レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

ベルリンへの心残り

2011-02-16 05:23:26 | ドイツ
 春学期の講義のタネを選ぶ際に、多少は時事ネタも意識する。今年が「日独交流150年」で切手が出ており、そのデザインにちなんでベルリンやドレスデンの話もしようと思い、関連本を読んでいる。
 プロイセンという名称はいまは存在しないけど、かつて世界史上では重要な役割を果たしていた。
 いまのブランデンブルク州あたりのマルク・ブランデンブルク地方と、いまのドイツよりうんと東に位置する、いまはポーランドになっている、「ドイツ騎士団」が侵攻していったプロイセン、これらがまとまって、18世紀初めにはプロイセン王国に。
 ベルリンが首都として大きくなった歴史も浅い。国書刊行会から出していたアンソロジー『ドイツの世紀末』(ウィーン、ベルリン、ミュンヘン、プラハ、チューリヒ の5冊ある)の「ベルリン」によると、いきなり近代から始まった都市だと説かれている。そして繁栄は1945年にまたいきなり終わったと(33年で黄金期が終わるとする見方は当然ある)。--このアンソロジーは86年に出ている、つまり「壁」の崩壊前。たぶん編集者たちはこの数年後に激変するとは夢にも思わなかったろう。少々感慨にとらわれる。

 私がベルリンに行ったのは98年の夏の3泊。バスなどを駆使してめいっぱい動き回った。最も感動したのはカイザー・ヴィルヘルム記念教会の『スターリングラードのマドンナ』(当ブログでは既にたっぷり言及済み)。 歴史博物館には2度行ったのにそれでも見きれなかった。有名な「壁博物館」には行ってない。「博物館島」のいくつかは修理中だったので見てないぶんがある。東ドイツの信号機のキャラクター「アンペルマン」の店は当時まだなかった。「コンツェルトハウス」のピアノコンサートには友達が連れて行ってくれて、建物共々楽しかった。この近くに「ドイツ大聖堂」と「フランス大聖堂」があって、後者の中には「ユグノー博物館」があるそうだけど、両方とも行ってない。  巨大なベルリンはそのぶん見ものも豊富だし、私も心残りは山ほどある。ローマキャラの彫刻だって当然見たい。ユダヤ博物館もできている。動物園で白クマのぬいぐるみも欲しい。名物の「カリーヴルスト」(カレー粉とケチャップをまぶした焼きソーセージ)食べたい。
 1週間いたって味わいつくせそうにない都市のはず。それなのに、パックツアーでは半日しかあててなかったりして、人ごとながら抵抗を感じる。もっと限定した地域をじっくり落ち着いて見せる企画はなぜないんだろうか。あちこちまわらせないと旅行会社のもうけにしにくいのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする