チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

高波乗り越え、なんとか明石に漂着

2016-03-21 16:53:15 | 身辺雑記
3月21日(休)

 今、妻君と二人、明石のKAZU君のおうちでボーっとしてます。

 昨日の朝、窓の外の春の海に
  バラ積み船が通過
  

 いやあ大変でした、家の明け渡しと明石への移動。すっかり疲れ果ててしまいました。

 15日の火曜日に家財の引越しをしましたが、翌16日も片付けやごみ処理に追われ、夕方から仮眠をとった深夜、時計がちょうど0時を回って17日になった頃 最後のゴミを木曜収集の収集所に置いて、車で逗子から明石へ向かいました。

 このトシになって、夜中の行軍はつらいのですが、荷物の搬入や初めての立体駐車場の操作などを考えると、明石にはどうしても昼前に到着したい。そうしないと、その日にゆっくり寝られないのではないかと心配だったのです。

 慌ただしく時間に追われる中で、風邪気味になっていたのにも気がつかなかったのでしょうか、車が愛知県に入らんとする夜明け方には腰痛と関節痛に襲われ、助手席の妻君も喉の痛みとだるさを訴え、なんとか11時前に明石に着いたものの、妻君はすぐにお医者さんで薬を処方してもらう始末。

 逗子にいる時から疲れを感じていて、明石に着いた後、はたして、車満載の荷物をエントランスから階上の部屋まで運び上げる体力と気力が残っているのだろうかという不安がよぎり、前日に明石の便利屋に予約を入れていたのが幸い、なんとか部屋に落ち着くことができました。
 その後、とりあえず翌18日までの食料を確保し、ずっと天井を見て横になっていました。

 さあ、そろそろ動き出そうかと19日の朝を迎えましたが、扉を開けると、いかにも海峡の町らしく、

 外は
  朝霧に覆われていました
  

 見慣れた海峡ですが、
  橋も淡路島も見えません
  


   漂着の果てを隠すや春霞   弁人


 買物に出てみると、明石駅周辺は再開発工事が佳境を迎えて国道2号線の車線の縮小で大渋滞。仕方なく郊外へ向かってみましたが、どこも車がいっぱいで渋滞気味。
 どうも、カレンダーにも無頓着になっていたようで、世の中はちょうど三連休に入ったところだったのです。

 午後は、あらかじめレンタルで手にしていたWiFiなるものを取り出しました。少々悪戦苦闘しましたが、なんとかネットが繋がり、束の間の明石暮らしがいちおう軌道に乗って来た感じに。
 これでブログの記事も更新できる状態になりましたが、まずは、オランダとのEメールのやりとりからスタート。

 ところで、半年ぶりの明石ですが、町の空気はすっかり春の気配に包まれていました。

 まずは魚の棚を覗いてみたところ、いかなごの新子は少し高めのキロ1500円で、昨年に続き今年も豊漁ではなさそうですが、今年も播磨の春の風物詩を目にして気持ちが温まりました。

 そして、昨日開幕したセンバツ甲子園。今回は近畿大会で4強に入った地元の市立明石商業が晴れ舞台に登場します。
 明石勢の甲子園登場は、昭和62年に春夏共に出場した明石高校以来の29年ぶりということで、さぞ大騒ぎかと思いきや、残念ながら、明石駅前は現在大規模な再開発工事中、激励や応援の幟旗や横断幕は見られませんでした。
 地元のテレビで、天文科学館が明石商業の健闘を祈ってスクールカラーのライトアップをしているという話題が流れたので、さっそくカメラを持って夜の散歩へ。

 天文科学館がよく見える、
  かつての私のマンションから
  
 赤っぽいオレンジ色。オレンジのライトアップは「児童虐待防止キャンペーン」で見たことがあります。明石商業のスクールカラーが赤なのかもしれません。

  海岸からも一枚
  
 やっぱりワクワクします。初戦は明日の第一試合。なんとしても早起きをして甲子園に行かなければと気合が入ってきます。せっかくだからアルプス席に陣取りたいとも思いますが、きっと一塁側は内野席を含めて満員になっちゃうんじゃないかと只今思案中。


 さて、とにもかくにも、思い出の地での仮住まい生活が始まりました。わずか数ヶ月ですが、その間、ブログのタイトルどおりの「明石通信」が再開できそうです。

 一息ついて振り返ると、夕日を浴びて進む
  日本郵船の貨物船
  
 

   春分や海峡眺めてひと欠伸   弁人


コメント (2)
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