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紳助復帰 etc.

2004年12月27日 15時24分30秒 | 社会全般
自粛中だった島田紳助氏の復帰が来年1日からと報じられています。意外に早い復帰となったようです。これについては、また賛否両論のネット上合戦が繰り広げられるかもしれません。私にはあまり興味がないネタなんですが、一応書いてみました。


気になるところは民事の係争が解決したわけではないので、如何なものかとも感じますが、早く決着させたいと会社側が考えたためでしょう。これもまた、非難を浴びる要素でもあると思います。「儲けばかり考える企業だ」みたいにね。




今日の毎日新聞朝刊に、長崎県の小6女児事件で被害者の父親である新聞記者の方が、記事を掲載したそうです。私が以前書いた記事(マスコミの存在意義)にも触れましたが、マスコミの報道姿勢や報道のあり方については、数多くの非難があることも事実であり、当事者となった報道する側の人間が感じる「報道される側」の立場について語っておられる。

これは、両者を知った者だけが感じる、真実の声であると思う。マスコミは幾多の非難を浴びても一向に変わる気配を見せないなら、いずれ信頼を失い非難だけが残されるかもしれない。前のネット上の騒動を見ていて、確かに誹謗中傷も多いが大半は深いところに根ざす不信感に基づくものであると感じたからだ。


私は今でもマスコミの意義を支持してはいるが、同時に非常に危うい信頼になりつつある。今までブログのような手段がなかった時は、ネット上の情報源は信憑性が疑わしいと思っていたが、整然と個人レベルから情報が発信されている現在の状況を見て、幾つかのソースを確認しようとするようになった。しかも情報発信者の所属などが明らかな場合もあり、ネット上の情報は信用度を増しつつあると感じる。

取材する手段を多くの個人は持たないため、マスコミ優位には違いないが、彼らが伝えようとしていること或いは敢えて伝えないこと、という視点から情報を見るようになった。この検証作業は面倒ではあるが、マスコミ情報とネット上の(特にブログの)幾つかの情報を組み合わせることによって、以前に比べて個人でも行い易くなったと思う。

情報の質が変化してきていると感じるし、それによってマスコミの存在意義が問われるならば、マスコミ自身も変革をもとめられていると思う。

それを「見える形」として、マスコミも取り組む必要があるだろう。今年はNHKの問題ばかりではなく、主だったマスコミの虚偽記載などが明るみに出て、「マスコミ不祥事元年」というかオンパレードとでも呼ぶべき状態であった。どこの報道機関も、もう一度自分達の存在意義と何をもって自らを正当となすかということについて考えて欲しい。


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