一様な認識が出来たら、そこから問題点を見つけます。例えば、「少子高齢化」「総人口減少」「若年者の未納率」「未納回収率と回収コスト(千円回収に必要なコストとかですね)」「フリーターやパートの未加入部分」「管理・運営コストの無駄」「運営主体の人件費率」「公務員共済の追加費用」「受給権資格」「生活保護と社会保障給付」「自治体独自の医療給付制度」「介護保険給付と年金」「恩給制度」「各年代の金融資産残高」「各年代の平均生涯賃金」・・・等々思いつく限り出してもらいます。これを仮に3段階くらいに分類して、優先順位をつけます。絶対に解決が急務・解決が必要・解決が望ましい、くらいでもいいです。これによって、当面”絶対に解決が急務”の事項について考えることにします。それが出来たら、次のランク、最後に各論的に残りのランクについての検討をすることにします。

この検討の時に、年金ばかりに目が向くと、本体である社会保障全体の収支バランスを忘れてしまいますから、注意して下さい。全体の負担と給付のバランスについて考えることが必要です。

例で考えてみましょう。「少子高齢化」は解決不可能なことです。既に確定していますね。ここから出てくる問題が、「医療・年金保険料納入者の減少」「受給権者の増加」「高齢人口比率増加による医療費増大」という風に色々出てきますから。解決策としては、今挙げた順に、「支払い者を増加させる(これには、保険料徴収対象を増やすか間接税等の税方式とするか)」「受給年齢を上げる(しかしいずれ追いつかれるだろう)、受給権者見直し(配偶者のみに限定)」「高齢者医療費の自己負担を増やす、高齢者から医療保険料の一部を徴収する、高齢者医療費の高額医療費基準を変える」・・・という具合に出していきます。これによって、最も適していると思われる解決方法が少し見えてくるでしょう。方法として適していれば、おそらく多くの事項についてクリアできる解決方法として挙がってくるでしょう。

これをやって、その方法を導入した時のバランスシートの概算を出していきます。これで社会保障全体がカバーされる見通しが立てば、その方法は選択可能となりますね。こうした作業を積み重ねていくしかないと思います。当然、取りうる方法がいくつかあれば、どちらの方が望ましいか検討することになりますから、そこでは政治的判断も必要になってくるでしょう。また国民側からその過程を見ていて、世論形成がなされるかもしれません。もし導入するのがベストだという判断になれば、納税者番号とか社会保障番号について、国民に理解を求めたり丁寧に説明したりすることも所属政党に関係なく行っていく必要があるでしょう。そういう意味での政党を超えた議論が必要になってくるのです。反対だからということで、一方的に非難してばかりではダメです。「この方法で」という選択を各政党自らが行うことが必要です。他政党の選んだ方法にただ反対して「俺は反対だから協力しない」というような姿勢であったり、多数決で否決されたからといって、国民に向かって「絶対に~~を許してはいけない。断固反対」という姿勢もご法度です。この両院会議には日本の未来がかかっているのですから。

特に共産・社民は、例えば「消費税には絶対反対」とか無謀な意見で対抗するのはいいですが、それに変わる財源案を必ず示して下さいね。主張するのは、消費税を0%、医療費自己負担を一律1割、とかでもいいですよ。それとも全国民一律に国民年金保険料で国家公務員共済の退職年金と同様の給付達成でもいいですよ、市田さん、実現できるならば。そういう討議・議論の場であるということを、各政党は自覚して下さい。もし、これが否決されて仮に消費税20%と決められたとしても、共産党も社民党もこの議論の意味を考えて、「日本の将来を救うにはこの税率が必要です」って説得して回るんですよ、お願いしますね。これが出来ないなら、最初から参加するべきではない。学校で遠足に行くのに、海がいいですか、山がいいですか、ということで、クラス会で海に決めたら、「俺は反対したから海には行かない」というおかしな奴と一緒だぞ。ましてや「絶対に海に行くのを阻止せよ。海への遠足、断固反対」とかも異常だろう?


国民が一致協力すれば、きっと厳しい環境であっても乗り切れるはずです。よき解決策が見出せると思います。かつての戦後復興からは何も学ばなかったのですか?まさに焦土と化した中から、日本は復活したではありませんか。当時の苦しさや無残な状況から見れば、今の生活水準や今後の展望など天国のように”甘い”でしょうよ。私は実際に見た訳ではありませんが、「生きるのが精一杯」「日々食べるに困る」というような厳しさの中から、全てを作り上げてきた先人達が存在したことを思えば、今後の多少の我慢など比べものにはならないでしょう。ただ、それを国民に求める以上、議員さんや行政側にもそれ相応の覚悟をして取り組んでもらいます。


協議にならない協議機関ほどやくざなものはないからね。こんなこと、言われんでも考えりゃわかるだろうに、幹事長諸君。


人権擁護法案はどうなるか4

2005年03月28日 15時53分11秒 | 法関係
前の続きです。

私は誤解から会計検査院も”行政の仲間”として扱ってしまいましが、別物というご指摘を頂きました。ひょっとしてこれだけ他の場所にあるのですか?(笑)検査職員は他の省庁からの出向者がほとんどかと思い、今まで行政組織の一派と思い込んでおりました。お詫び申し上げます。


会計検査院が行政組織の独立・中立・公平という指標にはならないことも、この一つの例をもって他の全てに言えるわけでないことも、十分承知しております。ですが、象徴的な意味で、考えております。何故なら、人権擁護法案の妥当性について法的解釈とか法に基づく制度上の検討がなされており、これをもって「安全」とか「適切」とかを判断するからで、そのほとんどの根拠は法令の中に求められているからです。また、行政の業務の根拠が全て法令に基づいており、これによって当然権限行使ができます。このような仕組みが法令に基づいて正当に機能しており、条文に基づいて正しく業務が行われていると信ずるに足る信頼性が行政に見出せるならば、国民としても何ら憂慮することなく法案に賛成できるかもしれません。


最高裁が上告棄却で確定した警視庁(であったと思う)で作成された「偽造領収書」について、警察庁は「否認」し会計検査院法第27条規定に違反して報告していません。昨年行った弟子屈署の会計検査院の特別検査(正確には何というか不明ですが)では、現職ではないが実名告発者が存在し、署員達の一部にも偽造について「証言」が得られたのですが、検察には通告しませんでした。このことは、検査院に人的不備があるから、とか、証拠不十分だから、という理由は関係ないように思います。少なくとも、裁判で確定した偽造事件については、通告義務を果たすことは何ら不可能ではありません(時効が成立しているのかもしれませんが)。「事実上不可能」という答弁は、「おかしい」のではないか、と誰しも思うはずです(現職官僚が他の大臣とか長を非難できないというお立場にあることは理解しております)。これは普通に「法的解釈」をもってすれば間違っていると考えられ、人権擁護法案の適否について検討することも普通の「法的解釈」から適切であるとの判断を示されても、「本当にそうなのだろうか」という地点に行き着いてしまうのです。


以前の記事にも書いていますが、刑事罰を与えることが必ずしも問題解決には繋がるとは考えておりません。会計検査院に求めることは、もしも警察の裏金問題が「組織的に」行われていることを知ったのであれば、条文どおり法的措置をとるということを警察庁に表明し、改善を厳命することです。なぜこれが出来ないのか。まさに行政指導と同じですね。従わなければ、法的処分が待ち受けていますよ、と明示すべきです。これが独立性・公平性の確保された組織のとるべき行動なのではないかと思うのです。これを回避したいならば、警察庁自身が全国に厳しく命令し、内部調査を自治体とともに実施して結果を全て公表し、国民の審判を受けた上で、組織浄化と改善を図ればよいことです。勿論トップの方では責任問題が発生するかもしれないですが、これは仕方がないでしょう。



それと、こちらの書き方がまずく、何を言いたかったのか不明であったかもしれませんね。
『国民側が「その事例は差別的表現ではない」と主張する言論を行おうとした時に、それが例え正当であると思われても、メディアを封殺してさえいれば一個人の声など広く知られないし、権力に対抗できる言論ともなり得ないでしょう。』という文を入れたのは、単なる個人間での言論を想定しておりませんでした。所謂公権力、またそれを行使できる立場にある人についての批判的表現ですね。仮定に過ぎませんが(仮定で話をすると収拾がつかないと非難されるかもしれませんが)、将来「政府要人等に批判を加える場合には、勧告対象とする」という通知が出たとします。そうですね、例えば「××法に反対する~~党の議員達は、まともな政治的判断を持ち合わせていない。反対の論拠は全くの暴論やデマのような意見ばかりだ」と誰かが表現したとします(現時点でもちょっと危険な表現に思えてきましたね、いつも私が書いているのですが。笑)。これが、勧告対象となっても、当人は認めたくない、と。そうすると公表されますが、その公表形式とは、次のような感じではないでしょうか。

「人権擁護法違反(不当な差別的表現)で人権委員会は○○に対して是正勧告を行ったが、これを無視し従わなかったため公表に踏み切った。○○は、××法制定の反対派であることを理由に、~~党所属議員に対して、不当な誹謗中傷や差別的表現を自己の作成したHPに掲載し、不特定多数にこれを閲覧させていた。人権委員会の度重なる説示・指導や削除修正等の勧告に従わなかった。」
というような感じでしょうか。何だか某さんの近未来にこうなってしまう、みたいな煽り記事(すごい反響ですよ、とか書いていた方)と似ているんですが・・・(笑)

これを読むと、○○は相当「悪い奴だな」ってイメージですね。検察の冒頭陳述みたいなものですかね。
結局国民は何処までが許されるか判らないし、この公表に個人は対抗が難しいと思います。公表によって、○○はその言説の信用性を毀損される可能性が高いように思います。また、そういう記事を掲載しておいてくれるインターネット業者はいるでしょうか?掲載内容が人権擁護法違反であると認定された場合です。プロバイダ等の業者の責任についても、法的な解釈は判りませんが。メディアが黙るというのは、先の「公式発表」に基づく報道のみで真実が反映されていないかもしれない、ということです。犯罪報道などにある、検察の冒頭陳述に基づく報道を見れば判るかと思います(これを全て否定はしませんが、作文上手であって真実を伝えるものとは限らない、という意味です)。


通知についての問題として、市立札幌病院事件を書きました。この中で、医師法及び歯科医師法は不変であるが、それぞれの第17条に関する法的解釈として行政側が出した通知「医政医発第87号」が実質的に第17条違反を規定しています。行政がこの判断を行っているのです。「医業」に該当するかどうかは行政が裁量で決定しうる、ということになります。この後、「医政医発第919001号」が出されますが、この中では「ガイドライン」として研修中の医行為について行政側の法的解釈が変わっています。僅か2年で解釈を変えたことになります。法の専門家は当然の如く「通知やガイドラインは法令ではない」とおっしゃるでしょう。しかし、現実には法令の条文が変わらずともこのような「通知」により、医師法第17条の解釈を規定することが出来るのです。しかも、1審判決に矛盾する通知がそのまま運用されています(判決が確定するまでは、変える必要がないという判断かもしれませんが)。法律は変更されなくとも、解釈は変えられるというのが、現状の行政の権限と言えます。同じようなことが人権擁護法に起こらないという保障はなく、条文の正しさがこれを担保する訳ではないと思います。

例に挙げた除細動が「医業」に該当する、ということになれば、本来除細動器を備えたりはできないでしょう。「医政医発第123号」では、旅客機の客室乗務員による除細動行為は「医業」に該当するかもしれないが緊急避難としての違法性阻却事由によるものとして判断されています。少なくとも救急救命士法制定の時には「医業」に該当する行為であった除細動が救急救命士の業でもあると考えたか、救急救命士が当該行為を行うことは「医業」であるが違法性は阻却されると考えたのか、でありましょう(国会答弁をみる限り、厚生省医政局長や法務省刑事局長は「違法性阻却」を根拠として考え答弁しているかのようです。あくまで私の個人的印象ですが。違法性がある除細動を救急救命士の業となすのはおかしいと思いますが)。通知があって、救急救命士法から除細動を削除する理由とは何か?その業とは判断しない、という意味だと思われます。「医業」であるが「救急救命士業」ではなくなった、ということ?おかしいような気がします。「医業」のままならば、救急救命士法があってもなくても関係ないように思うのですが。何れにせよ違法行為なのですから。

むしろ「医行為」であるが、緊急時に行う除細動の行為は「医業」ではないし、「救急救命士業」でもなくなったので、一般人が当該行為を行うことは違法性を問われない、と考えるのが普通かと思います。これも、個人的見解に過ぎず、行政側の法の担当者はそう考えていないのかもしれませんが。

見解がどうあれ、医師法17条の条文はずっと同じまま変わりがないことは確かであり、この法律の正しさを(17条の)条文から説明されることに大きな意味はないように思えるのですね。結局は、行政が決めた通知の威力は「法の条文」を上回る威力を発揮しており、条文に書かれている文言の正しさを争う意味は感じられないのです。


私の法律とか行政への感じ方に大きな問題があるのでは、とも思ったりもします。何故なら、専門家の方々はこうした疑問をさほど感じていないのではないか、と思えるからです。私が法をよく知らないからこうした考えが浮かぶのではなかろうか、という不安ですね。何だかよく判りません。

それと、総務省の進めている情報公開と行政手続法の周知徹底については、一定の評価をしております。今後も情報公開は推進するのが望ましいと考えますが、行政指導の個別案件については制度的によく検討されるべき事項と思います。



人権擁護法案はどうなるか3

2005年03月27日 21時53分10秒 | 法関係
誰に返事しているか、書いてませんでした。ゴメンナサイ。bewaadさんからお答えのTBを頂いたので、以下の記事を書きました。

まず始めに、貴重なお時間を割いてなおかつ丁寧な検討を頂き、誠に有難うございました。以前に、年金改革についてのご意見や日銀の札割れ・国債買いオペに関してもご教示頂いたことを遅ればせながら厚く御礼申し上げます。またお返事が遅くなり、お詫び申し上げます。

あらたまった出だしとなってしまいましたが、慣れない猫かぶりは難しいのでこれ以降は普通に述べさせて頂きます(笑)このシリーズを読ませて頂いて、非常に勉強になりました。しかし、当方の知識不足が多く、十分に理解できていないところが多いのですが。

無駄に長く書いてしまった記事にまでご意見を頂けたことに、純粋に「恥ずかしさ」がありますが(笑)、今どき風に言えば一部は「スッキリ」、しかしながら部分的には「モヤっと」という印象です。

公取の「勧告」及び「公表」(43条でしたのですね。全く見落としておりました。非常に「スッキリ」です)についての考え方はよくわかりました。これが、人権擁護法案との対比に用いるべきものというのも無理があったかもしれませんが、例としては判りやすいのではないかと思ったのです。強制力の強さによって法律上の手続きが違うことは十分理解が出来ます。


行為の有無についての争いは、「なるほど!」です。一方「行為の違法性」についての判断ですが、問題になるのは委員会側が「違法」と認定し行為者側が「違法でない」とする場合の争いということになります。勿論その場合にも「意見聴取機会」はありますが、これは判断が同一の委員で行われるのですよね?記事にも書きましたが、「取調」とどう違うか判らないというのは、一通り行為者側が「これこれこうで・・・・」と人権擁護委員に訊かれたことについて(自分の考えを交えたり)話すだけですね。これでは「勧告」前の検討にはならないのではないか、と感じます(箸にも棒にもかからないとは思いませんが...)。判断するのは、既に「人権擁護法に違反している」と考えている委員だからです。それとも、人権委員会まではるばる出頭して、そこで意見聴取が行われるのでしょうか?


イメージとしては、人権委員会(実質的にはその地域担当の人権擁護委員でしょうか)が被害者から聞いたり、状況等をいろいろ調査した結果、「勧告」すべきである、という判断をするということになると思いますが、判断した人と同じ人が行為者から意見聴取するということになるのではないでしょうか。この結果を踏まえて、それでもなお従う意志がないと判断されれば「勧告」を行うということでしょう。独禁法もストーカー規制法も、聴聞とか審判の時には調査していた人間以外の人が(任命権はそれぞれ行政側にあるものの)判断をするということになると思いますが、この方がある意味「第三者的」な立場の判断ということになります(行政側に組するかもしれない人間の可能性はあるが)。少なくとも「公表」を規定するなら、第三者が行う審判とか聴聞手続きに該当するような「勧告」の是非を問う機会が附与されるのが望ましいのではないかと思うのです。


「公表」については、基となる法律の条文に規定されていれば、それは「公表」の対象となることは理解できます(独禁法43条とか、消防法第5条とかですね)。しかし、民放3社への「行政指導」と、日航への「改善命令」とは行政上の意味合いは全く違うもの(指導と命令)ですが、ほぼ同列に「公表」されています。ですが、例えば、保健所が飲食店へ「行政指導」したのもは公表されたりはしませんし、金融庁の金融機関への行政指導も公表されず、動物愛護法に基づくペットショップや研究機関の実験動物等への飼育状況改善の行政指導も公表されません。租税法は刑法上の厳罰がありますが、国税当局の個人に対する指導についても公表されません(告発されたものについては公表されていると思いますが)。

消防当局のドンキホーテの立入検査(公取にも検査され勧告を受けましたのでそれとは別です)についても火災事件前には行政指導は「公表」されていませんが、事件後には「公表」されています(事件後は、公示規定のある「命令」だったから?なのかもしれません)。もとの法律に「公表」(または公示)が規定されているからなのか、それとも行政指導の公表を行政府の判断で行ってよいものか区別できない、ということです。もともとの法律上に公表規定がある行政指導の「公表」は理解できるが、規定がないものの「公表」については「裁量」にすぎないのではありませんか?というのが疑問なのですね。行政手続法に「公表」規定を一律に設けろと強要する訳ではありませんが、法的に規定している方が普通なのではないでしょうか。安全上非常に問題があるとか、国民の権利に大きく影響する、といった意味合いであれば、たとえ「行政指導」であっても公表した方がいい場合もあると思います。その意味では、条文中に規定のある人権擁護法案の方が、まともです(人権に関する法律ですから、当然と言われるかもしれませんが)。


司法判断は信じられるが行政の行う判断はあまり信じられない、というのは、あくまで比較の問題であり、私個人の意見です。ソースを持ってこいと言われると...ちょっと窮するのですが。行政の方が常に広い範囲の判断を数多く行わなければならない、という側面もあるでしょう(法律が全てを律する訳ではなく、多くの決定には裁判所の判断は存在しないことの方が当たり前です)。行政に身を置いておられる webmaster殿にとっては、苦々しく思われるのは当然のことと思います。しかし、一国民の立場としては、仕方がないと思います。国民側には行政側の判断や決定を覆せる有効な手段がない、ということが主な理由です。例えば、先日報道されたエイズ訴訟では、厚生省課長の2審判決でも不作為が認定されたと思います。当時、血友病患者の団体からの再三の申し入れがあったにもかかわらず、それを一切認めようとしなかった。行政側が行った「回収しない」という決定に対して、これを変更させる有効な手段はない、ということです。このような事柄が、一般的に行政の行う判断とそれに基づく決定などに見られることが少なくない、という印象です。


ちょっと、用がありまして途中なのですが、また後ほど補足したいと思っております。



イラン戦終了!

2005年03月26日 18時28分23秒 | 経済関連
非常に残念な結果になってしまった。立ち上がり静かに進み、割と落ち着いた感じだった。イランは前半ファールが少なく、日本の選手を止めるのにそれ程苦労することなく、ピンチも少なかったということだろう。日本の戦術ミスだったと思う。途中で修正するのが遅れたかもしれない。

気になったこととしては、イランの方が個々の球扱いが優れているということだ。全体的にドリブル突破から、チャンスを作り出せる。スルーパス技術やセンスよりも、切れ込みからチャンスが生まれていた。守備もドリブラータイプには強そうな感じだった。玉田は中盤でボールを持っても、大体取られてしまっていた。自分の技術を信じていただろうが、一対一の局面でことごとく止められた。抜く事さえほとんどできなかった。プレースタイルに拘り過ぎたかも知れない。スピード勝負を挑むか、スペースに走り込むとか、他の選択をするべきだった。

高原も似たようなものだった。ボールを持つ時間が長いと、プレスされて奪い返される。同じようなシーンが繰り返し見られた。個人技の突破は、難しいレベルであったのかもしれない。

引き分けで十分行けたと思ったが、同点になったすぐ後で、守備陣の集中が途切れていたと思う。ボールがラインを割るのではないか、とか、一度は中に切り込んでくるのを止めてちょっと見すぎてしまった、とか、(守備に張り付いていた2人の)どちらかが行くだろうというような感じだった。で、ついっとセンタリングされてヘッド競り負け(というか跳んでなかった、センタリングに予期せず準備してなかった感じ)、おまけにDFがスクリーンシュートの位置になってしまい、右に動いていた逆を衝かれた楢崎。ヨシカツなら止めていたかもしれない・・・と、ちょっぴり無いものねだり気味(だって北朝鮮戦では、ノーマークヘッドくらったが、反応よく弾いて防いだし)。予期していれば、ヘディングしてくる選手の動きを見ただろうから、ヘディングする瞬間はスプリットステップしてボールがくるコースに反応出来ただろう。ところが、センタリングに慌ててボールの動きを目で追ってしまい、ボールがくる前に右に動いていた。それから左下に跳んだので間に合わなかった。止まっていれば、間に合ったかもしれない・・・。残念。


これからの試合予定ですが、バーレーンに2試合、イランと北朝鮮が1試合ずつです。これが2勝2分だと勝ち点が+8で合計11です。これで行けるでしょうか?北朝鮮戦に必ず勝ち、残り一つを3試合の中から勝って、あとは引き分けで・・・。ダメ?負け数が問題になりそうな予感。それか、ホームでイランとバーレーンに必ず勝ち、北朝鮮戦を前に3勝しておけばぐっと楽になるが・・・。万が一、3勝ずつとかで3チームが並んじゃったら、負け数が大きく影響するね。
北朝鮮がどこに勝つことになるのか、ということが大きな問題。日本は北朝鮮戦が確か最後になるはずで、もう一つのカードが(イランvsバーレーン)勝った方が行けるような状況じゃないと厳しいな(両者引き分けでもよければ、両方とも無理しないだろうから)。
日本が北朝鮮に2勝、バーレーンに1勝1敗、イランに1敗1分で、合計3勝2敗1分、イランが日本とバーレーンに1勝1分、北朝鮮に1勝1敗で合計3勝1敗2分、バーレーンが日本に1勝1敗、イランに1敗1分、北朝鮮に2勝で合計3勝2敗1分、一応北朝鮮も合計1勝5敗ということになります。有り得なくはなさそうで怖い。北朝鮮は現在2敗しているとは言え、両方とも1点差ゲームであり、2得点を挙げているので、コンディション次第では中東チームに勝つチャンスは有り得るでしょう。(日本戦以外の)3試合中1勝くらいは有り得そうです・・・


日本としては、北朝鮮戦に取りこぼしは許されず、最終試合に絶対「勝ち」が必要ということになると相当のプレッシャーになるかもしれず、厳しいんですよ(それに北朝鮮は日本に対して異常なまでの闘争心を出してくるかもしれないから)。4つ勝てばまず大丈夫だろうが、イラン・バーレーンから2つ勝たなければならない(3試合中)ので大変です。もしくは、イラン・バーレーンに1勝2分でいければ、イランとバーレーンが星の潰し合いをして日本が上がれるチャンスはあります。圧倒的な強さのチームが不在であるので、引き分け数が効いてくるかもしれません。2勝4分でも勝ち点10(3勝2敗1分も同じ)ですからね(イランは残りのバーレーン戦と日本戦に全て引き分け、北朝鮮に1勝1分でいい。これはバーレーンにしても同じ)。負けない戦い方が必要かもしれません。イランとバーレーンはまだ負けがありませんから、日本は勝ち数が多く必要になります。2敗するとかなり厳しい(4勝が必要だろう)。勝ち点で11以上が目安でしょうか。これには3勝1敗2分くらいが必要になります(残り北朝鮮に1勝、バーレーンに1勝、他引き分け)。


次のバーレーン戦には勝つのが一番ですが(引き分けでも可だが)、万が一負けた場合、2敗となるので、残り試合は全勝しなければなりません。2勝1分程度では勝ち点10で微妙ですね。昨日の負けは凄く痛かったのです。引き分けてたら・・・随分と展開が楽になります。現状勝ち点4のイランとバーレーンは2勝(勝ち点6)を取りに行けばよく残り2つは引き分け以上が狙いになる。


人権擁護法案はどうなるか2

2005年03月25日 14時12分04秒 | 法関係
小倉先生からコメントを頂きましたので、それについてお答えしたいと思います。最初に「ストーカー行為等の規制等に関する法律」(以下、「ストーカー規制法」と呼ぶ)についてですが、この立法趣旨に反対するというものではありません。また、その他の法令によっても、立入検査等の調査権(質問できるとか、帳簿・書類等の提出・調査とか、そういった調査も含めて)は存在しており、その全ての権限に反対とか処分に反対ということでもありません。そのような行政の権限はそれこそ沢山あります。


以前、私が記事中に例として取り上げた動物愛護法(動物の愛護及び管理に関する法律)の改正案が先頃出されておりましたが、これに反対と表明して改正阻止運動したりしている人物や記事等には未だ出会っていません。この法律も、人権擁護法案と似たような調査権等があり、今後は「罰則を強化しよう」という法改正の趣旨であっても反対が明らかになってはいないようです。これは、一度作られてしまった法律の罰則強化には「反対」が出にくいためなのかは分りません。それとも「動物愛護法」によっては、国民が「重要と考える権利」をそれほど侵害されるとは多くの人が考えていない為かもしれません。ただ、既設の法令に「罰則を強化しよう」ということがごく普通に行われてしまう、ということは事実であることがお分かりになるでしょう。


それに比べて、人権擁護法案は反対意見は多く出されており、国会議員からも反対の意見表明が行われております。これは、「動物愛護法」よりも、特段の影響が考慮されるからではないかと思います。小倉先生が例に挙げておられたストーカー規制法では、一応行政手続法(準用行政手続法も含む)による規定が設けられております。通常の流れから考えると、まず警告を与え、それでも十分ではない時には仮の命令を与え、最終段階としては禁止命令ということになります。特別な事情がある時以外には、意見聴取とか所謂聴聞手続きが存在しています。この命令に不服である場合には、行政不服審査法による提訴はできないものの、行政訴訟は可能なのではないでしょうか。行政(警察)職員による審議ではありますが、聴聞手続きが存在し、命令の適否について検討できる機会があり、この時命令を受けた側は弁護士等の代理人・参加人も同席できます。


この手続きと比べて、人権擁護法案は一応意見聴取機会はありますが、単に「取調」を受けるのと違いはあるのでしょうか。「勧告」を受けても、この「勧告」について争うことはできません。何故なら単なる行政指導であるからです。ところが独禁法の「勧告」には受けた側に「拒否権」があります(勿論受け入れて審決としてもよいです)。それによって、審判手続きにチャンスを求めることが出来るのに、人権擁護法案では、それができません。しかも拒否権を行使しようとすると、一方的に「公表」手続きをとられ、公表されてしまいます。ここまでの時点で、他の法案と比べて救済・再検討機会が確保されていないのではないか、と思われるのです。これは明らかな、法の不備であると思います。


また「公表」手続きについても、法令によって「公示」規定があるものと、ないものがあります。また、放送法に関する行政指導が「公表」されたり、公取の「勧告」が「公表」と一体運用されていたりしますが、これらの「公表」手続きは、統一性がないばかりか、行政側にその裁量権があります。これと人権擁護法案に規定される「公表」というのは、整合性に欠けるのではないかとも思います。このような、行政指導に関する「公表」手続きは問題が大きいと思います。他の行政指導では公表されていない業種があるかと思えば、他方の業種では”勝手に”公表されてしまう、というのも如何なものかと思います。人権擁護法案で「公表」を条文中に規定するほどの「制裁的」「懲罰的」行為であるならば、他の行政指導でも統一性のあるものにすべきです。そもそも、行政側の”勝手な”裁量権というのは、このようにして適当に用いられてしまう懸念があるということをお分かりいただけるかと思います。


人権委員会の独立性・中立性について、条文上では如何に守られていると言われても、会計検査院の”独立性”を検討すると信頼性は低いと言わねばならない、と言えます。法解釈は行政庁に権限があり、何度も例に出していますが、会計検査院長が行った「”捜査機関ではない”ので、犯罪認知は事実上不可能であり、検察への通告はできない」という答弁を覆すことはできません。これは議員が聞こうとも、他の行政庁の方が尋ねても「変更不可能」です。”捜査機関ではない”金融庁は銀行法に基づく金融機関の検査(これも人権擁護法案と似た調査権が規定されています)で現に告発しているし(UFJですね)、公取にも同様の「犯罪を認知したら検察への告発」義務が独禁法の条文上規定されており、これも実際にその通り告発され起訴となった事例は存在するでしょう。しかしながら、憲法90条に規定される会計検査院だけは、「通告は不可能」なのだそうです。この法解釈を変えさせられる方法はありますか?このような行政庁の恣意的な法の運用・適用、判断や決定に対抗できる手段はありますか?現実にこの解釈を誰も改めさせてはいません。国会議員もこれには何の効力もありませんね。政党にしても無力は同じです。そう簡単には行政庁の恣意的運用を止めさせられないのです。


国民がこれに訴訟提起するとして、どういうことに対して提起するのですか?「国会発言は誤りであったので訂正を求める」裁判ですか?それとも会計検査院法第33条の解釈について、「通告は事実上可能である」ことを争う?それで、仮に「通告は可能」という判決となったとしても、現実に運用される時に「通告」すると思いますか?そういう法の適用について、一件ごとに提訴していかなければならないでしょう。
例えば、本来警察裏金事件ではA警察官を通告しなければならなかったのに、通告していないのは誤りである。よってこの決定を覆す訴訟を起こす、次にB警察官も、次にC警察官も、・・・という具合に延々とやれということになりますね。一件ごとに争っていかねばならない。これを国民はどうやって知りえますか?その判断材料すらないのに、提訴出来ないでしょう。行政の法の運用というのは、このような仕組みになっているのです。ですから、これに対抗できる有効な手段を持たない以上、行政には「誤って用いられたとしても大事には至らない程度の権限」しか与えるべきではない、というふうに考えます。これが、反対の主な理由とも言えますね。このような法解釈や運用について司法判断がきちんと得られるようなシステムであれば、まだ考慮する意味があるかもしれませんが。


同じ法律の条文であっても、時代とともに解釈が変わることも珍しくはありません。これで、大きな影響を受けた事件として、市立札幌病院事件を書きましたが、これは行政庁が出した「通知」の内容を巡っての問題であり、「通知」が変われば個人の法的責任が発生してしまう具体例ですね。通知とか通達は、行政庁が大量に発行しますが、この内容について一般国民が争うことは難しいですね。裁量権の範囲としては、広範囲に渡っているでしょうし。先の市立札幌病院事件の1審判決を受けて通知内容に変更が見られないのは、司法判断を無視できる、という意味なのか、誤った通知に基づいた司法判断が下された為なのかわかりませんが、合理的説明は思いつきません。このような通知の正当性について、一件ごとに訴訟提起して争っていくことは、非常に大変な作業でしょう。補助金適正化法第7条第2項規定の適用について、これが正しい解釈に基づいて適用されているかどうかを、全ての補助金について検証し、その誤りを見つけたら提訴するなどという作業をできる人がいたら会ってみたいですね。


今後人権擁護法に具体的事例として、色々な判断材料となる通知とか通達が加わるかもしれませんし、法務省の省令で別な「しばり」とかマスコミ条項のような「凍結・解凍」権限を省令に持たせることは可能です。これによって、政治家批判とか政府批判とか行政庁批判とか、そういった公権力に関わる言論を排除することに用いられる可能性は否定できません。投票によって政治家が僅かに選べる権限を有していたところで、誤った「通知」が出されそれが適用されることを防げません。


こうした行政庁の低い信頼性を鑑みれば、その権限は限定的なものに留めておくのが望ましいことは明らかであり、現段階での人権擁護法案のような権限は到底持たせられない、ということです。最低限、法案自体に検討機会や司法判断を仰ぐ機会が規定されているべきであり、他の行政指導における「勧告」と「公表」の統一性が図られているべきです。



401kの「投資教育」は誰の仕事?

2005年03月24日 22時10分26秒 | 社会保障問題
官僚の考えることは、本当によくわかりません。頭がいいのに、どうしてこういう制度を思いつくのでしょう。厚生労働省は、他にやるべき業務はないのかね?これは、東京などの大都市圏に存在する一部上場の大企業だけを中心に考えた制度ですか?まあ、余裕がある大企業ならできるかもしれませんが、日本全国の大多数の中小企業の福利厚生は何倍もの補助を貰う公務員とか大企業並みということはありませんから、事業主が従業員に「投資教育」などできるような環境にないでしょうね、多分。

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 加入後も投資教育継続を=401kで事業主向け指針-厚労省

厚生労働省は24日、加入者が自ら運用先を指示する確定拠出年金(日本版401k)で、事業主が従業員を対象に実施する投資教育の指針を作成した。指針は特に、加入後の継続的な投資教育の重要性を強調。「(加入者が)運用を経験しているため、実践的、効果的な知識の習得が期待できる」として、事業主が計画的な実施に努めるよう求めている。 





日本版401kは導入されましたが、今ひとつなんでしょうね。でもね、何でも事業主に役割を押し付けるのは無理があると思うけどね。私は公的年金と確定拠出型個人年金(概ね401kと似たような制度で、というように書いてしまいました)を推奨していますから、その点で考えると、関係があるのです。結論的には、事業主に「投資教育」を計画的実施させることは反対です。事業主は「年金」や「投資」のアドバイスができるような人材とは限らないだろう。従業員個人の投資判断とか運用成績に影響するのに、雇用主が従業員に「投資教育」するのって、ある意味「コワイ」。私がその立場だったら、勘弁してくれ、と思うだろうな。どこかの証券会社とか保険会社とかの人に詳しく教えてもらえば、って思うけど。本来、専門家が教育するんじゃないの?


まず今の日本できちんとした長期運用に耐えうる評価を得られる運用会社が少ないだろうし、ファンドマネージャーにしても当てにできる人なんて殆どいないだろう。従業員への「投資教育」も必要かもしれないが、やるべき順序としては運用会社の充実とか運用担当者への厳しい教育・育成とかファンドの成績・結果重視の制度だろう。無知な投資家にでさえ年金原資として、確実に運用してあげられなければ殆どがまともな成績なんて残せないだろう。そういう運用会社をまず育てるような努力を業界に求めるのが先決ですね。厚生年金運用基金の連中を見ろよ。役人のボケかすどもが大穴あけちゃって、大損しているでしょ。そういう連中に教育しなかったくせに、今後は従業員に計画的投資教育なんて、笑わせるな。ちんけな中小企業では、あれこれ手が回らないだろう。この制度を考えた奴は、労務管理とか福利厚生とか多くがきちんと整った制度を持つ大企業の話しか聞いてないだろう。官僚の考えることなんて、所詮こんなレベル。


「投資」は、官僚が得意でしょ。先日も経産省で有名になった投資家がいたでしょ?逮捕されちゃったけれど。他にも注目を集めた某ファンドの方も、そこのOBでしょ?官僚は結構投資好きが多いんだね。まあ、「経済」を背負っているらしいから、投資が得意でも不思議はないけどね。厚労省に乗り込んで、「何バカな政策を作っているんだ!」って教えてやれよ。「下らねー制度を作るな」って怒ってやれば?こういう一つひとつが怪しいんだよね、厚労省は。


また、何かの組織でも結成しようとしてるんじゃないだろうね?日本版401k対応の「研修・教育機関」として「~~協会」とか「○○センター」とかを作ろうって魂胆なんじゃないの?そこで、各企業に「投資教育計画」を策定させる(もっともらしいけどね、出来レースなんだろうよ。多分基準をクリアできるのは官庁と仲良しの企業だけさ)。計画が公益法人に認められたら、計画策定費として補助金を給付するのと、教育研修を受ける従業員に1人あたりいくらか補助金を出す。そうして、この元締めになる公益法人には、国庫から補助金を入れてるのと、天下りポストを抱えてるって、いつものお決まり通り。もっともらしく作る動機はあるんだけど、何か怪しい。何度も書くけど、従業員への「投資教育」なんて大きなお世話なんだよ。自己責任が基本だろう。教育を受けるなら、金融とか証券とか保険とかそういうところの専門家にしてもらえ。今時そんな情報はどこでも手に入れられるし、通常の生活をしていても向こうから(そういった投資商品の勧誘など)やってくるだろう。なんでそんなご時世に、「投資教育」を厚生労働省がそれほど頑張るんだ?元来他の省庁の仕事だろう?やっぱりかなり怪しいな。変だよ、こんなに「投資教育」にこだわるなんて。裏があるような気がするが・・・・・・。

薄汚い企みだけは、一丁前だからな、官僚は。信用できん・・・


人権擁護法案はどうなるか

2005年03月24日 03時01分30秒 | 法関係
今までいくらか考えてきましたが、この法案についての不安は未だ解決されておりません。法学上の知識が十分ではない国民はおそらく大多数でしょう。国会議員と言えどもこれは同じような部分があるかもしれません。小倉先生が記事に書いておられた古川議員は、天下の東大法学部卒であり、しかも官僚出身者のようです。通常の理解として、一般的な個人に比して法学的知識、行政法や行政システムについて十分熟知されていることは想像に難くないでしょう。そんな人が危惧したり誤読してしまう以上、一般国民にそれ以上の解釈レベルとか法の理解を求めるのはかなり困難があると言えるのではないでしょうか。その意味で法案の誤解釈とか大袈裟に心配することも、ある意味「普通の国民」の心理を代弁しているとも言えるかもしれません。

国民の代表である国会議員が、必ずしも法の専門家(法曹関係者)と同じような判断をするものではない、ということが言えるのかもしれません。本当は立法に携わる以上、正確・厳密に法律を理解することが必要であると指摘されるかもしれませんが。ただ、素人である一般国民が読んだ時に、たくさんの誤読とか誤解釈をもたらす法案というのは、優れた法案なのかと言うと、そうとは言えないかもしれません。これは「そのようにも読める」とか「そういう可能性がある」といった、普通の国民の反応を如実に表わしているとも考えられるからです。また、反対が非常に多いという状況ならば、民主主義の原理に従い「この法案は必要ない」という意見が大多数であるかもしれない、ということも考慮せねばならないでしょう。


自民党の古賀さんに法案の調整等について一任したようであるが、よく検討するべきでしょう。
Yahoo!ニュース - 共同通信 - 「国交」規定で修正検討 人権擁護法成立を再確認


当然マイノリティについての救済は、単純な多数決で決定できるものではない、という判断も有り得ます。しかし、立法制度上多数決によって決するということになるのであれば、法整備での解決を試みるのではなく、行政制度上での努力によって支援する形も考えてみる必要も出てくるかもしれません。私は法律とか行政制度の専門家ではありませんから、具体的にどのような制度を作ることができるか、正確には判らないのですけれども。


法律上は「不知は法的責任を免れるものではない」という立場は堅持されるでしょう。すると、一般的に法律の条文を読んで自分自身で考えるとか(行政に尋ねるということも可能ですが、一般的は「個別の案件には答えられない」という立場を貫くでしょう、国会答弁でも同様ですのでこれは改めて説明する必要がないでしょう)、法の存在すら知らないということになりましょう。その時に個人の権利がどの様な制限を受けるか、若しくは言説・主張等に対してどの様な判断を行政側から下されるか、正確に「判らない」ということになります。勿論勧告を受けた時に、それを受け入れれば問題ないかもしれませんが、以前に検討した独禁法と比べても勧告受け入れを拒否した場合の手続について制度上問題があるように思います。

人権擁護法案の立法上の危惧として、次の点についての合理的理由・説明が必要かと思います。

1)会計検査院は十分な独立性が保たれているとも言えず、会計検査院法の運用についても恣意的運用の可能性を否定出来ない(もしもこれに適切な説明・反論があれば聞いてみたいです)。憲法規定である会計検査院であってもこの程度の行政システムであるから、委員会の独立・中立性や法の運用がこれ以下になってしまう可能性が当然推測される。この時に国民の権利は守られるか。

2)法律に「罰則規定がないから」という理由で、後年罰則規定を法律に附与しようという改正案が出されることは珍しくはない。また、マスコミ条項についても別な法令で規制可能という暗黙の規制(ある意味人質)が行われる可能性がある。一度法律が作られると、それに対して条文や法令を追加することは比較的容易に行われる傾向にあるが、これに対する国民側からの抑制策は少ない(所謂選挙とか違憲立法審査くらい)。

3)もしも法案を導入するとしても、独禁法に見られるような「勧告」に対する「受け入れ」または「拒否」についての選択・意思表示の機会、続いてその適否を検討する機会、それに対する司法判断を受ける機会、が整備されることが望ましく、罰則的(制裁的)意味合いを持つ「公表」手続は慎重に行われるべきではないか。

4)法律自体は変更されなくとも、後から省令を変えたり、通達を出すことで実効的に法解釈を変えることが可能であるが、これに対抗できる手段が明確でない(裁判くらいでしょうか)。「勧告」に該当する具体例について行政側が設定できるということです。これは法案作成時点で明らかなわけではなく、後に著しく制限するような具体例の設定も可能である、と言えます。国民側が「その事例は差別的表現ではない」と主張する言論を行おうとした時に、それが例え正当であると思われても、メディアを封殺してさえいれば一個人の声など広く知られないし、権力に対抗できる言論ともなり得ないでしょう。
(これは地道な活動をしていた拉致被害者の訴えがメディアに取り上げられるまで、非常に長い期間世間に知られず、政府の行動にはなかなか結びつかなかったことを考えれば理解できるでしょう)


追記:3/24 13:10頃

独禁法違反による勧告を受けていたドンキホーテは、「勧告」の受入を拒否して「審判」を受けることを公取に意見通知したようです。以前の記事に書いたように、勧告の適否を審判手続きによって問うことが出来ます。
また、人権擁護法案には行政指導上の「勧告」とそれに続くものとしての「公表」がありますが、これが条文では明確に区分されています。しかしながら、公取が行う「勧告」とか、他の記事に書いた放送法に基づく行政指導は、「公表」されているようです。前者は意図していることは確かで、公取のHPに記載されているからです。また、後者の行政指導については、放送法上に「公表」は審議機関が答申した内容とか措置について規定されていますが、総務省の行政指導については行政側の裁量権の範囲(?)として考えられているようです(電波管理審議会の勧告は総務大臣が公表するべき事項になっていますが行政指導とは関係ありません)。このような違いが何故起こるのか不明です。総務省は行政手続法についての統一見解は持っていないのでしょうか?法務省は何故、行政手続の「勧告」と「公表」について区分して規定したのでしょうか。行政手続法上で規定は必要ないのでしょうか。


参考記事:
人権擁護法案擁護論への疑問1
人権擁護法案擁護論への疑問2
人権擁護法案擁護論への疑問3


ライブドア第二幕――高裁決定

2005年03月24日 00時05分08秒 | 社会全般
大方の予想通りの結果でした。東京地裁決定の時にも具体的な理由を挙げていましたが、今度の東京高裁の決定でも、具体的理由を4つ挙げております。現状で考えられる法的解釈について、法に基づいて妥当な判断を下されたと思います。今回の3度に渡る司法判断の過程で、国民にも企業にも経営者にもよく考える機会を与えてくれたし、司法の中立性や政治的影響力排除という点では評価が高いと思います。やはり、日本の公権力の構造の中では、現状で最も信頼性が高いと考えます。この司法の役割は非常に大きいでしょう。今後裁判員制度で国民が係わっていくことになりますから、司法への期待は大きいし国民側にもその覚悟が必要になってくると思います。


今回の騒動で今までのところ分かったことは、旧態依然の経営者達は「話を聞く必要はない」という頑なな姿勢と、単なる保身とも言える狼狽ぶり、そして「ジャーナリズム」は志の低いものである、ということでしょうか。日本人の心情としては、根回しや水面下の交渉といった「慣習」を守ってやって欲しいということであると思いますが、話も聞かない立場をとる人が果たしてそれが出来たかどうか、というと難しかったかもしれないでしょう。昨年の近鉄買収騒動を思い起こせば、まるで同じような感じだからです。そして、日枝氏があたかもナベツネの発言に共通するものがあります。


放送の持つ公共性というのは重視されなければならないでしょうが、仮に他の公共性の高い企業が買収されたらどのような問題があるのか考えてみる必要があるかもしれません。例えば、電力会社を外国企業が買収にやってきたとします。巨額費用を投入して一つ買ったとしても、経営者が変わるだけで住民は「電力供給がなくなる」といった不利益を受けることはないでしょう。何故なら、行政が許認可権を有している事業であり、持っている免許を失うと企業としての存続が出来なくなるからです。これが放送事業であっても同じです。もっともらしく「報道」や「ジャーナリズム」の意義が失われるということを主張してみても、行政機関の監督を厳然と受けている以上、法令から逸脱することは許されない訳であり、また不適切な「放送」や運営があれば厳しく改善命令等を受けるのです。実際、民放3社(日本テレビ、テレビ東京、熊本県民テレビ)に、総務省が放送法に基づいて厳重注意したと報道されている。これは、視聴者はもちろん、許認可権を有する行政の判断が加わるということを示しており、「報道の価値が失われる」といった批判は必ずしも当てはまらないであろう。もっとも、低俗かつ報道の価値のないような番組を粗製濫造で世に送り出している放送局もあるのかもしれないが、それは社会的に(法的にも、笑)許容されているというのが現状なのであろう。何ともバカらしい「ジャーナリズム」かもしれないが。産経新聞がフジサンケイグループの報道の価値について頑張って主張しても、世論の理解とか共感があまり得られなかったのは、「そのレベルの報道・言説しか行ってこなかった」ことの裏返しなのかもしれない。これについては正確には分からないのであるが。


今後は、「社会的に求められていること」「企業として行うべきこと」、そして、現場の人間がメディアとして「行わねばならないこと」をよく考えて、企業間で問題解決の道を見出すようにするべきでしょう。結局のところ、視聴者・利用者をどれ程大切に考え行動してきたか、メディア企業としての存在意義をどう考えるか、これが答えを導き出す要件であると思います。これが理解されていなかったから、今回のような結末を招いたのでありましょう。


追記:(3/24 1:30頃)
放送局3社への総務省の態度(とりあえずそう表現します)は、行政指導であり、指導内容と対象が報道されています。これは「行政指導と内容の公表」は合法ということのようですね。


公務員制度改革3

2005年03月22日 16時59分05秒 | 行政制度
昨年財務省が三位一体改革の推進の中で総務省に突きつけた地方の不適正支出について、「横暴だ」「地方にも事情がある」などの意見もあったが、必ずしも全てが適正という訳ではないだろう。給与面でも高すぎるということが指摘されていた(前に書いた記事です、お役所体質その1)。おまけに、国家公務員の給与一律引き下げという自らの「出血」を伴った以上、地方公務員にも当然の「出血」を覚悟してもらわねばならないという財務省と、このままでは本当に多くの自治体が破綻し再建団体へ転落しかねないという総務省の意見が一致したのであろう。また、自治体では職員労組の抵抗にあって、地方公務員の改革がなかなか進まないという事態を目の当たりにした総務省が、「こりゃいかん」と中央から支援作戦の展開という面もあるだろう。地方公務員は、中央に比べて危機意識がまだ低い面が見受けられ、切り込み不足というのが総務省の認識だろう。

以下の記事で、改革の開始が出ています。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 地方公務員の給与総点検、厚遇批判で初の全国調査へ

一部抜粋します。

財務省は「本来は公共事業などの投資に充てるべき財源を給与に上乗せしたと考えられる」と指摘している。経済財政諮問会議も、給与の抑制を求めている。このため、麻生総務相は「大幅な給与カットに努める自治体もあるが、なお、一部の自治体で給与制度や運用に見直すべきところがある」と判断し、28種類の手当を中心に、総点検を実施することにした。この調査結果は、有識者で構成する「地方公務員の給与のあり方に関する研究会」が来年3月までにまとめる改善策の参考資料にも使う予定だ。





遂に全国調査を実施し、「地方公務員の給与のあり方に関する研究会」の資料にするということのようだ。これも、随分と悠長にやってきたのだな、と思う。本来、実態が判っているのだから、自治体の首長や議会が率先して改革に努めなければならないだろう。ところが、職員労組の抵抗だ。再建団体に転落すれば、自分達が貰える給料だって怪しいのに、それでもなお自己利益にしがみつこうとする。


この国には、健全な考えを持つ人間がすごく減ったのだろうか。子供達や若者達に偉そうにあれこれ言うが、改めようともせず、社会利益を考える訳でもなく、自分達の利権だけを守ろうとしたり、犯罪行為を組織ぐるみで続ける「拝金主義」の木っ端役人ばかりじゃないか。大学まで出て、採用試験に合格し、役所勤めを続けて得たものは「拝金主義」にまみれた欲望で、それを満たそうとする輩ばかりであり、組織の自浄作用も持ち合わせておらず、沈み行く船に自分だけしがみつこうとするような連中ばかりだ。こんなことでは、よい社会はできっこない。


地方公務員改革も同時進行でやって、地方財政の健全化と本当の意味で地方分権を推進せねばならないだろう。

一部には、改革推進もありました。お詫びします。以下に記事を。
Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 公費ゼロ、宮城県に学べ 大阪市の職員厚遇 知事「今の時代、当たり前」

さすがに改革派知事ですね。情報公開も進んでおり、よいお手本です。