チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

奈良から伊勢本街道を通って「お伊勢参り」に

2012-10-24 09:22:02 | 旅行
10月24日(水)

 「運動会、見に行くね」という約束をKAZU君としていた妻君、3月に奈良の明日香から逗子に戻っていたので、久しぶりの関西ということになりました。

 ちょうど、母の亡くなった後、気分転換を兼ねて、東京の姉を明石近辺の関西旅行に招いていたこともあって、KAZU君の運動会より一週間早く、妻君が姉を連れて二人で明石にやって来ました。
  
    
       
 淡路島でダリアやコスモスを愛でて、有馬温泉に一泊して新神戸駅で姉を見送った翌日、今度は妻君を乗せて伊勢路へ車を走らせることになりました。

 実は妻君、二年間の奈良暮らしを終えたものの、まだいくつか思い残すことがあって、その一つが、宇蛇から松阪へ抜ける「伊勢本街道」の踏破だったのです。

 KAZU君の運動会の三日前。あいにくの空模様の中でしたが、朝明石を出て、今では懐かしい桜井を経由して、三笠山の裏から山間いを経由して南下して来る伊勢本街道の国道369号線を目指しました。
 宇蛇市榛原の南で、その伊勢本街道に入り、霧に煙る山間いの道をカメラに収めながら、東へ東へと車を進めました。

  山奥の曾禰村から奈良県の東端の御杖村へ
  

  県境を越え、津市の山奥の美杉町へ入ります
  
 ここから4キロ程進んで伊勢興津に来ると、道路沿いに線路が見えましたが、松阪から延びている「名松線」、今は、この辺りの区間は運休していて列車は来ないということでした。

 この先、伊勢本街道は津市から松阪市に入って、仁柿峠とかいう人っ子一人出くわさない細い峠道~対向車が一台も来なくて本当に幸いでした~を抜けて、やっとのことで国道166号線に到着。さらに、櫛田川に沿って東進して紀勢本線の相可駅や多気駅を通って、

 この日の終着点、
  伊勢斎王の宮のあった斎宮歴史博物館に
  


   伊勢目指す旧街道の秋時雨   弁人


 やがて、すっかり日が暮れてから鳥羽の宿に落ち着き、天候の回復を待ちましたが、翌日もあいにくの雨模様。

  二見浦は中学生の時以来で、実に50年振りです
  

 神宮に向かい、内宮参拝の前に
  「おかげ横町」でひと休み
  

  内宮は2003年の伊勢駅伝の時以来です
  


   赤福の甘さひとしお秋驟雨   弁人


 伊勢路三日目の朝。やっと晴れてくれました。

  朝の鳥羽湾
  

 快晴になったとはいえ、強い北風で海は荒れ模様です。海面すれすれの二見浦はどんな具合になっているかと、伊勢神宮に戻る前にもう一度夫婦岩へ向かってみました。

  波しぶきを浴びる二見興玉神社
  
 遊歩道もタイミングよくすり抜けないと、ずぶ濡れになってしまいます。

  好天の中、外宮に参拝して
  


   神宮の木々神々しく秋麗ら   弁人


 帰途は、亀山まで北上して名阪国道を通る予定でしたが、妻君には、もう一カ所行ってみたい所がありました。その場所が二上山を越えた大阪の太子町ということで、今度は和歌山街道の国道166号線を一気に走り抜け、東吉野から橿原を通って南阪奈道路へと向かいました。

 最後の目的地は
  「近つ飛鳥風土記の丘」にある博物館
  

 大阪の南、奈良との国境付近は、仁徳天皇陵や応神天皇陵など古墳がたくさんあって、その関係の資料が展示されている博物館です。
 ところでこの場所、車でなかったら、どうやって来るのでしょうか。富田林駅辺りからバスがあるのかもしれませんが、とにかく公園が広大でバス停がどこにあるのか、見つけるのは至難のようでした。
 博物館の建物はコンクリート打ち放しの、いかにも安藤忠雄氏の設計と一見してわかる立派な建造物。府立の博物館ということですが、もう少し府民が気軽に訪れることができる方策が必要な気がしました。

コメント
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