感想に続いて考えたことを書いてみました。賛否両論いろいろあると思いますが、是非コメント宜しくお願いしますね。
私はマスコミが今まで悪行を重ねてきたのだとしても、その存在は必要であると認識しています。それは、市民レベルでの活動では何の権力も持ち得ないからです。マスコミという権力集団がひとたび味方として市民側についたならば、方法論の適否は別としても相当の権力として作用すると思います。
そうした、市民側の活動や意見等をある種の権力に変えてくれる可能性があるものは、現在のところマスコミしかありません。いわば変換器と増幅器の効果がマスコミにはあると思います。これを市民側が利用して公権力に対抗する一つの手段と考え、マスコミの存在は正当であるというのが私の意見です。
マスコミと言っても、大きく2つに分けられると思います。テレビ等の映像を中心としたメディアと、新聞や雑誌等の文字を中心とするメディアです。前者はどちらかというと大衆迎合型で、利用者のアクセスや選択は容易です。利用者は自分で情報を探す必要がなく、アクセスしてさえいれば自動的に情報が手に入ります。即時性に優れ一般大衆への影響力は大きいと言えます。
後者は利用者が選択して初めてアクセスできます。時間は遅くなりますが、情報分析や熟慮が必要な情報に優れていると思います。利用者は自分である程度目的とする情報を探す必要があります。一般大衆への影響はテレビに比べると劣り、利用者への影響力はあると言えます。どうも、非難の対象になりがちなのは前者ではないかと思います。報道することで、取材者側の行動や直接の行為が一般大衆に伝わりやすいからだと思います。
以前、小学生の同級生殺害事件がありました。被害者の父親は報道する側の人で、新聞記者でした。その父親の発する言葉や、記事に載る文章は、取材する側とされる側の両者の真実があると思いました。これは、テレビのような映像中心のメディアではなかなか困難な面があって、批判を受けていた「酷いこと」や「配慮の足りないこと」が起き易いかもしれません。テレビでは取材する側に、報道以前に初めからストーリーがあって、一般大衆がこのような反応をしてくれたらいい、みたいな面が出てしまうからかもしれません。でも、新聞のような文字のメディアの場合には、読者には知りえない人と人の接点というかコミュニケーションがあって、それから取材とか記事を書くということがあるのかな、と思います。例えばスポーツ選手の心理面を取材したり、「関係者によると」とかの曖昧な表現に見られる公式発表では普通知りえない情報を掴むことなどはきっと出来ないでしょう。取材する側の気持ちと取材される側の気持ちがある程度通じる部分が必要でしょう。その点で、テレビとは違いがあるような気がします。でも、雑誌とかで写真狙ったり、特ダネ狙ったりみたいなことで、倫理に反するような面があるのは事実でしょうね。文字系のメディアが全部良い子とも思っていません。
ネットは色々な情報を仕入れたり、意見表明したりできるためとても便利で、個人が利用する時、これだけで完結できるかもしれないのですが、もとの情報は誰かが入手する必要があります。もし各個人が自分の知り得た情報を書き込むニュース板を作ったら、非常にローカルな情報には強くなると思いますが、政治や経済、裁判というようなニュースは書き込む人が異常に少ないので、ほとんど情報が集まらなくなってしまうでしょう。ですから、誰かが専門に情報を集める必要があると思います。
従ってマスコミの存在の意義は、まず情報を集めることだと思ってます。これは先に述べたように、人脈とか人の繋がりに依存する面があるということです。ネット上の私たちに重大な情報を流す人はそう多くはないでしょう。ネット上の人の繋がりは、面と向かって話す現実とはちょっと違うからなのかな、と思います。
マスコミのもう一つの意義は、権力の一種だということです。冒頭にも書きましたが、年金問題や裏金問題にしても、マスコミがキャンペーンを張って、行政を動かすということがあるのです。もちろん提灯記事もときにはあるかもしれません。ですが、マイナス面より遥かに上回るプラス面があると思うのです。犯罪被害者の救済のための活動は以前からありましたが、マスコミに取り上げられるまで誰も気にも留めてなかったと思います。被害者を丹念に取材したりしていたことが、このような形で生かされることもあります。北朝鮮拉致問題もマスコミが大きく取り上げるようになって、政府が動きました。何十年も誰からも放っておかれた問題は、今や国民全体の問題となっています。もしマスコミがこうした役割を果たさずに、ネット社会の情報を共有する人達が政府を動かせたか、となると疑問です。やはり社会の信任はマスコミにあるのが現状で、一般大衆もそれを無意識のうちに支持していると考えられます。ネット社会が重要性や信頼性を作り上げるには、まだまだ時間がかかりそうです。
このような権力を行使する立場にあるマスコミは、当然その責任と倫理に一般社会よりも厳しさが要求されます。誤った行使は非常に危険だからです。多くの非難はそこにあると思います。もし何も行使できる力がなかったら、ごく普通の人たちと何ら変わらないわけで、一般的な規範に従うだけで済むでしょう。しかし、特殊な権力を伴う集団あるいは組織なのですから、その権力による見えない強制力が誤って発揮されたりすると、まるで誤認逮捕などのように取材対象をひどく傷つける結果になるのです。しかもマスコミは、それが自分達が原因であることを明確に意識していないが故に、危険だと思われるのでしょう。また、情報取得が最優先されるような行動や行為が目につくのは、特殊な権力集団であることを無理に振りかざしていることが原因ではないかと思います。
色々考えましたが、最終的には各個人が自分に入力される情報をどうやって手に入れるか、入力情報をどのように考え、受け止め、分析するかで、マスコミへの反応も変わるでしょう。重要度が高い人とそうでもない人では、反応が違うのではないかと思います。今はネットがあるから本当に便利だし、情報入手は格段に楽になったと思います。おまけに自分の意思や考えを発信できるし、討論も可能ですし。意見交換ができる場が増えることはとても良いですし、自分が考えるきっかけを提供してくれますね。
今回みたいに、マスコミについて考えたことはありませんでしたし、何となく批判とか文句を言う程度でしたから。それも誰かに伝えるのではなくて、テレビ見てるときに叫んだりするくらいで、聞いてるのは家族くらいですから。
批判を受けたマスコミはやっぱり反省すべきですし、それを今後どのように生かすのかを皆さんに知らしめる義務がありますね、きっと。内輪の反省会だけじゃ、社会は許容できなくなってきてますから。
おっと、私も気をつけていこうと思ってますよ。前に書いた記事でさんざん「バカ」とか「愚か者」とか書いたんですが、ちょっと反省してます。マスコミじゃないから許してくだされ。
私はマスコミが今まで悪行を重ねてきたのだとしても、その存在は必要であると認識しています。それは、市民レベルでの活動では何の権力も持ち得ないからです。マスコミという権力集団がひとたび味方として市民側についたならば、方法論の適否は別としても相当の権力として作用すると思います。
そうした、市民側の活動や意見等をある種の権力に変えてくれる可能性があるものは、現在のところマスコミしかありません。いわば変換器と増幅器の効果がマスコミにはあると思います。これを市民側が利用して公権力に対抗する一つの手段と考え、マスコミの存在は正当であるというのが私の意見です。
マスコミと言っても、大きく2つに分けられると思います。テレビ等の映像を中心としたメディアと、新聞や雑誌等の文字を中心とするメディアです。前者はどちらかというと大衆迎合型で、利用者のアクセスや選択は容易です。利用者は自分で情報を探す必要がなく、アクセスしてさえいれば自動的に情報が手に入ります。即時性に優れ一般大衆への影響力は大きいと言えます。
後者は利用者が選択して初めてアクセスできます。時間は遅くなりますが、情報分析や熟慮が必要な情報に優れていると思います。利用者は自分である程度目的とする情報を探す必要があります。一般大衆への影響はテレビに比べると劣り、利用者への影響力はあると言えます。どうも、非難の対象になりがちなのは前者ではないかと思います。報道することで、取材者側の行動や直接の行為が一般大衆に伝わりやすいからだと思います。
以前、小学生の同級生殺害事件がありました。被害者の父親は報道する側の人で、新聞記者でした。その父親の発する言葉や、記事に載る文章は、取材する側とされる側の両者の真実があると思いました。これは、テレビのような映像中心のメディアではなかなか困難な面があって、批判を受けていた「酷いこと」や「配慮の足りないこと」が起き易いかもしれません。テレビでは取材する側に、報道以前に初めからストーリーがあって、一般大衆がこのような反応をしてくれたらいい、みたいな面が出てしまうからかもしれません。でも、新聞のような文字のメディアの場合には、読者には知りえない人と人の接点というかコミュニケーションがあって、それから取材とか記事を書くということがあるのかな、と思います。例えばスポーツ選手の心理面を取材したり、「関係者によると」とかの曖昧な表現に見られる公式発表では普通知りえない情報を掴むことなどはきっと出来ないでしょう。取材する側の気持ちと取材される側の気持ちがある程度通じる部分が必要でしょう。その点で、テレビとは違いがあるような気がします。でも、雑誌とかで写真狙ったり、特ダネ狙ったりみたいなことで、倫理に反するような面があるのは事実でしょうね。文字系のメディアが全部良い子とも思っていません。
ネットは色々な情報を仕入れたり、意見表明したりできるためとても便利で、個人が利用する時、これだけで完結できるかもしれないのですが、もとの情報は誰かが入手する必要があります。もし各個人が自分の知り得た情報を書き込むニュース板を作ったら、非常にローカルな情報には強くなると思いますが、政治や経済、裁判というようなニュースは書き込む人が異常に少ないので、ほとんど情報が集まらなくなってしまうでしょう。ですから、誰かが専門に情報を集める必要があると思います。
従ってマスコミの存在の意義は、まず情報を集めることだと思ってます。これは先に述べたように、人脈とか人の繋がりに依存する面があるということです。ネット上の私たちに重大な情報を流す人はそう多くはないでしょう。ネット上の人の繋がりは、面と向かって話す現実とはちょっと違うからなのかな、と思います。
マスコミのもう一つの意義は、権力の一種だということです。冒頭にも書きましたが、年金問題や裏金問題にしても、マスコミがキャンペーンを張って、行政を動かすということがあるのです。もちろん提灯記事もときにはあるかもしれません。ですが、マイナス面より遥かに上回るプラス面があると思うのです。犯罪被害者の救済のための活動は以前からありましたが、マスコミに取り上げられるまで誰も気にも留めてなかったと思います。被害者を丹念に取材したりしていたことが、このような形で生かされることもあります。北朝鮮拉致問題もマスコミが大きく取り上げるようになって、政府が動きました。何十年も誰からも放っておかれた問題は、今や国民全体の問題となっています。もしマスコミがこうした役割を果たさずに、ネット社会の情報を共有する人達が政府を動かせたか、となると疑問です。やはり社会の信任はマスコミにあるのが現状で、一般大衆もそれを無意識のうちに支持していると考えられます。ネット社会が重要性や信頼性を作り上げるには、まだまだ時間がかかりそうです。
このような権力を行使する立場にあるマスコミは、当然その責任と倫理に一般社会よりも厳しさが要求されます。誤った行使は非常に危険だからです。多くの非難はそこにあると思います。もし何も行使できる力がなかったら、ごく普通の人たちと何ら変わらないわけで、一般的な規範に従うだけで済むでしょう。しかし、特殊な権力を伴う集団あるいは組織なのですから、その権力による見えない強制力が誤って発揮されたりすると、まるで誤認逮捕などのように取材対象をひどく傷つける結果になるのです。しかもマスコミは、それが自分達が原因であることを明確に意識していないが故に、危険だと思われるのでしょう。また、情報取得が最優先されるような行動や行為が目につくのは、特殊な権力集団であることを無理に振りかざしていることが原因ではないかと思います。
色々考えましたが、最終的には各個人が自分に入力される情報をどうやって手に入れるか、入力情報をどのように考え、受け止め、分析するかで、マスコミへの反応も変わるでしょう。重要度が高い人とそうでもない人では、反応が違うのではないかと思います。今はネットがあるから本当に便利だし、情報入手は格段に楽になったと思います。おまけに自分の意思や考えを発信できるし、討論も可能ですし。意見交換ができる場が増えることはとても良いですし、自分が考えるきっかけを提供してくれますね。
今回みたいに、マスコミについて考えたことはありませんでしたし、何となく批判とか文句を言う程度でしたから。それも誰かに伝えるのではなくて、テレビ見てるときに叫んだりするくらいで、聞いてるのは家族くらいですから。
批判を受けたマスコミはやっぱり反省すべきですし、それを今後どのように生かすのかを皆さんに知らしめる義務がありますね、きっと。内輪の反省会だけじゃ、社会は許容できなくなってきてますから。
おっと、私も気をつけていこうと思ってますよ。前に書いた記事でさんざん「バカ」とか「愚か者」とか書いたんですが、ちょっと反省してます。マスコミじゃないから許してくだされ。
しっかりとした意識がマスコミには要求されて然るべきと思います。
アメリカの話ですが、大統領選前にブッシュ批判の「華氏911」がTV放映中止となった報道がありました。
ブッシュ陣営とマスコミの裏取引が匂う一件でした。
庶民は騙されないように耳と目と感性、心を澄ませておかないと、オレオレより怖いかも?
報道内容の自己検証を常に続ける、誤りや公正さを欠いた報道があれば修正する、そういった必要性はますます高まる。それは間違いありません。ただ、検証作業自体の公正さ及び透明性を担保する必要があり、そのためには、第3者機関(今あるような読者委員会的なものではなく、真に第3者的な機関です)が必要だろうと思っています。ただし、その機関は政府から完全に独立した存在でなければならないでしょう。
古い記事で申し訳なく思いましたが、TBさせて頂きました。自浄作用を「目に見える」形で、国民に知らしめないと、酷いマスコミ批判が巻き起こってしまうような気がします。
今回のNHK問題も改革姿勢が不明確のまま、介入と騒がれたため、「どこに責任があったか」ということより、「政治家かNHKか」という2択になってしまっています。「番組の公正さ」という視点では、多くの国民は見ていないでしょうね。
これは香川県で起こってた四国新聞社の事件
社員の「準強制わいせつ」は隠蔽か
http://www.shikoku-times.com/html/back_number/2006_09/index.html#t10
地元では朝日新聞ばりに人権擁護の痴呆紙なんですが
朝日新聞に負けてない腐敗ぶり
当然、四国新聞では報道されてません
マスゴミに反省する理性は期待できない
法的にマスゴミを規制すべきだと思います
これは言論統制に近づくので、危険性もあるかな、と思ったりします。むしろ、一般庶民からの「マスコミ批判」の方が効果的なのではなかろうか、と思ったりします。
マスコミは世間の反応に割りと敏感なので。
NHKはそうでもないか。