サカジュン=酒井順子、ただし、こんな略称は公認されていない。友人Aが使っていたのを私がまねしているだけ。
図書館で予約していた『おばさん未満』がやっとまわってきたので読んだ。さほど若くはなく老いてもいない、そして昨今の世間の風潮もまだまだ簡単には老け込むことを許そうとはしていない、40代女の厄介ごとあれこれがテーマ。
私が関心を持ったのは、「言葉」の章。十代のころ、自分達の世代は「だよ」「だね」、母親世代は「わね」「よね」といった語尾を使用することに気づいていたという指摘。この著者と私はほぼ同世代なので、これはよくわかる。
このあと酒井さんは、いつまでも「だよ」ではいけないのではと思い始め、40代のいまでは「わね」語尾が増えている。しかし現在、「あいつちょーウゼー」なんて言ってる女の子たちがあとで女らしい言葉になるかといえばならないだろう、と続いている。
私はといえば、ふりかえってみても変化はないと思う。マッシーその他を独訳で読んでいで婦人のセリフは自然に女ことば変換されるけど、自分が口にする気は皆無のままだ。
本の中では、若い娘は「だわ」なのに、その母が「だよ」であることがしばしば見られる。私はたいへん抵抗を感じる。年寄りのステレオタイプの一種だろうか。
柴門ふみ『にっぽん入門』 文春文庫の新刊。
日本各地の様々な祭りやイベント、観光名所を訪ねる企画。
「愛・地球博」は、面白いパビリオンも「ナメトンノカ」レベルも混在していて、同行の息子さんが「高校の文化祭みたい」と言ったので、やる気のないクラスも気合のはいったサークルもあることと重ねて納得した、という指摘は面白かった。ポーランド館が美男美女というので、そうだろうねぇと納得。万博に行きたい気分になった。
「東照宮はベルサイユ宮殿のようだった。東洋のロココ。」--いや、それは違うから。ヴェルサイユはバロック様式、ロココはそれよりあと。デカデカとハデなのがバロック、華奢で優美なのがロココ。もっとも、ヴェルサイユといえばルイ14世よりもマリー・アントワネットのほうが先に連想されることも少なくないので、こういう誤解もありがちだと思う。私は東照宮もヴェルサイユも行ったことないが。両方行って確かめたいものである。--ルートヴィヒ2世がヴェルサイユを真似したかったけど土地がないので代わりにプチ・トリアノンの真似で我慢したというリンダーホーフ宮殿は見たぞ~、と負け惜しみを言っておく。
ところで、柴門ふみはマンガ家であるけど私はマンガのほうはほとんど読んでいない。ララに少しは載っていたのだったかな。
去年出た『密やかな教育』という本に、初期のJUNEについて載っていたが、「ケン吉」の名前で柴門ふみも描いていたことを知った。『病院豚の首くくりの家』というタイトルを覚えている。そうか、サイモンの自画像のブタは見覚えがあると思っていたが、あれのブタと同じタッチなのか。
図書館で予約していた『おばさん未満』がやっとまわってきたので読んだ。さほど若くはなく老いてもいない、そして昨今の世間の風潮もまだまだ簡単には老け込むことを許そうとはしていない、40代女の厄介ごとあれこれがテーマ。
私が関心を持ったのは、「言葉」の章。十代のころ、自分達の世代は「だよ」「だね」、母親世代は「わね」「よね」といった語尾を使用することに気づいていたという指摘。この著者と私はほぼ同世代なので、これはよくわかる。
このあと酒井さんは、いつまでも「だよ」ではいけないのではと思い始め、40代のいまでは「わね」語尾が増えている。しかし現在、「あいつちょーウゼー」なんて言ってる女の子たちがあとで女らしい言葉になるかといえばならないだろう、と続いている。
私はといえば、ふりかえってみても変化はないと思う。マッシーその他を独訳で読んでいで婦人のセリフは自然に女ことば変換されるけど、自分が口にする気は皆無のままだ。
本の中では、若い娘は「だわ」なのに、その母が「だよ」であることがしばしば見られる。私はたいへん抵抗を感じる。年寄りのステレオタイプの一種だろうか。
柴門ふみ『にっぽん入門』 文春文庫の新刊。
日本各地の様々な祭りやイベント、観光名所を訪ねる企画。
「愛・地球博」は、面白いパビリオンも「ナメトンノカ」レベルも混在していて、同行の息子さんが「高校の文化祭みたい」と言ったので、やる気のないクラスも気合のはいったサークルもあることと重ねて納得した、という指摘は面白かった。ポーランド館が美男美女というので、そうだろうねぇと納得。万博に行きたい気分になった。
「東照宮はベルサイユ宮殿のようだった。東洋のロココ。」--いや、それは違うから。ヴェルサイユはバロック様式、ロココはそれよりあと。デカデカとハデなのがバロック、華奢で優美なのがロココ。もっとも、ヴェルサイユといえばルイ14世よりもマリー・アントワネットのほうが先に連想されることも少なくないので、こういう誤解もありがちだと思う。私は東照宮もヴェルサイユも行ったことないが。両方行って確かめたいものである。--ルートヴィヒ2世がヴェルサイユを真似したかったけど土地がないので代わりにプチ・トリアノンの真似で我慢したというリンダーホーフ宮殿は見たぞ~、と負け惜しみを言っておく。
ところで、柴門ふみはマンガ家であるけど私はマンガのほうはほとんど読んでいない。ララに少しは載っていたのだったかな。
去年出た『密やかな教育』という本に、初期のJUNEについて載っていたが、「ケン吉」の名前で柴門ふみも描いていたことを知った。『病院豚の首くくりの家』というタイトルを覚えている。そうか、サイモンの自画像のブタは見覚えがあると思っていたが、あれのブタと同じタッチなのか。
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