チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

お別れ「たこフェリー」

2010-11-16 15:58:44 | 明石風物
11月16日(火)

 昨日の月曜日は「たこフェリー」最後の日でした。朝から冷たい北風が吹き、上空はどんよりとした暗い雲が漂うという、まさに惜別の時に相応しい寂しげな日になりました。

  明石駅のホームから階段を降りると、楽しげなポスターが
      
 写真の船は「あさしお丸」。実は既に売却されて、もう姿を消しています。

 最後にもう一回「たこフェリー」で淡路を往復しようかという思いはあったものの、正直のところ、「時代の流れだ、いまさら感傷的にならなくても」と冷静を装っていました。それに週末はKAZU君と他のところへ出かけたりしていて、そのまま最後の月曜日を迎えたのです。

 しかし考えてみると、今回は「0系新幹線」が消えて行く時とは状況が全く異なっています。あの時は「老兵は消え去るのみ」という感が強かったのですが、「たこフェリー」の場合は、新型船ができて引退するのではなく、まだまだ現役でバリバリ働ける船が、そしてそれを必要としている人たちがいる中で、時代の荒波にのみ込まれて行くのですから。

 とてもとても、「寂しい」とかいうことばでは表せない思いが込み上げてきます。そんな、やりきれない気分で、朝から海峡を行き来する最終日の「あさかぜ丸」を眺めているうちに、せめて最後の雄姿をベランダからではなくカメラに収めたいという気持ちが強くなってきて部屋を出ました。

 寒空の下、港には名残を惜しむ人たちがたくさん押しかけていました。そこへ最後の一隻となった「あさかぜ丸」が淡路の岩屋港から到着。
  
 最近は「のりたい号」という愛称が付けられていました。明石名産の「海苔」と「鯛」をもじった模様。
 「やっぱり、のりたーい」、それもできれば最終便に。でも保育園に行かなくては。そこで、KAZU君のお父さんに連絡を取り了解を得て、港で最終便を待つことになりました。

  テレビ局のカメラマンも現れて
    

  上空には報道のヘリコプター
    
 いつもは閑散としている港も、さすがに今日は騒然とした雰囲気になってきました。

  この看板も今日が最後に
     

  最終便の一便前出航。この時点で20分遅れ
  
 混雑で乗客と車両の入れ換えに時間がかかっている模様です。最終便は17時40分になっていますが、このぶんだとかなり遅れそうな気配です。

 最終便の出航時刻を過ぎてすっかり日も暮れてしまった中、岩屋港発明石港着の最終便が港に入って来ました

  出迎える人たち
  
 この混雑です。私の乗り込んだ下りの最終便もなかなか出航できませんでしたが。

  18時15分、フェリー会社の方も見送って、35分遅れの出航
  



     風寒し花持たさるる最終便   弁人


 後でわかったのですが、KAZU君もお父さんと一緒に港に来ていたとのこと。携帯に気づかず会えませんでした。もし会っていたら一緒に乗っちゃていたかもしれません。

  寒風の中、ほとんどの人がデッキに出ている状態で、ちょっぴり憎っくき
  橋の下へ
  

  岩屋港到着後のセレモニー、何も見えず
  

 やがて、乗客を下ろした「あさかぜ丸」は天に突き上げるような甲高い汽笛を何回も鳴らして暗い海へ出て行きました。
 なんのことはない、今夜は明石港に停泊するので戻るのでした。


     雄叫びの汽笛消え行く冬の海    弁人



 船を見送った後、岩屋港のバスターミナルへ行ってみましたが、19時を過ぎて最終便も終わっていました。したがって、本土に戻る乗客は、タクシーで別のバス停に行くか、高速船のジェノバラインを利用するしかありません。「たこフェリー」がなくなったので当たり前ですね。



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