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会計検査院の仕事4

2004年12月17日 14時11分18秒 | おかしいぞ
報道によれば、森本会計検査院長が、参院決算委員会で警察裏金問題について、野党議員の質問に次のように答弁している。
「犯罪を認定するにはたくさんの調査が必要で時間がかかる。捜査機関ではないので、事実上犯罪認定はできない。」このような趣旨であったようだ。(以前の記事を参照して下さい、「会計検査院の仕事」シリーズ、カテゴリー:おかしいぞ)


民主党議員さんだったようであるが、もうちょっと突っ込めないのか?こんな、ばかげた答弁をされて「はい、そうですか」と引っ込んでしまったのか?国会答弁は今後の行政上の判断基準として生かされてくるわけで、これが通ってしまっては検査院の機能が活かされないではないか。あまりに虚しい。もっと、考えてほしいです。自分の言葉として考えていなくて、単に伝聞や聞きかじりでは否定されたら次の意見や言葉が出てこないのでしょう。まさか、私の記事だけ読んでいたわけではないでしょう?


例えばUFJ銀行の銀行法違反容疑はどこが通告したのですか?金融庁でしょう。そんなことは誰でも知っています。金融庁が検察庁に告発したのです。検察はそれに基づいて捜査を開始しました。金融庁は会計検査院と同様に捜査機関ではありません。ですが、現に「事件」として告発しているのです。それは当然だからです。
「犯罪」として確定しているかどうかは、捜査後に起訴・裁判となって判決が確定したら「犯罪」としても確定するに決まっています。それを待ってから検察庁に通告することに何の意味があるというのです?ばかばかしい。既に検察が捜査・起訴してしまい裁判が終了したものだけを検察に通告するなら、検察はその事実を既に知っているのですから、通告する必要が全くありませんね。こんなばかげた解釈をするほうもどうかしているが、それで引き下がる議員も疑問に思わないのであろうか?

会計検査院法第33条規定に関しての解釈を会計検査院自らが行い、その結果「犯罪認定は事実上不可能」ということなのだそうだ。全くばかげている。それならば、33条規定そのものがいらないということである。なぜ、国会議員たちは法曹関係者とかがたくさんいるのに、このような解釈を放置するのであろうか。

33条の趣旨は、検察に通告することで「捜査の端緒」となすことを目的としているに決まっている。先も述べたが、捜査機関によって捜査が開始されているならば、すでに通告せずとも通常の刑事訴訟の手続きにのっているわけで、敢えて通告義務が課せられる必要がないでしょう。そうではなくて、捜査機関の捜査が開始されていないが、およそ客観的にみて「犯罪が存在する」という確度が高ければ告発してください、という意味であろう。それが「検察への通告」ということである。検察は捜査を経て起訴するかどうかを判断し、必要ならば起訴となるのですから、検査院にこの判断を求めているわけではないことぐらい明らかでしょう。

私が以前書いた「道警裏金事件」では、この会計検査院法の適用について検討しましたが、厳密な犯罪としての定義を守ったとした場合に、領収書偽造が確定したら警察組織が検査忌避や裏金の組織的関与を否定しても検査院法適用が可能であるという意味で考えてみたのです。警察庁や公安委員会の考えを変えさせるための突破口となると考えたからです。

もし犯罪認知が厳密に適用されるなら、UFJ銀行を告発できないでしょう?金融庁が「銀行法に違反しているのではないか?」と思ったから告発したのであって、「銀行法違反である」と認定したから告発するというものではない。その認定は起訴・裁判によって初めて決まるのではありませんか?

これが、私が以前から記事に述べている、法の運用者の勝手な都合のよい解釈の附与がなされ、それが実質的に効力を持って運用されているということです。この解釈に従って、検査院は「通告をしない」という決定を下すのです。どうです?一連の流れは前から述べてきたこととまるで同じでしょう?検査院が33条規定の解釈をし、それに基づきこの条文を運用し(今まで適用された形跡はありませんが)、適用するかしないかの決定を下す、ということになっていて、これについて誰も評価もせず異議も唱えないということです(「官僚は制度に負けるのか」シリーズ参照、カテゴリー:社会全般)。取り上げてみた議員さんは、今一突っ込みが弱く、相手の言いなりですね。これも以前述べたように(法関係を参照して下さい)、行政や法の専門家の「言いなり」になるしかない、という結論を支持するものとなっています。議員さんは専門家ではない、ということでしょうか。

このような法の運用が本当に正しくて、誰も何の文句も出ない公平な制度ということのようです。ばかげてる。33条は条文削除すべきです。必要ありませんから、残念!


道警大量処分について

2004年12月17日 13時20分32秒 | 法関係
私が記事に書いてきたことは(カテゴリー:法関係)、法関係の運用者は正義を持って臨んでほしいという意味です。法の運用者は行政組織であったり司法組織であったりするわけです。必ず公平な運用がなされているかというと、そうではないというのが私の意見でもあります。


特に行政組織に関わる事件においては、組織を守ろうとするのか、幹部が自分達の保身に走るのかわかりませんが、隠蔽しようとするところが多く、検察も積極的に動くことはありません。

一方、民間人の場合には当然のように警察や検察が動いて、裁判に持ち込まれることが多々あります。何度も例に出しましたが、UFJ銀行がそうですね。一罰百戒という意味なのかもしれませんが、ならば同様に行政組織に対しても行うべきなのではないか?とも思います。


行政組織は上層部が責任や罪の存在を認めようとしません。そういう姿勢ならばいつまでたっても組織改革や意識改革ができないと思うのですが。実質的に末端の人間を処罰してみたところで、何もよくなりません。全体として変えて行かねばならないのに、責任の所在は不明確のまま、改められることがありません。警察組織も官僚たちも、反省しているのではなく、他人事として「見つかるのが悪い」という感じです。もしも、本当に改善していくと考えているならば、どこかの組織の不正が発覚したらどこの部署でも同じようなことを止めるはずです。それさえ出来ないということは、いつまでたっても「改めるつもりは毛頭ない」という考えであろうと思うのです。それならば、「一罰百戒」の制裁措置が必要なんじゃないですか?と思うのです。


今回はたまたま道警がターゲットとなってたくさん見つけられただけで、全国的に同様なことが行われてきたことは想像に難くありません。大量の処分者を出し、警察庁や国家公安委員長は遺憾の意を表明してはいるが、他の都府県においても自ら適正な内部調査を実施して不正を正す姿勢を見せなければ、厳しく監督責任を問うべきである。本当に身内から逮捕者を出したくないならば、不正事実を認めて「みそぎ」をするのが筋だと思う。個人の処罰が必要なわけではない。嘘の上塗りは止めて、組織悪を吐き出し組織体質の改革に取り組み、国民の信頼回復に努めることこそ真の正義なのではないですか?


本来末端の人間に刑事罰を与え、その人の社会的地位や人生を奪うことなど、このような組織悪には何の意味もない。会計担当者だけが逮捕されてみたところで、改革ができるとは思えません。もっと上層部の問題でしょう。そうした人たちが本当に反省してくれないと現場の人間ばかり責めてみても何の意味もなさないです。

警察庁は、本当の反省をしているならば、全ての都道府県警察に正直な内部調査報告を必ず提出させるべきでしょう。勿論各自治体の監査委員との合同作業になるでしょう。それが、正義を守る警察組織というものです。