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財政審のカウンター

2004年12月27日 21時29分18秒 | 経済関連
毎日新聞によると次のように報じられている。




財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の合同会議が27日開かれ、05年度一般会計予算政府案について議論した。予算案に盛り込まれた整備新幹線3区間の新規着工と関西国際空港2期事業について、委員の間から「個別の問題点として非難の種になる。アリの一穴となり、財政健全化に支障をきたす恐れがある」(政府税制調査会会長の石弘光・一橋大学長)など、批判的な意見が相次いだ。

これについて、財務省主計局は(1)整備新幹線は当初の要求計画に比べて経費を削減し、国費投入額を縮小した(2)関空2期事業は大阪(伊丹)空港への国費負担を軽減する「格下げ」を協議する国土交通省との基本合意があり、地元負担もしっかりやってもらう--などと説明した。

財政制度分科会の西室泰三会長(東芝会長)は会見で、「(委員の総意として)予算がついた過程と結果は分かるが、国民の理解を得ていない。国民に対する説明を着実にやらなければ困る」と述べ、事業の必要性や財源問題にについて、今後、政府が国民に説明するよう求めた。

財政審は11月にまとめた05年度予算編成の建議(意見書)の中で、「関空の2本目の滑走路の07年運用開始には慎重であるべきだ」など、不透明な需要予測を理由に2期事業に慎重な対応を求めていた。それだけに整備新幹線と関空という「大型公共事業の象徴的な存在」(財政審委員)の予算化に、委員の間から不満が噴出した格好だ。




以上のように厳しい意見が相次いだ模様。財務省がこの2つを認めたのは確かに失敗であった。省庁だけに象徴には弱かったということか(ツマラナイですね、オヤジなのですみません)。うーん、どの意見もごもっともである。財務省は財政審にかなり「切り込まれた」ようだ。

以前記事に書きました(財務省奮戦記)が、この公共事業を認めたのは合理的反論がうまくできなかったからなのではないかということです。また、財務省は認めるかどうかの岐路に立たされたところがあったのかもしれない。背景を考えてみよう。財政審の建議を反古にしてまで認めざるを得なかった理由。

当時三位一体改革の攻防で、地方6団体が激しく抵抗していた。部分的に地方への大型公共事業を確保し、地方の結束を切り崩すためのエサだったかもしれない。それと、財務省は取引交渉の材料に使い、削減総額の大きい方を選ぼうとした可能性がある。三位一体を貫いた方が得だと判断すれば、多少の譲歩もしかたがなかったということだ。

もう一つ、考えられる理由がある。景気判断との関連だ。定率減税の部分的削減で心理的にかなりの増税感が生じたことは確かで、しかも景気判断は下方修正や慎重な意見が相次いでいた。経済指標は市場予測を下回り、台風や地震被害である程度織り込み済みであったとは言え、心理的にはマイナスが目立った。「踊り場にある」今の景気の腰を折る気か、という非難もある中で、心理的な冷え込みを防ぎ且つ目先の「景気対策」的大型公共事業として考えると・・・何だかありえそうな気もする。ちょっとズルイ作戦だが、後で「景気悪化原因は緊縮財政のせいだ」とか非難される可能性もあるので、「いいえ、大型公共事業を対策として入れてました」と申し開きが可能である。この景気判断に対する考え方はあながち間違いではないかもしれないが、実際の効果のほどはたかが知れてる。

これらの判断を財務省官僚が行ったのか、もっと上のレベルであったのかは謎だ。何故なら、意外にあっさり決まってしまったからだ。読売新聞が「切れ味が鈍った」と書いていたが、案外三位一体改革が決められた時には、決まっていた可能性の方が高いと思う。


財政審の面々は面白くない。それはそうだ。あれほど「慎重に」と建議に書いたのに、財務省は無視した格好で通してしまったからに他ならない。削減を主要命題としているのに、これはいったい全体どういうことなんだ、と。また、2つが認められた報道が(三位一体後)非常に早かったので、財務省はあたかも「無抵抗」で通してしまった印象が否めなかった。これも、非難の要因になっているだろう。蓋を開けてみたら、世論や報道の反発が予想以上に大きかったと感じたことだろう。

政治的な材料となったのか、はたまた総額重視の結果認められたのか・・・真相は分らない。私も前にはこんな風に思っていなくて、単に族議員をはじめ省庁の抵抗が強力だったのだろうと考えていたのだが、あまりにあっけなく決まったことが不自然ではあると思う。裏があっても不思議ではない。やっぱり、政治は複雑です。



紳助復帰 etc.

2004年12月27日 15時24分30秒 | 社会全般
自粛中だった島田紳助氏の復帰が来年1日からと報じられています。意外に早い復帰となったようです。これについては、また賛否両論のネット上合戦が繰り広げられるかもしれません。私にはあまり興味がないネタなんですが、一応書いてみました。


気になるところは民事の係争が解決したわけではないので、如何なものかとも感じますが、早く決着させたいと会社側が考えたためでしょう。これもまた、非難を浴びる要素でもあると思います。「儲けばかり考える企業だ」みたいにね。




今日の毎日新聞朝刊に、長崎県の小6女児事件で被害者の父親である新聞記者の方が、記事を掲載したそうです。私が以前書いた記事(マスコミの存在意義)にも触れましたが、マスコミの報道姿勢や報道のあり方については、数多くの非難があることも事実であり、当事者となった報道する側の人間が感じる「報道される側」の立場について語っておられる。

これは、両者を知った者だけが感じる、真実の声であると思う。マスコミは幾多の非難を浴びても一向に変わる気配を見せないなら、いずれ信頼を失い非難だけが残されるかもしれない。前のネット上の騒動を見ていて、確かに誹謗中傷も多いが大半は深いところに根ざす不信感に基づくものであると感じたからだ。


私は今でもマスコミの意義を支持してはいるが、同時に非常に危うい信頼になりつつある。今までブログのような手段がなかった時は、ネット上の情報源は信憑性が疑わしいと思っていたが、整然と個人レベルから情報が発信されている現在の状況を見て、幾つかのソースを確認しようとするようになった。しかも情報発信者の所属などが明らかな場合もあり、ネット上の情報は信用度を増しつつあると感じる。

取材する手段を多くの個人は持たないため、マスコミ優位には違いないが、彼らが伝えようとしていること或いは敢えて伝えないこと、という視点から情報を見るようになった。この検証作業は面倒ではあるが、マスコミ情報とネット上の(特にブログの)幾つかの情報を組み合わせることによって、以前に比べて個人でも行い易くなったと思う。

情報の質が変化してきていると感じるし、それによってマスコミの存在意義が問われるならば、マスコミ自身も変革をもとめられていると思う。

それを「見える形」として、マスコミも取り組む必要があるだろう。今年はNHKの問題ばかりではなく、主だったマスコミの虚偽記載などが明るみに出て、「マスコミ不祥事元年」というかオンパレードとでも呼ぶべき状態であった。どこの報道機関も、もう一度自分達の存在意義と何をもって自らを正当となすかということについて考えて欲しい。


スマトラ地震

2004年12月27日 12時07分14秒 | 外交問題
周辺国の津波被害もひどいようであるが、現地の被害状況もかなり深刻のようです。また、日本人の安否情報はまだ掴めていない部分が多いようです。当面情報確認には、時間がかかりそうですね。外務省は情報収集に当たっているようですが、混乱がひどければ容易に情報が集められる状況ではないかもしれません。


日本政府はスリランカに医療チームの派遣を決めたようであるが、被害国はアジア地域で日本と関係の深い国が殆どである。日本国内は正月にかけて人員体制が厳しい時期ではあるが、政府からの援助活動の申し入れと不明邦人の救出も含めた活動を同時に展開していく必要があるだろう。日本は災害地域に比較的近い先進国であるし、いち早い対応はアジアのリーダー国としての責務でもある。また日本は地震災害時の活動実績があるので、幾つかの班を編成し、要請があれば速やかに現地に入る準備をしておかねばならないだろう。在留邦人の不明者があれば現地で直接情報入手が出来るので、役立つと思うのだが。


おそらく外務省が対策本部を設置したので、幾つかのプランを検討していると思う。人的支援や食料支援なども実際にどのような方法で支援していくか、などを検討していると思う。国際社会の先頭に立って、日本が出来る範囲でいいので支援を行ってほしいと思う。こういう時の対応こそが、国際社会の信任を得られるかの分かれ道だと思う。



行政に変化の兆し

2004年12月27日 03時27分20秒 | 政治って?
報道によると、新行革大綱が閣議決定されたようである。一面的な判断と言われるかもしれないが、敢えて政府の姿勢は評価したい。自民党内の議論はどのようなものであるかは分らない。だが、一部でも改革が進行したことは、現政府がある意志を持って臨んでいると考えたい。


改革が必要なことは以前から分っていたことであるし、行政担当者ならば「尋常ではない」ということを認識していたであろう。それにもかかわらず、実質的に改革が進んでこなかったのは族議員や各省庁等の組織的抵抗に原因があったかもしれない。


ここに来て、一部政治家の中にも多少意識変化が出始めてきたのかもしれない。勿論全体的な動きとまではいかないが、国家の危機的状況を目の前にして、「本当に何とかしなければいけない」という危機感を持つ人が出始めたということである。また、官僚にも同様に「何とかしよう」と考える人々が出てきていると思う。

今年の予算編成については、厳しい見方が相当あるのは知っているし、私としても到底満足できうるものではない。だが、以前も書きましたが(「財務省奮戦記」)、「変化の兆し」はあると思っている(平ちゃんの景気判断のコメントみたいですが、笑)。その意味においては、評価したいと考えています。


最近記事に出ていることで感じることがある。たとえば防衛庁だが、不正発覚後庁内で管理体制を強化したりしていると思うが、「本当に改めるつもり」があるのか疑問に思っていた。先日の三菱重工をはじめとする関連企業等への行政処分、タイヤ談合疑惑の公取委の排除勧告という報道、これらを合わせてみると、変わろうという意識が芽生えはじめてきたのかもしれない。今のうちに不正や膿は出し切った方がよいと思う(後になればなるほど苦しさが増すのです)。これからは、癒着体質や持ちつ持たれつという姿勢は許される状況ではないということに、初めて気づいたのかもしれない。皆がそういう意識改革を行わなければ、効果的な変革は非常に困難であろう。

また、警察組織もそうである。道警に代表されるように、裏金があるなら今のうちに「自首」して、返還することと組織改革に取り組むべきである。人員拡大が予算で認められたが、現在のままでは現場の士気に悪影響を及ぼすだろう。犯罪に立ち向かう警察組織は元来「鉄の結束」を持つチームであるはずだ。チームの優れているところは、単に人数の多寡によらず力が出せることだと思っている。昔から言われるように1+1が2ではなく、3にも4にもなり得るということだ。「鉄の結束」は隠蔽する時に役立てるのではなく、業務に役立ててほしい。上司が不正や汚いことばかりやっていたら、チームはだらしなくなり「あいつらばかりズルいよな、いい思いしやがって。俺たちも汚れてやるぞ」くらいの屈折した気持ちが出てくるぞ。不祥事の多いところは、組織内にそういう乱れがあるのではないのか。

スポーツでも軍隊でも、規律が乱れていたりフェアではないチームは、何を競わせても弱い。そういう警察にはなってほしくない。多くの警官たちは国民の安全を守るために正義と義務感を持って取り組んでいるはずだ。警察学校に入校するときの、晴れやかなすがすがしい気持ちで取り組めるように、上層部は初心に立ち返ってほしいと思う。


話が逸れてしまったが、新行革大綱では人員削減や効率的配置などが盛り込まれた。大綱素案がどの部署で考えられたのかはわからないが、官僚チームであろうと思う(議員さんはきっと考えられないであろう、細かいことは苦手ですから)。彼らは、現時点で政治的にも認められる範囲内できっと考えたに違いない。国家公務員制度改革は関連法案が見送られたため、表現としては「後退した」との報道もあったが、私はそうは思わない。おそらく、もっと熟慮すべきであるとの認識であろうかと思う(そう期待したい)。

私は国家公務員制度については、「ぷろとたいぷ」のbuuさん(「官僚は制度に負けるのか」シリーズのTBを見て下さい)との意見交換を通じて考えさせられるところがあった。業務の評価システムをどのようにするのかが問題であろうと思う。前任者の仕事やかつてのやり方について、変更しがたいような組織体質であるかもしれない。以前問題があったことを変えていこうとする時に、個人的な落ち度として「昇進にひびく」とか「責任追及」とかが全面にあると、改善していくことに抵抗が生まれたりするのかもしれない。重要な政策を立案したり、行使する権限の重さに比して報酬が少なく、インセンティブの問題ということも理解できうる。事務次官に至る昇進過程で退職してゆく方々が多く存在することも事実であり、それまでの薄給を天下った先で回収してしまうこともよくあることである。どちらかというと、個人の力量というか能力によらずに、既得権益としてこのようなことが起こってしまう構造が問題なのであり、能力を買われて就職した先が関係法人であったということは通常問題となるわけではなく、これに類似させた誤った方式が根付いてしまったのだろう。そして際限なくこれを拡大してきた、その行いが、逆に世間の風当たりを強くしてしまったと言えるかもしれない。


国民の立場から見て、今回の行革大綱は重要なポイントがあったと見ている。目立たないような記述ではあるが、大綱作成チームの改革意識が表れていると受け止めたい(「またいち」幹事長さんは、「人員削減だけ突出させ世論にこびるやり方は容認できない」「年金運用の赤字を積立金で穴埋めするのは断固反対、国民感覚ではまったく理解できず、開いた口がふさがらない」と述べているが、見るべき部分がずれているように思う。単に『反対』の姿勢はやっぱり野党根性が染み付いているのであろうか)。

ポイントの一つは、国民に対する理解を求める姿勢が打ち出されてきたことである。各府省は予算案決定後、取り組み実績を国民に公表することが盛り込まれた。このことは今まで以上に行政に理解を求めるものと考えてよく、情報公開によって省庁は国民の評価を受ける立場に置かれることになるため、間接的にでも改善姿勢と実績が問われるということだ。もう一つは、行政手続法の改正である。政府・各省庁が国民の権利や義務にかかわる政令や省令をつくる際には、必ず国民に意見を求める手続きを踏むようにするというもので、来年の国会提出を予定しているようである。これもまた、国民に理解を深めてもらうため、法令決定の手続き段階で意見聴取を行うというものである。現在もパブリックコメントの受付がなされているが、かなり専門的であったり国民への周知は浸透しておらず効果的ではない面もないわけではないが、さらに拡大して国民の意見を求めるということは、十分評価に値すると思う。これを盛り込んだことは、行政が「国民を意識」して業務に取り組むという意思表示と受け止めたい。

「またいち」さんはこれについてはコメントしていないが、世論にこびる感じは彼のコメントの方にその印象を受けますが…あいた口が塞がらない心境です。ある部分だけ突出させて見ているのは彼であって、報道の見出ししか理解しようとしない姿勢がコメントに出ていると思ってしまいます(真意はわかりかねますが)。


年金運用の穴埋めに関しては、会計上どのように処理しようとしても年金制度の中で処理する以外になく、確かに過去の施策に問題があったことは事実であるし、この責任については議論の余地があるが、敢えて処理に踏み切ったことは準備段階に入ってきたことを示しているのではないかと推測している。準備とは、「年金一元化」のことである。これを見据えての処理ならば、今の段階で行うことは不自然ではないと思う。制度の違う年金を統合するということになれば、会計上の問題は処理しておくのが妥当であろうと思うのだが。債務処理を先延ばしにして、利払いが膨らんだりするのもマイナスだと思う。勿論私は年金や会計のエキスパートではないから、ひょっとして違うのかもしれませんが、見方としては普通なのではないかと。「断固反対、国民感覚で理解不能」とおっしゃるならば、どう処理するか示してほしいものです。


また、長々書いてしまいましたが、少しずつではあるが、行政も変わりつつあるというのが、私の印象です(期待も込めて)。年末に「予兆」ということになれば、来年には相当の変革があるかもしれません。そう信じたい。