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官僚は制度に負けるのか2

2004年12月03日 18時03分47秒 | 行政制度
buuさんからTB頂きました。拙文をご紹介頂いて有難うございます。
個人の方に向けて記事を書くということは初めてですが、コメント欄では確かにうまく書けませんので、記事に書いてみたいと思います。


まず、私の当初からの目的は、社会保障制度の抜本的改革を考えるべきであるということです。これは時系列で記事を読んで頂きたく(下らない文章も多数存在しますから、嫌とおっしゃられるかもしれませんが)、国家公務員共済の謎シリーズにおいてもこの制度にどの様な問題点があるのかについて考えたものです。勿論個人的感情によって書かれている部分も多数ありますが。非難を受けるのはいたしかたがない部分もあります。これらは、国家公務員制度について批判すべきこととして書いた訳ではありません。私のような素人が考えられる、非常に局所的な部分について取り上げたものですね。他の不正ものについても、現存の官僚制度や法曹制度等について総論的な制度そのものの批判を行っている訳ではないことは記事をお読み頂ければ明白であろうと思います。



ただ、現在の行政制度を考えると、一般国民の感覚として社会的に許容しにくい部分も含まれていると思うのです。これは当然のことながら政治家や官僚等の専門家集団によって運営されている行政が、不正を生み出す構造を有しているということです。この個々に事例についてはメディア等の報道を通じて一般国民は知るわけですが、これを改善していくにはどうしたらよいのでしょう?ということになると、私個人の持てる力量では具体的に良い方法は見つかりません。思いついたことと言えば、ブログに書く事だけです。後は少しでも解る範囲で調べたり省庁に疑義照会のメールをするくらいですね。これが、私の精一杯の努力なのです。それでは国民の責任を果たしていることにはならないというご指摘をうけるやもしれませんが。


国民として行政裁判や住民訴訟の権利を有しているのではないか、とのご意見もあると思いますし、現実にそのような行動をとられておられる方々が存在することも知っております。法的な権利ですから、当然行使すべきである、と言えなくはないでしょう。ですが、心の底から「国民が個々に訴訟を起こし、行政に深く関わりを持つべき」という意見だとするならば、非常に残念に思います。訴訟に関わる個人的労力よりも行政の一件の決定についての法的評価を優先すべし、ということが本当に一般国民に認識されているとお考えなのでしょうか。本当にご自身でもそれを実行してゆくお考えなのでしょうか。私ならば仕事がありますし、何度も裁判所に出廷するため休んだり、訴訟費用を結審まで払い続けたりは到底できません。そのような財産的基盤も持ち合わせておりませんしね。たとえ訴訟で勝訴であったとしても、非常に大きな決定事項について(そういうのは多くがオンブズマンとか多人数の原告団とかが訴訟を起こしていると思いますが)ならまだしも、たった一件の旅費返還請求であったり一千万円の補助事業の正当性についてであったりしてみたところで、「国民がぞれぞれ裁判所での判断を仰ぐべし」ということがいかに非効率的であるか容易に判断できると思います。


また、現在の法体系に基づいて行政が行われているわけですし、本来ならばこの行政システムでもほぼ正しく機能できるようになっているはずです。勿論完璧ではないことはあると思いますが。例えば、行政が執行する予算については会計検査院が検査し判断することになっています。この会計検査院法第20条は次の条文です。

第20条
会計検査院は、日本国憲法第90条の規定により国の収入支出の決算の検査を行う外、法律に定める会計の検査を行う。
2 会計検査院は、常時会計検査を行い、会計経理を監督し、その適正を期し、且つ、是正を図る。
3 会計検査院は、正確性、合規性、経済性、効率性及び有効性の観点その他会計検査上必要な観点から検査を行うものとする。

これにより、本来ならば行政が執行する補助金事業であるとか全ての支出にわたって、合規性、経済性、効率性及び有効性の観点その他会計検査上必要な観点から検査しなければなりません。これは行政の評価としては、かなり厳格なものといえますし、「経済性」「効率性」「有効性」についての評価も含む訳ですから、事業の性格や妥当性についても当然審査されると考えられるのです。ですから、国民が個々に訴訟する以前の問題であって、このような検査が正しく実施されていれば多くは改善できうるものなのです。これが本来持っている行政のシステムであるのですね。ところがこのようなシステムがあっても十分機能していないという面があります。これは、検査院の人員数の問題であるとか各省庁との力関係や検査に対する抵抗(警察庁は「検査マニュアル」を配布していたという報道がありました)などが要因としてあるのかもしれません(推測ですが)。



この機能不全を防ぐためにはどうしたらよいのかということになりますと、ご指摘があるようにこうした問題を放置している内閣に問題があるのか、提出された検査院報告を安易に承認する立法府である国会(議員さんたち)の能力不足なのかはわかりません。どこにどうアプローチすると改善されるのかは、専門家ではない私個人にはわかりません。


翻って、このような機能を有している行政府ではありますが、現実問題として検査院が全てを検査することは困難ですから、あとは省庁間との信頼関係に依存する部分が当然あると思います。もしも官僚が全員「善良な管理者」であって個々の能力を適正に発揮するならば、部分的に指摘される事項があったりするかもしれませが、多くは適正に運営されるのではないか、と思っているのです。それは、行政府の業務を担う各個人が、全員「悪意の管理者」であるとは考えていないからで、大多数は優秀な良き人々であることは想像に難くない。そうであるが故に現在のシステムで不正を生じてしまうことが残念であるし、一般人としては疑問に思うところなのです。何故起こってしまうのか?以前の記事にも書きましたが、それが組織体質というか風土なのではないか、そして業務評価(執行された結果の)が正しく行われないからではないのかな、と。

官僚達全てが正当に業務に携わるなら、国民との間にも信頼関係が築かれる可能性は高くなると思いますから、批判は少なくなるでしょう。ですから不正をなくすことから始めるべきではないかと思います。次に国家公務員制度の問題点があれば改善する方がよいでしょうし、また検査院も含めて業務を正当に評価する仕組みをどのようにするかとか、個人の能力についても評価をどうするかとかという議論をしていくべきではないかと思うのですが。方法論とかは様々な意見もあるでしょうし、内部事情が判らない私のような人間では難しい問題も多いですからそういう点では専門家が検討する必要があると思っています。私は不当な業務委託などによって利益を生じている公益法人とか外郭団体とかとは手を切るべきであると考えていますし、不必要な組織はなくすべきであるとも思っています。こうした政策は政治的決着が必要な部分もあるでしょうから、政治家を選出している国民にも責任があると思います。政官業が天下り先や利権をせっせと作り上げてくることを看過していた、と言う意味においても同様と思いますが。


最後になりましたが、私の名前は変なんですが一応「まさくに」ということにしてあるので、呼びかけて頂けるときはこの名前でお願い致します。それと、国家公務員の不正が起こってしまうのは立法府の能力の問題であって、ひいてはこのような議員さん達を選出した国民に責があるので、国家公務員の批判などする資格はないとおっしゃられるのでしたら、残念ながらいくら議論しても平行線をたどるだけであろうと思います。官僚の不始末の責が官僚達にあるのではなく国民にあるのだという結論ならば、過半数を超える有権者が同じように変わらない限り、状況は何も変わらないという結論になってしまいますので。そしてその有権者たちが選出する国会議員の多くが賢明であって現状の行政を改善してくれることが必要ということです。