プラテーロ と ぼく / PLATERO Y YO



少なくても40年ほどずっと持っていた本を、この夏に読みました。

40年以上昔に読んだときは、途中で寝てしまい、そしてもう一度挑戦しても

またすぐに寝てしまい、結局読み終わることなくその後本棚にて長きにわたり

熟成させていたことになります。

本が熟成? そうですね、本が、ではなく、読み手が熟成してくるのを本が

本棚で黙って待っていた、と言うべきでしょう。

というのも、

岩波少年文庫で出版した 「 プラテーロとぼく 」 ですが、少年少女向けとは

到底思えない、これは大人も大人、自分の人生観がある程度形作られている

40~50代以上の大人のための特上の一冊!でしたから。

作者フラン・ラモン・ヒメネスがろばのプラテーロと一緒に故郷モゲールの

町で過ごした7年間に出会ったささやかな出来事ついての138編など、

若気の至りの10代には何とも退屈で、読み進もうにも眠くて眠くて・・・

となっていたのも今だと肯けます。

これは、万物を創造した大いなる何かと共鳴する心を持つ一人の詩人が、盲目

的で卑小な、時に忌まわしいほどに愚かで、しかし愛すべき人間の営みや、

自らの幼い頃の思い出や、モゲールの町のすばらしい四季と自然についてを、

いつも一緒の銀色( スペイン語で銀は plata=プラータといい、毛の銀色から

Platero プラテーロと名付けたらしい ※訳注より )のろば プラテーロに語り

かける、というスタイルで詠った 散文詩なのです。


地中海の西の出口ジブラルタル海峡を通り抜け、スペインとポルトガルの国境

の北東にモゲールの町はあります。

「 プラテールとぼく 」 の副題には 「 ― アンダルシアのエレジー ― 」 とあり、

100年前のこの土地には、白痴、皮膚病の野良犬、淵、子守むすめ、荷車、

葡萄酒醸造所、ジプシー、闘牛、カーニバル、教会の塔、井戸、泉、こどもと

つばめ、夕暮れ、アーモンドとオレンジの木、リーリアの花といちじくがあり、

人々が汚れと菌、埃や唾とともに、それらにまみれて生きて死んでいました。



「  プラテーロは小さくて、むくむく毛が生え、ふんわりしている。見たところ

あまりやわらかいので、からだ全体が綿でできている、骨なんかない、と言えそうだ。

真っ黒な瞳のきらめきだけが、まるで二匹のかぶと虫みたいにこちこちしている。

 手綱をはなしてやる。すると草原へゆき、ばら色、空いろ、こがね色の小さな花々

に、そっと鼻づらをふれて、生あたたかな息でかわいがる・・・・・ぼくがやさしく

『 プラテーロ? 』 とよぶと、うれしそうに駆けてくる。なんだか幻の鈴の音の中

に、笑いさざめくような足音をたてながら・・・・・ 」



詩人はプラテーロにまたがり、「 ごらんよ、プラテーロ、 」 と語りかけます、生命

から永遠へと通じる小道の途中とちゅうで。

138編の珠玉、

それがどんなに尊く儚く美しいものか、また同時に哀しみを湛えているものなのかを

詩人と共に染みいるように味わい、しばしページを閉じて溜息をつく・・・・・

そのような豊かな時間を、40数年という長い熟成期間を経てようやく得ることが

できたようです。

素晴らしい。





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