レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

長ったらしい名前

2010-11-25 06:31:25 | 歴史
 これは、「歴史」と「ことばや名前」のどちらに入れたものか悩むところである。

 図書館で借りた中央公論社の「世界の文学セレクション36」、収録は、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』、ラクロ『危険な関係』。

 私はかねがね、ひとを姓だけで呼んだときにそれが男だと決めつけられてしまう傾向を悪いことだと思っており、女の場合には「○○夫人」だの「○○嬢」だのとついてしまうことを問題だと思っている。だから、たとえば「キュリー夫人」は「マリー・キュリー」と言うことに賛成する。
 とはいうものの、名前・姓とすっきりとまとまらない場合はある。
(「姓」と「苗字」は厳密には同じでないそうだけど、ここではそこまでこだわらないことにする)
 上記の二人について言えば、
 前者は、「マリー=マドレーヌ・ビオシュ・ド・ラヴェルニュ」が後に「ラファイエット伯爵フランソワ・モティエ」と結婚した。年譜には、「父マルク・ピオシュ」と書いてあるので、「名前」は「マリー=マドレーヌ」で、それ以下が姓にあたると思っていいのだろうか。
 後者は、ピエール=アンブロワーズ=フランソワ・コデルロス・ド・ラクロ、「正式にいえばコデルロス・ド・ラクロが姓で、ピエール=アンブロワーズ=フランソワが名である」。でもたいていは「ラクロ」ですますし、少し長くても「コデルロス・ド・ラクロ」なので、「コデルロス」が名前であるかのように思ってしまう。
 「ラ・マルセイエーズ」の作者は、クロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リール、「クロード=ジョゼフ」が名前、あとが姓。私の読んだ『ラ・マルセイエーズ物語』では、略するときには「ルジェ」と書かれていた。
 『紅はこべ』の作者は、「バロネス・オルツィ」と言われるけど、これはなんと、
 バロネス・エムスカ・バルストウ・オルツィ (ハンガリー生まれロンドン没、1865ー1947)、
略しないと「エムスカ・マグダレーナ・ロザーリア・マリア・ヨゼファ・バルバーラ・オルツィ・バーストウ」、
夫がモンタギュ・バーストウ男爵(これ、名前ははしょってるのだろうな、「モンタギュ」は「名前」じゃないだろうし)。
 本来ハンガリー人は姓・名の順だとされているけど、これは「エムスカ」が名前なのだろう。
 略して「エムスカ・オルツィ」がバーストウ男爵夫人になったということなのだろう。だとすると、「バロネス・オルツィ」という呼称はヘンな感じがするけど、これでいいのかなぁ? 
(ついでに言えば、「マルキ・ド・サド」というのもおかしな書き方ではないのか、「マルキ」は普通名詞「侯爵」なのに、カタカナ書きするとまるでこれが名前みたいだ)
 このように、どこが名前、姓、あるいは肩書なのかわかりにくいとか、あまりに長ったらしいとかで、すっきりとフルネームで言えないケースがある。
 その点では、『アンクル・トム』の作者「ストウ夫人」などは、「ハリエット・ビーチャー」が「カルヴィン・ストウ」と結婚して「ハリエット・ビーチャー・ストウ」になったので、はるかにすっきりしている。私が目にした某伝記では「ハリエット・B・ストウ」と表記していた(同じレーベルの中には「マリー・キュリー」もあったので、主義主張をもってこれらの呼称を使っているのだろう)。

 フランス文学の重要人物で、ドイツ・ロマン派の紹介者である「スタール夫人」(『ベルばら』を隅々まで読んて覚えているファンならば知った名前のはず。フェルゼンの花嫁候補の一人だった)は、「アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール」、正式な名前は、スタール=ホルシュタイン男爵夫人アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ネッケール。藤本ひとみさんの本では、名前は「ジェルメーヌ」で書いてあるので、これが主要な名前なのだろう。
 その友達であり、皇帝ナポレオンも袖にした美女「レカミエ夫人」は、短く言えば「ジュリエット・レカミエ」、フルネームだと「ジャンヌ=フランソワーズ・ジュリー・アデライード・ベルナール・レカミエ」。「ベルナール」は旧姓。
 「~~夫人」を使わずに言えば、前者は「ジェルメーヌ・ド・スタール」、後者は「ジュリエット・レカミエ」が妥当なところか。
 こうして見ると、結婚しても旧姓が姓名の一部に引き継がれているケースがけっこうあるものだ。むしろ、身分の高い人々のほうが実家の名をひきずり続けるように見える。

 現代日本人の名前は、歴史的に見ても、欧米と比べても、いたってシンプルだと思う。

 「歴史」カテゴリーに入れたのでつけたし。
 『クレーヴの奥方』は、ヴァロア王朝末期を舞台にしている。(作者は、ルイ14世の母アンヌ・ドートリッシュの侍女となり、のちに王弟妃アンリエット・ダングルテールに仕えた) 主人公(個人名が出てこないクレーヴ公夫人)は王太子妃(メアリ・スチュアート)と親しいという設定で、その王太子妃は、王女エリザベトがスペインに嫁ぐことに関して、本来は王子ドン・カルロスが相手だったのにその父フェリペになってしまったことをよく思わない。「イスパニア王のような年配の、しかもあんな気性のひとと結婚するのはうれしいはずがありませんもの」 年配っていってもまだ32なんだが。14と32では離れているとはいえるけど、政略結婚としては許せる範囲だろう。「ドン・カルロス王太子には、お会いするまえから好感を持って、お輿入れを楽しみにしていらしたのですから」--それは絶対に失望していた! 不出来な王太子より、マトモな大人であるフェリペのほうが絶対にいいに決まってる!  シラーの『ドン・カルロス』が描かれるのはもっと先のことだけど、17世紀のフランス宮廷でもこのようなイメージはすでにできていたのだろうか。この作品の出たのは1678年、 フランスがスペイン・ハプスブルクの断絶を待望してスペイン王位を狙っていたころだ(スペイン・ハプスブルクの最後の王カルロス2世は1665-1700)。自国から嫁いで若死にした王女の相手、敵国の王には勝手に暗いイメージ作っていたのだろうか。当時の王妃の実家でもあるのだが。
コメント (2)
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