宮部みゆき『昨日がなければ明日もない』
ネタバレ気味。
宮部みゆきの最新刊『昨日がなければ明日もない』は、『誰か』に始まる杉村三郎シリーズの5冊目である。このシリーズに関して特にこのブログで書いてきてはいない。財閥会長のお嬢様と結婚した編集者の杉村三郎はいわゆる逆玉で、体の弱い妻とたった一人の愛娘のために、「男のメンツ」というものをあとまわしにしている面があり、私はそういうのを逆説的に男らしいと思っていたのであるが、・・・3冊目の『ペテロの葬列』の結末はむしゃくしゃした。離婚した杉村三郎は4冊目から探偵になる。今回のおまけで作者が書いていたことによると、そもそもこのキャラには探偵やらせるつもりがあったというが、そのために結婚の挫折が必要であったのだろうか、あったかもしれんが私はすっきりしない、少なくとも三郎の母に対して私は腹を立てている、「息子をヒモにするために育てたんじゃない」って、彼だって働いていることに変わりはないのに、ヒモよばわりされるのは不当だ、大金持ちの妻実家の婿さんみたいになっているだけなのに、夫側が優位にないとおかしいと思うならばそのほうが理不尽だろう。この結婚のせいで三郎が親と不和になったということが妻の心に負担をかけて悪い展開につながったと言えるだろう、だからといってあんなバカなことする必要もあるまいが。
離婚にまつわるごたごたは釈然としないが、探偵稼業の話は面白く読める。
この巻には3つの話がはいっている。
『絶対零度』
新婚の娘が自殺未遂して音信不通、その夫がまったく会わせてもくれないので調べてほしいという依頼。その娘・優美は、夫に夢中だが、大学の先輩に絶対服従の点だけは不満だと言っていたという。
いわゆる「体育会系」の極度に歪んだ男どものクズすぎる所業(もちろん「体育会系」がこんなだときめつけることは誤りだと作中でも言われているし、それが悪い方向へいってしまったものだけど)。二人殺されているけど、これ、あと二人殺してよかったよ。「女の敵は女」なんて言葉を私は心底嫌悪しているが、この優美というキャラは「女の敵」女だ、クズ男どものクズ行為に手を貸したという点で。
表題作
三郎の大家さんの孫娘の同級生の母親(と呼ぶに値しないが)が、息子の事故は父方祖父母のしくんだものだと主張して調査を依頼してきた。
この依頼人がもう
バカで欲深で自己中で道徳心のカケラもなく、子供を金をむしりとるための道具としか思ってない、
クズ!カス!人間の価値なし!畜生にも劣る!なんて言い方が畜生に失礼だ!
と、平静ではいられないくらいひどい。
実は、私がリアルで知っているある・・・ひとなんて言いたくないし、女というのも不愉快(女という種族の面汚し)だ、生物を思い出させるもので、それで興奮してしまって、読んだ夜の寝つきを邪魔されてしまったくらいである。
いちおう事件は解決して、そのクズ女は実家へもどったが、読んでいる私としては、そのまま無事にすんでは気がおさまらないところだった。こいつ殺されろ~~~!と。
案の定――という言葉は、いいことに使うのと悪いことに使うのとどちらが正しいのだったかね、この際どちらでもいいのだーー、殺された。
犯罪者になってしまった人々には気の毒だが、こうでないと、と私はほっとした。こんな性根の腐った奴は、たとえ刑務所にはいったところで治りはしない、税金で養ってやるなんてまっぴらだ、〇〇、よく殺してくれた!
クズ女の息子が、出産者(母などと呼ばれる資格はない)のことなど念頭になさそうで養父母のもとで幸せにしていることが救いだ、このままきれいに忘れて別の人生を歩んでくれることを願う。
これらクズ男やクズ女の出てくる話の間にあって、『華燭』は、ホテルで同じ日に催されるはずだった結婚式が二つともトラブルでお流れになったなんてまだまだたわいのないものに見える。
双方の新婦二人が実は結託して式を壊していたなんていっそ爽快。
ところで、「ナイーヴ」の使い方の誤りが気になるのだ、「ナイーブな問題」「ナイーブな年頃」、デリケートとか扱いにくいとかいうところで出てきた。
森見登美彦『熱帯』
これまた新刊。
誰も読み終えたことのないという謎の小説『熱帯』をめぐって、幾重にも語りの枠が連なっていく、『千一夜物語』を念頭に置いた構成を持つ。
物語を読む快楽というものを尊重する人種としては大いに親しみを感じるところがあった。
くだんの小説は、記憶喪失の青年がある島で目覚めるという始まりなので、ここで『島の人』を私は連想する。ひらのあゆでマンガ化企画は・・・ないだろうな。
ネタバレ気味。
宮部みゆきの最新刊『昨日がなければ明日もない』は、『誰か』に始まる杉村三郎シリーズの5冊目である。このシリーズに関して特にこのブログで書いてきてはいない。財閥会長のお嬢様と結婚した編集者の杉村三郎はいわゆる逆玉で、体の弱い妻とたった一人の愛娘のために、「男のメンツ」というものをあとまわしにしている面があり、私はそういうのを逆説的に男らしいと思っていたのであるが、・・・3冊目の『ペテロの葬列』の結末はむしゃくしゃした。離婚した杉村三郎は4冊目から探偵になる。今回のおまけで作者が書いていたことによると、そもそもこのキャラには探偵やらせるつもりがあったというが、そのために結婚の挫折が必要であったのだろうか、あったかもしれんが私はすっきりしない、少なくとも三郎の母に対して私は腹を立てている、「息子をヒモにするために育てたんじゃない」って、彼だって働いていることに変わりはないのに、ヒモよばわりされるのは不当だ、大金持ちの妻実家の婿さんみたいになっているだけなのに、夫側が優位にないとおかしいと思うならばそのほうが理不尽だろう。この結婚のせいで三郎が親と不和になったということが妻の心に負担をかけて悪い展開につながったと言えるだろう、だからといってあんなバカなことする必要もあるまいが。
離婚にまつわるごたごたは釈然としないが、探偵稼業の話は面白く読める。
この巻には3つの話がはいっている。
『絶対零度』
新婚の娘が自殺未遂して音信不通、その夫がまったく会わせてもくれないので調べてほしいという依頼。その娘・優美は、夫に夢中だが、大学の先輩に絶対服従の点だけは不満だと言っていたという。
いわゆる「体育会系」の極度に歪んだ男どものクズすぎる所業(もちろん「体育会系」がこんなだときめつけることは誤りだと作中でも言われているし、それが悪い方向へいってしまったものだけど)。二人殺されているけど、これ、あと二人殺してよかったよ。「女の敵は女」なんて言葉を私は心底嫌悪しているが、この優美というキャラは「女の敵」女だ、クズ男どものクズ行為に手を貸したという点で。
表題作
三郎の大家さんの孫娘の同級生の母親(と呼ぶに値しないが)が、息子の事故は父方祖父母のしくんだものだと主張して調査を依頼してきた。
この依頼人がもう
バカで欲深で自己中で道徳心のカケラもなく、子供を金をむしりとるための道具としか思ってない、
クズ!カス!人間の価値なし!畜生にも劣る!なんて言い方が畜生に失礼だ!
と、平静ではいられないくらいひどい。
実は、私がリアルで知っているある・・・ひとなんて言いたくないし、女というのも不愉快(女という種族の面汚し)だ、生物を思い出させるもので、それで興奮してしまって、読んだ夜の寝つきを邪魔されてしまったくらいである。
いちおう事件は解決して、そのクズ女は実家へもどったが、読んでいる私としては、そのまま無事にすんでは気がおさまらないところだった。こいつ殺されろ~~~!と。
案の定――という言葉は、いいことに使うのと悪いことに使うのとどちらが正しいのだったかね、この際どちらでもいいのだーー、殺された。
犯罪者になってしまった人々には気の毒だが、こうでないと、と私はほっとした。こんな性根の腐った奴は、たとえ刑務所にはいったところで治りはしない、税金で養ってやるなんてまっぴらだ、〇〇、よく殺してくれた!
クズ女の息子が、出産者(母などと呼ばれる資格はない)のことなど念頭になさそうで養父母のもとで幸せにしていることが救いだ、このままきれいに忘れて別の人生を歩んでくれることを願う。
これらクズ男やクズ女の出てくる話の間にあって、『華燭』は、ホテルで同じ日に催されるはずだった結婚式が二つともトラブルでお流れになったなんてまだまだたわいのないものに見える。
双方の新婦二人が実は結託して式を壊していたなんていっそ爽快。
ところで、「ナイーヴ」の使い方の誤りが気になるのだ、「ナイーブな問題」「ナイーブな年頃」、デリケートとか扱いにくいとかいうところで出てきた。
森見登美彦『熱帯』
これまた新刊。
誰も読み終えたことのないという謎の小説『熱帯』をめぐって、幾重にも語りの枠が連なっていく、『千一夜物語』を念頭に置いた構成を持つ。
物語を読む快楽というものを尊重する人種としては大いに親しみを感じるところがあった。
くだんの小説は、記憶喪失の青年がある島で目覚めるという始まりなので、ここで『島の人』を私は連想する。ひらのあゆでマンガ化企画は・・・ないだろうな。
本を読んで、たかぶる感情を抱えたり、寝付きが悪くなったとか、わかるわかると思ったので、ここにコメントです。
読んで、何らかの感情が起きる。
その感情が、賞賛や喜びなら是とし、怒りであれば、「フィクションにむきになって大人げない」とか「気に入らなければ」と、くさす人々がいますが、腹を立てるのも、怒るのも、れっきとした「読書から得るもの」です。
ということで、面白そうと思って図書館を調べたら、予約300超でした。
図書館ではまだまだ空かないでしょうね。私は、本屋の値引き券があったので気が大きくなって買って読んで寄贈しました。