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匿名告発と風評被害

2004年12月13日 22時28分34秒 | 法関係
この度の木村氏と切込隊長氏の一件について、前の記事に触れた弁護士の小倉先生がご自身のブログの中で述べられております。専門家としての見方ですので、勉強になります。是非皆さんもお読みになって下さい。

小倉先生のブログにある「当事者間で紛争を解決するためのトレーサビリティ」です。また、「匿名告発の意義」以降の記事を読んで頂くとよいと思います。

小倉秀夫の「IT法のTop Front」

落合先生のブログは左のブックマーク欄に入れてありますので、そちらから見て下さい。
記事は「内部告発」(12/9)です。


これ以前より、小倉先生と落合先生(ご本人が気にかけておられるようでしたが、切込隊長氏の記事中の「落合氏」とは全くの別人です、笑)はブログの中で告発の匿名性について論じておられました。私も十分な理解をもって読めていたわけではありませんが、私なりの考えはありました。


告発についてですが、「真摯な正義に基づく告発」、「根拠の無い告発」、「悪意に満ちた虚偽の告発」等が混ざり合って存在しています。ネット上では、個人が特定できない場合もあり、掲示板やブログ等においてもいわれの無い誹謗中傷や風説がないとは言えません。

前の記事に書いた例のように、時として甚大な風評被害をもたらす結果となることもあり得るのです。このような時に、法的措置を速やかにとることができない場合には、著しい不利益を被告発者側が被ることになってしまいます。このような事態を未然に防ぐかもしくはある程度抑制的に作用するような仕組みがあったほうが、紛争や問題の発生は少なくできると思われます。その点で、小倉先生はトレーサビリティについて言及されています。


一方、完全な匿名(トレーサビリティを有しないということ)告発が、社会にとって全く意味をなさないのか、という問題もあります。このことについて落合先生は、「匿名による無責任な言論、というものを擁護するつもりはないが、意義のある言論の中には、匿名でしかできないものもあると思うし、そういった言論すら排除しかねない理論は、健全な社会を築いて行く上で、危険ではないかと危惧する。」と述べられています。

小倉先生は「真摯な告発に匿名性の保護はあまり役立たない」、むしろ「内部告発者への不利益処分の原則禁止を法定しなければ意味をなさない」と述べています。また外部型告発については、「被告発者は告発者に対して名誉毀損等に基づき民事的または刑事的な制裁を加えるように裁判所等の公的機関に要請することくらいしかできません(それとて、企業が様々なバッシングを受ける覚悟がないとできないことは、東芝事件からも明らかです)から、自分が告発者であることが明らかになったとしてもそれほどの問題はありません(真摯な告発については、告発事実を真実と信ずるに足りる相当な事由があれば、制裁を受けずに済みますし)。」


私は専門家でもなんでもありませんので、正しいことが言えるわけではありませんが、思ったことについて書いておきます(小倉先生のコメント欄にも記入させて頂きました)。

特定業界ならば、実名で内部告発することによって、その個人は二度とその業界で仕事が出来なくなることも多々あると思います。「法」で守られるとしても、よほど精神力が強くないと周囲から避けられたり無視されたりとかに耐え切れないのでは?会社をクビになるのと、わけが違います。牛肉偽装事件かハム偽装の時に、告発した冷蔵業者はその後倒産しました。取引先がみんな避けたからです。個人の利益が守られたとしても、周囲や取引先が一緒に仕事をしてくれなくなる事を、法が守ってくれるとは思えません。そんな危険を冒してまで告発しない、という風潮となります。その結果が各種の隠蔽事件の根元にあるような気がするのです。そうした社会風潮を改善するのは困難でしょうから、とりあえず出来る事は匿名でも内部告発することによって、さらなる被害拡大を防ぐ方が社会的利益は大きいと思うのですが。


このような事例ばかりではなく、今まで書いていた医療過誤の問題にも多少あてはまる面があるのではないかとも思っています。内部告発によって明らかにされる事実も場合によってあると思いますが、もしもそれが実名での告発ならば告発者は到底その職場で仕事ができなくなるかもしれません。たとえ法によって不利益処分が禁止されていても、無理ではないかと感じます。その為に今まで多くの医療過誤が隠蔽されてきたのではないかと考えています。


匿名性を全てに確保すると、風評被害を防げない。匿名性を保護せずにトレーサビリティを確保すると紛争自体を減らせるか当事者間での解決が行い易くなるが、真摯な告発は行いにくい状況も想定される。

この解決法は専門家に考えて頂くしかないのではないかと思います。私が考えてみた方法がありますが、単にアイディアだけと思って下さい。


ある程度根拠や事実に基づいているならば、外部型告発は告発者が罰を受けるわけではないのでトレーサビリティがあってもよいかもしれません。告発内容は例えば企業の製品とか管理体制とか欠陥とか色々あるでしょうが、風評被害はやはり放置できないし、告発者側に著しく不利な状況ではないので、トレーサビリティ容認とします。

次に内部型告発ですが、これが問題です。匿名性が完全に確保されていなければ告発者が尻込みしてしまい、告発を止めることで社会的利益を損なう場合もあり得る。従来のように個人が掲示板やブログに書く場合にはトレーサビリティを容認することとします。それが立場的に困難であるという場合には、ある種「目安箱」のような特定の機関を作っておき、そこに告発してもらうことにしてはどうでしょうか?「真摯な告発」の告発者は、周囲に自分であることが認知されなければほぼ問題なく、「目安箱」と告発者の間にはトレーサビリティが存在してもよいと思うのです。そのかわり「目安箱」は絶対に告発者情報を漏らすことがあってはならないのです。これをどのように担保するかは分りません(方法論として)。また、「目安箱」は各捜査機関や行政機関に通告して、適切な処置をしてもらうように働きかけねばなりません。その時に告発者の匿名性が絶対に確保されるか自信はありません。絶対に漏らさないということになると、捜査機関が動けないという状況があるのでしょうか?また「目安箱」機関は、ある程度告発情報の真偽について検証できないと通告できないでしょう。ニセモノ情報は、告発者と「目安箱」の間にトレーサビリティが存在するので概ね抑制されると思うのですが。


現在消費者の相談などを受けているセンター組織がありますが、あれに似ているかもしれません。センターは「振り込み詐欺(おれおれですね)」情報や危険な「ダイエット食品」の警告や不当な「訪問販売」とか、「架空請求」への対処等有益な活動をしていますし、違法と思われる特定業者については、告発したり注意すべき業者として公表したりしていますから、社会的貢献度が非常に大きいと思います。

このセンターは寄せられた情報源を漏らすわけでもなく、またとんでもない風評を出したりしませんから、ある程度バランスよく機能していると思います。これに類する「目安箱」組織があれば、真摯な内部告発者が極端に臆することなく告発に踏み切れる可能性が出てくるのではないかと思うのですが。どうでしょうか?


ネット上の「風説の流布」3

2004年12月13日 12時53分58秒 | 社会全般
金融機関が被った風評被害について過去の例で検討してみます。
(手元に正確な資料がないので、概略になりますが)


1995年に豊川信金でとりつけ騒ぎがありました。ことの発端は、この信金に就職が内定していた女子高生と友人との会話でした。悪意を持って言ったわけでもなく、「あそこは危ないんだってね」という冗談まじりの会話でした。これを伝え聞いていた別人が、「そうなのか」と思っていた所に、たまたま電話を貸した人が発した「定期を解約してくれ」という言葉を聞いてしまい、この両者を併せた結果、「本当に潰れる」と思いこんで取引先に何件も電話をしました。そこから先は噂の広がるスピードが爆発的に速くなり、この騒ぎとなってしまいました。


2003年の12/25未明に「某友人の話で、佐賀銀行が明日つぶれるそうです」という内容のメールを1人の女性が友人たちに送信しました。このメールはたちまち広がり、25日中にとりつけ騒ぎとなって、何と180億円の預金が引き出されてしまいました。現代のネットやメールがどれほどの脅威となるかを示した一件と言えるでしょう。ちなみに銀行側が被疑者不明のまま告発し、この女性は逮捕されてしまいました。「悪気はなかった」ということです。それはそうですね。虚言を信じ、人助けと思ってメールしたでしょうから。そうしたら、責任を問われる当事者になっていたのです。このような刑事責任を問われる可能性がメールやHPにはあると言えます(裁判の結果は知らないし、不起訴になったかもしれませんし、その後について調べていません。なので確定ではないかも)。


このように、金融機関についての言説は、自分が悪意を持っていなくとも、結果的に「風説の流布」となり、甚大な企業被害というか風評被害をもたらす可能性があることは認識しておく必要があると言えます。もう個人で賠償できるレベルの話ではなくなってしまいますね。


ましてや、ネット社会で非常に大きな影響力と発言力をお持ちの方々は、本当に細心の注意を払わねばならないと思います。私の「寒い」ブログとは違って、ランカーの方のブログは相当多くの人々の目に触れるわけで、こんなことは既に周知されていますから私が言うことでもないんですが、やはり「正当と思える主張」を規範の中で行って頂きたいと思います。


何度も書くようですが、切込隊長氏の記述の真偽に関しては、一般読者が判断できるレベルの内容でなくなっており、私にはどちらの正当性も検証する手段がありません。客観的には司法に委ねる以外にないと思います。切込隊長氏が、法的手続きを経てもなお正面から木村氏と対決する姿勢ならば、私たち一般読者は見守る以外にないと思います。そこまで行くとネット上では解決云々という話ではないと思いますが・・・。


奇しくも時期を同じくして、弁護士の小倉先生と、ブックマーク欄に入れさせて頂いている弁護士の落合先生のブログで、意見交換がなされています。非常に興味深く読ませて頂いていたのですが、今回の事件(というのか、紛争?)とも関係していると思うのが、ネットにおける告発についてです。匿名性についての問題は木村氏も述べられていますが、ブログやその他手段を含めてネット上の告発はどのようにあるべきか、また考えて記事にしたいと思っています。


ネット上の「風説の流布」2

2004年12月13日 12時00分45秒 | 社会全般
木村氏vs切込隊長氏の行方

皆様からコメントたくさん頂き感謝いたします。私の率直な感想を申し上げますと、「うーん、困りました。」というところです。私には非常に重たすぎるテーマということになります。



今までの経緯は、私のような初心者にはよくわからないことも多く(すみません)、ブログの持ち得る効力というか意義についてもまだ良く判りません。木村氏のブログは有名人ということもあり、発言力や影響力が非常に大きいということは推測できます。

また、個人的には木村氏のブログに「国家公務員~」でご紹介頂いたということもあり、ある意味盲目的に言説を受け入れていた面があったことは確かです。


また、切込隊長氏からTB頂いた理由については不明なのですが、何らかの警鐘という意味合いであるのかもしれない、とも思うのです。最初は、よく判りませんでした。私の「寒い」ブログに何故だろう?という気持ちと、「浮かれている場合じゃないのだよ」という警告なのかな、とも思いました。読んでみると、当初切込隊長氏のブログは「恐い」という印象(笑)で、こりゃ逆らったらどうなってしまうのか?というブラックなイメージでした。そんな訳で、コメントや記事を書くことは避けていたのですが、木村氏が直接記述するに至り、書いてみようと思いました。それが、前の記事です(Kei氏のコメントを頂かなければ、両氏の記事について再読しなかったかもしれません。勘違いも甚だしい内容となっていますが、自戒を込めてそのままにしています。)


木村氏が週刊誌提訴の旨記述されておりますし、また切込隊長氏の記事について、「私個人に対する罵詈雑言にとどまらず、日本振興銀行に関して事実に基づかない風説を流布されるに及んで、何もせずにスルーし続けることは不可能となりました。」と昨日の記事で述べられておりますので、私も「風説の流布」という観点で考えると思ったわけです(証取法での)。


ご指摘頂いたように、仮に提訴するとなりますと、企業の風評被害による損害賠償請求(これによりとりつけ騒ぎや融資申込みが減少するかは不明ですが)または名誉毀損とそれに伴う民事上の責任ということになるのでしょう。

法的措置となると、現在までのネット上での議論やブログの価値を大きく損なう懼れがあるかもしれません。これまでの有意義な議論や、すばらしい人々の主張や言説が「社会的信用」を失ってしまう可能性があるということです。勿論主張に賛否はありますし、互いに納得いかないこともあるでしょうが、誹謗中傷や悪意のある虚偽が非常に多いという社会的認識となるなら、社会に対する影響力を持つ手段としてはネットは自ら除外される道を選ぶことになりかねません。

その意味において、今回の問題はランカーブログ同士の激突ということも手伝って、ブログ界(そんなのがあるかはわかりませんが)には大変な影響をもたらすでしょう。


切込隊長氏は、何かの試みを実践しようとした可能性はあり得るかもしれません。マスコミから出る情報について本当にご自身が関係者に直接 interview を行い、報道内容の裏付けを取ろうとしたのかもしれません。このことは、発表内容の真偽は解りませんが、ブログという個人の持てる手段がマスコミを越えられるかを証明するための行動であった可能性があります。私が初回に読んだ内容と、その後の書き方に表現が異なっている部分がありますから、所謂個人的名誉を傷つける内容については修正を加えたのかもしれません。

切込隊長氏の当初の目的がどのようなことなのかは正確に把握できるわけではありませんが、もしも義憤によってある特定個人の非難や企業体への疑惑等を解明するきっかけを提供し、また事態を衆人環視のもとに誘導することでそれらの人または企業体に非難が集められるように考えたのであれば、一連の記事掲載はわからないでもありません。しかしながら、木村氏個人の非難は三流ゴシップの悪辣な報道に似ており、到底共感できるものではありませんでした(あくまで読み手の私の個人的感想です)。また、日本振興銀行についても、当然のことながら企業体として存在するものですし現に営業をおこなっているわけですから、十分慎重な言説が必要と思います。


銀行の風評被害は時として甚大であろうかと思います。
長くなってしまい、次に書きたいと思います。