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医療制度改革5

2004年12月23日 17時43分54秒 | 社会保障問題
診療報酬は、前にも述べた通り出来高払い制となっており、この他に病院ごとに機能別に加算点などがあります。また、小泉首相の指示で、混合診療の解禁に向けて変化が出てきています。混合診療については医療機関側が主に反対の姿勢をとっており、これは医療を受ける患者側の条件(お金がある人とない人という)によって、受けられる医療内容に差ができてしまうことを危惧しているようです。

(私は他の記事でも触れているように、医師ではありませんので正確な実情を全て知っているわけではありません。概ね知人の医師や本、報道などから知りえる情報をもとに考えていますから、間違った点とかがあるかもしれません。明らかな誤りがあればご指摘をお願いします。)

また、今後の流れとして混合診療を容認するということになれば、政府は財源不足を理由に診療報酬のキャップ性を導入しやすくなるということも考えていると思います。超過分は全て患者負担に回そうとするという意味です。

現在の個人における健康志向や健康・医療にかける費用は最も優先的に考えられており、読売新聞の調査でも(今正確な資料がないので記憶のみです、ごめんなさい)娯楽より、健康関係に費用を配分する傾向が見られます。そして今後の趨勢としては、患者の意志を尊重した医療の選択性が高くなることが確実であり、その意味においては混合診療の導入は必ずしも非難されるべきものではないでしょう。

このような背景があることを念頭に、診療報酬の抜本的改革をどうするか考えてみたいと思います。


私は、報酬を大きく2つに分けて考えるべきであると思います。一つは医師個人にかかる人件費部分、もう一つは手術、治療行為や薬剤にかかる費用です。


分けて考える理由について説明します。
現在各医療機関には医師が存在していますが、それぞれの力量が全員一様であるとは誰も信じていないでしょう。しかしながら、行政の考え方は国家資格を許可する以上全員同じ条件でなければならないのです。実際には医療過誤などで実力不足による過失が問題になったりしますね。経験豊富ではない先生が下手に手術を行えば過失認定がなされる可能性があるのです。通常は大きな病院や特別な専門病院、大学病院などで実力をつけるためにトレーニングします。指導するベテランの先生がいて、その下で早く言えば修行するということです。そのような中に置かれて実力がついたら、徐々に自分で出来るようになり、今度は自分が下の先生たちに教える立場となっていきます。どこの世界でも似たようなところがあると思いますが、医師においてはこの修行が長きにわたり必要で、ある意味永久修行状態ですね。そうでないと医療の進歩に取り残されるからです。これを怠ったり、実力十分ではないのに無理なことをやろうとすると、問題が起こってしまいます。インターンとか研修医のような実力の乏しい医師なども同様にひたすら修行しなければ、1人である程度できるようにはなりません。

このような研鑽システムであっても、診療報酬には教育に関する費用は含まれません(研修医の無給や過酷な労働環境について問題になり、国から費用が少し貰えるようになったかもしれません)。

例で考えてみましょう。ある病院で手術をするとします。何でもいいのですが、仮に心臓手術としましょう。この手術を執刀医(一番手の先生)と助手(2番手の先生)が行うとします。これでも手術ができますが、修行の為にもう1人助手(3番手の先生)を入れることにしました。3人体制ですね。このうち、実力的に2番手の先生はそこそこ手術経験もあり執刀医も経験しているとしますと、3番手は必要ないのですが、腕を磨くには上手な先生の手術を何度もよく見て(初めは見て覚える必要があります。教科書でいくら勉強しても実践は違うということです)自分ができるように訓練しなければなりません。これを何度も繰り返し経験を積むと2番手のチャンスが巡ってきます。どんな名医であっても、「初めて」の経験や手術であることには違いがないのです。国家試験に合格したからといって最初から手術ができる人はいません。また2番手で修行して、経験を積んだら、最後に晴れて執刀医となる時がやってきます。執刀医となっても必ず一番手ができるような先生が助手として一緒に入り、常にフォローが可能な状態にしておくのです。このように何かの手術が出来るような先生を1人作り上げるには非常に長い時間と多くのトレーニングが必要なのです(ある種の徒弟制度のようですね)。


話を戻しましょう。このような状況では、3番手の先生は手術に必要ないが、将来の医療のためには出来るようにさせなければならないのですが、このコストは誰も払ってくれません。2人で手術しようが、3人で手術しようが、診療報酬は1つの手術に対して同じ費用が払われるので、収入には違いがないのです。そこで、効率的に経営しようと思ったらベテランだけを集めて、他の先生を全て排除した方がとても効率よく、また初めての手術など経験させる必要のありませんから手間も時間もかからないので、他の先生も楽です。でも、これを続けると日本の医療は崩壊するでしょう。ベテランが引退したあと、だれも出来る人がいなくなります。経験を積んだことがなければ、実力不足で医療過誤だらけになってしまうでしょう。これは診療科によらず、外科系でも内科系でも大体同じような感じでしょう。


ですから、誰かが面倒でも教育し経験を積ませ、一人前の先生(どのレベルか分りませんが)になるようにしてあげることが必要なのです。この下っ端の先生が多くいる病院(主に大学病院とかですね)ほど、経営的に苦しくなってしまうでしょう。お金がなければ、みんな教育することを避けるようになります。だって効率が悪い上に、人数が増えると1人あたりの取り分が減ってしまうでしょ?これをどのように考えるかです。国民としては、医療水準がある程度高くて、安心できる先生を望むと思うんですが、そのような先生は国家試験だけ合格しても養成することができないのです。


そこで、診療報酬について部分的に分けておくのです。医師一人あたりにかかるコストを医療機関ごとに支払うこととします。最低賃金くらいでもいいと思いますが、仮に年俸3百万としておきましょう(金額が妥当かどうかについては、もっと検討が必要でしょうが、考え方の理解のためと思って下さい)。
一つの診療科に5人いるとすると、合計千五百万を年俸分として医療機関に払います(異動とか辞めたりとかしたら、その月数分返してもらうこととします)。大学病院のような診療以外の業務(主に研究とか授業担当とか)に従事している人の分は払わないこととし、実際の診療に携わっている人だけを対象に払うことにします。教育機関としての役割が最初から備わっていますから、人数の区分を設けて(例えば10人以上ならそれを超えた人数分は1人2百万円に減額とかですね)調整が必要かもしれません。
これにより、各医療機関は先の例で見た「第3の先生」の存在を許容できるようになります。一応コストが部分的にでも支払われていると考えられるからです。


以前腹腔鏡手術で某医大付属病院の医師が3人逮捕が報道されていましたが、この時の手術は誰も経験がなく行ったとして過失が問われました。十分なトレーニングを積むことと、教育・指導体制や手術時のベテランのフォロー体制(何かトラブルがあった時の)が整っていなければ、このような事件が起こってしまうと言えましょう。


残りの部分のついての報酬は次に書きたいと思います。

政治大国への道

2004年12月23日 02時15分11秒 | 外交問題
現在常任理事国入りへ向けて外務省が活発に活動しているようです。
同時に、対米関係、対中関係、そして対朝関係が複雑に絡み合ってきていますね。


現在常任理事国入りの有力国は日本、ドイツ、インド、ブラジルが挙がっていますね。ブラジルは日系移民が多く相互理解が得やすい国の一つですし、BRICsの一角ですから日本にとってはプラス要因となるでしょう。また、日本に帰化していたり出稼ぎにきている人も多いですね。外国人労働者については別な機会に考えてみたいと思います。


毎日新聞によると、「逢沢一郎・副外相は21日、日本の国連安保理常任理事国入りを原則支持する68カ国の国連大使らを招き、支持拡大を目指す初会合を開いた。逢沢副外相は、国連のハイレベル委員会(有識者諮問委員会)がまとめた国連改革報告書に盛り込まれた安保理拡大に向けた2案のうち、「常任理事国6カ国拡大案」への支持を改めて表明した。」とのことです。

4カ国グループは重要ですね。今後の外交戦略の機軸をなしてくると思います。ドイツは以前からお付き合いがありますが、今後の経済協力分野では、インド、ブラジルは重要でしょう。中国に対抗する成長が見込めます。また、ブラジルはオーストラリアと同様に環境問題の解決に重要な役割を担うと思っています。今から20年くらい前に、広大な国土のブラジルが有するアマゾン流域は世界の酸素供給量のかなりの部分を担っているので、いずれ「酸素取引」として重要な資源となるだろう、との予測があったように記憶している。現在は酸素の取引ではないが、二酸化炭素の取引が現実化してきており、その意味でも協力関係は必要となるであろう。

現在の常任理事国P5のうち今回の会合に不参加であったのは中国だけで、先日の「ドイツ支持」表明といい、日本に対する「当てつけ」が多いかもしれない。あらゆる材料を自国に有利な交渉材料に利用しようとしていることは間違いない。靖国問題、北朝鮮問題、六カ国協議、常任理事国入り問題…どれも中国の牽制を受けていることは確かである。


米国は極東戦略の見直しの一環として、在日米軍の再編について日本側と検討・交渉を続けている。来年10月を目処に結論を出すとの報道もあった。日本の対米関係の基本理念がどのようなものになるのか、試されるであろう。アメリカ一家の一組員に成り下がるのか、国際社会の重要国としてアメリカとの関係が築けるか、政治的にも外交手腕としても非常に難しい問題となろう。

李登輝氏へのビザ発給問題では、中国側の執拗な非難を排除して発効を決定したが、これは当然の対応であったと思う。台湾問題は以前から記事に書いているように、中国にとってのアキレス腱である。米国もすかさず歩調を合わせて中国を牽制した。中国がこれほどまでに拘る理由が実際のところよく分からないのであるが、まさか台湾が独立しようものなら、現在の中国を作っている国家制度が破綻するとでも思っているのであろうか。それを恐れているということなら、理解できなくもないが。本当は中国の民族間の怨恨は何百年にもわたり残っているのかな?天安門事件やSARS問題で国際非難を浴びた経歴を持つ中国は、国際社会の信用をそれ程勝ち取ってはいないであろう。台湾への対応で大失敗したら、中国は国際社会から孤立しかねないと思う。そこがこちらの有利な点であると思えばよい。


北朝鮮への制裁論議も国内世論としては強まっているが、政府はあくまで慎重姿勢を貫いている。これは常任理事国入りへの布石を打ってきた外務省としては、大事な時期に厄介な問題を表舞台に晒したくないと考えているのであろう。二国間以外の変なところがこじれては大変だからであろう。だが国内世論はいつまで忍耐強く待てるか、わからない。以前の記事(「制裁発動の秒読み?」)にも書いたが、何か国民を納得させる手段を考え出すしかないと思っている。たとえ「そんなのは生温い」とか言われても、「何かのアクション」をしたというポーズが必要であるということである。現在担当者派遣という案が出ているようであるが、再度共同捜査の実施とかでも何もないよりはよいと思う。

成熟した良識派の政治大国となれるのか…まだ途上でしょうが、目指して欲しいですね。