レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

「女」を嫌がる女心

2006-05-26 06:47:24 | マンガ
 かわみなみ『ダイヤモンド・ガイ』は、男っぽい題材が多く収録されているが、『はあどぼいるどカフェ』のみは女の子がメイン。
 親の経済的事情で、継続私立高への進学を断念して近くの女子高に入った由貴(ゆうき)、女子高にそまりたくなくて、群れることを拒否していたけど、学園祭の仕事で自分の失敗をクラスの団結で乗り越えたことから心を開くという話。
 最初の場面で「女子高は男の来るところじゃない」とあるので、「女装してるのか?」と思うかもしれない。「心は男だ」で、「性同一障害?」。しかしそういうわけでもない。
 女子高のノリや、「女臭さ」、少女趣味を嫌がるという女ごころは確かに存在するので、それは別にヘンじゃない。しかしこの話の場合、由貴の事情との結びつきにどうも不自然さを感じる。自立したい、強くなりたい、それはわかるけど、「男になったつもりでがんばるから」? 父の友人が借金を押し付けて逃げ、そのせいで親が困ったことと、性別とは関係ないはずで、弱い女・強い男の見本が近くにいるわけでもない。
 かわみさんの、やはり女子高もの『鈴がなるまで』にも、「男らしさ」嗜好の女の子が出てきたが、それには不自然さは感じなかった。また、同じころ(?)のララに、名前も忘れた誰かの投稿作にも、横暴な父にグチグチした母ゆえに、男と同じに強くなろうと力む主人公が出てきた。・・・強い女になればいいんじゃないのか?男の横暴さを憎むほうがスジじゃないのか?という抵抗は感じたが、「女」を嫌がる理由としてすこーしは理解できる設定だ。また、(これは現在連載中の作品)戸川視友『海の綺士団』のアシェルの場合の自称「心は男」は、私の推測だが、彼女はとにかく「騎士」になることが至上の目的で、その騎士団が男しかはいれないものなので「男」であろろうとしているのだろう。時代ものなのでこういうのはへんではない。『神の槍』イントロのマチルドの「女なんてつまんない」も。
 由貴の場合、経済的事情という動機を出したことはかえって不自然になってしまっていると思う。特に理由もない女性性忌避の心理としたほうがわかりやすかったのではないだろうか。本誌で読んだときにどう思ったか覚えていないが、再読して上記のような疑問を持った。強くなること=男になることではないはずだ。

 女が自分が女であることを嫌がる気持ちや、そのこととの和解というテーマは少女マンガでは時折見られる。こういうの、男ものマンガではどうなんだろうか。いい家の息子が、跡継ぎになんかなりたくない!と反発するという状況はありそうだが、「男」であることがイヤだというのはかなり特殊な扱いになってしまいそうだ。さもなくばオカマのコメディー。

 かわみさんの女の子ものでは『乙女心をゆさぶって』がいちばん面白かった。
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2 コメント

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「男であること」を否定する男って・・・ (Aki)
2006-05-30 13:37:09
「ストップ!!ひばりくん」とか、「変-HEN-」とか・・・ちょっと違いますね・・・。マンガではありませんが、片岡義男の小説にはそういうニュアンスの男性が登場することがありますね。「彼女は元々男性であったけれど、男性であることに息苦しくなり(あるいは男性であることの理由がみつからず)、今は"彼女"として存在している」というような。
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『ひばりくん』は (レーヌス)
2006-05-31 19:38:25
ほとんど読んでないけど、本人は女の子のつもりでいるらしいですね。これについて「ぱふ」だったか、「男の子が男を捨てて女の子になっちゃうのは、女の子にとって最大の賛辞なの」とコメントされていたことがあります。逆の場合、男がこんなふうに喜ぶだろうか、違うだろうな、と思いました。

 女が男になりたがること以上に、男が女を選ぶことへの世間の抵抗や蔑視は強いことでしょう。
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