「 読み聞かせ 」 に思う


息子が小学校に入学してすぐに、PTAの読み聞かせサークルに入りました。

というのも、まだまだ息子に絵本を読んでやって一緒に楽しみたかったからでした。

息子が言葉らしきものを少し口にするようになってから、とにかく毎日毎晩絵本を

読んでやっていて、独身時代から絵本は大好きでしたが、実際に子どもと一緒に

読むようになったことで、年齢に合わせて選ぶことや、膨大な数が出版されている

中には、良い、そうでもない、とても良い、とても良くない、傑作!商業的!、

などいろいろあるのだな、と判って、自分なりの評価基準が定まったり、

またいろいろな作品に出会うことで好きな作家が幾人もできたり、出版社による作風

の傾向を感じたり、児童書の歴史も少しずつ知ることになったり・・・・・

子どものための本の世界で、自分の子どもとともに思いっきり過ごすことのできた

実に豊かで、贅沢な、素晴らしい数年間だったのです。

息子に読んでやっているうちに、自分なりにいろいろな工夫や改良を重ねました。

たとえば、声。日本の昔話に登場する女の人、それはお百姓のうちのおっかさん?

それとも商家のおかみさん?それとも漁師のヨメ?それとも幽霊? というような立場

の設定によるその女の人の声色や口調をそれらしく変化させること。

たとえば、速度。ゆったり~なのか、緊迫感のある早めなのか、穏やかな安定なのか。

たとえば、時代。現代ものと昔のもの、その中でも街と村では違うから。

たとえば、雰囲気。明るさを、ユーモアを、淋しさ静けさを、豪快さを、スケール感を。

たとえば、間。段落と段落、場面と場面、行と行、起承転結、どのくらいの空間を

空けるか、詰めるか、とか。

などなど、様々な要素を組み合わせてお話しの世界を表現するのです。

そう、まさしく ” 表現する ” ということなのでした。

子どものために創作されたおはなしを、読むという手段で、目の前にいる子ども達に

伝える、それは私にとってとてもやりがいのあるそして手応えのあることだと気付いたのです。

小学校6年間、月に2回息子のクラスを中心に授業前の10分間、お気に入りの絵本を

読ませていただきました。聴き手と読み手、お話しを共有する実感は得がたいものでした。


息子は小学校を卒業し、もうぴったりとくっついて二人で一冊の絵本や児童書を読むことは

なくなってしまいましたが、小学校のサークルではこどもが卒業した後も所属して読み聞かせ

活動を続けている方達がたくさん。なのでわたしも引き続き参加させてもらってます。

今朝も、5年生のクラスで読んできましたよ。

『 松谷みよ子のむかしむかし 』 の中から、今朝は 「 雪女 」 を。

そして、読み聞かせ = 朗読 とは、音楽の演奏・・・歌うこと、と同じなのでは、と。

自分なりの理解、解釈、それを声で表現すること。

私は、読み聞かせによって、憧れていたシンガーと同等のパフォーマンスをしているのかも!

そう思ったりした朝でした。


















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