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財務省奮戦記

2004年12月21日 16時28分18秒 | 経済関連
今日の読売新聞朝刊のスキャナーというコーナーで、財務省が取り上げられています。
見出しは「財務省 強気の戦い」 「歳出削減へ独自案 各省庁と火花」と今回の健闘ぶりが見て取れます。
また、「防衛費 ”聖域”に切り込む」 「整備新幹線 関空2期 公共事業で”妥協”限界も露呈」ともあります。

なるほど、よく出来ている見出しだと思いました。端的に表していると思います。以下に気になった部分を転載します。




「財務省は、経済財政諮問会議や財政制度審議会に独自案を公表して、真正面から論争を挑んだ」
11月に発表した破綻シナリオの公表については、「財務省主計局は『財政審委員の試算』の形に変え、強引に発表に踏み切った」との記述があります。

これは、行政担当として国民に広く状況を説明する上で有効であったと思っています。本来このような役割は国会議員たちが行うべきものなのですが、それが出来ていない為財務省がここまで頑張ったとも言えるでしょう。

また批判もあります。
「『聖域なき歳出削減』は急激に色あせ始める」や「族議員と対峙する大型の公共事業は、ほぼ要求通りに認められた」
「与党幹部は『財務省が正面から議論を挑んだことで、構造改革論議は確かに活性化した。しかし、議論が戦車や教員の数など、カネの議論に偏ったため、他省庁から見透かされたことも否めない』と指摘し、財務省の変身ぶりを冷ややかに見ている」




いくつか思ったことを書いてみます。
財務省についての感想は先ほど述べた通りです。近年になく頑張ったと評価できると思います。従来型ではなくなったということに意味があると思っています。今後は今年の結果を踏まえて、どのように改善できるか検討してゆくことが必要です。

そもそも、各省庁が行う事業計画や予算編成の仕組みに問題があります。通常家計では、絶対必要なものから配分し、残った部分をどのようなものに振り分けるか考えるはずです。この「残す」という意識が各省庁にはないことが問題です。

例えば子供が3人いるとして、お小遣いを分配するということを考えてみましょう。子供が何に遣うかよく考え工夫すれば、節約した子は自分の好きな漫画の本とかゲームソフトを買う事ができるようになり、無駄にジュースばかり買っていたり不必要なものに遣ってしまっている子は何も残せません。ところが、省庁の分配は無駄に遣っていようが節約していようが単なる取り合いです。3人に公平に分配するとか、年長順に差をつけるとかができないのです。強く「小遣いくれ」という子が多く貰える仕組みで、もっと悪い事は先月千円だったから今月は千五百円にしてくれ、というのです。先月千円を無駄に遣ってしまうことが「実績」となってしまうのです。せっかく節約して三百円残した子は、実績が減ってるから「減額」されてしまうのです。こんな不合理なことが、国家予算で起こってしまうのです。要するに無駄に遣った者勝ちという空恐ろしい状況なのです。多くもらった分を、無駄にお菓子やジュースを買い、それを友達にくばったりする子が「権力」が強く、多くの仲間(族議員やら業界やら)を連れており、更に小遣いアップしてくれ!と要求が強くできるということです。アホらしい。

予算配分は省庁ごとに大枠だけ設定して、頑張って節約したら次の事業に回せるような仕組みが必要です。サラリーキャップ制のようなものですね。足が出たら翌年は減額されることとしたらいいのです。そうすれば、節約できるし、省庁内の事業優先順位も出来上がってきます。今の各省庁の予算要求は、親のいうことを聞かない我侭な子供と一緒ということです。孝行息子が力を削がれ、浪費家息子が優遇されるなんて常識的にはありえませんね。

本来財務省がやらなくとも、各省庁で事業の妥当性についてよく検討するとともに、国会議員さんたちが正しく行政の行うべきことを示す必要があるのです。今回の防衛庁予算折衝では、本当に与党も野党も何ら具体的政策が出されていません。言う事は「反対」という意思表示だけです。方針としてどのように考えるべきか、についても示すことはありませんでした。無能さを露呈していたと思います。

財務省が防衛庁に抵抗できたのは、ある程度の論争に耐えうる論理性を背景に持っていたからであろうと思います。それは比較的検証しやすい分野であったからです。ところが、大型公共事業についての論争となると、実質的には難しい面があります。

よく新規事業を立ち上げる時、市場調査などを行ったり事業計画が作られたりすると思いますが、このときのベースとなる数字は、事業計画を提出する方としては楽観的な数字や都合の良い数字を並べることが多いのではないかと思います。非常に都合が悪ければ事業として認めてもらえないかもしれないからです。このような基礎的調査は計画している省庁が行っているはずで、その根拠は自分達の中にあるのです。これを提示された時、論理的反証を示すことは容易ではないでしょう。財務省側には基礎的データを検証する十分な材料がないからです。唯一考えられるとしたら、似たような事業内容の時の過去の実績くらいです。それが果たしてどの程度まで通用するものかは分りません。「それは昔の話だ」とか「うまく宣伝広告したり、集客効果のある施設を誘致すれば問題ない」とか反論されたら、それを覆すに十分な論拠がないということです。今回の大型公共事業については、おそらくこうした反証が十分揃えられなかったためであろうかと思います。

では、これを本来誰があるいはどこがやるのか、ということですが、やはり国会議員さん、特に野党議員が相当頑張らないとダメでしょう。「予算は族議員の言いなりで、お手盛りじゃないか」といくら非難してみたところで、何の意味もなさないのです。今回のような大型公共事業が本当に必要な事業かどうかの検証は、各省庁でまず行っているはずですから、後残されているのは、財務省か議員さんしかいないでしょう。財務省は全ての計画や事業内容に精通しているわけではないのですし作業の人的限界もありますから、出来ないこともあるでしょう。そこで、野党議員は何をすべきかと言えば、反対しているなら「反族議員」としてあらゆる手段を講じて族議員を押し返すだけの「反証」「論拠」を提示すべきでしょう。事業計画に出されている収支や予想数字などを一から洗いなおして(銀行の融資担当と一緒かも)、同業他社の実績と比較検討するとかもっと効率よい計画に変更するように勧告するとかでしょう。政権とってないからといって、行政の決定過程に関わらずに、「反対」といくら叫んでも意味がないのです。そんなことくらい、私が言わなくても分りそうなものですが。何のための国政調査権なんですか!(前にも記事に書きました。「政策は誰が考える?」参照)

財務省の切れ味が鈍ったわけでも、カネに偏った数あわせの論理でもないでしょう。各省庁に「削減」を要求するための合理的理由が示せなければ、「ウチじゃなく、他を削れ」と言うに決まっています。数的基準のあるものについては無駄を見つけ指摘しやすいに決まっているんですから。新聞に載っていた「冷ややか発言」の与党幹部は頭が悪いのかな?自分が削減する立場の人間なら、どこに着目すればよいかわかりそうなものです。数的基準の乏しい、例えば海底資源調査費50億円とかあったら、この事業が適正で本当に必要かどうかを財務省が検証できるわけがないでしょ?そんなことを全部について指摘出来ないっての。何なら削減の合理的理由を挙げてみてくださいよ、与党幹部さん。各省庁から出される要求はこうした事項の積み上げであり、どれを取り上げても「それは困りますよ」としか答えない担当者ばかりですから。A事業とB事業のどちらが真に重要な政策か財務省に決めさせること自体、本来無理なんだってば。

このような時こそ政治的指導力が発揮されなければならないはずです。野党が財務省の味方についたっていいじゃないですか。本当に政権取ったとき恩返ししてくれるとか思えばいいんです。頭使って行動してほしい。

子供たちが「小遣いくれ。もっとくれ」と言ってお母さんの言うことを聞かない場合には、お父さんの登場じゃないですか?お母さんは昔から「大蔵省」(今は財務省ですが)と相場は決まっていて、お父さんの役割は政治決着つまり国会議員さんであるはずです。そのお父さんの存在感が異常に薄いというかダメ父さんなんだかわかりませんが、お母さん以下のことしかしていないというような有様です。特に野党議員は何度も言うようですが、反対だけしてても無駄であり、具体的に政権与党に「切り込まないと」意味がない。次の内閣とか考えるんだったら、財務省担当の議員は予算委員会の委員である議員さんとかを総動員して、無駄な公共事業阻止のための活動を展開しなきゃならんのでは?国政は複雑ですから議員さんに得意分野があることは当然でしょうが、その専門分野の人達でさえまともな意見や政策提言を出すことができないなら、結局誰が政権とっても同じということですからね。

このような一つひとつの政策決定過程に深く関わって熟知していけば、本当に担当した時にも官僚に無知をバカにされずに済む(現在の法務関係の方は官僚に一から十まで聞かねばならない始末ですね。まるで操り人形のよう。他人事だと思って笑えないですよ、民主党!)はずですし、それまで政策検討をしてきたわけですから、無駄なく改革や改善が出来るというものです。そんなことも分らずに、「越権行為」だの「スタンドプレー」だの批判するなぞ百年早いわ。


段々憤りが募り、言葉が酷くなってしまいましたが、「財務省が変わった」と霞ヶ関が思うくらいなんですから、議員さんたちも早く変わってくれー!いつまでも芋虫では、見飽きてしまいます。さなぎにもなっていないような気がしますが、私だけでしょうか。


追記 12/23 13:00

記事を書いて翌日に、復活折衝で海底資源調査船建造費101億円が財務省に認められたそうです。偶然でしょうが、海底資源調査の記述について「何なら削減の合理的理由を挙げてみてくださいよ、与党幹部さん」などと書いてしまった為に、本当に与党幹部が財務省に復活を迫ったりしたのかな?

医業と歯科医業

2004年12月21日 12時10分21秒 | 法と医療
現在医療制度改革の記事は途中になっていますが、いずれ医業(歯科医業)について書こうと思ってました。木村氏の記事に関係がちょっとありそうなので、少し書いてみようと思います。



今年だったと思いますが、ある大きな病院(大学とかであったような気がする)で心臓手術のような循環器系の手術だったと思うが(記憶が定かではありません)、手術の助手としてその分野では著名な外国人医師が入り「医師法違反ではないか」とニュースになっていたと思います。このとき問題になったのは、医師法第17条の「医師でなければ、医業をしてはならない」という規定に抵触する恐れがあるということであろうと思います。

専門外なので詳しくは分りませんが、「医業」の定義については法学的に諸説があるようで現在も正確に決まっているわけではありません。行政が法解釈を下す時にどの説に則って判断しているのかも不明(公表されているわけではなく、通知等でも正確な記述がないため)です。

過去の判例に見てみると、仙台高裁昭和28(1953)年1月14日判決(高裁刑事判決特報35号3頁)では、「医師でなければ,医業をしてはならない。」、「『医業』とは,医行為を業とすることであり,『医行為』とは,当該行為を行うにあたり,医師の医学的判断および技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼすおそれのある一切の行為である。」と定義している。

時代がまるで違うので必ずしも現在の法的解釈と合致しているものであるか不明であるが、この判決で見ると業というものが反復継続性の意思を持つかどうかによるので、法的にはたった一度の行為であっても「業」とみなされることが一般的解釈で利益や報酬の有無には関係なく、「医行為」をその意志を持って行えば、医業に該当するということになるようである。

従って、著名な外国人医師が特別な技術を要する手術を日本各地でデモンストレーションして回ることは許されていない、といえる。これが歯科医業であっても同様の考え方、規定であろうと判断される(因みに歯科医師法では第17条規定である)。

この法的問題をクリアするためには当然免許が必要となるが、アメリカでは各州ごとに免許が決められており、その州でしか医業を行うことが出来ない場合と、他の州の免許があればその州の試験に合格すると医業が可能な場合があり、州法で決められていると思う。国内の統一性は全く無く、外国人医師についても同様の考え方(どの国の免許を取得しているかは決まっているかもしれない)となっていることが多い(アメリカって行ったことないですが、州が違えば外国に行くのと同じような感じなんですかね)。

日本国内で特定の国(アメリカとか北欧などの医療先進国とか、インドも先進国ですね)の免許を取得している外国人に、特別な資格(デモンストレーションや講習のためだけの)を附与すると仮定して、もの凄く不都合があるかと言われたらそうでもないと思う。今までは国外でしか出来ないような手術とかを国内で出来るようになれば、患者の利益につながることもあるかもしれない(患者がそのデモンストレーション手術を希望するかどうかは不明であるが)。

法的にはいくつか問題を考えなければならないかもしれない。トラブルが発生した場合に、どの人間が責任を負うかである。デモをお願いした日本人?手術した外国人?法的責任の所在を予め決めておく必要がある。また、十分なエビデンスが確保されているとは言えないような医療をこうした外国人医師を通じて日本国内に持ち込まれるか実践されることを、どこでコントロールするかについても考えておく必要がある。実施前に内容を倫理委員会等に申請するような制度が必要かもしれない。

他の問題としては、国の行政制度についてであるので、法改正等が必要になるかもしれないことも行政側が踏み切れない理由であるかもしれない。また、外国で標準的に行われているような医療技術を獲得してきたのは、現在までは日本人医師が外国に留学や研究に行って日本に持ち帰ったものであり、そのやり方を行政が積極的に変えて、行政の責任において新たな制度をつくることに抵抗があるのかもしれない。通常医師の能力は均一ではなく、医療過誤事件などに見られるように、能力不足を指摘される事態も稀ではない。行政が見るところはそうした普遍的な問題であり、当然ながら保険制度には入っていない特殊な手技を必要とする治療法は、個人の努力で行って下さいというのが現状なのかもしれない。

歯科の治療は命に関わる問題ではないことが圧倒的に多いが、先天性心疾患などで小児の心臓移植手術は外国でしかできないなどの重大な問題もあることも事実である。行政の公平性や普遍性は大切なことではあるが、少数の国民利益も考えることもまた必要な場合もあると言える。

歯科治療については、それほどの逼迫した状態ではないと考えられるので、行政の手順としては後回しであろう。特に官僚は「前例がない」ということについて、非常に敏感な生き物であろうと推測されるからです。

国家公務員共済の謎14

2004年12月21日 00時57分10秒 | おかしいぞ
久々ですが、6日に返事が来てました。財務省は多分とても忙しい時期でしょうから、こちらの質問に答えるのは辛かったであろうと思いますが、やっぱり変な答えとしか思えません。

以下に返事を転載します。(以前の記事を見ないとよく分からないと思いますので、「国家公務員共済の謎」シリーズ、カテゴリー:おかしいぞ、を参照して下さい)



前回お答えしたとおり、補助金適正化法第7条第2項の適用に当たっては、各省各庁の長が、個々の補助金ごとに当該規定の趣旨踏まえ判断することとされておりますので、お示しのビジネスモデルのケースなど、仮定のお尋ねへのコメントは差し控えさせていただくことをご理解願いたいと思います。

○ 本件医療施設の整備事業補助金は、減価償却費相当額を基準として算定する金額が元本償還費の一部に充当される制度ですので、当該期間損益が黒字となっていても、補助対象となっている当該事業の完了により補助事業者である国家公務員共済組合連合会に収益納付が必要な収益が生じる訳ではないため、補助金適正化法第7条第2項による交付した補助金の全部又は一部に相当する金額を納付すべき条件を付しておりません。

○ 旧令病院については、「旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法」の規定に基づき、連合会が業務を行っていますが、これは、同法の施行により、旧軍共済組合を承継した共済協会が運営していた病院施設を連合会が承継し、その後引き続き業務を行っているものであり、そのような性格から、国家公務員共済組合連合会医療施設費等補助金の交付対象とはなっておりません。



このような回答でした。
前からの答えと変わりありません。質問と答えが噛み合っていないような…

こちらの質問の仕方が悪かったかもしれません。もうちょっと論点を整理してみようと思います。