『魔女遊戯』イルサ・シグルザルドッティル
集英社文庫の先月の新刊。
広告で、作者の名前からしてアイスランド人?と思ったら当たりだった。
やもめの弁護士で二児の母のトーラアイスランドの大学で、魔女研究をしていたドイツ人留学性の青年が変死体で発見された。麻薬の売人が容疑者となるが、遺族は納得できない。やもめで二児の母の弁護士トーラがその調査を依頼され、被害者の父の部下である元刑事の男と共に事件にとりくんでいく。
魔女狩りという陰惨な過去が関わってくるだけに、理不尽な感情がわくのはいかんともしがたい。アイスランドでは「魔女」とされたのは主に男性だったという記述は興味深い。私の知識では、魔術は女のものであり、男が使うのは恥とされたということになっている(谷口さんの本だったか?)のだけど、どう解釈したものだろう。魔法と魔術をどう区別しているのだろう、とか、「魔女」と「魔法使い」の区別がここでは曖昧だな、とかも気になる。英訳からの重訳であることも影響しているのだろうか。(ドイツ人相棒の名前が「マシュー・ライヒ」となっているけど、マシュー? マテウスでないのか?)
トーラとマシューが郊外へ出かけるときのバスからのに関しての場面:
「これをいい景色だと思う者はほとんどいないかもしれないが、彼女はここがアイスランドで最も美しい場所の一つだと思っていた。苔が緑に輝き、その穏やかな輪郭がごつごつととがった溶岩とまったくの対照をなす夏は、特に美しかった。」
「真っ先に頭に浮かぶのは「荒涼たる」という言葉ですね」
--山室静さんの本に似たようなエピソードがあった。ナショナリズムを意識しない本でこういう描写を見ると、お国柄がうかがえて面白い。
小路幸也『ピースメーカー』
(なんだか別の有名マンガが先に出てきそうなタイトルだな)
小路幸也は、小学館「きらら」で知って以来、わりに愛読している作家のひとり。代表作『東京バンドワゴン』。ほのぼのノスタルジックが多い。
『ピースメーカー』は、放送部の男子中学生が主人公で、伝統的に運動部と文化部の仲が悪い学校で、その間の友好を目指す使命をなんだか負わされている。70年代が舞台なので、まだ「ロック」=不良扱いされ、学校放送での使用が職員室で反対されてたり、CDではなくてLPだったり、そういうノスタルジーもこの作家の得意とするところ。
本筋を関係ないところで気に言ったのがこれ:
「もうお弁当は食べ終わりましたか。<お弁当箱を洗って帰ろう委員会>が、一階トイレ横の手洗い場で今日も待機しています。その気になった人は、どうぞお弁当箱を持っていって自分で洗ってみてください」
昼休みの校内放送の一部。この「委員会」はここでしか出てこないし、具体的になにをしているかはわからない。でもこの主張には賛成する。私は洗っている。H大の講師控室には洗い場があり、食器洗剤やスポンジもある。(私が洗剤を寄付したこともある) TK大の講師室の洗面所にはそんなのないけど、ハンドドープで少しは落ちる。どうも弁当箱って、時間が経つと汚い感じがしてくる・・・と私は思うので、早いうちにいくらかきれいにしておきたくなるのだ。いつから始めたのか記憶にない。学生時代にも、からっとキレイに食べてしまっていたことは確かなんだが。
ツッコミ入れたいのは以下のやりとり。文脈紹介は省略ーーいや、誤解を招くからひとことで書こう。主人公の姉がだいぶ年長の相手を好きになり、相手はしばらく退けていたけど陥落したという経緯を先輩からきくときにその先輩が、あなたのお姉さんに振り向かない男はホモよ、と断言する文脈(ほんとはそういう主張は好かんけどな)で。
「ホモ?」
(中略)
「男が好きな男のことよ」
「あぁ、陰間ね」
ーーそれはだいぶ違うのでは。時代劇好きならば、せめて「衆道」と言ってもらいたい(これだってイコールではなくて「ホモ」の一部にすぎないが)。
宮部みゆき『ばんば憑き』
新刊。時代怪異短編集。
『あんじゅう』で登場した寺子屋の「若先生」と容貌怪異のニセ坊主とがどうやってお友達になったかがわかる話はなんだか嬉しい。「くろすけ」を可愛がっていた老夫妻も登場してくれる。
基本的に宮部作品は登場人物の善人率が高く、この本もそうなのであるが、表題作はわりあい苦い。あるいは、犯した悪事には報いがあるものということで、この点ではむしろカタルシスなのだろうか。
虐待されて死んだ子供への弔いを含んだエピソードがぜんぜん遠い過去のことと思えないのは遺憾なことである。
集英社文庫の先月の新刊。
広告で、作者の名前からしてアイスランド人?と思ったら当たりだった。
やもめの弁護士で二児の母のトーラアイスランドの大学で、魔女研究をしていたドイツ人留学性の青年が変死体で発見された。麻薬の売人が容疑者となるが、遺族は納得できない。やもめで二児の母の弁護士トーラがその調査を依頼され、被害者の父の部下である元刑事の男と共に事件にとりくんでいく。
魔女狩りという陰惨な過去が関わってくるだけに、理不尽な感情がわくのはいかんともしがたい。アイスランドでは「魔女」とされたのは主に男性だったという記述は興味深い。私の知識では、魔術は女のものであり、男が使うのは恥とされたということになっている(谷口さんの本だったか?)のだけど、どう解釈したものだろう。魔法と魔術をどう区別しているのだろう、とか、「魔女」と「魔法使い」の区別がここでは曖昧だな、とかも気になる。英訳からの重訳であることも影響しているのだろうか。(ドイツ人相棒の名前が「マシュー・ライヒ」となっているけど、マシュー? マテウスでないのか?)
トーラとマシューが郊外へ出かけるときのバスからのに関しての場面:
「これをいい景色だと思う者はほとんどいないかもしれないが、彼女はここがアイスランドで最も美しい場所の一つだと思っていた。苔が緑に輝き、その穏やかな輪郭がごつごつととがった溶岩とまったくの対照をなす夏は、特に美しかった。」
「真っ先に頭に浮かぶのは「荒涼たる」という言葉ですね」
--山室静さんの本に似たようなエピソードがあった。ナショナリズムを意識しない本でこういう描写を見ると、お国柄がうかがえて面白い。
小路幸也『ピースメーカー』
(なんだか別の有名マンガが先に出てきそうなタイトルだな)
小路幸也は、小学館「きらら」で知って以来、わりに愛読している作家のひとり。代表作『東京バンドワゴン』。ほのぼのノスタルジックが多い。
『ピースメーカー』は、放送部の男子中学生が主人公で、伝統的に運動部と文化部の仲が悪い学校で、その間の友好を目指す使命をなんだか負わされている。70年代が舞台なので、まだ「ロック」=不良扱いされ、学校放送での使用が職員室で反対されてたり、CDではなくてLPだったり、そういうノスタルジーもこの作家の得意とするところ。
本筋を関係ないところで気に言ったのがこれ:
「もうお弁当は食べ終わりましたか。<お弁当箱を洗って帰ろう委員会>が、一階トイレ横の手洗い場で今日も待機しています。その気になった人は、どうぞお弁当箱を持っていって自分で洗ってみてください」
昼休みの校内放送の一部。この「委員会」はここでしか出てこないし、具体的になにをしているかはわからない。でもこの主張には賛成する。私は洗っている。H大の講師控室には洗い場があり、食器洗剤やスポンジもある。(私が洗剤を寄付したこともある) TK大の講師室の洗面所にはそんなのないけど、ハンドドープで少しは落ちる。どうも弁当箱って、時間が経つと汚い感じがしてくる・・・と私は思うので、早いうちにいくらかきれいにしておきたくなるのだ。いつから始めたのか記憶にない。学生時代にも、からっとキレイに食べてしまっていたことは確かなんだが。
ツッコミ入れたいのは以下のやりとり。文脈紹介は省略ーーいや、誤解を招くからひとことで書こう。主人公の姉がだいぶ年長の相手を好きになり、相手はしばらく退けていたけど陥落したという経緯を先輩からきくときにその先輩が、あなたのお姉さんに振り向かない男はホモよ、と断言する文脈(ほんとはそういう主張は好かんけどな)で。
「ホモ?」
(中略)
「男が好きな男のことよ」
「あぁ、陰間ね」
ーーそれはだいぶ違うのでは。時代劇好きならば、せめて「衆道」と言ってもらいたい(これだってイコールではなくて「ホモ」の一部にすぎないが)。
宮部みゆき『ばんば憑き』
新刊。時代怪異短編集。
『あんじゅう』で登場した寺子屋の「若先生」と容貌怪異のニセ坊主とがどうやってお友達になったかがわかる話はなんだか嬉しい。「くろすけ」を可愛がっていた老夫妻も登場してくれる。
基本的に宮部作品は登場人物の善人率が高く、この本もそうなのであるが、表題作はわりあい苦い。あるいは、犯した悪事には報いがあるものということで、この点ではむしろカタルシスなのだろうか。
虐待されて死んだ子供への弔いを含んだエピソードがぜんぜん遠い過去のことと思えないのは遺憾なことである。