アイスランドのミステリー『魔女遊戯』が先月集英社文庫から出た。しかしここで書こうとしているのは感想そのものではない。
アイスランドでは、現代でも「姓」がなく、名前+父称を使うという。ロシア人のなんとかヴィッチ、なんとかヴナにあたる部分で、○○ソン、○○ドーティル で○○の息子・娘 を意味する。
気になるのは、社会生活での呼び方だ。
ロシア人の場合、たとえば『罪と罰』の主人公を例にするが、「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」に対して、ごく親しい人々は「ロージャ」と呼び、かたくるしい場合は「ラスコーリニコフさん」、その間の段階は「ロジオン・ロマーヌイチ」。(こういう呼びかけがロシア文学の長ったらしさを少しばかり増しているのでないだろうか)
アイスランド人の場合、ファーストネーム呼びするほど親しくない間柄ではどういう呼び方をするのだろう?
上述の小説で、主人公トーラ・シグムンズドッティルに対して初対面のドイツ人が「フラウ・グドムンズドッティル」と呼びかけているのだけど、こういう呼び方はヘンでないのだろうか。トーラといきなりは呼べないとなるとこれしかないかもとは思うけど。ううむ?
アイスランドでは、現代でも「姓」がなく、名前+父称を使うという。ロシア人のなんとかヴィッチ、なんとかヴナにあたる部分で、○○ソン、○○ドーティル で○○の息子・娘 を意味する。
気になるのは、社会生活での呼び方だ。
ロシア人の場合、たとえば『罪と罰』の主人公を例にするが、「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」に対して、ごく親しい人々は「ロージャ」と呼び、かたくるしい場合は「ラスコーリニコフさん」、その間の段階は「ロジオン・ロマーヌイチ」。(こういう呼びかけがロシア文学の長ったらしさを少しばかり増しているのでないだろうか)
アイスランド人の場合、ファーストネーム呼びするほど親しくない間柄ではどういう呼び方をするのだろう?
上述の小説で、主人公トーラ・シグムンズドッティルに対して初対面のドイツ人が「フラウ・グドムンズドッティル」と呼びかけているのだけど、こういう呼び方はヘンでないのだろうか。トーラといきなりは呼べないとなるとこれしかないかもとは思うけど。ううむ?