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官僚は制度に負けるのか

2004年12月02日 18時07分28秒 | 行政制度
木村氏のブログに書いてみようと思い、あれこれ批判をまた書いてしまいました。勿論国家公務員を憎んでいるわけではありません。何度もお世話になっていますし・・・。優秀な人々の集団である官僚達はなぜ一般凡人の感覚とは異なるのか考えてみました。




業務の評価や動機付けという点で、人事制度の問題という側面があることは同意できる。組織の硬直性もそうした中から出てくるという指摘も理解できる。しかし、行政の業務を執行するにあたり、根本的な制度上の問題があると考えている。


現在の政治の仕組みは誰しも知っているように、民主主義です。国民が議員を投票によって選出し、国会で法律などを決定します(実質的には政権与党が決めることになります)。法律は、ある程度細かく決まっているものもありますが、政令や省令等でさらに細かい決まりを作ったりすることもあります。もっと細かい部分については、通知・通達によって行政側が決定します。あるいは、こうした通知・通達がない事項についても行政側に決定権があると考えられています。


法律は概略決まっていますが、全てを規定することは出来ません。それより詳細事項についての実務上の決定権は殆どが省庁に委ねられていると言えます。一般人はこの決定内容を全て知ることはできません(文書開示を請求すればよいという意見もありますが、この権利を行使しても当然のことながら全てを知ることができないのはご存知でしょう。行政側にも是認される合理的理由があれば拒否できるからです。開示請求を巡って裁判となることもありますが、庶民の一個人が時間と労力をかけて取り組むには難があります。また開示請求するべき文書の種類や存在を知らなければ請求できませんね)。

行政側が行う決定そのものの正当性について、一般人は調べられないし検証することもできません。方法論としては、やはり訴訟以外ありませんね。法律に基づいて業務遂行のために省庁が出した決定は、裁判所が判定する以外ないということです。予算の執行については会計検査院が検査を実施しておりますが、当然全てを網羅できるわけでもありません。抜け所はいっぱいですね(ひどい喩えを用いるなら「ザル」以下で、引っ掛かりのほとんどない筒かもしれません)。


三権分立などといくら奇麗事を言ってみても、実質的には省庁内で法律に基づき各種の決定を行い、自分達でそれを運用し、不当かどうかを自分達で決めているようなものです(やっている以上、不当などという評価は決して下さないでしょうけど)。この評価がない為に、業務に関わる決定権等の権限を有する官僚達個人が権限を誤って行使したとしても、正されることがないか不正を働いて見つかってしまうことがあるかぐらいでしょう。


例で考えることにします。国家公務員の旅費に関する規定です。これは「国家公務員等の旅費に関する法律」によって規定されています。当然法律ですから、議員さん達が決めたものですね。この議員さん達を選んだのは私たち国民です。民主主義に基づいてますね。

さて、通常この法律に従っていることが殆どですが、中には詳細規定を別に定めている部分もあります。これについては財務省令によると定められていますし、警察庁に関しては「警察庁旅費取扱規則」という総理府令(旧ですね)があります。

読売新聞に掲載されていた記事によれば(手元に資料がないので正確ではないかもしれません)、この旅費計算システムを公益法人に発注しており、各省庁によって価格がバラバラで3割くらい開きがある場合や、安価な市販ソフトと人力で対応し十分の一くらいのコストでやっている省庁もある、とのことでした。この決定権が各省庁の担当者にあるため、実質的には現場の官僚が決めることになり、この決定が妥当かどうかは評価されません。そのためこのような違いを生じるのです。

また、実際の旅費支給に関しては経理上必要な書類等の資料があって、これに基づきかつ法令に従って支払われるのですが、この決定が正しいかどうかは評価を受けることは少ないのかもしれません。一時期旅費支給に不正が見られる(いわゆるカラ出張でしょうか)ということが話題になったことがありますが、一般国民が一件一件調査するのは実質的に無理ですね(警察裏金問題でも旅費が不適切な支出となっていることが指摘されています)。

最初に示した法律の条文には次の規定があります。

第13条
旅費(概算払に係る旅費を含む。)の支給を受けようとする旅行者及び概算払に係る旅費の支給を受けた旅行者でその精算をしようとするものは、所定の請求書(当該請求書に記載すべき事項を記録した電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。)を含む。以下この条において同じ。)に必要な資料を添えて、これを当該旅費の支出又は支払をする者(以下「支出官等」という。)に提出しなければならない。この場合において、必要な資料の全部又は一部を提出しなかつた者は、その請求に係る旅費額のうちその資料を提出しなかつたため、その旅費の必要が明らかにされなかつた部分の金額の支給を受けることができない。

要は必要な正しい資料を提出しないとその部分の旅費は支給しませんよ、という意味です。この規定は現場の担当者が決定することになり、この決定が正しいかどうかは会計検査院の検査とかがないと評価できませんね。

旅費支給という事項に関して一連の流れで考えると、法律は決まっているが省庁は別な法令を付与したり、計算システムの発注権限を行使したり、法令で規定されている支給規定を自分達で解釈し運用して支給決定する、ということです(社会保険庁のシステム発注も似たようなもので、妥当性については評価がないままでしたから106億円もの契約外の無駄が指摘されることになるわけです)。
カラ出張であるとか13条規定とかの適用は実質的に担当者が決定してしまうので、通常はこの決定の正当性は会計検査院に検査されるか、裁判によってこの決定について争うかしかありませんね(たとえこのような行政システムであっても、各個人が正当な業務を行い権限を適正に行使すれば正常に機能し得ると思いますが)。


こうして、法令の解釈・運用・決定(適用)の全ての権限を省庁の官僚が有するという状況が、業務の効率性や正当性の評価がなされないまま行政が執行されていく要因となってしまっているのではないでしょうか。
この例では旅費について見てみましたが、補助金などでも結局似たような仕組みになっています。このような仕組みを悪用すれば色々な不正・不当行為をすることも可能なのです。最近のいい例が「監修費」ですね。
これらの悪用が果たして人事制度の不備に依存するようなものなのかは不明です。また、権限を行使する各個人の資質によるものかも判りません。私は行政制度の研究者でもありませんし、官僚経験もありませんので。専門的知識を有しない愚民の1人ですから。


国会議員は官僚出身者や法曹出身者が多いそうです(一般社会の存在割合に比べてということでしょう)。そーですよね、優秀な人材が揃っていて、一般人よりも頭も良く難しい試験に合格した人達しかいない訳ですから、私どものような一般の愚民とは当然違います。そういう立派な賢い人達だから国民の信任を得て多数国会議員になられているのでしょう。
本当に賢く誠実で正義感や責任感溢れる人達ならば、実情に詳しい官僚出身者の議員の方々が悪しき人事制度があるために行政の著しい障害や不正の温床になると認識するでしょうし、彼らが率先して議案をつくるなり、抜本的改革のための法律や政策を作っていくべきでしょう。それができないような無能な官僚出身者の議員を選挙で多数選んだのは国民が愚かだから、国民がその責任を有するのかもしれません。或いは上述した仕組みのどこにも客観的評価ができる法律なり制度を作れない立法府が役立たずということでしょうか?それとも会計検査院が全てを検査していないことが悪いのでしょうか?業務を担当している個人の資質依存性に、人事制度の壁によって倫理観を喪失させられて不正を働いたり、非効率的業務を平気で許容できるように変わっていくのでしょうか?私にはさっぱりわかりません。

国家公務員の改革法は確かに出来ましたが、これで霞ヶ関は「良くなるね」と思っている現職の官僚達はどれほどいるのか聞いてみたいです。

本当にこうした改革が実効性を持つには、一般国民はどう考え行動したらよいのでしょうか?
全然わかりません。