いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

今日の妻3

2004年12月01日 16時31分49秒 | 俺のそれ
このシリーズはどうかと思うのですが、好評につき(本当かよ?)またちょっと書いてみます。勿論妻には内緒です。




昨日夜にテレビ東京系でやっている「ワールドビジネスサテライト」を妻と一緒に見ていました(我が家ではこの番組は人気で、よく一緒に見ているのです)。新製品や企業情報などが多く、結構楽しめるのです。番組途中でオージービーフの取り組みみたいなのが紹介され、パーティ会場みたいな所でオージービーフ試食会みたいなのが開かれている模様が映像で伝えられていました。その中で乾杯シーンがあり、一人の女性が乾杯の音頭をとってグラスを掲げていました。

私はその人が誰か知らなかったのですが、妻曰く、「あっ、くりはらはるみさんだ」とか言うので、内心「なにっ?」と思い妻を見てしまった。株式取引をしていて経済番組には人一倍興味を持つ私が知らない、今まで見たこともない財界人(このときはどこかの会社の女社長か?と思っていた)を、ウチの妻が知っているとはどういうことだっ?と焦りました。

本当は、そんなには驚いてないけど。
でも、思わず「すごーい」と言ってしまった。
「誰?それ」と聞くと、「ああ、料理研究家」と。
あっさり言われてしまい、ガクッ。
なんだ、そうか。やっぱり社長とかではないんだ(これは悪い意味ではありませんし、差別するものでもありません。ようは大きな企業の社長さんとかではないって意味で)。
その後字幕に名前が出て、やぱり正しかったんだーということになった。





妻恐るべし。やはり女性の情報網というか興味は意外で、こちらが予期せぬことを知っている。
ポイントは違うが、こういった感性も何かの役に立つのかもしれない。以前に化粧品会社に投資すべきかどうか判断するのに、意見を聞いてみたことがある。その時は「この会社の化粧品は大したことないよ。それほど人気になるとは思わないね」と言っていた。
それで株を買うのは止めたのだが、その後その会社はさほど成長してないし株価も上がらなかった。買わなくてよかった、と思った。男は泣いた(プロジェクトX風)。


変な方向へ行ってしまいましたが、結論としては、「妻恐るべし。ゆめゆめ侮るなかれ」だ。
色んな意味で気をつけよう。(何を?)これを読んだら大変なことになるだろう。間違いない!





日中関係の報道は?

2004年12月01日 15時13分45秒 | 社会全般
今までの外交問題に書いてきた記事で、非常に気になったことがあります。それは日本側の報道に違和感というか疑問を感じることが多かったということです。




ブッシュ政権確定後、少しして原潜の領海侵犯が起こりました。比較的早い段階で中国籍であることが報道され、その後の追跡状況なども報じられていました。この時期、防衛庁と財務省の防衛大綱についての交渉が続けられていたと思いますが、原潜情報の出所は主に防衛庁関係だったのではないか、と思っています。

事実を正しく伝えることは必要です。そして、国家としての対応についても議論は必要でしょう。ですが、そこにあまり客観的ではない情報や判断を、一様に報じるマスコミの姿勢は如何なものか、と思うのです。洞察したり、よく観察したりすることの方が、事態の進展を探る上で重要な場合もあるのではないでしょうか。


あくまで推論に過ぎませんが、原潜問題で防衛庁はチャンス到来と考えたでしょう。ポイントは、防衛力強化がこのような事態への対処として必要であるという先入観をもたらすことが可能であること、そしてアジアカップ等からくすぶっていた中国に対する国民感情を煽ることができること、の二点であったと思います。

このような背景がある中で、対中外交戦略が政府内に出来ていない段階にもかかわらず、単に原潜問題だけを見つめて、民主党が突っついて(他にツッコミ所が無かっただけかも)みた「海警行動発令の遅れ」とか、日本側が敢えて発言する必要のない事を質問したりするとか、中国への反発を促すような社説といったことが、報道の真の役割と考えて行っている結果なのか非常に疑問です。漏れ出てくる情報に踊らされて、情報源の意図する論調に終始するのが必要な報道なのでしょうか。




安易な憶測や推量で報道することはできないことは当然でしょうが、一次的思考で素人でも分かるような解説を付与するだけでは意味をなさないのではないかと思う。これは特に新聞においてよく考えてほしいと思います。事件があって「これはよくない。正さなければならない」ぐらいのことは、誰でも考えつくのです。そういう一面的な判断ではなく、一般人からは見えにくい事態の側面であるとか、別な解釈を併記するとかが報道する側に求められる姿勢なのではないかと思います。それが困難な状況ならば、必要以上に書き手の感情や判断を交えずに、淡々と事実だけを公表するに留めるべきです。


日中首脳会談の報道においても、胡主席との会談後の報道ではほとんどがネガティブな論調でした。あの報道をみると普通の感覚の持ち主ならば「日本と中国はやっぱり仲が悪いんだ。中国は嫌味な国だな」と思ってしまうのではないでしょうか。日本のマスコミはそんなに対立を生み出したいのでしょうか。「溝深まる」「溝埋まらず」「対立鮮明」「厳しい非難」「関係改善困難」等々、どの言葉も与える印象が否定的です。

私は既に記事に書いてきましたが、中国側が会談を受け入れたことは協調路線を選択したとみてよいと考えていたので、これほど日本の報道が悲観的なことに驚きました。このような書き方は本当に適切なのか疑問に思います。会談会場にいたわけではありませんから実際の雰囲気がわかりませんが、少なくとも対決姿勢ではなかったのではないかと感じました。そうでなければ、温首相との会談要請もしてくるはずがないのです。ですから、どのメディアも一緒ではなく、いくつかのメディアは例えば「日中対話再開か」「日中相互発展へ」「六ヶ国協議再開へ協調」などといった見出しをつけてもよいのではないかと思う。私の感想としては後者の方でしたから、今回の中国側からの温首相との会談要請は合点がいくものでした。


残念なことに今回の報道も大体同じ論調で、「靖国参拝非難」「厳しい姿勢」「参拝中止要請」といった具合でした。これも記事に書きましたが、今回中国側は直接表現は避けて、協調路線を出していたにもかかわらず、日本国内報道はこんな調子でした。「重ねて参拝中止要請」って、中国側は会談でそう言わなかったわけですから、中止要請してないのです。要請しているのは記事を書いてる記者でしょう。中国側は「対処」を求めたのであって、「中止」を要求しているのではないのです。詭弁と言われるかもしれませんが、実際にこの問題を解決しようと思ったら、中国側としても絶対「中止」などとは言えません。何か形としてはっきり分かる方法で「対処」して下さい、という意味に過ぎないのです。

今回読売新聞朝刊の見出しについては、ほぼ納得できるものであったと感じます。「靖国参拝『適切処理を』」「日中、協力姿勢を演出」というもので、実情に最も近いのではないかと考えています。このような見出しを見つけたのは、一連の報道を見ていて初めてでした。特別読売新聞の肩を持つわけではありませんが、こういう報道機関が必ず存在しないとおかしいのではないかと感じます。




大体、日本国内で靖国参拝問題について十分な議論もなされていない上に、国民はどうすべきと考えているのかも不明です。単に首相個人の問題として捉えるのではなく、日本国家としてはどのように対処すべきか検討をするべきです。もしも「靖国問題は本当に問題だ」というなら、何が問題でどこを改めるべきか考えねばなりません。A級戦犯の扱いに関しても、日本人として責任を負うということになります。逆に何も問題ないという合意が形成されるなら、何と言われようと拒否すべきでしょう。
そういう視点で国民に靖国問題を問う必要はあるでしょうが、全て中国側の主張に結び付けてこの問題を論じるのは、自分達の思想が全くないような国民であることを暴露しているようなものです。

どの報道機関も同じような論調になってしまうことは、ある意味で非常に危険な思想統制に近い状態であると思います(そんなにオーバーではないですが)。社会の健全性とは、賛成者がいれば反対者が必ず存在することだと思います(もちろん全ての事柄とは言いませんが、例えば「犯罪者に刑罰は必要ない」とか)。ほぼ全ての報道がこのような状態では、ちょっと怖い気がします。誰かまたはどこかの報道機関でもいいですから、「いや、ちょっと待てよ。そうではないのではないか?」という重みのある報道を期待したい。


温首相は温かい人?

2004年12月01日 12時04分37秒 | 外交問題
昨日は中国温首相との会談が行われましたが、情報少なくて何も書くことができませんでした(ビールで酔っ払ってしまったのが事実かもしれません)。でも、待った甲斐がありました。とても重要な発言が報道されていたからです。




速報記事は、中国外交部発表の内容をもとに書いたのではないかと思われる論調がほとんどであったと思います。ほぼ一様に「靖国参拝中止を求める、中国側の厳しい対応」といった内容でした。これは中国側の厳しい指摘が印象付けられ、日中間の対立色が際立ってしまいます。

本当にこんな内容だったのか?とちょっと疑問にも思っていました。日本の報道は、何故か論調を統一したがるような気がします。これはまた後で書くことにします。


今日になって新聞を見てみると違った印象となっていました。

読売新聞によると以下のような報道になっています。

温首相は小泉首相の靖国神社参拝に関し、「歴史にかんがみ、将来の発展を期そう。問題を適切に処理していただきたい」と参拝中止を求めた。小泉首相は「これまで参拝してきたのは、心ならずも戦争で倒れた人々への慰霊の気持ちからで、不戦の誓いを新たにするものだ」と参拝の目的を説明した。


私の事前予想は記事に書いた(「日中の相互譲歩で修復?」、カテゴリー:外交問題)のですが、中国側からは靖国問題に関して厳しい表現はないと思っていました。そんなことをするなら、会談申し入れ自体しないはずだと推測したからです。小泉首相が「靖国とは明言しなかった。暗に靖国参拝のことだと分かった」と語ったように、中国側は表現に厳しさを盛り込まず「オブラートで包んだ」ような発言であった。これは中国側の協調姿勢を日本側にはっきりと伝えてきたものと解釈する。

対する小泉首相は前回同様の「参拝理由」を述べたようであるが、これは理解を求めても中国側にとっては意味のないことであるから、発言自体すべきではなかったと思う。向こうが敢えて「靖国参拝」という言葉を用いてこなかったことに意味があるのに、こちらから「参拝」などと言うべきではなかった。原潜問題については中国側首脳は「遺憾の意」を言葉として用いていないことに何も学んでいないのかと思う。これについては何度も指摘している通りだ。
「歴史を鑑み」「問題を対処」なのだから、日本側としては「歴史を大切に思い、未来の両国発展のために国家として責任を果たしていく」ぐらいの回答でよかったのではないか。外交戦術としてはどうかと思う。小泉首相の参拝発言を受けて、日本国内の報道は「靖国問題」について「厳しい」という印象に短絡的に結びつけてしまっている。日本国内が騒げば騒ぐほど向こうに有利な材料となってしまうだけだ。


中国外交部は「靖国神社の参拝問題をうまく処理できるかどうかが両国関係の発展に直接影響する、と指摘した」と報道しているようであるが、これは中国国内の反発抑制策の継続とみてよいと思う。やはり中国国内で反日感情に配慮するのは、現在の指導部にとって必要事項と考えているからであろう。

ODAに関しては、以前の記事に書いたように、中国側はそれ程重要視していない。突然の打ち切り以外には、日中関係に影響するような事態にはならないだろう。首脳が言及する必要はなく、外務省高級官僚や大使が意向を伝えればよい。日本・中国国内いずれにおいてもニュースにしない程度の扱いが望ましい。変な理由付けをされる材料に供する必要がない。今後は段階的に縮小し、医療関係や浄水施設のような部分を残すよう考えて、他を削っていく方向でよいのではないか。5年で半減、10年以内には廃止でよいだろう。




言葉とは非常に不思議なものです。同じ出来事や気持ち等を表わす時に、どの様な言葉を用いるかによって逆の立場となる可能性があるということです。言うまでもないことなんですが。どうも日本の報道姿勢は、新たな火種を作り出すのが好きなのか?と思ってしまいます。日本国内の報道は、中国以上に靖国問題についてクローズアップし、その点だけを取り上げて「対立」気分を作り出すように思います。フォーカスがそこに向けられる、というのはいい面と悪い面が存在するわけで、客観的に公平性が保たれているかどうかが問題になると思います。

話が逸れました。報道に対する感想はまた別な記事に書くことにします。


日中関係は好転したと考えます。これは以前から主張してきた通りです。

中国側は日本と北朝鮮との関係を考慮して、外交部が早速活動を開始しているようです。六カ国協議再開への道筋をつけるよう努力するということであろう。イニシアチブを握ることと日本への土産にできる。中国が「尽力しましたよ、次は日本の番ですよ」という態度を見せつけたら、日本としても何かの「態度」を示さねばならないだろう。中国国内での説明がつくような、靖国参拝問題に対する日本の対処が必要になる、ということだ。中国を含む「戦争被害国に配慮した」と受け止められるような、何か―――いずれにしても難しい問題であることに変わりはありません。